21-8
21-8
朝。
髪を整え、ハンドクリームを少し手に馴染ませ、パジャマを着替える。
スカートを履き、シャツを着て、リボンをして、ジャケットを羽織る。
「……大きいな」
着ているというより、着られてる感じ。
袖は長いし、裾は膝より下まで来てるし。
来客を告げるインターフォン。
仕方なく、このまま玄関へと向かう。
「何してる」
真顔で尋ねてくる舞地さん。
私は軽く身を翻し、スカートの裾をはためかせた。
「自分こそ」
ぴったり元の位置に戻り、彼女の顔へ指を向ける。
意味はない。
強いて言うなら、そういう気分だから。
どういう気分かは、自分でも説明出来ないが。
「映未は」
「お姉さーん」
「誰がお姉さんよ」
頭をタオルで拭きながらやってくる池上さん。
舞地さんは私を押しのけるように玄関へ入ってきて、彼女を見上げた。
「何してる」
「私が聞きたいわ。突然夜中に来て、よだれ垂らして、うへうへ笑って」
「誰がうへうへ笑ったの。大体、よだれなんて垂らしてない」
「だったらどうして私は、朝からシーツを洗ってるの」
聞こえない振りをして、袖を引っ張る。
下がってくるので、また引っ張る。
駄目だ、もうまくろう。
「それは」
「私の。もう、嫌になる」
「悪かったわね。いいのよ、たまには着ないと。虫干し、虫干し」
「雪野自身が虫じゃないのか」
邪険な眼差しを向けてくる舞地さん。
可愛い娘に付いた、悪い虫を見るように。
この人、嫉妬してるのか。
「で、舞地さんこそ何の用。まさか迎えに来た訳でもないんでしょ」
「近くを通り掛かったから」
近く、ね。
しかし本当に、迎えに来た訳でもないだろうし。
アパートの下に降り、少し後ずさる。
いきなり、真下から睨まれたので。
こっちも対抗上、姿勢を低くして睨み返す。
「あなた、何してるの」
「だって。睨んでくるから」
黒い小柄な猫を指差して、ふと視線を上げる。
いつにない、和やかな顔をしてる舞地さんへと。
「この猫を追ってきたの?」
「ああ」
短く呟く舞地さん。
はーん。この女の手下か、この猫は。
道理で目つきが悪くて愛想がない訳だ。
目つきが良くて愛想のいい猫っていうのも、あまり想像出来ないけど。
「おう。おお?おう、おう」
「……何やってるの」
呆れ気味に私を見下ろす池上さん。
腰を屈め、猫へ向かって爪を立てている私を。
「何って、猫と」
「どこに」
「え?」
振り向いた先には、すでに黒猫の姿はない。
これだから、猫は嫌なんだ。
わがままで、自分勝手で、自分の事しか考えて無くて。
絶対犬、犬に限る。
「あれ」
気付いたら、二人の姿もない。
というか、私一人で立っている。
これだから嫌なんだ……。
教室に着いた途端、笑われた。
もう少し正確に言えば、正門をくぐる前から。
笑い声が聞かれなかったのは私への遠慮と、舞地さん達がいたからだろう。
「似合ってるって言った方がいい?」
「いや。何も言わなくていい」
「助かったわ」
苦笑して、まくった袖を直してくれるサトミ。
それは嬉しいが、なんかますます子供だな。
「それ、誰の」
「池上さん」
「もしかして、泊まったとか」
さすがに鋭いな。
というか、私の行動が甘いのか。
「裾が長いのよね」
「たしなみがあっていいじゃない」
足を組むサトミ。
長くて綺麗な足が、膝の上まで露わになる。
白くてきめの細かい肌が。
いいね。こういう事しても、品がある人は。
私がやれば、笑われるか後ろにひっくり返るだけだ。
「それで、何か分かった?」
「私は小さいなって事くらい」
「面白いわね、それ」
笑わないでよね、本当に。
どうしてそう、すぐに結果を求めたがるんだ。
世の中、そう都合良く物事が分かったら苦労しない。
そういう事にしておいて欲しい。
昼休み。
視線を感じつつ、食堂へ入る。
それこそ、珍しい物を見るかのように。
可愛いくらい言ってくれる人はいないのかな。
「はは。可愛いですね」
笑顔で声を掛けてくる渡瀬さん。
可愛いとは言ってくれた。
初めに笑われたのが、全てを表している気もするが。
「お姉さんのお下がりですか」
「私は一人っ子。そんなに変?」
