18-7
18-7
テストは終わり、夏休みは間近。
授業は自習が殆どで、先生は出席を取る程度。
中には、先生自体が出てこない授業もあったりする。
それでも私は、学校に来る。
偉いんだか馬鹿なんだか、訳が分からなくなってくる。
「ジュース飲みたい」
「お茶があるでしょ」
湯気を立たせる、可愛い湯飲み。
我慢大会か。
「冷たい物ばかりだと、お腹を壊すし体力も無くなるのよ」
「じゃあ、自分で飲めば」
サトミの前に湯飲みを押し戻し、代わりにあられを引き寄せる。
でもこれだと、熱いお茶の方が美味しいな。
「あー」
「変な声出さないで」
「感動してるのよ」
「あられとお茶で?幸せね、あなたは」
優しい笑顔。
駄目な子供をあやすお母さんのような。
「でも、余計暑くなった」
「もう、嫌」
「嫌でいいから、冷たい物探しに行こう」
いつになく賑わっている学内。
テスト前のように、と言うべきか。
何か、イベントでもあるのかな。
「売り切れたりして」
夏季限定で設けられた、かき氷屋さんの前に出来る行列。
郡上八幡の清水を使っているらしく、この間ショウが作ったのとはレベルの違う味である。
自分でシロップを作らなくていいし。
「並ばなくてもいいだろ」
だるそうに呟くケイ。
ここは購買。
少し右へ行けば、アイスの入った低い冷蔵庫が幾つも置いてある。
「こっちの方が、美味しいの。それに、もうすぐじゃない」
「氷を代えてるんじゃなくて」
冷静に指摘するサトミ。
ペンギンではない、縦置きの大きなかき氷器。
今はサトミの言う通り、柱のような氷を上から放り込んでいる。
でもってすぐにプラスチックのカップが自動的に落ちてきて、そこに氷が降ってくる。
見てるだけで楽しいな。
「他行こう」
「まだ言ってるの」
「違う、あれ」
購買の入り口辺り。
制服姿の集団。
何かチラシを巻いている。
「イベントでもやるのかな」
「のんきね、あなたは」
「何が」
「真ん中にいる男を、よく見て」
笑顔。
やや無理をした、愛想笑い。
握手を求める動きも、どこかぎこちない。
「あれか」
思わず舌を鳴らし、列から外れる。
私達の順番は、もうすぐ。
でもあの男がこちらへ近付いてくる以上、ここにはいたくない。
例の、理事の息子には。
「名前くらい、あるよね」
「鈴木だったかしら」
「ふーん。どうでもいいや」
自分で聞いておいて、おざなりに答える。
興味はないし、関わりたくもない。
彼のお母さんの事を考えると、多少胸は痛むが。
「逃げ遅れたみたいね」
苦笑気味な、サトミの呟き。
明らかに、視線をこちらへ向けてくる彼。
その足も。
ただ周囲を気にしてか、愛想笑いは崩さない。
それが却って、嫌な気分になってくるが。
「選挙は、誰に投票するか決めたかな」
さすがに、自分に投票しろとは言ってこない。
当然、言われても投票はしない。
「別に」
いい加減に答え、彼等に背を向ける。
意外な早さで前に回り込む男。
新カリキュラムは、体力向上プログラムもあると会長が言ってたな。
「そう邪険にされても困る」
「どうして」
「君達の影響力は、俺も分かってるつもりだ」
陰湿な、振り払いたくなるような視線。
意味ありげな表情が、いつまでもこちらへと向けられる。
「だから」
「周りに伝えてくれるだけでいい。俺の事を」
「どういう事を」
「それは任せる」
婉曲な説得。
知性の高さを十分に感じさせる程の。
全てを委ねられては、誰だって極端な悪口を言う気にはなれない。
ブレーンがいるかどうかはともかく、確かに馬鹿ではないようだ。
人を見抜く目は、知らないが。
「断る」
短く、予断無く伝える。
彼の顔から消える表情。
お互い声はひそめていて、周りには殆ど聞かれてはいない。
ただ、何かをやっているとは思われているだろう。
当然今の、険悪な空気も伝わっているはずだ。
