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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第20話
217/596

20-7






     20-7




 また呼び出された。

 もう飽きたよ。

「おい」

 すごんでくる塩田さん。

 愛想笑いを浮かべる私。

 それでごまかされる人なら、この人を先輩とは呼ばないだろう。

「揉めるなと言っただろ」

「だって」

 言い訳ではないが、言い分はある。

 あの状況を見過ごす程、人間は出来てない。

「理事会から、正式にクレームが届いた。生徒会に対して」

「何らかの処罰でも?」

「いや。あくまでも、意見書だ」

「だったら、問題ありませんね」

 しらっと答えるサトミ。

 塩田さんは舌を鳴らし、その意見書とやらを彼女に差し出した。

「ただな。理事会が生徒会にクレームを付けるなんて、普通じゃないんだぞ」

「過去に経験でも?」

「俺達は、あれだ。退学勧告をなんどか受け取った」

 何だ、それ。

 人をやいやい言っておいて、結局それか。

「だけど。向こうが悪いんですよ。わざわざ場所取りのために、鎖で仕切るから。一言声を掛けてくれれば、済む話じゃないですか」

「鎖を焼き切って、別な場所へ溶接する話でもない。それに、花火を打ち上げたって聞いたぞ」

「主犯はケイ。実行犯は映未さんですから」

 あっさり人を売るサトミ。

 自分も、ボタンを押した癖に。

「浦田」

「いいじゃないですか。花火を打ち上げたのは、手すりの向こう側なんだし。いい余興として、むしろ感謝して欲しいくらいです」

「何の前触れもなく、突然だったと聞いてるが」

「俺は、セッティングをしただけですから。大丈夫。発火装置は完全に燃え切って、証拠は残ってません」

 何が大丈夫なんだか。

「もう、いい。お前達は、口で言っても仕方ない」

「殴るなら、ショウにして下さい」

 ぐいと彼を押し出し、その後ろに隠れる。

 というか、前が何も見えない。

 それはそれでむかつくな。

「こんな奴殴ったら、こっちの手が痛くなるだけだ。……元野を呼んでくれ」

「あの子も現場にいましたよ」

「あいつは、関わってない」

「男といちゃついてましたからね」 

 げらげら笑う男。

 一度、打ち落としてやろうかな。


 しばらくして、そのモトちゃんがやって来た。 

 かなり苦笑気味に。

「こいつらに、何かやらせろ。罰代わりに」

「そうですね。幾つか部屋を整理してるので、そこの片付けを頼もうかな」

「報酬は」

「罰って言っただろ。人の話を少しは聞け」

 睨んでくる塩田さん。 

 当然こっちも睨み返す。

 意味はないけど、対抗上。

「とにかく、やってこい。不要品なら、持って帰っていいから」

「どこかで聞いた話だな。ああ、生徒会長室の引っ越しの手伝いで」

 一人で納得するショウ。 

 どこかへ消えた段ボールの在処も思い出せばいいのに。

 でも思い出せるなら、無くさないか。

「いいから、行け。もう、何もするな」

「人を、厄介者みたいに」

「違うのか」

「すぐに行ってきます」



 廊下の突き当たり付近。

 外に溢れた感じの机や椅子。

 ほこりを被っているようにも見える。

「何よ、これ」

「例の統合案で、人員を減らすでしょ。だから、いらない部屋をどんどん他の組織に譲っていくの」

「じゃあ、私に譲ってよ」

「ユウは小さいから、あのオフィスで十分」

 なるほど。上手い事言うな。

 モトちゃんの後について入っていこうとして、すぐに立ち止まる。

 彼女が、目の前で止まっているから。

「ショウ君、窓開けて」

「自分で開けろよ」

「ホコリっぽいの」

「余計自分で開けろ……」

 文句を言いつつ、口元を抑えて部屋に顔を入れるショウ。

 断ってよね、たまには。

「ほら、ハンカチ」

「ああ」 

 口元を、ピンクのハンカチで覆う男の子。

 少し、動きがぎこちない。

「大丈夫?」

「え、ああ。いや、全然」

 要領を得ない答え。

 消える背中。 

 何だかな。

「どうしたんだろう」

「いい香りがしたんだろ」

「ホコリっぽいのに」

「ハンカチの事よ」

 人の頬をつつくサトミ。 

 そういう事か。

