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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第20話
218/596

20-8






     20-8




 日だまりの縁側。 

 お茶とお菓子。 

 生け垣越しに見えるのは、穂を垂れる青い稲。

 空を白い雲が、ゆったりと流れていく。

「聡美ちゃんは?」

「お兄さんへ会いに行ってます」

「仲が良いわね」

 にこやかに微笑む、モトちゃんのお母さん。

 ここは、モトちゃんの実家。

 相変わらずの田園風景で、来るたびに心が和む。 

 都心からそれ程距離もなく、気を抜くにはいい所。

 私としては、もう少しごみごみした所に住みたいが。

「私は単なる教員だから、本当はお父さんの方が詳しいんだけど」

 何だ、それ。

 天崎さんも、結構適当だな。

 というか、あの時点で私が気付くべきだったのか。

「でも古い本とかプリントを、お母さんため込んでるじゃない。それはもう、捨てたの?」

「勿論、まだ全部取ってある」

 娘へ注がれる視線。

 ため息混じりに立ち上がるモトちゃん。

「分かりました。取ってきます」

「悪いわね」

「だったら見ないでよね」

 家の奥へ入っていくモトちゃんを見送り、おばさんへと向き直る。

 少し、遠い眼差しの彼女を。


「私が初めに務めていた頃は、まだ私立で草薙高校になる前の話。それから戦争があって、公立との統廃合が進んで今の学校になったの」

「私立が、公立を吸収したんですか?」

「卒業生に政治家や官僚がいて、教育庁に働きかけたの。全国的にもモデルケースとなる学校を作ろうって。そこに他の企業や中部庁も加わって、草薙グループに依頼が来たのよ」

