表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第18話
197/596

18-7






     18-7




 テストは終わり、夏休みは間近。

 授業は自習が殆どで、先生は出席を取る程度。

 中には、先生自体が出てこない授業もあったりする。

 それでも私は、学校に来る。

 偉いんだか馬鹿なんだか、訳が分からなくなってくる。

「ジュース飲みたい」

「お茶があるでしょ」

 湯気を立たせる、可愛い湯飲み。

 我慢大会か。

「冷たい物ばかりだと、お腹を壊すし体力も無くなるのよ」

「じゃあ、自分で飲めば」

 サトミの前に湯飲みを押し戻し、代わりにあられを引き寄せる。

 でもこれだと、熱いお茶の方が美味しいな。

「あー」

「変な声出さないで」

「感動してるのよ」

「あられとお茶で?幸せね、あなたは」

 優しい笑顔。

 駄目な子供をあやすお母さんのような。

「でも、余計暑くなった」

「もう、嫌」

「嫌でいいから、冷たい物探しに行こう」



 いつになく賑わっている学内。

 テスト前のように、と言うべきか。

 何か、イベントでもあるのかな。

「売り切れたりして」 

 夏季限定で設けられた、かき氷屋さんの前に出来る行列。

 郡上八幡の清水を使っているらしく、この間ショウが作ったのとはレベルの違う味である。

 自分でシロップを作らなくていいし。

「並ばなくてもいいだろ」

 だるそうに呟くケイ。

 ここは購買。

 少し右へ行けば、アイスの入った低い冷蔵庫が幾つも置いてある。

「こっちの方が、美味しいの。それに、もうすぐじゃない」

「氷を代えてるんじゃなくて」

 冷静に指摘するサトミ。

 ペンギンではない、縦置きの大きなかき氷器。

 今はサトミの言う通り、柱のような氷を上から放り込んでいる。

 でもってすぐにプラスチックのカップが自動的に落ちてきて、そこに氷が降ってくる。

 見てるだけで楽しいな。

「他行こう」

「まだ言ってるの」

「違う、あれ」 

 購買の入り口辺り。

 制服姿の集団。

 何かチラシを巻いている。

「イベントでもやるのかな」

「のんきね、あなたは」

「何が」

「真ん中にいる男を、よく見て」


 笑顔。

 やや無理をした、愛想笑い。

 握手を求める動きも、どこかぎこちない。

「あれか」

 思わず舌を鳴らし、列から外れる。

 私達の順番は、もうすぐ。

 でもあの男がこちらへ近付いてくる以上、ここにはいたくない。

 例の、理事の息子には。

「名前くらい、あるよね」

「鈴木だったかしら」

「ふーん。どうでもいいや」

 自分で聞いておいて、おざなりに答える。

 興味はないし、関わりたくもない。

 彼のお母さんの事を考えると、多少胸は痛むが。

「逃げ遅れたみたいね」

 苦笑気味な、サトミの呟き。

 明らかに、視線をこちらへ向けてくる彼。

 その足も。

 ただ周囲を気にしてか、愛想笑いは崩さない。 

 それが却って、嫌な気分になってくるが。


「選挙は、誰に投票するか決めたかな」 

 さすがに、自分に投票しろとは言ってこない。

 当然、言われても投票はしない。

「別に」 

 いい加減に答え、彼等に背を向ける。

 意外な早さで前に回り込む男。

 新カリキュラムは、体力向上プログラムもあると会長が言ってたな。

「そう邪険にされても困る」

「どうして」

「君達の影響力は、俺も分かってるつもりだ」

 陰湿な、振り払いたくなるような視線。

 意味ありげな表情が、いつまでもこちらへと向けられる。

「だから」

「周りに伝えてくれるだけでいい。俺の事を」 

「どういう事を」

「それは任せる」 

 婉曲な説得。

 知性の高さを十分に感じさせる程の。

 全てを委ねられては、誰だって極端な悪口を言う気にはなれない。 

 ブレーンがいるかどうかはともかく、確かに馬鹿ではないようだ。

 人を見抜く目は、知らないが。


「断る」

 短く、予断無く伝える。

 彼の顔から消える表情。

