4-1
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夏休み明け初日とあって、出席率は約半分といったところか。
私は愛用のスティックを布で磨きながら、やや閑散とした教室を見渡していた。
服は例によって制服。
白の半袖シャツと、襟元に紺の短いリボン。
今日はリボンに合わせて、紺のスカートを履いて来た。
「おはよう、ユウ」
「あ、おはよう」
空いていた隣の席に、サトミが腰を下ろす。
彼女も制服だけど、クリーム色のベストを着てる。
スカートは赤のタータンチェック、やはり可愛い。
掻き上げた耳元に、ヒカルから送られたイヤリングが輝いていた。
「髪、後ろで結べばいいのに」
「たまに見えるのがいいのよ」
「そう?女心は、私には分かりません」
くすっと笑うサトミ。
でもその表情が、微かに曇る。
「ショウは?」
「今日山から下りて来るって。ケイは知らない」
「そういえば、丹下ちゃんもいないわね。モトは相変わらずとしても」
モトちゃんはガーディアン連合の仕事が忙しいので、授業に出る事はあまりない。
生徒会ガーディアンズの幹部である沙紀ちゃんもそうなんだけど、モトちゃんよりは授業に出る方だ。
「寝てるんじゃない。私も帰ろうかな」
「良い事言うわね。先生が来る前に……」
そんな私達の考えを読みとったかのように、数学の先生が入って来た。
ちなみに担任制を取っていないこの学校は、1時間目の先生がHRをやる事になっている。
そのHRが始まり、後期の行事予定や今日の連絡事項が告げられていく。
「まだ間に合うよ。サトミ」
「ええ」
リュックに端末や筆記用具を詰め始めた私達だったが、先生のある一言でサトミの動きが止まった。
「あくまでも予定ですが、あのシスター・クリスが当学校にお見えになるそうです。時期は来月か再来月になるかと……」
即座にメモを取り出すサトミ。
説明する先生の顔を、それこそ食い入るように見入っている。
やがて説明が終わり、授業が開始されるまでしばしの休憩時間となった。
「なんて、なんて事なの」
メモ用紙を胸に抱き、夢見る乙女のようにうっとりした顔をするサトミ嬢。
普段の落ち着きは、どこかへ消え失せてしまったようだ。
「サトミ好きだもんね。シスター・クリス」
「あの方は、この現世に舞い降りた穢れ無き天使よ。神は偉大であり、それ故力を伝える術を持たず。その一片たりとはいえ、地を照らす明かりを授かる者よ。汝の行く道が例え茨で……」
「分かった。分かったから」
放っておくときりがなさそうなので、無理矢理話を止めさせた。
私もシスター・クリスは知ってる。
その慈愛を持って世界を巡る、聖なる修道女。
また各国の首脳に強い影響力を持ち、国家間の調停にもあたるっていう話。
ただ、今のシスターは2代目だって聞いたんだけど。
それを言うと隣の女性が再爆発しそうなので、取りあえず黙っておこう。
「あ、授業始まっちゃった」
「仕方ないわね。今日は大人しくましょ」
「へぇ」
正面のボードに書き込まれていく数式が、ちょっと嫌な気分である。
因数分解に頭を悩ませていると、教室のスピーカーが緊急の入電を告げた。
「……I棟D-5ブロックで、生徒同士の乱闘発生。最寄りのガーディアンで出動出来る方はお願いします」
私達が今いる教室はC-5にあり、D-5まではそう遠くない。
サトミがちらりと私を見てくるが、今はどうだろう。
「ここまで授業受けたのに、また補習受けるの?」
「私が教えて上げるから。ほら、行くわよ」
「うー」
仕方ない。
机の脇に置いていたスティックを持ち、情報端末の電源を落とす。
同時にこの授業の出席記録も消え、補習が決定となる。
前にも言ったように受けなくても良いんだけど、受けた方がテストの時楽なのだ。
今日この教室には私達しかガーディアンがいないようで、他のみんなは立ち上がった私達を見ているだけ。