「でも、別に。その、あれ」

 要領を得ない事を言って、部屋の中の覗き込む。

 途端に吹き抜ける、ホコリっぽい風。 

 薄暗い室内に光が差し込み、雑然とした内部の様子が見えてくる。

「ご苦労様。じゃ、後はお願いね」

「逃げるの?」

「私は私で仕事があるの。別にいいのよ。ユウが書類を片付けて、自警局と交渉して。私が、ここの掃除をしても」

「どこにでも行って」

 モトちゃんの背中を押して、ドアを閉める。

 で、すぐに開ける。 

 ホコリっぽいのよ。

「何してるの。とにかくここなら揉める相手もいないし、大丈夫ね」

「幽霊でも出そうだな。人気がない分」

「それはそれで面白いじゃない」

 楽しげに去っていくモトちゃん。

 他人事だと思って。


「どこに出るのよ、幽霊なんて」

「そんな所には出ないわね」

 引き出しの中を覗き込んでいた私を笑うサトミ。

 当たり前だし、出られても困る。 

「仕方ない。ショウ、バケツに水汲んで来て。ケイは、椅子とか大きいのを外へ出して」

 だるそうな返事をして、それぞれの仕事に取りかかる二人。

 私は支給された段ボールを組み立て、適当にがらくたを放り込んでいく。

「前も聞いたけど、あなた見て入れてる?」

「入れてない」

「二度手間になるって言ったでしょ」

「とにかく、ここを片付けるのが先なの」

 有無を言わさず段ボールをサトミに渡し、次の段ボールにがらくたを詰め込んでいく。

 すぐ隣で、ため息を付きながら選別しているサトミを意識から逸らして……。


「うわ」

 椅子と机は運び出した。 

 ゴミと、がらくたの大半も。

 残っているのは、大物ばかり。

 本棚に、大きなラック、ロッカー。

 しかもその本棚には、端から端まで本で埋め尽くされている。

 でもって、本棚自体が壁一面に。

「どうする?」

「運び出すしかないでわね。しかも、これは捨てる訳にはいかないだろうし」

 その中の一冊を手に取るサトミ。

 古い年号の書かれた、生徒会の発行物。

 連絡用の書類を、ある程度の期間にまとめて一冊にしてあるらしい。

「遠足ですって」

「どこへ」

「東山動物園」

「すぐそこじゃない」

 遠足どころか、遊びに行った気にもならないくらいの場所。

 時代が違うと、行く場所も相当違ってくるようだ。

「戦後まもなくだから、学校もお金がなかったのよ。多分」

「いいけどね。私は、お弁当さえあれば。後、お菓子」 

 上の棚は取るのが大変なので、本棚のそばにしゃがみ、扉になっている部分を開ける。

 ネズミでも出そうだな。

 お化けよりはいいけどさ。

「アルバムか」

 年号を見ると、戦前の物から揃っている。 

 でも、待てよ。

 草薙高校が創立されたのは、確か戦後。

 するとこれは。

「ああ。統合前の高校の分」

 勝手に納得して、一冊手に取る。

 校歌、教職員の写真。

 次いで、生徒達の。

 クラス単位で映ってるのが何枚か続き、クラブ活動や修学旅行のスナップ写真が幾つもある。

 最後までめくると、彼等が高校に通っていた3年間に起きた事件や出来事が年表と共に記されている。

「みんな、同じ格好だね」

「昔は、制服が義務化されてたのよ。滋賀でも、そうだったでしょ」

「うん。そう考えると、例の制服騒ぎもまだいいのかな。多少は選択の余地があるみたいだし」

 適当に別なアルバムを開き、ふと手を止める。

 そうだ、そうだった。


「えーと。どれかな」

「どうかしたの」

「捜し物をね」 

 別な扉も開きながら、室内をうろうろ歩き回る。

 これでもないし、これでもない。

 ん、これか。

「高校名は合ってる。でも、卒業年度っていつかな」

「誰の」

「お母さんの」

 ああと声を漏らすサトミ。

「確か、この名前の高校だったと思う」

「草薙高校に、統合される前の?」

「うん。えーと、どこだ」

 後ろの方にある住所録を開き、名前を探す。

 沙耶、沙耶と。 

 いや、違う。

白木しらき、白木と」

「おばさんの旧姓?」

「そう。だから私は、世が世なら白木優」

「それはそれで、悪くないわね」

 サトミも別なアルバムを手に取り、一枚ずつめくり出した。

 かなり、興味のある様子で。


「あった、あった。えー、1組はと」

 アルバムの先頭へ戻り、一枚一枚めくっていく。

 校訓は謙虚?

