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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第19話
205/596

19-1






     19-1




 焼け付くような日射し。

 道路には陽炎が立ち、逃げ水が先を行く。

 歩いているだけで倒れそうな熱気と湿気。

 どうにか木陰へ辿り着き、わずかな涼に息を付く。

「何してるの」

 正面から歩いてきたケイは、足を止めて視線を逸らすように空を仰いだ。

「ねえ」

「帰る」

「補習はどうしたの」

「全部終わった。俺はもう、学校に用はない」 


 今は夏休みなので、大抵の生徒は用がない。 

 あるのは彼みたいな子か、本当に頑張っている子達だけ。

 教棟に入り、汗の引いていく感覚を味わう。

 外では部活動に励む人達も多いが、私はそれを見学する気にもなれない。

 ニャンには、夕方にでも会いに行こう。

「まだ、始まったばかりでしょ」

「試験を通れば、日程は短縮出来る」

「よく合格したね」

「補習と同じ問題が出れば、俺でも解ける」

 ドアをくぐり、紙袋をテーブルへ置くケイ。

 それは私の荷物で、みんなへの差し入れ。

「気が利くわね」

 人の言葉も待たないで、袋からアイスを取り出すサトミ。

 モトちゃんも同様で、お礼を言うのは木之本君くらいだ。

「他の子の分もあるから、みんなで分けて」

 私も自分の分を確保して、冷蔵庫へ残りをしまう。

 彼女達は夏休みを返上して、ガーディアン統合案の調整中。

 何が楽しいのか知らないが、頭は下がる。

「俺のは」

「はい」

 ケイにもアイスを渡し、オレンジヨーグルト味を楽しむ。 

 程良い酸味と、ほのかな甘み。

 このクリーミーさがたまらない。

「何だ、これ」

「アイスじゃない」

「ドライアイスだろ」

 憮然とした顔をするケイ。 

 それでも冷蔵庫を開けようとはせず、何故かキッチンの棚を漁り出した。

「あった」

 彼が取り出したのは、小さなタッパ。 

 それに水を入れ、ドライアイスも入れてフタをした。


「わっ」

 可愛い音と共に飛び上がるフタ。

 ケイはすぐにふたを閉める。

「はは、面白い」

「だろ」 

「何してるの」 

 アイスを舐めながらやってくるサトミとモトちゃん。

 私は喜々として、タッパを指差した。

 それと合わせるかのように、可愛い音がしてフタが飛び上がる。

「だから?」

「何が面白いの」

 真顔で尋ねてくる二人。 

 喜んでいるのは、私とケイだけ。

 この手の事を喜ぶのも、私達だけ。

 彼女達やショウには、受けが悪い。

 それだけ人生を無駄にしているとも言える。

 どちらがかは、あまり考えたくないが。

「飛ばなくなったよ」

「氷が表面に付いたのかな」

 フォークで、水の中をつつくケイ。

 少し氷が剥がれたのか、白い煙がタッパの口を伝って下へ下りていく。

「生きてるのかな」

「二酸化炭素だから、空気より重いんだよね」 

 科学的な説明をする木之本君。

 私のように、子供のような感想ではなく。



 傾き始める日射し。

 赤く染まる教棟。

 影は少しずつ長さを増し、風にも冷たさが感じられてくる。

「暑い」

 クラブハウスの前にへたりこみ、ペットボトルににじり寄る。

 結局走ったのよ、この炎天下の中。

「お疲れ様」

「どうして、私が」

「あなたも陸上部でしょ」

「元、陸上部」

 よく冷えた麦茶を少し飲み、壁に背をもたれる。

 体が芯から冷えていく感じ。

