表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第18話
196/596

18-6






     18-6




 リビングの床にパンフレットを広げ、地図と照らし合わせる。

 北海道は遠い。

 沖縄も。

 大体、名古屋が日本の真ん中にあるからいけないんだ。

「何してるの」

「どうして私は、名古屋に生まれたのかなと思って」

「難しいというか、馬鹿げた悩みね」

 取り込んだ洗濯物を、その上に放り出すお母さん。 

 仕方ないので、取りあえずタオルを畳む。

「夏休みの計画?あなた、行く所は決めてあるんでしょ」

「駅前にパンフレットがあったから、つい」

「海外でも行けばいいのに」

「なんか怖い」

 いつの時代の話だと言われそうだが、いまいち国外へ出る気が起きない。

 多少なら英語は話せるし、授業程度とはいえ若干の知識もある。

 それでもやはり、ためらってしまう。 

「別に、これといって行きたい国もないし」

「つまらない人生ね。手っ取り早く、北海道共和国でも行って来たら」

「その内ね。お母さんは、行った事あるの?」

「お父さんと一緒に、何度か。沖縄自治政府も」

 案外アクティブだな。

「それって、いつの話?」

「あなたが生まれる前。まだ大学生だった頃。いや、妊娠中も行ったかな」

 じゃあ、私も行ってるって事か。

 かなり広い意味で捉えればだが。

「どちらも元々日本だったのよね。今でも、大差はないけれど」

「じゃあ、何が違うの」

「気構えでしょ。自立というか、自分の考えで行動するっていう」

「よく分かんないな」

 一高校生であり、未だに親の臑をかじっている身としては実感が湧かない。

 私と国家規模の話を比べるのも、どうかとは思うが。


「優はまず、自分の下着でも畳んでなさい」

「……これ、お母さんのでしょ」

「嘘」

「嘘言ってどうするの」

 ディフォルメされたヤギの描かれた、可愛らしい下着。

 少なくとも私は、こんなのは持ってない。

 履きたくないとも言える。

「あのね。私はもう、40よ。どうしてこんな、ヤギって」

「お父さんの趣味じゃないの」

「随分マニアックね」

 悪戯っぽく笑うお母さん。

 私はそれを引き寄せ、まじまじと見つめた。

 いや。そうやって見る物でも無いけど。

「……ヒツジだ」

「え?」

「その、さ。洗い過ぎて、毛の部分がかすれたんだと思う」

「それって、あなたが小学生の頃使ってたのでしょ。一体、今幾つなの」

 16だとはっきり答え、下着を畳む。 

 本当、我ながら物持ちがいいな。

 というか、どうして未だにこれが使える体型なんだ……。



 脱力感に襲われつつ、よろよろと家を出る。 

 この夏の日射しのせいもある。

 肌を透して、そのまま体の奥まで溶かすような。

 どうしてこう、名古屋は暑いのかな。

 さすがにもたなくなってきたので、コンビニに入り冷たい物を物色する。

 ジュースもいいけど、アイスもいいな。

 ソフトクリームを発見。

 リンゴソフトか、悪くないな。

「済みません、それ一つ」

「ただ今、キャンペーン中につき2割増量しておりますが」

「いえ。普通で結構です」

 好意はありがたいが、どう考えても食べられない。 

 普通でも、少しきついくらいだ。


 コンビニを出て、少し舐める。 

 強い日射しと、口の中の冷たさ。

 程良い酸味と、さっぱりした甘み。

 夏が来たと思わせる一時。

「あー」

「恥ずかしいから、声を出さないで」

 制服姿で、目の前に現れるモトちゃん。

 ちなみに私は自宅近くなので、赤のキャミソールと短めのジーンズスカート。

 勿論、サンダルで。

「美味しそうね」

「あげる」

 ソフトを差し出すと、彼女はそれに口を付けて満足げに頷いた。

「何してるの」

「お役所巡りの帰り」

「地下鉄の駅は、向こうでしょ」

「文化祭で貸し出して貰う物があるから、博物館にも行ったの」

 それは、天満さんの仕事じゃないのか。

 有能過ぎるのも、考え物だな。

 大体、文化祭っていつの話だ。

「何を借りるの」

「天満さんは、甲冑を借りたいって」

「どうして」

「それが分かってたら、博物館の学芸員にもっと上手く説明出来てた」

