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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第4話
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4-4






     4-4




 昨日は遅くまで飲んでいたので、少々眠い。

 何とか起きて学校へは来たんだけど、サトミとショウが授業へ出席していない。

 いや、ケイも来てないか。

 ともかく舞地さん達の事が少しは分かったし、なかなかに楽しいお酒だった。

 今度は男の子達も集めて、また飲みたいな。


 それでも一応は真面目に先生の話を聞き、午前の授業をどうにか終えさせた。

 私が終わらせた訳じゃなくて、時間が勝手に過ぎたという説もあるが。

 いつもならショウ達とご飯を食べに行くんだけど。

「雪野さん、今日みんなは?」

 前髪を綺麗にブローした可愛い女の子が、ナプキンに包まれたランチボックスを振る。

 高等部に入ってから知り合いになった子で、控えめな良い子である。

「昨日友達と飲んだみたいから、寮で寝てるかも」

「そうなの。よかったら、私達とご飯食べる?」

「ありがと。でも大丈夫だから」

 席を立つと、一緒にいた子達も混じって私を取り囲んだ。

「今まで大勢で食べてたのに、急に一人で食べるとなると」

「寂しいわよ」

「人肌が恋しくなるって」

 みんなはそう一言ずつ言い残し、明るく笑いながら教室を出ていった。

 冗談めかした彼女達の気遣いには感謝しつつも、人肌というのはちょっとと思う私だった。


 食堂のカウンターで、無料のフリーセットを受け取る。

 カウンター近くの席はかなり埋まっていて、端の方まで行かないと空きがない。 

 トレイをしっかりと持ち、人を避けながら先を急ぐ。

 急いだのはいいけれど、行けども行けども空いているテーブルがない。

 仕方ないので誰かと相席でと思っていたら、見慣れた顔が目に入った。

 食べているのは、私と同じフリーセット。

 ただ視線は、テーブルに置かれている本から離れない。

 私は彼の前にトレイを置き、椅子を引いた。

 その音に気付き、向こうが顔を上げる。


 無言で見つめ合う私達。

 だが、ケイはすぐに顔を本へと戻す。

 別に気まずかった訳ではなく、単に本が読みたかっただけだろう。

 どうしてこの席に座ったのか自分でも不思議だが、いるのが分かっていて他の所に座るのも気分的に良くない。

 それに、これ以上彼を避け続ける事は出来ないから。


 しょう油に手を伸ばし、鱈の粕漬けに少し垂らす。 

 「もう味は付いてるの」とサトミによく言われるが、この微妙さが食欲をそそる。

「いただきます」

 手を合わせ、ご飯に頭を少し下げる。

 笑い声が周りから聞こえたけど、それはすぐに止んだ。

 まずはほうれん草のおひたしを。

 うん、美味しい。

 今度はやはりメインの鱈へ。

 美味しいけど、しょう油を掛け過ぎたかな。

 グラスに手を伸ばし、お茶を一口。

「ふぅ」

 一息ついたとは、まさにこの事。 

 あ、でも私お茶って注いだかな?

