エピソード(外伝) 21 ~ユウ視点・玲阿家系図編~
歴史
なだらかな坂の向こうに見える、大きな門。
左手には銃を背負った、歩哨らしき人が立っている。
彼の後ろに見えるのは、塀の上にあるしゃちほこの石像。
しゃちほこに見える石像ではなく、しゃちほこそのもの。
どうしてか。
それはここが、守山駐屯地だから。
名古屋といえば金の鯱。
なのかどうかは、私には分からない。
しかし守山駐屯地の師団部隊章が、「しゃちほこ」なのは紛れもない事実である。
ここは東海北陸地区を防衛する、第10師団の司令部が配置されている。
そのためマスコットの「しゃちほこ」の尻尾は、10を表している。
らしい。
なんというのか、ここまで来ると冗談にすら思えてくる。
「どうした」
「別に」
適当に首を振り、とことこと坂を登っていく。
ショウは気にもならないらしく、しゃちほこには目もくれない。
というか、気にする私が変なのかな。
門をくぐる前で、姿勢を正し敬礼をしてくる歩哨の人。
「ご苦労」
凛とした態度で敬礼を返す、ショウのお祖父さん。
彼は元軍人であり、元准将。
今でも軍とのつながりもあるので、自然とこういう事になる。
ちなみに私はただの高校生なので、会釈をして通り過ぎていく。
ショウも、私同様に。
道沿いに続く桜並木。
今は勿論花はなく、初秋の日射しが幹の影を作るだけ。
奥に見える建物はがっしりとした作りに見えるが、所々には木造の建物も建っている。
「あれは、戦前の建物だよ。第2次大戦前のね」
私の疑問を読み取ったらしく、指を指しながら説明してくれるお祖父さん。
何でも古い宿舎で、昔はここで生活をしていたとの事。
さすがにお祖父さんの頃には、今同様歴史的な施設として保存されている状態だったらしいが。
「大佐、お久し振りです」
姿勢を正し、彼の前に現れる壮年の男性。
精悍な顔立ちで、頬には細い傷が付いている。
「言って下されば、ご自宅までお迎えに上がりましたのに」
「詫びを入れに来ただけだ。それに、大佐はないだろう」
「あの頃は、まだ大佐でしたよ。准将になったのは、除隊前の数日でしょう」
敬意と親しみのこもった視線。
遠い、遠い何かを見るような。
広い応接室。
ただ生徒会の応接室よりは、地味で落ち着いた雰囲気。
また、軍があまり華美でも仕方ないが。
私とショウは大人しくソファーに座り、ティーカップから立ち上る白い湯気を眺めている。
「私は謝罪など必要ないと思ってるんですが。民間人にやられる軍人など、話になりませんし」
差し出される書類。
内容は、先日ショウのお父さんが指導に来た軍人を殴りつけた事に関する抗議。
ただ法的に訴えるつもりはないらしく、嫌がらせみたいなものだ。
「瞬を連れてこようとも思ったんだが。済まないな。親の私で」
「いえ。あいつが来ると、余計揉めますので。適当にサインでもして下さい」
「貴様。本当に師団長か」
「上官が上官でしたので」
崩れた敬礼をする男性。
誰にでも無く、ショウのお祖父さんへ対して。
「……これでいいか」
「ええ。何もかも終わりました。後は、提出した馬鹿を絞るだけです」
「悪いな、お前も」
「さっきも申したように、民間人に負ける軍人など何の意味もありません」
醒めた口調で言い放つ師団長。
厳しい軍人としての顔でもって。
「まあ、瞬を民間人と呼ぶのもどうかという話ではありますが」
「どっちなんだ」
苦笑するお祖父さん。
私達は笑っていいのかどうか判断が付かないので、黙って大人しく紅茶をすする。
「スティックの具合はどうかな」
「問題ありません」
「なるほど。一度、殴られた相手のデータも取った方がいいのかな」
「え」
すぐに、冗談だよと付け加える師団長。
ただ彼がいなければ、あのスティックの私の手元には届かなかったのでこのくらい言われても仕方ない。
「あれは特殊部隊の連中が使うような武器だからね。中学生だった君が使いこなせるかどうか、正直不安だったんだが」
「はあ」
「彼女は問題ない。何なら、その馬鹿とやり合わせてもいいくらいだ」
