22-9
22-9
段ボールの中を覗き込み、げっそりした気分になる。
余っているお菓子。
自分でも、それ程食べたくはない味。
やっぱり、適当にばらまけば良かったな。
「サトミ食べる?」
「いらない」
にべもない答え。
ケイは話しかけられないように、窓を開けて外を眺めている。
いいや、ショウにでも上げれば。
「あなた、少し落ち着いたわね」
「私は子供じゃないの。何かあったからって、いちいち騒ぐ年でもないし」
「今の言葉、録音しておきたいわ」
ちょっとは友達を信用してよね。
少し苛々してきたので、ココアを飲んで気持を落ち着ける。
こういうのは、多少甘過ぎる方が美味しい気がする。
「あー」
「いちいち叫ばないで」
イカのジャーキーをかじり、気分を切り替える。
でもこれって、するめとどう違うんだろう。
「あー」
「叩くな」
「うー」
「引っ掻くな」
何か面白くない。
というか、さっきまでの落ち着きは何だったんだ。
「煮干し食べろ、煮干し」
「そういう問題でもないと思うけど。大体、煮干しなんてないでしょ」
「舞地さんの余り物が、確か」
キッチンへ消えるケイ。
余りって、猫の余り物の事じゃないの?
とはいえ、食べてみれば幸せその物。
お菓子もいいけど、こういう自然な物も私は好きだ。
「何してる」
「煮干し食べてる」
「それは、猫のだ」
「にゃー」
冷徹に見つめてくる舞地さん。
いいじゃないよ、煮干しの一匹や二匹。
「それに舞地さん、これのお金払ってるの?」
「深く考えた事がない」
窓際で咳をするケイを無視して、自分も煮干しをかじり出した。
猫のじゃないのか。
「それで、何か御用ですか」
私達とは違い、丁寧に尋ねるサトミ。
その手に渡さされる、高そうなお菓子。
輸入品のチョコっぽいな。
「体育祭の警備配置を考えてくれと、矢田が言っていた」
「知らない、やらない、やりたくない」
「雪野には言ってない」
「だって、どうして私達が」
机を叩き、彼女を見下ろす。
しかし舞地さんは気にもしないといった顔で、煮干しをかじっている。
「他の人間が、やりたがらない」
「じゃあ、局長が自分でやればいいでしょ。私じゃないとしても、サトミなりケイのやる必要があるの?」
「おかしな連中が立案してもいいのか」
淡々とした口調。
ただ、その内容は聞き逃せない。
「どういう事?」
「体育祭ともなれば、大勢の人間が集まるし人目も引ける。何かをやるには、いい条件が揃ってる」
「だからって、私達が局長に協力するなんて」
固めた拳を机に押し付け、視線を伏せる。
言ってみれば、その辺りを口実に私達を利用してると思えるから。
向こうの都合で、私達の意思には関係なく。
「分かった。サトミ、協力して上げて」
「はいはい。立案はいいんですが、その後の指揮命令系統は」
「警備責任者と本部の人員は、こちらで選定すると確約している」
「助かります。細かい事はモト達と相談して、後程連絡しますので」
その場で端末を使い出すサトミ。
彼女は空いている左手を動かし、ケイを指で呼び付けた。
「配置は後で考えるから、まずは現場の担当者をピックアップして」
「警備、ね。舞地さん、どのくらいやばいんですか」
「情報を掴んではないけど、いい雰囲気ではない。普通の警備とは考えない方がいいと思う」
「分かりました。身内が多くなるけど、その辺を中心に固めましょう。これって、生徒会ガーディアンズも動かしていいんですよね」
頷く舞地さん。
ケイは卓上端末を起動させ、何人かの名前をリストアップした。
殆どが、私も知っている名前を。
「最高責任者はモト、補佐にサトミと木之本君。現場の総責任者を七尾君。塩田さん達は、そのバックアップ」
「丹下ちゃんは?」
「警備をやってる暇があるかどうか。あの子、足早いから」
こちらへ流れる視線。
なる程、そうか。そういう事か。
「でも、そんなに早い?」
「ユウと比べれば、大抵の子は遅い」
「あ、そう。いいや、リストに入れておこう」
これで、メンバーは取りあえず揃ったな。
渡瀬さん、沙紀ちゃん、土居さん。
でもこれって、全員北地区だな。
いいんだけどさ。
「帰らなくていいの」
「やる事がない」
すごい答えが返ってきた。
