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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第18話
198/596

18-8






     18-8




 名古屋郊外にある、田園地帯。

 道に沿って流れる用水。

 青空と白い雲を移す水田。

 子供達は網を持って、日射しでも追いつけない元気さで駆けていく。

 私はそこまでの勢いはなく、スクーターをぽつんと建つ民家の前に止めた。

 表札を一度確認して、二階へ向かって声を掛ける。

「モートーちゃん」

「あーとーで」

 何だ、それ。

 人を呼んでおいて、いい度胸だな。 

 石だとまずいから、何か軽い物で。

「お迎え?」

 玄関が開き、清楚な佇まいの女性が出迎えてくれる。

 私は手にしていたキャラメルを彼女へ渡し、愛想良く笑って見せた。

「お土産?」

「そんな所です」

「智美は夜が遅かったみたいで、今起きた所なの。取りあえず、上がってちょうだい」

「はい、お邪魔します」



 広い日本間に置かれた、大きな座卓。

 庭から吹く風に揺れる、青い風鈴。

 麦茶の注がれた冷茶碗の中で氷が溶け、妙なるハーモニーを醸し出す。

「ゼリーだけど、いい?」

「ええ」

「優ちゃんのお母さん程、上手じゃないけれど」

 茶色の皿に載った、丸みを帯びた薄赤いゼリー。 

 中には黒い粒が幾つか見え、上には緑と黒のソースが掛かっている。

「スイカ、ですか」

「一応」

「美味しいですよ。この小豆が特に」

 ゼリーの柔らかな食感と、小豆の微かな抵抗。

 抹茶と黒ごまのソースもマッチして、言う事無い。

「私は、もっと辛い物が」

 ちびちびとスプーンを動かす、モトちゃんのお父さん。

 お酒を飲む人には、甘過ぎるかもしれない。

「最近智美が、役所を回ってるようだね」

「ええ。ガーディアンを統合するのに、許可を得る必要があるとか」

「草薙高校は、教育庁指定の最重要モデル校。そこの自警組織に関する事だから、小役人も神経を使うんだろ」

 他人事のようなコメント。

 おじさんの場合はキャリア官僚だし、授業の監査をする役職なので直接には関係ないのだろう。

「周りがうるさいんだ。あの子は、天崎さんの娘さんですかって」

「苗字は隠してるのに?」

「知ってる人は知っててね。せめて娘さんくらい働いて下さいって、いつも言われてる」

 苦笑気味の、だけど嬉しそうな顔。

 おばさんは優しい笑顔で、涼しげな音を立てる風鈴を見上げている。



「眠い」

 パジャマ姿で登場する、出来がいいらしい娘。 

 モトちゃんは欠伸をして、座卓の前に座り込んだ。

「智美、ご飯は?」

「今はいい。お父さん、どうしているの」

「ここは、私の家だ」

「もう忘れたかと思ってた」

 厳しく返すモトちゃん。

 昔とは違い、あくまでも冗談っぽく。

「怖い娘だ」

「中部庁や教育庁の出先機関では、逆の事を聞くけど。お父様に、是非よろしくって。真っ青な顔で」

「私がキャリアだから、取り入りたいだけだろ」

「その立場を利用して、脅してるんじゃなくて?」

 容赦ないやりとり。

 ただこれも真剣さはなく、おばさんはのんきに庭を眺めている。

 また、カエルでも探してるんじゃないだろうな。

「とにかく夏休み中も忙しいから、お父さんもお願いね」

「私の管轄外なのに?」

「草薙高校の生徒としてではなく、娘としてのお願いよ」

「情実には溺れない性質なんだが。一応、長官にもそれとなく伝えておく」

 さりげなく出てくる言葉。 

 つまり彼はそれだけの地位にいて、影響力がある。

 そういう事を感じさせない大らかさがあるからこそ、私もこうして気楽に会える訳ではあるが。


「ユウ一人?」

「外で遊んでる子はいる」

「この暑いのに。元気ね」

「子供なんでしょ」

 縁側に並んで座り、足をふらふらさせる。

 私だけ。

 彼女の場合は、足が着くから……。

「誰が来てるの」

「ほら、あそこ」

 庭先へ飛び込んでくる、麦わら帽の少女。

 手には網とバケツ。

 それと、満面の笑み。

「メダカ、メダカがいました」

「取れたの?」

「ええ。ゲンゴロウもいますけど、見ます?」

 よく分からないけど、詳しいな。

 おばさんと気が合いそうだ。

「あなた、元気ね」

「あ、元野さん。こんにちは」

「こんにちは。水分も摂らないと、熱中症になるわよ」

 放られるペットボトル。

 網を離し、それを受け取って落ちてくる網を再度掴む渡瀬さん。

「器用じゃない」

「簡単ですよ」

「そうそう」

「あなた達には、付いていけない」

 欠伸を噛み殺す、不器用な少女。

 渡瀬さんはようやく網とバケツを地面へ置き、お茶を飲み始めた。

「まさか、カエルは取らなかったでしょうね」

 彼女の傍らにあるバケツを、恐る恐る覗き込む。

 メダカと変な虫が、すいすい泳いでる。

 水遊びは面白いけど、これにはあまり興味が湧かない。


「オスとメスは、ほぼ半数ね。環境汚染なんて、もう死語かしら」

 サンダル履きで、庭へ降りてくるおばさん。

 元理科教師としての血が騒いだらしい。

「環境が汚染されると、ホルモンバランスの影響でメスが増えるのよ。もう少し数を取らない事には、統計的に正しいとは言えないけど」

「ザリガニもいましたよ」

 バケツとは別に、小さな水槽を取り出す渡瀬さん。

 中では色の褪せた小さなザリガニが、隅の方で佇んでいる。

「あら、ニホンザリガニ」

「珍しいですよね」

「ええ。東北の方が多いと聞いてたけれど、誰かが放流したのかしら」

「一度、水質を調べてみます?」

 妙に盛り上がる二人。

 ザリガニに、種類なんてあるの?

