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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第20話
219/596

20-9






     20-9




 玲阿邸にやってきて、しばしくつろぐ。

 ケイは床に、俯せになってるが。

「何よ」

「腰が……」

 それ以上は何も言わないケイ。

 おじいさんだね、まるで。

「玲阿先輩は平気なの」

「あのくらいは別に。なあ」

「そうですね」

 力無く呟く御剣君。

 さっき負けたのを、まだ引きずっているようだ。

「大きい体して、案外気にするタイプなんだね」

「誰が」

 いつも通りの明るい表情を見せている渡瀬さん。

 彼女も結果としては負けた訳だが、それを引きずっている様子はない。

 私以上に、切り替えが早いらしい。

 また、それはそれで長所と言える。

 場合によっては、短所になるが。

「随分、楽しそうね」

「サトミ。あなた、どうしてここに」

「届け物」

 手渡される、小さな本。

 わざわざ、ここに届ける程大切ななんだろうか。

「生徒会規則変更案に対する委員会・抄録。……何これ」

「以前、屋神さん達が学校と揉めたでしょ。その前に作られた委員会での議事録や、経過記録」

「どうやって手に入れたの」

「色仕掛けだろ」

 変な叫び声を上げるケイ。

 腰を、したたか踏まれたらしい。

「読んでどうというものでもないけれど。少しは、何かの参考になるかと思って」

「ありがとう。……話し合い自体は、真面目にしてたんだ」

「管理案を導入するためのポーズよ。あくまでも、民主的な手続きを踏みましたという」

 面白く無さそうに説明するサトミ。

 なる程。

 今度の委員会も、その変化版という訳か。


「御剣君、どうかしたの。元気が無さそうだけど」

「負けたんだよ、ケイに」

 鼻で笑うショウ。

 虚しそうに笑う御剣君。

 サトミは肩をすくめ、床に転がっているケイを見下ろした。

 かなり間近で。

 赤のミニスカートの中が覗けるくらいに。

「あなたは、何してるの」

「腰が痛いから寝てる」

「御剣君の事を言ってるのよ」

「笑うだろ」

 自分で笑うケイ。

 それが響くのか、少し身を震わせた。

「馬鹿。どうせまた、小細工でもしたんでしょ」

「弱者が強者に勝つためには、当然の策さ。蜂くらいでおたつくようでは、話にならない」

「木のトゲでも仕込んだの?」 

 まるで、あの場にいたような台詞。

 それには神代さんと渡瀬さん達が、潤んだような瞳でサトミを見つめる。

 いいんだけど、ちょっと嫌だな。

「あなたも、いつまでも気にしないの。実力では、比較にならないんだから」

「はあ」

「もう。体ばかり大きくて、しっかりしなさい」

「は、はい」

 姿勢を正し、一礼する御剣君。

 その隣りにいたショウまでもが、怯え気味に身をすくめる。

 殆ど、条件反射だな。


「あの、先輩」

「ん、何」 

 がじがじ、サトウキビをかじりながら答える。

 甘さは薄いけど、この素朴さが逆に良い。

「どうして、あいつは遠野先輩にぺこぺこしてるんですか」

 御剣君を見ながら、小声で話しかけてくる神代さん。

 体型、体力、体術。

 どれをどう取っても、サトミが敵う物はない。

 しかしその関係は、今見ていた通りだ。

「サトミ、怒ると怖いから」

 これは固いな。 

 信州なら、こわいっていうんだっけ。

 どうでもいいけどさ。

「怖いって。そんなの別に」

「それか、人間的に敵わないんでしょ」

「ああ、そういう訳。玲阿先輩が、雪野先輩に頭が上がらないように」

 嫌な納得の仕方をする神代さん。

 相当に誤解されてるな。

「ん、どうした」

「どうもしないわよ」

「そ、そうか」

 私の一睨みを受け、びくっとするショウ。

 止めてよね、もう。

 というか、私が止めればいい……。


「そ、そういえば。御剣君は将来どうするの」

 唐突な、ただ雰囲気を変えるにはいい話題。

 聞いてみたい話でもある。

「将来って。そうですね。強くなる事かな」

「それは、人生の目標でしょ。そうじゃなくて、どういう仕事がしたいとか。何かになりたいとか」

「さあ、特には」

 何も考えてませんと付け加える御剣君。

 終わる話題。

 それに引き続く沈黙。

 おかしいな。

「今から将来の事を考えるなんて、気が早いですね」

