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伊達さんが来たからといって、私の生活に変化を及ぼす訳ではない。
彼は名雲さん達と行動しているし、私は普通の高校生として過ごす。
当然幾つかの接点はあるが、それ程重なってはいない。
今の所は。
「どうしたの」
制服を着て、オフィスへとやってくるニャン。
私以外の子も、彼女へと視線を向ける。
「制服くらい着るわよ。女子高生なんだから」
「走ってないと、死ぬかと思ってた」
「人を、鮫みたいに言って」
「猫でしょ」
にゃーと鳴き、机を引っ掻く。
誰が猫かって話だな。
「猫ちゃん、アジアGPはいいの?」
「いいの」
制服の下から出てくる、金色のメダル。
サトミはそれを手に取り、薄く微笑んだ。
「こういうのをもらう人って、本当にいるのね」
「サトミ、TV観てないの?ニャンがさーって駆け抜けて、わーって歓声が上がって、うわーって」
「観てたけど、そうでは無かったわよ」
ごく冷静に返してくるサトミ。
客観的にはそうだろうけど、主観としてはまるで違う。
私なんて、何度観たか数え切れないくらい。
新聞も雑誌も、全部取ってあるし。
誰がファンって、私がファンだ。
「で、それを見せびらかせに来たの」
鼻で笑いながら尋ねるケイ。
金メダリストに対して、失礼な男だな。
「それもあるけど」
あるのか。
しかしこれって、中まで金なのかな。
こすっても剥がれないから、薄いメッキでは無さそうだ。
「ちょっと。ユウユウ」
「だって」
「だってじゃないの。ショウ君、ユウユウの手の届かない所に隠して」
「え、ああ」
私の手から強引にメダルを奪い、ショウへ放るニャン。
投げるなっていうの。
というか、どうして私が心配してるんだ。
「今度、体育祭があるでしょ。ユウユウはどうする?」
「出ない。大体あなた、アジアチャンプでしょ。どうやっても勝てないって」
「リレーは?」
「同じ。陸上部に勝てる訳がない」
うちの陸上部はかなりレベルが高いし、リレーもアジアGPとはいかないが東海地区ではトップレベル。
素人の私が太刀打ち出来る状態ではない。
「ハンディは」
「無いわよ、そんなの」
「メンバーは、私が選んでいい?」
「ご自由に」
確か、渡瀬さんは足が速かった。
サトミとモトちゃんは論外として。
「エントリーは、いつまで?」
「今月中。私達はシードされてるから、本予選で会いましょ」
「望む所よ。うわー」
「自分が叫んでるんじゃない」
くすっと笑い、オフィスを出て行くニャン。
いや、ライバルか。
取りあえずメンバーを選んで、少し練習しよう。
「私は出ないわよ」
「当たり前でしょ」
するとサトミは露骨に嫌そうな顔をして、こちらを睨んできた。
足は遅いは、恨みがましいは。
ちょっと頭が良いからって、とんでもないな。
「もう、あなたなんて知らないから」
「こっちこそ」
二人してきーっと唸り、顔を反らす。
重くなる空気。
静まり返る室内。
叩かれる肩。
「……何よ」
「メダル」
素っ気なく呟くケイ。
ああ、そんなのもあったな。
いや。悠長に構えてる場合じゃない。
「ショウ。届けてきて」
「陸上部か。たまには走るかな」
ストレッチしつつ、ロッカーの上にあったメダルを持って出ていくショウ。
そう言う事を聞くと、私も行きたくなるな。
「いや、違う。。メンバーを選ばないと」
「出ないわよ」
「もう、いいって」
今度も二人して笑い、卓上端末を引き寄せる。
「神代さんは?あの子、体格がいいじゃない」
「見た目はともかく、足は遅いみたい。どうも、人材不足だな」
「じゃあ、出るなよ」
素っ気なく、正論を言ってくるケイ。
そうだね、と言う訳にもいかず腕を組んで知り合いを思い浮かべる。
「ニャン……、は陸上部か」
「あなた、大丈夫?」
「行き詰まってきた。少し、頭を冷やしてくる」
ストローから口を離し、空になったコップをゴミ箱へ放る。
相変わらず、人でごった返すラウンジ。
自分もそれを構成する一人だと気付き、少し笑う。
さてと。喉も潤ったし、何をしようかな。
「……何してる」
低い、涼しげな声。
顔を上げると、伊達さんが立っていた。