物騒な事を言い出すお祖父さん。
とはいえ私もあの場ではそうするつもりだったので、特に異論はない。
勿論、師団長が許可をする訳もないが。
「それより、仕事はいいのか」
「師団長ともなると、部下が大勢いましてね。仕事をしたくても、逆にやらせてもらえないんですよ。将軍というのも、結構暇です」
「贅沢な事を。しかし、貴様が将軍か」
「私はまだ少将ですから、下の方ですよ。あの頃の連中には、幕僚長になってる奴もいるんですし」
軍の最高司令官は、総理大臣。
次いで防衛庁長官。
ただしそれは、文民。
軍における最高位は、陸海空の幕僚長。
その全体を束ねるのが、統合幕僚長である。
らしい。
「貴様は、出来が悪かったからな」
「上司にへつらうのが苦手ですし」
「だから、出世出来ないんだ」
「瞬や月映も、それは同じでしょう」
「だからあいつらは、除隊した」
鼻で笑うお祖父さん。
その真偽はともかく、確かにあの二人がお世辞を言う光景は想像出来ない。
月映さんは大人なのでまだしもそういう真似は出来るだろうが、瞬さんはあり得ないとしか言いようがない。
「これだよ」
引き出しから出される、一枚の写真。
熱帯雨林のジャングルのような背景。
その前に、汚れた恰好で並んでいる軍人達。
「真ん中にいるのが、大佐。その周りにいるのが、当時の部下。私とか、今の幕僚会議を構成してる連中」
「何なんですか、これは」
「沖縄で、ちょっとね。話してないんですか、大佐」
「話す事でもない」
何となく苦い顔になるお祖父さん。
こういう態度は、以前見た事がある。
彼ではなく、塩田さんや屋神さんで。
触れられたくない過去を振り返るような時に。
「隠す話でもないでしょう」
「吹聴して回る話でもない」
「琉球クーデターの英雄は、さすがに違いますね」
聞き慣れない言葉。
ショウも私を顔を見合わせ、首を振る。
「琉球自治政府と、何か関係があるんですか」
「あるというか。沖縄が、自治政府になるきっかけの一つだよ。この辺りの話は北米政府との秘密協定で。まだ10年以上は公にはならないんだが」
随分規模の大きな話。
自治政府だけではなく、北米まで関係があるのか。
「当時沖縄には米軍の海兵隊が、訓練のために多数駐留してた。その一部が起こした反乱を、琉球クーデターと言うんだ。それを鎮圧したのが、その頃米軍と合同訓練をしていた大佐という訳」
「貴様もいただろう」
「いえいえ。私は何も。反乱軍の首謀者を叩きのめしたのは、大佐ですし」
「もう、知らん」
顔をそむけるお祖父さん。
何となく、拗ねているようにも見える。
「とにかくその一件が問題で、在日米軍は日本から撤退。ただし沖縄については、一部の希望者が残った。そのお陰で大戦中も、沖縄に北米が侵攻する事はなかった。今も北米軍が駐留しているのは、その流れが関係している」
分かったような、分からないような話。
分かったのは、お祖父さんがとんでもない事をしたという事か。
「在日米軍の反乱に対応出来なかった政府を見限って、沖縄が自治政府としてやっていく事に決めたきっかけでもあるがね。台湾やツインコリアとの結び付きが強まった事も関係はしているけど、最も大きな理由だというの国際的な通説だよ」
「私は知らん」
「それは勿論。まさか、独立闘争に火を点けたとは認めたくないでしょうからね」
守山駐屯地を後にして、北東へ向かう。
お祖父さんは助手席で、仏頂面。
ショウはそういうのに慣れているのか、淡々と運転中。
私は外の眺めを見るのに忙しいので、特に気にしない。
「綺麗な川だね」
緩やかなワインディングが続く愛岐道路。
右手には山から伸びた木々が生い茂り、枝のトンネルを造っている。
左を見れば緑色の綺麗な川が流れ、大きな岩に当たった水流が白い飛沫を上げている。
山沿いで川沿い。
自然と空気は冷えてきて、窓を開けると数秒で凍えてしまいそうなくらい。
「そこを右だ」
素っ気なく告げるお祖父さん。
対向車をやり過ごし、ハンドルを切るショウ。