 くすくす笑う渡瀬さん。

 そうかな。

 不安になって、視線を左右に振る。

「俺は、軍へ」

「私は大学院に進んで、出来れば研究者に」

 すぐに帰ってくる答え。

 周りにこういう人達がいるから、私も何となく焦った気になるだけか。

 渡瀬さんの言うように、まだ早いのかも知れない。

 高校卒業まで、まだ1年以上。 

 その後には、進学出来れば大学の4年間が待っている。

 単純に5年。

 5年前、私は何をしてただろう。

 すぐには思い出せないくらいの、遠い昔に思えてくる。

 逆を言えば、将来についても同じなのだろうか。

「浦田先輩は?」

「俺は偉い奴に媚びを売って、上手に世の中を渡っていく」

 至って真面目な口調。

「それにしては、至って下手な生き方をしてるわね」

「これからなんだよ」

「もう、終わってるんじゃなくて」

 薄く、酷薄に微笑むサトミ。

 ケイは鼻を鳴らし、腰を叩きつつソファーに這い上がった。

「ご心配なく。つては、もうある」

「どこに」

 目の前。 

 つまりは、紅茶をすすっていたサトミを指差すケイ。

「光は多分、将来助教授くらいにはなる。サトミは、教授が確定。そのお兄さんは、すでに助教授で研究主任」

「それとあなたと、どういう関係があるの」

「光とサトミが結婚する。俺とサトミは姉弟という関係になる」

 肩を押さえるサトミ。

 突然襲ってきた寒気から、身を守るようにして。

「冗談でも、そういう事は言わないで」

「現実だよ。現実」

 何とも明るい表情。

 一方のサトミは、やつれ気味の顔でソファーの背もたれに崩れ去った。

「遠野先輩でも、ああいう時があるんですね」

「ん、ああ。ケイは特別よ」

「特別」

 言葉を繰り返す神代さん。

 意味が分からないという顔で。

「私も、良くは分からないけどね。あの二人が何を考えてるとか、どういう関係とかは」

「まさか、そういう関係って事は」

「それは無い。あり得ないって言った方が正確かな」

 余計分からないという雰囲気。

 言ってる私だって、分かってはいない。

 だったら、何を言ってるのかという話だが。



 家にこもってるも飽きたので、庭に出てトコトコ歩く。 

 足元に寄ってくる、大きなヤマネコ。

「か、噛みつかない?」

 身を引く神代さん。 

 私はコーシュカに手を伸ばし、そこを伝わせて肩に乗せた。

「大丈夫。ね」

「ああ。この家にいる連中は、人は襲わないから」

 遠くで上がる悲鳴。  

 芝生に倒れ、数頭の犬にのし掛かられているケイ。

「例外もあるけど」

「何であの子は、ああ動物と相性が悪いのかな」

「親の仇なのよ」

 その台詞そのままの顔でケイを眺めるサトミ。

 何だ、犬の親の仇って。

「リンクスですね。耳先の毛と、少し短めの尾。頬にも毛がありますし」

 コーシュカを眺めつつ、そう呟く渡瀬さん。

 そんな名前だったのか、この子は。

「珍しいの?」

「希少種ではないですけど。人が飼う種類の動物でもないと思いますよ」

 それはそうだ。 

 その辺の路地をこの子が歩いていたら、誰でも腰を抜かす。

「あ、ニャンゴロリン」

 突然駆け出す渡瀬さん。

 不思議そうに、その背中を見つめる神代さん。

「なに、にゃんごろって。他の、ヤマネコの名前?」

「野良猫の事じゃないの」

「どうして」

 妙に生真面目な顔で尋ねてきた。

 そんなの、理屈じゃない。

 勘だ、勘。

 とは告げず、コーシュカを地面に降ろして先に行かせる。

「ケンカしない?」

「大丈夫。ね」

「にゃー」

 返事をするコーシュカ。 

 彼女にそのつもりはなかったのかも知れないが、少なくとも私はそう受け取った。



 森のように木の生い茂った辺り。

 何匹かの猫が、木の下で丸くなっている。

 特に何をするでもなく。

「猫は、愛想がないね」

「単独行動ですからね、基本が」

 普段とは違う、真面目な表情で語る渡瀬さん。

 ただ、さっきの出来事はやはり気にした様子はない。

 少なくとも、表面上は。

「あまり、気にならない?御剣君に負けた事」

 聞くのはどうかと思ったが、私の方が気にしてしまう。

 人間、誰でも負けていい気はしないから。

「面白くはないですけど。私が単に、弱いだけですから」

 思っていた以上の、素直な答え。

 一瞬垣間見える、悔しげな表情。 

 だがそれは、すぐに決意に似た顔へと変わる。

「練習あるのみですよ。スピードだけで押せると思ったんですけど、まだまだですね」