「まさか。ちょっと、私にも貸して下さい」
ジャケットを脱ぎ、彼女に渡す。
自分のジャケットを脱ぎ、袖を通す渡瀬さん。
少し余る袖。
ウエスト下での裾。
とはいえ彼女の場合は、本当に可愛いという雰囲気。
彼氏のジャケットを貸してもらった女の子に見えなくもない。
仕方ないので、渡瀬さんが脱いだジャケットに袖を通してみる。
……大きいな、これ。
さっき程ではないが、袖に手の平が少し隠れる感じ。
これこそ、お姉さんのお下がりだ。
「どうかした?」
真後ろから掛かる、少しハスキーな声。
振り返ると、胸元のジッパーを少し開けた沙紀ちゃんが立っていた。
寒くないのか、なんて拗ねた発想をしたくなる。
「先輩もどうです、これ」
「……小さいわね、ちょと」
だってさ。
というかこの人、胸のボタンが閉められないんじゃないのか。
「これ、誰の」
私の?とは聞いてこない沙紀ちゃん。
いいけどね、別に。
「池上さんのアパートに。でも、制服は着てこなくていいんじゃない?」
「何しに行ったんですか」
同時に言うな、同時に。
一人ずつ言われても、答えないけどさ。
「遠野ちゃん達は」
「用事があって、遅れるって。……いた、あそこ」
カウンターに並んでいるサトミ達。
モトちゃんと木之本君の姿も見える。
これ以上笑い者になるのも何なので、ジャケットは着ずに膝の上に置く。
「用は済んだの」
「まだ、これからよ。傭兵が入り込んでるから、生徒会が対策を練るらしいわ」
「自警局や生徒会ガーディアンズじゃなくて、生徒会が?」
「例の執行委員会が関係してるらしい」
書類をテーブルへ置く木之本君。
議題の名称と、簡単な説明。
警備体制を厳重にするというくらいでしかない。
「良く分かんないな」
「詳細な内容は、会議で話すんだって。僕達も、殆ど把握してないんだ」
「それは、塩田さんの仕事じゃないの」
「あれが、仕事をする人間か」
げらげら笑うケイ。
こういう現場を何度と無く見つかってひどい目に遭ってるのに、懲りない人だな。
「大変だね、みんな」
「あなたの服程じゃないわ」
冷静に言い放つサトミ。
ただ、別に大変ではないと思う。
他人から見れば、どうか知らないが。
終わる授業。
筆記用具をしまい、リュックを背負う。
この制服を返しに行かないと。
「どこ行くの」
「池上さんの所。制服を返してくる」
「その帰りはどうするの」
「大丈夫。着替えは持ってきてる」
机の下から、少し大きめのバッグを出す。
中にはシャツとジャケット、スカートにリボンが入っている。
「初めから、それを着てきたら」
「分かってないね、何にも」
「一生分からないでしょうね。それ以前に、ユウは分かってるの?」
人の顔をじっと覗き込んでくるサトミ。
分かってたら、こんな格好する訳無い。
とは答えずに、バッグを担ぎ教室を飛び出ていく。
逃げ出したとも、人は言う。
直属班執務室。
中へいれてもらい、池上さんを捜す。
「いたいた。これ、もういらない」
「あのね。大体、帰りはどうするの」
さっきと同じ事を説明して、同じ事を言われる。
もういいんだって。
いや、私が。
取りあえず空いてる部屋で着替えを済ませ、バッグを池上さんへ返す。
やっぱり自分の服が一番だな。
「仕事はいいの?」
「いいの。みんな、会議だって」
「ああ。傭兵がどうとか言ってたわね。私達を取り締まる相談でもしてるのかな」
うしゃうしゃ笑う池上さん。
気楽なものだな、随分。
私も含めて。
「舞地さんは?」
「その会議に出てる。名雲君もね」
「ふーん」
「あの子は直属班全体の隊長でもあるから」
それは初めて聞いたな。
普段寝てるのに、肩書きだけは立派らしい。
「僕、何の話してるか知ってるよ」
子供が、大人の秘密を話すような顔。
私も顔を寄せ、耳を澄ます。
近くなる距離、何となく早くなる鼓動。
いいじゃないよ、たまには。
「これ」
「わっ」
いきなり突き付けられる銃口。
別な意味で早まる鼓動。
「あ、危ないわね」
「雪野さん、近付き過ぎだよ」
たしなめられた。
じゃあ誰よ、内緒話を始めたのは。
柳君はショットガンに似た銃を腰に構え、誰もいない壁へ銃口を向けた。