 飲んでいるからには、注いだんだろう。

 それ程、深く考える事でもない。。

 今私のいる席からはテレビが見え、不器用そうな男性アナが綺麗な女性シェフと仲良く揚げ物をやっている。

 いかにもお昼時な番組で、そのほのぼの感が結構楽しい。

 お、油が跳ねた。

 咄嗟に飛び退いた二人の反応が面白くて、つい笑ってしまった。

 ちょっと体が前に倒れ、赤出しがテーブルへ少しこぼれる。


「あ……」

 焦ったのはほんの一瞬。

 テーブルにあった濡れタオルが横に動き、こぼれた赤出しはすぐに拭かれた。

 戸惑う私をよそに、ケイは席を立つ。

 どこへ行くのかと思って見ていたら、カウンターから戻ってきた。

「手、少し冷やして」

「大丈夫だよ」

「いいから」

 赤だしが掛かった指に視線を注ぐケイ。

 差し出されたグラスには、細かな氷が浮いている。

「流水で洗うのがいいんだけど、そこまで熱くなかったから」

 それだけ言って、すぐ本へ視線を戻す。

 私は熱くもない指を、グラスの中に入れた。

 離れていた調味料入れが、いつの間にか私の手が届く位置にあった。

 最初は見えていなかったテレビが、気付けば見えていた。

 私を笑った声が、すぐに止んだ理由。

 そのどれもが自然で、私には何も意識させない。

 彼にとってはそれが当然の事だから。

 仲間のために何かをするのは。

 それが、浦田珪だから。


「熱くないなら、無理に付けなくていいよ。そういうのが好きなら別だけど」

 いつも通りの、下らない事を言ってくる。

 私はグラスから指を出し、その水を彼の顔に掛けた。

「うるさいな。誰も水持ってこいなんて言ってないでしょ」

「へっ、それは失礼致しました」

 掛かった水を手で拭き取り、再び食事に戻る。

 私もグラスを置き、箸を進めた。


 それからしばらく、目の前にはお茶の入ったグラスが二つ。

 食器はすでにない。

 ケイに言われて手を洗いに行っている間に、彼が片付けてくれたようだ。

 でも私は、お礼を言わない。 

 彼もそれを望んでいないから。

 お礼を言われるために、私達は友達の関係でいる訳ではない。

「……変わらないね、ケイは」

「進歩がないだけだよ。みんなは昔と大分変わったけど、俺一人取り残されたのかな」

 ククッと笑い、ペーパーナプキンを変な形にしていく。

 不器用なのに、こういう事が好きな人なんだ。

「昨日は何も話す事無いって言ったけど、やっぱり一つ言っとく」

「ん、何?」

 ケイが、人形の形になったペーパーナプキンを見つめながら呟く。

「勝手に聞こえるかも知れないけど、丹下は許してやって欲しいと思って。俺のわがままで彼女を巻き込んだようなものだから。……いいかな」

 珍しく弱気な表情。

 自分の事はどうなのという言葉を飲み込んで、私は大きく頷いた。

「そこまで考えてるのなら、あなたも彼女を大切にしないさいよ」

「ん、ああ」

 私としては昨日の沙紀ちゃんの発言を踏まえて言ったのだが、その意味はどこまで通じただろうか。

 思った通り彼は、怪訝そうにこちらを見つめてくる。

「舞地さん達もそんな事言ってたな。丹下がどうかしたの?」

「あなたが隊長補佐だからでしょ。そのくらい、さっと分かりなさい」

「あ、うん」 

 私の勢いに押された形で頷くケイ。

 まさか昨日の話をする訳にも行かないので、このくらいにしておこう。

 それにしても、あの二人もやってくれるね。


「そう言えば、舞地さんって彼氏いるんでしょ」  

「え?そんな話聞いてないけど」

「だって、本人が言ってたんだよ。それに、柳君も彼女いるって」

 あごの辺りに手を当て、ケイはすぐに口元を緩めた。

「あの二人が、どこかで野良犬と野良猫を可愛がってるのは知ってる」

「な、なにそれ。そんなの恋人と違うじゃない」

「俺に怒っても。大体舞地さん達は年中あちこちを回ってるんだから、恋人作ってる暇なんてないって」

 すでに彼の言葉は殆ど耳に入っていない。 

 騙された、というか上手くからかわれた。

 舞地さんはともかく、柳君にまでしてやられたのは少し悔しい。

 あののんきな雰囲気が、意外と曲者だな。


「楽しい?舞地さん達といて」

「またそれか。悪くないよ、あの人達面白いから。丹下も何か気使ってくれてるし」

「そうなんだ。……ちょっと寂しいね」

 私はグラスを両手で持ち、その冷たさに眉をひそめた。

