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円卓状に並ぶ机。
端末とコンソールを操り、きびきびと仕事をしている生徒達。
交わされる会話に私語は少なく、遊んでいる者の姿は見あたらない。
「何してるの」
机に伏せている男の子を見て、ようやく安心する。
浴衣を着ている、自分の場違いさも合わせて。
「寝てる。警備は」
「私はもう疲れたの。たこ焼きも焼いて、迷子の世話もして」
「たこ焼きはともかく、迷子って何だ」
「こっちの話」
説明するのも面倒なので、彼の隣りに座り適当に書類をめくる。
秋祭り全体のスケジュール。
ガーディアンのローテとメンバー。
警備の範囲と、重点警備地域。
それらに、あまり綺麗ではない字で書き込みがされている。
「仕事しなくていいの?」
「俺はここで、入ってくる情報を扱うだけ。現場の指揮は、また別な人間がやってるんだよ。……はい、浦田です。……では、早めに交代して引き継ぎを。その間はSDCと、配置場所の確認を。……ええ、調整はこちらで」
いつもは見せない、毅然とした表情。
こういう事をしている時だけの、ケイの顔。
「どうぞ」
そっと差し出されるお茶。
にこやかに微笑む女の子。
ショウのマグカップの方が大きい気もするが、それは体格のためだとしておこう。
「待遇いいじゃない。お茶汲みから、昇格したの?」
「知らん。それより、自分達の受け持ちはいいのか」
画面に表示される学内地図。
その一部に触れ、私達の受け持っている地域を表示させるケイ。
特にトラブルの情報はなく、私達以外のガーディアンが数組配置されているとある。
「さっき言ったでしょ。私は疲れたの。今は休憩の時間」
「まだ、半分過ぎた辺りだぞ。……ああ、分かった。……キャベツは軽トラで。……いや、予算はこっちで確保する」
「何、キャベツって」
「俺が聞きたいね」
端末を机に放り、太ももの辺りをさするケイ。
理由は分からないが、これ以上立ち入りたくもない。
今から焼きそばを焼く気力もないし。
「お前は休んでるのか」
「今寝てたら、友達が来て起こされた」
陰険な声と表情。
ただそれはいつもの事なので、気にせず卓上端末を操作する。
「おい。それは、俺の使用許可を得てから」
「いいじゃない。変なところは見ないから」
監視カメラの映像を表示させ、幾つかの場所をチェックする。
いない、ここにもいない。
「いた」
輪投げの屋台。
胸元で、小さく手を叩いているモトちゃん。
名雲さんは犬の小さなぬいぐるみを、はにかみ気味に彼女へ渡している。
サトミはと言えば、ヒカルと仲良くたこ焼きを頬張っている。
「全然警備して無いじゃない」
「いいんだよ。浴衣を着てる子は、遊んでても。モトが言ってたように、彼女達は抑止力。主力は、それ以外の野郎なんだから」
「だったら、どうして私はたこ焼きを作ってたの」
「好きだろ、たこ焼き」
確かに、好きは好きだ。
食べるのも、作るのも。
何かごまかされた気がしないでもないが、その先へ続く思考力が今はない。
「どうぞ」
差し出される串カツ。
よく分からないけど、妙に待遇がいいな。
「あなた、脅してるんじゃないでしょうね」
「俺に出されたのは、水道水だけ」
意味ありげに流れる視線。
串カツをくわえ、小首を傾げるショウ。
本当に自覚無しだな。
「あれ、何してるの?」
警棒を担ぎ、こちらへ近付いてくる沙紀ちゃん。
室内にいる全員の挨拶に返しながら。
「人望あるね。ケイと違って」
「別に、そういう訳でもないんだけど。たこ焼き屋さんは、どうなった?」
「今後3年は安泰なんじゃない」
「学内に店でも出すの?」
気さくに笑う沙紀ちゃん。
しかし彼女は浴衣ではなく、また普段とは違いシャツにジーンズ。
足元もブーツではなく、スニーカーを履いている。
「どうかしたの?」
「え、うん。ちょっと、怪我してね。出歩きたくないから、ここを受け持ってるの」
「ケイより上?」
「逆。私が、この人の下」