 確かに、走るのも悪くはない。

 止まらない汗も含めて。

「陸上部に戻ってきたの?」

 目の前に見える、長くて綺麗な足。

 それを舐めるようにして、視線を上げていく。

「サトミへ差し入れに来ただけ」

「ああ、あの綺麗な子」

 薄く微笑む、夕陽に端正な顔を映えさせる黒沢さん。

 彼女にとっては汗すらも、肌を輝かせる神からの配剤。

 私の場合は、違う意味で廃材だ。

「夏休みなのに、どうかしたんですか」

「さあ。深く考えた事はない」

 即座に青木さんの足へしがみつき、頬をすり寄せる。

 肌触りは申し分ないが、真夏にやる事ではない。

 汗をかいた後でも。

「気持ち悪いんですけど」

「シャワーを浴びるんだから、同じ同じ」

 簡潔にまとめるニャン。

 確かに、こんな所でじゃれあってる場合でもない。

 とはいえ、こういうのがまた楽しいんだけどね。


 学校の食堂ではなく、駅前のパスタ屋さんへやってくる。

 今日はパスタではなく、ラザニアを。

 大きい物を頼んで、みんなで取り分ける。

 これなら残る事もないし、私も好きな量だけで満足出来る。

「というか、水が美味しい」

 食事よりも、ついミネラルウォーターへ手が伸びる。

 暑い中で動いたから、少しばてたかな。

「優さん、もう食べないの?」

「その子は元々、小食だから。だから成長しないのよね」

「もうしないと思いますよ」

 ため息を付く青木さん。

 ニャンもだるそうに、テーブルへ伏せる。

 私は、言うまでもなく。

「別に良いじゃない。そんな事」

 優雅にサラダを口へ運ぶ黒沢さん。

 座っていても分かる背の高さや、プロポーション。

 加えて端整な顔立ち。

 私もニャンも小さいし、青木さんもそう大差ない。

 ワインでも飲もうかな。



 さすがにここで飲むと動けなくなりそうなので、ミネラルウォーターで我慢する。

 スクーターで来てたしね。

 テイクアウトしたラザニアをリビングへ置き、ソファーへ崩れる。 

「食べ差しじゃない」

「お土産じゃないの。食べられなかったから、持って帰ってきただけ」

「あなたは、必ず持って帰ってくるわね」

「自分だって」

 食べられない分をテイクアウトするのは私の性格もあるが、お母さんの影響もある。

 昔から外で食べた時は、必ずもらって帰ってきたのを見てたから。 

 戦後の食糧難も関係はしてるんだろうけど、それもお母さんの性格だろう。

「日焼けしてない?」

「クリームは塗ったんだけど」

「少しは気にしなさい。ほら、これも使って」

 なんだかんだ言って、優しい事を言ってくれるお母さん。

 それに小さいから、焼けるなんてあっという間だし。

「大体ニャンなんて、この暑い中毎日走ってるんだよ」

「よその子はよその子。うちの子は、うちの子。せめて帽子ぐらい被りなさい」

 やっぱり優しい事を言ってくれる。

 私も甘えて、お母さんの隣りに座る。

「もう、暑いじゃない」

「夏だからね」

「お父さん、何とかして」

「僕の隣には座ってないから、関係ないよ」 

 寂しく呟き、ビールをあおるお父さん。

 いい年して、拗ねないでよね。

「サトミは?」

「智美ちゃんが迎えに来てた。今日は天体観測するんですって」

「ああ。あの子の家は田んぼの真ん中にあるから、夜はすごいよ」

「あなたは行かないの」

 当然の指摘。

 私は小さく頷き、それを肯定した。

「仲間外れにでもされた?」

「何よ、それ。そんな暗い所にいたくないだけ」

「恐がりね、優は。別に良いじゃない、お化けの一匹や二匹」 

 お化けって、そういう数え方をするのか?

