4-2
4-2
「よう。久しぶりだな」
大きなデスクの向こうから、塩田さんが笑い掛けてくる。
少なくとも、私のような苦悩は感じさせない。
「お久しぶりです。副会長も」
「ええ。雪野さんも、お元気そうで、……という顔でもないですね」
そのデスクに腰を掛け、書類を手にしていた大山副会長も笑顔を見せてくれる。
「みんなうるさいんだよ、仕事しろって」
「当然です。本部か自分のオフィスにいて下さいって言ってるのに、いつもふらふら出歩いてるじゃないですか」
「元野さんよ。俺はここに閉じこもってるより、ガーディアンとしてやってるのが好きなんだ」
「代表としての仕事を済ませてからにして下さい。大体仕事といっても、サインをするだけの決済関係が殆どなんですよ」
毅然と言い放つモトちゃん。
塩田さんは顔をしかめ、私と目を合わせた。
「雪野、助けてくれ」
「私もモトちゃんと同意見ですから」
「可愛い後輩もこう言ってるんです。ほら。元野さん達に仕事を押し付けないで、、きりきり仕事しなさい」
びしりと釘を差す副会長。
「それじゃ、私は警備の方へ戻りますので。ユウ、また後で」
「ええ」
最後に塩田さんを指さして、モトちゃんは部屋を出ていった。
「くー、俺だってこれ以外にやる事がたくさんあるんだぞ。寮の運営とか、交流学生の世話とか。大山、これはおまえがやれ」
「どうして私が」
「どうせ自警局に出す書類だ。ちゃんと処理して矢田に渡しとけ」
「実務をやる人間が、もう少し必要ですね、事務局から数人こちらに回したらどうです。雪野さん達はどう……。そういえば、何か話があるとか」
私は軽く頷き、ケイの事を手短に話してみた。
「浦田が?聞いてないぞ、俺は」
「データを調べて下さい」
「ああ」
机にあった端末を操作する塩田さん。
「……生徒会ガーディアンズに登録済み。で、ガーディアン連合には、除籍願いが出てる」
その口元が緩み、ディスプレイを覗き込んでいた副会長の肩に手を置く。
「これで浦田は、お前の部下だ。後は好きにしてくれ」
「浦田君が来るのは、私としても歓迎ですが。彼は確か、中等部では生徒会に属してましたよね」
「ええ。でも色々あって、除籍になったんです」
塩田さんは端末の画面を消し、面白く無さそうに鼻で笑った。
無論今は、その経緯を話している場合ではない。
話す事は、他にある。
「この理由を、俺に聞きに来た訳か」
「ええ。何か知ってるんじゃないんですか」
「前の自警局長とフォースの幹部が組んだ事件とかSDC代表代行の件は、確かにおまえらへ言ってない事がある。でも、今回は何も知らんぞ」
私は視線をずらし、副会長と真っ直ぐに見つめ合った。
「……またかと思われるかも知れませんが、私は関与してません。ガーディアンを管轄する自警局に関しては、生徒会長が直接矢田局長に指示を出されているものですから」
「会長と、局長が?」
副会長はそれ以上何も言わない。
ただ私の視線を受け止め続けるだけだ。
「生徒会長か。あの野郎、何者だ」
「選挙で正式に選ばれた方です。あの野郎はないでしょう」
「お前副会長だろ。どの程度知ってる」
「私を取り込んでおいて、動きを探ってるくらいには。お互い様ですけどね」
「どういう意味です、それ」
しかし二人は例により、「その内話す」としか答えない。
「それなら結構です。私、今から矢田局長の所へ行ってきますので」
「雪野、ちょっと待て」
背を向け掛けようすると、塩田さんが呼び止めてきた。
その割にはすぐに話そうとはせず、顔を逸らして頬の辺りに触れている。
「……夏休み前に、お前矢田とパトロールに行っただろ。その時に会った男の事を覚えてるか」
「目つきの鋭い、大きな人ですよね」
私はあの威圧感を思い出し、軽く頷いた。
どう考えても、忘れるような存在ではなかったから。
「あの人から、その後連絡とか何か……」
「塩田、聞きたいなら自分で聞きにいけばいいでしょう」
「いや。俺からは会いにいかん。あの裏切り者に、どうして俺が」
「裏切り者?」
聞き慣れない、そしてあまり聞きたくない言葉。
副会長はくすっと笑い、塩田さんの背中を叩いた。
「それは塩田が勝手に言ってるだけです。尊敬していた分、自分だけ置いていかれたと思ってしまって」
「だってそうだろ。俺はあの時、一緒にガーディアンを辞めても良かったんだ。それがどうだ。自分一人悪者になって、今じゃあんな所にいるなんてよ」
「一言相談して欲しかったですか、俺はこう考えてるからお前はどう思うって」
「言わなくても分かってると思ったんだろ、あの人は」
面白くなさそうに鼻を鳴らす塩田さん。
「要は、今の雪野と同じ気持ちだ。世の中言わないと分からない事だってある。自分だけ分かったつもりになられても困るんだよ」
「私は、ケイを非難する気持は別に……」
胸の微かな痛みとともに、小さく呟く。
サトミやショウの前ではああ言ったのに。
時が経つにつれ、その辛さは大きくなる。
何も言わず私達の元を去っていったあの子の事を思うと。
でも顔は伏せたくない。
例え強がりでもいいから。
前を向いていたい。
去っていったケイのためにも、傷ついているサトミのためにも。
そして何より、弱い自分に負けないために。
