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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第23話
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23-5






     23-5




 本部の椅子に、ちょこんと座る。

 自分では横柄に座ったつもりでも、体型が体型なので人からはそう見える。

 第一ふんぞり返ったら、間違いなく地面に落ちる。

「暇そうね」

「暇だよ」

 欠伸をして、パンフレットを開く。

 でもってすぐに、飛び上がる。

「来た、来たっ」

「誰が」

 嫌そうに顔をそむけるサトミ。

 分かってないな、この人は。

「リレー。リレー。ニャン、ニャン」

「単語で話さないで。それと、ここにいていいの」

「いいのって、私は走らないもん」

「当たり前でしょ。いいから、猫ちゃんの所へ行ってきなさい」


 送り出された。

 追い出されたという気がしないでもないが。

 仕方ないので、言われた通り選手の控え室へとやってくる。

 ドアの前に立つ、重装備のガーディアン達。

 学内のイベントにしては、やや大袈裟な気もするが。

「何か」

 私を見て、事務的に尋ねてくる男の子。

 揉める理由もないので、IDを見せてニャンの知り合いだと告げる。

「試合前だし、後でまた来る」

「はあ」

「それより、警備をお願いね」

 軽く回りを見渡し、不審者をチェックする。

 警備、競技員、選手。

 おかしい雰囲気はない。

 少なくとも、今の所は。

「何してるの」

「わっ」

 後ろから突然声を掛けられた。

 振り向くと、そこにはニャン立っていた。

 などと、のんきに納得してる場合じゃない。

「自分こそ、試合前でしょ」

「部屋にこもっていいタイムが出るなら、一日中でもこもる」

「なるほどね」

 彼女からペットボトルを受け取り、その酸味に顔をしかめる。

 筋肉にはいいかも知れないが、味は良くない。

「おかしな薬とか入ってないの」

 ぎょっとする周囲の人達。 

 ニャンは至って気楽に笑い、ペットボトルを傾けた。

「ああいうのが効くのは、もっと筋力が発達してる人。興奮剤を飲む手もあるけど、アドレナリンだけで走る訳でもないし」

「抜いておいた血を入れるっていう、あれは?」

「痛いのは嫌。大体、それでどれだけ早くなるのかは良く分かってないの。気休めには、いいかもしれないけど」

 身も蓋もないコメント。

 ただ、ニャンがドーピングをやってる訳がない。

 そんな事は疑う気もないし、考えた事もない。

「そう。とにかく、試合頑張って」

「ありがとう。でもユウユウ達とやった時の方が、大変だった気もする」



 本部に戻り、椅子に座る。

 少しの緊張感。

 自分が焦っても仕方ないが、こればかりはどうしようもない。

「猫ちゃんには会えたの?」

「会えた。少なくとも、あの子は緊張してなかった」

「ユウが緊張してどうするの」

 優しく笑うサトミ。

 しかし私は笑い事ではなく、手の平の汗をジャージで拭く。

「始まらないな」

 女子400mリレーの開始時間は、既に過ぎている。

 しかし選手の入場すら、まだ行われていない。

「ただ今、競技の進行が遅れています。今しばらくお待ち下さい」

 その疑問を読み取ったように入るアナウンス。 

 脳裏によぎる、嫌な感覚。

 単なる学内のイベント。

 それに対する、あの警備。

「ちょっと、行ってくる」

「どこに」

「いいから」


 同じ道を一気に駆け抜け、控え室の前へやってくる。

 特に変化はない状況。

 ただ、警備の数がさっきより多い。

「何かあったの」

 さっきの男の子へ、控えめに声を掛ける。

 彼は緊張気味な表情で小さく頷き、廊下の先を指差した。

「陸上部の選手が出た所で、武装した集団が襲ってきまして」

「怪我はっ?」