 というか、何一つ良くない。

 大体、いないって。

 じゃあ、どうしていかないんだっていう元の話に戻るんだけど。

「お母さんは平気?今から、熱田神宮の奥に入っていける?」

「冗談でしょ。あそこは古い場所だから、結構出るのよ」

 真顔で語るお母さん。

 何が出るのか、聞きたくもないな。

「ただ悪いものは出ないと、僕は思うけどね」

「だったら、いいものって何」

「さあ。場所柄いって、須左之男命とか日本武尊とか」

 出る訳がない。

 お出まし、かな。

 よく分からないけど。

「それより、宿題は?」

「頑張ってますよ。サトミもうるさいし」

「いいじゃない。優しくて綺麗な家庭教師に付いててもらって」

 のんきに笑うお母さん達。

 あの子、外面はいいからな。

 そろそろ、雪野家の戸籍に名前が書かれてたりして。 

 私の上辺りに。



 朝。

 目が覚める。

 時計を見て一瞬上体を起こしかけて、倒れ込む。

 今は夏休み。 

 しかし気持の方は、まだ抜け切れていない。

 夏休みが終わった頃には、この逆となる。

 朝食を取って部屋の掃除をして、洗濯を手伝って、宿題を片付けて。

 さて、取りあえずやる事はなくなった。

 お昼までは、まだしばらくというところ。

 学校は昨日行ったし、この暑い中モトちゃんの家まで行く気力もない。

「優。暇なら草むしりして」

「雑草が可哀想じゃない」

「あなたのもらってきたハーブが追いやられてもいいの」

 そういえば、そんなのもあったっけ。

 仕方ない。

 雑草には申し訳ないけど、その儚い一生を終えてもらうとするか。


 日射し避けに麦わら帽を被り、狭い庭で腰を屈める。

 しかしこの雑草は、どこからやってくるのかな。 

 お母さんが手入れをしているはずなのに、かなり図太く生きている。

「農薬を使った方が、早くない?」

「食べる物もあるし、それはちょっとね」

「ふーん。わっ」

 慌てて飛び退き、白樺にしがみつく。

 さすがにがっしりと根が張っていて、私がぶら下がったくらいではびくともしない。

「何してるの」

「虫がいた」

「いるわよ、農薬を使ってないんだから」

 もっともな答え。

 しかしお母さんも手を休め、縁側へ上がり込んだ。

「普段はどうしてるの」

「気が済むようにさせてるわ」

「はは、何それ」

 素早く白樺から飛び降り、さっきの地点も飛び越えて縁側へ転がり込む。

 昨日といい今日といい、暑い中にやる事でもない。

「お父さん、お父さーん」

 少し甘めに、奥の方へ声をかける。

 すると、Tシャツに短パン姿のお父さんがやってきた。

「どうかした?」

「虫がいる」

「あなた、お願い」 

 しだれ掛かるお母さん。

 私も反対側から、腕を絡める。

「分かった。ここは僕がやるから、二人は休んでて」

「さすがお父さん」

「頼りになるわね」

「家族に誉められても」 

 という割には、嬉しそうに縁側へ下りるお父さん。

 私とお母さんはくすくす笑い、キッチンへ麦茶を取りに行く。

 たわいもない、ちょっとした出来事。

 夏の日射しとも違う、心地よい温かさ。

 家族と過ごす、夏の光景……。



「もっと食べていいのよ」

「いえ、これだけで」

 マスクメロンにスプーンを差し入れ、何とも言えない香りと甘みを楽しむ。

 ちなみに私が食べてるのは、ぎりぎり皿の上に立っているといったサイズ。

 美味しいけど、そうそう食べれる物でもない。

「俺も」

「はい」

 ショウの前に置かれたのは、アンデスメロン。

 綺麗に皮が剥かれた、丸のまま。

「え」

「あなたは出せば出すだけ食べるんだし、味も分からないでしょ」

「差別だな」

 文句を言いつつ、アンデスメロンにかぶりつくショウ。

 結構嬉しそうに。

 本当に、安上がりなおぼっちゃまだな。

「君はいいの?」

「ええ。こっちの方が、好きなので」

 頭を下げ、塩を掛けたスイカにかじりつくケイ。 

 そう言われると、私もスイカを食べたくなる。

「ちょっと」

「いいじゃない」

 沙紀ちゃんの視線を気にしない事にして、彼女のスイカに差し入れたスプーンを口へ運ぶ。

