20-9
20-9
玲阿邸にやってきて、しばしくつろぐ。
ケイは床に、俯せになってるが。
「何よ」
「腰が……」
それ以上は何も言わないケイ。
おじいさんだね、まるで。
「玲阿先輩は平気なの」
「あのくらいは別に。なあ」
「そうですね」
力無く呟く御剣君。
さっき負けたのを、まだ引きずっているようだ。
「大きい体して、案外気にするタイプなんだね」
「誰が」
いつも通りの明るい表情を見せている渡瀬さん。
彼女も結果としては負けた訳だが、それを引きずっている様子はない。
私以上に、切り替えが早いらしい。
また、それはそれで長所と言える。
場合によっては、短所になるが。
「随分、楽しそうね」
「サトミ。あなた、どうしてここに」
「届け物」
手渡される、小さな本。
わざわざ、ここに届ける程大切ななんだろうか。
「生徒会規則変更案に対する委員会・抄録。……何これ」
「以前、屋神さん達が学校と揉めたでしょ。その前に作られた委員会での議事録や、経過記録」
「どうやって手に入れたの」
「色仕掛けだろ」
変な叫び声を上げるケイ。
腰を、したたか踏まれたらしい。
「読んでどうというものでもないけれど。少しは、何かの参考になるかと思って」
「ありがとう。……話し合い自体は、真面目にしてたんだ」
「管理案を導入するためのポーズよ。あくまでも、民主的な手続きを踏みましたという」
面白く無さそうに説明するサトミ。
なる程。
今度の委員会も、その変化版という訳か。
「御剣君、どうかしたの。元気が無さそうだけど」
「負けたんだよ、ケイに」
鼻で笑うショウ。
虚しそうに笑う御剣君。
サトミは肩をすくめ、床に転がっているケイを見下ろした。
かなり間近で。
赤のミニスカートの中が覗けるくらいに。
「あなたは、何してるの」
「腰が痛いから寝てる」
「御剣君の事を言ってるのよ」
「笑うだろ」
自分で笑うケイ。
それが響くのか、少し身を震わせた。
「馬鹿。どうせまた、小細工でもしたんでしょ」
「弱者が強者に勝つためには、当然の策さ。蜂くらいでおたつくようでは、話にならない」
「木のトゲでも仕込んだの?」
まるで、あの場にいたような台詞。
それには神代さんと渡瀬さん達が、潤んだような瞳でサトミを見つめる。
いいんだけど、ちょっと嫌だな。
「あなたも、いつまでも気にしないの。実力では、比較にならないんだから」
「はあ」
「もう。体ばかり大きくて、しっかりしなさい」
「は、はい」
姿勢を正し、一礼する御剣君。
その隣りにいたショウまでもが、怯え気味に身をすくめる。
殆ど、条件反射だな。
「あの、先輩」
「ん、何」
がじがじ、サトウキビをかじりながら答える。
甘さは薄いけど、この素朴さが逆に良い。
「どうして、あいつは遠野先輩にぺこぺこしてるんですか」
御剣君を見ながら、小声で話しかけてくる神代さん。
体型、体力、体術。
どれをどう取っても、サトミが敵う物はない。
しかしその関係は、今見ていた通りだ。
「サトミ、怒ると怖いから」
これは固いな。
信州なら、こわいっていうんだっけ。
どうでもいいけどさ。
「怖いって。そんなの別に」
「それか、人間的に敵わないんでしょ」
「ああ、そういう訳。玲阿先輩が、雪野先輩に頭が上がらないように」
嫌な納得の仕方をする神代さん。
相当に誤解されてるな。
「ん、どうした」
「どうもしないわよ」
「そ、そうか」
私の一睨みを受け、びくっとするショウ。
止めてよね、もう。
というか、私が止めればいい……。
「そ、そういえば。御剣君は将来どうするの」
唐突な、ただ雰囲気を変えるにはいい話題。
聞いてみたい話でもある。
「将来って。そうですね。強くなる事かな」
「それは、人生の目標でしょ。そうじゃなくて、どういう仕事がしたいとか。何かになりたいとか」
「さあ、特には」
何も考えてませんと付け加える御剣君。
終わる話題。
それに引き続く沈黙。
おかしいな。
「今から将来の事を考えるなんて、気が早いですね」
くすくす笑う渡瀬さん。
そうかな。
不安になって、視線を左右に振る。
「俺は、軍へ」
「私は大学院に進んで、出来れば研究者に」