「こういうのを、ガーディアンに配備するんだって」
「何のために」
「対傭兵、という名目で。実際にどうなのかは、浦田君に聞いたら」
なる程。
あの子は、この手の話に詳しいからな。
ガーディアンの武器にではなく、人の陰謀や策謀に。
「弾は?」
「今は抜いてある。それにこの学校で、こういうのは必要ないと思うけどね」
銃を受け取り、私も構えてみる。
見た目よりもしっかりした作りで、意外な重さ。
その辺で売っているモデルガンとは、作りが違うようだ。
「でも私は、何か使いにくいな。使った事無いし。……柳君は?」
「これは、僕の私物。ここへ来る前は、たまに使ってた。といっても、威嚇用だね。遠いと威力が半減するし、近いとどうしても撃つのにためらう」
「という訳。こんなの意味無いわよ」
興味なさげに肩をすくめる池上さん。
でも彼女も昔は渡り鳥な訳で、無縁ではないはずだ。
「池上さんは持ってないの?」
「無くもないけど。後方担当の私がそれを使う場面になったら、もう終わってるわよ」
「ふーん。こんなので、撃ち合う気なのかな」
「沢さんの方が詳しいけどね。あの人、本物持ってるから」
ニコニコと笑う柳君。
笑い事なのか?。
銃を構えたポーズで撮影会を開いていると、舞地さん達が戻ってきた。
これとは違う銃を担いで。
「それは、名雲さんの?」
「いや。サンプルとして支給された。俺のは、また別にある」
「こっちの方が軽いね」
「新製品だからな。柳のは、もう2年以上前のモデルだぜ。ただ、どちらの性能がいいかはって話さ」
物騒な笑顔を浮かべる名雲さん。
舞地さんは池上さん同様、関心無さげに銃の説明書をめくっている。
「弾は」
「無い。……表向きは」
ぽそりと呟く名雲さん。
手の中に現れる、親指くらいのゴムの玉。
いや、弾だろうか。
「実際はマガジンにこれを詰めて、グリップの下から差し込む。後は横のスイッチで調整。セーフティモード、単発、セミオート、オート。で、最後が散弾」
「いちいち、そんな操作してられる?」
「慣れれば、何て事はない。面倒なら操作数を減らすよう、設定しておけばいい。セーフティと、単発とオートだけとか」
「どっちにしろ、私は自分を撃ちそうだな」
名雲さんが弾を込める作業を眺めつつ、柳君の銃を構えて舞地さんへ狙いを定める。
当たり前だが本人にではなく、窓に映った彼女へと。
その途端睨まれた。
窓越しに。
さすがに勘がいいな。
それとも、私のやる事は誰にでも分かるのかな。
「ハトでも撃ってみるか」
「止めてよ、可哀想じゃない」
「美味しいんだぜ。……多分」
嫌な注釈を聞いた。
というか、聞きたくなかった。もう遅いけど。
「それで、導入は決定されたの」
関心無さげに尋ねる池上さん。
舞地さんはキャップを取り、説明書とは違う書類を彼女へ渡した。
「反対意見が多くて、取りあえずは保留。ただし執行委員会の護衛に関しては、所持を認める」
「それに対しての反対意見は?」
「特に。馬鹿におもちゃを持たすのは危ないけど、馬鹿に付ける薬がないと思ったんだろう」
「確かに智美ちゃんは、こういうの嫌いそうだものね」
あの子は普通のケンカすら嫌がる。
だから明らかに行き過ぎと言えるこれに反対するのは、当然と言える。
「全員が反対?」
「いや。F棟の隊長は賛成してた」
「ガーディアンの代表として?」
「彼個人の意見として。部下からは冷ややかな目で見られてた」
F棟隊長って、風間さんか。
確かにあの人は、こういうの好きそうだな。
銃でトラブルを鎮圧するという考え方ではなく、銃その物が。
「他人事でもないし、少し探ってみるか。雪ちゃんもどう?」
「何がどうなの。ドーナツの事?」
「そうそう」
駄目な子をあやすように撫でられる頭。
私だって、分かってるっていうの。
「僕も行く」
銃を担ぐ柳君。
どこへ行く気だ。
「真理依は」
「寝る」
「あ、そう」
「名雲君は」
「子供の引率は任せた」
名雲狩りを思い留まり、F棟のA-1ブロックのオフィスへとやってくる。
「こんにちは。風間さんいます?……って、沙紀ちゃん。七尾君も。どうかしたの」
「色々とね」