 なる程、勝手に作った訳でもないのか。 

 冷静に考えれば、当たり前の話だけど。

「当然生徒を奪われる形になる、他の私立や統廃合に反対した公立高校もあった。その辺で多少揉めはしたんだけれど、結果的には成功した訳」

「今でも、私立の高校は残ってますよね」

「勿論、潰した訳じゃないの。ただし残れたのは、女子校や工業高校のような需要のある所が殆ど。普通の私立は、結果として無くなっていったのよ」

 湯飲みを膝の上に置き、それを両手で包み込むおばさん。

 その視線は、未だ遠いどこかを見つめている。

「丁度その頃、お父さんが教務管理官の研修生として学校へ赴任してきたの。教師の研修にね」

「知り合ったのも、その時なんですか」

「ええ。私は単なる理科の教師で、向こうは政府の高級官僚。色々あったんだけど、結局結婚して智美も生まれて。今に至る訳」

 訥々と語られる内容。

 ただし学校の事ではなく、天崎家の歴史だが。

「統廃合や草薙高校が創立する時には、お父さんもちょっと……」

「持って参りました」

 途切れる会話。

 モトちゃんは段ボールを縁側に置き、大袈裟に肩と腰を叩き出した。

 おばあちゃんじゃないんだからさ。


 本や書類といっても、この間郷土研究会でもらった物とはまた違う。

 教科書、学校での配布物、連絡用のプリント。

 行事予定表まである。

「こんなの、取っておいても仕方ないでしょ」

「今、こうして優ちゃんの役に立ってる」

 最もな意見。 

 だと思う。

「今と、教えてる事は少し違うんですね」

「昔は、どちらかというと記憶中心の教育方針だったの。とにかく暗記して、それをテストに出すっていう形」

 良かった、今に生まれて。

 それはそれで、また苦労してるけど。

「大体、学校の歴史を調べてどうするの」

「どうもしない」

「あ、そう」 

 人を見捨てて、古いアルバムに見入るモトちゃん。

 何やら面白いものを発見したらしく、くすくすと笑っている。

「これ、お母さん?」

「そうよ」

 教師の集合写真。

 その、後列の辺り。

 紺のスーツを着た、清楚な感じの女性。

 名前は確かに、元野となっている。

「お父さんは?」

「あの人は単なる研修だから。……ちょっと待って、確かスナップ写真には」

 めくられるページ。

 現れる、スナップ写真の箇所。

 遠足、学園祭、体育大会。

 クラブ活動。

 それらに混じって、授業や日常の一コマも混じっている。

「いたいた」

「どれ」

「この人」

 生徒と先生らしき人達の、正門前での写真。

 一人はモトちゃんのお母さんだと、さっきの写真から類推出来る。

「怖い顔をしてるのが?」

「昔は、結構強面だったのよ」

 どこかで聞いた話だな。

 モトちゃんは私の視線から何を感じたのか、ぷいと顔を反らして写真に集中した。

 その内、おばさんに告げ口してやろう。

 でも、もう親に紹介してたりして。

「こっちの人は?」

「鈴木さん。ほら、あなた達の学校の理事」

「ああ」

 大人しそうな、品のいい女性。

 そう言われてみれば、今のあの人に面影がある。

 彼等の中央。

 制服姿の、綺麗な女の子がはにかみ気味に映っている。

「この女の子は?」

「高嶋瞳さん」

 どこかで聞いた名前だな。

 それも、あまり身近ではないところで。

「理事長?」

 私とは違い、すぐに反応するモトちゃん。

 おばさんはこくりと頷き、ページをめくって生徒の集合写真を指差した。

 全体の部分ではなく、右の上辺り。

 小さな枠になっている、理事長の顔を。

「この頃は彼女はアメリカ、じゃなくて北米に留学してたの。一応学校に籍はあったんだけど、卒業も向こうでしたのよね。でもそれではと思って、留学前の写真を載せてもらった訳」