急な山道。
それこそ、空に向かって走っているような。
しかも、急なカーブ。
登りはいいが、下りは少し怖い気もする。
坂の途中にある駐車場へと入る車。
その前には小さな池があり、奥にはハイキング用ともまた違う小径が見えている。
「ここは?」
「定光寺だよ」
「お寺、ですか」
「尾張徳川藩、初代藩主の菩提寺。それ以外の藩主の菩提寺は、名古屋にあるんだがね」
道路を渡り、小径に入っていくお祖父さん。
よく分からないまま、私達もその後に続く。
紅葉の始まりだろうか。
木々はうっすらと色を変え、落ち葉がそよ風に流されて地面を滑っていく。
セミの鳴き声は既に無く、鈴虫の音がどこか遠くで聞こえている。
「昼なのに、何鳴いてるんだろ」
「中には、勘違いする奴もいるさ」
「大体あれって、求婚の合図でしょ。女の子を捜すための。みんな寝てるのに、意味ないじゃない」
「そういう馬鹿もいるだろ」
二人して下らない話をしながら、緩い坂道を登っていく。
ただし緩いと思うのは、私達が若いから。
年齢を取っているなら、休憩が欲しいだろう。
しかしお祖父さんは背筋を伸ばしたまま、規則正しい足取りで先を行く。
怒ってるとかそういう事とではなく、これがこの人のスタイルなんだろう。
木製の古びた門をくぐり、砂利の敷き詰められた地面を踏みしめる。
目の前に現れる、巨大な墓石。
単純な大きさを言えば、二階建ての建物くらいはありそうな。
そこへ続くようにして、左右に並ぶ幾つもの墓石。
立て札には、こうある。
「尾張初代藩主 義直公」
つまりはそのお墓。
説明文はさらに続き
「殉死した藩士」
とも書いてある。
「自殺」
思わず、そう口をついて出る。
当時の時代背景を考えれば、彼等の考え方や思想は分からなくもない。
ただ素直に頷ける事ではないし、真似をしようとも思わない。
どれだけ慕っていても、敬意を抱いていても。
ここまでするのは、私には理解出来ない。
「こういう事をする必要は無いんだよ」
短く、低い声で告げるお祖父さん。
そっと、慈しむように撫でられる墓石。
義直公のではなく、その前に整列している小さな墓石を。
「特にこの時代だと、半ば強制的という部分も無くはない」
「そう、なんですか」
「主家に対しては絶対の忠誠を誓うのが、武士の役目だから。軍人も、同様に」
薄い笑顔。
山間の、冷たい風が葉を揺らしながら過ぎていく。
「とはいえ私は駄目軍人だったから、命令も何もあったものじゃないが」
「でも、悪いと思ったら逆らっても」
「残念ながら、軍は上官の命令が絶対なんだ。命のやりとりをする場面で、部下の意見をいちいち聞いていたらきりがない。上官は部下に死ねと命令する権限を持つ。つまり、彼等の命に対する義務を負っている」
厳しい。
稽古の時ですら見られないような、張りつめた表情。
私などが容易に立ち入る事が出来ないような、その人達だけに許された部分。
「それはともかく」
若干明るい口調。
重くなった雰囲気を改めようと意識したと思われる。
また私もそれを引きずりたくはないので、静かに耳を傾ける。
その思いは大切にしながら。
「私達の先祖は御土居下同心で、いざという際は尾張藩主を守って木曽に逃げる任を負っていたんだが」
「さっきの道が、そのルートなんですか」
「その一つだよ。飯田街道を通るのが通説とされているが、それは他藩や幕府もすぐに気付くからね。当時は道がなかったから、川原沿いに行くつもりだったんだろう」
さっきが名古屋で、今が瀬戸。
その間は、車でも20分あまり。
道がなければ馬も通れないし、実際は歩きという訳か。
「木曽までなんて、気が遠くなりそうですね。しかも、追われるようにして行くなんて」
「確かに、楽しい事ではないだろう。しかし、それが先祖に与えられた任務なんだ。結局そういう事にはならなくて、我々の先祖は何もせずに300年あまりを過ごした訳だが」
重要な使命を授かり。
いつ来るかも知れないその日のために、日々を過ごす。