ため息を付く沙紀ちゃん。
七尾君は苦笑気味に肩をすくめている。
その原因はすぐに分かった。
「よう」
銃を担ぎ、受付の奥から現れる男の子。
欲しいおもちゃを買ってもらった子供のような顔で。
「ペットボトル並べて、撃ってみようぜ」
馬鹿だな、多分。
それ程親しくはないけど、そうとしか思いようがない。
「風間さん。それはあくまでも見本で、しかもトラブル以外では使わないよう通達が出ています」
「誰が出したんだ、そんなのを」
「生徒会と自警局の連名で」
「それは困ったな。七尾、廊下で暴れてこい」
馬鹿だ、間違いなく。
初対面の人でも、断言出来る。
「じゃあ、自分が暴れてろよ」
「てめえ。先輩に向かって、その口の利き方は何だ」
「分かったから、落ち着いて下さい。ほら、雪野さん達が来てるから」
「誰が?……なんだ、それ」
めざとく、柳君が担いでいる銃に目を付ける風間さん。
自分のとは違う、少し無骨だが重厚な作りの銃へと。
「これは閃光弾とか、火薬弾とかが使えるよ」
「何だと?風間、矢田に交渉してこい。こっちを配備するようにって」
「配備しないんだよ。あんた、何を聞いてたの」
「ちっ。どいつもこいつも」
どいつもこいつもって、一番問題あるのは自分じゃないのか。
その様子を苦笑気味に眺めていた池上さんは、手を振って半ば強引に風間さんから銃を受け取った。
「あなた、本当にこれを使う気?」
「トラブルの時に?まさか、冗談だろ」
「どうして」
「こんなので撃ってる前に、殴った方が早い。所詮は威嚇用のおもちゃさ」
突然の、本質を見抜いたような発言。
池上さんは薄く微笑み、意外な程の素早さで銃口を彼の胸元へ向けた。
「相手が、こうしてきたら?」
「さあな。お前も傭兵だし、手の内は明かせない」
「あら、残念ね」
無造作に銃を放る池上さん。
風間さんは片手で銃身を掴み、肩に担いだ。
「というのは冗談で。実弾じゃ無い限り対処の方法はいくらでもある。なあ、七尾」
「あれを対処というのなら、そうでしょうね」
「映画の見過ぎなんですよ」
憮然とする後輩二人。
良く分からないが、過去に何か経験があったらしい。
「そういう訳で、これは俺のおもちゃとして使わせてもらう」
高らかに宣言する風間さん。
少しは格好良いかも知れない。
今までの行動を見ていなければ。
「あら。いい人がいたわよ」
目の前を歩いている男の人を指差す池上さん。
彼女は柳君から銃を受け取り、即座に狙いを定めた。
その途端振り返る沢さん。
音も、火薬の香りもない。
しかし彼は振り返った。
これが、フリーガーディアンという存在か。
「人に銃口を向けないようにと教わらなかったのか」
「あなた、鬼だもの。で、どう思う?」
「さあね。広い範疇で考えれば僕らも傭兵だから、こちらへ銃口を向けられる可能性はあろうだろうけど」
興味なさげなコメント。
その真意は、舞地さんや風間さんと同じなのだろう。
「それに沢さんは、本物を持ってるからね。こういうおもちゃは、興味ないんだよ」
「柳君、物騒な事を言わないように。大体それだって、鉄板くらい打ち抜くだろ」
「手でやった方が早いから」
さらに物騒な発言。
殴って鉄板を打ち抜くという発想が、すでにどうかしてる。
「第一沢君の銃は、対暴力団やマフィア用でしょ」
「詳しいね、相変わらず」
「私は何でも知ってるのよ。あなたが今朝、ツナマフィンを食べた事とか」
「面白いな、それ」
鼻で笑う沢さん。
少し強ばり気味に、見えなくもない。
「言ったでしょ、何でも知ってるって。長野へ手紙を……」
「ごほん。僕は急ぐので」
飛ぶような足取りで遠ざかっていく沢さん。
池上さんはその背中に、指で撃つ真似をした。
「どうして、ツナマフィンを食べてるって分かったの」
「データと行動パターン。細かく統計を取っていれば、60%は当たるわ」
「60%って、外れる時もあるじゃない」
「今は当たった。いいのよ、こういうのははったりが大事なんだから」
とにかく理屈では敵わないので、納得をする。
現に、当たってる訳だし。
私の事を言い当てられても困るとも思って。
別に困る事はしてないが、言われた後ではもう遅い。
