20-4
20-4
執行委員会、か。
説明を聞いても分からないし、要項を読んでも理解出来ない。
勿論、書いてある内容くらいは理解出来る。
分からないのは、この存在理由だ。
どうでもいい、と言い切れる事でもないし。
「意味分かんないね」
「こうだろ、こう」
「え?」
「ほら、こう」
紙を逆さにするショウ。
そこに書かれた線が、指でなぞられていく。
「熊だよ、熊」
「何言ってるの。こっちから見るんだって」
「どうして」
「署名がここにあるから」
右隅にある、細い筋。
字、だと思う。
「何してるの」
「だって、これ」
二人して、机の上に置かれた紙を指差す。
子供の落書きに似た、殴り書きの書かれた紙を。
「ショウが、熊だって」
「ユウが、サンマだって」
「どっちでもないわよ。ボールペンの試し書き」
机に転がされるボールペン。
二人で赤面し、それとなく顔を逸らす。
まあ、今更って話だけどさ。
「ただこういう心理テストも、あるにはあるわよ」
「どういう意味?」
「一概には言えないけど、自分の気持ちによって何が見えるかは違ってくるわ」
ショウは熊。
三島さんのあだ名であり、強さの象徴とも言える。
分かりやすい。
「ユウはサンマ?」
「秋だからな」
納得し合う二人。
また人を、浅く見て。
多分、二人の想像したままだけどさ。
いいじゃない、美味しいんだし。
「あーあ。松茸食べたい」
「何よ、急に」
「意味なんて無いわよ。暇だし、やる事無いし」
「どうしてそう、刺激を求めるの」
仕方ないわねと言いたげなサトミ。
勿論平穏な日々がいいのは、私も分かっている。
でもこういうのも、性に合わない。
日溜まりの中で、猫を膝の上に置きながら。
一日中日向ぼっこしているような状況は。
それはそれで悪くないけど、週に一度くらいでいいと思う。
「何か無いの」
「引っ越しの斡旋なら出来る」
窓際でマンガを読んでいたケイが、ぽつりと呟く。
また、変な事をやってるんじゃないだろうな。
「報酬は」
「多少は手当が出るし、運べない物は何かもらえるかも知れない」
「例えば」
「ここにある、古い端末の代わりとか」
ふーん。
ちょっといいかも知れない。
「……夜逃げじゃないでしょうね」
「それに近いけど、やるのは昼から」
「よく分かんないな」
「人手がいないから、今すぐでも行こう」
特別教棟の最上階に近いフロア。
幾つものロックされたドアを通り抜け、ガーディアンの警備をパスしながら辿り着く。
圧倒されそうな大きい扉はストッパーで留められ、室内の様子は廊下からでも見て取れる。
積み重なれた段ボール、それを運び出す人達。
カーッペトをはがして、掃除まで始めている。
「一体、何事なの」
「クビになったから仕方ない」
段ボールに本を入れながら、こちらを見てくる生徒会長。
いや、元生徒会長か。
「明け渡し期限が迫ってるんだ。結構私物も多いから、手間が掛かって」
「なるほどね。重いのは、この子に任せて」
「え、ああ」
素直に奥へ進むショウ。
私はラックに収まっている本を調べ、一冊を手に取った。
「ニュートリノ測定の歴史・それはカミオカンデから始まった」
どこから始まってもいし、カミオカンデって何よ。
これは、フランス語の辞書か。
栄養学の本もある。
何だ、これ。
「カバラ秘儀書って」
「魔術の本よ。数式を使った占いが有名だけど、いわゆる魔女なんて部分とも関わってくる話。ユダヤ系の物で、セフィロトの樹と呼ばれる図形が有名ね」
古ぼけた本を手に取り、それを開くサトミ。
薄く、しかし集中力を示しながら。
誰が魔女だって話だな。
「その辺は、全部私物だ」
「あ、そう」
「ユウ、もっと丁寧に入れて。それと、これは別にして」
「いいじゃない、後で片付ければ」
