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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第23話
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     23-2




「誰っ、あれ誰っ」

 サトミの部屋に飛び込み、開口一番そう叫ぶ。

 しかし向こうは英文で書かれた文庫本へ視線を落としたまま、反応すらしない。

 その内容に没頭しているようにも、いちいち私の相手をするのに疲れたようにも見える。

 それに構わず顔を近付け、同じ言葉を繰り返す。

 サトミはようやく本を置き、小さく息を付いて私の顔を両手で包み込んだ。

「私からも質問。あなたこそ、誰」

「雪野優じゃない」

「だったら、もう少し分かりやすく説明してくれるかしら。雪野さん」

 ゆっくりと、噛んで含めるように話しかけてくるサトミ。

 なるほどと思い、ローテーブルの上にあった卓上端末をいじる。

「可愛い指ね」

「そんな事はどうでもいいの。えー、どれだっけ。あーっ。うー」

「もういい。それで、何」

「足が速くて、4人で、女」

 露骨に顔をするサトミ。

 それでも彼女がキーを叩くと、グラウンドで見た女共の画像が表示された。

「これ、これっ」

「生徒会が招聘した、招待選手みたいね」

「ああ?なんで」

「この前言ってた、学内の勢力関係でしょ。体育会で活躍すれば尊敬される、と思ってるのよ」

 鼻で笑うサトミ。

 少なくとも彼女は、その事を信じていないようだ。

 また実際、活躍したからといってどうという事もない。

 しばらくみんなの話題にはなるが、せいぜいそのくらいが関の山だ。

「馬鹿かな」

「勿論一種目だけではなく、全種目にエントリーはするんだろうけど。頭がいいとは思えないわね」

「大体私達がいるから、勝てる訳無いじゃない」

「あなたも相当ね」

 悪かったな。 

 そのくらいの自信がないと、人は大きな事を成せないのよ。

 リレーで勝つのが、大きな事かどうかはともかくとして。

「タイムを見る限りでは、かなり早くない?」

「早いかもね。でも、もう一勝してるから」

「あなたが揉めてどうするの。本当に馬鹿ね」 

 しみじみ言われても困る。

 第一、そんな事は自分が一番よく分かってるんだし。



 どうも面白くないので、悪魔を召還する。

「何だよ」

 無愛想な返事。

 構わず、さっきの画像をケイに見せる。

「速い、速いんだって」

「だからどうしろっていうんだ。毒まんじゅうでも送るのか」

「違うわよ。馬鹿じゃない」

「だったら、馬鹿にも分かるように説明してくれ」

 鼻を鳴らしペットボトルのお茶を飲むケイ。 

 それもそうか。

「リレー、リレーにエントリーしてる。学校だか生徒会の招待で」

「金があるんだな、この学校は。俺も招待して欲しい」 

「どこに、何のために」

「細かい女だな。で、俺にどうしろって」

 どうしろって、どうしよう。

 ラウンジ内に視線をさまよわせ、救いを求める。 

 知り合いは、呆れ気味に顔を背ける人ばかり。

 重い沈黙が、だらだらと続く。

「俺も暇だけど、意味もなく呼び出される程じゃないんだ。愚痴なら、ショウにでもしてくれ」

「あの子に話して、何か解決するの」

「気は軽くなる」

 なる程。

 少し参考になった。

 何一つ、解決にはなってないが。

「それに招待して、メリットがあるの?」

「俺に聞くなよ。サトミはどう思ってるか知らないけど、スポーツ関係は意外と影響力がある。ある程度勝てば、生徒会のイメージも変わる」

「イメージって、勝つのは招待した子達でしょ。却って反感を買うんじゃないの」

「それを考えるのは、生徒会の連中。俺は関係ない」

