18-2
18-2
彼が去った後の受付。
普段通りの喧騒。
行き交う人々。
違うのは、私の心境。
私達の、だろうか。
「あれと似てるな。舞地さんの知り合いと」
やはり、平然と口にするケイ。
おそらく、誰もがが思っていた事を。
不思議そうな顔をするのは後輩の二人だけで、他のみんなは何も言わない。
「大体あの子は、転校してきたの?それとも、短期にここへ来てるだけ?」
「傭兵だから、短期間在学するだけでしょうね。あの口振りから言っても、ずっといる雰囲気ではなかったから」
「どういう子なの。その愛想が悪い以外では」
やや表情を改める沙紀ちゃん。
サトミは気だるげに腕を組み、近くのラックに背をもたれた。
「悪い子じゃなかったわ。そういう振りというか、そうしたい気持はあっただろうけど。普通の中学生と、それ程大差はなかった」
「でも真理依さんの例を考えるとって事か?確かに、困るわね」
「そんな事はさせないわよ」
静かに、力を込めて語るサトミ。
舞地さんとモトちゃんを比べるという訳ではなく。
彼女にとってあの子は、他の誰かと比べるという存在ですらない。
私にとってのサトミやニャンがそうであるように。
その身を守るためなら、自身の全てを懸けられる。
またそれは、私も同様だ。
「とにかく、一旦呼び戻した方が良くないか」
私達が熱くなり過ぎてると思ったのか、そう提案してくれるショウ。
サトミはこくりと頷き、端末を取り出した。
「……私。……今どこに。……どういう事。……分かった。あなたは、そこにいて。……ええ、すぐ行くから」
「どうしたの」
「医療部にいる」
唇を噛みしめるサトミ。
手の中で固く握られる端末。
私はテーブルにあったスティックを取りに戻り、背中のアタッチメントに取り付けた。
ショウとケイは、すでにオフィスと飛び出している。
「丹下ちゃんは、ここで。何かあったら、連絡を入れるから」
「了解。真理依さん達には、どうする」
「……少し待って」
「分かった」
何か言いかけたのを止め、すぐに飛び出ていくサトミ。
私も彼女達に頷き、その後を追う。
胸の奥に広がる、嫌な予感を打ち消しながら……。
白い壁と、白いカーテン。
ベッドサイドに腰を掛ける、セミロングの女の子。
「どうしたの、みんな。血相を変えて」
「怪我は」
「かすり傷。大袈裟なんだから」
「万が一という事もある」
彼女の傍ら。
破れたジャケット。
頬にはガーゼ、腕には包帯。
名雲さんは重く呟き、顔を背けた。
厳しい表情で。
「相手は」
「多分、傭兵だ」
「でも、どうして」
「今、どこにいる」
矢継ぎ早に質問する私達。
名雲さんが何かを言いかけた時。
開けてあったドアに、人影がよぎった。
「お前、ふざけるなよ」
襟首を掴まれる名雲さん。
そんな彼を、射殺すような視線で睨み付ける塩田さん。
「塩田さん、私は」
「黙ってろ」
叱責にも似た、鋭い一言。
顔を伏せ、肩を落とすモトちゃん。
普段とは全く逆の展開。
「伊達の知り合いって事だけじゃなくて、お前を信頼してたつもりだった。それが、この様か」
「済まない」
「狙われたのは元野じゃなくて、お前だそうだな」
「ああ」
低い、絞り出すような言葉。
塩田さんは彼を突き飛ばし、ようやく襟を離した。
「何がワイルドギースだ。ふざけやがって」
「塩田さん。落ち着いて下さい」
「うるさいな。俺は、こいつと話をしてるんだ」
「だからって」
こちらへも食ってかかって来そうな視線。
威圧されそうになりつつ、しかしそれを跳ね返す。
彼の気持ちは、痛い程分かる。
私だって、同じ態度を取った事がある分。
でも、だからこそ。
彼に言える。
「お互い様じゃないですか」
「あ?」
「あ、あの時、私が叫んだ事覚えてます?」
「忘れるか。大体、それとこれとは話が違う」
聞く気もないといった態度。
モトちゃんは一人小さくなり、サトミが肩を抱いている。
名雲さんも同様で、ただ俯くだけ。
