20-7
20-7
また呼び出された。
もう飽きたよ。
「おい」
すごんでくる塩田さん。
愛想笑いを浮かべる私。
それでごまかされる人なら、この人を先輩とは呼ばないだろう。
「揉めるなと言っただろ」
「だって」
言い訳ではないが、言い分はある。
あの状況を見過ごす程、人間は出来てない。
「理事会から、正式にクレームが届いた。生徒会に対して」
「何らかの処罰でも?」
「いや。あくまでも、意見書だ」
「だったら、問題ありませんね」
しらっと答えるサトミ。
塩田さんは舌を鳴らし、その意見書とやらを彼女に差し出した。
「ただな。理事会が生徒会にクレームを付けるなんて、普通じゃないんだぞ」
「過去に経験でも?」
「俺達は、あれだ。退学勧告をなんどか受け取った」
何だ、それ。
人をやいやい言っておいて、結局それか。
「だけど。向こうが悪いんですよ。わざわざ場所取りのために、鎖で仕切るから。一言声を掛けてくれれば、済む話じゃないですか」
「鎖を焼き切って、別な場所へ溶接する話でもない。それに、花火を打ち上げたって聞いたぞ」
「主犯はケイ。実行犯は映未さんですから」
あっさり人を売るサトミ。
自分も、ボタンを押した癖に。
「浦田」
「いいじゃないですか。花火を打ち上げたのは、手すりの向こう側なんだし。いい余興として、むしろ感謝して欲しいくらいです」
「何の前触れもなく、突然だったと聞いてるが」
「俺は、セッティングをしただけですから。大丈夫。発火装置は完全に燃え切って、証拠は残ってません」
何が大丈夫なんだか。
「もう、いい。お前達は、口で言っても仕方ない」
「殴るなら、ショウにして下さい」
ぐいと彼を押し出し、その後ろに隠れる。
というか、前が何も見えない。
それはそれでむかつくな。
「こんな奴殴ったら、こっちの手が痛くなるだけだ。……元野を呼んでくれ」
「あの子も現場にいましたよ」
「あいつは、関わってない」
「男といちゃついてましたからね」
げらげら笑う男。
一度、打ち落としてやろうかな。
しばらくして、そのモトちゃんがやって来た。
かなり苦笑気味に。
「こいつらに、何かやらせろ。罰代わりに」
「そうですね。幾つか部屋を整理してるので、そこの片付けを頼もうかな」
「報酬は」
「罰って言っただろ。人の話を少しは聞け」
睨んでくる塩田さん。
当然こっちも睨み返す。
意味はないけど、対抗上。
「とにかく、やってこい。不要品なら、持って帰っていいから」
「どこかで聞いた話だな。ああ、生徒会長室の引っ越しの手伝いで」
一人で納得するショウ。
どこかへ消えた段ボールの在処も思い出せばいいのに。
でも思い出せるなら、無くさないか。
「いいから、行け。もう、何もするな」
「人を、厄介者みたいに」
「違うのか」
「すぐに行ってきます」
廊下の突き当たり付近。
外に溢れた感じの机や椅子。
ほこりを被っているようにも見える。
「何よ、これ」
「例の統合案で、人員を減らすでしょ。だから、いらない部屋をどんどん他の組織に譲っていくの」
「じゃあ、私に譲ってよ」
「ユウは小さいから、あのオフィスで十分」
なるほど。上手い事言うな。
モトちゃんの後について入っていこうとして、すぐに立ち止まる。
彼女が、目の前で止まっているから。
「ショウ君、窓開けて」
「自分で開けろよ」
「ホコリっぽいの」
「余計自分で開けろ……」
文句を言いつつ、口元を抑えて部屋に顔を入れるショウ。
断ってよね、たまには。
「ほら、ハンカチ」
「ああ」
口元を、ピンクのハンカチで覆う男の子。
少し、動きがぎこちない。
「大丈夫?」
「え、ああ。いや、全然」
要領を得ない答え。
消える背中。
何だかな。
「どうしたんだろう」
「いい香りがしたんだろ」
「ホコリっぽいのに」
「ハンカチの事よ」
人の頬をつつくサトミ。
そういう事か。
「でも、別に。その、あれ」
要領を得ない事を言って、部屋の中の覗き込む。
途端に吹き抜ける、ホコリっぽい風。
