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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第19話
208/596

19-4






     19-4




 林道を走る車。

 渓谷沿いの道から逸れた、狭い道。

 行き先は、矢加部さんに教わった湖。

 勿論矢加部家の敷地内にあり、言ってみればプライベートレイクか。

 ショウは車を脇へ寄せ、さらに細くなっている林道の入り口前で停めた。

「おかしいな。チェーンが掛かってあるはずなのに」

「誰かが入ったんだろ」

 冷静に指摘するケイ。

 ここは私有地。

 チェーンが掛かっていて、セキュリティシステムも設置してある。

 それでも中に入っていく人間。

「どう思う?」

「ろくな人間でないのは確かね」

 ケイ以上に冷たく答え、サトミはキャップを深く被った。


 森を抜ける車。

 川とは違う、広い湖面。

 南アルプスと空が映り込み、白と青の幻想的な光景が繰り広げられている。

 砂利から土に変わる道。

 綺麗な湖畔。

 そこに停まる、数台の車。

「こいつらか」

 鼻を鳴らすショウ。 

 ケイは車が止まった同時に降りて、そちらへと近付いた。

 空き缶や食べ物の袋を、辺りに捨てている男女へと。

「ここは、私有地なんだけど」

 控えめな物言い。

 男の一人が彼へ歩み寄り、胸元を付いた。

「お前だって、勝手に入ってきてるんだろ」

「土地の所有者に、許可は得てある」

「俺達も得てるさ」

 辺りから起こる高笑い。

 矢加部さんは、私達には許可をくれた。

 でも、彼等にはどうか。

 間違いなく、そんな訳はない。

「あ、そう」 

 男の隣を通り過ぎるケイ。

 決死で大柄ではなく、また地味な雰囲気。

 男達は小馬鹿にした顔で、彼の様子を眺めている。

「さてと」

 屈んだ彼は足元にあった大きい石を拾い上げ、車のドアに叩き付けた。

 当然割れる、ドアのガラス。

 呆然とする彼等を尻目に、ヒカルが缶やゴミを中へ放り込んでいく。

「て、てめえ」

「ここは私有地で、許可のない車が入ってくる訳がない」

「だから、ゴミ箱だと思って」

 事も無げに答える二人。

 その間にもゴミや雑草、石や土までもが車の中に放り込まれる。

「ふざけるなっ」

 石を持ち、殴りかかってくるビキニ姿の女。

 ケイはその足を払い、倒れた所で襟首を掴み湖へ顔を沈めた。

 その首筋に、足を置きながら。

「誰がふざけてるって」

 ようやく離される足。

 激しく咳き込む女。

 ケイはその顔にスニーカーのかかとを近付け、あごを反らした。

「女だから、何しても許されるとでも?次は、ピアスをもいでやろうか」

「ひっ」

 甲高い声を出し、腰を抜かした姿勢で後ずさる。

 その間に、ヒカルは他の車のガラスも割って中にゴミを放り込んでいる。

「この野郎っ」 

 釣り竿を構え、殴りかかってくる男達。

 二人は素早くその場を離れ、ショウの後ろへ逃げ込んだ。

「後は任せた」

「あのな」

「じゃあ、俺達がやろうか」

「分かった。下がれよ」

 振り下ろされる釣り竿を、体で受けるショウ。

 男達が喜んだのもつかの間。

 釣り竿は二つに砕け、彼等は腕を押さえる。

 後は、自分達が倒れる音を聞くだけだ。

「それで、次は何がしたい」

「くっ」

 ショウを睨み付け、ぼろぼろになった車へ乗り込む彼等。

 ケイ達はなおも中に釣り竿を放り込み、遠ざかっていく車に石を投げている。

「おい、もういいだろ」

「嫌だね」

「ショウの言う通り。下手だから、止めた方がいい」

 訳の分からない理由を告げて投げたヒカルの石がサイドミラーを吹き飛ばし、全ての車は湖畔から消えていった。

「やり過ぎはともかくとして、どうして?」

「まんじゅう分くらいは働く」

 鼻を鳴らすケイ。

 矢加部さんからもらった、あのおまんじゅうの事を言ってるのか。

 義理堅いのとも、また少し違う気もする。