 お互い声はひそめていて、周りには殆ど聞かれてはいない。

 ただ、何かをやっているとは思われているだろう。

 当然今の、険悪な空気も伝わっているはずだ。

「本当に馬鹿だな。今俺に乗っておけば、どれだけ得をするか分からないのに」

「その前に卒業してるわ」

 静かに入ってくるサトミ。 

 冷ややかに、刺すような眼差しで。

「お前達は、まだ来年もあるんだぞ」

「だから?学校がバックにいるくらいで、調子に乗らない事ね」

 あくまでも毅然とした態度。

 男は舌を鳴らし、苛立たしげに手を動かした。

 それに反応して、彼の取り巻きが前に出ようとする。

「選挙中に、暴力沙汰か」

 すぐに応じるショウ。

 途端に止まる、彼等の動き。

 お互いの実力差は、すでに経験積みだ。

「お前こそ、馬鹿な事言ってないで帰れ。俺達を相手にするより、地道に活動した方がいいぞ」 

 大人の、かなりの気遣いを見せた言葉。

 ただそれが余計に反発心を呼び起こしたのか、男は唇を噛みしめてショウを睨み上げた。

 自分には足りない何かを、恨むようにして。


「大人しいのね」

「相手をしても仕方ない」

 醒めきった、普段以上に無感情な顔。 

 ケイは鼻を鳴らして、アイスの入っている冷蔵庫へと歩き出した。

「おい」

 沈黙。

 言葉は返ってこない。

「おい、お前だ」

 やはりケイは振り向かない。

 自分に言われているとは、おそらく承知した上での行動。

 気持は分からなくもない。

「待てよ」

 埒が開かないと思ったのか、彼の前に回り込む男。

 ケイもようやく足を止め、彼を見据える。

 表情の消えた、冷たい視線で。

「さっき言われただろ。遊んでる暇があったら、ビラでも配ってたらどうだ。それとも、もっと違う物でも配ってるのか」

「なんだと。選挙中の中傷は、処罰の対象だぞ」

 言葉とは裏腹な、嬉しそうな笑顔。

 獲物を見つけた野犬のような。

 私達では苦しいが、彼なら与しやすいと思ったのだろう。

 実際ケイは、この男に対しては下手に出ている。

 彼の意図は、別にして。

「謝れ」

「誰が」

「俺に、お前が謝れと言ってるんだ」

 高らかに宣言する男。 

 満足感と高揚感の満ちた顔で。

 先程までの苛立ちは影をひそめ、彼の勝ち誇った表情だけが目に映る。


「済みませんでしたっ」

 辺りに響き渡る叫び声。

 この状況に意識を払ってなかった人達までが、一斉に振り向いてくる。

 即座に出来る人垣。

 唖然とする男と、彼の前で土下座をするケイの周りに。

「済みませんっ、済みませんっ。許して下さいっ。ごめんなさいっ」

 悲痛な絶叫。。

 床へぶつかる額、震える肩。

 それでもケイは、ただひたすらに謝り続ける。

「お、おい。や、止めろ」

 いたたまれなくなったのか、後ずさりながらそう呟く男。

 ケイはなおも、頭を床へぶつけ続ける。

「お、おい」

「済みません、済みません。お金なら、すぐに返しますから。本当に、済みませんでした」

「だ、誰がお前に……。い、いや。い、行くぞっ」

 今まで以上にうろたえた男は、きびすを返し早足でラウンジの入り口へ去っていく。 

 慌ててそれを追う、彼の取り巻き。

 ケイは構わず、頭を下げ続ける。

「ちょっと」

「ああ」 

 サトミに促され、ケイの腕を取って抱え起こすショウ。 

 彼女はその反対側へ付き、強引に彼を引っ張り始めた。

「済みません、済みません」 

 小声になる謝罪の声。

 割れた人垣の間を歩いていく彼等の後を、私もすぐに追う。



「済みません、済みません」

「もう、いいのよ」

 彼の髪を軽く引っ張るサトミ。

 それに釣られる格好で、顔を上げるケイ。

 だが別段涙は流れてないし、落ち込んでもいない。

「いい加減にしなさい」

「でも、面白かっただろ」

「それは、否定しないけど」

 ため息を付くサトミに、ケイは苦笑気味に笑いかけた。

 つまりさっきのは、全て演技という訳。

 この人が意味もなく土下座をするはずはないので、私も当然分かっていた。

 本当に悪いのは誰かという話だ。