 役に立たない子だな。

 呼んで損した。

「あれ。あなた、沙紀ちゃんの」

 私ではなく、ケイを見る石井さん。

 上は黒のジャージで、下は紺の短パン。

 ちょとあれだな。

「どうも」

 愛想なく応じるケイ。

 避けているようにも見える。

「足は?」

「丹下なら、走ってますよ」

「ふーん。へー」

 しきりに頷く石井さん。

 人のせんべいを囓りながら。

「ちょと、それは私の」

「細かい子ね。大きくなれないわよ」

 色んな意味で嫌みだな。

 負けずに全部食べようと思ったが、一枚で限界に達した。

 もういらない。

「それにしても、走って楽しい?」

「私は」

「あ、そう。他の3人は」

「さあ。楽しいんじゃないんですか」

 そんなの、聞いた事もない。

 走るのは楽しいし、面白い。

 話し合うまでもない、決まり切ってる事だ。

「いいけど。私が走る訳でも無し」

 せんべいを囓る彼女を、下からずっと眺めていく。

 身長はあるが、肉付きも良い。

 プロポーションがいいとも言うし、余分なお肉が付いてるとも言う。

「何よ」

「ぽっちゃりしてる人には関係ありません」

「あのね。見た目はこうでも、体脂肪率はそれ程高くないの」

「それ程、ね」

「せいぜいひがんでなさい」

 ああ、ひがむさ。

 何よ、もう。

「痛いな」

 邪険に押しのけられた。 

 いいじゃない、ちょっと拳でぐりぐりするくらい。

 私なら、殴ってでも止めさせるけど。

「沙紀ちゃんはまだ治ってないんだし、あまり無理させないでよ」

「分かってます。他の二人はいいんですか」

「問題ない。煮るなり焼くなり好きにして」

 すごい言われようだな。

 でもいいか。

 許可はもらった訳だし、明日からはビシバシ行くとしよう。


 揺れる体。

 揺れる頭。

 地震、ではないようだ。

「起きろ」

「起きてる」 

 伏せたまま答え、もう一度目を閉じる。

 頭の上を過ぎていく教師の言葉。

 それを聞き流し、意識を遠くする。

 復習はいつでも出来る。 

 でも体を休めるのは、今しか出来ない。

「痛っ」

 後頭部に感じる鈍い痛み。

 素早く飛び起きて拳を固めると、にこやかに微笑まれた。

「廊下で立ってなさい」


 壁にもたれ、目を閉じる。 

 すぐに眠くなる。

 ここはどこだ。

 布団の中ではないらしい。

 でもいいか、眠いし。

「捨て子か」

 嫌な言葉に反応して、顔を上げる。

 ジーンズとGジャン越しの、凛々しい顔。

 普段はキャップに隠れているその顔が見えるのは何故か。

 私が廊下で寝ているからだ。

「うるさいな。ちょっと寝てただけじゃない」

「廊下で寝るな」

「分かってるっていうの。あー」

 のろのろと立ち上がり、体を解す。

 固いベッドで寝ると腰を痛めないと言うけど、これはちょっと固過ぎか。

「授業中に、何してる」

「駄目な子は、廊下で立ってろって」

「寝てたのに?」

「そういう年頃なのよ」

 適当な事を言って、壁にもたれる。 

 幸いまだ授業中らしく、廊下にいるのは私と舞地さんだけ。 

 お陰で恥を掻かずに済んだ。

 寝ている間の事までは知らないが。

「あれ」

 間の抜けた声を出す池上さん。

 タオルケットと枕を抱えながら。

「何よ、せっかく持ってきたのに」 

 うしゃうしゃ笑ってる。 

 親切めいてるが、これを被ったらどう考えても笑い者だ。

 いや。寝てる時点で笑い者だけど。

「二人とも、やる事はないの」

「廊下で寝る以外の事はあるかもね」 

「というか、寝るな」

 私をいじめる暇もあるらしい。

 こうなっては何を言っても無駄なので、適当に聞き流そう。

 枕とタオルケットもあるし、少し横になって。

「うるさいわねっ」

 開くドア。 

 出てくるタイピングの教師。