「まあなんだ、あいつもそれなりに考えがあるんだろ。俺も気にしておくから、あまり刺激するな。何するか分からん奴だからな」
「はい、そうします」
小さく息を付き、気持を整理する。
静まっていく意識。
今まで見えていなかった物も、視界に収まってくる。
「……それ、何ですか」
テーブルの上にあるフォトスタンド。
そういうタイプの人ではないだけに、ふと気になった。
「見たいですか」
笑う副会長。
塩田さんの手が伸びるより早く、スタンドがその手にさらわれる。
「お、俺が飾ったんじゃないぞ。こいつが勝手に置いたんだからな」
「恥ずかしがる事ないでしょう。普段離ればなれになっているんだから、このくらいはしなさい」
手招きされ、副会長の手元を覗き込む。
正門を前にして映る男女。
一人は塩田さん、もう一人は優しい顔をした女の人。
着ているのはこの学校の制服である。
「あ、この人」
「ああ、そうだよ。俺の彼女だよ」
開き直るというか、半ばやけ気味の叫び声。
「転校したんですよね、確か。私は最近会ってませんけど」
「去年から、色々あってな」
答えた塩田さんだけでなく、副会長の表情までもが変わる。
昔の思い出を辿るだけでない、わずかな翳りを帯びて。
「色々な犠牲の元に、今の私達がある訳です」
「大山」
「分かってます。済みません雪野さん、後少しだけ待っていてください。その時私達をどう恨もうとかまいません。私達自身、その考えや行動が正しいとは思っていませんから」
フォトスタンドの中で微笑む塩田さんとその彼女。
机にはもう一つフォトスタンドがあり、そちらには数名の男女が映っている。
それも手に取る副会長。
塩田さんと彼女、副会長。
SDCの代表代行や、沢さんの姿もある。
そして塩田さんが慕っていたというあの人も。
他にも何人か映っているが、副会長の手の影になってちょっと見えない。
「……この写真が全てです」
「俺が柄にもなく代表なんてのやってるのも、その連中のせいさ」
「私が副会長などと名乗っているのも」
苦笑し合う二人。
そして副会長がささやく。
「かけがえのない友です、彼等は。例え何があっても、それは変わりません」
その一言を聞くために私はここへ来たのだろうか。
熱くなる胸の奥がそれを教えてくれる。
二人の暖かい眼差しも。
私は笑顔でそれに応え、ドアへと歩き出した。
その言葉を、待っている友へ伝えるために……。
「え。友がどうしたって」
怪訝な顔で聞き返してくるショウ。
私は副会長から聞いた台詞を、もう一度繰り返した。
こういう事を言うのって結構恥ずかしいから、聞き直さないで欲しいんだけど。
「友って、ケイの事か?」
「あ、そう」
あれ、反応が鈍い。
どうもおかしいな。
私の感動は、どこへ行ったんだ。
もしかして、勘違い?
「……取りあえず、そういう事にしとくか」
「そうね」
ようやく気乗りなさげに頷く二人。
素直に「友」というのを受け入れるのが気恥ずかしかったのだろう。
「モトは、なんて言ってたの」
「まだ警備があるから話せなかった。だから、後で話そうと思って」
「色んな所に迷惑掛けてるな、あいつは」
ショウが唸りながら伸びをすると、スピーカーが入電を告げた。
「I棟D-3、301教室にてドアが破損。トラブルの可能性がありますので、最寄りのガーディアンは至急向かってください」
「了解」
聞こえるはずもないスピーカーの向こう側に返事を返す。
別に虚しさは感じないし、むしろ一体感を覚えるくらいだ。
あくまでも、一方的に。
「そういえばケイ言ってたね。Dブロックのトラブルは、全部生徒会ガーディアンズが対応するって」
「まずはお手並み拝見よ。仲間もいるような口振りだったし」
「あいつの仲間か。そっちの方が謎だな」
ケイは普段から一人で行動する事が多く、またガーディアンの知り合いもそうはいないはずだ。
仮にいたとしても、この件に関して一緒に行動するとも思いにくい。
「とにかく行こうよ」
私達は一斉に席を立ち、それぞれの思いを抱いてオフィスを後にした。
廊下に野次馬はいない。
言い争うような声も聞こえてこない。
次の角を曲がると、301教室だ。
「……どう?」
記録用のカメラを使って向こう側をのぞいていたショウが、首を振る。
「誰もいない。その方が、却って怪しいけど」
「ケイが何かやってるのかな」
「あり得るわ。まずは普通に出ていった方が無難ね」
相手の出方を窺うという訳か。
私とショウも同意して、まずはショウが先に出る。
続いてサトミ、しんがりは私。
「教室の中だな。気配というか、何か伝わってくる」
「そうかしら。ユウは分かる?」
「ええ。かなりの人よ、この感じ」
体を冷たい風と暖かい風が交互に撫でていくような。
濃密な殺気が神経に障る。
この距離では、サトミにはおそらく分からないだろう。
いや分かる人の方が希なのだ。
研ぎ澄まされた感覚と、備え持った才能が無ければ。
無論それを養う努力は、言うまでもない。
ドアに張り付いたショウにとってはこの感覚も、歓喜への誘いに思えるのかも知れないが。
「中は相当やばい奴がいる。サトミ、どうする」
「ケイがいるなら、その気配というのは意図的よ。大丈夫、入りましょう」
