17-9
17-9
昼休み。
大勢の生徒で賑わうオフィス内。
うるさいと思える程の話し声と人の数。
元々人の集まるオフィスだったらしく、ここにいるガーディアン達は特に気にした様子もない。
普段4人しかいない私にとっては、感慨を覚える光景である。
「……あれ」
「どうした」
「高畑さんがいない」
「そういう時もあるだろ」
私より高い位置にある視線で、受付を見渡すショウ。
しかし、彼女の姿は見つけられなかったらしい。
「相棒もいないぞ」
「おかしいな。今日は来るって言ってたのに」
「少し、聞くか」
私達を見るや、笑顔で会釈する小さな女の子達。
私は挨拶もそこそこに、高畑さんの事を尋ね出した。
「高畑さんですか?食堂で、野並さん達と一緒にご飯食べてましたよ」
「その後は知らない?」
「大きな男の子達とどこかに行ったみたいです。髪の毛の立った」
即座に視線を交わし合う私とショウ。
それだけで判断するのは、普段なら性急と思うだろう。
しかし彼女達とあの男達がやり合った事。
その性質。
待って何かが解決する訳はない。
「エリちゃん知らない?サトミ達も」
「ジュースを買いに行きましたよ。購買じゃなくて、渡り廊下の所へ」
人が行き交う廊下を一気に駆け下り、渡り廊下をひた走る。
目に飛び込んでくる自販機コーナー。
その周りで、紙コップを手にしながら話し込んでいるサトミ達。
向こうもこちらに気付いたらしく、お互いに視線を交わし合う。
「どうかしたの」
「高畑さん達が、あの男達とどこかに行ったみたい」
「学校は出たのかしら」
「まだ調べてない」
サトミは端末を取り出し、学外の警備員と連絡を取り始めた。
曇る表情と、重くなる口調。
渡り廊下の屋根を打つ雨が、妙に大きく聞こえる。
「今、全員が出て行くのを見たそうよ」
「場所は、と。正門だから、すぐそこね」
「分かった。サトミ達は、後から来て。ショウ」
傘を差し、正門から続く通路を歩いてくる二人の姿。
私はその前に立ち、息を整えた。
高畑さん達がいない事を確認しながら。
「あ」
小さく上がる声。
引き気味の体。
ショウが素早く反対側に回り込み、二人の首筋に手を添える。
「質問に答えろ。高畑さん達はどこだ」
「お、俺達は」
「どこかと聞いてる」
低い、虎の咆哮にも似た声。
二人は傘を落とし、真っ青な顔中に汗を吹き出した。
「せ、先輩が女を用意しろといって」
「高畑さん達を渡したっていうのっ」
「だ、だって。そうしないと殺すって」
「し、仕方ないんだよ。ほ、本当にそのくらいする人達なんだから」
真に迫った表情。
その真意はともかく、彼等がそれを信じ切っているのは理解出来る。
自分の保身と引き替えに、高畑さん達を引き渡したという事実も。
「自分さえよければ、人はどうなってもいいっていうのっ。あの子達はまだ、中学生なのよっ。あなた達よりも全然弱い……」
「だから、そうしないと俺達が」
「こ、怖いんだよ、俺だって。ほ、本当に」
震え出した体が地面に崩れ、膝を付く。
降りしきる雨の中濡れていく哀れっぽい姿。
この間までの威勢の良さは、どこにもない。
自分の行為を悔いて、謝る二人。
だからって。
だからって、そんな事で何が解決するというのか。
ここで嘆いて、後悔したからといって。
「それで、そいつらの行き先は」
「し、知らない。お、俺達はこの辺で会うだけだから。ほ、本当だよ」
「じゃあ、立ち寄りそうな場所や、仲間の家は」
「だから、知らないんだって」
頼りなげな呟き。
緩い風が雨を散らし、横から叩き付けてくる。
爆発しそうな気持を逆なでするように。
そこに、ようやくサトミ達が小走りで駆け寄ってきた。
床に転がっている二人と押し黙っている私達を視界に収めた彼女は、タオルをこちらへ投げてきた。
「風邪引くわよ」
「それどころじゃないでしょっ」
「落ち着いて。話は、端末で聞いてたから」
「じゃあっ」
思わず大きくなる声。
ここでサトミに怒っても仕方ないとは分かっていても、何かをしていないと自分がどうかなってしまいそうな気分。
彼女達を連れ去った理由なんてのは、考えるまでもない。
もし何かあったら、それはもう後悔という言葉では済まされない。
その原因の少しが私達にあるというだけではなく。
あの笑顔を汚そうとするなんて事は……。
いや、今は落ち込んでる場合じゃない。
その償いは、後でいくらでも出来るんだから。
間に合いさえすれば。
「その連中に、チーム名はないの。グループの呼び名でもいいわ」