「ただの、エビの親戚でしょ」

「さあ。私は、ザリガニにもカエルにも興味がないから」

 素っ気ない、私と同じ感想。

 モトちゃんは軽く伸びて、横目でこちらを窺った。

 ように見えた。

 私は何も言わない。 

 彼女もまた。

 遠くから聞こえる蝉時雨。

 田畑の彼方に浮かぶ、大きな入道雲。

 夏の訪れを思わせる瞬間……。



 彼女が何を言いたかったかは、大体分かっている。

 彼女が、私の事を分かるのと同じくらいに。

 例の感応能力とはまた別の、言葉を越えたつながりとして。

 指差される天井。

 黙って、冷静に。

「何よ」

「言わないと分からない?」

「分からないから聞いてるんでしょ」

 反発気味に答え、ため息を付くサトミを睨む。

 取りあえず彼女とは、意思の疎通が図られてないようだ。

「少し、汚れてるの」

「だから」

「拭いて」

「ショウに頼んで。どう考えても、届く訳無いじゃない」

 広いとは言えない、私達のオフィス。

 だが天井は意外と高く、居心地のいい開放感がある。

 つまり、私が飛ぼうと跳ねようと届かない。

「大体、どうして急に」

「夏休み前の、大掃除。あの子は今、洗剤を取りに行ってるの」

「面倒だな。椅子は」

「それでも届かないでしょ」

 分かってるなら、やらせるな。 

 構わず手を振り、雑巾を絞っているケイを呼び寄せる。

「椅子……、より机の方がいいかな」

「別に拭かなくてもいいだろ。それか、ショウを待て」

「私に言わないで」

「それもそうだ」

 諦めたのかサトミを説得するのが面倒だったのか、机を引っ張ってくるケイ。

 私は靴を脱いでその上に乗り、軽く飛んでみた。

 これでも届くのは、真上の部分程度。

 汚れはもう少し右へも広がっていて、ロッカーがあったりして簡単には拭きにくい。

「仕方ないな、雑巾貸して」

 手の中に収まる、洗剤を含んだ雑巾。

「それと、ホウキ」

 ホウキの柄に雑巾を引っかけ、飛び跳ねながら手近な部分だけを拭く。 

 どうでもいいけど、相当に間の抜けた作業だな。

「祈祷してるのか」

 ふざけきった台詞。

 汚れた雑巾を床へ投げ付け、顔に当てる。 

 つもりだったがさすがに反応して、バケツで洗い出した。

「洗剤が入ってるのよ」

「じゃあ、ふざけた事言わせないで」

「太鼓でも叩きたいくらいよ」 

 下から聞こえる、のったりしたリズム。

 誰かに見られたら、相当に誤解されそうだ。

「どうせなら、もっと上手い人連れてきて」

「悪かったわね。リズム感が無くて」

「分かってるならやらないでよ」

 勢いよく飛んできた雑巾を受け取り、投げ返す真似をする。

 サトミは意外な程素早く逃げ、ケイの後ろへ駆け込んだ。

 ここで投げるのも面白いが、遊んでいても仕方ない。

「こんな所、どうやって拭けっていうの」

 さっきから思っていた、ロッカーの上辺り。

 机を運ぶには邪魔な位置で、私の身長ではホウキが下から当たるためその隙間には入りにくい。


「……二人とも、少し下がって」

 すぐに距離を取る二人。

 それを確認して、視線を前に向ける。

 角にある、横へ長いロッカー。

 正面は壁で、そのロッカーは私から見て右に当たる。

 上の隙間、ホウキの長さ、壁までの距離。

 頭の中でシミュレーションして、一人頷く。

「よっと」

 ためらいなく机を踏み切り、まずは壁へ。

 ホウキの柄で壁を捉え、その反発を利用して右側のロッカーへ体を向ける。

 次いでホウキをロッカーの上へ差し込み、素早く腕を動かして天井を拭く。

 下がる景色。 

 即座にロッカーの凹凸をチェックし、足場を見つけ足の指で捉える。

 微かな痛みと抵抗。

 かろうじて高度を保ち、残りの部分も一気に拭く。

「よっ」 

 後はホウキを担ぎ、重力に任せて降りていくだけ。

 いや、今は靴下か。 

 予定変更。

 着地する前にホウキで床を捉え、衝撃が来ない前にそれを離す。