今片付ければ、後で片付けなくてもいいけどね。
こういうのは、勢いも大事なの。
人は大勢いるので、片付くのは早い。
室内はすでに物がなく、机と空になったラックがある程度。
廊下に出れば、修羅場が待ってるが。
「何も、ここまで慌てなくてもいいんじゃないの」
「精神的にね。ここにいても、やる事はないし」
「じゃあ、これから何やるの」
「元の部署に戻る。情報局へ」
淡々と答える、元会長。
未練めいた雰囲気は、特に感じられない。
「局長として?」
「まさか。単なる局員さ」
平然とした態度。
別に、無念さを隠しているようにも見えない。
「何も気にならないの」
「君の方が気にしてるみたいだな」
「普通はそうじゃない。勝ってた選挙を無効にされて、訳の分からない委員会に横取りされて。局員に降格なんて」
「決まった事は仕方ない。それより大事なのは、これからをどうするかだ」
最もだが、いまいち納得しにくい答え。
彼の言うように、私が興奮してても仕方ないが。
「大体私よりも、気にした方がいい人もいるだろ」
「誰」
部屋に入ってくる舞地さん。
名雲さん達も、その後から。
「笑ったぜ」
本当に笑う名雲さん。
池上さんは彼をたしなめ、元会長の前に進み出た。
「これから、どうするつもり?」
「私は情報局へ戻る。契約は君達と交わした訳ではないんだし、それは問題だろう」
「そうね」
短い答え。
彼女達は、自警局長直属のガーディアン。
またそれとは別に、生徒会長の命に従うとの契約を交わした渡り鳥でもある。
しかし会長がいない今、その辺りはどうなるのだろうか。
「会長がいない今、契約は不履行と判断してもいいわ」
「こちらから破棄する事も出来る」
付け加える名雲さん。
少し、寂しげに。
「つまり、私達がここに留まる理由もない」
低く、よく通る声。
舞地さんはキャップを深く被り、鍔越しに私を見つめてきた。
何かを問いかけるような眼差しで。
「理屈としては、でしょ」
思わず、強い口調で言い返す。
抑えきれない感情によって。
「確かに、無理をして去る理由はない。でも、残る必要もない」
「本当に、そう言い切れる?」
帰ってこない答え。
逸らされる視線。
突然の発言。
理解出来ない、彼女の真意とも思えない。
彼女が言う通り、ここに残る理由は無いだろう。
でもそれは理由ではなく、義務が無くなったというだけだ。
それこそ、ここを出ていく理由はない。
何一つとして。
「確かに、立ち去るのは困るな」
新しい訪問者。
あまり会いたくはない。
特に、今は。
「俺の部下として働いてもらうんだから」
笑い気味に告げる、理事の息子。
陰険な笑顔と共に。
「あ?何言ってるの」
「俺も、例の執行委員会の一員だ。つまり、生徒会長の代行さ」
舞地さん達の契約は、生徒会長の命に従う事。
理屈からすれば、その委員会の指示に従うとも取れる。
しかしどうして、こいつがその話を知ってるんだ。
「さあ、こっちへ。別に無茶な事をやれとは言わない。俺達の警護でもやってくれれば。迂闊に怒らせて、反感を買う気もない」
「断ったら」
「委員会の権限において、在学資格の再審査を学校へ要請する」
彼が学校と結託してるのは、今や明白な事実。
在学資格が簡単に剥奪されるとは思えないけど、何らかの制約を受ける可能性は十分にある。
そして彼女達がここにいる限り、契約はつきまとう。
生徒会長に従うという。
つまりは、この男達に。
ようやくつながる、先程からの発言。
理解出来る、その真意。
何も好きで、ここを去るといった訳じゃない。
そうじゃない。
自分達の信念。
そしてきっと、私達への気持から。
「さあ」
手招きする男。
動かない舞地さん達。
男は鼻で笑い、端末を取り出した。
「仕方ない。こういう真似はしたくなかったが、言う事を聞かないんじゃな」
