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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第19話
206/596

19-2






     19-2




 木立を吹き抜ける冷たい風。

 強い日射し。

 でもそれは爽やかで、心地いい。 

 どこからか聞こえるヒグラシの鳴き声が、より涼しさを感じさせる。


 私がいるのは、旧長野の中央部。 

 信州地区の木曽地域。

 少し足を伸ばせば駒ヶ岳や剣ヶ峰。

 高原という程ではないけど、名古屋とは気温も空気も全然違う。

 周りはどこを見渡しても、背の高い木々。

 車も人も何もない。

 気持が洗われていくとでも言うのだろうか。 

 心が落ち着き、静まっていく。

 とはいえたまに来るからいいんであって、生活するなら都会がいい。

 というか、都会にしか住めない気がする。


「誰もいない」

「管理人さんは、後から来るって」

 段ボールを二つ乗せて運んでいくショウ。

 私はそんな芸当をしたら転ぶのがオチなので、小さめのバッグを両手に持つ。

 これでも結構、無理してるのよ。


 荷物を全部運び込み、取りあえずリビングに横たわる。

 疲れてるとか、だるいという訳ではない。

 こうしたいんだ。

 背中に適度な感触。

 足が乗っているとも言う。

「ちょっと」

「あ、ごめんなさい。見えなかったわ」

 しっかり人を踏み越えていくサトミ。

 仕方ないので仰向けになり、下から見上げる。

 ちっ、見えないな。

「よっと」

 足を振り上げて体を起こし、広いリビングをうろうろする。

 みんなは何をやってるのか知らないけど、荷物を抱えてうろうろしている。

「お茶ちょうだい」

「自分でやりなさい」

 目の前に置かれるティーバッグ。

 何よ、もう。

「水、水」

「うるさい女だな。外に湧き水があるから」

 邪険に手を振ってくるケイ。

 湧き水ね。


 車道に面した、緩い山の斜面。

 下草の間に筒が通っていて、先の方から綺麗な水が湧き出ている。

 それを受け止める木桶が下にあり、ひしゃくやグラスも並んでいる。

「あ、美味しい」 

 手で受け止めた水を少し口に含み、その冷たさにも満足する。

 もう一口。

「……もういいや」

「おい」

「汲むのは汲むの」

 ケイを促し、大きめのペットボトルに水を入れさせる。

 これも、都会ではとても出来ない事。

 川は近くに流れてるけど、そのまま飲んだら確実にお腹を壊す。

「結構重いな」

 ペットボトルを、8本リュックに入れるケイ。

 一本が3Lなので、大体24kg。

 単純に言うと、私の半分以上。

 そういう例えをする物でもないか。

「毎日汲もうね」

「何時代なんだ。大体ここの水道水だって、水源は綺麗だろ」

「天然水には敵わない」

 緩い坂道を、軽快に登っていく。

 視界に広がる緑。

 その先に見えるのは澄んだ青空。

 目の前を、見た事もない綺麗な蝶が飛んでいく。

 夏の山。

 心地よい風に吹かれ、涼を楽しむ。

 背中から聞こえる恨み節と共に……。



 穏やかに波立つ水面。

 底の石まで見える、綺麗な水。

 遠くの岩では水飛沫が上がり、空を行く水鳥の影を落としている。

 私達がいるのは、大きな川のほとり。

 自然に出来た堰の内側で、流れは緩く水深も腰程度。

 あくまでも私の腰ね。

「はは」

 浮き輪を腰にはめ、ぷかぷかと水の上を漂う。

 泳げるけれど、こういうのがまた楽しい。 

 ぼんやりと空を眺め、何も考えず水の流れに身を任せる。

 幸せとは、多分こういう時を言うんだろう。

「わっ」 

 川の方から聞こえる叫び声。

 堰の外側はそれなりに流れがあり、水深はかろうじて足が着くくらい。

 ただ下流には水難防止用のネットがあるから、それ程心配はない。

 水の中に落ちたのはショウ。

 ケイが後ろから突き飛ばしたらしい。

 何をじゃれてるんだか。

「楽しそうね」

 浮き輪にしがみついてくる沙紀ちゃん。

 その重みで、私も少し沈み込む。

