18-3
18-3
早朝。
寮に併設された、トレーニングルーム。
時間に余裕がある時は、学校へ行く前をここで過ごす。
私と同じ考えを持つ人も少なくはなく、そんな彼女達と挨拶を交わす。
数値を計測出来るサンドバッグ。
それを軽く拳で付き、戻ってきた所に膝を合わせる。
表示される、平凡な数値。
訓練していない人でも、軽く越せる程度の。
気には留めず、肘を入れる。
次いで肩でのタックルからの頭突き。
数値はやはり、平凡な物。
一通り動き終え、シャワールームで汗を流す。
体を伝っていくお湯の流れ。
排水溝へ消えていくそれを眺めつつ、息を付く。
張りつめていた意識を切り替え、穏やかな気持へと。
今はまだ、朝。
戦いへ赴くには、早い時間だから。
「起きてよ」
揺すられる感覚。
口元を手の甲で拭いつつ、顔を上げる。
「起こさないでよ」
「無茶苦茶ね、あなた」
呆れるサトミ。
今は休憩時間。
だから、寝ていても問題ない。
「あれ」
教室の正面にある、ホワイトボード。
書き込まれている、何行かの英文。
ブロンドの綺麗な女性が、ネイティブな英語と日本語を器用に操っている。
「おかしいな」
「知らないわよ、当てられても」
「大丈夫。向こうからは、見えないから」
小さい自分の体を指差し、笑ってみせる。
かなり虚しく。
「Yu」
youだってさ。
誰だ。
私だ。
どうして分かるか。
彼女が私の真横に立ってるから。
向こうからは見えていたらしい。
それはそれで、嬉しくないが。
「Yes」
立ち上がり、ちょうど顔の辺りに来る大きな胸元へ視線を向ける。
「You was sleeping?」
「Little.」
小さい。
ではなく、少しという意味で答える。
「It has occurred during session.」
「Understand.」
欠伸をどうにか堪え、そう答える。
「Then, please read following me.」
「Yes.」
一斉に唱和するクラスメート。
私は席に付き、顔を伏せた。
辺りから聞こえる英語。
普段は、見る機会の少ない英文。
早朝からのトレーニング。
寝るなという方が無理だ。
「ユウ」
「イエス、イエス」
慌てて立ち上がろうとしたら、手を握られた。
「ユウ」
「……サトミ」
「あなた、寝惚けてるの」
「まさか。さてと、真剣にやろうかな」
そう宣言した途端チャイムが鳴った。
全然駄目だな。
勿論、私が……。
「恥ずかしいわね」
「いいの。大体英語なんて、話す機会ないじゃない」
「RASは、海外にも支部があるんでしょ」
「仮にインストラクターになるとしても、私は名古屋から離れないもん」
教科書やノートをリュックへしまい、軽やかに立ち上がる。
「玲阿家の人達は、海外に行ってるわよ」
「私は、雪野家の人間だから」
「いつまで」
鋭い質問。
リュックを背負い、ドアへと向かう。
よく寝たお陰で、体も軽い。
サトミを置いて逃げる事くらい、軽い軽い……。
別に逃げだだけではなく、ご飯が食べたかったから。
フリーメニューの乗ったトレイをテーブルへ置き、手を合わせる。
寝たし動いたし、ご飯も美味しい。
悩みや憂いはともかくとして、こういう事は大切にしたい。
それに、張りつめていてばかりいても仕方ない。
緊張と緩和。
そのどちらに傾き過ぎても、物事は成り立たない。
私は緩和に傾いている気が、しないでもないが。
「人を置いていって、一人でご飯?」
「100人限定なのよ」
若狭の塩鯖定食。
たまに行われる、フリーメニューの限定セット。
私は常に情報をチェックしているので、食べ逃す事は滅多にない。
それ以外の情報は、気にも留めないが。
「あなた、鯖って好きだった?」
「好きとか嫌いじゃないの」
「じゃあ、なんなの」
「なんだろうね」
福井梅をかじりつつ、適当に答える。
サトミは尋ねる気力も無くしたらしく、夏を思わせるころうどんをすすり始めた。
こっちはこっちで、美味しそうだな。
「そんなメニューあった?」