「それも内密な任務だから、普段は野良仕事をしたり山に入ったり。絶対、身元を明かしてはならなかったんだ。私は、その時代に生まれて無くてよかった」
小さく漏れるため息。
冗談で言ってる部分もあるだろうが、その気持ちはよく分かる。
何というのか、TVでやっている変身ヒーローみたいな物だ。
普段は普通に生活をしていて、悪者がやって来たら変身するという。
「御剣君の家も、そうなんですよね」
「ああ。あそこと玲阿家。筆頭は鶴木家で、他にも幾つかある。ただ今でもその名残を保っているのは、数少ないが」
今あげられた3家は、古武術の宗家。
かつて尾張藩主を守るために編み出された技を、ある意味今も守っている訳か。
「矢加部さんの家は、それらの家を束ねる立場でもあった」
「ああ」
思わず、無愛想な口調で返事を返す。
お祖父さんは戸惑い気味に私を見ながら、話を続けた。
「向こうは城勤め。要は、我々の上役なんだよ」
「そうですか」
何というのか、どうでもいい。
というか、私には関係のない事だ。
「どうかしたかな?」
「いえ、別に」
素っ気なく答え、門の方へ歩いていく。
別に怒った訳ではなく、猫の姿が見えたので。
「何してるんだ」
「いや。舞地さんがいるのかなと思って」
「猫がいれば、あの人がいる訳でもないだろ」
のんきに笑うショウ。
この人は、何も分かってないな。
そんな事を言ってる間に、日本中の猫はあの人の手下になっている。
猫が、舞地さんの言う事を聞くかどうかは別にして。
のそのそと門の前を歩いていく黒猫。
首輪はないが、人を恐れないところからして餌付けはされているようだ。
「コーシュカよりは小さいね。当たり前だけど」
「あいつは、俺でも重い」
そうかな。
私は肩に乗られても、それ程負担を感じない。
実際の体重は私の半分にも及ぶんだけど、あまり重さを気にした事はない。
「ほら。にゃー」
鳴いてみるが、効果無し。
せいぜい、「馬鹿じゃない」という目で睨まれただけだ。
これだから、どうも猫は気にくわない。
「愛想がないな」
苦笑気味に呟くお祖父さん。
先程までの翳りめいた物はなく、今は木漏れ日を浴びて穏やかに微笑んでいる。
「あのヤマネコもだが」
「何か、されたんですか」
「庭を歩いていたら、突然後ろから飛びかかってきた」
それは、襲われたと言うんじゃないのか。
「気配や殺気は」
「さすがヤマネコだよ。寸前まで、何も気付かなかった」
何がさすがなのかは分からないが、言いたい事は大体分かる。
よく同じ事をやられる身としては、特に。
「あの子は、どうして玲阿家にいるんですか」
「瞬がシベリアで何かして、もらったらしい。条約にひっかかるとか何とか言っていたが、居着いちゃってね」
そういう問題なのか。
大体、ヤマネコをもらうって何をしたんだか。
「あまり、好きじゃないみたいですね」
「トラは、ちょっと」
「猫ですよ」
「え。ああ、そう。猫だよ」
頷くお祖父さん。
何だ、トラって。
聞きたいけど、聞きたくないな。
山を下り、街へと戻る。
とはいっても、時間にすれば数十分の事。
この距離くらいなら、私も歩いたっていい。
「お揃いで、どうかなさったんですか」
穏やかに微笑みながら出迎えてくれる水品さん。
私達がやってきたのは、RASの道場。
私にとっては、自分の家同様くつろげる場所だ。
「貴様の仕事ぶりを、たまには見ようと思ってな」
「恐れ入ります」
丁寧に頭を下げる水品さん。
それも、何となく嫌みっぽく。
「何か、文句でもあるのか」
「まさか。師に対して、そんな恐れ多い事は」
そう答えた途端伸びる左ジャブ。
お祖父さんは顎を引いてそれを避け、カウンター気味にローを放った。
「っと。まだ、大丈夫のようですね」
「お前に負けるくらいなら、私はもう死ぬしかない」
「では、葬式の準備を早めましょうか」
明るく笑う水品さん。
お祖父さんも、仕方なさそうに。
楽しそうな師弟。
笑い事かどうかは、ともかくとして。
「大会の準備はどうなってる」
「地区予選は、大体終わりつつあります。後は、風成さんですね」