 赤いビキニの胸の重みで、精神的にも。

「泳がないの?」

「ちょっとね」

 ため息を付き、後ろへ体を傾ける。

 そのまま反転して、水の中へ。

 逆立ちの体勢で浮き輪を抜け、腕を大きく横へ掻き出す。

 後はもう一度体を逸らし、きらめく水面へと飛び出していく。

「冷たいんですけど」

「いいじゃない」

 沙紀ちゃんへ浮き輪を被せ、横へ流れて後ろへ回る。

 長い髪がしっとり濡れ、綺麗な背中が目の前に現れる。

 このまま、海まで流してやろうかな。

「どうかした?」

「別に。ちょっと疲れたなって」

「はいはい」

 私の腕を腰に回す沙紀ちゃん。

 彼女の足が水を掻き、私の体は水の中を流れていく。

 足へ触れる水の抵抗が、なんとも気持ちいい。

「はい、到着」

「ありがとう」

 沙紀ちゃんの前に回り込んで、堰の上へと這い上がる。

 途端に重力と、冷えた体の感覚が伝わってくる。

「じゃあね」

 浮き輪をはめたまま、すいすいと泳いでいく沙紀ちゃん。

 見た目が綺麗なだけに、妙に間抜けだな。


「あの野郎」

 勢いよく自ら上がってくるショウ。

 鍛え抜かれた体と、濡れた髪から滴る水。

 日射しがそれを輝かせ、辺りにきらめきを散らす。

「いいじゃない。死ぬ訳でもないんだし」

「だったら、ユウもやってやろうか」

「死にたいの」

 引き締まったお腹に軽く裏拳をぶつけ、堰の上で正座する。

 ショウはあぐらをかいて、後ろで手を付いた。

「冷たいし浮かないから、海より疲れるな」

「涼しくていいじゃない」

「確かに」

 少し笑うショウ。

 空を舞う水鳥。

 微かに聞こえる川のせせらぎ。

 ゆっくりと、静かに流れる時。


「うわっ」

 目の前に現れる、前髪を被った女性。

 その手が私の足を掴み、水の中へと引き込もうとする。

「わーっ」

 拳を構え、その顔目がけて叩き込む。

 寸前で止まった。

 ショウが手をかざしたのと、私が思い留まって。

「あ、あなた。人を殺す気?」

 息も絶え絶えに、水の上へ這い上がってくるサトミ。

 余程苦しいのか、仰向けになって顔に腕をかざした。

 長い足が目の前に並び、ふくよかな胸元が上下する。

「わっ」 

 ショウを突き飛ばし、水の中へと放り込む。

 文句を言ってるけど、気にしない。

 子供には、目の毒だ。

「何してるのよ」

「お、泳いでただけ」

 喘ぐように呟くサトミ。

 彼女が泳いでたのは、川ではなくて堰の内側。 

 浅いし、流れも殆ど無い。

 それでも、この様か。 

 鈍いのと泳げないのは、関係あるのかな。

「浮き輪あるじゃない」

「あ、あんなのに頼るなんて邪道よ。こ、子供じゃないんだから」

 こんな所で溺れる方が子供だ。

 大人なのは、見た目だけだな。

 私とは逆で。

「だったら、川で泳げば」

「海まで行ったらどうするの」 

 真顔で呟くサトミ。

 中等部からずっと、学年トップの才女。

 三日も経てば、着くだろうね。

「さてと、私も泳ごうかな」

「知らないわよ、海まで行っても」

 まだ言ってる。

 さすがに冷たいので、飛び込みはせず足から入る。

 頭の上の方が痺れるような感覚。

 一瞬足を引き、気持を整えてもう一度足を入れる。

 意を決して腰まで浸かり、堰の縁から手を離す。

 一度頭まで水に浸かり、水面に上がって首を振る。


 結構早い川の流れ。

 ただそれは体感的にであって、実際は上流へ泳いでいけるくらい。

 左手は堰と岸辺。

 右手は山。

 緑が緩やかに流れていく。

 すでにサトミ達は見えなくて、景色を一人占めしている気分。

 という訳もなく、目の前に黒い頭が浮かんできた。

「何してるの」

 ケイはこちらを振り向き、息を整えて水面を指差した。

「水苔に滑って水に沈んだら、小さい虫がいて。それを追っていったら、小魚がいて。それを追っていったら、もっと大きい魚がいて。もっと追ったら、上に水鳥がいた」

 わらしべ長者か。

 でも、魚は見てみたい。

「鳥なんていた?」

「大分前の事。今は、魚を探してる」

「探してどうするの」

「捕まえるに決まってるだろ」

