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晴れた空と、白い雲。
心地よい秋の風に、柔らかな日射し。
外で何かをするには、一番いい時期だろうか。
得てして、こういう時は早く起きる。
本当に子供だね。
正門をくぐると、モトちゃんが門の陰から現れた。
「何よ。ちゃんと学校に来たじゃない」
「偉いわね。そのついでに、仕事して」
差し出されるDD。
端末のスリットに通すと、場所と物の一覧が表示された。
「その場所に行って、ちゃんとあるか確認してきて」
「何これ。借り物競走?」
「そう。それの、チェックリスト」
「どうして私が」
軽く愚痴り、顎をかく。
完全とは行かないまでも、体調は回復傾向。
こういう気楽な態度も取れる。
「ちょっと押し気味だから、始まる前にやって頂戴」
「小うるさいな」
「何?」
「へっ」
鬼が出たので、さっさと逃げる。
こっちは陸上部を追い込んだくらい。
モトちゃんから逃げるくらい、軽い軽い。
すぐに重くなる足取り。
あくまでも回復傾向にあるだけで、元に戻った訳じゃない。
「へーへ」
大体、どうしてガーディアンがこんな事をやるのかな。
「仕事してる?」
明るく声を掛けてくる天満さん。
なる程。この人から発注されたという訳か。
「してますよ。朝っぱらから」
「ごめんね。人手が足りなくて、ガーディアンにも動いてもらってるの」
「SDCの仕事じゃないんですか?」
「がさつだから、駄目」
あっさりと切り捨てる天満さん。
勿論全員ががさつという訳ではないだろうが、そういう人が多いのも確かだろう。
こまめに椅子を並べる柔道部という絵も、あまり想像出来ないし。
「テント良し、垂れ幕良し、ラインの位置オッケーと」
今私がいるのは、大会本部。
日射しよけのテントと、幾つかの机や椅子。
来賓用か、小さな冷蔵庫も用意されている。
「これ、いいですか」
「どうぞ」
「へへ」
一度やってみたかったんだ、これを。
「えー、テステス。ただ今マイクのテスト中、ただ今マイクのテスト中」
グラウンドに響く私の声。
自分で聞くのとは違う、やや低めの。
「本日は晴天なり、本日は晴天なり」
何か、調子が出てきたな。
「花ーと団子ーを、比べーてーみればー。どちらもー、同じー、桜ーいろー」
はたかれる頭。
むっとして振り向くと、サトミが怖い顔で立っていた。
「何するのよ」
「それは、私が言いたいわ。大体、そのセンスのない歌詞は何?」
「TVでやってるの。サトミも歌ったら」
「止めて」
飛ぶように後ずさるサトミ。
恥ずかしがる事でも無いだろうに。
「いいや。マイクも良しと。あー、お腹空いたな」
グラウンドに響く、間の抜けた声。
まだ、マイクがオンになっていた。
「はは。今の忘れて」
もう一言付け足して、オフにする。
これを世間では、蛇足と言う……。
サトミの手も借りて、ようやく全部のチェックを終える。
もう、一日分働いた気分だな。
「やるよ」
真顔でアンパンを差し出してくる塩田さん。
もういいって言うの。
もらうけどさ。
「で、私達は何するんです」
「お前達は遊軍。取りあえず、本部に詰めてろ。で、たまにふらつけ。それで、ある程度の抑止力になる」
「はいはい」
「じゃ、後は頼む」
頼むって、自分は何をするんだ。
「指揮は元野、サポートが木之本と遠野。俺は楽隠居だ」
「何か出ないんですか」
「恥を掻く趣味はない。エントリーしたいなら、止めないけどな」
そう言い残し、本部から消える塩田さん。
ただ風間さんではないし、肝心な時には現れるだろう。
それとも気配を消して、その辺に座ってたりして。
