エピソード(外伝) 17 ~丹下さん視点~
北地区だって
画面に表示される、この数日間におけるG棟の事件発生率。
隣りに、先月の発生率を並べてみる。
減っている数値。
微妙だが、有意差もある。
期間が短いため誰も調べないし、調べる必要のない事柄。
大体、理由がはっきりしない。
「そんな訳無いか」
一人呟き、画面を切り替える。
ガーディアン連合の出勤表。
5名、中等部へ出向。
先月と今とで、いくつも違う状況はある。
でも、これ程に違う事はない。
増えるのではなく、減るとは思わなかったが。
ただ彼等がトラブルメーカーというより、彼等を対象とする人間が大人しくなった結果だろう。
友人としては、そう判断したい。
生徒会ガーディアンズ、G棟隊長としても……。
「どうぞ」
机に置かれるマグカップ。
生クリームが表面に浮き、芳ばしい香りを立てている。
「お茶でいいのに」
「私も飲みたかったんです」
くすっと笑い、両手でマグカップを持つチィちゃん。
愛らしい顔と、短いお下げ髪。
体型も小柄で、見た目も何もかもが可愛らしい。
その外見を侮って、地に這ってきた人間は数知れないが。
「雪野さん達がいないと、静かですね」
ストレートな言い方。
それをたしなめる気にもなれず、曖昧に笑う。
無論彼女に、悪気はない。
だからこそ、発言はたまに厳しくなる。
本人の自覚もないまま。
「中等部に行ってるとか」
「ええ。楽しそうで、羨ましいわ」
机に積まれる書類とDD。
私一人で片付ける訳でないが、関わる必要はある。
休みという言葉を、最近聞いた事がない。
「沙紀先輩も、行かないんですか」
「この山をどうするの」
「今まで何とかなってきたんだし、これからも何とかなるでしょう」
疑問の余地すらない顔。
彼女の言う事は、何一つ間違っていない。
誰かが片付けているから、全ては滞りなく進んでいく。
今までもそうだったように。
今は、私が片付けているから。
少なくとも、チィちゃんは片付けていない。
「気楽でいいね、あんたは」
書類の上を数枚めくり、肩をすくめる神代さん。
精悍な顔立ちと、かなりの長身。
苦しいのか胸元は、いつも開け気味だ。
本人は自分を不良と評するが、内面は気の付くいい子である。
「いいよ」
のんきな答え。
それには返しようもなかったらしく、神代さんは首を振ってDDを一枚手に取った。
「でもある意味、チィの言う通りだと思いますよ。学校がある限り、この手の物は必ず発生するんですから」
「達観してるじゃない」
「諦めてるんです」
「いい考えだけど、面白くもないわね」
話し込んでいる間にも端末には、通達や報告書、G棟内で起きているトラブルの報告が入ってくる。
受付に行けば、各オフィスからの報告書も絶え間なく届いているだろう。
こうした事が無駄と言う気はないが、私がやりたい事とは違う気がする。
元々、事務志望ではないんだし。
「だから、たまに休みましょうよ」
あくまでも気楽なチィちゃん。
彼女はローテーションによる休暇があり、申請すれば休みも取れる。
私もそうだ。
規則上は、そうなっている。
「隊長としては、勝手に休む訳には行かないの。仕事もあるし」
「休みっていうのは、そういう事を気にしない物です」
なる程、真理だ。
などと納得したい所だが、現実的でもない。
しかし、魅力的ではある。
つまり、面白くない。
「……休んだ方がいいみたい」
ぽつりと漏らす神代さん。
私の顔を指差しながら。
「何が」
「爆発しそうですよ」
「大袈裟ね」
引き出しから手鏡を取り出し、自分の顔を見る。
昔よりは痩せた顔。
人が綺麗と言うからには、そうなんだろう。
少なくとも、昔のように笑われはしない。
「どうして隊長なんて、やってるんだろう」
「名誉な事じゃないんですか。手当も増えるし、将来にも有利とか聞いてますが」
「私は、現場タイプなの。ねえ、チィちゃん」
「仕方ないですよ。ほかになり手がいないんだから」