 次に素早く視線を飛ばし、着地箇所を選び出す。

 ここか。

「っと」

 ロッカーの前に出ていた、いくつかの私物。

 その中でも柔らかそうな上に舞い降り、サトミを呼び寄せる。


「何してるの、あなたは」

「自分でやらせたんでしょ」

 彼女が持ってきてくれた靴を履き、紙切れの上から降りる。

「ましらだな」 

 呆れ半分、感心半分という感じで呟くケイ。 

 彼は私が飛び乗った紙切れを手ではたき、鼻で笑った。

「大事な書類なの?」

「始末書の控えだよ」

「あ、そう。それで、ましらって何」

 答えない。

 笑うだけで。

 いいや。

 物知りは、この子だけじゃないし。

「サトミ」

「お猿さんの事よ」

 何のためらいもなく。

 冷静に答えるサトミ。

 これで、また一つ賢くなった。

 別に、嬉しくも何ともないが。

「あのね」

「誉め言葉、誉め言葉」

 説得力0の笑顔。 

 お猿さんに例えられて、誰が喜ぶっていうんだ。

「洗剤持ってきた……。どうした」

「何でもないわ。いいから、早く外を拭いて」

「え、ああ。ワイヤーって、どこにしまったのかな」

 自分の私物を漁り出すショウ。

 また、窓の外へ出る気か。

 こっちの方が、よっぽとお猿さんじゃない。

 こんな格好いいお猿さんは、見た事無いけど。

 いても、嫌だし……。


 結局ロッカーは後で動かして、私のアクションは無駄だったと分かった。

 確信犯だな、明らかに。

「怖い顔しないで」

「元々、こういう顔よ」

「嘘ばっかり。もっと、ふにゃふにゃしてるじゃない」 

 どんな顔だ、ふにゃふにゃって。

 分かるけどさ。

「メニューも、随分減ったね」

「そうかな。中華のフリーセットを全部大盛りで。後、棒餃子も」

 夏バテって言葉を知ってるのかな、この人は。

 少なくとも、私は知らないが。

「済みません、そうめんで」

 氷の入った器を、優雅な足取りで運んでいくサトミ。

 そうめんか。

「選べよ」 

 後ろから、やいやい言ってくるケイ。

 カウンターに並んでいるのは、私達だけ。 

 だから、誰の迷惑にもならない。

 彼の事は、この際除外するとして。

「うるさいな。これは私にとって、この一瞬を掛けるに相応しい」

「分かった。分かったから。食べられればいいだろ、なんでも」 

 信じがたい台詞。

 もう少し熱弁を振るおうかと思ったが、厨房の奥から笑い声が聞こえたので止めた。

 今さら気にするな、という意見は聞き流すとして。

「えーと。和食のセットを、少なめで」

「俺は」

「レバ刺し定食を。私は洋食のセットに、シーフードサラダを付けて」

 いきなり横から現れて、勝手に注文する沙紀ちゃん。

 ケイは彼女を睨み付け、脇腹を指差した。

「もう、治ってるんだよ」

「夏バテしないように、こういうの食べなさい」

「自分で食べればいいだろ」

「私、レバー嫌いだから」

 恐ろしい理屈を付け、自分の分を持っていく沙紀ちゃん。

 ケイは料理が出来るのを、一人佇んで待っている。

 仲が良い証拠、だと思いたい……。


「こんなのおかずになるか」

 レバニラならともかく、刺身じゃね。

 味付けも、レモン醤油だし。

「仕事はいいの?」

「ええ。もうすぐ夏休みだし、残務整理が残ってるくらい」

「いつまでも残ってろ」

 食堂のテーブルに常備してあるふりかけでご飯を食べるケイ。

 それはそれで、笑えるな。

「沙紀ちゃんは、夏休みどこかへ行く?」

「優ちゃん達と出掛ける以外では、福井へ」

「ああ。小泉さん」

「風間さん達と一緒に行こうと思ってるの」

 嬉しさと、恥じらいの入り交じった笑顔。

 普段の凛々しさは影をひそめ、可愛らしい少女の表情でテーブルを見つめている。

 彼女がいいと思ってるケイはすぐ側にいるんだけど、小泉さんは別格な存在なのだろう。

 彼と話をして短い間でも一緒に過ごした私としても、その気持ちは分かる。