「先生っ、行ってきますっ。補習はおまけして下さいっ」
「は、はいっ」
あ、言ってみるものだ。
やっぱり勢いが決め手かなと考えつつ、私は教室を飛び出ていった。
どちらにしろ、勉強する必要はあるんだけどね……。
端末から送られてくる情報を確かめながら廊下を行くと、徐々に野次馬が増えていく。
授業中だというのに、ご苦労な事だ。
「通りにくいわね」
「どいてもらおうか」
「あなたがやると、騒ぎが余計大きくなるから」
さらりと、嫌な事を言ってくれた。
仕方ないので、遠慮気味に人を避けながら駆けて行く。
やがて人混みがピークに達し、前へ進むのもままならなくなる。
とはいえ先に行かない事には話も進まないので、遠慮せず強引に前へと出る。
「お、おい。押すなよ」
「後から来て、割り込むなって」
聞きようによっては、楽しい言葉が聞かれた。
私は背中からスティックを抜き、彼等の鼻先にそれをぐいと突きつける。
「……ガーディアンです、通しなさい」
その言葉にどれほどの効き目があったのか、例によって人混みが左右に分かれる。
「脅してどうするの」
「通してって言っただけよ」
「みんなはそう思わなかったみたいね」
こちらを見ながら、ひそひそと話し合う野次馬達。
D-5は管轄が近いから、何か知ってるのかな。
「……あれだろ、エアリアルガーディアンズって」
「前の自警局長を辞めさせたの、あの子なんだって」
「生徒会長のアシスタントスタッフも辞めさせたって噂だぜ」
あまり聞きたくない会話が聞こえてくる。
「言っとくけど、私達は無理矢理辞めさせた訳じゃなくて、向こうが悪いんだからねっ」
聞かれていないのに言い訳する私。
「ユウ、いいから早く」
すでに人混みを通り抜けたサトミが手を振っている。
いまいち釈然としない気分のまま、私は彼女の元へと駆けていった。
「だって、私は好きでやったんじゃなくて……」
「分かったから。ほら、あの子達がケンカしてたんじゃないの」
サトミの細く綺麗な人差し指が、擦り傷の出来た顔をしている集団に向けられた。
「ケンカは止めたんだけど、お互い納得出来てないみたいなんだ」
袖にガーディアンのIDを付けた男の子達が話しかけてくる。
Forceのロゴ。
予算編成局、実質的にその傘下にあるフォースの人達だ。
「どうも。ガーディアン連合所属、一年の雪野優と遠野聡美です」
男の子達は2年生との事。
授業中とあって、彼等も装備は殆ど持っていないようだ。
「俺達以外にも数名のガーディアンがいるんけど、所属がバラバラだから動きが取りにくいんだよ」
こういう時は、多少困る。
規則上では生徒会ガーディアンズが指揮を執るんだけど、またこれが揉め事の原因になる時もあるし。
「生徒会の人はいないんですか?」
「いるけど、1年で高等部からの人らしいんだ」
「ほぼ未経験者ですか。だったら適当にやりましょうよ。ケンカは収まってるんだし……」
すると、人混みを割って数名の生徒が前に出てきた。
私とサトミからは、同時に声が上がる。
別に驚いた訳ではない。
「どうしたのよ、今頃」
「どこ行ってたの」
やや厳しい表情をしているケイは私達の質問に答えず、一緒にいる人達に何か耳打ちする。
彼等はケンカの張本人達の所へ向かい、リーダーらしき人をその集団から隔離した。
「今、誰が指揮執ってますか」
当然誰も答えず、ケイは軽く頷いた。
服装はいつもと同じ、TシャツとGパンだ。
「それでは、今から俺がここの指揮を執ります。フォースの方は向こう側を、生徒会の方は俺が来た方の野次馬を処理して下さい。サトミとユウは、ケンカした連中をなだめさせて」
「それはいいけど、どうしてあなたが……」
そこまで言って、サトミの言葉が止まる。
私の目も、ある一点で釘付けになる。
ケイの袖に付けられているガーディアンのID。
SG。
Student Council Guardian。
