22-1
22-1
キッチンの棚を漁り、中に潜り込む。
ソース、しょう油、菜種油?
「ネズミでも探してるの?最近は見ないわよ」
慌てて飛び出て、椅子の上へ飛び乗る。
ハムスターは好きだが、ネズミは好きじゃない。
見た目は同じでも、気分的に別なのよ。
「い、いついたの」
「優がまだ、這って歩いてた時」
「あのね」
「とにかく、ちゃんと整理してるんだから散らかさないで」
調味料の瓶を並べ直すお母さん。
というか、さっきと置き場所が違うじゃない。
「こんなワインビネガーなんてあった?」
手書きのラベルが貼られた瓶。
するとお母さんは苦笑して、コルクを開けた。
「飲まなかったワインが、いい感じで酸化したの」
「腐ったんでしょ」
「いいのよ。要は同じなんだから」
「味は……、悪くないか」
程良い酸味とフルーティーな香り。
オレンジかな、元は。
「レタスでも……。いや、サラダを食べてる場合じゃない」
まな板の上にあった細切りのニンジンを全部かじり、ワインビネガーを棚へ戻す。
えーと、どこだっけ。
「だから、何がしたいの」
「パン。パン、パン」
言葉と一緒に手を叩く。
意味はないし、だからこそ面白い。
多分、私だけ。
「パンなんてあった?」
笑いもせず、辺りを見渡すお母さん。
別に私の行動など、珍しくもないとばかりに。
「違う。作るの」
「またそういう事を。生地から作るのって、結構面倒なのよ」
「オーブンじゃなくて、ホームベーカリーは」
「そんな言葉、どこで覚えてきたの。ちょっと待ってなさい」
キッチンではなく、客間の押入を探し出すお母さん。
出てきたのは、一抱えくらいの小さな箱。
炊飯ジャーに見えない事もない。
「買った方が早いし、最近使って無かったのよ」
「じゃあ、使えば。材料は」
「イーストも薄力粉もあるから、すぐ出来るわ」
さすが料理教室講師。
イーストが常備されてる家なんて、そうそう無いからね。
「もう終わり?」
「終わり」
ドライイーストを放り込み、粉を入れて、水も入れて、バターを一欠片入れて。
ふたを閉めて、スイッチを押して。
終わりらしい。
「こねないの」
「全部自動なの」
「ふーん、偉いねこの子」
ホームベーカリーをペタペタと叩き、小窓の中を覗き込む。
確かに粉が、攪拌されているようにも見える。
「小人でもいるのかな」
「いるのかもね」
明るく、優しく言ってきた。
いる訳がない。
「あ、揺れ出した。はは。何だ、これ」
「優、そういうの好きね」
「面白くない?」
「面白いと言えば面白いけど」
あっさり認めるお母さん。
私がこういうのが好きなのは、明らかにお母さんの血だな。
「おうおう、頑張るね。この子、すごくない?」
「あなたの妹にしたら。丸っこいし、似てるじゃない」
そういう問題じゃないと思うけどな。
大体この子、女の子か?