すぐに帰ってくる答え。
周りにこういう人達がいるから、私も何となく焦った気になるだけか。
渡瀬さんの言うように、まだ早いのかも知れない。
高校卒業まで、まだ1年以上。
その後には、進学出来れば大学の4年間が待っている。
単純に5年。
5年前、私は何をしてただろう。
すぐには思い出せないくらいの、遠い昔に思えてくる。
逆を言えば、将来についても同じなのだろうか。
「浦田先輩は?」
「俺は偉い奴に媚びを売って、上手に世の中を渡っていく」
至って真面目な口調。
「それにしては、至って下手な生き方をしてるわね」
「これからなんだよ」
「もう、終わってるんじゃなくて」
薄く、酷薄に微笑むサトミ。
ケイは鼻を鳴らし、腰を叩きつつソファーに這い上がった。
「ご心配なく。つては、もうある」
「どこに」
目の前。
つまりは、紅茶をすすっていたサトミを指差すケイ。
「光は多分、将来助教授くらいにはなる。サトミは、教授が確定。そのお兄さんは、すでに助教授で研究主任」
「それとあなたと、どういう関係があるの」
「光とサトミが結婚する。俺とサトミは姉弟という関係になる」
肩を押さえるサトミ。
突然襲ってきた寒気から、身を守るようにして。
「冗談でも、そういう事は言わないで」
「現実だよ。現実」
何とも明るい表情。
一方のサトミは、やつれ気味の顔でソファーの背もたれに崩れ去った。
「遠野先輩でも、ああいう時があるんですね」
「ん、ああ。ケイは特別よ」
「特別」
言葉を繰り返す神代さん。
意味が分からないという顔で。
「私も、良くは分からないけどね。あの二人が何を考えてるとか、どういう関係とかは」
「まさか、そういう関係って事は」
「それは無い。あり得ないって言った方が正確かな」
余計分からないという雰囲気。
言ってる私だって、分かってはいない。
だったら、何を言ってるのかという話だが。
家にこもってるも飽きたので、庭に出てトコトコ歩く。
足元に寄ってくる、大きなヤマネコ。
「か、噛みつかない?」
身を引く神代さん。
私はコーシュカに手を伸ばし、そこを伝わせて肩に乗せた。
「大丈夫。ね」
「ああ。この家にいる連中は、人は襲わないから」
遠くで上がる悲鳴。
芝生に倒れ、数頭の犬にのし掛かられているケイ。
「例外もあるけど」
「何であの子は、ああ動物と相性が悪いのかな」
「親の仇なのよ」
その台詞そのままの顔でケイを眺めるサトミ。
何だ、犬の親の仇って。
「リンクスですね。耳先の毛と、少し短めの尾。頬にも毛がありますし」
コーシュカを眺めつつ、そう呟く渡瀬さん。
そんな名前だったのか、この子は。
「珍しいの?」
「希少種ではないですけど。人が飼う種類の動物でもないと思いますよ」
それはそうだ。
その辺の路地をこの子が歩いていたら、誰でも腰を抜かす。
「あ、ニャンゴロリン」
突然駆け出す渡瀬さん。
不思議そうに、その背中を見つめる神代さん。
「なに、にゃんごろって。他の、ヤマネコの名前?」
「野良猫の事じゃないの」
「どうして」
妙に生真面目な顔で尋ねてきた。
そんなの、理屈じゃない。
勘だ、勘。
とは告げず、コーシュカを地面に降ろして先に行かせる。
「ケンカしない?」
「大丈夫。ね」
「にゃー」
返事をするコーシュカ。
彼女にそのつもりはなかったのかも知れないが、少なくとも私はそう受け取った。
森のように木の生い茂った辺り。
何匹かの猫が、木の下で丸くなっている。
特に何をするでもなく。
「猫は、愛想がないね」
「単独行動ですからね、基本が」
普段とは違う、真面目な表情で語る渡瀬さん。
ただ、さっきの出来事はやはり気にした様子はない。
少なくとも、表面上は。
「あまり、気にならない?御剣君に負けた事」
聞くのはどうかと思ったが、私の方が気にしてしまう。
人間、誰でも負けていい気はしないから。
「面白くはないですけど。私が単に、弱いだけですから」
思っていた以上の、素直な答え。
一瞬垣間見える、悔しげな表情。
だがそれは、すぐに決意に似た顔へと変わる。
「練習あるのみですよ。スピードだけで押せると思ったんですけど、まだまだですね」
「え、うん」