「分かった。サトミは私の後ろから来て」
ショウの肩から立ち上る赤いオーラ。
無論サトミには見えていない。
私から立ち上らないのは、そこまでの闘志と戦いの素養がないからだ。
今は、見る事だけで精一杯である。
無造作にドアの前へ立つショウ。
ロックされているのかドアは開かない。
「なるほど」
センサーとカードキーのスリット部分を同時に叩く。
ドアが煙を噴き、わずかに空いた隙間へショウの手が滑り込んだ。
前にも言ったように、ロックされた状態ではそう簡単に開かないんだけど。
「よっ」
軽い掛け声と共に、100kgは越えるドアがきしみながら横へ流れる。
床との抵抗も考えれば、もう感心するしかない。
「……ドアを壊すのが好きだな」
聞き慣れた苦笑気味の声。
「鍵を掛ける方が悪いんだ」
無愛想に答えるショウ。
ケイは壁にもたれたまま、私達を見つめる。
「で、何の用」
「ドアが壊れたっていうから来たんじゃない」
「壊したのはショウだろ。この人は、壊しかけただけだよ」
席に付き真っ青どころか白くなった顔をした男の子が、体を震わせる。
彼の前には、学内持ち込み禁止の特殊な警棒が置いてある。
「試したくなるのは分かるけど、場所が悪いわよね」
長めの茶髪を後ろでまとめた女性が、シャツの胸元に手で風を送りながら笑う。
前期の終わりに出会った生徒会長アシスタントスタッフ、池上映未さんだ。
今は、自警局長直属ガーディアンだったっけ。
それにしても、相変わらず綺麗というか色っぽいというか。
ふーん、髪型変えたんだ。
「ドアを壊すだけならともかく、人で試すつもりだったらしい」
先程感じた圧迫されそうな殺意。
赤のキャップを少し上げ、その野性的な美貌をさらす。
「そう思わないか、雪野」
「え、ええ。舞地さんの言う事は分かるけど」
私は舞地真理依さんの刺すような視線を感じつつ、若干の異議を語尾に含んだ。
「やり過ぎではないんですか」
サトミが、それに負けない程の眼差しを二人に返す。
池上さんは朗らかに笑ってそれをいなし、舞地さんは真っ直ぐにそれを受け止めた。
「生徒会に報告しても、ドアの修理代と口頭注意で終わりだよ。人を殴ろうとしたのはその兆候を俺達が見ただけだから、処罰の対象にはならない」
やはり壁際から離れないケイ。
明かりのない室内、彼の体は影に溶けている。
「それに代わってリンチか。面白いな、それ」
揶揄するようなショウの言葉。
サトミの視線もケイへと向けられる。
「俺達は話を聞いてただけだよ。彼には手も触れてないし、脅しめいた事も言ってない。そうだよね」
「は、はい」
頷いた彼の顎から、汗が滴る。
「あれだけの気配をぶつけておいて、よく言うぜ。離れてならともかく、この距離なら殴られた方がまだましだ」
「お前は離れていても分かったのか」
「俺達は、な」
私ははっきりと頷き、舞地さんと再び目を合わせた。
伝わる一つの意志。
先程までの空を裂くような殺意ではない、共感と理解。
一生掛かっても巡り会えない相手を見つけた、ほのかな喜びすらも。
いや、それは私の意志か。
「何シリアスしてるのよ。ほら、笑って笑って」
弾けるような笑顔を浮かべた池上さんが、私達の間に割って入る。
そして困惑する私の背中を押しながら、耳元に口を寄せてきた。
「……浦田君に協力するようにって、生徒会長に言われたの。でも、その前に浦田君の方から声を掛けてきたのよ。この意味、考えておいて」
普段とは違う、知性を漂わせた落ち着いた口調。
その意味を聞き返す間もなく、池上さんは私に背を向けた。
みんなはこちらの様子に気づいていないようで、端末で連絡を受けているケイに視線を向けていた。
「……ええ。……そちらは名雲さんの指示に従ってください。……もう収まりましたか。……はい、後でまた連絡します」
端末を手の中で転がすケイ。
「D-1のトラブルは、名雲さんと柳君が処理してくれたって。しばらくは俺と一緒にやってもらうけど、構いませんよね」
「ええ。名雲君達も是非にって。悪い人は、どんどん懲らしめないとね」
「私も異存はない。契約さえ守ってくれるのなら」
「……複数契約か。有能だと忙しくて大変だね」
開いたドアの向こうに見える人影。
穏やかな顔と虎の気配。
「さすがはワイルドギース」
沢さんは私達一人一人と目を合わせ、最後にケイで目線を止めた。
「君なら、彼等を使いこなせそうだ。僕達がこのDブロックから立ち退く日も、そう遠くないのかな」
「無理に出ていく必要はありませんよ。ここの警備は俺達に任せて、のんびりしてて下さい」
「そうそう。沢君は楽隠居してなさい」
池上さんが軽快に歩み寄り、沢さんの肩を軽く叩く。
「そうさせてもらおう。君達がいる以上、普通のガーディアンでは相手にならないから。生徒会ガーディアンズから、しばらくは静観してくれと通達もあったし」
「素直ね、随分。昔とは違って」
「僕だって少しは成長してるよ。大体君達も大人しいじゃないか。以前なら、そこにいる子の腕くらい折れてただろ」
俯いていた男の子は青白い顔を引きつらせ、自分の腕を慌てて抑えた。
「それより、こいつはどうする」
冷たい眼差しを男の子に注ぐ舞地さん。
ケイが壁際から離れ、彼の前に立った。