「どうしたの?」
「別に」
机の下から顔を上げ、埋まり始めた席から移動する。
ここなら、私が隠れられると思いながら。
退屈な式辞や挨拶。
見た事もない企業の重役や、中部庁の役人。
だがそれも、興奮を盛り上げるための一要素。
我慢した分、より気持は高まってくる。
青い空に上がる花火。
見えるのは白い煙と、軽い音だけ。
一斉に起こる、拍手と歓声。
ブラスバンドの演奏が、さらに気分を高揚させる。
「はは。始まった」
パンフレットを開き、スケジュールをチェックする。
女子400mリレーは、準決勝が今日の午後。
決勝も明日の午後。
取りあえず、これには赤丸を付けてと。
「何してるんだ」
「見たいのを、チェックしてる」
「警備だぞ、俺達は」
生真面目な台詞。
秋というのに半袖短パン。
でも、恰好いいし問題ない。
「いいの。お祭りなんだから」
「気楽だな」
「だって、私はもう関係ないから」
私達がいるのは、来賓や学校関係者のいるブースからは少し離れた所。
体育祭を運営する人達のいるブースの一角。
忙しそうに連絡を取る人達を眺めつつ、のんびりとグランドへ目を移す。
視界は開けてるし、屋根もあるし。
意外といいかも知れない。
体育祭は、団体戦の要素もある。
普通にやれば、SDCの勝ち。
そのためSDCは3つに分割。
SDC-Aが球技系、Bが格闘系、Cが陸上部とその他。
それ以外は生徒会、自警組織、文化系クラブ、委員会とある。
しかし中等部の時は、結局SDCのどこかが勝っていた。
「パン食い競争だって。ユウも出れば」
「嫌だ」
大体アンパンは、さっき食べた。
いや。食べる事が目的の競技じゃないけどね。
「仕事、仕事して」
いきなり話し出す端末。
勿論端末が話した訳ではなく、モトちゃんの声が聞こえてきただけだ。
「競技員が足りないから、グラウンドへ行って。立ってるだけでいいから」
「はいはい」
「返事は一回でいいの。ほら、始まるから早く」
人使いの荒い子だな。
などと言う程何かをする訳でもなく、グランドの外側に並ぶだけ。
大勢の生徒や観客の視線を感じるが、私を見ている訳ではないので気にならない。
「それでは、大玉転がしのスタートです。選手の方は、大玉の前までお進み下さい」
何か、嫌な言葉が聞こえてきたな。
フィールドを隔てた反対側を見ると、その大玉が並んでいる。
要は、あれが外へ出ていかないためのガードレール代わりか。
私なんて、何の役にも立たないと思うんだけど。
歓声と笑い声。
右へ行ったり左へ行ったりの大玉。
それに合わせて、右往左往する教師達。
笑えるには笑えるが、自分の所へ転がってきたら笑えない。
何て考えていると本当に来るので、視線を逸らす。
「来た」
ぽそりと呟くケイ。
不吉を告げるカラスのように。
「誰が」
「玉が」
「来ないと困るじゃない。ゴールは向こうなんだから」
「ユウを狙ってるようにも見える」
また嫌な事を言ってきたな。
まさかと思いつつ振り向くと、本当に来てた。
それもかなりの勢いで。
一つ、二つと連なって。
「な、何で二つも?」
「俺に聞くな」
「ショウ、ショウッは」
「あいつは、本部の前。あそこに突っ込んだら、さすがにまずい」
「れ、冷静に言ってる場合じゃ無いでしょ」
地面から響く、低い音。
どんどん迫る、大玉二つ。
なんか、悪い夢を見てるみたいだな。
「ど、どうするの」
「止めるんだよ。コースから外れないように」
「わ、私がやったら、潰される」
「そこまで重くない」
本当か?
その言葉を信じて、足を止める。
大玉の前に、身を挺するようにして。
さらに近付く大きな玉。
間違いなく、私よりも大きめの。
これを止める?