相当に辛辣な言葉。
当然今回も、本人に自覚はない。
「よう、集まってるな」
気楽に入ってくる七尾君。
彼のオフィスからの報告書を携えて。
「羨ましいね、丹下さん。隊長なんてやっちゃって」
子供っぽい顔に浮かぶ、明るい笑顔。
気さくな態度。
中等部からの親友。
小泉さんと共に、苦労と喜びを共にしてきた仲。
だからこそ、今の笑顔は腹が立つ。
「じゃあ、代わって」
「嫌だ」
きっぱり断られた。
容赦なく。
そんな彼を、じっと見つめるチィちゃん。
「ん、どうかした」
「未央さんに、隊長の話はこなかったんですか」
「ああ」
「ふーん」
別に深い意味があって、聞いた訳ではないだろう。
ただそれは、七尾君の心に深く突き刺さる。
私には要請があり、彼にはない。
必要とされていない。
つまりは、そう言っているような物だから。
「お、俺はさ」
「はい」
「いや、なんでもない。丹下さんは立派だ。ただ、それだけだよ」
頼りない口調。
弱々しい笑顔。
対照的にチィちゃんは、和やかに微笑む。
笑い事でない気もするが。
「未央さんって、最近中等部に行った事あります?」
「無い」
素っ気ない返事。
「じゃあ、行きましょうよ」
「俺みたいな駄目人間にも、仕事はあるんだ」
「何とかなりますよ。今までは何とかなってきたんですし」
「そういえば、そうだな。いい事言うね」
気楽に応じる男の子。
現実逃避とも言う。
「沢さんに怒られても知らないわよ」
「今さらって話さ。丹下さんは?」
「あなたの所はまだ少ないだろうけど、私の所はこの量よ」
「隊長を務まる人間は、いくらでもいる。嫌みじゃなくてね」
露骨に嫌そうな顔をする男女。
私はなるべくそれを見ないようにして、取りあえず現段階で溜まっている書類とDDを机に置いた。
副隊長と書かれた、プレートの隣へ。
「これを俺がやるとして、君はどうするのかな」
「ちょっと、用事がありまして」
「雪野さん達に触発されて、中等部に行きたくなった。とは言わないの?」
鋭い二人。
何というか、いたたまれない。
「いいじゃないですか。たまには隊長気分を味わうのも」
気楽に笑う七尾君。
阿川さんは彼の肩に手を置き、優しく微笑んだ。
優し過ぎる程に。
「だったら、君が味わえばいいだろ」
「いや、俺も用事があるんで」
「楽しそうでいいわね。休みなら、私達だって無いのと同じよ」
自分のスケジュール表を見せてくる山下さん。
私同様平日に休みはなく、先月は休日もかなりの部分が埋まっている。
「済みません。この埋め合わせは、必ず」
「冗談だよ。少なくとも、俺はね」
「人を鬼みたいに言って。後は任せて、楽しんできて」
理解ある先輩に後を託し、中等部へと向かう。
という訳も行かない。
一時とはいえ、責任ある部署を離れるのだから。
話だけは、通しておいた方がいい。
「楽しそうね」
わざとらしく書類をめくる元野さん。
彼女は連合のG棟隊長であり、議長補佐。
ある意味、私以上に多忙な存在だ。
今は副隊長であり同じく議長補佐である木之本君がいないため、その負担は普段以上だろう。
「誰かいないの?」
「サトミもケイ君も中等部。塩田さんはあっちへふらふら、こっちへふらふら。私一人で頑張ってますよ」
「嫌みね」
「言う相手もいないもの」
愚痴る元野さん。
事務の出来る人間は、無論いくらでもいるだろう。
ただし頼りになり、リーダーシップのある人間は限られている。
そうなれば必然と、彼女の所には関係ない事案まで集まってくる。
普段はそれを木之本君や遠野さん、浦田が捌いている。
今はそれを、彼女一人が。
愚痴りたくなるのも、無理はない。
無論、冗談半分ではあるだろうが。
「元野さんは行かないの?」
「これを燃やしていいなら、いつでも行く」
すごみを増す、穏やかな顔。
私の所同様、たまっていく報告や通達。
他人事でなく、ぞっとする。