生徒会ガーディアンズのIDに。
ガーディアン連合に属する私達のIDは、勿論GU(Guardian Union)。
困惑する私達をよそに、他のガーディアンの人達が動き出す。
野次馬は少しずつ下げられ、解散するように諭されている。
私は一歩踏み出し、ケイのIDを指さした。
「それ、どういう事」
「見ての通り、生徒会ガーディアンズのID。戻ったんだよ、生徒会に」
「ケイッ」
サトミの叫び声が、私の胸にも響く。
「だって、あなた。もう生徒会には戻れないって、戻らないって言ったじゃない」
「あの時は、確かにそう言った。でも最近になって、ようやく許しが出たんだ。それに俺達自体は、前から生徒会に誘われてただろ」
「断ってきたでしょ、いつも。一体、今頃になってどうして」
何となく分かっていた。
夏休み前後からの、ケイの態度。
沙紀ちゃんの所へ手伝いに行った事、そして彼女と言い争っていた事。
でもまさか、こういう形になって表れるなんて。
「装備もろくに揃えられない連合より、金回りが良くて卒業後も安泰な生徒会に所属する方が良いに決まってる。ユウこそ、何を今さら」
「本気で言ってるの」
腕を組み、醒めた視線をケイに送るサトミ。
その研ぎ澄まされた氷さながらの視線は、鼻先で笑われた。
「サトミ。理想に生きるのも良いけど、現実を見ないと。正論だけじゃ、世の中は渡っていけないんだから」
「私はそうは思わないわ。何があっても、信念は譲らない」
「さすがは遠野聡美。光にはもったいないな」
苦笑して、ポケットから出した端末を落とすケイ。
画面に表示されているのは無意味な数字の羅列で、彼が心変わりした理由を分からせる物ではない。
「……どうにか和解したみたいだ」
振り向くと、隔離されて説得されていた人達が笑い合っている。
「D-5の生徒会ガーディアンズだって、あの子達。ここに来る途中で会ったから、手伝ってもらおうと思って」
「随分偉くなったのね」
サトミは醒めた姿勢を崩さず、ケイをじっと見据える。
「一応、Dブロック隊長補佐の肩書きなんで」
「沙紀ちゃんの補佐?じゃあこれは、沙紀ちゃんも知ってる事なの」
「丹下は関係ない。自警局が勝手に決めたんだから」
「すると、矢田自警局長が決めた訳ね」
「さあ。誰かは知らない」
落ち着きを取り戻した周囲とは対照的に、お互いを探るように睨み合うサトミとケイ。
だが、先に視線を逸らしたのはケイの方。
実際には、なすべき事を成したのでこの場を立ち去るためだろうが。
「……これからDブロックのトラブルに関しては、生徒会ガーディアンズが全てを対応する。気にくわないなら、フォースも連合も他のブロックへ移った方が良い」
「やれると思ってるの、あなた一人で」
「俺一人とは限らないさ。言っておくけど、丹下と一緒にやるという意味でもないから」
サトミの鋭い視線が、去っていくその背中に突き刺さる。
掻き上げた髪からのぞく、彼の兄から送られたイヤリング。
「今の子、自分達の知り合い?」
「え、ええ」
帰っていこうとしていたフォースの人の質問に、曖昧な相づちを打つ。
野次馬達はすでにいなく、他のガーディアンももう誰も残ってはいない。
私達は壁にもたれ、同時に小さなため息を付いた。
「サトミ言ってたよね、ケイを見てろって。私は、何見てたのかな」
「それは私もよ。そう考えると、あの頃から生徒会に戻るつもりがあったのかも」
「一言、言ってほしかった」
私の肩を、サトミがそっと抱く。
以前もこんな事があった。
あの時サトミ、はケイを見ていろと言った。
気には掛けていたつもりだけど、でも結局は何も出来なかった。
いつもと同じように。
私は自分の無力さを、痛いくらいに感じていた。
中等部での事だ。
私達の元に、一人の生徒会ガーディアンが研修と称してやってきた。
浦田珪。
その以前から知り合いだった彼は、本来の目的であったはずの私達の調査や妨害をせず、それどころか私達のサポートをしてくれた。