 聞くまでもないという顔。

「可哀想じゃない」

「いいよ、食べるのは俺だから」

「誰も、捕まえるなとは言ってないでしょ」

 ゴーグルを借り、水面に顔を浸ける。 

 水は綺麗で、底の石までよく見える。

 小さい、指の先程の魚は確かに泳いでいる。

 ただ彼も、それを捕る気では無いだろう。

「いないよ」

「石の下にいるから、そう簡単には見つからない」

「タモも何も無いじゃない」

「その前に、息が続かない」

 それはそうだ。

 私も、この流れの中ではちょっときつい。

 泳ぎ疲れた今は、もっと限界は早いだろう。

「諦めたら」

「魚に屈しろと」

 大袈裟で、馬鹿げた発言。

 どうも、こういう下らない事で向きになる傾向があるな。

「道具もない、水の中にも入ってられない。どんどん疲れてくる。何があるの」

「やる気はある。いつもよりは」

 生気を感じさせる表情。

 いいか、本人がその気なら。

「あ、そこ」

 突然、私の目の前を指差すケイ。

 水中を走る、黒い影。

 咄嗟に反応して、水の中で拳を振るう。

 ぬめりやサイズからいって、掴むのはおそらく無理。 

 屈折率の関係で、位置も不正確。

 だとしたら、当てるしかない。


 外れる拳。

 そのまま逆手にして、腕を横に薙ぐ。

 微かな感触。

 水面へ逃れようとする影。

 今度は手の平を上に向け、影と一緒に腕を上げる。


 しなやかな曲線を、青空に映す魚。

 日射しが鱗を照らし。

 水飛沫が辺りに散る。

 魚は太陽と重なり、きらめきとともにそのシルエットを浮かび上がらせる。


 でも、全ては一瞬。

 魚は水に落ち、波紋だけを残してどこかへと泳ぎ去った。

 肩をすくめ笑うケイ。

 私は何も掴まなかった手を太陽にかざし、薄く微笑んだ。

 限りない満足と。

 魚への、敬意を込めて。



 泳げば疲れる。

 お腹も空く。

 川原にシートを引き、街で買った食事を広げる。

 ケイはビニール袋にご飯粒を入れ、一人で笑っている。

 きっと、魚を捕まえる罠だろう。

 さっきの感慨はともかくとして、まだ諦めてないらしい。 

 多分水も大分飲んだせいか、喉はそれ程渇いていない。

 その前に、結構飲んだしね。

 それでも水に浸けていたブドウを引き上げ、一粒ずつ味わっていく。

 この冷たさと、外で食べる開放感。

 普段より美味しく感じられる。


 お腹が一杯になってだるくなったのか、みんな川原を動こうとはしない。

 元気なのはケイくらいで、一人水の中へ入っていった。

 いつも、あのくらいやる気を出せばいいのに。

 こういう、無意味な事にじゃなくて。

「何を張り切ってるのかしら」

「魚には負けたくないんだって」

「魚くらいには、じゃなくて」

 仕方なさそうに笑い、キャップを深く被るサトミ。

 暑さはないが、日射しは強い。

 日焼け止めは塗ってあるけど、そのくらいはした方がいいかもしれない。

 彼女の隣り。 

 俯き加減で、ぼそぼそとおにぎりをかじる男の子。

 さっきからずっとこんな調子で、口も開かない。

 顔色はいいし、ぼそぼそ食べているおにぎりも2つ目。

 体調は悪くないようだけど。

「来たっ」 

 突然立ち上がり、勢いよく駆け出した。

 行動も何もかも、尋常じゃない。

「何、あれ」

「あっ」

 少し遅れて、水辺に佇んでいたケイも声を上げる。

 彼と同じ顔をした男の子を睨みながら。

「やった」

 両手を上げ、空に向かって叫ぶヒカル。

 兄弟して、何をやってるんだか。

「どうせ、競争でもしてたんでしょ」

「ああ、それで」

 だから、あんな熱心だったのか。

 子供というか、楽しそうというか。

 ヒカルはまだ叫んでいて、ケイはその足元に崩れている。

 本当に、馬鹿兄弟だな。

「普通に釣ればいいんじゃないのか」

「それだと、面白くないでしょ」

 怪訝そうにするショウにおにぎりとビニール袋を渡し、川辺を指差す。

「俺の話、聞いてた?」

「聞いてない。いいから、大物を捕まえてきて」

「なんで」

「男でしょ。ほら、早く」

 無茶苦茶な理由でショウを追い立て、残っていたおにぎりにも片を付ける。

