エピソード(外伝) 18 ~御剣君視点~
強さ
狭い階段を上がりきり、廊下を歩いていく。
朝。
教室へと向かう、大勢の生徒達。
笑い声と挨拶、そして笑顔。
生徒数は1万を超える、この学校。
それこそモデルも顔負けの生徒も、決して少なくはない。
例えば、今すれ違った子もそうだ。
だが俺は、それには気も止めず床を見続ける。
不規則な歩幅、崩れがちなリズム、ずれているバランス。
全然なってない。
顔を上げ、全体像を確認する。
180cmあまり、服の上からでも分かる発達した上半身。
派手な服と、染めた髪。
隠そうともしない、尊大な態度。
このレベルで、よくやるぜ。
「……何か用か」
俺の視線に気付いたらしく、足を止める男。
そいつを見下ろし、胸元で手首を返す。
空気の裂ける、乾いた音。
早朝からのトレーニングの成果か、スナップは利いている。
「い、いや」
愛想笑いを浮かべ、隣を過ぎていく。
仲間も同様だ。
後ろから飛びかかってくるのを期待したが、聞こえてきたのは逃げるような足音だけ。
憮然とした気持ちを抑え、ため息を付く。
仕方ない。
強い奴なんて、そうそうにいる訳が無いんだから……。
昼休み。
食事を取りに、食堂へと向かう。
知り合いがいないとトラブルになるんだが、体の方はそれを待ってはくれない。
取りあえず列へ並び、IDを出す。
特に食べたい物も思い付かないし、フリーメニューでいいだろう。
少しずつ減っていく列。
だがカウンターの所で、誰かが強引に割り込んだ。
当然文句を言っているが、聞く耳を持ってないようだ。
馬鹿が。
「列から出ろ」
抑え気味に、そう声を掛ける。
視線がこちらへと向いたが、動く気配はない。
なるほど。
腹は減ってるが、腹が立ってる方を優先しよう。
俺は列を外れ、カウンターへと歩き出した。
今度ばかりは、俺のせいじゃないと思いつつ。
「聞こえないのか」
首を掴み、強引に列の外へと連れ出す。
体格としては大柄で、今も俺の腕を掴んで激しく抵抗をしている。
こちらとしてみれば、じゃれついているとしか思えないが。
「分かるように言ってやる。順番を守って、後ろに並べ」
腕を後ろで極め、肘を押さえて膝を蹴る。
当然男はあっさりと倒れ、そのまま床へ這いつくばった。
周囲から漏れる失笑。
一気に赤らむ、男の顔。
俺を見る目は、怒り以外の何も含んではいない。
「今ので分かっただろ。それでもやるなら、掛かってこい」
内心馬鹿馬鹿しいと思いはするが、ここで引く程人間は出来ていない。
まずは無造作に構え、左のガードを下げる。
それに気付いて打ち込んでくれば良し。
誘いだと分かって、違う動きをしてくれるともっと助かるが。
「このっ」
床を蹴り、それなりの早さで飛びかかってくる男。
案の定、下がった左へ拳が飛んでくる。
所詮、この程度か。
数秒にもならない時間を虚しく捉え、下げていたガードの位置に肘を……。
「落ち着け」
80kgはありそうな男の突進が、難なく止められる。
俺はまだ構えたままで、指すら触れていない。
「四葉さん」
「元気だな、お前は」
苦笑気味に笑う四葉さん。
その手は男の肩に掛けられ、俺の顎を捉えるはずだったストレートを抑え込んでいる。
「手、手を離せ。余計な事を……」
「手が砕けるよりはましだろ。それとも、俺がやってやろうか」
静かな、落ち着いた声。
一瞬にして辺りの空気が張りつめ、男の動きが止まる。
圧倒的な威圧感と、誰の目にも分かる彼の実力。
俺とは比べ物にならない程の。
「早くしてよ。列が進まないでしょ」
苛立った声で、男を下から睨み付ける小柄な女の子。
「あのな」
「こんなの縛って、その辺に転がしとけばいいのよ」
「だ、誰だ、お前は……」
「私が誰だか、関係あるの」
喉に突きつけられる正拳。
俺でも取れるのがやっとな速度。
男にはそれが、突然現れたとしか思えないだろう。
「ユウ、止めろって」
「分かってる。ほら、早くどっか行って」
「は、はい」
がくがくと頷き、転びそうな勢いで逃げていく男。
辺りには何とも言えない空気が漂い、重苦しさがこの場を支配する。
「何よ、私はみんなのために……」
「ご飯が食べたいだけでしょ」
「うっ」
唸りつつ、後ろを振り向く雪野さん。
そこには呆れ気味な顔で腕を組む、息を呑みそうな美少女が立っていた。
「サトミ、あのね。私はね」
「知らない。ご飯は、もうあっちに持っていってあるから」
「あ、そう。ならいい」
ころっと態度を変え、スキップでもしかねない勢いで遠野さんの後へ付いていった。
こちらとしては、ただそれを見送るしかない。
「お前も来いよ」
「え、でも」
「飯もある。ほら、武士」
10人掛けのテーブル。
そこに座る四葉さん達。
俺の分も用意されていて、しかも全品大盛りになっている。
「暴れるなよ」
「そうですけど、あいつが割り込んできて」
「御剣君が正しい」
はっきりと言い切る雪野さん。
それが正義感よりも食欲から来ているのは、俺も多少は理解している。
「確かに、見過ごすよりはましね」
「は、はい」
「やり方はともかくとして」
諭すように釘を刺す遠野さん。
俺はただ恐縮して、みそ汁をすすった。
「俺でも、あのくらいはやるぞ」
「どうしてそう、血の気が多いの。少しは落ち着いたと思ったら」