「あいつが、どうした。体調は問題ないと思うが」
「だからです。死人が出たら、私の責任問題ですよ。無論、先生も」
やはり笑う水品さん。
これこそ笑い事ではないが、冗談事でもない。
あの人が本気になれば、私は勿論ショウでも相手にならない。
RASのオープントーナメントに出てくるのが格闘技のプロだとしても、彼等が人間である以上勝負は初めから見えている気もする。
「出場を取りやめるという事は」
「そういう話は、風成にしろ。それか、月映に。私はもうリタイアした人間だから、関わる気もない」
「以前瞬さんが出た時、どれだけ揉めたかはご存じでしょう」
「だから、玲阿家は10年間出場を取りやめた。私は、もう知らん」
また言ってる。
立場上、気苦労が絶えないようだな。
「TV局が何社か、中継したいと申し込んできてますが」
「構わないだろう、それは」
「風成さんの試合もですか?」
「……無差別級は、録画にしてもらえ」
すぐに頷く水品さん。
何も、そこまで気を遣う事もないと思うけどな。
TVを付けて骨を折られてる人が映ったら、私ならチャンネルを変えるけど。
「四葉さんは、お出にならないんですか」
「恥ずかしい」
大きい体をして、何を言ってるんだこの人は。
それも負けるとか、自信が無いじゃなくて。
いいけどね、別に。
この人がTVに映ったら、違う意味で怖そうだし。
というか、私が困る。
「雪野さんは?」
「体重制限で引っかかります」
女子の軽量級の下限にも、私は及ばない。
それは安全面から考慮されてる事なんだけど、子供扱いされている気がしないでもない。
「でしたら、無差別級は」
「嫌です。大体私の、倍以上の人が出るんでしょ」
「倍以上の男を、いつも殴り倒してるじゃないですか」
人聞きの悪い事を言う人だな。
事実だから、否定はしないけどさ。
「先生こそ、出たらどうですか」
「私は、年齢制限に引っかかりますので」
「ああ、結構いい年ですもんね」
さっきのお返しとばかりに、嫌みを言って蹴りを放つ。
いい連携ではないが、十分不意は付けた。
と思った途端、天井が下に見えていた。
足首を掴まれ、投げ飛ばされたようだ。
仕方ないので足を畳み、体勢を立て直しつつ着地する。
無論、その隙を狙われないよう警戒しながら。
「何をしてるんだ、お前は」
下を見ると、水品さんが転んでいた。
その傍らには、彼の肩に手を添えたお祖父さんが。
「稽古ですよ。先生に教わった通りの」
「何だと」
「随分甘くなりましたね。それとも、雪野さんには甘いとか」
「当然だろう」
認められても困るが、それはそれで素直に嬉しい。
という訳で、ぺこりと頭を下げる。
「いや。何も、大した事じゃない」
照れるお祖父さん。
しかし倒れている水品さんなんて、今までそう何度も見た記憶はない。
改めて知る、玲阿家総帥の実力である。
「レイアンのンって、何なんですか。昔から、思ってたんですけど」
レイアン・スピリッツの主宰者は、玲阿家。
だから、レイアまでは分かる。
「それとも、人の名前ですか。レイアンさんの」
「誰だ、それ」
突っ込んでくるショウ。
分かってるわよ、私だってそのくらいは。
「あなたの家の事を言ってるんでしょうが」
「母さんの親戚かな」
「イタリア系で、レイアン?大体RASが出来たのは、おばさんと知り合う前じゃないの」
「あれ」
どれなんだ。
「先生の、昔の女性とか」
笑う水品さん。
それは面白いけど、ちょっと怖いな。
そういう名前を付けてしまうセンスも含め。
「馬鹿が。そうじゃなくて、先祖の名前だよ」
「どうやって書くんですか。冷たく暗いですか」
「冷蔵庫か」
また突っ込んでくるショウ。
最近、妙に反抗的だな。
「じゃあ、どういう漢字なのよ」
「鈴のレイで、あんずの杏は」
「あ、それはいいね」
「だろ」
勝ち誇ったような顔。
鈴杏、か。
確かに、悪くない。
「……でもどうして、今は玲阿なの」
「あれ」
だから、どれなんだ。
本当にこの子は、玲阿家の人間か?