 コンビニの壁にもたれ、ひさしで出来たわずかな影に入るモトちゃん。

 少し、疲れているのかも知れない。

「家に来る?」

「助かるわ。とにかく、暑くて」

「表面積が多いから、日が良く当たるのよ」

「どういう理屈?」

 明るい、落ち着いた笑顔。

 普段の彼女と変わらない。

 私の見慣れた、普段の彼女がそこにはいる。

 そうであって欲しいという希望も込めて……。



 もうもうと上がる煙。

 芳ばしい、野の香り。

「わっ」 

 小さく上がる炎。 

 肉が弾け、脂が再び青い炎を上げる。

「どうして、焼き肉なの」

「夏バテ防止によ。ショウ君から貰ったお肉が、まだあるから」

「私は、タマネギでいいや」

 お肉も好きだけど、もう限界に近い。

 大体この暑い中、どうして火の前にいるんだ。

「あ、済みません」

 お父さんにお酌をされ、ビールをあおるモトちゃん。

 食べるより、飲む量の方が多いかも知れない。

「ワインもあるよ」

「焼き肉にはビールですから」

「なる程。僕は、日本酒も好きだけどね」

 アルコールが入ってるなら、何でも飲む癖に。

 押入に、自家製のどぶろくを見つけた時はさすがに驚いたけど。

「それにしても大変ね。この暑い中」

「もう、慣れました」

「優も一度、付いていったら」

「社会見学じゃないんだし、嫌だ」 

 人によっては知己を得るとか、人脈を広げるとも考えるだろう。

 ただし私にとっては、単なる面倒ごとに過ぎない。

 別に偉いお役人と知り合わなくても、普通に生きていく事は出来るんだし。 

 大体、会って話す内容もない。

 文句なら、また別だが。

「聡美ちゃんは?」

「あの子は教育庁の官僚に会うため、東京へ。今、リニアで戻ってきてるんじゃないですか。木之本君は、泊まりらしいですけど」

 何をみんな、そう頑張ってるのかな。

 私は、自分の事だけで手一杯なのに。

「優、置いていかれてるわよ」

「結構。私はのんきに、道草してるから」

「牛みたいな事言って。でも智美ちゃんも、あまり無理しない方がいいわよ」

 彼女の表情から何かを読み取ったのか、気遣いを見せるお母さん。

 モトちゃんは薄く笑い、グラスを軽く掲げた。

 少し赤らんだ顔で。

 焦点の少しずれた、遠い目で。



「暑いのに」

「いいじゃない」

 二人してベッドに寝転がり、お腹の辺りにタオルケットを掛ける。

 さすがに、エアコンは効いているので。

「とにかく、今日は疲れた」

「大丈夫?」

「夏バテかしら。それとも、飲み過ぎかな」

 頼りない欠伸。

 すでに体の力は抜け、柔らかくなった体が私の体と重なり合う。

「精神的な疲れもあるんだけど」

 照明の落ちた、薄暗い室内。

 闇に慣れた目に映る、ぼやけた机。

「どうして、ここに来たのかなとか。何を考えてるのかな、とか」

「モトちゃん」

「私もまだまだね。こんな事で動揺するなんて」

 自嘲気味な呟き。

 少し揺れる、彼女の体。 

 私は腕を動かし、その体に手を回した。

「いいじゃない。動揺する方が」

「そう?」

「そうよ」

「分かった。……ありがとう」

 小さな、口の動きだけに近い声。

 それは私の胸に届き、静かに広がっていく。 

 暖かく、それとも涼しげに。


 微かに空いたカーテンの隙間。

 街の灯りの中、どうにか見えるいくつかの星。

 その見えない中にある星が舞地さん達だと、いつか思った事がある。

 確実に存在する、でも目には見えないだけで。

 私達と同じだと。

 彼もそうなのか。

 窓をよぎっていった流れ星に、私は少し遅れて願いを込めた……。




 夜は、まだいい。

 昼は、どうしようもない。 

 それなのに、学校はある。

 生徒はいないのに。

「もう、嫌だ」

 机に伏せて、半分程も埋まってない室内を見渡す。

 それなのに、どうして私はここに来てるんだ。 

 ガーディアンって、一体なんだ。

「起きて」

「起きてるわよ」

「姿勢を正しなさいって言ってるの」 

 言ってるどころか、人の襟首を掴むサトミ。

 人を、猫の子みたいに。

「にゃー」

「うるさいわね」

「自習じゃない、自習。泣き言の一つくらい、言いたくなるの」

 鳴き声とも言うが、とにかくやる気も起きない。