「俺なんかいなくても、ユウ達は大丈夫だろ」

「だけど」

 汗をかいたグラスは、どこまでも冷たい。

「ショウもいるし、サトミもいる。モトも、塩田さんも、沢さんも。それに、兄貴もいるんだろ」

「ヒカル?うん、昨日来た」

「顔似てるんだから、あいつを俺と思ってれば」

「そういう問題じゃないわよ」

 苦笑しつつ、ちょっとした違和感を私は感じていた。

 でも、それを考える間もなくケイが話を続ける。

「俺達ガーディアンとしては厳しい関係になってるけど、こうして笑って話をする事だって出来るんだから……」

 ほんの少し心が熱くなる。

 ぎこちなく、訥々と語られる彼の言葉に。

「まだ生徒会で頑張るの?」

「ユウ達には迷惑掛けるけど、やりたい事が幾つかあるんだ。この前俺が言った事覚えてるかな」

「大人しくしてろ、でしょ」

「そう。何かあったら、本当に解散申請を出すから」

「分かってる」

 ケイは自分のグラスを持ち、後ろ向きのまま手を振ってカウンターへと去っていった。

 私達がガーディアンとしての活動を制限されている状況は、結局そのまま。

 向こうの考え方も、これからの行動も。

 でも、ケイと話をする事が出来た。

 やはり変わっていなかった彼と。

 私は手の中で暖かくなり始めたお茶を口に運び、頬を緩めてみた。



 午後になってもショウは来ず、授業も全て終わってしまった。

 サトミは例の歓待委員会(仮)に行っていたらしく、後で顔を出すと連絡があったんだけど。

 リュックに荷物を詰めていると、お昼休みに話しかけてきた女の子達がまたやってきた。

「雪野さん、寂しいね」

「そろそろ恋しくなってきたでしょ」

「ぬくい人肌が」

 聞こえない振りをして、席を立つ。

「そんな君に、素敵な情報を教えよう」

 リュックを背負いスティックを手に持つと、彼女達の一人が前に立った。

 眼鏡がよく似合う、清楚な感じの子。

「ほら、耳」

「え、いいよ」

「遠慮しないで」

 私の腕を引き寄せ、耳に口を寄せてくる。

 見かけの割には強引な子なんだ。

「又聞きなんだけど、すごい格好いい男の子がいるんだって」

「これだけ生徒がいれば、そんな子いくらでもいるでしょ」

 すると、今度は反対側にも口が当てられる。

 全体的にウェーブの掛かったセミロングで、お姉さまタイプの綺麗な子。

「そんなレベルじゃなくて、とにかくすごいのよ」

「見たの」

「いえ、見てはいないけど。でも話を聞いた限りでは、相当らしいって」

「どう、元気でた?」

 前髪ウェーブの子が、ニマッと笑う。

「少し」

 指を少し開き、私もヘヘッと笑う。

「フフッ」

「フフフッ」

 顔を寄せ合い不気味な笑い声を洩らす私達。

 こういう時は自分が女の子なんだなと、強く実感する。

「という訳で、私達はその子を探しに行くけど」

「雪野さんもどう」

「あなた達、厚生委員会の仕事があるんでしょ」

「今日は休みなの。寮創設記念とか言ってたわ」

 そんなはずあるかと突っ込みたくなるのを堪え、首を振る。

「私はパス。今日は知り合いが来るから」

「それは残念。もし見つけたら連絡するわ」

「期待しててね」

「探偵の気分ー」

 ふざけた事を言って消えていく彼女達。

 私は胸の中で、ちょっとだけエールを送った。

 別にどうでもいいけど、そんなに素敵な子なら見てみたいしね。


 オフィスに着いたら、地味な顔の人が座っていた。

 いい人だけど、見た目は普通だ。

 やっぱり、探しに行けばよかったかな。

「あれ、ユウだけ?聡美とショウは」

 そんな私の考えをよそに、空いている椅子を指さすヒカル。

「サトミは後から来るって。でも、ショウは知らない。昨日一緒に飲んでたんでしょ」

「それが、記憶が殆ど無くて。今もちょっと辛いんだ」

 額を押さえ、顔をしかめる兄上。

 二日酔いの高校生とは、とんでもないな。 

 いや、この子が大学院生だとしても。

「もしかして、ショウも?」

「向こうはずっと話してたから、そんなに飲んでない。とにかく僕はちょっと」

 そう言って、テーブルに倒れる。

 何しに来たんだ、この人。

 とにかくこのままではどうしようもないので、向かい側に座ってテーブルを揺すった。


「じゃあ、何で来ないのよ」

「揺らさないで貰えると、非常に助かる」

 かまわずテーブルを叩く。

 一度ではなく、立て続けに何度も。

「いいから、起きて」