「トラブルに関する分は、処理しないで直接私の所へ回して。今先輩達がやってくれてるから」
「怒られない?」
「今さらって話よ。ね、七尾君」
「いい気味、の間違いだったりして」
気楽に笑っている。
私も笑いたくなるが、止めておこう。
どこから、どう漏れるか分かったものではない。
「北地区の中等部は、名古屋城の側だった?」
「ええ。ここはすぐ隣りだものね」
「お陰で、気分が出ないわよ」
「確かに。じゃ、後はよろしく」
今度こそ、中等部へ向かう。
向かおうとした。
正門前に止まる、七尾君の車。
軽くなるクラクション。
「よう」
「何してるんです」
「俺が聞きたいね」
にやにや笑う風間さん。
彼に肩を組まれた七尾君は、やってられないという様子でため息を付いた。
「どこ行くの、沙紀ちゃん」
「その、中等部へちょっと」
「隊長の仕事は」
「阿川さん達に」
石井さんにそう告げて、すぐに分かった。
どうして彼等が、ここにいるのか。
「親切な奴がいてさ。学校を抜け出して遊びに行くっていうから」
「あんたは、普段から遊んでるでしょうが」
「お前もだろ」
いきなりもみ合う、風間さんと七尾君。
いつもの事なので、誰も気にしない。
慣れてない神代さんは、相当におろおろしているが。
「止めなさいよ、二人とも」
両者の顔すれすれに振り下ろされる警棒。
お互いは即座に飛び退き、自分こそ止めろと抗議した。
石井さんは聞く耳も持たず、私達を車の中へ押し込んだ。
「いいから、早く行ってきなさい」
「石井さん達は」
「一緒に行きたい所だけど、山下さん達に恨まれそうだから。休みの日にでもね」
「あ、はい」
笑顔でドアを閉める石井さん。
私は頭を下げ、運転席を見やった。
「どうしたの」
「なんか、取っついてる」
「え」
後ろを指差す七尾君。
確かに、何かが付いている。
「風間さん」
一緒に行きたいのか。
私達を行かせたくないのか。
どちらにしろ彼は、車の後ろに張り付いている。
「同じ先輩でも、阿川さん達とは全然違いますね」
ぽつりと呟くチィちゃん。
同感だ。
「バックして、壁で潰そうかな」
「未央さん」
「冗談だよ。石井さーん」
「分かってる」
車の後ろに回り、警棒を振る石井さん。
どこに当たったのかは知らないが、風間さんが車から剥がれた。
一応はバックカメラを確認して、七尾君は車を走らせる。
何か嫌な叫び声が聞こえた気もしたが、忘れよう。
帰った後にどうなるかも、気にしないでおこう。
向こうが忘れてくれれば一番いい。
彼が恨みを忘れない性質なのは、中等部の時にさんざん思い知らされたが……。
変わらない教棟、グラウンド、中庭。
違うのは生徒だけ。
甦ってくる、いくつもの思い出。
辛い事、楽しい事。
今の私を作り上げた、今となってはかけがえのない出来事。
「別に、何でもないって顔ね」
「ついこの間まで、ここにいたんだもん」
神代さんに、そう答えるチィちゃん。
では何で来たんだという、彼女の無言の問いには答えない。
「でも、広いね」
「そう?」
「あたしの中学はもっと小さいというか。高校でも思ったけど、生徒の数も全然違うから」
私はここ以外を殆ど知らないので、彼女の感慨はいまいち分からない。
ただ冷静に考えれば、納得出来る話ではある。
生徒ですら地図が必要となる学校は、確かに普通ではない。
「勝手に入っていいの?」
「大丈夫、大丈夫。悪そうな人間じゃない限り、警備員さんも止めないから」
チィちゃんの言う通り、各門には警備会社から派遣された警備員が常駐している。
学内はともかく学外に関しては彼等の領域である。
今も高校の制服を着た私達に視線を向けているが、特に不審だとは思われなかったらしく顔はよそへ向く。
「別に、変わってないな」
懐かしそうな顔をしつつ、やや不満げな七尾君。
彼や私が卒業してからは1年あまり。
それだけの期間では、気付く程の変化は少ないだろう。
私達自身は、どうか知らないが。