「反抗期なんでしょ」
「誰が」
楽しそうな3人。
先輩だが、俺から見ても微笑ましいと思えるくらいの。
だが、斜め前にいる人の存在が俺は気に掛かる。
「ほら」
「済みません」
こんな事で礼を言うなという苦笑気味の表情。
俺はソースを彼に返し、頭を下げた。
「あんなのは、こうすればいいんだ」
くくっと笑い、かなりの熱さを保つお茶をご飯に掛ける浦田さん。
冗談を言っているのだろうが、この人の場合は分からない。
そういう現場を、過去何度も見ているし。
「何、物騒な事言ってるの」
軽く浦田さんの頭にトレイが当てられる。
「あ、あちっ」
「ああ、ごめん」
一応は謝り、その隣りに座るポニーテールの女の子。
「あ、謝って済む問題か。油が首に……」
「分かったわよ。はい」
「おい」
差し出される、アーモンドキャラメル。
「ふざけやがって」
文句を言う割には、それをポケットにしまう浦田さん。
よく分からないが、彼なりには満足したらしい。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
恐縮気味に挨拶をして、上目遣いに彼女を窺う。
生徒会ガーディアンズG棟隊長で、以前は直属班の一斑を任されていた丹下さん。
俺からすれば仰ぎ見るしかない存在だが、そんな事はかまわず気さくに接してくれる。
「丹下ちゃん、仕事はいいの」
「ご飯くらい食べるわよ。遠野ちゃんが、後で手伝ってくれるし」
「いつ、そんな約束したの……。ハニートーストお願い」
「ハーブティーも付ける」
笑顔で握手しあう二人。
それはともかく、浦田さんのキャラメル一粒とはかなりの差だ。
「サトミ、後で……。あっ」
「先約済みよ」
「私のサトミを、勝手に」
「物じゃないわよ、私は」
憮然とする遠野さんに構わず、彼女の隣りにトレイを置く元野さん。
彼女は連合のF棟隊長であり、議長補佐という幹部でもある。
所属は違うが、やはり俺とは根本的に立場が違う人間だ。
「私が手伝おうか」
「面白い事言わないで」
今度は雪野さんが憮然とした顔をして、みそ汁を一気にあおる。
「うー」
「唸るなよ。犬じゃあるまいし」
「シャー」
「ヘビか……」
呆れる四葉さん。
疲れてるのかもしれない。
俺なら恥ずかしいが。
食事を終え、先輩達に別れを告げる。
面倒だが、さすがに授業をさぼる訳にもいかない。
例により他人の足取りをチェックしながら歩いていくと、何かが聞こえてきた。
今いるのは、教棟と教棟をつなぐ渡り廊下。
周囲に緑の見える綺麗な場所で、この時間帯にもなると食事を取ったり友達同士で話し込んでいる人の姿が見られる。
ただ俺の視界に移ったのは、もう少し違う光景だっだ。
背丈程の緑を過ぎていき、やや勾配のある芝生を歩いていく
この先を行くと中庭へ抜けるはずだが、徐々に緑が増えてくる。
手入れをしていないのか、こういう物なのか。
それでも気配を消しつつ、先を急ぐ。
ようやく開けた場所に出て、初夏の日差しが降り注ぐ。
気持ちいいよりは、暑いくらい。
ただ俺は日陰に隠れているため、あまり気にはならない。
数名の男女。
その中央に囲まれる、怯え気味のカップル。
事情は知らないが、状況は分かる。
途切れ途切れに聞こえる会話。
剣呑な雰囲気。
放っておく訳にもいかないか。
「楽しそうだな」
一斉にこちらへ視線が向けられる。
自分達も何をやっているのかは分かっているらしく、気まずそうな顔だ。
だが、こちらへ掛かってきそうな気配もある。
望む所とまでは言わないが、その時はその時だ。
「ケンカでもやってるのか」
「お、お前に関係……」
肩口にあるガーディアンのIDを指差し、黙らせる。
「行けよ」
「くっ」
陰険な視線を向け、しかしこの場を立ち去る男女。
小声で文句を言っているようだが、ガーディアンに刃向かう程ではないらしい。
わざわざ俺が出てくるまでもなかったようで、何となく気が抜けた。
その方がいいと怒られそうだが。
いや、まだやる事が残ってる。
「大丈夫か」
「よ、余計な事するなっ。い、行こう」
「え、ええ」
怒鳴りつけ様、走り去る二人。
なんだと思う間もなく、その姿は緑の中に消えていく。
照りつける初夏の日差しと、熱のこもった風に吹かれながら。
俺は呆然と、その場に立ち尽くしていた……。
窓際に座り、外を見る。
深い緑と、青い空。
幾つもの教棟と、日差しに輝く無数の窓。
だからどうしたという訳でもない。
とにかく、何もやる気がしない。
「元気ないね」
「え?」
のろのろと振り向くと、木之本さんと目が合った。
「あ、こんにちは」
「うん。どうかした?」
相変わらずの、人のいい笑顔。
自分でも分かる強面の顔。
しかも今のように不機嫌そうにしていれば、大抵の人間は近付いてこない。
それでも彼はいつもと変わらぬ態度で、俺に話し掛けてくれた。
「ちょっと、気になる事があって」
「気が滅入ってる?」
「ええ、まあ」
簡単にさっきの事を説明し、ため息を付く。
「余計な事だってのは、俺だって分かりますよ。ただのケンカじゃなくて、男女のトラブルだってくらいは」
「それなのに、逆に怒られたと」
「何か馬鹿馬鹿しいというか、力が抜けました」
オフィス近くのラウンジ。
俺の見た目や雰囲気もあってか、周囲には誰もいない。
