18-9
18-9
人の減った学内。
夏休みはもう間近。
生徒会長選挙も、投票締め切り日が近いらしい。
テストはすでに終わり、清掃センターの人が使われなくなった教室の大掃除に励む姿が目立つ。
私はガーディアンの義務として、学校に来ている。
今は、それ以外の理由が無くもないが。
「お昼で終わり?」
「こう暑いのに、勉強なんてしてられないでしょ」
教科書をリュックにしまいながら、説明してくるサトミ。
寒くても、勉強なんてしてられないけどね。
どちらにしろ、助かるには助かる。
授業が午前で終わるなら、それ以降の日程も全て前倒し。
必然的にガーディアンの終業時間も、早くなる。
学校へ残る事に、変わりはないにしろ。
「グランドの警備が入ってるから、行ってきて」
「冗談ばっかり」
「それは、あなたの行動だけよ」
嫌みな台詞と共に突き付けられる端末。
画面に表示される、私達のスケジュール表。
確かに、グランドの警備が組み込まれている。
「私は知らないわよ」
「知る訳無いじゃない。私が組み込んだんだから」
「じゃあ、自分でやって」
「夏の日射しは、肌に悪いの」
「私にだって悪いわよ」
仕方なく天満さんからもらった紙袋を漁り、日焼け止めクリームを取り出す。
いくら表面積が小さくても、浴びる物は浴びるから。
「私一人?」
「いいわよ、誰かを指名しても」
「指名って、サトミしかいないじゃない」
「ショウ達は、連合の本部で大掃除。そっちに人手が取られて、外部の警備が出来てないの」
書類とバインダーを抱えるサトミ。
彼女は彼女で忙しいらしい。
「私も本部にいるから、何かあったら連絡して」
「手当は出るんでしょうね」
「アイスくらいは買ってくれるって」
子供のお駄賃か。
せめて、二つ買ってもらおう。
そういう発想自体が、子供なんだけどね……。
強烈な日射し。
サトミから貸してもらった茶のキャップを被り直し、ペットボトルに口を付ける。
冗談じゃなく、こうしないと熱中症になりそうだ。
こんな所で動き回るなんて、普通じゃない。
「何してるの」
汗の浮かんだ、日に焼けた肌。
私より短いショートカットと、可愛らしさと精悍さの微妙なバランス。
ニャンは首に掛かったタオルで顔を拭き、私のペットボトルを受け取った。
「警備に駆り出された。ニャンは」
「トレーニング。倒れそうだけど、心肺機能を高めるには悪くないから」
疲労の中に見える、力強い微笑み。
彼女の顔が眩しいのは、日射しのせいだけではないだろう。
「調子はどう?」
「アジアGPの本戦には出られそう。ワールドGPには、後一歩かな」
「私は、もう追いつかないね」
「ガーディアンをやってなかったら、どうだか。それにユウユウは、中距離向きでしょ」
木陰で話し込む私達。
心地よい風が吹き抜け、木漏れ日が足元に細かな光を散りばめる。
夏でよかったと思える、一瞬の時間。
「それより警備って、ここで話してていいの?」
「ニャンこそ」
「トレーニングは、もう終わり。朝からやってるんだから」
それを示す、近くにあるリュックへ置かれた何枚ものタオル。
彼女の端末を見ると、国内でもトップレベルに近い100mのタイムが幾つか表示される。
本当に彼女は、私の手が届かない所まで行ってしまったようだ。
「どうしたの」
「ニャンが、遠くに行ったなって」
「すぐここにいるじゃない」
抱かれる肩。
頬に感じる、彼女の熱気と汗。
私も彼女の腰に手を回し、少し笑う。
「この暑いのに。それに、汗が付く」
「気にしない、気にしない」
「気にするわよ」
遠くなったタイム。
変わらない心の距離。
それはきっと、いつまでも……。
暑い中、じゃれ合っていても仕方ない。
自分の汗も噴き出てきたので、私もシャワーを浴びる。
勿論、サトミから言われたコースを全部回った後で。
この暑い中うろついてるなんて、私かセミくらいだ。
「ユウユウ、ご飯は」
「暑いからあっさりしたのがいいね」
「冷麺は」