 少々気分を害したので、水遊びを程々に切り上げてコテージに戻る。

 その前に停まる、一台の車。

 玄関先にしゃがみ込み、膝を抱える可愛らしい顔の少年。

「柳君」

 ゆっくりと上がる顔。

 茫然自失という様子で。

「来るの今日だった?それに、どうしたの」

「負けたんだよ」

 彼の肩に手を置く名雲さん。 

 かなり苦笑気味に。

「何で」

「これで」

 構えられる拳。

 つまりは、ケンカでという意味か。

 だけど、この子に勝てる人間なんて一体どこに。

「あ、あれ。もう戻ってきたの?」

 気まずそうに、玄関から出てくる瞬さん。

 一人いた。

「父さん」

 ショウも気付いたらしく、げんなりした顔で彼に詰め寄る。

 瞬さんは大きく手を振り、ドアを半分閉めた。

「あ、あのさ。昼寝してたら、リビングの窓に人影が見えて。やばい奴かと思って、つい」

 沈み込み、膝に付けられる柳君の顔。

 怪我をしている様子は無さそうだが、言ってしまえばそこまでの実力差があったともいえる。

 相手に手加減をされる程の。

「勘弁してくれよ」

「う、うるさいな。来るなら来るって、連絡をしてくれれば俺だって」

「済みません。いきなり来た方が、面白いかと思って」

 遠慮気味に申し出る名雲さん。

 ただ悪いのは彼等ではなく、当然ジャーキーをかじってる大人。

 というか、そのジャーキーをどこから見つけたんだ。

「それは」

「何が」

 ジャーキーを食べ終える瞬さん。

 もう、何も言う気もなくなった。

「いえ、こっちの話です。女の子が、二人来てませんでした?」

「奥で、荷物を片付けてる。怖い目で見てくるから、そっとしておいた方がいいぞ」 

 誰のせいでという言葉を飲み込み、私はコテージの中へと入った。

 やはり怖い目で、彼を睨みながら。



 リビングのソファーで、だるそうに座る舞地さんと池上さん。

 私はトコトコと二人の側に歩み寄り、両手を差し出した。

「お土産は」

 手の上に置かれるタオル。

 舞地さんが自分の汗を拭いた物とも言う。

「あのさ」

「雪野に用はない。沙紀は」

「へっ。沙紀ちゃーん、真理依お嬢様がお呼びですよー」

「はい、今すぐ」

 笑いながらリビングへやってくる。

 すると舞地さんは優しく微笑み、彼女に小さな箱を差し出した。

 包装から見て、高そうなお菓子らしい。

「済みません。みんなで、食べますから」

「みんなにはやらなくていい」

「あ、はい。じゃあ、高畑さん達と食べます」

「うん」 

 何だ、それ。

 別に食べたくはないけど、もらえないとむかつくな。

「池上さん」

 暑いのか、ポニーテールにしている彼女へ手を差し出す。

 すると池上さんはその手をじっと見つめ、顔を寄せてきた。

「食べ物なんて、いくらでもあるでしょ」

「あっても欲しいの」

「棚の奥にジャーキーとかお菓子とか、たくさんあるじゃない」

 さすがにめざといな。

 場所がみんなに気付かれつつあるし、後で移動させておこう。

「お茶」

 沙紀ちゃんに肩を揉ませていた舞地さんが、突然告げる。

 訳の分からない事を。

「あ?」

「お茶」

 また言いやがった。

 一度お互いの立場を、はっきりとさせた方がいいみたいだな。

「無いの」

「あるわよ」

「雪野はいい。毒を入れそうだから」

 よく分かってるな。

「浦田」

「え?」

「入れてきて」

 有無を言わさない口調。 

 ケイは鼻のあたりにしわを寄せ、彼女を睨みながらキッチンへと消えた。



 冷蔵庫には、冷えた麦茶がある。

 それを出すのかと思っていたら、ペットボトルをリュックに詰めた。

「どうするの」

「水を汲んでくる」 

「どうして」

「今日は汲んでないから。グラス、冷やしといて」

 外へ出ていくケイ。

 さっきの態度とは全く違う行動。

 相変わらず、訳が分からない人だな。


「どうぞ」

 グラスを受け取り、口を付ける舞地さん。 

 特にコメントはなく、グラスはすぐにテーブルへ置かれる。

「美味しいわね。水がいいのかな」

 同じくお茶を飲んだ池上さんは、私とケイに微笑みかけてきた。

