表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第22話
246/596

22-12





     22-12




 一歩下がるショウ。 

 彼を見つめる私。

 別にケンカをしている訳ではない。

 顔に付いている傷が、少し気になっただけだ。

「それ、どうしたの」

「転んだ」

 子供みたいな言い訳。

 どう考えても怪しいが、口を割りそうな雰囲気でもない。

「いいけどね。ケンカしたんじゃないなら」

「それはない」

 嘘を言っているようには見えない。

 というか、彼が嘘を付けばすぐに分かる。 

 そういう事に、慣れてない子なので。

「これ、開けて」

 ハチミツの瓶をテーブルへ置き、タオルも渡す。

 しかしショウは無造作にふたを握り、手首を回した。 

 簡単に、ドアのノブのように回るふた。

「熊みたいな男だな」

 誉めてるのか良く分からない事を言い、スプーンを突っ込むケイ。 

 別に舐める訳ではなく、中の状態が気になったようだ。

「食べられるのか、これ?」

「紅茶に入れればいいのよ。そうすれば、溶けるでしょ」

 とはいえ、逆さにしても垂れても来ない。

 覗き込む度胸はないが、このままでは100年経っても出てこないだろう。

「削って」

「俺に、そういう事を要求するな」

 それもそうだ。

 という訳で、フォークを添えてショウに渡す。

「少しずつ削って、別な瓶へ移して」

「分かった」 

 文句も言わず、ロウみたいになったハチミツを削り出すショウ。

 彼にこういう事をやらせるのもどうかと思うが、やってくれるのでついつい頼ってしまう。


「学内最強とか呼ばれた男が、この様か」

「じゃあ、自分が削ってよね」

「瓶を削ってもいいなら、どれだけでもやる」

 本当に不器用な子だな。

 しかもこれが、冗談ではないと来てるし。

「サトミは……。何してるの」 

「分解してるの」

 机に置かれた、銃のパーツ。 

 一つ一つにはタグが張られ、ねじにまで番号が振られている。

「楽しい?」

「遊びでやってる訳じゃなくて、構造を見てるのよ。改造される可能性も考えないと」

「それで、何か分かった?」

「全然。後は、木之本君に任せる」

 何だ、それ。

 ただ壊したかっただけじゃないのか。

「触らないで」

 邪険にケイの手を、ドライバーで威嚇するサトミ。

 自分はバラバラにしておいて、他人には厳しいな。

 勿論ケイにやらせたら、それに輪を掛けるだけだとしても。

「触らないで、どうやって調べるんだ」

「調べるのは、私がします。あなたは、その後の交渉をお願い」

 当然とも言える判断。

 ケイは鼻を鳴らし、生徒会と交渉する時に使うらしい書類をチェックし出した。

「何をやる気?」

「配布先の厳密化と管理の徹底。罰則の強化も当然要求するわ」

「出来るの?」

「そのくらいはね。配布停止も要求はするけど、それは無理みたいだから」

 何にしろ、訳の分からない連中に訳の分からない理由で撃たれる可能性が減るのは助かる。

「どこ行くの」

「病院。八事の」

「医療部じゃなくて?」

「ああ」

 短く答え、リュックを背負って出ていくショウ。

 サトミ達も書類を片付け、出ていく準備を始めている。

 私の取る行動は、二つある。

 ショウに付いていくか。

 サトミ達に付いていくか。

 感情で言えば、ショウ。

 理屈で言えば、サトミ達。

 つまり、ショウと一緒に行きたい。

 彼の怪我の意味を知るためにも。



「狭いね、ここ」

 自警局の一室。

 サトミ達の隣りに座り、室内を軽く見渡す。

 今でも彼に付いていきたい気持はある。

 でも、彼は付いてきて欲しいとは言わなかった。