 この瑞々しさと、さくさくした食感。

 やっぱり夏は、スイカだね。

「姉さんは」

「私は、ダイエット中だから」

 スレンダーな体を軽く伸ばす流衣さん。

 どう見てもその必要はないと思うけど、そこは女性の心理だろう。

 ちなみに私は女の子なので、気にせずメロンを頬張る。

「沙紀ちゃんは、いつからいるの」

「今日来た所。ここは涼しくて良いわね。緑が多いからかな」

 ショウの実家は、森という程ではないが木々に囲まれている。

 彼の庭だけではなく、周囲にある家も含めて。

 また土地が学校のある場所よりは高台にあり、瀬戸の山も比較的近く。

 計ってみれば、確実に数度は違うだろう。

「それにしてもあなたは、よく育ってるわね。優さんとは違って」

「いえ、そんな事」 

 大きな胸元を隠すようにして謙遜する沙紀ちゃん。

 私は鼻を鳴らし、皿に残ったメロンの果汁を飲んだ。 

「こういう真似もしないし」

「これが美味しいんです。お嬢様には分からないでしょうけど」

「こういう、怖い事も言わないし」

 一斉に笑うみんな。

 私も少しだけ笑い、メロンの皮を手に取る。

「どうするの?」

「漬け物に出来そうだなと思って」

 一斉に眉をひそめるみんな。

 いや。これをやる訳じゃないんだって。

「どこを漬け物にするって」

「皮の、この辺を」

「どこ」

 スイカの皮を差し出してくるショウ。

 妙にしんなりした、薄っぺらい物を。

「あのね。カブトムシじゃないんだから」

「もったいないだろ」

「甘くないでしょ」

「苦いかな」

 だったら、食べないでよね。

 この人は、前世で飢え死にでもしたのかな。

「遠野ちゃんは?」

「モトちゃんとお星様を見て、今は夢の中」

「ロマンチックでいいじゃない」

 遠い目をする沙紀ちゃん。

 この子、どうもこういう話に憧れがあるようだな。

「確かにいいな」

「でしょ」

「天体望遠鏡は倍率が良いから、遠くまで見える。それなのに、向こうからは見えない」

 違う意味で、遠い目付きをする男。

 その内、警察に通報してやろう。

「今日、月映さん達は?」

「いるわよ。この暑い中、道場にこもってる」

 ため息混じりに呟く流衣さん。 

 彼女も玲阿流宗家の娘であり、今は師範代の妻。

 とはいえ関わる気はないと普段から公言していて、今のような発言がたまに聞かれる。

 私も玲阿流の本質的な部分を少しは知っているので、その気持ちは分からなくもない。

「玲阿君はいいの?」

「下っ端は関係ない」

 水ようかんに手を伸ばすショウ。

 彼程の実力を持っている人ですら、この家では一番下に位置するくらい。

 上を仰ぎ見ればきりがないと言うけれど、それがそのまま当てはまる。



 勝手知りたる玲阿邸内を、一人で歩く。

 というか、知っているのはリビングとキッチンを結ぶ間くらい。 

 家自体が大きいし作りが妙に複雑なので、冗談ではなく迷子になる。

 例えば、今みたいに。

「地図でもないのかな」

 さっき見たようなドアを撫で、今度は右へ曲がってみる。

 何度目かは、数えたくもない。 

「迷ったのかな」

 後ろから掛かる、低い声。

 私は振り向き、姿勢を正した。

「そうかもしれません」

 ショウのお祖父さんは大きく頷き、丁度目の前にあったドアを開けた。

 優しく微笑んで。


 小さな書斎といった趣の室内。

 壁際には本棚が並び、隅の方には金庫らしき物も見える。

「ここは我が家のもらった勲章が置いてあるんだ」

「へえ。お祖父さんのもあるんですか」

「一応」

 古い木製の机。

 その引き出しの鍵を開け、中から封筒を取り出すお祖父さん。

「……Medal of Honor. U.S. Armed Forces in Japan」

「在日米軍から送られた、名誉勲章だよ」

「在日米軍?」

「今の北米政府が、沖縄に駐留させていた軍の事」

 星の入った、青い横長の勲章。

 お祖父さんはそれに触れ、少し微笑んだ。

「私も、私の父も戦場では苦労した」

「はい」

「月映や瞬も。だから風成は、軍へは行かせなかったんだが」

 途切れる言葉。

 伏せられる視線。