 聞いた事無い言葉だな。

「いた、いた」

「どこ?」

「ほら、ここ」

 おそらくは、修学旅行の集合写真。

 男女別に分かれて映る生徒達。

 右端にはスーツを着た、若い女性。

 名前を見ると、先生となっている。

 そのすぐそば。

 つまり、最前列。

 後ろの子達も映す関係上、みんな屈んでいる。

 その中でも、一際小さい女の子。

 ショートカットの、丸い感じの顔。 

「ユウじゃない」

 大笑いするサトミ。

 確かに、似てるには似てる。

 少し私より目元が上がり気味で、もっと小さいというくらいで。

 この写真をコピーして私ですと紹介しても、疑問に思う人はまずいないだろう。

 というか、見た目自体がコピーだな。


「あった」 

 今度はお父さんのを探し当てる。 

 勿論名前は、雪野睦夫。

 旧姓の訳はないから。

「また、普通な」

 黒の詰め襟を着て、人の中にぽつんと混じっている。

 これはどこかの屋上かな。

 人のいい笑顔で、風になびく髪を少し気にした様子。

 らしいと言えばらしい。

「別々の高校だったのね」

「知り合ったのは、大学らしいよ。学生結婚だってさ」

「へぇ」

 妙に感心するサトミ。

 自分だって、似たようなものじゃない。

「だったら、あれ。ショウのお姉さんと風成さんのもあるんじゃない」

「そうね。あの人達は戦後だから、草薙高校のを見ればいいのよ」

「なる程、と」

 ストックされてるのは、3年前までの分。

 そこから徐々に、アルバムの厚さが減っていく。 

 生徒数が、それだけ変化しているのだろう。

「はぁ」

「ふーん」 

 凛とした表情、写真越しに伝わる限りない美しさ。 

 幼さから抜け出した、花開く寸前の初々しさを秘めた。

「これは、風成さんか」

「今と、あまり変わらないわね」

 身も蓋もない感想。

 でも、その通り。 

 多少今より、やんちゃっぽい雰囲気があるだけで。

「だったら、兄さんのもあるはずよ」

「ここに通ってたの?」

「少しの間だけ。アルバムに載ってるような事は、聞いた事があるから」

 一人頷くサトミ。

 開かれるページ。

 甘く、優雅な表情。

 少しの物憂げさと、切なさを漂わせた。

 映画のワンシーンを思わせる、しかしただの顔写真。

「さすがだね」

「その内刺されるわ」

 実感のこもった口調。

 確かに、あれだけもてる姿を見ていると否定は出来ない。

 でも、そういう状況を楽しむような素振りもある人だし。

 兄妹とはいえ、やはり性格は違うようだ。


「何してるんだ」

 両手にバケツを下げ、私達を見下ろすショウ。

「これ」

「姉さんか。若いな」

「今でも若いじゃない」

「そうだけどさ」

 ショウもアルバムを手に取り、それをめくり出した。

 かなり、楽しそうに。



「痛っ」

 頭を抑えるショウ。

 ケイはホウキの柄を振り、アルバムの収まってる本棚を差した。

「働けよ」

「え、ああ」

 本棚に手が掛かり、ずるっと音がして横に動いた。

 ケイはもう一度彼の頭をはたき、アルバムを一冊ずつ指差した。

「お前は、それで階段を下りる気か」

「え、ああ」

「いいから、台車を持ってこい」

 再び部屋を出て行くショウ。

 しかし、どうやったらこれが動くんだろう。

 というか、どうしてこれごと動かそうとしたんだろう。

「でも、これを全部運ぶの?」

「頼まれたからには仕方ない」

 そう言って、棚から本を取り出していくケイ。

 やる気はないのに、変な所で義理堅いからな。



 どうにか壁の一面だけを運び出した所で、日が暮れた。

 重いし量はあるしで、4人だけでは無理だった。

 何人いようと、無理なような気もしてきた。

「残りは?」

「明日やる」

 疑問の余地もない口調。

 いいけどね、やらないよりは。


 食堂で、少し遅めの夕食を取る。

 豆ご飯だってさ。

「嫌がらせだな」

 露骨に嫌そうな顔をしてご飯を食べてるケイ。

 ショウは文句も言わず、大盛りを掻き込んでいる。

「持ってきたの?」

「少し、読もうと思って」 

