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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第19話
209/596

19-5






     19-5




 閑散とした室内。

 人の姿はなく、一人私だけが床の上に座っている。

 エアコンはもう必要なく、開け放たれた窓からは冷たい風が吹いてくる。 

 まだ日は高く、夕暮れも遠いというのに。

 物悲しげな音を立てる風鈴。

 夏の終わりを思わせるような。


 とはいえ夏が終わりかけているのは、ここが山の上だから。

 名古屋に帰れば、まだしばらくはうだる暑さが待っている。

 それを思うと、このままここに居着きたくなる。

「何だか、寂しくなりましたね」

 グラスではなく、湯気の立つマグカップをテーブルへ置くエリちゃん。 

 私はぬるめのコーヒーに口を付け、シャツの袖をまくった。

 サトミ達は例のガーディアン統合案のため、今は学校にいる。

 舞地さん達は、白鳥さん達へ会いに。

 ヒカルは大学院で論文用の研究。

 残ってるのは、私と彼女。

 後は高畑さん。 

 何というのか、女子供だけ。

 ちなみに女はエリちゃんで、子供は私と高畑さんだ。


「優さんは、帰らないの?」

「エリちゃんは」

「だって、名古屋は暑いから」 

 私と同じ意見。

 でも、何かやる事は無いのかな。

「忙しくないの?」

「宿題はこっちでもやれるし、自由研究も出来るから」

「ああ、そんなのもあったね」

 私の場合はハーブ。

 お母さんに念を押しておいたので、映像はネットワークを介して送られてくる。

 わざとらし額の汗を拭きく、暑そうな顔で水を撒いている姿と共に。

「実家へ帰ればいいのに」

「私はまだ帰ってる方だけど」

 言い淀むエリちゃん。

 今ここにはいない、二人の兄。

 彼等は帰っていない。

 今年の夏だけでなく、名古屋へ来てから一度も。

「駄目だね、あの二人は。そんなにお父さんが気にくわないの?」

「言いたい事も、分かるには分かるの。それにここまでこじれると、ちょっと難しいみたい」 

 寂しげになる表情。

 テーブルを滑る指先。 

 私には、どうしようも出来ない問題。

「聡美姉さんも、その意味では似てるのかな」

「あの子は去年帰ったけど。結局、怒って戻ってきたから」

「世話が焼けるというか、いい年をして何考えてるんだか」

 しみじみと呟くエリちゃん。 

 さっきよりは、少し気楽そうに。

「こう楽しくなるような事って、何か無いですか?」

「花火でもやろうか」

「昼間から、二人で?余計寂しくなる気がする」

「まあね」

 浮かしかけていた腰を戻し、完全にぬるくなったコーヒーを飲み干す。

 じゃあ名古屋に帰れという話だけど、それはお互い口にしない。

「暇そう、ですね」

 とことこと歩いてきて、私の前に座る高畑さん。

 自分はどうなんだ。

「高畑さんも、まだ帰らないの?」

「名古屋は、暑いので」

 またこの答えか。

 勿論避暑のために来てるんだから、そう答えるのが当たり前かも知れないけど。

「お父さん達は心配しない?」

「私も、来年は高校生ですから」

 控えめに、だけど自信を持った一言。

 それには私とエリちゃんも、頷くしかない。

 私なんてもうすぐ大学生なのに、というレベルなので。

「高畑さん、絵は?」

「描いてます。夕方にならないと、駄目ですけど」

「ああ、夕景を」

「海もいいけど、山もいいですね。特に、この辺りは」

 力を込めて語る高畑さん。

 何がそこまでいいのか、私にはいまいちピンと来ない。

 泳げたり涼しいのは、少なくとも絵とは関係ないし。

 というか、私にはそのくらいしかここのいい点は思いつかない。

 景色がいいというのも、綺麗の一言で終わるくらいだし。

 だから私は、彼女のような絵を描けないのかもしれないが。