すでにクラブや生徒会組織の新入生勧誘は無く、私が石井さんと出会った桜並木は帰宅する生徒達で賑わっている。
そんな彼等とすれ違いながら、一般教棟の一つに入っていく。
あれから4年。
出会いがあり、別れがあり。
幾つもの出来事を経て。
私はまた、ここに来る機会を得ている。
母校を訪れるという、はっきり言えば何でもない話。
その気になれば、いつだって戻ってこられる。
今のように。
少なくとも、私は。
「沙紀さん、どうかしました?」
不意に現実へ呼び戻された感覚。
場所が場所だけに、色々考え過ぎてしまった。
考えても、仕方のない事を。
「昔は、ここにいたんだなと思って」
「思い出す事ってあります?」
「あなたはまだ、記憶の延長だろうけど。私はもう、卒業して1年以上経ってるもの」
「そんな物ですか」
分かってないような、気のない返事。
彼女が私と同じ気持ちになるのは、しばらく先の話だ。
この子の性格からすると、本当にそうなるかは少し疑問だけど。
「とはいえ、ここへ来たから何だって話だよな」
彼女以上に、素っ気ない言葉。
七尾君はつまらなそうに壁へ寄り掛かり、足を交差させた。
ただそれは、私と同じ心境がさせるのかもしれない。
母校へ来た。
懐かしさも少しは込み上げてくる。
思い出と共に。
決して楽しくは無い物も含めて。
物憂げにしている私達。
戸惑いと怪訝さを見せるチィちゃん達。
「来るんじゃなかったって顔ね」
「自分もだろ」
「さあ」
投げやり気味に答え、窓に手を寄せる。
中庭に集う、何人もの生徒。
遠くてはっきりはしない。
彼等が、楽しそうな事以外は。
かつての、私達みたいに。
「何してんの」
聞き慣れた声。
どんな時ですら、心が温まる。
意識を越えた部分でのつながり。
それは血縁だけとは、私は思っていない。
「姉ちゃん」
怪訝そうに私を見てくる真輝。
私はどうにか元気を取り戻し、背負っている木刀を指差した。
「あなたこそ、それは」
「これがないと始まらない。実戦系剣術の部員としては」
「もうクラブは始まってるんじゃないの」
「かもね」
いい加減な返事。
とはいえ彼が、不真面目な訳ではない。
クラブはともかく、剣に関しては何よりも真剣に打ち込んでいる。
決して、姉としてのひいき目ではなく。
「七尾さんも、渡瀬さんまで」
「たまには母校に来るのもいいと思っただけだ。ちゃんと、練習してるか」
「試してみる?」
「木刀とやり合う程馬鹿じゃない」
冗談っぽく両手を上げる七尾君。
ただ彼が本気になれば、例え木刀があろうと真輝が敵う相手ではない。
それに七尾君も、剣を扱えない訳ではないし。
私もまた。
「ちょっと、貸して」
「あ、うん」
「へへ」
喜々として、木刀を振るチィちゃん。
彼女は、警棒の扱いには長けている。
ただ、木刀はそうでもない。
端的に言えば、下手だ。
でも彼女自身は、木刀が好きらしい。
「うわっ」
変な叫び声を上げ、壁に張り付く神代さん。
鼻先を木刀がかすめ、髪の毛を跳ね上げたのだ。
「ごめん」
謝りつつも、チィちゃんは木刀を手放さない。
彼女が楽しみたいのは分かるが、危ない目にも遭いたくはない。
こんな事で、ガーディアンを呼ばれたらとんでもない事になる。
万が一、拘束でもされたら。
「もういいよ」
掌底気味に手を伸ばし、それなりの速度で振り下ろされた木刀を掴む七尾君。
一つ間違えれば、打撲どころか骨折もしかねない行為。
とはいえ彼なら、この倍の速度でも難なく受け止めるだろう。
「面白いのに」
「君の面白さより、周りの安全だ。ほら」
消える木刀。
正確には、振り下ろされた。
手首のみのアクション。
それは真輝の鼻先で止まり、束の部分が緩やかに回転して彼の手に収まる。
「危ないな」
「お前程じゃない」
「へん」
素早く持ち替え、正眼に構える真輝。
一瞬にして凍り付く辺りの空気。
肌を刺すような威圧感。
もし正面に立っていたら、彼の姿は木刀の彼方へ消えているだろう。