しかし、特に不満はないといった顔。
むしろ楽しそうというか、嬉しそうにも見える。
「じゃあ、その警棒は?」
「棚の上にあった箱を取ろうとしたんだけど、手が届かなくて」
「だから無理だって言っただろ。そうか、そうだよな」
小さい、雑然とした部屋。
段ボールとロッカー。
少したまったほこりと、薄暗い照明。
公式には資料室と言い、一般的には物置と呼ばれている。
「これか?」
「そう。重いから、慎重にね」
不安げに声を掛ける沙紀ちゃん。
椅子に乗り棚の上へ手を伸ばしてたショウは、特に力を入れる素振りもなく一抱えくらいある箱を引っ張り出した。
私がやったら押し潰されるか、それ以前に手が届かない。
「っと」
椅子の上から、抱えていた箱をケイへ渡すショウ。
その途端に落ちる、ケイの腰。
「お、おい。何だ、これ」
「俺が知る訳無いだろ」
椅子から降り、すぐにケイから箱を受け取って近くの机へと運ぶ。
それこそ猫の子を運ぶように、ごく平然と。
「お前、怪我は」
「怪我もなにも、このくらい何でもない」
「なるほど。そりゃ、串カツを貢ぎにやってくる訳だ」
誉めてるんだろう、多分。
その例えは、かなり嫌だけど。
「結局なんなの。……開けて」
「はいはい」
手でほこりを払い、ふたを開けるショウ。
中から出てきたのは、卒業生の進路関係の資料。
「ここって、ガーディアンの資料室じゃないの?」
「そうよ。これは、ガーディアンの進路関係分。一度、見てみたくて」
一番上にあった本を手に取り、軽く曲げてめくっていく沙紀ちゃん。
物思いに耽った表情で。
その理由はよく分からないし、私が立ち入る事でも無さそうだ。
「……はい、浦田です。……分かりました。すぐ増員しますので。……出来れば学外へ誘導して下さい」
端末へ指示をしながら部屋を出て行くケイ。
沙紀ちゃんは箱の中から数冊を取り出し、愛らしく微笑んだ。
ケイの背中にではなく、ショウへ向かって。
「ああ、載せろって事」
私に脇をつつかれ、ようやく理解するショウ。
とはいえ理解すれば、やる事はやってくれる。
この人は、断るって言葉を知ってるのかな。
いつまでも休んでても仕方ないので、建物を出て受け持ち場所へと戻る。
結局ここでも、仕事らしい仕事はないんだけどね。
「向こう行こうか」
「え、どうして」
不思議そうにするショウ。
いか焼き屋の隣りの屋台。
のれんに見える、射的の文字。
その前に陣取り、銃を構える風間さん。
無論乱射してる訳ではなく、銃口は屋台の方へ向いている。
仕事をしているようにも見えないが。
「風間さんがいるだろ。挨拶くらいしないと」
何も分かってない発言。
いや。この人も風間さんがどういう人かは、十分分かっているだろう。
それを踏まえての、この発言。
だから分かってないというか、彼らしいというか。
「こんばんは」
仕方なく彼へ近付き、遠慮気味に声を掛ける。
しかし風間さんは、振り向きもせず銃を撃っている。
さすがに彼も配備された銃を持ち出してはこないだろうから、物としては別なのだろう。
実際弾は単発で、かなり頼りない勢いである。
下をスライドさせるのではなく、横のレバーを引いてバネを縮めるのかな。
「風間さんって」
「聞こえてる」
「お金がもったいないから、止めたらどうですか」
景品から距離を置くために作ってある、横へ長い台。
その上に、山となって置いてあるコルクの弾。
本当に馬鹿だな、この人は。
「ショウ、もったいないから代わりに当ててあげて。済みません、こっちにも銃を」
「え、兄ちゃんが?」
露骨に顔をしかめる、屋台のおじさん。
ここは、生徒の運営ではないらしい。
「ほら。……、やっぱり駄目だ」
即座に否定するおじさん。
銃を構え、台の上に身を乗り出すショウ。
景品へ向けて、さらに伸ばされる手。
風間さんも同じような姿勢をしているが、身長とリーチの差で銃口の位置はかなり違う。
銃口が景品に当たるとは言わないが、距離が近い分狙いやすいし威力も増す。
「兄ちゃん、勘弁してくれよ」
