21-2
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戻ってこない沢さん達。
すでに時刻は、夕食時を過ぎた辺り。
食堂も閑散として、野菜スープも多少煮詰まり気味。
「捕まってるんじゃなくて」
マグロの赤身にわさびを付け、鼻を押さえるサトミ。
まさかと思いつつも、納得しそうにもなる。
「大体、わざわざ聞きにいく意味はあったの」
「さあね。七尾君が提案した事だから」
「嫌がらせじゃないの」
「誰への。沢さん?ケイ?犯人?検事さん?」
サトミは涙目で鼻を押さえ、お茶をすすった。
緊張感の欠片もないな。
「それは知らないけど。どうも、余りそうね」
「言うまでもなく、私はもう食べない。もったいないし、持って帰ろう」
「好きね、あなた」
そう言いつつ、テイクアウト用の容器に赤身を入れるサトミ。
もう少し、彩りが欲しいところだな。
つまと、青葉と、わさびと、ご飯も詰めてと。
「お弁当じゃないんだから」
「でも、美味しそうでしょ」
「否定はしないけど。お腹一杯なんでしょ」
私もそれは、否定しない。
「何だ、これ」
「ご飯、まだでしょ」
「随分、質素だな」
赤身の刺身が二切れと、つまに青葉。
後は、ご飯が少し。
「いいじゃない。麦飯じゃないだけ」
「刑務所か」
文句を言いつつ、残り物を食べるケイ。
本当にこの人は、食べ物にこだわらないな。
「また本が増えてない?」
「俺のじゃなくて、光の。使ってない分を、ここへ置きにきやがった」
「古本屋さんにでも持っていけば」
「安く買い叩かれて、余計嫌になる
寝場所を取られるくらいなら、その方がいいと思うんだけどな。
それよりも、本の方が大事なんだろうか。
「あなた、こんな本持ってた?」
目を細め、下の方にあった本を引っ張り出すサトミ。
ケイは肩をすくめ、カップラーメンのスープをすすった。
「リーダーになるための10ヶ条。こういう願望があったの」
「丹下から渡されたんだよ」
「何のために」
「直接ユウに渡すのは気まずかったんだろ」
何だ、それ。
私に、問題でもあるって言いたいのか。
「今のまま小グループを率いるなら、別にいいわよ。でも、もっと人数が増えたらどうするの」
「どうするもこうするも、率いないもん」
「あなたの希望にかかわらず、そういう場面にもなる可能性はあるの。前も言ったようにモトが議長になれば、自分の意思通りに動いてくれる側近が必要になるんだから」
「だからって、本を読んで突然有能になる訳でもないでしょうが」
サトミから本を受け取り、適当にめくってみる。
えーと、部下の気持ちになって指示を出せ?
エスパーじゃないんだから、人の心なんて分かる訳がない。
「無理。ショウにでも教えてやって」
「あの子は関係ないでしょ」
「士官学校を出たら少尉に任官されるのよ。そうすると、小隊を率いるんだから」
「ああ、なる程。じゃあ、あの子にも研修は受けさせましょう」
薄く微笑むサトミ。
研修ってなんだ。
また、滋賀にでも行くのか。
「集団指揮の研修を、あなたとショウが受けるの」
「受けてるよ」
「もっと大勢を率いるプログラム。数十人じゃなくて、数百人を指揮するレベルの」
「面倒だし、向いてない」
3人を率いるだけでも必死なのに、そんな事出来る訳がない。
というか、その中に埋もれていなくなる気がする。
「サトミが受けてよ」
「私こそ、現場指揮には向いてないの。人望や、能力の面でも」
「人望なんて、私だって無いわよ」
「自分であるなんて思ってる人は、勘違いしてるだけ」
鼻で笑うサトミ。
ただ、言いたい事は分からなくもない。
そういう人間は、ただの自意識過剰だ。
「いいから、もう決定。スケジュールは後で渡すから、休まないでね」
「本当にやるの?」
「文句なら、モトに言って」
「管理職は大変だ」
げらげら笑うケイ。
この男を敵にして、指揮を執りたいな。
「それで、捕まえた男は何か言ってた?」