「雪野優限定らしいですよ」
「ふーん」
苦笑して、サトミの隣りに座る池上さん。
黒のタンクトップに、茶のキュロット。
髪は後ろで結ばれていて、少しボーイッシュな雰囲気。
「名雲さんは、どうしてます?」
「元気よ。智美ちゃんの事はともかく、はっきり言えばあの程度は日常茶飯事だから」
「渡り鳥として?」
「ええ。だからこれから何が起きるかも、予想済み。生徒会長選挙と絡めてくるだろうけど、私は気にしてない」
突き放したとも、彼女らしいとも言える答え。
友達への気遣いは、無論持っている。
でも、馴れ合いはしない。
その内心は、ともかくとして。
「何の話」
明るい顔でトレイを持ってくる柳君。
彼もさほど、気にしている様子はない。
先日塩田さんへ文句を言いかけた時のような、苛立たしさもない。
それを引きずっているのは、私だけかと錯覚するくらいに。
「雪ちゃんが、まだ名雲さんの事を気にしてるの。それとも、智美ちゃんの事かな」
「気にするなって方が無理だと、僕は思うけど。真理依さんは?」
「また怒られるから、止めておく」
無愛想に返してくる舞地さん。
私は両手で机を引っ掻き、彼女を睨み付けた。
「恥ずかしいわね、もう」
「へん」
鼻を鳴らし、食べられない分のサバをサトミのトレイへ移す。
1尾なんて、無理だって言ったのに。
「私も食べられないから」
「じゃあみんなで食べて」
もうサバの事は忘れて、デザートの水まんじゅうを食べる。
葛の中に餡が透き通って見え、目でも楽しめる。
「……思い出した」
「何を」
「小泉さんが、福井出身だった」
「ああ。清水の彼氏」
器用に小骨を取りつつ、真顔で呟く舞地さん。
そうストレートに言われると、こっちの方が恥ずかしい。
「あの人は若狭じゃなくて、もっと上の方らしいけど。清水さんは、どこ出身なの」
「横浜、は林か」
「確か、北海道よ。でもあの子、自分の話はあまりしないから。真理依と同じで」
笑う池上さん。
そこで、ケイの言葉も思い出す。
彼等の過去。
それを自分達も知らないと。
「どうかした?」
「ううん。もう、お腹一杯」
「小食だね、雪野さん。大きくなれないよ」
「今さら大きくなっても、気持ち悪いって」
下らない事を言って、自分でも笑う。
少しごまかし気味に。
自分の気持ちをもごまかすように……。
オフィスにこもり、書類を前にする。
パトロールに行く心境ではなく、何かする気にもならない。
我ながらひどい態度とは思うが、今は他の事をあまり考えたくない。
「そういう事もするんだ」
「え」
「遠野さん達は。あ、これお土産」
テーブルに置かれる、洋菓子屋さんの箱。
ケーキか、シュークリームか。
とにかく、ありがたく頂く。
天満さんは朗らかに笑い、オフィス内を見渡した。
「狭いのね」
「ええ、まあ」
「凪ちゃん。少しは予算を回してあげたら」
「ガーディアン連合は、自警局の下部組織。そっちの許可が下りないと、連合には行かないの。そのさらに末端である各オフィスになんて、規則的にも無理なのよ」
細かく説明する中川さん。
天満さんも本気ではなかったらしく、「せめてもの気持」と言って紙袋もテーブルの上に置いた。
中はよく分からないが、お菓子や何かの試供品らしい。
「サトミに、何か用ですか」
「今度イベントかあるから、その話をしようと思って。浦田君でもいいんだけど」
「二人とも、モトちゃんの所へ行ってます。例の、ガーディアン統合案の事で」
「その代わりに、リーダー自ら事務仕事?大変ね」
中川さんの言葉に、曖昧に笑う。
元々これらは、私の仕事。
大変なのは、普段の彼等だから。
「中川さんは、何か」
「私はそのガーディアン統合絡みで、予算配分を遠野さんに聞こうと思って。卒業する塩田君に話しても仕方ないし、元野さん達は忙しいみたいだから」
「その内戻ってきますよ。お茶飲みます?」
「頂くわ」
湯気を立てるマグカップ。
ティッシュの上に広げられるお菓子。
「ここにいて、仕事はいいんですか」
「私達も来年には卒業。そろそろ、後輩達に受け継がせないと」