仕方ないので書類を渡し、ペンを置く。
暇で、退屈するといけないので。
「玲阿は」
一応は真面目に書いている舞地さん。
私は別な書類をめくり、棚を開けた。
「医療部行ってる。シップもらうんだって」
引き出しも開けて、机の下も見る。
リュックの中かな。
「何してる」
「リレーのエントリー用紙がなくて」
「仕事しろ」
何だ、仕事って。
今リレー以外に、大切な事ってあるのか。
オフィスを飛び出て、SDCの本部へと向かう。
向こうにはエントリー用紙があるし、なくても口頭で伝えればいいだけだから。
いや。その前にやる事があったな。
「どうかした?」
「リレー、リレー出るから」
「そうみたいね」
のんきに笑う沙紀ちゃん。
私も笑い、その笑顔に指を向ける。
「……私は出ないわよ。仕事もあるし」
「大丈夫。トレーニングは、最低限に留めるから」
「そういう問題じゃなくて。それに、まだ怪我も治ってないの」
「走れない程?」
リレーの事以前に、彼女の体が気になってくる。
しかし沙紀ちゃんは明るく微笑み、珍しいジーンズのくるぶし当たりを撫でた。
「通院はしてるけど、日常生活には問題ない。ただ、精神的にね」
「だったら、リハビリ代わりに」
「陸上部に勝つんでしょ」
「それは間違いないけど。メンバーがいない事には勝負にならないから」
差し伸べた手を控えめに握り返してくれる沙紀ちゃん。
私は彼女の肩にそっと触れ、出口のある受付へと向かった。
「ケイは、怪我の事知ってるの?」
「え?あ、うん。その、あれ。知ってる」
よく分からないけど、かなり怪しいな。
顔は赤いし、もじもじしてるし。
「大丈夫?」
「な、何が?」
驚いたように目を見開く沙紀ちゃん。
大丈夫ではないらしい。
「何でもない。練習する時は連絡するから、着替えとか用意しておいてね」
返ってこない返事。
何をやってるかと言えば、受付のカウンターにのの字を書いているだけだ。
怪我って、頭じゃないだろうな。
「何か用?」
「リレー。メンバーが決まりました」
「そういう事は、事務局に言ってくれない?」
邪険に手を振る鶴木さん。
冷たい先輩だな。
「それで、陸上部とやり合いたいっていう物好きは誰」
「まず私。後は、土居さんと沙紀ちゃんと、渡瀬さん」
「随分、北地区で集めたわね。ただ、メンバーとしては悪くないか」
組み替えられる長い足。
さっきよりは、興味を感じさせる表情。
「陸上部はシードされてるし、あなた達は1次予選から勝ち抜かないと当たらないわよ」
「陸上部は、どこからですか?」
「本予選から。これ見て」
幾つかに分岐した、トーナメント表。
本予選の上が、すぐに決勝トーナメント。
その後は、2回勝てば優勝になる。
ちなみに私は3次予選まで勝ち抜いて、ようやく本予選に出場出来る。
「遊びで出る人もいるから、意外と簡単かもね。私も出ようかな」
何言ってるんだ、この人は。
「鶴木さんは、他に出ないんですか?」
「こっちは主催者だから、色々と雑用があるの。あなた、警備はいいの?」
「他の優秀な子に任せます」
「幾つか情報があって、荒れるという予想もあるけど。知ってるって顔ね」
ペンを手の中で回す鶴木さん。
薄く、鋭い微笑みを浮かべて。
「人目を引くにはいい機会だし。暴れるだけじゃなくて、出来のいい人間を参加させるつもりでしょうね」
「自分達が有能だって示すために?」
「ええ。体育祭は、各組織対抗。執行委員会だった?多分そこでの優勝を狙ってるの」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの口調。
また、そうさせないというだけの自信。
そして実力。
「全部にスポーツの要素がある訳ではないけど、例年優勝はSDCか特定のクラブ。体育祭っていうくらいだしね」
「でも、それを覆す気でいるって事ですか。そんな事、出来ます?」
「する気なんでしょ。なんといっても向こうには、お金も権限もあるんだし」
「面白くないな」
机を叩こうとして、どうにか思い留まる。
鶴木さんが、木刀に手を伸ばしたので。
「あなたは、どうしてそう落ち着きがないの」
「だって」