様々な経緯によって彼は生徒会ガーディアンズを除籍となり、それ以降は正式に私達の仲間としてやっていく事になった。
忘れられない、今となっては笑い話のような思い出。
そしてその思い出は、現実として甦る。
「まさか、生徒会に戻るとはね」
卓上の情報端末を操作していたサトミが、ぽつりと洩らす。
画面には、ガーディアンとしてのケイの情報が表示されている。
今日付けで、生徒会ガーディアンズに登録とある。
「何か、裏があるんじゃない。ほら生徒会長とかSDCの代表代行の事とかで。訳が分からない事が色々あったから、それを調べたり」
「私もそう思いたい。でも、本人が何も言わないから」
混乱する頭の中。
自分で入れたコーヒーをすすり、背もたれに倒れ込む。
普段紅茶を入れてくれていた男の子は、何を思っているんだろう。
私が考えたように、何かの不正を調べているのか。
最近私達に襲いかかってきた様々な事件を調べようとしているのか。
それとも彼自身が言ったように、自分の欲求をただ満たすためなのか。
だからといって、安易に非難する事は出来ない。
彼には彼の考えがあり、どう行動するかは本人次第なのだから。
これがただの裏切りなら、どれだけ楽だっただろう。
彼を憎めばいいだけだから。
でも、そうではない。
ケイは、元の場所へ戻ったのだから。
それを止める権利は、否定する資格は私達にあるのだろうか。
生徒会ガーディアンズDブロック隊長補佐と、何の力もないガーディアン連合の一ガーディアン。
彼が持っているその能力を発揮出来る場所は、どちらなのだろう。
「……仕方ないのかな。ケイが生徒会に戻ったのは」
「確かにそうかもしれないわ。理屈ではね」
「サトミは違うって思うの」
苦笑して、オフィスチェアーごと振り返るサトミ。
「あんな子でも、一応は仲間じゃない。でしょ」
「でもここにいたらあの子、下らない雑用してるだけじゃない。それならもっと、あの子が活躍出来る所へ行った方がいいと思わない?」
「光がそうね。あの人は、ここにいるより大学に進んだ方がよかったから。だから弟のケイも、ここでくすぶっている訳には行かないって?」
サトミの苦笑が、さらに深くなる。
「でもユウ。その理屈で行くと、私達はバラバラにならない?あなたとショウは運動部の方が活躍出来るし、私だって大学や生徒会からの誘いがあるわ。それでも私達は、ここで頑張ってる。どうしてかしら」
「だって、私はガーディアンの仕事が好きだもの。理屈とかそういうのじゃなくて、この仕事をやりたいから。それにケイは、ガーディアンを辞めるんじゃないんだよ」
「ここにいたって、ガーディアンの仕事は出来るわ。大きな事をするばかりが、良いとは限らないのよ」
私は大きく首を振り、テーブルに両手をついてサトミを見つめた。
彼女も真っ直ぐに、私を見つめ返してくる。
「あの子は、私達みたいにみんなからの評価を受けてないの。ただここにいるだけの、お荷物みたいに見てる子もいるくらい。違う、ケイはそんなんじゃないってみんなに教えたいの」
「彼がそれなりの評価を受けるためなら、別れるのも仕方ないって言うの。それでユウは平気?」
「平気じゃない。だけど、このままで良いとも思ってはいない……」
顔を伏せ、その言葉を絞り出す。
「ケイが、その気持を分かってくれていれば良いんだけれど」
疲れたようなサトミの呟き。
私はそのまま椅子に座り、冷めたコーヒーが置かれたテーブルを見つめ続けた。
結局今日は出動要請も入電もなく、パトロールをしていても何のトラブルもなかった。
別段ケイと生徒会ガーディアンズが何かしたという訳ではなく、登校していた生徒が少なかったためだろう。
暗闇の中、ベッドの上で私はそっと目を閉じた。
明日目が覚めたら、全てが夢だったと笑いたくて。
ありえはしない事だとしても……。
翌日の教室。