「特に、どうとも。さすがに検察庁で、暴行を加える訳にもいかないし」
「じゃあ、何しに行ったの」
「沢さんの権限がどの程度あるかが、なんとなく分かった。教育庁の公務員とはいえ、高校生相手に検事が頭を下げてきた
省庁も指揮系統も、何より年齢が違う。
しかし沢さんは、検事より上の役職に当たるという訳か。
飄々としている割には、思った以上に大物らしい。
「とにかく、注意しろって事さ」
「相手が誰かも分からないのに、注意しようが無いじゃない」
「指揮官たる物、常に様々な状況を推測すべし」
何だ偉そうに、分かったような事を言って。
いや。この人は十分に分かってるか。
それはそれとして、十分にむかつくが。
翌日。
苛々しつつ、ペンを走らせる。
別にケイへ苛ついてる訳ではなく、感想文を書くのに。
漁に出掛けて、釣ったカジキマグロを鮫に食べられたって。
それがどうしたって気になってくる。
じっくり読めば、また違う感慨もあるんだろうけどね。
縄が何フィート残ってようと、どうでもいいよ。
大体、どうしてマグロが兄弟なんだ。
「あー」
「何だよ」
「何が」
「いや。こっちの話」
顔をそむけるショウ。
分かってるわよ、私だって。
「感想文は」
「俺も、こういう年寄りになりたい」
目を輝かせる男の子。
よくは理解出来ないが、かなり心を打たれたようだ。
「漁師希望だった?」
「人間としての生き様だ。老いさらばえて、例え衰えても。人は強く」
なんか、後書きみたいな事まで言い出した。
それとも、男の子には燃える内容なんだろうか。
「どうしたの」
「マグロ漁船に乗りたいんだって」
「え?」
「老人と海を読んだの」
薄い文庫本をサトミへ渡し、椅子に座る。
ショウは端末で、日本近海で捕れるマグロの漁場を検索している。
軍へ行く話はどうなったんだ。
「ヘミングウェイね。武器よさらばを読んだら、軍の解体を叫ぶんじゃなくて」
「何、それ」
「こっちの話。例の研修が今日あるから、一度塩田さんに会ってきて」
「あの人が教えてくれるの」
「それもあるし、研修場所が本部なのよ。もういいから」
きつく睨むサトミ。
ショウは恨みがましい顔で、彼女を睨み返した。
頭にタオルを巻いたままで。
「俺は海の男として」
「だったら高畑さんのお父さんでも手伝ってきなさい」
「あそこは、タコ漁だろ。でも、それでもいいのかな」
すぐに納得しだすショウ。
単純な人だな。
「こういう人が、人を指揮出来るの?」
「純粋な分、部下に慕われやすいのよ。ユウもそうでしょ」
「部下なんていないけど」
「私達が部下じゃない」
人の頬を手の平で包み込むサトミ。
上司に対する部下の態度が、これか。
「塩田さんの所へ行けばいい訳ね。それで、ケイは」
「舞地さん達の所へ行ってるみたい。あれで、かなり気にしてるのよ」
苦笑するサトミ。
私も少し笑い、ドアを指差した。
「キーは掛けてね。それと、何かあったら誰か呼んで」
「ええ。あなた達も……、気を付けなくても大丈夫か」
「そういう事」
顔を上げるなり、人を指差してくる塩田さん。
それも、かなり笑い気味に。
「お前、また襲われたんだって」
「笑い事じゃありません」
「相手はどうなった」
「さあ。網走にでも行ったんじゃないですか」
特に否定する事でもないので、強く出る。
塩田さんは声を出して笑い、机の上にあった書類を漁りだした。
「色々大変だな、お前も」
「襲ってきた理由とか分からないんですか」
「知るかよ。俺が襲わせた訳でもないんだし」
「舞地さん達の名前を出したから、彼女達を陥れる罠じゃないかってケイは。でも、そう思わせるために名前を出したとも言ってました」
鼻を鳴らす塩田さん。
かなり皮肉っぽい顔で、仕方なさそうに。
「あいつは、裏を読むタイプだからな。そこまで深い理由はないかも知れないし、あるかも知れない」
「じゃ、どうすれば」
「だから、俺が知るか。今は、こっちに専念しろ」
ようやく小冊子を取り出し、私へと放り投げてくる。
団体行動に際する規則と行動様式?
