21-6
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「何か用?チョコなら、もう全部食べた」
「そう言われると、私も困るんだけど」
思案の表情を浮かべ、ペンを手の中で転がすモトちゃん。
私は食べたはずのチョコを求めて、机の上を漁り出す。
「ちょっと。ああ、塩田さんの机。早く片付けて」
「木之本君の担当じゃないの」
「あの子は、他に色々忙しいのよ。チョコ、チョコ上げるから」
引き出しから出てくる、無いはずのチョコ。
やっぱりあると思ってた。
「片付けるのはいいんだけどさ。塩田さんが、自分でやれば?」
「放っておくと、卒業するまでやらないから」
「変なのが出てきたらどうするの。昔、開かなかった引き出しとかあったでしょ」
「無理矢理でも何でもいいから。ショウ君、お願いね」
ああと呟き、袖をまくるショウ。
確かに、あの人の机には興味がある。
「でも木之本君に片付けさせるんだから、変な物は無いのかな」
「あの子は信用があるし、口が堅いから」
人事のように答え、人のチョコを食べるサトミ。
「私達は?」
「堅くはないわね。重くもないし」
「はは、なるほど」
「雪野さん、早く頼みます」
背中に聞こえる怖い声。
仕方ないので席を立ち、引き出しを漁る。
口が寂しいんだよね、どうにも……。
「あら、楽しそうね」
執務室に入って来るや、軽い調子で声を掛けてくる池上さん。
意味ありげに微笑みながら。
「映未さん、何か」
「人捜しをしてるって聞いたんだけど」
「私は聞いてませんが」
「智美ちゃんじゃなくて」
横へ流れる、下がり気味の瞳。
私の頭上を通り越し、サトミの方へと。
「ご承知でしたか」
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの」
「池上映未じゃないの」
「子供は黙ってなさい」
人を一喝する、誰だか分からない人。
品の良さそうな、淡いブルーのワンピースを着た。
「何よ」
「へそは」
「寒いし、いつまでも出してられないの。雪ちゃんだって、出してないでしょ」
「私は、お腹を壊すから」
大体、どんな服を着たってへそなんて出やしない。
しかし最近、服装が大人しいな。
「男がうるさいんじゃないの。俺以外の奴に見せるなとか言って」
ヒーヒー笑うケイ。
池上さんは彼の脇腹を警棒で突き、床に転がして足で蹴った。
相変わらず、ヒーヒー言ってるケイ。
それが笑ってるのか苦しいのかは知らないが。
「別にね。伊達君と私は付き合ってないの」
「じゃあ、あの愛想のない男は彼女とかいるんですか」
「さあ。いちいち聞く事じゃないし、興味もないから」
「つれないですね」
切ない顔をするケイ。
一体、何をどうしたいんだ。
「それで、何か分かったの」
「名雲さんが、調べて下さるそうです」
「名雲さんが?」
その名前に反応するモトちゃん。
サトミは静かに頷き、小首を傾げた。
「何か、問題でも?」
「余計混乱するんじゃなくて」
「大丈夫。あなたは襲われないから」
「どうして」
答えないサトミ。
モトちゃんは彼女を睨んだ後で、池上さんへ視線を向けた。
「映未さん」
「名雲祐蔵の女に手を出す馬鹿はいない」
「……以前、襲われましたけど」
「彼女ではないと思ったか、智美ちゃん自身を狙ったのよ。狼の家族に手を出したらどうなるか、誰でも知ってるわ」
狼、ね。
だったらモトちゃんは、狼夫人という訳か。
いや。意味はないけど、語呂がいいから。
「……映未さんは、どう思われます」
遠慮気味に尋ねるサトミ。
池上さんはワンピースの肩の辺りのしわを直し、小首を傾げた。
「伊達君の事?私は信用してるわよ」
自然な、自分の名前を答えるような口調。
サトミは切れ長の瞳を細め、腕を組んで棚へもたれた。
「塩田さん達は、違うようですが」