 でもって丸くなってる私を見て、すぐにドアを閉める。

 何とも気まずそうに、見てはならない物を見てしまった顔で。

 そういう態度を取らなくてもいいじゃない。 

 ちょっと寝てただけなんだし。

 廊下でさ……。



 タオルケットを羽織ったまま、もそもそと教室に入る。

 みんなの視線が突き刺さってくるが、これが結構暖かいんだって。

「来ないで」

 冷たく言い放つサトミ。

 ずっと親友だと思ってたけど、それは私の一方的な思い込みだったらしい。

 タオルケットを被ってもそもそ動く親友なんて、私も持ちたくは無いけどさ。

「いいじゃない。廊下で寝るよりは」

「まさか、床に寝てたんじゃないでしょうね」

 サトミの言葉を聞いて、鼻で笑うケイ。

 すぐに強ばる笑顔。

 池上さんの頷きを目の当たりにして。

「雪野さんよ。あんた、犬か」

「廊下で寝て、何が悪いの」

「私は立ってろと言ったのよ。今度からは、バケツを持たすわよ」

 ドアの辺りで、きつく睨んでくる教師。

 こっちも睨み返し、舞地さんが持っていた枕をひったくって投げる真似をする。

 でもって即座に奪い返され、頭を叩かれた。

「ちょっと。あ、逃げた」

「もういい。外を走ってこい」

「ああ、走るわよ。へんっ」

 リュックを背負い、タオルケットを羽織り直す。 

 これだけあれば、どこでだって生きていける。


 勿論そんな訳はなく、タオルケットを返却して学外のグラウンドへとやってくる。

 幾ら私でも、タオルケット姿で学校の外へ行く気力はない。

 学内はいいのかという話は、ともかくとして。

「じゃあ、走ろうか」

 のろのろと集まってくる3人。

 どうもやる気というか、気合いが感じられないな。

「何よ。もっと真剣になれないの」

「真剣というか」

「別に好きで集まった訳じゃないし」

「ねえ」

 コンビネーションで攻めてくる3人。 

 1:3なので、どうも形勢が悪いな。

「いいから、走るの。一体、何のためにここへ来てると思ってるの」

「自分が集めたからだろ」

「私、怪我してるし」

「喉乾きました」

 手当たり次第に何かを投げたくなってきた。

 駄目だ。

 このままでは、どんどん状況が悪くなる。

 何かきっかけが必要だな。

「合宿。そう合宿だっ」

 わーっと吠え、全員を一人一人指差していく。

 何とも気の抜けた、怪訝そうな顔を。

「馬鹿じゃないの」

「優ちゃん、落ち着いて」

「熱でもあります?」

 何でも好きに言えばいいさ。

 もう決めた。

 やる、やってやる。 

 何をやるのかは知らないけどさ。

「決定っ。今日終わったら、荷物をまとめて女子寮前に集合っ」

「寮が合宿みたいなものだろ」

 冷静に指摘する土居さん。

 なる程、などと納得していては話が先に進まない。

「いいの。明日からの土日で、短期合宿。私達は生まれ変わるのよ」

「あてでもあるの?合宿先の。優ちゃんの家とか言わないでよね」

「心配ない。いい場所を知ってる。食事と寝る場所もある。トレーニング施設も充実してる」

「ああ、何となく分かった」

 小さく頷く沙紀ちゃん。

 土居さんは首を傾げ、渡瀬さんはのんきに赤トンボを追いかけている。

「渡瀬さん。アカトンボはいいから」

「あれは、ショウジョウトンボです。アキアカネじゃありません」

 逆に怒られたよ。

 何か、一気に疲れて来たな。

「とにかく集合。でもって、その前に走る」

 文句を言いたげな3人を、手を叩いて追い立てる。

 羊飼いだねまるで。

 いや。羊飼いの犬かな……。



 運転手に指示を出し、車を走らせる。

 当たり前だが、私が走るよりはかなり速い。

 理不尽と分かっていても、ちょっとむかつくな。

「ご飯は?」

「用意してある」

「デザートは」

「あるよ」