 今期の復習用にという名目で配布されたプリント。 

 画面に表示される、その補足データ。

「テストが終わったのに、何を復習するっていうのよ」

「勉強はやらされる物じゃなくて、自分のためにするの」

 じゃあ、ペンを持たせるな。

 誰よ、斎藤茂吉って。

 ただの、おじいちゃんじゃない。

「大体、どうして息子の苗字が北なの」

「それは、ペンネーム。本名は斉藤宗吉」

「どうでもいい」

「いいから、宿題の感想文はこれを読んで」

 目の前に置かれる、二冊の文庫。 

 それも、相当に分厚い。

 読めない事はないが、その間に相当違う事が出来る気もする。

「嫌だ」

「じゃあ、こっちにする?」

 厚い幅の文庫が、さらに4冊出てきた。

 これを読む間に夏休みが終わるとは言わないが、見ているだけで疲れてくる。

 大体、純文学って苦手なんだよね。

 だったら何が得意かと聞かれると、かなり困るけど。

「面白くないな」

「マンガ読め、マンガ」

 ゲームをやりつつ、そう促してくるケイ。 

 私以上に、やる気無しだな。

「あなたは、それを読むの?」

「まさか。マンガの読書感想文なんて、聞いた事もない」

 じゃあ、なんで勧めたんだ。

 こんな人に付き合っていても、ろくな事がない。


「ショウは、何読むの」

「古文書」

「は」

「御土居下同心の事を書いた本が、蔵にあったから。それを読もうと思って」

 誇らしさと、嬉しさの混じった遠い眼差し。

 自分のルーツを辿る、一つの旅。 

 嬉しくない訳がない。 

 読書感想文に古文書も、どうかと思うが。

 どちらかと言えば、自由研究じゃないの。

 面白いから、放っておくけど。

「沙紀ちゃんは?」

「軽いのを、適当に。とにかく、色々忙しくて」

 今も自習ではなく、書類の束を片付けている。

 わざわざここにいる理由は、出席日数が少し危なかったらしい。

 これだから、偉くなるのは嫌なんだ。

「何でも適当でいいんだって」

「じゃあ、これも適当に片付けて」

「冗談だろ」

「夏の夜の夢じゃないのは確かね。手書きじゃなくて、端末を使ってよ」 

 厳しく釘を刺し、書類の束を渡す沙紀ちゃん。 

 ケイは彼女のポニーテールを睨み付け、おぼつかない手付きで書類をめくり始めた。

 ただ使えないのは指先だけで、仕事をこなす能力は十分にある。

「遠野ちゃんもどう?」

「私は、授業に専念したいから」

「あなたがこれ以上頑張っても、上が無いじゃない」

「それは、学内での話でしょ。世界に目を向ければ、どこまでも果てしないわ」

 恐れと好奇心。

 知性と冒険心。

 戦いに挑むのか、未知の世界に踏み出すのか。

 遠い、私の知らない世界を見る眼差し。

「世界もいいけど、今は名古屋の高校の事で頑張って。遠野ちゃんは、手書きでお願い」

「あ、あなた。人の話を」

「聞いてる、聞いてる。はい、頑張って」

 有無を言わさず渡される書類。

 彼女もそのポニーテールを睨み、器用に書類をめくっていく。

 ケイとは違い、能力は勿論仕草も様になっている。


「大変だな」

「本当、本当」

 ショウと二人でのんきに呟き、端末をリンクさせてゲームをやる。

 お互いの動物を、相手の家に侵入させるという内容。

 画面もシンプルでたわいないが、だからこそ燃える。

「よっと」

「わっ」

「甘いな」

「何言ってるのよ。ほらっと」

 素早く指を滑らせ、落ちてきた植木鉢を避けて窓を開ける。

 後ろ足で立つカワウソの背中が、妙に面白い。

「楽しそうね」

「楽しいよ」

 適当に答え、ぬるっと窓の隙間から忍び込む。

「あっ、駄目」

「何が」

「尻尾が引っかかった」

「どこに尻尾が生えてるの」

 ポニーテールをなびかせ、私を見下ろす沙紀ちゃん。

 凛々しい顔に出来る、微かな陰影が妙な迫力を帯びて私に迫る。

「遊んでるなら、仕事して」

「どうしてよ」

「上司の命令。玲阿君も」

「あ、はい」

 こくこく頷き、レシートの束を受け取るショウ。

 私の目の前にも、同じ者が山と積まれる。

「後で総務課に回すけど、私もチェックしたいから種類別に分けて。飲食店や、文具、どこかの施設の使用代という具合に」

 面白くないな。

 大体この予算は、どこから出てるんだ。

 カツ丼にお新香?