「本当に馬鹿だな。今俺に乗っておけば、どれだけ得をするか分からないのに」
「その前に卒業してるわ」
静かに入ってくるサトミ。
冷ややかに、刺すような眼差しで。
「お前達は、まだ来年もあるんだぞ」
「だから?学校がバックにいるくらいで、調子に乗らない事ね」
あくまでも毅然とした態度。
男は舌を鳴らし、苛立たしげに手を動かした。
それに反応して、彼の取り巻きが前に出ようとする。
「選挙中に、暴力沙汰か」
すぐに応じるショウ。
途端に止まる、彼等の動き。
お互いの実力差は、すでに経験積みだ。
「お前こそ、馬鹿な事言ってないで帰れ。俺達を相手にするより、地道に活動した方がいいぞ」
大人の、かなりの気遣いを見せた言葉。
ただそれが余計に反発心を呼び起こしたのか、男は唇を噛みしめてショウを睨み上げた。
自分には足りない何かを、恨むようにして。
「大人しいのね」
「相手をしても仕方ない」
醒めきった、普段以上に無感情な顔。
ケイは鼻を鳴らして、アイスの入っている冷蔵庫へと歩き出した。
「おい」
沈黙。
言葉は返ってこない。
「おい、お前だ」
やはりケイは振り向かない。
自分に言われているとは、おそらく承知した上での行動。
気持は分からなくもない。
「待てよ」
埒が開かないと思ったのか、彼の前に回り込む男。
ケイもようやく足を止め、彼を見据える。
表情の消えた、冷たい視線で。
「さっき言われただろ。遊んでる暇があったら、ビラでも配ってたらどうだ。それとも、もっと違う物でも配ってるのか」
「なんだと。選挙中の中傷は、処罰の対象だぞ」
言葉とは裏腹な、嬉しそうな笑顔。
獲物を見つけた野犬のような。
私達では苦しいが、彼なら与しやすいと思ったのだろう。
実際ケイは、この男に対しては下手に出ている。
彼の意図は、別にして。
「謝れ」
「誰が」
「俺に、お前が謝れと言ってるんだ」
高らかに宣言する男。
満足感と高揚感の満ちた顔で。
先程までの苛立ちは影をひそめ、彼の勝ち誇った表情だけが目に映る。
「済みませんでしたっ」
辺りに響き渡る叫び声。
この状況に意識を払ってなかった人達までが、一斉に振り向いてくる。
即座に出来る人垣。
唖然とする男と、彼の前で土下座をするケイの周りに。
「済みませんっ、済みませんっ。許して下さいっ。ごめんなさいっ」
悲痛な絶叫。。
床へぶつかる額、震える肩。
それでもケイは、ただひたすらに謝り続ける。
「お、おい。や、止めろ」
いたたまれなくなったのか、後ずさりながらそう呟く男。
ケイはなおも、頭を床へぶつけ続ける。
「お、おい」
「済みません、済みません。お金なら、すぐに返しますから。本当に、済みませんでした」
「だ、誰がお前に……。い、いや。い、行くぞっ」
今まで以上にうろたえた男は、きびすを返し早足でラウンジの入り口へ去っていく。
慌ててそれを追う、彼の取り巻き。
ケイは構わず、頭を下げ続ける。
「ちょっと」
「ああ」
サトミに促され、ケイの腕を取って抱え起こすショウ。
彼女はその反対側へ付き、強引に彼を引っ張り始めた。
「済みません、済みません」
小声になる謝罪の声。
割れた人垣の間を歩いていく彼等の後を、私もすぐに追う。
「済みません、済みません」
「もう、いいのよ」
彼の髪を軽く引っ張るサトミ。
それに釣られる格好で、顔を上げるケイ。
だが別段涙は流れてないし、落ち込んでもいない。
「いい加減にしなさい」
「でも、面白かっただろ」
「それは、否定しないけど」
ため息を付くサトミに、ケイは苦笑気味に笑いかけた。
つまりさっきのは、全て演技という訳。
この人が意味もなく土下座をするはずはないので、私も当然分かっていた。
本当に悪いのは誰かという話だ。
「お前、無茶苦茶だな」
「どうして。俺は、心から謝っただけなのに」
「道は誤ってるみたいだけどな」
