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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第17話
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17-8






     17-8




 エレベーターを降り、人の行き交う廊下を歩いていく。

 さっきまでのフロアが幹部用なら、ここは業務用といったところ。

 その分活気というか、人の存在をより身近に感じられる。

 とはいえ場所柄としては苦手なので、早々に立ち去った方がいい。

「どこよ、ここは」

「あなたは、そればっかりね」

「分かんないから仕方ないでしょ」

 壁にフロアの見取り図があったので、それを見る。

 今がここで、次の階段がここで。

 だから、そこへの行き方が分からないんだって。

 使えないな、私が……。

「雪野さん、端末を使えば」

「無駄だ、木之本。地図の見方が分からないんだから」

「学内は、自分の位置関係を端末が把握してくれるんだよ」

「恥ずかしいじゃない、迷子みたいで」

 迷子だろと一斉に突っ込まれるが、さすがにそれはしたくない。

 というか、どうして私に付いてくるんだ。

「あなた達、道を知ってるなら教えてよ」

「僕はいいんだけどね」

「駄目よ、ためにならないわ」

 なんだ、ためって。

 池の事か。

「それとも、やっぱり迷子の連絡をする?」

「嫌な子ね」

「今知った?」

 わざとらしく胸を反らすサトミ。 

 この女、その内迷子にさせてやる。

 それがどれだけ寂しくて情けないか思い知ればいいんだ。

 どこか遠くの町に置き去りにして。

 でもそうすると、私も迷子になるか。

 困ったな。 

 しかも、下らない事で。

「ここ、さっき通ったぞ」

「嘘」

「だったら、どれだけいい事か」

 遠い目をするショウ。

 何よ、人を出来ない子みたいに。 

 入ってきたんだから、出れるに決まってるんだって。

 少なくとも、今日中には……。



 1時間もふらついていれば、外には出られる。

 正確には、呆れたサトミが先を歩き出したんだけど。 

 初めからそうすればいいのに。

「普段は迷わないよね。空間把握が弱いのかな、浦田君みたいに」

「嫌な例え方しないで」

 ここだけははっきりと言い切り、がりがりと野菜スティック風のスナックを食べる。

 カロリーゼロはいいけど、何のために食べているのかという気がしないでもない。

「でもよかったよ。二人とも怒らなくて」

「私は大人なの。サトミは知らないけどね」

 木之本君と二人きりなのをいい事に、ここぞとばかりに高笑いする。

 あの子はあの子で、他の子に同じ事を言ってるだろうな。

「でも昔のみんなよりは、まだいい方なのかな」