「……確か、JIポップとか」
「そう。何か、思い当たる事はありますか」
「急に呼び出して来るから、何かと思ったら」
黒い傘。
落ち着いた物腰。
薄い表情。
阿川君は床に手を付いたままの二人を見下ろし、鼻を鳴らした。
「そういう古いグループは、俺も知ってる。多分今は、名前を変えてるだろうけどね」
「分かりました。じゃあ、あなたは」
阿川君の隣りに立っている、快活そうな女性へ話を振るサトミ。
見慣れない顔だが、手に握り締めている赤いバンダナは見覚えがある。
「パニックビートですね、おそらく。ただ、居場所まではちょっと」
「それは、俺が調べよう。……聞きたい事がある」
端末へ向かって小声で話していた阿川君は、数度頷き正門の外へと顎を向けた。
「ドラッグや女の子を連れ込む場所が、今池にあるらしい。そこが本命で、それ以外は俺の知り合いが今向かってる。君の支部か何かも、動かせるかな」
「ええ。私達の方でも、協力させて頂きます」
阿川君が告げた場所を、端末で告げ出す女の子。
ようやく思い出したが、この間私達を助けてくれたディフェンス・ラインの子だ。
「あ、ありがとう」
「いいんです。私は一旦事務所へ戻りますから、何かあったら連絡して下さい」
正門へ女の子が駆け出したのを見届け、もう一度息を整える。
場所が分かったのなら、やる事は一つしかない。
それに事が事だ。
警察へ連絡して、大事にもしたくない。
「車より、バイクの方が早いわね。サトミはどうする」
「ショウの後ろに乗るわ」
「そう。じゃあ、行こうか」
「俺も行こう。君達のバイクも、もう正門に置いてある」
雨を弾くフェイスカバー。
水たまりの出来たわだちを避けながら、車の間を縫って走る。
焦る気持ちと、出ないスピード。
法定速度は超えている物の、気持ばかりが急いていく。
「……永理?……そう、使えそうな人間を何人か待機させておいて。それと、パトロールを強化して、不審者のチェックも。学外の警備と連絡を密にね」
ヘルメットのレシーバーから聞こえるサトミの指示。
しかしどれもが緊張感を伝える物ばかりで、いい話は何も入ってこない。
「大丈夫、だよね」
小さな呟き。
先行する阿川君の後ろに乗っている木之本君の声。
スピードの出し過ぎや、事故の危険性を言っている訳ではない。
彼にも今が、そんな状況でないのは十分分かっているから。
言おうとしたのではない、おそらくは本人も意識をしていない呟き。
私はアクセルをさらに開き、姿勢を低くした。
その気持ちが少しでも速度へと変わるように……。
薄暗い、バーやクラブの並ぶ路地裏。
走っている車は殆ど無く、雑居ビルへの出入りが多少ある程度。
いつか見た景色と大差ない。
本当は全然違うのだろうが、その雰囲気が同じに思わせる。
暗い、内側にこもった空気。
おそらくは、普通のバーやクラブとは本質的に異なるからこその。
「ドラッグをやってる可能性もあるから、注意するように」
真っ先に階段を上がっていく阿川君。
どうして付いてきてくれたのかは言わないが、彼の雰囲気もまた普段とは違う。
肌を刺すような、怒りを越えた気迫。
ただそれは、私も同様だ。
私達も、というべきか。
「開けろ」
インターフォン越しに、そう命じる阿川君。
当然ドアが開く気配はない。
「交渉してる余裕もないな。玲阿君、頼む」
頷き様、ショウの拳がドア脇のセキュリティに叩き付けられる。
飛び散る破片と立ち上る煙。
モーターの止まるような音がして、ドアがわずかに揺れる。
それに合わせて手を掛けるショウ。
わずかに横へずれるドア。
阿川君はそこへ警棒を差し入れ、足で蹴りつけた。
さらにドアが開き、人の通れるくらいの隙間が出来る。
「一気に行こう。俺が囮になるから、君達は女の子達を探して」
薄暗い店内。
だが即座に明かりが灯る。
何をやったのかは分からないが、木之本君が強制的に点けたらしい。
意外と綺麗で、明るい内装。
クラブハウスなのか、インディーズバンドのポスターが整然と並んでいる。
真っ直ぐな廊下。
その先にあるドアの向こうで、派手な叫び声が上がっている。
阿川君を心配する必要は無いので、周囲に視線を向けて怪しい場所を探す。
乱れる意識を集中させて、耳を澄ます。
自分達の足音、自分の鼓動。
視線をよぎる影。
正面ドアの向こうが、おそらくはライブ会場。
左右には、いくつかのドアがある。
二階に観客席があるのあろうか。
