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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第22話
238/596

22-4






     22-4




 秋晴れとでも言うんだろうか。

 雲一つ無い、高い空。

 でも夏に比べ青さは薄れ、逆に澄み切った色になっている。

「どう?」

「何が」

「調子がよ」

「少し痛いけど、気になる程でもない」

 間近で答えてくるショウ。 

 というか、彼へしがみつきそうな状態。

「自分こそ、大丈夫か」

「わ、私はなんとか。と、とにかく掴む場所を」

 混み合っているバス内。

 立っている乗客用のバーはあちこちにあるが、遠いか高い。 

 椅子の取っ手も、人の壁で掴めやしない。

「ここ掴めよ」

 腕を目線で示すショウ。

 さすがに怪我をしてる右ではなく、比較的軽傷だった左の方。

「恥ずかしいな」

 とはいえこんな所でよろけてる方が恥ずかしいので、太い彼の腕にしがみつく。

 なんというのか、根の張った大木に触れている感じ。

 揺れもしないし、動きもしない。

 でもって安堵感があるし、なんだか心が楽になっていく。



 楽しい時間もつかの間。

 バスは草薙高校前へと到着する。

 降りていく生徒達。

 私もその流れに揺られつつ、バスの外へと追い出される。

「あー、苦しかった。バスで、大丈夫なの?」

「タクシーなんてもったいないし、車もまだ運転するのは怖い」 

 痛みと、薬による意識への影響。

 ケイの言う、ぶつけそうだというのとは少し違う。

「それに、迎えに来なくても一人で大丈夫だって」

「先週のあなたを見てると、信用出来ないの」

「俺って、そんなに変だった?」

 不安げに私を見てくるショウ。

 それも、かなり近い距離で。

 どうしてか。

 腕を組んでるからだ。

「変というか、こういう事をしても気にしないくらいに」

「え、あ?わっ」

 慌てて飛び退くショウ。

 それでどこかを痛めたのか、小さく唸って立ち尽くした。

「ちょっと、何してるの」

「だ、大丈夫」

「歩ける?」

「俺がユウに肩を借りたら、共倒れになる」

 面白くも何ともない事実だな。

 ただゆっくりした足取りとはいえ普通に歩いているので、心配はないだろう。

「ぼーっとしてないね。先週の意識とかある?」

「当たり前だろ。でも、一日が過ぎるのは早い気もしたかな。朝ご飯食べて医者に行って帰ってきたら、すぐ昼ご飯だから」

 大丈夫、だと思う。

 先週よりも良く喋るし、表情も豊かになっているから。

「まだ、休んでた方が良くない?勉強は、家でも出来るでしょ」

「家にいても暇だし、忘れられたら困る」

 殊勝な発言。

 しかしこの子の事を忘れる人なんて、いるんだろうか。


 集まってくる視線。

 後ろに続く人の列。

 前にいた人達は道を空け、顔を赤らめながら小声で挨拶をしてくる。

 アイドルだね、まるで。

「出てきたの?」

 あまり愛想無く声を掛けてくるサトミ。

 ただしその険しい目付きや態度も、彼の体調を気遣ってだろう。

「その、あれ。みんなに忘れられても困ると思って」

「ユウにさえ覚えてもらえればいいでしょ」

 私達にだけ聞こえるくらいの小声。

 ショウは何となく赤くなったように見える顔を反らし、右腕を大袈裟に押さえた。

「演技の練習でもしてたの?」

「もういいよ。えーと、教室ってここか」

 迷う事無く室内に入っていくショウ。

 1週間程度では、誰も迷わない。 

 私は、三日前でも忘れるが。


「よう、人気者」

 朝から、じめじめした感じの声。

 仕方ないのでスティックを伸ばし、脇腹を軽く突く。

 傷のある、右側を。

「うわっ」

 朝からは、あまり聞けない種類の叫び声。