どうやって。
いや。無理だ。
「よっ」
わずかに助走して、宙に舞う。
真下に見える赤い玉。
軽くかわして着地。
でもってすぐに、もう一度。
右へ流れる青い玉。
それもかわして、しなやかに着地。
「あー、びっくりした。わっ」
コース上に伏せる、浦田珪。
何かに潰されたように、見えなくもない。
「よ、避けなかったの」
「俺もまずいと思って、さすがに逃げた」
伏せたまま話すケイ。
これ以上聞くのはちょっと怖いが、あえて聞く。
「そ、それで?」
「右に逃げたら、玉も右にやってきた」
「ど、どうして」
「誰かが、玉を蹴ったらしい」
誰だろう。
多分、玉の側にいた人だ。
飛び越えた人かも知れないな。
何か、足にかすった気もするし。
「面白いね」
そう言う前からげらげら笑うヒカル。
笑っているのは、彼以外の全員もだが。
「うるさいな」
「でもよかったじゃない。玉に潰されただけで」
「何が」
「玉が潰れたら、大変だったからね」
馬鹿だな、この人は。
それを聞いて笑っている、弟も弟だが。
「大学院はどうしたの」
「八事にあるよ」
普通に、何の淀みもなく答えてきた。
しかも、これが本気と来てるからな。
この人程、怒り甲斐のない人はいない。
「僕も、何かに出ようかな」
「恥ずかしいから止めて」
冷静に止めるサトミ。
いいや。この子のいない時に、何かにエントリーさせてやれ。
「しかし。ここは特等席だね」
「じゃあ、金出せ」
「いくら」
「あるだけ出せ」
とんだ馬鹿兄弟だな。
渡すな、渡すな。
「ショウは」
「さあ。その辺のおば様に捕まってるんじゃないの。あら、あなた。可愛い顔してるわね。肌も綺麗だし、高校生はいいわね。……ちょっと、ここで休んでいかない」
下らない一人芝居をしたケイを突き飛ばし、椅子の上に乗って辺りを見渡す。
教棟の陰。
長い棒を持って立ってるショウと。
「誰っ、あれはっ」
「何が」
「ショウの隣っ」
「そのショウは、どこにいるの」
あちこちを見渡すサトミ達。
でもって今やっている、玉入れに拍手をし始めた。
「あのね」
「ショウなんてほっとけ」
「そうそう。その内、その辺から出てくるよ」
無くしたペンじゃないんだからさ。
とにかく埒が開かないので、教棟の陰まで一気に走る。
いまいちキレがないが、そんな事に構ってる暇はない。
一気に到着。
ショウの前で立ち止まる。
さて、どうしよう。
というか、どうすればいい。
「何してるんだ」
当然のように尋ねてくるショウ。
知り合いが息を切らして走ってくれば、誰だってそう思う。
「そ、その。練習」
「リレーは、もう終わっただろ」
細かいな。
というか、すぐに分かってよね。
本当に鈍いというか、のんきというか。
「あなたは、いつも元気ね」
おかしそうに笑う、年配の女性。
その笑顔を見て、ふと安堵のため息を漏らす。
「理事も、お元気そうで」
別におかしな有閑マダムではなく、鈴木理事だった。
何か、一気に疲れてきたな。
「本部にいなくていいんですか」
「ああいう所は、苦手なの。場違いな気がして」
彼女の足元にあるのは、スポーツドリンクの24本パック。
どうも、これをどこかへ運ぼうとしてたらしい。
「こんなのショウがやりますから」
「そう。俺がやります」
私を見つつ、棒読みで繰り返すショウ。
いいじゃないよ。私が運べる重さじゃないんだし。
「ごめんなさい。荷台を全部、使ってて」
「問題ありません。あるだけ全部運びます」
「おい」
「知らない。……御剣君?えーとね、J棟の前に来て。場所は今送るから。……いいのよ。来いと言ったら来れば」
大勢でやれば、すぐに終わる。
棒倒しだって、荷物運びだって。
「暑い」
Tシャツを脱ぎ出すショウ。
目の前でやるな。
でもって、すぐに着替えた。
なんだ、もう終わりか。
「暑い」
「もう、秋よ」
「何個運んだと思ってるんだ。それも、どこまで」
「裏の畑かもね」
彼から顔をそむけ、お礼にもらったスポーツドリンクへ口を付ける。
酸っぱいな、これ。
「まあまあ、四葉さん。軽い準備運動と思って。ほら、例の」