薄暗い室内に光が差し込み、雑然とした内部の様子が見えてくる。
「ご苦労様。じゃ、後はお願いね」
「逃げるの?」
「私は私で仕事があるの。別にいいのよ。ユウが書類を片付けて、自警局と交渉して。私が、ここの掃除をしても」
「どこにでも行って」
モトちゃんの背中を押して、ドアを閉める。
で、すぐに開ける。
ホコリっぽいのよ。
「何してるの。とにかくここなら揉める相手もいないし、大丈夫ね」
「幽霊でも出そうだな。人気がない分」
「それはそれで面白いじゃない」
楽しげに去っていくモトちゃん。
他人事だと思って。
「どこに出るのよ、幽霊なんて」
「そんな所には出ないわね」
引き出しの中を覗き込んでいた私を笑うサトミ。
当たり前だし、出られても困る。
「仕方ない。ショウ、バケツに水汲んで来て。ケイは、椅子とか大きいのを外へ出して」
だるそうな返事をして、それぞれの仕事に取りかかる二人。
私は支給された段ボールを組み立て、適当にがらくたを放り込んでいく。
「前も聞いたけど、あなた見て入れてる?」
「入れてない」
「二度手間になるって言ったでしょ」
「とにかく、ここを片付けるのが先なの」
有無を言わさず段ボールをサトミに渡し、次の段ボールにがらくたを詰め込んでいく。
すぐ隣で、ため息を付きながら選別しているサトミを意識から逸らして……。
「うわ」
椅子と机は運び出した。
ゴミと、がらくたの大半も。
残っているのは、大物ばかり。
本棚に、大きなラック、ロッカー。
しかもその本棚には、端から端まで本で埋め尽くされている。
でもって、本棚自体が壁一面に。
「どうする?」
「運び出すしかないでわね。しかも、これは捨てる訳にはいかないだろうし」
その中の一冊を手に取るサトミ。
古い年号の書かれた、生徒会の発行物。
連絡用の書類を、ある程度の期間にまとめて一冊にしてあるらしい。
「遠足ですって」
「どこへ」
「東山動物園」
「すぐそこじゃない」
遠足どころか、遊びに行った気にもならないくらいの場所。
時代が違うと、行く場所も相当違ってくるようだ。
「戦後まもなくだから、学校もお金がなかったのよ。多分」
「いいけどね。私は、お弁当さえあれば。後、お菓子」
上の棚は取るのが大変なので、本棚のそばにしゃがみ、扉になっている部分を開ける。
ネズミでも出そうだな。
お化けよりはいいけどさ。
「アルバムか」
年号を見ると、戦前の物から揃っている。
でも、待てよ。
草薙高校が創立されたのは、確か戦後。
するとこれは。
「ああ。統合前の高校の分」
勝手に納得して、一冊手に取る。
校歌、教職員の写真。
次いで、生徒達の。
クラス単位で映ってるのが何枚か続き、クラブ活動や修学旅行のスナップ写真が幾つもある。
最後までめくると、彼等が高校に通っていた3年間に起きた事件や出来事が年表と共に記されている。
「みんな、同じ格好だね」
「昔は、制服が義務化されてたのよ。滋賀でも、そうだったでしょ」
「うん。そう考えると、例の制服騒ぎもまだいいのかな。多少は選択の余地があるみたいだし」
適当に別なアルバムを開き、ふと手を止める。
そうだ、そうだった。
「えーと。どれかな」
「どうかしたの」
「捜し物をね」
別な扉も開きながら、室内をうろうろ歩き回る。
これでもないし、これでもない。
ん、これか。
「高校名は合ってる。でも、卒業年度っていつかな」
「誰の」
「お母さんの」
ああと声を漏らすサトミ。
「確か、この名前の高校だったと思う」
「草薙高校に、統合される前の?」
「うん。えーと、どこだ」
後ろの方にある住所録を開き、名前を探す。
沙耶、沙耶と。
いや、違う。
「白木、白木と」
「おばさんの旧姓?」
「そう。だから私は、世が世なら白木優」
「それはそれで、悪くないわね」
サトミも別なアルバムを手に取り、一枚ずつめくり出した。
かなり、興味のある様子で。
「あった、あった。えー、1組はと」
アルバムの先頭へ戻り、一枚一枚めくっていく。
校訓は謙虚?