「でもその時って」

「ええ。日本と北米は戦争中。親がよく行かせたというか、本人がよく行ったというか」 感慨深げにため息を漏らすおばさん。

 そこでようやく、理事長の事を少し理解出来た気がする。

 一人で、戦争をしている相手の国へ留学する事の意味。

 決断だけではどうしようもなく。

 向こうでやっていけるだけの自信と能力が備わっていなければ、意味がない。

「どうして、北米に行ったんですか」

「家族の意思と、本人の意向。としか、私には言えない」

 曖昧な言い方。

 ただ、言えないという以上聞く訳にはいかない。

 私には、その権利もない。 



 沈み込むようなソファー。

 光沢を持った、厚みのある木製のテーブル。 

 ティーカップからは湯気が立ち上り、添えられたシナモンの枝が白い皿に映えている。

「忙しいんじゃなくて?」

「恩師に、嫌な顔をする訳にも行きませんから」

「強制したみたいで、却って恐縮するわ」

 くすっと笑うおばさん。

 理事長もおかしそうに微笑み、ティーカップを口元へと運んだ。

「どうしたの」

「いえ。外国へ出張してるって聞いたので」

「今日戻ってきたの」

 すぐに帰ってくる答え。

 私は彼女の秘書ではないので、スケジュールは把握してない。

 当然、それが本当かどうかは分からない。

 また、嘘であっても関係ない。

「留学した理由、か。単純にいえば、自分を試したかったの。親の庇護の元ではなくて、私という存在がどこまで通用するかを」

「でも、戦争してた相手なんですよね」

「だからこそよ。厳しい環境にあった方が人は成長するし、そこで認めれれば言う事無いでしょ」

 同意を求めるというよりは、あくまでも自分の意見を述べたという感じ。

 私にはそこまでの覚悟はないので、強い共感は生まれない。

 敬意は当然抱くが。

「ただ留学を決めた時は、そこまで考えてた訳じゃない。家族への反発で、半ば家出気味に飛び出したようなものね」

「家出」

 どこかで聞いた話だな。

 理由も、そう大差ない気がする。 

 お互いの感情や、具体的な経緯までは知らないが。

「私の留学が、どうかしたんですか」

「いえ。優ちゃん……。雪野さんが、学校の歴史について調べてる物だから。その時に、高嶋さんの名前が出たの」

「また、マニアックな趣味ね」

 笑う理事長。

 彼女じゃなくても笑うだろう。

「それで、少しは何か分かった?」

「調べれば調べる程、分からないです。どうしてここまで大きくなったのかとか。自由なのかとか」

「自由な校風は、元々よ。ただ、私が通ってた時はもっと厳しかったかな。制服を着るように、かなり厳しく言われてたし」

「制服」

 ふと思い出す出来事。 

 あまり楽しくはない、ただここで言うべきか迷う内容。

「何か言いたそうね」

 口には出さなくても、顔に出たらしい。

 いつもの事とも言える。

「今でも、制服を着ろと学校があれこれやってます」 

 遠慮という言葉とは無縁なので、そのまま伝える。 

 しかし理事長はわずかにも動揺せず、小さく頷いた。

「理事達が、そういう事をやってるみたいね。ただ私は関与してないし、それはどうでもいいわ。あなた達が、勉強させしてくれたら」

「制服を着なくても、勉強は出来ます」

「もっともな意見ね、それは」

「大体強制的に着させようとか。見返りをちらつかせて、強引に着させるのはどうなんですか。それでむしろ学校に不信感が生まれて、やる気が削がれます」

 言い過ぎかとも思ったが、言った物は仕方ない。

 後悔は後ですればいいだけの事だ。

「言いにくい事を、平気で言うわね」

「ですけど」

「分かった。一度、担当者の意見も聞いてみるから。……教務担当理事を呼んで頂戴」


 部屋に入ってきたのは、スーツ姿の年配の男性。

 見覚えのある。

 いや。忘れるはずもない顔。

 絵を捨てた、あの理事だ。

「理事長、何かご用件でも」

「制服を生徒に強要していると、一部生徒から学校に対してクレームが来てます」

 ぼかした形で告げる理事長。

 理事は「ああ」と呟き、大きな机の上にある卓上端末を手で示した。

「その件に関しては、理由と経緯について報告書を提出していますが」

「生徒の、衣服に関する負担の軽減でしたね」

「ええ。どうしても中高生は、服装が華美になりがちです。その点制服を義務化すれば、余計な気を使わないで済むし金銭的な負担もなくなります」

「でも、クレームは来てる」 

 先程までとは違う、やや強硬な態度。

 しかし理事は、わずかにも動じず私へと視線を向けた。

 やや、見下し気味に。

「一人一人の意見を聞いていても、仕方ありません。あくまでも全体の総意を掴んでいかないと」

「生徒の総意として、制服着用の機運が高まってるとでも?」

「そこまでは言いませんが」

「前みたいな事になったら、今度はどうするつもり」

 微かに眉間へしわを寄せる理事。 

 前というのは、間違いなく屋神さん達の事だろう。

「そうならないよう、私の方でも対応しています。理事長は何ら憂慮する事無く、学校の経営にご専念下さい」

「そう出来ればいいんだけれど」

「多少生徒に誤解はあるようですが、数年後には全ての問題は解決しています」

 つまり、私達が卒業した後。

 私達の事も。

 まして、屋神さん達のやってきた事も知らない人達。

 それなら、これといった問題もなく学校の指示を受け入れるだろう。

「でも、花火が上がったと聞いてる。理事達が、月見をしてる席で」

「いつの時代にも、権力に楯突こうとする人間はいます。別段、気にする程の事でもありません。十分に、対処出来ます」

「根拠でもある?」

「草薙グループの代表から、一任を取り付けていますので」

 余裕の笑み。

 微かな、横柄さの感じられる。

「お祖父様の。でも、それがどうかしたの」

「どうかとは」

 一瞬見える怜悧な表情。

 理事長は構わず、彼を視線だけで見上げた。

「学校経営に関しては、私に一任されている。理事長という役職として、制度的にも」

「それは承知しています」

「仮にお祖父様がこの学校の創設者だとしても、余計な口は一切挟めないはずよ。そうじゃなくて」

「無論、その通りです」

 苦しげに。

 内心の怒りを抑えるように返す理事。 

「代表が何を仰ったのか私は知らないし、それに従う気もない。この学校を運営し、責任を担ってるのは私なんだから」

「はい」

「ちょっと待って。一度、代表と話してみるから」 

 端末を取り出し、耳元の髪をかき上げる理事長。

 その顔に厳しさが宿り、瞳に力がこもっていく。

「……草薙高校理事長、高嶋です。……いえ、瞳で結構です。……早速ですが、用件だけお伝えします。私が監督する学校については、全て私に一任されているんですよね。……はい。……でしたら結構です。……いえ、それには及びません。……はい、失礼致します」