「はあ」
素直に引き下がるショウ。
この子は本当に、もう。
勿論、それはそれで格好いいけどね。
「じゃあ、私は」
「いいけど。結構固いぞ」
「あのね。見た目は子供でも、中身は……。固っ」
引き金は、まだいい。
問題は、バネを引くための横にあるレバー。
私でも、引けない事はない。
両手を使うか、足を使えば。
「じゃあ、ショウ引いて。私、撃つから。そのくらいはいいですよね」
「ああ。あんたら、恋人?」
「さあ、どうでしょう」
さすがにこの人を撃つ訳にも行かないので、曖昧に笑って銃を構える。
コルクは銃口にではなく、横から込めるスタイル。
多分、本物のライフルを真似ているのだろう。
まずは台に肘を付き、脇を締めてストックを肩に押し付ける。
力は入れ過ぎず、銃口の先端にある部分を狙う景品へと合わせて意識を集中する。
息を吸って、吐いて、吸って止める。
「あれ」
跳ね返されるコルクの弾。
小さな招き猫は、少し仰け反っただけ。
それ見て、満足げに笑うおじさん。
なる程、あれはあくまでも客寄せ用と言う訳か。
「分かった。ショウ、弾入れて」
「ああ。そういう事」
すぐに分かってくれるショウ。
まず彼に弾を入れてもらい、レバーも引いてもらう。
やや高い位置にある台に肘を掛け、招き猫へ向かって再び構えを取る。
息を止め、引き金を絞る。
飛んでいったコルクは不安定な軌道を描き、招き猫の耳当たりに当たる。
先程同様、少し浮き上がる猫。
その間にショウが素早く弾を込め、レバーを引く。
私は構えた姿勢を崩さず、彼の作業が終わったのを確認して次の弾を放つ。
今度も、もう一度耳を。
さらに傾く猫。
弾を込めるショウ。
それを確認し、先程より姿勢を低くして引き金を引く。
当たったのは、猫の足元。
正確に言えば、人形の裏。
完全にバランスを失う招き猫。
弾を込め、銃身に手を添えるショウ。
少し触れ合う指先。
その事を意識しつつ、最後の一発を放つ。
乾いた音を立て、棚の上で転がる招き猫。
少し伸びる指先。
確実に重なるように。
彼は何も言わず、はにかみ気味に微笑んだ。
「あー」
そんな感慨めいた気持を吹き飛ばす、絶望に満ちた声。
倒れていた招き猫を起こしたおじさんは、この世の終わりという顔でその猫をこちらへと持ってきた。
「いえ。その、あれ。そんな大事な物なら。ねえ」
「え?ああ、そうそう」
すぐに頷くショウ。
するとおじさんは即座に猫を棚へと戻し、その代わりなのか景品のキャラメルとチョコを持ってきた。
「悪いけど、これで勘弁してくれ。その代わり、お金はいいから」
はは、何か得したな。
正直言えば、招き猫をもらっても仕方ないし。
「だったら、遠慮無く。行こうか」
おじさんにお礼を言って、射的の屋台から離れていく。
仏頂面で、こちらを睨んでいる風間さんからも。
簡単に言えば、気分がいい。
射的の事もそうだし、もらったお菓子の事も。
指先を握り返しながら、そんな事も思ったりする。
とはいえ今は、特に何かを握っている訳ではない。
淡い幸せを噛みしめているような物だ。
またそういうのが、嬉しくもあったりする。
「熱田神宮の方も、行きたかったね」
「仕事だからな。いいさ、明日行けば」
「そういう問題じゃないでしょ」
たわいもない会話を交わし、屋台を冷やかしながら辺りを見渡す。
さっきよりは人の数は減り、屋台も営業はしているものの終わりの時間を見越してか値引きしている所も多い。
他はともかくとして、この辺りでは特に問題は起きなかったようだ。
それは治安の意味においても、ここで楽しんでいる人達にとってもいい事である。
勿論、私達にとっても。
急に途切れる人の流れ。
ある一箇所を避けるような動き。
嫌悪感を漂わせたささやきと、呆れ気味の視線。
理由は簡単で、通路脇のベンチに柄の悪そうな男達が座っているからだ。
足元には空き缶。
赤い顔と、ろれつの回らない大声。
アルコールの持ち込み禁止といっても、これだけの人数なので手荷物まではチェックしなかったらしい。