「私も学校との対立に関しては、ある程度知ってる。執行委員会だった?それと仲が悪いのも。だからって、一つ一つに目くじらを立てないの。もう少し冷静になって、広い視野を持ちなさい」
何だ、広い視野って。
私は目先の事だけを考えて生きていくんだ。
「もういいから。とにかく、リレーは出られるのね」
「出ますよ、勝ちますよ」
「勝てる訳ないでしょ」
肩に感じる重み。
振り向くと、バインダーを抱えた黒沢さんが私の肩に手を置いていた。
「リレー、私も出るから」
なんだと。
初めの勝負では私が勝ったけど、あれから半年以上経っている。
彼女はハードル選手とはいえ、短距離を意識したトレーニングを積んでいる。
「タ、タイムは」
「これ」
端末に表示される幾つかの数値。
それを見て、少し安心する。
勿論早いには早いが、10秒台は一つもない。
「はは」
「何がおかしいの」
「これ」
今度は自分のタイムを、彼女へ見せる。
綺麗な顔を強ばらせる黒沢さん。
私のベストは、10秒台。
無論かろうじてといった所だけど、体調が整って集中出来れば出せないタイムではない。
「怖い子ね。でも問題ないわ。私が、一番遅いんだから」
「冗談でしょ」
何とも怖い事を言ってきた。
彼女のタイムですら、東海地区ではトップクラス。
それより早い人間が後3人いる訳だから、その結果は自ずと想像が付く。
何より、コンスタントに10秒台を叩き出す子がいるんだし。
「諦めたら」
「冗談でしょ」
机を叩き、完全に鶴木さんから睨まれる。
いいじゃないよ、叩くくらい。
割った訳じゃないんだから。
「それで黒沢さん、何か?」
「自警局から、警備の配置について話し合いたいと連絡がありました」
「分かった。それは、あなたが担当して」
「承りました」
丁寧に頭を下げる黒沢さん。
何しろ綺麗だしスタイルもいいので、何をやっても様になる。
私がやったら、丸まりたいのかと思われるだけだ。
「やあ」
壁伝いに、部屋へ入ってくる右藤さん。
どうも、私を警戒してるらしい。
「何してるの、君は」
「雪野さんが怖くてさ」
「四葉君に、木刀で殴りかかったんでしょ」
「持ち上げられて、壁に叩き付けられそうになった。その後で、撃たれそうにもなった」
自業自得よと、冷淡に告げる鶴木さん。
右藤さんは肩をすくめ、ドアの方へ顎を向けた。
「客が来てる。是非とも、SDC代表に会いたいって」
「あなたじゃ不足だって?」
「さあね。しかし、ちょっとまずいかな」
私へと向けられる視線。
不安というよりも、笑いを堪えているような。
「どういう意味です」
「すぐ分かる。黒沢さん、彼女を押さえてて。いや、その前に青木さんも呼んで二人で抑えて」
「はあ」
壁際に追いやられ、二人の後ろに立つ自分。
かろうじて、肩の隙間から前の視界が確保出来る。
「何なんですか、一体」
「すぐ分かる。ああ、入れてくれ」
かなりぶっきらぼうな物言い。
客という割には、敬意やもてなすという雰囲気は感じられない。
ただ、その理由はすぐに理解出来た。
ドアをくぐる、数名の男。
その先頭に立つ、例の男。
ショウに勝ったなどと、ふざけた事を言っていた。
壁を蹴って宙に舞い、二人の頭を飛び越えてスティックを抜く。
そのままスティックを振り抜き、男の鼻先へ振り下ろす。
「だから、落ち着きなさい」
左右から組み合わされた木刀に止められるスティック
鶴木さんと、右藤さんの。
それを飛び越える事も可能だが、場所が場所なので自重する。
今すぐでも爆発しそうな感情は、どうやろうと抑えきれないが。
「黒沢さん、青きさん」
「は、はい」
「雪野さん、こっちへ」
二人に腕を掴まれ、再び壁際へと戻る。
しかしその間も、男から視線は外さない。
向こうは真っ青になっていた顔をそむけ、ぎこちない感じで鶴木さんへ笑いかけた。
「俺の事は知ってるかな」
「ええ。学校最強なんて言われてる子に勝ったみたいね。ビデオは見たわ」
「分かるかな。その意味が」
「今は、あなたが最強って訳。確かに、その影響力は見過ごせないわね」
話が早いとばかりに、下品な笑みを浮かべる男。
鶴木さんも薄く微笑み、木刀を腰のフォルダーへ収めた。
「金をたかりに来た訳じゃない。血の気の多い連中を抑えて欲しいだけだ。無論その際は、こちらで色々と便宜を図らせてもらう」