重く、苦い空気。
そして、沈黙。
「怪我は」
静かに、落ち着いた口調で尋ねる舞地さん。
池上さんはすぐにモトちゃんに歩み寄り、その手を取った。
「……申し訳ない。この責任は、全部私達にある」
「当然だ」
あくまでも怒りを解かない塩田さん。
舞地さんは黙って頭を下げた。
その後ろにいた、若干不満げな柳君も。
「何か、言いたい事でもあるのか」
「名雲さんも怪我をしてる」
「司、止めろ」
「口だけは一人前だな。文句があるなら、掛かってこい。何なら、全員でもいいぞ」
一瞬濃くなる、舞地さん達の気配。
だが塩田さんは、わずかにも動じない。
彼の単純な実力で言えば、舞地さんにも及ばないかもしれない。
ただそれは怒り、自暴自棄ではない。
紛れもない自信と確信を込めた、いつもの戦いをくぐり抜けてきた戦士としての態度。
「何を騒いでるんだ」
呆れ気味に入ってくる、白衣を着た男性。
胸元には「緑 主任医師」とある。
「また君か」
「いえ、俺は」
「理由は知らないけど、ここは病院だよ。もう少し、静かにしてくれないかな」
「はい、済みません」
殊勝に頭を下げ、そのまま病室を出て行く塩田さん。
彼の後を、サトミとケイが追う。
「君達も」
「あ、はい。済みません」
「悪いと思うのなら、ケンカなんてしないように。怪我は大した事無いから、今日は帰って大人しくしてなさい」
場所を変え、モトちゃんのオフィスへとやってくる私達。
会話は少なく、沈黙が長く続く。
重い空気、交わされない視線。
滅入っていく気持。
彼等が誰で、何者なのか。
十分に分かっていた。
そのつもりだった。
彼等は学校外生徒で、普通の生徒とは違う存在。
転校を繰り返し、敵対する相手を時には実力で排除し。
大勢の人間に、恨みを買っている。
そんな人達の中でも、一番有能なグループ。
逆を返せば、最も狙われる存在。
「済みません。私のせいで」
深く頭を下げるモトちゃん。
名雲さんは静かに首を振り、微かに顔をしかめた。
それは傷の痛みか。
彼女の気遣いに、心苦しく思っているからか。
「襲ってきた連中のめどは付いてるのか」
淡々と。
感情を押し殺すように尋ねるショウ。
塩田さんみたいな激情ではなく。
しかし、彼の怒りは伝わってくる。
隣にいて、肌が刺すように痛い。
「誰かは分かってるし、襲ってきた奴については全員片付けた」
「仲間は」
「いるだろうな。後から来るような事も言ってた」
「そいつらは、どこにいる」
今にも飛び出ていきそうな顔。
名雲さんは首を振り、壁を指差した。
「名古屋じゃない。東京か、大阪か。あちこちから集まってくる」
「いつ」
「情報は俺も集めてる」
苛立たしげな口調。
睨み合う二人。
重い空気に、険悪さが加わってくる。
「舞地さん」
「襲ってきた連中は、全員私達で対応する」
「そうじゃなくて」
「これは、私達の問題だ」
室内に響く激しい音。
一斉に向けられる視線。
私は構わず、拳をもう一度テーブルに叩き付けた。
「ふざけた事言ってるんじゃないわよ。渡り鳥だか傭兵だか知らないけど、こっちは友達が襲われたのよ。下らない事にこだわってる場合じゃないでしょ」
「……でも」
「舞地さん。私もユウと同意見です。怪我をしたのは私の責任ですし、それを皆さんが気にする必要はありません。覚悟という訳ではないですけど、こうなる事態も予想はしてましたから」
彼等を慰める訳でもなく。
この場を取り繕う事でもなく。
自分の気持ちを語るモトちゃん。
彼等への思いを。
自分自身の決意を。
「まともな連中じゃないとしても?」
「私達は、十分それに対応出来ると思います」
「そうかも知れないけど」
「大体こちらでどう考えても、向こうは考慮してくれませんよ」
落ち着いた、しかし鋭さを湛えた微笑み。
舞地さんはテーブルの上に置いてあったキャップに触れ、俯きながらため息を付いた。
「本当に、普通じゃない奴もいる。例えばさっき怒って出ていった、忍者と関わりのある奴とか」