 しまわれる端末。

 小さく漏れるため息。

 理事長はもう一度視線を上げ、理事を見上げた。

「という訳で、あなたが何をしようと構わないけど。自分の権限を逸脱するような真似をしないよう、お願いします」

「承りました」

 慇懃に頭を下げる理事。

 すでに内心の怒りは、かなりそこまで込み上げているように見える。

「ごめんなさい。余計な手間を取らせてしまって。仕事に戻って結構です」

「はい、失礼します」

 ドアへ歩きかけ、理事は何かを思いついたようにこちらを振り向いた。

「理事長自ら、生徒達の問題に関わりはしませんよね」

「勿論。生徒の管理は職員と、あなた達の仕事なんだから」

「済みませんでした。余計な事を」

 言質は取ったという顔。

 しかし理事長は平然と、その顔を見つめている。

 彼女にとって、それはどうでもいい事なのかも知れない。 

 今までの、発言を聞いていると余計にそう思う。

「生徒は勉強だけをしていれば、それでいいんでしたよね」

「私は、そう思ってる」

 前の部分を強調する理事長。 

 その視線は理事から、今は隣へと向けられている。

 モトちゃんのお母さんへと。

「こちらの方は」

「娘を通わせている者です」

 理事長の恩師とは言わないおばさん。 

 夫が、教務管理官とも。

「見学にみえられたから、私がご案内しているの」

「理事長自ら、ですか」

「家庭との連携も学校運営には重要だから。色々、参考になる意見を伺ったわ」

 あった事のように話す理事長。

 しかり理事はそれ程関心の無い顔で、適当に頷いた。

「そうですか。何にしろ、当校に通って頂ければ何の問題もありません。大学へはほぼストレートで進学出来ますし、その後の就職率も100%近いですから」

 パンフレットの宣伝文句のような台詞。

 おそらくあちこちで、同じような事を言ってるんだろう。

 また、父兄から求められているはずだ。

「ご安心して、お子さんを通わせて下さい」

「今仰っていた、制服がどうという話は大丈夫なんでしょうか」

「ご心配なく。先程申したように、反抗的な生徒は必ずいます。思春期なので、そういう傾向がより顕著に出るのでしょう」

 何も問題ないという顔。

 おばさんも柔和な顔をほころばせ、軽く会釈した。

「生徒の自治、という点には抵触しないのでしょうか」

「はい?」

「いえ。子供が、よくその言葉を口にするので」

 虫も殺さない笑顔。

 一方の理事は、苦い顔をして彼女を見つめた。

「そういう建前があるのは事実です。が、実際に学校を運営しているのは教職員ですから」

「学校がするのは、掃除と食事。後は、教育だけだと聞いてますが」

「一番大切なのはその、教育です。それ以外は、些事に過ぎませんよ。まずは勉学に励み、よりよい企業へ務める。親御さんは、大抵そういった事を望んでます」

「でしょうね」

 否定しないおばさん。

 威圧感のある笑みのままで。

「済みません。お忙しいのに、余計なお手間を取ってしまって」

「いえ。貴重なご意見をお聞かせ願い、大変参考になりました。……差し支えなければ、お子さんのお名前を」

 舌なめずりするヘビを思わせる口調。

 名前を聞いてどうするのかは、私にだって理解出来る。

「理事がお気にかける程の者でもありません。そのような些事よりも、お仕事にお戻りになられた方がよろしいのでは」

 柔らかな口調。 

 しかし、かなりの皮肉。

 理事はぎこちなく微笑み、ようやく部屋を後にした。

「元野先生」

「たまには、あのくらいはね」

「知りませんよ。娘さんに、何かされても」

「何かされた方が、あの子には丁度いいくらいなの」

 物騒な発言。

 ただそれは、私に対しても向けれていると考えていいだろう。



 理事が忙しいなら、理事長はもっと忙しい。

 という訳で、私達も執務室を後にする。

「随分、様変わりしたのね」

 ゆっくりとしたペースで歩いていくおばさん。

 建物を見上げ、緑に目を細め、時には足を止めて。

「そんなに違います?」

「言ってしまえば、この下は堀川だったの。つまり、運河の上に立ってる訳」

「ああ、なる程」

 なんとなく、地面を踏みしめる。

 当然、帰ってくるのは土の感触だけ。

 目の前にあるのも、通路の脇に植えられている木々ばかり。

 魚なんて、跳ねてない。

「こういう管理は、今誰が?」

「園芸屋さんが来たり、園芸クラブがやったり。私も、たまに駆り出されて水まきくらいは」

「本当にこの学校を運営してるのは、誰かって話ね」

「私じゃないのは確かですよ」

 ははと笑い、緑の葉に触れる。