皮肉を言って、彼の額を覗き込むショウ。
少し赤くなってはいるが、切れてはいない。
「というか、馬鹿じゃないのか」
「このくらいやらないと、説得力がない」
「結局、恨みを買っただけだろ」
「今さら何を」
それはそうだ。
いや。納得する事でもないか。
「思い出した。別に、ここで買わなくてもいい。今日は、ただでジュースが飲み放題だった」
「飲み放題って。それは嬉しいけど、飲めないわよ」
「お持ち帰りも自由。そっちに行こう」
半ば強引に連れてこられたのは、体育館。
のはずだ。
白いカーテンのしきりと、消毒の香り。
白衣を着た人の姿も目立つ。
腕の辺りに、小さなガーゼを付けた人達も。
「献血?」
入り口の辺りに掲げられた、大きなポスター。
「一瞬の痛み、永遠の命」
大袈裟だけど、間違いではない。
「私は嫌」
その崇高な理念は分かる。
立派な事だ。
でも、やりたくない。
「生徒会関係者とガーディアンは、全員参加するのよ」
「どうして」
「そういう決まりだから。はい、名前書いて」
受付で、小さなカードを受け取るサトミ。
一枚だけ。
「ちょっと、みんなの分は」
「俺はもう、抜いた」
献血手帳なる物を見せてくるショウ。
各成分の数値は正常とある。
1L献血とも。
「冗談でしょ」
「体重に応じて、量は変わるの。この人なら、問題ないわ」
「ふーん」
感心だけして、ペンを手の中で回す。
人は人、私は私。
あくまでも、自分の道を歩んでいきたい。
「ちょっと、早く書きなさい」
「自分はどうなの」
「私も、事前に済ませてある」
「サトミの分は別にして、売る計画もある」
物騒な発言が後ろから聞こえたけど、気にしないでおこう。
「大体痛いだけで、面白くも何ともないって」
「当たり前でしょ。それに痛いのは、慣れてるじゃない」
「訓練で殴られるのと、自分から刺されるのは別なの」
「仕方ない子ね。本当は、結構楽しいのよ」
耳元に掛かる息。
くすぐったさを堪えつつ、彼女が差し出してきたバインダーを開く。
「あれ」
何十人もの顔写真と、簡単なプロフィール。
付け加えるなら、格好良い男の子達の。
「献血をした子には、その人達が付き添ってくれるの。下の番号を書き込めば、指名も出来るわよ」
「へえ」
目の前を通りかかる、白衣姿の凛々しい男の子。
ふーん。
「私もこの企画に参加してるから、二人くらい付けてもらう事も出来るのよ。ほら、こっちにも載ってるから」
追加されるバインダー。
こっちは、可愛い子編か。
「手くらい握ってもいいから」
甘いささやき。
頭の中に広がる映像。
「……やっぱりやらない」
「どうして」
「どうしても」
バインダーを彼女へ渡し、入り口へと引き返す。
その前に立ちはだかるケイ。
ここへ誘ったくらいだから、彼も企画に参加してるのだろう。
「いいだろ、少し痛いくらい」
「ひからびたらどうするの」
「大袈裟な……。でも、体重を考えると検査に引っかかるかな」
意外と上手い言い訳だったらしい。
考え込むケイの肩に触れ、そのまま彼を通り過ぎる。
「成分血液は」
「何よ、それ」
「血小板とかだけを抜いて、後は戻すのよ。時間は掛かるけど、体への負担は少ないわ」
いつの間にか後ろに立つサトミ。
前からはケイが。
逃げるのは簡単だ。
ただ、そういう雰囲気でもなくなってきている。
痛いからと言って逃げ出す事でないのは、私も分かっているし。
「……大丈夫ですね。成分献血は奥で行っていますので、このカードを受付に提出して下さい」
「はい」
採血可とスタンプされたカードを持って、のろのろ遠くへ歩く。
早まったという気持を抱いて。
検査用に一刺しされた腕を押さえ、ため息を付く。
「はい、こちらへ」
「分かりました」
看護婦さん風の女性にカードを渡し、引き替えに腕へタグを付けてもらう。
閑散とした室内。
普段は更衣室に使ってるのだろうか。