前向きで、積極的な考え方。
自分の現状を十分に理解し、その次を見通した。
私程度がアドバイスする必要はなかったらしい。
「前向きなんだね、渡瀬さんは」
「能天気なだけですよ。ナオは、うじうじするタイプみたいだけど」
「はは、なる程」
確かに神代さんは、少しの事でもすぐ引きずってしまう感じ。
多少切り替えが遅いというか、その事にこだわりやすい。
勿論、そのどちらがいいとは一概に判断出来ない。
「ただ。あの子に勝つのは結構無理があると思うよ」
「御剣君に?確かに、強いとは思いますけど」
やや不満げな表情。
私は腰をため、軽い息吹と共に回し蹴りを木に放った。
微かな振動。
落ちてくる、数枚の葉。
「木こりって言うのかな。こうして、木を蹴り倒してるから」
「生木を?」
「そう。勿論、一撃じゃなくてね。それにどれ程の意味があるのか知らないし、本当はそう大した事じゃないかも知れない。でも、こういう事をやるんだよね」
足に残るわずかな痛みと痺れ。
水分を含んでいて弾力がある分、蹴りの威力は吸収される。
当然足にもそれなりの負担は掛かり、木が折れるか自分の足が折れるかという話にもなる。
「こういう原始的な事だけじゃなくて、トレーニングジムとかで厳密にデータを取ったりもしてるし」
「はあ」
「発想が違うのよね、私達と。人に勝つというより、強さを追い求めてる人達だから」
「強さ、ですか。漠然とし過ぎて,分かりにくいですね」
小首を傾げる渡瀬さん。
ただ、私の説明に反発する様子ではない。
「私も、良くは分かってない。どっちにしろ、目標とするにはいいよ。高い位置にいるから」
「つながってるんですか」
何気ない感じの質問。
今度は私が、小首を傾げる。
「どうかな。同じ線に立ってる気もするし、微妙にずれてる気もする。私は、玲阿流を少し習ってるから彼等寄りではあるけど」
「じゃあ私は、まず雪野さんを目標にしようかな。でも、ちょっと低かったりして」
「何よ、それ」
二人して笑い、足元にまとわりつく猫達の頭を撫でる。
悩み、疑問。
他の人には理解しずらい。
でも、私には少し説明出来る部分。
かつての自分とも似た、彼女の心境。
自分の強さと、その意味。
でも結局、答えは出ない。
答えがあるかどうかも分からない。
戦って見いだせるのもでもないだろう。
日々の積み重ねでしか。
ひたすらに高見を目指し、挫ける事無く続けるしか。
勿論私は、未だにその欠片すら手に入れてはいないが……。
学校より雑然とした雰囲気。
でももっと華やいで、活気めいた物も感じられる。
大人びた服装、化粧をした女性達、ふと香るコロン。
どちらにしろ人が多く、落ち着いた気分にはなれない。
「で、何か用か」
私は例の抄録を取り出し、机の上へと置いた。
それを、嫌そうな顔で開く屋神さん。
ここは大学のカフェテリア。
放課後、何となく気になってやってきた。
「今さらこんなのを見せられても仕方ない。なあ、おい」
「俺は発言してないから、お前以上に仕方ない」
鼻で笑う三島さん。
昨日軽く目を通したが、彼の言う通り三島さんの発言は数える程しかない。
「大体、もう済んだ事だ」
「学校は、まだ管理案を施行する気みたいですよ」
「それで、お前はどうする気なんだ。塩田と一緒に行動するのか」
「まだ、決めてませんけど」
「おいおい。俺に話を聞きに来たんだろ。だったら、もう決まってるんじゃないのか」
呆れ気味の口調。
屋神さんはコーヒーに口を付け、長い足を組み替えた。
「それにさ」
「はい」
「あれはどうした。髪の長い、綺麗な女は」
何とも楽しそうな顔。
私は愛想良く微笑み、小首を傾げた。
「済みませんね。髪の短くて、綺麗じゃない女で」
「睨むなよ」
「遠野さんは今、大学院の方へ行ってます」
そっとフォローする木之本君。
ショウは実家へ、ケイは露骨に嫌がったので。
木之本君も嫌がったかも知れないが、付いてきてはくれた。
「大学院ね。頭良いんだったな、あいつ」
「彼氏が院生なんです。私達の友達でもあるけど」
「飛び級か。ふーん、嫌な奴だな」
それは同感だ。
ヒカル自身はいい子だけど、サトミと付き合ってる時点でマイナス評価から入ってる。