「さっきの子が?」

「違う?」

 からかうような視線。

 違うとは言い切れず、お茶を飲んで適当にごまかす。

「よく退学にならなかったよ、本当に」

「私達が悪いんじゃなくて、生徒会や相手に問題があったからでしょ」

「だとしても、限度っていう物があるからね。ポールは旗を掲げる場所で、人を吊す場所じゃないから」

「あれは、私がやった訳じゃなくて」

 古い話をよく覚えてるな。

 勿論、忘れようのない話ではあるとしても。 

「ただ僕達の場合は塩田さんがいたから、何とかなってた部分もあるけどね」

「そりゃ先輩だもん。後輩の面倒は見てくれないと」

 ここは自分でも誇らしげに言ってみせる。

 あの人がいたからこそ私はガーディアンになり、今の自分を作り上げてきた。

 ショウとは違う、彼への憧れの気持もそのままに。

「雪野さんも、今は先輩だよね」

「ん。ああ、そうね。頼りないし、そう呼ばれる程なにかしてるって訳でもないけど」

「塩田さんだって、自分ではそう思ってたんじゃないのかな。自分で自分の事は、良く分からないからね」

 そう言ってくれる木之本君。

 さっきの会長とのやりとりから何かを感じ取ったのかも知れない。  

 優しい、彼らしい気遣いで。


「俺は、一生あそこで暮らすかと思った」

 ふざけた事を言いながらやってくる男の子。

 そんな人間は、そうはいない。

「何よ、あなた」

「さあ。分かってるのは、IDを付けたまま洗濯はしないって事かな」

 この人もまた、古い話を。

 どうも場所が中等部なので、昔を思い出すようだ。

「洗ったって壊れないからいいのよ。それよりサトミとショウは」

「中学生に教えを請われてますよ」

「ふーん。私は用済みって訳」

 助かるには助かるが、面白くもないな。

 せっかく色々教えてあげたのに。

 仮にレポートには、何の役にも立たない情報だとしても。

「ショウはともかく、サトミの所には悪そうな連中も」

「どうして」

「この前叩いただろ。あれで目が覚めた連中が、仲間を呼んだんじゃないの。泣けるね」

 かなり皮肉っぽい言い方。 

 この辺りが木之本君と違う所だ。

「本当に悪い人なんていないんだから、いい事だと僕は思うよ」 

 思った通りのコメント。 

 何がいいって、あなたが一番いいんだって。

「その内変なセールスに引っかかっるんじゃないのか」

「大丈夫。浦田君で慣れてるから」

 軽い切り返し。

 単なる真面目だけではないからこそ、みんなにも慕われる。

 背を丸めて、悪魔のように笑っている男の子とは違って。

「でもそういう子にも何かを教えてるって、吉田松陰みたいだよね」

「幕末の人とサトミと、どう関係があるの」

「吉田松陰は密航が見つかって牢に入れられた後、そこにいる人達に色んな事を教えたんだ。正確には、それぞれの長所を生かして彼等を先生に見立ててね。誰でも平等に扱う思想っていうのかな」