これだけ人がいるから気付かないのは当然だが、知り合いの雰囲気には敏感な方。
特に彼は、多少なりとも警戒している相手。
塩田さん程ではないが、気配を感じさせない人らしい。
「その。リレーのメンバーを捜してて」
「陸上部だったのか」
「いいえ」
私を見つめてくる伊達さん。
続く沈黙。
重なる瞳。
「そうか」
低く、先程より多少虚ろな口調。
こういうのは慣れてるので気にしない。
というか、気にしてたらきりがない。
「自分こそ、何してたんです」
「喉くらい渇く」
ごく普通な、困惑する事もない答え。
警戒している自分が、馬鹿しく思えるくらいの。
「名雲さん達は」
「いつも一緒にいる訳じゃない」
聞けば答えてくれる。
問題はないが、続かない。
それは彼が悪いのか私が悪いのかは知らないが。
とはいえすぐに別れるのもなんだと思い、開いているテーブルの片隅に座る。
買ってくれたジュースを前にして。
へへ、得した。
「遊んでていいのか」
「自分こそ」
「俺はここの生徒じゃないし、大学卒業資格を持ってる」
「へー。優秀なんですね」
ちろちろとジュースを飲み、紙パックのお腹をぺこぺこ押す。
ストローを伝って登ってくるジュース。
その感覚を十分に楽しんで、ストローを口から離す。
いや。一人遊びしてる場合じゃない。
「舞地さんって、足早いですか?」
「遅くはないが、レースに出る程でもない」
「池上さんは」
「どちらかといえば、遅い。それに映未は、ここで勝負するタイプだ」
自分の頭に触れる伊達さん。
足の速さより、映未と名前を呼んだ事に反応しそうになる。
柳君達から聞いてはいたが、本人の口から出てくるとまた違う印象がある。
「誰か、知りません?」
「俺は、ここの生徒じゃない」
困惑、それとも呆れ気味の顔。
当たり前だが、聞く相手を間違えた。
「あれ、あれは。白鳥さんと伊藤さん。あの人達、足長いし」
「雇うのか」
「雇うって、お金取るんですか」
「契約すれば、リレーくらい出てくれるだろ」
淡々と語る伊達さん。
ただ表情は、微かとはいえ笑い気味に見える。
物静かな雰囲気だが、冗談も言うらしい。
「……ここの生徒じゃないなら、どうしてここにいるんです」
「厳しい質問だな」
苦笑気味の表情。
私はそれ程深い理由があって聞いた訳ではないが、彼はここに来た理由と取ったのだろう。
「いや。別にそんな深い意味じゃなくて、生徒じゃないならアパートで寝ててもいいと思って」
言い訳というか、簡単に補足する。
補足という程の内容でもないが。
「ここには、それなりの思い入れもある」
「ああ。昔、ここにいたんですね」
「よう。出戻り」
軽い調子の声。
視界に移る、塩田さんの姿。
本当、いつの間に。
「塩田」
「俺は理由なんて聞かないからな」
「悪かったですね。馬鹿で、ストレートで」
「うるさいよ、お前は。大体、仕事はどうした」
怖い顔で人を見下ろしてくる、ガーディアン連合議長。
じゃあ、自分こそどうなんだ。
塩田さんも私の意図に気付いたらしく、ごほんと咳をして伊達さんの隣へ座った。
「それはお前。性質の悪い学校外生徒が学内に侵入したっていうからさ。直々に、調査へ来たんだよ」
「話を聞くだけなら、他の人に任せればいいじゃないですか。また、モトちゃんに怒られても知りませんよ」
「あいつは男といちゃついてるから大丈夫だ」
男、ね。
こういう言い方をされると、ちょっとむかつく。
名雲さんがどうこうではなく、モトちゃんと付き合ってる事に対して。
これはもう、理屈じゃないな。
「お前、議長だと聞いたが」
「屋神さんが勝手に辞めたから、仕方なくさ」
「局長は」
「学校が抑えてるが、その下はこっちで抑えてる」
簡単な情報伝達。
伊達さんは小さく頷き、ラウンジの中央にいるジャージ姿の集団へ視線を向けた。
「SDCか。あそこの代表は直接俺の知り合いじゃないし協力関係でもないが、信頼出来る人間だ」
「三島さん並に?」
低い、親しみと敬意のこもった口調。
塩田さんは苦笑して、机の上に警棒を置いた。
「あの人と比べるのは酷さ。俺だって、屋神さんと比べればはるかにかすむ」
「気構えくらいはあるんだろ」
「それは間違いない。学校とやり合う訳じゃないが、こういう後輩もいる。学校が誰を雇おうと、何も問題ない」