 愛想がない相棒のフォローだろう。

「玲阿君のお父さんは?」

「さあ。その辺で、虫でも捕ってるんじゃないの」

「何、それ」

「そういう人なのよ」

 多くは語らず、お茶を飲む。

 確かに、美味しいな。

「柳君を、軽く投げ飛ばしたのに?」

「元大尉だから。最近まで、セキュリティコンサルタントもやってたし」

「司が言うには、お腹を出して寝てたらしい」

 言えば言う程、ぼろが出る。

 ただ反応はしたんだから、その点では誉められる。

 その点だけは。

「名雲君のお父さんと戦友なんでしょ。勲章を幾つももらった」

「そうらしいね。普段は、あんな風だけど」

「世の中、変わった人間は多い」

 身も蓋もない言い方。

 しかし、反論のしようもない。

「みんなは」

「泳いで疲れたんじゃないの」

「せっかく遊びに来たのに、もったいないわね」

 そういう割には、動こうともしない池上さん。

 分かるけどね。

 一方の舞地さんは沙紀ちゃんと位置を代わり、彼女の肩を揉んでいる。

「……寝てる?」

 顔を俯かせ、体を小さく揺らす沙紀ちゃん。

 前髪が顔の半分を覆い、口元をあどけなく開いて。

「疲れてるんだろ。浦田、タオルケット持ってきて」

「はいはい」

 部屋の隅にあったタオルケットを、沙紀ちゃんの体に掛ける二人。

 こういう点では、気が合うようだ。

「私も揉んでよ」

「揉む場所がない」

 すぐに返ってくる答え。

 言い得て妙だな。



 面白くないのでお姉様達はケイに任せ、お風呂場へと向かう。

 ここは近所から温泉を引いてあって、無色透明なお湯が今でも蛇口から溢れている。

 さすがに露天風呂はないけれど、広さとしては小さなプールくらい。 

 洗い場も広めに取られていて、高校生が夏休みを過ごすには贅沢な作り。

「何してるの」

「洗ってる」

 モップで床をこすっているモトちゃん。

 温泉の泉質状、放っておけば一日で床や湯船はヌルヌルになる。

 だからこういう事を、こまめにする必要がある。

「腰が入ってないよ」

「ユウ程は、器用にやれないの」

「相棒は」

 一瞬止まるモップの動き。

 すぐに聞こえる、後ろからの足音。

「洗剤持ってきた……」

「仲いいね」

 床のぬめりを利用して、名雲さんへと滑っていく。

 ただそこは、私とは違い大人。

 平然と笑い、小さいブラシを差し出してきた。

「壁を洗ってくれ」

「ショウにやらせれば。私より、手が長いんだし」

「分かったよ。呼んできてくれ」

 お風呂場を出て、ドアはしっかり全開にする。

 とにかく二人きりにさせてはいけない。

 我ながら、無茶苦茶だな……。


「いたいた。お風呂場行ってきて」

「何で」

「モトちゃんと名雲さんが、掃除してるから」

「だったら、二人にさせてやれよ」

 すぐに言い返してくるショウ。

 ほう、格好いいな。

 というか、私は格好悪いな。

「だったら、水汲んできて。ケイは、少ししか汲んできてないから」

「自分は、何するんだ」

「見回りよ。管理人の代わりに」

「それはいいかもな」 

 しみじみと呟き、キッチンへ向かうショウ。

 階段の下で、古い雑誌を読み耽っている実の父から逃げるようにして。




 夕食後。

 のんびりTVを観ていたら、サトミが小さく声を上げた。

「どうしたの」

「端末がない」

 真剣な表情。

 私の端末で彼女のアドレスをコールするが、何も聞こえてこない。 

 他の部屋も、二階でも同様。

「家に、忘れてきたんじゃないの」

「まさか。さっきまで、使ってたのに」

「だったら、外で忘れて来たとか」

「今日は」

 思案の表情を浮かべるサトミ。

 私が思いつくのは、矢加部家の湖。

 でもその後で、彼女が端末を使っていた記憶はある。

「そういえば、上の祠に行った」

「何しに」

「花を添えに」

 今日はサトミの当番だったのか。

 私は昨日行って、みんなで毎日花を添えに通っている。

「兄さんから連絡があって。その後で周りを歩いてたから」

「じゃあ、明日行けば」