やや遅い時間帯のせいもあるが。
「……それとも、止めない方がよかったのかな」
「ん、どうして?」
「いつもみんな、俺に言うじゃないですか。もっと落ち着けとか、大人しくしろって」
多少の不満を込めて、そう呟く。
同じ事の繰り返しだが、俺だって好きでやってる訳じゃない。
それにある程度は考えてるし、状況は見てるつもりだ。
「頭ごなしに文句を言われて、面白くないって事?」
「い、いや。そこまでは言いませんけど」
あっさりと先を読まれ、小声で否定する。
木之本さんは笑顔を絶やさず、ダイエットソーダのストローに口を付けた。
「みんなは怒ってる訳じゃなくて、心配してるんだよ。御剣君が、怖い人だって誤解されないように」
「そうかな」
「言い方がきついから、違うと思うかも知れない。それに」
「それに?」
しかしそこで言葉を閉ざし、曖昧に首を振られた。
無理に聞けば教えてくれるだろうが、そこまでする必要もない。
また必要な事だったら、初めから教えてくれる人だ。
「仕事はいいんですか」
「浦田君がやってるから、僕は一休み。いつもこうだと助かる」
彼にしては珍しい種類の冗談。
仕事重視で規則に縛られた人間と思ってる人もいるが、内面はもっと柔軟な考え方をする人だ。
「御剣君こそ、ここで黄昏れていいの」
「黄昏れるって……。そろそろ、パトロールの時間かな」
「僕も行こう。いいよね」
「え、ええ。それは別に」
気持を切り替え、廊下を歩いていく。
内心の苛立ちやわだかまりはあるが、それはそれだ。
ここへ来た時多少暴れたせいか、おかしな連中はかなり数を減らした。
勿論完全にいない訳ではなく、俺狙いという奴は増えただろう。
どこにも馬鹿は多い。
俺も含めて。
「揉めてますね」
俺狙いではなく、軽い小競り合いが前の方で見える。
すでに一緒にパトロールへ出たガーディアンが向かっていて、俺達もそちらへと走り出す。
体格のいい男が5人。
血の気が有り余っているという顔。
周囲の野次馬や、ガーディアンの制止をむしろ楽しんでいる雰囲気。
それが自分と重なるような気がして、つい舌を鳴らす。
「君は、あの子達とは違うよ」
「え?」
「意味もなく暴れはしないっていう意味」
人の心を読みような発言。
いや、俺が単純過ぎるだけか。
「雪野さんも、そのくらい反省してくれるといいのに」
「はあ」
「暴れない雪野さんも、想像は出来ないけど」
目線で「内緒だよ」と語りかけ、状況を見守る木之本君。
これ以上荒れる様子ではないが、暴れていた連中が大人しく引き下がる気配もない。
軽くごねて、自分達をアピールでもしたいのだろう。
「馬鹿が」
「軽く、やってみたら」
「え、でも」
「殴れとは言ってないから」
強引に背中を押され、ガーディアンと連中の間に入る。
誰よりも大きな体と、厳つい顔立ち。
当然視線は、俺一人へと向けられる。
「どうしたって言うんです?」
「よくある話。新入生が、有名になりたくて自作自演で暴れてるのよ」
「外でやれよな」
誰にも聞こえるくらいの声で説明してくれる先輩。
当然それは、男達の耳へも届く。
「おい。今、なんて言った」
「さあ。耳鳴りじゃないの」
「いいから、早く帰れ。そうしないと、こっちも本気で動くぞ」
ガーディアン達の手が警棒へ添えられる。
一気に走る緊張。
男達も予想外だったのか、表情に余裕が無くなっていく。
しかしここで引けば、メンツは消えて無くなる。
だが、ガーディアンへの抵抗は停学処分の対象ともなっている。
メンツを取るか、打算的に考えるか。
俺なら、言うまでもないが。
「俺がやります」
「いいの?」
「無理しなくていいぞ」
さっきの態度を考えてか、そう声を掛けてくる先輩。
俺は首を振り、連中と向き合った。
所詮自分には、こういう事くらいしか出来る事はないんだから。
「で、誰からだ」
「な、なに」
「有名になりたいんだろ。一応は俺も、中等部では名前が売れてた。いい餌と思って、掛かってこい」
挑発気味に手を振り、男達を見下ろす。
距離は軽く踏み込めば、足が当たるくらい。
俺だけでなく、向こうからも。
「馬鹿が。お、おい。そっちの連中は何もしないんだな」
最悪の質問。
辺りから失笑が漏れるが、それを気にしている余裕はないらしい。
「一応、名前を聞いていてやる。誰だ、お前」
「俺もまだまだだな。みつる……」
飛んできた警棒を受け止め、手首をひねって投げ返す。
同時に床を踏み切り、男の肩へ飛び乗り背後へ回って膝を後ろから蹴り上げる。
一瞬の事に、動きを止める他の男達。
それでもどうにか事態が飲み込めたらしく、かなり闇雲な動きで飛びかかってきた。
4人。
少なくはないが、多くもない。
人数でなく強さだけを取れば、やる気を無くしたくなる程だ。
左右から打ち込まれる警棒を両手で受け止め、そのまま引きつけて顔面を激突させる。
すでに前の前へ残りの二人が詰めているが、ジャブとも言えない拳は鼻先すらかすらない。
下から手をあてがい肘を伸ばさせ、肩を掴んで即座に極める。
素早さとタイミングが必要な動きだが、男達は肩を押さえて床へとうずくまった。
数秒もない時間。
俺自身殆ど認識している訳ではなく、感覚として捉え体を動かしているだけだ。
自分でも嫌になるくらいの訓練の繰り返し。
