エピソード(外伝) 22-2 ~ケイ視点~
陰
エピソード 22-2
頼りない足取り。
崩れ気味のバランス。
多分このままだと倒れるか、それとも着くのは夜中になる。
「ほら」
腕を出し、そこを掴ませて肩を貸す。
左側に感じる重み。
人によっては心地よい。
もしくは、頼られている実感とでも言うんだろう。
「悪いわね」
苦笑気味に呟く丹下。
そういう割には、それ程申し訳なそうな様子はない。
足取りはさっきよりもむしろ軽く、俺の方がふらつきそうなくらい。
こっちに体重を掛けているので、当然といえば当然なのだが。
さすがに目立つ場所を通るのは気が引けたので、通路ではなく木々の間を行く。
枯れ葉の感触。
冷たい風。
それを緩める、わずかな木漏れ日。
「もう、秋ね」
しみじみと呟く丹下。
この前夏だったから、秋にもなるだろ。
なんて言う場面ではないので、足を止めて大きな木に彼女をもたれさせる。
「もう休憩?駄目ね」
「じゃあ、代わってくれ」
元々体力のない所に来て、右足の痛み。
耐えられない程ではないにしろ、積極的に味わいたい感覚でもない。
「あ、猫」
丹下は少しだけ腰を屈め、少し離れた所で丸まっていた猫に手を振った。
しかし反応はわずかにもなく、警戒のためか耳がこちらを向いた程度。
興味はないが、話は聞くという態度にも見える。
「監視してるんじゃないのか」
「真理依さんが?」
面白いわねと言いたげな顔。
俺もそう思いたい。
「デートか」
「わっ」
「きゃっ」
二人して声を上げ、上を見上げる。
太い木の幹から伸びる、やはり太い柄。
そこに腰掛け、俺達を見下ろす舞地さん。
誰って、本人が監視してたな。
彼女はしなやかな動きでそこから飛び降り、猫のように柔らかく着地した。
それを見て、どこからとも無く集まってくる猫達。
さっきの猫も、当然のように。
「あんた、何してるんです」
「木に登ってた」
その登ってた理由を聞いたんだが、改めて聞くのも馬鹿馬鹿しい。
しかし仮にも女子高生が、木に登るかね。
「今度は、マタタビも買ってきて」
「あ?」
「返事は」
「分かりました」
その内、毒まんじゅうでも買ってきてやる。
「これって、真理依さんの猫なんですか」
「まさか。猫に情を求めても仕方ない。この子達は、餌目当てに来てるだけ」
割り切った、現実的な考え方。
ただ彼女の表情は、いつになく軟らかい。
それは日だまりに集まる猫のせいか、丹下に会ったからか。
それも、俺には関係ないか。
「絵描きはどこ行ったんです」
「さっきまで、その辺にいた。行き倒れてるかもしれない」
「誰が」
スケッチブックを彼女の頭へ振り下ろす池上さん。
舞地さんはそれを避けようともせず、無表情のまま受け止めた。
勿論勢いは知れていて、軽く触れたというくらい。
俺なら、その角で突いてやるところだが。
「デート?」
「まさか。病院の帰りです。彼女、足が痛いとかいって」
一瞬慌てた表情をする丹下。
ただこういうのは、何もかも隠そうとすると余計にぼろが出る。
ある程度は真実を織り交ぜれば、話も作りやすいし自分も間違わない。
偽名を、自分の名前と近いものにするのと同じ事だ。
「大丈夫なの?」
「え、ええ。少し安静にしていれば」
「ふーん。で、肩なんか組んでる訳」
どうやら、途中から見られてたようだな。
こっちは周囲に気を配る余裕はないし、ショウ達のようなセンサーも付いてない。
それは、今の丹下も同様だろう。
「で、こんな人気のない所へ連れ込んでどうするの」
どうもこうもないだろ。
大体こんな寒い所で、何しろって言うんだ。
「ねえ、沙紀ちゃん」
「はい?」
うわずった声。
赤い顔。
発熱と薬のせい。
だと思う。
そんな彼女の耳元に顔を近付け、何やらささやく池上さん。
多分悪い魔女って言うのは、こういう風なんだろうな。
一方のささやかれた丹下は目を大きくさせ、やはり何か呟きながら俯いた。
「何してるんですか」
「こっちの話。行くわよ、真理依」
「仰せのままに」
仲良く手を繋いで、森の奥に消えていく二人。
自分達こそ、何がしたいんだ。