聞いた事無い言葉だな。
「いた、いた」
「どこ?」
「ほら、ここ」
おそらくは、修学旅行の集合写真。
男女別に分かれて映る生徒達。
右端にはスーツを着た、若い女性。
名前を見ると、先生となっている。
そのすぐそば。
つまり、最前列。
後ろの子達も映す関係上、みんな屈んでいる。
その中でも、一際小さい女の子。
ショートカットの、丸い感じの顔。
「ユウじゃない」
大笑いするサトミ。
確かに、似てるには似てる。
少し私より目元が上がり気味で、もっと小さいというくらいで。
この写真をコピーして私ですと紹介しても、疑問に思う人はまずいないだろう。
というか、見た目自体がコピーだな。
「あった」
今度はお父さんのを探し当てる。
勿論名前は、雪野睦夫。
旧姓の訳はないから。
「また、普通な」
黒の詰め襟を着て、人の中にぽつんと混じっている。
これはどこかの屋上かな。
人のいい笑顔で、風になびく髪を少し気にした様子。
らしいと言えばらしい。
「別々の高校だったのね」
「知り合ったのは、大学らしいよ。学生結婚だってさ」
「へぇ」
妙に感心するサトミ。
自分だって、似たようなものじゃない。
「だったら、あれ。ショウのお姉さんと風成さんのもあるんじゃない」
「そうね。あの人達は戦後だから、草薙高校のを見ればいいのよ」
「なる程、と」
ストックされてるのは、3年前までの分。
そこから徐々に、アルバムの厚さが減っていく。
生徒数が、それだけ変化しているのだろう。
「はぁ」
「ふーん」
凛とした表情、写真越しに伝わる限りない美しさ。
幼さから抜け出した、花開く寸前の初々しさを秘めた。
「これは、風成さんか」
「今と、あまり変わらないわね」
身も蓋もない感想。
でも、その通り。
多少今より、やんちゃっぽい雰囲気があるだけで。
「だったら、兄さんのもあるはずよ」
「ここに通ってたの?」
「少しの間だけ。アルバムに載ってるような事は、聞いた事があるから」
一人頷くサトミ。
開かれるページ。
甘く、優雅な表情。
少しの物憂げさと、切なさを漂わせた。
映画のワンシーンを思わせる、しかしただの顔写真。
「さすがだね」
「その内刺されるわ」
実感のこもった口調。
確かに、あれだけもてる姿を見ていると否定は出来ない。
でも、そういう状況を楽しむような素振りもある人だし。
兄妹とはいえ、やはり性格は違うようだ。
「何してるんだ」
両手にバケツを下げ、私達を見下ろすショウ。
「これ」
「姉さんか。若いな」
「今でも若いじゃない」
「そうだけどさ」
ショウもアルバムを手に取り、それをめくり出した。
かなり、楽しそうに。
「痛っ」
頭を抑えるショウ。
ケイはホウキの柄を振り、アルバムの収まってる本棚を差した。
「働けよ」
「え、ああ」
本棚に手が掛かり、ずるっと音がして横に動いた。
ケイはもう一度彼の頭をはたき、アルバムを一冊ずつ指差した。
「お前は、それで階段を下りる気か」
「え、ああ」
「いいから、台車を持ってこい」
再び部屋を出て行くショウ。
しかし、どうやったらこれが動くんだろう。
というか、どうしてこれごと動かそうとしたんだろう。
「でも、これを全部運ぶの?」
「頼まれたからには仕方ない」
そう言って、棚から本を取り出していくケイ。
やる気はないのに、変な所で義理堅いからな。
どうにか壁の一面だけを運び出した所で、日が暮れた。
重いし量はあるしで、4人だけでは無理だった。
何人いようと、無理なような気もしてきた。
「残りは?」
「明日やる」
疑問の余地もない口調。
いいけどね、やらないよりは。
食堂で、少し遅めの夕食を取る。
豆ご飯だってさ。
「嫌がらせだな」
露骨に嫌そうな顔をしてご飯を食べてるケイ。
ショウは文句も言わず、大盛りを掻き込んでいる。
「持ってきたの?」
「少し、読もうと思って」