逆を言えば、その辺りは個人の良心に掛かっている。
人間性と言い換えてもいい。
「G棟周辺担当、雪野優です。……ええ、H棟へ続く通路の途中にあるベンチで。……お願いします」
端末で応援を呼び、それとなく彼等を監視する。
普段なら有無を言わさず動いているが、今は浴衣姿。
それにショウの怪我を考えれば、無理をしたくはない。
無造作に放られる空き缶。
それも、かなりの早さで。
悲鳴を上げて友達に抱きつく女の子。
咄嗟に彼女達をかばうショウ。
私は裏拳でそれを弾き、地面へ叩き落とした。
重く、鈍い手応え。
空き缶ではなく、中が入っていたようだ。
すぐに聞こえてくる、大きな馬鹿笑い。
明らかに、意図的な行動。
酔っているからという言葉では済まされない行動。
またここでは、酔っている事自体が罪である。
「ユウ」
「大丈夫」
手首を振り、無事をアピールする。
勿論多少の痛みはあるが、意識して動いていたので負担は少ない。
「落ち着けよ」
「分かってる。自分こそ」
私よりも前に出ているショウ。
それは私や後ろにいる人達をかばうという意味以外に、男達へ対する意識の表れだろう。
「何だ、お前ら。文句でもあるのか」
敵意には敏感らしく、こちらへ向かって怒鳴ってくる男。
すぐに下がっていく周囲の人達。
私達は動かないので、当然連中と対峙する格好になる。
とはいえ馬鹿の相手は嫌なので、あくまでも仕方なく。
せっかくのいい気分も台無しにされた分、苛立ちだけが強くなる。
足元の缶ビールを拾い上げ、男達へ放る。
さっきこちらへ飛んできた時とは違い、緩やかに放物線を描くようにして。
「はっ。どこを狙ってるつもり……」
男達の間を通り抜け、ベンチの角に落ちる缶。
小さな、耳を澄ませていないと聞こえないくらいの音。
その直後に破裂する、缶ビール。
叫び声を上げながら、慌てて逃げまどう男達。
辺りからは失笑が起き、今まで以上の呆れた空気が流れ出す。
「この野郎っ」
別な缶を投げ付けてくる男。
ショウはそれをシングルキャッチして、即座に投げ返した。
再び上がる叫び声。
プルトップを開けていたので、中身がまた飛び出したのだ。
ビールまみれの男達。
異様な敵意に満ちた眼差し。
とはいえそんな事は、初めから分かっている。
せっかくの祭りを台無しにして、人に迷惑を掛けて。
反省しようという意思すら見せない。
それだけでも、十分に許されない。
なおかつ私達の邪魔をするなんて。
たわいもなく、子供っぽい事だったとしても。
私にとっては、何よりも大切な時間だったのに。
一生この瞬間を忘れないと思える程の事だったのに。
それをこんな形で終わらせるなんて。
「そこまでだ」
低い声。
動きを止める男達。
警棒を構え、連中を取り囲むガーディアン達。
その先頭に立った塩田さんは顎を振り、連れて行くよう促した。
「お前らな」
こちらを向く、呆れ気味の視線。
私達に、何か言いたい事があるらしい。
それも、あまりよくない事を。
「ビールを掛けるな。あれじゃ、拘束も出来ん」
「だって」
「投げられたら、受け止めるだけでいいだろ」
この人、もしかして初めから見てたんじゃないだろうな。
だったら、自分で止めてくれればいいのに。
「睨むなよ。せっかく、そんな恰好してるのに」
「済みませんね。子供みたいで」
「何、ぴりぴりしてるんだ。玲阿」
「悪いのは、あいつらですから。やり過ぎたのは認めますが、俺達は間違ってません」
珍しく強気に言い返すショウ。
ちょっと見直したというか、見入ってしまった。
塩田さんは彼の胸元を拳で軽く触れ、距離を詰めて視線を上げた。
「俺に意見か」
普段なら、ここですぐに引き下がる。
でもショウは多少腰を引きつつも、そのまま塩田さんと視線を合わせた。
「周りへの危害を加える危険性がありましたから。それに、あいつらにも怪我をさせてません。処分するなら、俺だけにして下さい」
毅然と言い放つショウ。
静かな中で聞こえる、彼の声。
周りにはまだ人がいて、話声や足音はある。