「え、うん」

 前向きで、積極的な考え方。

 自分の現状を十分に理解し、その次を見通した。

 私程度がアドバイスする必要はなかったらしい。

「前向きなんだね、渡瀬さんは」

「能天気なだけですよ。ナオは、うじうじするタイプみたいだけど」

「はは、なる程」

 確かに神代さんは、少しの事でもすぐ引きずってしまう感じ。

 多少切り替えが遅いというか、その事にこだわりやすい。

 勿論、そのどちらがいいとは一概に判断出来ない。

「ただ。あの子に勝つのは結構無理があると思うよ」

「御剣君に?確かに、強いとは思いますけど」

 やや不満げな表情。

 私は腰をため、軽い息吹と共に回し蹴りを木に放った。

 微かな振動。 

 落ちてくる、数枚の葉。

「木こりって言うのかな。こうして、木を蹴り倒してるから」

「生木を?」

「そう。勿論、一撃じゃなくてね。それにどれ程の意味があるのか知らないし、本当はそう大した事じゃないかも知れない。でも、こういう事をやるんだよね」

 足に残るわずかな痛みと痺れ。

 水分を含んでいて弾力がある分、蹴りの威力は吸収される。

 当然足にもそれなりの負担は掛かり、木が折れるか自分の足が折れるかという話にもなる。

「こういう原始的な事だけじゃなくて、トレーニングジムとかで厳密にデータを取ったりもしてるし」

「はあ」

「発想が違うのよね、私達と。人に勝つというより、強さを追い求めてる人達だから」

「強さ、ですか。漠然とし過ぎて,分かりにくいですね」

 小首を傾げる渡瀬さん。

 ただ、私の説明に反発する様子ではない。

「私も、良くは分かってない。どっちにしろ、目標とするにはいいよ。高い位置にいるから」

「つながってるんですか」

 何気ない感じの質問。

 今度は私が、小首を傾げる。

「どうかな。同じ線に立ってる気もするし、微妙にずれてる気もする。私は、玲阿流を少し習ってるから彼等寄りではあるけど」

「じゃあ私は、まず雪野さんを目標にしようかな。でも、ちょっと低かったりして」

「何よ、それ」 

 二人して笑い、足元にまとわりつく猫達の頭を撫でる。

 悩み、疑問。

 他の人には理解しずらい。

 でも、私には少し説明出来る部分。

 かつての自分とも似た、彼女の心境。

 自分の強さと、その意味。 

 でも結局、答えは出ない。

 答えがあるかどうかも分からない。

 戦って見いだせるのもでもないだろう。

 日々の積み重ねでしか。

 ひたすらに高見を目指し、挫ける事無く続けるしか。

 勿論私は、未だにその欠片すら手に入れてはいないが……。



 学校より雑然とした雰囲気。 

 でももっと華やいで、活気めいた物も感じられる。

 大人びた服装、化粧をした女性達、ふと香るコロン。

 どちらにしろ人が多く、落ち着いた気分にはなれない。

「で、何か用か」

 私は例の抄録を取り出し、机の上へと置いた。

 それを、嫌そうな顔で開く屋神さん。 

 ここは大学のカフェテリア。

 放課後、何となく気になってやってきた。

「今さらこんなのを見せられても仕方ない。なあ、おい」

「俺は発言してないから、お前以上に仕方ない」

 鼻で笑う三島さん。

 昨日軽く目を通したが、彼の言う通り三島さんの発言は数える程しかない。

「大体、もう済んだ事だ」

「学校は、まだ管理案を施行する気みたいですよ」

「それで、お前はどうする気なんだ。塩田と一緒に行動するのか」

「まだ、決めてませんけど」

「おいおい。俺に話を聞きに来たんだろ。だったら、もう決まってるんじゃないのか」 

 呆れ気味の口調。

 屋神さんはコーヒーに口を付け、長い足を組み替えた。

「それにさ」

「はい」

「あれはどうした。髪の長い、綺麗な女は」

 何とも楽しそうな顔。

 私は愛想良く微笑み、小首を傾げた。

「済みませんね。髪の短くて、綺麗じゃない女で」

「睨むなよ」

「遠野さんは今、大学院の方へ行ってます」

 そっとフォローする木之本君。

 ショウは実家へ、ケイは露骨に嫌がったので。 

 木之本君も嫌がったかも知れないが、付いてきてはくれた。

「大学院ね。頭良いんだったな、あいつ」

「彼氏が院生なんです。私達の友達でもあるけど」

「飛び級か。ふーん、嫌な奴だな」

 それは同感だ。

 ヒカル自身はいい子だけど、サトミと付き合ってる時点でマイナス評価から入ってる。

「何にしろ、俺には関係ない。もっと、他の奴を当たれ」