 豚汁まで付けてる。

「ちょっと、これ食べ過ぎよ」

「内容はいいから、分けてといってるの」

「だって、ヒレ肉食べてるもん。ロースの方が美味しいのに」

「分かったから、静かにして」

 冷たく告げる沙紀ちゃん。

 嫌な子だな。

 いや、私が……。


「お疲れ様」 

 レシートではなく、パンとジュースが目の前に並ぶ。

 お礼らしい。

 伸びてきたサトミの手をかわし、ハムカツサンドをかっさらう。

 高級ハムじゃなくて、耳の赤い安っぽいハムを使ってるのがポイント。

 この安っぽさが、妙に美味しいんだ。

「こんな仕事、事務局なり総務課にやらせればいいのに」

「隊長ともなると、部下のチェックも必要になってくるのよ。それに自分が出来ない事を、人にやらせる訳にも行かないでしょ」

 チーズコロッケパンをかじりつつ説明する沙紀ちゃん。

 そういう物なのかな。 

 私なんて、自分が出来ないから人に押し付けるんだけど。

「偉い人は大変ね」

「遠野ちゃんも、忙しいんでしょ」

「私は、モトを少し手伝う程度だもの。それに、責任がある訳でもないし」

 イチゴオレを、ストローで飲むサトミ。

 沙紀ちゃんは苦笑気味に表情を緩め、息を付いた。

「責任があるから、やれる事もある。私は、そう思ってるわよ」

「大人ね」

「先輩の影響かな。いい意味でも、悪い意味でも」

 今度はおかしそうに笑い、チョココルネを少しかじる。

 私とは違う、高い視点からの意見。

 それに思う部分は無くもないが、私は今の自分で十分に満足している。

 能力的に出来ないという事も含めて。


「どう思う?」

「さあな。俺は、自分の事で手一杯だから」 

 返ってくる、私と同じような意見。

 ただ彼の場合は、ガーディアン以外に並はずれた努力をしての話。

 私のように普通に過ごしていて、何もしない訳ではない。

「ユウも、役職にでも就きたくなったのか」

「まさか。少し、自分は駄目だなと思っただけ」

「駄目、ね。それを言い出したら、俺はどうしようもないな」

「そんな事無いよ」

 何となく重くなる空気。

 お互いに相手の言いたい事は分かる。

 自分達の置かれている状況も。

 ただ、目の前にはなおも頑張る人達がいる。 

 それが分かっているだけに、自分を省みると考えさせられる事が幾つもある。

 だからといって、何をする訳でもない。

 その事が余計に、気持を複雑にさせる。

「お前は」

「別に。やりたい事はないし、やりたくもない」 

 簡潔な、彼らしい答え。

 彼にしか言えないと思える回答でもある。

「たかが書類を片付けるかどうかだろ。こんなの初めから端末へ入力する形にすれば、後は勝手にやってくれる」

「人の手でやる事も必要じゃないの」

「まさか。社長が床の掃除や、消えた照明の取り替えをする必要が無いのと同じさ。あくまでも内容を把握して、統括すればいいんだよ。偉い人は」

 横目で沙紀ちゃんを窺うケイ。

 彼女はサトミとガーディアン統合の話で盛り上がっていて、それに気付いてはいない。

「細かい仕事は人にやらせて、上に立つ人間はその情報を判断すればいいの。色んな意味で駄目な人間もいるから、さっきみたいにチェックするのは必要だとしても」

「そういう事が分かっても、上には行きたくないの?」

「俺が上に立って、誰が付いてくる?能力は多少あるにしても、人間性というかそういうのが大事なんだよ。丹下やモトや、塩田さん達みたいに」

 あくまでも冷静な。 

 自分すら客観視する発言。

 ただ私はそこまで割り切れないし、割り切る気もない。

 どちらが良い悪いは別として。

 下らないけれど、悩み続けるから自分が保てると思っているから。 

 辛くても苦しくても。

 自分の道を探し、先に進む。

 仮に道自体がないとしても。

 その時は自分で切り開けばいいだけだ。

 例え間違えた方向へ行ったとしても、道は一つではないし戻る事だって出来る。