「駄目。誰かに拾われたらどうするの」

 別に問題はない。

 警察に盗難届を出せば、端末の全機能を停止してもらえる。 

「俺なら、データを抜き出すかな。機能を止めても、データを見る方法はいくらでもある」

 突然現れ、喉元で笑う男。

 確かに、世の中にはおかしな人間もいるだろう。

 例えば、目の前とかに。

「仕方ない。探しに行ってくるわ」

「一人じゃ危ないでしょ。ショウー、木之本君呼んできてー。名雲さんと柳君もー」

「よくやる」

 欠伸をして、ソファーに寝転がるケイ。 

 やる気無し、全開だな。


 男手を無くすコテージ内。

 ケイはいるけど、猫の方が役に立つ。

「モトちゃんは行かないの?」

「こんな夜中に?肝試しは、もう終わり」

 それはそうだ。

 私は想像もしたくない。

「沙紀ちゃんは?」

「さっき言ってくれれば」

 欠伸を噛み殺して、ソファーに座る沙紀ちゃん。

 ぐーぐー寝てたらしい。

「聡美ちゃんはどこ」

 ハサミ片手にやってくる池上さん。

 カニの真似でもしてるのか。

「端末を無くしたから、探しに行ってる」

「せっかく、カットしようと思ったのに。雪ちゃんはどう?」

「モトちゃんんが少し長いから、見てやって」

 生け贄を差し出し、端末をチェックする。

 サトミの端末からの連絡は無し。

 他のみんなからも。

「沙紀は」

「そこで寝てる」 

 気付いたら、床に伏せている沙紀ちゃん。 

 舞地さんはケイへ視線を向け、顎をしゃくった。

「暑いから、大丈夫です」

 答えない舞地さん。

 ケイはため息を付き、タオルケットを沙紀ちゃんのお腹に掛けた。

「他のみんなは」

「サトミのお供。端末を探しに、上まで行った」

「雪野は」

「よい子は、夜には出歩かないの」

 不意な突風が窓を揺らす。

 私は思わず身構え、沙紀ちゃんのタオルケットに潜り込んだ。

 外は多分、お化けで一杯だろう。


 刻々と過ぎていく時間。

 しかし連絡はない。

 サトミだけでなく、他の子からも。

「ネットワーク障害かな」

 ぽつりと漏らすケイ。

 連絡はこちらからもとれず、「現在不通」とだけ端末の画面に表示される。

「上は山奥だし、そういう事もある」

 素っ気ない口調。 

 ただ表情は、多少厳しさを帯びている。

「浦田君」

「ちょっと見てきます。一本道だし、平気ですよ」

「私も行きたいけど、ここを留守にするのも」

「池上さんは残って下さい」

 彼女の膝元で眠る、舞地さんと沙紀ちゃんにモトちゃん。

 ケイは警棒とサーチライトを腰に提げ、棚を漁った。

「端末以外の、通信装置は……。木之本君に聞けばよかったな」

「どうした」

 ワインのボトルを担いで、リビングにやってくる瞬さん。

 その目が細められ、お茶のペットボトルに手が伸びる。

「よく分からんが、俺も行こう」

「酔ってません?」

「これは、水槽代わりにしようと思っただけだ。古いけど、これが端末代わりになる」

 自分のバッグから、端末に似た装置を二つ置く瞬さん。

 私達はその間に、経緯を簡単に説明した。


「迷子捜しか。すぐそこだし、問題ないだろ」

「そうなんですけどね」

 不安げに呟き、ため息を付く。

 何かがあっても十分に対応出来る人達だけど、連絡が取れないのは辛い。

「珪君、準備は」

「大丈夫です」

「じゃあ行ってくるから、後は頼む。何かあったら、すぐに知らせてくれ。俺も、こまめに連絡を入れるから」

 玄関へ向かう二人。

 それを見送る池上さん。

 床から聞こえる、健やかな寝息。 

「……私も行きます」 

 一斉に集まる視線。

 真夜中。

 誰もいない山道。

 そこを登っていく事が、私にとってどれだけの意味を持つのか。

 だけど、ここでじっとしている訳にも行かない。

「雪ちゃん」

 宙を舞うキャップ。

 サトミのではなく、舞地さんの。 

 私はそれを浅く被り、池上さんへ頷いた。

 ここを離れられない彼女の気持ちをも受け取って。

「すぐ戻るから、夜食でも用意しておいて」

「分かった。……気を付けるのよ」