しっとりとした食感。
程良い塩味。
きめ細かい舌触り。
皮は芳ばしく、白い部分との相性も申し分ない。
「美味しいじゃない」
「洗ったりするから、手間なのよ。それに、毎日食べる訳でもないし」
「じゃあ、私が持って帰る」
「面白いわね、それ」
笑うお母さん。
何だ、それ。
使ってないような事を言っておきながら。
本当に、私の妹じゃないだろうな。
「お父さんは」
「ゲームしてるわよ」
チーズと一緒にパンをかじる、その妻。
まずは夫に食べさせる、何て気はないらしい。
というか二人で、殆ど食べちゃったし。
リビングで、ゲームに勤しむお父さん。
その隣では、ケイもパットを持っている。
「親父殿。そこはよろしくないですな」
「え?」
そうお父さんが呟いた瞬間、10人くらいのキャラクターが一気に捕まった。
慌てて引いていく、残りのキャラ。
その先には待ち伏せがいたらしく、完全にパニック状態になってちりぢりになっていく。
「何よ、全然駄目じゃない」
「親父殿は、人が良過ぎますな」
なおも攻め立てるケイ。
お父さんの陣営は、一箇所また一箇所と拠点を落とされていく。
彼等がやっているのは、草薙高校陥落ゲーム。
器用さは必要なく、むしろ裏を掻く事や推測力が重要となる。
つまり、ケイの得意分野である。
「ちょっと、私も」
「ご随意に」
平然と答えるケイ。
大勢のキャラを扱うゲームなので、複数でやった方が役割分担も出来て有利である。
理屈としては。
「あれ」
私の動かしていたキャラが、いきなり仲間を殴り出した。
理由はともかく、裏切ったらしい。
「駄目だね」
おかしそうに笑うお父さん。
どうも真剣味に欠けるな。
勿論、あまり真剣にゲームをやられても困るけど。
「何してるの」
呆れ気味にリビングへやってくるお母さん。
サンドイッチを、お皿に乗せて。
さすがに、二人の分は取っておいたらしい。
「ゲーム。学校を守ってるの」
「珪君が攻め手?」
言っている間にお母さんもパットを手に取り、正門を守り出した。
「母ごぜも、おやりになりますか」
「おやりになるわよ。……どうして落とし穴があるの」
「ゲームですから」
穴の底でもがくキャラを見下ろしながら、そこを埋めていくケイのキャラ。
その間に、塀を乗り越えてわらわらと人間が入ってきた。
「一応アドアイスを致しますと、この際一箇所に戦力を集中した方がよろしいかと。全体にキャラを分散し過ぎて、連携も取れてませんし」
「敵の話を聞けって言うの?うわっ」
教棟が一つ爆破され、その中にいたキャラが全滅した。
面白いけど、無茶苦茶だなこのゲーム。
結果から言えば、負け。
というか、大惨敗。
教棟は殆どが爆破か炎上。
こっちは生徒会長以下、生徒会幹部や生徒組織幹部をかなり拘束された。
グラウンドにはケイのキャラが整列して、何かを歌っている。
別に聞きたくないし歌詞も聞こえないが、精神的には非常に苛ついてくる。
「雪野一家は駄目ですな」
サンドイッチをかじりながら笑うケイ。
こっちは敗者なので、語る資格はない。
「むかつくな、このゲーム。作ったの、誰」
「初めに作ったのは、戦前らしい。それからどんどん作り替えられて、今はその原型も殆ど残ってないって」
「ふーん。お父さん知ってる?」
「いや。僕の学校が発祥の地ではないみたいだね」
「私も聞いた事無いわ。というか、興味ない」
鼻を鳴らすお母さん。
負けたのが、余程気に入らないらしい。
「じゃあ、こういうのはどうです」
終了されるゲーム。
映像はスタート画面へ戻るが、タイトルの下にサブタイトルが付いている。
「何、これ」
キャラクター紹介のページ。
名前は。
「雪野優って」
「さっきのは、オリジナル版。これは、今年度版」
画面の中を歩き回る、小さい私。
実写ではなく、ディフォルメされたキャラクター。
しかし他のキャラも映っているが、私のは明らかに小さいな。
「へえ。面白いね、これ」
「そっくりじゃない」
盛り上がるお父さん達。
私は、何一つ面白くない。
でもスティックを背負ってるしショートだし、確かに似てるには似てる。
それが余計むかつくが。
「他の子もいるの?」