「強いんですか?」
「腕は、大した事無い。ただし、手段を選ばない。武器も平気で使う。人を斬るなんて、なんとも思ってない」
「浦田君がどうなったか、忘れた訳じゃないでしょ」
いつもとは違い、冷静な面差しで告げる池上さん。
怜悧と言ってもいい程に。
「智美ちゃん達の言いたい事は分かるけど、大怪我した後では遅いんだから」
「逃げる訳にも行かないだろ」
「暴れればいいって物でもないの」
手の平で、強めに叩かれるテーブル。
一瞬身を引くショウ。
しかし彼が、意見を翻す様子はない。
「傭兵自体の人数はたかが知れてるし、あなた達なら確かに対処出来る。でも連中は金を使って、人を雇うのよ。この間のように、それこそ何百人と」
「街のチンピラなんだろ」
「そうよ。でも、数は圧倒的に多いわ。あなたはともかく、他の子は一人で100人も相手に出来ないでしょ」
「俺だって、100人は相手に出来ないさ。でも、そいつらを押さえる事は出来る」
妙に自信を込めた台詞。
池上さんは眉をひそめ、彼を見据えた。
「傭兵に、知り合いでもいるの。それとも、浦田君に頼むとか」
「まさか。ただ、そういう連中を抑えられる知り合いはいる」
「そう。……とにかく、あまり甘くは考えない事ね」
「勿論」
過信でも、おごりでもない。
室内の空気が一瞬にして張りつめる程の、強い意志が伝わってくる。
この件に関する、彼の気持ちが。
敵に回る事を想像もしたくない、恐怖にも似た感情を覚える程に。
池上さんに付き添われ、寮へ戻るモトちゃん。
怪我は彼女が言っていた通り、かすり傷。
精神的に参っている様子もないし、そこまでひ弱な子でもない。
それに名雲さん達も、今はいない。
これ以上話をする心境でもないのだろう。
「あなた一人?」
「サトミ……。塩田さんは」
「どうにか、落ち着いた。あの人も、自分で分かってるわよ。言い過ぎたって事くらい」
若干の皮肉っぽい表情。
私が彼に怒鳴った事を言いたいのだろう。
「夏休みも近いっていうのに、今揉めなくても」
「私が揉めてる訳じゃ無いわよ。今回は」
最後にそう付け加え、少し伸びをする。
さっきまでの緊張で、体が硬くなっている感じ。
「ショウは」
「一応、モトちゃんの護衛。すぐ戻ってくると思う」
「大袈裟、とも言えないわね」
面白く無さそうに鼻で笑うサトミ。
先日の舞地さん。
その前は、ケイ。
彼女自身、ストーカーに狙われてもいた。
思い出したくもない事実もある。
忘れようもないと、分かってはいても。
「子供のお守りも疲れる」
「浦田君」
「何」
「僕も、そう思う」
疲れ切った顔をして、私達の前に座る木之本君。
塩田さんの最も身近にいるのは、モトちゃんと彼。
私達にはない気苦労を、幾つも抱えているのだろう。
「仕事はいいの?」
「ガーディアン統合のプレケースとして、生徒会ガーディアンズや自警局から何人か来てる。その子達に、全部頼んでおいた」
「来期は、いっそあなたが議長を勤める?」
「そうなる前に、遠野さんを推すよ」
たわいもないやりとり。
今の自分には、心地いい軽さ。
「サトミも言ってたけど、夏休み前に暴れなくてもと思わない」
「選挙が近いから、混乱を狙ってるのかも。または、それと連動させて何かを企んでるとか」
「選挙?」
思わず聞き返し、全員から睨まれる。
何よ、私はまだ選挙権は無いわよ。
「雪野さん。生徒会長の選挙の事」
「ああ、後期の。ふーん、今知った」
「あなたも一票持ってるのよ」
それは前から知っている。
今まで行使してきたか、記憶はないが。
「本命は誰」
「現職が、圧倒的有利。これまで堅実に生徒会を運営してきてるし、不正も減ってきてるから。改革が進みつつあるのも、ポイントだと思う」
政治評論家みたいな事を言う木之本君。
私と違って生徒会関係者と会う機会も多いので、それなりに事情は知っているのだろう。
今の説明は、一般的に広く知られている事かも知れないけど。