 それに彼も、四六時中私に張り付かれても面白くはないだろう。

「大丈夫かな」

「ショウの事?護衛はどうしたの」

「ちゃんとマークしてる。俺の金も持って行ってる」

 余計な言葉を付け加えるケイ。

 それに一安心して、目の前にある書類をめくる。

 内容は、銃の危険さと周囲に与える悪影響を記した物。

 私が提出したのと似てはいるが、より詳細でデータも揃っている。

「お待たせしました」

 やって来たのは、矢田自警局長ではなく小谷君。

 それと、見た事のない男女が数人。

「矢田局長は、どうかなさったんですか」

 敬語で尋ねるサトミ。

 小谷君は抱えていた書類を机に積んで、曖昧に微笑んだ。

「俺に一任するという事で。役者不足ではありますけど、ご了承を願います」

「こちらは問題ありません」

 やはり丁寧に受け答えるサトミ。

 こうなる事を予想していたという顔で。

「結論から言えば、皆さんのご意見を全面的に受け入れます。こちらとしても、ああいった物が出回るのは相当に問題ですので」

 あっさりと終わってしまった。

 これなら、ショウと一緒にいった方が良かったな。

「雪野さんから提出された文面を叩き台にして、より詳細に内容を詰めて行こうと思ってます」

「私の?どうして」

「真っ先に提出されたので。というか、学校や生徒会に楯突く人間がいなかったんですよね」

「あ、そう」

 悪かったわね、馬鹿で怖い物知らずで。

 でも、待てよ。

「そうなると、私もここに残るって事?」

「お急ぎの御用事がなければ」

「御用事はないけどさ」

 気になる事はある。

 ただ、今の用件を断ってまで行く必要があるのかどうか。

「いいのよ、ユウ。後は、私達だけでも」

「いい。護衛は付いてるんだし。でしょ」

「何の心配もない。時間給で張り付いてる」

 頼もしいが、嫌な台詞。

 そのお金は、私も後で少し負担しよう。

 額にもよるが。

「それでまずは、現状での配布先をどこにするかなんですが。希望者が非常に少ないため、今まで通り執行委員会の……」



 一旦休憩。

 ゴミ箱を埋める紙くず。

 空になった、幾つものポット。

 散乱するメモ用紙に起き捨てられたペン。

 ケイ達は未だに、端末を使って何やら話し込んでいる。

「飽きないの?」

「あなた、トレーニングを飽きる?」

「そういう物じゃないから、あれは」

「ケイも、きっと同じよ」

 いつにない穏やかな目でケイを見つめるサトミ。

 言っている意味は分かるが、理解は出来ない。

 分かるのはあくまでもその例えられた意味であり、こういう事を延々と話しあうのは私の理解外にあるから。

「とにかく、疲れた」

「ショウの所へ行ったら?」

 机の上に置かれる、私のリュック。

 彼女はそれ以上、何も言わない。

 勧める理由も、何一つ。

「行ってくる」

 軽く彼女の肩へ触れ、リュックを背負いドアへ向かう。

「雪野さん、どこへ」

「もう帰る」

「はあ」

 戸惑い気味の小谷君。

 ケイは鼻で笑い、私の方をじっと見てきた。

「何よ」

「護衛がいるから、ユウは何もしなくていい」

「その護衛までやられてたらどうするの」

「それもそうか。ただ、迂闊な真似は慎んだ方がいい」

「私に、そういう事を求めないで」

 笑っている彼の顔を指差し、勢いよくドアを出て廊下を駆け出す。

 今はただ、彼の元へ急ぐ事だけを考えて。



 八事の病院といえば、おそらくは第3日赤。

 勿論それ以外にも病院はあるだろうが、真っ先に思い付くのはそこ。

 彼もそのつもりだろうし、それ以外で彼が向かう八事の病院が思い付かない。

「えーと」

 草薙高校から第3日赤までのルートは幾つかある。

 地下鉄、バス、タクシー、スクーター。

 彼はおそらく、バスだろう。

 地下鉄だと乗り換えが必要だが、バスなら直通。