「ふーん」

 確かにサトミは、そういう面があるかもしれない。

 礼儀は守るにしても、相手が誰だからといって区別はしない。 

 あの世界的なVIPであるシスター・クリスにすらそうだったんだから。


「じゃあ、私は?」

「え」

 小首を傾げて固まる木之本君。

 そんなに驚く事か。

「幕末の誰かに例えたらって話」

「えーと。えー、そうだね。えー」

「言ってやってくれ、高杉晋作だと」

「浦田君」

 戸惑い気味にケイを見やり、私も窺ってくる。

 私も同じように、二人を見返す。

「奇兵隊を創設した人でしょ」

「う、うん」

 話をつないでくれたケイへ、もう一度視線を向ける木之本君。

 すがるようにも、焦り気味にも見える。

「吉田松陰が創設した松下村塾の塾生で、軍事に秀でて詩歌もたしなんだ幕末の偉人」

 すらすたと答えるケイ。 

 さすがに、歴史は詳しいな。

「明治を待たずして亡くなりはしたけれど、維新に貢献した役割は後世においても高い評価を受けてる」

「それはいいけど、どうして私と似てるの」

「奇兵隊は、武士じゃなくて一般から募った兵士で構成された軍隊。俺達と似てるだろ」

 そうなのかな。

 納得出来たような、出来ないような。

「雪野さん。分からないなら調べればいいんだよ」

「そうだね。えーと」

「止めろ」

 何よ、自分で言っておいて。

 えー、高杉晋作と。

「動けば来電の如く、発すれば風雨の如し。……どういう意味」

「さあ。浦田君に聞いてみれば」

 おかしそうに笑う木之本君。

 そのケイは背を向けて、ドアへと歩き出していた。

「ちょっと」

「いや。僕、お腹が痛いな」

「私は痛くないわよ。そこ、座って」

 スティックを伸ばし、目の前のソファーを指定する。

「ねえって」

「昔の人の事なんて、分かる訳がない」

「あなたが自分で言ったんでしょ」 

 座ったケイの鼻先にスティックを突き付け、上に払って髪を散らす。

 この態度から見て、いい事を言われたはずはないので。


「……そういうのを指すのよ」

「何が」

 首だけを動かし、後ろから現れたサトミと目を合わす。

「昔の高杉晋作は血の気が多くて、手が付けられなかったの」

「なっ」

「当たってるだろ」

「そうね」

 笑い出したケイの脇腹にスティックを当てる。

 確かに当たった。

 色んな意味で。

「こ、この女」

「浦田君、仕方ないよ」

「じ、自分が調べさすから」

「こうして一つ一つ学んでいくんだね」

 楽しそうにまとめる木之本君。

 冗談と本気の境目辺りの笑顔で。

「へん。勝手に言ってなさい」

「雪野さん、どこ行くの」

「心配しなくてもいいわ。どうせ、お菓子かジュースよ」

 人がいつまでも同じ事をしてると思ってるな、この人は。

 駄菓子だよ、駄菓子……。



 購買の端にひっそりと佇み、カレーせんべいをかじる。

 懐かしい味がして、何とも心が和む。

 目の前を行き交う生徒達。

 楽しげな笑い声がさざ波のように、絶え間なく聞こえてくる。

 一人でいる寂しさではなく、その波に揺られる気分。

 大きい温かさの中に包まれたとでも言うんだろうか。

 かつて自分が時を過ごした場所で、時を置いてまたこうして安らぐ事が出来る。

 あどけない後輩達の笑い声に身を任せながら。

 まだまだ小さい体。 

 子供っぽい態度。

 いつか自分が来た道を歩んでいる人達。

 それを見ているだけで、心が満たされた気になってくる。

 さてと、いつまでも遊んでいても仕方ない。

 そろそろ戻ろうかな。

「ん?」

 腰を屈め、床を熱心に見入っている女の子達。

 制服に着られているような体、あどけない顔立ち。 

 間違いなく、新入生だろう。

 何か落としたのかな。


「どうかした」

 飛び上がる彼女達。

 声を掛けられるとは思ってなかったらしい。

「な、何」

「落とし物でもしたの」

「う、うん。ペンを」

 しょげるショートヘアの女の子。

 その体に触れる友達。

 たかがペン。

 また買えばいいだけの話。

 そんな言葉は、一言も聞かれない。

「……落としたのは、本当にここ?」

「う、うん。ポケットから落ちて、誰かに蹴られた後に見えなくなって」

「サトミがいれば……。いいか、地道に探せば」

 地面に膝を付き、手を付いて体を伏せる。

 低い位置からの視線。

 犬は、どうやらこういう気分らしい。

「あ、あの。汚れるよ」

「は」

「あなたが」

 不安そうに上から見てくる女の子達。

 ああ、そういう事か。

「洗えば済むって」

「そういう問題なの?」

「私は分かんない」

「だよね」

 それでも彼女達も膝を付いて、床を見渡し始めた。

 微かに聞こえる、失笑にも似た笑い声。

 ペンを探す事に集中している彼女達は分かっていない。

 私はみんなが床を見ているのを確かめて、スティックを抜いて立ち上がった。

 戦いへ挑む時と同じくらいの気合いを込めて。

 即座に静まり返る私達の周り。

 全く、笑ってる暇があるなら探せっていうの。

「どうかした?」

「腰が痛くなっただけ」

「まだ若いのに」

「可哀想ね」

 哀れまれた。

 年下の子に。

 というかこの子達、私を誰だと思ってるんだ? 