「彼等の立場を考えれば当然ね。私だって疑うわ」
「でも、映未さんは違うと」
「聡美ちゃんだって、雪ちゃんを疑わないでしょ。どれだけ離れていても、ずっと会って無くても」
諭すような。
自分に言い聞かせるような表情。
「それで、聡美ちゃんはどう思ってるの」
「微妙ですね。私達の立場も含め」
「学校とやり合う気はない。でも、傭兵がここで暴れるのも気にくわないって?」
「そんな所です」
淡々と交わされる会話。
ただしその内容は、切り立った断崖の上で話されているのと大差ない。
「浦田君は、どうなの」
「いいんですか」
「止めておくわ。後輩を殴るのも、面白くないから」
鼻で笑う池上さん。
ケイは眉間にしわを寄せ、脇腹を撫でた。
「もう、殴られてるんですけど」
「あれは、親愛の情よ」
「皆さん。お話も結構ですが、仕事もお願いします」
「ですって。何をするのか知らないけど、私も手伝うわ」
引率される生徒よろしく、池上さんの後を付いていく。
しかしこの人、スタイルいいな。
それに引き替え、私はなんだ。
神様は、何を思って私を作ったのかな。
せめて、サトミの余りくらいで作ってくれれば良かったのに。
何て下らない事を考えていても仕方ない。
近い内に、熱田神宮で頼んでおこう。
「舞地さんは?」
「朝からいないのよ。あの女、どこで遊んでるんだか」
「自分こそ、仕事は」
「今日はいい天気ね」
のんきに窓の外を眺める池上さん。
というか、この人が仕事をしてるのって殆ど見た事無いな。
「あれ」
「どうかしました」
「知り合いが。おーい」
手を上げて声を張り上げる池上さん。
恥ずかしい人だな。
「……どうしたの」
「いや。脇腹が痛くて」
脇を押さえ、廊下を引き返し出すケイ。
露骨に怪しいし、珍しく表情が優れない。
「ショウ」
「おう」
襟首を掴むショウ。
一瞬浮き上がる、ケイの体。
「俺は、忙しいんだ」
「逃げたいって顔だぞ」
「じゃあ、逃げたいんだ」
何を認めてるんだか。
「……あの子達って、どこかで見た気が」
小柄で可愛い感じの女の子と、スレンダーで綺麗な感じの女の子。
二人とも似たような顔立ちで、何らかの血縁を思わせる。
「こんにちは、映未さん」
揃って挨拶する二人。
池上さんは鷹揚に頷き、私達を振り返った。
「この子達は、私達の後輩」
「……ああ。前に、工場で会った」
「そういえば、そうね」
「そっちの、男の子も」
怖い顔で笑う二人。
ケイは脇腹を押さえつつ、彼女達と距離を置いた。
「浦田君がどうかした?」
「鼻を削がれそうになったので」
「じゃあ、削ぎ返したら」
「馬鹿か、あんた」
必死でショウの後ろに回るケイ。
懐に手を入れていた二人は顔を上げ、そのまま押し黙った。
それこそ、夢でも見たかのように。
「見取れないでよね」
「だって、森山君より格好良くないですか」
「本当に」
深く頷く二人。
ショウは彼女達以上に顔を赤くして、ケイの後ろに隠れた。
「それで、あなた達何しに来たの」
「え、と」
「あの」
途端に口ごもる二人。
代わりにそれを告げたのは。
「伊達の件を調べてるらしい」
平然と言い放つ舞地さん。
二人の後ろから出てきた彼女は、感情の薄い表情で池上さんを見つめた。
「それで、みんなこそこそしてた訳」
「いや。それは」
「何もあなた達に頼まなくても、私言いなさいよね。格安でやってあげたのに」
金を取るのか、この人は。
この可愛い後輩達から。
「何よ、その顔は」
「元々よ」
「確かに、赤ちゃんってこんな感じよね」
顔を包むな、顔を。
それも、両手で。
「ひゃっ」
間抜けな声を上げて飛び退く池上さん。
サトミとは、また一味違うな。
「誰か、ハンカチっ。いや、消毒っ」
「大袈裟だね。ちょっと舐めただけじゃない」
「気持ち悪い……」
遠ざかっていく女の子二人。
殆ど初対面なのに、失礼だな。