それでもどうにか、女子寮へとやってくる。
幸い人目には殆ど付かず、何より知り合いと出会わなかった。
舞地さん達も下らない事を言って回るタイプではないし、気にする必要はない。
取りあえず彼女をベッドに座らせ、薬と端末をその脇に置く。
「ご飯は」
「大丈夫。それに少しは動かないと」
「なるほどね」
痛む足をさすり、その事を実感する。
怪我だどうだと言ってベッドの上に転がっていたら、体がなまる。
もしくは、豚に生まれ変わるかだ。
「どうかした?」
俺の手を見つめる丹下。
正確に言うと、腿をさすっていた手を。
「転んで打った」
無難で、当たり障りのない答え。
それで納得したかどうかはともかく、疑問を抱くような答えでもない。
「……なんだこれ」
ベッドサイドにくくりつけられた、小さな白い人形。
ウサギの形をしている気もする。
「忘れたの?」
不安げな。
寂しげとでもいうような視線。
「サキだろ」
丹下沙紀ではなく。
ウサギのサキ。
舞地さんと池上さんが、以前丹下にあげたぬいぐるみ。
その経緯は、あまり深く考えないでおく。
「ウサは?」
「さあ。その辺で、ニンジンでも食べてるんじゃないの」
ウサはその相棒で、やはり舞地さん達が作ったもの。
以前は、俺のベッドサイドにもあった気がする。
「大体いい年して、ぬいぐるみでもないだろ」
「あなた、いい年してマンガ読んでるじゃない」
それもそうか。
取りあえずサキの耳を引っ張り、ストレスを発散させる。
しかし丹下はそれが気にくわなかったらしく、サキをひったくって怖い目で睨んできた。
「マッサージだよ」
「だったら、私もやってあげましょうか」
冗談とは思えない口調。
何が大切かは人それぞれで、俺がとやかくいう問題でもない。
それに俺としては可愛がったつもりだったとは、ちょっと言いにくい。
「怖いお兄ちゃんね」
誰の事を言ってるんだ。
少なくとも俺に、ウサギの妹は存在しない。
「じゃあ、せいぜい妹と遊んでてくれ」
「どこか行くの?」
上目遣いの視線。
包帯の巻かれた足。
まだ青い顔。
切なげな表情。
そんな訳無いさ、ずっと君の側にいるよ。
などと言う柄でも無いので、リュックを背負いドアを玄関を差す。
「秋祭りの会合が色々あるんだ。一足早い祭りが」
「大変ね」
俺は大変じゃないとも言わず、適当に頷きドアの外を端末の画面でチェックする。
「何かあったら、すぐに病院へ」
「分かってるから、早く行ってきなさい」
追い立てるように手を振る丹下。
それにもめげず、玄関で立ち止まり彼女を振り返る。
「薬飲めよ。ご飯も」
「分かってる。ほら、早く」
「ああ」
「行ってらっしゃい」
会議室ですぐに伏せ、さっきの事を思い出す。
ちょっと、あれな会話だったな。
何かは、ともかくとして。
また揺すられる肩。
顔を上げると、やはりショウが立っていた。
「ご飯」
こいつは、いつから俺の恋人になった。
それでも礼を告げ、紙袋を頂戴する。
「お前、仕事してるのか」
棒立ちのまま尋ねるショウ。
自分こそ、ここに立ってていいのか。
「いいんだよ。あの子が、仕切りたがってるから」
さすがに部屋の隅へ移動し、二人にしか聞こえないくらいの声で会話する。
室内にいる人間は自分達の会話をしつつ、耳だけはこちらへ集中している雰囲気。
それは無論俺にではなく、ショウへの関心だが。
確かに付き合いの長い俺でもくらっとする時があるくらいなので、女の子にとっては倒れそうな気分を味わっている事だろう。
そう思うと、ユウはよく平気でこいつと付き合ってられる。
いや逆に、平気だからこそ遊付き合ってられる訳か。
過剰に反応もせず、変に無視をしようともせず。
普通の男として、こいつを見てくれている。
「だったら、手伝ってやったらどうだ」
生真面目な。
外見とは違う台詞。
これだけの顔と能力があるんだから、それこそ冗談ではなくこの学校を牛耳る事も難しくはない。
ただそういう真似をする人間ではないし、考えすら及ばないタイプ。
どちらかというと、自分に自信の無い奴だからな。
この顔で。
だからこそ、こっちが余計に惨めなんだが。