「ありがとう」

 もう一度頷き、ドアを開ける。

 街灯の外は、本当の暗闇。

 都会の夜とは違う、明るさのない世界。

 でもサトミは、この向こうにいる。

 だとしたら、迷う理由はない。

 私の下らない恐怖心など、何の意味もない。



 突然の、鳥の鳴き声。

 叫び声を堪え、腕にしがみつく。

「わっ」

 誰かと思ったら、ケイだった。

 それが余程痛かったらしく、瞬さんの腕を指差した。

「い、いいじゃない。お、女の子と腕を組んでるのよ」

「そういうレベルじゃない。しかし、気味が悪いな」

 サーチライトで照らされる、わずかな行く手。

 雑草がちらほら生える土の道路。

 左右に茂る、高い木立。

 時折風で葉が揺れて、寂しげな音色を響かせる。 

 木々のせいで星明かりは届かず、周りは完全な闇。

 だからその向こうが実際はどうなっているのか、見当も付かない。

「……はい。……いや、今の所は」

 会話を始める瞬さん。

 それに驚き、ケイの顔をしかめさせる。

 だって瞬さんにしがみついていたら、いざというとき彼の行動を妨げるから。 

 ちなみにケイの行動を妨げるのは、この際気にしない。

 私は手を離せば、すぐに逃げられるし。

「連絡はないって。雷雲で、ネットワークが調子悪いのかな」

 星明かりが見えないのは、そのせいもあるだろう。

 こうなると、理由はどうでもいいんだけど。

「祠って、もうすぐだよね」

「え、ええ。森が開けて、そこに行けば少しは明るくなると思います」

 希望も込めて、そう告げる。

 少なくとも木々が切れる分、圧迫感はなくなる。

「お地蔵様は、こんな所にいる訳か。一年中」 

 しみじみ呟くケイ。

 暗闇と冷たい夜風。 

 昼間は強い日射しが照りつけ、冬ともなれば雪も降る。

 雨を防ぐひさしは頼りなく、訪れる人が日にどれだけいるだろうか。 

 確かに、寂しい話ではある。 

 私なら、一日だって耐えられない。

 勿論、代わりに私が祠に収まる理由は何一つないけれど。


 不意に切れる森。 

 とはいえ以前として、周囲は暗闇。

 先程よりも風が強くなり、少し暖かくなったくらい。

「確か、この辺りだったはずですけど」

 足元にライトの明かりを当てつつ、先を進む。

 微かに聞こえる虫の音。

 秋が、一足先に訪れているようだ。

「……いるな」 

 足を止める瞬さん。

 左へ向けられるサーチライト。

 ふと浮かぶ、数名の人影。

 距離はかなりあり、私は音も気配も感じなかった。

「さすが。元軍人は違いますね」

 軽くからかうケイ。

 瞬さんは肩をすくめ、通信装置を取り出した。

「……今、見つけた。……ああ、全員いる。……分かった」

「父さん?」

 暗闇の中を、こちらへと歩いてくるショウ。

 彼の明かりを頼りに、後を付いてくる他の子達。

 サトミの姿も見える。

「大丈夫?」

 私が駆け寄ると、サトミは苦笑して頷いた。 

 掛ける言葉としては違っているかも知れないけど、心境としてはこれ以外に見つからなかった。

「連絡しようとしても、端末が使えなくて。ごめんなさい」

「それはいいんだけど。サトミの端末は?」

「駄目。他の所で落としたのかも知れない」

 気落ちした表情。

 わざわざみんなで探してもらって、それでも見つからない。

 さらに、こうして余計な心配まで掛けている。

 端末を見つからない事よりも、きっとそれに対しての表情。

「お地蔵様に、お祈りした?」

「え?」

 何を言ってるのかという顔。

 私は彼女の手を引いて、祠の前で腰を屈めた。

 えーと、友達の端末がないのでお願いします。

「ほら、サトミも」

「え、ええ」

 薄闇の中で顔を赤らめ、それでも私の隣で手を合わせた。

「そういう問題か?」

 疑わしそうな顔をするショウ。

 分かってないので、彼の手も引いて腰を屈ませる。

「ほら」

 私の迫力に押されたのか、他の子も腰を屈めて手を合わせた。

 暗闇の中。

 サーチライトに照らされて。

 小さな祠の、お地蔵様の前で。

「不気味な集会だな」