それを毎日欠かさず続ければ、この程度は出来る。
「強いんだよな……」
一人で呟き、拳を撫でる。
忘れていた、そして失いかけている自信。
周囲の怯えるような視線は今の呟きを裏付け、それが自惚れではないと告げている。
ただ、実感は薄い。
四葉さんの存在が、俺をそうさせる。
あの人に挑む自信はあるが、勝つ気はまるでしない。
実力は勿論、気迫も、考え方も及ぶ所がない。
強いという言葉は、この人のためにあると思えるくらいの。
雪野さんも実力的には申し分なく、その四葉さんを黙らせる事の出来る数少ない人間だ。
それは遠野さんも同じで、あの刃のような迫力は俺などわずかに言い返す事も出来ない。
野次馬が去り、他のガーディアンも去った廊下。
そこには俺一人が佇んでいる。
強さとは何なのかと、自答しながら……。
汗の滴るTシャツを脱ぎ捨て、スポーツドリンクを口に含む。
ジョギングと筋トレ、それにシャドーとサンドバッグ。
2時間以上やっていれば疲労感はあるが、毎日やっていればそれにも慣れる。
夕方は練習生で賑わう道場も、今は俺一人。
荒い息がよく響く。
古さを感じさせる木の壁と、マットの敷かれた床。
窓からは古ぼけた塀が見え、小鳥が数羽止まっている。
近くに、果実を実らせる木があるせいだ。
見慣れた、いつからか記憶すらない光景。
それでも、俺は……。
「まだやってたのか」
道場に入ってくる、細身の男性。
「父さん」
「オーバーワークは却って悪いくらい、お前も分かってるだろ」
「そうなんだけど」
言いたい事は色々あるが、ここで愚痴を言っても仕方がない。
それで解決する問題でもないし。
「弱いとでも言いたいのか」
「どうして」
「顔に、そう書いてある」
冗談っぽく言い、サンドバッグに手の平を当てる。
手首から肩へのひねりと、腰と膝の微妙な動き。
サンドバッグは大きく上へ跳ね上がり、再び繰り出された手の平で止められる。
「親だから言う訳じゃないが、お前は十分強いぞ」
「四葉さんは、俺の何倍も強い」
「四葉君か」
微かに重みを増す口調。
鋭くなった視線が、俺を捉える。
「確かにあの子は強い。ただ、倍は言い過ぎだろ」
「でも俺は、全然勝てる気がしない」
「毎日訓練して、努力して、頑張ってるのに。それでも及ばないって?」
俺以上に厳つい顔がほころび、鼻が鳴らされる。
「言いたい事は分かる。俺も、あの子のおじさんには勝った事がない」
四葉家と御剣家は、本家と分家の関係に近い。
現在は殆ど血縁はなく、分家の俺達が従うという訳でもない。
ただし父さんの言った通り、その実力は本家の呼び名にふさわしい。
「……だからってな、武士」
一瞬にしてすごみを帯びる父さん。
分かってはいながら、思わず総毛立ちそうな威圧感。
激しい気迫を迸らせ、その手がサンドバッグへと触れる。
跳ね上げる事もなく、叩き付ける訳でもなく。
静かに、押し当てられる。
「俺は、勝てないなんて思った事無いぞ」
「父さん」
「多分、死ぬまでそう思い続けるだけだろうけどな」
「何だよ、それは」
「気持の問題って意味だ」
豪快に笑い飛ばし、道場を出ていく父さん。
だからどうしたとも思うが、少しは気が楽になった。
気持、か。
確かに、初めから決めつけても仕方ない。
実力として差があるとしても。
今まで一度も勝った事がないとしても。
その道が、費えた訳ではないのだから。
夢を見た。
後一歩で、床に崩れる夢を。
誘い気味の、左を下げたガード。
分かっていつつ、左ストレートを放つ。
当てる自信はあり、カウンターをかわす余裕もあった。
はずだった。
真下からのショートアッパー。
それより早く、ストレートを打ち抜く。
かわされても、仰け反らせればアッパーの威力は減る。
バランスを崩した所で、追い打ちにもう一度左を持っていく。
愚直とも、策が無いとも言える攻め。
後頭部を相手の足が刈ったと気付いたのは、その直後。
そこで、夢から覚めた。
何かを暗示しているのか、単に勝てないという意味だけなのか。
それはともかく、何となく体が重く感じる。
夢とはいえ、余程力を入れていたんだろう。
我ながら、ここまで行くと笑うしかない。
「面会」
「誰に」
「あなたに。怒っちゃ駄目よ」
しっかりと釘を刺し、受付の辺りを指差す先輩。
男女のペア。
脳裏をよぎる、昨日の出来事。
文句でも付けに来たのだろうか。
それは、俺が言いたいのだが。
「何か」
訝しさと若干の怒りを抑えつつ、無愛想に応対する。
綺麗と評していいだろう顔立ちの二人。
スタイルもそう悪くはなく、かなりもてる事は推測出来る。
俺にとっては、それ程の価値もない事だが。
「え、その。昨日は済みませんでした」
「知り合いのガーディアンに聞いたら、多分ここの人だって聞いて」
おずおずと語る二人。
よく分からんな。
「それで、昨日の事で話があって」
肩がつつかれ、先輩が奥のドアを指差した。
「じゃあ、あっちで話そうか」
気が回る方ではないため、二人が何を言い出すか見当も付かない。
大体、俺に言っても意味がないと思うんだが。
何となく気まずそうな二人。
捨て台詞と共に立ち去ったのだから、当たり前だ。
ただ、それなのにわざわざ俺にどうして会いに来る。