「ああ、そうか。よし」
こくこくと頷き合う大男。
異様に怪しいな。
「何かやるの?」
「秘密です」
「ユウには教えない」
子供か、この子は。
いいけどね。どうせその内分かるだろうし。
取りあえず、現場責任者へ探りを入れるか。
「へろー」
「もうすぐお昼よ。それと、玉を蹴らないで」
「私に潰されろっていうの?」
「観客席に飛び込んだらどうするの」
卓上端末をチェックしつつ、平然と答えるモトちゃん。
友達より、見知らぬ観客か。
倉庫から、さっきの玉を持ってこようかな。
「そんな事はどうでもいい。文化祭は?」
「来週の話は、来週にして」
「いいから。フォークダンスって、ある?」
「あるんじゃないの。どうでもいいじゃない」
言い切ったな、この子。
彼氏がいると、余裕だな。
「何よ」
「別に。ふーん、そう。あ、そう。へー。文化祭を抜け出して、熱田神宮でも行ってくれば」
「そういう暇は無い。大体、今さらフォークダンスって」
笑うモトちゃん。
少なくとも、笑い事では無いけどね。
彼女もそれを分かっているので、視線は卓上端末に向けたまま声をひそめて聞いてきた。
「ショウ君はなんて?」
「なんてって。それは、その。別に、あれ。なんだ?」
「あなた達は、いつまで経っても初々しいわね。それと文化祭も警備があるから、その時もよろしく」
聞きに行くんじゃなかったな。
でも、フォークダンスって何踊るんだ。
「お昼ってまだ?」
「飽きないで」
そう言いつつ、爪の手入れをするサトミ。
見た目はいいけど、猫が爪を研いでいるように見えなくもない。
「済みません」
「小谷君。どうかしたの」
「正門に小学生が来てるんで、引率をお願い出来ますか」
どうして私に言ってくる。
何か危険を感じたのか、表情を強ばらせて後ずさる小谷君。
止めてよね、そういうのは。
「小学生が、何かするのかしら」
「エキジビションというか、綱引きやるみたいですね。SDCの大男達と」
「ふーん」
それはちょっと面白そうだな。
見る方も、やる方も。
単純に一対一なら、私にだって勝機はある。
そうなると単なる力だけはなく、駆け引きも重要だから。
「ユウは出なくていいから」
「分かってる。それで、正門だった?」
「はい。俺も行きます」
正門のロータリー。
バスから降りてくる、可愛らしい子供達。
全員体操着で、きゃーきゃー言いながらぴょこぴょこ跳ねている。
「はは。可愛い」
「ユウ。どこ」
「ここだって」
「どこよ」
真顔で探すサトミ。
別にいなくなった訳じゃない。
子供の後ろに回っただけだ。
しかし最近の子供は発育がいいらしく、私と同じくらいの子供がいくらでもいる。
「いたいた。迷子にならないで」
人の手を引っ張るサトミ。
恥ずかしいけど、役得だな。
「じゃあ、皆さん付いてきて下さい」
「はーい」
一斉に上がる、甲高い返事。
私も返事をして、サトミの後をてくてくと付いていく。
「ほら。どこ行くの」
道を外れそうになる子供をスティックで捌き、反対側の子供を手で招く。
可愛いのは始めだけで、後は羊と同じだな。
勿論私は、羊飼いの犬だ。
「トイレ」
「私も」
「俺も」
一人が言うと、全員か。
この辺りは、いかにも子供だ。
「トイレだって」
「分担しましょう。小谷君、男の子を連れて行って。ユウは、女の子を。私は、残った子を見てるから。はい、お兄さんとお姉さんの後に付いていって」
お姉さん、ね。
実感はないが年齢的は上なので、そうしておくか。
子供達の手を引いて戻ってくると、ぐったりしたサトミが出来上がっていた。
「何してるの」
「あっちに行ったり、こっちに行ったり。ユウが100人いるみたい」
心底疲れたという顔。
じゃあ、私が増えて101人か。
「私は、こういうのに向いてないみたい」
「だったら、何に向いてるの」
「さあ。今は、何も考えたくない」
末期的だな。
この前までの、私とも言うが。
「はは。何それ」
背中に一人、左右に二人。後ろに3人。
子供に取り囲まれた小谷君がやってきた。
「俺からは何とも。重いんだよ」
「わー」