「どうした」
「池上さんが、銃の事に関して聞きたいって」
「私も傭兵側の人間だから、撃たれたらと思って。伊達君絡みもあるし」
「自分で言うかね。あの愛想の悪い女から聞いてるだろうが、配備は当面見送り。少なくとも、俺達は導入する気はない。次期議長が、強硬に反対したんでな」
鼻で笑う塩田さん。
彼が足を掛けている机には、例の銃が置いてある。
「欲しいなら、持っていけ」
「私は別に。塩田さんは、使わないんですか」
「俺?……ちょっと、試してみるか」
教棟の裏。
人気のない、少し開いたスペース。
放課後は場所取りに負けたクラブが使用出来るよう、地面は整備されていて雑然とした様子もない。
そこに並ぶ、幾つかのペットボトル。
私達は壁と窓ガラスを隔て、その様子を見守る。
ストックを肩に当て、構えを取る塩田さん。
引かれる引き金。
ほぼ同時に、左側のペットボトルがはじき飛ばされる。
銃の横に指を当てる塩田さん。
次に引き金を引くと、今度は残ったペットボトルが全部飛んでいった。
「初めのが単発、次のが散弾。ペットボトルは弾力があるからな。貫通はしない」
「人間は?」
「目に当たれば、失明の可能性がある。それ以外の場所だと、せいぜいあざが出来る程度だろ。そっちのは知らんが」
柳君の銃へ向けられる視線。
形状が違う分、その性能も違うだろう。
また、ゴム弾以外も射出出来るというし。
「とはいえ、正確に射撃をするのはほぼ不可能だ。相手はペットボトルじゃなくて、人間なんだから」
「そのための散弾でしょう。弾をばらまけば、誰かには当たります」
静かに返すケイ。
トラブルの関係者だけではなく、周囲にいる人へも。
つまり、無関係な人間に。
「納入業者と生徒会関係者が親しいとか。結構高価そうですし、数が揃えば結構な額になります」
「業者の選定は予算編成局、つまり中川さんも関わるから問題ない。むしろ先に言った、無闇に撃ち合って混乱させる方が目的かもな」
突然壁際へ飛び退く塩田さん。
地面の上で飛び散るゴム弾。
それは開いた窓から、廊下へも飛び込んできた。
「っと」
私が手で払い、ショウが足ではね除ける。
初速はともかく、肉眼で捉えられる程度の速度。
かわすくらい、訳はない。
「馬鹿が」
小さな呟き。
振りかぶり様、腕を振る塩田さん。
上の方から聞こえる、誰かの声。
「所詮、人間には敵わないって事だ」
「当てたんですか?よく、届きましたね」
「力じゃない。タイミングと技術さ。体を鍛えればいいって訳じゃない」
ショウを見ながらの指摘。
単に届かすだけなら、ショウでも出来るだろう。
ただし相手にダメージを与えるとなれば。
それも、叫び声を出させる程に。
第一、撃ってきた位置と相手をすぐに確認出来るかどうかもある。
「誰なんです、一体」
「伊達、だったらどうする」
池上さんへ流れる視線。
凝縮する周囲の空気。
流れてきた雲に遮られる日射し。
「あり得ないわ」
「根拠は」
「そんな物は無い」
「馬鹿だな、お前」
短く告げる塩田さん。
苦笑気味に、どこか羨むような表情で。
「あいつなら、俺に気付かず撃つくらい出来るだろう。しかもこんな遠距離じゃなくて、至近距離からゴム弾以外のを使って」
「じゃあ、誰なんです」
「俺達を揉めさせようとしてる奴じゃないのか」
「そう思わせる、伊達さんの策だったら」
まとまりかけた雰囲気に、一言挟むケイ。
池上さんは彼に何かを言いかけ、すぐに首を振った。
「そういう事も、あるかもね」
「信じてるんじゃないの」
「それは、私の気持ち。彼の行動とは、また別よ」
矛盾する、しかし現実の答え。
翳った日射しの中、薄い影が地面に落ちる。
「どちらにしろ、伊達とは関わらない方がいいぞ。今みたいに疑われるし、ろくな事はない」
「親切で言ってるの?」
「さあな。俺は俺、お前はお前。無理に関わる気もないが、そうじゃない人間もいるからな」
流れてくる視線。
それを真っ直ぐに受け止め、拳を握り締める。
差し込み始めた日射しの下で。
重なる影を受け止めながら。
「結局、どうなの」
「塩田さんが言った通り。関わらないに限る」
素っ気ない返事。