鋭くなる視線。
それを平然と受け止める伊達さん。
先程とは違う、張りつめた空気が二人の間に流れ出す。
だがそれは一瞬で、塩田さんは軽く笑って彼の肩に触れた。
「とはいえ、お前もここにいた人間だ。一応、信用してやるよ」
「一応」
苦笑して席を立った伊達さんは、胸元へ拳を持っていきそれを引き下ろした。
「叩かないのか」
「これの意味は知ってるだろ」
「俺相手には、叩けないって」
「叩いてもいいが、一応な」
きびすを返し、速い足取りで去っていく伊達さん。
塩田さんはその背中を見届ける事もなく、警棒を腰へ戻した。
「何か言いたそうだな。昔の友達なら、もっと仲良くしろって?」
「ええ、まあ」
「そうしたい所だが、相手の素性がはっきりしない内はどうしようもない。あいつが胸を叩かなかったように」
厳しい、しかし現実を語る塩田さん。
それは、頭では納得出来る。
また、そうした方がいいのも分かる。
舞地さんの時を、思い出すまでもなく。
でも、モトちゃんの時はどうだっただろうか。
「人を信じるのは、お前に任せる。俺は、疑ってかかる」
「塩田さん」
「これでも、浦田よりはましだと思うけどな」
苦笑して、やはり足早に去っていく塩田さん。
かつての友達。
それとも、共に戦った仲間。
だが、そんな存在すら疑わなければならない状況。
それは誰が悪いのか、何のせいなのか。
こういった状況を作り出したのは。
行き着く先は、考えるまでもなく学校。
では、本当に学校が悪いのかどうか。
それに従わないのが、本当に正しいのか。
感情だけは判断出来ない事。
今の私には、余計に。
答えのない問題なのかもしれない……。
「遅かったわね。見つかった?」
「伊達さんならいた」
「リレーのメンバーを探しに行ったんでしょ」
「あ、そうか」
そう言えば、そんな事もあったっけ。
覚えてるのは、ジュースをおごってもらった事くらい。
塩田さんと伊達さんが言い合っていたが、話す事でもないし覚えてない。
自分で色々考えてる内に、全部どこかへ消えた。
人間、忘れるから次の事を覚えていける。
今はそう、前向きに考えよう。
「それは、また探す。ショウ、メダルは届けてくれた?」
「ああ。これ、陸上部のタイム」
端末に、データを転送してくるショウ。
それを確認して、ドアへと向かう。
「また探しに行くの?」
「行くわよ。地の果てまでも」
「意気込みはいいけど、勝てる訳?」
ごく冷静に、状況を確認してくるサトミ。
勝てるも勝てないも、向こうは陸上部。
常識的に判断すれば、勝ち目はない。
ただし相手はニャン。
そうなれば、こちらは一歩も譲る事は出来ない。
例えから回りでも何だとしても。
ニャンと私は、そういう関係だから。
「しかし、よくリレーに出ようなんて思うわね」
「譲れないのよ、これだけは」
「じゃあ、頑張って。まずは、メンバー集めをね」
笑いながら指を差してくるサトミ。
ガッツポーズでそれに答え、こっちも笑う。
本当、頑張る位置が手前過ぎるな。
「とにかく、メンバーを選ばないと」
「他に、やる事はないのか」
「ない」
はっきりと言い切り、もう一度頭の中で知り合いをチェックする。
高畑さんは細いし、第一中学生か。
強い子なら思い付くけど、早い子は出てこないな。
陸上部レベルともなると、余計に。
「駄目だ」
「今までの生き方が?」
ふざけた意見を聞き流し、スティックを背中に付けてドアへ向かう。
「少し探してくる」
「暗くなる前に帰ってくるのよ」
よく分からない言葉が、背中に当たる。
というか、もう外は夕暮れ。
なんか、切ない気分になってきた。
「ショウ、付いてきて」
「どこ行く気なんだ」
「いいから」
構わず彼を引っ張り、ドアを飛び出る。
二人だったら、暗くたって寂しくない。
「恥ずかしいな」
床へ学内の地図を広げ、ペンを滑らせる私。
それを見下ろしながらの、ショウの発言。
「今恥を掻くか、リレーで恥を掻くか。どっちがいいの」
「もういい」
やっと分かってくれた。
何となく彼が遠ざかったようだが、気のせいだろう。
えーと、今がここで。
ここと、ここと、ここか。
「お待たせ。行こうか」
「どこでも行くさ。ここ以外なら」