「私達を辞めさせてどうする」
「目障りな人間は、一人でもいない方がいい。俺の駒になるのなら、また別だが」
胸の中に生まれる怒り。
人を駒呼ばわりする意識。
他の誰でもない、舞地さん達を。
一歩前に出るショウ。
サトミも同様に。
私も、勿論。
「文句があるなら言ってくれ。生徒会長の代行である、この俺に逆らいたいのなら」
上等だ。
相手が誰だろうと関係ない。
誰もがその地位にひれ伏す訳ではないと、知ってもらおう。
さらに一歩踏み出そうとした時。
横を、人影が過ぎていった。
ショウでも、サトミでもない。
舞地さん達でも。
襟を掴まれ、壁に叩き付けられる男。
激しく咳き込み、下から突き上げられた腕で首が仰け反る。
「誰が駒だって?お前に、あの人達が使いこなせるとでも思ってるのか」
「お、お前」
怒りよりも、戸惑いの表情を浮かべる男。
彼に組み付いたのは、ケイ。
いつも彼の前では大人しく、従順とも取れる態度をとっていた。
しかし今は、他の誰よりもはげしい怒りを表している。
「お前程度が口をきける人達じゃないんだよ。少しは、自分の立場を弁えろ」
「だ、誰の事を」
「お前をこの学校から叩き出すくらい、訳無いんだぞ」
氷の刃にも似た声。
心の奥を、深くえぐるような。
ケイはようやく男を解放し、射殺すような視線で彼を睨み付けた。
「……ただで済むと思うなよ」
「お前こそ、いつまでもその立場にいられると思うな。転校先の事でも考えてろ」
厳しい。
ただ、普段通りとも言える台詞。
男はケイをきつく睨み付け、襟を直しながら部屋を出ていった。
静寂。
奇妙な静けさ。
息を整え、平静を装うケイ。
そこに舞地さんが歩み寄る。
「浦田」
「何ですか」
素っ気ない返事。
舞地さんは少し微笑み、彼へ手を伸ばした。
「いい子」
撫でられる頭。
顔を赤くするケイ。
「あ、あのさ」
「いいから」
「な、なにが」
優しく微笑む舞地さん。
逃げるという事を忘れたのか、ケイは何とも恥ずかしそうに頭を撫でられている。
「何よ、あれ」
「ケイがかばってくれたんだから、感謝してるんでしょ」
「それは分かるけど」
頭を撫でるか、普通。
犬じゃないんだしさ。
「しかし、厄介な事になったわね」
「ケイの事?」
「それもあるし、私達の立場も」
言葉とは裏腹な、気楽そうな表情。
深刻そうな池上さんも、あまり見た事はないが。
「契約についても、この学校で立場も」
「どこかへ行くんじゃないの」
「行って欲しいの」
人の頬を、両方から引っ張る池上さん。
舞地さんとは、相当の違いだな。
「今さらよそへ行っても仕方ないし、もう忘れちゃったわよ。渡り鳥の事なんて」
「一からやり直せば」
「雪ちゃんが、小学生からやり直したら考えるわ」
ああいえばこうだな。
少しくらい落ち込んだりしてよね。
「何よ」
「いつも気楽そうだなと思って」
「いじけててても仕方ないでしょ」
人の顔を見ながらの言葉。
別に、私はいじけてなんていない。
少なくとも、今は。
「じゃあ、これからどうするの」
「自警局がある限りは、その直属班さ。金はもらえるし、自由だし」
池上さん以上に気楽な答え。
ここへ残れて一番喜んでるかも知れない人の。
「何だよ」
「いいえ。何でもないですよ」
多少嫌みを込めて、そう返す。
なんか、面白くないな。
意味もなく。
「すっかり、片付きましたね」
優雅な足取りで、部屋に入ってくる副会長。
いや。この人の場合、役職はどうなるのかな。
「私の部屋は」
「へ」
「彼が委員長と思ったら、大間違い。副会長の権限を利用して、委員長の座を確保しました」
薄い、意味ありげな微笑み。
底の知れないとも言える。
「これで生徒会を動かす、公的な根拠も出来ました。学校に恩を売って草薙グループに入るか。学校に楯突く人間を、片っ端から排除するか」