「すぐに俺達がガードしたので、それ程問題はないと……」


 言葉を最後まで聞かず、ドアを開ける。

 しかしキーが掛かってるのか、びくともしない。

「あ、あの。そこにはいないから」

 スティックをしまい、すぐに彼へと詰め寄る。

「どこっ」

「い、医療部へ」



 気が付けば、医療部へと辿り着いていた。

 人の集まってる場所へ駆け寄り、ニャン達の姿を探す。

「雪野さん」

 落ち着いた、良く通る声。

 人垣の手前。

 壁にもたれ、私を手招きする沢さん。

「どうして、ここに」

「事前に情報が入ってね。猫木さん達が狙われてるという」

「沢さんに?」

「猫木さんは、オリンピック指定強化選手。陸連が、色々気を遣ってるんだ。彼女に何か無いようにと」

 助かりはしたが、面白くはない話。 

 逆に言えば彼女が強化選手でなければ、どうでもいいという訳か。

 無論それだけの選手だからこそ、襲われるのだが。

「黒木さん達は、どうでもいいんですか」

「陸連はそうだろう。無論僕は、彼女達もガードしたけどね」

「別に、沢さんを怒ってる訳じゃ」

 苦笑する沢さん。 

 ただその表情とコメントに、少し安堵する。

 それに彼が付いていたなら、最悪の状況はないだろうから。 

「怪我は」

「かすり傷もない。少し壁際でもつれたから、万が一を考えてね」

「そうですか。済みませんでした」

「いや。それより、彼女達までターゲットにするとは。今回は、根が深い」 

 薄く微笑む沢さん。

 私ですら近付きがたい、尋常ではない緊迫感を漂わせて。

「ニャン……。猫木さん達は」

「大丈夫。今はさっき以上に警備が厳重になってるから、君でも会うのは難しいだろう」

「そう、ですか」

「勿論、会う方法はいくらでもあるんだが。それは、君にとっては言わずもがなだし」



 医療部を出た所で、塩田さん達と出会う。

「猫木は」

「会えるのは、少し後みたいです。でも、怪我はないとか」

「心配するな。この件については、きっちりかたを付けてやる」

 端末を取り出し、辺りを見渡す塩田さん。 

 いつにない厳しく、険しい表情で。

「遠野、お前は学校と自警局と交渉。木之本はSDC。元野は現状通り、全体の指揮。浦田は俺の補佐。玲阿と雪野は、陸上部の警備に付け」

「はい」

 静かに、全員でそう答える。

 彼の指示に従う意思を明確に示し、その通りに行動するために。

「人の後輩に手を出したらどうなるか、じっくり後悔させてやる」



 さっきとは違う控え室。 

 今はその中に入り、張りつめた緊張感を体感する。 

 それは試合へ対してなのか、襲われた事に対してなのか。

 私に出来る事は何もない。

 ただこうして、ドアの前で立つ以外は。

「落ち着いたら」

 至って冷静に声を掛けてくるニャン。

 そう振る舞っているのではなく、実際に落ち着いているようだ。

「海外だと、よくとは言わないけどあるにはあるの。襲う振りをして、動揺を誘うのは」

「そうだとしても」

「怪我人は出なかったし、ここで慌てたらそれこそ相手の思うつぼじゃない」

 力強い発言。

 自信と、勇気に満ちた。

「気楽でいいわね」

 深刻そうなため息を付く黒沢さん。 

 ただ彼女も、それ程動揺している様子はない。

「何か」

「いや。あまり、緊張してないなと思って」

「私達がするのは走る事であって、慌てる事ではないもの」

 当たり前な。

 だからこそ、難しい事。

 それをするという彼女。

 ただ素直に、彼女達を誇りに思う。

 それ以外は、何もない。

「だから雪野さんは、警備をよろしく」

「任せて。私はともかく、人材は揃えてるから」

 ここは控え室のため、いるのは女の子達だけ。

 選手の4人と、何人かの陸上部員。

 そして私。

 ただ、外は違う。

 控えているのは、さっきまでのガーディアンではない。

 ショウに御剣君。

 柳君と名雲さんも、少し離れて控えている。

 そこをすり抜けられる人間を、想像すら出来はしない。

「選手の方は、グラウンドへ移動して下さい」