「他って。学校と揉めたのは、屋神さんが中心だって聞いてますよ」

「それは、仕方なくだ。実際は俺じゃなくて……」

 不意に視線を鋭くする屋神さん。 

 私を通り過ぎていく、剣呑な気配。

「屋神。お前ここで遊んでいていいのか」

「俺が何をしようと勝手だろ」

「この野郎。主将に向かって」

「落ち着け。こいつは部員じゃないから関係ない。なあ、屋神」 

 横柄な、人を見下した口調。

 思わずむっと来て後ろを振り返る。


 周囲を圧倒する、ジャージ姿の集団。

 体格とその雰囲気、顔付きで。

「女とばかり遊んでても仕方ないだろ。いい加減、入部したらどうだ」

「上下関係は苦手でね。それだったら、サークルでも作った方がましさ」

 あくまでも相手にしない屋神さん。

 主将らしき一際体型の大きな男は、嫌みな笑顔を見せて屋神さんの後ろに回った。

「そう言うな。多少なりとも、お前には便宜を図るつもりだから。部費についても、それなりに考慮はする」

「部費、ね」

「悪くない話だろ。金があれば、もっと女とも遊べるぞ」

 辺りから上がる、耳障りな笑い声。 

 部費を私的に使い、それを隠そうともしない神経。

 我慢するなという方が無理だ。

「……なんだ、こいつ」

「屋神の女じゃないんですか。新しい」

「ガキだろ。こんなの放っておいて、俺達と……」

 掴まれる襟首。

 浮き上がる巨体。 

 屋神さんは男を床へ放り投げ、その顔にかかとを向けた。

「俺の後輩に文句でもあるのか。だったら、初めからそう言え」

「貴様っ」

 一斉に前へ出るジャージ姿の男達。

 私は腰をため、リュックの中に入れてあるスティックへ触れた。

 だがその動きを、途中で止める。 

 目の前に立ちはだかる、山のような巨体。

 そこから感じるのは安堵感。 

 しかし逆の立場から見れば、悪夢のような存在。

「だったら、俺に文句があるという訳か」

 低い、唸るような声を出す三島さん。

 男達は足を止め、少しずつ後ずさった。

「み、三島。お前、先輩に逆らう気か」

「先輩も後輩もない。強い奴が上に行くんだ」 

 ジャケットを脱ぎ、太い腕に触れる屋神さん。 

 三島さんは左足を前に出し、深く腰を落とした。

「こ、この」

 いきり立つ男達。

 しかし、掛かっては来ない。

 二人の実力を分かっていれば、余計に。


「何揉めてるんだ」

 男達の間を割って現れる、大きな男性。

 朴訥で、人の良さそうな。

「お、お前には関係ない」

「そうか。じゃあ、騒ぐなよ」

「何?」

「騒がれると、俺まで暴れたくなる」

 凝縮された濃い気配。

 さらに男達は数歩下がり、一人また一人と逃げ始めた。

「お、お前達」

 かろうじて踏みとどまった主将が、真っ赤な顔で屋神さん達を指差す。 

 しかし一睨みされ、その勢いは消えて無くなる。

「屋神君、その辺で」

「へいへい」

「三島君は、後で私の所へ」

「はい」

 途端に大人しくなる二人。

 彼等が会話をしているのは、ジャージ姿の背の高い男性。

 優雅だが、その佇まいは屋神さん達とも共通する。  

 彼は主将とその取り巻き達を引き連れ、どこかへと去っていった。

「誰なんです、あれ」

「拳法部の主将と、その仲間達さ。俺が入ったら、女が寄ってくると勘違いしやがって」

「最後に出てきた、背の高い人は?」

「三島の先輩で、俺達より一つ上。実質的にSDCをまとめてたのは、あの人だ。たまに怖いけど、今の通りいい先輩さ」

 なる程。 

 あの雰囲気を見る限りは、その話も頷ける。

「こちらの方は」

「はは。そうか、卒業式の時あったくらいだもんな」 

 楽しげに笑う屋神さん。

 三島さんも、やや控えめに。

 先程までの、虎を思わせる気迫はどこにない。

「河合だよ、河合」

「はあ」

 つつかれる肩。

 何かと思ったら、木之本君が恐縮気味に耳元へ顔を寄せてきた。

「雪野さんが卒業式の時、北米から来てもらった。生徒会長の河合さん」

「えっ」 

 思わず声を上げ、慌てて頭を下げる。

 忘れてる所では済まない話だな。

「す、済みません。私、雪野優と申します。草薙高校の2年です」

「丁寧にどうも」

 苦笑する河合さん。

 良く分からないが、怒ってはないようだ。

「それはともかく。お前達、暴れるな」

「何もしてない。軽くたしなめただけだ」

「馬鹿野郎。高校生じゃないんだから、少しは落ち着いて行動しろ」

「いいんだよ。ああいう馬鹿は、口で言っても分からないんだから」

「それはそうだが」