 おばさんは何か言いたげに私を見つめ、くすっと微笑んだ。

「どうかしました」

「何でもないわ。さてと、そろそろ戻ろうかしら」


 駐車場へ向かう。

 向かっている。

 少なくとも、そのつもりだ。

「優ちゃん」

「随分、様変わりしたから」

「誰か……。今日は、休みだったか」

 うーんと声を出すおばさん。

 止めてよね。

「大丈夫」

「何が」

 真顔で尋ねられた。

 本当、何がだろうね。

「サトミ、今どこ。大学院。あ、そう。……私は学校。……学校のどこか」

 すぐに通話を切る。

「モトちゃん。……まだ家にいるの?……私は、まだ学校にいる。……学校の、どこか」

 これも、すぐに切る。

「えーと。ショウは稽古中で。……沙紀ちゃん。……高山だ?……別に悪くないけどさ。……いいよ、もう知らない」

 きりがないな。

「神代さん?……ああ、渡瀬さん。……いや、こっちの事。……うん、またね」

 学校にいる人なんていない。

 休みだしね。

「木之本君。……実家?どうして。……いや、理由はないけどさ。……鮎お願い」

 何よ、みんなして。

「浦田君は?」

「そんな人もいましたね。……ケイ。……寮?不毛な人生を送ってるわね。……いいから、学校に来て。……どこって、ここ」 

 埒が開きそうにないので、おばさんに代わる。

「……ええ。北を向いて右手に、淡いクリーム色の建物。左手に、小さな茶色の建物が二つ。緑に囲まれた細い道で、左右に花壇があるわ」

 周りの風景を説明していくおばさん。

 それで何がどうなるのかと思ったら、とことこと歩き出した。

 置いて行かれる訳にはいかないので、すぐに付いていく。



 広いスペース。

 そこに停まる、何台もの車。

 私達が乗ってきたワゴンも停まっている。

「ありがとう。助かったわ」

 勿論私にではなく、ケイにお礼を言うおばさん。

 何だかな。

「優ちゃんはどうする」

「歩いてきます。寮は、すぐそこですから」

「そう。今日はありがとう。私も楽しかったわ」 

 車に乗り込み、クラクションと共に去っていくおばさん。

 それを見送り、駐車場の真ん中で立ち止まる。 

 ここからどう行けば寮なのかと思いながら……。


「うるさいな」

 ぎっとケイを睨み、女子寮の前に立つ。

 簡単な事だ。

 駐車場はどこに通じているか。

 道路に通じている。

 つまり、ここを歩いていけば道路に辿り着く。

 当然、寮へも。

「少しは色々考えてくれると、俺も助かるね」

「分かってるって言ってるでしょ」

 がたがたうるさいので、ポケットに手を入れて何か探す。

 さっき、理事長室でもらったガムが出てきた。

 これをくれる方もくれる方だけど、もらう方ももらう方だな。

「上げる」

「また、こんなのでごまかして」

「いらないならいいよ」

「いるよ」

 何だ、それは。

 知り合いの女の子に挨拶を返しつつ、ラウンジへと向かう。

 ケイと部屋に二人きりになっても仕方ないので。

 向こうも、同じ事を言いそうだけど。


「休みだっていうのに、暇そうだなみんな」

「自分だって、寮にいたんでしょ」

「いましたよ」

 含みのある言い方。

 別に彼へ何かを押し付けた記憶はない。

 この数日は。

「だったら、何」

「ふらふらと出歩く金がない」

「バイトしたら」

「学校が斡旋してくれなくてさ」

 鼻で笑うケイ。

 こういう形で、多少の影響はある訳か。

「この前はケイが斡旋してくれたから、今度は私が斡旋しようか」

 警戒気味の顔。

 少しは、人を信じなさいっていうの。

「変な事じゃないって。お金はそんなにもらえないけど、信頼の出来る場所だから」

「ショウの実家とか?」

「あそこでもいいけど、現物支給になると思うよ」

 お肉をもらえるのは嬉しいが、それで彼の欲しいマンガと交換はしてもらえないだろう。

 私はお金をもらっても、結局食べ物に化けそうなので一緒だけどね。

「明日の朝、私の家に来て」

「大丈夫か」

 人を目の前にして言うな。

「いいの。それより、ご飯どうする」

「たまには、食べ物から離れたら」

「私にとっては、それ以外に考える事がないの」

「言い切るなよ」

 ため息を付くケイ。

 何も、そこまでしなくてもいいだろうに。

「大体、ご飯って今何時」

「夕方より、少し前くらいでしょ」

「モトのお母さんは」

「もう帰った」

「で、あの人は何しに来たんだよ」

 簡潔に説明して、お茶をすする。

 そろそろ、麦茶も終わりかな。


「ふーん。理事長ね」

「おばさんが、理事に噛みついてた」

「大人しそうな人なのに」

「冷静に噛みついてた」