「マニュアルだ。その通りにやればいいって訳でもないが、基本を抑えてないと話にならない」
「団体で戦う事なんて、滅多にないじゃないですか」
「何事も、最悪の状況を見越して訓練するんだ。いざとなった時に、マニュアル片手でやる訳にも行かないんだし」
「それはそうでしょうけど。なんか、納得いかないな」
適当に小冊子をめくり、ため息を付く。
規則、規則、規則。
見ているだけで、苛々してくる。
「玲阿は」
「さあ。マグロでも釣ってるんじゃないですか」
「良く分からんな。どこかで、女に捕まってるんじゃないのか」
突然身を引く塩田さん。
何してるんだ、この人は。
「睨むな」
「誰が」
「もういいよ。……玲阿は。……馬鹿。死にたいのか、お前」
スピーカー越しに聞こえる悲鳴と叫び声。
状況と、向こうの心境は想像が付く。
どうも、相当に誤解されてるな。
「ど、どうも」
突き飛ばされるように、執務室へ入ってくるショウ。
顔はやや赤く、息も荒い。
一体、何をしてたんだか。
「楽しかったか」
「ま、まさか」
「まあ、いい。俺も、まだ死にたくはない」
私から距離を置きつつ話す塩田さん。
少しして、高そうなお茶菓子が運ばれてきた。
青い顔をした女の子が、ぎこちない動きと共に。
それも、私だけに。
「止めてよね」
「す、済みません」
トレイを抱え、慌てて飛び退く女の子。
だから、そういうのを止めてっていうの。
「私じゃなくて、塩田さん達にもお願い」
「は、はい。今すぐ」
走るな、走るな。
もう、どうでもいいや。
これも美味しいし……。
「研修って、塩田さんが教えてくれるんですか」
「俺がやる分もあるけど、指導教官は別にいる」
「教官?」
「軍人だ。なんと言っても、大勢の人間を指揮するプロだからな」
へぇと声を出すショウ。
それは、私も知らなかった。
「この学校って、軍にもコネがあるんですか」
「逆さ。向こうにしてみれば、軍のアピールにもなるし勧誘も出来る」
「勧誘しなくても入りたがる人もいますけどね」
「いたな、そういう馬鹿も」
ショウの目の前で笑う塩田さん。
でも、馬鹿は言い過ぎだ。
言いたくなる時も、無くはないが。
「研修を受けるのは教棟の隊長クラスだから、人数は限られている」
「俺達が受けてもいいんですか」
「嫌なら、遠野か元野に文句を言え」
静まり返る室内。
視線を落とす、ショウと塩田さん。
女の子二人に、何をそう怯えてるんだか。
「……分かった。来たそうだ」
「ああ、軍の人が」
「ここの隣でやるから、先に行って待ってろ」
小さめの会議室に収まり、ぽつんと座る。
ショウはどっしり座ってるけどね。
「誰が来るのかな」
「指揮系統の指導だから、左官クラスじゃないのか」
「そんな偉い人が?」
「推測さ。少なくとも、来るのは将校だろ」
ノックされるドア。
すぐに立ち上がる私達。
別に敬礼する訳ではないが、教えを請う物の礼儀として。
「……机の下へ」
「了解」
スティックを手に持ち、机の下へと潜り込む。
ショウは腰を落とし、顔をガードしつつ壁に背を付ける。
不意に吹き込んでくる突風。
ドアが開き、しかし人は入って来ない。
「ちっ」
振り上げられる足。
それをすくい、何かを引っかける人影。
ショウは構わず、体をひねってさらに足を振り回した。
吹き飛ぶ人影。
だが素早く身を翻し、机の上で受け身を取って構えを取った。
「いい反応だな」
薄く微笑む壮年の男性。
というか。
「父さん」
「よう」
軽い挨拶、気楽な笑顔。
でも、待てよ。
前の職業は。
「おじさんが、指導教官とか」
「ああ。無理を言って、代わってもらった」
「だって父さんは、少尉だろ」
「大尉だ。終戦の時に、特進して」
窓を閉めながら話す瞬さん。
一体、どうやって忍び込んだか。
何をやってるんだかという疑問もあるが、それを言い出すときりがないので。
「じゃあ、駄目だろ。小隊の指揮もろくにしてないのに」
「細かいな、お前は。俺だって士官学校は出てるんだから、基礎は押さえてる」