正面ドアの高い位置にある壁の向こうに、人影が消えた。
スティックを壁に突き付け、そこを足場にして斜め上へと飛び上がる。
後ろを付いてきていたサトミ達を一気に飛び越え、入り口の脇にあった細い階段を駆け上がる。
「ユウッ」
下からショウが放ったスティックを受け止め、壁に沿って付けられているこれも細い通路を歩く。
後から設置したのか安定感が無く、歩くたびに金属のきしむ音がする。
薄いベージュの壁と同色のカーテン。
隠し扉ではないが、照明がなければまずは気付かないだろう。
待ち伏せに備え、慎重に進む場面。
普通なら。
今は自分の事を気遣っている場合ではない。
私はスティックを構え、カーテンの奥へと一気に駆け込んだ。
風を切る音。
それを感じるより早く、腕が上へと動く。
振り下ろされた警棒をスティックで受け止め、がら空きの脇腹に膝を叩き込む。
私が思っていた二階の観客席ではなく、音響を操作する副調整室。
観客席を見れるように正面には横長の窓があり、室内には複雑そうな機械が居並んでいる。
そんなのは気にも留めず、倒れてきた男を向こう側に蹴りつけてスティックを背中に戻す。
「大丈夫っ」
「え、ええ」
「わ、私達は」
微かに赤い頬。
怯え気味な表情。
ただ二人とも服装が乱れている様子はなく、少しの安堵感が胸の中に湧き出てくる。
「そ、それより、風が奥に」
「は、早く行って下さい」
まだ連中の仲間がいるかも知れない状況。
自分達だって、恐怖にさらされ続けていたはずなのに。
その不安から、立ち直る程の余裕があるとも思えないのに。
何よりもまず、高畑さんの身を案じた。
「……大丈夫、みたいね」
「サトミ、二人をお願い。ショウ、高畑さんは奥にいるって」
「分かった。俺が先に行く」
私達が入ってきたカーテンとは違う、金属製のドア。
開けるのは手動だが、手を掛けても動く気配はない。
「吹っ飛ばすから、俺の後ろに」
腰を落とすショウ。
躊躇無く前に出る体。
低い位置からのタックルにも似た動き。
体育館で、彼に仕掛けてきたそれとは全く別物の。
肩口から当たったショウに合わせて、向こう側へと倒れるドア。
それと同時に彼の体が、奥へと消える。
私も彼の影となって、その後ろから飛び込んでいく。
真っ先に見えたのは、大きめのマット。
そこに横たわる高畑さんと、上からのしかかろうとしている男。
頭の中が真っ白になり、完全に意識が切り替わる。
理性や感情といった物は全て消え去り、単純に行動をするだけの存在へと。
狩りをする獣のように。
壁際に吹き飛ぶ男を確認して、高畑さんの腕を押さえていた男に膝を跳ばす。
顎を引きかろうじてかわす男。
それを見越して足を振り上げ、下から蹴り上げる。
浮いた顎に踏みきった足で前蹴りを繰り出し、やはり窓際へと叩き付ける。
「ひっ」
ビデオを構えていた男が、ドアの吹き飛んだ出口へと逃げる。
よろめきながら立ち上がった高畑さんの手を引いて。
「ショウッ」
「ちっ」
頬の血を拭き取り、腰を落とすショウ。
だが男は、出口からやって来たサトミ達を見て動きを止める。
懐からナイフを抜いて。
目配せする私とショウ。
どちらかが牽制して、どちらかが動けばいい。
私からの位置はマット越し。
動くには、やや不利なポジション。
だからこそ、不意を突きやすい。
ショウもその考えを理解したらしく、体を振りながら大きくステップを踏み出した。
当然そちらへと目を向ける男。
私は膝を曲げ、マットを飛び越えようと体の中に力をためた。
「高畑さんっ」
突然の叫び声。
それに反応して、強引に前へと出る高畑さん。
ショウの動きに気を取られていた男は、意外な程あっさりと高畑さんを逃す。
だが彼女は、男にとって唯一ともいえる生命線。
握り締めたナイフが振りかぶられ、駆け出しながら彼女の目の前へと突き立てられる。
「セッ」
鋭い気合いと、懐へ飛び込んでの肘打ち。
その肩口をナイフがかすめ、髪を散らす。
「木之本君っ」
「……大丈夫、かすっただけだから。浦田君のおかげだね」
いつにない軽口。
インナーのプロテクターのためか、ジャケットは裂けているが血が出てくる様子はない。
ケイが斬られた後に、それが配備された事を言っているのだろう。
「あ、あの。だ、大丈夫、ですか」
「僕はね。高畑さんこそ」
「わ、私は。そ、その。怖かったですけど。でも、何も、何もなかったです。そ、それより、あの二人は」
「先にタクシーで、中等部へ帰らせた。あなたも、木之本君と一緒に戻りなさい」