「優さんも、絵は描いてなかった?」

 微妙なタイミングで話を振ってくるエリちゃん。

 確かに私も、この辺りの絵は何枚か描いている。

 ただそれはスケッチ以前の、簡単な物。

 夏休みの宿題にも使えないくらいの。

「遊び程度にね。池上さんに見せたら、笑われるくらいのレベル」

「私は好きだけど」

「ありがとう。でも、いいの。私は私で生きていくから」

「何、それ」

 二人して笑い、息を付く。

 何もしていないままに、ただ時間が過ぎていく感覚。

 とはいえ焦りも不安もなく、むしろ心地いい気分。

 長い休みの中だけで味わえる、貴重な体験ともいえる。

「……誰か、来てますよ」

 端末を見せてくる高畑さん。 

 宅配業者でも来たのかな。

「はい」

「私です。渡瀬です。ナオもいます」

 画面の向こうで手を振る渡瀬さん。

 その後ろには、神代さんの姿も見える。

「どうしたの」

「近くを通り掛かったので」

 よく分からないけど、彼女達が玄関前にいるのは間違いない。

 取りあえず、中に入ってもらうとしよう。



「よく、場所が分かったね。大体しか、教えてなかったのに」

「綺麗なお嬢様みたいな人が、ここだって」

 寒いのか、パーカーを着ている神代さん。

 彼女の場合は、腕を見せたくないという理由もあるだろうが。

「こちらの道を行けば,着きますよって。こんな物までもらいました」

 テーブルに置かれる、檜の入浴剤。

 檜の箱入りで。

 さすがに気前がいいな、お嬢様は。

「雪野先輩の名前を出したら怖い顔したけど、知り合い?」

「さあ。私は、お金持ちと縁がないから」

「ショウさんは、お金持ちじゃない」

 からかう表情を見せるエリちゃん。

 確かに彼の実家はそうだけど、あの人はちょっと違う。

 それを分かっていての、今の発言でもある。


「お昼は?」

「ご馳走になった。その、お嬢様に」

「天然鮎のお刺身を。世の中にはいるんですね、ああいう人も」

 妙に感心する二人。

 金に物を言わせて、人を丸め込んだ訳か。

 向こうにそういう気はなくても、私はそう考える。

 私が食べられなかった分、余計に。

「お嬢様お嬢様って、名前くらい聞いたでしょ」

「それが、教えてくれなくて。草薙高校の二年生とは言ってたけど。結局、誰なの」

「さあ。誰だろう」

 適当に答え、檜の箱を叩く。

 どうせなら、食べ物にしてよね。

「あの、綺麗な人ですか?」

 ぽつりと呟く高畑さん。

 そうか、彼女は会ってる訳だ。

「矢加部さん、でしたっけ」

「そうだった?私は知らない」

「優さん、またそういう事を。間違いなく、矢加部さんですよ。草薙高校2年で、優さん達とは中等部の頃から面識があります」

 若干ぼかし気味の、エリちゃんの説明。

 面識という言葉で曖昧にして、詳しい関係は語らずに。

 この辺りは、お兄さんに引けは取らない。

「じゃあ、あたし達の先輩」

「どうかな」

 あくまでも認めず、箱を開ける。

 入浴剤だけかと思ったら、香水まで入ってる。

 檜の香水か。

 興味はあるけど、つける勇気はないな。 

 私の物じゃないから、つけなくてもいいんだけど。



 どうにもやる気がなくなってきた。

 それ以前に、やる事もない。

 宿題は終えたし、家事も済ました。

 遊びに出るには、遅い時間。 

 山の日暮れは早いから。

「暇そうだね」 

 濡れた髪を撫でながら、キッチンへやってくる神代さん。

 近くの川で、泳いできたらしい。

「渡瀬さんは?」

「高畑さんと泳いでる」

 小さい者同士、気が合うのかも知れない。

 私も含めて。

「もう遅いのに、危なくない?」

「心配性だね、先輩」

「年長者としては、一応ね」

 エプロンを脱ぎ、コンロの電気を落としてキッチンを出る。


「エリちゃーん」

「はい、ここに」

 二階から続く階段の途中から顔を出すエリちゃん。

 私はゴーグルを首に掛け、窓の外を指差した。