生徒の数はまばらで、同じ授業を取っているケイの姿はやはり無い。
「来て、無いわね」
「サトミ」
私以上に落ち込んだ顔がそこにあった。
言葉が続かないのを、無理につなげようとする。
「ショウも来てないの。まだ山にいるのかな」
「離ればなれ、か。いつかはこうなるのかしら」
胸を締め付ける、弱々しいささやき。
「授業、どうする」
「帰りましょ、とてもそんな気分じゃないわ」
私とサトミは筆記用具も取り出していないリュックを背負い、教室を後にした。
寮に戻るよりはと思い、私達はオフィスに収まって黙りこくっていた。
時折管轄外のトラブルを知らせる入電が、室内のスピーカーから流れる。
それが終わると、静けさはより深くなる。
時計にふと視線を向ければ、お昼をとうに過ぎていた。
さして食欲はないけど、とにかく食べた方がいいという考えも浮かんでくる。
どちらにしろ、いつまでもこうしている訳にもいかない。
「サトミ、ご飯食べにいこ」
「お腹空いてない」
「私は空いてるの。ほら、お茶だけでも付き合ってよ」
半ば強引にサトミを連れ出し、私達は近くの食堂へと向かった。
食事時を過ぎた事もあって、席は半分も埋まっていない。
じきに授業も始まるので、私達が席についている間にもみんなは食堂を出ていく。
「いただきます」
私は無料で食べられるランチセット、サトミはそれのサラダとスープだけを自分の前に置いている。
さっきまではあまり食欲が無かったんだけど、食べ物を前にすれば自然と食は進む。
いつもより手早く食べ終えると、サトミが気だるげにレタスをつついていた。
「ドレッシング、美味しくないの」
「そうじゃないわ」
わずかに口元を緩ませ、最後の一切れであったそのレタスを口にする。
「私も分かってはいるの。ユウみたいに、食べないとって。元気になるためにはって。でも、すぐには……」
「大丈夫。サトミは何も心配しなくていいから。そういうのは、私に任せといて」
「……その言葉に、甘えさせてもらうわ」
ふっと息を洩らし、私の手をそっと握るサトミ。
ようやく和らいだ表情が、彼女のそれまでの苦悩を知らせてくれる。
サトミにとってケイは仲間であると共に、将来の家族でもある。
また同じ視点で物を見られる、数少ない存在でも。
彼女には、私には理解出来ない辛さがあるに違いない。
もう誰も苦しませたくない。
サトミだけではなく、ケイにも。
あの子が、何を思って私達の元を離れたのかは知らない。
でも、だからこそ分かる。
ケイだって、きっと苦しんでるって。
何も知らないし、何の根拠もない。
それでも私は……。
不意に物思いから覚めた。
近くのテーブルで、何か揉めているのだ。
「サトミはここにいて。私だけでいいから」
「ごめんなさい」
「大丈夫、すぐ戻るからね」
私はテーブルの上にあったスティックを掴み、まだ弱々しい笑みを浮かべているサトミに手を振った。
床に散乱する調味料やお皿。
食べ物もテーブルや床に散らばっている。
向かい合う二人の男子生徒。
ケンカするようなタイプではなさそうだけど、彼等が睨み合っているのは事実である。
何も食堂で暴れなくてもと思ったが、それは私の感想でこの人達にはまた違う考えがあるのだろう。
元々あまり人がいないので、止めに入ろうとしているのも私だけだ。
「食べ物を粗末にするなって、学校で教わらなかった」
「何だ、お前……」
文句を言いかけた男の子の一人が、目を見開く。
私の袖にあるガーディアンのIDに。
「理由を聞きましょうか」
「こいつが、俺の足を引っかけたんだ。それでテーブルに倒れて……」
「お前が勝手に倒れ込んできたんだろ。女取られたからって、下らない真似するな」
「取られたんじゃなくて、騙したんだろ。ええ、本当の事言えよ」
よく分からないが、女の子を巡っての揉め事らしい。
馬鹿馬鹿しいと一言で片づけられればいいのだけど、勿論そんな訳にも行かない。