「とにかく、もうあなたには付き合ってられないわ」
「自分が付いてきたんじゃない。それより、仕事は」
「何でも勝手にやってなさい。行くわよ、みんな」
舞地さん達を引き連れ、廊下を歩いていく池上さん。
本当にあの人は、何がしたいんだ。
「あなたは、何がしたいの」
「楽しい事」
「人の手を舐めるのが?」
「私としては楽しいの」
適当な事を言って、机の引き出しを開ける。
ペン、メモ用紙、何かの会員カード。
カエル。
「これ、昔見た事ある」
後ろにコードが付いていて、その先にある小さなボールを押すとカエルが跳ぶ仕組み。
今時、子供でも喜ばないおもちゃだ。
「はは」
私は子供じゃないので、これでも十分に楽しめる。
「いや。こんな事してる場合じゃない」
「良かったわ。気付いてくれて」
「へそくりとか無いの」
「あのね。……ケイ」
窓の方へ声を掛けるサトミ。
暇そうに外を覗いていたケイは、悪い笑顔でこちらへと近付いてきた。
「あるかどうかはともかく、探す価値はある」
「引き出しの裏とかじゃないのか」
「素人は、誰でもそう思う」
じゃあ、自分は何なんだ。
この場合一番有力なのは、泥棒だな。
「それがどうかした?」
ケイが手に取ったのは、錆びたコイン。
ゲーセンで使われてるような、特にどうという事もない品物。
「現金を隠してるとは限らない。骨董的な価値がある、古いコインって可能性もある」
「ふーん」
話半分で聞いておき、取りあえず今のコインを別に分けておく。
「そうなると、このカエルは?」
「怪しいな。中等部の頃からずっと手元に置いてるって事は、何か意味があるかも」
「お父さんの形見とか」
「そんな人間を、先輩とは思いたくないけど」
嫌な顔でカエルをコインの側へ置くケイ。
ピコッという可愛い音がして、カエルが上に跳んだ。
意味がないだけに面白い。
勿論意味がないから、それ以上の事は何もない。
「二人とも、遊んでないで片付けて」
「はいはい。しかし、おもちゃばっかりだね」
「そういう人なのよ」
ため息を付きつつ、しみじみ呟くサトミ。
駄目な亭主を愚痴ってるんじゃないんだからさ。
「でも、机を片付けてどうするの」
「統合したら、議長職は無くなるでしょ。その、準備に」
「だとしても、来期じゃないの」
「来期にこの机を使う人としては、早め早めに手を打ちたいのよ」
来期に使う人、か。
塩田さんの用事かと思ったけど、モトちゃんの私用って訳か。
あの子、ニコニコして策士だな。
知ってたけどさ。
ガーディアン連合の所有物。
事務用品。
塩田さんの私物。
ゴミは殆ど無かったが、必要な物も殆ど無かった。
というか塩田さんの私物しかない。
「紙とペン。テープも」
「どうするんだ」
「値段付けて、ラウンジで売ってやれ」
にやにや笑うケイ。
ショウは手にしたペンを段ボールへ戻し、私物の詰まった段ボールの前に立ちふさがった。
人がいいというか、義理堅いというか。
大体、義理立てしていい事ってあるのかな。
「売らないわよ」
伸ばしたスティックで脇腹を突き、嫌がる彼を壁際まで追い立てる。
勿論私も、段ボールを守る。
「じゃあ、これはどうする」
「寮に運べばいいじゃない。お願いね」
「え、ああ」
こくりと頷くショウ。
鼻で笑うケイ。
二人とも何か言いたそうだけど、私にそこまでの義理はない。
取りあえず、仕事とも言えない事を終えてオフィスへと戻ってくる。
手当もないし、ねぎらいの言葉も無し。
いいけどね、別に。
「……何、あなた達」
「映未さん達が、ここを使えって」
見慣れない卓上端末を操る、綺麗な女の子。
ここを休憩所か何かと思ってるのか。
「お金取るわよ」
「いいじゃない。邪魔してる訳じゃないんだから」
「まあまあ。つまらない物だけど、これ」
愛想のいい笑顔を浮かべ、机の上に小さな箱を置く可愛い顔の女の子。
随分私も、舐められたものだな。
チョコだ?