「小泉さんって、あの可愛い感じの人?」

「サトミも会ったんだっけ」

「ええ。少し陰のある感じで、悪くないわね」

「遠野ちゃん、そういう目で見ないでよ」

 さざめいていく笑い声。

 食事も楽しいけど、こういう話もまた楽しい。

 ショウとケイは、関心がなさそうだけど。

 あっても、嫌だけど。



「楽しそうだな」

 私達の近くへトレイを置く塩田さん。

 木之本君も控えめに、その隣へ座る。

 彼等も、仕事が終わりつつあるのだろう。

「仕事はよろしいんですか」

「よろしいんですよ。遠野さん」

「後で泣きついてきても、私は知りませんから」

「夏休みの宿題か。俺は俺でやってるんだよ。ただ、お前達程出来が良くないだけで」

 すすられる冷やし中華。

 確かに、そういった面もあるだろう。

 友達という感情を抜きにしても、モトちゃんは木之本君は優秀である。

 サトミに至っては、言うまでもなく。

 部下にそういう人達が揃えば、上に立つ人はより高い能力を要求される。

 塩田さんも優秀ではあるにしろ、彼等全員とやり合える程ではない。

 また彼の本質は事務仕事や実務能力ではなく、もっと別な部分だから。

「大体はこなしてるんだし、気にしなくてもいいんじゃないのかな」

 遠慮気味に申し出るショウ。 

 人のいいコメントを。

「大体ってなんだ。俺はこう見えても、結構神経質なんだよ」

「丹下ちゃんの先輩とは違いますね」

「風間か。あいつはまた、違う次元に生きてるからな。幸せの国に」

 何がおかしいのか、声を上げて笑う塩田さん。

 私も、その辺は分からなくもないが。

「あのですね。風間さんは」

「なんだ」

「その。なんというか。一見不真面目だけど、でも本当は結構その。そうじゃないようには見えますけど、だけど」

 続かない言葉。

 苛立たしげにテーブルを掻く指先。

 沙紀ちゃんにとっては彼もまた、特別な存在のようだ。

 私にとっての、塩田さんのように。

「冗談だ。あいつはあいつで、いい所もある。多分」

「だから」

「そんな所が合ったら、あたしも知りたい」

 不意に聞こえる、静かな口調。

 塩田さんの前に置かれる、和食のセット。  

 使い込まれた、長いバトンも。


「土居さん」

「仕事が終わったから来ただけ」

 素っ気ない口調で、沙紀ちゃんに答える土居さん。

 ただそこに冷たさはなく、涼しげな風にも似た雰囲気を漂わせている。

「北地区の人間は馬鹿ばっかりって言いたい?」

「まさか。峰山は、除くけどな」

「あの子はあの子で……。私が言う事でもないか」

 途切れる会話。 

 私達もその辺りは微妙な立場にいるため、それは却って安心する。

「料理が得意だったな」

「え」

「峰山が」

「そうですね。愛想はないですけど」 

 塩田さんとではなく、沙紀ちゃんと話す土居さん。

 穏やかに、懐かしむようにして。

「風間よりはましかも知れない」

「難しい所だとは思います。どちらにしろ、小泉さんには敵いませんけどね」

「それは、あんたの主観だろ」

 優しい、労りのある微笑み。

 沙紀ちゃんはあどけない表情で、彼女に微笑み返す。

 普段は見せない、後輩としての顔で。



「何よ、もう食べてるの」

 慌ただしくやってきて、大盛りらしい洋食セットを土居さんの隣へ置くセミロングの女性。

 身長がある分、食事もたくさん取るようだ。

 色んな意味で、それは羨ましい。

「石井さんも、お仕事は終わりですか」

「終わりですよ。丹下隊長」

「もう」

「冗談。風間君が仕事しないから、とにかく忙しくて」

 初めは沙紀ちゃんへ。

 今度は塩田さんへと流れる全員の視線。

「何だよ。俺は、ちゃんとやってるぞ。なあ、木之本」

「え、ええ。そうですね」

 言わされたとしか思えない返事。

 気持ちは分からなくもない。

「お前な」

「いえ。塩田さんは頑張ってますよ」

 明るい、人のいい笑顔。 