「3時まで飲んでて、起きたの8時なんだ。その後は学内をうろついてて……」

「あなたの事は聞いてない。ショウはどうしたの」

「だから、揺らさないで」

 嫌がってるのに、頑として顔を上げない。

 ここまで来ると立派と言いたいが、こっちも意地になっている。

 えーと、スティックは。

 ん、あった。

 スルスルと伸ばし、先で頭を付く。

「何か当たってるんですけど」

「だったら起きなさい」

「まだ4時前だから」

「午後の4時前よっ」

 駄目だ、もう。

 私はあきらめて、スティックを手元に戻した。

 弟といい兄といい、何やってるんだか。

 妹だけだね、いい子なのは。

 やっぱり私が引き取るしかないかな。


 しばらくすると寝息が聞こえてきて、さすがに馬鹿馬鹿しくなってきた。 

 タオルケットが確か、その辺にあったはずだけど。

 ロッカーを開けようとしたら、ドアが不意に開いた。

 誰だろうと思い、ふと顔を向ける。

 精悍な、それでいて甘さを漂わせた彫りの深い顔立ち。

 澄んだ大きな二重の瞳は、見る物に魅了の魔法を掛けるかのよう。

 私からすれば見上げそうな程の身長と、それに負けないバランスの取れた立派な体格。

 そのスタイルも足の長さも、モデルを軽く凌駕する。

 私はロッカーに手を掛けたまま、その男の子にしばし見入ってしまった。



「ん、似合わないか」

 短く刈り上げた髪を、照れくさそうに触れるショウ。 

 私は口を開けたまま、ゆっくりと首を振った。

「ううん。よく似合ってる……」

「そっか。ユウがそう言ってくれるなら、大丈夫だな」

 ショウはまんざらでもなさそうに、ロッカーの中にある鏡を見る。

 思わず抑えた胸からは、早い鼓動が感じれる。

 私にしか分からない、一つの感情と共に。

「どうして切ったの。せっかくあそこまで伸ばしてたのに」

「その、あれだ。昨日のけじめを付けたって事さ。ヒカルも、そのくらいした方がいいって言うし」

「そうなんだ……」

 私はテーブルを掴み、ぐいぐい押した。

 「わっ」という間の抜けた声が上がったが、気にしない。

「ちょっと。ショウが、髪の毛切っちゃったわよ」

「どうして?」

「あなたも賛成したからじゃない」

「さあ。とにかく昨日の事は覚えてないんだ」

 またしても顔を上げようとしない。

 この子もしかして、ヒカルじゃなくてケイだったりして……。

「おい。それは無いだろ。お前も切れって言うから、俺はだな」

 両手でテーブルを叩くショウ。

「自分は自分、人は人。主体性を持とう」

「面白いな、それ」

 ショウは私を下がらせ、テーブルをしっかりと掴んだ。

 腰を落とし、呼吸を整えて。

「何か、言いいたい事は」

「お休みなさい」 

「ああ、お休み」 

 勢いよくテーブルが引かれ、そのままの姿勢でヒカルは床へと倒れる。

 ちなみに他の椅子は、私が片付け済みである。      

 これは効いたらしく、やっと顔を上げるヒカル。

 そしてショウを見上げて一言。

「……前の方が良かったね」

 オフィスの中に嫌な叫び声が上がったのは、無論言うまでもない。



 あごと腰を押さえて椅子に這い上がる、寝起きの人。 

 でも、眠気はどこかへ行ったようだ。

「冗談だって。そのくらい分からないかな」

「分かるか。次何かしたら、おまえ5厘刈りだぞ」

「済んだ事を、あれこれ言っても仕方ない。前向きに行こう、前向きに」 

 落ち着けとばかりに手を下へ下げる真似をする。

 するとドアが開き、今度はサトミが入ってきた。

「サトミ、ここに面白い人がいる」

 懲りずにショウを指さすヒカル。

「……ふーん。失恋でもしたの」

 彼女にしては珍しく、ちょっと戸惑い気味の表情を見せる。

 それはそうだ。

 私なんか、まだ見慣れない。

 というか、見ると照れてしまう。

 クラスメートが言っていた格好良い子は、間違いなく今のショウを見たんだろう。

 ここにいるよ、ここに。

 今日のお礼も込めて、明日じわじわとネタばらしをして上げよう。

「さてと、みんな揃ったしどうする」

 しかしサトミは首を振り、ショウはため息を付いて刈り上げた髪に手を触れる。

「パロトールは?前はそうしてただろ」

「話したでしょ、この間。今は生徒会ガーディアンズがこのブロックを仕切っているから、私達の出番はないの。それにケイから、目立った事をすると解散させるって言われてるから」 

