18-1
18-1
刺すような強い日射し。
青い空に浮かぶ、大きな白い雲。
だが風は澄み、緩やかに前髪を揺らす。
梅雨の明けた、夏の始まり。
それでもここは、程良い涼しさを保っている。
きっと真夏でも。
土地として高台にあるというだけではなく。
周りに生い茂っている木々が、初夏の暑さを爽やかに彩っている。
郊外ではなく、都心に近いのに。
しかも、自宅の敷地内に……。
芝の上にちょこんと座り、水分補給をする。
庭の奥から吹いてくる風は、木々の間をすり抜けてくるためひんやりとしている。
とはいえ日射しは強く、気温も高い。
気持ちいいと思っている間に、本当に気持ち良くなって倒れてしまう。
湧き水に、微かなレモンの風味。
あっさりとした、だからこそ心地よい味。
「きゃー」
目の前で上がる悲鳴。
芝の上に転がる少女。
今度は、鼻は打たなかったらしい。
大の字に倒れたサトミはよろけながら立ち上がり、体に付いた芝を払っている。
白いシャツと、厚手のジーンズ。
頭にはヘルメット、エルボーパットとレガースも。
「きゃー」
また倒れるサトミ嬢。
私はため息混じりに立ち上がり、彼女の元へ駆け寄った。
ローラーブレードを駆って。
ちなみに彼女も、同じ物を履いている。
車輪にキャタピラが付いているので、こういった芝の上でも走れるという訳。
走れない人も、中にはいるが。
「何してるのよ」
「だ、だって」
「きゃー」
すぐ後ろで悲鳴。
よろめく別な少女。
元野智美と、人は呼ぶ。
それでも転ぶ事はなく、少し前に進む。
こちらへ、ゆっくりと。
「あ、危ない」
私とぶつかる気らしい。
子供の三輪車にひかれる人がいたら、確かに危ないだろう。
彼女の場合は、それよりも遅いけど。
「きゃー」
「きゃー」
悲鳴を上げ合い、何故か抱き合う二人。
本人達は必死で、とにかく倒れまいと懸命だ。
なんか楽しそうだな。
彼女達の心境はともかくとして、少し羨ましく思う。
「た、助けて」
「ユ、ユウ。こっち」
「どっちよ」
手が離せないのか、目で訴えてくるモトちゃん。
彼女は狐が描かれたTシャツと、茶のキュロット。
勿論、ヘルメットとエルボーパットとかも付けている。
「芝だから、転んでも平気だって」
「み、見捨てるの」
大袈裟だな。
見捨てるんだけど。
ひゃーひゃーうるさい二人を放っておいて、芝の上を滑っていく。
実際には走っているにしろ、感覚としてはそう。
流れていく景色。
頬に感じる風。
あくまでもゆっくりと、緩やかに滑る。
「バウ」
併走して走ってくれる羽未。
ボルゾイだけあり、この程度は散歩にもならないといった顔。
待てよ。
「ロープか、ひも」
「どうして」
「ショルダーと首輪も」
理由は告げず、用件だけ告げる。
ショウは首を振りつつ、縁側辺りにあったそれらの品物を持ってきた。
さて、やるとしようかな。
「おい」
「いいの。ほら」
「バウ」
走り出す羽未。
私も一緒に走り出す。
流れていく景色。
さっきより早く、勢いよく。
でも私は、何もしていない。
ロープを手に握るだけで。
軽快に走っていく羽未。
私一人くらいは、平気だと言わんばかりに。
ショルダーにロープを付けて引っ張ってもらっているんだけど、本当に負担はないようだ。
ちょっとした犬ぞり気分で面白い。
げんなりしているショウは、この際見ない事にするとして。
「え」
いい気分に浸っていた途端。
景色が変わる。
石、木の根。
理由は定かではないが、足が地面に掛かり体が宙を舞う。
速度が出ていた分、かなりの勢いで。
視線の先に見える、まだ抱き合っているサトミ達。
彼女達は、後ろにいたはずだ。
こんな事もあるかと思いつつ、下に現れた雲を眺める。
などと、悠長に構えている場合でもない。
「よっと」