「それいい」
ブラシで髪をとき、鏡で軽くチェックする。
どこからどう見ても、子供だな。
「お待たせ。何してるの」
「私は小さいなって」
「今さら、何言ってるの」
私よりはかろうじて大きいニャンは、やはり鏡をチェックして頬を撫でた。
「私なんて、日焼けもしてるのよ」
「いいじゃない、似合ってるから」
「そういう問題?」
笑いながらロッカールームを後にして、急ぎ足で正門へと向かう。
暑くても疲れていても、友達といる時はまた別だ。
駅前のショッピングモール。
コリアン料理の店へ入り、予定通り冷麺を頼む。
「ガーディアンの仕事は」
「食べたら戻るよ。ニャンは」
「寝る」
シンプルな答え。
私も突っ込みようが無く、適当に笑ってキムチをつつく。
「お待たせしました」
渋い声と共に、テーブルへ置かれる冷麺。
ダブルのスーツを着た壮年の男性は、優しく微笑みチヂミもテーブルへ置いた。
「頼んでませんから」
「俺からのサービスだよ。足りないだろ、それだけじゃ」
「私は十分ですけど」
「私は頂きます」
一礼してチジミから食べるニャン。
尹さんは嬉しそうに微笑んで、ネクタイの襟元を緩めた。
「今日は、二人だけ?」
「ええ。暑いのにふらふら出歩く人なんて、そうそういませんから」
「私は走ってたけどね」
「はは。……っと、変なのが来たな」
細くなる、尹さんの瞳。
微かに緩む口元。
店の入り口辺りの席。
大声で話す、高校生風の男達。
態度は極端に悪く、店員さんに下らない事を言っては盛り上がっている。
「人の店で、何をやってるんだか」
椅子に掛かるスーツ。
まくられる袖。
「スティックがありますけど」
「あんな奴らに使うのはもったいない。これで十分さ」
割り箸を掴む尹さん。
私も席を立ち、彼の後に付いていく。
「ユウユウ」
「見るだけだから」
「知らないわよ、もう」
呆れ気味に、人の冷麺をすするニャン。
「あのね」
「伸びると思って。ほら、行ってきて」
店内に響く笑い声。
だがそれは、一瞬で消えて無くなる。
皿の上に突き立てられる割り箸。
文字通り。
皿を突き破って。
力尽くでは出来る訳もない、あり得ない光景。
だが、紛れもない現実。
「店を出て行くか、病院へ行くか。選べ」
「何だと。お前、俺達が誰だか」
「知るか」
後ろから襟首を掴む尹さん。
途端に言葉を失う男。
すでに意識はないらしく、体はテーブルへと倒れ込む。
「仲間がやられたんだ。ほら、掛かってこい」
動かない男達。
圧倒的に違う実力。
根本的に、自分達とは異なる存在。
虎へ挑む動物はいない。
何事にも、例外はあるが。
人間の場合は、特に。
「っと」
左右から飛びかかる男達。
即座に宙を舞う尹さんの体。
足がムチのようにしなり、男達の手を払ってがら空きとなった鼻先を叩く。
卒倒する二人。
一斉に逃げ出す、他の男達。
しかし数人の店員が入り口を閉ざし、彼等を阻む。
「お客様、お会計をお願いします」
落ち着いた、だからこその威圧感。
男達は青白い顔で財布を取り出し、動かなくなった仲間も担いで逃げていった。
「無茶苦茶ですね」
「俺の店だから、俺の好きなようにするだけさ。それに、子供をしつけるのは大人の役目だろ」
笑う尹さん。
店員さん達は、何事もなかったかのように後片付けをする。
戸惑っているのはお客さんだけという状況。
「しかしあの程度の挑発に乗るとは、俺もまだまだ若いな」
「瞬さんも、同じような物ですよ」
「あいつと一緒にされても」
苦笑する尹さん。
私もくすっと笑って、ニャンの所へ戻る。
どうやら今日の昼食は、キムチご飯になりそうだなと確信しつつ……。
尹さんからもらった肉を冷蔵庫へしまい、手近にあった書類を適当に読む。
特に私に関わる物はなく、大半が業務連絡と夏休み中の注意事項。
時計に目をやれば、終業時間まで後少し。
戻ってくるんじゃなかったかな。
のんきに欠伸をした途端、ドアが激しい音を立てた。
いたずらにしては、度が過ぎる大きさで。