 タクシーに乗るタイプではないし、バイクは実家にしか置いてないはずだから。


 だから、私がバスに乗ってどうするという話である。 

 片道3車線の幹線道路。

 交通量も多く、すれ違うバスの中まではチェックのしようがない。

 第一チェック出来たとして、降りて追いつく訳もない。 

 ケイに言われた、迂闊な行動という言葉を思い出して少し笑う。

 夕暮れの街並み。

 街灯に照らされる歩道を行き交う、大勢の人。

 何となくそんな人の流れに目を移しつつ、バスのアナウンスに耳を傾ける。

 少しずつ近付くバス停の名前。

 何故か早まる、胸の鼓動。

 どうしてかは分からない。

 別れて何時間と経った訳ではなく。

 彼に何かがあった訳でもない。

 それでも胸は速まり、不安が募る。

 普段とは違う、彼の行動。

 癒えない傷。

 成長。

 それとも、変わりつつある彼。

 遠ざかっていくように思える姿。

 きっと不安の原因は、そこに行き着くのだろう。


 今までとは違う彼への不安。

 積極的な態度。

 大人としての振るまい。

 自らの責任を果たそうとする姿勢。

 それは喜ぶべき変化なのは分かっている。  

 ただ、その事を素直に受け入れられない自分がいる。

 身勝手な考え。

 嫌な人間だと、自分でも思う。

 彼を遠くに感じるたびに、余計に。



「次は八事、次は八事。草薙大学名古屋校でお降りの方は、ボタンをお押し下さい」

 気付くとバスは、急勾配な坂の途中で止まっていた。

 左手に見える、幾つもの大きな建物。 

 狭い立地に立ち並んでいるとも言える。

 ヒカルが通っている大学院もこの敷地内にあり、私も問題さえ起こさなければ2年後にはここへ入学出来る事になっている。

 坂を登っていくバス。

 交通量は一気に減り、バスの中にも乗客は少なくなっている。

 閑散とした道路。

 人気のない歩道。

 高級住宅街の行く手に見える、一際大きな白い建物。

「次は第3赤十字病院。次は第3赤十字病院。第3日赤へ向かわれる方は、歩道を渡り右側へお渡り下さい」

 小さなブザー音。

 降りる準備をしている、年配の女性。

 私も膝の上に置いていたリュックを持ち上げ、椅子を降りてそれを背負った。



 ようやく傾斜の収まり始める坂。

 病院の隣には少し小さめの建物があり、こちらは草薙大学の医学部との事。

 白衣を着た、まだ私と幾らも変わらない年齢の人達を眺めつつ病院へと向かう。

 ここに来て都合よくショウと会えるかどうかは分からないが、学校で思い悩んでるよりはましだろう。

 何となく病院へ入るのがためらわれ、手前にあった花屋さんの軒先を眺める。

 場所柄派手な色合いの花は少なく、お見舞い用と書かれた一揃えの花束が幾つも並んでいる。

 買う物もないし、必要もない。

 それでも花の種を買い、リュックにしまう。

 自分でも、何をやってるのかと思いながら。


 医学部の手前にある狭い路地。

 そこを歩いていく人影。

 気を留める理由もない光景。

 男の顔を見ていなければ、そうだっただろう。

 一気に熱くなる頭の中。 

 今までの憂いや重い気分は、一瞬にして消え失せる。

 リュックを背負い直し、ベルトを強く締めて体にフィットさせる。

 これから起きる出来事へ備えるために。

 私は姿勢を低くして、ショウに勝ったと宣言した男の後を付けた。



 狭く薄暗い路地。

 私を誘っているという可能性はある。

 ただ、それに後れを取らない自信もある。

 第一、これ以上我慢は出来ない。

 男の目的が、どう考えてもショウにあるからには。

 オープングローブを付け、スティックをリュックから取り出し腰へ差す。

 後は姿勢を低くして、一気に突っ込むだけだ。



 スティックを抜き、顔を防御しつつ角を曲がる。