 端末に入る連絡。 

 私はスティックを背中へ付け、彼女達の様子を見守る。

 少しずつ変わっていく表情。

 女の子から選手へと。

 戦う者達の、気高く美しい様を。



 拍手と歓声。 

 フラッシュの嵐。 

 その中を、颯爽と歩いていくニャン。

 注目は彼女ただ一人。

 これを言うには抵抗があるが、誰しもがそれは認めている事実。 

 同じメンバーの黒沢さんも、その事は認識しているだろう。

 表向きの変化はない。

 ただ競技員は大半がガーディアンと入れ替わり、観客の前ににも増員される。

 私はゴール付近に待機。

 感極まった振りをして、何かを仕掛けてくる相手を想定して。

 試合前の、興奮を一層煽るようなアナウンス。

 さらに大きくなる拍手と歓声。

「アジアGPゴールドメダリスト。高校生女子100m記録保持者。猫木明日香さん」

 小さく手を挙げるニャン。

 ボルテージを上げる観客。

 全員の動きを見るのは不可能。

 あくまでも不審な挙動を、印象だけでチェックしていく。

 速読術と同じ、意味を読み取るのではなく絵として頭に入れていく。 

 何人かを発見し、インカムで付近のガーディアンに警戒を促す。

 万が一、グラウンドへ降りてきても問題はない。

 自分の守備範囲内なら、容赦なく叩きのめすだけだから。

 またそれ以外の位置にも、ショウや御剣君が配置に付いている。

 来るなら来いとまでは言わないが、今はそのくらいの気分。

 とにかく、今回の相手にはそれなりの覚悟をしてもらう。



 スターターの音を背中で聞き、観客とトラック内を交互に見る。

 襲撃犯が、必ず観客側にいるとは限らない。

 疑いたくはないが、スタッフに紛れている可能性もある。

 観客の声援。

 慌ただしく渡されるバトン。

 自ずと高まる緊張感。

 それは勿論リレーよりも、襲撃犯に対しての。

 完全に集中した顔のニャン。

 以前私とやったレース同様、こちらを見る事はない。 

 私もそうだった。

 でも、今は違う。

 彼女をただ見守る。

 この身を挺してでも、彼女を守る。


 一気にトップスピードへ乗るニャン。

 引き離される後続。

 爆発のような歓声を送る観客達。

 私も彼女の走りを目線で追いつつ、意識は周囲にも配る。

 危険なのは、走っている時ではない。

 問題ない走りでゴールを駆け抜けるニャン。

 近付く競技員。

 私もすぐに彼女の元へ駆け寄り、背中のスティックに触れつつ周囲へ視線を走らせる。

「くっ」

 強い目への刺激。

 スプレーなどではなく、強烈な光のようだ。

 すぐに目を閉じ、感覚だけでニャンを地面へ伏せさせる。

「今の私から見て、5時の方角っ。黒のシャツっ」

「了解」

 インカムに入る、静かな声。

 騒然とした空気が、背中越しに聞こえてくる。

「ニャンッ」

「私は大丈夫。ユウユウこそ」

「もう慣れた」

 涙をハンカチで拭き、何度か瞬きをする。

 少し痛むが、それ以外の異状は感じられない。

 おそらく、あの光を微かに見ただけで済んだのだろう。

 つまり長時間目に入っていれば、今は目を開けるどころか立っているのも怪しい。

「でも、どうして」

「レーザーポイントでしょ。こういう事は多いから、一定以上の光量を遮断するコンタクトをしてるの」

 明かされる事実。

 そう言えば、普段より瞳の色がやや暗い感じにも見える。 

「まさか、学内でこうなるとは思わなかったけど」

「心配しないで。犯人は、必ず捕まえるから」

「なるほどね。じゃあ私は、優勝するとしますか」

 あっさりと言い放つニャン。

 私はその肩を抱いて、耳元でささやいた。

「招待選手だった?あの連中は、結構早いわよ」

「らしいね。でも、私はもっと早いから」

「よく言うわね」

 少し笑い、彼女を護衛のガーディアンに託す。

 彼女のやるべき事は終わった。

 後は私の仕事である。



 狭い尋問用の部屋。

 ふてくされた表情で椅子に座る、黒いシャツの男。

 間違いなく、レーザーポイントでニャン達を狙った男だ。