 私に、その意志がある限りは。




 伝票を少し片付けたくらいで、そこまで深刻になる必要はない。

 ただ、性格なので仕方ない。

 切り替えが早いのも。

「どうしたんですか」

 自販機の前。

 長い定規を持って立ち尽くす私。

 そんな私を見下ろす御剣君。

「小銭が奥に入っちゃって」

「ああ。定規で」

「そうよ。腕が短いから、結局届かないのよ」

 余計な事を言われる前に、自分で答える。

 彼の喉元に、定規を突き付けて。

「あ、危ないな。それなら、スティックを使えばいいじゃないですか」

「汚れそうだから、嫌」

「だったら、諦めれば」

「それも嫌」

 自販機の左から組み付き、腰を落として一気に押す。 

 後は下から手を当てて、体重をかけつつ横へ押し流す。

「動きました?」

「無理ね」

 無駄な汗をかいた。 

 分かってもいた。

 でも、一度くらいは挑戦してみたかった。

 これに勝てたら、あの三島さんにも勝てる気がするな。

 どうしたら勝ちなのかは、全く分からないけど。

「じゃあ、俺が」

「あなたでも無理でしょ」

 私の言葉に構わず、右側から組み付く御剣君。

 身長的にはほぼ同じ。

 しかし横幅では負けるし、重量差も倍では聞かないだろう。

 さすがに彼でも無理だろうと思った瞬間。


 床から聞こえる、甲高い音。

 わずかに見える、四角くなったホコリ。

 ホコリの幅は徐々に大きくなり、その間にも音は絶え間なく続く。

 やがて現れる、白い壁。

 綺麗な長方形のホコリの中に見える、いくつかの硬貨。

 御剣君は長い息を付き、額に浮かんだ汗をTシャツの袖で拭いた。 

 満足げな表情と共に。

「何、それ」

 呆れて物も言えないとは、まさにこの事だろう。

 普通の人間なら、これを動かすという発想すらない。 

 私がやったのはあくまでも冗談で、本当に動くとは思っても見なかった。

 だが現に自販機は普段より一個分左にずれ、元の位置にはそれと同じ幅でほこりが積もっている。

「すごいね」

「いえ、それ程でも」

 謙遜してるのだろうか。

 もう、訳が分からないから笑っておこう。

 あっ、ビデオ取れば良かったな。

 いいか、後でもう一度やって貰えば。

「さてと。御剣君も飲めば」

「そうですね。なんか、たくさん落ちてるし」

 二人で硬貨を拾い上げ、自販機の投入口にそれを入れる。

 ……戻ってくる。

 もう一度やっても、結果は同じ。

 よく見ると、表のディスプレイに文字が表示されている。

「盗難防止及び、転倒防止装置の異常により現在稼働を停止しています。……何よ、これ」

「いや、見たままなんじゃ」

「ちょっと、冗談じゃないって」

 両手を付いて、自販機をぐいぐい押す。

 当たり前だけどびくともしないし、逆効果だと思う。

「……何か」

「あなたが、余計な事するから」

「余計って、雪野さんも喜んでたじゃないですか」

「それはそれ。これはこれよ。元に戻して」

「分かりましたよ」

 不満顔で自販機に取り付く御剣君。

 何をするのかと思ったら、またもやぐいぐい押し出して自販機を元の位置へと戻した。

 床に、幾筋もの後を付けて。

「これでいいですよね」

 さっき以上の、満足げな顔。

 いいのかな。

 根本的に何かが違ってる気もするけど。

「うん。そうだね」。

 御剣君は鼻歌交じりに、飲むジュースを選んでいる。

 おかしいな。 

 全然、納得出来ないんだけど。


「何してるんですか」 

 不意に掛かる、冷静な声。

 二人して振り向くと、小谷君が笑い気味にこちらを窺っていた。

「何って、ジュース買おうと思って」

「床の筋は?」

「猫が引っ掻いたんだろ」

 適当に答える御剣君。

 小谷君は鼻で笑い、彼の手へ視線を注いだ。

「何だよ」

「随分ホコリッぽいと思って。自販機の裏にでも手を入れたのか」

「違う。下にあったお金を……」

 脇腹にボディーアッパーを打ち込み、言葉を止めさせる。