「楽しそうね」
また、嫌な声が聞こえてきた。
長い黒髪に、切れ長の瞳。
凛とした姿勢に、俺を見下ろす端正な顔。
人によっては、このまま死んでもいいと思うような状況。
「何だよ」
無愛想に答え、周囲の人間から睨まれる。
責任者より、お姉様って訳か。
「少しは、仕事したら」
「外部委託してる。自分こそ」
「私はただの、女子高生だもの。やる事なんて、食べて寝るだけよ」
大学院からも誘いが来るような人間の台詞じゃ無いな。
この子こそ、末は博士か大臣かだろうに。
あの部屋にいると疲れてくるので、一応俺に与えられている別室に移動する。
「それにしても、相変わらず浮いてるわね」
「悪かったな」
紙袋に入っていた豚の唐揚げをかじり、その断面を眺める。
まずくはないが、美味しくもないので。
「どうしたの?」
「ユウが作った割には、味がいまいちだと思って」
「それは、俺が作った」
棒立ちのまま、もそもそと答えるショウ。
冗談、でもないらしい。
「あのな」
「なんだよ」
「いや。ありがとう」
取りあえず礼を言い、にこやかに微笑んでみせる。
ショウもはにかみ気味に微笑み、ペットボトルに口を付けた。
やってろ、一生。
「よかったわね」
「何一つ良くない。ほら」
「見た目は悪く無いじゃない」
ゆで卵をかじり、すぐにお茶へ手を伸ばすサトミ。
こういう場合ユウは手が込んでいて、注射針みたいな物で中にスープやソースを入れていたりする。
多分これも、それを真似ているんだろう。
中に何が入ってるとか、どのくらい入ってるかは知りたくもない。
ショウの頭をはたいたサトミの腕の振りで、多少の推測は付くが。
「その、外部委託された子はどうなの?」
「興味ないね」
これだけはまずく作りようのないおにぎりをかじり、妙に辛いサラダを頬ばる。
しかしどうして俺は、男の手料理を食べてるんだ。
というか、どうしてこいつは作ってきたんだ。
そっちの方に、興味があるな。
「アドバイスしてあげたら」
「自分でやる気を出してるんだ。俺があれこれ言っても仕方ないだろ」
「冷たいな」
俺の事を言ってると思ったら、ふかしたジャガイモをかじってやがった。
それも、一つ丸ごと。
こいつ、本当に大丈夫か。
「あなた、病院は通ってるの?」
さすがに不安に思ったか、真顔で尋ねるサトミ。
ショウは皮の付いたままのジャガイモを食べ終え、素直に頷いた。
この辺りはユウの管轄で、彼女も何を差し置いてもチェックはしているだろう。
だから問題はないはずだが、こういう光景を見ていると何もかもが疑わしくなってくる。
「どうかしたのか」
逆に質問された。
もう、放っておこう。
元々抜けた所のある男だし、大丈夫だと思いたい。
「何でもない。それより、どうして毎日ご飯を運んでくる」
「別に、理由はない」
そうきたか。
というか、そういうのが一番困る。
理由もないのに、誰かの世話を焼く。
男女の場合なら、確実にステディな関係。
それが男同士と来た日には。
しかも相手が、こいつと来ては。
場合が場合なら、勘違いしてもおかしくはない。
「付き合ったら」
「うるさいよ」
邪険に答え、上手くもないサラダを平らげる。
理由はともかく、俺のために作ってきたのは間違いないんだし。
「それで、どうする訳」
「本人がやるんだろ。生徒会に入ってるくらいだから、逆に言えばこのくらい出来ないと困る」
「少しは、優しくしてやれ」
お前みたいにか。
とは言える訳もなく、適当に答えて時計を見る。
少なくとも生徒が学校にいる時間はとうに過ぎ、会合のスケジュールとしても同様。
やる気というかやる事があれば残っている子もいるだろうが、今の進捗状況を考えるとそういう人間は皆無となる。
「お前こそ、早く帰ってユウとじゃれてろ」
「猫か」
冗談なのか、本気なのか。
ただ、いちゃつく二人という絵も想像はしにくいが。
「その、ユウは」
「学校にはいると思うわよ」
どうしてとは尋ねず、ぼーっと壁を見つめているショウを視界に収める。
確かにこいつが学校にいる限りは、ユウも寮には帰らない。
普段ならともかく、今は特に。
「丹下ちゃんは」