私の、リュックの中に収められた数冊のアルバム。
少し重いが、この前に比べれば無いようなものだ。
「そういうのに、興味あったの?」
「まあね」
曖昧に答え、焙られた豚バラ肉にかじりつく。
サトミは何か言いたそうな顔をして、スープに手を付ける。
私はそれにあまり気を払わず、リュックにそっと手を触れた。
寮の部屋へ戻り、アルバムを開く。
生徒や教師の載っているページではなく、もっと後ろ。
学校の歴史。
名古屋やその近郊の都市の歴史が載っているページへと。
自分の知っていた事、知らない事。
気付きもしなかった事もある。
身近な出来事から、自分には縁遠い世界状況も。
「歴史、か」
何となく呟き、アルバムを閉じる。
今まで、あまり深く考えていなかった。
それを振り返る程年を重ねてないともいえる。
また、考える必要があるのかどうか。
気付けばアルバムを開いていた。
やはり生徒のページではなく、彼等が高校生活を送ってきた時の事件や事故。
学校の歴史と変遷。
私が生まれる前の事もある。
もっと前の、時代を遡った事も。
日本史の授業とは違う、もっと自分に近い感覚。
どうしてこれを読んでいるのか、自分ではあまり理解出来ない。
それでもページをめくり、文字を追い、写真に見入る。
薄れていく意識。
その中で巡っていく記憶。
自分の過ごした日々か。
今まで見ていた、アルバムに載っていた出来事か。
全ては夢の中へ消えていく……。
「昔、すぐそこを市電が走ってたの知ってた?」
怪訝そうな顔をするサトミ。
私は構わず、彼女の隣りに座って話を続けた。
「名古屋城の金の鯱って、盗まれた事があるんだって」
「それがどうしたの」
「どうもしないけどさ」
その辺りを突かれると、非常に困る。
でもってサトミは、昔から知ってるという顔。
話す相手を間違えたな。
「急に、どうしたの」
「ちょっとね」
やはり曖昧に答え、教科書と卓上端末をリュックから取り出す。
自分でも、その辺は分かっていないので。
どうして突然、興味を持ったのか。
いや、興味ともまた違う。
気付いたら読んでいたという感じ。
頭に入る事もあれば、全く覚えてない事もある。
結局、何一つ分かってないんだろう。
「いいけど。テストに出ない事を覚えるのも」
何となく優しい口調。
それを言うなら、サトミこそテストに関係ない事しか勉強していない。
というか、そういう事は今さら勉強するまでもないレベルなので。
「あ、知ってる?昔台風が来て、この辺は二階まで水浸しになったんだって」
「何だ、それ」
「伊勢湾台風。名古屋の半分は、水に浸かったらしいよ」
「俺の家は、高台にあるからな」
頷きながら席に付くショウ。
サトミとは違い、今知ったという顔で。
「でも、それがどうかしたのか」
「どうもしない」
真顔で答え、視線を受け止める。
人を危ぶむような視線を。
「何よ」
「いや、ユウがいいならそれで」
そういう言い方をしないでよね。
自分でも、不安になるじゃない。
「あ、知ってる?昔ここにあった堀川って、川じゃないって」
「あれは運河だろ。名古屋城を造った時に、福島正則が作ったっていう」
すらすら語るケイ。
さすがに詳しいな、この辺りの分野に関しては。
「アルバムを見て、郷土の歴史見目覚めたって?」
「まあね」
「どうせなら、自分の歴史を振り返ったら」
何だ、私の歴史って。
振り返る程の年数はないし、出来事もない。
「大体、アルバムの年表なんて殆ど載ってないでしょ」
「年代ごとに追って、何冊か続けて見てる」
「変な所で凝るのね。あなた、何か知らない」
箸をケイへ向けるサトミ。
うどんをテーブルへ落とした男の子は、それを手で拾い口に運んだ。
「知らない事もない」
何の話を。
それに、どうして落ちたのを食べるの。
「文化系のクラブに、郷土史研究会みたいのがあったと思う」
「そういう、本格的なのはちょっと」