そっと彼女の肩を抱くサトミ。
まだ不安げな表情が抜けきらない高畑さんは、視線を彷徨わせて最後に木之本君と向き合った。
少しの沈黙。
ゆっくりと伸ばされる指先。
「あ、ありがとう、ございました」
「このくらいの事でいいなら、いつでも。さあ、野並さんと赤池さんの所へ戻ろうか」
「は、はい」
元気のいい声。
微かに浮かぶ笑顔。
木之本君は優しく微笑み返し、彼女の手を取ってドアの取れた出口を出て行った。
「帰すのはいいけど、仲間がまだ中にいるんじゃないのか」
「心配ないわ。そうですよね、阿川君」
「全員片付けた」
血塗れのジャケット。
ショウのように自分の血もあるだろうが、かなりの部分は返り血に見える。
それをとやかく言う者は誰もいないし、言わなくても理解している。
「まだ何か企んでたら事だ。少し聞くか」
容赦なく床に転がった3人の脇腹を蹴りつけるケイ。
普段なら止めに入るところだが、今は理屈としても感情としてもそんな気にはならない。
「警察が来る前に、いくつか聞く。彼女達をさらった以外に、何をする気だった」
「だ、誰が言うか」
「浦田君。もっと手っ取り早く進めよう」
男達を壁際へ集め、腰を屈める阿川君。
その手には、いつのまにか細いナイフが握られている。
「全部無くなる前には、何か話すだろう。どこからにする」
「親指からお願いします」
「分かった」
手首が掴まれ、親指にナイフが突き付けられる。
すぐに浮き出る鮮血。
事務的に会話を交わした二人は、微動だにせずその様を眺めている。
「や、止めろ。や、止めて下さいっ。は、話しますから」
「嘘や時間稼ぎをするなら、指だけで済むと思うなよ」
淡々とした、だからこそ真実味のある口調。
正直私にも、それが単なる脅しなのかは読みとれない。
「が、学校に。中学校に、仲間がいるんです」
「ドラッグをやってた馬鹿は、こっちで片付けた」
「そ、そいつらじゃなくて。チームの仲間が、さっき女を連れてきた時に入り込んで。その時見つからなかった女を捜すとかいって」
即座に端末で連絡を取り出すサトミ。
ケイは彼女に聞こえるくらいの声で、質問を始めた。
「男達の特徴と、狙われてる子は。写真かビデオを見せろ」
「た、端末に入ってます」
「……サトミ」
リンクされた端末の画面に映る、かれらが集団で写っている写真。
男は指でその中の二人を指差した。
「狙われてる子は」
「そ、その後に」
「この子達か」
「俺達と遊びたいっていうから、多分大丈夫だろうって。学校が面白くないって言ってたし、ドラッグでも渡せば……」
言葉は最後まで続かず、口から鮮血が漏れる。
ケイは足を引き、その股間をかなりの速度で蹴り上げた。
彼だけではなく、隣りに転がっている二人にも。
悲鳴すら上げず、体を小さくする男達。
すぐに床が濡れ体を濡らしていくが、それを気に掛ける余裕もないらしい。
「彼女達を襲った事は、何があっても警察に言うな。ドラッグをやってるのを見つかって捕まえられたと答えろ」
真っ青な顔が微かに動き、体が普通じゃない程に震え出す。
その股間を再び蹴り上げられ、喉元に足を突き付けられる。
「いいか。お前らのは、二度と使い物にならなくなった。もう一度言うぞ。もう二度と、使い物にならなくなったんだ」
頷きもせず、震え続ける3人。
何故かライターを取り出して顔の前で振っていたケイは、彼等を一瞥もせず部屋の外へと出ていった。
学校へ戻るために、雨の降る道を疾走する私達。
さっきまで程の焦燥感は薄い。
狙われているのが高畑さんに絡んでいた子達という、自分でもあまり良くはない考え方も無くはない。
ただそれだけではなく、学内ならそう目立った行動は取れない。
すでに警備は厳重にしてあるし、ガーディアンを使えば解決出来る問題だ。
「……ガーディアンを動かせない?」
そんな甘い考えを吹き飛ばす、サトミの声。
私はアイカメラを操作して、レシーバーのボリュームを上げた。
「状況がはっきりしない内は、様子を見るって。当然、先制攻撃も禁止」
呆れ気味なエリちゃんの声。
思わず口を挟もうとしたのを読み取ったかのように、サトミの声がすぐに響く。
「永理が動かせるのは」
「連合のガーディアン全員と、G棟のガーディアンは確実に。もう探してもらってる」
「分かってるだろうけど、信頼出来て優秀な人間だけを使って捜索して。責任は、私が取るわ」
「水くさい事言わないで。姉妹じゃない、聡美姉さん」