 痛いと言うより、気持ち悪いらしい。

「うるさいな。静かにしてよ」

「お、俺だって、ここは怪我を」

「いつの話をしてるの。もう、去年じゃない」

「季節の変わり目は、しくしく痛む。何とかしてくれ」

 誰に言ってるんだ。

 というか、どうして欲しいんだ。

「まあいい。それより今日はお見舞い会をやるから、準備しとけ」

「なんだ、それ。聞いてないぞ」

「言ってない。お前はいいんだよ。座って、ニコニコ笑ってれば。後は向こうが、貢ぎ物を持ってくる」

 またもや、朝にはあまり見られないタイプの笑顔。

 地獄の入り口辺りで、亡者から賄賂をもらう門番みたいな。



 昼休み。

 あまり動きたく無さそうなので、お弁当を広げる。

 食べやすいように、おにぎりを作ってきた。 

 卵焼きと、薄味のエビチリと、豚の唐揚げに、ブロッコリーとスモークハムの炒め物。

「美味しそうね」

「二人分しかないよ」

「へー」

 わざとらしく感心するケイ。

 というかこの子達、どうしてここにいるんだ。

「ご飯食べに行かないの?」

「私、買ってきてる」

「俺も」

 机の上に置かれるパンやお弁当。

 どうも、こうなる事を見抜かれていたようだ。

「それとも、二人で食べたい?」

「まさか。何言ってるの。馬鹿馬鹿」

 サトミの頭をペタペタ叩き、水筒で持ってきたコンソメスープをマグカップへ注ぐ。

 その上に、刻んだパセリを少し散らす。

 後はカレー塩を、ティッシュの上に出す。

「はい、どうぞ。……食べなくていいの」

 ケイの手をフォークで制し、おにぎりをかじる。

 ショウのより、半分くらいのを。

「美味しい?」

「え、ああ。美味しいよ」

 はにかみつつ、ゆで卵を食べるショウ。 

 これを美味しいと言われても、ちょっと微妙だが。

「いちゃいちゃしやがって。健全な学舎で、何をやってんだ」

 聞こえない振りをして、スープをすする。

 美味しいけど、余りそうだな。

「上げる」

「いらん」

 意地ではなく、彼はそう食べる方ではない。 

 サトミは遠くの方を見ながら、ストローでお茶を飲んでいる。

「ショウは?」

「飲むよ」

 水筒を受け取り、マグカップへ注ぐショウ。

 二度、三度と。

 これも意地になってる訳ではないと思う。

「大丈夫?」

「少し熱いかな」

 若干ずれ気味の答えが返ってきた。

 とはいえ体に悪い物は入ってないし、問題ないか。


 後片付けをしていると、教室の後ろが騒がしくなった。

 誰かが入ってきたらしい。

 いや。こちらへ近付いてきてるのか。

「お見舞いかな」

「時間外は受け付けないと連絡してある。それを破る子はいない」

 妙に自信を込めて言い切るケイ。

 それは彼の注意に重みがあった訳ではなく、それだけショウの事を思ってくれてるのだろう。

 近付いてきたのは、何人かの男。

 柄の悪そうな顔をした、派手な格好の。

 意味ありげな笑顔。それも、あまり親しみたくない種類の。

「よう」 

 馴れ馴れしく、声を掛けてきた。

 でも誰だか知らないし、知りたくないタイプなので何も答えない。

「久し振りだな」

 私に言ってる訳では無いようだ。

 サトミでも、ケイでもない。

 そうなると後は。

「なあ、おい」

 ショウへ向けられる、小馬鹿にした感じの視線。

 一方のショウは怪訝そうに、男を見上げる。

「え?どこかで会った?」

 とぼけている訳ではなく、かなり本気の表情。 

 男の方は笑顔を消し、物騒な顔でショウを睨んだ。

「この野郎。馬鹿にしてるのか」

「あ、ごめん」

 素直に謝るショウ。 

 それが余計に屈辱と感じたのか、男達はショウを取り囲む格好で広がった。

「お前、ふざけてるんじゃないぞ」

「いや。そういうつもりじゃないんだけど。名前を教えてくれるかな」

 丁寧に、低姿勢で応対するショウ。

 いきり立つ男達とは対照的に。