 サトミの説明に何度も頷くヒカル。

「分かった。でもパトロールを禁止されてる訳じゃないんだ」

「ああ」

「理屈では、そうよ」

「だったら、行こう」


 ヒカルに押し切られて、オフィスを出てきた私達。

 昨日までも一応毎日パトロールをしてはいたが、何もする事が無いのであまり気が乗らない。

 ただ歩いているだけの、散歩に等しい作業となっているから。  

 トラブルは生徒会ガーディアンズが押さえるし、迂闊な事をしたら解散申請を出されかねない。

 一体何のために歩いてるんだろうと思っていると、ショウの顔が目に入った。

 ……これも、悪くはないか。

「やっぱり失敗かな」

 髪を押さえ、顔をしかめるショウ。

 私は笑って彼の肩をそっと触れた。

「いいじゃない。長髪の時も良かったけど、それも悪くないよ。何だか、精悍さが増して」

「あいつも、形から入れって言うんだ。その後は寺に行けとか。駄目だな、酔っぱらい同士の会話だったから」

「でも、ショウは自分でいいと思って切ったんでしょ」

「ああ」

 やや長い前髪を横へ流すと、通りすがりの女の子達がホワーとした顔でいつまでもこっちを見つめていた。

 夢に見るね、あれは。

「少しは気持も切り替わったし、よしとするか」

 照れ気味に短髪をかき上げるショウ。

 私も見とれそうになるの堪え、聞こえてきた声に意識を集めた。

「……ケンカ?」

「それっぽいけど、どうだ」

 私とショウの視線に、サトミとヒカルは首を振る。

「僕達、そんなに耳よくないから」

「行く?どうせ、何もやる事は無いでしょうけど」

「それでも、ここは私達の管轄だから。急ぐわよ」

「さすがは雪野優」

 変な冷やかしを受け、私は廊下を走りだした。



 しかし思った通り、すでにトラブルは収まっていた。

 野次馬もなく、当事者は数名ずつに分けられ説得だか説教を受けている。 

 生徒会ガーディアンズ以外には、現在彼等を統括している舞地さんの姿が。

 今までの動きを見ていると舞地さん達4人が班長になって、さらに他の班もその指揮下に置いている。

 通常はその4班が各トラブルに対応し、状況によって応援を呼んでいるみたい。

 ただ最近は、舞地さん達がいない場合が多いようだが。

「あのきびきびした子、誰」

 指示を出している舞地さんを、見られないように指さすヒカル。

 一見のんきな子だが、彼は元ガーディアン。

 凡庸ではないとの、注釈も付く。

「ほら、前言ったでしょ。ケイが雇ってるガーディアンで、色んな学校を渡り歩いてる凄腕の人達。ワイルドギースって言うんだって」

「そう。あんな子が仕切ってたら、確かに他のガーディアンは仕事が無くなるはずだ」

「トラブルの現場に着くのも早いのよ。だから私達は、余計何も出来ないの」

「なるほど」

 ヒカルは感心したように頷いて、すたすたと彼等に近付きだした。

 取りあえず私達も、後に続く。


「……ああ、収まった。怪我人は3名、私がやった。IDはチェックしないがかまわないか。……分かった」

 端末をポケットへしまった舞地さんが、こちらを向く。 

 彼女もかなり前から、私達の存在に気付いていたらしい。

「悪いな、私達で処理した」

 落ち着いたやや低い声。

 そこに、このブロックを取り仕切っている奢りや傲慢さはない。

 感じられるのは、仕事を確実に成し遂げるというプロ意識のみ。

「舞地さん、ですね」

「ああ」

 その綺麗な眉を微かにひそめる舞地さん。

「あ、僕浦田光といいます。弟の珪が、お世話になってるとか」

「いや。こちらこそ彼には助けられてる」

 頭を下げあうヒカル達。

 舞地さんは、キャップまで取っている。

 意外と礼儀正しいんだよね、この人。

 すると廊下のコーナーから、人なつこい笑顔を浮かべた男の子がやってきた。

「真理依さん、向こうも収まった……。あれ?」

 ヒカルを見て大笑いする柳君。

 手には何故か、血の付いた警棒を持っている。

 彼のではなくて、没収した物のようだけど。

「笑うな、司。浦田のお兄さんだ」

 たしためた舞地さんも、笑いを堪えている。

 笑うなという方が無理だろう。

「顔は似てるけど、雰囲気は大分違うんだね。明るいというか、のんきな感じで」

「それは柳君もでしょ。何が彼女いるよ」

「あ、もうばれた?」

 またもや笑い出す柳君。

 もう一人の私をからかった女の子は、謝る感じで顔の前に手を上げる。

 少しはにかみ気味に、年頃の女の子っぽく。


「司、戻るぞ」

「了解。みんな、また今度。お兄さんも」

 背を向けた彼等に、ヒカルが軽く手を振る。

「ガチョウさん達もお元気で」

「え、何それ」

「だって、彼女達ワイルドギースだから。ギースは訳すとガチョウだよ。ああ、ワイルドだから野良ガチョウだ」

 真顔で言ってくれる。

 いくらなんでも「野良ガチョウ」はどうだ。

 まずい、相当にまずい。 

 そう思って、恐る恐る舞地さん達を見ると。

「普通は雁と訳す。浦田の兄だけはあるな」

 あ、よかった。

 二人とも笑ってる。

 とにかくここは、早くお帰り願おう。

 みんなもそう思ったのか、全員でヒカルの頭を押さえ付ける。

「この人には後で言って聞かせるから。本当、ごめんなさい」

「いいよ、遠野さん。それにしても、ガチョウなんて初めて言われたな」

 血の付いた警棒を振り回しながら去っていく柳君。

 声はあどけないだけに、妙な迫力がある。

「院生らしいが、高校からやり直したらどうだ」

 舞地さんはキャップを深く被り直し、緩んだ目元を隠した。

 私達は全員で頭を下げ、彼女達が帰っていくのを見送った。


 その姿がコーナーに消えたのを確認して、安堵の息を洩らす。

「あー、焦った。本当、あの人達大人だよね」