「何にしろ、俺には関係ない。もっと、他の奴を当たれ」
「他って。学校と揉めたのは、屋神さんが中心だって聞いてますよ」
「それは、仕方なくだ。実際は俺じゃなくて……」
不意に視線を鋭くする屋神さん。
私を通り過ぎていく、剣呑な気配。
「屋神。お前ここで遊んでいていいのか」
「俺が何をしようと勝手だろ」
「この野郎。主将に向かって」
「落ち着け。こいつは部員じゃないから関係ない。なあ、屋神」
横柄な、人を見下した口調。
思わずむっと来て後ろを振り返る。
周囲を圧倒する、ジャージ姿の集団。
体格とその雰囲気、顔付きで。
「女とばかり遊んでても仕方ないだろ。いい加減、入部したらどうだ」
「上下関係は苦手でね。それだったら、サークルでも作った方がましさ」
あくまでも相手にしない屋神さん。
主将らしき一際体型の大きな男は、嫌みな笑顔を見せて屋神さんの後ろに回った。
「そう言うな。多少なりとも、お前には便宜を図るつもりだから。部費についても、それなりに考慮はする」
「部費、ね」
「悪くない話だろ。金があれば、もっと女とも遊べるぞ」
辺りから上がる、耳障りな笑い声。
部費を私的に使い、それを隠そうともしない神経。
我慢するなという方が無理だ。
「……なんだ、こいつ」
「屋神の女じゃないんですか。新しい」
「ガキだろ。こんなの放っておいて、俺達と……」
掴まれる襟首。
浮き上がる巨体。
屋神さんは男を床へ放り投げ、その顔にかかとを向けた。
「俺の後輩に文句でもあるのか。だったら、初めからそう言え」
「貴様っ」
一斉に前へ出るジャージ姿の男達。
私は腰をため、リュックの中に入れてあるスティックへ触れた。
だがその動きを、途中で止める。
目の前に立ちはだかる、山のような巨体。
そこから感じるのは安堵感。
しかし逆の立場から見れば、悪夢のような存在。
「だったら、俺に文句があるという訳か」
低い、唸るような声を出す三島さん。
男達は足を止め、少しずつ後ずさった。
「み、三島。お前、先輩に逆らう気か」
「先輩も後輩もない。強い奴が上に行くんだ」
ジャケットを脱ぎ、太い腕に触れる屋神さん。
三島さんは左足を前に出し、深く腰を落とした。
「こ、この」
いきり立つ男達。
しかし、掛かっては来ない。
二人の実力を分かっていれば、余計に。
「何揉めてるんだ」
男達の間を割って現れる、大きな男性。
朴訥で、人の良さそうな。
「お、お前には関係ない」
「そうか。じゃあ、騒ぐなよ」
「何?」
「騒がれると、俺まで暴れたくなる」
凝縮された濃い気配。
さらに男達は数歩下がり、一人また一人と逃げ始めた。
「お、お前達」
かろうじて踏みとどまった主将が、真っ赤な顔で屋神さん達を指差す。
しかし一睨みされ、その勢いは消えて無くなる。
「屋神君、その辺で」
「へいへい」
「三島君は、後で私の所へ」
「はい」
途端に大人しくなる二人。
彼等が会話をしているのは、ジャージ姿の背の高い男性。
優雅だが、その佇まいは屋神さん達とも共通する。
彼は主将とその取り巻き達を引き連れ、どこかへと去っていった。
「誰なんです、あれ」
「拳法部の主将と、その仲間達さ。俺が入ったら、女が寄ってくると勘違いしやがって」
「最後に出てきた、背の高い人は?」
「三島の先輩で、俺達より一つ上。実質的にSDCをまとめてたのは、あの人だ。たまに怖いけど、今の通りいい先輩さ」
なる程。
あの雰囲気を見る限りは、その話も頷ける。
「こちらの方は」
「はは。そうか、卒業式の時あったくらいだもんな」
楽しげに笑う屋神さん。
三島さんも、やや控えめに。
先程までの、虎を思わせる気迫はどこにない。
「河合だよ、河合」
「はあ」
つつかれる肩。
何かと思ったら、木之本君が恐縮気味に耳元へ顔を寄せてきた。
「雪野さんが卒業式の時、北米から来てもらった。生徒会長の河合さん」
「えっ」
思わず声を上げ、慌てて頭を下げる。
忘れてる所では済まない話だな。
「す、済みません。私、雪野優と申します。草薙高校の2年です」
「丁寧にどうも」
苦笑する河合さん。
良く分からないが、怒ってはないようだ。