 その余りものギャップに、事の成り行きを見守ってた周囲から失笑が起きる。

「お前も悪い男だな」

 小声で、笑いを堪えるように呟くケイ。 

 ショウは目を細め、男と彼を見比べた。

「というか、気付け」

「何を」

「今、お前に用がある奴って誰だ」

「先生とか、学校の事務局」

 真顔での答え。

 はたかれる頭。

 ショウはむっとして、頭を押さえながらケイを睨んだ。

「もう、帰れ。家で寝てろ」

「だったら、もっと分かりやすく教えてくれ」

「本当に鈍いというか、まだ薬が効いてるの?」

「多少は。ああ、薬飲まないと」

 ペットボトルとカプセルを取り出し、それを飲み出すショウ。 

 この独特の、緊迫感の中で。

 薬のせい、だと思いたい。 


 笑い声に包まれる室内。 

 男の怒りは空回りになり、戸惑い気味のショウがその中心にいる。

「で、分かったか?」

「いや、全く」

「お前とケンカした相手だろ」

「え、そうだった?」

 小首を傾げるショウを下に見る。

 彼だけでなく、室内にいる全員を。 


 近くなる天井、遠ざかる床。

 浮遊感は瞬間に消え失せ、一気に床が近付いてくる。 

 着地より早くスティックを抜き、即座に振り降ろす。

 自分の感情の、全てを込めて。


 静まり返った室内に聞こえるのは、私の呼吸と鼓動くらい。 

 床の寸前で止めたスティックを背中のアタッチメントへ戻し、深呼吸して息を整える。

 精神的には爆発寸前だが、私がやる事でないのは分かっている。 

 分かっていても我慢が出来なかったから、机を飛び越えて宙を舞った訳だが。



 尻餅を付く格好で、床に転がっている男。

 青ざめた顔、震える体。

 演技と呼ぶには、真に迫った仕草。

 私の動きへの反応も、全くなかった。

 スティックが鼻先を通り過ぎた後、その風圧で押されるように崩れただけで。

 胸の中に沸き上がる疑問と違和感。

 どうしてこの程度の人間に負けたのか。

 彼への思い入れだけではなく、そこには別の要素があると考えてしまいたくなる。

「雪野さん。程々にね」

 静まり返った室内に響く、落ち着き払った声。

 ゆっくりと腰へ戻される、私のスティックを制した警棒。

 沢さんは薄く微笑み、男を見下ろした。

「君が相手にする価値もないよ」

「でも」

「気持ちは分かるけど、殺しても仕方ないだろ」

 辺りから上がる、どよめきにも似た声。

 私にその気は無いが、スティックが当たっていれば骨くらい砕けていただろう。

 どの部分の骨であったとしても。 

「勿論、スティックを当てないのは分かってたけどね。念のために、隙間を作らせてもらった」

 男が後ろへ崩れたのは、私のスティックのせいだけはない。

 スティックが過ぎるより早く、その肩を沢さんが軽く突いたせいだ。

 当然こっちもそれを読み取り、さらにスティックを伸ばして振ったけど。

 当てない自信はあったし、寸前で振り切らない事には我慢が出来なかったので。

「き、貴様」

 ようやく立ち上がり、周りの手を借りながら立ち上がる男。

 その顔を見ていると、すぐに怒りが込み上げてくる。

 怒りというか、どこから来るのか分からない強い衝動が。 

「何か、文句でもある訳?」

「い、いや」

 すぐに視線を逸らし、背を丸めて逃げていく男。

 追いかけて何かしてやろうかと思ったが、周囲の視線も気になってきたので取りあえず自重した。

 視線は今さらだし、自重するには遅過ぎるが。


「楽しそうね」

「何が」

「あなたがよ」

 真上からの、刺すような視線。

 今度は私が、床へしゃがみ込む。

「そんな。サトミちゃん、怖い顔しちゃって」

「誰のせいでしてると思うの。はい、終わりました。解散して下さい」

 周りの人達を見渡しながら、手を叩くサトミ。

 それに合わせて小さな拍手が置き、みんなも少しずつ散っていく。

 この場からいなくなるのは分かるけど、拍手って何?