足を畳み、頭を体に近付けて回転の速度を増す。
もう少しか。
後はひねりを入れて、右へ流れていた体を戻す。
最後にロープを離して、着地の体勢へ。
前宙一回転半ひねり、といったところ。
また何もしなくたって、芝生の上に落ちるだけ。
これといった不安はない。
足を開いて膝を曲げ、着地の衝撃に備える。
少し腕を開け、バランスを取りながら。
すぐに伝わる、柔らかな感触。
芝にしては、柔らか過ぎる。
「バウ」
緑ではなく、白い毛並み。
私を乗せたまま振り返る羽未。
彼女があのまま走っていれば、その姿は遥か前方にあるはず。
でも羽未は、私の下にいる。
私を待ってくれていた。
「ありがとう」
その大きな背中にそっと頬を寄せ、柔らかな毛並みに触れる。
夏の日射しも敵わない、温かさに。
「何やってるんだ」
「いいじゃない」
羽未にまたがったまま、ショウの所までやってくる。
彼は黒のタンクトップに、薄い青の短パン。
足元は私同様ローラーブレード。
サトミ達のような、ヘルメットは付けていない。
それも、私同様。
「馬じゃないんだぞ」
「見れば分かるわよ」
軽く飛び降り、羽未の頭を撫でてお礼をする。
私なら、毎日でもこうして遊ぶけどな。
ただのここの家の人はみんな体が大きいので、初めからそんな気もしないのだろう。
どこの家でも、そんな気はしないかもしれないが。
「やらないの」
「モーターの調子が悪いし、怒られる」
肩をすくめるショウ。
彼のは、モーター内蔵。
なんでも、どこかの壁に激突したらしい。
今日だけではなく、過去何度も。
でも壊れたのは、壁の方。
怒ったのは彼の身を思ってなのか、それとも。
あまり考えないでおこう。
「木之本君は」
「あそこ」
芝の上に棒を突き立てながら歩く、優しげな顔の少年。
視線は時折、腰に付けられた端末へと向けられる。
「何してるの」
「宝探しだってさ。お祖父さんが言うには、先祖の宝物があるらしい。本当かどうかは知らないけど」
疑わしそうに木之本君を見やるショウ。
とはいえ古い家なので、宝物とはいかないまでも古銭くらいはある気もする。
「見つけたら、何割」
「全部やるよ」
「ふーん。羽未」
「バウ」
芝に鼻先を近付け、ゆっくりと歩く羽未。
するとその手が、芝を掻き始めた。
「ここを掘れって」
「骨でも埋めたのか?」
興味を引かれたらしく、顔を近付けるショウ。
だがその顔は、すぐに引き戻される。
「どうしたの」
「いた」
あった、ではなく。
いた。
「ヘビ?」
「まさか。ミミズだよ」
長物は嫌いなので、遠ざかっていくショウ。
私もそう好きではないので、距離を置く。
羽未はそんな私達に構わず、喜々として穴を掘り続ける。
まさか、食べないだろうな……。
「おっと」
突然肩に感じる重力。
何かと思ったら、薄茶の猫が乗っていた。
それも、大きな。
ショウのお父さんがもらったヤマネコで、イエネコとは訳が違うサイズ。
言ってみれば、小さい虎。
とはいえ子供の頃から飼われているため、性格はイエネコと大差ない。
「どうしたの、雪野さん」
「ん。この子を乗せたまま羽未の上に乗ったら、ブレーメンの音楽隊みたいだなって」
「はは」
明るく笑い飛ばす木之本君。
また冗談を、という顔で。
私は結構本気だったのだが、今日の所は止めておこう。
「にゃー」
案外可愛らしい声を出し、地面に降り立つコーシュカ(koshka)。
ロシア語で、子猫という意味らしい。
昔は、そのままだったのだろう。
とにかくコーシュカは羽未に負けないくらいの早さで芝の上を駆け、まだ騒いでいるサトミの足元へ丸まった。
猫娘同士、気が合うのかも知れない。
「小判は?」
「今の所、金属反応は無いね。もう少し、精度の良い探知機があれば……」
「どうしたの」