「はい?」
「君達は、生徒会長の指示に従うんでしたね。早速、一仕事してもらいましょうか。そうですね。まずは塩田と中川さん達を内偵して下さい。連絡方法は、郵送で。当然ですが、他言は無用です」
すらすらと語られる台詞。
普通ではない、あり得ない内容。
数度下がったようにすら感じる、室内の空気。
「大山さん。冗談はそのくらいで」
静かにたしなめる元会長。
副会長は薄く微笑み、わざとらしい仕草で肩をすくめた。
「つまりこの委員会は、そのくらいの権限がある訳ですよ。ただし私は、あくまでもお飾り。実質的に運営するのは、転入生や転向組ですね」
「転向って」
「分かりやすく言うなら生徒の自治を諦め、学校の管理に賛同した人達です。裏切りでは、言葉がきつ過ぎると思いまして」
なる程、そういう訳か。
好条件で誘われれば促される人がいるとケイ達が言っていたけど、早速という事らしい。
ただしそれを責める理由はないし、私がとやかくいう問題でもない。
あくまでも、考え方が違うというだけで。
無理矢理なやり方はともかくとして、学校のやろうとしている事が絶対に間違いとは言い切れないから。
少なくとも私は、そう思っている。
「委員会の構成は、どうなってるんですか」
「理事の息子さん。彼が主導権を取ってます。それに従う転入生が数名と、生徒会関係者がやはり数名。後は現在の生徒会各局の局長と、予算編成局局長の中川さん」
「そして、学校の職員という訳だ」
苦笑気味に締めくくる元会長。
「でも上を抑えたからって、付いていく人なんていますか?」
「地位も名誉も与えられるし、資金はいくらでもあります。それになびく人は、どれだけでもいます」
塩田さんと同じ事を言う副会長。
それは二人が親友だからという事ではなく、今までの経験上といった所だろうか。
「さてと。私はまだ残務処理があってね」
「何も局員でなくても、執行委員会に残るよう要請があったと思いますが」
「たまには、気楽な立場になってみたいんだよ」
「皮肉ですか、それ」
悪戯っぽく。
彼にしては珍しい、感情を表して笑う元会長。
小さな紙袋を手に提げて、振り返る事もなく部屋を後にした。
「私も気楽な立場にと行きたいんですが、色々としがらみがありましてね」
「屋神さん達の事ですか」
「ええ。義理に縛られてるだけですが、こればかりは譲る訳にもいきませんので」
切なげな表情。
しかし、強い決意を感じさせる。
人の想い、か。
それに縛られるのが、いいのか悪いのか。
その事こそ、私には分からない……。
翌日。
オフィスで、古い卓上端末を前に佇む。
遊んでる訳ではなく、動きが鈍くなったので。
「新しいのをもらえばよかったのに」
画面を横から叩くサトミ。
少し処理が早くなった、気がする。
「それも、そうだけどね」
すり減ったキーボード。
薄汚れたボディ。
肝心の性能も、ご覧の通り。
「愛着があるって?」
「ん。まあ、そんなとこ。遅くても、使えるには使えるんだし」
ようやく終わる処理。
それに遅いといっても、個人の端末よりは相当に早い。
ゲームもやれるし、それ程問題はない。
多分。
「何、あれ」
「知らない」
にべもない答え。
窓際。
にへにへ笑いながら、本を読む男。
マンガではなく、かなり厚めの辞書。
笑う物でもないと思うんだけど。
「ろくでもない顔してるよ」
「そういう内容の本だから、仕方ないわ」
「辞書なのに?」
気になるので、窓際に行く。
「ねえ、それ何」
「辞書。いや、辞典かな」
サトミと同じ答え。
どちらにしろ、意味不明だ。
彼の行動と、辞書という組み合わせが。
「見せて」
「嫌だ」
「どうして」
「怒らないなら見せる」
別に、私の悪口が書いてある訳でもないだろうに。