普段通りとも、この件に関して一貫した態度とも取れる。
「向こうは傭兵。さっきはゴム弾だったけど、次は何で撃たれるか分かったものじゃない」
「そうだけど。何か、納得出来ないな」
「相手も分からないんだし、何が目的かもはっきりしない」
「お金を取られたからじゃないの」
そう答え、ふと気付く。
それは、伊達さんが揉めている原因だ。
彼がここへ来た理由、さっき撃たれた事とは関係ない。
私が寮で襲われた一件とも。
「向こうで勝手に片付くまで放っておくの?」
「伊達さんが頼んでくれば別だろ。伊達さんじゃなくても、池上さんとか。でも今の所、それ程俺達が関わる理由はない。むしろ、関わらない方がいい」
「先輩達の事なのに」
「その先輩達だって、何かがあった訳じゃない」
それはそうだ。
まだ、目についた事は特に無い。
小さな事の積み重ねで、精神的に焦りのような物を感じているだけで。
でもだからといって、何かあってからでは遅い。
舞地さん達の時のように。
「とにかく、伊達さんには近付かない方がいい。何も分かってないとはいえ、トラブルの原因にはなりそうなんだから」
あくまでも突き放した台詞。
私もその事は理解している。
感情として、納得は出来ないが。
「それよりもあなたは、この事を考えて」
目の前に置かれる例の銃。
レポート用に、私達の所へも配備された。
弾付きで。
「仕方ないな。射撃訓練とか必要ないの」
「反動は殆どないそうよ。それにあくまでも、威嚇用。発砲条件も厳しいの」
「塩田さんは撃ってたじゃない」
「あの人に、理屈は通用しないわ」
肩をすくめるサトミ。
その事も理解しているので、取りあえず構えてみる。
重さはさほど無いが、銃が長過ぎる。
大体、このストックが邪魔だ。
「これ、切っちゃ駄目なの。こんなの持って、うろうろ出来ない」
「今は、メーカーから借りてる段階なのよ。それを買い取る気なら、切ろうがどうしようが勝手だけど」
「風間さんじゃないし、こんなのいらない。こう使った方が、早いんじゃない」
銃身の方を持ち、台座の側でケイを殴る真似をする。
作りはしっかりしてるし、威力も結構ありそうだ。
「原始人か」
「悪かったわね。自分こそ、どうなの」
「俺は、そういう才能はない」
銃を受け取り、構えるケイ。
私より体格はあるので、多少は様になっている。
変なぎこちなさは否めないが。
「操作のレバーは。……これか。……え?……ん?」
体を左へひねり、首も傾け出した。
今まで以上に、ぎこちなく。
「浦田君、何してるの」
「これが、この。遠くて」
「ああ。左利きだから」
笑う柳君。
操作用のレバーは、銃の左側。
右手で持てば、親指で操作出来る位置。
しかしケイのように左手で持つと、人差し指などで少しずつ押す羽目になる。
「構えも変だよ」
「何が」
「こうだって、こう」
ケイの後ろへ回り、手を回す柳君。
何というのか、後ろから抱きしめる格好で。
手に手を添えて、頬を寄せ合うようにして。
何が問題って、この構図が一番問題じゃないのか。
「わっ」
キッチンから戻ってきて、そう叫ぶショウ。
二人はどうしたという顔で彼を見る。
「な、何してるんだ」
「撃ち方の練習」
声を揃える二人。
別にからかってる訳ではなく、ごく普通に。
だから余計に、困るんだけど。
「そ、そうか」
納得しないでよね。
とはいえ止めろと言うのも、ちょっと変だし。
しかも、楽しそうだし。
「この方が良くないか」
柳君の銃を腰に構えるショウ。
支給された物より寸が短く、ストックもない。
彼程体格がよければ、どちらでも大差ないと思うが。
「あなた、家にあるんじゃなくて?」
「本物ならあるけど」
何だ、それ。
すごい説明だな。
「間違えて、それを持ってこないようにしてね」
「弾と銃は別に保管してある。それに、俺の手の届く所にはない」
「でも、お父様はまだ持ってるんでしょ」
「ああ。縁の下には、爆弾があるらしい」
肩をすくめるショウ。
何だ、爆弾って。
抽象的かつ、意味不明だな。
「自爆でもするの?」
「あのな。よく知らないけど、終戦のどさくさで色んな武器を家に運びこんだんだって。その時に、爆弾があったとしか聞いてない」