 私の、リュックの中に収められた数冊のアルバム。

 少し重いが、この前に比べれば無いようなものだ。

「そういうのに、興味あったの?」

「まあね」

 曖昧に答え、焙られた豚バラ肉にかじりつく。

 サトミは何か言いたそうな顔をして、スープに手を付ける。

 私はそれにあまり気を払わず、リュックにそっと手を触れた。


 寮の部屋へ戻り、アルバムを開く。

 生徒や教師の載っているページではなく、もっと後ろ。

 学校の歴史。

 名古屋やその近郊の都市の歴史が載っているページへと。

 自分の知っていた事、知らない事。

 気付きもしなかった事もある。

 身近な出来事から、自分には縁遠い世界状況も。

「歴史、か」

 何となく呟き、アルバムを閉じる。

 今まで、あまり深く考えていなかった。 

 それを振り返る程年を重ねてないともいえる。

 また、考える必要があるのかどうか。


 気付けばアルバムを開いていた。

 やはり生徒のページではなく、彼等が高校生活を送ってきた時の事件や事故。 

 学校の歴史と変遷。

 私が生まれる前の事もある。

 もっと前の、時代を遡った事も。

 日本史の授業とは違う、もっと自分に近い感覚。

 どうしてこれを読んでいるのか、自分ではあまり理解出来ない。

 それでもページをめくり、文字を追い、写真に見入る。

 薄れていく意識。

 その中で巡っていく記憶。

 自分の過ごした日々か。

 今まで見ていた、アルバムに載っていた出来事か。

 全ては夢の中へ消えていく……。



「昔、すぐそこを市電が走ってたの知ってた?」

 怪訝そうな顔をするサトミ。

 私は構わず、彼女の隣りに座って話を続けた。

「名古屋城の金の鯱って、盗まれた事があるんだって」

「それがどうしたの」

「どうもしないけどさ」

 その辺りを突かれると、非常に困る。

 でもってサトミは、昔から知ってるという顔。

 話す相手を間違えたな。

「急に、どうしたの」

「ちょっとね」

 やはり曖昧に答え、教科書と卓上端末をリュックから取り出す。

 自分でも、その辺は分かっていないので。

 どうして突然、興味を持ったのか。

 いや、興味ともまた違う。

 気付いたら読んでいたという感じ。

 頭に入る事もあれば、全く覚えてない事もある。 

 結局、何一つ分かってないんだろう。

「いいけど。テストに出ない事を覚えるのも」 

 何となく優しい口調。

 それを言うなら、サトミこそテストに関係ない事しか勉強していない。

 というか、そういう事は今さら勉強するまでもないレベルなので。

「あ、知ってる?昔台風が来て、この辺は二階まで水浸しになったんだって」

「何だ、それ」

「伊勢湾台風。名古屋の半分は、水に浸かったらしいよ」

「俺の家は、高台にあるからな」

 頷きながら席に付くショウ。 

 サトミとは違い、今知ったという顔で。

「でも、それがどうかしたのか」

「どうもしない」

 真顔で答え、視線を受け止める。

 人を危ぶむような視線を。

「何よ」

「いや、ユウがいいならそれで」

 そういう言い方をしないでよね。

 自分でも、不安になるじゃない。

「あ、知ってる?昔ここにあった堀川って、川じゃないって」

「あれは運河だろ。名古屋城を造った時に、福島正則が作ったっていう」

 すらすら語るケイ。

 さすがに詳しいな、この辺りの分野に関しては。

「アルバムを見て、郷土の歴史見目覚めたって?」

「まあね」

「どうせなら、自分の歴史を振り返ったら」

 何だ、私の歴史って。

 振り返る程の年数はないし、出来事もない。


「大体、アルバムの年表なんて殆ど載ってないでしょ」

「年代ごとに追って、何冊か続けて見てる」

「変な所で凝るのね。あなた、何か知らない」

 箸をケイへ向けるサトミ。

 うどんをテーブルへ落とした男の子は、それを手で拾い口に運んだ。

「知らない事もない」

 何の話を。

 それに、どうして落ちたのを食べるの。

「文化系のクラブに、郷土史研究会みたいのがあったと思う」

「そういう、本格的なのはちょっと」