「どうでもいいから、暴れるならもっと他の所でやりなさい。ここは、みんなが食事をしてくつろぐ所よ」
「だって、こいつが勝手に仕掛けてきたんだぜ。俺は被害者だよ」
「人の女寝取った奴が、偉そうに」
「何……」
「だから、本当の事言えって」
へらへらと笑う、シャツにソースを付けた男の子。
一見追い込まれたような、Tシャツにケチャップを付けた男の子が険しい顔をする。
「止めなさい。これ以上何かするようなら、拘束して生徒会に報告するわよ」
「うるさいな、あんた。これは俺達の問題なんだから、引っ込んでてくれ」
「あなた達がみんなに迷惑を掛けなければ、何も言わないわ。でもここで騒いでる限りは、そうはいかない」
「たかがガーディアンの癖して。説教でもする気か」
Tシャツの子が、険悪な目で私を睨み付けてくる。
シャツの子も、穏やかな雰囲気とは言えない。
大人しいタイプかと思ってたけど、こうくるか。
特にこの二人は精神状態が荒れているから、余計そうなのだろう。
「おい、何とか言ったらどうだ」
「びびるくらいなら、でしゃばってくるな」
深呼吸して、気分を落ち着ける。
「もう一度言う。これ以上はもう止めなさい。本当に拘束するわよ」
「やれるのか、お前が」
「ガーディアンだからって、調子に乗るな」
Tシャツの子が、テーブルの上にあったフォークを掴む。
シャツの子は拳を構えて、前に出てきた。
何かの罠かとも思ったが、鈍い動きと連携しないのを見るとそれは考え過ぎだろう。
視線だけを動かし、サトミの様子を見る。
まだ顔を伏せ、自分の考えに耽っている。
幸い、こちらの異変には気づいていない。
大丈夫、今はゆっくりと休んでて。
「来るなら来なさい。手加減しないから」
「それはこっちが言う……」
情けないくらい遅い出足を見せる両者。
バックステップで間合いを取ろうとしたら、真横からおたつき気味に手が伸びてきた。
さらにもう1ステップ踏んでそれをかわす。
はっきりしないが、仲間がいたようだ。
「謝るなら許してやるぜ」
「何なら、ガーディアンのID置いていくか」
下品な笑い声。
さっきまでいがみ合っていたとは思えない、奇妙な絆。
私をいたぶるという、下らない目的がそうさせた。
大部分の生徒は、決してガーディアンを必要としていない。
ごく一部の、こういう連中がいるから私達は存在する。
そして逆恨みする連中に対処するのも、私達の仕事である。
「たった4人」
「6人だ」
さらに人数が増える。
しかし、慌てる気にならない。
サトミを呼ぶ必要もない。
結局は、たかが6人だ。
「どうする。まだ謝らないつもりか」
「誰に」
「俺にだ」
「俺にもな」
下らない笑顔を浮かべる二人。
周りの仲間も、嫌みな笑顔で私を取り囲む。
「ガーディアンたって、一人じゃ何も出来ないだろ。ええ」
「女殴るのは趣味じゃないんだよ。お前の態度次第だけどな」
「それとも、お仲間呼んでくるか。助けてくださいーって」
仲間という言葉に、思わず胸が痛む。
今聞きたくはなかった、その言葉を。
顔を伏せた私を観念したと考えたのか、苛々させる笑い声がのしかかってくる。
頭の中が焼き切れるような気分。
握りしめた拳の感覚はもう無い。
早くなる息を整える。
今にも弾けそうな理性を押しとどめるために。
「へっ。行こうぜ、こんな奴ほっておいて」
「あの女にでも会いに行くか」
「二股女に?お前だって騙されてるんだろ」
「だから行くんだろ」
さらに響く笑い声。
「これからは、相手見てやるんだな」
「あんまり調子に乗ってると、今度は……」
「どうなるんだ」
笑いを含んだやや低い声。
私の前に現れた、大きな背中。
振り返った顔には、前会った時よりも精悍な笑みがある。
「……ショウ」
私はそれだけ呟き、振り返った彼の顔を見上げた。
「何だお前」
「こいつの男か?」
怪訝さと怒りを含んだ問い掛け。
ショウは軽く微笑んで、彼等に向き直った。