「玲阿君は、大丈夫かい?」

「え。あ、はい。肩が少し痛いくらいで」

 右肩を押さえるショウ。

 私が飛び越える時に、軽く触れた辺りを。

「あのね。私は、誰のためにやったと思ってるの」

「ああ。ありがとう」

 いや。お礼を言われてもね。

 それも、はにかみ気味に。

 だから、そういうのは止めてっていうの。

「大体、どうして覚えてないの」

「あの時は目に血が入ってたし、色々あって」

「何よ、色々って」

「別に」

 嘘が見つかった子供みたいに、わざとらしく顔をそむけるショウ。

 多分その辺りに、彼が負けた理由もあるんだろう。 

 しかしこの様子を見る限りでは、たやすく口を割りそうにないな。

「ちょっと。ねえ」

「痛いよ」

 上手い言い訳だな。

 勿論、本当に痛いんだろうけど。

「それに、あんな奴に負ける?私の動きに、全く付いてこれなかったのに」

「俺に聞かれても仕方ない。負けたのは負けたんだから」

 この子。これ以外言わない気か。

「じゃあ、どうやって負けたの」

「殴られて」

「具体的に、どう殴られて」

「その、あれ。ボコボコって」

 拳を振り回す男の子。

 ここまで来ると、笑うしかない。

「もういい」

 別に怒った訳ではない。

 これ以上聞いても、やはり何も聞き出せないと思っただけだ。

 それに話したくないようなので、それは本人が言い出すまで待つとしよう。

「怪我の程度は軽そうだね」

「ええ。医者が動くなって言うから、トレーニングはやってませんけど」

「しかし、君が負けるとは。三島さんに怒られるよ」

 冗談っぽく指摘する沢さん。 

 ただその細い瞳は、どこか鋭さをはらんでいる。

 彼にとっての三島さん、その頃一緒にいた人達の存在。 

 学内最強という言葉の持つ意味を、十分に分かっている人だからこその想いがあるのだろう。

「君にも事情があるみたいだから、深くは突っ込まないけどね。やり返す、という顔でもないか」

 何を感じ取ったのか、苦笑気味に笑う沢さん。

 笑われたショウは、所在なげにぽつんと立っている。

「だからこそ、三島さんも君に後を託したのかな」

「別に、後を託されたつもりはないんですけど」

「玲阿君には悪いが、君の意思はこの際関係なくてね。その存在が大事なんだよ。学校で一番強い人間は、どういう存在なのかという事が」

「だったら、駄目じゃないんですか」

 この学校で一番駄目な男が、何言ってるんだ。

 さっきの怒りの残り火で、軽く脇を突く。

 少しだけ、気分が楽になった。

 ストレスは、どこかで逃がさないとね。

「あなたはさっきから、何をやってるの」

「いいじゃない。私の好きなようにさせてよ」

「破滅したいの」 

 怖い事を言うな。

 それも、真顔で。

「今の件に関しては、見なかった事にする。雪野さんも、これ以上始末書を増やしたくないだろうし」

「別に、私は何も悪い事はしてません」

「自覚がないのも、ある意味幸せなのかな」

 苦笑気味に去っていく沢さん。 

 助けてもらったのは嬉しいが、そういう事を言いながら消えなくてもいいのに。

 私だって、自覚くらいはある。

 それはそれ、これはこれ。

 怒るべき時に怒らないようでは、人間が駄目になる。

 現時点で駄目だという考え方は、気にしないでおく。


「元気そうね」

 聞き慣れた、落ち着いた声。

 穏やかな顔に浮かぶ、優しい微笑み。

 何となく背筋に悪寒を感じ、この場を離れる。

「待ちなさい」

「ショウに用があるんでしょ」

「鋭いわね」

 後ろから出てきた手に下がる、小さな紙袋。

 ワンパターンだな、この子。

「滋養強壮、体力増進、傷の治りが早くなるらしい」

「いや。俺、薬飲んでるから」

「大丈夫。副作用はないって、確認してあるから」

 やってる事は親切だが、結果的には嫌がらせだ。 

 モトちゃんは喜々として得体の知れない物を並べだし、「召し上がれ」なんて言い放った。

「自分で食べろよ」

「あなたね。私が実家で、どれだけの苦労をしてると思うの」

 一転して、げっそりした顔をするモトちゃん。

 この子が寮にいるのは、それが理由じゃないだろうな。

「俺より、ケイにやってくれ。脇腹が痛いらしい」

「俺はいい。それよりユウがうるさいから、精神安定剤を持ってきてくれ」

 たらい回しにするな。 

 サトミは、いつの間にかいないし。

「……苦い」

 なんだかんだといって、変な木の皮をかじるショウ。

 私は控えめに、何かの種を目をつぶって飲み込む。

 味はない。

 作用も知らない。 

 この後、どうなるかも。

「お前も食べろ」

「そんなのを口にするなら、俺は死ぬ」

「じゃあ、死んで」

 予断無く言い切るモトちゃん。

 ケイは楽しげに笑い、窓へと向かった。

 とはいえ飛び降りる気ではなく、例の紐で逃げる気らしい。


「危ないくない?」