「多少は、ましだな」
満足げに頷く七尾君に、真輝もにこやかに応じて木刀を腰のフォルダーへ収めた。
武士の真似ではなく、実戦系柔術の正式なスタイルの一つだ。
背中に収める人もいて、その辺りは抜き方や個人の好みによる。
「真輝君は、ガーディアンにならないの」
「まさか。人を殴るなんて、野蛮な事」
ラウンジ。
テーブルを囲む私達。
クラブにも行かず、真輝はまだ私達と一緒にいる。
姉としてはそれをたしなめる方がいいのだろうが、自分の過去を振り返れば何も言えない。
「でも、これで殴ってるんじゃ」
当然の疑問を口にする神代さん。
不肖の弟とは初対面なので、やや控えめな口調で。
「そうだけど。これはあくまでもスポーツだから。ガーディアンみたいに、誰でも殴ってる訳じゃないよ」
「分かったような、分からないような」
「分からなくていいよ、ナオ。真輝君は、ガーディアン並に暴れ回ってるから」
「そうなんだ。血筋かな」
思わずといった具合に呟く神代さん。
彼女は自分が何か言ったかを、意識してないだろう。
私の耳には、はっきりと聞こえたが。
優ちゃんじゃないけれど、どうも印象が悪いな。
「ほら、暴れてるよ」
ラウンジの入り口辺りを指差したチィちゃんは、木刀を掴み立ち上がった。
この子は、自分で行く気だろうか。
「チィちゃん、駄目よ。ここは、中等部なんだから」
「私達は、ガーディアンじゃないですか」
「高等部のね。組織的なつながりはあっても、ここでの行動権限はないの」
「規則、ですか」
不満げになる、愛らしい顔。
その気持は、痛い程分かる。
過去だけでなく、高等部でも感じる事。
教棟の隊長としての立場と、ガーディアンとしての意識。
そのギャップ。
ただ感情にまかせて動けばいい物でもない。
今の瞬間、その一瞬は満足感に満たされるだろう。
しかし現実は違う。
それにより誰かが傷付き、誰かが責任取り、処理に追われる。
規則はそういった2次的な問題を防ぐ意味合いもある。
面白くない話ではあるが、誰もが好き勝手に動く訳にも行かない。
勿論、今の私達も。
「そう、規則。ここではあなたは、ガーディアンじゃなくてOGの一人に過ぎない」
「だけど、見過ごす訳にも」
「だ、そうだ」
笑う七尾君。
その視線は、彼の隣へと向けられる。
分かってるという顔をする真輝へと。
「木刀を」
「あ、うん」
おずおずと手渡すチィちゃん。
真輝はそれを担ぎ、いきなり走り出した。
群れている野次馬。
いきなり割れる彼等。
正確には、後ろから突っ込んできた真輝を避けて。
誰でも、木刀を振り回す人間を相手にはしたくないだろう。
やがてラウンジ内には、静けさが戻る。
いや、以前よりも静まり返る。
暴走とも言える行動を起こした、一人の少年によって。
「無茶苦茶じゃない」
やはり、思わずといった具合に呟く神代さん。
私は聞こえない振りをして、騒ぎの元となった入り口へと歩いていった。
怪我人が数名。
ただし真輝がやった訳ではなく、自分達で殴り合った結果らしい。
険悪な顔で睨み合う彼等と、その間で木刀を担ぐ真輝。
私は彼の傍らに近寄り、木刀を受け取った。
「ガーディアン顔負けね」
「手当は?」
「拘束される前に、逃げた方が良くない?」
「誰が」
何の疑問もない。
自分の信念を貫いた男の顔。
まだまだ子供で、どうしようもない子だけれど。
姉として、十分に誇れる弟であるのは間違いない。
「チィちゃん、ボディチェック。神代さんは、IDを」
「関わらないんじゃないですか」
「私が責任を取るから大丈夫」
「もう」
むっとした顔で、彼等に触れるチィちゃん。
それは私が前言を翻した事へと、私が犠牲になる事への彼女なりの不満だろう。
しかし先輩としては、こうするしかない。
規則は規則。
それ以前に、私はガーディアンであり。
一人の人間だから。
「ガーディアンが来るまで、大人しくしてなさい」