「お前、無茶苦茶だな」

「どうして。俺は、心から謝っただけなのに」

「道は誤ってるみたいだけどな」

 皮肉を言って、彼の額を覗き込むショウ。 

 少し赤くなってはいるが、切れてはいない。

「というか、馬鹿じゃないのか」

「このくらいやらないと、説得力がない」

「結局、恨みを買っただけだろ」

「今さら何を」

 それはそうだ。 

 いや。納得する事でもないか。

「思い出した。別に、ここで買わなくてもいい。今日は、ただでジュースが飲み放題だった」

「飲み放題って。それは嬉しいけど、飲めないわよ」

「お持ち帰りも自由。そっちに行こう」



 半ば強引に連れてこられたのは、体育館。

 のはずだ。

 白いカーテンのしきりと、消毒の香り。

 白衣を着た人の姿も目立つ。 

 腕の辺りに、小さなガーゼを付けた人達も。

「献血?」

 入り口の辺りに掲げられた、大きなポスター。

 「一瞬の痛み、永遠の命」

 大袈裟だけど、間違いではない。

「私は嫌」

 その崇高な理念は分かる。

 立派な事だ。

 でも、やりたくない。

「生徒会関係者とガーディアンは、全員参加するのよ」

「どうして」

「そういう決まりだから。はい、名前書いて」

 受付で、小さなカードを受け取るサトミ。

 一枚だけ。

「ちょっと、みんなの分は」

「俺はもう、抜いた」 

 献血手帳なる物を見せてくるショウ。 

 各成分の数値は正常とある。

 1L献血とも。

「冗談でしょ」

「体重に応じて、量は変わるの。この人なら、問題ないわ」

「ふーん」

 感心だけして、ペンを手の中で回す。

 人は人、私は私。

 あくまでも、自分の道を歩んでいきたい。

「ちょっと、早く書きなさい」

「自分はどうなの」

「私も、事前に済ませてある」

「サトミの分は別にして、売る計画もある」

 物騒な発言が後ろから聞こえたけど、気にしないでおこう。

「大体痛いだけで、面白くも何ともないって」

「当たり前でしょ。それに痛いのは、慣れてるじゃない」

「訓練で殴られるのと、自分から刺されるのは別なの」

「仕方ない子ね。本当は、結構楽しいのよ」

 耳元に掛かる息。

 くすぐったさを堪えつつ、彼女が差し出してきたバインダーを開く。

「あれ」

 何十人もの顔写真と、簡単なプロフィール。

 付け加えるなら、格好良い男の子達の。

「献血をした子には、その人達が付き添ってくれるの。下の番号を書き込めば、指名も出来るわよ」

「へえ」

 目の前を通りかかる、白衣姿の凛々しい男の子。 

 ふーん。

「私もこの企画に参加してるから、二人くらい付けてもらう事も出来るのよ。ほら、こっちにも載ってるから」

 追加されるバインダー。

 こっちは、可愛い子編か。

「手くらい握ってもいいから」

 甘いささやき。

 頭の中に広がる映像。

「……やっぱりやらない」

「どうして」

「どうしても」

 バインダーを彼女へ渡し、入り口へと引き返す。

 その前に立ちはだかるケイ。 

 ここへ誘ったくらいだから、彼も企画に参加してるのだろう。

「いいだろ、少し痛いくらい」

「ひからびたらどうするの」

「大袈裟な……。でも、体重を考えると検査に引っかかるかな」

 意外と上手い言い訳だったらしい。 

 考え込むケイの肩に触れ、そのまま彼を通り過ぎる。

「成分血液は」

「何よ、それ」

「血小板とかだけを抜いて、後は戻すのよ。時間は掛かるけど、体への負担は少ないわ」

 いつの間にか後ろに立つサトミ。

 前からはケイが。

 逃げるのは簡単だ。

 ただ、そういう雰囲気でもなくなってきている。

 痛いからと言って逃げ出す事でないのは、私も分かっているし。


「……大丈夫ですね。成分献血は奥で行っていますので、このカードを受付に提出して下さい」

「はい」

 採血可とスタンプされたカードを持って、のろのろ遠くへ歩く。

 早まったという気持を抱いて。

 検査用に一刺しされた腕を押さえ、ため息を付く。

「はい、こちらへ」

「分かりました」

 看護婦さん風の女性にカードを渡し、引き替えに腕へタグを付けてもらう。