「……今まで生徒会か学校からの処分は」
「あ、ありません」
「IDでもそうなってる。表沙汰にならなかったのか、揉み消したのかは分からないけど」
今日が初めてじゃないとの判断。
私達もそれは何となく分かる。
彼の態度。
焦りの中に混じる、わずかな余裕。
この場さえ切り抜ければ助かるという気持が、それからは見て取れる。
「じゃあ、君はもう帰っていいよ。処分については、後日連絡が行くと思うから」
「は、はい」
一瞬例の特殊警棒に手を伸ばし掛け、すぐに手を引く。
男の子は私達に何度も頭を下げて、あっという間に教室を出ていった。
「全く、何考えてるんだか」
端末を取り出し、どこかへ連絡を取るケイ。
「……隊長補佐の浦田です。……今送ったデータを、他の報告書に混ぜて各局に送って。……そう、器物損壊と傷害未遂。……反応か問い合わせがあった局とその人の名前を俺と丹下隊長へ。……ええ」
端末をしまうケイに、池上さんが笑いかける。
「誰が後ろ盾か探ろうっていうの。面白そうだけど、その人まで処分出来る?」
「生徒会内部からの告発は、優先的に審議されるようになってます。職権乱用で退学、最低でも無期停学に持ち込めますよ」
「そいつが圧力を掛けて来たらどうする。仮に、もみ消しが出来るくらいの相手だとしたら。お前自身、退学にもなりかねないぞ」
挑むような鋭い口調。
ケイは醒めきった笑顔を浮かべ、舞地さんと池上さんへ視線を向けた。
「そのくらいは抵抗してくれないと。退学させた時、良心が痛まなくて済むから」
「……よく分かった。そいつとの交渉は、池上にも手伝わせてくれ。彼女は、そういうのに慣れている」
「池上さんが?」
サトミの問いを、池上さんは落ち着きはらった態度で受け止めた。
「私だって、笑ってるだけが能じゃないの。遠野ちゃん、分かった?」
先程私に語りかけてきた時と同じ、知性を漂わせた口調。
交錯する、お互いの力量を探るような視線。
「でも嫌いじゃ無いわよ、あなたみたいな子」
「私もです、池上さん」
「映未でいいわ。大学院に彼氏がいるんでしょ、追いかけたら」
「私は、まだここでやる事がありますから。それに、私も聡美でいいです」
「いなくなってからじゃ後悔のしがいもないわよ、聡美ちゃん」
聡美の髪を撫で、薄い笑みを浮かべる池上さん。
「オフィスに戻るわ。雪野ちゃんは、ちゃんと彼氏捕まえておきなさい」
「彼氏って、私はまだ……」
「後ろの彼よ、玲阿君。あんまり進展しないようなら、私がもらっちゃうから」
ぎくりとした私とショウにも微笑みかけ、池上さんは教室を出ていった。
「二人とも気にするな、今のはあいつの冗談だ」
「そ、そうなの」
「気にするっていうか、何て言うか……」
口元でもごもごいう私達に、今度は舞地さんが苦笑する。
「子供じゃないんだから、少しは何とかしろ」
「わ、私の事はどうでもいいの。大体、舞地さんこそどうなのよ」
「私はいる」
あっさりと切り返えされた。
そんな事を言われたら、これ以上どうしようもない。
「お取り込み中悪いけど、ちょっといいかな」
「何よ」
意味もなく苛立ってケイを睨む。
しかし彼は気にした様子もなく、淡々と話し始めた。
「前も行った通り、Dブロックのトラブルは俺達生徒会ガーディアンズが全て対応する。沢さんはともかく、ユウ達はDブロックから出ていった方がいいと思って」
「どうして」
「生徒会からの通達があったんだ。過去にトラブルを起こしたガーディアンズには、厳しく対処して欲しいって。他では遠慮があるからユウ達には手出ししないだろうけど、俺は別だから」
「やれるものなら、やってみなさい」
サトミの燃え盛る氷のような言葉。
見つめる相手の心までを突き刺すような厳しい視線。
「お前に、それが出来るって言うのか」
疑問と怒りを含んだショウの言葉に、ケイははっきりと頷いた。
「だから忠告してるんだ。これは生徒会からの通達だから、逆らうと退学もあり得る」
「どこかで聞いたような台詞ね。それに中等部の時も、そんな事聞かされたわ」
「あの時とは事情が違う。今度は俺も生徒会も本気さ」
軽く息を整えたショウが、ケイの前に出ようとする。
その彼をかばう形で、構えを取る舞地さん。
「玲阿、下がれ。それ以上は前に出るな」
固めていた拳を下ろしつつ、ショウが戸惑いの表情を見せる。
しかし前に出るのは止めない。
舞地さんは腰を落とし、臨戦態勢に入る。
それにつられるかのようにショウも、少しずつ上体を振り始める。
「俺は、後ろの奴に用があるんだけど」
「今私達は、浦田と契約を交わしている。そして依頼者の身辺を守るのも、契約内容の一つだ」
「あなたとやる気はないんだが」
「なら下がれ。私も、お前とやり合う気はない」
その言葉とは裏腹に、舞地さんは構えを崩さない。
逡巡するショウの気持が、見ていても分かる。
仕掛けるべきか引くべきか。
相手の力量、状況、善悪、お互いの意志、それぞれの思惑……。
「玲阿君、止めろ」
沢さんが動き掛けたショウの腕を掴み、下へ降ろさせた。
不満な素振りをしつつも、ショウは構えを解く。
それがフェイクでないのを見極めつつ、また沢さんにも注意を払いながら舞地さんも構えを解いた。