 たまには、小さい事も役に立つ。

 ストッパーが錆び付いて動かないワゴンの裏。

 照明にかろうじて光ったペンを回収して、一件落着。

「あ、ありがとう」

 はにかみながら頭を下げてくる女の子達。

 私は手を払って、にこにこと頷いた。

「いいよ、気にしなくても。それより、何か食べる?」

「え」

「おごるから。ジュースでも、お菓子でも」

 目の前にあるのは購買部。

 私がさっき食べたカレーせんべいだけではなく、有名な洋菓子店のケーキなども並んでいる。

「あなた、お金持ちなの?」

 警戒気味な態度。

 私は首を振って、気楽に笑った。

「そうじゃないけど、お菓子を買うくらいの余裕はあるのよ。カレーせんべいなんてどう?」

「子供じゃあるまいし」

「ねえ」

「本当」

 今度は、小馬鹿にしたような態度。

 少し背伸び気味の顔。

 誰が子供何だか。

「じゃあ、私は何を買おうかなと」

「た、食べないわよ、私は」

「わ、私も」

「う、うん」

 周りでわいわい騒ぐ彼女達。

 それを聞き流しながら、駄菓子の詰め合わせパックを買う。

「あ、酢昆布入ってる」

 それは後にするとして、まずはゼリーを。

 この安っぽい味が、何とも言えず美味しかったりする。


「っと」

 ぼんたん飴に気を取られて、袋が下を向いてしまった。 

 手の外を抜け、いくつかの包装紙が床へと落ちる。

「何してるのよ、恥ずかしい」

「ペンを無くして泣きそうになるよりましでしょ」

「あ、あれは」

 顔を真っ赤にして拾う女の子。

 友達それを見て、おかしそうに笑っている。

「それは食べたら」

「お、落ちた物じゃない」

「袋に入ってるから大丈夫だって。麦チョコ嫌い?」

「す、好きだけど」

 何やら呟きながら、袋を開けて数粒を手の中へ落とす。

 それを口に運んだ彼女は、友達の手にも少しずつ分けていった。

「美味しいでしょ」

「ま、まあね」

「安っぽい味だけど」

「それがまた良いっていうのかな」

 私と同じ感想。 

 楽しげな笑顔。

 一緒の事をして、同じ物を食べて。

 たわいもない事を言い合って。

 本当に何でもない、人から見れば取るに足らない事。 

 でも私にとっては、何よりもかけがえのない時間。

「さきいかちょうだい」

「何よ、わがままな子ね」

「くれるんでしょ」

「はいはい。私はもういいから、みんなで分けて」

 袋を渡して、大きめのお茶のペットボトルを買う。

「ほら」

「コップは?」

「このまま飲むに決まってるじゃない。こうよ、こう」

 さすがに両手で抱え、少しだけ傾けてお茶を飲む。

 ちなみにひっくり返すと、溺れる事になる。

「恥ずかしいな」

 そう言いつつ、楽しそうに回し飲みをしていく女の子達。

 しかしみんな体が小さいので、半分も減りはしない。 

 だったらもっと少ないのを買えと言われそうだが、敢えて大きいのを買うところに意味がある。

 その意味を聞かれても、答えようがないけれど。


「……楽しそうね」

 ざわめきを抜けて聞こえる、朗らかな声。

 彼女達の肩に後ろから手を掛けるセミロングの快活そうな少女。

 どこかで見た顔だな。

「尾上さん」

「今日は、オフィスに来ないの?」

「ちょと、ペンを探してたんです」

「それを、この子が見つけてくれて」

 一斉に私を指差す女の子達。

 当然尾上さんの視線も、私へと注がれる。

 驚きを伴って。

「ゆ、雪野さんっ」

「こんにちは」

「尾上さんの知ってる人ですか?」

「知ってるというか、この人は」 

 口に指を当てて、黙らせる。 

 少なくとも、その努力はした。

「高校生よ……。あ」

 今頃気付く尾上さん。

 いいけどね、私は指でも舐めてれば。

「嘘」

「そんな訳無い」

「まさか」

 同じ目線で私を見てくる彼女達。

 さすがに私の方が高い位置にはあるが、かろうじてといったところ。

 体型もせいぜい一回り大きいくらいで、少し大柄な新入生でもおかしくはない。

 私という存在がおかしいのは、この際置いておくとして……。

「本当よ。見れば分かるでしょ」

 我ながら虚しさを覚えつつ、なだらかな胸を張る。

 本当に、見れば見る程という話だ。

「制服も、ここのじゃない」

「私は卒業生だから、それを着てるだけ。ねえ」