 ただ、却ってその方が人を傷付ける時もある。

 例えば、今のように。

「ありがとう」

 ぼそぼそと呟く塩田さん。

 どういたしましてと首を振る木之本君。

 ショウもにこやかに微笑んでいる。

 人のいい者同士の、良くある光景だ。

 私にとっては、単なる笑い事だけど。

「何やってるんだか」 

「いいじゃない」

「どうかな」 

 皮肉っぽい表情。

 彼らしいとも言える。

「北地区、ね」

「思い出でもあるのかしら」

 鋭い視線でケイを見据えるサトミ。

 口元がわずかに緩む。

「俺は、南地区だけど」

「私もよ」

 アリを誘い込む、アリ地獄のような間。

「雨でも降ったりして」

「夕立でも降るの?」

「スコールみたいな、豪雨かも知れない」

 口を開けて、サトミを指差すケイ。 

 いつにない、焦り気味の顔で。

「私は知ってるのよ。何でも」

「誰かから、聞いたんじゃないだろうな」

 横へ流れるケイの視線。

 楽しげに話し込む、沙紀ちゃん達へと。

「何を聞いたって言うの」

「引っかかるか」

「残念ね。でも、いいわ。ゆるゆるとやるのも、また楽しいから」

「やってろ、勝手に」

 トレイを持って逃げていくケイ。

 サトミはその背中に指を向け、薄く微笑んで見せた。

 古くいたという、人を魅入る魔女のように。

「ねえ、何の話」

「内緒。ね、丹下ちゃん」

「え?」

「こっちの話」

 きょとんとする沙紀ちゃんと、手を振ってくる石井さん。

 よく分からないが、サトミとの間でなんかの意思疎通があるようだ。

「ねえって」

「子供には関係ない事よ」

「あ、そう。へんっ」

 彼女のデザートをかっさらい、がつがつ食べる。

 子供だから。

 で、残す。

 子供並みの体型だから……。

「何をしてるの」

「お腹を一杯にしたの」

「食べたのなら、全部食べてよね」

「もういらない。これも」

 自分のパンケーキをサトミのトレイへ置き、のんびりお茶を飲む。

 お腹も膨れて、極楽極楽。

 本当、幸せっていうのはいつも身近にあるんだね。



 ささやかでも何でも、楽しいのはいい。

 この暑さがなければ。

「また食べるのか」

「食べるのよ」

 小さめのジェラードをかじり、すぐに食べ終え満足をする。

 何しろ専門店なので味はいいし、このサイズがたまらない。

 企画の人も、よく分かってるね。

 というか、子供用なんだけど。

「腹壊すぞ」

「食べないの」

「節制してる」

「脂肪なんて無いでしょ」

 脇腹の辺りに軽く拳を当て、固い感触を確かめる。 

 内脂肪もないだろうし、どうせ長続きしないに決まってる。

 私達がいるのは、駅前のショッピングモール。

 夏休みへ向けて、水着を買いに着た訳だ。

 去年のも、一昨年のも、その前のも着られるんだけどね。 

 ファッション的にだけではなく、サイズ的にも。

 それでも、買いたいのよ。

「昼よりは涼しいな」

「どっちにしろ、暑いよ」

「それを言ったら、おしまいさ」

 だるそうに答えるショウ。

 夜風になびく、伸び始めた前髪。

 歩道に伸びる、長いシルエット。

 映画のワンシーンから切り取ったような眺め。

「どうした」

「別に」

 見取れてましたとは答えず、マネキンが並ぶショーウインドウへ視線を向ける。

 長い手足と、見事な等身。

 似たような水着を付けてる子もいるが、別物に見えてくる。

「おい」

「え」

 壁に突き付けていた拳を引き戻し、もう片方の手で握り締める。

 まさか割らないし、割れない。 

 多分。

「いいガラスだなと思って」

「買えよ」

 ふざけた返事。 

 その拳を、再度脇腹へ叩き込む。

 さっきよりも、鋭さを加えて。

「痛い」

 彼ではなく、自分の拳を撫でる。

 ちょっと腹が立つな。 

 もう少し角度を変えて、腰を入れて。

「おい」

「冗談だって、冗談。わっ」

「痛っ」

 身を折るショウ。