「いいじゃない。床にしゃがむくらい。猫だって犬だって、床に這ってるんだしさ」
「犬や猫は、服を着ないしな」
言いにくそうに呟くショウ。
なるほど、そういう事か。
道理で彼が、後ろに付いた訳だ。
勿論眺めるためじゃなくて、そういう連中を遠ざけるためにね。
これからはよく考えて行動しよう。
でもって、今何をしているかは考えないでおこう。
ただし学内の地図といっても、生徒会が1年生や編入生へ配布する物ではない。
もっと用途の限定された、SDCの発行している物。
「サッカー」
ぽつりと漏らすショウ。
彼は足元に転がってきたボールを軽く蹴り返し、相手の足元へ上手く落とした。
「知り合いなんていないだろ」
「じゃあ、あてでもあるの」
「空手部になら、いるかもな」
鼻で笑うショウ。
空手部は幾つかあるが、その幾つかと彼は昔から揉めている。
確かに、迂闊に運動部を探し回るのも問題か。
という訳で、知り合いはいないしつてもない。
第一彼等も、何らかの競技に参加するだろうし。
「しかし、よく走るな」
広いグラウンド。
隊列を組み、掛け声を上げて走るジャージ姿の男の子達。
日は暮れて、影は伸び、冷たい風も吹いてくる。
そんな中、彼らはただ走り続ける。
ショウが、憧憬に似た眼差しを向けるのも頷ける。
「あー」
「何叫んでるの」
笑い気味に声を掛けてくる鶴木さん。
腰に木刀を差した、道着姿で。
まさか感極まりましたとは答えず、愛想良く微笑んで揉み手をする。
鶴木流剣術宗家の長女にではなく、SDC代表に対して。
「リレーのメンバーをスカウトしに来たんですけど、知り合いがいないので」
「体育祭の事を言ってるの?陸上部が出るのに、リレーへ出る気?」
「陸上部が出るからです」
「ああ。あなた、猫木さんと友達だったわね。やる気があるというか、無謀というか。多分、誰を誘っても協力しないわよ」
ほら見た事かという顔をするショウ。
怒りが小さい頂点に達したので、咄嗟に脇腹を掴んで離脱する。
今度は自分の脇腹を軽く掴み、くすぐったさに身をよじる。
「仲が良いわね、相変わらず」
「どこが」
即座に、声を合わせて二人で答える。
鶴木さんはくすっと笑い、腰の木刀へ手を触れた。
「それにSDC代表としては、陸上部の勝利を危うくするような事は見過ごせないし」
「やる気、ですか。ショウ」
「おう」
素早く左右に分かれ、彼は正面へ、私は後ろへと回り込む。
木刀のリーチと強度。
そして何よりも、彼女の実力。
ただし、こちらは二人。
共に戦うのは、誰よりも信頼出来る人間。
負けるという言葉が、遠く遥かへかすむ。
無造作とも言える、上段からの振り下ろし。
ただし岩をも砕く勢いのそれをかわし、ショウが素早く懐へ飛び込む。
地面を舐め、跳ね上がってくる木刀。
顎を引いてかわすショウ。
鶴木さんは素早く片手に持ち替え、木刀を後ろへ振った。
鼻先をかする切っ先。
風圧を肌で感じつつ、肩を伸ばしての突きをかわして下から手首を叩く。
そう思ったのもつかの間。
手首が掴まれ、空が足元へ見える。
こちらはそれ以上の速度で回転を速め、逆に鶴木さんを跳ね飛ばす。
「っと」
地面へ落ちかけた鶴木さんを、スライディング気味に受け止めるショウ。
彼の動きは見ていたし、だからこそ今のアクションを仕掛けた。
勿論彼女も、そのくらいは分かっていただろうが。
「さすが」
ショウの手を借り、優雅に立ち上がる鶴木さん。
顔もプロポーションもいいので、様になっている。
多少、胸のどこかでむにゃむにゃしないでもないが。
遠縁という事で、取りあえずはそれを収める。
「本気じゃなかっただろ」
「当たり前でしょ。あなた達に負ける訳無いじゃない」
自信に満ちた顔と言葉。
その辺は言いたい事もあるが、それくらいの気概がなければSDC代表を務められないだろう。
なにより、武道家としても。
「とにかく、運動部を勧誘するのは禁止。ガーディアン対SDCなんて事にしたくないでしょ」
「はいはい。じゃあ、よそを当たります」
さすがに逆らう訳にはいかないし、何より知り合いがいないのですぐに諦める。
外はもう暗いので、ラウンジで一服。
子供の頃なら、家に帰ってご飯を食べる頃。
そう思うと、我ながら年をとった。