 それさえ確認出来れば、後はどうでもいい。 

 シートを倒して、少し寝るか。

「ちょっと。どこ行く気」

「土居さん。大丈夫ですから。ね、優ちゃん」

「その通り。3食昼寝付き」

「雪野さん、寝てるんですか」

 どうにも失礼な子だな。 


 肩が揺すられた。

「何よ」

「着いた」

 車の外に立っているショウ。 

 土居さん達3人も。

「冗談よ、冗談」

 助手席から飛び降り、バッグを受け取る。

 でもって、勝手に先頭を歩き出す。

「ここって」

「ああ、俺の家です。正確には、お祖父さんの」

 丁寧に答えるショウ。 

 土居さんは暗闇の中に浮かぶ母屋を見上げ、小さくため息を付いた。

 その果ては見えないし、庭に至ってはどこまで続くか見当も付かない。

「お金持ちだったんだね、あんた」

「それはお祖父さんで、俺はただの高校生だから」

 本当に謙虚というか、控えめというか。

 この子は前世で、何をしてたのかな。

「いいから入って」

 勝手に玄関を開け、一応は断って土間から上がる。

「ここは、雪野さんの家なんですか」

 冗談っぽく聞いてくる渡瀬さん。

 違うんだけど、こういう態度をしているとそう思われても仕方ない。 

 何せ4年以上来ているので、このくらいは普通になっている。

 勿論遠慮というか、引くべき線は引いているが。


「頂きます」

 手を合わせ、カツカレーを食べる。 

 トンカツではなく、チキンカツなのが嬉しかったりする。

 お皿を持ってキッチンへ向かうショウ。

 食べ終わったのではなく、お代わりをするために。

 自分でやるのが、いかにもこの子の性格だな。

「ナンもあるけど、どうする?」

「私は結構です。土居さんと沙紀ちゃんは?」

 頷く二人。

 渡瀬さんに聞かなかったのは、彼女も私同様小食なので。

「やあ」

 妙に爽やかな笑顔で現れる風成さん。 

 土居さん達は丁寧に挨拶して、食事の手を止めた。

「食べて食べて。若いんだから、どんどん食べて。ビール飲む?」

「愛想いいですね、今日は」

「そうかな。俺はいつもこうだよ。しかし、女子高生はいいなー」

 馬鹿決定だな。

 大体、口に出さなくてもいいだろうに。

「俺はいつも、むさい男達の相手ばっかりでさ」

RASレイアン・スピリッツは、女の子もいるじゃないですか」

「玲阿流には、殆どいないんだよ。あーあ」

 愚痴りに来たのか、この人は。 

 それも、とことん下らない事を。

「何か、嫌な事でもあった?」

 氷河の底から響くような声。 

 首筋に突き付けられる果物ナイフ。

 流衣さんは薄く微笑み、ナイフを横へスライドさせた。

「き、切れるだろ」

「悩みも一緒に出ていくんじゃなくて?」

「馬鹿。いいから、ビールくれ、ビール」

「誰に言ってるの」

 髪の毛が逆立ったかと思うような、迫力のある笑顔。。 

 風成さんは背を丸め、「持ってきます」と呟きキッチンへ消えた。

「本当に、もう。今の人の事は、忘れてちょうだい」

 さっきとは違い、優雅に微笑む流衣さん。 

 土居さん達は恐縮気味に頷き、小さくなってカレーを食べ始めた。

「でもこ、こで何するつもり?」

「何って、合宿ですよ。短期合宿」

「ここでやる理由を聞きたいんだけど」

「気分的なものです」

 そう言って、トマトをかじる。

 フルーツトマトかな、これ。

「思い付き、の間違いじゃなくて?どうでもいいけど、犬と競争しないでよ」

「ああ、羽未と。あの子は確かに速いですね」

「あと、猫も」

「コーシュカ?」

 そう言った途端、肩に負荷を感じる。

 頬を過ぎる、柔らかな感触。

 喉に巻き付く長い尻尾。

「な、なに、それ」

 飛び退く土居さん。

 沙紀ちゃんも一緒になって逃げている。

 フォークを向けるな、フォークを。

「猫。ヤマネコ。ね、渡瀬さん」