 閑散とした室内。 

 普段は更衣室に使ってるのだろうか。

 部屋の奥にはロッカーが並び、中央に幾つか簡易ベッドが置いてある。

 献血用の機械も。

「こちらへ、横になって下さい。気分が悪いとか、調子はどうです」

「いえ、特には」

「そうですか。少し我慢して下さいね」

 腕を掴まれる感触。

 続いて消毒液が塗られ、その部分だけが冷たくなる。

「はい、終わりました」 

 微かな痛みはすぐに消え、肘の辺りに血液の流れを強く感じる。

 普段はありえない、あまり気持ちよくはない感覚。

「20分程掛かりますから、何かあったら呼んで下さい」

「あ、はい」

 書類を抱え、部屋を出て行く女性。

 腕は見ないようにして、目の前にあるTVへ意識を向ける。

「暇だな」

「そうだね」

 短い会話。

 軽いBGM。

 ゆっくりと流れる時。

 そっと握られている手。

 ここへ入ってきた時からずっと。

 子供っぽい。

 自分でも恥ずかしいくらいの行為。

 だけど、私は手を離さない。

 さっき、ふと思い浮かべた光景。

 それを再現した、今の状況。

 言葉はなく、視線をかわす事もない。

 ただ時が過ぎていくだけ。

 二人きりの時が……。



 別に冷やかす事もなく、私達を受け入れるサトミ達。

 それが余計に恥ずかしく、ただのジュースをがぶ飲みする。

「あなたね」

「水分取れって言われたもん」

「馬鹿」

 そう言いながら、自分もお茶を飲むサトミ。

 献血してないのに、いい気な物だな。

「あのさ」

「何」

「サトミは、やらないの。あれを」

 目の前を通り過ぎていく、ナース姿の綺麗な女の子。

 女の子には、格好いい男の子が。

 男の子には、綺麗な女の子が付き添う訳だ。 

「男の血圧が上がり過ぎるから、パスさせた。大体予約が殺到して、違う意味で血を見る事になる」

「ふーん。……私は、どうして誘わなかったの」

 この辺は女の性か。

 下らないと思いつつ、つい尋ねてしまう。

「やりたくないんだろ」

「まあね」

 だったら聞くなという顔をするケイ。

 ただ彼の口振りから言って、候補には挙がっていたらしい。

 取りあえず下らない自己満足を満たし、ストローだけをくわえる。

 もうさっきまでの憂鬱さは消え去って、夏の空のように晴れ渡っている。

「ふんにゃか、ふんにゃか」

「うるさいわね」

「今流行ってるのよ」

「それなら、幼稚園に行って来たら」

 嫌な女だな。

 間違ってもないんだけど。

「舞地さん達も、献血したの?」

「当たり前だろ。関係者は全員させる」

 妙に力を込めて語るケイ。 

 また何か、賭けてるんじゃないだろうな。

「そういう事やりそうな人じゃないのに」

「それは関係ない。やるか、やられるかだ」

 何言ってるんだか。 

「そう言えば、名雲さんも1L抜いたって言ってたな」

「よく平気だね」

「血の気が多いから、少し抜いた方がいいんだ。俺も含めて」

 自分で言うショウ。

 ただ彼はともかく、名雲さんは暴れてないと思うけど。

 とはいえ側にいる訳ではないから、断言も出来ない。

 彼等の過去も含めて。

「どうかした?」

「ん、ちょっとね。さてと、何を持って帰ろうかな」

「もういいじゃない。ジュースは飲んだんだから」

 呆れるサトミを放っておいて、チョコとキャラメルをポケットに入れる。

 ディフォルメされた注射の絵が描かれていて、食欲はあまり沸かないけど。

 だったら、4つも5つも持って帰るなという話だが……。



 オフィスへ戻り腕のガーゼを剥がしていると、スピーカーが入電を告げた。

 近くで暴れている人がいるらしい。

「ユウは、後から来て」

「分かった」

「俺も後から行く」

「お前は来るんだ」

 襟首を掴まれ、外へ連れ出されるケイ。

 その様に笑っていたら、続報が入った。

「他校もしくは学校外生徒と思われる者を、複数名確認。スタンガンの使用を許可。プロテクターの着用を、必ず確認して下さい」

 おそらくサトミ達も、端末で確認しているだろう。