「格好いい男がいるらしい」   

 微かに肩を揺らすサトミ。

 私もラーメンのどんぶりを両手で持ち、スープをすする。

 少しにやけた顔を、隠すようにして……。



 普段は殆ど立ち入らない、文化系クラブの部室がある建物。

 SDCとは違い、雰囲気としては大人しい。

 場所によっては、暗い感じもする。

 立ち入りたく無いと思える程に。

「何、これ」

 廊下の壁に張り出された、無数の写真。

 取った場所と日付、撮影者も下に書き込まれている。

 風景、学校の周辺、個人のスナップ。

「ここは、合法的だな」

 薄く微笑み、綺麗な女の子の写真を指差すケイ。

 かなり、意味ありげに。

「どういう事」

「場所によっては、この下に値段が付いてる。もっと行くと、依頼によって写真を撮ってくるケースもある。違う種類の写真とか」

 喉元から漏れる笑い声。

 自分で売り込んでるんじゃないだろうな。


「ここか」

 ドアの脇にあるインターフォンを押すショウ。

 私の用事でやって来たんだけど、高さ的に彼の役割でもある。

 体が小さいと、手も短いのよ。

「はい。何か」

 ドアが開き、細い感じの男の子が現れた。

 柔らかそうな髪と、切れ長の綺麗な瞳。 

 この子か、ケイが言ってたのは。

 ただ、ショウには及ばないな。

 というか、誰が来ても及ばないけど。

 少なくとも、私としては。

「ここって、郷土史を研究するクラブですか」

「ええ、同好会レベルですけど。何か」

「ちょっと、資料を見せて欲しくて。もし、ご迷惑でなかったら」 

 丁寧で、礼儀正しい申し出。

 迎え出た彼が否と答える訳もなく、私達は中へと通された。


 私達のオフィスより、少し広いくらいの部屋。 

 まず目に付くのは、壁に掛かった大きな地図。

 今の名古屋とその周辺。 

 そして、おそらくは江戸時代くらいの。

 まだ、熱田神宮の南を埋め立てる前の。

「ここは郷土史といっても、最近の資料しかないんですよね。後は、街中を歩いて集めたり撮影したものとか」

「多分、その方が都合いいと思います」

「じゃあ、これなんてどうです?俺達がまとめた、第二次大戦後の旧名古屋市の変遷です」

 少し厚めの、大きな本。

 後ろを開くと、制作が郷土史研究会。

 発行が草薙高校生徒会となっている。

「よろしかったら、差し上げます」

「え、でも」

「お金は殆ど、生徒会が負担してますから。それに実を言うと、結構余ってるんですよ」

 笑う男の子。 

 他の部員達も、仕方なさそうに笑っている。

 確かに、それ程需要のある本でもないだろう。

「あの。学校関係の本ってありますか?統合前の高校のとか」

「うーん。草薙高校になってからのは多少あるんですけどね。そういうのはやっぱり、生徒会か学校にしかまとめてはないと思いますよ」

「そうですか」

 思っていた通りの答え。

 私達はその本と他にも幾つかの資料をもらい、部室を後にした。


「書道部ですって。あなた、少し教わっていったら」

「字なんて、読めればいい」

「読めないじゃない」

 3人して突っ込み、ケイを黙らせる。

 本当に、どこまで自覚してるんだか。

「でも、学校って誰に聞けばいいの」

「日本史の先生じゃないのか」

 なる程。

 一応、歴史は歴史だからね。


 という訳で、教職員用の特別教棟へやってくる。

 何となく感じる、周囲からの視線。

 私にではなく、サトミへと。

 その外見に意識が向くだけではなく。

 彼女の知性と能力は、ここにいる人なら誰でも知っているので。

「お姫様だな」

 鼻で笑う下男。

 私もいいとこ、腰元だけどさ。

「それで、どこにいるの」

「教員のフロアは上だから、エレベーターで」

「殴り込みかな」

 とんでもない台詞。

 さっき以上に集まってくる視線。

 天崎さんは鷹揚に笑い、私達に挨拶をしてきた。

 今の台詞から見て、最近の私達の行動は把握済みのようだ。

「ちょっと、日本史の先生に用があって」

「宿題でも?」

「いえ。この学校の歴史が載ってる本や小冊子を見たくて」