「それはともかく。お前達、暴れるな」
「何もしてない。軽くたしなめただけだ」
「馬鹿野郎。高校生じゃないんだから、少しは落ち着いて行動しろ」
「いいんだよ。ああいう馬鹿は、口で言っても分からないんだから」
「それはそうだが」
あっさり丸め込まれる河合さん。
随分人がいいな。
「邪魔ね」
邪険に手を振る、綺麗な女性。
スリットの入ったミニと、胸元の開いたシャツ。
長い髪は頬に掛かり、薄い微笑みがそれを引き立たせる。
「じゃあ、向こうを通れ」
「他の人の気持ちを代弁しただけよ」
「へいへい、怖い女だ」
肩をすくめ、椅子に座る屋神さん。
三島さんと、河合さんも。
それだけで周囲の視界が開け、圧迫感が薄れていく。
体型的にも、精神的にも。
「誰、この子。誰かの妹?」
「違うよ」
「じゃあ、見学に来た中学生とか」
まじまじと人の顔を見てくる女性。
こっちも対抗上、その綺麗な顔を睨む。
「高校生です、私は」
「分かってるわよ、雪野さん」
何だ、それ。
人をからかってるのか。
「北米から名古屋までは遠かったなー」
遠い目をする女性。
明らかに、私を意識した様子で。
かなり、嫌な性格らしい。
「誰、今度は」
「笹島さん。やっぱり、北米から来てもらった」
「ああ」
そういえば、そんな人もいたな。
あの時の気力や感動はすっかり薄れ、おざなりに頭を下げる。
「愛想のない子ね」
「それはどうも」
「雪野さん。済みません、彼女も悪気がある訳ではないので」
私に代わって頭を下げる木之本君。
人のいい子だな。
なんて、客観的に思ってる場合でもないけど。
「凪ちゃんは、来てないの」
「……ああ、中川さん。彼女は、忙しいので」
「予算編成局、だった?栄君も退学しないで、残れば良かったのに」
薄く、寂しげに笑う笹島さん。
戻れない過去を見つめる眼差しで。
「終わった事をがたがた言うな」
「あなたはいいわよ。卒業式に出たんだから。こっちはもう、どれだけ苦労したか」
「北米から戻ってくるのに?」
「向こうの学校生活で」
漏れるため息。
その隣では、河合さんが同感といった具合に苦笑している。
「転校するお前達が馬鹿なんだ」
「残ったあなたが賢いとも、あまり思えないけど」
「いいんだよ。もう、済んだ事なんだから」
自嘲気味に呟く屋神さん。
ただし表情に、あまり元気さはない。
「とにかく、だ。話があるなら、こいつらに聞け」
「はあ」
「こっちはこっちで忙しくてな。河合、後を頼むぞ」
「ああ」
ジャケットを翻し去っていく屋神さん。
三島さんも軽く一礼して、その後に続く。
私は二人の背中を見送り、前へと向き直った。
「あの」
「ここでは何だから、場所を変えましょ」
「何だ、場所って」
「いいから」
そう広くはない部屋。
ただ、何となく見慣れた感じはある。
本棚。
机には書類にDD、卓上端末。
「ここは」
「仕事部屋」
「何の」
「総務の」
机の上にはプレートがあり、総務という文字が見える。
でも、総務って。
「1年の代表って訳ですか」
「その通り。この人、人望だけはあるから」
「悪かったな。それだけで」
「でも狭いですし、それ程仕事があるようには見えませんけど」
書類の量は少なく、DDも数枚ある程度。
どこからか連絡がある様子はないし、時間に追われてるという訳でもなさそうだ。
「大学なんて個人が勝手にやる場所だから、やる事なんて無いのよ。せいぜい掲示板に連絡物を貼るとか、イベントの後片付けくらいで」
「雑用ですね、まるで」
「まるで、じゃなくてそのままさ。ただ、気楽でいいけどな」
負け惜しみではなく、心底からという感じの口調。
河合さんは机の上にあった書類を適当にめくり、ケースへ入れた。
ゴミではないが、この後読む必要もないらしい。
「笹島さんは?」
「私は、女子の総務」
「部屋は」
「ここよ。男女兼用。仕方ないから、個人的に使わせてもらってる」
彼女が言うように、室内の荷物は私物の方が多いくらい。
何に使うのか、スーツまである。
「それで、管理案だったわね」
「え、ええ」
「私達は、確かにそれを説明出来るわ」
「何せ、導入しようとした側だからな」
鼻で笑う河合さん。