「当然。ちなみに昨年度版だと、屋神さんとかもいる」
私の隣りに現れるサトミ。
長い黒髪と、小さくても分かる端正な顔。
彼女が歩くと、何故かその後ろを燐光がたなびいていく。
かなり贔屓されてるな。
分かるには分かるけど、しかし納得も出来ない。
「作った人に文句が言いたい。どう考えても、間違えてるって」
「間違えてはないよ」
冷静に指摘するお父さん。
少しは娘を過大評価してよね。
「ケイ。あなた知ってるんでしょ」
「いいだろ、どうだって。たかがゲームなんだし」
「これは、私の名誉の問題よ。ほら、用意して」
彼を急き立て、自分は階段を駆け上り上着を取りに行く。
当たり前だが、燐光なんて夢のまた夢。
こういう事ばかりしてるから駄目なんだろうけど、こういう事がしたいのよ。
「お待たせ。ショウ、少し出掛けてくるから」
「え、ああ」
庭から聞こえる声。
穴を掘らせたら名古屋一なので、後を託す。
あれだけ深い所にある石は、私達では無理なので。
別にどかさなくてもいいけど、どかしても問題はない。
「サトミは」
「上で寝てた」
「その内ここに住み着くんじゃないのか」
冗談っぽく笑うケイ。
しかし私にとってはかなり真実味がある話なので、曖昧にしか笑えない。
というかあの子、家に来てから寝る事以外何もしてないな。
着いたのは学校。
休日とあって生徒の数は少なく、教職員や出入りの業者の方が目に付くくらい。
後はクラブ生くらいかな。
「デート?」
「まさか」
「だろうね」
ころころ笑うニャン。
顔に浮かぶ汗、濡れているTシャツ。
リレー対決は、かなり危ういな。
「どうしたの、休みなのに」
「ユウユウが、ゲームの制作者を教えろって言うから」
「……あなたがユウユウって言わないで」
嫌そうにするニャン。
その気持はよく分かる。
言われる立場ともなれば、余計に。
「ニャンも来る?」
「私はトレーニングで忙しいの。それより、リレーのメンバーは見つかった?」
「一人だけ。でも、確実に早いよ」
「こっちは4人とも早いの。エントリーまではまだ時間があるから、びしっと決めてよね」
駆け足で去っていくニャン。
向こうは陸上部4人なので、早いのは当たり前だ。
「誰か、早い人知らない?」
「知らない。というか、止めろ」
「私に、恥をかけっていうの」
「出た方が恥をかく」
なるほど、それもそうだ。
なんて納得出来るくらいなら、初めからリレーに出るなんて考えない。
「特別教棟……。こんな所にいるの?」
「嫌なら帰る。俺も帰りたい」
「いや。あのゲームは、神様が許しても私が許さない」
「神様、ね」
鼻で笑う彼に続いて、玄関をくぐる。
ガーディアンがこっちを見てるみたいだけど、気のせいだ。
今はこんな所で揉めてる場合じゃない。
結局、どこへ行っても揉めるんだけど。
連れて来られたのは、情報局のブース。
情報検索用の端末が何台も並び、休日の今日でも何人かの生徒が熱心に調べ物をしてる。
「あれ。あそこで、教えてる子」
ケイの指先を辿り、窓際の方へ視線を向ける。
少しやせ気味の、取り立てて目立つ感じもない男の子。
向こうもこちらに気付いたらしく、愛想の良い笑顔で近付いてくる。
「何か、調べたい事でも?」
「ゲーム作ったの誰」
「はい?」
「草薙高校陥落ゲームに、クレームを付けたいらしい」
隣で、苦笑気味にフォローするケイ。
私にとっては何一つ笑い事ではないので、彼にゲームを表示させるよう机を叩いて促す。
「あ、あの。少し、お静かにして頂けませんか」
「嫌だ。うー、あー」
「もういいよ。とにかく、どこか個室を貸してくれないかな」
ボディラインに自動調整される、ゆったりとした背もたれのある椅子。
壁に掛かった大きいモニター。
椅子と机を中心とした、リアルオーディオシステム。
情報を閲覧するだけにしては十分過ぎる広さと設備。
まずはお茶を飲み、クッキーをかじる。
……いや、まったりしてる場合じゃない。
「違うんだって。ほら、あれ」
「指示語で喋るな」
ため息を付きつつ、ゲームを表示させるケイ。
分かってるんだからいいじゃない。
「これ、これっ」
「だとさ。何か、自分のキャラが気にくわないらしい」