「怒らない」
手を差し出し、見た目通り重い辞書を受け取る。
開きにくいな。
手も小さいし、指も短いから。
「あー」
「読む前から怒るなよ」
「開きにくいの。大体、字ばっかりで別に」
取りあえず適当にめくり、気になるような文字を探す。
写真もあるな。
染色体か、これは。
「……ちょっと」
「どうしかした?」
「何、これは」
口に出すのもためらわれるという写真。
及び、その説明書き。
少なくとも、学校で見る物ではない。
それとも昼間から、かな。
「ちゃんとした、学術書だろ」
「だ、だって」
「性科学大事典だよ。会長室にあったから、もらってきた」
喜々とした表情。
そのタイトル通り、そういう内容。
勿論真面目な意味合いで書かれた本ではあるだろうけど、喜んで読む気にはなれない。
まして、人がいる所では。
「お前、ろくでもないな」
「見たいなら見たいって言えよ。後で、貸してやるから」
「いや。そういう事は別に」
「大丈夫だって。こそっと部屋に持っていってやるから」
何を密談してるんだか。
人の目の前で。
「借りるの」
「か、借りないって」
びくりとして、身を引くショウ。
怯えないでよね。
脅した訳じゃなくて、純粋に聞いてみただけなのに。
大体ショウが借りても、面白くはないと思う。
そういう目的の本とは、かなり趣を異にするから。
お医者さんにでもなりたいのなら、別だけどね。
「ショウは、何かもらってきた?」
「え」
「忘れてたんじゃないでしょうね」
「まさか。そんな訳」
続かない言葉。
遠い眼差し。
彼が箱に、何か詰めてたのは知っている。
でもそれは、この部屋には無い。
持って出てきたのを、見た記憶もない。
「あれ」
「一度聞いてみたら」
「え、ああ」
端末を取り出すショウ。
するとケイが小さく手を上げ、ロッカーへ顎を振った。
「持ってきてたの」
「さて、誰が持ってきたのやら」
怖い事をいう人だな。
開けたら、爆弾でも入ってたりして。
それとも、誰か入ってるとか。
そんな訳無いけどさ。
「開けてよ」
「押すなって」
「いいから、ほら」
「開けるも何も、段ボールが入ってるだけだろ」
平然と取っ手に手を掛けるショウ。
これだからおぼっちゃまは。
もう少し、人を疑ったらどうかな。
というか、ケイを。
「何だ、これ」
こそっと、大きな背中越しにロッカーの中を覗き込む。
着替えや鉄アレイ、少しの雑誌。
その上に、無造作に置かれた小さい箱。
「俺が詰めたのとは、また違うような」
「音しない?」
「何の」
「知る訳無いじゃない」
我ながら無茶苦茶な事を言い、ぐいぐい背中を押す。
びくともしないな、しかし。
タックルしてやれ。
……いや、そうじゃない。
「あの箱は何よ」
「神様からのプレゼントかな」
ふざけた答え。
悪魔からの間違いじゃないのか。
それでもショウは、特にためらう事無く箱を開けた。
「……手紙?」
「全部、玲阿四葉様宛」
「どうして、生徒会に」
「そこは、それ。直接本人に渡すとまずいから、経由先を探してさ」
意味の分からない説明。
大体今時、手紙って。
そうじゃない。
今も昔も変わらない。
手紙を書く理由。
その持つ意味は。
「あ、あのさ」
聞く前から、言い訳したそうな顔をするショウ。
別に怒ってもないし、そういう気もない。
というか、このくらいの事を怒っていたらきりがない。
怒る理由がない、とまでは言わないけど。
「もてる人は違うわね」
ほほと笑うサトミ。
自分の事は、棚に上げて。
この人の場合は、崇拝といった域に近付いてる面もあるけどね。
「そ、そうじゃいって。お、俺がくれてって言った訳じゃなくて」
「当たり前でしょ。どこの世界に、ラブレターを募集する人がいるの。大体、募集して貰える物でもないんだし」