「それなら、私が持ってるよ。執務室へ、先に行ってて」


 どこだ、その執務室って。 

 などと迷う事はなく、サトミの後を付いていく。

 この子はここへの出入りが多いから、どこに何があるかは大抵知っている。

 私は、今自分がいる位置すら理解してないが。

「鍵は、開いてるわね」

 すぐに開くドア。 

 中に入る私達。

 大企業の重役室並みの内装と調度品。

 大きな机の上には書類やDDが重ねられている。

 多分、かなり重要な物もあるはずだ。

 それこそ、この学校の職員すら見る事とが叶わないものとか。

「コピーしてばらまくか」

 馬鹿な台詞を聞き流し、本棚へと向かう。

 教務担当の監査官だけあり、教科書や参考書。

 指導要綱などが目立つ。

 後はその手の統計表も。

「お待たせ。草薙高校の本だったね」

「済みません。お手数をお掛けして」

「普段智美がお世話になってるから、このくらいは何でもないよ」

 逆なんですというサトミを肘でつつき、愛想良く微笑む。

 天崎さんもにこやかに笑い、本棚へ手を伸ばした。

「これが、草薙高校になってからの分。これが、統合前の高校をまとめた分。DDがこれ。重いけど、持って行って」

「ありがとうございます」

 紙袋にそれも収め、一礼する。

 良かった、良かった。

 本をもらうなら、どれだけでも感謝する。

「でも、急にどうしたのかな」

「知恵熱が出なければいいんですが」 

 苦笑気味に答えるサトミ。

 とはいえ違うわよとも言えないので、うーとだけ唸る。

「私の奥さんも、ここで教えてたんだよ。草薙高校になる前の話だけど」

「そう言えば、理事長に教えてたとか」

「ああ。私も研修でここに来ててね。嫌な思い出だ」

 荒んだ顔をする天崎さん。

 一体、何があったんだか。

「それはともかくとして。他に知りたい事があったら、私の奥さんに聞くといい。草薙高校へ統合される辺りの事を、実際に体験してるから」

「いつ辞めたんですか、おばさんは」

「智美が生まれて、その後も少しはやってたんだけどね。あの人は、どちらかといえばフィールドワーク派だから」

 だから、いつもカエルを見てるのか。

 勉強熱心と言えるけど、嫌な好みとも言える。

「それでは、私達は失礼します。どうも、ありがとうございました」

「いや。智美にもよろしく」

「はい、失礼します」



 幸いおかしな薬草は受け取らず、執務室を後にする。

 どれだけいい人でも、人間どこかに欠点はあるようだ。

 誰も、苦い薬なんて飲みたくないのに。

 あれは、却って不健康になる。 

 精神的に。

「楽しい?」

「楽しいよ」

 本の入った紙袋を抱え、とことこ歩く。 

 手に提げていると、底が抜けそうなので。

 それ以前に床を引きずるという指摘は気にしない。

「お前は、詳しいんだろ」

「別に。普通に知ってるくらいでしかない」

 淡々とした、あまり関心のない口調。 

 ただ、彼にすれば今さらという話かも知れない。

「俺も、少し調べようかな。先祖の事でも」

「だった、あれに聞け。あの女」

「誰」

「矢加部さん」

 あまり聞きたくない名前。 

 とはいえ、ケイの顔を見る限り冗談を言ってる訳でも無さそうだ。

「どうして」 

 当然尋ねるショウ。

 それは、私も知りたい。

「玲阿家や御剣家は、元々藩主の極秘な護衛である御土居下同心。彼等は武家という身分を隠してたけど、当然主家がいる。それが、矢加部家の祖先って訳」

「お前、詳しいな」

 ショウは素直に感心して、すぐに首を傾げた。

「でも、貴族というか公家がどうって話を聞いた事もあるけど」

「江戸末期の公武合体や、江戸初期に姻戚関係の事だろ。そこまでは、俺も知らない。知りたくもない」

 やっぱり出てきた台詞。

 私も同感だが。

「私も、別に聞きたくない」

「そうか」 

 多少残念そうな顔。

 それは心苦しいが、彼女に会うのはもっと心苦しい。

「サトミは調べないの?」

「自分の家系を?それとも、学校の歴史を?」

「どっちも」