でも今の瞬間だけは、彼の声しか聞こえていなかった。
「分かった」
「塩田さんっ」
鳩尾を捉える拳。
あくまでも軽く、先程同様触れるくらいの勢いで。
「という訳だ。もうすぐ終わりだし、熱田神宮にでも行ってこい」
後ろ向きで手を振りながら去っていく塩田さん。
私は固めていた拳を収め、ショウの鳩尾へ視線を向けた。
勿論何もなってはいなく、彼の手が添えられているだけだ。
とはいえ痛い訳ではなく、その意味を確かめるためだろう。
自分の行動、塩田さんの気持ちを。
「あの人、ずっと私達を付けてたんじゃないの?」
「怖い事言うな」
咄嗟に振り返るショウ。
当たり前だが塩田さんの姿はなく、可愛い女の子達が顔を赤らめているだけだ。
「じゃあ、行こうか」
「ああ」
幹線道路沿いに続く、生い茂った木々。
広い歩道には屋台が立ち並び、今も大勢の人が行き交っている。
とはいえ終わる時間も近いため、地下鉄の駅への流れがより多いだろう。
木々の切れた所にある入り口から入り、土の地面を踏みしめる。
さすがに中まで屋台はなく、人の数も先程よりはかなり減る。
売店を右に見つつ奥へ進み、道の交差する場所でようやく玉砂利を踏みしめる。
正面に現れる、見上げる程の大きな鳥居。
それをくぐり、さらに奥へと進む。
「お参りでもするのか」
「え」
「だって、この先は本宮だろ」
正面にもう一度現れる、大きな鳥居。
そこをくぐると、熱田神宮の本宮に辿り着く。
初詣などの時にお参りする場所というイメージしかないが、今は特に行く用事もない。
知らない間に、普段と同じルートを歩いていたようだ。
「そう。お参りに行くの」
引っ込みが付かなくなった訳ではない。
別に初詣でなくてもここへ来てもいい訳だし、神様も嫌な顔はしないだろう。
拝所の奥に見える、大きな神社でしか見られない独特の建物。
神明造りと言うらしいが、詳しい事は全然分からない。
その奥にはさらに本殿があり、神様はそこにいるという話。
もしかすると、草薙の剣が眠っているのかも知れない。
草薙の剣が実在するのなら、という話だが。
などと不謹慎な事を考えててもあれなので、手を叩たいて頭を下げる。
二礼二拍一礼などというが、あまり細かい事にはこだわらない。
駄目かなとも思うけど、神様もそこまで細かい事は言わないだろう。
「何お願いした?」
「健康になりますように」
多少笑える答え。
ただ、今の彼にとっては切実な願いでもあるだろう。
「うわっ」
思わず声を上げ、頭を押さえる。
頭上を過ぎていく白い影。
何かと思ったら、鶏だった。
「ど、どうしてここは、鶏がいるの?」
「でも健康に育ってるし、美味しいんじゃないのか」
罰当たりな事を言う男の子。
今度は、雷でも落ちてくるんじゃないのか。
勿論そんな訳もなく、来た道をゆっくりと戻っていく。
周りを覆う木々。
街中より薄暗い明かり。
玉砂利を踏む音が、静かな辺りに広がっていく。
道を行き交う人はみな落ち着いた物腰で、私達にも会釈をしながら奥へと進んでいる。
澄んでいく心。
さっきまでの苛立ちや怒りは少しずつ消え、安らいだ気持になっていく。
喧騒からかけ離れた場所であり、神社にいるという意識がそうさせるのだろう。
会話もなく、視線を交わす訳でもなく。
出口へ向かって、ただ歩いていく。
話題は幾つでもある。
その気になれば、今すぐにでも盛り上がるような事も。
それでも私達は、静かに歩いていく。
私の決して早くはない歩調に合わせて歩いている彼。
近い、寄り添うような距離。
少し横へ伸びる、私の手。
微かに触れる指先。
ためらいがちに、そっと握り締める彼。
偶然でもない。
何かのきっかけがあった訳でもない。
自分の意思で。
お互いの想いを込めて、指先を握り合う。
腕を組むのでもなく。
手を握り合うのでもなく。
本当に、たわいもない事。
私にとっては、一生の思い出……。
学校へ戻り、浴衣を着替える。
これはこれでいいが、やっぱりもう少し動きやすい方が私としては好みなので。