どこから出してきたのか、バッグが机の上に置かれる。
中に入っていたのは、数冊の本。
軍の教本というか、マニュアルらしい。
「取りあえず、読んでおけ。俺は、初めの10ページで飽きた」
「おい」
「いいんだよ。こっちは、実戦で養った経験と勘があるんだから」
卓上端末を引き寄せ、操作するおじさん。
やがて画面に、見慣れないソフトが現れる。
「とはいえ、学校の警備とは別物だからな。これで、シミュレーションさ」
「武装グループが3つ、教棟に立てこもり。それについて、どう対処するか」
「四葉」
「俺がここに飛び込んで……」
叩かれる頭。
彼でなくても叩くだろう。
というか、父親故に叩いたのかも知れない。
「映画の話をしてるんじゃない。スクワット100回だ。優ちゃん」
「え、あ、はい。3等分するのは論外として……。ここは人質がいないから、監視要員だけ。こちらに牽制用として少し割いて、本隊をこちらへ」
「テストなら、それで合格」
私をペンで指差すおじさん。
多少の但し書きを付けて。
「今言った方法でシミュレーションしてみると……。何だ、これ。あっさり鎮圧しやがった」
叩かれる端末。
揺れる画面。
「おかしいな。こっちの人質を取ってないグループが、すぐにバックアップへ入らないと」
「それは、父さんの考えだろ」
「駄目だ。所詮機械に、人間の機微が分かる訳がない」
小さく唸るや、おじさんは鼻を鳴らして席を立った。
「止めだ、止め。俺には向いてない」
「あ、あの」
「すぐに代わりを呼ぶから、そいつに教わってくれ。あーあ、来るんじゃなかったぜ」
そう言い残し、軽く手を振って部屋を出て行くおじさん。
開いたドアから風が吹き抜け、それもやがて収まる。
私達に、虚しさだけを残して。
「何よ、あれ」
「俺に聞くな」
「お父さんでしょ」
「そうらしい」
小さく漏れるため息。
私もため息を付き、机に伏せた。
突然音を立てる端末。
「はい。……ええ、帰りました。……あ、はい。今すぐ」
「誰だ」
「塩田さん。代理の人が来たから、正門まで出迎えてくれて」
そう答え、胸の中で引っかかりを覚える。
こちらは教えを請う側だから、出迎えは当然だと思う。
ただ正門までという指示が、どうかと思う。
考え過ぎと言えば、それまでだが。
「全く、馬鹿親父が」
「一度、目に物を言わせたら」
「その内、寝込みを襲ってやる。その時は、ユウも頼む」
「了解」
二人して物騒な会話を交わし、教棟を出て正門へと向かう。
夕暮れの迫る正門前。
帰宅する生徒達や、ジャージ姿で走るクラブ生達。
私達は正門の脇にもたれ、人の流れを眺める。
予定より、すでに20分過ぎ。
もう一度深呼吸して、気を落ち着ける。
代わりで来るんだから、向こうも予定を変更しているはず。
そうそう、すぐには来られない。
「遅いな。こっちから守山駐屯地へ行った方が早かったんじゃないか」
「かもね。それより、本当に来るの?」
「怖い事言うな」
鼻で笑うショウ。
どうでもいいけど、このままではただの晒し者だ。
知り合いにも会うし、指は指されるし。
大体、ショウと一緒というのが。
いや。それはそれでいいんだけどさ。
暗くなる周囲。
人気のない正門。
二人佇み、肩を寄せ合う。
などという風情のある物ではなく、少し寒くなってきた。
「……あれだな」
低い声を出すショウ。
私達から見て右手。
大きな、黒塗りの車。
ヘッドライトではっきりしないが、フロント部分に小さな旗が翻っている。
車は正門の前できっかり止まり、人が降りてきた。
そして後部座席のドアを開け、姿勢を正す。
「お前達か」
目を細め、こちらを伺うスーツ姿の男。
階級章や身分を示す物は何もないが、私達が待っていた人物に間違いないだろう。
「ええ」
言いたい事は色々ある物の、今は話を聞く方が先だ。
「わざわざ、申し訳ありません。今から、ご案内致します」
私とは違い、丁寧に応対するショウ。
本当にこの人は大人だな。