「反応あり」
腰に提げてある端末を指差す木之本君。
それは微かなアラーム音を立て、画面に何かを表示している。
「成分からいって、陶磁器かな」
「古いお皿?古伊万里とか」
「どうだろう。掘ってみない事には」
「任せて。ショウー」
別に、面倒がっている訳ではない。
人の庭を勝手に掘るのは良くないと思っただけだ。
大体、暑いし。
「人の庭で何をする気かな」
私の全てを覆う影。
首が痛くなりそうな位置にある、風成さんの顔。
私は彼を見上げ、足元を指差した。
「財宝が埋まってるらしいので」
「掘るの」
「ええ」
「駄目駄目。そんな事は」
強硬に否定する風成さん。
彼に付いてきたショウは背負っていたシャベルを地面に突き立て、肩をすくめた。
「あそこは、どうなんです」
苦笑気味に指差す木之本君。
私達のすぐ側。
勢いよく土を掻き出す羽未を。
「犬だからいいんだよ」
「バウバウ」
「止めて」
いつの間にかやってきたサトミが、嫌そうな顔をする。
私は小さなスコップを放り出し、芝の上にしゃがみ込んだ。
「掘りたいのよ、私は」
「あなた、許可は得てあるの」
「知らない」
「本当に、犬ね」
何が本当にか知らないが、それなら犬でいい。
「おじさん達から、好きにしていいとは聞いてますよ」
控えめに申し出る木之本君。
すぐにシャベルを手にするショウ。
風成さんは嫌そうな顔をして、私達から距離を置いた。
「どうか、なさったんですか」
「わっ」
彼の真後ろから声を掛けたモトちゃんは、自分の方が驚いて数歩飛び退いた。
「あ、悪い」
「私の気配にも気付かない程、気を取られているとか」
「さあ、何の事やら」
「ショウ君、お願い」
彼女の言葉を受け、一気に掘り進むショウ。
みるみる土が掻き出され、穴が深くなっていく。
「止めた方がいいと思うけどな」
「どうして」
「親父達の埋めた、誰かの骨とか出てきたらどうする」
「まさか」
素早く穴から離れ、サトミ達の後ろに回る。
信じてはいない。
そんな事をやるとも思っていない。
でも、しゃれこうべも見たくない。
「何かに当たった」
「ほ、骨?」
「あのな。ここからは、スコップで行くか」
「僕も見てみる」
しゃがみ込む二人。
木之本君はペンのようなアナライザーを取り出し、それを穴の中へと差し入れた。
「磁器かな。玲阿君、慎重に」
「ああ」
穴の中から出てくる、ショウの手。
そこに握られる、乳白色の物体。
「欠片だな。でも、これってどこかで」
「みんなで、宝探し?」
後ろから聞こえる、しとやかな声。
優雅な仕草で歩いてきた流衣さんは、耳元の髪をかき上げながらショウの手へと視線を向けた。
「それが、宝物?」
「さあ。俺にはただの、割れ物にしか見えない」
「あなたは、見る目がないのよ。ちょっと貸してみて」
手渡される、磁器の欠片。
瞬間細まる、流衣さんの瞳。
彼女はそれを木之本君へ向け、優しく微笑んだ。
「年代って、分かるかしら」
「データとリンクすれば、大まかには」
「どう?」
「……古い年代では、適合する物がないですね。多分、かなり最近の物じゃないんですか」
「私も、そう思う」
走り出す風成さん。
「四葉」
鋭いスライディングからのカニばさみ。
倒れる巨体。
それでも彼は素早く立ち上がり、ショウと向き合った。
「お前。義兄に向かって、何しやがる」
「姉さんの命令だからな」
「このシスコンが」
宙を舞う巨体。
プロレスのドロップキックに似た動き。
軽くかわすショウ。
だがその後頭部に、体と足をひねった風成さんの飛び後ろ蹴りが突き進む。
寸前でしゃがみ込みかわしたショウは、バックステップで彼との距離を開いた。
「義弟に、手加減無しか」
「しつけだ、しつけ」
「だったら、あなたは誰がしつけるの」