「可愛いですよね。でも、繁殖させてあげたいな」

 繁殖、ね。

 要は、猫の恋愛って事か。

 ケイでもあてがってやろうかな。

「大人しいから大丈夫よ。来なさい」

 手を伸ばす流衣さん。

 その手を前足で叩き、私から降りるコーシュカ。

「な、このドラ猫は。ちょっと来なさいって」

 当たり前だが猫が人の言う事は無く、彼女に背を向けて廊下へ消えていく。

 その後を、小走りで追いかける流衣さん。

 夫婦揃って、訳が分かんないな。



 布団に潜り、目を閉じる。

 一瞬にして、朝になっていた。 

 それはあくまでも感覚的なもので、実際には何時間も経ってる訳だが。

 もぞもぞと布団から這い出て、それを抱えて庭へ向かう。

「何してるの」

「野菜に水をやってる」

 ホース片手に答えるショウ。 

 野菜って、ここはいつから農園になったんだ。

「忘れたとか言うなよ」

「……そんな訳無いじゃない。カボチャだった?」

「サツマイモとニンジンだ」

 なる程。道理で葉っぱしか無い訳だ。

 だったら、そろそろ収穫の時期じゃないのかな。

「まだ採れないの?」

「そういう事は、ヒカルに聞いてくれ」

「あ、そう。今度は、鶏も飼えば」

「いっそ、牛でも飼ったらどうだ」

 愛想がないな。

 いいじゃない、水をやるくらい。

 私はやらないけどさ。

「これ、干して」

「干す人は、ちゃんといる」

「いいから、自分の分も持ってきて」

「無茶苦茶だな」

 文句を言いつつ母屋へ戻るショウ。

 でもって暇になったので、庭の中をてくてく歩く。

 するとすぐに、細長い犬が私の元へ駆け寄って来た。

「羽未」

「ばう」 

 鋭い出足から、一気のトップスピード。

 なかなかやるな。

「ちょっと待っててよ」  

 軽く体を解し、暖まった所で手を叩く。 

 横に並ぶ羽未。

 改めて、再スタート。

 あっという間に見えてくる背中。

 つまり、置いて行かれる自分。

「がう」

 こっちも一吠えして、姿勢を低くし速度を上げる。

 しかし縮まるどころか、遠ざかる一方。 

 車も速いけど、犬も速いな……。



「競争した?あのな、ボルゾイは時速60km/hくらいで走るんだぞ」

「先に言ってよね」

 ソファーに横たわり、ぐったりとする。

 何か、今日一日分動いた気分だな。

「練習はいいのか」

「今日は休み。どうして練習なんて」

 物言いたげに人を見下ろすショウ。

 別にここが彼の家だからではなく、私の態度がだらけてるからでもなく。

 私の台詞に対してだろう。

「分かってる。リレーの練習でしょ」

「ならいい。俺は稽古してくるから」

「真面目だね。怪我しないでよ」

「自分もな」

 去っていくショウ。 

 お陰で静かになった。

 少し寝よう。

「あ?」

 頭に何かが押し付けられている感覚。

 固くて、筒状の。

「起きた?」 

 冷徹な顔で人を見下ろす土居さん。

 朝から寒そうな恰好してるな。

「起きてる」

 剥がされるタオルケット。

 ちょっと、寒いじゃないよ。

「優ちゃん。今日は何のためにここにいるの?」

「ここって、ここは」

 辺りを見渡し、ソファーの上で正座する。

 寮の部屋でも自宅の部屋でもない。

 他人の家のリビングで。

「大丈夫?」

「え、うん。朝、少し走って疲れただけ。みんなも走ってきて」

「走ってって。リレーでしょ」

「代理がいる。おーい」

 叫び声を上げ、庭に向かって両手を振る。

 遠くに見える、小さな点。 

 それは一瞬にして大きくなり、巨大な山となって窓のすぐ外にまでやって来た。

「わっ」 

 叫び声を上げて、壁際まで下がる土居さん。

 沙紀ちゃんもソファーの陰に隠れ、クッションを構えた。

 この子達は、犬を見た事無いのかな。

「ボルゾイですね」

 冷静に指摘する渡瀬さん。