「学校最強の人間は、SDCに協力的。つまり、SDCに手を出すのは危ないと思わせるとでも?」
「そこまで分かってるなら、俺があれこれ言う事もない。生徒会とは、すでに話を付けている」
ふざけきった台詞。
頭の中が熱くなってくるが、今は左右から腕を取られている状態。
それを振り切る事は可能でも、二人の心情を思えば動く事は出来ない。
だから余計に、ストレスが溜まるのだが。
「失せろ」
低い、地の底から響くような声。
木刀の中心辺りを握り、柄に手を掛ける鶴木さん。
「何だって?」
戸惑い気味に笑いかける男。
鶴木さんは腰を落とし、姿勢を低くして男を睨み付けた。
「そのような、下賤な話を聞く事すら腹立たしい。己の愚かさに恥じ入る心もないとは、嘆かわしいの一言に尽きる」
「な、何を」
閃く手首。
抜かれる木刀。
鋭い切っ先。
微妙に反り返る長い刃。
地の部分に映り込む、室内の情景。
鶴木さんは下段に構え、さらに目を据えた。
「失せろと言ったんだ。早く消えろ」
冷徹に告げる右藤さん。
そこに先程まで陽気さは、欠片もない。
「な、なんだと。お、俺を誰だと」
「それとも、叩き出されたいか」
ドアではなく、窓へ視線を向ける右藤さん。
この下は通路。
何だろうが、落ちればひとたまりもない高さ。
「こ、この。貴様ら、後悔するなよ」
陳腐な捨て台詞を残して、逃げるように去っていく男達。
ドアが閉まる寸前で叫び声が上がったが、気のせいだろう。
「愚か者が」
吐き捨てるように呟く鶴木さん。
右藤さんは鼻で笑い、手にしていた木刀を肩に担いだ。
「それは真由ちゃんだろ」
「知らん」
「知らんじゃありません」
冷たく言い放つ黒沢さん。
青木さんは首を振り、彼女の手元へ目をやった。
「あの、危ないからしまって下さい」
「これは武士の魂だ」
「だって。雪野さん、何とかして」
私に言われても困る。
真剣を持っていきり立っている人間に、どうしろと言うんだ。
「済みません。体育祭の警備について……。真由さん」
黒沢さん以上の怖い声を出す矢加部さん。
鶴木さんは彼女に視線を向け、不承不承といった感じで真剣を鞘へ戻した。
「学内に真剣は持ち込まないように言ったはずです」
「これは武士の魂なの」
ようやく改まる口調。
多少、気圧され気味にも見える。
よく分からないが、彼女には弱いようだ。
「相手だけではなく、真由さんにとっても危ないんですから」
「四葉君の名誉を守っただけよ」
「だったらいいです」
いいのか、本当に。
分かるけどさ。
「ただ、それはそれ。学内に真剣を持ち込む理由にはなりません」
すぐに話を元へ戻す矢加部さん。
鶴木さんは顔をしかめ、木刀を腰から抜いて机の上へ置いた。
「だったら、美帆ちゃんが持って帰ってよ」
「私が?」
「駄目なんでしょ、私が持ってたら」
駄々っ子のような論理。
矢加部さんは呆れ気味にため息を付き、私へと視線を向けてきた。
「何よ」
「あなた、こういうのが得意ですよね」
「嫌だ。刀は好きじゃない」
別に、矢加部さんへの嫌がらせではない。
刃を見ると、ついケイが斬られた事を思い出すからだ。
「この私に持って帰れと」
「そうよ。お嬢様に言ってるのよ」
睨み合う私達。
冗談や相手への脅しではなく、お互いを相容れない形での。
「優さん、落ち着いて」
「そうですよ。大体、鶴木さんが悪いんですから」
「あのね」
「違いますか?」
威圧感を込めて微笑む青木さん。
普段大人しいだけに、その迫力はある意味私以上でもある。
「違いません。分かったわよ、もう。右藤君、ケース持ってきて」
「へいへい」
ロッカーを開け、長方形のケースを持ってくる右藤さん。
中には緩衝材が組み込まれていて、木刀の形に沿ってくぼみが出来ている。
彼はそこに木刀を収め、ふたを閉めて南京錠を掛けた。
「持って帰ってね」
「仰せの通りに。矢加部さん、他に持って帰る物は」
「ございません」
つんと顔を反らす矢加部さん。
ただし私へ向ける敵意に満ちた物ではなく、あくまでも親愛の情を含んだ雰囲気での。
用件は告げたし、自分のいる理由もないのでSDCを後にする。
以前ケイが言っていたが、矢加部さんと鶴木さんの祖先は主従の関係にあるらしい。