「実は、その。俺達、昨日の連中に脅されてて。おかしな言い掛かりを付けて来るんです。目障りだとか、俺達の前でいちゃつくなとか」
「ドラッグもやってるみたいで、言ってる事が無茶苦茶ですごい怖くて」
連中のひどさが例を挙げて説明され、顔が伏せられる。
嫌な話だが、聞かない話でもない。
訳の分からない奴は多いし、これだけ人間がいればおかしなトラブルもたまに発生する。
だから俺のすぐ側で起きても、不思議ではない。
いい気持ちでも無いが。
「それで勝手とは思うんですけど、俺達を守って欲しいんです」
「ガーディアンの規則に、そういうのがあるって聞いて。昨日あんな態度を取って済みません。慌ててて、自分でも本当に」
言葉を詰まらせる女の子の背中をさする男。
妙に湿っぽくなってきたな。
大体俺は、こういう相談が苦手なんだ。
頭を使うのは向いてないし、ただのケンカならともかく誰かを守るなんて。
「……お願い出来ますか」
すがりつくような懇願の態度。
それこそ、土下座でもしかねない勢いの。
上目遣いの瞳は微かに潤み、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
さて、どうするよ。
少し間を置き、自分の中で考えをまとめる。
「……話は分かった」
「じゃ、じゃあ」
腰を浮かす二人を手で制し、ドアを背中越しに指差す。
「俺が勝手に判断出来る事でもないから、一応先輩に相談する」
「は、はい」
「心配しなくても、本当に危ないと分かったら警察にも通告するから」
気を落ち着かせるためにそういうと、二人は顔を強ばらせてぎこちなく頷いた。
警察という言葉が、大袈裟過ぎると思ったのかも知れない。
それは同感だが、俺の手には余る気もするので。
部屋を出て、先輩に声を掛ける。
「あの、襲われる可能性があるから助けてくれって言ってるんですが」
「調書や許可書、それに申請書」
「ええ?」
「お前個人でガードするならいらないぞ」
卓上端末に表示される、見慣れない申請書の画面。
選択は二つある。
今言われた通り個人でやるか、ガーディアンとしてやるか。
前者の方は制約が無く、また簡単だろう。
勝手に暴れて、勝手に捕まえて、有無を言わさないようにすればいいだけだから。
つまり、俺向きとも言える。
「……書きます」
「分かった。手順があるから、それ通りにな」
「はい」
意外そうに説明する先輩。
さっき聞いた男女のプロフィールや状況を入力して、二人へ視線を向ける。
落ち着き無く、辺りを見渡している。
ここにいても、襲われる不安と戦っているのだろうか。
大丈夫とは言ったのだが、その判断が付かないくらい追い込まれてるのかも知れない。
「出来ました」
「よし。後は相手の特定を、俺達でやる。情報局と、総務局に連絡して」
「い、いえ。相手は分かってますから」
突然口を挟む男。
名前が幾つか告げられ、検索すると確かに見たような顔が表示された。
「よく知ってるな」
「え、ええ。何度も会ってるので」
「情報局にはどうします」
「……分かったなら、連絡は必要ない。総務局は、何かトラブルが起きた後でもいい」
先輩は表示された者達のデータを写し終え、男と視線を合わせた。
「疑う訳じゃないが、向こうの言い分も聞く。それは、構わないな」
「え、ええ。ただ、ドラッグをやってるから。嘘ばかり付きますし」
「分かってる。……木之本」
「こんにちは。御剣君は……、いたね」
優しく微笑みかけてくれる木之本さん。
先輩は鼻で笑い、俺を指差した。
「こいつのお守りか」
「昨日、元気がなかったから大丈夫かなと思って」
「じゃあ、頼む。俺はまだ、仕事があるから。話は、そいつから聞いてくれ」
「分かった。……身辺警備?」
微かに曇る、穏やかな顔。
俺は昨日の事も踏まえ、もう一度状況を説明した。
「なるほど。で、その相手は」
「分かりませんが、その内来ると」
「面会よ」
受付の辺りを指差す先輩。
昨日会った、数名の男女。
さっきの呼び出しに、素直に応じたようだ。
「一人で大丈夫?」
「え、俺一人?」
「申請書を書いたのは、あなたでしょ」
「まあ、それはそうですが」
少し唸り、木之本さんへ救いを求める。
しかし彼も曖昧に笑い、首を振った。
「後で、レポートを読ませてもらう。頑張って」
「はあ。じゃあ、全員奥へ来て下さい……」
向かい合うように、長い机が配置された会議室。
ここでは寝ている記憶が殆どだが、今はとてもそんな気分ではない。
机を挟み、睨み合う両者。
昨日の状況とも近い、俺の苦手な雰囲気。
単なるケンカならともかく、こういった精神的な問題は付いていけない。
とはいえ、任せれたからには仕方ないか。
「脅されたって、二人は言ってるんだが」
「誰が」
「あんたら」
「冗談だろ」
笑いもせず、真顔でそう答えられた。
これが嘘なら、俺は何を信用すればいい。
それを見極める力に欠けるのは、認めるとして。
「二人が付き合うのが、気にくわないとか」
「何の話してるんだよ。俺達は、こいつらに騙させれたんだぞ」
「彼女を紹介してやるとか、彼氏を紹介してやるとか言って。それに乗った俺達も馬鹿だけど、ビデオに撮って売りさばくなんて聞いたら。誰だって怒るだろ」
しかし、カップルの方が即座に反論する。