「い、いえ。私は、浦田さんにお話を伺っただけですので」

「何よ、あなたも信じてないの。お菓子も買ってあげたのに」

 困惑気味に笑う尾上さん。

 彼女には買ってなかったか。

 じゃあ、今日は少し蒸し暑いからアイスでも。

 いや、そういう問題じゃない。

「IDだってあるわよ。えーと、あれ」

 ジャケットのポケット、スカートのポケット。

 シャツの胸ポケットも探る。 

 出てくるのは財布とお菓子と、レシート。

「……みたらし3本って」

「食べてばっかり」

「あ、鯛焼きも食べてる」

「み、見なくていいの」

 レシートを取り返し、財布の中へとしまい込む。

 うわ、ここにもラーメン屋さんのレシートが。

「それで、あなたは結局何年生なの」

「2年生。言っておくけど、高校2年生よ」

「はいはい」

 流された。

 1年生に。

 中学1年生に。 

 尾上さんはまだ、疑わしそうに私を見てるし。

 はっきり言えばどうでもいい事なんだけど、このままにしておくというのもしゃくだ。

 なんて、普段使わない言葉を思いつくくらいに。


「雪野さん?」

「何よ……。ああ、あなた」

 ニコニコと、嬉しそうに笑っている高畑さん。

 相変わらず可愛いな。

「どうか、したんですか?」

「自分こそ」

「浦田さんが、買い物に行けと、言いまして」

「そんなの、高畑さんがやらなくても。あの子にやらせればいいのよ。いいわ、私が怒ってあげるから」

 高畑さんはやはり嬉しそうに笑って、コクコクと頷いた。

 その手にお菓子やパステルの入った袋と、財布を左右に握り締めて。

 でもこれは、確かケイの財布。

 あの子はまた、素直じゃないな。

 とはいえ大体の事は分かったから、怒るのは止めるとしよう。

 ジュースを一本買ってからね。

「それで、雪野さんは?」

「別に、何でもないわよ」

「そう、ですか?」

 怪訝そうな視線。

 それは私を過ぎて、周りにいる女の子や尾上さんにも向けられる。

「いじめ、られてるとか」

「な、何よ、それ」

「そういう雰囲気なので」

「まさか、あなた。嫌だ、もう」

 ペタペタと高畑さんの肩を叩き、そのまま手を引いて歩き出す。

 しかし彼女の体は動かない。

 振り返った先にあるのは、初めて見たような真剣な表情。

 怒りと悲しみを重ね合わせた、純粋な心の色。

「そういうのは、良くないですよ」

「え?」

「人をからかったり、いじめたりするのは」

 小さくて、静かな訥々とした口調。

 周りのざわめきや笑い声に掻き消されそうな。

 だけど間違いなく、誰の心にも響いた言葉。

 いつも笑っていて、楽しそうな彼女が漏らした一言。

 その本当の心の内。


「い、いや。私達はその。いじめてた訳じゃ」

「そ、そうよ。だって」

「ねえ。この子が、高校生って言うから、そんな訳無いって」

「ああ、なるほど」

 突然真顔で頷く高畑さん。

 納得するな。

「雪野さんは、本当に、高校生ですよ」

「でも」

「体は小さくても、心の中はちゃんと、成長しています」

 口を開けたまま、呆然とした様子で頷く女の子達と尾上さん。 

 初めの部分は引っかかるが、私も取りあえずは感慨に耽る。

「ほら、見なさい。分かった?」

「え、ええ」

「まあ」

「そうなのかな」

 疑り深いな。

 IDが無ければ証明のしようがない私の方が、どうしようもないとも言うけれど。

「分かってくれれば、それで、いいです。お菓子でも、食べます?」

 どこかで聞いたような台詞。 

 女の子達は控えめに頷き、はにかみ気味に微笑んだ。

 高畑さんも微笑ましげにそれを見つめ、財布ごと彼女達へと渡す。

「好きなのを、買ってください」

「え、でも」

「大丈夫、それは誰が使ってもいいお金だから。ね、高畑さん」

「はい」

 素直な笑顔と、嬉しそうな笑い声。

 小さな集まりの、小さな楽しさ。

 私にとっての、かけがえのない瞬間。



「なんか、予想外に少ないんですけど」

「気にしないの。みんな、ありがとうって言ってたから」

「誰だ、みんなって……」

 苦い顔で、IDを端末のスリットから抜くケイ。

 お菓子とはいえ、かなり買ったからな。

 その内家から何か持ってきて、寮の冷蔵庫にでも入れておいてあげよう。

「でも、何もなくて良かったね」

「なんだ、それ」