「高畑さん達を迎えに行ってくるから、留守番お願い」

「分かりました。神代さんも行かれるんですか」

「え。あ、はい。行かれます」

 なんか、間の抜けた答え。

 私は端末をパーカーのポケットへ入れ、玄関に向かった。


 雑木林を抜ける、緩い坂道。

 振り返ればコテージがまだ見えて、川までは歩いて5分程度。

 周りにあるのはそのコテージだけで、いわば私達の貸し切り状態。

 今は弱まり始めた日射しが、葉々の間をくぐり抜けて小径を照らしている。

「行かれますって」

「だ、だって。あたしに、あんな丁寧に言ってくるから」

「神代さんが先輩だからでしょ」

「そうだけど。なんか」

 口元で、何やら呟く神代さん。

 自分が先輩という自覚が無いようだ。

 私も、それは大差ないけど。

「浦田先輩の妹って、本当?」

「何を疑ってるの。戸籍的にも血縁的にも、ケイの妹さん」

 まだ小首を傾げる神代さん。

 その辺は私が、一番納得出来てない。


 雑木林が切れ、足元は目の細かい土と砂利になる。

 午後の日射しを浴び、薄白く輝く水面。

 対岸の岩場は、そのきらめきの中に消えるかのよう。

 空はまだ青く、高い。

「あそこかな」

 流れの早い川の手前。

 自然堰に守られた、わずかなスペース。

 緩い流れの行き来がある、かなりの浅瀬。

 そこにぽつんと見える、二つの人影。

 笑い声が聞こえてくるから、大丈夫のようだ。

「おーい」

 声を上げて手を振ると、向こうも気付いたらしく手を振り返してきた。

 何というのか、意味もなく可愛くて嬉しい。


 パーカーを脱ぎ、サンダルを脱いで水の中に入る。 

 勿論、水着で。

「楽しそうだね」

「カニ、カニ」

 両手でチョキを作る渡瀬さん。

 真似をしてる訳ではなく、水の中にいるようだ。

 彼女も私と似たような、紺のワンピース。

 それは、高畑さんも同様。

 というか、私達がビキニを着てもね……。

「ゴーグル持ってきたから、これ使おうか」

「網を用意すればよかったですね」

「いいよ、手で」

 ゴーグルをはめ、無造作に腰を屈める。

 景色はすぐに、水の中。 

 4本の、綺麗な足が目の前にやってくる。

 とはいえそれを眺めている場合でもなく、さらに沈み込んで川底の石をひっくり返す。

 いないから、もう一度。

 いや、こっちか。それとも、こっち。

「……どうでした」

「息が続かない」

 全身で息をして、空を仰ぐ。

 空の青さが、目に眩しい。

「私が、やって、みましょうか」 

 控えめに申し出る高畑さん。

 私はゴーグルを渡して、前髪から滴る水滴を手で拭った。

「大丈夫?」

「一応、漁師の娘ですから」

「あ、そうか。雪野さんは?」

「お父さんの娘じゃないの」

 自分でも訳の分からない事を言って、水の中に潜る高畑さんを見守る。

 浮かんでこない体。

 ただ溺れていないのは、水面越しに見える彼女の姿を見ていれば明らかだ。

「……これ、ですか」

 ようやく浮かび上がる高畑さん。

 ゆっくりと、水面の上で開かれる両手。

 小さい、指の先程の大きさ。

 小刻みに動く、短い足。

 薄赤い背中は彼女の手の平を滑り落ち、水の中へと消えていった。

「なんか」

「疲れ、ましたね」

「おかしいな。もっと、大きく見えたのに。屈折率のせいかな」

 小さく呟き、水をすくう渡瀬さん。

 その中に沢ガニはなく、落ちていく滴が水面に波紋を作っていく。

 私達の、気の抜けた笑い声。

 柔らかな、午後の日射しの中で。



 泳いだからだるい。

 毎日毎日、こんな事の繰り返しだな。

 それはそれで、好きでやってるんだけど。

 洗い物を全部片付け、暖かいお茶を飲む。

 夜になると、こういうのが嬉しいくらい。

 後はお風呂に入って、体を温めよう。

「そういえば」

 リビングへ来て、辺りをごそごそ探る。

 ここでもなくて、ここでもなくて。

 絵はがき?