 男は漁に出て、女は家を守る。

 家といっても、シート一枚だけどさ。

「魚を捕まえて、どうする気なの」

「食べる」

「冗談でしょ」

「生きていくためには仕方ないのよ」

 適当な事を言って、私も川辺へと向かう。


「カニは、カニ」

「日本海へ行ってくれ」

 陰気に返してくるケイ。 

 脇腹の傷は殆ど消え、赤い糸みたいになっている。

「治ってるね」

「1年近く経てば、さすがに治る。それより、河童はどこにいるのかな」

 ひっくり返される石。

 そんな所にはいないし、大体、カッパって。

 取りあえず水辺から距離を置き、腰を落として歩く。

 奴は相撲が得意らしいからな。

 こっちも、それに対応する構えをしないと。

「何してるの」

 小さなバケツを覗き込んでいたヒカルが話し掛けて来る。

 カッパとやり合うつもりだったとは言えず、手を振って私もバケツを覗き込む。

 黒い斑点と、エラから尾に掛けての赤い色。

 顎はしゃくれ気味で、野性的な印象を与えている。

「ニジマス?イワナはいないの?」

「もっと上流に行かないと。それにあれは警戒心が強いから、こういう捕まえ方では無理だと思う」

 知識はすらすらと出てくる。

 やってる事は、ともかくとして。

「バター焼きかな」

「え」

 不思議そうに見つめてくるヒカル。

 胸の中に沸き上がる罪悪感。

 自分が何を考えていて、どんな人間を思い知らされる。

「じゃあ、塩焼きでいい」 

 今さら人間性も性格も変えられない。

 結局、食べない訳にはいかないんだし。

 このニジマスを食べる必要もないんだけどね。

「活き作りにしてやれ」

 まだいたのか。

「自分が活き作りになったのに、よく平気でそんな事言うわね」

「俺の苦しみを、より大勢の人に味わってもらいたい」

 魚だよ、魚。

 根本的に、理解不能だな。

「大体、どうやって捕ったの」

「ただ追いかけるなんて、獣のする事だよ」 

 不敵に笑うヒカル。

 勿論、ケイを見ながら。

「魚の移動するルートを見つけて、その行く手にご飯粒を入れたビニール袋を仕掛けて。気長に待つ」

「追い込んだりしないの」

「ルートを返る可能性があるし、魚と競争して勝てる訳がない。後はビニールに入った時逃げなられないように、口の部分へ草を格子状に組めばいいんだよ」

「俺だって、そのくらいの事は分かってる」

 でも、技術が付いていかないからな。

 とにかく私は、カニを見つけよう。

「カニは、カニ」

「まだ言ってるのか。その辺の石をひっくり返したら」

「出てきたらどうするの」

「カッパが?」 

 真顔で尋ねて来るヒカル。

 さすが双子、発想は同じだな。

「虫よ」

「ああ。ざざ虫ね」

「何、それ」

「川の、ざーざー音がする所にいる虫だから」

 もしかして、この辺で佃煮とかにするあれか。

 さすがに私も、あれを食べようとは思わない。

 というか、そういう発想がない。

「何であんなの食べるの?」

「タンパク源さ。川魚や猪なんて量が捕れる訳じゃないし、流通が発達してない昔は魚なんて滅多に届かない」

「だからって」

「生きていくためには、見た目や味なんて大した意味はない」

 冷静で、鋭い台詞。 

 彼の考え方を、そのまま現すような。

「じゃあ、ざざ虫食べる?」

「冗談だろ」

 何だ、それ。

 らしいと言えば、らしい答えだけど。


 魚は無理っぽいので、3人で石をひっくり返す。

 虫はいるけど、量としてはたかがしれたもの。

 だからといって、気味の悪さに変わりはない。

 いくらさっきの話に思う所があっても、これを食べるというのはやっぱり無理だ。

 向こうは向こうで、こっちから願い下げだと思ってるだろうけど。

「カニ、いないね」

 別にカニではなくてもいい。

 だったら何だ、と聞かれると少し困る。

 ただ、それが虫でないのは確かだろう。

「そういえば、ショウは」

「潜ってるんだよ」

 神妙な顔で呟くヒカル。

 潜ってるって、それこそカッパだ。

「魚を捕らせに行ったのに」

「じゃあ、魚屋だ」

 聞かなかった事にしておこう。

 本当にこの人、大学院生か?