全員のIDをチェックして、高等部のガーディアンへ転送しさらに中等部へ送る。
その内来るガーディアンの手間を省くくらいは、やってもいいだろう。
「お、お前らは高校生だろ」
「だから」
笑い気味に応じる七尾君。
かなり楽しそうに。
「関係ないのに、何する気だ」
「揉め事が好きでね」
「なんだと」
ケンカ腰に近づいてくる相手。
七尾君は身を引き、大袈裟に手を振った。
「止めろよ。ケンカする気はない」
「じゃあ、引っ込んでろ」
「馬鹿が」
罵倒され、小馬鹿にされ。
それでも七尾君は笑っている。
別に怒りを堪えているようではなく、本当に楽しいようだ。
確かに彼等は本当に子供のようなもので、怒る気にもならない。
私の目からすれば、虎を挑発している蛾みたいな物だ。
多少邪魔かも知れない。
でも彼等が何をやろうと、その肌に傷を付ける事すら出来はしない。
「大体、お前は何だ」
「馬鹿が暴れてるから、止めただけさ」
邪険に返す真輝。
こちらは七尾君程のゆとりはない。
若い狼。
いや、飢狼かもしれない。
戦いに飢えた。
無論私は、弟を理解している。
彼が意味もなく、戦わない事を。
ただ理不尽な相手に対しては、その限りではない。
私自身が、そうなように。
とはいえ、私達はガーディアンではない。
つまり今のままでは、単なる私闘。
つまらない自制心が、自ずと作用する。
「神代さん」
「もう着きます」
「急がせて。一人だけ先行させてもいいって伝えて」
「了解」
すぐに連絡を取ってくれる神代さん。
彼女は現場タイプではないし、こういう状況が好きでないのは知っている。
ただし、冷静さは保っている。
今にも相手へ飛びかかりそうなチィちゃんとは違い。
それは私からすれば、お互いの長所であり魅力だと思う。
「お前、丹下だろう。ちょっとくらい強いからって調子に乗るな」
不意に出てくる名前。
勿論私ではなく、真輝へ対して。
どうやら、中等部ではそれなりの知名度があるらしい。
「やるね、君の弟は」
「自分だって、中等部の時は有名人だったでしょ」
「忘れた。昔の事は」
一瞬浮かぶ、寂しげな微笑み。
私はそれに同じような笑顔で返し、周囲に注意を向けた。
「丹下さん、来ます」
小声でささやかれる言葉。
野次馬の後ろ。
制服姿の小柄な少女が、その野次馬を掻き分けながら近づいてくる。
かろうじて見える袖口には、ガーディアンのIDが。
「どこかで見た顔だな」
ぽつりと漏らす七尾君。
かなり笑いを堪え気味に。
野次馬を抜け私達の前に現れたガーディアンの少女は、袖口のIDを指差し自らの身分を示した。
小柄で、大人しそうな顔立ち。
あどけない雰囲気は抜けきれず、かなりの緊張が伝わってくる。
どう見ても1年生。
つまりつい最近までは、小学生だった事になる。
「すぐに他のガーディアンも到着しますので、これ以上何もしないで下さい」
やや高いが、良く聞こえる声。
何か言おうとしたケンカの当事者が詰め寄ると、少女は瞳に力を込めて睨み返した。
「何もしないで下さいと、私は言ったつもりですが」
相手はおそらくは3年。
体格では比べるべくもなく、万が一殴り合いになれば彼女の負けは目に見えている。
しかし引くどころか、逆に押し返した。
その内面は分からない。
不安、恐れ、恐怖。
それでも彼女は貫いた。
ガーディアンとしての誇りを。
まだこれから芽生えていくはずの、本人も意識していない信念を。
私の妹は。
「お姉ちゃん」
私を認め、そう漏らす愛希。
彼女は真輝もすぐに見つけ、困った顔をする。
身内と会って恥ずかしいと言うより、私達が当事者と思ったのかも知れない。
それはあながち、間違いでもない。
「心配しないで。私達は、止めただけだから」
「ならいいんだけど」
姉の言葉を、あまり信用していない顔。
確かに、木刀片手では説得力に欠ける。
「君の妹は、優秀だな。俺なんて彼女の年の頃は、風間さん達の後を着いていくので精一杯だったのに」