 目の前に見える、男の背中。

 それが罠でないか、素早く辺りをチェックする。

「え」

 血、服、木刀、警棒。

 床に倒れる何人もの男。

 呻き声を上げ、体を押さえながら。

「動くな」

 振り向こうとした男の首筋にスティックを突き付け、動きを制する。

 周囲に危険はない雰囲気。

 取りあえず息を整え、頭の中を整理する。

 仲間割れ、チンピラ同士のケンカ。

 幾つか思い付くが、結論は出ない。

「お、俺は」

「動くなと言った」 

 厳しく声を出し、膝の裏を蹴って床に跪かせる。 

 手加減とか、丁寧にという考えは微塵もない。

「どうしてここにいる」

「そ、それは」

 言い淀む男。

 一瞬右へ向く首。

 それがフェイクでないのを確かめつつ、私も右へ視線を向ける。

 倒れている人間の足元に転がる、小さめの端末。

 見たところ、撮影用のパーツが取り付けられているように見える。

 ただ端末は角が削れていて、使い物にならない状態だ。

 また、予想通りと言うべきか。

「失せろ」

「な、なにが」

「失せろと言った」

 仲間を置いて駆け出す男。

 もう二度と戻らないような勢いで。

 壁にヒビを入れたスティックで端末を叩き割り、路地を出る。

 この光景など、頭の中から一切消して。



 あの雰囲気からいって、まだ遠くへは行っていないはずだ。

 血の跡は無いが、彼の行動パターンは把握している。

 ぼろぼろのまま病院へ向かうのは、人目に付くと考えるタイプ。

 最終的に病院へ行くのは間違いないが、その前に身なりを多少整えると思う。

 体裁を気にするのではなく、他の人に迷惑が掛かると考えて。

 端末を使い、近所の地図を表示させる。


 病院の裏側にあるお寺。

 手入れの行き届いた庭の中央には、小さな手洗い場があり水が夕陽を浴びて淡く輝いている。

 庭を横切る黒い猫。 

 梅の木に宿る、綺麗な小鳥。

 薄く伸びる私の影。

 その中に収まる、一人の少年。

 顔にハンカチを当て、腕を押さえ。

 木陰にしゃがみ、私を見上げている。


 言いたい事は、幾つもある。

 して上げたい事は、限りなくある。

 言葉にならない想いは、果てしなく募っていく。

 でも言葉は出てこない。

 足は動かない。

 ただ気持だけが、心の中に広がっていく。

 戸惑うでもなく、慌てる訳でもなく。

 私を見上げる彼。

 小さく緩む口元。

「勝った」 

 子供のような笑顔。

 満足げな表情。

 傷とあざの見える頬。

 破れたトレーナー。

 血の付いたジーンズ。

 秋の薄い日射しの中。 

 ただ笑うショウ。


「馬鹿」

 軽く、添えるように彼の頬を叩く。

 ショウは視線を伏せ、少しだけ口を動かした。

 間近にいなければ聞き取れないくらいの声。

 秋の日射しに消えていく言葉。

「よろしい」

 そっと彼の頭に手を添え、ゆっくりと撫でる。

 子供にそうするように。

 恥ずかしそうに。

 何も言わず身を任せるショウ。


 普通なら、抱き合うのかも知れない。

 キスでもするのかも知れない。

 でも私達は、こんな事をしている。

 彼は知らないけど。

 私は、これで満足だから。 

 心は満たされ、安らいでいく。

 不安も焦燥感も何もない。

 彼を遠くに感じる事も。

 だって彼は、すぐここにいるんだから。

 そう思っていたのは、私の気持ちだけ。 

 彼は何も変わっていない。

 出会った時から、少しも。

 子供っぽくて、血の気が多くて。

 だけど純粋で素直な男の子だと。


「早く、病院へ行かないと」

「この恰好で?まずくないか」

 ぼろぼろの服を指差すショウ。

「誰も嫌がったりしないから」

「そうかな」

 思っていたとおりの反応。