素早くスティックを伸ばし、ドアの隣りに張り付く。
もう一度。
その振動で、ロッカーが小さく揺れる。
ドアを開け、スティックだけを出して勢いよく回す。
幾つか聞こえる叫び声。
構わず手近にある物を外へ放り投げ、音が静まった所でドアを飛び出す。
床に横たわる男達。
見た事のない顔ばかり。
意識のない彼等を足で転がし、取りあえず指錠をはめる。
こういう事は無くもないが、唐突過ぎる気もする。
「また、無茶苦茶な」
突然現れ、ぽつりと呟くケイ。
私は鼻を鳴らし、へこみの目立つドアを指差した。
「向こうから、勝手にやってきたのよ。大体、誰」
「どこかで恨みを買ったとか。……生徒のIDは無し。身分を示す物も。さすがに、そこまで馬鹿じゃないかな」
ポケットだけでなく、服まで脱がし出した。
どっちが無茶苦茶なんだ。
「体は鍛えてあるし、切り傷っぽいのもある。傭兵かな」
「どうして、私達を狙うの」
「名雲さんの仲間だと思われてるんだろ。それとも例の理事の息子が、絡んでるのかも」
冷静な分析。
あまり聞きたくない話でもある。
「一体、いくらで雇われてるのかね」
ずれていく内容。
どうして襲われたかは、あまり気にならないらしい。
「あなた、掃除は」
私も目の前に人を転がしておきながら、ずれた事を尋ねる。
こういう連中に、気を遣いたくもないし。
「いつの話してるんだよ。もう昼は過ぎてる」
「ああ、そう。サトミは、ショウも」
「サトミは、まだ本部に。ショウは、よそに貸し出し中。使い勝手がいいから」
手に提げられた、小さめの紙袋。
売り飛ばしたんじゃないだろうな。
馬鹿連中は自警局と生徒会ガーディアンズに任せ、ケイがもらってきた商品券を仕分けする。
額としてはどれも低く、ただ枚数がやたらにあるという状態。
「使えるの?」
「俺よりは」
笑える答え。
端末に表示される、先程の彼等の身分。
「学校外生徒でもないって」
「傭兵でもないって訳か。俺達を襲っても、何もならないっていうのに」
「それが分かるくらいなら、初めから襲ってこないでしょ」
「なるほどね」
鼻で笑うケイ。
ご飯を食べてなかったらしく、フィッシュバーガーにかじりつきながら。
「お肉あるよ。冷蔵庫に。尹さんからもらったの」
彼をキッチンに促し、その間にポテトをつまむ。
やっぱり、揚げたては美味しいな。
「おい」
「何よ」
「俺は、ライオンか」
もらったのは、最高級養老牛。
20kg。
20kg分ではなく、20kgの固まり。
正確にはスペアリブで、あばら骨も付いている。
「美味しいのに」
「バーベキューでもやれって?」
「いいね、それ。ショウの家で、焼かせてもらおう」
「そういう事は燃えるんだな」
関心の薄い態度。
つまらない人生を生きてる人だ。
「分かってないね。こう脂がぽたぽた落ちてきて、炭がうわって燃えて、煙がじゅわって上がって」
「俺としては丸ごと焼きたいけど。腹にヒツジを詰めて、野菜も詰めて。こう、ぐるぐる回しながら」
突然、喜々として語る男の子。
肉を食べる事より、焼く事が余程楽しいのだろう。
というか、炎が。
二人で下らない話をしていると、ドアが叩かれた。
さっきよりは、かなり穏やかに。
「どう思う」
「誘いだったりして。今度は、友達ですよって」
あり得なくはない指摘。
お互いにスティックと警棒を抜き、ドアへ向かって声を掛ける。
「どなたですか」
「私よ。遊んでないで、開けてちょうだい」
苛つき気味の、サトミの声。
取り越し苦労だったようだ。
「自分で開ければいいだろ」
そう言いつつも、ドアを開けるケイ。
紙袋を両手に抱えたサトミは、怪訝そうな顔をして後ろを振り返った。
「あのドア、どうしたの。また、襲われたとか」
「その、またよ。サトミこそ」
「もらい物が、いくつかね」
出てくる賞状や盾。
成績優秀者へ、企業や自治体が表彰する制度がある。
この子の場合は、その殆どを受け取っている。
こういう具合に。