「頭おかしいんじゃないのか。誰が、どんな事すると思ってるんだ。ドラッグのやりすぎだな」
「ドラッグ?お前、よくそんな嘘が付けるな。いい加減にしろよ」
腰を浮かす男達。
対照的に、怯えた顔で腰を引くカップル。
「落ち着いて話せ」
「ドラッグやってるって言われて、落ち着けるか。お前も、こいつの仲間か。昨日、随分都合よく出てきたもんな」
「俺は、初対面だ。言い合うより、何か証拠はないのか。撮ったビデオとか、ドラッグとか」
はっきりと首を振る二人。
当たり前だが、自分で持ってるという馬鹿はいないだろう。
そんな質問をする馬鹿は、ここにいるが。
何とも情けない気分になっていると、一人の女の子がおずおずと手を挙げた。
「あ、あの」
「ん、なに」
「証拠って訳じゃないんですけど」
俺の前まで回される、喫茶店のレシート。
全然意味が分からん。
「その男の子に誘われて、話を聞いた所です」
「嘘言うな」
「静かに。話を続けてくれ」
「え、ええ。脅すなら、二人っきりでなんて会いませんよね」
気弱そうな、大人しい顔立ちの女の子。
確かに、そう言われてみればそうだ。
「混んでたから店の人が覚えてるかどうか分かりませんけど、その男の子も触ったから指紋を指紋を調べてくれれば」
「俺達は警察じゃないから、指紋までは調べないんだ」
両者の間に流れる、複雑な空気。
俺にどちらの言い分が正しいか、その判断を下せという事か。
これだけで、分かる訳がない。
特に、俺のようなぼんくらに。
「……確かに、会ったよ。そいつが窓口で、金だけ渡せって言ってた」
「う、嘘です」
「俺も女に脅されたのが恥ずかしくて、つい黙ってたけど。済みません」
殊勝な顔で頭を下げる男。
女の子は真っ青な顔で、口を押さえている。
反論しようにも、とてもそれが出来る状況では無さそうだ。
どちらの言い分も正しく、違うように思える。
態度も同じで、俺には何も分からない。
ただ、わざわざ俺の所へ話を持ってきたのはカップルの方だ。
それを考えれば、自分が悪い事をしていてそんな真似をする奴がいるとは思えない。
また、少しとはいえ話を聞いた分。
親しみとは言わないが、感情の傾きはある。
両者の話も聞き、これ以上の情報はない。
また、俺には他の手の打ち方が分からない。
そしてこの場の判断は、俺に任されている。
怯えるカップル。
俺を頼り、懇願し、今も震える二人。
人を守るという意味。
強さとはなんなのか。
俺は馬鹿で、人を助けるなんて柄じゃないけど。
少しくらいは出来る事がある。
記憶のないくらい昔から繰り返してきた、毎日の訓練。
その意味は……。
口を開きかけたその時。
一つの光景が、脳裏をよぎった。
後一歩のところで打ち抜かれた顎。
もう少し踏み込めば、もう少し考えれば避けられた攻撃。
闇雲に突き進むだけの自分が受けた、手痛い一撃。
勿論それは、夢の話だ。
現実にそんな目に遭った事は、数える程しかない。
だからこそ、その意味は重いのではないだろうか。
「お互い言いたい事も言って、少しは気が楽になっただろ。今日は一旦帰って、何かあったら俺に連絡してくれ」
「し、しかし」
明らかに動揺するカップル。
対照的に集団の方は、当然だといわんばかりの顔で席を立った。
「こ、こいつらに襲われたらどうするんです」
「俺が責任を取る」
「責任って、怪我でもしたら」
「それも含めてだ。まさかIDまでチェックされて、そんな事する奴もいないだろ」
不満気味なカップルを横目に、集団の方は文句を言いながら部屋を出ていく。
それは二人へ対してだけではなく、俺にも向けられている。
決して面白くはないが、当然といえば当然だ。
俯いて口も開かない二人を連れて、受付までやってくる。
今はもう不満どころか、俺を敵視しかねない表情だ。
「ほら、もう帰って。何なら、寮までガーディアンを付けるから」
「いいですよ、もう」
「来るんじゃなかったわ」
昨日と似たような態度。
先程までの怯えや殊勝な雰囲気は、すっかり影をひそめている。
救いを求めに来て断られたような物だから、それも仕方ない。
また自分で言った通り、何かあった場合の責任は取るつもりだ。
「……体ばっか大きくて、全然使えないな」
聞き間違い、ではない。
目の前の男が、笑い気味にそう呟いた。
女の子の方は含み笑いで、俺を見上げている。
「ああ。あいつらの言ってたのが、本当だ。ここにはないけど、ビデオは寮に置いてある。こうなると表だっては、売りさばけないけどな」
「いいじゃない。こうなったら、あの馬鹿達も私達に手出し出来ないから。結局は、ガーディアンの監視があるんだし」
あざけり、とでも言うんだろうか。
薄い、俺すらも小馬鹿にした微笑み。
ここまで来たら、さすがに俺でも分かる。
頭の悪そうな、体だけはでかいガーディアン。
適当な事を言えば、簡単にだませるような。
またそれは現実となり、今のような事になっている。
自分でも呆れるくらいの馬鹿だ。
唯一救いなのは、この二人の味方にならなかった事くらいか。
訳の分からない夢のお陰だと、取りあえずはしておこう。
「分かったから、早く帰れ。あいつらが何もしないって分かったら、もう俺に用はないだろ」
「そうだな。助かったよ。何かあったら、また頼む」
おどけた仕草で頭を下げる男。