 私なら、大爆発してる所だ。 

 とはいえ、迫力としては向こうの方が数段上の気もする。

「ユウは」

「私は何も。あくまでもしとやかにしてた」

「ならいい。さすがに、面と向かってだと問題があり過ぎる」

「花火はいいの?」

 笑うだけで答えないケイ。

 自分が一番、問題あるんじゃない。

「それに、理事長とあの理事ってあんまり仲良くないみたい」

「だからって、理事長が俺達をバックアップしてくれる訳でもない」

「そうだけどさ」

「関係ないよ。俺達に、理事も理事長も」

 彼の言う通り、立場も権限も何もかも違う。

 むしろ、共通する部分を探す方が難しいだろう。

「で、何か分かった?学校の事」

「特に、これといって。色々聞いたけど、ピンと来ない」

「だと思った。というか、分かりようがないって」

 馬鹿にするのではなく、慰めるに似た口調。 

 彼が分からないのなら、私にも分かる訳がない。

「大体、知ってどうするの」

「それを聞かれると困るんだけどさ」

「モトのお母さんや理事長はともかくとして。もっと、他の人に聞いたら」

「誰」

 私の知り合いに、学校に詳しい人なんていない。

 サトミは私より色々知ってるだろうが、私が知りたい事を知ってるかどうかは別だ。

 それ以前に、私が何を知りたいのかが自分でも分からないけど。

「いいよ。その事はゆっくりと考えるから。それより、明日の朝ちゃんと来てよ」

「昼飯は」 

 物悲しい事を言ってくるな。

 私でも、真っ先に聞くけどね。



 床に倒れるケイ。

 別に、殴られた訳じゃない。

 疲労が限界に達したようだ。

「きりきり働いてよ」

「あのさ」

「ショウ達を見習って」 

 マットを剥がし、力強く引っ張っていくショウと御剣君。

 一つ100kgはあるマットを、一人で一つずつ。

「俺を、ああいうのと一緒にするな」

「お金は払うんだから、ほら」

「もっと、軽いのにしてくれ」

「軽いのね。じゃあ、これは」

 床に転がったサンドバッグ。

 取りあえず腕を回し、腰に力を入れる。

 びくともしない。

 というか、引き込まれそうな感覚すらある。

「こんなの、動く訳無いだろ」

「浦田君は、こういう事に不向きですからね」

 サンドバッグの下に差し入れられる足。 

 それが吊されたように浮き上がり、床と垂直になる。

 さらに腰を落として肩を入れ、サンドバッグを担ぎ上げる。

「さすがですね」

「大した事ありません。コツですよ」

 にこやかに笑う水品さん。

 私がいくらコツを飲み込んでも、真似をしたらのしイカになるだけだ。

「水品さん。全部運んだ」

「でしたら、床の掃除をお願いします」

「もっと、人を呼べばいいのに」

「何事も、経費削減です。それと、いい鍛錬になりますから」

 軽々と、サンドバッグを部屋の隅へ持っていく水品さん。

 それはそうだけど、私は掃除しかしてないから何にもならない。

 今時、花嫁修業って話でもないし。


 ショウと御剣君に休んでもらい、ケイと一緒にモップを掛ける。

「サトミは」

「お兄さんにお小遣いもらったから、お金には困ってないって」

「俺も、お兄さんにお金をもらおうかな」

「ヒカルに?あの子、お金なんて持ってるの?」

 金遣いが荒いという訳ではない。

 ただ、計画的に使う人でも無い。

「そんなに、お金無いの」

「無いよ」

 あっさり肯定した。

 笑い事じゃないけど、笑えるな。

「奨学金は」

「本に消えるし、他の大学に行く場合には入学金や授業料がいる」

「他の大学へ行くの?」

「そういう選択肢もあるって事。それに、大学へ行っても奨学金が今程もらえるとは限らない」

 淡々と語るケイ。

 遠いと思っていた事を。 

 だけど、現実の事を。

「大学、か」

「何だよ、しみじみと」

「私は、どうしようかと思って。まさか、友達が行くからその学部にって訳にはいかないでしょ」

「それはそれで、いいんじゃないの。4年間通うんだし、他の学部へ編入も出来る。選択は、無限にあるよ」

 優しい、諭すような口調。

 ケイに慰められるようでは、私もまだまだだな。

「大体、ここのインストラクターになるんじゃないの」

「そのつもりはあるけど。素人は雇ってもらえないでしょ」

「それはそうだ。曲がりなりにも、金をもらうんだから」

「だから、色々と勉強しないと」

 最近の、過去を調べる事ではなく。

 将来の話。

 どちらが大切という訳ではなく。

 ただ、つながっている一本の線なだけ。

 今はその間にいて。

 前の事が今に影響して、将来へとつながっていく。



「こんにちは」