 凛とした顔がどこか、力無く見える。

「四葉は軍へ行きたいと、未だに言っている」

「はい」

「本人がその気なら止める事は出来ない。家族の心情としては、また別だがね」

 ささやき、独り言。

 微かに、だけどはっきりと聞こえる言葉。

 それとも、気持。

 私にそれを聞かせてどうなるものでもない。

 また私自身、何かが出来る訳でも。

 でもお祖父さんはそう呟いた。

 他の誰でもない。

 私に。

 その意味を、少し考えよう。

「済まないね。変な話をして」

「いえ」

 丁寧に頭を下げ、本棚に収まっている古い本を眺める。 

 和紙に包まれていて、また達筆過ぎて題すら理解出来ない。

「随分、古い本ですね」

「幕末に、先祖が書いたらしい。我が家の由来を」

「御土居下同心って、ケイは言ってましたよ。尾張藩の隠密って」

「ああ。身分を隠す必要があったから、その流れでここや御剣家は剣よりも素手の技を磨いたんだ」

 それの現代語訳された本を出してくれるお祖父さん。

 表紙をめくると系譜図が載っていて、江戸時代より前まで遡れるようだ。

「我が家とは大違いですね」

「何が?」

「私の家は、せいぜいお祖父さんかその前くらいですから」

 別にひがんでいる訳ではない。 

 私は私で、歴史の短い雪野家を十分気に入っている。

「ここも、大差ない。特に私や月映達は、玲阿家の伝統や格式からはかけ離れているし」

「そうなんですか?」

「ご先祖様が現れたら、手打ちにされるだろうね」

 笑うお祖父さん。

 私も控えめに笑い、本を抱きしめる。

 昔話と、古い思い出。

 楽しく、少し切ない。

 幾つもの話を聞く。

 暖かい気持と、優しい笑顔に見守られて……。



 ストレートをトリプルで叩き込み、戻ってきたサンドバックに飛び膝を見舞う。

 カウンターに表示された数値に満足をして、最後に回し肘打ちを当てる。

「もう少し、脇を締めた方がいいですね。後、軸が若干ぶれてます。回る時に、もっと視線を定めるように」

「はい」

「とはいえ、普通の相手なら何一つ問題ありません。虎とでも戦うのなら別ですが」

 大きく頷き、手をサンドバッグに当てる水品さん。

 激しく揺れていたそれは一瞬にして止まり、わずかな揺れも見せなくなる。

 力尽くで物を動かすのは難しいが、それを止めるのはより難しい。

「先生。名誉勲章って、知ってます?」

「ああ、先生が昔受勲したという」

 私にとっての先生は、水品さん。

 水品さんとっての先生は、ショウのお祖父さん。

 少しややこしい。

「昨日、見せてもらったんです。どのくらいのものなんですか」

「旧米軍では、最高位です。外国人に対しては、まず例がないでしょうね」

「へぇ」

「私も見せてもらった事はありませんが」

 笑う水品さん。

 その辺の意味は私もよく分からないが、全く分からない訳でもない。

「ショウのお父さんも、北米政府からもらってますよね。何とか鷲っていうのを」

「大鷲勲章ですか。あれは性質が違っていて、軍ではなく政府が授与するものです」

「それも、すごいんですか?」

「無論、最高位です」

 一体、どんな親子なんだ。

 というか、何をやったんだろう。

 聞いてみたいけど、聞いてみたくないな。

「先生は、何か持ってます?」

「あの一族程には、到底及びません」

 否定はしない水品さん。

「それに私の戦地は瞬さんや月映さん達程、激戦区では無かったですし」

「うちのお父さんなんて、捕虜ですよ」

「だから、雪野さんのお父さんは偉いんです。勲章なんて、何一つ意味なんてありません」

 少し強まる語気。

 険しくなる表情。

 ただそれは一瞬で、表情は普段の穏やかさを取り戻す。

「四葉さんは、まだ軍に行くと?」

「ええ。考えを変える気は無いみたいです」

「日本は海外派兵をしませんし、問題はないと思いますよ。せいぜい国連軍の、停戦監視団くらいで」

 肩に優しく置かれる手。

 私は小さく頷き、視線を落とした。

 遠い話。 

 だけど確実にやってくる現実を噛みしめながら……。



 部屋に入ったら、人のベッドで寝てる女の子がいた。