「かなりリアルに再現したつもりですが」
「リアル過ぎるのが、面白くないらしい」
中央に登場する、私のキャラ。
大きく見えるのは画面のサイズが違うからで、絶対的な大きさは家で見たのと同じ。
この子、何でお菓子を食べてるんだ。
「ちょっと、これ何よ」
「あ、あの。リアルとは言っても、ある程度ディフォルメすれば個性が出やすいので」
「出さなくていいの。とにかく、直して。もっと背を高くして、胸も大きくして、顔も細くして、髪ももう少し長めにして」
「誰だよ、それ」
冷静に指摘するケイ。
いいじゃない、ゲームの中くらいは夢を見たって。
「ポイントがあれば、ある程度は修正出来ますが」
「私のポイントは」
「これですと、服を着替えるくらいは出来ますね」
この人、私がどうしてここに来たか分かってるのか。
取りあえず、ロングブーツに履き替えさせてもらった。
本当、私も何をやってるんだか。
「背を高くするには、どのくらいポイントがいるの。というか、どうやってポイントを稼ぐの」
「まずはゲームへの参加。後はゲームに勝つ事。コンピュータ相手でも、人でも構いません。浦田さんは、かなりポイントを貯めてますよ」
「じゃあ、頂戴よ」
「どうぞ、ご自由に。しかしこれ、換金出来ないのかな」
取りあえず彼のポイントを譲与してもらい、身長を変えてみる。
背の低い私のキャラ。
画面の中で、小さく跳ねている。
明るく笑って、元気よく。
「止めた」
「ゲームのキャラに情を移すな」
少し笑うケイ。
他の人には分からないくらい優しく、暖かい笑顔で。
そう。この子は私の分身。
似てて結構、似てるからいいんじゃない。
「このゲームって、流行ってるの?」
「生徒会内では、人気がありますよ。後は、ガーディアンの方とか」
「ふーん。何が面白いのかな」
私としてはもっとアクション性の高い方が面白い。
こういうちまちましたのは、苛々してくるというか向いてない。
「じゃあ、こっちはどうですか」
机の上に置かれるゴーグル。
取りあえずはめてみると、目の前に教棟が現れた。
「キャラの視点で遊ぶタイプです。これは完全にアクションゲームですね」
「動かないけど」
「さすがに、そこまでは対応してません」
数歩歩いた所で止まり、ゴーグルの画面から透けて見える端末のパットを握り締める。
そういう事は、初めに言ってよね。
画面は多少粗いが、配置や雰囲気は学校その物。
キャラが実写ではなく、アニメっぽいのがちょっと面白い。
微かな足音。
後ろを振り向くと、ケイが付いてきていた。
彼のキャラが。
「なんか、悪い顔してるけど」
「信頼度はどうなってます」
「32」
「裏切る可能性がありますね」
素早くスティックを抜いて、彼の肩口に振り下ろす。
ケイはあっさり地面に倒れ、それっきり動かなくなった。
「おい」
後ろから聞こえる、無愛想な声。
こっちは、本物だ。
「いいじゃない。たかがゲームだって」
「むかつく女だな」
突然目の前に現れるケイ。
こっちは、ゲームの方。
彼もエントリーしたらしい。
「何よ、やる気?」
「いきなり殴られて、黙ってられるか」
「そう」
まずスティックを連続して突き、彼を壁際まで追いつめる。
壁に詰めた所で左右から脇腹に打ちこみ、倒れてきた所に前蹴りをかまして窓の向こうに放り込む。
「もうしばらく、黙ってれば」
「面白くない。このゲーム作ったの誰だ」
何を言ってるんだか。
ずっとゲームをやっていても仕方ないので、ゴーグルを外して一息付く。
「ちょうどいい。誰か、早い人知らない?」
「連射ですか」
「足よ、足」
「陸上部はどうです?猫木明日香さんなんて、アジアGPに出てますよ」
画面に現れる、ニャンのレース風景。
スタートはいまいちだが、後半の伸びは申し分ない。
無駄のないフォームとペース配分。
思わず引き込まれてしまう、言葉にはしにくい独特の雰囲気。
「格好いい……。じゃなくて、この子と勝負するの」
「ゲームで?」
「現実で」
「夢だ、夢」
鼻を鳴らすケイ。
確かに、他人からすればそうだろう。
今の映像を見ていると、自分でもそう思いたくなる。
家へ戻り、さっきの自分を登場させる。
なんだかんだ言って、愛着が沸いてきた。