 普段もこのくらい落ち着いてると、こっちも楽なんだけどな。

「乗ってみたら」

「面白いですね、それ」

 笑われた。

 私も笑った。

 どうやら、犬に乗るのは笑い事らしい。

「いいから、その子を代理に走ってきて。羽未、みんなの事お願いね」

「ばう」

「今のって、返事?」

「気のせいだろ」

 疑う二人。

 埒が開かないので、ハンドサインを示して羽未に走るよう促す。

 即座に走り出す羽未。

 これは意思の疎通というより、訓練の賜物だが。

「ほら、行ってきて」

 釈然としない感じで歩いていく二人。

 渡瀬さんは何故か、廊下へと歩き出した。

「どうかしたの」

「ビデオ撮ろうと思いまして」

 何とも楽しそうな表情。

 私も一眠りして、自分の世界で楽しもう。



 派手な笑い声。 

 手を叩く音、テーブルを叩く音も聞こえてくる。

 うるさいので、タオルケットを剥いで顔を出す。

 ぼやけた視界に映る大きなTV。

 どこかで見た顔だ。

 何か笑ってる。

「これは何よっ」

 にへにへ笑っている間抜け面。

 というか、私。

「ビデオですよ」

 真顔で指摘する渡瀬さん。

 犬はどうした、犬は。

「目が覚めた?」

「覚めました。で、走りました?」

「ああ。あの犬、早過ぎる。でもバトンもくわえるし、あたしの代わりにエントリーさせたら」

「犬は犬。人間は人間。代わりは務まりません」

 そう言って、ふと気付く。

 自分が、誰を代理にしてたのかという話なので。

「じゃあ、午後からは私も走るから」

「当たり前だろ」

 冷たい人だな。

 そうね、一緒に頑張りましょ。

 くらい言って、手を取ってもいいじゃない。



 さすがに庭でどたどた走っていても仕方ないので、グラウンドへとやってくる。

 高校のではなく、大学の。

 玲阿邸からはこちらの方が広く、また同じ系列なので申請さえすれば利用は可能。

 問題は、正門からやってくると墓場を通る必要がある事。

 お寺の敷地を抜けるからなんだけど、夜は絶対来たくない。

「軽く通して走って、ビデオをチェック。はい、行こうか」

 トラックの所定位置に着き、軽く手を叩く。

 クラウチングスタートで飛び出す渡瀬さん。

 バトンはすぐに、土居さんへ。

 そして沙紀ちゃんと渡って、私の元へやってくる。

 コーナーを曲がり、ストレートコースを駆け抜ける。

 感覚としては、全てが一瞬。

 気付いたらゴールを駆け抜けていた。

「チェックしようか」

 カメラは端末に標準装備されている物と、ショウの家にあったもの。

 全体と各個人の映像が分割されて、端末に表示されていく。

「コーナーリングはともかく。やっぱりバトンパスだね」

 拡大される、渡瀬さんと土居さんのパスシーン。

 スムーズではあるが、速度が落ちている。

 どこで受け取り、どれだけの速度で走るか。

 理想はやはり、一瞬にしてトップに持っていく事。

 そうすればパスする側は速度を落とさなくて済むし、受け取る側も慌てなくて済む。 

「マークしよう、マーク」

 リュックからテープを取り出し、バトンゾーンの前に立つ。

 次に映像をチェックして、良さそうな場所にテープを貼る。

「まずはここでスタート。その後で、少しずつ修正しようか」

 渡瀬さんを走らせて、一度チェック。

 もう少し手前でもいいかな。

「どうしたの」

 しゃがみ込む渡瀬さん。

 動く気配はないし、話す素振りもない。

 いつも元気なのに、おかしいな。

「優ちゃん。100mを連続で走ったら、誰でもそうなる」

「ああ。そういう事。じゃあ、次は土居さん」

「あんた、鬼だね」


 3つの屍が出来上がった所で、一旦休憩。

 私は受け取るだけなので、それ程走る必要はない。

 100m走らなくていいという考え方もあるが、実践を想定するとこっちの方がいい。