「あそこにいる」

 上流を指差すケイ。

 重い足取り。

 肩に下がった、長いツタ。

 そこには、数匹の魚がぶら下がっている。

 熊だね、どうでもいいけど。

「どうしたの、それ」

「捕ってこいって言うから」

 荒い息。 

 怒ってる訳ではなく、疲れてるらしい。

「……ヤマメだね」

「すごいの?」

「イワナ程上流じゃないけど、渓流に棲んでる川魚」

 ここは対岸まで、かなりの川幅。

 川岸の岩で水飛沫は上がっているものの、渓流と呼ぶにはとても無理がある。

「水は冷たいし、下は滑るし」

 へたり込むショウ。

 一体、どうやって捕ったんだろう。

「何も、そこまで無理しなくても」

「それは男心って奴さ。なあ、玲阿君」

 馬鹿笑いするケイ。

 ショウは言い返す気力もないのか、気の抜けた顔で川を眺めている。

 代わりに腰の辺りを蹴り飛ばし、水飛沫に顔をしかめる。

「ご苦労様」

「え、ああ」

 頼りない返事。

 私はくすっと笑い、幅の広い彼の肩を揉んだ。

 固い、張りのある手応え。

 伝わってくるのは、熱さではなく冷たい感覚。

 彼がどんな場所で、どれだけ頑張っていたも伝わってくる。

 私は胸の奥に湧き出た想いを込めて、手に力を込めた。

 川縁から顔を出し、仕方なさそうに笑っているケイ。

 その側で、こっそりニジマスを逃がしているヒカル。

 暮れ始めた空の下。

 ゆっくりと流れていく、夏の午後……。




 食事を終え、後片付けを手早く済ます。

 明日にする、とか。

 後で、という事にはしない。

 自堕落は言い過ぎだけど、そういう事をよしとする人間がいないので。

 さんざん泳いだせいか、結構だるい。

 ご飯を食べて、お風呂にも入って。

 後は寝るだけだ。

「肝試し?」

 聞きたくないし、興味もない。

 リビングから離れ、キッチンの手前で丸くなる。

 この場を完全に離れたら、一人肝試しになるから。

 途切れ途切れに聞こえる会話。

 別にお墓へ行く訳ではなく、少し山の上に行くらしい。

 どっちにしろ、正気の沙汰じゃない。

「ユウは……。聞くまでもないわね」

 除外してくれるサトミ。

 選ばれても、行かないけどさ。

「サトミはどうするの」

「そんなのが楽しいのは、子供の内だけよ」

 醒めた発言。

 はしゃぐ男の子達を、横目で見ながらの。

「沙紀ちゃんは」

「行こうかな。お化けが出る訳でもないんだし」

 当たり前だ。

 上で出るなら、ここでも出る。



 閑散とするリビング。

 サトミはソファーに横たわり、海外ニュースに見入っている。

 私は持ってきた宿題に集中。

 してるつもり。

 というか、したい。

「出ないよね」

「お化けが?」

 鼻で笑われた。

 正常な反応だとは思う。

 面白くもないが。

「私は、本気で言ってるの」

「動物学を、根底から覆す発見ね」

「私達は、その現場に居合わせた第一発見者になるかもしれないじゃない」

 返事も返ってこない。

 間抜けなお化けの被り物をした子供が、TVの向こうではしゃいでいるだけで。

「ちょっと」

「何」

「お化けが」

「いないっていってるでしょっ」

 お化け以上に、怖いのが出た。 

 取りあえずクッションを頭に被り、この場をやり過ごす。

 頭隠してなんとやらだね。

「怖い怖い」

「あのね」

「じゃあ、怒らないで」

「怒らせるような事を言わないで」

 やるせないため息。

 私はクッションを戻し、床の上へ大の字に寝転んだ。

「どうして私は、ここに来たんだろう」

「大袈裟ね」

 笑うサトミ。