部屋の奥にはロッカーが並び、中央に幾つか簡易ベッドが置いてある。
献血用の機械も。
「こちらへ、横になって下さい。気分が悪いとか、調子はどうです」
「いえ、特には」
「そうですか。少し我慢して下さいね」
腕を掴まれる感触。
続いて消毒液が塗られ、その部分だけが冷たくなる。
「はい、終わりました」
微かな痛みはすぐに消え、肘の辺りに血液の流れを強く感じる。
普段はありえない、あまり気持ちよくはない感覚。
「20分程掛かりますから、何かあったら呼んで下さい」
「あ、はい」
書類を抱え、部屋を出て行く女性。
腕は見ないようにして、目の前にあるTVへ意識を向ける。
「暇だな」
「そうだね」
短い会話。
軽いBGM。
ゆっくりと流れる時。
そっと握られている手。
ここへ入ってきた時からずっと。
子供っぽい。
自分でも恥ずかしいくらいの行為。
だけど、私は手を離さない。
さっき、ふと思い浮かべた光景。
それを再現した、今の状況。
言葉はなく、視線をかわす事もない。
ただ時が過ぎていくだけ。
二人きりの時が……。
別に冷やかす事もなく、私達を受け入れるサトミ達。
それが余計に恥ずかしく、ただのジュースをがぶ飲みする。
「あなたね」
「水分取れって言われたもん」
「馬鹿」
そう言いながら、自分もお茶を飲むサトミ。
献血してないのに、いい気な物だな。
「あのさ」
「何」
「サトミは、やらないの。あれを」
目の前を通り過ぎていく、ナース姿の綺麗な女の子。
女の子には、格好いい男の子が。
男の子には、綺麗な女の子が付き添う訳だ。
「男の血圧が上がり過ぎるから、パスさせた。大体予約が殺到して、違う意味で血を見る事になる」
「ふーん。……私は、どうして誘わなかったの」
この辺は女の性か。
下らないと思いつつ、つい尋ねてしまう。
「やりたくないんだろ」
「まあね」
だったら聞くなという顔をするケイ。
ただ彼の口振りから言って、候補には挙がっていたらしい。
取りあえず下らない自己満足を満たし、ストローだけをくわえる。
もうさっきまでの憂鬱さは消え去って、夏の空のように晴れ渡っている。
「ふんにゃか、ふんにゃか」
「うるさいわね」
「今流行ってるのよ」
「それなら、幼稚園に行って来たら」
嫌な女だな。
間違ってもないんだけど。
「舞地さん達も、献血したの?」
「当たり前だろ。関係者は全員させる」
妙に力を込めて語るケイ。
また何か、賭けてるんじゃないだろうな。
「そういう事やりそうな人じゃないのに」
「それは関係ない。やるか、やられるかだ」
何言ってるんだか。
「そう言えば、名雲さんも1L抜いたって言ってたな」
「よく平気だね」
「血の気が多いから、少し抜いた方がいいんだ。俺も含めて」
自分で言うショウ。
ただ彼はともかく、名雲さんは暴れてないと思うけど。
とはいえ側にいる訳ではないから、断言も出来ない。
彼等の過去も含めて。
「どうかした?」
「ん、ちょっとね。さてと、何を持って帰ろうかな」
「もういいじゃない。ジュースは飲んだんだから」
呆れるサトミを放っておいて、チョコとキャラメルをポケットに入れる。
ディフォルメされた注射の絵が描かれていて、食欲はあまり沸かないけど。
だったら、4つも5つも持って帰るなという話だが……。
オフィスへ戻り腕のガーゼを剥がしていると、スピーカーが入電を告げた。
近くで暴れている人がいるらしい。
「ユウは、後から来て」
「分かった」
「俺も後から行く」
「お前は来るんだ」
襟首を掴まれ、外へ連れ出されるケイ。
その様に笑っていたら、続報が入った。
「他校もしくは学校外生徒と思われる者を、複数名確認。スタンガンの使用を許可。プロテクターの着用を、必ず確認して下さい」
おそらくサトミ達も、端末で確認しているだろう。
私はスティックを手に取り、グリップを操作した。