「先祖はおそらく農民。学校の歴史は、ユウからゆっくり聞くわ」

 押し寄せてくるプレッシャー。

 レポートを書けとか言わないだろうな。

「少なくとも、10ページはお願い」

「あのね」

「そのくらいした方がよく覚えられるし、後であなたも読み返せるでしょ」

「別に、勉強のためにするつもりじゃないんだけど」

 だったら何のためにと聞かれると、もっと困る。

 自分でも、それが一番分かってないので。 


 取りあえず、草薙高校の本を開く。

 昔の学校を、上空から撮った写真。

 まだ教棟の数が少なく、緑が目立つ。

 学校の南には堀川が、水のない状態で名古屋港まで続いている。

 但し書きを見ると、戦争中ゲリラの侵入を警戒して急遽水を引いたという。

 こう考えると、戦争がついこの間までやっていた事を強く実感する。

「こっちは、と」

 次のページ。

 おそらく、つい最近の学校の写真。

 教棟や建物の数が増え、その分緑が減っている。

 堀川は埋め立てられ、公園や建物に。

「これは」

 初老の、威厳を感じさせる男性。

 学校ではなく、熱田神宮内の写真。

 羽織袴で、本殿を背に立っている。

「理事長」

 名前は高嶋となっている。

 つまり、今の理事長の何代か前。

 草薙グループの創設者かもしれない。

「この人は、今何してるの」

「学校運営やグループの経営からは身を引いて、隠居してるらしいわよ」

 さすがに詳しいサトミ。

 でも暇だな、隠居なんて。

 いや。この人はお金持ちだろうから、楽しいのか。

「政府に、中部庁、企業、草薙グループ」

 草薙高校に関わっている組織。

 出資しているのは、この全部。

 学校経営と運営は、草薙グループと政府に中部庁。

 施設や備品に付いては、企業から無償で支給。

 それらの製品はテスト対象として、データをフィードバック。

 教員は、政府が主に採用……。

「どうして、名古屋に作ったのかな」

「創設者が、名古屋出身だから」

「簡単な理由だね」

「大抵は、そんなものよ。それに東京だと規模が大き過ぎて、やりにくいと思ったのかも」

 なるほどね。

 この辺りの人口もそれなりは多いが、東京とは比較にならない。

「でも、初めて知った。この人が、学校を作ったなんて」

「知らなくても勉強は出来るわ」

 それはそうだ。

 知ってても、勉強するかどうかは別だけど。

「どうやって、ここまで大きくしたのかな」

「元々私学の経営をしてて、旧名古屋市内の高校を幾つか買収したって聞いてる」

「どうやって」

「人に聞かないで、自分で調べなさい」

 怒られた。

 分かってるけどさ。

 えーと、こっちか。


 気付くとお腹が空いていた。

 時計を見ると、そのくらいの時間。

「終わった、終わった」

 本を紙袋へ入れ、リュックを背負う。

 続きは、寮に帰って読むとしよう。

「楽しかった?」

「そういうのとは、また少し違うけどね」

 ははと笑い、一歩下がる。

 怖い顔で笑っているサトミから、遠ざかるようにして。

「少しだけど、手当はもらってるの」

「そうだね」

「しかも、あなたはここの責任者なの」

「そうらしいね」

 じりじりと下がり、壁を背にする。

 顔に落ちる影と視線。

 綺麗な顔立ちの分、迫力もより感じられる。

「今日一日、私があなたを代わりをしてました」

「じゃあ、サトミの夕食は私が代わりに」

 彼女の袖を引き、ドアへと向かう。

 でも、付いてくるのはサトミだけ。

「ショウ達は」

「もう帰ったわよ。今日は、普段より早く終業するよう連絡があったの」

「じゃあ、先に教えてよね」

「私が悪いのかしら」

 すごんでくるサトミ。

 悪いわよ。

 などと言える訳もなく、へへと笑いオフィスを出る。


 すぐに肩を押さえ、小さい身をさらに縮める。

 冷えた空気、薄暗い廊下。

 秋を実感する瞬間。

「大袈裟ね」

「寒くないの」

「雪国に暮らせば、なんて事無いわ」 

 ジャケットを羽織りながら、そう言ってくるサトミ。

 だったら、ジャケット貸してよね。