「まんじゅうとか無いの」
「名誉だけよ。あなたは」
「少しもらった。叱責も受けた」
目の前に置かれる一枚の書類。
何故か、終わったばかりのテスト結果が書き込まれてある。
「結果は、まだでしょ」
「成績不良者には、早めに届くのよ。夏休みの予定が入る前に」
「どういう事」
「補習って事」
笑うサトミ。
ケイも笑っている。
かなり、虚しそうに。
「また、数学?」
「いいんだよ、少し学校へ来ればいいんだから」
諦めにも似た表情。
本人がいいならいいか。
「襲ってきたのは、結局誰だったの」
「1 俺達を恨んでる馬鹿。2 傭兵に雇われた馬鹿。3 度胸試し。4 例の理事の息子絡み」
「その4が分からないんだけど」
鼻で笑うケイ。
彼らしい表情で。
手近に引き寄せられる、卓上端末。
そこを滑るペン。
「俺達を襲ったのは、偶然だと仮定した話。襲われるガーディアン、身元不明な武装グループに対抗出来ない彼等」
「それで」
「突如現れる、別な武装集団。彼等は襲撃犯を撃破し、ガーディアンを救助。この繰り返しで、学内での知名度と名声が上がっていく」
「それって」
頷くケイ。
去年の前期、彼が話していた事と重なる内容。
荒れていた去年の前期と同じ状態になれば、彼の指摘も頷ける。
「実際には、不可能だけれど」
「どうして」
「去年のは、塩田さんや峰山さんの策略。ガーディアンの責任者が関係していた事だから、上手くいった面もあった。でも今は、彼等も防御する側に回る。余程の大規模で来るか組織自体に食い込んでこない限り、まず無理ね」
淡々と説明するサトミ。
ケイも軽く頷いている。
「仮定の話、なんでしょ」
「生徒会長選挙も終わりだし、あの男も暇になったんじゃないの」
「あなた、遊んであげたら」
「その価値も無いさ」
冷徹とも言える口調。
サトミは少しも気にせず、賞状や記念品を整理している。
「どうかした」
「ん。私は、あのこのお母さんと会ってるから。結構いい人なのよね。だから、ちょっと」
「親は親。子供は子供だろ」
変わらない、冷たい態度。
それはサトミも、同様に。
彼等の親への感情を考えれば、気持は分からなくもない。
あまり、納得したくもないが。
少し重い空気。
三度叩かれるドア。
「はい、開いてます」
「へこんでるぞ」
笑いながら入ってくる名雲さん。
思わず焦る私。
当然みんなの視線が、集まってくる。
「どうした」
「いえ、別に。冷蔵庫にお肉があるから」
「山賊か、俺は。玲阿はどこ行った」
「大掃除の手伝いをしています。名雲さんは、遊んでいていいんですか」
微かな動揺も見せないサトミ。
ただそう見せない素振りに、思えなくもない。
「自分の所は終わった。矢田の手伝いをする気にもなれないしな」
明るい、普段通りの笑顔。
彼も、気にしている様子はない。
あくまでも、私の目から見て。
またもや叩かれるドア。
声を掛けた途端それが開き、人が入ってくる。
室内に流れる、複雑な空気。
交わされる視線。
一番多いのは、気まずさだろう。
「邪魔、のようだな」
低い声で告げる、例の彼。
それに対して、誰も返さない。
私達に、返す権利はないから。
「気にするな」
鷹揚に応じる名雲さん。
彼はケイに指示をして、お茶を持ってくるよう促した。
「俺も、昔はお前と似たような事をやってた。仲間さ、仲間」
「ワイルドギースの名雲祐蔵といえば、知らない者はいない。俺程度が、たやすく口をきける相手でもない」
皮肉ではなく、敬意すら感じる口調。
彼は姿勢を正し、一礼して彼の前に座った。
だからといって、気まずさが消えた訳ではない。
私達の方は、特に。
二人の間だけで交わされる会話。
友好的で、時折笑い声も聞かれる。
名雲さんは彼に気を遣い、彼は名雲さんに敬意を払う。
お互い同士が、おかしな感情を持っているようには見えない。
私達の取り越し苦労、余計な考えとも言える。
本当のところがどうなのかは、全く分からないが。