「やー」
意味不明な返事というか、掛け声。
子供に理屈を聞いても仕方ないし、本人達も分かっていないだろう。
「良かったわね、人気者で」
「そういう問題じゃ。暑いって」
獲物を見つけたライオンのように、一人また一人と彼を取り囲む。
何か大変そうだけど、他人事だし放っておくか。
「小谷君は」
「さあ。その辺で、寝てるんじゃないの」
寝てはしないかも知れないが、動いてもいないだろう。
最後は完全に、押し潰されてたし。
子供とはいえ、あれだけの数がいると侮れないな。
「これだから子供は始末が悪い」
そう言った途端、お茶をこぼすケイ。
誰の何が悪いって話だな。
「馬鹿じゃない」
「わざとだ、わざと。ここが汚れてるから」
ティッシュを箱から抜きそこね、抜いたと思ったら何枚も出てきてる。
見てるだけで、やる気が無くなってきた。
「……小谷君。どうかしたの?」
端末に掛かってきた通話に出て、遠くにへたり込んでいる彼を確認する。
「女の子?……行けばいいのね。分かった」
「よく働くな」
「あなたも行くのよ。ほら、ヒカルも」
教棟の玄関内。
普段とは違い、薄暗く静まり返った空間。
広いスペースと、幾つかの観葉植物が目に付くだけの。
どちらかといえば、寂しげな。
その壁際。
一人で立ち尽くす、小柄な女の子。
泣いているのか何なのか、彼女は棒立ちのまま動こうとしない。
「っと」
手にしていたペットボトルを落とすケイ。
床にこぼれるお茶。
はっとした表情で顔を上げる女の子。
「服が濡れたから、着替えようか」
「え、でも」
「替えはある。ユウ、連れて行って」
玄関に戻ってくると、二人が雑巾で床を拭いていた。
同じ顔が同じ事をしてると、かなり笑えるな。
「あ、あの」
何か言いたそうにケイの前へ歩み寄る女の子。
服は彼女がさっき来ていたのと同じ、白の体操服。
「あ、あれ」
「双子だよ。僕達は」
すかさずフォローするヒカル。
翳りがちだった女の子の表情に、少しだけ明るさが宿る。
「わ、私」
「大丈夫。僕の弟は高校生になっても、おしっこもらしてるから」
「おい」
「違った?」
「いや。もらしたけどさ。あれは」
ケイの言葉を遮るようにして、彼の肩を叩くヒカル。
女の子の表情に、はにかみ気味な笑顔が浮かぶ。
「綱引きが始まるから、急いだ方がいいよ」
「は、はい。ありがとうございました」
「どういたしまして」
丁寧に頭を下げるヒカル。
女の子はその姿にもう一度笑い、元気よく玄関を飛び出していった。
「相変わらず気が利くというか。体操服なんて、どこにあったの?」
「子供が来るなら、ハプニングも起きる。備品は、あらかじめ一通り揃えてある」
事も無げに話すケイ。
彼が一人で全部を揃えた訳ではないにしても、今回のハプニングを解決したのは間違いない。
「本当。気が利く、いい子なんだよ」
ケイの頭を撫でるヒカル。
床を拭いていた、その手で。
彼等が何を拭いていたかは、深く考えたくもないが。
気付けばお昼になっていた。
どうも、細々した事で時間を取られたな。
今日は生徒だけでなく、父兄や関係者の来客が多数。
食堂だけでは手狭なため、ラウンジでも食事が食べられるようになっている。
また廊下や階段といった、普段とは違う場所で食べている生徒の姿も見受けられる。
体育祭やイベントがある時にだけの光景。
何でもない、だけど普段とは違う事。
自然と気持も、普段とは変わる。
浮き立ったような、楽しげな。
ラウンジに入り、倒れそうになる。
入り口の脇。
楽しげに会話をする女の子の集団。
その中央。
小柄でショート。
丸く見える顔。
制服姿の女性が一人。
「な、何してるのよっ」
思わず声を張り上げ、そちらへ駆け寄る。
「あら。優ちゃん」
朗らかに笑う、制服姿の女性。
確か昨日までは、私のお母さんだったはずだ。
「優ちゃんじゃないわよ。ここで、何してるの。その恰好は何?どうして、あー」
「うるさい子ね。皆さん済みませんね。がさつで小さくて、ちょこまかしてて」
それは関係ないだろう。
大体ちょこまかしてるのは、遺伝じゃないの?