当然今は違うにしろ、関係の深い家系であるのは間違いない。
その意味では、御剣君の家も。
つまり彼等だけの、人が立ち入れないようなつながりが。
「何してるんだ」
小さい紙袋を手に持っているショウ。
ちょうど、医療部から帰ってきた所らしい。
「リレーのエントリーをしてきた」
沙紀ちゃんもメンバーに加わった事を告げ、彼の隣へ並ぶ。
そして彼も、鶴木さん達と深いつながりを持っている。
「何か、元気ないな」
「そうかな。SDCに、矢加部さんがいた」
「ふーん」
関心の薄い表情。
私は構わず、話を続けた。
「鶴木さんが、真剣を持ってた」
「あの人は、何がしたいんだ」
「でも、ショウの親戚でしょ。矢加部さんも」
「それは、家の話さ」
一言で終わらせるショウ。
当然、個人のつながりを否定した訳ではない。
ショウは勿論、彼等とも仲が良い。
ただ、それが自分にとって特別な事だとは言わない。
「昔からの知り合いでしょ」
「ああ。それが、どうかしたのか?」
「下らないけど。ショウは、どっち側なのかなと思って」
「どっち側もこっち側もない」
短い、少し苛立ったような口調。
私は歩みを遅め、彼の斜め後ろを歩き出した。
「ごめん」
「別に謝らなくてもいい」
「でも」
「言いたい事は何となく分かる。でも、俺にはどうしようもない」
突き放したような台詞。
先を行く彼。
私は足を止め、地面を見つめていた。
頼りない、華奢な自分の足元を。
彼等の家柄と自分の家。
育ちや環境。
特別な家柄に生まれ、育った彼等。
普通の家に生まれ、普通に育っている自分。
身分などと、大袈裟な事を言うつもりはない。
でも私達と彼等の間は、薄い何かで遮られている。
彼等はそうと意識しなくても。
私の側で、そう感じてしまう。
普段は気付かなく、意識もしない。
ただ彼等が集まると、それに気付く。
良くも、悪くも。
彼等は彼等であり、自分はその外側にいる人間なのだと。
よぎる影。
ぼんやりした意識で顔を上げる。
私の前に立ち、見下ろしているショウの顔を。
逆光にあり、その表情はいつもより薄く見える。
「別に、気にする事でもないだろ」
「そう、だね」
頼りなく答え、曖昧に笑う。
彼の言ってる事は分かる。
正論であり、そう考えるのが普通なのだと。
私もそうだと思う。
自分とは違う存在が、彼等だけの事だったなら。
縁遠い世界の人がいると、ただ思うだけだろう。
彼の存在がなかったなら。
「俺だって、気にしてるんだからさ」
口ごもり気味の、言いずらそうな口調。
苛立ちは私にではなく、彼自身に向けられているように思える。
「ああいう人達といると、場違いだなって」
「でもショウは」
「確かに、家はそうさ。名門らしいし、古い家だけど。自分にそういう実感はないし、何か間違ってるんじゃないかと思わなくもない」
気弱な。
さっきの私以上に頼りなげな表情。
彼は疲れたようにため息を付き、通路沿いに植えてある街路樹へ背をもたれた。
「昔は、拾われてきたんじゃないかと思ってた」
「顔は似てるじゃない。それに、強いし」
「似てるかどうかなんて、自分では分からない。大体強いと言っても、たかが知れてる」
「ちょっと」
「本当に、どうなんだろうな」
落ちる肩、下がる視線。
もう一度漏れるため息。
今にも消え入りそうな佇まい。
「病気?」
「知らない」
取りあえず彼を座らせ、お茶をお菓子を前に置く。
ショウは黙ってそれを見つめ、もそもそと食べ出した。
初めは私の悩みだったが、どうやら彼が以前から抱いていた悩みを表に出してしまったようだ。
彼がこういう事を気にしてるのは知っていたが、ここまで深刻に考えてるとは気付かなかった。
「何か食べる?」
首を振るショウ。
ただ、お菓子はいつの間にか全部なくなっている。
「おにぎりは?」
やはり首を振るショウ。
綺麗になくなるご飯。
俯き加減でお茶をすするショウ。
ただ、さっきよりは表情が和んでいる。
「子供じゃないんだから、ご飯を食べさせても意味ないでしょ」
キッチンで、呆れ気味に呟くサトミ。
こっちは構わず、ラーメンを作る。
後はチャーシューを添えて、ネギを散らしてと。
「太らせて、後で食べる気か」