風成さんの肩に手を置く流衣さん。
戦っている二人以上の、苛烈な闘志を秘めて。
「な、なんだ」
「これは、一体どうしたのかしら」
彼の喉元に突き付けられる、磁器の欠片。
正確には、その尖った部分。
風成さんは額の辺りに汗をかき、顎を引きながらそれを見た。
「は、破片だろ」
「何の」
「そ、それは、その。古い家だから、ご先祖様がゴミと一緒に埋めたんじゃ」
「さっきの、木之本君の話を聞いてた?これは、最近の品物だって」
すごみを増す声。
薄くなる表情。
濃くなる気配。
琉衣さんは欠片をショウへ放り、ため息を付いて俯いた。
「あれは薄くて壊れやすいから、慎重に扱ってと言っておいたでしょ」
「ち、違うって。肘が当たったと思ったら床に落ちて、慌てて拾おうとして」
「拾おうとして?」
「その、足を出したら反射的に横へ出て。壁にひゅーって」
遠い、空の彼方を指差す風成さん。
笑う琉衣さん。
俯いた顔から、声だけが漏れる。
「どうして、埋めたの」
「そ、その。怒られると思って」
「あなたは、子供?」
「い、いや。成人男性だと思う。多分」
今度は風成さんが笑う。
その笑い声も、空の彼方へと消えていく。
「……捨てたつもりだったのに」
「そう、皿なんて捨てればいいんだよ。また買えって」
「血は、捨てられないのよね」
「は、はい?」
顔を上げる琉衣さん。
凛とした、武神にも似た顔。
震える程に美しい、戦いの化身。
全身から立ち上る、赤い闘気。
胸元で狭く構えられる、二本の手刀。
「あ、あの」
「玲阿瞬が長女、玲阿流衣。参る」
「ど、どこに……。わっ」
慌てて仰け反る風成さん。
瞬速をもってその喉元を過ぎる、彼女の貫手。
彼のTシャツが大きく避け、引き締まった胸元が露わになる。
「お、お前。つけ爪してるな」
「武器の有無は関係ない。戦いは勝ってこそ、その本分がある」
「ば、馬鹿。あ、危ないからっ」
夏の空に消える叫び声。
それをのんびりの眺める私達。
休日に相応しいかどうかは分からない、少し派手な夫婦ゲンカ……。
結局風成さんはおじさん達にもこっぴどく怒られ、しばらくは炊事当番だとか。
師範代のする事ではないが、琉衣さんの怒りを鎮めるにはそれでも甘いと思う。
「どうしてこなかったの」
「転ぶのが分かってて行く馬鹿はいない」
簡潔に答えるケイ。
嫌そうな顔をしているサトミを見ながら。
「それで結局、何が出たって」
「江戸時代の古銭が少し。木之本君が言うには、売るとお小遣いくらいになるって」
「本当はかなりの額で、あの子がいくらかポケットに入れてるんじゃないのか」
「あなたと一緒にしないで」
きつく睨み付けてくるサトミ。
ケイではなく、私を。
冗談で羽未に彼女を引かせたのを、余程根に持ってるらしい。
大して早くもなかったのに、何をそう怒るかな。
大体、きゃーきゃー喜んでた癖に。
悲鳴という意見もあるが、気にしない。
「暇だね」
欠伸をして、落書きしていたプリントをゴミ箱へ放る。
で、また違うプリントを持ってくる。
「仕事をしろ、仕事を」
「嫌だ」
差し出された書類に猫の絵を描き、突き返す。
「おい」
「いいじゃない。鉛筆だから、すぐ消せる」
「そういう問題か」
「そうよ」
力強く断言して、手の中で鉛筆を回す。
あーあ、なんかやる事無いかな。
「おぼっちゃまは」
「さあ。私は、あの子の親じゃないから」
「じゃあ、何なんだ」
「恋人?」
突然突っ込んでくるサトミ。
勢い余って宙に浮かび上がる鉛筆。
手首を返してそれを掴み、彼女の鼻先に突き立てる。
「あ、あのね」
「何」
「……何でもない」
あっさりと負けて、引き下がる。
悔しいな。
サトミでも描いてやれ。
顔がサトミで、体が猫。
名付けるなら、サトミ猫だな。
はは。
馬鹿みたい。
私が……。