「落ち着ついて。俺が話す」 

 私を制し、彼の前に座るケイ。

 男は鼻で笑い、足を机の上に乗せた。

「IDを見ると、ここの生徒じゃないんだ」

「だから?」

「レーザーポイントで人を狙うのは犯罪。だから、警察に連絡した」

 顔色を変える男。 

 ケイは愛想良く笑い、男にペットボトルを差し出した。

「ただ、まだ誰が犯人かは言ってない」

「取引するって言うのか」

「雇い主は」

「名前は知らない。金とそれを渡されただけだ」

 ケイの持っているレーザーポイントを指差す男。 

「相手の特徴は」

「知るか。帽子を被ってたし」

「なる程。じゃあ、馬鹿に用はない。後は警察で話せ」

 即座に切り捨てるケイ。

 左右から男の腕を掴み、強引に立ち上がらせるガーディアン。

「お、おい。約束が」

「約束なんてしてない。せいぜい、少年刑務所で媚びを売ってろ」


 卓上端末を起動させるケイ。

 そこに表示される、大勢の顔写真とプロフィール。

「誰、これ」

「学校の職員一覧。あの馬鹿息子に雇われたチンピラかも知れないけど、あいつも陸連を相手にするつもりはないだろ」

「学校だって、陸連を相手にしたくはないでしょ」

「なるほど。どっちにしろ、さっきの馬鹿は話にならないし。こっちから辿るのは難しいな」

 消える画面。

 静まり返る室内。

 募るのは、私の苛立ちだけ。

「塩田さんは」

「さあ。あの人は、単独行動が好きだから」

 興味なさげに答えるケイ。

 ただその言葉通り、彼は人知れず行動するタイプ。

 むしろ一人でいる方が、動きやすいのだろう。

「明日のレースは、大丈夫なの」

「中止した方がいいと、俺は思う」 

 注釈付きの発言。

 無論それが、不可能だと知った上での。

 100mリレーは、体育祭でもメインの一つ。 

 ましてそこに出場するのは、国内でも有数の選手。

 仮に中止をしたら、それこそ違う意味でのトラブルが起きかねない。


「俺に言ってるのかな」

 苦笑気味にケイへ視線を向ける右藤さん。

 彼はSDCの代表補佐。

 そういった決定に関わる権限を持つ存在である。

「止めた方がいいと思うよ、俺も。ただ君達が思ってる通り、大げさな言い方をすれば暴動の可能性もある。猫木さん目当てで来てる人もいるだろうし」

「ニャン達の安全よりも、優先されるんですか」

「微妙だね。観客の制限も考えるけど、限界がある。今回の相手は、それなりに頭が働くようだ」

 他人事のような発言。

 飄々とした態度。

 彼がどうという訳ではないが、今は落ち着いていられない。

「それに危険なのは、レースだけじゃないだろ」

「え」

「俺なら、寝込みを襲う。夜討ちっていうのかな。人間、寝てる時には無防備になるから」

 口に当てられる指。

 物音を立てず席を立ち、木刀を手にする右藤さん。

「夜通しドアを叩くとか、さ。その辺も、考えた方がいいんじゃないのかな」

 ドアを貫く木刀。

 その向こうで上がる悲鳴。 

 右藤さんは素早く木刀を抜き、肩に担いでドアを開けた。

 廊下にいるのは、床に横たわった男。

 腕が、おかしな方向へ曲がった。

「別な容疑者も捕まった。本当、君も人が悪い」

「何がですか」

「わざわざ壁やドアの薄い部屋を用意して、盗聴させるように促したんだろ」

「たまたまです。でも、今回の方が情報を持ってそうですけどね」

 廊下に控えていたガーディアン達を呼び寄せ、男を運ばせるケイ。

 右藤さんはその様子を見届け、彼に木刀を向けてきた。

「やってみる?」

「いえ。荒っぽい事は苦手なので」

「覚えておくよ。今回の件は、SDCとしても全面的に極力するから。何かあったら、連絡して」



 何かあった訳でもないが、SDCの本部へとやってくる。

 体育祭の、今日の日程は終わり。

 私もやる事はない。

 気になる事は、いくらでもあるが。

「ニャン……。猫木さんは」

「場所は言えないけど、護衛に守られてる。心配しなくていいわよ」 

 気楽そうに笑う鶴木さん。