 あっさり丸め込まれる河合さん。

 随分人がいいな。

「邪魔ね」

 邪険に手を振る、綺麗な女性。

 スリットの入ったミニと、胸元の開いたシャツ。 

 長い髪は頬に掛かり、薄い微笑みがそれを引き立たせる。

「じゃあ、向こうを通れ」

「他の人の気持ちを代弁しただけよ」

「へいへい、怖い女だ」

 肩をすくめ、椅子に座る屋神さん。

 三島さんと、河合さんも。

 それだけで周囲の視界が開け、圧迫感が薄れていく。

 体型的にも、精神的にも。

「誰、この子。誰かの妹?」

「違うよ」

「じゃあ、見学に来た中学生とか」

 まじまじと人の顔を見てくる女性。

 こっちも対抗上、その綺麗な顔を睨む。

「高校生です、私は」

「分かってるわよ、雪野さん」

 何だ、それ。 

 人をからかってるのか。

「北米から名古屋までは遠かったなー」

 遠い目をする女性。 

 明らかに、私を意識した様子で。

 かなり、嫌な性格らしい。

「誰、今度は」

「笹島さん。やっぱり、北米から来てもらった」

「ああ」

 そういえば、そんな人もいたな。

 あの時の気力や感動はすっかり薄れ、おざなりに頭を下げる。

「愛想のない子ね」

「それはどうも」

「雪野さん。済みません、彼女も悪気がある訳ではないので」

 私に代わって頭を下げる木之本君。

 人のいい子だな。

 なんて、客観的に思ってる場合でもないけど。

「凪ちゃんは、来てないの」

「……ああ、中川さん。彼女は、忙しいので」

「予算編成局、だった?栄君も退学しないで、残れば良かったのに」

 薄く、寂しげに笑う笹島さん。 

 戻れない過去を見つめる眼差しで。

「終わった事をがたがた言うな」

「あなたはいいわよ。卒業式に出たんだから。こっちはもう、どれだけ苦労したか」

「北米から戻ってくるのに?」

「向こうの学校生活で」

 漏れるため息。

 その隣では、河合さんが同感といった具合に苦笑している。

「転校するお前達が馬鹿なんだ」

「残ったあなたが賢いとも、あまり思えないけど」

「いいんだよ。もう、済んだ事なんだから」

 自嘲気味に呟く屋神さん。

 ただし表情に、あまり元気さはない。

「とにかく、だ。話があるなら、こいつらに聞け」

「はあ」

「こっちはこっちで忙しくてな。河合、後を頼むぞ」

「ああ」

 ジャケットを翻し去っていく屋神さん。 

 三島さんも軽く一礼して、その後に続く。 

 私は二人の背中を見送り、前へと向き直った。

「あの」

「ここでは何だから、場所を変えましょ」

「何だ、場所って」

「いいから」



 そう広くはない部屋。

 ただ、何となく見慣れた感じはある。

 本棚。

 机には書類にDD、卓上端末。

「ここは」

「仕事部屋」

「何の」

「総務の」

 机の上にはプレートがあり、総務という文字が見える。 

 でも、総務って。

「1年の代表って訳ですか」

「その通り。この人、人望だけはあるから」

「悪かったな。それだけで」

「でも狭いですし、それ程仕事があるようには見えませんけど」

 書類の量は少なく、DDも数枚ある程度。

 どこからか連絡がある様子はないし、時間に追われてるという訳でもなさそうだ。

「大学なんて個人が勝手にやる場所だから、やる事なんて無いのよ。せいぜい掲示板に連絡物を貼るとか、イベントの後片付けくらいで」

「雑用ですね、まるで」

「まるで、じゃなくてそのままさ。ただ、気楽でいいけどな」

 負け惜しみではなく、心底からという感じの口調。

 河合さんは机の上にあった書類を適当にめくり、ケースへ入れた。

 ゴミではないが、この後読む必要もないらしい。

「笹島さんは?」

「私は、女子の総務」

「部屋は」

「ここよ。男女兼用。仕方ないから、個人的に使わせてもらってる」

 彼女が言うように、室内の荷物は私物の方が多いくらい。 

 何に使うのか、スーツまである。

「それで、管理案だったわね」

「え、ええ」

「私達は、確かにそれを説明出来るわ」

「何せ、導入しようとした側だからな」

 鼻で笑う河合さん。 

 開かれる抄録。

 委員会で行われた議論の経緯を見れば、その事は理解出来る。

「言い訳になるけど、話として聞いてる今の管理案とはちょっと違うの。学校の雰囲気も」

「俺達の頃は、もっと学校の権限が大きくて生徒がそれに従う面も多かった。そこにもう少し生徒の権限を増やして、代わりに義務や報酬を付与するって考えさ。俺達の言う、管理案は」