嬉しいじゃない。
「へへ。なんなら、泊まっていく?ケイ、お茶。お茶用意して」
「馬鹿が」
私が言う前から用意してたらしく、ティーポットとマグカップがすっと出てくる。
しかもマグカップは手回し良く、程良く暖まった状態。
性格はともかく、気は利くからな。
「毒とか、入ってないでしょうね」
「睡眠薬なら、入ってるかも」
くすっと笑い、ペットボトルのお茶を飲むサトミ。
私は構わず、お茶を注いで一口含む。
別に変な味はせず、紅茶の香りが口の中へ広がっていくだけだ。
「毒味でもしてくれたの?」
好意的な眼差しを向けてくる、綺麗な子。
可愛い子も、若干警戒気味だが同様に。
「まあね」
「私なら、紅茶じゃなくてマグカップに仕込むけど」
サトミの物騒は話に紅茶を蒸せ返し、どうにか堪えて鼻を拭く。
しかし、拭いても拭いても出てくるな。
なんか、手品みたいだ。
「あ、あのね」
「冗談よ、冗談。美味しいじゃない」
平然とマグカップを傾けるサトミ。
当たり前だが鼻なんか拭かないし、花の香りがするくらいだ。
いや。今はしてないけどね。
「私にも、チョコ」
「あー」
「あのね。子供じゃないんだから」
「いいから、あーん」
恥ずかしそうに、それでも口を開けるサトミ。
そこにチョコを入れて、自分ももう一つ食べる。
間接チョコだな。意味分かんないけど。
「あなた達、緊迫感も何も無いわね」
複雑な顔でこちらを見てくる可愛い子。
なんだ、緊迫感って。
知多半島にでも出来た、温泉旅館か。
「緊張して、いい事でもあるの」
「気構えの事を言ってるのよ」
なる程、言い事言うな。
などと、チョコを舐めながら思う。
「済みません」
「どうぞ、開いてますよ」
ドアを開けて入ってくる北川さん。
多少強ばった顔付き。
彼女達を調査にでも来たんだろうか。
「傭兵の情報に詳しいと聞いたんですけど」
「ええ。情報の内容により、額は変わりますが」
「金取るのか」
鼻で笑うケイ。
女の子二人は彼を睨み、北川さんには愛想良く笑いかけた。
「どういった御用件でしょうか」
「その。ある人が、今どこで何をやってるのかを」
「よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか」
「……小泉穂さんです」
はにかみ気味に、抑え気味に。
俯き加減で語る北川さん。
頬を赤くして、瞳を潤ませて。
「ああ。そうですね、その程度でしたらこのくらいの額になりますが」
端末に表示される、料金の一覧表。
個人の居場所は、殆ど一番下に書かれている。
私でも払えるし、それ以外の用件があれば無料ともある。
「……今は北九州で、自警組織の事務を手伝ってますね。連絡が必要なら、取り次ぎますが」
「いえ。ありがとうございました」
何とも嬉しそうに、両手を胸元に引き寄せる北川さん。
息を弾ませ、目を輝かせて。
女の子達はその間にカードでお金を引き落とし、名刺を添えてカードを渡した。
「他にも御用がありましたら、こちらまで。情報の取り扱い以外に、渡り鳥の斡旋も行っていますのでよろしければ御利用下さい」
「え、ええ。そうですね。多分、この学校では必要ないと思いますけど」
「そうですか。では、またの御利用をお待ちしています」
頭を下げる二人。
北川さんも柔らかく会釈をして、跳ぶような足取りで部屋を出て行った。
仕事はいいのか、あの人は。
「済みません」
「どうぞ、開いてますよ」
北川さんと、ほぼ入れ違いに入ってくる沙紀ちゃん。
赤らんだ頬、俯き加減の顔。
潤み気味の瞳。
用件は、大体分かった。
「その、傭兵の情報に詳しいって聞いたんですけど」
「ええ。よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか」
「えと。小泉穂さんを」
思った通りの名前。
女の子は先程と同じ手順を踏み、小泉さんの行き先を告げた。
また沙紀ちゃんも、先程の北川さんと同じ反応を見せる。
「ありがとうございました。お金は、このカードで」
「いえ。もう先に頂いていますから。二重取りになりますし」
「三重でも四重でも取れよ」
鼻で笑うケイ。
女の子は彼を睨みつつ、沙紀ちゃんへ北川さんの事を説明した。
「そう、ですか。多分、まだ何人か同じ用事で来ると思います」