「違法じゃないの」
「ある程度は、その後で許可を取ってる。弾のないコレクション品みたいのが、大半だし」
あの人も、結構そういう面があるからな。
子供というか、たわいもない部分が。
「爆弾も?」
「それは、セキュリティコンサルタントの時使ってたらしい」
「どうやって」
「さあ。俺も、父親を刑務所送りにはしたくないから」
それ以上は答えないショウ。
いいや、その内おじさんに直接聞けば。
爆弾男に。
のんきに笑っていると、ドアがわずかに開いた。
人の入ってくる様子はない。
覗くのは、黒い影。
銃口と思った次の瞬間には、体が動いていた。
サトミを突き飛ばし、彼女をかばいつつ自分も横へ動く。
室内に飛び散るゴム弾。
だがそれは、ひっくり返された机によってすぐに防がれる。
机を飛び越え突進するショウ。
その背後に隠れていたケイは、ドアへ張り付き隙間へ自分も銃口を差し入れた。
「馬鹿が」
香り出す火薬の匂い。
ショウがドアを開け、彼の肩を飛び越え柳君が飛び出ていく。
「どう?」
「逃げたな」
頬を押さえつつ、ドアの外を覗くショウ。
柳君もすぐに戻ってきて、息を整えている。
「顔は?」
「え。見てない」
慌て気味の、早い返事。
疲労ではなく、おそらくは精神的な面での。
「相手は」
「え。えと。脇腹を、少し蹴ったくらい」
「跡が付くくらい?」
「え。うん。でも、服を脱がないと分からないよ」
視線を逸らし説明する柳君。
ケイは彼を見つつ、こちらへと近付いてきた。
「どうしたの?」
「俺が見た限りでは、背が高くて髪が長かった。目元が隠れ気味で」
「それって」
「伊達さんに似てた」
即座に答えるケイ。
とはいえ彼も、断定はしない。
そこまではっきり見た訳では無いだろうし、本人の特徴を捉えてもいないだろうから。
「仮に伊達さんだとして、どういう意味があるの」
「持ち逃げしたお金は、この際大目に見る。代わりに、指定する人間をやってこい」
「柳君の事?」
「私達、かもね」
短く付け足すサトミ。
別に、傭兵に恨みを買った記憶はない。
「あなた。前舞地さんを助けにいって、傭兵グループを壊滅させたでしょ」
「いや。あれは、ショウが」
「昔いた傭兵に配分されるはずだった報酬も、全額峰山さんに渡してるし」
「それはケイが」
何だ、結構恨みを買ってるな。
などと、納得してる場合でもない。
「とにかく、僕一度戻る」
「俺も行く」
肩を落とした柳君の後に付いていくケイ。
ショウはため息混じりに、散らばったゴム弾を拾っている。
「しかし。あいつ、よく撃てたな」
「ケイ?」
「向こうから撃たれたとはいえ、廊下に関係ない人間がいた可能性もあっただろ。勿論襲ってくる時点で、向こうは回りに出来るだけ見られないようにはしたとしても」
つまり、さっき言っていたトラブルの元という訳か。
とはいえ彼の判断がなければ、いくら机があったとはいえゴム弾をもっとばらまかれていた可能性はある。
場合によっては、別な種類の弾も。
そう考えると、一概に彼の行動を否定は出来ない。
「サトミはどう思う?」
「銃の配備はともかく、撃たれる事に関しては何らかの練習なり訓練をした方がいいかもね」
鼻を押さえたまま話すサトミ。
突き飛ばした拍子に、どこかで打ったらしい。
といっても少し赤くなっているだけで、問題はない。
そういう事に、しておいて欲しい。
「簡単さ。相手が銃を持ってると分かった時点で、完全装備にすればいい。さっきのゴム弾程度なら、訳無くはじく」
「恐怖感はあるでしょ」
「当たってみれば分かる。あれなら、警棒やスティックで殴られる方が怖い」
頬に付いた、細い傷。
おそらくは、ゴム弾がかすめた跡。
それで、この台詞か。
「とにかく、私も行ってくる」
「ここの片付けは」
すぐに部屋を出て、二人の後を追う。
後ろから追いすがる声から逃げるようにして……。
直属班のオフィス。
受付を過ぎ、奥にある隊長執務室をノックする。
すぐに開くドア。
顔を出す池上さん。
「話は、浦田君から聞いた」
「伊達さんは」
「いるわよ。怪我してるみたいだけど」