「私はそれがベストだと思ったし、今でも間違ってない自信がある。とはいえ、結果としては大惨敗だけど」

「いいさ。それで学校が、上手く行ってるなら」

 仕方なさそうに肩をすくめる河合さん。

 笹島さんは書類の束を封筒に入れ、別なケースへ放り込んだ。

「なんて言うのかな。やっぱり、生徒だけで学校を運営するのは大変だと思うのよね。実際今でも、授業へ出ずに色々と仕事をしてる訳でしょ」

「ええ、まあ」

「それも地元の生徒だけではなく、全国から集まってきた優秀な生徒を使って。勿論彼等が草薙高校に来たのは自分の意思だけど、本当は勉強するために来たのよね」

 淡々と語る笹島さん。

 重く、身につまされる話を。

「あなた達は」

「私は、すぐそこに住んでます。彼も、岐阜ですから」

「だったら、頑張って苦労するのね。ここへ生まれた事を呪って」

「別に、私はそんな辛くないですよ。これが普通だと思ってるから」

 笹島さんはくすっと笑い、机の上に指を滑らせた。

「私なら、ごねてごねまくるわよ。どうして、ここまでやらせるんだって」

「ああ、それは今も思ってます」

「どっちなの」

「さあ」

 その辺りは、自分でもよく分からない。 

 私達が高校へ入学した時から、今の状態になっていた。 

 だから、誰にも文句は言いようがない。

 とはいえ、不満がない訳でもない。

 彼女の言うように、雑用まがいな事をし続ければ特に。

 他の人と同じ比率ならともかく、私にはその比重がより掛かっている気もする。

「河合さんも、同意見ですか」

「ん、まあな。俺も、生徒が何でもかんでもやるのは無理があると思う。出来る奴なら問題ないが、人間得手不得手がある。でも、仕事は要求される。面白くはないだろ」

「ええ、まあ」

「杉下とか屋神は逆で、やれないならやれるように努力しろって考え方だ。当然フォローをするという前提で。ただ人間っていうのは結構複雑で、手助けされると反発する奴もいる。難しいんだよ」

 苦笑する河合さん。

 朴訥とした外見からは想像も出来ない、細やかな気遣い。

 伊達に、生徒会長をやっていた訳ではないようだ。

「だからその辺に不満を持ってる人間を、今の学校はつついてるんだろう。そういう面倒ごとは学校に任せて、勉強に専念したい奴とか。学校はそれに報酬を出すようだし、なびく奴も出てくるさ」