「その前に、一つはっきりさせておこうか」
「何か」
「名前を聞いておこう」
「済みません、申し遅れました。自分は玲阿四葉で、彼女は雪野優さんです」
鼻で笑う男。
見下し気味の視線。
なる程、そういう訳か。
今までの態度も、遅れてきた訳も。
「父親はどうした」
「もう帰りましたが、それが何か」
「基礎的な教習すら出来ないで、英雄か。所詮はその程度だな」
低い笑い声。
歪む口元。
頭の中が、白くなっていく。
「父の事を言いに来たのですか。それとも、指導をしにいられたのでしょうか」
「指導?あいつの息子を、どうして俺が。ガキは大人しく、宿題でもしてろ」
馬鹿にしきった口調。
瞬さんに恨みでもあるのか、他の理由があるのか。
どちらにしろ、子供に文句を言うようではたかが知れている。
「俺を殴ろうなんて思うなよ。軍人に手を出したらどうなるかくらい、分かるだろ」
軍人が聞いて呆れる発言。
しかし当の本人は、それをわずかにも疑問に思っていないらしい。
「それにお前は軍へ進む気なんだろ。俺に手を出したら、ただでは済まないぞ」
「言いたい事は、それだけか」
一瞬にして距離を詰めるショウ。
振られた肘が顔をかすめ、髪の毛を散らせる。
「なっ」
「この程度に反応出来なくて、何が軍人だ」
「貴様」
懐へ入る手。
運転手も腰を落とし、やはり懐へ手を入れた。
武器。
軍人だとしたら、銃を携帯している可能性もある。
「土下座しろ」
「お前がしろよ」
一歩も引かないショウ。
男達は暗闇の中でも分かるくらいに顔を赤くして、懐に入れていた手を動かした。
それに合わせて私も、ポジションを変える。
銃で撃たれる気はないが、大人しくしている気もない。
またこの距離なら、十分こちらにも利はある。
まずはスティックを……。
「楽しそうだな」
軽い口調。
小さい呻き声。
運転手は腕を極められ、車のボンネットに叩き付けられた。
「き、貴様」
「代理が誰か聞いたら、お前が来るとはな。戻ってきて良かったぜ」
薄く微笑むおじさん。
彼は手を振り、私とショウを後ろへ来るよう促した。
「さてと。馬鹿将軍の丁稚してた男が、何をしてくれるんだ」
「こ、この」
「俺の事をどう言っても勝手だがな。子供相手に銃を振り回すのを見過ごす程、物を弁えてもなない。……なんだ、抵抗するのか」
いきなり運転手の首筋にかかとを落とすおじさん。
暗い地面に落ちたのは、細身のナイフ。
おじさんはそれを拾い上げ、男へ向けて無造作に投げ付けた。
「ひっ」
慌てて仰け反る男。
ナイフは柄の部分が胸元を捉え、再び地面へと落ちる。
「き、貴様ら。こんな真似をして、ただで済むと思うな」
「せいぜい、将軍様に泣きついてろ」
「くっ」
運転手を引きずり、車に乗り込む男。
おじさんは走り去る車へナイフを放り、鼻で笑った。
「何してるんですか」
「タイヤに当てただけさ。一応軍用だから、パンクもしない」
「そうじゃなくて、今の事です」
「子供を守るのは大人の務めだからね。軍人なら、国民を守るのが勤めだけど」
肩をすくめるおじさん。
やってる事は無茶苦茶だけど、頼りにはなるな。
この人の場合は元軍人という事だけでなく、人間として。
「後で、揉めないんですか」
「民間人に殴られたので、訴えて下さいって?それも面白いかな」
「はあ」
「心配しなくても、こっちで処理するから大丈夫。……と、あれは」
目の前に止まるワンボックスカー。
降りてきたのは、人の良さそうな壮年の男性。
世間的には、私のお父さんと呼ばれている。
「……何してるの」
「前を通り掛かったら、優が見えたから。ほら、風邪引くよ」
肩に掛けられるジャケット。
にこりと微笑むお父さん。
「大丈夫だって。もう、過保護なんだから」
「僕は好きだよ、過保護。……あ、こんばんは」
「どうも。俺とは、やっぱり違いますね」
苦笑するおじさん。
方や軍人を投げ飛ばし、方や娘を気遣って上着を掛ける。
どちらも良いお父さんではあるが。
「玲阿さんは、どうして」