「おっ」

 遠くでやっている、砲丸投げの練習。

 大きな鉄の玉が、軽々と青い空に舞い上がる。 

 スレンダーな体型の女性で、なかなかに恰好いい。

「見た?今の」

 返ってこない返事。

 私すら見ようとしないし、起き上がろうともしない。

「仕方ないな。じゃあ、今日はもう止めようか」

 のそっと立ち上がる3人。

 お互いがお互いの肩を貸しあって。

 無言でロッカールームへ引き上げていく。

 思いたくはないが、演技じゃないだろうな。

「へーえ」

 散らかった荷物や器具を片付け、テープを剥がす。

 全くこんな事で、陸上部に勝てると思ってるのかな。

「あなた、中学生?」

 目の前に現れる、長身の集団。

 とはいえこの間の嫌な女ではなく、お姉様風の雰囲気。

 大学の陸上部か、同好会といった所だろうか。

「高校生です」

 悪意があろうと無かろうと、むかつくものはむかつく。

 何度言われようと、それは変わらない。

「ああ、ごめん。今日は何?大学の見学?」

「いえ。リレーの練習に来ただけです」

「じゃあ、私達とやる?」

「ええ、いいですよ。お邪魔でなければ」



 もう、動きたくもない。

 誰が、400m走ると言った。

 私達は、4人で400m走るんだ。

 それを一人で二回も三回も走れば、何もやりたくなくなる。

「邪魔だね」

「また寝てるの?」

「寝る子は育ちますからね」

 何かを食べながら話している3人。

 さすがに今は食欲もなく、スポーツドリンクだけで我慢する。

 大体瞬発力はあるけど、体力自体はないんだから。

 この前の雪山みたいにゆっくりと歩くならともかく、こういうのは向いてないんだって。

 誰だ、私が中距離向きって言ったのは。

「もう走らないの?」

 手を振って、棄権を告げる。

 危険でもいい。

「シャワー、シャワー浴びてくる」

「あれ、もう終わり?」

「終わり。何もかも終わった」


 気付けば夕食が終わっていた。

 食べたのは、おにぎりと鶏の唐揚げだけ。 

 量的には、いつもとそれ程変わらないが。

「大丈夫か」

「問題ない。回復した」

 疲れるのは早いが、回復も早い。 

 軽く体を解し、前蹴りから後ろ跳び蹴りへ繋ぐ。

 着地と同時に、肘と膝。

 よく動いたせいか、キレは悪くない。

 だからといって、毎日400mを全力疾走したくはないが。

「それは?」

「ちょっと打った」

 目尻と頬の辺りの擦り傷。

 要は稽古中に殴られた跡だろう。

「何をやってるのよ、もう」

「いいだろ。好きでやってるんだから」

「嫌な趣味ね」

 二人して笑っていると、背中に気配。

 土居さん達が、道場の手前で立っていた。

「邪魔、だったみたいだね」

「いや。そういう訳でも。ねえ」

「え、ああ。そう。俺は邪魔かな」

 そう言って、どこかへ消えるショウ。

 分かってるのかな、本当に。

「ここって、玲阿流の道場ですか」

 恐る恐るといった具合に足を踏み入れる渡瀬さん。

 大切な場所、それこそ聖地に降り立つようにして。

「気にする程の所でもないよ。ただの畳敷きの部屋と思えばさ」

 勿論幾ら私でも、ここで寝転んだりはしないが。

「沙紀ちゃんは」

「お風呂入ってます」

「駄目ね。4人一緒に行動しないと。合宿の意味が無いじゃない」

「意味がないのは、あんたの行動だろ」


 嫌みを聞き流し、お風呂に入る。

 シャワーは浴びたけど、湯船に浸かるのはまた違う感覚だから。

「あー」

 限界に達したので、すぐに上がって体を洗う。

 熱過ぎないか、これ。

「ぬるいね」

 もやの中に見える長身の体。

 細いけど出る所は出て、引っ込む所は引っ込んだ体型。

 沙紀ちゃんは言うまでも無し。

 渡瀬さんも、前より成長した感じ。

 本当に私は高校生か?