どちらにしろ、単なる一生徒の私にはあまり関係ない。
「対抗馬とか、他に有力な人は?」
「遠野さんや元野さんが立候補すれば、少しは面白くなるんだろうけど」
「面白いな、それ。受付って、まだ間に合うのかな」
「二人とも、怖い事言わないで」
露骨に嫌そうな顔をするサトミ。
とはいえお互い人気はあるので、面白い結果になる可能性はある。
立候補しないのは、初めから分かっているけど。
「ねえ、他にいないの」
「いるにはいるよ。ただ、どの程度かというと」
「何の話かな」
「今度の選挙は、誰に投票しようか相談中です」
手を出し出すケイ。
それを見下ろす、生徒会長。
木之本君が困惑気味に、その手を下ろさせる。
「済みません。今のは、冗談ですから」
生真面目な子だな。
不真面目な木之本君なんて、見たくもないけど。
「いや。それより、元野さんが襲われたと聞いたんだが」
「正確にはあなたの雇っている、名雲さんが襲われたんです。彼女は、その巻き添えですよ」
「随分厳しいな、今日は。彼等を雇っているのは、公式には認めていないんだが」
半ば肯定に近い台詞。
サトミは剣呑な物腰を緩めず、彼を見上げた。
「結果的にとはいえ、彼女が怪我をしたのは確かなんです。どう責任を取るおつもりですか」
「各種の補償は無論行う。ただ、襲われたのは名雲さん自身の問題だ。私も、そこに関与する義務はない。権利、かな」
「そういう契約なんですか」
「本当に鋭いな、今日は。詳しい話はするなという契約だから、これ以上は話さない」
曖昧に、それとも上手く逃げる会長。
サトミもさらに話を進めるつもりは無いらしく、険しい視線を彼から外した。
内心の怒りは、とても収まっているようには見えないが。
「私の当落より、自分達の心配をしたらどうだ。傭兵を相手にするつもりなんだろ」
「詳しいですね」
「情報局局長も兼務してるから、話はいくらでも入ってくる。相当数入ってくるつもりらしいが、生徒会側の審査で殆どふるい落とした」
「学内は、それ程問題なし。すると、学外ですか」
軽く頷くケイ。
だが彼の眼差しも、いつにも増して鋭い。
「ガーディアン連合議長補佐への暴行行為。来期の議長本命候補。仮にガーディアンの統合が早く済んだ場合は、組織のナンバー3までには入る。無論生徒会も、我々の行動をバックアップしてくれますよね」
「矢田君はどうする」
「自警課課長が丹下の知り合いですから、現場サイドはこっちで抑えられます。それに課長は、モトとも顔見知りですし」
「かくして彼は、孤立の度を深める。今度の選挙では私の推薦人名簿を断ったし、少し面白くなりそうだ」
意外な事実を、さらりと話す会長。
つまり、ますます学校側へ寄っているという訳か。
どうでもいい、とも言えない。
彼の行く末を案じる訳ではなく、その地位と権力を考えれば。
「じゃああなたが当選したら、別な人を指名すれば。局長は、生徒会長が選べるんでしょ」
「理屈では。ただし学校側の意向も、それなりには聞く必要がある。言うなれば、学校指定枠さ」
「何よ、それ。政治家みたいな事言って」
「生徒会という組織の体質上、仕方ない。ただし周りから学校の狗と思われて、なおかつ居座る心境は知らないが」
なる程。
そこまでして、頑張る理由。
すぐに思い当たるのは、屋神さんの話。
あえて学校側に付き、結果が分かっていながら塩田さん達と対立した彼。
学校を、生徒を想って。
自分を犠牲にした、偉大な先輩。
だがあの局長が、そういう考えで動いているようには見えない。
むしろその逆。
本心から学校側に付いているとしか。
「面白くないな」
「それが現実よ。特に組織は」
「良かった。私は組織に関係なく生きてて」
「あなたも、一応は組織の一員でしょ」
仕方なさそうに笑うサトミ。
私としては実感が薄いので、あまり気にしない。
そういうしがらみがないからこそ、ガーディアン連合に所属しているから。