 構わず両手で彼を押し、ブティックの玄関前へ放り込む。

「何だよ」

「黙って。ほら、あれ」

「注文が多いな」

 私の頭越しに反対側の通りを見つめるショウ。

「わっ」

 私と同じような反応。

 引き戻される体。

 さっきからの動きで注目が集まり、色んな意味で恥ずかしい。

「どういう事だ」

「聞いてみれば」

「出来るか?」

「まさか」

 声をひそめる私達。

 激しく車の行き交う道路。

 その反対側まで、声が聞こえる訳はない。

 姿もおそらくは、見えていないだろう。

 私達が、そうだったように。

 並んで歩く男女。

 モトちゃんと。

 例の彼。

 その理由は分からない。 

 納得出来る理由であって欲しい。 

 でも、彼女がどう思っているのか。 

 その選択にまで、私達は口を挟めない。 

 だから今は、この場を立ち去るしかない。

 重い気持を抱えたまま……。




 誰かに話すべきか。

 それとも、彼女が話すのを待つべきか。

 話してくるという前提でだが。

 ただ隠しているとしたら。

 それに、どう対応すればいいのか。 

 少なくとも、自然には振る舞えない。

 そういう柄ではないし、それを見抜く相手だから。


「どう思う」

「知らない」

 ぶっきらぼうに答え、ため息を付く。

 流れていく景色。

 小さく掛かる、クラッシック。 

 ショウの運転する車は、女子寮の前に止まる。

「取りあえず、黙ってるしかないだろ」

「まあね」

「なんか、こっちが疲れてきたな」

 ハンドルに倒れるショウ。

 彼からも漏れるため息。

 私は後部座席から自分の荷物を降ろし、ドアを閉める。

「ありがとう。また、明日ね」

「休みだぞ」

「あ、そうか」

 どうも、意識が他へ行ってるようだ。

 少し考えないと駄目だな。

「気を付けて」

「ああ」

 車が見えなくなったのを見届けて、寮へと歩き出す。

「ユウも帰り?」

「え、わっ」

 思わず上半身を反らし、口を開けたまま指を指す。

「お化けじゃないわよ」

 青のミニスカートから伸びる長い足に触れるモトちゃん。

 私はコクコクと頷き、話題を探した。

 さっき見た光景以外の事を。

「どこかに行ってたの?」

「駅前に。あの子が、ご飯おごってくれるって言うから」

「あの子って」

「ほら、例の彼。あなた達が、昔私とどうとかって言ってた」

 あっさりと、自分から言われてしまった。

 さっきまでの苦悩や自分の気遣いが、一気に消えていく。

 相当に拍子抜けとも言える。

「どうかした」

「いや、別に」

「そう。ユウは、どこに行ってたの。誰と」

 逆質問。

 言葉に詰まる私。

 よく考えれば、私も似たような物か。

 馬鹿だな、どこまでも。

 勿論馬鹿は、もう一人いるけど。

 多分、今も悩みながら。

「優ちゃん」

「止めて」

「昔を懐かしんだんじゃない」

 肩に置かれる手。

 歩き出す私達。 

 楽しさと、安堵感。 

 お互いの気持を伝え合いながら。

 彼女なりの気遣いに、少し胸の痛みを感じて……。



 無言の出迎え。

 黙って置かれる、麦茶の入ったグラス。

 そのまま、何も言わずに前へ座る。

「聞いてるの」

「聞いてる」

 すぐに帰ってくる答え。

 私は麦茶を一気に飲み干し、ローテーブルへ置いた。 

「壊れる」

「私はね」

「さっき言ったように、私達があれこれ言っても仕方ない」

「そうだけど、何かあった後じゃ遅いでしょ」

 今度は拳をテーブルへ置き、彼女を見つめる。

 言い過ぎで、立ち入り過ぎてるのは分かっている。

 でも、止める事は出来ない。

「私の時みたいに」

「そう」

 ようやく笑う舞地さん。

 自嘲気味に。

「元野は感応能力があるって聞いてるけど」

「人の心が読める訳じゃないの。その人の思考性というか、考え方が何となく分かるだけ」

「それだけ出来るなら、放っておけばいい」