「初めは治安がどうとか言ってたじゃない」

「ユウが卒業したからだろ」

 面白い事を言う人だな。

「あなたね、私が治安を乱してたって言いたいの」

「生徒会に楯突いてたのは、どこの誰だった」

「誰って、それは。ショウとかサトミとか、ケイとか」

「ほうほう」

 フクロウか。

 下らないな。私が。

「先頭切って突っ走ってた、ショートカットの女の子がいたような気がするんだけど。雪野さんは、覚えてない?」

「て、転校したんでしょ」

「留年して、まだいるんじゃないの」

 中学校の制服を着た私を指差してくるケイ。

 どうもこれは、良くないな。

 絶対に脱がないけどね。

「私はみんなが騒ぐから、仕方なく。大体あなたなんか、教師をプールに浮かべたでしょ」

「嫌な事を覚えてるな」

 改めて思い出すと、ひどい話だ。

 今でも無茶苦茶とは言われるけど、あの頃は本当に怖い物知らずだった。

 すると今は丸くなったのか、それとも大人になったのか。

 大人しくなるのはいい事だとしても、あの時とは違う物事の捉え方をしているとも思えてくる。

 冷静な対処、穏便な済ませ方。

 世間一般では、それを正しいと言われている。

 でも本当にそうなのだろうか。

「今みたいに、大人しくしてた方がいいのかな」

「当然だろ。人目に付かず、ひっそりやるの一番いい。腹が立ったから殴り込む、相手に関係なく突っかかる。いい年してそんな事やってるのは、ただの馬鹿だ」

 なんの迷いも感じさせずに出てくる答え。

 ちょっと、聞く人を間違えたかな。

「ケイは、昔からそうだもんね」

「変わらないから、進歩もない。俺より、相棒に聞けば」

「サトミ?」

「それもいいけど、もっと思春期で悩んでる男の子がいるだろ」


 レポート用紙と参考書。

 端末を前に置き、ペンで頬を掻く男の子。

「何してるの」

「ん。生物のレポートがさ」

「そんなのもあったね」

「じゃあ、やれよ」

 楽しそうに笑うショウ。

 私はその横にちょこんと座り、参考書を適当にめくった。

 遺伝特性か。

「ケイとヒカルでも調べたら?」

「あいつらって、一卵性か?」

「それも含めて調べるのよ。私はヒカルを調べるから、ケイをお願い」

「そういうのでもいいのかな」

 首を傾げつつもメモを取り、端末で双子の事を調べ出した。

 本当に真面目だな。

 木之本君と、気が合う訳だ。


 勉強を一休みして、コーヒーを入れる。

 さすがにコーヒーメーカーではなく、インスタントで。

「最近、私達って大人しいじゃない」

「ここにいる時に比べれば、そうかも」

「うん。それって、どう思う?」

 マグカップを両手で持ち、それ越しに彼を見上げる。

 湯気の向こうにある精悍な顔。

 ショウは少し目を細め、小首を傾げた。

「どうだろう。いいような気もするし、違うような気もする」

 私と同じような感想。

 それは彼が私と同じ考え方をしているともいえる。

 少しの嬉しさと気恥ずかしさ。

 一人で赤くなっていても仕方ないが。

「でも、どうして」

「ここにいると、昔の事を色々思い出すの。あの時はああだったとか、こうだったとか。それで今はどうなのかなって」

「難しいな。でも、暴れ回ってるよりはいいんじゃないか」

「まあね」

 ぬるくなってきたコーヒーをすすり、甘さを感じながら流し込む。 

 今の自分がこうなのかな。

「ケイは大人しくしてるってさ」

「昔から、あいつが一番無茶苦茶だろ。いや、それはヒカルか」

「良かったじゃない、いい調査対象が見つかって」

「どんなレポートが出来るんだか」

 笑い合う私達。

 ケイやヒカルがここでやった事。

 私達の事まで話し合いながら。

 確かに色んな事が、少しずつ変わっている。

 だけど大切な事は、何一つ変わってないはずだ。

 彼がそうなように。

 その関係もきっと……。



 オフィスの受付前にあるロビー。

 やけに人が集まっている。 

 高畑さんと、野並さんに赤池さん。

 この前謝りに来た子達。

 私がペンを拾った女の子達もいる。

 後はその友達なのか、ちらほらと。

「何か売ってるの」

「さあ。でもいいじゃない、活気があるのは」 

 のんきな事を言うサトミ。

 吉田松陰は、器が違うな。

「なんだよ、これは」

 露骨に顔をしかめるケイ。