無論全くない訳ではないが、それは非常に緩い。
むしろ横へのつながりを、強く意識する。
縦の関係を嫌う訳ではないし、それが必要なのも理解はする。
ただ、私には向いてない。
それだけだ。
「雪野さん達が気楽な分、僕や元野さんに負担が掛かるんだけどね」
「私に、事務仕事をやれっていうの」
「現場に居続けたい気持は分かるけど、責任のある仕事をするのも悪くないと思うよ」
重く、優しい言葉。
木之本君らしい、私達への期待を込めた。
「俺が議長になりたいって言ったら」
「大丈夫。議長補佐の権限で、僕が差し止める」
「真顔で言うな」
「差し違える、じゃなくて?」
笑うサトミ達。
私も少し笑う。
気楽な気持で。
彼等の話よりも。
この雰囲気を楽しみながら。
温かさと、つながりを感じて。
この光景を守るためにも。
私自身に出来る事をしよう。
例え微力でも。
誰かのために、という考えがおこがましいとしても。
彼等のために頑張ろう。
勿論、モトちゃんのためにも……。
「もうすぐ選挙だよ」
「生徒会長のだろ」
すぐに帰ってくる答え。
物知りだな。
バイクの後ろから飛び降りて、軽く両手を横に広げる。
止まってから降りろ、という突っ込みは気にしない。
「優ちゃん、今日はどうかした」
「スイカがあるって聞いたので」
「あるよ。試し割りが出来るくらいに」
楽しげに笑う、ショウのお父さん。
私も一緒になって笑い、彼の足元に転がっている大きな玉の群れを眺める。
行商でもやる気かな。
「知り合いが、軽トラで運んできやがった。どう考えても食べきれないから、聡美ちゃん達にも」
「ありがとうございます。……これかな」
腰を屈め、スイカを手の平で叩く。
軽い音。
はずれ。
やや重い、しかし若干鈍い。
はずれ。
いい響き、重い音色。
持った感じも、悪くない。
「私、これ」
「分かるのか?」
疑わしそうな顔で見てくるショウ。
私は両手で抱えいたスイカを持ち上げ、彼の胸元へ突き付けた。
「じゃあ、食べてみなさいよ。ほら、ほら」
「止めろ」
「嫌だ」
「仲いいな」
冗談っぽい呟き。
真後ろで、にやにや笑う瞬さん。
私は慌てて飛び退き、ショウも飛び退く。
スイカが落ちそうになったので、二人ともすぐに近付いてそれを支える。
馬鹿だ。
私が。
いや。私達が……。
「美味しい」
何故か悔しそうな顔をして、スイカを頬張るショウ。
彼が食べているのは、さっき私が選んだ物。
これで、また選ぶ楽しみが出来た。
「チンピラ、ね」
淡々と呟く瞬さん。
彼は塩の瓶を手に取り、三角にカットされたスイカに振りかけた。
「風成に頼め」
「ああ。前の時も頼もうと思ったけど、先輩達が先にやってたから。でも今度は、モトも絡んでるし」
「任せる。俺は大人しい、一市民として過ごす」
似合わないというか、あり得ない答え。
元将校にして、前大戦の英雄。
古武道宗家の直系で、世界的な格闘技団体であるRASの格闘顧問。
前職は、国際的VIPの警備もこなしたセキュリティコンサルタント。
本人がその気でも、周りが一市民としては見てくれない。
「でも、どうするの」
「さあ。俺は知らない」
「馬鹿な男達がたくさんいるのよ、この家には」
辛辣に評する、ショウのお母さん。
肩をすぼめる、その馬鹿な男達。
よく分かんないな。
「優さんも、関わらない方がいいわよ」
「でも、友達の事もあるので」
「じゃあ、智美さんだけを見てなさい。そのチンピラとかどうとかは、無視していいから」
「はあ」
分かりにくい心遣い。
とにかく曖昧に頷き、まだ小さくなっているショウに視線を向ける。
「どういう事」
「俺からは何とも言えない。それに、チンピラが来るって決まった訳でもない」
「まあね」
スイカにかぶりつき、口の中の種を感じる。
微かな引っかかりを。
ただ、このまま飲み込んでも心配はない。
「どこに」
「いや、生えてこないかと思って」
「あなた、幾つ」
「16才」