「分かりました。彼に、何か伝言は」
「いえ。居場所が分かっただけで十分です」
慎ましい事を言って、目を閉じる沙紀ちゃん。
今ではない、遠い過去へ思いを馳せるかのように。
「あなた達は、何か知りたい事はないの?」
「別に。知り合いもいないし、いてもここにいるし」
というか、居場所を聞いても仕方ない。
明日にはどこにいるか分からない人達の居場所を。
渡り鳥とは、本当に上手く言った物だ。
「第一、あんたらに頼まなくても情報は取れる」
「誰から」
「峰山さん」
「ああ。あの目つきの悪い。でもあの人って、フリーの傭兵を束ねてるんでしょ。そんな人に、物を頼めるの」
疑わしそうな目付き。
峰山さんが彼の依頼を引き受けるかという事よりも。
どうして彼に、物を頼めるかという意味の。
「彼がこの学校にいた事は」
「勿論知ってる」
「そこから先は、俺も情報料が欲しいね」
惜しい所で終わらせるケイ。
女の子達は先程までとは違う眼差しで、彼を見つめた。
胡散臭いという雰囲気は、あくまでも残したままで。
「知りたくなったら、いつでもどうぞ。名雲さんか、池上さんに言ってくれればいい」
「あの人達も知ってるんじゃなくて」
「ある程度は知ってるさ。でも、俺しか知らない事もある」
「私達は、あなた達のためにここへ来てるのよ」
語気を強める、可愛い子。
ケイは気にせず、低い鼻を手の甲で触れた。
「それは大変だ。でも、契約としては名雲さんと交わしてるんだろ」
「だからって」
「止めなさい。彼の言う通りよ。ごめんなさい、この子血の気が多くて」
「気にしてない。そういうのは慣れてる」
彼がこちらを見る前に一睨みして、財布を取り出す。
「いくら?名雲さんと契約してようと、私達のためにしてくれたのは確かなんだから。お金は、私が払う」
「嫌み?」
「どう思ってくれてもいい」
財布の中からIDを取り出し、彼女の方へ滑らせる。
大した額は入ってないが、さっきの情報料の一覧を見る限りはどうにかなるだろう。
今後の、私の生活はともかくとして。
「止めておくわ」
「どうして」
「どうしてもよ。それに、お金をもらう程の事でもない」
「さっきはもらってたのに」
「契約という意味を重視しての事よ。友達だろうとなんだろうと、契約を交わせば当然対価も発生する。それをおざなりにしてたら、私達の仕事がなりたたなくなる」
諭すように説明する、綺麗な子。
確かに友達だから、知り合いだからといってるときりがなくなっては来る。
私達のように気楽な立場でやっているならともかく、彼女達の場合は特に。
「生真面目な事だ。彼女からもらう、名雲さんからももらう。2重取りすればいいのに」
「私は、あなたとは違うの」
「あ、そう。お金はあっても困る事はないのに」
「気持の問題よ」
厳しく言い放つ可愛い子。
しかしケイはやはり、気にしないといった顔だ。
この辺りは性格や発想が、あまりにも違うのだろう。
ただし友達という事を抜きにしても、一概にケイの考え方を否定は出来ない。
現にお金がなければ、彼女達から情報を受け取る事も出来なくなる訳だし。
「あれ。あれだ」
「まだ何か言いたいの」
「お金は名雲さんじゃなくて、舞地さんからもらったら。あの人、お嬢様だし」
「そんな事、出来る訳無いでしょ」
声を揃える二人。
世にも悪い話を聞かされたという顔。
そんなに舞地さんが怖いのか、尊敬されてるのか。
私なら、実家へ押しかけてでも請求するけどな。
「私が、どうかしたか」
キャップの鍔越しにケイを睨む舞地さん。
ドアが少し開いていたと思ったら、立ち聞きしてたな。
「金持ちなんだから、払ってやったらどうです。何しろ、池上さんの事なんだし」
「私が契約を交わした訳じゃない」
「嫌な女だ」
「お前には負ける。お茶」
目の前にティーポットはある。
余っているマグカップもある。
でも、動こうとはしない。
とんだお嬢様だな。
しかも、分かっててこういう事をやってるし。
「雪野はいい。毒を入れるから」
「分かってるじゃない。ショウ、いれてやって」
「え」
小さく上がる声。
微かに変わる表情。
元々表情に変化のない人だから、少し違っただけですぐに分かる。
「あの。俺が何か」
ティーポットを持ったまま、不満そうに立ち尽くすショウ。
舞地さんは首を振り、マグカップを少しだけ彼の方へ押した。