「どちらでもない。レイアンはレイアン。綴りは、Rayanne」
むっとして答えるお祖父さん。
でも、それこそ疑問だな。
「日本人じゃないんですか」
「本当かどうかは、私も知らないが。戦国時代にやって来た南蛮船の誰からしい」
ショウ以上に曖昧で、適当な答え。
時代も、国名も。
第一、その本人が。
「本当だ」
私達の視線を受け、むきになるお祖父さん。
「まあまあ。雪野さんも、四葉さんも。無闇に人を疑ってはいけません」
冷静に取りなす水品さん。
ちょっと、悪い顔で。
「何しろ昔の事。それを調べようもありませんし」
「……お前は、私が適当な事を言ってるとでも言いたいのか」
「まさか。私もその話は聞いた事はありますから。でも当時、女性が来たなんてあり得ます?日本は戦国時代。ヨーロッパだと、大航海時代ですか」
「だから密航して、その後日本に残ったんだ」
辻褄は合う話。
後から理屈付けていると思わなくもないが。
「じゃあ、証拠を見せてやる。こい」
「私は仕事が忙しいので。ご隠居とは違いまして」
「お前、いつまでもその首がつながってると思うなよ。仕事ではなく、その首が」
物騒な捨て台詞と共に、道場を後にするお祖父さん。
「どこへ行くんですか」
走っているのは、名古屋市街。
ただ、玲阿邸への道とは違う方角。
「先祖へ会いに」
オランダへ行くとか言うんじゃないだろうな。
それとも、ポルトガルとか。
「心配しなくても、すぐそこだよ」
「はあ」
緩やかな坂。風に揺れる一面の芝。
森からは小鳥のさえずりが聞こえ、日だまりにはカップルや親子連れの姿が目立つ。
そのさらに先。
水場に置かれた桶やひしゃく。
幾つかの売店と、さっき見たような建物。
花を持った人達が、桶を下げて歩いていく。
ここは平和公園。
公園と名は付いているが、名古屋有数の霊園としても有名である。
その一角になる、キリスト教の墓地。
少し離れた所には、小さいながらも教会が見えている。
「これだ」
古い年月を経たと思われる、風に吹かれ雨に打たれた跡の見える長方形の石。
上の方に刻まれた文字は、かすれて読めない。
かろうじて、アルファベットが刻まれていると分かるくらいで。
「ひいお祖父さんの墓は、向こうだろ」
教会の向こう側。
仏教系の墓地が並ぶ方角を指差すショウ。
お祖父さんは深く頷き、手にしていたタオルで石の表面を軽く払った。
古いが手入れは行き届いていて、汚れも殆ど見あたらない。
「あれは、玲阿家の墓だ。そしてここは、初代の墓。つまりさっきの、義直公の墓と同じ。尾張徳川藩藩主代々の墓は、また別な場所にある」
「分かったような、分からないような」
しゃがみ込み、石を撫でるショウ。
それで何が分かるかどうかは知らないが、彼には彼なりの思いがあるんだろう。
「どうして、名古屋に来たんですか」
「え」
「その。戦国時代だと、船が着くのは九州だと思って。それか、大阪辺りですよね」
墓石の周りに散っている落ち葉を拾った姿勢で止まるお祖父さん。
「伝承とか、無いんですか」
「無くはない。織田信長が連れてきたという話は」
織田信長の本拠地は、滋賀。
ただしその前は、岐阜。
そのさらに前は尾張。
つまりは、名古屋。
一応、理屈としては合う。
「でも滋賀にいるような気がするんですけど」
「昔の事は、私にも分からん」
それはそうだ。
ただ、それを言ったら終わってしまう。
「おかしいと思いません?」
「私は知らん」
またこれだ。
お祖父さんは腰を叩き、わざとらしく咳払いをしてタオルをショウに渡した。
「その、なんだ。私は仕事があるから、後は二人だけで帰りなさい」
「仕事って」
「帰りなさいって」
私達の言葉を待たず、墓地に消えるお祖父さん。
世間的には、逃げたとも言う。
「どう思う?」
「さあ。分かってるのは、あんまり居心地がいい場所じゃないって事か」
居並ぶ墓石。
木々はうっそうとして、墓地独特の湿った空気が漂っている。
この場にいるのは私達と、木に宿っているカラスくらい。
私一人なら、即座に走って逃げている。
早々に墓場を後にして、学校へやってくる。
高校ではなく、大学に。
より正確には、大学院へ。
「俺は、日本史には疎いんだけどね」
苦笑する聡美の兄、秀邦さん。
ここは大学内にある、彼の研究室。
今は助教授として、正式に赴任してきたらしい。