などと言う程の年でもないが。
「誰かいない?」
「サトミじゃ駄目なのか」
「本気で言ってる?」
「そう聞かれると、俺も困る」
苦笑してコーラに口を付けるショウ。
私は何も飲まず、彼のコーラを見つめる。
別に飲みたい訳じゃない。
ただ、もう見たくないというレベルでもない。
「なんか、騒いでないか」
「有名人でもいるんじゃない」
コーラから目を離さず、おざなりに答える。
オレンジコーラだって。
得体が知れない分、興味はそそるな。
「暴れてるみたいだぞ」
「暴れ馬でもいるんじゃない」
コップを裏返しにして、コピーを読んでみる。
コーラとオレンジ。
あり得なかった出会い、それは新しい可能性への第一歩。
書いてる事はすごいが、美味しいかどうかは触れてない。
「後で買ってやるから」
「あ、そう」
スティックを背中へ戻し、素早く椅子から飛び降りる。
別に買ってもらえるのを待ってた訳ではなく、他のガーディアンが来ないかを待ってただけだ。
ここを受け持つガーディアンもいるだろうし、そう出しゃばっていても仕方ないから。
入り口の手前辺り。
野次馬が大勢いて、私からは何も見えない。
「どう」
野次馬より、頭一つ高いショウへ尋ねる。
なんか、鏡を使って見てるみたいだな。
「柄の悪そうな奴が、警棒を構えてる」
「どうして」
「本人に聞くしかないだろ」
「なるほどね」
手前にいる野次馬へ声を掛け、少しずつ通路を確保する。
やがて見えてくる、その柄の悪い男。
「傭兵、かな」
「それこそ、何のために暴れてるんだ」
「聞いてみれば」
「なるほどね」
鼻を鳴らし、男の前に飛び出すショウ。
一瞬にして引き締まる周囲の空気。
私もすぐに後へ続き、辺りを見渡す。
武器を持っているのは、ショウが向かい合っている男だけ。
しかし柄の悪いのは、その側に何人かいる。
「武器を捨てろ。関係者は、全員俺の前に出てこい」
「誰だ、お前」
「俺が誰だか、関係あるのか」
低く言い放つショウ。
慌てて身を引く男達。
威圧感、佇まい、そこから推測出来る実力。
何もかもが、先程対峙した鶴木さんとは比べ物にならない。
勿論あれ程の人間が何人もいるようでは、こちらが困るが。
「相変わらず、やってるね」
静かな、しかしその底に見える独特の迫力。
沢さんは飄々とした足取りで私達の側までやって来て、一緒にいたガーディアン達へ彼等を拘束するよう指示を出した。
「どうしたんです」
「傭兵らしいって聞いたから。それに、伊達君がいるし」
変わらない、物静かな態度。
普通には分からない、独特な迫力も。
「彼を信頼出来ないとでも?」
「名雲君達は生徒会長の命に従うという契約をしてるから、行動の予測は付く」
「知ってたんですか」
「まあね」
遠巻きにしている野次馬を眺めつつ、連れ去られていく男達の後に続く沢さん。
私達もすぐ、その横へ並ぶ。
「それに最近はここに居着いてるから、行動パターンを把握してる。彼等も、この学校や生徒に情もあるだろう」
「伊達さんは、違うとでも?」
「この1年余りの行動は、殆ど伝聞でしか知らない」
「昔の伊達さんは、信頼出来てたんですよね」
「どうかな。僕はフリーガーディアンで、彼は渡り鳥。元々、相容れない存在さ」
沢さんの執務室に居合わせるのは、私とショウ。
沢さんに、副隊長である七尾君。
「でも、一緒に仕事をした事はあるって」
「あるよ。今みたいに気楽そうにしてる彼等じゃなくて、もっと張りつめた雰囲気の彼等とか」
「え?」
「出会った頃は、そんな感じだった。特に、名雲君は」
鼻で笑う沢さん。
酷薄に、と言った方が正確だろうか。
「初めにその彼と行動してたのは、伊達君。舞地さん達と一緒になったのは、その後」
「今でも、それが変わらないと?」
「さあね。彼がどうだろうと、興味はない」
非情とも言える、ただケイにも似た答え。
沢さんは卓上端末のキーから手を離し、画面を消した。
「ただ、彼が何かをやった時は別だ。その時は、僕もそれなりのアクションをする」
「そうなると思ってるんですか?以前、伊達さんはここにいたんですよね」
「あの時と同じ彼なら、僕や塩田君は何も心配しない。でも、1年以上の間がある。良しに付け悪しきに付け、人は変わる。彼が変わらないという理由もない」