「お腹空いた。パロトールついでに、購買でも行って来ようか」
「俺、アメリカンドッグ」
「私は、リンゴムースお願い」
こくこくと頷き、ドアを飛び出る。
じゃあ私は、何にしようかな。
「一人で、どうしたんですか」
「あ、渡瀬さん。購買……、じゃなくてパトロール」
「一人で?」
「うん」
見つめ合う二人。
通り過ぎていく生徒達。
流れる時。
「変わってますね」
「そうかな。私達は4人しかいないから、最高でも4人だよ」
「ああ、そういえば。冷静に考えると、無茶苦茶ですね」
笑われた。
それも、かなり楽しそうに。
「いいの。それより、渡瀬さんは」
「私も買い出しです。ジャンケンに負けたので」
両手でチョキを出す渡瀬さん。
当たり前だが、横歩きはしない。
そんな事をするのは子供か、私くらいだ。
「雪野さん?」
「何でもない。一緒に行こうか」
「ええ」
小さい者同士、肩を寄せ合い歩いていく。
なんて程でもないんだけど、大きくもない。
ガーディアンとしてなら、完全に下から数えた方が早いだろう。
誰が最後尾かは、考えないとして。
「玲阿さんは?」
「私は、あの子の親じゃないから」
「じゃあ、恋人ですか」
「はは」
軽く笑って、彼女の肩を揉む。
やや強めに、威圧を込めて。
「はは」
「へへ」
笑い合う私達。
奇異な目でこちらを見てくる、他の生徒達。
別に気にしない。
いつもの事だ。
これで舞地さんがいたら、本当に小さい者同士の寄り合いだな。
なんて事を思いつつ、例により混み合っている購買へと寄っていく。
広い横長のスペースで、私が主に利用するのは軽食や駄菓子のコーナー。
文房具も、たまには買うけどね。
購買部は低いケースに品物が並んでいて、それを向こう側のカウンターへ渡すスタイル。
色とりどりのお菓子やノートを眺めているだけで、もう満足といいたくなるくらい。
人混みを掻き分け、お菓子やジュースをカゴに放り込んでいく渡瀬さん。
どれを買うのか、全部頭に入ってるんだろうか。
見ている限りそんな気はしないんだけど、放っておこう。
気持は、分からなくも無いし。
「えーと、アメリカンドッグ下さい。後、これを」
リンゴムースと、自分用にカレーせんべいを渡す。
ショウは、いないからいいや。
カレーせんべいも、袋ごと買うから。
「……これ下さい」
真横から、少し高い位置にあるカウンターへ伸びる手。
ふ菓子か。
「わっ」
「どうした」
「い、いや。こっちの話」
小さい者が揃ったとは言わず、曖昧に笑う。
舞地さんはまたかという顔をして、ふ菓子の入った大きな袋を手に提げた。
「玲阿は」
「私は、あの子の親じゃないから」
「そう」
突っ込みもしない舞地さん。
彼女らしいが、少し寂しい。
言われた時の恥ずかしさは、この際置いておくとして。
「お待たせしました……。あ、こんにちは」
「ああ。また、たくさん買って」
「平気です。軽いですから」
頭の上まで、お菓子の入った袋を持ち上げる渡瀬さん。
恥ずかしい子だな。
「何よ」
「雪野と似てるなと思って」
「私は、もっと落ち着いてるわよ」
頭の上に向けられる、舞地さんの指先。
その先にある、私の買ったカレーせんべい。
「どうかしました?」
「雪野は元気だなと思って」
「そうですね。私よりも元気ですものね」
朗らかに笑う渡瀬さん。
鼻で笑う舞地さん。
虚しく笑う私。
周りの喧騒に消える笑い声。
このまま自分の存在も消してみたい……。
消える訳もないし、消さなくてもいい。
「辛いな、これ」
文句を言いながら、人のせんべいを食べる男の子。
「ガラム・マサラ配合?なんだ、それ」
「カレーを作る時入れる、基本的な香辛料」
「カレーは、カレー粉で作るんじゃないのか」
「あなたも、実家で炊事当番をしてきなさい」