「格好いい男がいるらしい」
微かに肩を揺らすサトミ。
私もラーメンのどんぶりを両手で持ち、スープをすする。
少しにやけた顔を、隠すようにして……。
普段は殆ど立ち入らない、文化系クラブの部室がある建物。
SDCとは違い、雰囲気としては大人しい。
場所によっては、暗い感じもする。
立ち入りたく無いと思える程に。
「何、これ」
廊下の壁に張り出された、無数の写真。
取った場所と日付、撮影者も下に書き込まれている。
風景、学校の周辺、個人のスナップ。
「ここは、合法的だな」
薄く微笑み、綺麗な女の子の写真を指差すケイ。
かなり、意味ありげに。
「どういう事」
「場所によっては、この下に値段が付いてる。もっと行くと、依頼によって写真を撮ってくるケースもある。違う種類の写真とか」
喉元から漏れる笑い声。
自分で売り込んでるんじゃないだろうな。
「ここか」
ドアの脇にあるインターフォンを押すショウ。
私の用事でやって来たんだけど、高さ的に彼の役割でもある。
体が小さいと、手も短いのよ。
「はい。何か」
ドアが開き、細い感じの男の子が現れた。
柔らかそうな髪と、切れ長の綺麗な瞳。
この子か、ケイが言ってたのは。
ただ、ショウには及ばないな。
というか、誰が来ても及ばないけど。
少なくとも、私としては。
「ここって、郷土史を研究するクラブですか」
「ええ、同好会レベルですけど。何か」
「ちょっと、資料を見せて欲しくて。もし、ご迷惑でなかったら」
丁寧で、礼儀正しい申し出。
迎え出た彼が否と答える訳もなく、私達は中へと通された。
私達のオフィスより、少し広いくらいの部屋。
まず目に付くのは、壁に掛かった大きな地図。
今の名古屋とその周辺。
そして、おそらくは江戸時代くらいの。
まだ、熱田神宮の南を埋め立てる前の。
「ここは郷土史といっても、最近の資料しかないんですよね。後は、街中を歩いて集めたり撮影したものとか」
「多分、その方が都合いいと思います」
「じゃあ、これなんてどうです?俺達がまとめた、第二次大戦後の旧名古屋市の変遷です」
少し厚めの、大きな本。
後ろを開くと、制作が郷土史研究会。
発行が草薙高校生徒会となっている。
「よろしかったら、差し上げます」
「え、でも」
「お金は殆ど、生徒会が負担してますから。それに実を言うと、結構余ってるんですよ」
笑う男の子。
他の部員達も、仕方なさそうに笑っている。
確かに、それ程需要のある本でもないだろう。
「あの。学校関係の本ってありますか?統合前の高校のとか」
「うーん。草薙高校になってからのは多少あるんですけどね。そういうのはやっぱり、生徒会か学校にしかまとめてはないと思いますよ」
「そうですか」
思っていた通りの答え。
私達はその本と他にも幾つかの資料をもらい、部室を後にした。
「書道部ですって。あなた、少し教わっていったら」
「字なんて、読めればいい」
「読めないじゃない」
3人して突っ込み、ケイを黙らせる。
本当に、どこまで自覚してるんだか。
「でも、学校って誰に聞けばいいの」
「日本史の先生じゃないのか」
なる程。
一応、歴史は歴史だからね。
という訳で、教職員用の特別教棟へやってくる。
何となく感じる、周囲からの視線。
私にではなく、サトミへと。
その外見に意識が向くだけではなく。
彼女の知性と能力は、ここにいる人なら誰でも知っているので。
「お姫様だな」
鼻で笑う下男。
私もいいとこ、腰元だけどさ。
「それで、どこにいるの」
「教員のフロアは上だから、エレベーターで」
「殴り込みかな」
とんでもない台詞。
さっき以上に集まってくる視線。
天崎さんは鷹揚に笑い、私達に挨拶をしてきた。
今の台詞から見て、最近の私達の行動は把握済みのようだ。
「ちょっと、日本史の先生に用があって」
「宿題でも?」