ノースリーブのシャツに短パンというラフな出で立ち。
一見して分かる、以前より引き締まった体。
「聞いてる暇があったら掛かってこい。それとも何か、女の子でないと勝てないか」
「てめぇ」
「終わったぞ」
「どっちが」
Tシャツの男の子が持っていたフォークを無造作にもぎ取り、その両端を両手で挟み込む。
あっけなく二つに折れるフォーク。
手の平に、刃が刺さった様子はない。
二つになったフォークはさらに折れ、いびつな形で床に転がった。
「試してみるか」
恫喝でもない、落ち着いた声。
男の子達は声も出ないらしく、かろうじて首を振った。
ショウは足元に転がる食べ物やお皿を眺め、男の子達に顔を向ける。
「片付けろ」
「え、俺達が?」
「どうせお前らがやったんだろ。何なら、舐めさせて欲しいか」
「い、いや……」
慌てて駆け出す男の子達。
逃げたのではなく、掃除の道具を取りに行ったらしい。
「ちょっと脅し過ぎたかな」
「いいよ、たまにはあのくらい言っても」
「過激だね、どうも。で、サトミは何やってるんだ」
顔を伏せこちらを見ようともしないサトミを指さすショウ。
「色々あったの。オフィスで話すから」
「ああ」
大きな安堵感が気持を安らげる。
でも、心の片隅にはケイの事もある。
厨房からの感謝の言葉、雑巾を持って隣を走り過ぎていくさっきの男の子達。
それをどこか遠くの出来事のように思いながら、私はサトミの元へと歩いていった。
ショウも午後の授業を休み、サトミが入れたコーヒーを飲んでいる。
彼は例によってブラック、私はいつもよりミルクを多めに。
「……ケイが、ね。それにしても、よく生徒会に戻れたな」
「同感」
何となく投げやりに同意するサトミ。
「あれじゃない。中等部と高等部は生徒会のメンバーも替わってるから、昔の事は水に流したとか」
「ありうる。でないと、あいつが戻れるとは到底思えない」
「組織自体はつながりがあるから、どうなのかしら」
「むー」
何だか訳が分からなくなってきた。
大体考えるの苦手なんだよね、特にこういう事は。
それが得意なサトミは、まだ元気が無いみたい。
「じゃあ、中等部の自警局にいた人達はどこ行ったのかな」
「半分は残ってるでしょ。ただ、私達とやり合った人達は転校したり生徒会を辞めたりしてるかも」
「どうでもいい、あんな連中は」
鼻を鳴らすショウ。
私達がいまいち生徒会を好きじゃないのは、中等部でのいざこざがあるからだ。
その頃副会長は総務局にいて関わりはなかったし、矢田自警局長もまだ他の学校にいた時の話。
止める人というか話の分かる人がいなかったから、とにかく色々あった。
その発端に関わる点で当時生徒会ガーディアンズだったケイが、私達の所へ送り込まれた訳なんだけど。
「懐かしい思い出じゃないの?」
「まさか」
サトミはあの時よく見せた冷たい微笑みを浮かべ、ケイが置いていった荷物に紙屑を投げつけた。
紙屑は袋の口に入り、そのまま姿を消す。
「誰のために、まったく……」
「サトミ、そう怒るな。あいつにはあいつなりの考えがあるんだろ」
「だからよ。そんなに私達は、信用が無いのかしら」
「さあね。あいつの考えは、俺には分からん」
「それを言ったらお終いよ」
ため息を付きつつテーブルに倒れ込むサトミ。
ショウは普段ケイが座っている、窓際へ置かれた椅子へ視線を向ける。
「困ったもんだな、あいつにも。いればいるで、いなければいないで」
「私は別に困ってないよ。ケイは生徒会に戻ってもいいと思ってるから」
「ん、どうして」
私はさっきサトミと話した事を、ショウにも説明した。
「……ここにいるよりは、か。あいつが、そういうユウの気持まで分かるか?」
「私の気持ちを分かる分からないはどうでもいいの。要は、あの子が頑張っていけるかどうかよ」
「あの馬鹿に聞かしてやりたいね。今度会ったら、一言言ってやる」
ハンドグリップを握りながら舌を鳴らすショウ。