明るく、力強い声。
それにサトミがどう答えたのかは、殆ど聞き取れない。
レシーバー越しにでも伝わる気持は別として。
「私達もすぐに戻るから、局長にアポを取って。出来れば生徒会長と学校の事務局とも」
「了解。私もすぐに動く」
「お願い」
終わる通話。
少しの沈黙。
重くはない、暖かな。
胸の奥から満たされていくような。
だが状況はそれに浸っている程、楽観的ではない。
大きな幹線道路との交差点。
目の前でちょうど赤になり、動きが止められる。
路地に入っても、ここを渡らない事には先へと進めない。
ガーディアンが多くは動かせない今、私達も急いだ方がいいというのに。
「……俺が止めよう」
「阿川君」
「心配ない。仲間が来た」
最初に見えたのは、数台のバイク。
右折レーンを強引に曲がり、対向車線の通行が少しずつ止まっていく。
それは対向車線側でも始まり、気付けば全ての交通がストップした。
激しいクラクションと、車を降りて怒声を浴びせるドライバー。
それでもバイクの群れは、動く気配がない。
「あれは」
「言っただろ、仲間だって。警察が来る前に、君達は早く」
「は、はい。ありがとうございます」
「悪い事をして、例を言われるとは」
レシーバー越しに聞こえる笑い声。
サイドミラーに映る影はみるみる小さくなっていく。
私達は全員後ろ手でピースサインを送り、彼に応えた。
その気持ちに。
間違いない、私達の先輩へ……。
IDを見せながら正門を抜け、走行禁止の通路を走っていく私達。
事前に連絡をしてあるので警備員さん達が追ってくる事はなく、それどころかレシーバーから不審者は見かけていないとの情報を教えてくれる。
しかし生徒の方はあり得ないバイクの集団に、目を丸くして視線で追ってくる。
この行動自体が相当問題なのは分かるが、始末書や処分は後から受ければいい事だ。
あの子達が危険に晒されそうになっているのは、今この時なんだから。
玄関ぎりぎりでバイクを降り、中へと入っていく。
「ユウ、待って」
「だって、早く探さないとっ」
「私達は、目立ち過ぎるわ。少しだけ、我慢して」
「くっ」
壁に拳を叩き付け、呼吸を整える。
感情と、彼女の言っている事の正しさ。
怒りと不安に任せて探し回るのは簡単で、楽な仕事だ。
でも耐えるのは、我慢をするのは。
それが何もしなくても、どれだけ辛い事か。
何もしないからこそ。
「ただ待ってるだけじゃないわよ。自警局長とアポが取れたから、ガーディアンを動員するよう交渉するわ」
「そんなの私達が勝手にやってもらえば」
「混乱した状況を作りたくないの。大丈夫、10分以内に終わらせるから」
「ガーディアンは動かせないって言ったら」
不安と沸き上がる苛立ちを抑えてそう尋ねる。
しかしサトミは薄く微笑み、耳元の髪をかき上げた。
圧倒的な自信と、強い決意をみなぎらせた瞳を輝かせて。
何よりも雄弁に、その切れ長の澄んだ瞳が物語る。
必ず彼女達は助けてみせると。
自分の全てを賭けて……。
特別教棟ではなく、エリちゃんのオフィスに集まる私達。
すぐに動ける場所はこちらだし、どう考えても特別教棟へ入り込んでいる訳はない。
刻々と過ぎる時間。
実際には何分も経っていないのだが、それすらも惜しく感じる。
「お待たせしました」
一応は息を切らしてやってくる自警局長。
前に出かけた私を手で制し、サトミは彼を真正面から見据えた。
「前置きは無しにします。全ガーディアンと、そうですね。生徒会全体への指揮命令権を早急に確立して下さい」
「僕は自警局の人間ですから、他局にまでは」
「緊急時には、事後承諾でも構わないとの内規があるはずです。その際の弁明には、私達が全面的に責任を負います」
「しかし、その侵入者が何かをしたという報告はありませんし。僕の独断で行動するというのも」
はっきりしない答え。
つまりは、婉曲な否定。
少しは出来ると思ったのに、こういう人間だったのか。
「何かあったという報告の後では遅いんです。何もなかったという報告なら、ともかくとして」
「それは職権乱用ですし、僕らはまず規則を遵守する立場です。聞くと連合の一部が、発見次第鎮圧するとの前提で捜索をしているとか」
「私の権限に置いて、指示しました。遠野さんの仰った通り、緊急時の特例として」
「浦田さん。そういうのは前例がないんですよね。しかも、生徒会ガーディアンズまで動かして」
「勿論、その責任は取ります。でもまずは、拉致された彼女達を捜索するのが優先されます。場合によっては、警察と警備会社も導入して」