「重いな、お前ら」
気になったのか、こちらへ話を振ってくる名雲さん。
私はつい視線を逸らし、二人へ助けを求める。
「そんな大物とは知らなかったので。これからは、態度を改めようと思ってます」
皮肉っぽく返すケイ。
名雲さんは照れ気味に、顎の辺りへ触れた。
「昔の話だ。今は、大人しいだろ」
「猫を被ってるだけじゃないんですか」
「お前もな」
お互いの顔を指差す二人。
少しの戸惑いを見せる彼。
「どうした」
「いえ。良くあなたに、そういう口の利き方が出来るなと思って」
「浦田の事は知ってるんだろ。どういう人間かも」
「少しは。ここまでだったとは、知りませんでしたが」
苦笑気味の批評。
ケイは鼻を鳴らし、名雲さんに向かって顎をしゃくった。
「俺はこの人達のせいで、色々迷惑を受けてる。このくらいは、当然だ」
「お前からも、色々迷惑を受けてるけどな」
「二人とも、落ち着いて。お茶を替えてきますね」
そつなく間に入り、キッチンから私を促すサトミ。
私もゴミになったお菓子の空き袋を持って、そちらへ向かう。
「どうしたの」
「名雲さんは、帰ってもらった方がいいかも知れない。彼は、何か用事があって来た可能性もあるから」
「なる程」
キッチンから顔を出し、ケイと視線を合わせる。
名雲さん達からは死角の位置で指を動かし、サトミの指示を伝達する。
伝わり方が間違えれば問題になりかねないが、伝える相手がケイなので問題はない。
「名雲さんって、ショウに用事があったんじゃないですか」
「暇だったら、トレーニングでもやろうと思っただけだ」
「呼びますよ。あいつだって、いつまでも女の子といちゃついてても仕方ないし」
聞き捨てならない言葉と共に、端末でショウを呼び出すケイ。
少しして、赤い顔をした人が入ってきた。
運動の結果という訳ではないらしい。
「どこ行ってたのよ」
思わず強めに、詰問に近い声が出る。
ショウは身をすくめ、私から視線を逸らしつつ名雲さん達に挨拶をした。
「学校も大掃除してるらしくて、教員室をちょっと」
「ちょっと、何」
「だ、だから、掃除だって」
「玲阿君、今度はこっちをお願い。あら赤くなって、可愛いわね。これって、全部筋肉?ちょっと、触らせて。あ、ずるい。私にも。良かったら、私も触ってみる?なんて、言われてたんだろ」
馬鹿笑い。
ふーん、そうか。
綺麗なお姉さん達といた訳か。
「な、なんだよ」
あ、反発した。
最近、どうも態度があれだな。
まだ、反抗期から抜けきってないらしい。
「別に、何でもないわよ」
ゆっくり。
ゆっくり過ぎる程にマグカップを机へ置き、前髪をかき上げる。
視線は、彼から離さずに。
「お、俺が好きで行った訳じゃなくて。無理矢理、その」
「触られたの」
「そ、そんな訳無い。ほ、本当に」
ようやく変わる態度。
さすがに謝ってもらう事でもないので、にこっと笑い手を振ってみせる。
「冗談よ、冗談。いいじゃない、先生を手伝うのも」
「あ、ああ」
「課外授業なんて、あったりして。いいなー、そういうの」
「あなたもあるでしょ。補習授業が」
和む空気。
ショウも笑顔を見せ、ケイをからかっている。
取りあえず良かったとしておくか。
私があれこれ言う事でもないし。
そう考える事自体、気にしてるんだけど。
オフィスを出て行く、ショウと名雲さん。
先程とはまた違う、独特の空気。
「話って程でもないんだが」
私達の意図を汲んでくれたらしく、自分から語り出す彼。
「俺はこの学校を、混乱させに来たんじゃない」
「それは傭兵として?それとも、昔ここにいた人間として?」
「信用出来ないとでも」
「わざわざ話をしに来た事自体、裏を読みたくなるって言いたいんだよ」
厳しく指摘する二人。
彼は不満げな様子も見せず、長めの前髪に触れた。
「言いたい事は分かる。傭兵を嫌うのも」
「この学校に傭兵はいないから、そういう偏見はないの」
「じゃあ、俺が問題だって言うのか」
「自分でも分かるでしょ」