こちらへ向けられる視線。
私の意図を尋ねるような。
「私は伊達さんの事は知らないし、昔の事もよく知らないけど。彼を信じるのは、悪い事なんですか」
「人としては、その方がいい。組織を守るため、自分の利益を守るためなら疑った方がいい」
「沢さんも、疑ってるんですか」
「信じる理由がない。不意に彼が現れた理由。名雲君や、……池上さんとのつながり。そこを利用して付けいってこないとも限らない」
淡々と語る沢さん。
ショウは黙ったまま。
七尾君も、同様。
ただ、彼等の意図が同じかどうかは分からない。
「君達は静かだね」
「俺は、大体ユウと同意見なので」
「なる程。じゃあ、七尾君は」
「俺、ですか」
普段と変わらない、軽い感じ。
とはいえ話の内容や意味は、彼も理解しているはずだ。
「その伊達さん会った事無いし、傭兵と言ってもピンと来ないし。何かあったら、考えればいいんじゃないですか」
やはり、今までと変わらない答え。
来るものは迎え撃つ、それ以外には関わらないとでもいう具合の。
「気付いたら、君の首元に噛みついてるかも知れないよ」
「俺は、狙われるような事はしてません」
「敵対するグループの一員と思われたら?玲阿君程の実力ではないけど、僕なら相手にしないね」
「困ったな、それは」
全然困ってない顔。
どうもこの人は、何を考えてるか分かりにくい。
「それと僕達が警戒しなくても、自警局は監視してる」
「学校の仲間ではないって事ですか?」
「そう思わせるカムフラージュかも知れない。伊達君はそういう小細工をするタイプじゃないが、出来ない訳でもない。池上さん達が協力すれば、明日にでもこの学校は彼等の支配下に入る」
あくまでも落ち着いた態度を崩さない沢さん。
語られた内容に動揺しかけるが、そういう可能性は頭の片隅にあった。
彼等は、何といっても昔からの仲間。
言ってみれば、私達とは比べ物にならないつながりを持った。
共に戦い、共に過ごし、共に同じ感情を抱いただろうはずの。
沢さんの言った事を否定するのは簡単だが、その根拠は思い付かない。
「どちらにしろ、今伊達君が何かをしてる訳じゃない」
一瞬緩む空気。
だが沢さんは、すぐに言葉を続ける。
「最近、傭兵らしい連中がやたら入り込んでるのが気になる。学校の意図なのか、例の金髪達が絡んでるのか。何にしろ、あまり良くない兆候ではある」
「それと、伊達さんが関係してるんですか」
「分からないから、打つ手もない。七尾君の意見通り、待つしかないね」
「そうそう。絶対悪い事が起きるって決まった訳でもないんだし」
先程同様の、気楽な台詞。
勘に障るような物ではないが、今の私の気分とは少しずれている。
ただそれは彼が悪いのではなく、私が一方的に思い詰めているだけだ。
伊達さんへというより、池上さんに。
舞地さんの時の事を考えれば、余計に。
「俺から、一ついいかな」
「え、うん」
「話を聞いてると、池上さんとその伊達さんが訳ありみたいだけど。肝心の池上さんは、なんか言ってるの?変な事をしてるとか」
特に気まずさも感じさせず尋ねてくる七尾君。
一応頭のの中で整理して、口を開く。
「別に、何も。私が勝手に、気にしてるだけで」
「そう。玲阿君は」
「俺も同じだ」
「ふーん。人がいいというか、先輩思いというか」
苦笑気味の口調。
やはり私達を小馬鹿にしてる様子はなく、そこからは好意的な感情が伝わってくる。
彼自身の、具体的な気持は分からないが。
「取り合えず、目先から片付けていったら」
「目先って?」
「さっき捕まえてきた馬鹿達に、色々聞くとか」
尋問室。
壁を背にして座る男。
ドアを背にするのは、相変わらず気楽そうな七尾君。
「転校じゃなくて、短期に来てるだけと」
私もさっきチェックした、簡単な履歴。
これがどこまで本当かは分からないが、他に身元を示す情報はない。
「さっきは、どうして暴れてた」
「お前に言う理由があるのか」
「言いたくないなら、警察で話してもらうだけさ」
通常、あの程度なら警察に連絡すらしない。
しかしそれを知らないのか、男は顔色を変え七尾君を睨み付けた。
「俺としては、それでもいい。書類を書く手間も省けるし、お前と顔を付き合わせなくても済む」