話を急展開させるエリちゃん。
高校でもそうだが、この学校の大前提にあるのは生徒の自治。
学内の事は生徒が決め、運営する。
警察の介入すら許さない程に。
だが彼女はあっさりと、その前提を除外視する。
それがどれ程の意味を持つのか、十分に理解した上で。
その責任を取ると言う。
「落ち着いて、永理。それは、本当に最後の集団よ」
「でも」
「自警局長が判断して下れば、それは局長の権限内で済む話なんです。早急に、ご決断を」
「一応ガーディアンには、名目をぼかしてパトロール強化を指示してあるんですよ。少し、落ち着いて下さい」
「落ち着けないから、こうして申し出てるんです。保身を考えている場合ではないと、理解出来ないんですか」
辛辣な言葉。
微かに顔を赤らめた局長だが、意見を変える気配はない。
進まない議論。
こうしている間にも彼女達がどうなっているのか分からないというのに。
サトミも悠長にやってないで、私達だけで……。
「あなたは、どう思われます」
「敬語は不要と仰ったはずです。遠野さん」
「だったら、質問に答えて。このまま彼女達を見殺しにして自分達だけ助かるのか。泥を被る覚悟で、生徒を守るのか」
先程以上の厳しい言葉。
いや、内容。
息を切らして部屋に入ってきた生徒会長は、乱れた髪をそのままにサトミを見つめ返した。
二人の間に流れる青い炎。
お互い相手を見据え、身じろぎもしない。
だがそれは一瞬で、生徒会長が微かに視線を伏せた。
力無く、肩を落とすようにして。
「……分かりました。私の権限において、生徒会の全組織を動員します」
「会長っ」
「私が辞めて済むなら、安い物だわ」
「大丈夫、あなたが辞める必要はないから」
すっと伸ばされる指先。
それは生徒会長の肩に触れ、下がっていた顔を上げさせる。
「指示は、非公式の形で出して。永理も、実質的はそうしてる」
「……遠野さん、それこそ無理です。みんなが私に従うのは生徒会長だからで、その肩書きが無ければ誰一人として動きませんよ」
再び下がる顔。
寂しげに揺れる肩。
微かに見える口元は、自嘲気味に緩んでいる。
「自分が、周りから冷たく思われてるって?」
「少しは仕事が出来るとしても、冷たくて醒めた人間だって。聞かなくても分かりますよ」
「悪いけど、あなたの愚痴に付き合ってる暇はないの。全局の局長クラスに連絡して、応援を頼んで」
容赦なく彼女を卓上端末の前へと座らせるサトミ。
生徒会長はため息混じりにコンソールを操作して、緊急回線を開いた。
今にも消え入りそうな、物悲しい佇まいで。
「……どうかしました」
画面に分割して映る、何人もの顔。
おそらくは、その局長達なのだろう。
「学内に不審者が進入して、生徒を拉致したとの情報があります。彼女達の今後を考え、信頼出来る人を使って彼女達とその不審者を発見して下さい。場合によっては、強制排除もやむを得ません」
事務的な指示。
全員の表情が変わったところで、彼女はさらに話を続ける。
淡々と、無感情に。
「これは生徒会長としての指示ではなく、私の個人的なお願いとして聞いて下さい。記録に残っては、彼女達の今後もありますので」
小さくなる声。
さらに下がっていく顔。
テーブルに置いてあった拳が、頼りなく額を抑える。
帰ってくる答えを予想してか。
事務的なつながりでしかない。
好感を持たれてるはずもない人間の指示に誰が従うのか。
まして自分達の不利益ともなりかねない事に。
関係ない。
関わりたくない。
そんな答えが返って来るに決まっている。
当たり前の。
辛過ぎる現実。
「……調査課は口が堅いから、全員動かすわ。今、指示を出す」
「え」
「じゃあ、俺はSDCの使えそうな奴に連絡するか。ドラッグをやってる連中でも、軽くあしらえる連中だから大丈夫だ」
「取りあえず、建物は全部抑えよう。ありがちだけど、訓練目的で見慣れない奴を見かけたか生徒会全体に指示を出してみる。情報は、全部情報局へ送るぞ」
次々と協力を申し出る。
いや、自分達から動き出す彼等。
何の迷いもなく。
何を尋ね返す事もなく。
当たり前のようにして。
「ど、どうして」
弱々しく尋ねる生徒会長。
捜索に行って何人かいなくなった画面のあちこちで、笑顔が見える。
優しく、暖かな。
「そりゃあんた。仲間だから」
「なんか冷たい子だなって思ってたけど、そういう方が可愛いわよ。頼りない感じも」