「俺を見るな」
何とも楽しそうなケイ。
とはいえ、別に私達を揉めさせようと思っている訳でもない。
彼はこういう、人の気持ちを大切にする人だから。
誰かへの思い、憧れ、伝えたい気持を。
普段の行動からは、想像も出来ないけど。
「サトミは、何かもらってきた?」
さすがにそう引っ張りたい話題でもないので、話を変える。
こそこそと、キッチンへ消えたショウを横目で見ながら。
「ケイと同じで、辞書を少し。正確には、用語辞典を」
「端末で調べればいいじゃない。何も、本を見なくたって」
「探したい単語を調べている内に、違う説明が読めたりするでしょ。それがまた、楽しいのよ」
和らぐ表情。
さながら、面白い遊びを語る時の子供のように。
でも関係ない説明なんて読んだって、何の意味もないと思うけどな。
いいか、本人が楽しいのなら。
「ユウは」
「飴もらった」
「はい?」
もう一度言ってという顔。
言うよりも、紅茶の葉が入っていた四角い缶を開けて振ってみる。
出てくるのは、芳ばしいリーフではなく小さな飴。
特に珍しい物でも、高価な物でもない。
机の上に置いてあって、いらないと言ったからもらってきただけだ。
「もう少し、欲を出したら」
「だって、欲しい物なんてなかったもん」
「端末は。ラックもいいって言ってたでしょ」
「いいの。私はここにある物を気に入ってるんだから」
古ぼけた端末、へこんだロッカー、きしんだ音を立てるラック。
それがまた味になって、気に入っている。
のだと、思う。
思いたい。
というか、そう思わせて……。
とにかく、何でも捨てればいいという訳でもない。
古い物は古いなりに価値があるし、やっぱり思い入れもある。
物を捨てられない性質ではなく、せめて3年間は使い通したいという思いも無くはない。
無意味な考え方。
子供じみたこだわりと言ってしまえば、それまでだけど。
大体制服が、同じ物を3年間着られそうだったりする。
成長期の、この時期に。
そう言えば、そろそろ衣替えだな。
ばたばたと階段を駆け上がり、ばたばたと降りてくる。
「制服は」
「着てるじゃない」
「秋用の」
「中等部のが着たいとか、秋物が欲しいとか。私はあなたの小間使いじゃないのよ」
文句を言うお母さん。
いいじゃないよ、親なんだから。
「寮には無いの?」
「あそこには、最小限しか置いてない」
「贅沢な子ね。自室を二部屋も持ってるなんて。えーと、確か上の押入にと」
天井へ向けて、くるくる回る指。
多分、記憶を辿ってるのだろう。
この辺は、同種なのですぐ分かる。
血統的にも、思考的にも。
私の部屋の隣にある、衣料物を置いてある部屋。
といっても私とお母さんのが大半で、お父さんのはスーツが少しある程度。
あまり着飾るお父さんというのも、想像出来ないし。
「去年クリーニングに出して、春に干して」
まだ記憶を辿ってたのか。
「この辺じゃないの」
「根拠は」
「勘よ、勘。女の勘」
クローゼットを開けて、ハンガーに掛かってる物を適当に漁る。
お母さんのスーツや、私のコート。
それとも、その下にあるのかな。
分からないので中に入り、もぞもぞと探してみる。
「ちょっと」
「いいじゃない」
「閉じこめるわよ」
子供じゃないんだから、そんな事で怖がる訳もない。
でも、入っている必要もない。
狭いのはともかく、暗いのはちょっとね。
知らない間に、隣りに誰かが座っていそうだし。
誰だかは知らないし、知りたくもないけど。
押入のラックからようやく出てくる、秋物のブレザーにスカート。
デザインは冬物と大差なく、生地が少し薄い感じ。
ついでに冬物も探し当て、バッグに詰め込む。
「昔は、秋物なんてなかったのに」
「昔は、でしょ。しかし、制服か」
突然という程でもないが、学校での事を思い出した。