 椅子には薄手のパーカーが掛かっていて、机の上には皮のキャップも置いてある。

 床には大きめのバッグ、卓上端末も。

 そのどれもが、私の物ではない。

 一体ここは、誰の部屋か。

 勿論私の部屋だ。

 というか、私の家だ。

「ちょっと」

 邪険に振られる、長い腕。

 異様にむかつくな。

「起きてよ」

 顔も向けず、もう一度手が振られる。

 それこそ、野良犬を追い払うようにして。

 起こす気力もなくなったので、自分の荷物を置いて部屋を出る。

 本当のここは、私の家なのかな。


「変な子が、ベッドで寝てた」

「聡美ちゃんでしょ。あなた、何言ってるの」

「あれは、私のベッド。あの子の布団は、隣の部屋にあるでしょう」

「そういう、わがままを言わないの」

 何だ、それ。

 本当に私は、この人の娘かな。

 顔や体型を見る限りでは、何一つ疑う点は無いけれど。

「これ、ショウの家でもらってきた」

「また、そういう事をして」

「じゃあ、返してくる?」

「もらった物を返すのは、もっと失礼なのよ」

 スキップでもしかねない足取りで、天然鮎をキッチンへ持っていくお母さん。

 今、いくつなのよ。

「流衣さんが言うには、刺身でもいいって」

「川魚は、寄生虫が怖いけどね」

 嫌な情報を教えてくれるお父さん。

 そう言われると、煮るなり焼くなりしてほしいな。

「僕も捕虜の時は、結構食べたよ。鮎とか、ヤマメとか」

「のんきな捕虜だね」

「みんな、よくしてくれたんだ。監視もないし、何かを制限された訳でもなかったし」

「単なる、ホームステイじゃないの」

 思わず笑ってしまい、慌てて口をつぐむ。

 しかしお父さんは気にした様子もなく、グラスに立った茶柱を見て喜んでいる。

 いくらよくしてくれたとはいえ、結果的に拘束状態にあった訳で。

 肉体よりも、精神的に楽だったとは言い切れない。

 それでもこうして元気にしていられるのは、こういう性格のおかげだろう。

「おはようございます」

 お昼過ぎに、意味不明な事を言ってくるサトミ。

 寝起きの気だるい感じが、妙に艶めかしい。

「おはよう。何か食べる?」

「いえ、お茶だけで結構です」

 人のグラスを持っていき、ぐいぐい飲み始めた。

 起きてるのかな、本当に。

「……あなた、何着てるの」

「ブラウス」

「聞き方が間違ってたわね。誰のを着てるの」 

 薄い青で、襟元に少しフリルの付いた可愛い感じ。

 ただ、若干袖が長い。

「サトミのを着てる」

 平然と答え、グラスを奪い返す。

 この辺りで存在をアピールしておかないと、本当に危なそうだから。

「あなたも、私のを着たら」

「タイムマシンを発明したら考えるわ」

 面白い事言うな。

 ただし間違ってもいないので、ブラウスを脱いで椅子に掛ける。

 暑いのよ。

 だったら着るなって話だけど、それはまた別な問題だ。

「お星様はどうだったの」

「綺麗だったけど、蛙の合唱がすごくて」

 暗闇に散りばめられる、無数の星。

 星座の中を駆け抜ける、一瞬の流れ星。

 長い時を経て、私達の瞳に映る星々。 

 そのBGMが、カエルの歌か。

「叙情的でいいと、僕は思うけど」

「大合唱でなかったら、そうでしょうね。なんだか、まだ聞こえるような気がします」

 疲れ切った顔で、耳を押さえるサトミ。 

 そんな光景は、想像したくもないな。


「星を観たのは、昨日でしょ。今日は、何してたの」

「長良川で、水遊び」

 そう言えば、少し顔が赤いかな。

 この子の場合は私以上に白いから、日焼けもしやすい。

 それはそれで、似合うんだけどね。

「二人で?」

「名雲さんと、光も」

 淡々と、事務的に答えるサトミ。 

 ふーん、そういう訳か。

「ダブルデート?」

「違いますよ。たまたまです」

「いいじゃない。うちの子なんて、水品さんの所でサンドバッグを殴ってるんだから」 

 いいじゃないよ、私が夏休みをどう過ごそうと。

 確かに虚しいのは、自分でも認めるけどさ。

「ショウの家にも行ったんでしょ」

「まあね。でもメロンとスイカを食べて、帰ってきただけ」

 お祖父さんの話については、あえて語らない。 