開かれる抄録。
委員会で行われた議論の経緯を見れば、その事は理解出来る。
「言い訳になるけど、話として聞いてる今の管理案とはちょっと違うの。学校の雰囲気も」
「俺達の頃は、もっと学校の権限が大きくて生徒がそれに従う面も多かった。そこにもう少し生徒の権限を増やして、代わりに義務や報酬を付与するって考えさ。俺達の言う、管理案は」
「私はそれがベストだと思ったし、今でも間違ってない自信がある。とはいえ、結果としては大惨敗だけど」
「いいさ。それで学校が、上手く行ってるなら」
仕方なさそうに肩をすくめる河合さん。
笹島さんは書類の束を封筒に入れ、別なケースへ放り込んだ。
「なんて言うのかな。やっぱり、生徒だけで学校を運営するのは大変だと思うのよね。実際今でも、授業へ出ずに色々と仕事をしてる訳でしょ」
「ええ、まあ」
「それも地元の生徒だけではなく、全国から集まってきた優秀な生徒を使って。勿論彼等が草薙高校に来たのは自分の意思だけど、本当は勉強するために来たのよね」
淡々と語る笹島さん。
重く、身につまされる話を。
「あなた達は」
「私は、すぐそこに住んでます。彼も、岐阜ですから」
「だったら、頑張って苦労するのね。ここへ生まれた事を呪って」
「別に、私はそんな辛くないですよ。これが普通だと思ってるから」
笹島さんはくすっと笑い、机の上に指を滑らせた。
「私なら、ごねてごねまくるわよ。どうして、ここまでやらせるんだって」
「ああ、それは今も思ってます」
「どっちなの」
「さあ」
その辺りは、自分でもよく分からない。
私達が高校へ入学した時から、今の状態になっていた。
だから、誰にも文句は言いようがない。
とはいえ、不満がない訳でもない。
彼女の言うように、雑用まがいな事をし続ければ特に。
他の人と同じ比率ならともかく、私にはその比重がより掛かっている気もする。
「河合さんも、同意見ですか」
「ん、まあな。俺も、生徒が何でもかんでもやるのは無理があると思う。出来る奴なら問題ないが、人間得手不得手がある。でも、仕事は要求される。面白くはないだろ」
「ええ、まあ」
「杉下とか屋神は逆で、やれないならやれるように努力しろって考え方だ。当然フォローをするという前提で。ただ人間っていうのは結構複雑で、手助けされると反発する奴もいる。難しいんだよ」
苦笑する河合さん。
朴訥とした外見からは想像も出来ない、細やかな気遣い。
伊達に、生徒会長をやっていた訳ではないようだ。
「だからその辺に不満を持ってる人間を、今の学校はつついてるんだろう。そういう面倒ごとは学校に任せて、勉強に専念したい奴とか。学校はそれに報酬を出すようだし、なびく奴も出てくるさ」
「そうでしょうか」
「雪野さんの考え方を否定する気はない。そういう、自主性を持った人間がいるのは事実だから。ただ、人の言う通りに動けばいいって考えてる奴も結構多い」
簡単に否定は出来ない話。
また実際、人の言う通り動いていれば楽は楽だ。
自分で考えず、従うだけなんだから。
それに、そういった行動が一概に悪いとは言えない。
だからこそ、私も色々考える訳だが。
「ただ屋神じゃないが、俺達はもう関係ない。過去の経緯はともかく、卒業しちゃってるんだから」
「え、ええ」
「大体自分だって2年なんだから、もうすぐ卒業だろ。学校がその管理案を施行する前に、卒業するんじゃないのか」
「え、ええ」
相づちを繰り返し、床を見つめる。
分かっていた事を、再認識する結果。
しかも、自分の心が定まらないままの。
何のためにここへ来たのか。
勝手に、都合のいい答えでも期待していたのだろうか。
誰もかもが幸せになれる、理想でも。
「あのさ」
「はい」
「そういう顔をされると困るんだけど」
困惑気味の河合さん。
その隣では、笹島さんがおかしそうに笑っている。
「顔が丸いって事ですか」
「そうじゃない。えーとなんだ」
「憂いを帯びた美少女みたいって言いたいの」
「誰が」
向けられる指。
誰と言って、私に。
「私が?どうして」
「あなた、鏡見た事無いの」
「あるけど。別に、これといって。丸っこく見える顔くらいしか」