 別にいじめてる訳じゃない。

 床の修理代を請求されたら、彼が困ると思ったからだ。

 この人の場合は、指で突いたくらいじゃ効かないしね。

「雪野さん、どうかしました」

「蚊がいたから、ちょっと」

「そうですか。床の補修費も馬鹿になりませんから、これをやった人は大変ですね」

「本当ね」

 愛想良く応じて、今度は見えないようにして背中を突く。

「何だよ、俺がやったって言いたいのか」

 人の好意が伝わってないのか、剣呑な物腰で彼に詰め寄る御剣君。

 しかし小谷君は軽く数歩下がり、その距離を一定に保つ。 

 あくまでも冷静で、挑発に乗る様子もない。

 この二人の戦いを見てみたくもないが、ここでやっても仕方ないだろう。

 私も、床の補修代なんて払いたくないし。

「いいから、少し落ち着きなさい」

「ですけど」

「何よ」

 彼の正面に立ち、見上げる位置にある顔を睨む。

 怒りの表情はすぐに消え、たじろぎ気味に首を振る御剣君。

 たまたま横を通りかかった女の子達は、逃げるようにして私達から離れていく。

「い、いえ。別に」

「分かったなら、いいの。はい、これでジュースでも飲んできて」

 自分の拾った分を全部彼へ渡し、距離を詰める。

「でも、さっきはありがとう」

「い、いえ」

 小声で交わされる会話。 

 ようやく緩む彼の表情。

 年相応の、子供っぽい笑顔。

「じゃ、またね」

「あ、はい」

 私に会釈して、小谷君には一睨みして去っていく御剣君。

 こういうのも何だけど、ああいう姿は少し可愛い。

 見た目や行動ではなく、彼なりの優しさや子供っぽさが。


「しかし、こんなのどうやって動かしたんです」

「押したのよ」

「まさか」

 笑いながら、自販機にしがみつく小谷君。 

 当たり前だがわずかにも揺れる事はなく、彼の息が上がるだけだ。

「夢でも見たとか」

「じゃあ、その跡は何なの」

 床に出来た、幾つもの筋。

 丁度自販機が横に動いたら付くと推測出来る軌道。

「これからは、口の利き方に気を付けよう」

「本当に?」

「俺は、自販機程強くないですから」

 ちょっと面白い答え。 

 確かに、これより強い人はそういないだろう。

 自販機が攻撃してくる事はないが、攻められて根を上げるとも思えない。

 根を上げられても困るけど。

「仕事中?」

「ええ。矢田さんの使いで、あちこちと」

「大変ね」

 方々へ飛び回る事だけではなく、彼の下に付いている息も込めた言葉。 

 小谷君は曖昧に笑い、ようやく再稼働した自販機にカードを入れた。

「何か飲みます?」

「おごり?」

「自警局の交際費です」

「誰かにチェックされても知らないわよ」

 さっき自分がやっていた事を思い出しつつ、クリーミーミルクのボタンを押す。 

 後輩に迷惑ばかり掛けてるとも思いつつ……。



「選挙は、誰に投票するの」

「秘密です」

 珍しく、声を出して笑う小谷君。

 ストレートに聞かれたのが、余程面白かったのだろう。

 現職以外を推す先輩に付いている立場としては、余計に。

「雪野さんは?」

「今の会長。何度か世話になってるし、それ程おかしな事もしてないから」

「普通に考えれば、そうなんでしょうけどね」

 自嘲気味な表情。

 ただ、それを楽しんでいる雰囲気はなくもない。

「どうしてあの人は、あっちの候補に肩入れするの?」

「学校から、来期の局長を約束されてるんでしょう」

「そんなに、優秀なの?」

「厳しい意見ですね」

 困惑とも取れる態度。

 ただ彼は、怒る事もなく話を続けてくれた。

「後輩という立場でなくても、いい方だとは思いますよ。ただし他に優秀な人が多い分、周りの目は厳しいですけどね」

「モトちゃんや沙紀ちゃん?」

「ええ。後は自警課課長の北川さんに、遠野さんや木之本さん。能力だけでなく彼等との人間的な魅力を比較すると、かなり不利ですから」

 やはり冷静な分析。