 恥ずかしいからではなく、周りに迷惑を掛けるからという思い。

 ここまで来ると、呆れるというか笑えてくる。

「でも、俺リュックが」

「路地にあるの?」

「見たのか?」

 散らかしたおもちゃを見つけられた子供みたいな顔。

 私は彼の怪我をして無さそうな肩に触れ、先へ行くよう促した。

「リュックは、私が届けるから」

「襲われ……、る訳無いか」

「当たり前でしょ。あいつらこそ、病院行きなんだから」

「じゃあ、頼む」



 彼が表通りへ出たのを確かめ、路地へ向かう。

 再びスティックを用意して、意識を張りつめながら。 

 あそこにいた人間は、全員動くのもままならない状態。

 ただし、他にいたと考えるのが妥当だろう。

 逃げ出したかどうかはともかく、戻ってくる可能性は考慮した方がいい。

 さっきの路地の手前。

 ここを曲がれば、あの光景をもう一度目にする事となる。

 腰のスティックに手を添え、意識をさらに集中して路地を行く。

 微かに感じる人の気配。

 一旦足を止め、腰を落としてすり足で動く。

 背後に気配は無し。

 感じるのは角の向こう。

 さっきのように、血の気に任せて突っ込む理由はない。

 ここは慎重に、まずは角の向こうの様子を探る。



「チッ」

 後ろ蹴りを放ち、壁にスティックを突き付け横に飛ぶ。

 微かにヒットした感覚。

 しかし、背後に気配は無かったはずなのに。

「落ち着け、俺だ」

 焦り気味の、聞き慣れた声。 

 当然油断は出来ず、スティックを構え直し地面すれすれまで姿勢を低くする。

「塩田、さん」

「よう」

 壁際に追いつめられた恰好で手を上げてくる塩田さん。

 一瞬それに反応して、スティックを動かしかける。

「おい」

「あ、済みません。でも、どうしてここに」

「浦田に聞いてくれ」

 憮然とした口調。

 壁に叩き付けられる裏拳。

 小さくコンクリートが弾け、床へ散る。

「ああ、護衛。お金はもらってるんですよね」

「金ももらわず、こんな事出来るか」

 再び飛び散るコンクリート。

 無茶苦茶だと言いたいが、さっきひびを入れた事を思い出し口をつぐむ。

「しかし。お前は猛獣使いか」

「み、見てたんですか」

 熱くなる顔。

 渇く口の中。 

 心臓がもう、どうなってるのか分からない状態。

 気付いたら、コンクリートが弾け飛んでいた。

「お前な」

「だ、だって。そんな、人をこそこそと付けるなんて」

「護衛は、大抵そういうもんだ」

「だけど、でも。え、あ?」

 もう言葉は一つも出ず、壁を叩く事だけをどうにか堪える。 

 しかし、あ、え?

「だ、大体、見てたならショウを助けてくれればいいじゃないですか」

「初めはそう思ったんだけどな。あいつにもプライドがあるだろうし、見てたら大丈夫みたいだったからさ」

「怪我、怪我してましたよ」

「何人相手に、どれだけの怪我だ」

 何人って、10人いるかいないかじゃないのか。

「お前、その向こうに転がってる人間だけだと思ってるんじゃないだろうな」

「え」

「あれは、急を要しない連中だ。他の人間は、とっくに運ばれてる」

 何だ、急を要するって。

 この先は、聞くのを止めた方がいいかも知れないな。

「死人が出なかっただけましっていうレベルだな」

「はあ」

「そこに俺が出ていっても、却って足手まといさ。これからは、あいつを玲阿さんって呼んだ方がいい」

 鼻で笑う塩田さん。 

 副会長同様、からかいという意味を含めて。

「でも、あの馬鹿は歩き回ってたじゃないですか。ショウに勝ったとか言ってたあいつ」

「とても勝てないと思って、初めから玲阿を襲わなかったんだ。今頃、その辺で泣いてるだろ」

 別に、泣く理由はどこにもないと思うんだけどな。

 もしかして、この人が泣かせたんじゃないのか?