物騒な事を言うケイを無視して、カステラを切る。
冷蔵庫の中は、気付けば空。
卵が少しと、バターや調味料があるくらい。
「わっ」
運ぼうとしたら、キッチンと部屋の間にショウが立っていた。
「食べる?」
「少しだけ」
手づかみでカステラを食べるショウ。
当然今度も、全てが平らげられる。
私達も多少は食べているが、比率で言えば9:1だ。
「お茶は?」
「少しだけ」
グラスではなくジョッキを取り出し、ぬるめのジャスミンティーを目一杯注ぐ。
一気に空にされたので、すぐにケトルで追加する。
「一体、何がやりたいんだ」
小声で呟くケイ。
冷蔵庫の中だけでなく、それ以外の食材もほぼ完食。
とはいえ古い物もあったので、綺麗に片付いて助かった。
「それで、何だったの?」
「別に」
二人して答え、お茶を飲む。
私はジョッキではなく、マグカップで。
苦笑気味に、お互いの顔を横目で見ながら。
「楽しそうね」
「全然」
これも二人して答え、少し笑う。
サトミはやってられないという顔で、生ゴミの入った袋の口を縛った。
「捨ててきて」
「どうして」
「それとも、食費を払いたい?」
二人して、ゴミ捨て場へとやってくる。
とはいえゴミ捨て場というのは私の表現で、施設としてはかなり整っている。
また生ゴミは有機肥料へ分解する装置があり、学内の花壇や植木の肥料へ使っているらしい。
ゴミ袋ごと放り込むと、それは攪拌用の鍬に似た道具に刻まれ中で回され始めた。
袋も有機素材を使ってあるため、こういう事も出来るという訳。
「ちょっと、思い出した」
「何を」
「泣いた事を」
去年の終わり頃だっただろうか。
子供の描いた絵を捨てた理事。
その絵を探すために、この辺りへ来た事を。
私達が今いるのは、生ゴミや資源ゴミを処理する施設。
この外に出れば、私達の探したコンテナが並んでいる。
「そんな事もあったな」
短く終わらせるショウ。
多少、はにかみ気味に。
私もそれ以上は辛いし恥ずかしいので、話を続けない。
手を洗い、外に出てそのコンテナを眺める。
今日はすでに回収された後らしく、その旨を告げる札が掛かっている。
「ゴミ、か」
「自分がそうだって?」
「あのな。いくら何でも、そこまで思うか」
鼻を鳴らし、コンテナを拳で軽く突くショウ。
小さい金属音が、静まり返った周囲に響く。
「いいんだよ。俺は地味に生きていくんだから」
「ケイみたいな事言わないでよね」
「あいつは、陰気に生きていくんだろ」
二人して悪口を言い合い、少し笑う。
翳り始める日射し。
伸びていく影。
空は赤みを帯び、薄い雲が流れていく。
冷たさを帯び始めた秋の風。
肩に触れる感覚。
彼の手ではなく、もっと軽く柔らかい。
「ちょっと」
「寒いだろ」
半袖になった二の腕を撫でるショウ。
私は長袖のジャケット。
その上に、彼のパーカー。
暖かくならない訳がない。
「自分は、寒くないの?」
「馬鹿は風邪を引かない」
「寒くないかって聞いたのよ。本当に、馬鹿なんだから」
パーカーの前を合わせ、入り込む風を避ける。
暖かくなる体。
少し前を行く彼の背中。
私と視線を合わせないように。
それこそ、逃げるようにして。
私の心に、温かさを残して。
ビデオを繰り返し見て、もう一度見る。
ショウの戦いではなく、リレーのビデオを。
正確にはニャンの出ている、草薙高校陸上部。
東海地区大会で優勝した場面を。
「やる気が無くならない?」
「全然」
燃えてくるとまではいかないが、参考にはなる。
やはりネックは、バトンパスのタイミング。
相手への信頼と、お互いの速度。
どれだけ速度を落とさず、それが出来るかどうか。
ただ、沙紀ちゃん達は北地区なのでその辺は問題ない。
結局私は、ここでも余り物らしい。
「何よ」
「私はいらない子かなと思って」
額に手を当ててくるサトミ。
すぐに、その端正な顔が傾げられる。
「熱はないわね。一体、何の話?」
「こっちの話。それより、警備は矢加部さんも絡んでるの?」
「あの人、局長補佐だもの。対して私やケイは、別組織の平隊員。世が世なら、こちらは何も出来ないのよ」
「面白くない話だな」
さっきから続いているような内容。
ただし、紛れもない現実ではある。
「気にくわないなら、幹部になればいいだけよ」