制服を着た、転入生達。
学校の意向を汲んだとされる行為を。
「どうかしたの」
「ん、ちょっとね」
「変な事に首を突っ込まないでよ」
「大丈夫、だと思う」
若干曖昧に答え、バッグを担ぐ。
少しの負荷。
普段着ていると分からない、制服の重み。
ただこれは、あくまでも物質的な。
精神的な部分は、また違う。
何がどう違うのかは、よく分からないが。
寮へ戻り、クローゼットへ制服をしまう。
……待てよ。これは何だ。
ばたばたと階段を駆け上がり、ばたばたと降りてくる。
「夏服、夏服はどこにしまう?」
「いい加減にして」
ため息を付くお母さん。
愛娘に対して取る態度じゃないな。
私だったら、首でも絞めたくなるくらいだけど。
「まだ暑い日はあるでしょ」
「制服じゃなくて、私服の方。半袖が余ってきてる」
「この家は、あなたの物置じゃないのよ。一度クリーニングへ出すから、リビングに置いて」
「了解。おーい」
リビングに入ってくる段ボール。
勿論、勝手に歩いてきた訳じゃない。
「ここでいい?」
「どうぞ」
苦笑するお母さん。
ショウはリビングの隅に、「夏物」と書かれた段ボールを置いた。
「悪いわね。わざわざ」
「いえ、別にこのくらいは」
殊勝な答え。
なんか、私がとてつもなくこき使ってるみたいじゃない。
「車がないから、仕方ないでしょ」
「ああ言えばこうね。あなた、反抗期?」
「そうよ」
がーっと吠え、ソファーをがりがり爪で掻く。
全然違うか。
「いい加減にしなさい」
掴まれる襟首。
猫か、私は。
「暇なら、クリーニングへ行ってきて。二階にも夏物を出してあるから、それもお願い」
私ではなく、ショウを見るお母さん。
悪いのは誰かという話だな。
車に段ボールを詰め込み、近所のスーパーへやってくる。
服とはいえ、量があると結構重い。
というか、前が見えない。
「まだ?」
「まだって、俺に聞くな」
「薬局の右隣で、お茶屋さんの左隣」
頭の中にある地図を頼りに、彼へ伝える。
学校の配置は分かってないが、ここなら目を閉じても歩けるくらい。
それこそ、よちよち歩きの頃から来ている場所だから。
「ここか」
「へぇ」
ため息と共に段ボールを置き、床にしゃがむ。
店の性質上入り口のそばにはあるんだけど、私にとっては万里にも近い。
それでもようやく服を預けて、店内をふらふらとさまよう。
買い物の当てはないし、ここにいる理由もない。
それでで店内からは、出て行かない。
「はは。可愛くない」
ジャガイモのぬいぐるみだって。
誰が買うんだ、こんなの。
「へへ、これ何」
猫を彫り込んだ、綺麗なグラス。
欲しいけど、高いな。
「買うのか」
「買わない」
すぐに答えて、食品売り場へと足を向ける。
「買うのか」
同じ事ばっかり聞くな。
ビニール袋を提げ、キッチンへ運ぶ。
冷蔵庫に入れて、棚にしまって、野菜入れに整理してと。
「悪いわね」
「いえ、別に」
ごく普通に答えるショウ。
本当に人がいいというか、損をする性格というか。
「じゃあ、俺はこれで」
「あら、食べていかないの?」
「稽古があるから」
泣きたくなるような事を言ってきた。
一体どうやったら、こういう性格になるんだろう。
ちまちまとカニをかじり、指を舐める。
「まだあるわよ」
「いえ、もうお腹一杯なので」
足を一本食べただけ。
とはいえ精神的にも、すでに満ち足りている。
ショウのお母さんは優しく微笑み、タオルを渡してくれた。
「済みません」
「この子達もそのくらいだと、家計もたすかるんだけど」
右隣。
騒ぎながらカニを取り合う大男二人。
量が無い訳じゃないが、あればあるだけ食べるからな。
「いい加減にしなさいよ」
「だって、こいつが」
「俺のだろ、それは」
餓鬼だな、まるで。