 そこまで分かっていても、彼は矢田局長の下を離れない。

 単なる先輩への義理立て、または彼なりの思惑。

 どちらにしろ、楽しい事では無いだろう。



「もう一つ聞きたいんだけど」

 実際は、あまり聞きたくない質問。

 ただ、放っておく訳にも行かない問題。

「最近転校生って、多くない?」

「さあ。俺は、内局じゃないので」

「質問の仕方が悪かったね。おかしな連中は、転校してきてない?」

 ようやく頷く小谷君。

 苦笑というか、曖昧な感じで。

「何人かは、自警局で調査してます。多分、連合にも連絡は行ってるはずです」

「そう」

 するとモトちゃんは、初めから彼の存在を知っていたのだろうか。

 あの子が、調査対象ならという話だけど。

 私は恐る恐る、その名前を告げた。

「いえ。知りません」

「リストには無いって事?」

「トップランクのリストには」

 あまり安心出来ない答え。

 ただ、要注意者としてはマークされてない訳か。

「調べてみましょうか」

「お願い」



 彼と共に、情報局へと入っていく。

 私が、自警局を嫌がったので。

 受付に並ぶ、幾つもの端末。

 小谷君は奥まった場所へ収まり、パスを入力した。

「それで見れるの?」

「ある程度のレベルまでなら」

「偉いんだね、小谷君」

「肩書きだけですよ。……これかな」

 表示される自警局の調査対象者リスト。

 それは危険度や行動別に、細かく分類されている。

 彼はその中の一つを選び、別画面で開いた。

「何をしてるんだ」

「いいじゃない、何でも」

「君は、いつも攻撃的だな」

 冷静に指摘してくる生徒会長。

 この暑い最中、ネクタイまで締めている。

 いや。今は選挙中だから生徒会長じゃないのかな。

 どうでもいいけど。

「要チェック者のリストか。何か問題でもあるのかな」

「今は、別に。ただ、知り合い絡みでちょっと」

「舞地さん達は、大人しいと思うが」

「自分がそう思ってるだけでしょ。……小谷君、それ」

 画面に触れ、自分で先に表示される。

 彼のプロフィールと、数枚の写真。

 これといって気になる点は無く、自警局がチェックしているのも学校外生徒だからだろう。

「どうです」

「少し安心した。これ以外の情報は?」

「今の所は、無いみたいです」

「そう。ありがとう、もういいよ」

 彼にお礼を言って、取りあえずデータをコピーしてもらう。

 細かな推測は、サトミやケイがするだろう。

「そういえば、選挙は」

「取って付けたみたいに聞いてくるんだな」

 あくまでも冷静に応対する会長。

 私も大して興味はないので、適当に手を振って彼から離れる。

「いいんですか?」

 困惑気味に後を付いてくる小谷君。

 良いも悪いも無い。

「別に、あの人へ会いに来た訳じゃないから」

「理屈はそうですけど。やっぱり違いますね」

「悪かったわね」

「誉めてるんですよ、一応」

 一応って言うな。

 待てよ。

「……あなたは、どうしてここに来たの」

「情報局長を兼務してるから。選挙結果を改ざんしようとか、相手を妨害させるためじゃない」

 即座に返ってくる答え。 

 私の考えくらい、軽く読み通せるらしい。

「あ、そう。どうでもいいけど、私のデータは見ないでよ」

「ああ、分かった」 

 素直に頷く会長。

 同時に感じる、周囲からの視線。

 学内でトップに立つ存在に対しての、私の態度が関心を呼んだらしい。

 いいじゃないよ。

 どっちも生徒は生徒。

 立場は、対等なんだから。 

 多分。

「じゃあ、選挙頑張って」

「一票入れます、くらい言わないのか」

「甘い物でもくれたら考えるわ。じゃあね」



 目の前に置かれた、竹筒に入った水ようかん。

 勿論会長が届けてきた訳ではなく、天満さんから流れてきたらしい。

 それは嬉しいけど、賞味期限は大丈夫だろうな。

「……どうした」

「美味しいかなと思って」

「それ程甘くなくて、結構食べやすい」