「というか、こいつがガキなんだ」

 申し訳ないという感じで頭を押さえるヒカル。

 するとサトミが、そんな人の隣に歩み寄った。

「この人は、ああやって舞地さん達を挑発したのよ。感情が高ぶれば本音も出やすくなるし、それで何を聞き出そうとしたんでしょ」

「ん?ああ、そうそう」

 とってつけたように頷く。

 絶対そんな事考えてないって顔だ。

 大体、そういうタイプじゃないんだってこの人。

 のんきで脳天気で、頭の中には幸せが一杯詰まってるんだから。

「ごめん、ユウ達の言う通りみたい」

 悲しそうに首を振るサトミ。 

 私は彼女の肩をそっと抱き、その気持ちを分かち合った。


 その後も私達はパトロールを続けていたんだけど、状況はやはり同じ。 

 トラブルがあれば生徒会ガーディアンズが処理し、こっちは何もする事がない。 

 さっきも言ったように舞地さん達は最近あまり現場に出てこない。

 だから今会えたのも、かなりの偶然だ。

 今では元々いるDブロックの生徒会ガーディアンズがメインになって、トラブルの対応に当たってる。

 別に彼女達が手を抜いてる訳ではなく、そ助けが無くても十分にトラブルを解決出来るようになって来ているのだ。

 舞地さん達の仕事ぶりを見続けた、また指導を受けた結果なのだろう。

 やはり彼女達はすごいとしか言いようがない。


「やる事無いけど、その方がいいのかな。私達が忙しいなんて、おかしいもんね」

「まあな」

 壁際にもたれ楽しそうに話をしている女の子達、バインダーを抱えて足早に急ぐ男の子、たむろしている子達にインタビューを試みているおそらくは情報局の子達。

 みんな元気で笑顔を浮かべている。

 確かに今私達は何もやる事がない。

 でもこの光景があれば、みんなが笑っているなら私はそれでいい。

 必要とされないのは少し寂しいけど、それより大事な物がここにはあるのだから。


「ケイの話じゃないけど、このままだと他のブロックに移った方がいいかも知れないわね」

 笑いながら二人がけの椅子に座るサトミ。 

 当然その隣にはヒカルがいる。

 パトロールを小休止して、私達はエレベーター脇にあるラウンジで一休みしていた。

 ここにも何組かのグループがいて、ジュースやお菓子を前に楽しそうにしている。 

 食事前の時間を、仲のいい友達と過ごす。

 話している内容なんて、その日の内にさえ忘れてしまうような事。

 何でもない、平凡な光景。

 でも私は、そんな光景が好きだ。

「それとも、いっそガーディアン辞めるか。例えばサトミは大学院に行くとか」

「だったらショウは空手部にでも行く?あ、駄目ね。あなた、空手部と仲悪いから」

「俺はアマレスでもいいけど」

 私に向かってタックルする素振りを見せるショウ。

 こっちは素早く膝を出し、その出足を止める。

 すると彼の体が回転し、膝を避けて私の背後へと回り込もうとする。

 甘いとばかりに膝を横へ持っていき、そのままショウの脇腹へ……。


「はは」

 いつの間にか集まっていた周りの視線を、笑ってごまかす。

 というか、ごまかされてほしい。

 「何でもないんです」とか言って、サトミ達の前に座る私達。

「恥ずかしいわね、場所を考えなさいよ」

「ショウが悪いんだって。タックルするから」

「真似だろ、あれは。普通、蹴るか?」

「真似よ、あれも」

「どっちもどっちだろ」

 あっさりと結論を出してくれるヒカル。

 そうなんだけどさ。

 でも、ついやっちゃうんだこれが。

 それに、そういう自分がまた好きだったりするから。

 燃えやすい体質なんだよね。

 血の気が多いという例えは、気にしないでおくとして……。 


「あ、あの」

「え?」 

 ジュースのストローから口を離すと、お下げ髪の大人しそうな女の子が立っていた。

 彼女の後ろには、友達らしき子が何人かいる。

 どこかの委員会に所属しているらしく、スケジュールがどうとか言う話をしていた子達だ。

「みなさんって、エアリアルガーディアンズですよね」

「ええ、そうですけど。でも今は生徒会ガーディアンズに頼んだ方がいいのかな。私達、ちょっと謹慎中みたいなものだから」

「い、いえ。そうじゃなくて。みなさんに聞きたい事があって」

 後ろにいた少しぽっちゃりした子が、こっちの様子を窺う感じで尋ねてくる。

「……今、このブロックから出ていくって話してませんでしたか?ちょっと聞こえてきた物ですから」

「んー。出ていくかどうかは分からないけど、ここにいてもやる事が無いのは確かね。ほら、さっきも言ったように生徒会ガーディアンズが今頑張ってるから」

「そうなんですか」

 気を落としたような顔をする女の子達。

 するとラウンジにいた他の子達も、遠慮気味ながらこっちへとやってきた。

「でも、本当にここからいなくなるなんて寂しいな。まあ、前期に色々あってちょっと恨んだりもしたけど、やっぱりみんながいると頼りになるから」

「そうか?確かにトラブルは減らしてるけど、余計な揉め事起こしてるぞ俺達」

 ショウの言葉に、みんなから笑い声が起きる。

「それに、生徒会ガーディアンズがいるでしょ。向こうは私達以上にトラブルを押さえてるわよ」

「それは助かってるわ、私達も。他のブロックに比べればトラブルは少ないし、生徒会ガーディアンズに頼めば大抵の事は解決するんだけど」

「何か、面白くないんだよな。確実に仕事はこなすし、後まで揉めるなんて事はないんだけどさ」

 「それ、分かる」とか「そうそう」という同意の声が幾つも上がっていく。


「……守ってくれるのは嬉しいし助かるの。ただ、みんなみたいなガーディアンがいてもいいと思って。たまにケンカしてて怖いなって思うけど、あなた達がここにいるとすごい安心できるのよ」