 これも出さないと、またサトミがうるさそうだな。

 こっちは、持って帰るお土産か。

 宅配業者の手配もしないと。

 えー、これは置いていくものか。

 いや。帰り支度をしてる場合じゃない。

「あった」

 檜の箱を開け、中を漁る。

 ここのお湯は温泉を引いてるので、入浴剤は必要ない。 

 そうじゃなくてと。



 煙る浴室内。

 多分内装は、檜だろう。

 少しぬめりのある、無色透明なお湯。

 入っているだけで、肌がすべすべしていく感じ。

 そんなお湯の中に浸かり、水面を波立たせる。

 その揺れに乗って、ぷかぷかと浮かぶ黄色いアヒル。

 勿論、おもちゃの。

 入浴剤セットの中に、入ってたのよ。

 他の物はどうでも良くて、これだけが欲しかった。

「面白い?」

 浴槽の縁に腰掛け、小首を傾げる神代さん。 

 彼女も、こういう物の面白さは理解出来ないようだ。

「モーターかゼンマイはないんですか」

 満面の笑みで、アヒルをひっくり返す渡瀬さん。

 彼女は、その逆らしい。 

 つまりは、私と同類。

「どかしました?」

 アヒルの後ろで波を起こしていた渡瀬さんは、小首を傾げてこちらを見てきた。

 お湯の上に出た上半身。

 緩やかな、幼いけれど女性らしいボディライン。

 少なくとも、去年の私よりは発達した。

 今の、私よりも。

「何でもない」

 虚しく呟き、圧倒されそうな体型をしてる神代さんの横を過ぎて浴槽から上がる。

 分かってたけど、一緒に入るんじゃなかったな。


 隅っこで丸くなってたら、高畑さんまで入ってきた。

 彼女は私は目もくれず、二人の方へと歩み寄る。

 私も、風呂場で丸くなってる人間には近付きたくはないが。

「お背中、流しましょうか」

「え?」

 先程同様、極端に動揺する神代さん。

 高畑さんは構わず彼女の手を引いて、洗い場の椅子に据えた。

「ちょっと、私も洗ってよ」

「いやだ」

 反抗した。

 子供みたいな体して。

 でも、かろうじて私の方が勝ってるかも知れない。

 彼女との年齢差は、この際考えないとして。

「どうぞ」

「ありがとう。ひゃひゃ」

 くすぐったいのか、奇っ怪な声を上げる渡瀬さん。

 楽しそうでいいな、なんか。

 いいや。

 私は、壁でも洗ってれば。

「あーあ」

 さすがに自分でも馬鹿馬鹿しくなってきたので、シャワーを浴びて出口へ向かう。

 さっき泳いで、食事の準備と後片付けをして。

 その後でお風呂に入れば、体力的にも結構辛い。

 トレーニングも挟んでいれば、余計に。

 後はお茶を飲んで、早く寝るとしよう。


 ロッカールームで、体重計に乗る。

 少し減ってる感じ。

 最近よく動いているから、そのせいもあるだろう。

 増えるよりはいいけど、元々減る分も無いので気にはしておこう。 

 明日はお肉を大目に食べようかな。

「今から?」

「ええ。宿題が終わったので」

 目の前で服を脱ぎ出すエリちゃん。

 見る気はないし、見たくもない。

 正確には、これ以上落ち込みたくもない。

「どうかした?」

「ううん。高畑さんが背中流してくれるから、頼んでみたら」

「優さんは?」

「私には、反抗的なの」

 くすくすっと笑い、エリちゃんは浴室へと入っていった。

 私はその背中を見送り、出口へと。

 高畑さんの着替えを着て。 

 サイズ的に問題ないのが、また悲しかったりする……。



 キッチンへお茶を取りに行くと、大きな背中が見えた。

 汗で色の色の変わったTシャツも。

「それは、洗濯機の前に置いてよね」

「ああ、悪い」

「それと、ここで脱がないで」

「ああ、悪い」

 同じ答えを繰り返すショウ。

 2Lのペットボトルが傾けられ、半分まで一気に減る。

 こうなると、行儀がどうという場合でもない。

 サトミが見ていたら、知らないけど。

「おじさんは?」

「先に、風呂へ行った。俺は、とにかく喉が渇いて」

 残りの半分もすぐに飲み干され、空になったペットボトルが流しに置かれる。

 ここにいるのは私達だけではなく、ショウと瞬さんも。