注がれる紅茶。
立ち上る湯気。
恐る恐るといった具合に、マグカップへ口を付ける舞地さん。
「普通だな」
素っ気ない口調の中に感じられる安堵感。
当たり前だ。
注いだだけで、まずくなるはずがない。
「お茶請けは」
「はいはい、今お出ししますよ。サトミ、何かだしてやって。真理依お嬢様に」
「はいはい。甘い物の方が、およろしいですか」
「およろしいです」
何言ってるんだ、この人は。
だったら、砂糖でも舐めてればいいんだ。
「遠野。砂糖は持ってこなくてもいいから」
「あら。分かりました?」
キッチンから聞こえる笑い声。
何となく、二人の会話が私へ対して向けられてる気がしないでもないが。
「それで、伊達の情報は」
ミルクプリンを頬張りながら尋ねる舞地さん。
せっかく奥へ隠してたのに。
「でも」
「お金なら払う」
さっきとは違う台詞。
二人はそれとなく顔を見合わせ、卓上端末の画面を舞地さんの方へと向けた。
「正直、あまりいい話ではありません。伊達さんと話していた二人は、ある傭兵グループの一員。彼等自体は大した事無いんですが」
「伊達に問題があるとでも」
「ええ。彼等の資金を持ち逃げしたようです」
画面に表示される、詳細なレポート。
舞地さんはいたって冷静な顔で、それを眺めている。
「伊達の資金は」
「おそらく、舞地さん達と別れた時よりはあるでしょう。だから、何故持ち逃げしたかという理由は分かりません」
「借金や、何かを買う予定は」
「ああいう人ですからね。派手に遊ぶ訳でもないし、大きい買い物をするタイプでもないし。当然、そういう情報もありません。ただ、彼がお金を持ち逃げしたという事実以外には」
小さく、しかしはっきりと付け足される一言。
舞地さんは変わらず、画面を見続ける。
「名雲達には」
「いえ。まだ何も。どうします?」
「名雲には問題ない。映未は……、聞かれたら言っていい。ただ、無理に教える必要はない」
「分かりました。じゃあ、司君には」
開くドア。
明るい笑顔。
傾げられる小首。
「どうかした?」
「こっちの話。何か用か」
普段通り、素っ気なく話す舞地さん。
柳君はこくりと頷き、二人を指差した。
「名雲さんが探してたよ。何か頼まれてるの?」
「ん、まあね」
「伊達さんの事なら、心配ないと思うけどな」
気楽な口調。
そう思いたいという顔に、見えなくもない。
少しの沈黙。
それを破る、スピーカーからの入電。
全員の顔に走る緊張感。
「G棟A-3ブロック付近にて、生徒数名が暴れています。武器は不所持。ただし行動から、ドラッグ使用の可能性あり。付近のガーディアンで向かわれる方は、装備の確認をお願いします」
ふと漏れるため息。
状況から考えて、伊達さんではないだろうと思って。
またそれは他の子も同じだったのか、室内に安堵の空気が流れ出す。
「仕方ない。行くか」
プロテクターを確認して、グローブとアームガードを付けるショウ。
「僕も。借りるね」
ケイのアームガードとプロテクターを着ける柳君。
ケイは肩をすくめ、興味なさげに椅子へ深くもたれた。
「足手まといになりそうだし、パス」
「私も。用があったら呼んで」
手を振るサトミ。
また彼等の言う事は最もなので、すぐに頷き部屋を飛び出す。
廊下を埋めるかなりの野次馬。
ただし現場からは、やや離れている様子。
当たり前だがドラッグをやってる人間のそばには、誰だって近付きたくはない。
「大丈夫なの?」
「私達は見学よ。そのために、司君がいるんじゃない」
「僕よりも、玲阿君の方が頼りになるよ」
「嘘」
彼を見上げる女の子二人。
顔は勿論、体格もいい。
しかし柳君との付き合いが長い彼女達にとっては、そちらの方に肩入れしたくなるのだろう。
私だってショウの存在を知らなければ、柳君を最強と信じているはずだ。
「あなたより強いっていうの?あの森山君より?」
「多分ね。雪野さん程じゃないけど」
「そういう、誤解を招く発言は止めてくれる?」
きっと彼を睨み、振り回していたスティックを収める。
野次馬が邪魔なんだって。
「しかし、最近ドラッグ絡みが多いな。誰か、ばらまいてるのか」
「かもね。ショウ、前に出て。柳君は二人のそばに。他のガーディアンと連携して、出来れば私達だけで制圧する」
「了解」
そういう柄ではないが、取りあえず自分で指示を出す。