「情報局が作ってるって事?」
「個人情報が集まる場所だし、ゲーム好きな人間がいたんだろ。よう、石はどうした」
「今、クレーンで外に出した」
庭を指差すショウ。
よく見るとロープで縛られた大きな石が、宙に浮いている。
ちなみにクレーンは小型の組立型。
キャタピラも付いていて、自分で移動も可能。
一見おもちゃだけど、私くらいは簡単に持ち上げる。
試してみれば、世の中大抵の事は分かるようになっている。
「これ見て、これ」
「ユウ?へぇ、似てるな」
画面のキャラは、ちょうどお菓子を食べているアクション中。
変な所で、感心しないでよね。
「あの石、どうして見つけたんだ」
「タイムカプセルが無いかと思ってね」
「埋めたのか」
「埋めた、のかもしれない」
じっと私を見てくるショウとケイ。
無言で、真顔で。
「何かを埋めたのは確かなの」
「死んだ猫?」
「あのね。とにかくタイムカプセルって程大袈裟じゃなくて、おもちゃか何かかな」
「あなた、何言ってるの」
人を真上から見下ろしてくるお母さん。
とはいえ小さいので、それ程威圧感はない。
「埋めたのは、ドングリでしょ」
「じゃあ、そのドングリは?」
狭い庭。
そこに植わっている、二本の木。
一つは、シベリアから送られた白樺。
もう一つは。
ドングリの実がなってるように、見えなくもない。
「おかしいな」
「リスじゃないんだから、埋めた場所を忘れないで」
もう遅いよ。
「これって、誰が埋めたの」
「まだ純真だった頃の優。前話したでしょ」
そうだっけ。
どうやら、それも忘れたらしい。
「じゃあ、石は」
クレーンに吊られたままの、大きい石。
使い道なんて思い付かないし、第一使い道のある石なんて聞いた事がない。
「壊せよ。お前、そういうの得意だろ」
「あのな。空手でやるのはもっと小さい石だし、ああいうのは隙間を作ってそこを利用するんだ」
石をクレーンから降ろし、頭の上まで持ち上げるショウ。
その理由は知らない。
あまり知りたくもない。
「トレーニング代わりに、毎日持ち上げたら」
「誰が」
「誰って。こうやって」
「私に、漬け物になれって言うの」
サイズ的には私の頭以上。
とはいえ親近感が沸く訳もなく、どれだけ見てもただの石だ。
庭石を置く程、風雅な家柄でもないし。
「こんにちは」
庭から顔を出し、縁側の様子を伺う。
庭と言っても、我が家とは規模も趣も違うが。
「ああ、こんにちは。どうかしたのかな」
「石を掘り出したんですけど、我が家では使い道がなかったので」
後ろへ目をやり、ショウを促す。
額に汗をかいて、石を担いでいる男の子を。
「いい鍛錬だな」
「冗談じゃない。これ、何キロあると思ってるんだ」
芝生の上に転がされる大きな石。
ショウのお祖父さんは腰を屈め、それに手の平を押し当てた。
「割るんですか」
「さすがに私でも、素手では無理だよ。映画のように、都合良くは行かなくてね」
石の上を滑っていく手の平。
それが端の辺りで止まり、腰が落ちる。
小さく欠ける、石の端。
「四葉。この要領で、丸くしろ」
「はい?」
「掌底で、少しずつ削るんだ。良い鍛錬になる」
「何でもそういう事と結びつけられても」
文句を言いつつ、手の平を端の辺りへ添えるショウ。
お祖父さん同様、体重を掛けて腰が落とされる。
しかし石は欠ける事無く、その勢いのまま傾いた。
「力の入れ過ぎだ。石の形をイメージして、力の掛け方を考えろ」
「はい……」
静かに頷き、呼吸を整えるショウ。
石へ付けられる手の平。
さっきよりも丁寧に、慎重に。
肌で感じる、彼の緊張感と集中力。
陽炎のように立ち上る、赤い光。
それが彼の体へと収束し、腰が落ちる。
「馬鹿者」
軽く頭をはたかれるショウ。
石は削れた。
砕けた、といった方が正確かも知れない。
お祖父さんの時とは違い、端の方が拳の分くらい飛び散っている。
「お前は、力の加減が出来ないのか」
「だって」
「とにかく、丸くするんだ」
やけに、丸くさせる事にこだわるお祖父さん。
意味は分からないが、力の加減を覚えるにはいいのかも知れない。
「ユウは」
「やらなくていい。手が切れる」
「俺の手は」