 この人の器は、ひびが入ってるんじゃないのか。

「みんなユウさん達に会いに来てるんでしょ」

「自分達で盛り上がってるじゃない」

「そういう事もあるわよ」

 鷹揚に笑ったエリちゃんは、手を叩いて彼女達を受付から別室へと移動させた。

 そつが無いというか、仕事が出来るというか。

 騒いでればいいと思っていた私と、はかなりの違いだ。

 確かに受付で人がごった返していては、仕事の妨げにもなるしね。

「どうです、先輩」

「どうして僕に聞くの」

「それは勿論、ご指導して下さった人ですから」

「元野さんにじゃなくて?」

 控えめに笑う木之本君。

 エリちゃんもくすっと笑い、彼に敬礼に仕草をした。

 この二人は同じガーディアンでやっていた訳だから、友達というよりは先輩後輩の関係。

 だからといってよそよそしい感じはなく、もっと親しみのある強い絆も感じられる。

 お互いの人柄を現すような関係とでも言うんだろうか。

「叩き出せば済むんじゃないのか」

 こういう事を言う人は放っておこう。

 本当に、これが兄の台詞かな。

「……お前は、何をやってるんだ」

「気にするな」

「気にしない奴がどこにいる」

 遠くでハンディカメラを構えているショウ。

 その先には、当然ケイがいる。

 早速やってるな。

 私はヒカルに、自分で撮ってもらおう。

 あの子なら喜んでやってくれるだろうし、私も楽でいい。

「大体、どうして俺を映す」

「遺伝特性を調べるレポート」

「それで、俺とヒカルを?安直だな」

 今初めて聞いたはずなのに、すぐに理解するケイ。

 馬鹿だけど、頭はいいらしい。

「じゃあ、永理も撮れよ。俺の妹なんだから」

「なるほど」

 横へスライドするカメラ。

 その途端、髪を整えて澄ますエリちゃん。 

 意味が違うっていうの。

「エリちゃん、普通にしてくれればいいから」

「普通ですよ。私は」

 口元に手を当て、こぼれるように笑った。

 今度は耳元の髪をすっとかき上げながら。 

「なんか違うな」

「そうですか?」

「……こっちは、根本的に違うけどな」

「悪かったな」

 ケイは再び向けられたカメラを下から蹴り上げ、ショウの懐へ飛び込んだ。

 少なくとも、そうしたかったんだろう。

 カメラを私へ放ったショウは素早く足を上げ、ケイの頭上にかかとを落とした。


「なに?」

 額を通り、鼻筋を降りてくるかかと。

 わずかにもぶれない足。

 ただ高く上げるだけなら、誰にも出来る。

 強靱な足腰と優れたバランス能力があるからこその動き。

 ケイにとっては、どうでもいい事かもしれないが。

「なんなら、俺が指導してやろうか。中学生と一緒に」

「うるさいな。俺に負けた癖して」

「今やってもいいんだぜ」

「冗談に決まってるじゃないですか、玲阿君」

 くねくねしながらすり寄る男。

 それを邪険に押しのけるショウ。 

 いい年して、何を遊んでるんだか。


「羨ましいって顔ね」

「まさか。私はもう子供じゃないの」

「よかった」

 目の前に積まれる本の山。 

 遺伝子の文字が、ちらほらと見受けられる。

「ユウが頼んでた、生物の本。まさか読んでなんて言わないわよね、大人なんだから」

「ちょっと、これ英語じゃない」

「授業を真面目に受けてれば読める範囲よ。北米で使われてる教科書だから」

 楽しそうに読み始めるサトミ。

 この人、私が頼んだ事をちゃんと聞いてたのか?

「ほら、読んで」

「むー、えーと。The number of chimpanzees is 24 to the number of people's chromosomes being 23. When the human genome already made clear is compared with the genome of a chimpanzee, the difference is about 1 and 23%.」

 人間とチンパンジーの染色体の違いは、約1%?

 ためにはなったが、だからどうしたという話だ。

「As for the total extension of DNA, people and CHIMBANJI consist of about 3 billion pairs of bases.」

 人とチンパンジーのDNAの長さは、ほぼ同じ?