 水品さんはともかく、サトミやお父さん達に話す事は少しためらわれるから。

「ケイは」

「いたよ。スイカ食べてた」

「いい加減、食べ物から離れて」

 笑うみんな。

 私も一緒になって笑い、別な話題で盛り上がる。

 普段と変わらない、平凡な時間の過ごし方。

 私にとってはかけがえのない。

 家族との一時……。



 休みなので、何もしなくていい。

 無理に遊びに行かなくたって。

 エアコンの効いたリビングに転がり、伏せたままTVを観る。 

 今日の最高気温予想は、35度。

 実際に外で計れば、それ以上を計測するだろう。

 夏は暑いし、冬は寒いし。

 どうしてこう、極端なのかな。

 神様、なんとかしてよ。

「馬鹿みたい」

 思わず自分で呟き、チャンネルを変える。

 古いドラマの再放送。

 女子高校生が、自分の生き方や友達との関係。

 恋愛について悩んでいる。

 彼女は北米で国は違うけど、その気持ちはよく分かる。

 何がどうというより、心の中で。

 とはいえドラマを観て深刻になっていても、仕方ない。

 きりのいい所でニュースに戻し、水の中で氷を抱えているシロクマに笑う。

 こっちの気持の方が、よく分かるかな。

「お母さん、お昼は?お母さーん」

 呼べど叫べど、返事は無し。

 そういえば、サトミと買い物に行ったんだっけ。

 この暑いのに。

「あーあ」

 ダラダラと立ち上がり、キッチンへと向かう。

 どうせ外で食べて来るだろうし、私は私で生きていこう。


 暑いからあっさりした物を。

 なんて事ばかりいっているとばてるので、しゃぶしゃぶを食べる。

 牛ではなく、豚の。

「さてと」

 ある程度食べたので、ダシも出てきた。 

 雑炊もいいけど、うどんもいい。

 ふーふー言いながらうどんをすすり、タオルで顔を拭く。

 エアコンは切っていて、室内はかなりの暑さ。

 これがまたいいのよ。

 スープを最後まで飲み干し、キッチンへ持っていく。

 今度はさすがにエアコンを入れて。

 どうでもいいけど、実家に帰ってきたという感じじゃないな。


 やる気を出し切ったので、再びリビングに戻ってアイスをかじる。

 汗が一気に引いていく感覚がたまらない。

「あー」

 少し眠くなってきた。

 寝よう。

 アイスの棒をゴミ箱へ放り込み、口をすすいでソファーに寝転ぶ。

 坂を転げ落ちていくような気分。

 もう、指一本も動かしたくない。

 なにが幸せといって、こういう瞬間が……。


 目が覚めた。

 エアコンは睡眠モードに入っていて、温度は低過ぎず湿気も程々。

 体も軽くて、いい寝起き。

 窓の外はまだ明るくて、お母さん達も帰ってきていない。

 仕方ない、ご飯でも研ぐか。

 掃除もした方がいいのかな。

 洗濯物も、取り込まないと。

 みそ汁のだし汁は、昆布にしよう。

 サラダはレタスと、ワカメと、アスパラもある。

 そうそう、お風呂お風呂。



「ただ今。すぐ、ご飯の準備するから」

 荷物を抱え、キッチンへ向かうお母さん。

 サトミも、その後に続く。

 私はリビングのソファーに寝転び、TVを観る。

「あら」

 キッチンから聞こえてくる声。

 すぐに戻ってくる二人。

「どうしたの」

「何が」

「これも」

 テーブルの下に置かれた、洗濯物。

 全部畳んであって、シャツにはアイロンも掛けてある。

 料理は温め直すか、少し火を通して終わり。

 お風呂はすでに沸いている。

「ありがとう、助かったわ」

「私の家だからね」 

 別にサトミへの対抗心ではなく。

 このくらいはやって当然だから。 

 自分で食べるのを用意して、洗濯をするのも。

「一人暮らしが長いと、自立心も養われるのかしら」

「大袈裟ね」

 少し笑って、チャンネルを変える。

 程良い疲労感と食欲。

 今日はよく眠れそうだ……。




 翌日も夏休み。

 というか、いつまで経っても夏休み。

 なんて事を言ってると、あっという間に終わるんだけど。

 玄関先へ出て、水をまく。

 大して涼しくなる訳でもないが、気分的に違う。

 風鈴みたいな物だ。

「精が出るわね」