 人の忠告を無視して、頼りない手付きで紐を手すりに結びつけているケイ。 

 でもそれはすぐに外れ、また結び直す。

 なんというのか、お猿さんにも劣るな。

「よくそれで、降りようと思ったわね」

「今は、それ程切羽詰まってないから。いざとなれば、人間なんでも出来る」

 結び方が悪かったらしく、引っ張った途端に床へ落ちた。

 いざという時には、この子が落ちるだろう。

「紐も結べない、字も書けない、計算も出来ない。これから、どうやって生きていくの」

「どうもこうも……。あー」

 とうとう叫んだ。

 自分の駄目さ加減と、思い通りに物事を進められない自分に苛立ったらしい。

 しかし、紐を結ぶだけなのに。

「貸してみてよ」

 紐を受け取り、彼の手首を重ねてくるくる巻く。

 次に手首の間を縦に通して、軽く締める。

「解いてくれ」

「何よ、せっかく縛ったのに。……あれ」

「冗談はいいって」

「本当に、ねえ」

 こっちがこれで、ここがこう通って、これがあれ。

「どこ行くんだ」

 背中に掛かる、無愛想な言葉。

 当たり前だが、見逃してはくれないようだ。

「ライター貸して」

「俺ごと燃やしたいのか」

「注文が多いな。モトちゃん、カッター持ってない?」

「放っておけば。面白いじゃない」

 勿論、私も面白い。 

 面白くないのは、ケイくらいだ。

 だから、何も問題ない。  


 ショウに笑いかけようとすると、彼もすでに笑っていた。

 ただし私達とは違い、苦笑気味に。

「どうしたの」

「いや。なんでもない。そのくらい引きちぎったらどうだ」

「お前は熊の話でもしてるのか」

 人がぶら下がってもびくともしない、紐というかロープ。

 引きちぎるどころか、どうやろうと解れもしないだろう。

「駄目だな。ちょっと、こっち来い」

 見かねたのか、ハサミを取り出し紐を切っていくショウ。

 本当に人がいいというか、親切だな。

 この人こそ、もう少し悪い部分を身に付けてもいいのに。

 そういう真似が出来ないから、彼は彼なんだけど。



 オフィスに収まり、お茶をすする。

 ショウもいるが、見学状態。

 右手が使えないので文字は書けないし、トレーニングも出来ないのに暴れるなんてもっての他。

 とはいえ家に帰る程体調が悪い訳でもないので、私の前に座っている。

「浦田君いる?あ、いたいた」 

 入って来るなり、ケイではなくショウへと近付いていく天満さん。

 その気持ちは、分からなくもない。

「怪我はもういいの?あ、ここ赤いよ。何、これ。あ、美味しい」

 何をしてるんだ、この人は。

「いや。こんな事をしてる場合じゃない」

 分かってはいるようだ。

 というか、分かってないと困る。

「君、秋祭りの警備責任者でしょ。その件で、生徒会の会合があるの」

「俺、生徒会はちょっと。除名になってますし、何人か首を切ってますから」

「平気平気。各局の代表は、全員1年だから」

「その面倒をみてくれって言うんじゃないでしょうね」

「話が早くて助かる。塩田君達には了解を取ってあるから、お願いね」

 場所だけを教え、椅子に座る天満さん。

 ケイはガムを握り締め、ため息混じりに部屋を出て行った。

「さてと、何かやる事ないの?」

 なんか、すごい台詞が出てきたな。

 しかも、本当に暇そうだし。

「その会合はよろしいんですか?」

「いいの。みんな優秀だし、自分でやらないと身にならないから」

 その辺にあった書類をめくり、床へ落としていく天満さん。 

 わざとでは無い事を祈ろう。

「ん、何これ。お見舞い会って」

「ケイが企画してみたいですけど。ほら、この子の」

「ああ、なる程ね。じゃあ、今からやろうか」


 希望者に連絡を送って10分あまり。

 オフィスの外に出来る、どこまで続くと知れない列。

 天満さんはケイが用意していた企画書に少し手を加え、お見舞い客を呼び込み始めた。

 一人30秒。 

 グループの場合は、一人に付き10秒追加。

 つまり3人なら、30秒プラス20秒で50秒。

 それも、若い整理番号の子の順番で会える。 

 一人きりで30秒会うか。

 大勢で長い時間を楽しむか。

 倒れそうなくらい、悩みたくなる。

「はい、次の方どうぞ」

 受付まで始める天満さん。

 何が楽しいのか知らないが、本人がいいならさせておこう。

 一回目のベルがなる。

 これは10秒の合図。

 まずは女の子の顔から、笑顔が薄れる。

 二回目のベルで、20秒。

 笑顔が焦りに変わり、早口になる。 

 ここからはカウンターが作動し、10から0へと数字が減っていく。 

 この辺に来ると泣き出しそうな雰囲気で、黙り込んでしまう子の方が多い。 

 思い詰めた、切なさを胸一杯に詰めた顔とでも言うんだろうか。 

 その気持は、痛い程分かる。

「はい、次の方どうぞ」

 一方、事務的に進める天満さん。