「自分の事については、また別だとは思わない?」

 かなり言いにくい台詞。

 舞地さんの心まで傷付けかねない。

「自分の事は自分でやれば」

「それで、何か解決するの」

 戻らない返事。

 減る麦茶。

 時だけが過ぎていく。

「大体、どうしてそこまで気にする。確かに私の時と状況は似てるけど」

「舞地さんは気にならない?名雲さんの事」

「私に気遣われる程、落ちぶれてもない。もしそうなら、そこまでの人間だ」

 冷たいとも言える言葉。

 だが彼女の表情に、後悔や迷いはない。

 彼への強い信頼を除いては。

「私は、そこまで強くなれない。それに、放ってもおけない」

「じゃあ、好きにして」

「するわよ」

 立ち上がり、そのままドアへと歩いていく。

 こうなるのは、初めから分かっていた。

 彼女達の性格や行動パターンから判断すれば。 

 ただ、期待していなかったといえば嘘になる。


 アパートを出て、カードキーをスクーターのスリットに差し込む。

 点灯するライトが、薄暗い道路を照らし出す。

「何よ」

「今、何時だか知ってる?」

「知らない」

 ヘルメットを被り、短く告げる。 

 舞地さんはため息を付いて、スクーターのディスプレィに表示された時刻を指差した。

「あれ」

「真夜中に来て、勝手にあれこれ言われて。はい、そうですか。なんて言う人がいると思う?」

「思わない……」

 暗くなる視界。

 滅入ってくる気分。

 あまりにも一つの考えに捉えられ過ぎていたようだ。 

 モトちゃん一人の事だけに。

「とにかくその男については、こっちでも調べてみる」

「本当?」

「傭兵としての面と、ここへ来た理由を。その代わり、これは契約だから」

「報酬取る気?どういう先輩よ」 

 きっと彼女を睨み付け、視線を前へ戻る。 

 自ら進む道を照らすライト。

 暗闇の中に浮かぶ、一筋の明かり。

「その代わり、裏切らない」

「当たり前じゃない。だったら、現物支給だからね」

「何を」

「知らない。じゃあ、ちゃんと仕事してよ」

 アクセルを開き、サイドミラーに映る舞地さんへと手を振る。

 何か言いたげに、指差してくる彼女を。

 素直じゃない先輩を……。



 山と積まれた段ボール。

 中身が何かは、小さな貼り紙で把握する。  

 しかし一番下のなんて、どうやって取るんだ。

「いい物はあった?」

「どれがいい物か、分からないので」

「お茶が好きなんでしょ。確か、ここかな。いや、ここか。あれ、これか……」

 床へ置かれるお菓子や洗剤、ノートに、消しゴム。

 鍋やまな板なんて物も出てくる。

「あの、天満さん」

「お茶でしょ。茶こしならあるけど。えーと、この辺かな」

 貼り紙を見ずに、勘に頼る人。

 どうでもいいけど、これは誰が片付けるんだろう。

「あった、あった。高級お茶セット。期限も、何とか大丈夫みたい」

「済みません。ここの片付けは、私がしますから」

「いいのよ。そういうのが好きな子もいるの」

 倉庫代わりに使っているらしいこの部屋を覗き込んでくる、運営企画局の人達。

 またかという顔で。


「しかし、傭兵ね」

「やっぱり、嫌いなんですか」

「いい思い出がないもの。先輩達や凪ちゃんは、さらわれた訳だし」

「そう、ですね」

 曖昧に頷き、滋賀での出来事を振り返る。 

 小泉さん、清水さん、林さん。 

 彼等も傭兵だけど、いい人達だった。

 仕事が出来て、優しくて。

 私達と変わらない、普通の高校生の顔を持つ。

「どうかした?」

「いえ。悪い人ばかりでもないなと思って」

「私も、それは分かってる。沢君だって、広い範疇で捉えれば傭兵だし」

 彼はフリーガーディアンで、つまりは公務員。

 ただ行動や考え方は、傭兵に近い。

 違いは、教育庁の命令で動くかどうかだろう。

「それより、献血はした?」

「ええ。成分献血ですけど」