「だよな。何かあっても、あんた達がいるからどうにかなるって気になるんだよ」

「それに、次はどんな事するのかなっていう興味もあるし」

 どっと沸くラウンジ。

 そして私達もまた、笑っている。

「そうすると私達は、みんなに楽しんでもらうためにガーディアンやってるっていうの?」

「い、いや。そうじゃないけど、そう思える時がたまにあると」

「思うな、そんな事」

 苦笑するショウに、みんなから「だけどねー」という合唱が向けられる。

「はいはい。分かりました。それじゃあしばらくはここに残って、みんなに楽しんでいただきます」

 そう宣言すると、何故か拍手が上がった。

「そうじゃないと」

「期待してるわよ、色々と」

「それじゃ、パトロール頑張って」

 口々に激励ともからかいともつかない事を言って、みんなはラウンジをラウンジを離れていった。 


 軽く伸びをしたショウが、人気のなくなったラウンジを見渡す。

「やっぱり、こうなる訳か」

「ええ。やっぱり、やる事だけはちゃんとやらないと。みんなの期待に応えるためにも」

「前向きじゃない。もう落ち込まないの?」

「それはサトミでしょ」 

 ワーワー騒ぎながら脇をくすぐりあう私とサトミ。

 ショウとヒカルは、苦笑してそんな私達を見守っている。

 そう、この雰囲気。

 中等部の頃から今まで、ずっと私達が持っていた物。

 でもこの暖かさに、私は胸の痛みを感じていた。 

 いるべき人がいない事に。

 一歩距離を置き、薄く笑っている地味な子。

 この間、ケイは私と笑って話をしてくれた。

 あの笑顔がここに戻る事は、もう無いのだろうか。

 みんなの笑い声を耳にしながら、私は深い考えに落ちていた……。



 舞地さんに言われた事もあって、今日はヒカルも授業に出席。

 この人が初めて高等部の授業を受ける、記念すべき日でもある。

 みんなケイに似ているはが全然感じの違う彼に、奇異な視線を送っている。

「あ。僕珪の兄で、浦田光と言います」

 などと、いつも通りの挨拶をして少しは空気が和んだが。

 やがてHRも終わり、英語の授業が始まった。


「あれ?」

 端末を机のケーブルにつないだそのヒカルが、戸惑いの声を上げる。

「どうしたの」

 隣に座っているサトミが彼の端末を覗き込むと、彼女の顔も微かに曇った。

「在籍データ無し?おかしいわね、IDも出ないわ」

「壊れてるんじゃない」

「違うみたい。私の端末でヒカルのIDをチェックしても、データが表示されないの。籍は高等部にもあるんだから、そんなはずは無いのに」

「IDがどうかなってるじゃないのか。ちょっと貸してみろよ」

 授業そっちのけでヒカルの端末とIDを確かめる私達。

 座ってるのが後ろの方なので、それほどみんなの邪魔にはなっていないと思う。


 あれこれ試す事数分。

 結局IDは認識されず、在籍データもやはり確認されなかった。

「……何となく分かってきたわ」

 口元を押さえ、上目遣いで自分の端末に見入るサトミ。

 端正な顔が厳しく引き締まり、思わずこっちが見とれそうだ。

「分かったって、データの無い理由が?」 

「そうじゃない。もっと本質的な部分」

 首を振り、長い髪をなびかせる。

 羨ましいなと思っていたら、今度は端末をリュックへしまいだした。

「まだ授業中だぞ」

「帰るなら、僕一人だけでいいだろ」

「違うの。例の子の事が、やっと分かってきたのよ」

 それを聞くや、私達は一斉に荷物をしまい出した。

 さっきから少しずつ注目を集めつつあった私達に、更なる視線が向けられる。

 そんな事は気にせず、席を立ちリュックを背負う。

「おい、まだ授業中だぞっ」

 前の方から、ややきつい声が聞こえてきた。

 今受けている英語の教師で、あまり親しみたくないタイプのおじさんだ。

 いつもなら頭でも下げるところだが、今はちょっと事情が違う。

「……済みません」

 自分でもよく出たなと思うくらいの低い声。

 教室内は一瞬にして静まり返り、重い空気が流れ出す。

「き、緊急時以外の早退は、補習の対象外だぞ」

 かろうじて、それだけ言う先生。

 視線は完全に私達から逸れている。

「分かってます」 

 スティックを手に取ると、室内がどよめく。

 私はそれを背中のアタッチメントに戻し、みんなを安心させた。


「ユウ。みんなにちゃんと謝って」

 ドアへ行こうとする私を、真剣な顔でヒカルが呼び止める。

 何か言おうとしたが、すぐに思い直した。

 自分でも、さすがに理不尽過ぎると分かってはいたから。

 我を忘れる事は良くあるとは言え、さすがに度が過ぎた。

「……あ、あの。ごめんなさい。ちょっと、友達の事で頭が一杯になってて。その、授業中なのにうるさくしたり、途中で出ていこうとしたりして。それに、先生も済みませんでした」

 さっきとは違う小さな、でも心を込めて言葉にする。

 そしてもう一度謝り、深く頭を下げた。

「い、いや。分かってくれれば俺は」

 咳払いして、ボードを消していく先生。

 クラスメートも緊張を解き、口々に暖かい言葉を掛けてくれる。

「こ、これでいいでしょ。早く行こうよ」

「うん。みなさん、本当にご迷惑をお掛けしました」

 ヒカルは最後に深く頭を下げ、とっくにドアを出ていった私達を追ってきた。


「ごめんね、ユウ。元はといえば、僕のデータがおかしいせいなのに」

 今度は私に頭を下げようとするヒカル。

 私は彼の肩に触れ、それを止めさせた。

「いいの。私もあのままじゃまずいなって思ってたんだから。おかげですっきりしたくらい」

「昔なら、あの先生をぶっ飛ばしてたんじゃないか。ユウも丸くなったよな」

「性格が?それとも顔?」

 ふざけた事を言う女の子の髪を後ろから手に取り、10本位ずつで編んでいく。

「ちょっと、何してるの」

「嫌がらせ」 

 5束くらい編み上がったところで、取りあえず終了。 

 少しは気が晴れた。

 でも、これ全部やるとどれだけ時間が掛かるんだろ。

 一度、挑戦してみたいものだ。

「で、さっきの話はどうなったの」

「ここでは少しまずいわ。例によって、オフィスでね」

 軽くサトミが首を振ったら、編み上げはすぐに解けてしまった。

 そこがウェーブを掛けたみたいで、何だか却っていい感じになったくらい。

 神様って、不公平じゃないのかな。


 オフィスに着くや、リンゴジュース片手に端末を操るサトミ。

 この人節制してるの見た事無いけど、太らないんだ。

 私も、この体型から変化しないけどね。

 どうせなら、胸だけ太ればいいのに。

「……そこまで考え付かなかったのよ。ちょっとその」

 端末の情報が、ケーブルをつないだテレビに映る。

 それは単なる数字の羅列で、何の事か全く理解が出来ない。

「ケイが初めて生徒会ガーディアンズを名乗った時、あの子の端末に映し出されていた数字よ」

「よく覚えてたね、あんなの」

「私だって覚えてないわ。ただ、見覚えはあったの」

 切り替わる画面。

 そこにはこう書かれている。

 「浦田光・IDナンバー」と。


 サトミは隣に座っているヒカルの方を向き、テレビを指さした。

「間違いないわね」

「ああ。上から大学院在籍資格、大学卒業資格、奨学金受け取り資格だと思う」

 高い壁の上が崩れ、わずかに何かが見えてきた気分。

「それにケイは生徒会がどうとは言っていたけど、自警局とは殆ど言わなかったわ。生徒会ガーディアンズなら、その管轄は自警局なのに。それと、池上さんがユウに言った言葉」