「楽しそうね」
「そう?」
「鼻歌まで歌って」
それは自分でも、気付かなかった。
どうも、多少浮かれ過ぎていたようだ。
あのくらいの事で。
何て思い出しているうちに、にへにへしてしまう。
どうも、当分は駄目だな。
「ショウは?」
「もう、家に帰ったよ」
「送らないの?」
「怪我も治ってきたし、ちょうどバスが来たから」
この恰好でこれ以上うろうろするのも疲れるし、あれ以上一緒にいたら倒れそうだったから。
というか、今でも思い出すだけでぼーっとする。
「あなた、大丈夫?」
「勿論。まだまだ、これからよ」
わーっと両手を上げ、わーっと叫ぶ。
何にしろ、テンションは高いので。
しかしサトミは邪魔だと言いたげに手を振り、浴衣を畳んだ。
「ちょっと。もっと弾けたら。祭りの後よ」
「祭りの後は、物悲しいのが相場なの」
「サトミは物悲しいの?」
「あなたの相手をしてたら、悲しくなってきたわ」
上手い事言うな。
でも怒らない。
でもって、笑ったりする。
「気持ち悪いわね。本当に、大丈夫?」
「何一つ問題なし。モトちゃんは?」
「あの子は幹部だから、残務処理があるの」
「それは、ケイの仕事でしょ」
「あの子は警備全体の担当者だから、また別な仕事があるの。一応、真面目にやってるみたいよ」
ふーん、どうでもいいや。
私は、自分の幸せを噛みしめていればそれで。
「という訳で、掃除してきて」
脈絡のない台詞。
冗談を言っている訳ではない顔。
こっちも、冗談じゃないとばかりにサトミを睨む。
「清掃センターの人がやるんじゃないの」
「明日はね。それに学内はともかく、学外が汚れたままだとまずいでしょ」
確かに体面的に問題だし、近所の人にとっても迷惑だ。
それは分かるけど、一気に疲れてきたな。
たこ焼き、迷子と来て、最後に掃除。
ゴミくらい自分で捨てろと思いつつ、空き缶や紙皿を片付けていく。
当たり前だが私一人ではなく、学校の塀に沿って大勢の生徒が腰を屈めてゴミを拾っている。
みんな真面目だな。
「さぼらないで」
「今の私に、多くを求めないで」
塀に背をもたれて屈み、膝を抱える。
もう、早く帰って寝てしまいたい。
というか、このまま寝てもいいくらい。
大体出だしのたこ焼き屋で、張り切り過ぎたんだ。
でもあの子達はこの時間まで焼いていたんだろうし、一体どういう体力をしてるのかな。
「……ちょっと」
「あ?」
顔を上げ、夜空を見上げる。
今日は月が、大きいな。
「寝てたの?」
呆れているというより、不安げな顔。
取りあえず口元を拭いて、首も振る。
「誰か、水持ってきて」
何だ、頭からぶっかける気か。
勿論そんな訳はなく、ペットボトルでお茶を飲む。
それ程すっきりはしないが、前よりはよくなった。
少なくとも、路上で寝込むような真似はしない。
「あなたって、よく動くのに体力はないのね」
ゴミを仕分けながら話しかけてくるサトミ。
しかし話す気力も薄いので、適当に頷きもう一口お茶を飲む。
「ちょっと、寒くなってきたわね。大丈夫?」
「多分」
小声で答え、塀を伝って立ち上がる。
軽く拳を前に出し、足を振り上げる。
完調とは行かないが、掃除くらいは何とかなるだろう。
「雑巾は」
「もう一度寝る?」
「だって、掃除……」
確かに掃除だが、屋外の掃除。
どこをどう見ても、拭く物なんて何もない。
あるとしたら、せいぜい私の顔くらいだ。
「駄目だ。ちょっと、顔洗ってくる」
「掃除はもういいから、少し休んでなさい」
「そうする」
利便性を考えて、正門を入ったすぐ側にはトイレや売店が設置されている。
この時間に売店は開いてないが、洗面台は24時間使用可能。
警備員さんも正門脇には24時間いるため、おかしな人間がやってくる心配もない。
取りあえず顔を洗い、鏡に映った自分をチェックする。
少し眠そうな顔で、精気が薄れている。
熱田神宮のあれで、全ての気力を使い果たしたらしい。
なんて事を思ってる間に、顔が熱くなってきた。
という訳でもう一度顔を洗い、夜のトイレに別れを告げる。