 私は笑っていられる心境ではないので、適当に頷く。

「初めに言っておくけど、レースはやる。これはSDCとしてより、猫木さんの希望でもあるの」

 ニャンの希望。

 彼女がそう思っているのなら、私がとやかく言う問題でもない。

 その先は彼女達の世界であり、私が踏みいるべき所ではない。

「対外試合や国際試合では、よくある事なのよ。こういう種の妨害は」

「でも今回は、学校や生徒会が関係してる可能性もあるんですよね」

「可能性はね。ただ他校の仕業かも知れないし、オリンピックで当たる国かも知れない。あまり決めつけて考えない方がいいわよ」

 軽く諭される。

 ただそれで納得出来るようなら、私は苦労していない。  

「とにかく。少しは落ち着いて行動しなさい」

「はあ」

「気のない返事ね。いいのよ、あなた一人で気にしなくても。そんな馬鹿が目の前に来たら、叩き斬ってやるから」

 鈍く思い音。

 机の上に置かれる剣。

 黒い鞘と、がっしりした鍔。

 柄は組紐が解れ、幾度と無く握り込まれた跡が見て取れる。

「危ないじゃないですか」

「セルフディフェンスよ。大丈夫、これは真剣じゃないから」

 つまり、刃が無いという訳か。

 ただ鋼の棒で叩かれれば、軽くても骨折くらいはするだろう。

 木刀で、同じ事をやる人がいるくらいだし。

「それと、届け物をして欲しいの」

「どうして、私が」

「他に人がいなくて。これ、お願い」



 学校から近い、高級マンション。

 高度なセキュリティをパスし、玄関を入ってエレベーターに乗る。

 高速で上がっていくエレベーター。

 監視カメラを睨みつつ、最上階で降りて廊下のカメラも睨む。

 センサー、カメラ、集音マイク。

 あまり楽しいとは思えない環境。 

 そのおかげで、おかしな人間は入り込みにくい。

 生活する場所としては、どうかと思うが。 

 ドアをノックして、少し待つ。

 勢いよく開くドア。  

 飛び出てくる猫。

 いや。ニャンか。

「何してるの」

「煙、煙がっ」

 蒸せ返すニャン。

 ただ火事という訳ではなく、漂ってくるのは芳ばしい香り。

「護衛は」

「このフロアにはいない。ああ黒沢さんは隣の部屋。その向こうにもいる」

 どうやらこのフロア全部を、陸上部のメンバーで貸し切ってるらしい。 

 お金も物も、ある所にはあるようだ。

「それで、どうかしたの」

「これ届けろって」

 鶴木さんから託された物を、ニャンへと渡す。

 細い筒状の品物を。

「短刀?」

「怖い事言わないで。……なんだ、これ」

 首を傾げるニャン。

 私も首を傾げ、ため息を付いた彼女の後に付いていく。



 出てきたのは、桜色のういろ。

 お茶でそれを流し込み、広いリビングを見渡してみる。

「いい所に住んでるね。でも、眠れる?」

「昔は駄目だったけど。最近は転戦に慣れたから」

 彼女はアジアの陸上GPに参加している選手。

 月に1度くらいのペースで、海外のレースを経験している。

 ベッドが変わると眠れないとか、落ち着かないなどとは言っていられないのだろう。

「ユウユウも泊まる?」

「邪魔じゃなかったら」

「じゃあ、邪魔」

「何よ、それ」

 彼女に飛びつき、ソファーに転がる。

 でもって二人でもつれ合う。

「馬鹿」

 軽くはたかれる頭。

 私を見下ろす、可愛らしい顔立ちのお下げ髪の女の子。

「誰が馬鹿なのよ」

「ユウユウが」

 間の抜けた呼び方をしてくるワン。

 いぬいという苗字もあるが、ワンはワンだ。 

「焼き餅?」

「もう、馬鹿馬鹿」

 二人してペタペタと彼女の足を叩き、もう一度ニャンともつれ合う。

 意味はない。

 意味がないから、面白い。

「怪我するわよ。二人とも、ほら」

 優しく私達を分ける、ロングヘアの女の子。

 この子は、いつまで経っても優しいな。

 ワンとは違って。

「何」

 無愛想にこちらを睨むワン。

 へらっと笑い、ぬるっと床に滑り落ちる。

「別に。ミィはは、いつまで経っても優しいなって」