 私はスティックを手に取り、グリップを操作した。

 小さく聞こえ出す、モーターの駆動音。 

 今日は、必要ないのかも知れない。 

 それでも準備は怠らないようにしたい。

 私の都合に構わず、世の中は動いているのだから……。



 大勢の野次馬。

 普段より大人しめにその間をすり抜け、サトミの隣へ並ぶ。

 棒立ちで、青い顔をしている彼女の顔を見上げて。

「どうしたの。ナイフでも持ってるとか」

「それは大丈夫。全員拘束したから」

「随分早いね」

「拘束と言っても、ああだけれど」

 私達の前に何人かいる野次馬。

 その隙間から見える、後ろで指錠をはめられた男達。

 意識がないと判断出来る、ぐったりした動き。

 床には血が、激しく飛び散っている。

「何、これ」

「本人に聞いたら」

 床に倒れている何人もの男。 

 壁にもたれ、彼等を見下ろす一人の男性。

 冷たい視線、人を寄せ付けようとしない刺すような威圧感。

 見慣れた顔。 

 見た事のない表情で、一人佇む名雲さん。


「もしかして、一人で?」

「らしいわね」

 素っ気なく応じるサトミ。

 彼女もようやく落ち着いたのか、顔には血の気が戻り表情にも余裕がある。 

 平静を失ったのはその光景に対してであって、名雲さんの雰囲気にはこれといった恐れを抱いている様子はない。

 ただそれは私達くらいで、野次馬は勿論ガーディアンすら彼には近付かない。

 そんな中、彼に歩み寄るショウ。 

 辺りに走る緊張。

 しかし名雲さんが静かに彼と話し始めたのを見て、空気が緩み出す。

 それを合図とするかのように野次馬も散り始め、ガーディアンも拘束者を連れて去っていく。

 残ったのは私達。

 後は床にこびりついた血くらいか。

「ご機嫌がよろしくないようですね」

 笑い気味に話しかけるサトミ。

 名雲さんはゆっくりと彼女へ視線を向けた。

 冷たい、敵意すら含んだそれを。

 サトミはわずかにも動じず、視線を受け止める。

「文句あるのか」

 剣呑な口調。

 普段の大人びた態度はどこにもない。

 私達すらわずらわしいとでも言いたげな雰囲気。

「彼等を殴った理由は、それだけではないでしょう」

「暴れそうだから、先に動いただけだ」

「少し、やり過ぎたと」

「ああ」 

 いい加減に応じる名雲さん。

 サトミは肩をすくめ、私へ視線を向けてきた。

「じゃあ、もういいじゃない」

「何?」

「始末書なり、処分を受ければ」 

 彼以上に、適当に告げる私。

 戸惑い気味な名雲さんの肩に軽く触れ、廊下の奥を指差す。

「ここにいても仕方ないし、ラウンジでも行こう」



 笑い声と、絶え間ない会話。

 喧騒とも、心地よいBGMとも取れる。 

 ただそうは思えないのか、名雲さんは仏頂面で座っている。

 とりとめのない会話を交わす、私達を睨みながら。

「……何か言わないのか」 

 自分でも気になったのか、低い声で尋ねてくる。

 ここまで連れてきて、後は放って置いたようなもの。

 誰でも訝しく思うだろう。

 先程の状況を考えれば、余計に。

「どうして暴れたとか、何かあったのかって」

「聞いてもいいけど」

「何だ」

「こういう事は、慣れてるから」

 彼の隣りに座っているショウを指差し、薄く笑う。

 サトミとケイも、同様に。

「この人の場合は、お父さんを馬鹿にされた時。何か言われたと思ったら、もう相手はいないもん」

「俺の事はいいだろ」

「良くないのよ」

 迫力のある声を出し、ショウを睨むサトミ。

 彼はすぐに肩をすぼめ、ちびちびとお茶を飲み始めた。

「理由も無しに暴れたのなら問題だろうけど、そうじゃないんでしょ」

「まあな」

 面倒げに応じる名雲さん。

 少し表情が和らぎ、わずかずつだが口を開き始める。


 理由は簡単な事。 

 先日彼を襲った連中の仲間を見かけ、有無を言わさず先に手を出したらしい。

 語ってない部分もあるだろうが、そこまで踏み込む権利はない。

 取りあえず、今は。

「あんた、始末書だよ」

「資格停止じゃないのか」