突き付けられるスプーン。
私はその上に乗っていたリンゴムースごと口に入れ、口元を舐めた。
「あ、あなたね」
「それより、仕事は終わったの」
「終わりましたよ。私と浦田君が頑張ったお陰で」
陰険に睨んでくる遠野さん。
私は構わず紅茶でムースを流し込み、書類の入った封筒とDDを手に取った。
「出してくる。サトミも来て」
「面倒ね」
「いいから、ほら。ショウ達も」
ぞろぞろと、A-1ブロックへとやってくる。
提出先である、生徒会ガーディアンズへと。
「お届け物です」
「あ、また会いましたね」
握手を交わす、私と渡瀬さん。
笑っているのは私達だけ。
いいんだ、自分だけ楽しければ。
「丹下ちゃんは?」
「呼びましょうか」
「忙しいんじゃなくて」
「忙しいでしょうね」
笑いながら連絡を取る渡瀬さん。
分かりにくい子だな。
「忙しいのよね、私」
「仕事、仕事」
「受け取るのは、私の仕事じゃないの」
沙紀ちゃんは渡瀬さんの頭を軽く撫で、封筒を脇に抱えた。
「チィちゃんも、こういう事で呼び出さないで」
「だったら、どうして来たんですか」
自然に、純粋な問い掛け。
ふと緩む、沙紀ちゃんの表情。
「いいから、遊んでないで仕事して」
「真面目ね。ナオは」
「あんたが、不真面目なんだろ」
素っ気なく返す神代さん。
彼女も仕事中だったのか、右手にはペン左手には定規を持っている。
どうして持ったままなのかは、理解出来ないが。
「いいわ。後は阿川さん達に任せて、少し休みましょう」
「へぇ」
奥のドアから、顔を半分だけ覗かせる阿川君。
相当に恨みがましい表情で。
今のは見なかった事にしよう。
山下さんが、グローブの手入れをしていたのも。
駄菓子ではなく、もう少し高そうなお菓子を前にしてくつろぐ私達。
組織が違うと、予算も違う。
それはこういった形でも現れる。
「どうして、ポケットに入れるの」
「お腹一杯だもん」
はたきに来たサトミの手をかわし、チョコレートをポケットに突っ込む。
「恥ずかしいわね、もう」
「今さらだろ」
鼻で笑うケイを睨み、それでもキャラメルをもう片方のポケットへ入れる。
別に、そこまで食べ物に困ってる訳ではない。
でも、目の前にあれば話は違ってくる。
何が違うのかは、自分でも分からないけど。
「元野さんは?」
不意に声を掛けてくる、ショートカットの綺麗な女の子。
誰かなと思いつつ、別なお菓子を物色する。
「さあ。私は、あの子の親じゃないので」
「見れば分かるわ」
冷静な人だな。
少し笑っているようにも見えるけど。
「サトミ、知ってる?」
「重要監視区域をチェックするなんて、言ってた気もする」
「何、それ」
「淡水と海水の混ざってるあの池や、例のクラブハウス。とにかく学内全域をガーディアンがカバーするように、自警局から通達が来てるの」
なる程。
しかしあの子一人で、そんな所へ行けるのか。
「そんなの、モトちゃんにやらせないで自警局が勝手にやればいいじゃない。え、沙紀ちゃんよ」
「私も所詮は、末端の一人だから。もっと偉い人に言って貰わないと」
「誰に」
「自警課課長とか」
私の傍らに立っている、ショートカットの綺麗な子を指差す沙紀ちゃん。
彼女の胸に下がっているIDを確認して、沙紀ちゃんへ顔を戻す。
「今の、嘘」
「もう遅いの。北川さん、何か緊急の用件でも」
「いえ。ガーディアン統合の事で、少し聞きたい点があっただけ。木之本君は塩田議長の手伝いが忙しくて、話を聞けなかったから」
「でしたら、彼女へどうぞ」
逃げようとするサトミの手を握る沙紀ちゃん。
顔を見合わせ笑い合う二人。
周りの温度が低くなるような表情で。
「私はデータを取りまとめただけで、あの子達程内容は理解してません」
「どうしてあなたは、幹部にならないの?」