不意に聞いてくるな。
迂闊に答えるとまずいので、取りあえずすっとぼける。
「さあ。もう、帰ったんじゃないのか」
「最近、学校で会わないわね。寮では見かけたけど」
丹下が退院して寮に戻ったのは、今日。
多分、外には出ていないはず。
つまり外にいたのは、俺と一緒に帰った時くらい。
「血管か」
「あ?」
「欠陥品があると困るわねって話」
薄い、背筋を凍らすような微笑み。
この女、どこで何を見てたんだ。
「あ、あのな」
「何よ」
「い、いや。その、セーター一枚」
「ジャケットもお願い」
何か、倒れそうになってきたな。
保険でどうにかなるか、一度計算してみよう。
「俺、グローブが欲しい」
「自分で買え」
「なんでだ」
聞いてきた。
素直に聞いてきた。
脅迫されたからだ。
とは言わず、適当に答えてリュックを背負う。
「さてと、帰ろうかな」
「あなた。今日一日何したの」
「昼寝して、ご飯食べた」
「最悪ね」
今さら言われても仕方ない。
というかこの子から見れば、誰だって最悪だ。
「おい、帰るぞ」
「え、ああ」
のそのそとランチボックスをしまい出す大男。
まさか、明日も持ってこないだろうな。
「もう、作ってこなくていいぞ」
「どうして」
だから、いちいち聞くなよ。
それも、素直な表情で。
「俺は俺で生きていく。お前はお前で生きていけ」
「分かった」
何が分かったんだ。
本当に、大丈夫か?
「お待たせ」
「誰も待ってないわよ」
「サトミには言ってない」
鼻を鳴らし、ショウの前へ駆け寄っていくユウ。
でもって彼の荷物を片付けて、手際よくリュックを背負わせた。
保護者も帰ってきたし、これで一安心といった所か。
「ご飯、どうだった?」
楽しげな。
悪戯を仕掛けた後の子供みたいな表情。
「美味しく頂きましたよ。男の手料理を」
「はは。でも、全部食べたじゃない」
嬉しそうな笑顔。
それこそ、自分の事よりも幸せそうな。
「だったら、明日から代わりに食べてくれ」
「絶対嫌」
ショウの腕を引き、勢いよく部屋を飛び出ていくユウ。
どう考えても、逃げたって感じだな。
廊下を歩いていると、例の女の子とすれ違った。
やつれ気味の表情、頼りない足取り。
俺に気付き、ぎこちなく会釈をしてくる。
意識してというよりも、機械的な反応で。
「あの子、誰」
「俺の代理」
「ああ、そういえば。どうして、ああなの」
またこれか。
「本人が言い出したんだし、自分で解決するだろ」
「どうしてそういう事言うの。ちょっと待ったっ」
叫ぶなよ。
それも、人の耳元で。
やはりユウは駆け出して、女の子の前で手足をばたつかせた。
何を言っているのかは想像が付くし、この結果も見えている。
「手伝ってあげて」
有無を言わさない口調。
こうなっては何を言っても無駄なので、ため息を付いて軽く手を上げる。
「浦田君の言う事を良く聞いてね」
「は、はい」
「明日から頑張って」
のんきに手を振り、彼女を見送るユウ。
気のいい先輩という風情で。
苦労するのは誰かという話だが。
「大変ね」
鼻で笑うサトミ。
彼女は大笑いをするタイプではないが、今がそれに近い状態だと思う。
「そう思うなら、代わってくれ」
「考えておくわ」
台詞は肯定的なもの。
ただしこれは、官僚の答弁と変わりない。
検討はするが実行はしないという。
「ご飯はどうする」
「いらないって言っただろ」
「そうだったか?」
小首を傾げる男。
それとも、まだ食べるっていう意味じゃないだろうな。
寮に戻り、たまっている宿題を片付ける。
次いで秋祭りの内容をチェックして、やはりたまっている書類をチェックする。
時間は遅いが、寝るには早い。
こっちは連合の分で、これは運営企画局。
俺の役割とは関係ない仕事だが、手元にあるからには放っておく訳にもいかない。
取りあえずある程度を片付け、ゲームパットに手を伸ばす。
これはやりたいとかどうとかより、習慣の一つ。
ゲームをやる事自体に、何かの意味を考える必要はない。
「っと」
あっさりと黒こげになり煙を吹き出す、俺の白猫。
ボタンを連打するだけの簡単な綱引きなんだが、勝てるのは10回に一回あればいい方。