「ユウユウは、いつまで経っても馬鹿」

 この女。

 飛びついてやろうと思ったが、ミィが見ているので止めた。

 この子も三木みきという名前があるが、そう呼ぶ事は滅多にない。

「でも、いいの?私達が泊まっても?」

 改めて確かめるように問い掛けるミィ。

 ニャンはこくりと頷き、腕に付けているサポーターを手でさすった。

 モニターの心拍及び血圧の値は正常値。

 「非常に落ち着いた状態です」の文字も見える。

「お腹空いたね」

「上げる」

 差し出されるバナナ。

 の、皮。 

 今時お猿さんでも、これでは喜ばないだろう。

「ご飯作ったけど、食べる?」

「食べる。おかずは」

「パスタと野菜スープ。明日は試合だし、軽めにね」

 キッチンへ向かうミィ。

 私も彼女後を、とことこと付いていく。  



「肉」 

 単語で話すワン。

 構わず彼女の皿に、玉ねぎを乗せる。

 丸のまま一個。

 ただし、よく煮てあるので問題はない。

 インパクトはともかくとして。

「さっきは、こんなの無かった」

「私が持ってきたの。ニャンはこれ」

 パスタに果物。

 後は少しだけ、鶏のささみ。

 私も同じ物を食べる。

「付き合わなくてもいいのよ」

「好きで食べてるの」

 無論付き合いで食べている部分もあるが、こういうあっさりした食事の方が性にあっている。

 脂っこい物も好きとはいえ、毎日となればこっちを好む。

「美味しい」

 玉ねぎを食べながら、短く漏らすワン。

 当たり前だっていうの。

 これ一つ作るのに、どれだけ時間を掛けたか教えてやりたいくらいだ。

「ご馳走様」

 あっさりと食べ終え、バッグから何やら取り出すニャン。

 あまり見たくない名前の書かれた。

「プロテイン、嫌い?」

「それは、私の中で違反項目に指定されている」

「これは、イチゴ味。ユウが飲んだのは、何か知らないけど」

 ピンク色に染まっていく牛乳。 

 見た目はイチゴオレ。

 勧められるまま、飲んでみる。

 食事を付き合うと決めたので。

「が」

 私も短く漏らす。 

 ワン同様、呻くようにして。

 これは味がどうこうではなく、食感というかドロドロ感だな。

「飲めなくはない」

 消極的に肯定するワン。

 ミィは初めから、手を付けようともしない。

「飲まないの?」

「親に止められてるから」

 何だ、それ。

 私やワンの反応を見て、じゃないのか。

「残さないで」

「後は、ワンが飲むって」

「いや。私も美味しいとは言ってない」

 有無を言わさず渡されるグラス。

 量としては半分もないが、私はその半分も飲みたくはない。

「残りは、ミィが飲むって」

「あなた達ね。私はそれを、毎食飲んでるの」

「馬鹿」

「ほら、こぼすから」

 気さくな会話。

 楽しく過ぎていく時間。

 緊張も何もなく。

 安らぎと温かさだけの世界。

 戦いの前の、ほんの一瞬の休息。



 朝靄の坂。

 新聞配達の少年。

 紺から赤へと移る空。 

 風はまだ冷たく、だから空気は澄んで感じる。

 塀の上を歩く猫。

 その向こうに見える木々は、茶色の葉を散らしている。

 まだ白くはない息を吐き、少しペースを上げる。

 前に見える背中。

 一気に詰まる距離。

 いつかのレースとは違い、簡単にその隣へ並ぶ。

「元気いいね、朝から」 

「軽く」

 すぐに応じるニャン。

 これもレースの時とは違う。 

 当たり前といえば、当たり前の事だが。

「二人は」

「がーがー寝てた」

「仕方ないわね、本当に」

 安定したペース。

 早過ぎず、遅過ぎず。

 自分にとって心地いい速度を保ち、意識をリラックスさせる。

「調子は」

「問題ない。犬と競争したいくらい」

「そう。護衛はいいの?」

「ユウユウが来るって分かってたから」

 伸びてくる手。

 その指先に自分の指先を触れさせ、一緒に走る。

 朝靄の白い世界を、二人で一緒に。



 揺れる世界。 

 いや。揺れているのは、私の体か。

「何?朝ご飯ならさっき食べた」