「あ、そう。とにかく、自分で思ってるよりは可愛いわよ。私には負けるけど」
何だ、それ。
結局、それが言いたいだけじゃなかったのか。
「悟君が悪いのよ。突き放すから」
「突き放すって。俺はもう、大学生だぞ。今さら、高校の揉め事に口を挟む立場じゃないだろ」
「そうだとしても、言い方があるでしょう。もう、馬鹿」
蹴りを放つ笹島さん。
かなりいい加減で、放った自分がふらつくような。
「い、痛っ」
「自分で蹴って、何言ってるんだ」
「うるさいわね。うわー」
叫び出した。
訳の分からない人だな。
綺麗なだけに、面白いけど。
「獣でもいるのか」
「……大君。何か、用」
「副総務として、一応顔を出そうと思って」
「探してた女の子がいなかったから、戻ってきただけでしょ」
指を鳴らす屋神さん。
楽しそうではあるが、何をやってるんだか。
「あれ。あの髪の長い女がもしかしていないかなと思って」
「大学院へ行きました?遠野さんは、そこへいる事が多いですよ」
「学部は」
「心理です」
わざわざ説明する木之本君。
飢えた虎に、肉の在処を教えたような気もするが。
「お前、人がいいな。勝手にそんな事喋っていいのか」
「どこにいるかくらいは、別に問題ないかと思います。屋神さんが、遠野さんに何かするとも思えませんし」
人のいい、相手への信頼を込めた笑顔。
屋神さんは鼻を鳴らし、彼を指差した。
「人に下駄を預けるような事言いやがって。で、いるのか」
「呼んでみましょうか。いいよね、雪野さん」
「うん」
別に断る理由もないので、彼に任せる。
しかしサトミファンは、どこにでもいるな。
勿論、私がその筆頭だけど。
開くドア。
入ってきたのは、セミロングの女性。
穏やかな微笑みを湛えた。
「何か、用事でも?」
「屋神さんが、遠野さん会いたいって」
「あら、ごめんなさい。髪の長くなくて、綺麗じゃないのが来てしまって」
私以上に嫌みな口調。
屋神さんは腰を引き、愛想笑いを浮かべた。
「怖いな、お前。元野、だったっけ」
「はい。卒業式以来ですけど、よく覚えてますね」
「女の顔は忘れない性質なんだ」
誇らしげに語る屋神さん。
そういう物でも無いと思うが。
「お前は」
「こんにちは」
「どこかで見た事あるな。……でも、あれ」
訝しげな顔。
人の良さそうな笑顔を見ての。
「浦田光と申します。多分、皆さんがお会いになったのは僕と弟だと思います」
「ああ。一卵性か、お前達」
「さあ。その頃の記憶はないので」
相当にふざけた答え。
馬鹿にし過ぎとも言える。
「浦田君。済みません。彼も、悪気はないんです」
私の時と同じようにフォローする木之本君。
この人も、心労が絶えないな。
じゃあ、迷惑を掛けるなって話だけど。
「大学院生だろ。先輩だな言ってみれば」
「いえ。僕は全然。大学院に籍があるというだけで」
あくまでも低姿勢で応じるヒカル。
でも、ケイみたいな嫌みはない。
冗談っぽくはあるが。
「まあ、いい。で、話は聞いたか」
「え、ええ」
曖昧に答え、一瞬河合さんと視線を交わす。
多少の引っかかりを残して。
「いいんだよ、細かい事は考えないで。学校の言う通りにやって、甘い汁を吸ってれば」
「はい?」
「馬鹿だな、お前。3年だぞ、3年。お前達なんか、もう1年半。適当にやって、さっさと卒業すればいいんだって。それとも、誰かに義理でもあるのか」
鼻で笑う屋神さん。
義理、か。
「誰か知り合いが退学になったとか。学校にひどい目に遭わされてるとか」
「いえ。別に」
「じゃあ、決まりだ。学校の言う通りに動いて、気楽にやってろ。それが必ずしも悪いって訳じゃないんだし」
確かにそうだ。
単純な善悪という問題ではない。
考え方の違いという面でもある。
どちらの手法を信じるかという。
ただ、その手法をどういった人間がとっているかという面もあるが。
「一つ質問なんですけど」
「何だ」
「もし今、高校に通っていたらどうするんですか」
少しの沈黙。
髪をかき上げ、顎をやや逸らす屋神さん。
「学校とやり合うに決まってるだろ」
力強い一言。
他の先輩達も、同じような顔で頷いている。
自信と誇りを込めて。
苦悩、敗北、屈辱。