真顔で人を見下ろすモトちゃん。
不安や怯え怒りではなく、呆れと諦めの表情で。
「どこの世の中に、スイカかの芽が生えてくる人間がいるの」
「それは言い切れるの?医学的に、証明されてるの?」
「子供じゃないんだら。もっと、他の心配でもしたら」
「大丈夫。一つは解決した」
玲阿家の実家で話された事を、彼女にも告げる。
「どうやって抑える気?」
「知らない」
「大体そのチンピラ以前に、傭兵自体が来るの?」
「私に聞かれても。でも、モトちゃんは襲われたんでしょ」
こくりと頷き、腕の包帯へ触れる彼女。
少し辛そうに笑いながら。
「不覚だった」
「何が」
「私のせいで、大事になったのが」
「少しは、私の苦労が分かった?」
笑うモトちゃん。
さっきよりは、明るく。
「ケイが言うには、生徒会長選挙と絡んでくるかもしれないって」
「そういえば、もうすぐだったわね。学校が、またおかしな連中を転校させてるのかな」
「一体学校は、何がしたいのよ」
「聞いてみれば」
なる程。
確かに、あの時は聞いてみた。
分からなかったから。
……待てよ。
「昔の事なんだけど」
「なに」
「愛想の悪い、でも少し格好いい男の子がいたでしょ」
「ああ。すぐに転校した」
モトちゃんの顔に浮かぶのは、単に昔を懐かしむ表情。
どうやら、まだ出会ってはないようだ。
「彼が、どうかした」
「いや。名雲さんと似てるかなって」
「唐突ね。それと、比較の対象にはなりにくいと思う。彼とは長く一緒にいた訳ではないし、まだ子供の頃の話だから」
無難な。
当たり障りのない答え。
読みようによっては違う見方があるかも知れないが、本心とも取れる。
肝心の部分は、語ってないとしても。
「どうしたの、急に」
「たまには昔を振り返るのもいいかなと思って」
「まだ、そんな年じゃないでしょ」
屈託のない笑顔。
少なくとも、そう思わせるような。
私の気遣いを感じ取って、かもしれない。
彼女らしい優しさと強さ。
でもそんな彼女は誰に頼ればいいのかと、思ったりもする……。
翌日。
購買ではなく、外のスーパーへ買い出しに。
学内で大抵の物は揃えられるが、品揃えを考えるとこちらへ来てしまう。
とはいえお菓子を買いに出た訳ではなく、連合の備品を調達に。
生徒会だと業者を通すんだろうけど、そこまでの量ではないしツテもない。
モトちゃん達は、知らないが。
日比野の中央卸売市場に併設された、大型スーパー。
その場所柄と学校からの補助金があるらしく、草薙高校や中学の生徒は格安で利用出来る。
車を出す程でもないので、歩いていく私達。
「業者に頼めばいいだろ」
文句を言う男の子の鼻先に、チラシを突き付ける。
「DD 100枚まとめて激安価格」
赤字必至、ともある。
「主婦か」
「生徒会やモトちゃんに頼むと、手続きが必要でしょ。その代わり、浮いた分で何か買ってもいいって」
「ますます所帯じみてきたな。……なんだ、あれ」
足を止めるケイ。
私も同様に立ち止まり、歩道の脇へ体を寄せる。
数名の、柄の悪い若者達。
この辺では見かけない。
また、高校の生徒でもない様子。
その中の一人がこちらを見て、隣の仲間に何やら話しかけている。
「賞金でも掛かってるんじゃないのか。先生」
「任せろ」
ぐいと前に出るショウ。
それだけで私達は限りない安心を、彼等には恐怖を与える。
「この間、モトちゃんを襲った連中と関係あるのかな」
「襲ってきたら、間違いない」
強まる語気。
みなぎっていく闘志。
ウォーミングアップ無しでも、彼に敵う人間はまずいない。
「程々にしろよ」
「分かってる」
「だといいけどな」
諦め気味に、ガードレールへもたれるケイ。
私も彼同様、ショウとの距離を開ける。
「お前ら、草薙高校の生徒か」
「だったらどうした」
「名前は」
ショウを見上げながら話す男。
仲間同様、すでに気圧されている顔で。
「聞いてどうする」
「答えないと、どうなる分かってるのか」