「とにかく、お前は早く病院へ行け」

「あ、はい」

「それと、これ持ってけ。あのままだと、帰れないだろ」

 渡されるジャケット。

 ショウには小さいが、私には大きい。

 何となく、来てみたりする。

 へへ、ちょっと嬉しい。

 軽い浮気だな、これは。

「何してるんだ、お前」 

 私の意図を無視して、呆れ気味に突っ込んでくる塩田さん。

 せっかく人が楽しんでるのに、無粋な人だな。

「でも、まだショウの」

「リュックは、寮へ届けてやる。お前だと、多分押し潰されるぞ」

「何が入ってるんですか」

「ミネラルウォーターのペットボトルさ。普通に体を鍛えるとお前がうるさいから、カムフラージュしてたんだろ」

 地面にあったリュックを担ぐ塩田さん。

 少し揺れる、彼の体。

 どうも、想像が出来ないくらい重いらしい。

「あの馬鹿。鍛える前に、体が壊れるぞ」

「運び賃は、ケイに請求して下さい」

「ああ」

 よろめきながら路地を出ていく塩田さん。

 その背中を見送ったところで、ふと思った。

 水なら、捨てればいいんじゃないのかと……。



 救急外来の受付。

 彼の名前を告げて、ソファーに座る。

 場所が場所だけに、空気は少し重い。

 とはいえ今はそれ程重症の人はいないらしく、待合室も作業服を着た男性が暇そうに貼り紙を見入っているくらい。

「雪野さん、どうぞ」

「あ、はい」


 カーテンをくぐり、診察室に入る。

 ベッドサイドに腰掛けるショウ。 

 顔にはガーゼ、腕には包帯。

 しかし、怪我の程度は前より軽い。

「入院する程でもないですね。ただ、当分は安静にするように。腱も、まだ完全には治ってませんし」

 事務的に告げてくる、若い先生。 

 引っかかるのは、まだ治ってないという言い方。

「腱を痛めてたんですか」

「手術する程でもないですし、安静にしてれば治ります。どうして怪我をしたのかは知りませんが」

 事務的どころか、無愛想に告げる先生。

 彼の怒りは、十分分かる。

「リハビリの期間は延びますので、予約を取っておいて下さい」

「あ、はい」 

 何故か私に言ってくるので、つい頷いてしまう。

 ショウは小さくなって、それでも器用にシャツを着ている。

「草薙高校の学内病院にも連絡しておきますので、急を要する場合はそちらへ行って下さい」

「分かりました。どうも、ご迷惑をお掛けしました。ほら」

「済みませんでした」

 頭を下げるショウ。 

 当然私も頭を下げて、荷物をまとめて診察室を後にする。



「え」

「何か?」

「いえ、何でもないです」

 受付でお金を払い、ため息を付く。

 普段医療費はほぼ無料なので、戸惑っただけだ。

 予想外の額にも。


 タクシー代も払い、ため息を付いてタクシーを降りる。

 ショウは薬のせいか、気の抜けた顔で空を見上げている。 

 これが演技だったら、彼はもう一度医者へ行く事になるだろう。

「どうかしたのか」

「別に」

 無愛想に答え、彼を実家まで送り届ける。