「塩田君は、今でも後輩にやらせてるけど」
クッキーをかじりながら笑う天満さん。
「来年の議長は、元野さんで決まり?」
「多分。でもケイが言うには、統合が早まればまた展開は違ってくるって」
「その時は、沙紀と元野さんの争いかもね。ただ沙紀は現場志望だから、棲み分けは出来ると思う」
「すると問題は、例の彼って訳。今の、自警局長」
さっきの笑顔は消え、天満さんは鋭い表情でクッキーを睨み付ける。
中川さんも、同様に。
彼女達にとって自警局長とは、特別なポジションなのだろう。
正確には、そのポジションいた人が。
「今度の生徒会長選挙で、どうにか出来ないんですか?会長は、学校が指定してくるから駄目だって言ってますけど」
「その通りよ。ただし今の話の通りその下は完全に抑えているから、ガーディアン自体については、問題ないわ。組織を大幅に変えられない限り」
「こうして私達が気を揉むのも、後半年だけどね」
寂しげに漏らす天満さん。
彼女達は3年生。
今は夏。
その思いにかかわらず、時は過ぎる。
彼女達の先輩がそうであったように。
何事にも終わりは訪れる。
無論、私にも。
キッチンで、マグカップを洗う。
少し重い気分の中。
楽観視出来ない先行き。
今の現状。
自分の気持ち。
どうすればいいのか。
何をすればいいのか。
分かっているようで、実際は何も分かっていない。
モトちゃんが襲われ、それに対応するとして。
その事が、学校との決定的な対立につながる可能性もある。
流されていた状況を、確実に決める一手として。
私の、定まっていない気持に関係なく。
「隙だらけだな」
不意に後ろから聞こえる声。
その位置に足を振り上げる真似はせず、水を止めてタオルで手を拭く。
「色々と、悩みがね」
「これ、買ってきた」
「ありがとう」
所帯じみたやりとりをして、特売の洗剤を棚にしまう。
ショウは冷蔵庫から麦茶を取り出し、大きなグラスで飲み始めた。
「もう、夏だな」
「その内秋が来て、冬になるのよ」
「なんだ、それ」
「マイナスの発想」
洗ったばかりのマグカップに麦茶を注いでもらい、口に運ぶ。
程良い冷たさと、香ばしさ。
一服の清涼感を味わい、息を付く。
「どうなるのかな、これから」
「深く考えても仕方ない。目先の事を片付けるだけで、俺は精一杯だから」
グラスを洗うショウ。
私も苦笑して、自分のマグカップを彼に渡す。
「でも、またこれで飲むのよね。繰り返しっていうのか」
「だからって、飲まない訳にもいかないだろ。洗わずに放っておく訳にも。誰かが飲めば、誰かが洗うって訳さ」
「そう、だね」
何となく理解出来る言葉。
今の状況を現すような。
「私は、あれこれ考えるのに向いてないのかな」
「俺よりは向いてると思う」
「じゃああなた、最悪よ」
「悪かったな」
憮然とするショウ。
私は彼にタオルを放り、冷蔵庫から麦茶を取り出した。
「おい」
「深く考えないんでしょ」
「誰かが洗う、とも言ったぞ」
「気にしない気にしない。まずは、目先の事から片付けないと」
少しの喉の渇き。
沈んでいた気分を変えるためにも。
その涼しさを味わいたい。
同じ気持ちを。
洗ったばかりのグラスとマグカップを用意する彼と共に……。
取りあえず、準備をする。
レガース、アームガード、プロテクター。
どれも新品に近いだけあり、特に問題はない。
オープンフィンガーのグローブは、ショウに頼んで手に入れた物。
山下さんの特注品程ではないが、支給品よりは強度や防護性の面で優れている。
スティックを机へ置き、一段階だけ伸ばす。
先日、軍で調整したばかり。
無論、それ以降の手入れは怠っていない。
スタンガンも、作動に問題ない。
それ以外の機能も。
後は、私自身か。
心境はともかく、体は良く動く。
動かなくても、動かしてみせるが。
「物騒だな」
「あなたは、チェックしないの」
「異常ないし、そういう場面になったら逃げる」
事も無げに言ってのけるケイ。
何か違和感があるなと思ったら、隣りに同じ顔があった。