「まさか。あの程度で資格停止なら、このお兄さんはとっくに退学してる」

「お前だってだろ」

 お互いの顔を指差す男の子二人。

 そう考えると、この子の方がろくでもないな。

 自分の事は棚に上げて、そんな事を思ったりする。


「映未さん達はいないんですか」

「え、ああ。たまたま一人でいたら、偶然」

 突然しどろもどろになる名雲さん。

 露骨に怪しいな。

「モトと一緒にいたとか」

「まさか。あの子は今、忙しいだろ」

「そう言えば、今日は見かけませんね」

「中部庁へ行ってる……、って言ってたぞ」

 なんだ、それ。

「送ったのか」

「お前、馬鹿だな」

 笑う名雲さん。

 どっちがだ。

「……ええ、私。忙しいみたいね。……そうでもないけど。……迎えに来てもらう?……ええ、分かったわ。……はい、またね」

「おい」

「帰りも、是非お願いしますと言ってました」

 誰が、とは言わないサトミ。

 意味深な笑顔が、全てを物語ってはいるが。

 対して名雲さんは難しい顔になり、テーブルを指で叩いた。

「お前ら、こんな事して楽しいのか」

「ご迷惑でした?」

「そういう事じゃなくて、その。あれだ」

「別にいいんですよ。もう二度と会わないという事でも」

 厳しく言い放つサトミ。 

 その辺りの気持は同じなので、私も頷く。

 人のお姉さんを取るなという話だから。

 彼女の気持ちはともかくとして。

「あのな、別に俺は」

「俺は?」

「渡り鳥だから」

「だから?」

 復唱するサトミ。

 言葉に詰まる名雲さん。

「もういいだろ。この話は」

「本当に?」

「いいんだよ」

 静かな。

 少しの諦めも思わせる呟き。

 これ以上は、私達が立ち入る部分ではない。 

 本人と。

 モトちゃんの他は。


「名雲君?どうしたの」

「大暴れしてました」

「ふーん」

 これといった反応はしない池上さん。

 私達同様、慣れているのだろう。

 昔の名雲さん、という存在に。

「聡美ちゃん、処分は」

「始末書と、訓告。後はしばらく自警局の監視だと思います」

「ぬるいのね、この学校は。それとも、そのくらいは日常茶飯事?」

「そんな所です」

 苦笑気味に頷くサトミ。

 ショウは天井を見上げ、彼女達を見ないようにしている。

「で、その名雲君は」

「中部庁へ」

「ああ。智美ちゃん。最近は、随分仲が良いのね」

 何か言いたげな顔付き。

 サトミは黙って、彼女の言葉を待った。

「私があれこれ言うのも何だけど、名雲君はその辺にいる格好いい子とは違うから」

「ええ」

「智美ちゃんがそれを分かっているとしても。一概にいいとは言えなくて」

 微かなため息。

 重くなる空気。

 私達も、言う事はない。

 池上さんは、こうも言いたいのだろう。

 私達が騒いでも仕方ない。

 結局は、本人達の問題だと。


「君は、どう思うの」

「そうですね。俺はどちらかというと、柳君の方が好みかな」 

 馬鹿だ。 

 しかも真顔で、何を言ってるんだか。

「あのね」

「どうでもいいじゃないですか。そんな事は」

 関心すら無いといった口調。 

 ケイが言いたい事は、分からなくもない。

 納得も出来ないが。

「大体、そんな世話を焼いてる場合じゃないでしょう。俺達の中で付き合ってるのは、サトミと木之本君くらいなのに」

「雪ちゃんはどうなの」

 集まってくる視線。

 私と。

 ショウへと。

 まさか答えられる訳もなく、うーっと唸って机を撫でる。

「それはいいとして、智美ちゃんと昔仲が良かったって子は?」

 可哀想に思ったのか、話題を変えてくれる池上さん。

 サトミは肩をすくめ、鼻で笑った。

「映未さんの方が、お詳しいのでは。傭兵だと聞いてますよ」

「厳しいのね。全く知らなくもないけど、グループが違うのよ。私達は最近ここに居着いてるから、余計にね」

「何度か会ってるようではあります。名雲さんが承知しているかどうかは、ともかく」

 皮肉っぽく説明するサトミ。

 池上さんはウェーブの掛かった前髪を横へ流し、ショートパンツから伸びる長い足を組み替えた。

「疑ってるの?」