「そうでしょうか」

「雪野さんの考え方を否定する気はない。そういう、自主性を持った人間がいるのは事実だから。ただ、人の言う通りに動けばいいって考えてる奴も結構多い」

 簡単に否定は出来ない話。 

 また実際、人の言う通り動いていれば楽は楽だ。

 自分で考えず、従うだけなんだから。

 それに、そういった行動が一概に悪いとは言えない。

 だからこそ、私も色々考える訳だが。


「ただ屋神じゃないが、俺達はもう関係ない。過去の経緯はともかく、卒業しちゃってるんだから」

「え、ええ」

「大体自分だって2年なんだから、もうすぐ卒業だろ。学校がその管理案を施行する前に、卒業するんじゃないのか」

「え、ええ」

 相づちを繰り返し、床を見つめる。

 分かっていた事を、再認識する結果。

 しかも、自分の心が定まらないままの。

 何のためにここへ来たのか。 

 勝手に、都合のいい答えでも期待していたのだろうか。

 誰もかもが幸せになれる、理想でも。

「あのさ」

「はい」

「そういう顔をされると困るんだけど」

 困惑気味の河合さん。

 その隣では、笹島さんがおかしそうに笑っている。

「顔が丸いって事ですか」

「そうじゃない。えーとなんだ」

「憂いを帯びた美少女みたいって言いたいの」

「誰が」

 向けられる指。

 誰と言って、私に。

「私が?どうして」

「あなた、鏡見た事無いの」

「あるけど。別に、これといって。丸っこく見える顔くらいしか」

「あ、そう。とにかく、自分で思ってるよりは可愛いわよ。私には負けるけど」

 何だ、それ。

 結局、それが言いたいだけじゃなかったのか。

「悟君が悪いのよ。突き放すから」

「突き放すって。俺はもう、大学生だぞ。今さら、高校の揉め事に口を挟む立場じゃないだろ」

「そうだとしても、言い方があるでしょう。もう、馬鹿」

 蹴りを放つ笹島さん。

 かなりいい加減で、放った自分がふらつくような。

「い、痛っ」

「自分で蹴って、何言ってるんだ」

「うるさいわね。うわー」

 叫び出した。

 訳の分からない人だな。

 綺麗なだけに、面白いけど。

「獣でもいるのか」

「……大君。何か、用」

「副総務として、一応顔を出そうと思って」

「探してた女の子がいなかったから、戻ってきただけでしょ」

 指を鳴らす屋神さん。

 楽しそうではあるが、何をやってるんだか。

「あれ。あの髪の長い女がもしかしていないかなと思って」

「大学院へ行きました?遠野さんは、そこへいる事が多いですよ」

「学部は」

「心理です」

 わざわざ説明する木之本君。

 飢えた虎に、肉の在処を教えたような気もするが。

「お前、人がいいな。勝手にそんな事喋っていいのか」

「どこにいるかくらいは、別に問題ないかと思います。屋神さんが、遠野さんに何かするとも思えませんし」

 人のいい、相手への信頼を込めた笑顔。

 屋神さんは鼻を鳴らし、彼を指差した。

「人に下駄を預けるような事言いやがって。で、いるのか」

「呼んでみましょうか。いいよね、雪野さん」

「うん」

 別に断る理由もないので、彼に任せる。

 しかしサトミファンは、どこにでもいるな。

 勿論、私がその筆頭だけど。


 開くドア。

 入ってきたのは、セミロングの女性。

 穏やかな微笑みを湛えた。

「何か、用事でも?」

「屋神さんが、遠野さん会いたいって」

「あら、ごめんなさい。髪の長くなくて、綺麗じゃないのが来てしまって」

 私以上に嫌みな口調。

 屋神さんは腰を引き、愛想笑いを浮かべた。

「怖いな、お前。元野、だったっけ」

「はい。卒業式以来ですけど、よく覚えてますね」

「女の顔は忘れない性質なんだ」

 誇らしげに語る屋神さん。

 そういう物でも無いと思うが。

「お前は」

「こんにちは」

「どこかで見た事あるな。……でも、あれ」

 訝しげな顔。

 人の良さそうな笑顔を見ての。

「浦田光と申します。多分、皆さんがお会いになったのは僕と弟だと思います」

「ああ。一卵性か、お前達」

「さあ。その頃の記憶はないので」 

 相当にふざけた答え。

 馬鹿にし過ぎとも言える。

「浦田君。済みません。彼も、悪気はないんです」

 私の時と同じようにフォローする木之本君。

 この人も、心労が絶えないな。

 じゃあ、迷惑を掛けるなって話だけど。

「大学院生だろ。先輩だな言ってみれば」

「いえ。僕は全然。大学院に籍があるというだけで」

 あくまでも低姿勢で応じるヒカル。

 でも、ケイみたいな嫌みはない。

 冗談っぽくはあるが。

「まあ、いい。で、話は聞いたか」

「え、ええ」

 曖昧に答え、一瞬河合さんと視線を交わす。

 多少の引っかかりを残して。

「いいんだよ、細かい事は考えないで。学校の言う通りにやって、甘い汁を吸ってれば」

「はい?」

「馬鹿だな、お前。3年だぞ、3年。お前達なんか、もう1年半。適当にやって、さっさと卒業すればいいんだって。それとも、誰かに義理でもあるのか」

 鼻で笑う屋神さん。

 義理、か。

「誰か知り合いが退学になったとか。学校にひどい目に遭わされてるとか」

「いえ。別に」