それを味わっても、なお。
彼等は後悔していない。
自分達のやって来た事を。
私の先輩は。
「なんていうのかな。仲間だよ、仲間」
大ジョッキを振り回す河合さん。
同じ言葉を何度も繰り返しながら。
「この酔っぱらいが。大体こいつの仲間なんて、変な奴ばっかだぜ」
「変って」
「ケンカ好きの馬鹿二人。後は、怖い女達。目の前にいるこいつとか」
「失礼ね。みんないい子なのよ。北地区最高っ」
1人おだを上げる笹島さん。
この人こそ酔ってるな。
「三島君。君は、飲んでるのかね」
「飲んでる」
「ちっ。ウーロン茶だってよ。日和やがって」
別に、怒られる事でも無いと思うけど。
ちなみに屋神さんは、日本酒を手酌でちびちびと飲んでいる。
いかの塩辛を、時折つまみながら。
おじさんだね、まるで。
「お前、飲まないのか」
「お腹一杯だから」
「居酒屋で、飯を頼むな」
いいじゃないよ、好きなんだから。
丁度おかずになるメニューばかりだし。
「木之本君は、飲まないの?」
「車で来てるからね」
彼らしい答え。
本当、こういう性格の子で良かった。
「ちょっと」
「いいじゃない。度数は低いんだから」
ワインをボトルで頼むモトちゃん。
少しは控えろ。
「あなた、すごいわね」
「いえ。たしなむ程度ですから」
「ふーん。でも、血じゃないそれ」
グラスに注がれた赤ワイン。
少し濃く見える。
上の方が、固まっているようにも。
「笹島さん」
「冗談よ、冗談」
どこかで聞こえる、手を叩く音。
グラスの中身はもちろん赤ワインで、それはボトルから注いだ時から間違いない。
だったら、どうして血のように見えたのか。
そこまで酔ってる訳でもないのに。
「飲まないのなら、私がもらうわ」
持っていかれるグラス。
モトちゃんはようやく呆然とした状態から立ち直り、細い目をさらに細めた。
「暗示、ですか」
「さあ、どうかな」
「人を信じ過ぎる事がある」
「は、はい」
少し蒸せ返す笹島さん。
図星だったらしい。
「な、何よ。あなた、人の心を読むの」
「操るよりはましです」
「あ、あのね」
何をやってるんだか。
楽しいからいいけどね。
「どうしたの」
「え。ああ、お土産に持って帰ろうと思って」
「サトミに?」
「いや。チュルに」
誰だ、それ。
外国からの留学生か。
「どこの人」
「ここだよ。名古屋生まれの、名古屋育ち」
「誰」
「ネズミだよ、ネズミ。この前飼う事になった」
ああ、あのネズミか。
そういえば、ヒカルの部屋にカゴがあったっけ。
「ひまわりの種でいいんじゃないの。お腹壊すよ」
「そういう意見もあるね」
頷きながら、湯豆腐をテイクアウト用の容器に詰めるヒカル。
ネズミに豆腐、か。
なんか、ことわざみたいだな。
「ヒカルはどう思う?もし高校に通ってたら」
「ああ、さっきの話。どうかな、僕はその管理案がどういうのかよく知らないから。屋神さんが言うように、学校と折り合いを付けるのもそう悪くはないと思うよ。自分達が、混乱の元になっても仕方ないし」
正論。
いや、大人の意見だろうか。
年は私と同じ。
でも、一足早く大学院に進んでいる彼としての。
「そう言われると、自信が無くなってくる。何が好いのか、悪いのか」
何となく漏れる愚痴。
雪野優として。
元リーダーへの。
「駄目だね、私は。何も考えられないし、どうしていいかも分からなくて」
「悩むってだけで十分だよ。それだけ、色んな事を考えてるって事だから」
優しく、彼らしい意見。
私は苦笑して、赤ワインのグラスに口を付けた。
「僕や珪なんて、悩みもしないから」
「あなた達は頭良いし、自分の意見を持ってるから」
「それが正しいかどうかも分からないよ。僕が大学へ進んだ事、サトミがまだ高校にいる事。珪が目立たないようにして、自分の能力を発揮しようとしない事も」
「うん」
「これを言うと終わりなんだけど。何が正しいっていう答えも無いんだよね」
小さな呟き。
遠くで聞こえる。
少し薄れる意識。
ぼやけて見えるテーブルの上。
その中で思う事は幾つもある。
明日になれば思い出す事もない。
そう考えた事すら忘れてしまいそうな。
一瞬の想いが、浮かんでは消えていく。