 しかしこういう事で情に流されていては先に進まないし、却って不公平感が生じてしまう。

 むしろ、このくらいの方がいいんだろう。

 私には、ちょっと真似が出来ないが。

「はい、次の方どうぞ。えーと、5人ですので、110秒です。まず10秒ずつ、お一人ずつどうぞ」

 如才ない進行。

 スムーズに進んでいくスケジュール。


「はい。10分休憩」

 その合図と同時に、机へ伏せるショウ。

 彼は何もしていないが、精神的に疲れたらしい。

 異様な熱気を持って押し寄せてくる人達の勢いに。

 なんというのか、ガラス一枚隔てて狼の群れと向き合っているようなものだ。

 私なら初めの10人くらいで、叫んで窓から逃げている。

「外で待ってる子達は、騒がない?」

「問題ありません。黙って静かに、順番を待ってます。ショウに会える、その時のために」

「ふーん。君って、本当にすごいね」

 改めて感心する天満さん。

 とはいえこの場合なら、私でも黙って待つだろう。 

 徹夜なんて事はしないけど、数時間くらいなら。

「いえ。俺は本当に、全然」

 一旦起き上がり、背を丸めて小声で呟くショウ。

 彼も自分に人気があるのは理解しているが、それに対するおごりめいた部分は全くない。

 むしろどうして自分なんかが、といった気持の方が強く感じられる。

 それが彼の良さであり、だからこそ人気があるのだろう。

 外見が格好いい人は他にもいる。

 強い人も。

 でも、彼は一人しかいない。

 優しくて、はにかみ屋で、思いやりがあって、人の痛みが分かる人は。


「雪野さん、どうかした?」

「え、何が」

「にへにへ笑ってるから」

 頬に触れている手が熱い。

 鼓動も早い。

 頭の中も、ぼーっとしてる。

「大丈夫。全然問題ない。平気平気」

「なら、いいけど。さてと、やっと終わったね」

「何が」

「お見舞い会が」

 全部チェックされている、参加希望者のリスト。

 小箱に詰められた、手紙の山。 

 ぐったりと机に伏せているショウ。

 何より、すっかり過ぎている時間。

「時計進めた?」

「ユウが幸せな時を過ごしてる間にね」

 くすっと笑うサトミ。 

 私の顔から、ある程度を読み取ったらしい。

 それに余計、頭の中が熱くなる。

「それより、ショウは大丈夫?」

「心配なら、送っていったら?」

「そこまで調子は悪くないでしょ」

「だったら止めたら」


 バスに揺られ、街灯の灯る夜景を眺める。

 過ぎていく住宅、色んなお店。

 歩道を歩く人達は、薄暗い街並みに溶け込みながら家路に急ぐ。 

 微かに伝わってくる振動。

 心地いい、眠りを誘うような。

 少しの重さ。

 ふと隣を見ると、ショウが目を閉じていた。

 口を少し開けて、首を傾げ気味に。 

 目元を隠すくらいに下がっている前髪。

 凛々しい顔に出来る、照明と闇の微妙な陰影。

 私に伝わる、少しの重さ。

 私が支えられるくらいの。

 彼らしい、控えめな。


「ぐっ」 

 幸せはいつまでも続かないらしく、突然彼が寄り掛かってきた。

 正確にはバスがコーナーを曲がり、遠心力で体が振られた。

 なんか押し潰されそうになったので、必死で彼を押し返す。

 色んな意味で、息苦しくなってきたので。

「うー、あー」

「何してるの」

 近くから掛かる声。 

 こちらは声も出せない状態なので、床を見ながら後ろを指差す。

 私を潰そうとしている、ショウの巨体を。

「わざと?」

「うー」 

「あ、はいはい。済みません。なんかこの子が、押し潰されそうなので」

 嫌だが的確な説明をして、助けを求めてくれた。

 少しして、体が軽くなる感覚。

 大きく深呼吸してショウを睨むと、まだ寝てた。

 窓の方へ寄り掛かり、相変わらず口を開けて。

 何となく笑っているような、幸せそうな顔で。

 こうされると文句も言えず、もう一度息を付く。

「その、ありがとうございました」

「いいのよ。誰にも言わないから」

 薄く微笑み、バスを降りる女性。

 誰かと思ったら、キータイプの教師だった。

 ちっ、貸しを一つ作ったな。

 いや。そうじゃない。

「起きてっ。済みませんっ、降りますっ」 

 彼の手を掴み、どこから出てきたのか分からないくらいの力で彼を立ち上がらせる。

 後はリュックを二つ掴み、寄り掛かってくるショウを担ぐようにしてバスを降りる。


 幸いというか不幸にしてというか、教師の帰り道は反対側らしくその背中が薄闇の彼方に見えているだけ。 

 バスはテールランプをなびかせて、夜の街へ消えていく。 

 私と、まだ寄り掛かってくるショウを残して。

「ちょっと。起きて」

「え、ああ。あれ?」

 呆然とした顔。

 おとぎ話に出てくる、悪い狸に騙された猟師が多分こんな感じだろう。

「寝るのはいいけど、起きてよね」

「ああ、悪い。なんか、あのお見舞い会っていう辺りから記憶が無くてさ」