「お弁当よ。お弁当。見学ついでに持ってきたの」
「ご飯は、学校で食べられる」
「運動会は、家族と一緒に食べるのよ。あなたは、本当に何も知らないわね」
悪かったな。
戦前の習慣に疎くて。
「家族って、お父さんは」
「天崎さんと会って、どこかへ消えた。校舎裏で、煙草でも吸ってるんじゃない?」
何だ、それ。
しかしこの恰好で言われると、かなりの説得力を感じるな。
「それ、誰の」
「私です」
ニコニコと笑う渡瀬さん。
なる程、彼女のならサイズも合う訳か。
というか、着させるな。
でもって、着るな。
「もういい。こっちきて、こっち」
「はいはい。じゃ、お邪魔しました。ふつつかな娘ですが、これからもよろしくお願いします」
これ以上恥を掻きたくないので、個室に閉じこめる。
正確には、私達のオフィスに。
ここなら知り合いしか来ないし、他に来るとしたら敵くらいか。
「狭いわね」
キッチンでスープを温めながら文句を言うお母さん。
ただキッチンといっても、コンロが二つと小さなシンクが一つだけ。
料理をするのではなく、あくまでも簡易的なもの。
それでも無理を言ってガスコンロを手に入れた。
火で焙らないと、美味しい炒飯が出来ないのよ。
「ミートボールか」
小さなそれをぱくりと食べる。
味は薄め、甘さも控えめ。
悔しいけど、私好みの味である。
「四葉君は?」
「食べる」
お母さんが差し出したおにぎりを受け取るショウ。
サイズとしては、私が食べている物の二倍以上。
相変わらず、芸が細かいな。
「デザートは」
「全部食べてから」
「いいじゃない。えーとこれか」
紙袋を漁り、タッパを取り出す。
ティラミスか。
果物も欲しいな。
そうそう、梨だよ梨。
「食べてからって言ってるでしょ」
「見るくらいいいじゃない」
「あ?」
「い?」
二人して睨み合い、梨の取り合いをする。
何よ、これは私が食べるのよ。
「二人とも、止めて下さい」
にこやかに微笑むサトミ。
果物ナイフを手に持って。
「欲しいなら欲しいって言ってよ」
二人して同じ事を言い、サトミの前に梨を置く。
後は二人仲良く、小さなおにぎりを分け合って食べる。
「あのね」
「鮭?皮は」
「入れてある」
「ならいいや」
指を舐めて、ウェットティッシュを受け取る。
私はそれをお母さんに戻し、次のおにぎりも半分渡す。
「もういい」
疲れたようにだし巻き卵を食べるサトミ。
相変わらず、難しい子だな。
寝てる。
にへにへ笑いながら。
「ちょっと」
「何よ。理科は寝るって決めてるの」
面白い台詞が返ってきた。
10年前なら、笑い事で済んだだろうが。
「ここは学校だって」
「分かってるわよ、そんな事」
一体、何が分かってるんだろう。
体型は確かに、子供だけどさ。
「起きてって」
「うるさいな。授業が終わったの?」
顔を上げるお母さん。
気の抜けた。
というか、寝起きの顔を。
「……あなた、今日帰って来るって連絡入れた?」
「どこに」
「どこって。……わっ」
自分の制服姿を見て、自分で驚いてる。
なかなか笑える人だな。
自分の親じゃなかったら。
「でも、似合ってるじゃない」
言ってよね。
でもって、ずっと寝ててよね。
「何よ、怖い顔して」
「私は午後からも、やる事があるの。寝てるのなら、ここのキーを」
「誰が寝てるの。寝言は寝て言いなさい。これ、あの小さい子に返しておいて」
小さい大人から受け取る、小さなジャケット。
着ようと思ったが、さすがに遊んでる暇はない。
「じゃあね。それと、ここの戸締まり」
「火の元も何でも任せなさい。暗くなる前に帰ってくるのよ」
馬鹿馬鹿しくて、怒る気にもなれないな。
それが自分の親と来れば、余計に。
「何してるの」
今から始まるのは騎馬戦。
他の競技とは違いかなり荒れる内容なので、観客席の前は勿論グラウンド内にもガーディアンが大勢配置されている。
私は暇なので、ふらついてただけだが。
「騎馬」
にこっと笑うショウ。
今いるのは、参加者の待機場所。
棒で殴っても棒が折れそうな大男が、群れをなして集まっている。
その中に混じっていると、目立つというか浮いて見える。
私もそうだし、勿論彼も。
やっぱり、こんな恰好いい人は世の中にいないんじゃないのかな。
改めて納得していると、他の人も視界に入った。
「御剣君。名雲さんも。もしかして?」
「騎馬」
それ以外言えないのか。
しかも、嬉しそうにして。
「こいつがフロントで、俺と玲阿が左右。悪くないだろ」