ただ政府の研究施設にも、籍を置いたままで。
「戦国時代。安土桃山、か。確かに、信長は新しい者好きだったからね。変わった人間がいたと知れば、召し抱えていてもおかしくはない」
「でも当時に、女性が船に乗りますか?」
「そこを突かれると、俺も困るが。ただ天正遣欧使節の彼等は13、4才の子供。その彼等が海を渡ってるんだから、女性が来てないとも言い切れない」
ペンを振りながら説明してくれる秀邦さん。
「それにキリスト教迫害の折りには、追放された女性が何人も船で国を出ている。それは無論例外だけど、女性が渡航した事実の一つではある」
「でも、ヨーロッパから来ます?」
「それは、俺も何とも言えない。第一、そのレイアンさんがどうやって四葉君の先祖と知り合ったかも謎だし。その状況で、どうやって武家を続けたかも分からない」
ペンと共に振られる首。
たよやかに、女性的にすら見える顔を。
「分からない事だらけだし、タイムマシンでも作って調べに行けば」
「は」
「取りあえず、小型の核融合エンジンでもあれば試作器は出来るかも知れない。後は、宇宙物理学者を何人か揃えて。それと、ワームホールを探してくれないかな。無ければ小型のブラックホールでもいいから……」
荒唐無稽な話を聞き流し、閑散としたカフェテラスでお茶を飲む。
馬鹿と天才は紙一重と言うけど、秀邦さんにも当てはまるとは思わなかった。
大体タイムマシンがあっても、物事は何一つ解決しない。
昔に戻ったって、私が大きくなる訳でもないんだし。
「勝手に入ってくるのは、よくないよ」
見慣れた顔と、聞き慣れた声。
ただ高校で見るのとは違う、もっと穏やかな表情。
「大体、今日は休みなのに」
「お前こそ」
笑うショウ。
指を指されたヒカルは、抱えていた本や書類をテーブルへ置いた。
「博士論文の事で、色々とね」
「じゃあ、その内博士になるの」
「そうだよ。大臣は無理だけど」
はは、それは面白いな。
でも、なんか博士という雰囲気じゃない。
彼の服装は、グレーのシャツに茶のパンツ。
「白衣、白衣は。博士と言ったら、白衣じゃない」
「着る理由がないら。僕は動物実験もしないし」
「着て、悪くはないんでしょ」
「僕に、恥という概念がなかったら」
面白い事を言うな。
じゃあ、私にはあるっていうのか。
「レイアンさん、ね。イタコは」
「何、それ。恐山にいる、おばあさんの事を言ってるの」
「そうだよ」
真顔で頷かれた。
心理学研究科の、大学院生に。
「冗談じゃなくて。日本はタブー視されてるけど、海外だと研究してる心理学者もいるんだよ」
「お化けの事を?」
「幽霊だ」
下らない訂正をしてくるショウ。
一体その、何が違うのか聞いてみたいな。
「で、イタコさんに聞くと分かるの?」
「さあ。生きてる人を呼び出すくらいだからね。例えば、僕の目の前で僕とか」
何だ、それ。
生き霊どころの騒ぎじゃないな。
「大体、どこの国の人?」
「さあ」
二人して首を振り、じっとヒカルに見つめられる。
呆れ気味な視線を浴びせられる。
普段とは逆な展開とも言う。
この子にやられると、結構屈辱だな。
「駄目だね」
言われたよ、この人に。
「誰か、詳しい人知らないの」
「秀邦さんは?」
「もう聞いた」
「じゃあ、無理だね。史学科の教授か秀邦さんかって言うくらいだから」
あの人の場合は、量子物理学者じゃないのか。
というか、何にでも詳しい人だな。
「DNAを調べるって方法もあるよ。医学部に、連絡しようか」
「いや。俺は、そういうのはちょっと」
「血を採るだけだって。嫌なら、口の中の粘液でもいいから」
綿棒を取り出すヒカル。
下がるショウ。
ドラキュラと十字架じゃ無いんだから。
「知りたいんじゃないの」
「調べたいんだ」
「だから、調べよう。別に、痛くは無いんだし」
「嫌だ。俺は、自分が誰だっていい」
何言ってるんだ、この人は。
ヒカルもこれ以上は無理だと思ったのか、自分の口の中をこすってプラスチックの小さなケースに入れた。
「後は、珪のを取ろうかな」
「あなた達は、どう見ても兄弟じゃない」
少なくとも外見は、全く同じ。
これで他人なら、その時は眼科へ行くしかない。
「ただ僕はアルコールが大丈夫だけど、珪は飲めない。アルコールを分解出来るかどうかは遺伝子で決まってるから、一度調べてみようと思って」