居並ぶドアから逃げるようにして……。
後ろを振り向き、誰も追って来ない事を確認して歩みを遅める。
追ってくる訳無いし誰もいないんだけど、精神的に。
目の前を行く、見慣れない物体。
咄嗟に飛び退き、顔と正中線をガードする。
これは、体力や気力の低下とは関係ない。
それとは別な次元で、体が反応する。
「あれ」
風に乗り、頼りなく漂う風船。
ヘリウムガスが抜けているのか、空へ向かうでもなく地面へ落ちるでもなく私の目の前辺りでふらついている。
それはいいんだけど、ちょっと気になるな。
もう少し正確に言うと、気持ち悪い。
赤い、ごく普通の風船。
艶のない表面。しぼみ加減の雰囲気。
妙に圧迫感があるというか、楽しくはない気分にさせてくれる。
「しっ」
それで言う事を聞くと余計怖いが、手を振って風を送る。
緩やかになびく風船。
しかし手を引いた反動でも風が起こり、こちらへと近付いてくる。
「いいんだって、来なくても」
夜の学校。
一人騒ぐ私。
それだけでもかなり異様だが、風船を前にしてるとなるとさらにどうかしてる。
取りあえず忍び足で歩き、風船を避けて正門へと向かう。
しかし風船は、そんな私を追うようにして動き出した。
それも素早くではなく、ゆったりと。
私に付き従うようにして。
「何よ」
無言で応える風船。
反論されても困るけど。
「とにかく、じっとしてて。私は、あなたと遊んでる暇はないの」
重い足を動かし、風船の様子を窺いつつ後ろ向きで歩いていく。
さすがに、背を向ける程の度胸がないので。
たかが風船。
されど風船だ。
この動きを見ている限りでは、とても冗談ごとでは済まされない。
しかし風船は、そんな私をからかうように付いてくる。
これが暗闇だったら泣いてるだろうな。
というか、このままだったら泣く気がする。
一歩進むと、向こうも少し。
3歩進むと、向こうも大きく。
駆け出すと私を追い越し、弧を描いて私の後ろに張り付いてくる。
もしかして、風船の形をした生き物とか。
……やっぱり、大分疲れてるようだ。
とはいえ否定する要素は何もないので、刺激しない程度にゆっくりと歩いていく。
「何してるの」
正門の少し手前。
私が遅いのを心配したのか、駆け寄ってくるサトミ。
「こ、これ」
「風船じゃない」
「わ、私の後を付いてくる」
「紐が付いてれば、当然でしょ」
私の背中に手を回すサトミ。
その動きに合わせて動く風船。
それを見ると、さっきまでの風船の動きは説明が付く。
だから何だという話で、こっちは安堵感と疲労で倒れ込みそうなだけだ。
「もう、お祭りは終わったのよ」
心底疲れたという顔でため息を付くサトミ。
そんな事は、私が一番分かってる。
「それはいいから、風船をどうにかして」
「捨てればいいの?」
「どうしてもいい。とにかく、私の目の届かないところにやって」
もう一度熱田神宮へ行って、お祓いでもしてきた方がいいのかな。
そんな気力もなく、サトミに手を引かれて寮へと戻る。
しかし、ここまで疲れたのも久し振りだな。
さっきは浮かれてたから気付かなかったけど、相当緊張していたんだろう。
まずはシャワーを浴びて、熱くなった頭を冷やす。
次にお風呂へ入って、もう一度温める。
ぬるめのお風呂に、ゆっくりと。
すぐにとは行かないが、これで少しずつは体が楽になっていく。
「……うわっ」
すかさず手を伸ばし、壁にある手すりへすがる。
危うく、お風呂で溺れ死ぬところだった。
ここまで来ると、笑い事じゃ無くなってくるな。
息を上げながらバスルームを出て、ベッドに転がる。
着ているのは下着だけだけど、誰が入ってくる訳でもないので問題ない。
そこまで気を回す余裕もない。
後は電気を消して、タオルケットを掛けてと。
……耳障りな呼び出し音。
うるさいので枕を被り、目を閉じる。
息苦しくなってきたので、枕を取って少し叫ぶ。
「雪野さーん」
「先輩」
ドアの向こうから届く、聞き慣れた声。
寮って、防音じゃなかったっけ?