「何よ、あなた」
「冷たいね、親友なのに」
「だって、ここは高校よ」
大学院生であるヒカルを睨み、彼が抱えている紙袋へ視線を降ろす。
「お菓子?」
「どうして」
「疲れてる私達に、慰労の意味を込めて」
「当たらずとも、遠からず」
スティックの隣りに置かれる紙袋。
別に、匂いはない。
「鼻を利かすな」
「うるさいな」
「怖い女だ。大体、これは何だよ」
紙袋の中から出てくる、さらに小さな袋。
「……種?」
「農学部がキャンペーンしてるんだ。名古屋に緑をって」
「野菜じゃない、これ」
「いざというときに備えて、自給率を高めるんだよ」
よく分からない話をしてくる、大学院生。
その辺の道端に、大根の花でも咲かせるつもりか。
「ユウ、心配しなくていい」
「別に、心配はしてないけど」
「あれ。ショウの庭へ埋めてやれ」
悪い顔で笑う弟。
兄も、それを真似ている。
私も一緒に。
「トウモロコシとか無いの」
「目立つよ、あれは」
「でも、美味しいじゃない」
「やっぱり、下に生えていく奴がいいって。でも、肥料と水やりがあるか」
卓上端末に書き込まれていく、農業計画。
その隣には、ショウの実家の見取り図も表示される。
「何やってるんだ」
「ジャガイモはどこにしようかなと思って」
「日の当たらない所じゃないのか」
「それじゃ、育たないよ」
噛み合わない会話。
小首を傾げるショウ。
明るく笑うヒカル。
「……ああ。それを育てるのか」
ようやく事態を飲み込んだ彼は、卓上端末を見て顔色を変えた。
「あそこは、畑じゃないぞ」
「無駄に土地を遊ばすのは、もったいないだろ。しかも、あんな都心に」
「あのな。大体、適当に植えて育つ物でもないし」
話に乗りつつあるショウ。
ヒカルは白紙の計画表と簡単な栽培方法の書かれた本を取り出し、彼に差し出した。
「頑張って」
「え。あ、ああ。でも、肥料や水がいるんじゃないのか」
「肥料は随時渡すよ。水は、そっちでお願い」
「鍬ってあったかな」
完全に、その気になっている。
ヒカルに丸め込まれたとも言える。
でも農作業で体を鍛えられるし、悪い事ではないだろう。
私がやる事ではないので、気楽に考える。
「収穫の時は呼んでね」
「少しは手伝ってくれ」
「水やりくらいはいいよ。植えるのとか」
イチゴとか、果物もいいな。
その内、桃とか栗も育ててみたい。
10年かけて、ゆっくりゆっくりと。
その時私が、玲阿家に出入りしてるかどうかはともかくとして。
「モトが襲われたって聞いたけど」
「あの子の知り合いが襲われて、その巻き添え。モトちゃん自体が狙われた訳じゃないよ」
「その時は、だろ。この後は?」
鋭い、彼が希に見せる顔。
弟とはまた違う、一点のみへ向けられる強烈な意識。
「心配ない。俺に、注意を引きつけておいた」
「余計仲間と思われたんじゃない?」
「モトちゃんの周りには、大抵人がいるから大丈夫。勿論寮もね」
「聡美の事みたいになったら、大変だよ」
横へ流れる視線。
それを受け止め、鼻を鳴らすケイ。
あの後で、彼がヒカルに多少説明したらしい。
「仲間を心配するのはいいけど、勉強は」
「勉強よりも、仲間だろ」
「そういう台詞は、高校へ戻ってきてから言え。お前は大学院で勉強して、聡美やモト達に心配をかけるな」
「厳しいね」
見つめ合う兄弟。
一瞬熱を帯びる二人の雰囲気。
だが先に視線を逸らしたのは、ヒカルの方。
彼等にしては、珍しく。
「せっっかく、みんなに会いに来たのに」
「この間の土日に、さんざん会っただろ」
「学校で会うのは、また違うんだよ」
薄く、物悲しげな表情。
普段明るい、笑顔を絶やさない彼にはあまり似合わない。
「戻ってこないのか?」
それを気にしたのか、優しく声をかけるショウ。
ヒカルは頼りなげに首を振り、自分の肩口へ触れた。
何も貼ってない、かつてなら大切な物があった場所を。
「泣きたくなってきた」
「嫌な事言わないでよ。ケイ」
「知らん。泣きたいだけ泣け」
冷たい、ただ冗談っぽい口調。
ヒカルも楽しげに笑い、見つめ合う。