とはいえ息抜きには丁度良く、負けても大して気にならない。
言ってみれば、たかがゲーム。
勝とうと負けようと、仮想の話でしかない。
「負けた負けた」
5連敗した所で、さすがに止める。
向こうはポイントを稼ぐいいかもと思ってるだろうが、猫が川に流されるのは忍びない。
「さてと」
ゲームを切り替え、「草薙高校陥落ゲーム」の続きをやる。
これは今年度版ではなく、オリジナル版。
俺のキャラは、地味で目立たない外見の男。
格好いくて長身の男でもいいんだが、それだと感情移入がしにくいので。
ポジションもガーディアンの、単なる一員。
役職も何もない。
だからこそ自由度があり、屋上でのんびり寝ていても誰も文句を言ってこない。
画面の端に現れる、警告の表示。
近くに敵対する勢力がいるか、トラブルが発生しているらしい。
まずはキャラを起き上がらせ、壁際に移動させる。
今いるのは、G棟の屋上。
その出入り口にいたカップルが、柄の悪い連中に絡まれている。
無論、これはゲームの話。
またカップルは人間が操っているキャラだが、馬鹿連中はコンピューターのキャラ。
何かのイベントかも知れないし、のこのこ出ていくのも野暮な話だろう。
一応こっちに累が及ばないようチェックしつつ、手すりに掴まり熱田神宮を眺める。
「ん」
突然の激しいアラーム音。
頭上に見える地面。
というか、突き落とされた。
勿論、ゲームのキャラが。
何やら今まで聞いた事のない音がスピーカーから流れ、画面が赤く染まっている。
かろうじて死んではいないが、幾らゲームの事とはいえおおよそ普通の状況ではない。
すかさず屋上をチェックし、よろめきながら医療部へ向かう。
ベッドに寝たきりのキャラを見ながら、状況を考える。
単なるイベント。
頭の悪い、馬鹿の仕業。
あれが俺のキャラと知っていて、あえて狙った。
俺を狙う理由、か。
あり過ぎて、見当も付かないな。
「死ね?」
画面の隅に表示される、匿名の呟き。
自分から答えを教えてくれれば世話はない。
画面を切り替え、別なキャラを起動させる。
場所は、特別教棟の地下。
このゲームをやってる者でも、知っているのはごく一部。
立ち入れるのは、さらに限定される。
「どうした」
笑い気味に応じる、大きなデスクに座る男。
後ろには草薙高校の旗があり、その顔は闇の彼方に溶けている。
この態度から言って、俺のキャラがどうなったか知っているのだろう。
「狙われたのは、君個人。ゲーム上の恨みではなく、現実面と考えるのが妥当だな」
「私も、同意見です」
窓際にいた、長身の男が同意する。
会話は文字ではなく、実際の音声。
声の変換は可能だが、今聞こえているのは本人のそれだ。
「現実に君を襲うのは、リスクが大き過ぎる。その点ゲーム内なら、足も付かないし自分には何の被害も及ばない」
「無論、本人がそう思っているだけでしょうが」
薄く笑う、窓際の男。
なる程。
ゲームと現実の区別も付かない馬鹿という訳か。
「分かってるだろうが、その本人を襲うのは禁止だ。ルールに反する」
「こいつはすでに、ルールを犯してますよ」
「君はこの会の、構成員でもある。迂闊な真似は、処罰の対象となる」
「いっそ、除名して下さい」
この会に入るメリットは大きいものの、入っているのはかりそめのキャラ。
大体、たかがゲーム上でのメリットでしかない。
この会に入るため現実世界で大金を積む馬鹿もいるらしいが、俺にとっては大した意味はない。
「仮に丹下さん絡みだとしても、最優先で手は打ってるだろ」
鋭いな、どうにも。
というか俺は、一体何人から監視を受けてるんだ。
「それについては、問題ないんですか」
「君と丹下さんの問題だからな。この会とは無関係だ」
「私も同意します」
何だかな。
それなら口実を作れば、ルールも何もないんじゃないのか。
「とにかく、ゲームと現実を混同しないように」
未だに賑わうラウンジ。
自分の部屋で過ごせばいいと思うんだが、こうしてみんなで騒ぎたい年齢なんだろう。
俺は一人でのんきに過ごしたい性格なので、お茶だけ買って来た道を戻る。