「いえ。この学校の歴史が載ってる本や小冊子を見たくて」
「それなら、私が持ってるよ。執務室へ、先に行ってて」
どこだ、その執務室って。
などと迷う事はなく、サトミの後を付いていく。
この子はここへの出入りが多いから、どこに何があるかは大抵知っている。
私は、今自分がいる位置すら理解してないが。
「鍵は、開いてるわね」
すぐに開くドア。
中に入る私達。
大企業の重役室並みの内装と調度品。
大きな机の上には書類やDDが重ねられている。
多分、かなり重要な物もあるはずだ。
それこそ、この学校の職員すら見る事とが叶わないものとか。
「コピーしてばらまくか」
馬鹿な台詞を聞き流し、本棚へと向かう。
教務担当の監査官だけあり、教科書や参考書。
指導要綱などが目立つ。
後はその手の統計表も。
「お待たせ。草薙高校の本だったね」
「済みません。お手数をお掛けして」
「普段智美がお世話になってるから、このくらいは何でもないよ」
逆なんですというサトミを肘でつつき、愛想良く微笑む。
天崎さんもにこやかに笑い、本棚へ手を伸ばした。
「これが、草薙高校になってからの分。これが、統合前の高校をまとめた分。DDがこれ。重いけど、持って行って」
「ありがとうございます」
紙袋にそれも収め、一礼する。
良かった、良かった。
本をもらうなら、どれだけでも感謝する。
「でも、急にどうしたのかな」
「知恵熱が出なければいいんですが」
苦笑気味に答えるサトミ。
とはいえ違うわよとも言えないので、うーとだけ唸る。
「私の奥さんも、ここで教えてたんだよ。草薙高校になる前の話だけど」
「そう言えば、理事長に教えてたとか」
「ああ。私も研修でここに来ててね。嫌な思い出だ」
荒んだ顔をする天崎さん。
一体、何があったんだか。
「それはともかくとして。他に知りたい事があったら、私の奥さんに聞くといい。草薙高校へ統合される辺りの事を、実際に体験してるから」
「いつ辞めたんですか、おばさんは」
「智美が生まれて、その後も少しはやってたんだけどね。あの人は、どちらかといえばフィールドワーク派だから」
だから、いつもカエルを見てるのか。
勉強熱心と言えるけど、嫌な好みとも言える。
「それでは、私達は失礼します。どうも、ありがとうございました」
「いや。智美にもよろしく」
「はい、失礼します」
幸いおかしな薬草は受け取らず、執務室を後にする。
どれだけいい人でも、人間どこかに欠点はあるようだ。
誰も、苦い薬なんて飲みたくないのに。
あれは、却って不健康になる。
精神的に。
「楽しい?」
「楽しいよ」
本の入った紙袋を抱え、とことこ歩く。
手に提げていると、底が抜けそうなので。
それ以前に床を引きずるという指摘は気にしない。
「お前は、詳しいんだろ」
「別に。普通に知ってるくらいでしかない」
淡々とした、あまり関心のない口調。
ただ、彼にすれば今さらという話かも知れない。
「俺も、少し調べようかな。先祖の事でも」
「だった、あれに聞け。あの女」
「誰」
「矢加部さん」
あまり聞きたくない名前。
とはいえ、ケイの顔を見る限り冗談を言ってる訳でも無さそうだ。
「どうして」
当然尋ねるショウ。
それは、私も知りたい。
「玲阿家や御剣家は、元々藩主の極秘な護衛である御土居下同心。彼等は武家という身分を隠してたけど、当然主家がいる。それが、矢加部家の祖先って訳」
「お前、詳しいな」
ショウは素直に感心して、すぐに首を傾げた。
「でも、貴族というか公家がどうって話を聞いた事もあるけど」
「江戸末期の公武合体や、江戸初期に姻戚関係の事だろ。そこまでは、俺も知らない。知りたくもない」
やっぱり出てきた台詞。
私も同感だが。
「私も、別に聞きたくない」
「そうか」
多少残念そうな顔。
それは心苦しいが、彼女に会うのはもっと心苦しい。
「サトミは調べないの?」