私達には分からない部分で。
二人だけに分かる思いを伝え合うために。
「元野は……。何だ、お前」
「大学院生です」
「馬鹿野郎。お前は、大学院で勉強してろ」
「やっぱり、泣こうかな」
笑ったのは、私達だけ。
オフィスに飛び込んできた塩田さんは、怪訝そうな顔をする。
「それより、元野は。あいつ、仕事しないでどこか逃げやがった」
「いつもと逆だな」
「玲阿、何か言ったか」
「いいえ。親に会うとか言ってましたよ。夏休みが近いから、家族旅行の計画をするとか」
旅行か。
そういう事を考える時期なんだ。
私も計画を立てよう。
一人旅行をする度胸は無いので、計画だけ。
「モトちゃんに、用ですか」
「例のガーディアン組織統合。あれで、自警局から色々書類が来てる」
「自分でやればいいじゃないですか」
「俺はその、この件には関わってないから」
逃げ腰になる、ガーディアン連合議長。
つまりは最高責任者。
「あんた、仕事しろよ」
「この野郎。俺に注文を付ける程偉くなったのか」
「偉くはないけど、仕事はしてる」
「俺だってしてるさ……」
小さくなる声。
逸らされる視線。
ケイは鼻で笑い、端末を取り出した。
「……木之本君?ああ、今聞いた。モトはしばらくいないから、データだけこっちへ送って。……分かった。サトミにも伝える。……ああ、本当に使えないよな」
「おい」
「本部にある古い端末が使えないなって話しただけです」
「くっ。来期は、お前も役職に就けてやるからな」
本当なら、出世。
喜ぶべき事。
とはいえケイがそれを望む訳はなく、嫌な顔で彼を睨んだ。
「まあまあ二人とも。みんなで緑を育てて、心を豊かにしていきましょう」
「ニンジンの種って書いてあるぞ」
「たくさん育てて学内で売って、連合の財政も豊かにして下さい。数年後には、生徒会ガーディアンズ以上の財政状況も夢じゃないですよ」
「ガーディアン組織を統合するって、今話してた所だろ。大体それだけ稼ぐのに、どれだけ育てればいいと思ってるんだ」
放られる小さな紙袋。
ヒカルは首を傾げ、「おかしいな」と呟いた。
誰がと言いたいが、構っていてはきりがないので聞かなかった事にする。
「伊達の知り合い達は、何してる」
「大人しくしてますよ。それに、名雲さんだけが悪い訳じゃないって言ってました」
「誰が」
「副会長とか」
舌を鳴らす塩田さん。
彼もこの間の事は、やはり気にしているようだ。
「俺は、あいつらが悪いとかじゃなくて。その、なんだ。程々にしろって言うか、自覚を持てというか。他の奴らを巻き込むなって」
「本当、俺もそう思う」
しみじみと呟くケイ。
さらに険しくなる塩田さんの顔。
結局今の言葉は、そのまま彼に返っていくから。
「俺はな」
「何です」
「……もうすぐ卒業だから、後は頼む」
「それはモトに言って下さい。大体統合されたら、俺達はどうなるんですか」
何気ない一言。
ふと気付く事。
ショウも同じ気持ちを抱いたらしく、真剣な面持ちで塩田さんを見つめる。
ヒカルはいらない紙で、鶴を折ってるが。
「統合する訳だから、余った分は削る。半分か、もっと行くのか。ただ、お前らは大丈夫だ。評価表でも、上の方にランクされてるから」
「でも、局長が駄目だって言ったら?あの人は、少なくとも私達をよくは思ってないだろうから」
「俺の権限で推薦するから、問題ない。辞めたいなら、別だけどな」
その言葉に、深い意味はないだろう。
学校との対立への関与を勧めるという訳ではなく、単純にガーディアンとして私達を認めてくれている。
それは、素直に嬉しい。
「取りあえず、お前らの知り合いは全員推薦する。情じゃなくて、能力的な面でな」
「情だったら、珪は真っ先に除外ですからね」
二つ目の鶴を折りながら、小さく呟くヒカル。
話は聞いていたようだ。
正しい事を言ってくるくらいだから。
「じゃあ、あいつは。自警局の幹部」
「あれは生徒会だから、俺の権限外だ。それに、気にする程の奴じゃない」
「そうですけどね。今度は、あいつを退学させてやろうかな」