 今日はそっとしておいた方がいいし、私もそっとしておいて欲しい。



 寮へ戻り、最後にもう一度ため息を付いてバスルームへ向かう。 

 辺りに立ちこめる白い煙。

 体を伝う、熱いお湯。

 ようやく気持が楽になる。

 元々、怒り自体は些細な事。 

 多少お金が出ていっただけで、それ程気にする程でもない。

 今はショウの無事が分かって、一気に緊張が解けてきた。

 後はぬるめのお湯にゆっくり浸かり、体の緊張も解いていく。 

 頭の中に浮かぶ、幾つもの疑問。

 しかし、今はそれを気にする必要はない。

 彼の無事が分かった今は……。



 翌日。 

 教室へ入り、筆記用具を用意する。

「ショウは」

「休み」 

 短く告げて、卓上端末を起動させる。

 サトミは目を細め、私の顔を覗き込んできた。

「大丈夫。今度は勝ったから」

「今度って」 

 きつくなる眼差し。 

 私はにへにへとそれを受け止め、手の中でペンを回した。

「護衛がいたんでしょ。その護衛は、何してたの」

 私を監視してたとは言わず、もごもご言って適当にごまかす。

「おはよう」

 私以上にもごもご答えるケイ。

 彼はそのまま机に伏せ、動かなくなった。

 この人は、学校に何しに来てるのかな。



 昼休み。

 人を避け、ご飯をテイクアウトして塩田さんの執務室へやってくる。

 肝心の本人は、どこにも見あたらないが。

「怪我の程度は?」

「大した事無い。来週には出てくる」

「どうして、また襲われたの?」

「馬鹿は懲りない」

 一言で片付けるケイ。

 モトちゃんは仕方なさそうに笑い、卓上端末の画面を指差した。

「昨日付で、これだけ転校してる。おそらく、その襲った連中ね。例の、ショウ君に勝ったとか言ってた馬鹿も」

「当たり前よ。辞めないなら、私が辞めさせてた」

「あなた、何もしなかったでしょうね」

 怖い顔で見下ろしてくるサトミ。

 別に何もしていないので、首を振ってそれに応える。

 コンクリを弾き飛ばしたのは、わざわざ告げる必要のない事だ。

「でも、勝ったってどういう事?」

「見てないけど、勝ったんでしょ」

「だから、何が」

 やいやい攻めてくる二人。 

 どうしてそう、理屈にこだわるのかな。 

 本人が勝ったって言ってるんだから、それでいいじゃない。

 というか、それ以外の何が重要なんだ。

「勝ちは勝ち、それ以外の何物でもないの」

「だったら、この前も勝ちじゃなくて?」

「そうそう」 

 何も分かってないな、この子達は。

 私も、口では説明出来ないけどさ。 

「いいの。もう終わったんだから」

「終わった、ね」 

 陰気に呟くケイ。

 皮肉っぽく、と例えてもいい。

「何よ」

「馬鹿がいなくなって、大抵の人間はまたショウが学内最強とか言い出す。当然、今まで以上に注目も浴びる。何より、学校や執行委員会にとっては何一つ面白くない。自分達の手が失敗して、目障りな人間が残るんだから」