「どうなるんだ」
鋭い眼光。
微かに前へ出る左足。
さらに下がる男達。
「お、お前。俺達が誰だか知ってるのか」
「知る訳無いだろ」
「こっちのバックには、こういう人達もいるんだぜ」
頬に指を走らせる男。
どうだと言わんばかりに。
また大抵の者は、ここで引くだろう。
それが普通で、当たり前だ。
「かゆいなら、皮膚科へ行け」
前に出るショウ。
彼が下がる事はあり得ない。
相手が誰だろうと。
その信念がある限り。
誰として、行く手を阻む事は出来ない。
「こっちも忙しいんだ。用がないなら、どいてくれ」
「てめえ」
「舐めやがって」
懐や、パンツのバックポケットに動く手。
それが抜かれるより早く、ショウの足が閃く。
地面へ落ちる、ナイフや警棒。
腕を押さえる男達。
何が起こったのか、理解出来ないという顔で。
「次は」
峻烈な声。
後ずさる男。
敵意。
または、殺意さえ含んだ眼差しで。
「お前こそ、次はないからな」
「覚えとけよ」
陳腐な捨て台詞を残し去っていく男達。
ただその雰囲気からして、楽観出来ないのは十分に理解出来る。
彼等の人間性も。
「君は、何をやってるのかな」
「向かってきたから、対応しただけだ」
「恨みを買った、の間違いだろ。人まで巻き込みやがって」
モトちゃんへとは全く異なる対応。
彼女と彼の能力的な違いを考えれば、当然ともいえる。
ケイの性格としても。
「あれが、モトちゃんを襲った連中の仲間かな」
「雰囲気としては、そうだろうな。とにかく、これで少しは俺に目が向いた」
「友達思い?それとも、先輩思い?」
「さあ」
早足で歩いていくショウ。
何となく、照れ気味に。
「格好いい事で」
「悪いの」
反発気味にケイを睨む。
彼は首を振り、男達が落としていったナイフを見下ろした。
「別に。しかし、その傭兵はどこから金を手にいてれるのかな。例えば、このナイフを買う金とか」
「報酬とか、人を脅したりしてるんじゃないの」
「なんで、そんな事をやってるのかな」
「元々、そういう人間なんでしょ」
苛立ち気味に、そう答える。
普段なら、そこまでは思わない。
初めから悪い人間がいるとは思いたくもない。
でもモトちゃんが襲われた事で、心境は変わっている。
そういう連中を信用出来ないし、したくない。
例の彼を考えると、余計に複雑な心境になってくるが。
「何が違うのかな」
まだ一人呟いているケイ。
紙袋を抱えたままで。
「違うって?」
「舞地さんと、あの連中が」
「根本的に、何もかもがよ」
「それは、今の状態だろ。その、前の段階。学校外生徒になった初めの頃から、違ってたのかな」
単純な。
しかし、核心を付く質問。
思わず答えに詰まる。
「ショウは、どう思う」
「そこまで気にした事はないし、したくもない」
普段の、ケイのようなコメント。
彼らしくないとも、それだけ怒りが込められているとも言える。
「大体、それが何か関係あるのか」
「無い。でも、その辺の心境は興味ある」
「俺には、分からん」
「名雲さん達の事も?」
さらに踏み込んだ質問。
今度はショウも、言葉に詰まる。
「そういう連中と、俺達は一緒にいる訳だ。というか、仲間になってる。知らない、そうですか。で、終わる話でもない」
「知ってどうなるって訳でもないでしょ」
「理屈としては。育った環境、生まれた土地、学校、周りの人間。俺達がさっきの連中になってないとは限らない」
「舞地さん達にみたいになってるかもしれないとは思わないの」
楽観的。
希望を込めたとも言える答え。
ケイは鼻を鳴らし、草薙高校の正門をくぐった。
「だから、興味がある。どこでどうなって、傭兵や渡り鳥に分かれていくのか」
「どうでもいいじゃない。今の、あの人達さえ知っていれば」
「まあね」
気のない返事。
それきり黙るケイ。
私も興味がないとは言えない。
少しは、彼女達から事情は聞いている。
どうして学校外生徒になったのかを。