 ただ彼等は朝からこの時間まで、ずっと山の中を歩き回っている。

 水も食料も、何も持たずに。 

 その間どうやって水分を得て食事を取っているのかは、分からない。

 日増しに彼の顔が精悍になり、引き締まっていく事しか。

「高畑さんが……。いや、あの子は女湯か」

「どうかしたのか?」

「ちょっとね」

「大体、それは」

 私の薄い胸元へ向けられる指。

 正確には、行進している可愛らしい動物達。

「仕方ないじゃない。高畑さんが、こんなパジャマ着てるんだから」

「自分のは」

「さあ。家に忘れてきたのかな」

 どっちにしろ可愛いので、私は問題ない。

 何より、サイズ的に。

「何か食べる?」

「いや。色々食べてきた」

 げっそりした顔。 

 ここでさらに尋ねるのは、止めた方がいい。

 彼等が何を食べようと、私には関係ない。

 山に何がいるかなんて、知りたくもない。

「明日も?」

「夏休み中は、ずっとかな。ユウは、いつ帰るんだ」

「神代さん達と一緒にしようかなと思って。サトミ達を放っておいても、あれだし」

「向こうも同じ事言ってないか」

 笑うショウ。 

 私も笑い、その引き締まったお腹に一撃をくれる。

「あ、あのな」

「私のなんて、大した事無いでしょ。気合い気合い」

「じゃあ、手首を返すな。踏み込むな」

 何言ってるのよ。

 手首も返さなくて、踏み込みもしなくて。

 そんなの、殴った内に入らないじゃない。

「いいから、早くお風呂入ってきたら。明日も早いんだし」

「仰せのままに。俺の背中は、流さないのか」

「モップで良いなら」

 お互い軽く笑い、私はキッチンを片付ける。

 ショウはそのまま、お風呂へと。

 ふと気付いたが、汗で湿ったシャツを置いたまま。

「ちょと、これ。おーい」

 呼んでは見たが、戻ってくる気配はない。

 いいか。これを運ぶくらいは。

 彼の努力に比べれば、なんて事もないんだし。

 この重みの分、頑張っている彼。

 私は何も出来ないけど、せめてこれを洗うくらいはして上げられるから。



 白いもやの中。

 冷たい湿った風が、足元を吹き抜ける。

 日射しはまだ弱く、じっとしていると震えるくらい。

 静まり返った森。

 鳥も虫も、眠りの中。

 落ち葉の積もった地面に足を据え、腰を落として木立にぶつかる。

 肩に感じる、鈍い衝撃。

 そのまま手を下からあてがい、曲げていた膝を伸ばして腰で押す。

 さらには足を木の後ろへと掛け、体重を乗せつつさらに押す。

 さざめく葉々。

 木はゆっくりと揺れ、落ち葉を散らす。

 勿論私の投げのせいではなく、吹き抜けた風のために。

 天狗じゃないんだから、木なんて倒せない。

 これも別に打倒カッパを目指してではなく。 

 昨日のショウに、多少触発されたから。 

 彼等の行為に比べれば、所詮子供のお遊びだけど。

 それでも、体を動かしたかった。 

 例え無意味で、自己満足に過ぎないとしても。

 自分の気持ちの上では、十分過ぎる。

 誰もいない、森の奥。

 白い朝もやと、柔らかな木漏れ日。

 その中で、汗をかくのも。



 早起きをすれば、当然眠い。 

 とはいえ朝ご飯を作り、掃除をして。 

 その前に、ショウ達を見送って。

 主婦がストレスをためる気分が、よく分かった。

 帰り支度もあるし、お昼の準備もあるし。

 このまま、家出しようかな。

「これは」

「持って帰る。そっちは、向こうの段ボールへ」

 私に指示を求めてくる高畑さん。

 そういう柄ではないんだけど、この場にいる一番年長は私なので仕方ない。

「これは」

「難しいな。入るなら、持って帰って」

「どこに、入れます?」

「うー、難しいな」 

 段ボールは物で溢れかえっていて、隙間がない。

 持ってきた以上に、物が増えている。

 お土産、自由研究の標本、見慣れない箱。

「もういいや。別なのに詰めて、ショウに持って帰ってもらおう」

「宅配業者さんに、頼めば、いいじゃないですか」

「お金がもったいないじゃない」

 空の段ボールを組み立て、手当たり次第に詰めていく。