「調子はどうだ」
笑い気味に聞いてくる生徒会長。
いや。元生徒会長か。
「さあ。二、三日は無理っぽいですね」
「いい休養だ。その間に、秋祭りの準備に専念すればいい」
よく言うよ、裏組織の会員が。
「そっちはどうなってる」
「可もなく不可もなく。明日から、新人のレクチャーですよ」
「いつからそんなに人が良くなった」
「色々と事情がありましてね。じゃ、また」
素っ気なく彼から離れ、周囲の視線を浴びる。
辞めさせられたとはいえ、以前は生徒会長。
尊敬を得る立場であり、またそれだけの能力を持っている人間。
この雰囲気を見る限り、今でもある程度の影響力はあるようだ。
だからなんだという話で、俺には何一つ関係ない。
翌日。
授業後に、例の会議室へとやってくる。
まだ誰も人はいなく、ぽつんと俺が一人座っているだけ。
別に時間を間違えた訳ではなく、また仲間外れになった訳でもない。
逆に、それはそれで非常に助かる。
「お、お待たせしました」
昨日までとは少し違う、丁寧な挨拶。
手にはノートとペン。
卓上端末まで取り出している。
「メモする程の事じゃないし、覚えるとかそういう類の事でもない」
「でも」
「何て言うのかな。こうしなければ駄目とか、こうでないといけないっていう発想をしなくていい。人の上に立つのなら、特に」
目の前にある、机の列。
昨日までは、大勢の生徒が座っていた。
今は誰もいないそれを指さし、指を回す。
「まずは、頭ごなしにあれこれ言うのは止めた方がいい。圧倒的な能力差があるならともかく、普通は反感を買うだけだから」
文句を言いたそうな顔。
構わず視線を外し、今度は机を指で叩く。
「連中は頭がいいから、何もかも教える必要もない。向こうから聞いてきた時だけに答えれば、事は済む」
「でも」
「問題があると思ったら、責任者に一言言う。ただし、それは建前。実際には、そのグループ内で影響力の強い人間にサジェスションする。意見の流れとしては、その方が伝わりやすい」
メモを取り出す彼女。
覚えられない内容ではないと思うが、性格もあるんだろう。
無理に止めると余計混乱しそうなので、やりたいようにさせておくか。
「それと一人一人をチェックする必要はない。今言ったように、グループには中心となる人間がいる。まずはその子をチェックして、意見を伝える。ただしやり過ぎると責任者がひがむから、そっちにもフォローする」
「は、はい」
「その辺がある程度出来てきて、初めて個人個人にチェックを入れる。出来ない子には出来る子を引き合わせる。それは所属や部署に関係なく。当然事前に、各所属の了解は取る。その個人がやるのは仕事だけで、そういう交渉は先に済ませる」
気付いたら、彼女のノートが5ページ目になっていた。
それ程多くの事を話した記憶はないが、本人が満足するならそれでいい。
「大体分かった?」
「え、ええ。なんとか」
「それと分かってるだろうけど、実行する時には読まないように」
机に広がっているノートを指差し、すぐにしまわせる。
当たり前だがこんなのを読みながら何か言われても、何一つ信用出来ない。
それと前後して部屋に入ってくる集団。
時間からして、所属の各局からこちらへ移動して来た所だろう。
取りあえず窓際に移動して、後の全てを彼女に託す。
そこまで大袈裟な話でもないが、ここから先は彼女の問題なので。
「で、では。スケジュールの流れについて、確認したいと思います。一度各部署ごとに、何か問題点があるか話しあって下さい」
昨日までとは違う、無難な切り出し。
これには文句の付けようもなく、またこのままでもまずいと思ったのか話し合いが始まった。
すぐに幾つか上がる意見。
自然と、それに対する対策も議論される。
盛り上がる話し合い。
一体感という程でもないが、まとまりめいたものが感じられる。
あくまでも一時のものだとしても、雰囲気としては悪くない。
「では、一旦休憩します」
あちこちから聞こえる、小さな不平。
逆に言えば、盛り上がっているからこその。
「ちょっと」
小声で彼女を呼び寄せ、室内の後ろに座っている女の子を目線で示す。