 いつまでたってもお猿さんだな。


「あなたは、いつ猿から人間に進化するの」

「え、英語だから、手間取ってるのよ。大体、内容が難しすぎる。持って帰って」

「あなたね」

「私はフィールドワーク派なのよ」

 鬼のような形相で睨んでくるサトミから目を逸らし、自分のリュックを引き寄せる。

 カメラ、カメラと。

「ヒカルを撮るから、サトミからも言っておいて」

「何よ、それは」

「大丈夫。サトミは映さないから。あの子が撮したら、知らないけどね」

「どこがフィードワークなの」

 私を撮してくるサトミ。

 思わずポーズを撮ってしまう私。

 その辺りは、エリちゃんを笑えない。

「普通なんでしょ」

「私は見た目が地味だから、動きでカバーするのよ」

 それが余計駄目なんだと言われそうだが、楽しいので気にしない。

「雪野さん、何してるの」

「駄目?」

「いや。自分がいいなら、それでいいけど」

 引っかかる言い方をする木之本君。

 背伸びをして、ショウの隣りに並んでいる私を見て。

 いいのよ、足元は映ってないんだから……。



 とはいえ、そういつまでも遊んではいられない。

 そればかり言ってるという話とは置いておくとして。

 卓上端末に表示される、最近のトラブル件数と以前との比較。

 単純な数自体は減っている。

 ただ行事、気候、突発的な出来事にもそれらは左右されるので一概には比較出来ない。

 そのために統計的な処理をしたデータも、一緒に表示されている。

 こちらはより正確というか、余分な要素を廃した数値ともいえる。

「少しは減ってるよね」

「ええ。他の棟は変わってないけど、G棟は有意差があると見ていいわ。このデータを、あの生徒会長が認めればの話だけど」

「自分の説を曲げるって事?確かに、それはどうかな」

「頑固な人が多くて困るわ」

 私も含めてねと付け加えるサトミ。

 信念を貫いているとも言い換えらえるとは思うけど、ここはそうしておこう。

「それに私達が高校へ戻ったら、このデータも元に戻る訳よ」

「規則を変えればいいんじゃないの」

「部外者よ、私達は」

「せめて、卒業生くらい言ってよね」

 ブレザーではなく、半袖となった中等部の制服を指でなぞる。

 高等部と一見して違うのは胸元の校章くらいで、それ以外はあまり変わらない。

 着ている私は、昔とどう変わったのか。

 サトミのように部外者でしかないのか。

 考えても答えが出るはずの無い事は分かっている。

 だからこそ悩むというのかも知れない。

「いいけどさ。私は高校生だし、自分達が後になって困ればいいだけだから」

「冷たいわね、随分」

「本当の事じゃない。先に手を出すだなんて、一度ガーディアンをやってみなさいって言うの」

「あなたも、一度生徒会長をやってみたら」

 面白いな、それ。

 でも、生徒会長って何をやるんだろう。

 あの部屋に閉じこもってるってだけで、十分仕事をした気になりそうだ。

 かなり、塩田さん的発想だな。

「選挙も近いし、穏健派をアピールしたいんじゃないかしら」

「票固めって訳。何が楽しくて、生徒会長をやるんだろうね」

「将来の進学や就職が有利になるのは勿論だけど。学内での権力は、あなたが思っている以上にあるのよ。高校では特に」

「偉いからって楽しい訳でもないでしょ」

 それどこか、却って嫌な事の方が多い気がする。

 生徒からの陳情に、学校や企業からの注文。

 勿論仕事もたくさんあるだろうし、そうなれば自分の時間もなくなっていく。

 将来の利益になるとか権力を持てるというのは分かるが、本当にそれと見合うだけのメリットがあるといえるのかな。

「誰もがユウみたいな考え方をしてる訳じゃないのよ」

「脳天気って事?」

「好意的に物事を解釈するっていう意味。力とお金があれば、人の心を動かす事が出来る。そんな人間も、また少なくはないのよ」

「私だってお金をもらえば、それなりの事はやるわよ」

 無欲だとか、私心がないと気取るつもりはない。

 単純にお金があった方が嬉しいし、欲しい物だってたくさんある。

 そのために、多少の嫌な事だって我慢するくらいの事だって出来る。

「だからって、人は殺さないでしょ」

「まあね。でも」

「勿論例えよ。ただ、そういう人間も世の中にはいるのよ。程度の差こそあれ、この学校にだって」

「嫌な話ね」

 考えたくはない、しかし現実の話。

 サトミがそう言うまでもなく、私はそれに近い行為を目の当たりにしている。

 思い出したくもない、ケイが倒れる瞬間を。


「とにかく、私達にには関係ないわ。あなたとショウがいれば、誰も近付いてこないもの」

「人を魔除けみたいにいって。いっそ、サトミも生徒会長に立候補したら」

「ユウが副会長をやってくれるなら、考えてみるわ」

「なるほどね」

 一緒になって笑い合う私達。


 同じ微笑みで、同じ思いを持って。

 譲れない何かを持つ者同士として。













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