「誰が」
「あなたが」
「どうして」
もう一度額に当てられる綺麗な手。
止めてよね。
「だったら、あなたはどうしたいの」
「偉くはなりたくない」
「訳の分からない事を言わないで。それなら結局、今まで通り上の人に抑えられて動くだけよ。手柄も名誉も手当も持って行かれて」
あれこれと並べ立てるサトミ。
ただし、自分が幹部になるという言葉は出てこない。
矢加部さん達が羨ましいとか、腹が立つという言葉も。
「サトミは、何も思わないの?」
「彼女個人に対しては多少あるわよ。ただ、それと自分の立場は別。責任を負う気概もないし、それ程やりたい事でもない」
彼女の場合は出来ないではなく、やらないだけ。
その気になれば、生徒会長という可能性すらあるにも関わらず。
だから私の考えとサトミの考えを、一概に同じとする訳にはいかない。
私の場合はやりたくないのと、やれないの両方なのだから。
「どうしたの、急に」
「思春期の悩みが、色々とね」
「自分で言わないで。あなたは、どう思う?」
「興味ない」
やる、やらない。
出来る、出来ない。
ではない答え。
思っていた通りではあり、彼らしいとも言える。
ただし彼の場合は、サトミ同様責任ある立場で職務をこなす能力は持っている。
その方法や手続きは、ともかくとして。
「兄ちゃんは」
「俺?俺は何も出来ないから」
「じゃあ、出来るように努力しろ。士官学校で、出来ませんじゃ通じないだろ。死ぬのはお前だけじゃなくて、部下も一緒になるんだから」
表情は笑っているが、意外と真面目な事を言い出すケイ。
ショウは気圧され気味に頷き、自分から溜まっている書類に手を伸ばした。
それをこなすのが能力を高めるのと関係あるかはともかくとして、何かをやろうという思いは芽生えたのだろう。
「あー、助かった」
一転してふざけた事を言い、雑誌を読み出すケイ。
本当に、この人だけは信用しない方がいいな。
「士官学校って、そんなに難しいの?」
「知らないけど、大学とは根本的に違うだろ。卒業すれば、22か。その若さで少尉。部下は年上の連中だっているんだし。そういう人間に、死んでこいって命令する立場なんだから」
言い方はともかく、言いたい事は分かった。
生徒会やガーディアンといった物とは、まさに根本的に違う立場であり責任。
その肩に掛かるのは、国の名誉であり軍の名誉。
何より、人の命。
ケイが言うように、出来ませんでは済まされない。
「大丈夫なの?」
「さあね。心配なら、ユウも士官学校へ行けば」
「本気にしないでしょうね」
少し怖い目で、私の顔を覗き込んでくるサトミ。
ただし怒っている訳ではなく、あくまでも私を心配する気持が伝わってくる。
「行かないから大丈夫。さすがに私も、軍はちょっとね。それに、もし向こうで入れてくれないの」
「どうして」
「規定があるのよ、色々と」
身体的な欠陥は、特にない。
ただ、何故か知らないが身長の規定が存在する。
背伸びしたくらいでは、到底その規定には追いつかない。
「終わった」
差し出される書類。
それに視線を走らせ、ペンの裏で数カ所示すケイ。
ショウはその部分を直し、次に取りかかった。
真面目で、真剣な表情。
一時の感情で行っているのとは、少し違う雰囲気。
「何をやってるんだか」
「文句あるの?」
「それはあるだろ」
即座に反論するケイ。
私に負けないくらい、鋭い眼差しで。
「何よ」
「ここ」
書類の、一番下にある署名欄。
「隊長、もしくはそれに準ずる者のサインを必要とする」という旨の分がある。
「そうだよ。ユウが書くんだよ」
「準ずる者、でしょ」
「それは普通、副隊長か隊長代行」
「細かいな。えー、何だって?」
ショウに触発された訳でもないが、彼一人にやらせておく訳にもいかない。
まずは先週警備した、サッカーの試合のレポートを書く。
端末を起動させ、配置と人員、起きた出来事をチェックする。
「いつもそうだと、助かるわ」
優雅にティーカップを傾けるサトミ。
言いたい事は色々あるが、せっかくの集中力を無駄にしたくない。
何より、ショウの邪魔をしたくない。
まずはレポートを全て片付け、細々した届け物の書類に取りかかる。
備品の使用状況書?