「そういう柄ではないので。人の上に立つ器でもありませんし」
「皮肉、それ?」
薄く微笑む北川さん。
サトミはたおやかに手を振り、沙紀ちゃんへ視線を向けた。
「彼女のような統率力も、人を引きつけるだけの力もありませんから」
「惜しいわね。あなたなら、連合の議長にもなれるのに」
「それはモトに任せます。木之本君でもいいけれど」
何の迷いも感じさせず返すサトミ。
北川さんも説得という勢いではなく、確認しただけの様子。
ただ彼女がそう聞いてしまった気持は、分からなくもないが。
「モトちゃんが議長ってのは、本当なの」
「塩田さんは、そのつもりらしいわよ。他に候補者は何人かいるとしても、彼女に敵う人間がいるかどうか」
「そこに、サトミや丹下達が推すから確実って事」
さりげなく補足するケイ。
なるほどね。
友は出世して、私は一人取り残される訳か。
とはいえ別に羨ましくもない。
向上心が無いと言われればそれまでだけど、面倒な仕事をやるよりはいい。
自警課課長だけあり北川さんは忙しいらしく、すぐに帰ってしまった。
仕事が終わっても、また仕事という感じなんだろう。
「どうしたの、ユウ」
「みんなは大変だなと思って。私は気楽で良かったって」
「俺は今でも忙しいけどね」
含みのある言い方をするケイ。
その意図は分かるが、それ程気にはしていない。
単に面倒なだけはなく、効率や精度を考えれば余計に。
「モトに頼んで、役職にでも付いたら」
「嫌だ。私はあくまでも現場で、生徒との肌と肌の触れ合いを」
「熱血教師か」
笑われた。
みんなに。
側を通りかかった、知らない子にまで。
「あのね」
「それより」
人の話を遮るショウ。
今、私の怒り以上に大切な事があるとでも言うのか。
「旧クラブハウスなんて、モト一人で大丈夫なのか」
そういう事か。
確かに、心配だな。
でも、一人で行く程不用意な子ではないと思うけど。
「名雲さんが一緒に行ってるわ」
「なら、大丈夫か」
納得する一同。
納得してないのは私と、答えたサトミくらい。
どうも面白くない。
「仲いいな、あの二人」
はっきりと言葉にするケイ。
後輩二人は、不安と好奇心の入り交じった顔で彼を見ている。
「あれは、悪い男に縁があるかも」
「何ですか、それ」
「昔いたんだ。その時は向こうの方がモトを意識してて、彼女もそれを悪くないと思って感じだった」
「随分語るのね」
少し迫力を込めて彼を見据えるサトミ。
ケイは構わず、鼻で笑った。
「しかし、大丈夫かな」
「何が」
「今の男は、結構周りから恨まれてるから」
もう一度笑うケイだが、さっきよりは少し表情に翳りが帯びる。
サトミも同様に。
それを気にしたのか、神代さんが明るい声を出して彼に話しかけた。
「その男の子は、どういう感じだったの」
「格好いいけど、愛想の悪い奴。とはいえ中学生の頃の話だから、今は全然変わってるかもしれない」
「確かにあいつは、格好よかったな」
あなた程じゃないと、全員がショウに突っ込む。
どうもこの人は、根本的に分かってないな。
それに、昔から変わってない。
いや。もっと格好良くなったかな。
「雪野さん、どうかしました」
「別に。私は何も変わってないなと思って」
丸い、ように見える頬を両手で包みため息を付く。
大体私は、あの頃と比べてどれだけ成長したんだ。
「私も、全然変わりませんよ」
「へへ」
「はは」
「はー」
渡瀬さんと二人でため息を付き、辺りの空気を悪くする。
成長し過ぎてる沙紀ちゃんをじっと睨みながら。
「……何か、騒がしいわね」
人の頭越しに、受付辺りを見ようとするするサトミ。
見えないし、見えて欲しくない。
というか、見ちゃ駄目。
「腰を浮かさないで」
「いいの、私が見るから」
単に見たいだけとも言えるが、気にしない。