「はは。それにいくら仕事が出来るからって、気にくわない奴の下に着いてる程私達は人が良くないって事。探すのはこっちに任せて、あなたは学校への言い訳でも考えてなさい」
笑顔と共に一つ一つ消えていく顔。
短い。
心を込めた挨拶と共に。
「……どうして」
再びの問い。
情報局からの報告が絶え間なく入る画面を見つめたまま、そう呟く会長。
サトミはその髪をそっと撫で、小首を傾げて微笑んだ。
「自分で思ってる程、周りの人は悪く思ってない物よ」
「でも」
「先輩の言う事を信じなさい。いや、経験者かしら」
明るい笑顔。
力強い。
自分とも重なる彼女を励ますような。
会長は顔を伏せて、口元に震える手を当てた。
込み上げる感慨と、自分自身の事。
何も分かっていなかった自分。
そして現実を確かめるために。
「まだ、何も終わってないわよ」
「そう、ですね」
ようやく上がる端正な顔。
赤らんだ目元。
微かな、年相応の可愛らしい笑顔。
サトミはその頬に手の甲を添え、力強く頷いた。
「ここまでは、あなたの仕事。万が一の事があれば、私達が動くわ」
「でも」
「後輩が困ってたら、先輩が助けるのは当然でしょ」
数分後。
学内に侵入した男達を拘束したのと連絡が入る。
沸き立つ室内。
しかし、喜びは長くは続かない。
「閉じこめられた?」
「済みません。ドアが古いのか、取っ手がなくて全然開かないんです」
「いいわ。それで、そこに入るまで女の子達は無事だったのね」
「はい。ただ、これはちょっと俺達では開けられそうにありません」
画面に映る、彼女達が閉じこめられたというドア。
古く錆びた金属製で、報告通り取っ手らしいものは見受けられない。
今もその前で男の子達が警棒を使ってこじ開けようとしてはいるが、少しも開く気配がない。
「レスキューに連絡して。それと、医療部にも」
「はい」
「ユウ。行くわよ」
「でも、どうやってあんなの開けるの。私達は、人間しか相手に出来ないって」
文句を言いつつ、脇目もふらず部屋を飛び出す。
何があろうと、彼女達は助ける。
それが会長の気持ちに報いる事でもあり。
サトミの約束を守る事でもある。
そして出来ないからといって何もしないでいられる程、私は悠長ではない。
困っている人がいるなら、自分の持てる全てを使ってその人を守り助ける。
ガーディアンとしてではなく。
人として、それは当たり前の事だから……。
古い、取り壊し中にも思えるような3階建ての建物。
その1階。
理科室や工作室などの、技能系教室らしい脇を通り抜けて先を急ぐ。
埃っぽい廊下、割れた窓。
こんな所にまで連れてこられ、しかも今は暗闇の中に閉じこめられているなんて。
言いようのない怒りと悲しみ。
いても立ってもいられない気分。
自分にはどうしようもない部分があるのは分かっていても。
そんな人がいるという事実が、胸の中を苦しくする。
「ユウ」
「大丈夫……。あそこね」
階段の下。
薄暗い場所に集まる何人もの男女。
全員埃まみれでドアの前に取り付いているが、全く動きそうにない。
「状況は」
息を整えながら尋ねるサトミ。
警棒を床へ捨てた男の子は、首を振って額を抑えた。
「……お前達は」
ドアの脇。
所在なげに立つ、二人の男の子。
高畑さん達がさらわれた原因を作った、そしてこの事態とも関わりのある。
一気に湧き出た怒りは彼達の顔を見て、すぐに消えていく。
悔いと、焦燥感と。
絶望に満ちた態度。
今さらともいえる。
でも、まだ気付く事の出来た二人。
だからといって、どうなる訳でもないが。
本当に……。
「お前ら。工作室へ行って、俺が連絡する道具を持ってこい」
「え」
「助けたいんだろっ」
「は、はい」
ショウの叱咤を受け、一目散に駆け出す二人。
恥ずかしさや体裁など関係なく。
全てを忘れ、ただ一つの事のために。
端末で、運ぶべき道具を指示するショウ。
私はドアに耳を当て、意識をそちらへと向けた。
微かに聞こえるすすり泣き。
謝っているようにも聞こえる。
こうなった原因の一端が自分達にもあるような言葉も。
高畑さん達の拉致を、意識せずとはいえ手伝ったとも聞こえてくる。
聞かなかった方が、モチベーションを維持出来ただろう。
それは、隣で耳を澄ませているサトミも同じはずだ。
サトミは不意にドアから離れ、背を向けた。
いつも以上に醒めた後ろ姿。
今の話を聞けば、ここから立ち去ってもおかしくはない。
それを責める者もいないだろう。
彼女はも、十分過ぎる程この子達のために頑張った。