毎回思うけど、これは意味があるのかな。
大体備品って言っても、端末と机くらい。
警棒は自分達の物だし、支給を受ける程お金がない。
私達にも、連合自体にも。
「……終わった」
独り言のように呟くショウ。
ケイはそれに目を通さず、自分は端末で何やら作業をしている。
相手にしていないのではなく、チェックしなくても大丈夫だと判断したのだろう。
成長と一言で片付けてしまうのは簡単だけど、そこへ至る道のりは長い。
例えば今彼が、一時の高揚した気分でやっているだけではどうにもならない。
きっと今までの地味な積み重ねが、少しずつではあるにしろ成果として現れているのだろう。
彼も決して、こういった仕事が得意な方ではない。
昔から真面目にはやっていた。
しかしそれに、結果は伴わなかった。
でも今は違う。
ガーディアンになってから5年目。
それが一つの形として、実を結ぼうとしている。
一方、自分はどうなのだろうか。
責任を担う程の能力はない。
ただ、嫌だからと言って逃げていてばかりも仕方ない。
それも、自分がやるべき仕事まで。
「何してるの」
マニュアルから顔を上げ、疲れ加減の目元を抑える。
私こそ一時の感情なのだろうが、何もやらないよりはましだと思いたい。
「頑張るのはいいけど、私の仕事がなくなるわね」
くすっと笑い、机に積んである本を手に取るサトミ。
ラウンジにはまだ大勢の生徒がいて、友達同士で談笑をしている。
ただ中には宿題をやっている人も、多少はいる。
部屋でやればいいという意見もあるだろうが、こういう場所の方でやりたいタイプの人もいる。
私がここへ持ってきたのは、単にスペースの問題だ。
本は少ないが、分からない部分を開いてさらにノートも使っているので。
「ガーディアンとしては長いんだし、やっていけばすぐに頭へ入るわよ」
「そうかな。とにかく疲れた」
「一気にやらないで、少しずつやるの。そうやって、人は成長していくのよ」
肩に置かれる綺麗な手。
そこに自分の手を重ね、指を絡める。
「成長、か。実感ないな」
「少なくとも、中学校の頃とは違うじゃない。あの頃は、何も考えてなかったでしょ」
きっとそれは、無軌道という意味だろう。
周りの事も、自分の事も深く考えず。
ただ感情に任せて行動していた日々。
それはそれで悪くないと自分では思っているが、決して賢い事とも言えはしない。
「ユウもだけど、ショウはどうしたの?」
「橋の下で拾われたんだって」
言う事ではないのかも知れないが、さすがに言わずにはいられなかった。
またサトミになら、聞かせてもいいと思ってる。
私がではなく、ショウの気持としても。
咳き込むサトミ。
テーブルにこぼれたお茶をウェットティッシュで拭き、彼女にも渡す。
「変わってるとは思ってたけど。まさか、そこまで思い詰めてたの?」
「どう思う?」
「私は捨てられた側だから、どうとも言いようがないわ」
思っていたような答え。
とはいえ、中学校の頃程の深刻な表情ではない。
そういう素振りでも。
「あれだけの顔であれだけ強くて、どうして自分に自信がないのかしら。この前一時おかしくなったけど、あれっきりでしょ」
「それが、ショウの良いところなの」
「だったら、相談しないで」
首を振り、机にあった小さなチョコをかじるサトミ。
確かに、それもそうだ。
第一、私があれこれ気にする必要がある事だろうか。
それは勿論、考えるまでもない。