小さく聞こえ出す、モーターの駆動音。
今日は、必要ないのかも知れない。
それでも準備は怠らないようにしたい。
私の都合に構わず、世の中は動いているのだから……。
大勢の野次馬。
普段より大人しめにその間をすり抜け、サトミの隣へ並ぶ。
棒立ちで、青い顔をしている彼女の顔を見上げて。
「どうしたの。ナイフでも持ってるとか」
「それは大丈夫。全員拘束したから」
「随分早いね」
「拘束と言っても、ああだけれど」
私達の前に何人かいる野次馬。
その隙間から見える、後ろで指錠をはめられた男達。
意識がないと判断出来る、ぐったりした動き。
床には血が、激しく飛び散っている。
「何、これ」
「本人に聞いたら」
床に倒れている何人もの男。
壁にもたれ、彼等を見下ろす一人の男性。
冷たい視線、人を寄せ付けようとしない刺すような威圧感。
見慣れた顔。
見た事のない表情で、一人佇む名雲さん。
「もしかして、一人で?」
「らしいわね」
素っ気なく応じるサトミ。
彼女もようやく落ち着いたのか、顔には血の気が戻り表情にも余裕がある。
平静を失ったのはその光景に対してであって、名雲さんの雰囲気にはこれといった恐れを抱いている様子はない。
ただそれは私達くらいで、野次馬は勿論ガーディアンすら彼には近付かない。
そんな中、彼に歩み寄るショウ。
辺りに走る緊張。
しかし名雲さんが静かに彼と話し始めたのを見て、空気が緩み出す。
それを合図とするかのように野次馬も散り始め、ガーディアンも拘束者を連れて去っていく。
残ったのは私達。
後は床にこびりついた血くらいか。
「ご機嫌がよろしくないようですね」
笑い気味に話しかけるサトミ。
名雲さんはゆっくりと彼女へ視線を向けた。
冷たい、敵意すら含んだそれを。
サトミはわずかにも動じず、視線を受け止める。
「文句あるのか」
剣呑な口調。
普段の大人びた態度はどこにもない。
私達すらわずらわしいとでも言いたげな雰囲気。
「彼等を殴った理由は、それだけではないでしょう」
「暴れそうだから、先に動いただけだ」
「少し、やり過ぎたと」
「ああ」
いい加減に応じる名雲さん。
サトミは肩をすくめ、私へ視線を向けてきた。
「じゃあ、もういいじゃない」
「何?」
「始末書なり、処分を受ければ」
彼以上に、適当に告げる私。
戸惑い気味な名雲さんの肩に軽く触れ、廊下の奥を指差す。
「ここにいても仕方ないし、ラウンジでも行こう」
笑い声と、絶え間ない会話。
喧騒とも、心地よいBGMとも取れる。
ただそうは思えないのか、名雲さんは仏頂面で座っている。
とりとめのない会話を交わす、私達を睨みながら。
「……何か言わないのか」
自分でも気になったのか、低い声で尋ねてくる。
ここまで連れてきて、後は放って置いたようなもの。
誰でも訝しく思うだろう。
先程の状況を考えれば、余計に。
「どうして暴れたとか、何かあったのかって」
「聞いてもいいけど」
「何だ」
「こういう事は、慣れてるから」
彼の隣りに座っているショウを指差し、薄く笑う。
サトミとケイも、同様に。
「この人の場合は、お父さんを馬鹿にされた時。何か言われたと思ったら、もう相手はいないもん」
「俺の事はいいだろ」
「良くないのよ」
迫力のある声を出し、ショウを睨むサトミ。
彼はすぐに肩をすぼめ、ちびちびとお茶を飲み始めた。
「理由も無しに暴れたのなら問題だろうけど、そうじゃないんでしょ」
「まあな」
面倒げに応じる名雲さん。
少し表情が和らぎ、わずかずつだが口を開き始める。
理由は簡単な事。
先日彼を襲った連中の仲間を見かけ、有無を言わさず先に手を出したらしい。
語ってない部分もあるだろうが、そこまで踏み込む権利はない。
取りあえず、今は。
「あんた、始末書だよ」
「資格停止じゃないのか」
「まさか。あの程度で資格停止なら、このお兄さんはとっくに退学してる」