「私もよ」
二人でささやき合い、きょとんとしている愛希を見る。
肩口にあるID、腰には警棒。
腕にはアームガード、足にはレガース。
紛れもない、ガーディアンとしての出で立ち。
まだまだ子供だと思っていたけれど、いつの間にか成長していたようだ。
少しの寂しさと、それ以上の嬉しさ。
いつも見守ってきた妹の、立派な姿に思わず胸が熱くなる。
「お前ガーディアンか」
狙いを愛希に定める男達。
愛希はこくりと頷き、腰を落とした。
やり過ぎじゃないだろうか。
「私は先行してきただけで、すぐに他の人が来ます」
「何も出来ないくせに、偉そうに」
「この野郎」
敵意を増す空気。
殺気だった気配が辺りに漂い、輪が狭まってくる。
「どうするよ」
「私に聞かないで」
「妹だろ」
「ガーディアンよ」
腰へ添えられる手。
警棒が半分抜かれ、姿勢が低くなる。
体は小さい、動きも頼りない。
だけど彼女は、負けていない。
何よりその気迫で。
先輩達が来るまでの時間稼ぎだとしても。
大した役割ではないとしても。
それを全力で成し遂げる。
自分に与えられた仕事を。
自分の出来るだけの力で。
周りに誰もいなかったら、抱きしめていた所だ。
「おい、いい加減にしろ」
「お前、まだ用があるのか」
「ガーディアンでもないのに、調子に乗るなよ。この野郎」
愛希の前に出る真輝。
一瞬下がる視線。
それは火を噴くような勢いで、彼等へと向けられる。
「ガーディアンだろうと何だろうと関係ない」
「何?」
「俺の妹に一歩でも近づいてみろ。骨を折るくらいで済むと思うな」
恫喝。
いや、真実を込めた言葉。
空気が震えかと思う程の威圧感。
他の何でもない。
妹を守るための。
「神代さん」
「え、はい。あ……、もう来ます」
「分かった」
軽く手を叩き、全員の注目をこちらへ集める。
安堵感、焦り、恐怖、不安。
多少の敵意も感じるが、一睨みでそれは消える。
「ガーディアンの本隊が来るから、全員大人しくしてなさい。これ以上暴れるなら、こっちのお兄さんが黙ってないわよ」
「おい」
「……来たわね」
野次馬を掻き分けつつ、ようやくやってくるガーディアン達。
彼等は手際よく揉めていた男の子達を捌き、こちらへ視線を向けてきた。
見慣れない人間がいるので、不審に思ったのかも知れない。
「丹下さんと、七尾さんですか」
「知らない」
非常に嫌な予感がするので、背を向けて別な出口を探す。
「そうよ。丹下沙紀さんと七尾未央さんよ」
胸を張るチィちゃん。
悪気はない。
でも、嬉しくもない。
「あ、あなたは、渡瀬さん」
「こんにちは」
少なくとも、彼女とは知り合いらしい。
最近までここにいたので、不思議はない。
私には、関係ないが。
「お、お話は以前から伺ってます」
「どんな」
素っ気なく、しかし興味津々に尋ねる神代さん。
話し掛けてきたガーディアンの隊長らしい女の子は、手を胸元で揉み絞り瞳を輝かせた。
「弱体化していたガーディアン組織を、今のレベルまでに引き上げた先輩達がいると」
「すごいわね、七尾君」
逃げ出そうとしていた彼の襟首を掴み、足を払って床に転がす。
後は任せよう。
「その子が詳しいから、話を聞かせてもらいなさい。私は忙しいから」
「は、はい。今度は是非、丹下さんも」
「考えておくわ」
ガーディアン達に捕まる七尾君の叫び声を背に聞きながら、人混みを通り抜けていく。
不安と恐怖は相変わらず。
しかしそれ以上の、羨望や憧れ。
敬意の念が伝わってくる。
勘違いもいい所だ。
頑張ったのは先輩達で、私達はその手伝いをしたに過ぎない。
少なくとも、お姉様呼ばわるされる覚えはない……。
気付いたら、正門まで来ていた。
周りには、私一人。
チィちゃん達は残ったのか、はぐれたのかは分からない。
ただ帰れなくなる場所ではないし、私にとっては紛れもない地元。
このまま実家に帰るのも、悪くない。
「何してんの、あんた」