 お母さんが、年をごまかしてるんじゃないだろうな。

「あーあ」

 それでも仕方なく、沙紀ちゃんの後ろに回って列を作る。

 当然だが、意味はない。

「何してるの」

「リレーを想定してるの」

 適当な事を言って、渡瀬さんを先頭にする。 

 意味はないが、気分的には何かある。

 その何かが何かは、ともかくとして。


 パジャマに着替えて、夜風に当たる。

 普段なら冷たい風も、風呂上がりには心地いい。

「寒いよ」

 文句を言う土居さん。

 歩き出す渡瀬さん。

 付いていく沙紀ちゃん。

 私は窓を閉め、その後に続く。

「いつまでやるんですか、これ」 

「やるやらないじゃないの。感覚を掴むのよ。相手の動き、癖、何もかもを」

「はあ」

 納得出来ないという返事。

 土居さん達は何も言わないが、無言の抵抗という気がしないでもない。


 布団に潜り込み、目を閉じる。

 開けたら、やっぱり朝になっていた。

 疲れてるせいか、最近眠りが深いな。

 いや、いつもの事か。

 前から回ってくるタオルで顔を拭き、とことこと後を付いていく。

 廊下を歩く3人の背中。

 それぞれの歩幅、腕の振り、足の運びをチェックしながら。

 何のために。

 リレーのために。

 正確には、バトンパスのタイミングを計るために。

 でも、待てよ。

 私はアンカーだから、受け取るだけ。

 彼女達3人の癖がどうだろうと、あまり関係はない。

「分かった。止め、止めて」

 助かったという顔が3つ。 

 すぐに手を叩き、付いてくるよう手で促す。

「逆、逆だった。バトンパスの順番じゃないと、意味がない」

「あんた、本気で言ってるの?」

「朝から、疲れるわね」

「もう、飽きました」

 うるさい子達だな。

 とにかく構わず歩き出したら、急に静かになった。

 どうしてか。

 誰も付いてこなかったからだ……。



「何してるの」

 机から顔を上げ、サトミを見上げる。

 きしむような全身の痛みに耐えながら。

「走り疲れた。筋肉痛」

「ユウが?マラソンでもやった?」

「400mを計10本」

 また女子大学生に出会って、さんざん付き合わされた。

 勿論嫌で付き合った訳ではないが、後悔は先には立たない。

「今日予選だけど大丈夫なの?」

「え、何それ」

「スケジュールくらい管理したら」 

 目の前に滑ってくる予選の組み合わせ表。

 私達の所は、今日の午後からになっている。

「棄権したら」

「面白いね、それ」

 立ち上がって、体を解す。

 激しい痛みが襲ってくるけど、それは筋肉を動かせばやがて収まる。

 収まるはずだ。

 収まるのかな……。


 着替えを済ませ、予選会場へやってくる。

 参加チームが多いせいか、予選といってもかなりの流れ作業。

 次から次へとチームが現れては、この場を去っていく。

「緊張してるの?」

 ぎこちない動きの私を見て、労り気味に声を掛けてくる土居さん。

 筋肉痛ですと言うのは間が抜け過ぎているので、曖昧に微笑みパワーアンクルとリストを外す。

「じゃ、手出して」

 円陣を組み、その中央で手を重ねる。 

 勿論意味なんて無い。

 だけど意味が無くても、大切な事はたくさんある。  

「ファイ」

「オーッ」

 前よりは気合いの入った掛け声。

 合宿の成果かもしれないな。


 所定の位置に着き、体を解しつつスタートを待つ。

 隣りに並ぶ、何人ものアンカー。

 特に知った顔はなく、遠くの方にサトミ達が見えるくらい。

 軽く彼女達に手を振って、ヘアバンドの位置を直す。

 スターターのピストルの音。

 一気に走る緊張感。

 ただそれは私達だけで、予選会場全体としては変わりない。 

 つまりはここだけが、別世界へと生まれ変わる。


 好スタートのまま、トップでバトンをパスする渡瀬さん。

 タイムロスも殆ど無く、その勢いのまま土居さんがコーナーを曲がる。

 開いていく後続との距離。

 沙紀ちゃんへと渡るバトン。

 怪我も治ってきているようで、走りに淀みは感じられない。

 以前程のスピードはないが、それでも後続に追いつかれる事はない。


 スタートを切り、背後の足音に耳を澄ます。

 近付いてくる気配。

 昨日、ずっと感じていたのと同じ。

「はいっ」

 私の腕の振りに合わせて差し出されるバトン。

 しっかりとそれをキャッチして、さらに速度を上げる。

 コーナーに合わせて歩調を変え、景色を後ろへ流しながら。

 後ろの事は気にもせず、ゴールを駆け抜ける。

「よしっ」

 ピースサインをしている渡瀬さんへバトンを放り、私もピースで答える。

 タイムはともかく、トップで通過すれば予選は通過。

 つまりこの予選に関しては、クリアした事となる。

「なんとかなったみたいだね」

 予選突破の証明書を受け取り、私に渡す土居さん。

 沙紀ちゃんも駆け寄ってきて、私の肩に手を置いた。

「行けそう?」

「勿論」

 4人で手を合わせ、勝利を実感する。

 4人で勝ち取った、大切な一勝を。

「どこ行くの?」

「次の予選まで時間があるから、体を休めるんだよ」

 当然だろという顔。

 何だ、次の予選って。

「優ちゃん。スケジュールは知ってるわよね」

「え、うん。今日、予選」

「そう。1日2回って事も、知ってるわよね」

「え、うん」

 知らなかったとは言わず、張りの出てきた太ももを叩く。

「頑張りましょうね」

 明るい、明る過ぎる笑顔。

 私も渡瀬さんへ微笑み返し、足を止めた。


 自分で望んだ事だけど。 

 たまには休みたい時もある。

 出来れば一週間くらい。






  







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