女の子の方はそいつに腕を絡め、耳元で何やらささやいている。
意味ありげに笑う二人。
もう、どうでもいい。
「愛想がないな。生徒を守るのが、ガーディアンの仕事だろ。俺達に使われたからって、怒るなよ」
「元々こういう顔じゃないの」
「ああ、そうか」
嘲笑が辺りへ響き、受付にいるガーディアン達もこちらを見てくる。
晒し者になっている俺と、笑い続ける二人を。
「どうした、怒ったのか。でも駄目だよな、ガーディアンが生徒に手を出したら」
「また何かあったら、手伝ってね。あなたには特別に、本当に紹介してあげるから」
「金、用意しとけよ」
蔑んだ視線、高笑い、下品な笑顔。
どうも何かを忘れてるんだが、思い出せない。
ここまで出かかっているのに。
思い出せないのは、大した事じゃないからか。
「帰れって言っただろ。お前達と遊んでる暇はないんだ」
「仕事でもあるのか?荷物運びか、書類の整理か。せいぜい頑張れよ」
「雑用も大変ね。でも、それ以外の事は出来ないって顔だし」
「はっきりと言ってやるな。可哀想だろ」
耳元を過ぎていく言葉。
思い出せない何か。
分かるのは周囲の視線と、男女の蔑んだ視線。
「……おかしいな」
「どうした。自分の馬鹿さ加減に気付いたのか」
「そのくらいの神経はあるのね」
本当に、そのようだ。
いや、自分の馬鹿さ加減には前から気付いている。
どうして俺は馬鹿なのか。
今日のように、色々と考えずに行動するからだ。
だからみんなに怖がられ、先輩達に怒られる。
「……そういう事か」
「独り言ばっか言って、気持ち悪いなこいつ」
「はっきり言ったら、可哀想じゃない。ねえ」
小馬鹿にした尋ね方。
可哀想、か。
笑えるな。
「今日は、随分大人しいな」
「あ」
カップルの肩越しに聞こえる声。
落ち着いた、物事に動じにくい佇まい。
俺とその二人を冷静な視線で捉え、鼻で笑う小谷。
局長付きのガーディアンなので、こいつはあちこちのオフィスへ顔を出す。
今のように、ここへ来る事だってそれ程珍しい事でもない。
「何か用か」
「身辺警備の申請があったから、状況を見に来た」
「もう、用はない。警備の必要も」
「なるほど」
意味深な頷き方。
思慮深い、心の奥底へ沈み込んでいくような視線。
小谷は男女を指差して、俺へ顔を向けた。
「この二人が申請して、それを取り下げたと」
「まあな」
「で、どうして笑われてた」
俺をからかうような物ではなく。
静かに、諭すように語りかける小谷。
その答えは、もう出ている。
「俺は、よく考えて行動する事に決めたんだ」
「で、その結果は」
「そういう柄じゃない」
左足を跳ね上げ、天上へと突きつける。
激しい風圧が周囲に生まれ、小谷の髪が揺れる。
その後ろにいた、男の髪も。
「なっ」
顔色一つ変えない小谷とは違い、その場にへたり込む男。
女の方も青白い顔で、小谷へとすがりついた。
「お、お前。お、俺を……」
「ガーディアンが生徒に手を出さない?冗談だろ。俺が書いた始末書を見せてやりたいぜ」
体を揺らし、小谷をパスして男の頭を手で掴む。
もてる男は、顔も小さい。
だから、簡単に持ち上げられる。
「血の気が多くて、よく怒れるんだ。こういう事ばっかりやってるから。聞いてるか」
俺の手を必死で押さえる男。
首が伸びると面倒なので、股間に手を差し入れて持ち上げる。
控えめなボディースラム。
足を床の間に差し入れるくらいの気は、一応遣っている。
それでもさすがに息が詰まったのか、唸り声を上げる男。
次は、こっちか。
「ひっ」
喉を鳴らし、背を向けて逃げようとする女の子。
その手を素早く掴み、ひねり様後ろでひねる。
「お、女に手を……」
「まだ、何もしてないだろ。ビデオと、連中から巻き上げた金を持ってこい。その後で、解放してやる」
「じょ、冗談じゃないわよ。こんな事して、ただで済むと……」
安堵と優越感の表情。
ドアから入ってくる、数名の男女。
救いを求めるように目を潤ませ、哀れっぽい声を出す。
「た、助けて。この人が突然、私を脅してきて……」
素早く距離を詰め、俺の手を取る四葉さん。
抵抗しようかとも思ったが、ここは引いた。
自分でも、やり過ぎなのは分かっていたし。
つまり、また怒られる訳だ。
自分の浅はかさが原因で。
本当に、自分の馬鹿さ加減に嫌になる。
「……ここは任せろ」
耳元でそうささやき、四葉さんは俺から離れていく。
代わって遠野さんが、女の子を介抱するうようにその肩を抱いた。
「大丈夫?」
「え、ええ。あ、あの人が。突然、襲ってきて。私と、その子を」
「落ち着いて、もう安心だから」
「は、はい」
遠野さんの肩越し。
俺と小谷だけに見える、してやったりという微笑み。
だがそれは、即座に凍り付く。
「詐欺ともなるとガーディアンの範疇を越えるから、警察に連絡したの。後の話は、そっちでお願いね」
「え、ええ?」
「ユウ」
小柄な体が風のように動き、遠野さんが抑えていた女の子の手に指錠を掛ける。
呆気に取られる彼女をよそに、雪野さんはその体を壁際へと押し付けた。
「しばらく、そこで大人しくしてて。端末とIDと、……スタンガンね」
手早くボディーチェックをして、その背中を一瞥する。
言葉もないといった具合に。
「で、どっちが主犯なんだ。いやそれは警察で聞かれるけど、俺も知りたくて」