「お前だってだろ」
お互いの顔を指差す男の子二人。
そう考えると、この子の方がろくでもないな。
自分の事は棚に上げて、そんな事を思ったりする。
「映未さん達はいないんですか」
「え、ああ。たまたま一人でいたら、偶然」
突然しどろもどろになる名雲さん。
露骨に怪しいな。
「モトと一緒にいたとか」
「まさか。あの子は今、忙しいだろ」
「そう言えば、今日は見かけませんね」
「中部庁へ行ってる……、って言ってたぞ」
なんだ、それ。
「送ったのか」
「お前、馬鹿だな」
笑う名雲さん。
どっちがだ。
「……ええ、私。忙しいみたいね。……そうでもないけど。……迎えに来てもらう?……ええ、分かったわ。……はい、またね」
「おい」
「帰りも、是非お願いしますと言ってました」
誰が、とは言わないサトミ。
意味深な笑顔が、全てを物語ってはいるが。
対して名雲さんは難しい顔になり、テーブルを指で叩いた。
「お前ら、こんな事して楽しいのか」
「ご迷惑でした?」
「そういう事じゃなくて、その。あれだ」
「別にいいんですよ。もう二度と会わないという事でも」
厳しく言い放つサトミ。
その辺りの気持は同じなので、私も頷く。
人のお姉さんを取るなという話だから。
彼女の気持ちはともかくとして。
「あのな、別に俺は」
「俺は?」
「渡り鳥だから」
「だから?」
復唱するサトミ。
言葉に詰まる名雲さん。
「もういいだろ。この話は」
「本当に?」
「いいんだよ」
静かな。
少しの諦めも思わせる呟き。
これ以上は、私達が立ち入る部分ではない。
本人と。
モトちゃんの他は。
「名雲君?どうしたの」
「大暴れしてました」
「ふーん」
これといった反応はしない池上さん。
私達同様、慣れているのだろう。
昔の名雲さん、という存在に。
「聡美ちゃん、処分は」
「始末書と、訓告。後はしばらく自警局の監視だと思います」
「ぬるいのね、この学校は。それとも、そのくらいは日常茶飯事?」
「そんな所です」
苦笑気味に頷くサトミ。
ショウは天井を見上げ、彼女達を見ないようにしている。
「で、その名雲君は」
「中部庁へ」
「ああ。智美ちゃん。最近は、随分仲が良いのね」
何か言いたげな顔付き。
サトミは黙って、彼女の言葉を待った。
「私があれこれ言うのも何だけど、名雲君はその辺にいる格好いい子とは違うから」
「ええ」
「智美ちゃんがそれを分かっているとしても。一概にいいとは言えなくて」
微かなため息。
重くなる空気。
私達も、言う事はない。
池上さんは、こうも言いたいのだろう。
私達が騒いでも仕方ない。
結局は、本人達の問題だと。
「君は、どう思うの」
「そうですね。俺はどちらかというと、柳君の方が好みかな」
馬鹿だ。
しかも真顔で、何を言ってるんだか。
「あのね」
「どうでもいいじゃないですか。そんな事は」
関心すら無いといった口調。
ケイが言いたい事は、分からなくもない。
納得も出来ないが。
「大体、そんな世話を焼いてる場合じゃないでしょう。俺達の中で付き合ってるのは、サトミと木之本君くらいなのに」
「雪ちゃんはどうなの」
集まってくる視線。
私と。
ショウへと。
まさか答えられる訳もなく、うーっと唸って机を撫でる。
「それはいいとして、智美ちゃんと昔仲が良かったって子は?」
可哀想に思ったのか、話題を変えてくれる池上さん。
サトミは肩をすくめ、鼻で笑った。
「映未さんの方が、お詳しいのでは。傭兵だと聞いてますよ」
「厳しいのね。全く知らなくもないけど、グループが違うのよ。私達は最近ここに居着いてるから、余計にね」
「何度か会ってるようではあります。名雲さんが承知しているかどうかは、ともかく」
皮肉っぽく説明するサトミ。
池上さんはウェーブの掛かった前髪を横へ流し、ショートパンツから伸びる長い足を組み替えた。