 大きく漏れるため息。 

 熱気はあったとはいえ、ショウにとっては単調な繰り返し。

 それも精神的に圧迫されるだけの。

 意識がある程度薄れても当然だし、逆にそうでなければもたないだろう。

「歩ける?」

「大丈夫さ。でも、ここってどこだ?」

 全然大丈夫じゃないな。

 どこって、見れば分かる。

 反対車線の喫茶店。

 その隣には赤い屋根の家。 

 歩道の手前には小さな花壇が並び、少し行けばパン屋が見えてくる。

「どこって、バス停じゃない」

 目の前にあるバス停の表示板を指差し、その地名をなぞる。

 私の家から、一番近いバス停名を。

 勘違いして、私の家に向かう路線に乗ったらしい。

 彼のマンションと私の家はそれ程遠くはないが、間違える事でもない。

 とはいえ、たまにはこういう事もある。

 日に数回は。



「その、あれ。ご飯」

「ご飯って、食べに来るなら連絡しなさい」

「私の分なんて、たかが知れてるでしょ」

「そうだけど、一応は……。誰」

 手にしてた包丁を構えるお母さん。

 セルフディフェンスもいいけど、ちょっと過剰だな。

「あら、四葉君。その顔、どうしたの」

「ちょっと、色々ありまして」

「ふーん。よく分からないけど、上がって頂戴」


 お湯の張った桶に浮かぶうどん。

 それをすくい上げ、だし汁につけてつるっとすする。

 腰があって、滑らかで、だしの加減も申し分ない。

「手打ち?」

「そうよ。あなたの妹が、頑張ってくれたの」

「妹?」

 顔をしかめ、辺りを見渡すショウ。

 勿論可愛い女の子なんてどこにもいなく、例のホームベーカリーがぽつんとリビングの脇に置いてるだけだ。

「こっちの話。ほら、これも」

 太刀魚の皮をとり、小骨を全部取って皿に乗せる。

 黙々と食べていくショウを見て、サラダを取り分ける。

 後はお茶を注いで、ご飯をよそってと。

「あなた、何してるの」

「え」

 痛い程感じる視線。

 笑い気味のと、寂しげなのが。

 ショウはよく分からないが、淡々とご飯を食べている。

「その、あれ。左手しか使えないから、食べにくいと思って」

「僕も、そのくらい世話を焼いて欲しいな」

 小声で漏らすお父さん。 

 それは私に言ってるのか、お母さんに言ってるのかは定かでないが。

「お父さんは、怪我してないでしょ」

「まあね。でも、四葉君はどうして怪我したのかな」

「え、その。ちょっとケンカで」

 口ごもるショウ。

 お父さんは何を悟ったのか、優しく微笑み日本酒のグラスを傾けた。

「お酒は止めた方が良さそうだね。お母さん、何か体にいい物でもある?」

「いえ。それはもう、モトにもらったので」

「あの子のは、得体の知れない薬草とかでしょ。ちょっと待ってなさい。今、作ってあげるから」

 いそいそとキッチンへ向かうお母さん。

 何か、私よりも好待遇だな。

「優は、怪我してない?」

 優しい事を言ってくれるお父さん。

 この辺のフォローが、お母さんとは全然違うんだ。

「私は大丈夫。大体嫁入り前の女の子が、傷なんて作ってられないでしょ」

「はは。それもそうだね。でも、四葉君も怪我していい訳じゃないよ」

「あ、はい」 

 軽くたしなめられ、大きい体を小さくするショウ。

 こうして叱ってくれる人もいるし、それを十分に受け止めようとしている。

 私もこうでありたいと思えるような。

「はい、お待たせ」 

 そんな二人の間に置かれる、小さなお皿。

 全部で3つ。

 ニンニクの固まりに見えなくもない。

「何かの冗談?」

「何がいいって、ニンニクは活力源なの。山芋や玄米でもいいけど、こっちの方が美味しいでしょ」

 一つはワカメの入ったスープ。

 もう一つは、炒めてある。

 最後の一つは、ふかしてあるらしい。

「優は、少しだけにしなさいよ。爆発しちゃうから」

 ころころ笑うお母さん。

 それはむかつくが、言ってる事はよく分かる。

 ニンニクの固まりを食べるなんて、私の常識には含まれていない。

「美味しい」

 簡単で、短い。

 だからこそ伝わる、素直な感想。

 ショウはふかした分を全部食べ終え、炒めた分に取りかかり始めた。 

 コショウと唐辛子、少しのしょう油で味付けしてあるらしい。

「匂いとか、大丈夫?」

「生じゃないからいいのよ。火を通すと、ニンニク内のアリインがアリシンに変わるの」

 さすが栄養士の資格を持ってるだけあり、こういう事には詳しいな。

「僕も、少し食べよう」

「あら、嫌だ。もう、あなたったら」 

 ペタペタお父さんの肩を叩くお母さん。 

 叩かれたお父さんの方は、はにかみ気味に焼きニンニクの欠片をかじっている。

 娘の前で、止めてよね。


 気付けばニンニクは全部消え、追加されたウナギの肝焼きも片付けられた。

 ここまで行くと、ショウも爆発するんじゃないのか?