「沢、助かった」
「勝敗が決まっている戦いなど無意味だからね。しかも後味が悪いと分かっているのなら、なおさらに。そうだろう、舞地さん」
「ああ」
視線を合わせる両者。
舞地さんはケイに振り向き、小声で何かささやいた。
「……了解。後は俺がやりますから、舞地さんも」
「ああ。何かあったら、名雲か池上に連絡してくれ」
きびきびした動きで私達の隣を通り過ぎていく舞地さん。
その美しくも凛々しい顔が、私達に向けられる。
「その強さを、無駄にするな」
「え?」
そして私の疑問に応える事もなく、舞地さんは壊れたドアを出ていった。
「どういう意味?」
「俺には分からん」
肩をすくめるショウ。
壁際にもたれたケイは、闇の中で顔を伏せている。
「さっきやり合っていたら、玲阿君が負けていたという意味だよ」
「まさか。確かに舞地さんは強いけど、ショウ程じゃないです」
首を振り、彼女が出ていったドアに目を向ける沢さん。
冷静というより、怜悧な表情で。
「格闘技の強さなら、雪野さんの言う通りだよ。ただ実戦となると、また話は別だ」
「そうでしょうか」
納得出来ない気持のまま、沢さんから目を逸らす。
負けると言われたショウは、無言で自分の拳を見つめていた。
肯定された強さと、否定される勝利。
その相反する評価に悩むのか、それとも侮辱と受け取っているのか。
「強い奴がいつも勝つのなら、誰もスポーツの試合をしなくなる。何にでも、大番狂わせっていうのがあるんだ」
闇の向こうから届くケイの言葉。
反論しようかとも思ったが、言っている事は分からなくもなかった。
「……話を戻そうか。意地でもここに残る気なら、大人しくしてた方が良い。しばらくは沢さんと一緒に、骨休めしてれば」
「僕も同意見だ。ガーディアンといっても、ブロックの警備ばかりが仕事じゃない。ここは彼の言う事を聞こう」
「どうも。俺は、まだやる事があるので」
闇の中を歩いていくケイ。
そこが彼の居場所であるかのように、闇に同化して。
その姿は壊れたドアの向こうへと消える。
「んだ、あの野郎っ」
やり場のない気持が、机にぶつけられた。
床との溶接部分が大きくたわみ、10mの長さはある机が大きく揺れる。
「玲阿君、落ち着くんだ」
「俺は落ち着いてるよっ。……済みません」
ばつが悪そうに頭を下げるショウ。
「いいんだ。君達はこれからどうする」
「矢田局長の所へ行きます。彼なら、何か知ってると思いますから」
ショウも隣で頷く。
沢さんは変わらない醒めた視線を、彼に向け続けている。
「それなら僕も行こう。自警局にとっては一ガーディアンの移籍問題に過ぎないと、あしらわれる可能性もあるからね」
「ありがとうございます。でも、お仕事はいいんですか」
「浦田君が言ってただろ。しばらくはゆっくりしてろって」
後期になってから初めての自警局。
フォースの幹部である沢さんがいるので、普段以上にみんなの態度は丁寧だ。
「これだけの人が頑張っているのに、それでもトラブルは一向に無くならない。本当に僕達が休める日が来ると思うかい」
「そうなればいいなくらいには」
「まあ、無理だ」
やるせなさそうに受け合うショウ。
ドアの脇にあるスリットへIDを通した沢さんは振り返り、開いたドアの向こうを指さした。
一般のガーディアンは立入禁止のフロアで、また用もない場所である。
「この奥にある、自警局長室。そこの主は、君達とは違う意見を持っているけど」
「トラブルを無くすって?あいつ、そんな事考えてたのか」
「真面目な人だから、思い詰め過ぎてるんじゃない。熱意は買うけど、現実的じゃないわ」
「その辺りについては、彼の口から一度聞いてみるといい。案外面白いから」
沢さんの手がパンツのポケットに入り、小さく動いた。
「これでセンサーとカメラは全て解除された。フリーガーディアン時代の物なんだけど、監視されるのは好きじゃないんでね」
「へえ」
確かに、先程まで私達の動きをトレースしていたカメラはそのままで動かなくなった。
壁に埋まっているカメラやセンサーも、おそらくは同様なのだろう。
「あ。でもそれをまだ持ってるという事は、フリーガーディアンを辞めてないんですか?」
「少し未練があるんだ。とりあえず、その気持の整理が付くまでは」
飄々とした物腰でドアの前に立つ沢さん。
監視用センサーをモニターする端末をいじっていた警備のガーディアンが、慌てて顔を上げた。
「あ、あの」
「フォースI棟Dブロック隊長、沢義人。局長に面会希望です」
IDを手渡し、ポケットに手を入れる。
同時に彼等の持っていた端末が、フロアの状況をモニターしだす。
「あれ、動いた?」
「どうかしましたか」
「い、いえ。沢さんですね、伺ってます」
IDがチェックされ、端末には面会の予約確認が表示された。
「……はい、沢さんがお見えになってますが。……了解」
襟の通信機から顔を離し、彼はドアの脇にあるスリットへ自分のIDを通す。
音もなくスライドする、特殊スチール製のドア。
「局長が、すぐにお会いしたいとの事です。みなさん、どうぞ中へ」
私達は彼等に会釈をして、ドアの向こうへと進んだ。
机に顔を伏せ卓上の端末を操作していた矢田局長が顔を上げる。