 口元を舐め、二つ目に手を伸ばすショウ。

 すぐには来ないから、もう少し待った方がいいかな。

「毒味でもさせてるの?」

「だって、これいつのよ」

「さあ。私も、もらっただけだから」 

 私同様、手を付けようとはしないサトミ。

 悪い子だな。

「あなたは、食べないの」

「どうして」

「水ようかんは嫌い?」

 サトミは小さめのスプーンを添え、短い竹筒と共にケイへ差し出した。

 それはすぐに裏返され、スプーンが手に取られる。

「美味しい?」

「まずくはない」

 素っ気ない感想。

 ただショウの具合を見ていても、食べて問題は無さそうだ。

「本当に大丈夫?」

「さあね」

 取りあえず一つを引き寄せ、裏を返す。

 賞味期限は。

「今、何月」

「7月よ」

「そうだよね」

 竹筒を戻し、スプーンを置く。

 サトミも裏を返して、すぐにショウへ視線を走らせた。

「どうした」

「あなたこそ、大丈夫」

「大丈夫って、また食べられるぞ」

 噛み合わない会話。 

 取りあえず、胃腸薬でも探そう。

 そっちも古くなっていたら、ちょっと嫌だな。

「あなたは、どうして食べてるの」

 当然の疑問を口にするサトミ。 

 わざわざ期限切れを確認してまで食べたケイは、お茶の入ったマグカップに口を付けた。

「このくらいなら、問題ない。あくまでも味が落ちるだけで、悪くなってる訳じゃないんだから」

「知らないわよ。お腹をこわしても」

「だから、平気なんだって。二人も食べろよ……。おい」

「なんだ」

 スプーンをくわえながら応じるショウ。

 空になった竹筒の山を前にして。

 違う意味で、お腹を壊すんじゃないのか。

「何で、全部食べてるんだ」

「いや。みんな食べないから」

「取っておけばいいだろ」

「期限切れなんだぜ。今食べないと、そっちの方がまずいだろ」

 なんだ、分かってたのか。

 というか、分かってそれだけ食べたのか。

 なんか、力が抜けてきた。

「サトミ」

「どうしたの」

「お医者さん呼んであげて」

「ああ。そういう事」

 この辺りは、以心伝心。 

 すぐに端末で連絡を取るサトミ。 

 読みの鋭いケイが腰を浮かすが、軽く睨んで座らせる。

 のんきに竹筒をひっくり返して、わずかな残りを食べようとしている人は放っておいて……。



「おまたせ」 

 満面の笑みで飛び込んでくるモトちゃん。

 ケイはげんなりした顔で、机に伏せた。 

 ようやく事態を悟ったショウも。

「お腹の調子が悪い時には、これとこれとこれ」

 見た事もない色の粉末と、木の枝。

 最後のは、あまり見たくない。

「さあ、どうぞ」

 あくまでも嬉しそうな笑顔。 

 彼女の厚意というよりは、自分が飲まなくていい事からの喜びだろう。

「別に、調子は悪くない」

「悪くなった後では遅いでしょ」

 すぐに切り返すモトちゃん。

 ショウは先に観念したのか、木の枝を少しかじった。

 まずくはないらしい。  

 美味しくもないだろうが。

「ケイ君も、ほら」

「何で、粉なんだ」

「ライスペーパーならあるわよ」

 楽しげに笑うサトミ。

 いつもよりも明るく、溌剌として。

 元気なモトちゃんを、視界に収めながら。

 粉を口にして顔をしかめるケイに、笑い声が上がる。



 何でもない、平凡な日常。

 どこにでもある、いつでも出来る出来事。 

 今はそう思える。

 でも年を重ね、月日が過ぎ去った時。

 この瞬間を懐かしむ時が来るのだろう。 

 友と過ごし、笑い合った日々を。

 二度とは戻らない、何にも代え難い瞬間を。

 それをいつか笑顔で語り合うためにも。

 この笑顔を絶やさないためにも。




 私に出来る事をする。

 私しか出来ない事でなくてもいいから。

 彼女達の。 

 彼女のために。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