 にこにこした笑顔で現れる渡瀬さん。

 その後ろには、多少気後れした様子の神代さんも。

「どうしたの」

「ちょっと見学に。でも、掃除してるんですね」

「もう終わるよ。ほら、マット運んで」

「鬼だな」

 陰気に睨んでくるケイを手で追い払い、彼女達が持ってきた紙袋の中を覗く。

 ケーキか。

 取りあえず、これは確保してと。

「雪野さんは手伝わないんですか」

「私は現場の指揮を任せてれるから」

「はは。随分、大物ですね」

「違う違う。私を指名した人が、大物なの。せんせーい」

 部屋の隅へ手を振り、水品さんを呼ぶ。

 私を監督する人を。

「お客様ですか」

「学校の後輩で、渡瀬さんと神代さんです」

「初めまして」

「お邪魔してます」

 丁寧に頭を下げる二人。

 元気に微笑む渡瀬さんとは対照的に、神代さんはかなり遠慮気味に。

 派手な見た目とは裏腹に、こういう場所や雰囲気がそう好きではないらしい。

「初めまして。ここの支部長をしています、水品と申します」

「あなたが」

「知ってるの。チィ」

「RAS最強は誰かといえば、瑞穂の水品。蹴りの鬼、閃光の拳」

 すらすらと語る渡瀬さん。

 熱い眼差しと共に。

「ふーん。先生って、有名だったんですね」

 げしげし肘でつつき、へへと笑う。 

 私からすれば水品さんは、こういう存在なので。

 無論、彼の人語に絶する強さは身に染みて理解した上でだが。

「という事は、あなたも?」

「ええ。RASに通ってました。沙紀さんと一緒に、キックもやってましたけど」

 何かを抱え込むような仕草。

 キックボクシングよりも、ムエタイの首相撲に近い。

「先生と軽くやったら?」

「いえ。そんな、私なんかがおこがましい」

「平気だって。ねえ、先生」

「いえ。本当に。私はちょっと」

 腰を引く渡瀬さん。

 普段の元気さはまるでなく、むしろしおらしいくらい。

 そんなにすごいのかな、水品さんって。


 軽く腰を入れ、膝を鳩尾へ向ける。

 そこから膝をひねり、足先を喉元へ。

 半身に開き、それを避ける水品さん。 

 こっちは床に手を付き、足をさらに伸ばす。

「わっ」

 鉈のように振り下ろされる手刀。

 今度は私が半身になって、風圧に押されながらそれを避ける。

「ゆ、雪野さん」

「ん、何」

「なにって」

 私と水品さんを交互に指差す渡瀬さん。

 ああ、そういう事か。

「稽古というか、練習だから。ここにいる限りは、不意を突いてもいいの」

「はあ」

「当たらないけどね。未だに」 

 私がここに初めて通い出したのが、小学校に上がる前。

 そして今は、高校2年生。

 その距離が少しは縮まっているとは思う。

 とてつもない距離が、ほんのわずかだけかも知れないが。

「神代さん、大丈夫?」

「え、ああ。うん」

 はかばかしくない返事。

 彼女には、刺激が強過ぎたらしい。

「楽しそうだな」

 のそりとやってくるショウ。

 こういう事になると、人が違うからね。

「マットは」

「運んだよ。なあ」

「まだまだ、これからって気もする」

 肩を回す御剣君。

 あれだけの物を延々と運んで、何を言ってるんだか。

 しかもそれが強がりではなく、本当だから怖過ぎる。

「そうですね。一度、武士さんとやってみたらどうです」

「え」

「キャッチ無しの打撃のみで。今あなた達は、一つでも多くの経験を積む事が大切ですから」


 部屋の中央。

 向かい合う、渡瀬さんと御剣君。

 渡瀬さんはプロテクターとグローブを。

 御剣君は、グローブだけ。

 張りつめた空気。 

 お互いの息づかいが、二人から距離のある壁際まで聞こえてきそうな程の。

 牽制気味のジャブを放ち、ポジションを変える渡瀬さん。

 御剣君はパーリングでそれを防ぎ、上段の回し蹴りを放った。

 普通ならモーションの大きい、かわされやすいアクション。

 しかし彼のそれは、渡瀬さんの放ったジャブに等しい速度。

 当然だがブロックには行かず、前に出てかわす渡瀬さん。

 回し蹴りは角度を変え、巻き込むようにして彼女の後頭部を狙う。

「セッ」

 掛け声と共に宙を舞う体。

 御剣君の足の上に飛び上がった渡瀬さんは、体をひねって足を後ろへ伸ばした。

 鋭い、飛び後ろ回し蹴り。

 ブロックした御剣君は、そのままの体勢で後ろに体をずらす。

 さらに足をスイッチさせ、もう片足を振り上げ様すぐに振り下ろす。

 頭上に落ちてくるかかと。

 ガードごと沈み込む体。

 だが膝を付く寸前でそれは止まり、ガードをしていた腕を横に振る。

「シッ」

 鋭い息吹と共に繰り出される肘打ち。 