局長室に他のスタッフの姿はない。
「えと、私に何か話があるとか」
ソファーの方へ移動する局長。
私達もそこに腰を下ろし、彼が眼鏡を押し上げる様子をじっと見つめた。
「余計な話は無しにするわ。ケイ、浦田珪の事が聞きたいの」
「浦田君?彼が何かしましたか」
丁寧な、やや固い口調。
演技という程ではないが、余裕がある態度ではない。
「私達の所を辞めて、生徒会に移ったの。その理由や事情を、あなたなら知ってると思って」
「どうして僕が?」
「生徒会長から、局長へ指示があったという情報があります。その辺りも含め、お聞かせ願えませんか」
細まるサトミの視線。
局長は押し黙り、それに耐える。
「遠野さん、その辺で。反論しない以上、今の話を肯定してくれたんだから」
「沢さん、僕は何もそんなつもりで……」
「なら、どんなつもりだい。聞かせてもらえるかな」
「そ、それは」
言葉に詰まり眼鏡に触れる局長。
しかし何も言わない。
その口の堅さは承知済みなので、サトミは目線を外してため息を付いた。
「ではもう一つ。ワイルドギース、……舞地さん達はどう絡んでる」
「浦田君から彼等を出向させて欲しいと要請があったので、期限付きでI棟Dブロックに行ってもらいました」
「後期が始まったのは昨日ですよ。すぐに申請したとしても、1日2日で許可が下りるものですか?しかも、登録されたばかりの人の要請に」
サトミの質問に、局長はやはり口を閉ざす。
「生徒会長に義理立てするのも結構だけど、各局はそれぞれ独立した立場にあるはずだ。しかも君は、自警委員会の委員長でもある。名目上とはいえ生徒会には属しない委員会の立場としては、どう考える」
「私はその……」
「ああ、済みません。別組織の隊長ごときが言う事では無かったですね」
突然口調を改める沢さん。
普段の局長に対する態度へ戻ったとも言えるが、プライベートでは敬語を使っていなかったはずだ。
「局長が何をお考えになっているかは知りませんが、浦田君はDブロックでかなり強引な行動をしようとしています。自警局長の管理下にある彼が」
「……何かあった場合には、勿論僕が責任を取りますよ」
局長の表情が引き締まり、沢さんに負けない程の気迫を持って彼を見つめ返す。
戸惑う私達にもかまわず、局長は沢さんと厳しい視線を交わしあう。
張りつめる空気、しかし視線を逸らしたのは沢さんの方だった。
「その覚悟さえ聞ければ、僕は十分だ。それに心配しなくても、浦田君は君に迷惑を掛ける事はしないよ」
「は、はぁ」
緊張から解放されたせいか、気の抜けた返事を返す局長。
席を立った沢さんは、彼の肩を軽く叩きドアへと歩いていった。
「済みません、僕は……」
「いいんだ。人にはそれぞれ立場や考えがある。君は自分の信じた通りやればいい。僕達もそうして来たように」
ポケットに手を入れると、ドアが自然にスライドする。
「あ、あれ?」
さっきの警備の人みたいな顔をする局長。
沢さんは後ろ向きのまま手を振り、閉まり始めたドアを出ていった。
「故障でしょうか?」
「知らない」
素っ気なく答え、腕を組んで背もたれに倒れ込む。
みんな事情を知っているのに、私達には何も言わない。
疎外感という訳でもないけど、いい気分でないのは確かだ。
「もういい、帰る」
勢いよく席を立ち、ドアへ向かう。
「雪野さん、僕は……」
「話す事なんて無いわ。私は沢さんみたいに割り切れる程大人じゃないのよ」
「という訳だ。悪いな、矢田」
おそらくは私以上に複雑な思いを抱いているショウも、隣に来る。
「済みません局長。これは私達の問題でした。あなたに話す必要は無かったようです」
「遠野さん。僕の話を少し聞いてください」
「ケイの事をですか、それとも生徒会長の事でしょうか」
「い、いや」
「ですよね。局長はご自身のお仕事に専念なさって下さい。下らない話をお聞かせして、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げ、席を立つサトミ。
その意図が分かったのか、局長の顔が微かに険しくなる。 「ちょっと、ちょっと待ってください」
「まだ何か」
「い、いえ。何でもありません……」
俯き、テーブルに視線を落とす局長。
背中を丸めたその姿に、さっき沢さんと睨み合った面影はない。
微かな胸の痛みを感じつつ、私は彼の背中に別れを告げた。
オフィスに戻ると、その後起きたトラブルは全て生徒会ガーディアンズが処理をしていた。
サトミは一人になりたいと言って、寮に戻っている。
痛々しささえ感じられた、先程までの強がり。
その反動で、余計落ち込んでしまったらしい。
今はただ、ゆっくりと休んでもらうしかない。
そしてショウも、学校から出ていってしまった。
険しい顔してたから、その気持を晴らすために従兄弟と組み手でもやるのだろうか。
残された私はビールを一気に飲んで、グラスを置いた。
「……もう一杯」
「また?飲み過ぎはよくないよ」
「いいから、もう一杯ちょうだい」
「はいはい」
食堂のおばさんが、グラスをカウンターに出してくれる。
「ありがと」
それをぐっとあおり、ため息を付く。
「恥ずかしいわね、何飲んだくれてるの」
「あ?」