「お、俺は何もしてない」
「あ、そう。今言えば、自首扱いで罪も軽くなったのに。惜しいな」
鼻先で笑い、男に立つよう顎を振る浦田さん。
ダメージは殆ど与えていないので、男もすぐに立ち上がる。
「ガーディアンを利用するか。馬鹿な事したな、あんたも」
「せ、生徒に手を出して、お前らただで済むと」
「自分の心配でもしてろ。御剣君」
浦田さんの手招きに応じて、男と向かい合う。
頭を焼き尽くすような感情。
あの程度ではとても収まるはずがない。
熱くなる体、痺れる拳。
怒りが形となって現れそうな程の感覚。
それを感じ取ったのか、男は逃げ腰で後ずさる。
「やれ」
「え?」
「好きにしていい。責任は、俺達が取る」
顎を振る浦田さん。
遠野さん達も、俺を見てすぐに頷く。
引きつった顔で棒立ちになる男。
女の子は夢でも見ているような、呆然とした表情。
俺は腕をさすり、深い息を付いた。
集中を高め、拳を構える。
足は肩幅よりやや広く、左足を前に。
素人にも分かる、戦いのスタイル。
そして俺自身がどの程度出来るかは、こいつは身を持って体験している。
「覚悟はいいな」
言葉も返ってこない。
顔色も変わらない。
変わり様がないと言った方が正確か。
それは、自業自得と諦めてもらうしかない。
これも、報いって奴だ。
俺みたいな馬鹿に声を掛けたのを、後悔してくれ。
平手で軽く頬を捉え、背を向ける。
次は女の子指錠を外し、ドアを指差す。
「帰れ」
「で、でも」
微かな期待の表情を見せる女の子。
俺はその鼻先に肘を突きつけ、彼女を見下ろした。
「連中に金とビデオを返したら、それでいい。だけど、もしやらなかったら」
肘をを横に振り、前髪をなびかせる。
「分かってるな」
がくがく頷く彼女を押し出し、男と共にドアから追い出す。
これで終わった。
自分だけでも、そう思っておこう。
「優しいな、随分」
「警察沙汰になったら、脅された連中も困ると思っただけだ」
どうだかという顔で俺を笑う小谷。
今は、言い返す気力もない。
「大体、四葉さん達はどうしてここに」
「木之本が、ちょっと来てくれって。お前の事、心配してたぞ」
「あ、ああ。そういえば」
昨日いきなりいなくなったと思ったら。
ちゃんと、考えていてくれたのか。
俺みたいな人間の事を。
「相手にされてないとでも思ってるの?」
からかい気味な遠野さんの問い掛けに、おずおずと頷く。
「木之本君だけじゃなくて、ここの先輩からも頼まれたのよ。早く来てくれって」
「え?」
遠くの方で手を振ってる先輩達。
俺に呆れて、好きにやらせてる訳じゃなかったのか。
ただ俺が、それに気付いてないだけで。
やっぱり俺は、馬鹿らしい。
一人で不幸ぶって、勝手に悩んで、勝手に暴れて。
今もこうして、迷惑を掛けて。
「でも御剣君なんて、ショウに比べたら可愛いもんだって。物は壊さないし」
「お、俺?」
「あなたに、誰がいるの。その内請求書回ってきても知らないから」
「俺だけじゃないだろ」
笑い合う先輩達。
俺はその輪から外れ、窓際へ立った。
結局は、手取り足取りされていた訳だ。
お陰で助かったのだから、文句を言える筋合いではない。
俺一人だったら、今頃こっちが警察行きだったのかも知れないし。
「不満そうだね」
「……木之本さん」
「様子を見に来たんだけど、何とかなったかな」
申し訳なさそうな顔。
俺の意図など、とっくに分かってるだろう。
自分の取った行動が、俺にどんな感情を抱かせるかも。
それでも木之本さんは俺のために、色々と面倒を見てくれた。
彼だけでなく、他の先輩達も。
俺みたいな、馬鹿な奴のために。
少しでも不満を抱いた自分が、恥ずかしくなる……。
でもいつか。
同じ事を先輩達に、出来るようになりたい。
何も出来ない、何の力もない俺だけど。
少しずつは、成長しているはずだ。
今日だって、ほんの少しくらいは。
だから。
彼等が迷惑と思おうと、その力になれるようになりたい。
自分の馬鹿さ加減を悩んでいる暇はない。
俺に出来る事はただ一つ。
強くなる事。
それでみんなを守る事。
精神的ななんて言うつもりは、さらさらない。
この拳を鍛え上げるだけだ。
馬鹿みたいな、子供っぽい考え。
俺に似合った事を。
了
エピソード 18 あとがき
御剣君苦悩の巻、でした。
彼は彼なりに色々考えているようです。
それが空回りというか、いまいち良い方向に向いてないだけで。
そう彼が、思い込んでいるだけで。
何にしろ、いい子です。
キャラデータは既出ですが、今回分かった部分などと少し。
御剣武士
1年。ガーディアン連合所属。
先祖は玲阿家の分家?
ショウとは遠縁にあたり、彼や風成を兄のように慕っている。
粗暴な性格と思われがちだが、それは野性的な顔付きと口調のせい。
本人は至って大人しくしているつもり。
実力はショウに匹敵するが、外見や性格などを気にし彼には敵わないと思い込んでいる。
ユウ達には頭が上がらず、敬意というより畏怖の念を抱いている。
木之本とは、仲がいい様子。
彼と対峙するのが、小谷君。
いわゆる頭脳派で、言ってみればショウとケイの1年生版。
それぞれ持ち味やタイプは異なりますが、敢えて言うなら。
この辺の1年同士の事も色々あるんですが、それはまたおいおいと。