 人が気にしてる事を指摘された。

 それでも構わず、もう一度手を合わせる。

 別にケイを呪うんじゃなくて、当然端末が見つかるようにと。

「モト達は?」

「コテージに残ってる。その方がいいと思って」

「そうね。とにかくもう見つからないから、帰りましょうか」

 あっさりとそんな事を言うサトミ。

 私の気持ち。

 みんなの気持ちも分かった上で。

 自分の事よりも、みんなの事を考えて。


「泣くかと思ったぜ」

「え?」

「なんでもない。そっちの、崖の方は探したのか」

 サーチライトを、正面へ向ける瞬さん。

 道は右へ曲がっていて、その先は崖になっている。

 とはいっても傾斜は緩く、無理をすれば降りられない事もない。

 明るくて、道具が揃っているならば。

「四葉」

「道具がないし、危ないだろ」

「駄目な奴だな。普段鍛えてるのは、何のためだ」

 訳の分からない事を言ったと思ったら、ポケットから小さな箱を取り出した。

 私がたまに使う、例のワイヤーの装置。

 ただ、それよりも大きい感じ。

「聡美ちゃん。こっちには、来たのかな」

「え、ええ。でも、必ずあるという訳ではないですし。第一危ないですよ」

「問題ない。四葉、フックしろ」

「え、ああ」

 太めの木に、ワイヤーを巻き付けて先端をフックする四葉。

 瞬さんはワイヤーを軽く引っ張り、小さく頷いた。

「じゃ、行ってくる」

「え、でも」

 木の柵を乗り越え、姿を消す瞬さん。

 全員でサーチライトを向けるが、彼の姿はどこにも見えない。

 ワイヤーの張りで、どうにか無事なのを確認出来るくらいで。


 待つ事数分。

 横へ揺れるワイヤー。

 聞こえる足音と声。

「あったぞ」

 宙を舞う端末。

 それを受け止め損なうサトミ。

 再び崖へ落ちかけた端末を掴み、彼女の胸元に添える。

「よく見つかったな」

「斥候の真似事もやった事はある」

 柵を乗り越え、髪を払う瞬さん。 

 落ち葉が辺りに散り、木の枝が襟から出てくる。

 頬は、少し傷付いているようだ。

「済みません。私なんかのために」

 頭を下げるサトミ。

 瞬さんは明るく微笑み、その肩にそっと触れた。

「大人も、少しは役に立つだろ」

「ええ。とても」

 はにかんだ、子供っぽい笑顔。

 信頼した大人へ向けられる。

「さて、帰るとするか」

「はい」

 みんなで返事して、瞬さんの後に付いていく。

 暗闇の中で揺れる、頼り甲斐のある背中を追って。



 翌日。

 朝ご飯の片付けを終え、リビングで寝転んでいるとサトミがやってきた。

 何か言われるかと思って姿勢を正したら、私を通り過ぎて微笑んだ。

 部屋の隅で、ワインのボトルを眺める瞬さんへと。

「聡美ちゃんも見たい?」

 ボトルの中で泳ぐ、小さな魚。

 何が楽しいのか、朝からずっと眺めてる。

「それも良いんですけど。RASレイアン・スピリッツから届いた資料は、ご覧になりました?」

「見たよ」

 すぐに返される言葉。

 サトミは笑顔を深くして、抱えていた封筒をテーブルへ置いた。

 封すら切ってない物を。

「中をご覧になったかと伺ってるんですが」

「さあ。俺も、色々と忙しくて」

「例えば?」

「魚を釣ったり、クワガタを捕まえたり、泳いだり」

 喜々として語る瞬さん。

 大人、らしい。

「それもよろしいんですけれど。こちらを片付けてからにして下さい」

「任せるよ」

「私はRASの人間でも、玲阿家の人間でもありませんから」

「固いな、聡美ちゃん。適当、適当。難しく考えると、老けるのも早いよ」

 明るく笑い飛ばして、ボトルをつつく。

 魚がそれに反応して、少し動く。 

 それが面白くて、またつつく。

 魚も動く。

 その繰り返し。

「……分かりましたから、お願いします」

 地鳴りのような。

 地面の裂け目から沸き上がる声。

 辺りの温度が、明らかに数度下がった。

 それは勿論、エアコンのせいではなく。

 目の前で可愛らしく微笑む少女のために。

「え、えと。これを読めばいいのかな」

 慌てて封を開ける瞬さん。