握力が70Kgは無いと少しも動かないタイプで、私は指も回らないくらい。
「ただ、あいつは自分の意志で生徒会に戻ったのかな」
「そこよね。あの子、私達以外の人には相談してると思う?」
「どうだろ。取りあえず、誰かに聞いてみないと」
頷くサトミとショウ。
私には、数人の顔が浮かんでいる。
「塩田さんだろ、で副会長。自警局長の矢田に、後はモト達と丹下さんか。生徒会長には、さすがに聞きづらいな」
「大体副会長だって、高等部に入ってから親しくなったんだもんね」
「どうする」
サトミの不安と焦りを抑えた眼差し。
普段の彼女にはない、動揺の色。
しばらくは、心労が続きそうだ。
「いいよ、私が聞いてくる。サトミ達はここで待ってて」
「大丈夫か、一人で」
「子供じゃないんだから。ショウは落ち込んでる女の子を慰めてなさい」
「大人でもないだろ」
私はショウの肩を拳で軽く突いた。
「レディに対して失礼ね」
「誰がレディなの」
そんな事を言ってくれるサトミの肩も軽く叩き、私はオフィスを出ていった。
子供じみてるね、我ながら……。
歩く事しばし、目の前には完全装備をしたガーディアンが数名。
彼等は私のIDをチェックしている。
「……はい、お返しします」
「どうも。代表にお会いしたいのですが」
「ええ。アポイントメントは取ってますか」
「いいえ」
きっぱりと言い切る私に、彼等の顔が微かに曇る。
「代表はお忙しいので、すぐにお会い出来るかどうかは分かりません」
「構いません」
「は、はい」
困惑しつつ連絡を取るガーディアン達。
私は姿勢を正し、じっと待つ。
「……正面ドア警備担当です。……ええ、代表に面会希望の方が。総務か事務局に連絡して下さい。ええ、そちらに転送中です……」
待たされるのには慣れている。
いや、慣らされたと言うべきか。
「……はい。……え?あ、分かりました」
襟元にある通信機に、小声で何かをささやく彼。
「俺は彼女を案内するから、後を頼む」
「あ、はい」
他の子が即座に頷く。
「どうぞ。代表が、すぐにとの事ですので」
「はい、分かりました」
強化ガラスのドアがゆっくりと開き、私達はドアをくぐる。
ドアはすぐに閉まり、その向こう側にあったもう一枚のドアが開く。
「一応襲撃に備えています。俺は高等部からこの学校に編入したんですが、そういう例が過去にあったと聞いています」
適当に頷き、各種センサーに視線を向ける。
ここに来るのは初めてじゃないけれど、あまり好きな雰囲気ではない。
生徒会などに共通する、強い威圧感。
人が集まり力が生まれると、自然にこうなるのだろうか。
人を守るはずのガーディアン組織なのに。
だが今は、それを考察している場合ではない。
私は軽い深呼吸を繰り返し、人が行き交う廊下を歩いていく。
大きな木のドアの前で彼が立ち止まり、左右にいたガーディアンに挨拶をする。
「面会希望の方だ。代表は、まだ中に?」
「ええ。雪野さんですね」
「はい」
優しい笑顔を浮かべる女の子に、私も丁寧に微笑み返す。
「どうぞ。塩田代表がお待ちです」
「はい」
「それじゃ、俺は正面ドアへ戻るから」
「ご苦労様です」
会釈する女の子に軽く手を振り、彼は来た廊下を戻っていった。
何か「あんな小さいのか」と呟いたようにも聞こえたが、気にしない事にした。
「雪野さん、どうかしましたか」
「いえ。何でもありません、元野さん」
もう一人いる警備の子に気づかれないよう、下の方で手をコチョコチョしあう私達。
「どうしてモトちゃんが警備してるのよ」
「今週は本部詰めなの。あなた達もたまにはやりなさい」
「面倒だからやだ。大体、今それどころじゃないの」
私の顔を見て、モトちゃんも表情を引き締める。
「分かった。後で話聞かせて」
「うん」
ドアが厳かに開き、私とモトちゃんはガーディアン連合代表執務室へと入っていった。
しばらくはこのままだろう、晴れない気分のままなのは。