「いつの話をしてるの」

 腕時計を指差すサトミ。

 朝ご飯どころか、お昼に近い。 

 でもって、マンションではなくグラウンドだった。 すっかり寝たというか、寝ぼけてた。

「昨日遅くてさ。あーあ」

「猫ちゃんの警備じゃなかったの」

「ああ、そうそう。警備警備」

 一緒のベッドで寝たし、それも警備と言うんだろう。 

 たわいもない思い出話を、延々とするのも。

 あの二人が寝過ごすのも、無理はない。

「で、犯人は見つかった」

「親切な小人なんていないのよ」

 冷たい台詞。

 だいたい小人って、私への皮肉じゃないだろうな。

「ショウは」

「いるわよ」

「どこに」

 振り向くと、タオルケットを抱えた彼が立っていた。

 人の事は言えないけど、グラウンドで寝る気かな。

「寒いの?」

「い、いや。別に」

 もごもご答えるショウ。

 思春期の少年は、何かと分かりにくい。

「あなたのためでしょう」

 耳元でささやくサトミ。

 どうしてと尋ねそうになって、すぐに口元を拭く。 

 理由は簡単、私が寝てたからだ。

 ショウがタオルケットを持ってきたのも、私がよだれを垂らしてるのも。



 とはいえ、好意は好意。 

 それに少し寒いので、タオルケットにくるまってみる。

 やっぱり暖かいな、これは。

 色んな意味で。 

「何っ?」

 タオルケットを剥がし、スティックを持って一気に駆け出す。

 とにかく走る。

「ちょっと、どうしたの」

「寝てる場合じゃないっ」

「何を今さら……」

 遠くで聞こえるサトミの声。

 しかし最近、走ってばかりだな。


 トラックを横切り、フィードの左端へとやってくる。

 大きなクッションと高い位置のバー。

 背が高く、華奢な少女達が体を解している。

 その中の一人。

 明らかに小さく、さらに華奢な体。

 しかし凛とした表情で、スタートの体勢を取る少女。

 緩いスタート。

 左から右への弧を描くラインで。

 瞬間早くなる速度。

 同時に浮き上がる体。

 それはしなやかに宙を舞い、反り返りながらバーの上を越えていく。

 微かに揺れるバー。

 ただ揺れはすぐに収まり、辺りから控えめな拍手が沸き上がる。

 グラウンド全体の注目は、男子100m走。

 走り高跳びが行われているフィールドを見ているのは、位置的に近い人達くらい。

 私も拍手をして、彼女にエールを送る。

 控えめに、だけど今の自分に出来る精一杯の事を。

 少しだけ手を上げる青木さん。

 あくまでも控えめに。

 それでも私に気付いている事を分かるようにして。

 私もそれ以上は、何もしない。

 今大切なのは、体を休めて跳ぶ行為に集中する事。

 だからこれ以上邪魔にならないように、人の後ろに身を隠す。



 実際は隠れなくても、勝手に隠れる。

 私より小さい人は、どこにもいないので。

 すでに競技としては終盤。

 残っているのは、5人だけ。

 それでもタイミングの関係上、跳ぶ間隔はかなり長い。

 つまり時間があるので、色々出来る。

 熱田神宮へ、念を送ったりとか。

「何してるの」

 笑い気味に現れる鶴木さん。 

 その隣には、相変わらず木刀を担いだ右藤さんも。

「友達がいるので」

「ああ、青木さん。でも勝つのは、ちょっと難しいわね」

 端末に表示される、彼女のベストと平均記録。

 それと比較して表示される、今現在残っている他の4人のデータ。

 特にトップ三人の記録は、群を抜いている。

「招待選手って、あれね」

「なんとかならないんですか」

「体育祭としては問題だとしても、試合としては当たり前の事だから。やるしかないわ」

 厳しい発言。 

 彼女らしい、また信念に基づいた。

「ただトータルのポイントとしては、3位までに入るといいのよね。SDCの優勝を考えると」

「どっちなんですか」

「私に聞かないで。とにかく全力を尽くす。それ以外にないでしょ」

 しかし端末のデータが示すように、彼女とトップ3人はかなりの差がある。