 中からは、書類とDDが出てくる。

「収支報告、人事案、東京支部の補修……。たくさんあるな」

「目を通すというのは、内容を理解するという意味ですからね」

 しっかりと釘を刺すサトミ。

 瞬さんは書類をめくっていた手を止めて、そのまま動かなくなった。

「午前中は涼しいですから、その間にお願いします」

「え、でも」

「出来ない分は、また明日にでも。お茶持ってきますね」

 丁寧に。

 丁寧過ぎる程に頭を下げて、キッチンへ消えるサトミ。

 子供の宿題じゃないんだから。


「大変ですね」 

 ころころ笑い、ボトルをつつく。

 瞬さんは恨めしそうに私を見て、深いため息を付いた。

「俺は、こういうのとは関係なく生きてきたんだよ」

「でもRASの幹部だから、やる必要があるんですよね」

「建前としては」

 めくられる書類。

 その上を、時折走るペン。

 何を書いてるのかと思ったら、紙の下に絵を描いていた。

 一枚ずつ、少しずつ変えて。

 要はこれをめくれば、簡単なアニメが出来上がる。

「はは」

 笑う大人。 

 だが途端に表情が引き締まり、書類を後ろの方までめくり出す。

「どうですか?」

 アイスコーヒーを差し出すサトミ。

 瞬さんは真顔で彼女を見上げ、深く頷いた。

 大人の威厳を込めて。

「少し、見せて下さい」

 唐突な申し出。 

 妙な緊張感が、辺りに漂い出す。

「そ、その。これはRASの内部資料だから。悪いけど、部外者の聡美ちゃんにはちょっと」

「先程と、話が違いますね」

「いや。俺も思い直してさ。やっぱり、自分でやらないとって」

「そうですか。でしたら拝見するのは結構ですから、書類をめくって下さい。下の方だけを、早く」

 怖い笑顔。

 私にとっては見慣れた。

「遊んでる暇は無いと思いますが」

「そうだね……」

「息子さんにも、示しが尽きませんよ」

「そうだね……」

 頼りない返事と表情。

 サトミはトレイを抱え、やはり頭を下げてキッチンへと消えた。

「大変ですね」

 さっきと同じ事を言って、ころころ笑う。

 自分が怒られないというのは、本当に気楽だな。

 多分今の状況が、普段の私なんだろう。

 そう思うと、あまり笑えないか。

「一度、がつっと怒ったらどうです。誰が端末を見つけたと思ってるんだって」

「同じ立場だったら、優ちゃんは言える?」

「言えますよ」

「その後、どうなる?」

 答えようのない質問。

 答える前から、答えが出ているとも言える。

「ショウを呼んできましょうか。あの子は玲阿家の人間だし、手伝ってもサトミは怒りませんよ」

「役に立つと思う?」

「それは勿論」

 続かない言葉。

 でも、いないよりはいた方がいいと思う。

 二人になれば、怒りも二分されるし。

「とにかく、呼んできますね」

「頼む」

 消え入りそうな声と、落ち込んだ表情。

 昨日の颯爽とした雰囲気は、微塵も感じられない。

 それはそれで、私はいいと思ってるけど。



 大変な人もいれば、気楽な人もいる。

 例えば、私とか。

 水着に着替え、近くの川にやってくる。

 向こうに付き合ってもいいけど、私も玲阿家の人間ではないので。

 そう心の中で言い訳をして、パーカーの上に石を置く。

 さすがにこれがないと、帰りが間抜け過ぎる。

 いくら人がいないとはいえ、水着だけでうろうろする物でもないし。

 そのくらいの分別はある。

 大人になりかけている今は、特に。

 体型じゃなくて、精神的にね……。


「溺れるわよ」

 くすくす笑う池上さん。 

 緑のビキニで、優雅に泳ぎながら。

 長い髪が後ろでたなびき、さながら絵本に出てくる人魚のよう。

 彼女がいるのは、堰を越えた深い部分。

 だから、そういう事を言ってくる訳だ。

「足くらい付くわよ」

 浮力があるので、つま先立ちでも辛くはない。

 それ程は。

 どちらにしろ、かろうじて首が出ているくらいだけど。

「でも、上手いね」

「カッパといえば緑だもの」

 訳の分からない答え。

 何にしろ、サトミの何百倍も様になっている。