ドラッグを使ってる人間を相手にするとなったら、個人よりも全体での動きを考えたい。
彼等が個人でも、十分対応出来るという事は分かってるとしても。
野次馬の先頭。
大きく開いたスペース。
そこにいる、3人の男。
挙動不審な動き、散乱するガラスや椅子。
怪我人はいない。
当人達を除いては。
「状況は」
「見ての通り。道具がまだ届いてないから、取りあえず様子を見てる」
冷静に野次馬を下がらせる男の子。
相手がドラッグを使っていようと、それに慌てる素振りはない。
またそのくらいでなければ、ここに駆けつけてはないだろう。
「放っておくと危ないから、私達で片付けていい?」
「どっちが危ないかって話だけど、任せる。道具の方は急がせる」
「お願い。ショウ」
すっと前に出る影。
何を感じ取ったのか、血走った目をこちらへ向けてくる男達。
ショウは構わず、低い姿勢でそちらへ突っ込む。
無造作に伸びて来た手が、ショウの肩を掴む。。
常人とは違う、またあり得ない力が掛かっているのだろう。
床へ崩れるショウ。
辺りから上がる、悲鳴にも似た声。
だが次の瞬間、それは戸惑いの声に変わる。
肩を押さえていたはずの手は、ショウという支えを失いそのまま突き進む。
ぶつかり合う手の平、歪む指先。
気付けば男も、床に崩れ落ちる。
「っと」
またもや無造作に伸びてくる手。
当たれば骨折。
悪ければ、生死に関わりかねない威力。
ショウは顎を引いてそれをかわし、襟を引いて男を放り投げた。
自らの勢いを利用され、壁まで跳んでいく男。
後は放っておいても、自分で意識を失う。
どちらも端から見ていれば、なんでもない行動。
ただし誰にでもやれるかと言えば、相当の疑問符が付く。
ドラッグにより抑制の取れた相手と立ち向かう事が、どういう意味を持つのか。
壁に開いた穴の数々を見なくても分かるだろう。
残った最後の一人は、逃げようともせず棒立ちでその場に立ち尽くす。
逃げるという部分にまで、考えが及ばないのだろう。
無防備な姿勢。
しかしショウは迂闊に仕掛けず、後ろへと回っていく。
不意に駆け出す男。
追いすがるショウが、鋭い前蹴りを放つ。
それは太股を捉え、男のバランスを崩させた。
だが男は足を引きずりながらも、突進を止めようとはしない。
近付いてくる男。
逃げ出す野次馬。
怒号と悲鳴、雪崩のような足音。
血走った目と、開いた口元、感情の崩れた顔。
敵意、殺意。
その辺りは分からない。
また、どうでもいい。
この男を、止めさえすれば。
爪を立てた指をかいくぐり、下から上がってくる膝を意識しつつ腕を上へ伸ばす。
顎を逸らす男。
空を切るアッパー。
こちらも側転で膝を避け、腕をはたきつつ横へ逃げる。
静まり返る廊下。
野次馬の姿は遠ざかり、暴れる者は誰もいない。
ショウは警戒気味に、床に崩れた男を足で付いた。
「死んでないだろうな」
「あのね。顎を打っただけだって」
顎と言っても、当てたのは先端。
当然向こうが、顎を逸らすのを計算に入れてアッパーは放ってある。
いわゆる脳を揺らすという、ピンポイントでの打撃。
ドラッグで肉体と精神の抑制が取れていようと、脳へのダメージが軽減される訳ではない。
「すごいのね」
呆れ気味に声を掛けてくる二人。
誉めてるのかどうかは微妙だが。
「小さいのに」
誉めてるようだ。
言い方はともかくとして。
いいけどね、別に。
「動いてるよ、まだ」
いつの間にか立ち上がっている、ショウが一番初めに倒した男。
ドラッグの作用でか、腕の痛みが失せたのかも知れない。
「よっと」
宙を舞い、身を翻しての跳び後ろ蹴り。
それは胸元を捉え、再び男を床に転がした。
男の顔が一気に青くなり、少ししてかろうじて赤みがさしてくる。
おそらく心臓への打撃。
正確な位置を付いた、また的確な加減での。
素人が真似をすれば肋骨を折るか、返り討ちに合うのがせいぜいだろう。
「道具は、いらなかったみたいだな」
小さな銃に似た道具を担いで現れる、さっきの男の子。
彼が持っているのは、ネットを射出する道具。
かなり大袈裟だが、こういった相手へ使うには効果的である。
「後の処理は、俺達の方でやっておく」
「お願い。……何、あれ」
廊下の奥。
近付いてくる人影。
大きな袋を引きずる、大男のようだ。
「あ、こんにちは」