物騒な発言。
冗談とは思うが、彼については分からない。
10個目の鶴を折る、その兄も含めて。
「……何、これ」
オフィスの窓に掛かる、たくさんの鶴。
千羽ではないが、百羽はいる。
「気持だよ、気持」
「何の」
「さあ、それは僕にも」
真顔でそう答える、鶴を折り続けた男の子。
その彼女は首を振り、彼の前に座った。
「あなたは、どうしてここにいるの」
「緑を増やそうと思って」
「赤と青を減らしなさい」
「三原色じゃないよ」
二人では通じ合う会話。
一方のサトミは、かなり怖い顔だが。
「いつから農学部に編入したの」
「ずっと張りつめても仕方ないだろ」
「ここの誰が、張りつめてるのよ」
「なるほど」
おい。
「ショウの家で育てる気?あそこの土壌は調べてあるの?」
「ドジョウなんていたかな」
「土だ、土」
すぐに訂正するケイ。
確かに、ドジョウを調べても仕方ない。
というか、何のどこを調べるつもりだったんだ。
「どの作物にはリンを多く必要とするとか、カルシウムがいるとか。ちゃんと調べて、育てなさいよ。それと、ミミズの多い方がいい土になるわよ」
「冗談だろ」
「それが本当なの、玲阿君。頑張ってね」
可愛らしい、心を込めた笑顔。
彼の苦悩が楽しくて仕方ないといった。
「ミミズなんて、どこで手に入れるんだ」
「業者から仕入れるのも面倒だし、手っ取り早く釣具屋に行け。後は放っておけば増える。あいつらはオスであり、メスだから」
「冗談だろ」
「それが冗談じゃないんだよ、四葉君」
悪い、悪魔みたいな笑顔。
彼をさらに追い込むのが楽しくて仕方ないといった具合に、薄く低く笑う二人。
ショウはため息を付き、種の入った紙袋を遠ざけた。
「別にいいじゃない。ミミズくらい」
「じゃあ、変わってくれ」
「絶対嫌」
断固として拒否をして、紙袋を引き寄せる。
キュウリなんて、楽そうだな。
それとも、ヘチマに挑戦しようかな。
でも、朝顔も捨てがたいし。
「ったく。何で俺が」
「その内、いい事あるよ」
笑顔で慰める張本人。
気弱に笑う男の子。
本人達は納得してるからいいんだろう。
何も分かって無い気もするが……。
頭が痛い。
昨日ヒカル達と飲んだお酒が残っている訳ではなく、目の前に積まれたDDに。
「何よ、これは」
「統合後の、規則原案です」
「どうして、私が読むの」
「統合後に残るガーディアンのリーダーや隊長は、全員チェックするようにと通達がありましたので。自警局長から」
苦笑気味に言ってのける小谷君。
とはいえ彼に怒っても仕方ないので、一枚を卓上端末のスロットに入れる。
で、文章をチェックする。
「……サトミに任せる」
「分かりました。レポートの提出期限は夏休み前ですから、そちらもよろしく」
「それも、サトミに任せる」
DDを抜き、軽く伸びをする。
肩の荷が降りて、気分もいい。
後はあの子に、甘い物でも送っておこう。
「あれは、何してるの」
「選対に入ってますよ」
あれ、で理解してくれる小谷君。
彼としては先輩をそう呼ばれていい気分はしないだろうが、そこまで気を回したくもない。
あれに対しては。
「どうして、ああなの。前は真面目で固いけど、もっときちんとしてたのに」
「俺に言われても」
「あなた、後輩でしょ」
「数少ない、彼の側近でもありますよ。俺の心境はともかく」
漏れるため息。
かなり真剣味を帯びた。
「じゃあ、離れればいいじゃない」
「雪野さんは、塩田さんが悪い事をしたらどうします」
「ぶん殴る」
拳を固め、机を叩く。
実際にそれが出来るかどうかはともかく、その気持ちだけは持っている。
先輩だから何をしても付いていく、なんて真似はしない。
後輩だから、どんな命令にも従うという気も。
敬意は抱いているし、慕う気持もある。
それと、目をふさぐのとは別だ。
先輩だからこそ、後輩だからこそ。
言うべき事はきちんと言いたい。
「俺は、とてもそこまでは」
「なあなあで済ませても、面白くないでしょ」
「そうですけどね。攻めればいいって物でもないですよ」