 私は笑い事ではないので、体を起こしてセキュリティを最高レベルに引き上げる。

 これでお化けは入ってこない。

 彼等が、玄関からやってくるのなら。


「みんな、遅いね」

 欠伸をして、天気予報へTVを切り替える。

 明日も晴れ、明後日も晴れ。

 ただしここは山なので、不意な夕立くらいはあるだろう。

「本当、何やってるのかしら」

 彼等が向かったのは、少し上にある祠。

 別に何が出る訳でもなく、果物と花を供えにいった意味もある。

 歩いて10分程度で、多少上にいたとしても1時間もすれば戻ってくると思っていた。

 しかし。

 待てど暮らせど、戻ってこない。

 私達を脅かそうとして、からかっているはずもないだろうし。

「何か、あったのかな」

「もしそうなら、端末に……」

 言葉を切るサトミ。

 テーブルに置かれた、幾つもの端末。

 外に出掛けた4人分置いてある。

 近いから、持っていかなかったんだろう。

「探しに行く?」

 少し不安げに尋ねるサトミ。

 それは彼等を気遣う気持と。

 私が大丈夫かという意味が含まれている。

「嫌だけど。仕方ないね」

「サーチライトと、警棒もあった方がいいのかしら」

 用意をし出すサトミ。

 私もバッグからスティックを取り出し、肩に担ぐ。

 お化け相手に通用するかは分からないけど、恐怖心を和らげてはくれる。


 簡単に身支度を整えて玄関へ歩いていく。

 その途端、ドアを叩く音がした。

「嘘っ」

 何が嘘かは自分でも分からないまま、スティックを伸ばしてドアの死角に入る。

 お化け。

 それとも、見知らぬ誰か。 

 こんな夜更けに、こんな場所へ。

「サトミ、後ろに」

「ええ。スタンガンは?」

「作動する」

 グリップ部分を調整し、パワーを最大限にする。

 グローブも着けた方がよかったかな。

「こ、声がしない?」

「さあ」

 はかばかしくない返事。

 彼女はケイが持ってきた、例のライターを構えている。

「私が開けるから、何かあったらそれで」

「あなたも燃えるわよ。大体、お化けだったらどうするの」

「いないわよ、そんなの」

 頭の中で消えかけていた考えを、もう一度打ち消す。

「ちょっと」

 動かない私の背中を押すサトミ。

 お化けじゃなくて、鬼が出た。

「い、今行くから」

「よく考えれば、カメラの映像を見ればいいんじゃなくて」

 それもそうか。

 私はスティックを構え、後ろで端末を取り出すサトミの様子を窺った。

「どう?」

「知らない」

「何が」


 そう答えた途端、ドアが開く。

 咄嗟に身構え、腰をためる。

 しかし入ってきたのは、お化けでも不審者でもない。 

 険しい目つきをした若い男女。

 私の友達のようにも見える。

「な、何してるの」

「セキュリティが、最高レベルになってたのよ」 

 後ろから小声で補足するサトミ。

 私はスティックを畳んで、シャツの背中へ放り込んだ。

「キーは使えないし、開かないし」 

「そういう事もあるわよ」

 ペタペタと全員の肩を叩き、自分の手を見つめる。 

 少し冷たい。

「外って、そんなに寒いの?」

「上は寒かった」

 天井を指差すショウ。 

 つまりは、山の上という意味だろう。

「よく行ったね、こんな夜中に」 

「祠って、何かあったかしら」

「お地蔵様がいたわよ」

 手を合わせる沙紀ちゃん。

 そういえば、ちんまりと祠の中に収まってたっけ。

「あんな所に一人で、よくいるよ」

 ケイはしみじみと呟き、遠い目で窓の外を見つめた。

 どうしてこう、人間以外に情を移すのかな。

「気になるなら、一緒に寝たら」