「多少は」

「真理依の例があるものね」

 少し陰のある微笑み。 

 訪れる沈黙。

 重く、長く感じられる時間の経過。


「済みません、ここに遠野さんって」

「どうしたの」

 気だるそうに応じる池上さん。

 木之本君は恐縮気味に頭を下げ、抱えていたバインダーを振った。

「夏休み中のスケジュール表をまとめてもらおうと思って」

「私は事務局の人間でも総務課でもないの」

「元野さんがいないから、ちょっと大変でね。悪いけど」

「あなたが謝らなくても。……いいわ、貸してみて」

 結局は折れるサトミ。

 木之本君は苦笑気味にバインダーを渡し、ケイが差し出したマグカップを受け取った。

 だが彼はそれを口にせず、後ろへと腕を伸ばした。

「どうぞ」

「済みません」

 深く頭を下げて、両手でマグカップを包み込む華奢な少女。


 彼女は私達にも頭を下げて、ようやくそれに口を付けた。

「どうしたの?」

「高等部を見学したいと連絡をくれたので。みなさんには迷惑かなとは思ったんですが」

「そんな訳無い」

 それまでずっと雑誌を読みふけっていた舞地さんが立ち上がり、彼女の側へと歩み寄る。 

 さっきの話ですら反応しなかったのに、これか。

「今、幾つ?」

「14、です」

「家は?」

「知多、半島にあります」

 たどたどしく、それでも丁寧に答える高畑さん。    

 舞地さんはふっと微笑み、キャップを浅く被った。

「美味しいアイスクリームを出す店があるから、一緒に行こうか」

「え、でも」

「大丈夫。私はここの責任者だから、話はそこでしてあげる。アイスを食べながら」

 優しい。

 高畑さんまで食べてしまいそうな微笑み。

「いい加減にしなさいよ。怖がってるじゃない。こんな子は放っておいて、私と遊びましょ。あなた、名前は?」

「高畑風です」

「そう。風ちゃんは、何が好き?」

「絵を、描くのが」

 はにかみ気味に、しかし力強く答える高畑さん。

 鋭く輝く池上さんの瞳。

 キャップの奥で、舞地さんの瞳も輝く。

「池上さんも絵が好きなので、話が合うかなと思いまして」

「木之本君、気が効くじゃない」

「どこが」 

 陰険に呟く舞地さん。 

 いい年して、この二人は何やってるんだか。

「絵が好きなら、美術館か博物館へ行く?それとも私の家で、一緒に描いてみる?」

「え、でも」

「そんな話は聞かなくていい。今から、画廊に行こうか。好きな絵を、どれでも買ってあげるから」

「え?」 

 戸惑う高畑さん。 

 睨み合う、池上さんと舞地さん。 

「二人とも、恥ずかしいから止めて下さい」

「私は恥ずかしくないわよ」

「私だって」

 言い切ったよ。

 要は、恥知らずという訳か。

「何か言いたいの、雪ちゃん」

「別に。そんな暇なら、3人で行ってきたら」

「仕方ないわね。お金は全部あっちのお姉さんが出してくれるから、お礼言いなさい」

「ありがとうございます」 

 相変わらず素直な高畑さん。

 変な遠慮をしないのが、また可愛い。

 舞地さんもそれに気をよくしたのか、鷹揚に頷いてキャップを彼女の頭に被せた。

「え」

「外は暑いから」

「過保護な子ね。名雲君、後を頼むわよ」

 そう言いつつ、自分は高畑さんの手を引いて出ていく池上さん。

 どっちもどっちだな。


「後を頼むって、何だそれ」

「直属班なんて大勢いるんだし、問題ないだろ」

「じゃあ連絡があったら、お前が行け」

「え」

 口ごもるショウ。

 視線は横へと流れてくる。

 彼女達に、出かけるよう促した私へと。

「私はパス」

「どうして」

「献血したから」

「ああ、そうか」 

 あっさり納得した。

 少し照れ気味に。

 そうされるとこっちも恥ずかしいので、会話は続かない。

 続かないから、余計恥ずかしい。

 それはそれで、訳もなく嬉しかったりするが。

「何、にやにやしてるのよ」

「誰が」

「さあ、誰かしら。木之本君、これでどう」

「そうだね……。浦田君は、どう思う」 

 ケイに話を振る木之本君。