確信とも言える言葉。
口を閉ざす彼。
サトミは、わずかにも視線を外さない。
そうする事だけで、本心を語ってしまいそうになる程の威圧感を込めて。
「突然戻ってきて、懐かしいわねでは済まないの。今の、この学校は。私達の置かれている立場も」
「その辺りは、多少聞いている。ただ、俺には関係ないだろう」
「利用したい奴は、いくらでもいる。学校とか、あの馬鹿息子。塩田さんに恨みを持つ傭兵。または、名雲さん達に恨みを持つ連中」
淡々と理由を上げるケイ。
彼は苦笑気味に笑い、机を撫でた。
「どうして、そこまで言ってくる。気にくわないなら追い出すくらい、お前達なら簡単だろ」
「それは、あなたが一番分かってるでしょ」
再び途切れる会話。
サトミもため息を付き、疲れたように背もたれへ身を任せた。
「俺にも、俺の事情がある」
「だろうな。当然俺達にも事情がある。相容れない場合は、自分で言った通り力尽くででも排除する」
「やれるのか」
探り気味な視線。
ケイは薄く微笑み、机の上に身を乗り出した。
「試さない方がいい。俺は、みんな程甘くないから」
「自分で言う事か」
笑いかけた彼の口元が途端に引き締まり、勢いよく椅子から立ち上がる。
ケイは落ち着いた顔で、彼を見上げた。
「友情なんて、信じてる方かな。昔の知り合いだから、なんて」
机の上に置かれるライター。
使用法によっては、目の前にいる人間を燃やす事だって出来る。
ただそれはライターの性能であり、やれるかどうかは人間側の問題だ。
「大人しくしてるのなら何もしないし、何も言わない。モトとどうしようと、それは自分達で解決すればいい」
ためらいもなく、その名を口にするケイ。
それには彼も、戸惑いがちの表情を浮かべる。
「ただし余計な真似をするようなら」
「燃やす気か」
「その方が、楽かも知れないわね」
冷徹に告げるサトミ。
視線はテーブルに落ちたまま。
表情も優れない。
だからこその迫力が、室内に張りつめる。
「……さっきのが彼氏か」
ドアの前で振り返る彼。
サトミは何も答えない。
ケイも。
「それは、モトちゃんに聞いて」
静かに、突き放し気味にそう答える。
私達が答えるのは簡単だ。
ある程度は、推測も付くだろう。
ただし、それは私達が関わる問題ではない。
彼。
彼等自身の事柄だから。
「分かった。邪魔したな」
「いいよ。良かったら、また来てね」
「怖いから、止めておく」
最後は冗談っぽく告げて、オフィスを出て行く彼。
少しの笑顔を残して。
「脅すなよ」
「あなたは、燃やそうとしたんでしょ」
「まさか。ライターを置いただけさ」
陰険にやり合う二人。
それを聞きながら、閉まったドアを見る。
私はモトちゃんを大切に想っている。
彼女の気持ちを。
ただ彼の気持ちは、どうなんだろう。
付き合いは短く、数年会ってもなかった。
その存在すら忘れていた。
だけど、彼の気持ちを無視していいのかどうか。
ふと思い出す、舞地さんの出来事。
おそらくは彼、の意図に気付いていただろう彼女。
それでも舞地さんは、彼を助けにいった。
あの子と彼が一緒とは思わない。
ただし舞地さんのあの子への想いと。
モトちゃんの、彼への想い。
それが違うとも言い切れない。
人と人とのつながり、想い。
難しい、回答のでない問題。
それでも答えは見つけないといけない……。
「参ったね」
「悠長にしていいの」
腕を組むサトミ。
飴を包んでいた紙を伸ばしつつ、彼女を見上げる。
「何が」
「名雲さんよ。一見普通そうだったけれど、内心はどうかしら」
「大袈裟ね。あの人は私達とは違って、大人なの」
伸ばした紙を綺麗に畳み、ゴミ箱へ投げる。
それは途中で開き、手前で頼りなく失速した。
「どんな事も、あなたが思ったようにはいかないのよ」
「だから、大袈裟だって。……二人は、どこに」
「体育館に、プロの格闘家が来てる。デモンストレーションと指導だってさ」
体育館の大きなドア。