「突然変異って事?」
「まあね。ユウも、一度聡美とやってみれば」
「何のために」
大体私とあの子では、遺伝子数が違う気もする。
それこそ、チンパンジーと人間並みに。
「二人とも、デートはいいの?」
「いいの」
別にデートじゃないし。
勿論、デートでもいいけど。
「前は学校で、今度は玲阿家の歴史?将来は、史学科か民俗科に進む気?」
「いいだろ、自分の事を知ったって」
「他にもっと、調べる事はあると思うけど」
重く呟くヒカル。
私達は高校生。
自分の事を知るのは大事だが、確かに他にする事はある。
まずは、学校の勉強の事とか。
「その本の下」
「あ?」
「食堂の割引券があったはずなんだよね」
所詮は、こうか。
この人が、いい事を言う訳がない。
何というのか、改めて知った。
「私も使えるの?」
「4人まで大丈夫」
探す自分も自分だな。
差し込む夕日。
切ない香り。
カラスの鳴き声が、どこからか聞こえてくる。
「あるの?」
「あったらいいな」
古ぼけた本をひっくり返しては、元に戻すショウ。
私達がいるのは、玲阿家の蔵。
何か手がかりがないか調べてみたけど成果無し。
というか、何を見つければいいのかが分かってない。
「ネズミはいないでしょうね」
「いたっていいだろ」
土間に降り、靴を履いて外に出る。
もうここに用はない。
この先、二度と。
「おい、待てよ」
「待たない」
赤く染まる、広い庭。
冷えてきた風。
切なさより、物悲しさを感じるような。
肩に感じる温かさ。
トレーナーの上に掛かる、薄いシャツ。
隣りに見える、半袖のシャツ。
ショウは何も言わず、赤から紫へ移る空を見上げている。
「いいんじゃないの、別に」
「何が」
「昔がどうだって。今が良ければ」
「今が良いって訳でも無い」
苦笑するショウ。
またいつもの事を言って来たなという具合に。
「じゃあ、まずは今の事から片付けるか」
「何それ」
「蔵の片付け。まだ、本を閉まってない」
「ネズミに頼んでよね」
知らんとばかりに蔵へ戻るショウ。
仕方なく、私もその後に付いていく。
見えない顔。
重なる影。
二人が一つになったような。
今日会った幾つもの出来事。
振り返られる過去。
知らなかった事、分からない事、理解の出来ない事。
分かるのは、ただ一つ。
彼は彼であるという事。
昔も、今も、これからも。
私の前を歩いていく彼は。
了
エピソード 21 あとがき
サブタイトル通り、玲阿家の歴史です。
ユウは聞き役で、メインはお祖父さんでしょうか。
ショウから見た系図を多少書きますと。
曾祖父……元玲阿流師範。元曹長?故人。瞬に破門を言い渡したが、それには意味があったらしい。
祖父……元玲阿流師範で、現在は総裁という名誉職。退役時の階級は准将だが、大佐から特進したらしい。
父(瞬)……RAS格闘顧問。元セキュリティコンサルタント。退役時の階級は大尉?
伯父(月映)……玲阿流師範。風成の父親。元情報将校で、退役時の階級は少佐。
母(鈴香)……祖母がイタリア系のクオーター。玲阿流や格闘技に興味はないが、RASの運営を行っている。
伯母……月映の妻。瞬曰く、許嫁と知らずに付き合っていた。薙刀宗家の長女?
姉(流衣)……風成の妻かつ、従兄弟。母の補佐として、RASの運営を行っている。
従兄弟(風成)……玲阿流師範代権、RASインストラクター統括責任者。
御剣武士(遠縁)……御剣流宗家の長男?ショウの、弟的存在。粗暴かつ考えなしだが、悪気はない。
鶴木真由(遠縁)……実戦系剣術宗家の長女。ショウの姉的存在。
水品……RAS名古屋南部地区?部長。ユウの師匠。かつては、玲阿流を学んでいた。軍での階級は不明だが、空軍パイロットだった事から将校と思われる。
大まかには、こんな感じ。
御土居下同心は実在した隠密ですが、ネット上には記述が少なかったため大まかにしか書けませんでした。
無論玲阿家はフィクションであり、実際の御土居下同心とは何の関係もありません。
先祖のレイアンについては、さて。
何しろ昔の話ですから、色々あったんでしょう。
しかし、冷暗って。
でもって、琉球クーデターって。
さて、はて……。
ただ、ここに書いたのは玲阿家の歴史。
玲阿四葉の歴史は、まだまだ始まったばかり。
ユウとの歴史は、これから紡がれます。