「自分の家系を?それとも、学校の歴史を?」
「どっちも」
「先祖はおそらく農民。学校の歴史は、ユウからゆっくり聞くわ」
押し寄せてくるプレッシャー。
レポートを書けとか言わないだろうな。
「少なくとも、10ページはお願い」
「あのね」
「そのくらいした方がよく覚えられるし、後であなたも読み返せるでしょ」
「別に、勉強のためにするつもりじゃないんだけど」
だったら何のためにと聞かれると、もっと困る。
自分でも、それが一番分かってないので。
取りあえず、草薙高校の本を開く。
昔の学校を、上空から撮った写真。
まだ教棟の数が少なく、緑が目立つ。
学校の南には堀川が、水のない状態で名古屋港まで続いている。
但し書きを見ると、戦争中ゲリラの侵入を警戒して急遽水を引いたという。
こう考えると、戦争がついこの間までやっていた事を強く実感する。
「こっちは、と」
次のページ。
おそらく、つい最近の学校の写真。
教棟や建物の数が増え、その分緑が減っている。
堀川は埋め立てられ、公園や建物に。
「これは」
初老の、威厳を感じさせる男性。
学校ではなく、熱田神宮内の写真。
羽織袴で、本殿を背に立っている。
「理事長」
名前は高嶋となっている。
つまり、今の理事長の何代か前。
草薙グループの創設者かもしれない。
「この人は、今何してるの」
「学校運営やグループの経営からは身を引いて、隠居してるらしいわよ」
さすがに詳しいサトミ。
でも暇だな、隠居なんて。
いや。この人はお金持ちだろうから、楽しいのか。
「政府に、中部庁、企業、草薙グループ」
草薙高校に関わっている組織。
出資しているのは、この全部。
学校経営と運営は、草薙グループと政府に中部庁。
施設や備品に付いては、企業から無償で支給。
それらの製品はテスト対象として、データをフィードバック。
教員は、政府が主に採用……。
「どうして、名古屋に作ったのかな」
「創設者が、名古屋出身だから」
「簡単な理由だね」
「大抵は、そんなものよ。それに東京だと規模が大き過ぎて、やりにくいと思ったのかも」
なるほどね。
この辺りの人口もそれなりは多いが、東京とは比較にならない。
「でも、初めて知った。この人が、学校を作ったなんて」
「知らなくても勉強は出来るわ」
それはそうだ。
知ってても、勉強するかどうかは別だけど。
「どうやって、ここまで大きくしたのかな」
「元々私学の経営をしてて、旧名古屋市内の高校を幾つか買収したって聞いてる」
「どうやって」
「人に聞かないで、自分で調べなさい」
怒られた。
分かってるけどさ。
えーと、こっちか。
気付くとお腹が空いていた。
時計を見ると、そのくらいの時間。
「終わった、終わった」
本を紙袋へ入れ、リュックを背負う。
続きは、寮に帰って読むとしよう。
「楽しかった?」
「そういうのとは、また少し違うけどね」
ははと笑い、一歩下がる。
怖い顔で笑っているサトミから、遠ざかるようにして。
「少しだけど、手当はもらってるの」
「そうだね」
「しかも、あなたはここの責任者なの」
「そうらしいね」
じりじりと下がり、壁を背にする。
顔に落ちる影と視線。
綺麗な顔立ちの分、迫力もより感じられる。
「今日一日、私があなたを代わりをしてました」
「じゃあ、サトミの夕食は私が代わりに」
彼女の袖を引き、ドアへと向かう。
でも、付いてくるのはサトミだけ。
「ショウ達は」
「もう帰ったわよ。今日は、普段より早く終業するよう連絡があったの」
「じゃあ、先に教えてよね」
「私が悪いのかしら」
すごんでくるサトミ。
悪いわよ。
などと言える訳もなく、へへと笑いオフィスを出る。
すぐに肩を押さえ、小さい身をさらに縮める。
冷えた空気、薄暗い廊下。
秋を実感する瞬間。
「大袈裟ね」
「寒くないの」
「雪国に暮らせば、なんて事無いわ」