「いや、その。はは、酒でも飲みますか」
「それは構いませんけど」
小首を傾げるお父さん。
おじさんは空笑いをして、私達に目配せをした。
子供だね、全く。
ガーディアン連合議長執務室。
その椅子に座るモトちゃん。
「随分偉いんだね」
「座り心地が悪いのよ、これ。塩田さんの癖が付いてて」
多少後ろへ傾き気味の椅子。
機能性が優れているのでそう簡単に壊れるとも思えないが、塩田さんの普段の姿勢を思い出すと分かる気もする。
あの人、仰け反って机に足を掛けてるからね。
「その塩田さんは」
「今私が一番知りたい事ね」
遠い目で語るモトちゃん。
よく考えれば、ここは塩田さんの執務室か。
「それよりも、軍人を殴り飛ばしたんだって」
「大袈裟だな。鼻先で、肘を振っただけだ」
「どう違うの。後で何かあっても知らないわよ」
「問題ない。お祖父さんと一緒に、話を付けてきたから」
苦笑するショウ。
それはそれで疲れたけど、すでに済んだ話だ。
「こんな事だと、あなた達に指揮を任せられないじゃない」
「任せなくてもいいじゃない」
「サトミから聞いてるだろうけど、現場には信頼出来る人間を配置したいの。サトミやケイ君は現場タイプじゃないし、木之本君に頼んだら倒れそうだから」
モトちゃんはくすりと笑い、端末にリストを表示させた。
載っているのは、知り合いや知った名前ばかり。
集団指揮の研修対象者で、私とショウも下にある。
「たくさんいるじゃない。他にも沙紀ちゃんとか、七尾君とか」
「それは、統合のスケジュール次第。早まるならそうすればいいけど、遅れた場合は向こうは生徒会に残る訳でしょ」
「連合は連合で、人材を確保するって?だからって、私達を選ばなくても」
「そんなに嫌なら、統合が早まるようお祈りでもして。ただその場合でも、何らかの役職には就いてもらうわよ」
杭みたいな釘を打ってきた。
大袈裟に言えば出世だから喜ぶべき事なんだろうけど、責任や能力的な事を考えると素直には受け入れられない。
「ショウ君は、何か」
「人を率いる自信はない」
ため息を付くショウ。
こっちこそ大袈裟というか、気にし過ぎというか。
反乱軍と戦った人と比較しても仕方ないのに。
「どうかしたの?」
「お祖父さんの話を聞いて、気弱になったの。英雄の話を聞いてね」
「よく分からないけど、どうしてそうかな。大きな体して」
ショウは言い返しもせず、拳を握り締めている。
とはいえ怒っている訳ではなく、ハンドグリップを握り込んでいるだけだ。
向上心の固まりみたいな人でもあるから。
「それより、舞地さん達の事は」
「別に。名雲さんに聞いたら、心当たりが多過ぎるって」
「あ、そう。どうしようもない人達だな」
怖い顔をするモトちゃんから顔を反らし、腕を組む。
しかし本人達はあまり気にしてないし、私一人が気に病んでいても仕方ない。
「ユウは、何も聞いてないの」
「みんなが気にする事無いって言うから」
「例によって、一人で意地になってるのね。その気持ちは買うけど、少しは気を抜いたら」
「考えてとく」
おざなりに答え、モトちゃんに苦笑される。
なんか、私一人空回りして馬鹿みたいだな。
いつもの事とも言うけれど。
「ヘロー」
なんか、ふざけた女が入ってきた。
「ヘロー」
こっちもふざけた挨拶を返す。
ついね、つい。
「聞いたわよ。軍人を半殺しにしたって」
モトちゃんよりも怖い事を言ってくる池上さん。
伝言ゲームじゃないんだからさ。
「ショウが鼻の辺で、肘を振っただけ。大体、向こうが悪いんだって」
自分も軽く肘を振り、彼女の前髪を風にそよがせる。
怖い目で睨んできたようにも見えるが、気のせいだ。
「あなたね」
「冗談じゃない。後輩の、先輩に対する茶目っ気」
「子供は口が上手い事」
人の頭をげしげしと撫でてくる池上さん。
なんか、背が縮んできそうなくらいに。
「変な奴を退治したから、なんか頂戴」
「私じゃなくて、雪ちゃんをおびき寄せたのかもよ」
「まさか」
「完全に否定出来る?」
薄い微笑み、細くなる瞳。