 普通にやっていれば、負ける事は必至。

 青木さんがベストに近い記録を出せば、勝機はあるが。

「面白くないな」

 とはいえ自分にはどうしようもないので、もう一度熱田神宮へ向かい願を掛ける。

「何してるんだ」

「熱田神宮に、お願いしてます」

「お願い、ね」

「悪いですか」

 きっと右藤さんを睨み、すぐにもう一度お願いする。

 あまり高望みしてもあれなので、青木さんが頑張れますようにと。

「怖い子だ。しかし、あまり雰囲気が良くないな」


 私の雰囲気が、ではない。

 会場全体の事を言っているのだろう。

 ざわめきと歓声。

 落ち着きが無く、浮足だったような空気。

 さっきの男子100m走の余韻。

 次のトラック競技までの、時間的な空白。

 退屈と興奮の重なった、嫌な状態。

 ジャージを脱ぎ、体を解す青木さん。

 今残ってるのは4人。 

 トップの3人と、青木さん。

 しかし彼女は手を振り、パスの意思を示した。

 他の3人は、すでにパス。

 必然的に、バーの位置が高くなる。

 ただ他の3人は、その一つ前をクリアしている。

 逆に青木さんは失敗。 

 つまりここで彼女が失敗すれば、自然と彼女の負けになる。

 大きな賭け。 

 自分の身長以上の高さ。

 ベストを越える高さの位置。

 無謀。

 自分を知らない行為。

 そんな事は言わせておけばいい。

 戦いの意味を知らない連中は。



 落ちるバー。

 マットを叩く少女。

 おざなりな拍手。

 私も彼女の健闘に、拍手を送る。

 再び準備を開始した青木さんにも。

 前の二人は成功。

 一人失敗。

 つまりこれを跳ぶ事が出来れば、3位が決まる。

「まずいな」

 木刀を担ぎ直す右藤さん。

 さっき以上に騒がしくなる観客席。

 トラック競技は何も行われていない状況。

 フィールドは高跳びだけ。

 暇を持て余し、しかし興奮もしている彼等。

 無意味な熱気で包まれた、重苦しい空気。

 青木さんにとっては、何一つ得もしない。

 淡々とスタート位置に着く青木さん。

 周囲の喧騒も、人の動き。

 彼女にとっての、邪魔でしかない存在。

 それでも彼女は、その位置に着く。

 自分の、戦いの場所に。


 突然打ち上げられる花火。

 一瞬にして会場を静寂に戻すだけの爆音。

 青い空に残る、白い煙。

「静かにしなさい」 

 スピーカーから聞こえる落ち着いた声。

 会場内が呆然としている間に、青木さんがスタートを切る。

 今までと変わらないリズム、変わらないフォーム。

 コースも速度も、何一つ乱れはない。

 地面を離れる足。

 バーをかすめるように浮き上がる体。

 渓流を渡る若鮎のようにしなやかに。

 反り返る上体。

 翳り始めた日射しに照らされる。

 バーの上にまで届く背中。 

 どこまでも跳んで行きそうな、柔らかい飛翔。

 だけどそれはつかの間の時。

 地面へ向かう前髪。

 当然彼女自身も。

 バーに迫る細い足。


 しかし足は軽やかに跳ね上げられ、天を仰ぐ。

 バーを揺らす事も無く、遠ざかる。

 マットの上に舞い降りた、青木さんの後を追って。

「よしっ」

 小さくガッツポーズをして、拍手する。 

 静まり返った会場内で、私一人が。

 そして一つ、また一つと拍手が起きる。

 さっき同様控えめな。

 だけど暖かい拍手が。

 やはり、さっきと同じく小さく手を上げる青木さん。

 ベストを更新して、3位以内を確保しても。

 彼女は変わらない。

「よしっ」

 もう一度言って、少し跳ぶ。

 意味なんて無い。

 ただ興奮しただけだ。

「落ち着きなさい」

「どうして」

「もういい」

「君はいつも元気だな」

 去っていく二人。

 私は残り、手を上げる。

 すぐに振り替えされる、小さな手。

 高い空へ届いた少女からの。

 控えめな、精一杯の贈り物。 










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