少しふらつきながら振り向くと、呆れた顔をしているモトちゃんがいた。
その指が、カウンターに置かれたグラスの上を追っていく。
「3、4……6杯?」
「低アルコールのだから、大した事無いわよ」
「だからって。あ、済みません私にも」
出されたグラスを一気にあおり、もう一杯頼むモトちゃん。 私も負けずに、注文する。
「ケイ君にも困ったわね」
「塩田さんも副会長も局長もよ。一体何企んでるの、あの人達は」
「私が聞きたいわ。彼、局長直属のガーディアンと一緒に仕事してるって?」
「そう。どうせあの人達は仕事出来るし、私達と違って素直に言う事聞くわよ」
おつまみのさきイカをかじり、くわえたままでカウンターを叩く。
とにかく、何もかもが面白くない。
このビールが茶色いのだって、気にくわない。
「くだ巻かないの。済みません、もう一杯」
「自分こそ3杯目じゃない」
私達はグラスを傾け、すぐさま飲み干した。
「ここは飲み屋じゃないんだよ」
といいつつ、ピッチャーをカウンターへ置いてくれるおばさん。
取っ手まで冷え切っていて、なんとも気持いい。
「モトちゃん」
彼女のグラスにビールを注ぐ。
「はい、ご返杯」
今度は私のグラスにビールが満たされる。
「かんぱーい」
周りには他の子もいるので、一応小声でやる私達。
重ねたグラスを口元へ運び、ぐいっと飲む。
「あの子はね、私達を見捨てたの。舞地さん達の所で、楽しくやってるのよ」
「知り合いでもないんでしょ、彼女達と。ケイ君って、知らない人とすぐ仲良くなるタイプでもないし。それでも彼は楽しいの?」
グラスを顔の辺りへ持ってきて、聞こえない振りをする。
「別に私はあの子を責めてないの。いいのよ元気でやってるなら。でもさ、「これからは大人しくしてろ」って。何あの言い方はっ」
「知らないわよ、私はそんな話」
「ああ、モトちゃんにはしてなかったか」
私はピーナッツをつまみながら、手短に経緯を説明した。
「……そう。で、サトミとショウ君は怒っちゃった訳」
「当然でしょ。塩田さんも局長も何も言わないし。まったく、どいつもこいつも」
「何、それ」
私の肩をぺたぺた叩くモトちゃん。
ちょっと酔いが回ってきたようだ。
「何も言わなくていいと思ってたけど、前言撤回。もう何も言わなくていいわ。あんな子、もうどうでもいい」
「ユウ、訳分からないわよ。酔ってるでしょ」
「ええ、酔ってます。酔ってますとも」
口に付いた泡を拭い、小声で吠える。
酔っても暴れる達ではないんだけど、今日はちょっと事情が違う。
「私からケイ君に言ってもいいけど、人の話を聞く子じゃないから。ごめんね、力になれなくて」
「いいよ、あんな子。舞地さん達と、他の学校にでも行けばいいんだっ」
「……怖い事を言うな。俺達は、当分ここにいるぜ」
笑い気味の声が後ろから聞こえてきた。
タンクトップにGパンというラフな姿の名雲さん。
隣には、シャツとコットンパンツの柳君もいる。
「バーじゃないだろ、ここは。あ、俺にも彼女達と同じ奴」
「僕はお茶下さい」
「付き合い悪いな、もう仕事は終わりだぞ」
「ぶっ倒れた名雲さんを背負って帰るのは、僕の仕事だよ」
はは、なんか面白い。
私達は少し移動して、二人をカウンターに招き入れた。
「ん、そっちの子は?」
「ガーディアン連合1年、元野智美です。ユウとは中等部からの知り合いでして」
「丁寧にどうも。俺は名雲祐蔵、こいつは柳司。聞いてるだろうけど、今は自警局長の下で働いてる」
名雲さん達のグラスが持ってこられたところで、私達はもう一度乾杯した。
瞬く間にグラスを空にする名雲さん。
私が注ぐと、それも半分くらいをすぐに飲んでしまった。
一方柳君は両手でお茶が入ったグラスを持ち、ちびりちびりと飲んでいる。
「変わった飲み方するね」
「え、そうかな?」
逆に不思議そうな顔をされた。
彼の可愛らしい外見に似合った飲み方とは言えるけど。
「それにしても、お嬢様はご機嫌斜めのようだな」
「私?ご機嫌斜めっていうか、気に入らない事があって」
「浦田か。あいつ、仲間なんだろ」
「前はね。今は、名雲さん達の仲間じゃない」
名雲さんはピッチャーからビールを注ぎ、立ち上っていく泡を見つめた。
さっきの沢さんにも似た、怜悧な表情で。
「正確には仲間じゃない。契約主だ」
「僕は、友達だけどね。ただそういう理由もあるから、雪野さんもそんなに怒らないで欲しいな」
「怒ってないわよ。怒ってないけどさ」
チーズをかじり、ビールで流し込む。
複雑な味だ。色んな意味で。
少し気持が落ち着いた私は、汗をかいたグラスに指を滑らせその冷たさを楽しんだ。
「そういえば沢さんが「ワイルドギース」って言ってたけど、あれどういう意味?」
「俺達があちこちの学校を渡り歩いてるのは、沢から聞いてるだろ。昔はそんな流れ者の連中を、「ワイルドギース」って言ったんだ」
「今はどうなんですか」
興味を示した顔をするモトちゃん。
名雲さんは空になっていた彼女のグラスにビールを注ぎ、口元を緩めた。
「そんな連中の中で、一番だと思われている奴がそう呼ばれてる」
「今は僕らがそうなんだって。本当かな」
チョコクッキーを食べながら、柳君が脳天気な笑顔を見せる。
「格好良いですね」