人からの恨みか。
それこそ、多過ぎてきりがない。
「どう思う?」
「私は、誰にも恨まれてない」
はっきりと言い切るモトちゃん。
知らぬが仏だな。
「ユウを除いては」
知ってたか、やっぱり。
「映未さん一人で出歩いていいんですか。はっきりしないとはいえ、傭兵もこの学校にはいる訳ですし」
「智美ちゃんだって、一人で出歩くでしょ。それに馬鹿をあしらう事くらい、私にも出来るのよ」
「それはそうでしょうけど。事の次第がはっきりするまで、護衛を付けましょうか。例えば、ユウとか」
「雪ちゃんを狙う奴が寄ってきたらどうするの。雪崩みたいに、どんどん増えていくわよ」
なるほどね。
元々雪だるまみたいだし、いいじゃないの。
いや。そういう問題でもないか。
「という訳で却下。それにいい女は、一人で生きていくのよ」
なんか、格好言い事言い出した。
ちなみに私は駄目な女なので、人にすがって生きていく。
「池上さんはともかく、舞地さんは危なくないの」
「この程度で危ないなら、そこまででしょ」
突然の醒めた、薄い笑顔。
表面的な友情、つながりだけではない。
相手への、強い思いがあってこその。
「で、その舞地さんは」
「その辺で、昼寝でもしてるんじゃない」
どこかで聞いた台詞。
でも、こっちの方が確率的には高いな。
日当たりのいい、中庭の片隅。
花壇の手前に腰掛け、猫と戯れる少女。
似合ってはいるけど、相変わらず何をしてるんだか。
「他に、やる事無いの」
「無い」
簡単に言い切るな、この人達は。
「襲われても知らないわよ」
「何を今さら」
「現に、そういう人間がいたんだし」
「そんな事は関係ない。私は私で生きていく」
真理。それとも、冗談。
どちらにしろ、今は猫と遊ぶ方が大事らしい。
「大体、この猫はどこからやってきたの」
「猫の原産地はエジプトらしい」
なるほど。また一つ、賢くなった。
とでも
「この子、野良にしてはまるまるしてない?」
「食べる気?」
「あのね。もしかして、学校に住み着いてるのかな」
「これだけ広ければ、人でも住める」
それもそうだ。
私が隠れていても、一生見つからない。
それはそれで、嫌な話だけど。
「悪い奴がいても、分からないよね。これだけ人数がいると」
「見極めればいいだけだ」
「どうやって」
「勘と経験に頼るしかない。出来なければ、やられるだけだし」
物騒な事を平然と語る舞地さん。
この辺りは、渡り鳥としての素顔が垣間見える。
埒が開かないので、放っておいて戻ってくる。
というかあの人は、あそこで何をしてたんだか。
「ユウ、どこ行ってたの」
「猫に会ってきた。エジプトから来た猫に」
「アビシニアン?いえ。あれは、エチオピアだったかしら」
簡単に、こういう名前が出てくるね。
というか、アビシニアンって何よ。
「猫もいいけど、仕事をして」
どさりと積まれる書類の山。
どこからこんなに持ってきたんだ。
「前は、こんなに無かったじゃない」
「前は前。今は今。さあ、頑張って」
背中を叩いてくるサトミ。
酒でも飲んでるのか。
「あー」
叫びながら周囲を見渡し、目があったケイに書類の半分を押し付ける。
半分より、少し多いかも知れない。
「おい。雪野さんよ」
「はいよ」
元気よく答え、愛想良く笑う。
子供らしく朗らかに。
女の子らしく、可愛らしく。
「俺が死んだ時、どうする気だ」
「さあ。泣くんじゃない」
「その時に俺は、もういない。だから、今から覚えておいてくれ」
差し戻される書類の山。
今すぐでも泣きたいな。
「あーあ。嫌だ、嫌だ」
「俺だって嫌だ。そのくらいやれないと、部下に笑われるから」
「また、その話?私には無理なのよ」
「やってから、無理かどうか判断してくれ」
そう言い様、マンガを読み出す男。
なんか、倒れそうになってきた。
「ショウ」
「俺には無理だ」
「やってみないと分からないでしょ」
ケイから戻された分を押し付け、取りあえず上から処理していく。
パトロールに対する要望?