のんきに挨拶してくる御剣君。
彼が引きずっていたのは、人間が入ったネット。
つまり、今の道具で捕まえられただろう人間。
「お前、何やってるんだ」
「向こうでも暴れてた奴がいたから、連れてきたんですよ。こいつらは……。うわ、なんだこれ」
私が倒した男を見て、顔をしかめる御剣君。
分かって言ってるんじゃないだろうな。
「これは、君が?」
「ええ、まあ」
「すごいね」
「いえ。俺なんて全然」
体を小さくして、控えめに呟く御剣君。
柳君はニコニコ笑い、彼の肩に触れている。
体格があまりにも違うだけに、かなり異様な光景ではある。
「で、こっちは」
「玲阿君と。雪野さんが」
「私はどうでもいいの。大体、こいつらは誰なの」
「聞きようもないですね」
それもそうだ。
当分起きる気配もない。
本当に、どうしようもないな。
いや、私が……。
「すごいですよ。知ってました?」
こそこそ話す可愛い子。
舞地さんは鼻で笑い、伸びてきた私の手をはたいた。
何よ、自分ばっかり食べて。
「ドラッグを使った相手を、一撃ですからね」
「あの玲阿君もそうですし。この学校って、どうなんです」
悪かったな。
「ああいう連中ばかりだから、私達も目立たなくて済む」
「あ、なる程。じゃあ、他にも」
「探せばいくらでもいる。この学校を陥れるのは、なかなか難しい」
「じゃあそれは、今後の検討課題にしておきます」
しなくていいんだよ。
行くんじゃなかったな、全く。
「で、あいつらは誰だったんだ」
「この学校の生徒。編入ではなく、中等部からの。状況を見ても、傭兵とは無関係と見るべきじゃなくて」
「それは保留かな。どっちにしろ、病院から警察へ行くだけさ。ばらまいた奴も含めて」
興味投げに答えるケイ。
サトミもその辺は同様らしく、つまらなそうに卓上端末の画面をつついている。
「舞地さんは、どう思われます?」
「前も言ったように、ドラッグを使う奴を相手にしても面白い事はない。警察に任せておけば、それで終わり」
「そうですね」
短く締めくくるサトミ。
私としては言いたい事もあるが、二人の意見が正しいのも分かっている。
単純にドラッグ使用者を相手にする危険性だけではなく。
ケイの指摘する、ドラッグを捌く人間の事がある。
どう考えても普通ではない、何らかの組織。
暴力団か、外国人マフィア。
高校生が相手にする組織ではない。
「これから、どうする気?」
「せっかく草薙高校に来たんだし、情報を集めて帰るわ」
「暇なんだね」
「これが仕事なのよ」
分かってないわねという顔。
特に分かる気もないので、ぬるくなった紅茶の残りを飲み干す。
「都合が良ければ、付いてきてくれると嬉しいんだけど」
ショウへと向けられる視線。
多少はにかみ気味に、十分な好意を持って。
「え、俺?」
私へと向けられてくる視線。
多少怯え気味に、十分な警戒心を持って。
「いいじゃない。誰かに襲われたら大変なんだから」
勝手な事を言うサトミ。
いや。別にいいんだけど、何か嫌だな。
「ケイ。沢さんにアポを取って」
「沢って、フリーガーディアンの?舞地さん」
「問題ない。少なくとも対立はしていないから」
納得がいかないという様子の二人。
舞地さんは気にせず、人のミルクプリンをちびちびと食べている。
人数が減るオフィス内。
何となく重い空気。
その原因は誰かは、あまり考えたくもない。
「気になるなら、付いていけば」
「別に。何も。いつも一緒にいたって、仕方ないでしょ」
「分かってるならいいわ」
にこりと笑うサトミ。
私もぎこちなく笑いかけ、マグカップをかじる。
「ネズミか」
嫌な例え方をされたので、マグカップを止めて机を引っ掻く。
「猫じゃないんだから」
うるさいな、あれこれと。
仕方ないのでそれも止めて、ウーウー唸る。
「お前は、犬か」
「そうよ」
出てきた鼻を拭いて、ティッシュを捨てる。
鼻も湿ってるし、間違いない。
「緊張感の欠片もないな」
「何それ。新しい旅館」
「もういい」
納得してくれた。
無視されたという事は、考えないでおく。
しかし、確かに緊迫感も何もない。
また、いつもそうではいざという時に役立たない。
ここぞという時の集中、そして緩和。
少なくとも今は、そういう時ではないから。
ここまでだらけていい時かどうかは、ともかくとして。