「ええ、まあ」

「暑いわね」

「そうですね」

 道路には水を撒き、近所の人にも笑顔を振りまく。

 ますます、主婦じみてきたな。

 とはいえ、そろそろ限界。

 ホースを上に向け、口の部分を指で押さえる。

 シャワー程ではないが、小雨くらいには降ってくる。

 黒のタンクトップだから透けないし、一気に涼しくなってきた。

 やはり精神より、物質が優るみたい。

 悟りを開くには、まだまだだな。

「何あなた、ずぶ濡れじゃない」

「気持ちいいもん」

「風邪引くわよ」

 そう言いつつ、腕を差し出してくるお母さん。

 そこに水を振りかけ、足元にも掛ける。

「あー」

「何、それ」

「何が」 

 真顔でこっちを見てくる女性。 

 私のお母さんと、世間では呼ばれている。

 意味もなく叫ばないで欲しい。

「秋は、いつ来るのかな」

「まだ、夏が始まったばかりよ」

「気が遠くなる」

 玄関先の階段にしゃがみ、水を止めてため息を付く。

 水はすぐには止まらず、先の方からだらだらと流れてくる。

 意味もなく、身につまされる光景だ。


 何をやるでもなく、気付いたらお昼になっていた。 

 暑いからすぐ動けばいいのに、完全に気が抜けている。

 汗は出るし、だるくなってくるし。

 夏っていうのは、人間を駄目にする。

 私の場合は、秋でも冬でも駄目だけど。

 そうめんを少しすすり、お茶漬けで終わらせる。

 バーベキューなんて、別な国の話だと思う。

「あなた、自由課題は」

「知らない。サトミの余りでいい」

「余る物じゃないでしょ。ほら、選んで」

 目の前に差し出されるリスト。

 理系文系、よりどりみどり。

 これだけあると、どれを選んでいいかも分からない。

「私はもっと、シンプルなのがいい」

「朝顔の観察は?」 

 もう遅いっていうの。

 というか、向かいの庭に咲いてるし。

「いいよ、ハーブを観察するから。今までの分も、少しは写真に撮ってあるし」

「そう。同種の育っているハーブを見つけてきて、比較研究もするのよ」

「え」

「学校に性能のいい顕微鏡があるから簡単よ。電子顕微鏡もあるから、分子レベルでの解析も出来るし」

 ハーブの分子を見て、どうしようっていうの。

 よく分からないけど、その時はまたサトミに聞こう。

 全部聞いて、この子にやらせよう。


 それ以外の宿題を少しずつ進め、提出期限の迫っているレポートを提出する。

 気付けば新しい宿題やレポートが、端末に追加されていく。

 休みだからといって、遊びっぱなしにはさせてくれない。

 いいにはいいが、ちょっと嫌だ。

 取りあえず一休みして、ベッドに転がる。

 なんだか、昼寝の習慣が付きそうだな。

「あー」

 すぐに体を起こし、適当に雑誌を開く。

 ラーメンか。

 今は、冷やし中華の方がいい。

 ……何だか、すごい無意味に時間を過ごしてる気がする。


 階段を駆け下り、リビングに入る。 

 ソファーに座っているお父さんとお母さん。

 キッチンには、サトミの後ろ姿も見える。

「どうしたの」

「……どうしよう」

 小首を傾げるお母さん。

 お父さんは不安そうに、私を見つめる。

「何を」

「さあ、それは私が知りたくて」

「優、大丈夫?」

「大丈夫だよ」

 はっきりと自信を込めて答え、辺りを見渡す。 

 整理整頓されていて。 

 目に付く物はないし、これという物もない。

 さて。

「あなたは、何がしたいの」

「分からない」

 欠伸をして床にしゃがみ込み、テーブルにあったあられをかじる。

 梅の風味が美味しいな。

「困ったね」

「何が」

「さあ、なんだろう」

「優、本当に大丈夫?」 

 まだ心配してくるお父さん。

 お茶を飲みながら笑っているお母さん。 

 サトミは振り返りもしない。



 意味もなく。

 ただ過ぎていく時間。

 だけど、後でそうと気付く。

 大切な瞬間であったと。

 夏休みの一日。

 私にとって、かけがえのない一瞬。   










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