「骨が見えたら考える」
物騒な事を言い残し去っていくお祖父さん。
ショウはうっすらと血の滲む手の平を握り締め、その背中を睨み付けた。
しかしお祖父さんがすぐ振り返ったので、慌てて石に手を当てた。
で、痛いのか飛び上がった。
何がしたいんだか。
「大丈夫?」
「え、ああ。骨が折れた訳じゃない」
皮肉ではなく、普通に答えるショウ。
この台詞だけで、彼の生き方や考え方が窺える。
「厳しいね。お祖父さん」
「俺が駄目なだけさ」
謙遜ではなく、本心からの台詞。
ただそれが嫌みに聞こえないのは、彼の普段の行いを見てるから。
努力して、汗をかいて。
届かないような遠い先を、求めている姿を。
一日だけ、一ヶ月だけなら誰でも出来る。
でもそれが1年なら、3年ならどうだろう。
私と彼が出会って5年。
彼の姿勢は変わっていない。
何一つ。
「大分、枯れ葉が増えてきたね」
「焼き芋には、まだ早いだろ」
「そうだけどさ」
熊手で枯れ葉を集め、ゴミ袋へ入れていく。
しかし、きりがないな。
やってる間にも、一枚また一枚と降ってくるし。
「何袋たまった?」
「3つ満杯」
焼き芋には、さして問題ない量。
掃除という意味では、話にならないが。
「もう、いい。止めた。捨てられないように、取っておいて」
「部屋に置いておくのか」
冗談を言ってる顔ではない。
ここまで行くと、笑えないな。
部屋が枯れ葉で埋まっている光景は、かなり笑えるけど。
仕方ないので焼き芋用とラベルを貼り、掃除道具と一緒にしまう。
一仕事して、少し疲れた。
ちょっと横になってと。
柔らかくて、暖かくて、意識が遠くなっていく。
幸せって、いつも結構身近にあるんだよね……。
見慣れない天井。
馴染みのないタオルケット。
完全に寝てた。
サトミの事を笑ってられないな。
「私、どれだけ寝てた?」
「10分くらいかな。ご飯は」
「家に帰る。あそこは、私の家だから」
「当たり前だろ」
面白いなという感じで笑うショウ。
一度あの家での、私の立場を教えてやりたいな。
夕暮れを過ぎた辺り。
秋とはいえ、この時間になると風も冷たくなってくる。
リビングの窓から漏れる、薄い光。
それに誘われるようにして、窓の中を覗き込む。
リビングに明かりは灯っていない。
明かりは、その奥。
キッチンから。
何人かの人影。横顔。
楽しそうに笑っている家族。
父親と母親、その愛娘だろうか。
窓越しにも伝わる温かさ。
私の胸まで、切なくなるような。
「……ただ今」
靴を持ち、リビングの窓から家へ上がる。
「嫌だ。ユウじゃない」
ころころ笑いながら、こっちへやってくるサトミ。
私の方が遠慮してるのは、気のせいかな。
「庭に穴が開いてたけど、どうしたの」
「大きな石があったから、掘り出した」
「もう、困った子ね」
人の頭を撫でてくるサトミ。
出来の悪い妹へ接する態度のように。
本当にここは、私の家か。
表札を確かめた限り、「雪野」となっていた。
少なくとも、名前としては私もここの家族らしい。
「ショウの家に、何しに行ったの」
「石を置きにね」
意味が何一つ分かりませんという顔。
説明するのも面倒なので、構わずパスタをすする。
「固いね」
「アルデンテなの」
「私は、ぐにゃぐにゃした方が好きだけど」
うどんは腰があってもいいが、パスタに腰はそれ程求めない。
ラーメンなんか、ぐつぐつ煮たいくらいだ。
「唐揚げは」
「もういらない」
「炭水化物だけだと、栄養が偏るの」
自分の分を、私の皿に乗せてきた。
タラか。
「フグは」
「釣ってきたら考えるわ」
「免許あるの?」
「当然。あなた、私を誰だと思ってるの」
私のお母さんじゃないのかな。
まさかとは思うが、サトミにお母さんではないだろう。
ごそごそと押入を漁り、秋物を探す。
そろそろ、長袖が恋しいな。
コートはまだ早いか。
手袋は、まだまだ。
一通り着込み、ドレッサーでチェックして押入に戻す。
いいのよ、意味なんて考えなくても。
取りあえず目に付いた服をバッグへ詰め込み、最後に制服も放り込む。
「旅行でも行くの」
「寮に持って行く分」
「そう。運べるの、一人で」
アイスを舐めながら、バッグを指差すお母さん。