ファッション雑誌を手渡して。
「あの子と、お茶飲んできて」
「え?」
「それと、コーヒー頼む」
訝しげな彼女を促し、端末で女の子のファイルをチェックする。
学外活動局、通称外局の人間。
今日は一緒に来るはずの仲間が、所用で欠席。
知り合いもいないこの中では話す相手もなく、発言する程積極的でもない。
備考欄の趣味には、古着集めとコーヒーのブレンドとある。
一人でいるという点に置いては、俺の方が孤独だが。
飲みたくもないコーヒーを飲み、話し合いに耳を傾ける。
彼女の一方的な押しつけが無くなったせいか、滞りなく無難に進んでいる様子。
無論今は問題点の洗い出しと、その検討。
企画に発注、全体の配置や予行演習などやる事は数限りなくある。
ただこの調子なら、何とか行くだろう。
元々出来のいい人間が集まってるんだし、大まかな部分は出来上がっている状態。
後はそれを煮詰め、実行するだけなので。
何か問題が起きなければ。
もしくは、問題を起こす人間がいなければ。
人数が多ければ、それは必然とも言えるが。
案の定というべきか。
何にでも異議を唱える男が一人。
発言の内容は、はっきり言えば些末な事ばかり。
そう言われればそうかもしれない、くらいの。
聞くべき点は何もないし、議論が途切れ時間が停滞するだけ。
ただしその大柄な体型と恫喝気味な口調に、表だって文句を言う者はいない。
ここにいるのはインテリタイプばかりなので、それは仕方ないのだが。
とはいえ、この馬鹿を放っておいては全体にも影響が出かねない。
まずは、身元から洗っていくか。
所属は自警局。
一応小グループではあるが、役職に就いている。
俺がいなければ、警備関係の責任者になる立場。
なる程。
要はあの女の子をちくちくやって、間接的に俺を責めようとしてる訳か。
丹下絡みかとも思ったが、自警局以外の接点はないし大丈夫だろう。
もしあるにしても、ここで断ち切ればいいだけだし。
取りあえず、もう一つ調べてから手を打とう。
「悪い。ちょっと来てくれ」
男を名指しして、廊下に呼び出す。
向こうもある程度予期していたのか、にやけながら付いてきた。
俺よりも、頭一つ高い身長。
履歴では、空手に剣道の経験者とある。
「何か」
「あの子も一所懸命やってるだし、あまりいじめないでくれるかな」
穏便に、丁寧に諭す。
これで分かれば良し。
全てが丸く収まり、俺も余計な事をせずに済む。
「あんな女に任すから、駄目なんじゃないんですか」
侮蔑気味の視線。
彼女ではなく、俺に対する。
「やる気はあるし、それ程問題はないと思うけど」
「話はまとまらないし、進まないし。どうしようもありませんよ」
「だったら、どうすればいい」
「他の人間に任せたらどうです」
舌を出した蛇のような顔。
獲物は彼女か、それとも俺か。
「そういう訳にもいかない。時間もないし、責任者をころころ変えてたら余計に混乱する」
「いいから。大人しく俺に任せろって言ってるんだ」
すごむ男。
肩を掴む大きな手。
痛いな、この馬鹿が。
「何様か知らないけどな。俺に命令するなんて、10年早いんだ」
「だからって、君が適任かどうかも分からないだろ」
「おい。俺が大人しくしてる内に、言う事を聞いた方がいいぞ」
とことん笑える奴だな。
それはともかく、最後に一つ確認するか。
「草薙高校陥落ゲームって知ってる?」
「当たり前だろ。お前も、突き落としてやろうか」
頭の上から聞こえる馬鹿笑い。
名義の確認は済んでいたが、万が一別人が操っている可能性も考えてはいた。
しかし、所詮はこの程度の馬鹿という訳か。
「お前が落ちろよ」
頭を振って顎に当て、よろめいた所でタックルを喰らわす。
すぐに足を払い、体重を掛けつつ壁目がけて押し潰す。
普通にやってれば、当然俺が負けるに決まってる。
しかし不意を突き、やり方さえ考えれば相手が誰だろうと関係ない。
無論例外も、多々あるが。
「こ、この」
「黙ってろ」
喉にかかとを押し当て、軽く力を込める。
潰しているのは、頸動脈ではなく気道。
非力な俺でも、たやすく人を殺せる部位。