「上に乗るのは?」
「僕だよ」
大男の中に咲く、可憐な花。
可愛らしく微笑みつつ、名雲さんの後ろから現れる柳君。
しかしそれは外見だけであって、中身は虎だ。
「じゃあ、4人でやるって事?卑怯じゃない、それ」
「卑怯って。他の連中を見てみろ」
辺りを指差すショウ。
小山のような人だったり、岩みたいな体型だったり。
家が崩れたら、壁代わりに出来そうな人ばかり。
ただそれは、あくまでも外見。
個人的な能力としては、この4人は抜きんでてる。
一番能力的に低いだろう名雲さんでさえ、この集団内ではトップクラスのはず。
でもって指揮能力を考えれば、間違いなく彼が一番だ。
「誰か、競技員いない?」
「おい」
「いいから。済みません、ちょっと話があるんですけど」
駆け寄ってきた気弱そうな男の子を呼び寄せ、不平気味の大男達を指で示す。
「この子達卑怯だから、ハンディ付けて」
「卑怯?ハンディ?」
「要は強過ぎるから……。あれ、鉛の入れられるベスト。あれを4つ持ってきて」
始まる騎馬戦。
これも個人戦ではなく、団体戦。
参加チームの陣地から、一斉に飛び出ていく騎馬達。
その体のみを使って、激しく戦う男の子達。
地面に叩き付けられる者、その地面を拳で叩く者、空へ向かって拳を向ける者。
自然と黄色い歓声が、今まで以上に聞こえてくる。
「あそこ、何」
グラウンドの端を指差すサトミ。
団体戦なので、騎馬にもランクがある。
まずは一般の騎馬、次いで小隊長、さらに中隊長、最後に大隊長と続く。
ランクによりポイントは違い、また大隊長が倒されたら即座に負け。
戦略や戦術が求められる競技でもある。
でもって、サトミが指差している場所。
騎馬が、一つまた一つと消えていく。
押し潰される。もしくは、蹴散らされてる。
彼等の通った後には、それこそペンペン草も生えないな。
「もう少し、考えてやったらどうかしら」
「だから、ハンディを付けたの。鉛20Kg。掛ける4」
「40kgでもよかったんじゃなくて」
無慈悲な発言。
確かに鉛のベストは、あまり意味をなしてないようだ。
むしろ重い分、当たりが強くなってるのかもしれない。
「ああ戦えって、言われてるんじゃないの。大隊長に」
「見た限りは成功してるけど。とにかく、倒される方じゃなくてよかったわ」
そんな事もないけどな。
確かに力強いけど、それほど小回りの利く方じゃない。
出来るには出来るけど、ずばぬけてはいない。
それをフォローするのが柳君だとしても、倒そうと思えば倒せなくもない。
「私がやる、なんて言わないでよ」
「まさか。冗談でしょ。もう、リレーで懲りた」
ははと笑い、彼女の肩に触れる。
頭に思い浮かべたメンバーを消しながら。
戻ってくる、名雲祐蔵とその仲間達。
さすがに返り血は浴びてないが、はちまきは持ちきれない程の量。
倒した騎馬の数は、その何倍だろうか。
「わはは」
大笑いする名雲さん達。
奪い取ったはちまきを前にして。
山賊だね、まるで。
「何してるのよ」
「騎馬戦」
単語で返すな、単語で。
それと、汗くらい拭いてよね。
それはそれで、恰好いいけどさ。
「無茶苦茶ですね」
苦笑気味に話しかけるサトミ。
名雲さんは首を振り、後ろへ向かって顎を振った。
「命令だから仕方ない」
彼の視線の先。
額に巻いていた、白のはちまきを外す塩田さん。
「好きでやった訳じゃない。風間がどこか行きやがったから、その代わりだ」
「で、作戦があれですか」
「味方への被害が少なくて、敵のダメージは大きい。実際の戦闘ならともかく、この場合は負けても怪我くらいだしな」
「色々、考えていらっしゃるんですね」
「うるさいよ」
面倒そうに手を振る塩田さん。
この人も目立つのを嫌うというか、前に出たがらないからな。
行動自体は、目立って仕方ないにしろ。
教棟の壁に、肩から当たるショウ。
どうも、まだ騎馬戦の余韻が残ってるらしい。
「止めてよ」
「ああ。次は、来年だな」
満面の笑み。
まだやる気なのか。
しかも、来年って。
「ほら、汗」
タオルを渡し、顔を拭かせる。
本当に、世話の焼ける子供だな。
「水は」
「飲む」
ペットボトルも渡し、タオルはしまう。
後はなんだ。
いや。もう何もないか。
「涼しいね」
「暑い」
「そればっかりだね」
「仕方ないだろ」
教棟の陰。
誰もいない場所。
秋の風と、遠くから聞こえるBGM。
並んで座り、たわいもない会話で盛り上がる。
何でもない一時を。
彼と共に過ごす。