 ついでに、私の着替えも入れてやれ。

「高畑さんの着替えは。向こうでは着ない分」

「ありますよ」

 それを受け取り、段ボールに放り込む。

 どれだけでも入るな。

「あの、それは、自分で持って帰った方が」

「いいの、いいの。もっと、段ボール作って」

「あ、はい」

 二人して、手に着いた物を放り込む。

 とはいえ何を入れたのか分からなくなるのは困るので、リストを作りながら。


 やはり二人で全部玄関前へ運び、そこで二つに分ける。

 私達が持って帰る分と、ショウが持って帰る分。

 前者の方が少ない気もするけど、気のせいだ。

「終わりましたよ」

 階段を下りてくるエリちゃん。

 彼女は戸締まり担当。

 私よりは気が付くので、一任してある。

 ショウ達はまだ残るけど、彼の二人がここでするのは寝る事だけなので。

「随分増えてない?」

「大丈夫。ショウが持って帰るから」

「怒られない?」

「怒るかもね」

 笑顔で応え、段ボールの山にマジックで書く。

 雪野家とか、高畑家とか。 

 勿論そこへ運べという意味ではなく、区分用に。

 そんな事までやらせるくらいなら、業者を頼むか自分達で運ぶ。

「さてと。お昼はどうする。高速を使えばすぐ着くから、ここで食べてもいいけど」

「面倒だし、途中にした方がよくない?ねえ、高畑さん」

「はい」

 エリちゃんに向かい、こくりと頷く高畑さん。

 だったら、予定を早めた方がいいのかな。


 外を掃いていた神代さん達に声を掛け、山道を登っていく。

 木漏れ日の差す、森の中。

 湿った風と、鳥の鳴き声。

 落ち葉が、以前より多く目に付く。

 切れる森。 

 景色は一気に開け、山の尾根と青空に変わる。

 高い所を行く雲。

 空の色は、本当の青。

 その中に山の緑が映え、彼方の尾根は白い雪を被っている。

 道の途中にある、緩いカーブ。

 その手前。

 小さな祠に収まる、小さなお地蔵様。

 私は持ってきた花を添え、腰を屈めて手を合わせた。

 他の子達も、黙って私と同じ仕草をする。

 特に何かを願う訳ではなく。

 ただ手を合わせる。

 今まで見守ってくれてありがとうと。



 車を降りた途端、むせかえる熱気が押し寄せてきた。 

 冗談ではなく、立ちくらみしそうになる。

 長野との温度差は、おそらく10度以上。

 もう少し、向こうにいればよかったな。

「長野に戻ろうか」

「え?」 

 困惑気味に私を見つめる神代さん。

 見た目は派手なのに、中は真面目だからな。

「冗談よ。早く、入ろう」


 ぞろぞろと、連れだってラーメン屋さんに入る。

 都市高速を降りてすぐにある、行列は出来ないけど美味しいお店。 

 高速が空いていたので、結局一気に名古屋までやってきた。

 ああいう所で食べるのもいいけど、こういうごみごみした所で食べるのもいい。

 店の中がではなくて、立地的にね。

「私、台湾ラーメンのハーフサイズ」

 それ以外は頼まない。

 お金がないのではなく、入る胃袋がない。

 少しして、汗が噴き出てきた。 

 このラーメンが辛いし、熱いし。

 久し振りに、外側からではなく内側から汗をかいた。

「チョコソフト下さい」

 私がここによく来るのは、デザートも充実しているから。

 あんみつもいいけど、今日はチョコソフトだな。


 外に出ると、再びの灼熱。

 その中でチョコソフトを頬張り、ため息を付く。 

 何というのか、この倒れそうな感覚がたまらない。

 高速の下を激しく行き交う車。

 歩道をせわしなく歩く人達。

 今朝までとは、全くの別世界。

 始めはそれに戸惑っていたけど、今はもう慣れている。

 私の、生まれ育った場所に。

「あたし達、寮に行くんだけど」

「私は、高畑さんを途中まで送ってきます。優さんは」

「ここでいいよ。家も、すぐそこだし」

 車に乗り込む彼女達に手を振り、リュックを抱えて空を見上げる。

 少し色褪せた、薄い青。

 全てを焦がすような、強烈な日射し。

「……あ、私の荷物も」

 慌てて端末を取り出し、すぐにしまう。