 彼は卓上端末に表示された、夏休み中にガーディアン連合が警備する大会や施設の一覧をチェックした。

「効率はこれの方がいいけど、こいつとこいつは仲が悪いから時間帯を調整して。後この子は家が遠いから、こっちの施設へ」

「分かった」

「どうせ私は、数字しか見てないわよ」

 拗ね気味に呟くサトミ。

 ケイは鼻で笑い、スケジュールの表示されている画面を指差した。

「何も見てないよりはましだろ。それにこれを変えたら、今言ったように効率は落ちるんだし」

「それより環境を大切にしたいんでしょ。いっそホーソン実験のように、こちらの注目度を伝えてみる?」

 共感した表情で笑い合う二人。

 何が面白いのか私には分からないが、彼等にとっては違うのだろう。

 私やショウが、格闘技に夢中になるのと同様に。

 それは彼等にどれだけ説明しても理解してもらえないし、逆も同じ事だ。

 つまり、今の状況のように。


「ありがとう。僕はこういうのは、ちょっと苦手だから」

「気を遣い過ぎるからよ。全員の要望を、全て叶えるなんて無理なんだから」

「そうなんだけどね」

 曖昧な微笑み。

 彼らしい。

 気弱な、だけど優しげな。

「いいさ。苦手でも何でも、出来るんだから」

 陰険な口調。

 感じる視線。

「何よ」

「別に」

 鼻先であしらわれた気分。

 脇腹でも突いてやろうと思ったけど、取りあえずは我慢する。

 あくまでも我慢であって、止めた訳ではない。

「私達も夏休み中に、何かやるんじゃないでしょうね」

「大丈夫。これは、希望者だけだから」

「ならいい。どうでも、好きに決めて」

 投げやりに答え、スケジュールの書かれた書類を一枚手に取る。

 野球、水泳、ホッケー、バレー。

 学内の一部。 

 ……花火大会?

「これって、何」

「草薙グループが主催して、学内を開放してやるらしいよ」

「警備は嫌だけど、これは面白そうだね」

 草薙花火大会。 

 名前はそのままだが、興味はそそる。

 取りあえず、日程は覚えておこう。

「もしかしてお前、休み中も学校へ来るのか」

「例の統合案があるから。ある程度は、出てこないと」

「良くやるよ」

「誰かがやらないと、いけない事だから」

 だからといって、彼がやらなくてもいい。

 他の人に任せて、遊んでいたって。

 でも彼は、学校へ行くだろう。

 下らない自己犠牲や、自己満足のためではなく。

 自分の立場に課せられた責任を知っているから。

 人の上に立つ人間は、率先して行動するべきだと分かっているから。

「馬鹿だな。騙されてるんだよ」

 大笑いする男。 

 人のいい気分をぶち壊すように。

「誰に」

「塩田さんに」

「いたわね、そんな人も」 

 やるせないため息を付くサトミ。

 木之本君はもう少し控えめに、小さく首を振る。

「あの人はあの人で、頑張ってるよ」

「何を」

「さあ、それは僕も」

 はは。

 それはちょっと面白い。

「お前も、ひどいな」

「冗談だよ」

 手を振って、ショウに笑いかける木之本君。

 単に真面目なだけでなく、こういう事が言える人でもある。

 どこかの局長とは違って。



 仕事が残っているらしく、木之本君はすぐに帰っていった。 

 やる事のない私達は、たわいもない話をして時間を過ごす。

 無意味で、無駄とも思える。

 少しの罪悪感も。

 でもそれが逆に、楽しかったりする。

 周りの忙しさや変化。

 無理にそれへ付いていく必要もない。

 私は私、人は人。

 実際にそこまで割り切ってる訳でもないし、大した自覚もない。

 ただ私は、自分に出来る事をするだけだ。

 やれない事を無理に頑張ったり、誰かに合わせる気はしない。

 その事で非難されても、気にはならない。

 出来ない事をやり続ければ、いつかは破綻すると分かっているから。




 誰から何を言われようと、どう思われようと。

 私は自分のペースで行動したい。

 自分の考えで。

 今までがそうだったように。 

 これからも。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