「生徒会長から、ケイを手伝うように言われたってあれ?」

「ええ。矢田自警局長の頭越しに行われようとしていた動き。彼が口ごもった理由はよく分からないけど、生徒会長がポイントなのははっきりしたわ」

 確かに池上さんの忠告から、生徒会長への疑惑は持っていた。

 そしていくつかの事実を組み合わせていくと、それは確信へと変わっていく。

 壁は崩れ、パーツがはまっていく。


「光が今日授業に出たのは?」

「舞地さんにからかわれたから」

「それで分かったのは、この人の在籍データが消されている事。ヒントは、向こうから幾つも与えらえていたのよ」

 深いため息を付き、サトミの顔がやや下を向く。

「私達は、こんな事をされても別に困らない。本人以外は」

「そうすると」

「ええ、困るのは光よ。在籍データは、最悪大学院の資格失効にも関わってくるわ」 

 顔を伏せたサトミの話は続く。

 苦しげに、語る事すら辛そうに。

「でも光は大学院に在籍していて、何も困っていない」

「おい、もしかして」

「誰かを服従させたいなら、直接脅すより身内を危険に晒した方が有効な場合もあるわ。例えばお兄さんが狙われていると知ったら、その時弟はどうするかしら」


 言葉がない。

 自分が情けない。 

 分かっていたつもりでも、どこかで彼を怒っていた。

 自分勝手な事をしていると思っていた。

 何か一言言って欲しかったなんて……。

 でも、そんな事は出来なかったんだ。

 色んな、色んな苦しみも悩みも一人で抱えていたんだろう。

 そして今も、一人で耐えているんだろう。

 いや、沙紀ちゃんがいるか。

 せめてもの救いは、それだけだ。

「……どうすればいいの」

「在籍データを回復しないとまずいわ。管理しているのは、確か生徒会だから」

「生徒会長ね」

 私はスティックを取り、素早く席を立った。

「あの野郎、格好付け過ぎだ」

 指を鳴らしながら、ショウが隣を一緒に歩く。

「アポ無しは、また揉める原因よ」

 警棒を腰に差し、サトミも後ろを付いてくる。

「僕は、ここで待ってる……」

 手をテーブルの上で組んだヒカルが、小声で呟く。 

 その背中を見ているだけで、彼の気持ちはすぐに分かる。

「いいよ。何かあったら連絡するから」

「ああ」

 無理をした明るい声。

 私達は小さく頷きあい、オフィスを後にした。



「アポイントメントは」

「取ってません」

「では、少しお待ち下さい」

 IDのデータを転送しながら連絡を取る正面ドアのガーディアン。

 連絡はすぐに終わり、IDも一緒に返される。

「30分ほど後なら、時間が空くそうです」

「分かりました」

 私達は彼等に一礼をして、素早く特別教棟へと足を踏み入れた。


 生徒会長の執務室は知らないけど、おそらく副会長執務室の近くだろう。

 案内してくれるとも言ったが、今はそんな気にはなれない。

 すれ違う人達がこちらを時折見てくるが、私達の剣呑な雰囲気にすぐ目を逸らす。

 その辺りにある物を手当たり次第に叩き壊したくなる衝動を堪え、とにかく先を急ぐ。


「何だよ、これは」

 行く手を遮るドア。

 この向こうには、各局長や生徒会幹部の執務室がある。

 つまり、生徒会長の執務室も。

 いつもは警備の人がいて、彼等が操作してそれを開けてくれる。

 または沢さんのように、学内である程度の役職に就いている人のIDとか。

「私達のIDでは無理よ。誰か呼びましょうか」

「いい。任せろ」

 スリットへ右手を持っていくショウ。

 左手は何かを探るように、ドアの表面をなぞっていく。

「ここがセンサーだな」

 やや下の方で左手を止め、息を整える。

「下がってろ」

「了解」

 私はサトミを後ろにかばい、数歩後ずさった。

 深くそして長くなっていくショウの呼吸。

 壁に当てられた彼の手が、淡い光を放つ。

 簡単に言えば、「気」である。

 別段オカルト的な物ではなく、コツさえ飲み込めば誰でも感じる事くらいなら出来る。

 合気道をやっているサトミも、その一人だ。

 ただそれが見えるか見えないかは、素質と鍛錬の度合いで決まる。

 発するともなれば、素質の有無とその後の努力による。


「発剄?」

「実戦で出すには、時間が掛かり過ぎるけどね」

「あなた、一度大学病院で研究を受けたら」

 感心した顔で首を振るサトミ。

 以前ショウがSDC本部の頑丈なドアを壊したのも、それの応用だ。

 当たり前だけど、素手だけであれ程の物が壊れる訳がない。

 淡い光が強さを増し始め、燐光を辺りに散らしていく。

「そろそろかな……」

 ショウの気が高まっていくのを感じていると、背後に何か気配が。

 警備のガーディアンかなと思い振り向くと。

「今度は弁償してもらいますよ」



 笑顔でカードキーを振っている大山副会長がそこにいた。

 そして、引きつった顔をする私達もいた。

 何にしろ、壊す前に声を掛けてくれて助かった。  











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