こっちは、スケジュールに対する要望か。
「アンケートばっかじゃない」
「統合に際して、どういう意見があるか参考にするの」
「採用してくれるの?」
「参考と言ったでしょ。採用するかどうかは、また別な話よ」
何だ、それ。
じゃあこれを書くのに、どれだけの意味があるんだ。
「止めた」
「賢明ね」
回収される書類の山。
残ったのは、底にあった一束程度。
「じゃあ、これだけお願い」
「はいはい」
今度も上から取り、文字を埋めていく。
さっきのが多かった分、軽くこなせる気になっていた。
遠回しに、サトミに騙された気がしないでもない。
元々私の仕事だという事は、この際忘れるとして。
「終わった。もう、何もやらない」
「やらないって。終業時間よ」
時計を指差すサトミ。
というか、終業時間を過ぎている。
「どうしたの」
「自分の能力を疑いたくなってきた」
「いきなりやって、全部こなせるなら誰も苦労しないわ」
優しい事を言ってくるサトミ。
しかしこの子は昔から軽くこなしていた訳で、苦労しない人間もいるにはいる。
「何か、トラブルとかなかったの」
「それは、全部ショウが処理した。もしかして、あなた達二人だけでも大丈夫かしら」
「じゃあ、サトミ達はその間何してたの」
「さあ」
咄嗟に頬を抑えるサトミ。
何となく、寝跡が付いていたように見えるが気のせいだろう。
「ケイは」
「猫女に呼ばれて、煮干しを買い出しに行ってた」
「ああ、舞地さん。まだ中庭にいたの?」
「中庭にも、校舎裏にも、北門前にも。あの女、名古屋中の猫を集める気か」
鼻を鳴らすケイ。
それは大袈裟にしても、この近隣の猫くらいは集まってくるだろう。
「本当。猫を集めて、どうするんだろうね」
「三味線業者と結託してるんじゃないのか」
馬鹿な意見を聞き流し、リュックに荷物を詰める。
「あの人、地元でも猫を可愛がってたんだって」
「じゃあ、親が猫なんだろ」
「両親とも人間だって」
「尻尾を隠してたらどうする」
真顔で何言ってるんだ、この人は。
自分こそ、尖った尻尾を隠してないか。
魚臭い子から離れて、正門へと向かう。
「一人で大丈夫だった?」
「まあな」
苦笑するショウ。
この人なら、相手が誰だろうと問題ないだろう。
軍人にだって、一歩も引かないくらいだし。
「舞地さん達は?」
「特に、そういう類の話は聞いてない。モトが気を付けているようだし、大丈夫だとは思うけど」
「なんか嫌だね。昔はもっと適当というか、気楽にやってたのに」
それがいつしか、今のようになっている。
人間関係。
回りの視線。
責任、義務。
敵意、妬み、嫉妬。
ただ笑い、怒られていたのは遠い昔の話。
今は周囲の状況を考え、それによって動いている。
自分達の意図が無視されているとは言わないけど。
どこまで自分の意図が、自分の行動に関わっているかは判断出来ない。
その結果ともなれば、なおさら。
「どうした」
「運命に翻弄されてるなと思って」
「大袈裟な」
「たまには、そういう事を言ってみたいの」
自分の台詞に自分で笑い、秋の夜空を見上げる。
澄み切った、星の輝く空を。
「私は小さいな」
「分かったよ、もう」
「何が?」
「いや、それを言われると困るけど」
何だ、それは。
言いたい事は分かるけど。
運命。
自分の存在。
それを考える程、物事が分かってる訳ではない。
それを悩む程でも。
今は、目の前の事を追うだけで精一杯の状況。
また将来も、それは変わらないと思う。
たわいもない事で悩むのも。
小さな事にこだわるのも。
私が、私である限りは。