「考えておく」

 冗談か、本気か。

 そう答えるケイ。

 話を振ったサトミは、肩をすくめて二階への階段を登っていった。

 さすがに、付いていけなくなったらしい。

「さてと、私も寝よっと」

 セキュリティをもう一度最高レベルへ設定して、キッチンの明かりも落とす。

 起きていたい人は起きて、寝たい人は寝る。

 明日の事を考えれば、そうそう夜更かししてもね。



 朝日が眩しい。

 眠さも抜けきらない。

「起きなさい」

 揺すられる肩。

 重い体に力を入れ、どうにかベッドから下りる。

「床に寝てどうするの」

「だるい」

「夜中までお酒を飲んでれば、誰だってだるいわよ」

 容赦なく、体を引き起こしてくるサトミ。

 取りあえずベッドサイドに座る。 

 座るだけ。

 それ以外は、何もしない。

 というか、出来ない。

「シーツ替えるから。どいて頂戴」

 床に転がり、ぐたりとなる。

 別に何かやる事がある訳で無し。

 急ぎの用もない。

 こうしてだらだらしてるのが、一番の幸せだ。


 寝室を叩き出されたので、玄関先にしゃがみ込む。

 朝食代わりのコーンフレークとミルク。

 少しの果物を口に運び、欠伸を噛み殺す。

 本当、何をやってるだか。

 とはいえ問題は無く、一日こうしていてもいいくらい。

 一日、森を見るだけで平気なら。

 フレークの箱とグラスをキッチンへ戻し、玄関先へ戻ってくる。

 涼しい風と、ヒグラシの鳴き声。

 木漏れ日は優しくて、風は冷たくて。

 身も心も安らいでいく。

「何してるの」

「何もしてない」 

 欠伸混じりに答え、膝を抱え直す。

 沙紀ちゃんはくすっと笑い、私の隣りに座った。

 身長も足の長さも違うので、座ってる段が違っているようにも見える。

「名古屋とは、全然違うわね」

「帰った後が怖い気もする」

「はは、なる程」

 明るく笑う沙紀ちゃん。

 今は髪を結んでなく、腰の辺りまで長い髪が伸びている。

 これはこれで、よく似合う。

「ケイと、一緒にどこか行けばいいのに」

「優ちゃんは、玲阿君とどこかに行く?」

 すぐに切り返された。

 そう言われると、こちらも返しようがない。

 行く行かないは、別にして。

「大体学校でやる事もあるし、そう遊んでられないの」

「大変だね」

「その代わり、手当が出るから。ここで売り込むと将来の就職や進学に有利って言うから、優ちゃんもやってみたら?」

「私は多くを望んでないの」 

 将来も、今の事も含めて。

 望んでどうにかなるとも思えないし。

 努力もしてないし。

 別に体型の事ではなく、将来を。

「それに、企業へ就職しようとは思ってないし」

「プロにでもなるの?」

「まさか。取りあえず、RASのインストラクター希望」

 実技は勿論、技術論やスポーツ生理学も勉強している。

 強いだけでは意味が無く、理論だけでも通用しない。

 後は指導力。

 人望というより、人間性だろうか。

「テストもあるし、難しいんだけどね」

「知り合いでも駄目なの?玲阿君の家が、経営してるのに」

「無理を言えば雇ってくれるだろうけど」

「そうね」

 何のために。

 そして、どうやって。

 自分の言ってる事が理想主義で、甘い考えだとしても。

 それを譲る気はない。

 こうして分かってくれる人がいれば、余計に。

「沙紀ちゃんこそ、プロじゃないの?」

「私は、そこまでの素質がないから。努力しても、今以上に強くなるとも思えないし」

 彼女の実力は、ガーディアンとしては相当な物。

 ただそれは、護身的な意味合いもある。