浅黒い肌、精悍な顔。
今日はバトンを、担いではいない。
「そ、その。たまには母校を訪問しようかと思いまして」
「仕事を放り出して。あなた、そういうの好きね」
凛とした表情、醒めた視線。
私は鼻を鳴らし、彼女の顔を指差した。
「自分こそいいんですか。自警課長が、こんな所にいて」
「中等部に届け物があったからよ。あなたとは違って、仕事で来てるの。丹下さん」
「そうですか、北川さん」
皮肉っぽく返した所で、一つの考えが脳裏をよぎる。
「あの、土居さん」
「なに」
「ここへ来る事ってあります?」
「あるよ。中等部の指導で、たまに」
何を言ってるんだという顔。
私は頼りなげに微笑み、長く伸びた影に視線を向けた。
薄い、消え入っていく存在に。
「あんたは無いの」
「ええ。そういうのは、断ってきました」
「ふーん。北川は」
「今日も来てますし、立場上訪れる機会は多いですよ」
普通に答える北川さん。
何かを気にする様子もなく。
いや、私が考え過ぎているだけなのだろうか。
「小泉や、峰山の事?」
「え、ええ」
鋭く突いてくる土居さん。
私はため息を漏らし、塀にもたれた。
東の空はすでに暗く、西の空も赤から藍に変わりつつある。
やがて全ては、闇に消える。
「分からなくも無いけどね。右藤さんや、左古さん達の事も考えると」
「でも、楽しい事もあったじゃない」
小さなささやき。
夕暮れの風に乗る。
いつまでも心に残る。
切ない言葉。
「そう、ですね」
「気のない返事だね。七尾は」
「後輩に捕まってます」
「捕まえさせた、じゃなくて」
鋭く見抜いてくる北川さん。
私は曖昧に笑い、手を振った。
「あ、危ないっ」
「え」
「そ、それ」
血相を変える彼女。
何を慌ててるんだと思いながら、その綺麗な指の指し示す先を追う。
「あれ」
手に握られたのは、木刀。
それも、かなり使い込んだ。
「弟のを、持ってきたままだった」
「真輝君。そういえばあの子、こんなの持ってたわね。どうして男の子は、こういうのが好きなのかしら」
「ごほん」
すぐ近くで聞こえる咳払い。
バトンを操り、実戦系剣術の修行も積んでいる女の子の。
「北川、何か言った」
「いいえ。私も好きですよ、木刀」
「それはよかった。明日、訓練して上げる。デスクワークだけだと、面白くないから」
「ありがとうございます……」
地の底から響くような声。
土居さんは上機嫌に笑い、私の肩を抱いて車を指差した。
「さあ、帰ろうか」
「でも、まだ七尾君と後輩を残してますから」
「連絡すればいいから。それに泣いちゃうといけないしね、あんたが」
優しい笑顔。
私は思わず彼女へ寄り添い、そのまま車へ乗り込んだ。
その温かさに身を任せて。
「運転は、私ですか?」
「申し訳ありませんね、自警課長」
「いいんですよ。G棟隊長」
「羨ましいね、役付きで」
笑いの絶えない車内。
翳っていく空。
訪れる闇。
でもここは明るく、暖かい。
仲間の中は、いつだって。
今も、昔も。
了
北地区編、でしょうか。
ユウと違い、かなり落ち着いた語り口調。
この辺は育った環境が違うので。
何より、性格が……。
こうしてみると、北地区の方も人材は揃ってます。
丹下、七尾、北川、渡瀬。
風間、石井、土居、阿川、山下。
真輝(丹下さんの弟)、愛希(妹)。
ユウ達が少人数で動くタイプなのに対し、彼等はかなり組織だって動くタイプ。
それはお互いの環境がそうさせた面も強いです。
どうしてそうなったかは、中等部編にて。
ここにいない人間。
つまり峰山と小泉。
彼等はこの二人の影を引きずっているため、今回のような心境になるのでしょう。
丹下さんや七尾は、特に。
より正確に言うなら、小泉という存在が。
彼等にとっての同僚であり、先輩であった人。
今の彼等を作り上げたのが小泉だというのが、中等部編で語りたい事でもあります。
その辺についてはまた色々あるので、中等部編にて。