「まさか。どこにも居着けない同士が勝手に言い合ってるだけさ」
鼻を鳴らし、グラスを手の中で転がす名雲さん。
モトちゃんはくすっと笑い、耳元をそっとかき上げた。
「……元野さん、だったな。浦田とは付き合いが長いのか」
「ユウ達と同じ、中等部からの付き合いです。ユウはさっき怒ってましたけど、悪い子じゃないですよ」
「良い子でもないだろ」
ワイルドに緩む彼の目元。
モトちゃんは小首を傾げ、それをやんわりと受け止めた。
「否定は出来ませんね。だけど、私ケイ君みたいな子好きだな」
「うそっ?」
「違う違う。自分のする事に迷いが無いでしょ、あの子。そういう生き方がっていう意味。愛してるとかじゃなくて」
「そ、そうだよね。あー、分かってても焦った」
私は吹き出した汗を押さえる意味も込めて、グラスを傾けた。
くー、冷たいっ。
少しだけど、楽しくなってきた。
そう思い込みたいという部分も含めて。
「ふーん、浦田が好きか。でも、彼氏とかじゃないんだ」
「あの子を彼氏にする物好きがいたら、会ってみたいけど」
「はは、同感」
大笑いする私達。
すると柳君が、何気なく呟いた。
「丹下さんと仲いいよね、浦田君」
思わずむせ返す私とモトちゃん。
さすがに吹き出しはしなかったが、鼻に入った。
「ま、まさか。あの二人がそうだって?」
「ね、ねえ」
私達は少々気まずそうに顔を見合わせ、自分の考えを心の中に閉じこめた。
「違うの?」
「だって、ケイと沙紀ちゃんよ。月とスッポンというか、女神と悪魔というか」
「ひどいな、それ。あいつはスッポンか」
「例え、例え。もうこの話はいいって」
「そうそう。ほら、飲みましょ」
モトちゃんがピッチャーを両手で持ち、楚々とした仕草で名雲さんのグラスに注ぐ。
名雲さんはそれを軽く掲げ、グラス越しに彼女を見つめた。
「……美人の酌で酒が飲めるなんて、最高だな」
「どうも」
「いや、本当に。確かに、舞地や池上はいい女だよ。でも舞地は無愛想だし、池上はうしゃうしゃ笑ってるんだぜ。そんなのに酌されてもさ」
「ふーん。でも私がさっき注いだ時は、名雲さん何も言わなかったわね」
グラスをカウンターに勢いよく置き、その甘くも格好良い顔を見上げる。
「お、おい、絡むな。悪い、俺が悪かった」
「いいんすよ。私はどうせ、小さくて顔丸くて怒りっぽいですから。へっ」
「嫌な事言うな。ほら、飲め」
注がれてあふれかえりそうになったビールをすすり、そのままカウンターに倒れ込む。
もう、今日は駄目だ。
いつも駄目だけど、特に今日は。
「あーあ。ケイはどっか行っちゃうし、サトミは落ち込んじゃうし。面白くないなー」
「でも玲阿君がいるでしょ。あの人って、彼氏じゃないの」
柳君の質問に、倒れたまま体を震わす私。
寝た。
私は今、酔いつぶれて寝入ってる。
そういう事に、して欲しい。
「複雑なのよ、その辺は。お互い好きあってるのは何となく分かるんだけど、もう一歩踏み込めない感じなの」
「モトちゃん、解説は止めて……」
「本当じゃない。ポケッとしてたら、誰かに持ってかれるわよ」
そういえば、池上さんもそんな事言ってたっけ。
やっぱり今のままだとまずいのかな。
だからって、今さら「付き合って」とか言うのも恥ずかしいじゃない。
なんだか、訳が分からなくなってきた……。
「あ、雪野さん考えてるね」
「う、うるさいな」
「名雲さん、怒られちゃった」
「う、うるさい」
「元野さん、どうする?」
「も、もういいからっ」
カウンターに伏せたまま吠える。
自分の声がうるさいなと思いつつ、私は体を起こした。
「私の事はいいから、柳君は自分の心配してなさいよ」
「僕、彼女いるから」
さらりと言われてしまった。
言葉に詰まった私に代わって、モトちゃんが口を開く。
「でも、柳君達ってあちこちの学校を渡り歩いているのよね。彼女と離ればなれで辛くないの?」
「うん。愛があれば」
その可愛い顔が、ひくひくする。
言ってはみたものの、自分でもおかしかったようだ。
「笑うなら言うな。なんであっても、彼女がいるだけましさ。俺なんて、ずっと一人だからな」
「へえ。二人とも持てそうなのに、意外」
「違うって、モトちゃん。名雲さんは、学校学校に恋人がいるのよ。ほら、昔の船員さんみたいに」
「そうなんだ。さすが名雲さんだな。僕も、見習おう」
柳君も交えて、勝手に盛り上がる私達。
「好き勝手言いやがって」
「あれ。もう帰る?」
「ああ。二日酔いで授業に出ても仕方ないだろ。ここは俺が払うから、おまえらもすぐに帰れよ」
「じゃあ僕も。二人とも、また」
私達は笑顔の彼等を見送り、くすくすと笑い合った。
「もっと怖い人かと思ってたんだけど、意外だったわ」
「舞地さん達もいい人だよ」
「そう。だったら、ケイ君も安心じゃない」
「うん。あ、一言頼んでおけば良かったかな」
「分かってくれてるわよ、あの人達なら」
「ん、そうだね」
まるで出来の悪い弟を託す気持だろうか。
不安と切なさ、そして祈るような気持。
彼等と仲良くやっていけるように、寂しい思いをしないように、いつも笑っていられるように……。
数え切れないほどの事を神様にお願いして、私は気の抜け始めたビールを口にした。