左右に簡易の売店が出来ていて、見た事のある選手のTシャツやタオルが売られている。
ふーん、これいいな。
「ユウ」
「分かってる」
手早くお金を払い、バンダナを買う。
「ファンなの」
「嫌いじゃない」
赤いバンダナを首へ巻き、結び目を横へ持ってくる。
意味はないけど、なんか強くなった気になる。
「何、それ」
「彼女が登場する時、これを取って観客へ投げるのよ」
投げる真似をして、野次馬達を掻き分ける。
私達も、その中の一人ではあるが。
「だったら、あなたもやってみたら」
「誰が拾うの」
「自分だろ」
後ろからの冷めた意見を聞き流し、中央に設置されているリングへと向かう。
しかしここから見る限り、彼等の姿はない。
その周りはマットが敷かれていて、インストラクター風の人達が指導中。
この中の、どこかにいるのだろうか。
目の前に現れる、床へ置くタイプのパンチングボール。
何となく、拳を出す。
もう一度。
なんだこれ、叫び声が上がる。
えい、えい。
「ぎゃー、ぎゃー」
気持ち悪いけど、面白いな。
「ぐわー、ぐわー」
「はは、馬鹿みたい」
「あなた程じゃないわ」
すげない言葉。
最後に後ろ跳び蹴りを見舞い、断末魔で終わらせる。
本当に嫌だな、これ。
「遊んでないで、ほら」
「分かってるわよ。別に、誰も騒いで無いじゃない」
メーカーのサンプル品である、今のパンチングボールやサンドバッグ。
ドアの傍にあった簡易の売店も、あちこちに設置されている。
イベントの性質上トラブルはあるだろうが、プロがいる所では早々暴れないだろう。
「だから、名雲さんも大人だから……」
悲鳴と怒号。
殺到する人の流れ。
私達も当然、それに従う。
リングの側。
マットの敷かれた、インストラクターコーナー。
背中合わせで立つ名雲さん。
もう一人は。
「……頭痛い」
言葉通り、額を抑えるサトミ。
彼と背中合わせで立っているのは、ショウ。
その足元には、人が数人倒れている。
「誰が大人だって」
「わ、私は名雲さんの事を言っただけで。あー」
彼等を取り囲む、ジャージ姿の男達。
それを取り巻く野次馬。
私達は、その間辺りに立っている。
「あ」
拳を構えたまま、声を上げるショウ。
こちらへ、気まずそうな視線を向けて。
無言で手招きするサトミ。
逃げ腰になる男の子。
サトミは優しい笑顔を浮かべ、もう一度手招きをした。
人を迷わせ誘うという、古の魔女のように。
無論ショウも例外ではなく、背中をすぼめながら彼女の前に立つ。
「何をしてるの」
「い、いや。こいつが、ふざけた事を言うから」
「だから殴ったの?」
優しい問い掛け。
波が迫る前の、静まり返った海岸線のような。
「そ、そうだ。わ、悪いか」
反抗した。
サトミは笑った。
「悪いに決まってるでしょっ」
鋭いローキック。
唸るショウ。
「じ、自分だって」
「何よ」
「い、いえ。何でもないです」
もう少し、抵抗してよね。
私なら、とっくに逃げてるけど。
「それで、何を言われたの」
「その」
後ろへ流れる視線。
細くなる、サトミの瞳。
名雲さんは腕を撫でつつ、こちらへ歩み寄ってきた。
「元野さんの事を言われたんで、ちょっとな」
一瞬にして険しさを増す、サトミの表情。
勿論私も。
「名雲さんは、何もなさらなかったんですか」
「俺が暴れると、お前達が勘ぐると思って」
「そう、ですか」
俯くサトミ。
その手はショウの肩へ触れ、口元が微かに動く。
笑うショウ。
一つの意思を込め。
獣のように。
「いいのか」
静かに尋ねてくる名雲さん。
サトミはゆっくりと頷き、腕を組んだ。
「という訳だ。玲阿、右は任せる」
「了解」
左右に弾ける黒い影。
悲鳴も上がらず卒倒する、数名の男達。
宙に浮いた体は即座に叩き付けられ、マットの外まで人の体が飛んでいく。
一瞬の出来事。
次に訪れるのは静寂。
音だけでなく、動きすらもない世界。
その中で制約を受けないのは、荒い息を整える彼等二人。
「やらせてどうするの」