 格闘技、ましてプロというレベルになったらどこまで通用するか。

 また戦うという事に、意味を見いだせるかどうか。

 肉体的な強さだけでは、勝ち残ってはいけない世界で。

「何かをやりたいって決めるのは、大学に行った後でもいいと思って」

「そうだね。私も、今はインストラクターがやりたいけど。大学に行ったら、違ってくるかもしれない」

「進学出来ればの話だけど」

「怖い事言わないで」

 二人して笑い、幾つもの夢を語り合う。

 大きな事ではなく。

 あれがしたいとか、どこへ行きたいとか。

少しの不安と、限りない希望を。

 同じ気持ちを抱く仲間と、同じ想いで。



 川の中に足を付け、その抵抗を楽しむ。

 何とも言えない冷たさも。

 普段は感じなかったけれど、毎日がどれだけ忙しかったかに気付かされる。

 朝から何かに追われ。

 一つを片付けても、すぐ次にやる事が出来。

 ひたすらに、それの繰り返し。

 そんな事に気も止めず、ただ毎日を過ごしている。

 いいのか悪いのかは、また別にして。

 とにかく今は、この気持に浸っていよう。

 穏やかに流れる時と共に。


 なんて事を言っている間に、お昼になった。

 さすがにこれでいいのかなと思わなくもないが、多分いいんだろう。

 みんなも、似たり寄ったりだし。

 冷やし中華をすすり、おにぎりをかじる。

 山の中にいても、こういう物が食べられるのは助かる。

 間違っても、ざざ虫をどうこうしようとは思わないけど。

 お昼を過ぎても、やはり予定はない。 

 そういうのが耐えられない人も、世の中にはいるだろう。

 とにかく予定が詰まって、何かをやっていなければ我慢出来ない人。

 私はどちらでも構わないので、こういうのも構わない。


「あー」

 太い樫の木に手を当てる。

 少し回転を速めて。

 固い木だけに、突っ張り甲斐はある。

 突っ張る意味は、ともかくとして。

 あるとすれば、いざという時の稽古かな。

 少し、柔道の練習もしておこう。

「何やってるんだよ」

「秘密特訓」

「訳が分かんないな」 

 私と同じく、手の平を木に当てるショウ。

 鈍い音がして、葉が数枚落ちてきた。

 掌底だね。

「それは反則でしょ」

「は?」

「こっちの話。ちょっと、組んで」

 戸惑う彼に構わず、脇に組み付き後ろで足を引っかける。

 一瞬バランスを崩すショウ。

 しかし力尽くで、それを耐える。

 だったら。

「わっ」

 脇に手を差し入れ、前のめりになっていた彼の体を呼び戻す。

 一回転して、背中から落ちる巨体。

 下は草と落ち葉が敷き詰められていて、クッションのような物。

 力じゃないんだよ。

「まあまあかな」

「何がだ」

「こっちの話」

「人を投げ飛ばして、こっちの話ね」

 嫌みを聞き流し、腰を落として樫の木に当たる。

 あくまでもフォームチェックで、力は込めず。

「これを倒すのか?」

「あのね。熊でも無理よ」

「そうかな」

「止めなさいって」

 すごい勢いで木に突っ込む前蹴りを横から受け流し、足首と膝を捉えて投げ飛ばす。

 でも、相撲の稽古にはならないな。

「あのな」

「あなた、分かってないのよ」

「何が」

 勿論説明出来る訳もなく、彼を飛び越え樫の木にしがみつく。

 無意味で、馬鹿げた行為。

 何の役にも立たない。

 それでも、今にしか出来ない事。 

 今だからこそ、出来る事。

 高校生の夏休みという一瞬にしか。






    







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