「舞地さんは泳がないの」

「もう疲れた」

 堰の上にシートを引き、ぺたりとしゃがみ込んでいる舞地さん。

 水着は紺のワンピースで、胸元から腰にかけて斜めに白いラインが入っている。 

 デザインとしては大人しめだけど、スタイルがいいから似合ってはいる。

「魚を追いかけて、下流の方まで行ったのよ」

「ふーん。ケイみたいだね。あの子も、そんな事やったから」

「人生最大の失敗だな」 

 真顔で、でもおかしそうに呟く舞地さん。

 私は足を動かし、堰へと近付いた。

 つまりは、舞地さんの方へと。

「小さい割には、よく動く」

「自分だって、小さい癖に。というか小さいから、動くんでしょ。流されないように」

「それは分かる」

 しみじみ納得する私達。

 取りあえず水から上がり、途端に押し寄せる重力を感じつつ彼女の横に座る。

 確かに、一旦上がると疲れが押し寄せてくる。

 勿論それに気付かずに泳ぎ続けていると、危ない事になる。

 この中に、そういう人はいないだろうけど。

「舞地さん達だけ?」

「あっち」

 やはり堰に上がり、川の向こう側を指差す池上さん。       

 山の斜面となっている対岸。

 その上から飛び降りる、引き締まった体型の男性。

 続いて大きくはないけど、やはり引き締まった体型の男の子が飛び降りる。

「さっきから、ずっとああよ。子供っていうのは、理解不能ね」

 鼻で笑い、ふくよかな胸を反らす大人の女性。 

 私がやったら、つったのかと思われるだけだ。

「池上さんもやったら」

「いや。痛いし怖いし、何も面白くない」

「そうかな」

「そうよ。雪ちゃんは子供だから、ああいうのが楽しく見えるかもしれないけど」

 ちくちくとした嫌み。

 そんな彼女の前で水に飛び込み、水飛沫を掛ける。

 後は知らない。

 すいすいと、対岸へ泳いでいけばいいだけだから。



 やや川縁にせり出している岩場。

 スペース的には、人が一人立てるくらい。 

 周りは岩と、背の低いわずかな木々。

 高さとしては、二階よりは下だと思う。 

 多分。

「大丈夫か」

 笑いながら下を覗き込む名雲さん。

 そう言われると、少し考えたくもなる。

「大丈夫だよ」

 気楽に笑う柳君。

 どっちなんだ。

「下って、深いんでしょ」

「俺でも足は付かない」

「だったら、いいや」

 そう言って、とことこっと岩の上を走り出す。

 そして特に躊躇もせず、足を踏みきる。


 軽い浮遊感から、一転しての落下。

 体を前に倒し、手を頬に寄せて真っ直ぐ伸ばす。

 後は足を揃え、姿勢を正す。

 見えるのは岩と緑。

 でもそれはすぐに消え、綺麗なきらめきが目の前に広がっていく。

 鈍い衝撃。

 同時に再び浮遊感が生まれ、川底が目の前に見えてくる。

 藻をつつく小魚、小さなエビ。

 一掻きして川底の石に手を触れ、体を反転させる。

 日射しが水の中まで差し込み、光のカーテンのようにたなびいて見える。

 その中を漂い、光の散華を体に受ける。

 でも、それはつかの間。

 口を開き、幾つもの泡を立ち上らせる。

 私もすぐに、その後を追う。

 眩いばかりにきらめく水面へ向かって。


 水の上に顔を出し、首を振って息を付く。

 水中よりも強い日射し。

 普段ならそうは思わなかったけど、その柔らかな光を受けた後だから余計に。

 後は岩場に辿り着き、体を休めるだけだ。

「浮いてこないから、流されたかと思ったぜ」

「カッパ並だね」

 気遣ってるのか誉めてるのか、いまいち信用出来ない言葉。

 突き落としてやろうかと思ったけど、疲れたので止めた。

 今は、対岸まで泳ぐ気力もない。

「玲阿は」

「親子共々、頑張ってる」

「何だ、それ」

「殴り合ってるんじゃないの」

 首を傾げ合う二人。

 私は構わず、岩場に足を放り出して景色を眺める。

 対岸にいる舞地さん達に手を振りながら。

 不思議に澄んだ気持で。 






    





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