「じゃ、俺はそろそろ」

「うん。今、車出すからね」

「え、でも」

「子供は遠慮しなくていいんだよ」

 キーを持って、玄関へ向かうお父さん。

 私もちょこちょこと、その後に付いていく。

 何となく、背中に視線を感じながら。

「どうかした?」

「私一人、置いてけぼり?」

 拗ねた顔で、こちらを上目遣いに見ているお母さん。

 子供じゃないんだからさ。

「留守番してればいいじゃない」

「嫌だ」

 何だ、嫌だって。

 じゃあ、どうしろって言うんだ。


 夜の街を走っていくワゴン。

 制限速度を守り、慎重に走っていくお父さん。

 ショウはその隣で、眠そうに窓の外を見ている。

「はは、あれ見て」

「どれ」

「あれよ、あれ」

 自動車修理工場の前にあった、巨大なキリンの人形を指差して大笑いするお母さん。

 いい年して、はしゃがないでよね。

「付いたよ」

「何よ、もう終わり?もっと走ってよね」

「優。いい年してはしゃがないの」

 たしなめられたよ。

 この人、わざとやってるのか。

 仕方ないので車を降り、高くそびえる高級マンションを見上げる。

 煉瓦風の壁、ベランダ越しに見える幾つもの明かり。

 その一つ一つに家庭があり、その数分だけの幸せがある。

 私はそう思っているし、そうあって欲しい。

「どうも、ありがとうございました」

 律儀に頭を下げるショウ。

 お父さんは優しく頷き、マンションを指差した。

「早く帰らないと、お母さんが心配するよ」

「あ、はい。じゃ、失礼します」

 もう一度頭を下げ、玄関へ向かうショウ。 

 それを見送る私達。

 小さくなっていく背中。

 つかの間の別れ。

 でも私の胸には、少しの痛みがある。

 明日になれば会える、今もすぐ側にいる。

 だけどどんな別れでも、例え一日を隔てるだけでも。

 心の中から、言いしれない想いが込み上げてくる。 



 エントランスの前。 

 セキュリティのチェックを受けていたショウが、足をもつれさせる。

 その傍らに見える人影。 

「車に乗ってっ」

「優は?」

「私は大丈夫っ」

「ちょっとっ」

 お父さん達の制止を振り切り、階段を駆け上りエントランスへ向かう。

 壁際によろめくショウ。

 こちらへ向きを変える人影。

 スティックはないが、その辺の人間に後れを取る気はない。

 まして今のショウへ危害を加える人間を、許す訳にはいかない。

「セッ」

 姿勢を低くし、照明の暗い位置からボディフックを放つ。

 意外な早さでステップバックし、それを避ける人影。

 こちらはさらに踏み込み、小さく跳んで腕に飛びつき足を絡める。 

 極められまいと、腕を縮める相手。 

 それを見越し、足を大きく振って首へと掛ける。

 足を畳んで頸動脈を締め、手で足をすくって……。

「ま、参った」

 聞き慣れた声。 

 見慣れた顔が、足の間で赤くなっている。

「何してるんですか」

「そ、その。ベランダから、姿が見えたから。ちょっとからかおうと思って」

 最後にもう一度締めて、足を離し地面へと降りる。

 瞬さんは唸りながら首元を抑え、壁際へとしゃがみ込んだ。

「優っ。大丈夫……、みたいだね」

 息を切らして駆け寄ってきたお父さんは、安堵のため息を付いて瞬さんの前に屈んだ。

 娘の心配もしてよね。

「俺は大丈夫です。俺以外だったら、首と腕が折れてましたけど」

「自業自得ではないんですか」

 ショウの様子を確かめ、鋭い目付きで言い放つお母さん。

 瞬さんは膝を抱え、気弱そうに微笑んだ。

 小さい着信音。 

 端末を取り出したお母さんは、軽く挨拶を交わし瞬さんを見下ろした。

「いえ。こちらの方で、対処しましたので。……はい、ええ。……はい、そのように」

「あ、あの。今日は帰ってくるなとか?」

 何言ってるんだ、この人は。

 もしかして、そういう経験でもあるのか?

「とにかく、早く帰ってきて下さいとの事です」

「あ、はい。四葉、帰るぞ」

「あ、うん」

 軽い足取りでエントランスへ入っていく瞬さんの後を、すぐに付いていくショウ。 

 それこそ寄り添うくらいの距離で。

 何をされても彼等が親子であるのには変わりないし、彼等自身そう思っているはずだ。

 さっきの事も、仲が良いからこその事だろうし。  


 私を間に入れ、優しく微笑んでいるお父さんとお母さん。

 少し出てきた夜風。

 それから私を守るように。

 自分達の体を、風に晒して。

 マンションに見える、幾つもの明かり。

 その中にあるだろう、幾つもの温もり。 

 私達と同じような。 






    







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