続いて、足音も聞こえてきた。
人の姿も見えてきた。
防音以前の問題だな。
「もう寝てるんですか?後夜祭ですよ、後夜祭」
「高野山?」
「先輩、面白くないよ」
そんな事は、私だって分かってる。
大体後夜祭って、文化祭じゃないんだから。
「私は眠いの。もう、動きたくないの」
ベッドの上で手を振って、タオルケットを被り体を丸める。
別に丸くなる理由はないが、丸くなって悪い理由もない。
「大体あなた達、どうやって入ってきたの」
「遠野さんから、キーをもらったので」
タオルケットの上に置かれる、固い感触。
明かりを付けて、それを確かめてみる。
はっきりとはしないが、この部屋の合い鍵らしい。
渡瀬さんは手首を返し、器用な仕草でカードキーをポケットへ入れた。
「それで、私に何か用?」
「売れ残った食べ物があるんだけど、どう?」
誘うように笑う神代さん。
人が、そういつまでも食べ物に釣られると思ってるのか。
「今は、お腹一杯なの。二人で食べてればいいじゃない」
「売る程余ってるんですよ」
「じゃあ、売れば。食堂かラウンジで」
「悪くなりません?」
いつの間にか話し込んでいる自分。
気付くと、少し眠気は薄れてきた。
体のだるさは、なかなか抜けないが。
「栄養ドリンクは余ってないの?」
「はい?」
「いや。こっちの話」
ドアの方を見て、モトちゃんがいないのを確認する。
噂をすれば影が差すからな。
「取りあえず、ラウンジへ行こうか」
テーブルに積まれたプラスチックのパック。
たこ焼き、お好み焼き、いか焼き。
リンゴ飴に、綿菓子、少し不格好な飴細工。
「どうします?」
「知らない。ケイにでも相談したら」
「浦田さんに。それいいですね」
「横流ししない?」
二者二様の答え。
それぞれの性格が窺える。
取りあえずケイに連絡を取り、私の案通り学内で捌く事になった。
細々指示をしたいところだけど、今はとてもそういう気分じゃない。
「眠そうですね。大丈夫ですか」
今さら、何言ってるんだ。
欠伸で渡瀬さんへ答え、温かいお茶を少し飲む。
何か、お茶ばっかり飲んでるな。
「リレーの選手は見つかりました?」
「何、リレーって」
「それを聞かれると、私も答えようがありません」
訳の分かんない子だな。
大体、どうしてリレーの話なんて。
「ああ、そうか。今探してる。後二人」
「ずっと、後二人ですね。棄権した方がよくありません?」
「ニャンに、負けを認めろっていうの?」
「負けというか。陸上部に勝つような事があったら、私達がインターハイに出てますよ」
冷静に返してくる渡瀬さん。
それはそうだけど、これだけは譲れない。
彼女が陸上部だろうと、高校生の日本記録保持者だろうと、アジアGP金メダリストだろうと。
止めよう。
これ以上上げると、私のやる気が無くなってくる。
「あっ」
突然叫ぶ神代さん。
アイドルでも見つけたかのような顔で。
誰か、恰好いい男の子でも来たんだろうか。
私も重い体を動かし、彼女と同じ向きへ視線を合わせる。
艶やかな長い髪、スレンダーな体型。
整った顔立ち。
ブランドっぽいシャツと、やや丈の長いスカート。
首元にはネックレスが輝き、かき上げた耳元にもピアスが光っている。
「ちっ」
舌を鳴らし、爪楊枝をくわえる。
でもって、かじる。
矢加部さんの方でもこちらに気付いたようだが、近付いては来ない。
挨拶する間柄ではないし、されても困る。
そんな事をしている間に、二人は彼女の元へと駆けていった。
夏休みに世話になったというから、私とは違う心情を抱いているのだろう。
お金持ちだし外見は綺麗だし、気前もいい。
性格以外に、悪い要素は見あたらないので。
「あなた、何怒ってるの」
「あれ」
「ああ、矢加部さん。よかった、合い鍵の事じゃなくて」
それも怒ってるよ。
仕方ないのでサトミと向き合い、リンゴ飴を取り出す。
これって見た目はいいんだけど、味は今いち何だよね。
「食べるの?」
「食べない」
あくまでも、刺激を求めているだけだ。
あーあ、面白くないな。
「やっぱり寝よう……。ここって、寮だよね」
「寝てなさい」
サトミに追い払われ、自室に戻りタオルケットを被る。
すぐにやってくる眠気。
体から抜けていく力。
薄れていく意識。
全ては夢の中に消えていく。
さっきの出来事も。
今日の出来事も。
消えていかない、幾つかの事。
夢ではない想い。
意識が薄れても、夢の中へと入っていっても。
夢ではないかと、不安にはなる。
学校の塀にもたれていた時に見た、一瞬の。
胸元で握り締める拳。
伝わってくる、微かな温もり。
夢、それとも現実。
枕元に手を伸ばし、もう一度手を握り締める。
柔らかな感触。
確かな、夢ではない現実の。
暗がりの中、指でなぞる。
そこに書かれた文字を。
熱田神宮で買った、小さなお守りを。
夢ではない出来事。
夢みたいな事。
幸せな夢の中へ落ちていく。