「私も、明日からは上着を持ってこよう。ついこの間まで、あんなに暑かったのに」

「気付けば冬が来て、春が訪れ。おばあちゃんになってるのよ」

 怖い事を言ってくるな。

 それも、本当の事を。


 コトコトと音を立てる小鍋。

 その下では、固形燃料が青い炎を立てている。

 食堂のフリーメニューのため、材料はかなり限定された物。 

 私は、豆腐さえ入ってれば問題ない。

「少し、ダシが甘いかな」

 アクを取り、テーブルにあった塩をちょっとだけ足す。

 煮詰まった後の事も考慮に入れて、控えめに。

「あなた、こういう事には細かいわね」

「サトミ程じゃない」

「私は、これの通りにやってるだけよ。後30秒」

 一緒に付いてきたマニュアル通りに火加減を調整するサトミ。

 煮え方を見て、調整しろって言うのに。

「サトミ、火が強過ぎ」

「だって、これには中火で3分って」

 マニュアルを箸で突くサトミ。

 本当に、変な所で応用が利かない子だな。

「いいの。これをもう少し、外へ」

 箸で固形燃料をつつき、小鍋から少し遠ざける。 

 しきりに持ち上がっていたふたはようやく勢いを弱め、縁の方に見えた泡も収まっていく。

「さすがね。料理人にでもなったら」

「将来は将来。今は、昔を振り返る時なんだから」

「振り返る程も生きてないでしょ」

 自分と私の顔を指差し、苦笑するサトミ。

 確かに、私自体の過去は16年しかない。

 記憶があるのは、この10年くらい。

 正確に覚えている期間となれば、もっと縮まるだろう。

「サトミは、赤ちゃんの時の事とか覚えてる」

「まさか。せいぜい2、3才の頃からよ」 

「微かな感じで?」

「かなり鮮明な部分も、少しはあるわ」

 ごく普通の調子で。

 ふたの中を覗き込みながら語るサトミ。

 冗談ではないようだ。

 天才だから覚えてるのか、覚えてるから天才なのか。

 どちらにしろ、私とは頭の構造が根本的に違うらしい。


「勉強は」

「今は、こっちの方が大切なの」

 火加減を見つつ、サトミの小鍋にねぎを入れる。

 煮る分じゃなくて、香り付け用に。

「ケイは食べないの」

「鍋を食べる心境でもない」

 じゃあ、どういう時が鍋を食べる心境なんだ。

「ショウは」

「矢加部邸へ行ってる」

「あ」

 さっきよりも鋭く睨み、彼をたじろがせる。

 冗談だと思ってたら、本当に行ったのか。

「大丈夫だって。木之本君と、御剣君。後、高畑さんも行ってるから」

「だったらいいや。サワラ食べる?」

「骨だろ、それは。俺は、肉でも食べよう」

 カウンターへと向かうケイ。

 そうか、そうか。 

 みんなで言ったのか。

 楽しそうでいいね。

「あの家だと、ご馳走を食べてるんでしょうね」

「私はこれでも、十分にご馳走だから」

「慎ましい事言って」

 笑うサトミ。

 とはいえ、別に拗ねてる訳でもない。

 矢加部さんの家で食べる事に抵抗があるという事だけでも。

 友達と一緒に食べる方が美味しいという意味だけでも。

「煮えた煮えた」

 しらたきをポン酢に通し、ご飯に乗せてそっと掻き込む。

 程良い酸味と、染み込んだダシの風味。

 この世の幸せを一人占めした心境だ。

「本当、安上がりでいいわね。ユウは」

「だって、美味しいんだもん。高級品もいいけど、私には体質的にこういうのがあってるの」

 春菊をかじり、低アルコールのビールで流し込む。

 もう、言う事無いね。

「おっさんか」

「何よ」

「別に。やっぱり豚バラは美味しいな」

 私と同じような感想を漏らすケイ。

 彼の場合も、かなり本心からだろう。



 繰り返される日常。

 その積み重ねが歴史につながる。 

 そんな事が、本のどこかに書いてあった気がする。

 特別な何かだけではなく。

 平凡な毎日もまた、その一つなのだと。

 今こうしている事も。

 私が歩んできた日々も。

 本には載らない。

 でも、私にとっての歴史。

 私達にとっての。   











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