とはいえこのくらい食べるから、このくらい大きくなるんだろうか。
「おじさんは、食べないんですか」
「カニは、嫌な思い出があってね。昔シベリアで、生で食べてさ。ひどい目にあった」
笑いながら、日本酒の入ったグラスをあおるショウのお父さん。
言葉の通りカニへは手を付けず、漬け物にだけ箸が伸びる。
「お腹を壊したとか」
「まあね。生はやっぱり駄目だな」
「当たったんですか」
「それもあるけど。生だと、あれ。いろんなのがいるから。トイレに行ったら、びっくりしたぜ」
カニを置くショウと風成さん。
瞬さんの言ってる事が、十分理解出来たらしい。
というか、私も食欲が失せる。
「お前は、食事中に何を言ってるんだ」
厳しい声でたしなめる、ショウのお祖父さん。
つまりは、瞬さんのお父さん。
本当に、ありがたい一言だ。
「だってさ」
「もういい。大体お前は」
「お父さん。そのくらいで」
ワインボトルを傾け、彼のグラスへ注ぐ月映さん。
体は大きいが、意外と細やかな心遣いをする人である。
弟とは違って。
「優ちゃんも飲む?」
「いえ、私は」
「食べないし、飲まないし。大きくなれないわよ」
くすくすと笑う、月映さんの奥さん。
小柄な分、私にとっては親しみやすい人。
しかし、どうして私はここでご飯を食べてるんだ。
朝。
目が覚める。
見慣れない天井。
普段とは違う、ベッドの感覚。
もう一度目を閉じて、力を抜く。
夢だ、夢。
……なんか、重い。
ただ、お化けという訳でも無さそうだ。
「ニャー」
聞き慣れない声。
毛むくじゃらの顔。
欠伸をした口元に見える、鋭い牙。
「にゃー」
こっちも負けずに鳴き返し、がしっと抱きしめごろりと転がる。
しかしコーシュカはするりと抜け出し、背中へ乗ってきた。
遊んでるな、人の体で。
「何よ、もう」
尻尾を掴み、そこを辿って襟首に手を伸ばす。
床へ逃げるコーシュカ。
負けじと床へ降り、じりじりと距離を詰める。
「……何してるの」
「はい?」
見上げた視線の先。
私を見下ろす、妙齢の美女。
ショウの姉と、人は呼ぶ。
「その、朝の体操を」
背筋を伸ばし、四つんばいの体勢から立ち上がる。
さすがに鳴きはしない。
今さらという話だが。
「猫の真似もいいけど、程々にね」
「はあ。今、何時ですか」
「まだ、ご飯には早いくらい」
時計を差す、しなやかな指先。
確かに、普段なら布団の中にいる時間。
早過ぎる、という程でもないが。
「四葉と一緒に寝れば良かったのに」
「私は、猫と寝るのがお似合いです」
軽く返し、タオルケットを抱える。
「どうするの」
「え。干そうかと思って」
しばし見つめ合う私達。
確かに、人の家でやる事でもないか。
「じゃあ、お願い。四葉をこき使った分」
「使ってませんよ。それとも、何か言ってました?」
「さあ、それは私の口からは」
しなを作る流衣さん。
あの子、人の知らない所で愚痴ってるんじゃないだろうな。
タオルケットを庭に干し、羽未とコーシュカにご飯をあげて。
草木に水を撒いて。
「何やってるんだ」
上半身裸で現れるショウ。
自分こそ、何やってるんだ。
「朝だから、ちょっとね」
「断れよ、そんな事」
「いいの、好きでやってるんだから」
「ふーん。変わってるな」
あなた程じゃないと内心で答え、タオルを放る。
ショウはそれで顔を拭き、すぐに嫌そうな顔をした。
「これって、何か拭いた?」
「羽未が濡れたから、背中を少し」
「いいけどさ」
顔をしかめつつ、それを首に掛けるショウ。
いいのか、本当に。
普段とは違う朝。
違和感の無い。
体に馴染んでいるような。
それがどうという訳でもない。
とはいえ、決して悪い気分でもない。
晴れ渡った、今日の空のように。
ここから学校へ行くのは、どうかとも思うが。
それも、ショウと連れだって。