「悪いわね。医療部での診察が無料な分、そういう関係には協力していこうって話題が生徒会内であったの」

「悪い事じゃないと思いますよ」 

 心の中で、いい事でもないと付け加える。

「こんなのもあるんだけど」

 テーブルの上に置かれる、小さめのポスター。

 献血のキャンペーン用に作ったのだろうか。

 青白い顔の綺麗な女性が、洋館の窓から顔を半分出した絵が描いてある。

 「血を、もっと血を」 

 という、訳の分からないコピーと共に。

「……なんですか、これ」

「没になったポスター」

 どう考えても、逆効果だ。

 面白いけど、その分余計に。

「ケイも絡んでるって聞いてますけど」

「誰かと賭をしてるみたいね。何%の人間を献血出来るかって」

「だから、張り切ってたのか」

「私達は助かる、あの子もやる気が出る。献血してくれる人も増える。いい事ずくめよね」

 如才ない微笑み。 

 その誰かって、天満さんっぽいな。

「前期のイベントは、これで全部終わりですか」

「ええ。これからは、夏休み中の分。メインはこれも今年からする事になった、花火大会」

「忙しそうですね」

「暇で、何もやる事が無いよりはましよ。やる事があっても、やらない人もいるけど」

 確かに、そう人もいるな。

 私はどちらかといえば、前者に近いが。

「警備でもやってくれるの?」

「まさか。せっかくのお祭りなのに」

「残念。全員浴衣姿で警備してもらおうと思ってたのに」

「サトミ達ならともかく、私は似合いませんから」

 正確には、色っぽくないという意味だ。

 可愛い、くらいは言われる。

 虎の子供を見て、可愛いとみんなが言うくらいには。



 屋台の無料券ももらって、運営企画局を後にする。

 いつもお世話になってるから、その内お礼をしないといけないな。

 ケイの事も含めて。

「どうしたの」

「天満さんからもらった。ちょっと」

 伸びてきた手の上にスティックを振り下ろし、チョコ最中を確保する。

 別に舞地さんへのお土産ではなく、単に私が食べたかったから。

 ケイは陰気な目でこちらを睨み、脇腹をさすった。

 冷房のせいで、しくしく痛むらしい。

 すっかりおじいさんだな。

「はい」

「ありがとう」

 最中を受け取り、食べ出すショウ。

 視線が一層厳しくなったが、気にしない。

 3つしかないのよ。

「サトミにも。これは、私と」

「おい」

「うるさいな。ちゃんと、あなたの分もあるわよ」

 パックに包まれたモチ一切れを彼へ放り、取りあえず黙らせる。

 どうして黙ったかは、知りたくもない。

「そのお茶は、どうするの」

「舞地さんへの報酬」

 サトミへ昨日、というか今日の出来事を説明する。

 本当、真夜中どころの話じゃなかったな。


「お茶だけでやってくれるの?」

「くれるんじゃないの」

 根拠もなく、楽観的に言い放つ。 

 サトミは訝しげに、モチを睨んでいるケイへ話を振った。

 私達の中では、彼等と一番付き合いが深い彼へ。

「どう思う?」

「やらないなら、やらせればいい。どうせ俺は、モチだし」

 こだわるな、随分。

 大体何が、どうせなんだ。

 どうしてモチなんだ、という彼の疑問は知らないが。

「結局モトは、昨日の事を話したのか」

「そう。だから、私達が気にしなくても良かったのよ」

 ショウと二人で納得して、少し笑う。 

 かなり、気の抜けた表情で。

「楽しそうね」

「そう?」

「モトが彼と歩いてたのなら、ユウは誰と歩いてたのかしら」 

 蒸し返される質問。

 飛び交う視線。

 押し黙る私達。 


 人は人、自分は自分。 

 そして自分は何をしているのか。

 本当に、人の事を構っている場合ではない。 

 でも今は、それを先延ばしにしたい。

 モトちゃんのためにも。

 自分自身のためにも。






  


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