嫌な思いを抱き、それでもまだここに残る理由はない。
何一つ……。
突然腰から抜かれる警棒。
それがドアの脇を激しく叩き、コンクリート片を当たりに飛び散らせる。
どれ程の力を込めたのか手から血が吹き出たが、サトミは構わず逆手に持ってドアの脇を突き始めた。
血が溢れるのも、顔にコンクリートが当たるのも構わずに。
なりふりも何もなく、ただ一心に。
彼女達を助けるためだけに。
「サトミッ」
下から手首を押さえ、警棒ごと手を押さえる。
サトミはそれでも腕を動かそうとするが、私は反対側の手で警棒を叩き落として彼女を強引に下がらせた。
「こんな事しても、開く訳ないでしょっ」
「じゃあ、放っておくのっ」
「今機械が届くからっ。落ち着いてっ」
「だって、中にいるのよ。目の前にっ」
激しい。
絶叫ともいえる言葉。
私は軽くその頬を叩き、遠巻きに見ていた女の子達にサトミを放った。
「傷を見てあげて。骨は大丈夫だと思う」
「は、はい。誰か、消毒と包帯を持ってきてっ。それとタオルをっ」
「サトミ」
今度はそっと彼女の肩を押さえ、ゆっくりと体を押す。
頼りなく下がる顔。
肩に感じる重み。
制服に付く、彼女の血。
私はハンカチで頬の傷を慎重に拭い、頭を撫でた。
「サトミが約束したのなら、私が何とかするから」
「ユウ」
「あなたは考える。私は動く。慣れない事はやらないの」
「たまには、してみたいのよ」
笑い気味の呟き。
漏れるため息。
私は彼女をもう一度女の子達へ預け、ドアへと近付いた。
「どう?」
「情報局の設計図を見ると、これはかなりやばいぞ。コンクリを削っても、ドアの周りは鉄柱が上から振ってくる仕組みらしい」
「何よ、それ」
「多分、戦中に作った避難用の部屋じゃないのかな」
難しい顔で推測するショウ。
古い建物なので、そういう物も残っているという訳か。
しかし、それではどうやって開ければいいんだ。
「レスキューは、まだ来ないの?」
「近所で事故があったってさ。だから、取りあえずはこっちでやるしかない」
「どうやって」
「コンクリを削って、どうにか向こうまでの穴を開ける。それで鉄柱が振って来る前に、何かを突っ込む」
良く分からない話。
暗がりに閉じこめられているのは確かに怖いけれど、無理をしなくてもレスキューを待てばいいだけの話だと思う。
万が一その鉄柱で、彼女達や私達が怪我をしないとも限らないんだし。
大体、どうして何かを突っ込む必要があるんだ。
そんな私の疑問を読み取ったのか、ショウの視線が不安げにドアへと向けられる。
その前で、いつになく厳しい顔をしているケイとも。
「どうしたの」
「ショウが言ったように、ここはおそらく避難壕。外部とは接触出来ないようなシステムがあって、でもそれを制御する部分はとっくに壊れてる」
「それで」
「内部は、機密性が相当に高い。逆を言えば、空気の量が限られてる」
小さな。
ドア越しには聞こえないくらいの声。
彼の端末には室内の容量と、そこから推測出来る酸素の量。
人二人がいる場合の、酸素消費時間が計算されている。
計算自体は彼ではなく、木之本君がしたようだが。
「レスキューを待ってる余裕が無いから、俺達でどうにかするしかない。中にいるのが、馬鹿だとしても」
「浦田君」
「悪い」
苛立たしげに壁へ手を付けるケイ。
今の事態を十分に認識した人だからこその、焦燥感と怒り。
それは間違いなく、私にも伝わってくる。
「要は隙間を空けて、鉄柱に潰されないように空気穴を作ればいいって事?」
「理屈としてはね。……道具が届いたから、セットしながら話そう」
汗だくで荷物をドアの前に積んでいく、例の男の子達。
荷物はかなりの量で、彼等以外の子も手伝ってくれたようだ。
どう頼んだのかは知らないが、全員が真剣にてきぱきと動作をこなしていく。
そういう人間を捜して連れてきた二人。
自分に出来る事を一生懸命頑張ったと言っていい。
そう思ってしまう私も、甘いといえば甘い。
でも、それで人が助かるなら十分だ。
見捨ててしまうよりは。
何度後悔しても、何度辛い思いをしても。
それでみんなが笑って過ごせるなら。
甘いと言われようと、信じ過ぎると言われてもいい。
私達は一人きりでいる訳ではないんだから。
閉じこめられている彼女達だって。
こうして大勢の人が集まっている。
それは生徒会長だって変わらない。
幾つもの人の思い。
それを守るためにも。
私は血の付いたシャツを握る手に、力を込めた。