 大半はコテージに置いてきて、必要な分はリュックの中。

 暑さのせいで、普段以上に弱っているようだ。

「帰ろう」

 頬を伝う汗、まとわりつく湿気。

 家まで送ってもらえばよかったかなと思いつつ、コーンをかじる。

 日射しが弱まる気配はなく。

 時折吹く風は、熱風としか呼びようがない。

 それでも私の足取りは軽い。

 我が家への、短い距離を急ぐために……。




 別に、家に帰ってきたからどうという訳はなく。

 床に寝転び、TVを観るだけだ。

 アイスをかじりながら。

「太るわよ」

 怖い事を言って、人をまたいでいくお母さん。 

 何か言い返そうかと思ったけど、面倒だから止めた。

「暇なら、手伝って」

「私は、もう活動限界を越えたの。一年分働いたのよ」

 それは大袈裟としても、向こうではよく働いた。

 だから、せめて自宅くらいではのんびりしたい。

「私は、一年中働きづめよ」

「お父さんも、手伝ってるでしょ」

「あら。どこでそんな理屈を聞いてきたの。いやね。子供は夏になると、悪い事ばかり覚えて」

 何言ってるんだ。

 やいやいうるさいので、立ち上がって洗濯カゴを抱える。

 全然入って無いじゃない。


 狭い庭の隅にある物干し台。

 そこに洗濯物を掛けて、縁側に腰掛ける。

 変わらない、強い日射し。

 ただ湿気は、前より収まった感じ。

 肌が汗ばんでいるのは、今動いたためだろう。

「あなた、学校は」

「まだ、夏休みでしょ」

「聡美ちゃんは」

「あの子は学校が好きなのよ」

 適当に答え、うちわであおぐ。

 部屋に戻ればエアコンが効いているけど、今はそういう気分だから。

「優は、嫌いなの?」

「あの建物自体には、それ程思い入れはない」

「寂しい事言うのね」

「じゃあお母さんも、母校に行ったら」 

 前髪をそよがせ、どうだと言わんばかりに見上げる。

 するとお母さんは薄く笑い、空を見上げた。

「私の母校は、もう無いのよ。統廃合が進んで、大分前に廃校になったの」

「そうなんだ」

 少しの胸の痛み。

 後悔と、自責の念。

 すぐに感じる、暖かく柔らかな感触。 

 隣りに座って私の肩を抱いたお母さんは、優しく微笑んだ。

「その結果として、私の母校は草薙中学であり高校なの」

「え?」

「だって私の学校は、名古屋にあったんだもの」

「だったら、お母さんは私の先輩?」

 笑顔で、誇らしげに頷くお母さん。

 その小さな体に、精一杯寄り添う私。

 真夏の強い日射し。 

 少し秋めいてきた気候の中。

 暑さに負けず、肩を寄せ合う私達。


「僕も、草薙高校が母校なんだけどね」

 後ろからの、切なげな声を聞きながら。

 夏は、過ぎていく。      





                          第19話 終わり










     第19話 あとがき




 場所としては、長野県飯田市付近かと思います。

 ストーリー的にも、一休みでしょうか。

 対カッパ戦は何か書こうかと思いましたが、馬鹿馬鹿しくて止めました。

 カッパなんて、いないので。 


 無論これは夏休みの、ごく一部。

 海にも行ったでしょうし、他の所へ遊びにも行ったでしょう。

 彼等も高校生。

 普通の15、6才なのですから。

 本編では大人びた部分を強調して書いてますが、実際は今回のような雰囲気。

 明るく、気楽で、屈託がないという。

 逆を返せば、学内での彼等がやや普通ではないとも言えます。

 その辺りが本編で言う管理案導入の名目になっているのですが、それはまたいずれ。


 ちなみに意味もなく、泳ぎ関係のリストを書いてみますと。


 ショウ、柳……カッパ並

 名雲は、重い分やや劣るか

 ユウ、渡瀬さん辺りが続き

 高畑さんも、それなりに

 それ以外は、ごく普通

 サトミ、モト……駄目

 神代は不明


 

 という訳でした。




    




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