ガーディアンの女の子が数人、輪になって騒いでいる。
よく分からないけど、揉めてる訳ではないようだ。
「誰かを囲んでるみたい」
「ちょうど、ああいう感じだった」
「何が」
「昔の、その男が」
指を指すケイ。
偶然だろうか。
ちょうどこちらを向く、女の子に囲まれていた男の子。
少し長めの髪。
凛々しい顔と、細身の長身。
愛想はないが、格好いいといった風情。
確かに似てる。
「あいつじゃないのか」
「まさか」
「根拠は」
「無い」
呆れるショウ。
とはいえ彼もそれ程自信がある訳ではないらしく、首を傾げている。
「サトミはどう思う」
「似てるには似てる。でも彼とはいつもいた訳でもないし、もう何年も経ってるから」
「でしょ。でも、似てるよね」
「どっちなんだ」
突っ込みを無視して、端末を手にする。
古い写真かビデオに、少しは映ってたと思う。
「はは」
「どうしたの」
サトミに、端末の画面を見せる。
両腕に包帯を巻いて、困った顔をしているショウの写真。
片手が骨折で、もう片方は打撲だった。
あの時は大変だったけど、今となっては少し気恥ずかしい思い出だ。
「これ、まだ光がいるわね」
「こっちは……」
痛そうな顔で、顎を押さえているショウの写真。
隣では、木之本君が申し訳なさそうに小さくなっている。
「ショウの写真が多いわね」
「気のせいでしょ」
「ならいいけど」
あっさりと受け流すサトミ。
私は端末をしまい、記憶の方へ切り替えた。
「どう?」
「知らない。というか、聞いた方が早い」
最も簡単で確実な方法。
初めからそうしろと言われそうだが、これはこれで楽しいの。
「こんにちは」
控えめに、抑え気味に声を掛ける。
向こうもこちらの視線は気にしていたらしく、顔をこちらへと向けてくる。
自然と左右に分かれる女の子達。
彼と私が向き合う格好となる。
あの頃は、自然と目が合った。
今は、見上げる程の位置にある。
私にとっては、大抵の人と……。
「あの」
「変わらないな」
「はい?」
「制服は、変わったみたいだが」
薄く、少しおかしそうに笑う彼。
私を覚えているという顔で。
当然私は何一つ笑えず、彼を睨み付ける。
多分これも、昔から変わってないんだろう。
「双子の、愛想がいい方は」
「大学院へ行ってる」
「なる程。あの子は」
「誰」
分かっていつつ、つい尋ねる。
ちょっと困った顔になる彼。
とはいえ意地悪をしていても仕方ないので、すぐに答える。
「知り合いと、パトロールというか仕事中。大幹部だから、忙しいの」
「そうか」
「あなたは、どうして戻ってきたの」
「仕事だ」
耳慣れない。
いや。耳にしたくない言葉。
「傭兵?」
「よく知ってるな。ここにはいないと聞いてたんだが」
「知り合いに、ちょっとね」
曖昧に答え、彼との距離を開ける。
精神的にも、少し。
「警戒しなくても、お前達に危害を加える気は無い」
「依頼内容にもよるでしょ」
「詳しいな」
「知り合いもいるし、経験者でもあるの」
私の言葉と同時に、前へ出るショウ。
その斜め後ろへ周り、サトミの位置を確認する。
「俺は、何もする気はない」
「それは信じたいが、先輩達が傭兵と揉めた経験があってな」
「お前とやり合うくらいなら、契約を放棄するさ」
素っ気ない口調。
ただ細い瞳の奥は鋭く輝いている。
「あの子達に捕まって、仕方なくやって来たんだが。やはり、まだガーディアンだったんだな」
「私達は、それ以外出来ないもの。勿論、彼女も」
鋭く返すサトミ。
彼は何も言わず、私達に背を向けた。
「また、会いに来る」
「挨拶として?それとも」
やはり戻ってこない答え。
去っていく背中。
微かに苦しくなる、胸の奥。
これからの展開を考えて。
モトちゃんの気持ちを思って。