ジャケットを羽織りながら、そう言ってくるサトミ。
だったら、ジャケット貸してよね。
「私も、明日からは上着を持ってこよう。ついこの間まで、あんなに暑かったのに」
「気付けば冬が来て、春が訪れ。おばあちゃんになってるのよ」
怖い事を言ってくるな。
それも、本当の事を。
コトコトと音を立てる小鍋。
その下では、固形燃料が青い炎を立てている。
食堂のフリーメニューのため、材料はかなり限定された物。
私は、豆腐さえ入ってれば問題ない。
「少し、ダシが甘いかな」
アクを取り、テーブルにあった塩をちょっとだけ足す。
煮詰まった後の事も考慮に入れて、控えめに。
「あなた、こういう事には細かいわね」
「サトミ程じゃない」
「私は、これの通りにやってるだけよ。後30秒」
一緒に付いてきたマニュアル通りに火加減を調整するサトミ。
煮え方を見て、調整しろって言うのに。
「サトミ、火が強過ぎ」
「だって、これには中火で3分って」
マニュアルを箸で突くサトミ。
本当に、変な所で応用が利かない子だな。
「いいの。これをもう少し、外へ」
箸で固形燃料をつつき、小鍋から少し遠ざける。
しきりに持ち上がっていたふたはようやく勢いを弱め、縁の方に見えた泡も収まっていく。
「さすがね。料理人にでもなったら」
「将来は将来。今は、昔を振り返る時なんだから」
「振り返る程も生きてないでしょ」
自分と私の顔を指差し、苦笑するサトミ。
確かに、私自体の過去は16年しかない。
記憶があるのは、この10年くらい。
正確に覚えている期間となれば、もっと縮まるだろう。
「サトミは、赤ちゃんの時の事とか覚えてる」
「まさか。せいぜい2、3才の頃からよ」
「微かな感じで?」
「かなり鮮明な部分も、少しはあるわ」
ごく普通の調子で。
ふたの中を覗き込みながら語るサトミ。
冗談ではないようだ。
天才だから覚えてるのか、覚えてるから天才なのか。
どちらにしろ、私とは頭の構造が根本的に違うらしい。
「勉強は」
「今は、こっちの方が大切なの」
火加減を見つつ、サトミの小鍋にねぎを入れる。
煮る分じゃなくて、香り付け用に。
「ケイは食べないの」
「鍋を食べる心境でもない」
じゃあ、どういう時が鍋を食べる心境なんだ。
「ショウは」
「矢加部邸へ行ってる」
「あ」
さっきよりも鋭く睨み、彼をたじろがせる。
冗談だと思ってたら、本当に行ったのか。
「大丈夫だって。木之本君と、御剣君。後、高畑さんも行ってるから」
「だったらいいや。サワラ食べる?」
「骨だろ、それは。俺は、肉でも食べよう」
カウンターへと向かうケイ。
そうか、そうか。
みんなで言ったのか。
楽しそうでいいね。
「あの家だと、ご馳走を食べてるんでしょうね」
「私はこれでも、十分にご馳走だから」
「慎ましい事言って」
笑うサトミ。
とはいえ、別に拗ねてる訳でもない。
矢加部さんの家で食べる事に抵抗があるという事だけでも。
友達と一緒に食べる方が美味しいという意味だけでも。
「煮えた煮えた」
しらたきをポン酢に通し、ご飯に乗せてそっと掻き込む。
程良い酸味と、染み込んだダシの風味。
この世の幸せを一人占めした心境だ。
「本当、安上がりでいいわね。ユウは」
「だって、美味しいんだもん。高級品もいいけど、私には体質的にこういうのがあってるの」
春菊をかじり、低アルコールのビールで流し込む。
もう、言う事無いね。
「おっさんか」
「何よ」
「別に。やっぱり豚バラは美味しいな」
私と同じような感想を漏らすケイ。
彼の場合も、かなり本心からだろう。
繰り返される日常。
その積み重ねが歴史につながる。
そんな事が、本のどこかに書いてあった気がする。
特別な何かだけではなく。
平凡な毎日もまた、その一つなのだと。
今こうしている事も。
私が歩んできた日々も。
本には載らない。
でも、私にとっての歴史。
私達にとっての。