かなり曖昧に、概要程度になら。
でも詳しくは知らない。
彼女達が渡り鳥になった経緯だけではなく。
渡り鳥として、何をしていたのかを。
去年のクリスマスに、話は聞いた。
あくまでも耳に心地いい、冒険談のような話を。
でも、辛く苦しい話は聞いてない。
例えば清水さんや林さん達みたいに、この学校を去ってしまう程の苦しい胸の内は。
DDを連合の本部へ届け、何気なく奥を見る。
受付風のロビー。
忙しそうに行き交うガーディアン達。
さらにその奥。
厳重なドアの、幾つか向こう。
見えるはずのない場所を。
「透視能力でも身に付けました?」
冗談っぽい口調。
普段通り、優雅に微笑む副会長。
私は軽く会釈して、何となく口ごもった。
「塩田が、名雲君を怒鳴ったそうですね。元野さんが怪我をした事に関して」
「ええ、まあ」
「子供というか、なんというか。雪野さんには、耳の痛い話ですか」
「ええ、まあ」
同じ答えを繰り返し、空いている応接セットへ促される。
「傭兵絡みなら、私達にもそれなりに責任があります。特に、塩田や沢君は」
「はあ」
「彼等は一つのグループではないにしろ、多少のつながりはあるでしょう。無論現段階のターゲットがワイルドギースとはいえ、先年のトラブルを忘れたとも思えない。この間の、名古屋港での出来事も」
「結局、なし崩しって事ですか」
重くなってくる気分。
私がどう思おうと、どうしようと。
周りが勝手に動いていく。
それを厭うというより、惰性で流される事にやるせなさが募る。
「私達の私的な感情はともかくとして。生徒会としてはガーディアン幹部への襲撃事件として捉え、対応していきます」
「局長は、どうするんです」
「選挙もあるので、極端に学校側へ付く訳にも行きませんよ。対抗馬を推している以上、学校と結託してると思われれば不利になりますから」
「対抗馬?」
苦笑気味に頷く副会長。
引き寄せられる、卓上端末。
そこに映る、立候補者の映像とプロフィール。
「……これって」
「知り合いですか」
「出会った事があるという意味では」
横柄でわがままそうな。
どこか拗ねた感じの少年。
1年で草薙高校に編入、新カリキュラムを収めるとある。
母親が、理事を務めているとも。
半年前、私達がガーディアンの資格を停止されるきっかけとなった男。
「こんなのが、どうして立候補出来るんです」
「推薦者名簿も、各種の資格要件も備えています。何といっても、新カリキュラムですからね」
「でも、人間性は」
「それは選挙期間中に、自ずと明らかになります」
淡々とした、また確信を込めた言葉。
あくまでも落ち着いた物腰の副会長。
「面白くないな」
「心配ですか」
「木之本君は、今の会長が圧倒的に有利とは言ってましたけど」
「彼の分析は正しいです。単純に現職としての強みだけではなく、実績も今後の計画も」
それは私にも分かる。
ただ、納得は出来ない。
こういう人間の立候補を許す事自体。
「どうせ学校側が推してるんですよね」
「おそらくは」
「何かあったら、どうするんです」
「逆手に取ればいいだけです。この程度の相手に後れを取るようでは、先輩達に申し訳が立ちませんし」
笑い気味の台詞。
過信やおごりではない、決意を込めた。
先輩達の意志を継ぐという、強い意志を。
「どうしました」
「いえ。私はそこまで強くなれないなと思って」
自嘲気味に呟き、小さくため息を付く。
すると副会長はあまり大きくない目を見開き、口ごもった。
「どうかしました」
「雪野さんにそう言われるとは、思ってもなかったので」
「私の場合は、ケンカが少し強いっていうくらいですから」
「塩田を怒鳴りつけたじゃないですか。二度も。私も彼との付き合いは長いですが、そんな真似をしようとは思いません。精神的な強さがなければ、あんな事は出来ないでしょう」
優しい、励ますような笑顔。
そっと差し出される手。
私もそれを、控えめに握り返す。
暖かい、先輩の手を。