「ま、待て。大した理由じゃない。ただちょっと、目立とうと思っただけだ」
「あんな事をすれば,捕まるのは分かってるだろ」
「身元はすぐに引き受ける約束だった」
軽く頷く七尾君。
彼は端末を手に取り、どこかと連絡を取った。
「雇い主は誰だ」
「言えるか」
「じゃあ、ここへ来た理由は」
「人捜しだ」
もう一度頷く七尾君。
彼は彼は手の中でペンを何度か回し、薄く笑ってそれを止めた。
「釈放だ。ここから出てけ」
「あ、ああ」
「二度と来るな」
飛び出ていく男。
これ以上念を押さなくても、あの男を見る事はないだろう。
このオフィスでではなく、この学校。
もしかしたら、この街では。
「脅すな」
「人聞きが悪い。俺は、釈放してやったのに」
ショウから放られたペンを受け取る七尾君。
気付いた時にはペンは彼の手を離れ、男の目元をかすめてショウの手へと収まっていた。
「手元が狂ったんだよ。で、探してたのはやっぱり例の伊達さんかな」
「可能性としては、俺も認める。傭兵が追う相手で、最近学校に来た人間を考えれば」
「今の男の証言を信じるなら、という注釈も付く。それに俺としては、暴れた理由も気になる。今確かめたら、同時に他の場所でも何人かが暴れてた」
こちらへ向けられる、卓上端末の画面。
赤く点灯する数カ所の地点。
この教棟だけでなく、他の教棟やグラウンドまでもそれは及ぶ。
「人捜しは一旦置いておくとして。これは、シミュレーションかな」
「俺達というか、ガーディアンが対応出来るかっていう?じゃあ、誰がやらせたんだ」
「それが分かったら苦労しない。あの男も、直接黒幕に雇われた訳じゃないだろうし。知らない奴の名前が出て終わりさ」
肩をすくめて笑う七尾君。
ショウも同様に肩をすくめ、私を見てきた。
「よく、そこまで分かるね」
「あくまでも、推測だよ。その伊達さんじゃないけど、証拠は無い」
「でも、怪しいと思うの?」
「この辺りは勘さ。証拠も何も関係ない。何を信じるかって事でしかない」
やや表情を改めて語る七尾君。
私とショウは彼に頷き、お互いの顔を見た。
曖昧な、何を信じるのかという言い方。
きっと彼は、こういう意図を込めたのだろう。
誰を信じるのかという……。
「こんにちは」
「どうしたの」
笑顔で出迎えてくる、直属班の人。
彼女に挨拶をして、それとなく室内を見渡す。
「池上さんは?」
「ちょっと出掛けてる。舞地さんなら、奥にいるわよ」
「どうも」
隊長用の執務室。
舞地さんの札が掛かっているのを確認して、中に入る。
少し開いているドアから、中を見つつ。
まず見えたのは、壁を背にしている伊達さん。
お互いは知り合いだから、いてもおかしくはない。
多少の緊張を感じつつ、ドアを閉める。
彼の前には、舞地さん。
二人とも向かい合ってはいるが、話をしている様子はない。
仕方ないので二人の間に座り、スティックを机に置く。
相変わらず、何も言わない二人。
私から切り出すには、時機を逸している。
重くはないが、沈黙は続いたまま。
この二人は、いつからこうしているのだろうか。
それ以前に、何をしているのだろうか。
何も言わずに、ただ黙って部屋にこもって。
さながら、猫の集会だな。
とはいえ私から話す事もないので、大人しくちんまり座る。
何か、鼻が出てきたな。
すするのもあれだし、ティッシュを取り出す。
ポケットを探り、飴を出す。
ガムも出す。
ケーキ屋さんの割引券も。
あった。
ぐずぐずと鼻を拭き、ティッシュを丸めてゴミ箱へ放る。
まだ、むずむずするな。
小さいのに、機能だけは作用してる。
駄目だ、また出てきた。
もう一度ティシュッを取り出し、鼻をかむ。
静かな室内に響く音。
構わずもう一枚出して、口元を拭く。
別に意味はなくて、気分的に。
「あー」
「うるさい」
ようやく声を出す舞地さん。
私は丸めたティッシュをゴミ箱へ放り、鼻をこすった。
「いいじゃない、鼻が出るんだから」
言い訳にもならない事を言って、鏡を取り出し顔を見る。
何か、赤くなってるな。
というか、かなり間抜けな顔になってる。
「どうしよう」
「何が」
「鼻が赤い」
「それがどうした」
怖い事を言う人だな。
可愛い後輩が悩みを告白したのに、他に言う事は無いんだろうか。