別に、そんなに大きくはない。
いや。私が。
「ちょっと待って」
「いつまでも待つわよ」
軽口を聞き流し、バッグを担ぐ。
なんか、右へ流れる感覚。
咄嗟に足を広げ、左へ比重を掛ける。
どうにか持ち直した。
でもって、歩き出す。
重さでよろけたような気もするが。
「一人で楽しそうね」
「い、いいから。手伝って」
「二人で寮まで運んでいくの?お猿のかご屋みたいに」
他に言い方は無いのか。
私も同じような事を、想像したけどさ。
とはいえ結局、玄関先まではお猿のかご屋にお世話になった。
それをスクーターの足元へ乗せ、どうにか寮まで持ってくる。
でもってここから先は、やはりかご屋が必要になる。
「いい所で会ったね」
「そう?」
私の足元を見ながら、眉をひそめる神代さん。
こちらの意図を、素早く察したらしい。
「はい。神代さんは左、私は右」
「あたしは、こういう力仕事は向いてないんだけど」
文句を言いながら、バッグの取っ手を持ち上げる神代さん。
「よいしょ、よいしょ」
「何、それ」
「掛け声よ。ほら」
「やりません」
あれ、おかしいな。
いいや、私一人でも。
「よいしょ、よいしょ。わっしょい、わっしょい」
「馬鹿じゃないの」
「馬鹿結構。ほら、もう少し」
「恥を掻くのも、もう少しかな」
細かい子だな。
今さら恥の一つや二つ、どうだっていうんだ。
人から見られようと、笑われようと。
「楽しそうね」
壁にもたれ腕を組み、面白いイベントを見つけたという様子で私達を見てくるサトミ。
手伝うわよとか、大変ねなんて言葉は聞かれない。
「無理に今日運ばなくてもいいでしょ。それに、ショウにでも頼めば良かったのに」
「私は自立する女なの」
「だったら、あたしからも自立して」
聞こえない振りをして、サトミにドアを開けるよう顎で促す。
キーは彼女のカードでも開くようになっているので。
「引っ越しでもするの?」
「あそこは、私の家よ。サトミの家じゃないの」
「当たり前でしょ。あなた、大丈夫?」
怪訝そうに私の顔を覗き込んでくるサトミ。
誰のせいでと言いたくなるが、いい匂いがするので良しとしよう。
へへ、役得だな。
「秋服よ、秋服。神代さんは」
「実家から、送ってもらいます。その時は、お願いします」
「お土産でもくれるの」
くすりともしない神代さん。
サトミは聞いてない顔で、人のバッグを漁り出した。
自分でも馬鹿馬鹿しくなったので、取りあえずお茶を入れる。
もう冷たいジュースより、暖かいのが恋しくなってくるね。
家から持ってきたばかりの秋服で、学校にやってくる。
以前の秋服より、さらに厚手の生地。
ジャケットの襟元が閉じられるタイプで、風が吹いても大丈夫。
「おはよう」
「ああ」
無愛想に応じるケイ。
いつもの事とはいえ、この人自分がどこにいるのか分かってるのかな。
「起きてる?ここ、どこだか分かる?名前は?」
面倒げにIDを放ってきた。
取りあえず、意識はあるらしい。
「えーと、浦田珪。出身は、旧静岡市。年齢は15才。現在、草薙高校2年生。間違いない?」
「……さい」
「サイの事なんて聞いてない。君は一体、どうしてここにいるのかな?学校に行かなくていいの?」
「うるさいよ」
怖い顔で睨んできた。
でも、それ以上は何もしてこない。
眠くて、何もしたくないらしい。
じゃあ何で喋ったかというと、余程うるさかったんだろう。
「朝から、何遊んでるの」
「不審者がいたから、事情聴取」
「バケツで水を掛けた方が早くない?」
冷たく言い放ち、私の隣りに座るサトミ。
彼女はまだ、薄手の秋服。
その代わりに、パーカーを羽織っている。
「ショウは」
「石でも丸くしてるんでしょ」
「それって、何かの例え?」
「言葉の意味そのまま。丸くするの」
自分でも呆れつつ、昨日の経緯を説明する。
本当かと、自分でも思いながら。
「冗談、でしょ」
「やろうと思えば、私も出来るよ。試してみようか」
「冗談、だろ」
身を引くケイ。
私も彼の頭に近付けていた手を引く。
でもって、二人で笑う。
彼の方は、若干虚しげに。
「簡単だけどな」
「石を吹き飛ばすのがか。俺の頭を吹き飛ばすのがか」
陰気に呟くケイ。