「じゃあ、決まりだ。学校の言う通りに動いて、気楽にやってろ。それが必ずしも悪いって訳じゃないんだし」

 確かにそうだ。

 単純な善悪という問題ではない。

 考え方の違いという面でもある。

 どちらの手法を信じるかという。

 ただ、その手法をどういった人間がとっているかという面もあるが。


「一つ質問なんですけど」

「何だ」

「もし今、高校に通っていたらどうするんですか」

 少しの沈黙。

 髪をかき上げ、顎をやや逸らす屋神さん。

「学校とやり合うに決まってるだろ」

 力強い一言。

 他の先輩達も、同じような顔で頷いている。

 自信と誇りを込めて。

 苦悩、敗北、屈辱。  

 それを味わっても、なお。

 彼等は後悔していない。

 自分達のやって来た事を。

 私の先輩は。



「なんていうのかな。仲間だよ、仲間」

 大ジョッキを振り回す河合さん。

 同じ言葉を何度も繰り返しながら。

「この酔っぱらいが。大体こいつの仲間なんて、変な奴ばっかだぜ」

「変って」

「ケンカ好きの馬鹿二人。後は、怖い女達。目の前にいるこいつとか」

「失礼ね。みんないい子なのよ。北地区最高っ」

 1人おだを上げる笹島さん。

 この人こそ酔ってるな。

「三島君。君は、飲んでるのかね」

「飲んでる」

「ちっ。ウーロン茶だってよ。日和やがって」

 別に、怒られる事でも無いと思うけど。

 ちなみに屋神さんは、日本酒を手酌でちびちびと飲んでいる。

 いかの塩辛を、時折つまみながら。

 おじさんだね、まるで。

「お前、飲まないのか」

「お腹一杯だから」

「居酒屋で、飯を頼むな」

 いいじゃないよ、好きなんだから。

 丁度おかずになるメニューばかりだし。

「木之本君は、飲まないの?」

「車で来てるからね」

 彼らしい答え。

 本当、こういう性格の子で良かった。

「ちょっと」

「いいじゃない。度数は低いんだから」

 ワインをボトルで頼むモトちゃん。 

 少しは控えろ。

「あなた、すごいわね」

「いえ。たしなむ程度ですから」

「ふーん。でも、血じゃないそれ」

 グラスに注がれた赤ワイン。

 少し濃く見える。

 上の方が、固まっているようにも。

「笹島さん」

「冗談よ、冗談」

 どこかで聞こえる、手を叩く音。

 グラスの中身はもちろん赤ワインで、それはボトルから注いだ時から間違いない。

 だったら、どうして血のように見えたのか。 

 そこまで酔ってる訳でもないのに。

「飲まないのなら、私がもらうわ」

 持っていかれるグラス。

 モトちゃんはようやく呆然とした状態から立ち直り、細い目をさらに細めた。

「暗示、ですか」

「さあ、どうかな」

「人を信じ過ぎる事がある」

「は、はい」

 少し蒸せ返す笹島さん。

 図星だったらしい。

「な、何よ。あなた、人の心を読むの」

「操るよりはましです」

「あ、あのね」

 何をやってるんだか。

 楽しいからいいけどね。

「どうしたの」

「え。ああ、お土産に持って帰ろうと思って」

「サトミに?」

「いや。チュルに」

 誰だ、それ。

 外国からの留学生か。

「どこの人」

「ここだよ。名古屋生まれの、名古屋育ち」

「誰」

「ネズミだよ、ネズミ。この前飼う事になった」

 ああ、あのネズミか。

 そういえば、ヒカルの部屋にカゴがあったっけ。

「ひまわりの種でいいんじゃないの。お腹壊すよ」

「そういう意見もあるね」

 頷きながら、湯豆腐をテイクアウト用の容器に詰めるヒカル。

 ネズミに豆腐、か。

 なんか、ことわざみたいだな。

「ヒカルはどう思う?もし高校に通ってたら」

「ああ、さっきの話。どうかな、僕はその管理案がどういうのかよく知らないから。屋神さんが言うように、学校と折り合いを付けるのもそう悪くはないと思うよ。自分達が、混乱の元になっても仕方ないし」

 正論。 

 いや、大人の意見だろうか。

 年は私と同じ。 

 でも、一足早く大学院に進んでいる彼としての。

「そう言われると、自信が無くなってくる。何が好いのか、悪いのか」

 何となく漏れる愚痴。

 雪野優として。

 元リーダーへの。

「駄目だね、私は。何も考えられないし、どうしていいかも分からなくて」

「悩むってだけで十分だよ。それだけ、色んな事を考えてるって事だから」

 優しく、彼らしい意見。

 私は苦笑して、赤ワインのグラスに口を付けた。

「僕や珪なんて、悩みもしないから」

「あなた達は頭良いし、自分の意見を持ってるから」

「それが正しいかどうかも分からないよ。僕が大学へ進んだ事、サトミがまだ高校にいる事。珪が目立たないようにして、自分の能力を発揮しようとしない事も」

「うん」

「これを言うと終わりなんだけど。何が正しいっていう答えも無いんだよね」 

 小さな呟き。

 遠くで聞こえる。

 少し薄れる意識。

 ぼやけて見えるテーブルの上。


 その中で思う事は幾つもある。

 明日になれば思い出す事もない。 

 そう考えた事すら忘れてしまいそうな。

 一瞬の想いが、浮かんでは消えていく。













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