「疑ってるの?」
「多少は」
「真理依の例があるものね」
少し陰のある微笑み。
訪れる沈黙。
重く、長く感じられる時間の経過。
「済みません、ここに遠野さんって」
「どうしたの」
気だるそうに応じる池上さん。
木之本君は恐縮気味に頭を下げ、抱えていたバインダーを振った。
「夏休み中のスケジュール表をまとめてもらおうと思って」
「私は事務局の人間でも総務課でもないの」
「元野さんがいないから、ちょっと大変でね。悪いけど」
「あなたが謝らなくても。……いいわ、貸してみて」
結局は折れるサトミ。
木之本君は苦笑気味にバインダーを渡し、ケイが差し出したマグカップを受け取った。
だが彼はそれを口にせず、後ろへと腕を伸ばした。
「どうぞ」
「済みません」
深く頭を下げて、両手でマグカップを包み込む華奢な少女。
彼女は私達にも頭を下げて、ようやくそれに口を付けた。
「どうしたの?」
「高等部を見学したいと連絡をくれたので。みなさんには迷惑かなとは思ったんですが」
「そんな訳無い」
それまでずっと雑誌を読みふけっていた舞地さんが立ち上がり、彼女の側へと歩み寄る。
さっきの話ですら反応しなかったのに、これか。
「今、幾つ?」
「14、です」
「家は?」
「知多、半島にあります」
たどたどしく、それでも丁寧に答える高畑さん。
舞地さんはふっと微笑み、キャップを浅く被った。
「美味しいアイスクリームを出す店があるから、一緒に行こうか」
「え、でも」
「大丈夫。私はここの責任者だから、話はそこでしてあげる。アイスを食べながら」
優しい。
高畑さんまで食べてしまいそうな微笑み。
「いい加減にしなさいよ。怖がってるじゃない。こんな子は放っておいて、私と遊びましょ。あなた、名前は?」
「高畑風です」
「そう。風ちゃんは、何が好き?」
「絵を、描くのが」
はにかみ気味に、しかし力強く答える高畑さん。
鋭く輝く池上さんの瞳。
キャップの奥で、舞地さんの瞳も輝く。
「池上さんも絵が好きなので、話が合うかなと思いまして」
「木之本君、気が効くじゃない」
「どこが」
陰険に呟く舞地さん。
いい年して、この二人は何やってるんだか。
「絵が好きなら、美術館か博物館へ行く?それとも私の家で、一緒に描いてみる?」
「え、でも」
「そんな話は聞かなくていい。今から、画廊に行こうか。好きな絵を、どれでも買ってあげるから」
「え?」
戸惑う高畑さん。
睨み合う、池上さんと舞地さん。
「二人とも、恥ずかしいから止めて下さい」
「私は恥ずかしくないわよ」
「私だって」
言い切ったよ。
要は、恥知らずという訳か。
「何か言いたいの、雪ちゃん」
「別に。そんな暇なら、3人で行ってきたら」
「仕方ないわね。お金は全部あっちのお姉さんが出してくれるから、お礼言いなさい」
「ありがとうございます」
相変わらず素直な高畑さん。
変な遠慮をしないのが、また可愛い。
舞地さんもそれに気をよくしたのか、鷹揚に頷いてキャップを彼女の頭に被せた。
「え」
「外は暑いから」
「過保護な子ね。名雲君、後を頼むわよ」
そう言いつつ、自分は高畑さんの手を引いて出ていく池上さん。
どっちもどっちだな。
「後を頼むって、何だそれ」
「直属班なんて大勢いるんだし、問題ないだろ」
「じゃあ連絡があったら、お前が行け」
「え」
口ごもるショウ。
視線は横へと流れてくる。
彼女達に、出かけるよう促した私へと。
「私はパス」
「どうして」
「献血したから」
「ああ、そうか」
あっさり納得した。
少し照れ気味に。
そうされるとこっちも恥ずかしいので、会話は続かない。
続かないから、余計恥ずかしい。
それはそれで、訳もなく嬉しかったりするが。
「何、にやにやしてるのよ」
「誰が」
「さあ、誰かしら。木之本君、これでどう」
「そうだね……。浦田君は、どう思う」