さすがにそんなのどちらも簡単だとは告げず、筆記用具を並べていく。
お昼休み。
何となく周りを見つつ、ラーメンをすする。
生徒で賑わう食堂。
食事の香りと笑い声。
でも、欠けているものがある。
「何やってるのかな」
「寝てるんだろ」
「お昼だよ」
「朝に寝れば、夕方まででも寝られる」
もっともだが、馬鹿馬鹿しい事を教えてくれた。
話としては、それも理解出来る。
「でもあの子って、そういう自堕落な生き方をしてないんだよね」
「悪かったわね」
むっとした顔で焼きそばをすするサトミ。
そういえばこの子、昨日は夕方まで寝てたな。
「連絡してみれば」
「何て言うの」
「別に理由は必要ないでしょ。風邪引いたのかも知れないし」
「だったら、向こうから何か言って来る気がするけど。仕方ない、サトミが言うから連絡するか」
本当、仕方ないな。
誰って、私が。
「……あ、私。……いや、サトミがどうしてもって」
「また。少しは素直になったら」
人の脇をくすぐるサトミ。
それに身をよじりつつ、片手で彼女に対抗する。
「え、こっちの話。……そう。……あ、うん。……分かった。……はいっと」
通話を終え、水を飲む。
息を整え、トレイを片付ける。
「どうしたの」
「風邪で、しばらく休むって」
「あいつが風邪?しかも、秋に?女と、いちゃついてるんじゃないのか」
手首を叩いて、マグカップをひっくり返す。
むせかえる声が聞けるけど、気にしない。
「ちょっと、見てくる」
「授業はどうするの」
「知らない。代わりに出て」
「じゃあ、私の代わりは誰が出るの……」
花と少しの果物。
風邪なら、このくらいでもやり過ぎかなと思う。
しかし彼が寝込むなんて、あまり記憶がない。
多少不安に思いつつ、エントランスでインターフォンを押す。
「あら、どうかしたの」
「その。四葉君が、風邪だと聞いたので」
「風邪、ね。わざわざありがとう。上がっていてくれるかしら」
本当の実家である、高級マンションの一室。
リビングに入ると、お母さんが出迎えてくれた。
「お花と果物を買ってきました」
「ごめんなさい。本当に、あの子ったら」
端正な顔を、微かに歪めるお母さん。
風邪を引いたのは、何も怒る事ではないと思うけど。
「どうかしたんですか」
「私からは、どうとも。優さんから、会ってくれない」
「え、ええ」
ドアをノックして、少し待つ。
「私。ユウ」
「あ、え?どうして」
「お見舞い。あなたが寝込むなんて、珍しいから」
「い、いや。うつるから」
咳が聞こえてきた。
かなりわざとらしいのが、突然と。
一瞬ケイの話が頭をよぎったが、リビングには薬の入った袋があった。
風邪ではないにしろ、調子を崩しているのは間違いない。
「開けてよ」
「え、ああ」
ゆっくりと、遠慮するように開いていくドア。
埒が開かないが、病気で力が入らないのかも知れない。
私もそっと中に入り、不安を感じつつ室内を見渡す。
相変わらず、物の少ない部屋。
本棚と机。トレーニング器機と、少しの雑誌。
後はベッド。
そのベッドサイドに腰掛けるショウ。
「どうしたの」
右腕を吊り、頭には包帯、顔にはガーゼ。
短パンから見える足にも、生傷や包帯が見える。
「交通事故にでもあったの?」
「まさか。負けたんだよ」
「大食いで?」
「ケンカで」
何言ってるんだという顔をするショウ。
ああそうか、などと納得する前に彼へ詰め寄る。
「どういう事」
「どうもこうも。負けただけ。それ以外に、説明のしようがない」
「あなたが?」
「俺だって負ける事くらいあるさ」
ごく当たり前の事のように語るショウ。
それは確かにそうだ。
理屈としては。
でも私は、信じられない。
いや。あり得ない。
彼が。
玲阿四葉が負けるなんて。
「誰に」
「誰かな。傭兵みたいな気もする」
「曖昧ね。どうしてケンカになったの」
「向こうが突っかかってきて、負けた」
何度もそれを繰り返す。
とはいえ、自暴自棄な感じではない。
あくまでも事実を認め、それを受け止めている。
彼が負けたのは、本当なんだろう。
私も少しずつ、それを理解し始める。
素直にそれを受け止めている、彼の強さを感じながら。