「それなら、どうしたらよかったの」
同じでしょという顔で、私の肩に触れるサトミ。
そうだけど、やり過ぎという気もする。
これだけ注目を集めてしまっては、余計に。
「随分、騒がしいわね」
Tシャツとスパッツ姿で登場する、凛々しい顔立ちの女性。
首元には、私が買ったのと同じバンダナを巻いている。
「ケンカ?」
「はい、そうです」
はっきりと答える名雲さん。
女性は彼とショウを見定め、床に転がる男達を運ぶよう周りに指示を出した。
「理由は、聞かないんですか」
「見れば分かるわよ。それに私は、いい男の味方なの」
体育館に響き渡る高笑い。
TVで見るのと同じ、何とも豪快な光景。
「うちはプロ契約もするんだけど、どう?」
「俺達は、軍へ進むので」
自信と誇りに満ちた表情。
一瞬胸元へ触れる指先。
そこにはお父さんの形見である、IDがあるはずだ。
「残念ね。気が変わったら、いつでも来てちょうだい」
「ありがとうございます」
「いいのよ」
二人の肩に置かれる手。
近付く顔。
ちょっと。
「……止めた方がよさそうね」
「え」
「虎が睨んでたから」
何となくこっちを見て笑ってるようだが、気のせいだ。
私は、タヌキ顔だし。
「じゃ、今度は試合でも見に来て」
外されたバンダナが宙を舞う。
一斉に手を伸ばす野次馬達。
だがそれは彼等の手を通り過ぎ、緩やかに落ちてくる。
「あ」
私の手の中へと。
偶然、だろう。
彼女が、親指をこちらへ向けてきたように見えたのも。
「何跳ねてるの」
冷静な指摘。
人が幸せに浸ってるのに。
「へへ。もらっちゃった」
「さっき買ったのと同じでしょ」
「違うわよ」
「使用済みなら、価値が違う」
意味ありげな、あまり突っ込みたくない表情。
こういう話の時は、妙に嬉しそうだな。
「どうしたんだ」
「それは、俺が聞きたいね」
「サトミが、その」
「いいじゃないか。友達のために戦うっていうのも」
ショウの肩を抱く名雲さん。
楽しげに、爽やかに。
友達、と表現して。
「浦田」
「なんです」
「お前、あいつらの足元で何してた」
「さすが、ワイルドギース」
取り出される、数枚のID。
薄い、悪魔のような微笑み。
「転売はやり過ぎだから、取りあえず燃やすって事で」
「再発行は難しいんだろ」
「夏休みですし、大して困りませんよ。その間、学校に関係する事は何一つ出来ませんけどね」
夏休みとはいえ、その間に提出期限がある宿題やレポートも多い。
それは直接単位に跳ね返り、進級や卒業に関わってくる。
「お前が一番、やり過ぎだ」
「これでも、甘い方ですけどね」
笑うケイと名雲さん。
ショウも仕方なさそうに笑い、拳を開いている。
「痛いの?」
「まさか。俺も、進歩がないなと思って」
「……名雲さんは、すぐに怒らなかったの?」
「その寸前って雰囲気はあった。ただここで暴れたら、結局モトに迷惑が掛かると思ったんじゃないかな。俺達みたいに、余計な事を考える奴も出てくるとか」
苦笑気味の説明。
少し今までの彼とは違う、一歩引いた考え方。
「俺がこんな事を言うのはおかしいって?」
「別に。随分大人になったなと思って」
「もう、17だぜ」
「その年になってケンカする人は、そういないけどね」
ねぎらいも込めて、彼の肩を軽く揉む。
見上げる位置にある、本当に高い場所。
昔よりも、その距離は開いただろう。
精神的には、ともかく。
「楽しそうね」
「……謝らないのか」
「誰が」
「さあ、俺かな」
あっさり負けるショウ。
楽しげに笑ったサトミは、そんな彼の肩越しに名雲さんを見つめた。
「困ったものね」
「あなた達がよ」
「え」
「分からなくていいの。とにかく、これからは自重しなさい」
適当ともいえる叱責。
曖昧に頷くショウ。
ただ彼も私も、彼女が言いたい事。
思ってる事は分かっている。
このままでいいのかどうか。
それに、立ち入るべきなのかどうか。
彼の問題として。
本当に傍観していていいのか。
彼等の関係を。