「マスクとか無いの」
「マスクも仮面も何もない」
「あ、そう。そのキャップ貸してよ」
彼女の手が伸びる前に、机にあった赤いキャップをひったくる。
後ろのストラップで長さを調整してと。
元々大きいキャップなので、深く被れば顔は隠れる。
前は駄目だが、足元さえ見えていれば問題ない。
「じゃあね」
「何しに来た」
背中に当たる声へ手を振り、部屋を出る。
「……誰、あなた」
上の方からする声。
足元に見える、長い足。
「舞地真理依」
「随分縮んだのね」
「がっ」
素早く吠えて、脇に手を伸ばす。
しかし行動パターンを読まれてるらしく、私の手が空を掴む。
同時に頭が軽くなる感覚。
「その鼻、どうしたの」
人の顔を見て、うしゃうしゃ笑う池上さん。
人の心配をよそに、いい気なものだ。
「かみ過ぎたの」
「あなた、鼻が弱いんじゃない?」
「改めて言われなくても分かってる」
もう一度鼻をこすり、受け取ったキャップを被る。
紙袋を抱えている池上さんを眺めながら。
「どうしたの」
「あの二人が、部屋で何してるのかと思って」
「ああ、真理依と伊達君。大抵、あんな風よ」
苦笑気味の表情。
それ程見た事のない、親しみと優しさのこもった。
「ずっと?」
「愛想良く話し込む真理依っていうのも、想像出来ないでしょ」
「そうだけど。あっちの、伊達さんは?」
「自分の事を言わない男なの。愛想が無いというか、何を考えてるのか私が知りたい」
肩をすくめる池上さん。
駄目な子を見守るような顔で。
「付き合ってたんじゃないの」
「期待に添えなくて残念だけど、そこまでの関係じゃない。他の男の子よりは親しかったのは確かでも、恋人と呼ぶには無理があるわね」
特に焦ったり、言い繕う様子はない。
ただ事実を告げる。
もしくは、彼女の本心を告げる気持が伝わってくるだけで。
「私の世話を焼くより、玲阿君とデートでもしてきたら」
「私達こそ、恋人という訳でも。それはその。あれ。私の感情や希望と、彼の感情や気持は別だから」
「本当に、違うの?」
からかうように、人の顔を覗き込んでくる池上さん。
少し下がり気味の、綺麗な瞳。
鼻をくすぐる、コロンの香り。
胸の鼓動を感じつつ、キャップを深く被って視線を避ける。
「ねえ」
「うるさいな」
「雪ちゃーん」
背中に感じる柔らかな感触。
前に回ってくる、長い腕。
どこを触ってるんだ、どこを。
「止めて」
「いいじゃない。お姉さんといい事しましょうよ」
「馬鹿じゃない。大体、女同士で」
「女同士が駄目って、誰が決めたの」
そう言われたら、どうしようもない。
というか、言いようがない。
「ひゃっ」
変な声を上げて飛び退く池上さん。
頬を赤らめ、体を小さくしながら。
「ど、どこ触ってるの」
「自分だって」
「雪ちゃんなんて、触る所が無いじゃない」
それもそうだ。
何て納得する訳もなく、手を前に出して指をわしゃわしゃ動かす。
「ちょっと、きゃっ。いやーっ」
「へへっ。その顔が見たいのよ」
「ば、馬鹿っ。だ、誰かーっ」
「呼んでも無駄よ。ここは私と……」
背後に気配。
素早く池上さんから離れ、足を後ろへ振り上げる。
頭上で重なる、足首と足首。
「何してる」
「自分こそ」
舞地さんと同時に足を降ろし、キャップを放る。
それは弧を描いて飛んでいき、舞地さんの頭へと被さった。
鍔が、後ろに向いたままで。
それはそれで、可愛いと思う。
本人も直さないし、問題ない。
「仲が良いな」
苦笑気味の低い声。
ドアの側に立っていた伊達さんが、腕を組んでこちらを眺めている。
「お前達って、昔からそうだったか」
「そうよ。あなたがいない間に、私達は変わったのよ」
冗談っぽく舞地さんの肩を抱く池上さん。
舞地さんも表情を変えず、彼女の腰に手を回した。
「何をしてるんだか」
「あなたには言われたくない」
伸びてきた池上さんの指を掴み、ひゃっという声を上げさせてドアへ向かう。
「一体、何しに来たの」
今度こそ部屋を出て、なだらかな胸をなで下ろす。
それは私が聞きたいとは、言いようもないし。
どちらにしろ、心配は無さそうだ。
少なくとも、今の所は。
また、私があれこれ気に病む事ではない。
それもまた、今の所は。