ケイに話を振る木之本君。
彼は卓上端末に表示された、夏休み中にガーディアン連合が警備する大会や施設の一覧をチェックした。
「効率はこれの方がいいけど、こいつとこいつは仲が悪いから時間帯を調整して。後この子は家が遠いから、こっちの施設へ」
「分かった」
「どうせ私は、数字しか見てないわよ」
拗ね気味に呟くサトミ。
ケイは鼻で笑い、スケジュールの表示されている画面を指差した。
「何も見てないよりはましだろ。それにこれを変えたら、今言ったように効率は落ちるんだし」
「それより環境を大切にしたいんでしょ。いっそホーソン実験のように、こちらの注目度を伝えてみる?」
共感した表情で笑い合う二人。
何が面白いのか私には分からないが、彼等にとっては違うのだろう。
私やショウが、格闘技に夢中になるのと同様に。
それは彼等にどれだけ説明しても理解してもらえないし、逆も同じ事だ。
つまり、今の状況のように。
「ありがとう。僕はこういうのは、ちょっと苦手だから」
「気を遣い過ぎるからよ。全員の要望を、全て叶えるなんて無理なんだから」
「そうなんだけどね」
曖昧な微笑み。
彼らしい。
気弱な、だけど優しげな。
「いいさ。苦手でも何でも、出来るんだから」
陰険な口調。
感じる視線。
「何よ」
「別に」
鼻先であしらわれた気分。
脇腹でも突いてやろうと思ったけど、取りあえずは我慢する。
あくまでも我慢であって、止めた訳ではない。
「私達も夏休み中に、何かやるんじゃないでしょうね」
「大丈夫。これは、希望者だけだから」
「ならいい。どうでも、好きに決めて」
投げやりに答え、スケジュールの書かれた書類を一枚手に取る。
野球、水泳、ホッケー、バレー。
学内の一部。
……花火大会?
「これって、何」
「草薙グループが主催して、学内を開放してやるらしいよ」
「警備は嫌だけど、これは面白そうだね」
草薙花火大会。
名前はそのままだが、興味はそそる。
取りあえず、日程は覚えておこう。
「もしかしてお前、休み中も学校へ来るのか」
「例の統合案があるから。ある程度は、出てこないと」
「良くやるよ」
「誰かがやらないと、いけない事だから」
だからといって、彼がやらなくてもいい。
他の人に任せて、遊んでいたって。
でも彼は、学校へ行くだろう。
下らない自己犠牲や、自己満足のためではなく。
自分の立場に課せられた責任を知っているから。
人の上に立つ人間は、率先して行動するべきだと分かっているから。
「馬鹿だな。騙されてるんだよ」
大笑いする男。
人のいい気分をぶち壊すように。
「誰に」
「塩田さんに」
「いたわね、そんな人も」
やるせないため息を付くサトミ。
木之本君はもう少し控えめに、小さく首を振る。
「あの人はあの人で、頑張ってるよ」
「何を」
「さあ、それは僕も」
はは。
それはちょっと面白い。
「お前も、ひどいな」
「冗談だよ」
手を振って、ショウに笑いかける木之本君。
単に真面目なだけでなく、こういう事が言える人でもある。
どこかの局長とは違って。
仕事が残っているらしく、木之本君はすぐに帰っていった。
やる事のない私達は、たわいもない話をして時間を過ごす。
無意味で、無駄とも思える。
少しの罪悪感も。
でもそれが逆に、楽しかったりする。
周りの忙しさや変化。
無理にそれへ付いていく必要もない。
私は私、人は人。
実際にそこまで割り切ってる訳でもないし、大した自覚もない。
ただ私は、自分に出来る事をするだけだ。
やれない事を無理に頑張ったり、誰かに合わせる気はしない。
その事で非難されても、気にはならない。
出来ない事をやり続ければ、いつかは破綻すると分かっているから。
誰から何を言われようと、どう思われようと。
私は自分のペースで行動したい。
自分の考えで。
今までがそうだったように。
これからも。