「文句があるのは、俺個人にか。そうなら、頷け」
涙目で頷く男。
とはいっても微かに顎が引かれただけだが。
「だったらいい。ただ、俺以外の人間に何かしてみろ。屋上から叩き落とすからな。勿論ゲームじゃなくて、お前自身を」
喉から足を離し、鼻先を軽く蹴る。
鼻血も出たし、少しは大人しくなるだろう。
「消えろ。それと、明日から来るな」
「馬鹿が」
突然起き上がる男。
鼻血を出して、喉を赤くして。
今こいつを突き動かしているのは、俺への怒り。
怪我も今後の事も、何一つ忘れての。
それがどういう結果を及ぼすのかは、俺が身を持って知るしかない。
無論それを知る気もないので、距離を置いて背を向ける。
何がいいって、逃げるが勝ちだ。
「待てっ」
「待つか」
恥も外聞もなく、ただひらすらに逃げる。
勿論会議室は避けるようにして。
男はその事も頭にないのか、血相を変えて追いかけてきた。
元気がいいというか、馬鹿というか。
「何してるんですか」
のそっと目の前に現れる大男。
俺はすぐその背中に隠れ、追ってくる男を指差した。
「鼻血出してますよ」
「蹴ったから。後は任せる」
「はいはい」
無造作に前へ出る御剣君。
奇声を上げて飛びかかってくる男。
その顎を跳ね上げる長い左足。
男はあっけなく倒れ、そのまま動かなくなった。
良くは分からないがこれでも怪我の程度は低く、俺が殴ったより軽いくらい。
強い人間は、そういうコツを身に付けているらしい。
「無茶苦茶だな」
「あ?」
「本当の事だろ」
壁際から離れ、こちらへ歩いてくる小谷君。
剣呑な形相で睨み付ける御剣君。
二人とも、俺が呼んだ人間である。
「いいから、落ち着いて」
「はあ。これ、例の物です」
渡される紙袋。
中身は、IDと端末のセット。
それが幾つも入っている。
「山賊ですか」
皮肉っぽく笑う小谷君。
俺も適当に笑い、端末のキーを操作した。
「あれ」
「何か」
「いや。上手く打てなくて」
どのボタンを、どう押せばいいかは分かっている。
手順も順番も、何もかも。
でも、押せない。
「どうしようもないな」
「あ?」
「貸して下さいよ。俺がやりますから」
端末をひったくり、俺を促す御剣君。
その太い指で、何が出来るって言うんだ。
「じゃあ、言う通りに押してくれ。lz.29nhalhtq」
「出来ました」
器用に指を動かし、あっさりと成し遂げた。
というか、これが普通だろうか。
「俺もやりましょうか」
控えめに申し出る小谷君。
俺は二人に端末を託し、もそもそと意味のない数字の羅列を呟いた。
「これって、何なんですか」
「秘密。後で、その辺に捨ててくれ。多分、その内持ち主が回収するから」
「また、悪い事するんじゃないでしょうね」
俺を見下ろす御剣君。
奪った時点で、十分悪い事だ。
「いいんだよ。で、小谷君。あいつは、辞めさせる。出来れば、生徒会も除名して欲しい」
「矢田さんの推薦なんですか」
「学校絡みか。まあいい。その辺は、俺がどうにかする」
「では、総務局への連絡をお願いします。俺は、自警局内の調整をしますので」
滞りなく片付けられる問題。
こういう人間が相手だと、こっちも助かる。
「悪い事ばっかりやってるんですね」
「うるさいな」
ユウの真似をして御剣君の鳩尾に拳を当てたが、当然こっちが拳を痛める。
鉄板でも入ってるのか?
「鍛え方が足りないんですよ。明日から、一緒に稽古します」
稽古って何だ、稽古って。
練習とか、トレーニングと言ってくれ。
「断る。俺はそういう事は、興味ない」
「面白いのにな」
「鉄アレイを持ち上げるのが?変わってるな、お前」
呆れ気味に呟く小谷君。
御剣君はきつい顔で彼を睨み、床に転がった男を足で突いた。
「こいつは、どうします?」
「放っておけばいい。馬鹿は風邪を引かないって言うし、世話を焼く理由もない」
「そうですね」
「同感です」
男を見捨て去っていく俺達。
その存在など、全く意識から消して。
のんきに、今から食べる夕食の事を話す。
無茶苦茶といえば、無茶苦茶な話。
ただ俺としては、決して嫌いな考え方ではない。