「そうだけどさ」
異なる意見。
ただ、お互いを理解しない訳ではない。
むしろ分かり合っているからこそ、今の会話が成り立つ。
「あなたは、あの候補者を推してるの?」
「まさか。それは、矢田さん個人です。自警局長としての立場は使えませんけどね。今支えている人に、逆らう訳ですから」
「何がしたいのよ、あれは」
「それは、俺が知りたいです。後輩ってだけで、肩身が狭いんですから」
疲れた表情。
思い詰める性格ではないようだが、楽しくないのもまた事実だろう。
「前ケイが言ってた通り、もう義理は果たしたんじゃない?」
「理屈としてはそうかも知れません。でも雪野さんだって、塩田さんを見捨てる事が出来ますか」
「無理ね」
先程同様、即断する。
人と人のつながりは、そう簡単に断ち切れる物ではない。
止めるといって、終わる物でも。
「あなたも、困った先輩を持ったわね」
「雪野さんも、大差ないんじゃないですか」
お互いを指差し合う私達。
少しのやるせなさと、共感を込めて。
「よう。先輩はどうした」
平気で嫌みを言う男。
小谷君は肩をすくめ、机に積まれたDDを指差した。
「統合後の規則原案です。リーダーと隊長は目を通すよう通達が来ているので、チェックをお願いします」
「自分で作ったのを、どうして自分で見るんだよ。大体ここのリーダーはユウだろ」
目の前に押されるDD。
ケイの手首をはたいて体勢を崩させ、DDを押し戻す。
「私は読まないのよ」
「言い切ったぞ。おい、どうする」
「自分達で解決して下さい。俺はこれ以上、先輩絡みで苦労したくないので」
「切れ、あれは。仮に統合したら、局長なんて無理だ。丹下かモトか、北川さんか。その辺が、上に行くんだから」
自分の首に手刀を当てるケイ。
小谷君は気弱に笑い、DDに指を走らせた。
「浦田さんは、塩田さんが悪い事をしたらどうするんです」
「当然切る。俺はあの人から、そう教わった」
厳しい、しかし彼と塩田さんとの絆を感じさせる言葉。
また実際に、ケイはそうするだろう。
迷っても、心の中で悔いたとしても。
自分を裏切りはしない。
「それに自警局長を目指すなら、余計不利だ」
「別に、目指してる訳じゃ」
「生徒会の資格はあるんだろ」
「ええ、まあ」
曖昧に頷く小谷君。
それは、初めて知った。
「大体あの男は、規則を重視するんじゃなかったのか」
「ええ」
「だったら余計に、何らかの処分なり告発をした方がいい。俺は、どうでもいいけど」
今までの話とは反対な台詞。
ただ彼の表情は、鋭さを増している。
場合によっては、自分が動くとでも言いたげに。
また彼には、生徒会のメンバーを退学させた実績がある。
「大体、どうして……」
「何です」
「いや、いい。それより統合しても、俺を役職に就けるのは止めてくれ」
「逆じゃないんですか」
ようやく笑う小谷君。
楽しそうに、気楽そうに。
ただ彼にとって局長が先輩であるように。
私にとっても、彼は後輩に当たる。
悩みを抱える彼。
何も出来ない自分。
募っていく、苛立ち……。
「ちょっと、何してるの」
「穴を掘ってるの」
庭の地面に、これでもかとスコップを突き立てる。
ささやかな、憂さ晴らしも兼ねて。
「狭いのに、これ以上何を植えるのよ」
庭へと降りてくるお母さん。
言葉の割には、興味津々という顔で。
「ヒカルが種を持ってきたから、適当に」
「ここは、何が育ちやすいのかしら」
「いいじゃない、適当で」
「あなたを育てるようには行かないの」
物騒な事を言う人だな。
分かるけどさ。
「サトミが言うには、土壌が大事だって」
「分かってる」
「ひげの生えてる、にょろにょろしたのじゃないよ」
「当たり前でしょ。誰、そんな間違いをする人は」
お母さんもよく知ってる子だとは答えず、穴掘りに専念する。
後ろに立っているとも、告げはしない。
「ショウ。種、種」
「何の」
「どうする、お母さん」
「やっぱり食べられる物がいいわね。トマトはもうあるし……。キャットニップか」
何だ、それ。
ハーブ?