 カットを狙うのではなく、かち上げに近い相手を押し戻す動き。

 止場のない空中でそれをくらった渡瀬さんは、あっけなく後ろへと吹き飛んだ。

「そこまで」

 素早く立ち上がった渡瀬さんの前に立ちはだかる水品さん。 

「ケンカではないので」

「あ、はい」

 フェイスガードを取り、荒い息のまま返事をする渡瀬さん。

 微かに、悔しさを滲ませて。

「何よ、それはないでしょ。まだまだ、これからじゃない」

「いえ。負けは負けですから」

 殊勝な台詞。

 渡瀬さんはタオルで顔を拭き、心配そうな神代さんに気弱な顔で微笑みかけた。

「納得いかないな」

「仕方ないだろ」

 控えめに申し出るショウ。

 そんな彼を睨んで、袖をまくる。

「おい」

「何よ。渡瀬さんがやったなら、私がやってもいいでしょ」

 後輩の仇を取らないで、何が先輩だ。 

 でも待てよ、御剣君も後輩か。

「うー」

「唸るなって」

「だって」

「仕方ない。俺がやるか」


 壁際から離れ、ゆっくりと歩き出すケイ。

 その視線は先程から、渡瀬さん達へ向けられていた。

「お前が?」

「悪い?」

「悪くはないけど、勝ち目もない」

「それはやってみないと分からないだろ。玲阿君」

 わざとらしい笑顔。

 お前に勝った事があるのは気のせいかな、とでも言いたげに。

「水品さん、構いませんよね」

「いいでしょう。武士さんも」

「え?」

 露骨に嫌な顔をする御剣君。

 彼が誰を苦手とするかといって、目の前で体を解している男の子がその最たる人。

「俺より強いんだし、問題ないって」

「はあ」

 はかばかしくない返事。

 ケイは構わず、フェイスガードを彼へ放った。

「付けたら」

「でも」

「俺は、それでもいいけど」

「いえ。付けさせて頂きます」

 慌てて被る御剣君。

 ケイの笑顔に、言いしれぬ何かを感じ取ったらしい。


 やはり、中央で向かい合う二人。

 御剣君は、かなり警戒気味な小さい構え。

 ケイは例によって、サウスポーのボクサースタイル。

「……蜂がいる」

 突然の呟き。

 私達は全員視線を彷徨わせるが、それらしい物はどこにも見えない。

「浦田さん。また、そういう事言って」 

 鼻で笑う御剣君。

 今度は騙されないぞという具合に。

「じゃあ、気のせいかな」

「だったら、行きますよ……。あれ」

 首筋に伸びる手。

 縮こまる体。

 小さく上がる声。

 ケイは肘をしまい、軽く息を付いた。

「という訳」

 肘打ちを受け、床に転がっている御剣君。

 普段なら、当たってもダメージすらないくらいの打撃。

 しかし平静を失った状況では、それだけでもバランスを崩す。

「トゲ?」 

 小さな声。

 やられたいう顔で。

「どういう事?」

「フェイスガードの後ろに、トゲを仕込んである」

 フェイスガードを手に取り、舌を鳴らすショウ。

 その指先には、木の破片が少し付いている。

「マットの下にあったゴミだな」

「勝ちは勝ちです」 

 静かに告げる水品さん。

 確かにそうだ。

 御剣君が修めているのは、スポーツではない。

 武道。

 戦い、人に勝つための技術なのだから。

「そうですけどね。あー」

 叫ぶな。

 気持ちは分かるけどさ。

「でも、すごいね」 

 感嘆した声で呟く神代さん。

 少し見直したらしい。

「卑怯だけど」

 一言は付け加える。

「チィも、あんたも」

「私は、別に。負けたし」

「俺も」

「そんな事無い、格好いいよ」

 少したどたどしい。

 だけど、心のこもった一言。

 はにかみ気味に笑う彼等。

 それを見ている私の心も、暖かくなってくる。

「まだまだだな」

「何よ、上から物を言って」

「俺は勝った」

「じゃあ、私とやる?」

 返事を待つ前に足を払い、倒れたケイの首筋に拳を突き付ける。

「私が一番」

 軽く勝ちどきを上げ、拳を突き上げる。 

 結構本気で。

「あのな」

「何よ、やるの」

 がーっと吠えて、腕を振り回す。

 ショウは嫌そうな顔をして、すっと距離を取った。

「もう、いい。好きにしてくれ」

「してるじゃない。ねえ、先生」

「昔から、ずっとそうですね」

 あまり聞きたくない台詞。

 周りから上がる笑い声。



 今と、昔。

 広がり、つながっていく関係。

 その輪の中にいられる自分。

 何でもないと人は思うかも知れない事。

 私にとって、何よりも大切な一時。 










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