言い淀み気味の口調。
彼女の肩越しに見える、長身の姿。
向こうもこちらの視線に気付き、顔を向けてくる。
前髪の下から覗く、鋭い瞳。
その意味を読み取る事は、私には出来ない。
「顔の怪我は」
無機質な口調で問い掛けるケイ。
動揺を見せたのは、伊達さんでも池上さんでもない。
ケイは何か言いたげな柳君に構わず、伊達さんへ詰め寄った。
「襲われた」
「髪をどけてもらえますか」
「浦田君」
「柳、構わない。……これでいいか」
掻き上げられる長い前髪。
はっきりと見える、細面の精悍な顔。
ケイは目を細め、彼の顔を正面から見据えた。
「結構です」
「いや。脇の怪我もどうだ」
「お願いします」
静かに答えるケイ。
無言でシャツを脱ぎ、引き締まった上半身を晒す伊達さん。
脇腹にあるのは、かすったようなあざと擦り傷。
柳君が言っていた箇所とも一致する。
「済みませんでした。すぐ、医療部へご案内します。治療費は無料ですので」
「分かった。準備する」
服を着て、机の上にあった警棒をフォルダーごと腰へはめる伊達さん。
ケイは醒めた眼差しで、その様子を眺めている。
「間違いない」
「何が」
「何もかもが。伊達さんを、医療部へ案内して。俺は、少しやる事があるから」
「え、うん」
ドアの前で、こちらを見ている伊達さん。
仕方なく、ケイを見ながらそちらへと向かう。
「俺が襲ったと、彼は言っていたが」
頬のガーゼに触れながら、そう呟く伊達さん。
彼が口を開いたのは、今が初めて。
医療部へ来る間も、治療されている間も。
そばにいる私には、何も言おうとしなかった。
私も、また。
「どうなんですか」
「否定はした。彼が信じたかどうかは知らないが。何せ、この状態だから」
「本当は、どうなんです」
答えない伊達さん。
静まり返る治療室。
廊下を歩く看護婦さんの足音が、近付いて遠ざかっていく。
「……無駄よ、雪ちゃん」
開いたカーテンから現れる池上さん。
仕方なさそうに笑いながら。
「話さないと決めたら、この人は何も言わないの。拷問されてもね」
「だからって」
「疑う疑わないは、人の勝手よ。否定する要素に欠けているのは、ともかくとして」
「池上さんはどうなの」
少しの沈黙。
下がる視線。
俯いた口元が緩み、長い髪が後ろへ流れていく。
「信じるも何も、やってないのよ」
「根拠は」
「無いって言ってるじゃない」
言い切る池上さん。
自信と信頼を込めて。
ああそうですか、という程人は良くない。
羨ましくはあるが。
「俺とは関わらない方がいいと言ったはずだが」
「今さら、何を。あなた、タイムマシンでも発明したの」
池上さんは鼻で笑い、肩口に指を向けた。
脇の傷とは違う位置を。
「それは?」
「どうでもいいじゃない」
間違いなく、私の蹴りがヒットした部分。
まだ直ってなかったのか。
「この学校に来て、失敗じゃないの」
「それこそ、今さらの話だ。2年前に言ってくれ」
「あ、そう。全くここは、ろくな場所じゃないわね」
とんでもない言いようだな。
じゃあ、早く出てけばいいじゃない。
「秋だし、旅出ったら」
「雪ちゃんは、巣立ちしなさい」
上手いね、どうにも。
いや、感心してる場合じゃない。
大体私は、何のためにここにいるんだ。
「とにかく、私はそこまで信じれないけど」
「あなたが信じてどうするの。疑って掛かりなさい」
「何よ、それ」
「雪ちゃんは人を信じやすいから。絶対とか、あの人に限って。なんてのは、幻想なのよ」
冷静に、低い声で呟く池上さん。
伊達さんはジャケットを羽織り、気のない感じで歩き出した。
「伊達さんも?」
「私の主観と、あなた達との主観はまた別。生き方も、考え方も。私達と関わるとろくな事がないって、聞いてない?」
「池上さんは平気なの?」
「それこそ、今さらよ。それに仲間だもの。相手がどう思おうと、私は私でやらせてもらう」
きびすを返し、伊達さんの後を追う池上さん。
消毒の中、微かに漂うコンディショナーの香り。
人を信じるという事。
その幻想と、現実。
今はどちらに傾いているのか。
そして私は、どうすればいいのか。
私なりの考えで、行動するしかない。