 面白くない、しかし冷静な内容。

 今までなら、不安を感じただろう。

 意味もなく焦燥感に駆られたかも知れない。

 でも今は、何の不安も焦りもない。

「何か、楽しいか」

「別に」 

 へへと笑い、お茶をすする。

 みんなはまだあれこれ話しているが、私はもう興味がない。

 誰が何を考えて、こういう事をやったかも。

 その理由や経緯も。 

 そんな事は、どうでもいい。



 授業が終わったと同時に、学校を後にする。

 ガーディアンの仕事はあるが、今はもっと優先したい事がある。

「こんにちは」

「ええ。こんにちは」

 何となく、疲れ気味の声。

「今、大丈夫ですか」

「ええ。上がってきて」


 エレベーターを降り、インターフォンを押す。

 すぐに開くドア。

 やつれ気味の顔が出迎えてくれた。

「どうかしたんですか」

「私は、もう何も」

 首を振る、ショウのお母さん。

 綺麗な分だけ、これがまた何とも言えない艶めかしさを醸し出している。

「四葉君はいますか」

「ぼーっとしてる」

「はあ」

「ちょっと、様子を見てきてくれない」



 彼の部屋の前。

 閉まっているドア。

 ただ鍵は掛かっていなく、ノブを動かすと手前に開く。

「私。ユウだけど」

 反応はない。

 まさか倒れてる訳も無いと思うが、多少気になる。 

「入るよ」

 やはり反応はない。

 仕方ないのでドアを開け、勝手に中へと入っていく。


 閉められたカーテン。

 明かりの消えた室内。

 薄暗い部屋の中で、壁際に人の気配。

 壁にもたれてしゃがみ込むショウ。

 ぼんやりとした雰囲気、気のない顔。

 気になるのは、伏せ気味の視線。

 力のない、頼りない瞳の色。

「体が痛いの?」

「いや」

 ようやく返ってくる、弱々しい返事。

 しかし顔は上がらず、私の方を見ようともしない。

「薬でだるいの?」

「少しは」

 微妙な答え。

 つまり元気がないのは、それ以外の理由もあるという事か。

「はっきりしないな。昨日は、勝ったじゃない」

「でも、結局はケンカしてる」

 陰気な呟き。

 この子は、まだそんな事を気にしてるのか。

「別にショウが襲ったんじゃなくて、向こうが勝手に襲ってきたんでしょ。何が気になるの」

「自分の、馬鹿さ加減が」

 小声でささやかれる、消極的な発言。

 昨日はあれだけ機嫌がよかったのに、今日はこれだ。

 どうしてこの子は、こうなのかな。

「誰かに、何か言われたの?お父さん達にとか」

「誰も、何も言わない」

「じゃあ、いいじゃない」

「でも」

 口元で、何やら呟くショウ。

 言っている事は殆ど聞き取れないし、もう聞きたくもない。

 というか、ようやくお母さんの気持ちが理解出来た。


「もういいってっ」

 手を振り上げて、彼の頭を叩く。

 昨日のように撫でるのではなく、力強く。

「な、何するんだっ」

 勢いよく立ち上がり、私を見下ろすショウ。 

 こっちも負けずに、真下から彼を見上げる。

「終わった事を、あれこれ言っても仕方ないでしょ。うじゃうじゃ言ってないで、早く怪我を治しなさいっ」

「じゃ、じゃあ、叩くなっ」

「うるさいな。今まで泣いてたと思ったら」

「だ、誰が泣いてたんだっ」

 間近で吠えるショウ。

 辺りの空気が震える程の勢いで。

「ショウが。玲阿四葉君。学内最強とか呼ばれてる子。負けた負けたって、この前まで泣いてた子」

「だ、誰がっ。俺はただ、その。自分がこのままじゃ駄目だと思って」

「もう聞き飽きた」

「な、なんだってっ」

 怖い顔で見下ろしてくるショウ。

 それを負けじと見上げていたら、彼の視線が横にそれた。

 別に、私に恐れをなした訳ではない。


 少し開いているドア。

 その隙間。

 こちらを覗いている、二つの顔。

 ショウの両親と、世間では思われている。

「な、何してるのよっ」

 言い方はともあれ、同時に叫ぶ私達。

 二人の顔はすぐに消え、室内には沈黙が訪れる。 

 少しの気まずさ。

 すぐに漏れる笑い声。

 仕方なさそうな、どうしようもないといった具合の。

「とにかく、さ。あまり気にしても仕方ないって」

「俺は、そう簡単に割り切れないんだよ。結局、ケンカばっかりだし」

「いいの。私が許す」

「ユウに許されてもな」

 首を振るショウ。

 少しはにかみ気味に。

 さっきよりは、明るい表情で。



 彼の気持ちは分かる。

 その悩みも、苦しみも。

 きっと彼が生涯背負っていくだろう苦悩。


 私には何も出来ない。

 その手助けになる事は、何一つ。

 出来るのは、その気持ちを和らげる事くらい。

 下手で、雑な方法で。

 自分でも馬鹿らしいくらいの。

 でも、それでも。

 彼の気持ちが少しでも楽になるのなら。

 彼が幸せに暮らせるのなら。



 私という存在が、彼にとってどんな意味があるのかは分からない。

 ただ、自分では思う。

 彼のために、生きていきたいと。

 その側にいたいと。

 この瞬間も、この先も。

 いつまでも……。


                                      


                     第22話 終わり





   







  第22話     あとがき




 玲阿四葉編、その幾つでしょうか。

 作中での彼は、格闘技において最強という立場。

 それが揺らいだらどうなるか、といった話でもあります。

 実際は、ラブコメみたいになってますが。


 何度も断ってますのがフィクションですので、彼の立ち回りに関しても相当無理があります。

 一人の人間、しかも高校生がそこまで動ける訳がないと。

 ただリアリティよりエンターティメント性を重視してるのと、自身が素人だという言い訳をさせて頂きます。


 何にしろ、幸せで結構な話です。

 その反動という訳ではないですが、23話以降は若干展開します。

 また、第25話で高等部編・前編終了を予定しています。

 つまり、後編もあるという事でした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