「苗からの方が育てやすいんだろうけど。苦労する分、楽しみも大きいのよ」
「最後には、食べるのに?私もその内、食べるんじゃないでしょうね」
「どこを食べるっていうの」
きーと唸り、睨み合う私達。
ショウはため息を付いて、紙袋の説明書きを読み始めた。
「適当にやっても育つって」
「そう。よかった」
「優。あなたここに植えて、いつ面倒を見る気」
「俺の家に植える分は」
やいやい責め立ててくる二人。
心が小さいな。
せっかくヒカルが、豊かな心を育てようとして持ってきてくれたのに。
まずは自分の心から育てろという気がしないでもないが。
名古屋に緑を増やす計画は、順調に進んでいる。
恨みも買っている。
時と共に、物事は流れていく。
なんて悟れる程枯れてはいなく、夏休み前にこなさないと行けない面倒ごとを片付けていく。
私一人でやる訳ではないが、リーダーという立場上責任はある。
逃げたつもりになっていても、それはいつまでも付いてくる。
私が忘れていたとしても。
「会合って、誰が」
「各オフィスの責任者。つまりは、ユウが」
たおやかに人の顔を指差すサトミ。
それにかぶりつく真似をして、スケジュールをチェックする。
確かに、私が出席する事になっている。
「嫌だ」
「嫌でも何でも出席するの。代理は病欠や、やむを得ない事情以外は受け付けないらしいわ」
「じゃあ、そのやむを得ない事情にして。それに私が出ても分からないし、意味無いって」
「ご託は会合の場でお願い。私はあなたの代わりに書くレポートで忙しいの」
薄く、すごみを込めて微笑む少女。
とはいえそれに気圧される事もなく、きっと睨み返してお腹を叩く。
別に意味はなく、ストレスの持って行き場を探しただけだ。
「まさか、私一人?」
「そうよ」
「誰が決めたの。私は認めないわよ」
「だったら野良犬でも野良猫でも連れて行きなさい。ほら、しっ」
人をその野良犬並みに扱い追い出すサトミ。
仕方ないので閉まったドアを両手でひっかき、廊下を駆けていく。
確かに、犬猫並みだ……。
広い会議室に集まる、100人以上の人間。
その何人かが、私を見て驚いた顔をする。
「遠野さんは」
「代理は認めないんだって」
「大変ね。勿論、遠野さんが」
嫌みを言って遠ざかっていく知り合いのガーディアン。
追いかけて首筋にでも噛みついてやろうと思ったが、虎じゃないので止めた。
所詮は、猫だから。
「ユウ、こっち」
かなり前の方で手を振っているモトちゃん。
私は集まってくる視線を気にしつつ、階段状となっている通路を降りていった。
「どうしてみんな、見てくるのよ」
「普段出席しないからに決まってるじゃない。今日は私も発言するから、少し手伝って」
「雑巾掛けでも何でもしますよ」
「嫌みを言わないで。なんなら、代わりにユウが読む?」
強烈な嫌みに、またお腹の辺りを叩く。
腹筋も鍛えられて、ちょうどいい。
そう、前向きに考えていこう。
その前に、胃に穴が空きそうだが。
始まる会合。
進んでいく議題。
私はモトちゃんの指示通り書類の順番を揃え、控えにメモを取った。
「次は私だから」
「はいはい」
「……ガーディアン連合議長補佐、元野智美さん。お願いします」
彼女を呼ぶ、進行役。
モトちゃんは軽く手を上げ、横の通路から前へと歩いていった。
私も書類を抱え、一応は姿勢を正して付いていく。
無難に進行していく彼女の話。
それに耳を傾けるガーディアン達。
私も書類を手渡し、形としてはそこに加わる。
話の半分も聞いてはいないが。
興味がないのと、話さなくてもいい内容だから。
とはいえそれはモトちゃんが悪いのではなく、この形式的な会合のためだろう。
形通りの進行と、議題。
採決がある場合もおざなりで、議論もリハーサルが合ったような感じ。
予想していなかった訳ではないが、退屈としか言いようがない。
それが浅はかな考えと気付くまで、さほど時間は掛からなかったが。