17-6
17-6
ブレザーを脱ぎ、それを畳んで椅子に座る。
少し漏れるため息。
次につながらない行動。
端末を取り出して時間を見ると、まだ数分も経っていない。
長い時間が経ったかどうかの認識も、あまり無いが。
「どうかした?」
朗らかに笑いかけてくるエリちゃん。
彼女は机に座り、腕を頭の後ろで組み背筋を伸ばした。
長い手足と、成長し始めた体。
まだ子供だった頃の記憶とは違う、大人の階段を登りつつ彼女。
「さっきの、サトミがね」
手を下から振り、肩をすくめる。
エリちゃんはくすっと笑い、長い髪を撫でつけた。
「いいんじゃないのかな。あれであの子達も、贖罪っていうか少しは気が楽になるだろうから」
客観的で、冷静な意見。
成長しているのは、体だけではないようだ。
「うん。でも、高畑さんはあれでいいのかなって。勿論他にどうすればいいのかは思いつかないけど、なんか納得いかないというか」
「それはユウさんと、聡美姉さんの違いじゃないの」
「違いって、私は血の気が多くてあの子は冷静っていう意味?」
「大体はね。ただもう少しなんて言うのかな。姉さんも色々悩む方だけど、多分ユウさん程じゃないと思う。例えば、今みたいに」
私の顔を指差すエリちゃん。
少し冗談っぽい顔で。
「姉さんは理屈で考える方だから、結果がどうなってもそれはあらかじめ予想してるの。親の事とかは、また違うにしても」
「うん」
「逆にユウさんは感情で行動するから、結果はなった後じゃないと分からない。だからこうしてあれこれ考える。内省的ってユウさんは言うけど、向上心があるって事じゃないのかな」
「それは違うって」
手首だけを振り、椅子に深くもたれる。
単に考えが浅いだけで、それを後悔しているという話だ。
「私はいい加減にやって、後で困るだけよ。それと、ただ怒ってるだけ。訳も分からずにね」
「聡美姉さんも言ってたじゃない。怒るのは悪くないって」
「度合いによる」
「あ、なるほど」
笑うエリちゃん。
私も少しだけ笑い、ブレザーに触れる。
心地いい肌触り。
自然と和む気分。
「それに考えたくないけど、あの子達が改心したかどうかは分からないでしょ」
「うん。だから姉さんは叩いて、気分を切り替えさせたんじゃないの」
「そう。そうなんだよね。あの子達も、それ程悪い子には見えなかったし」
「結局ユウさんも、信じたい訳」
心を見透かすような、澄んだ眼差し。
私は首を振りかけ、それを止めて眉間を抑えた。
拭いきれない、自分の甘さ。
自分で色々言っておきながら、エリちゃんの指摘通りあの子達を信じたいという思い。
勿論、それ自体は悪い事ではない。
裏切られた時の反動。
彼女達に別な思惑があった時を除いては。
そう分かっていながら、さっきの彼女達を思い出す。
服装も髪型も、態度も改めた姿を。
外見だけと言ってしまえばそれまでだけど。
この時期の女の子が外見にどれだけ大切にしているかを考えれば、彼女達の気持ちは自ずと分かる。
私はそう、信じたい……。
受付へ戻ると、ケイが一人で応接セットに座っていた。
「みんなは」
「あの女の所へ行った」
「……高畑さんの事?」
「そうとも言う」
暇そうな態度。
現に何かをしてる様子はなく、ソファーに座って眠そうに腕を組んでいるだけだ。
「もう少し労ってあげたら。あの子だって、今まで大変だったんだから」
「甘やかすのは良くない。別に何が出来ないって訳でも無いんだし」
「でも、いじめられてたじゃない」
「あのくらいだったら、全く無視されるよりましだろ。少なくとも、関心を持たれてたって事になる」
目が覚めるような指摘。
それが正しいとか彼女達の意図と合っているかはともかく、非常に鋭い意味を持っているのは間違いない。
「さっきの子達頬抑えてたけど、どうかした」
かいつまんでその経緯を説明して、ため息を付く。
エリちゃんに言われた事や、自分の考えを思い返して。
「怖い女だな、あれは。俺も、叩かれないように気を付けよう」
「あなたは、いつも叩かれてるじゃない」
「最近は、結構好きで叩かれてたりして」
一転したふざけた言葉。
とはいえどちらも彼の本質的な部分なので、あまりは突っ込まない。
今は考えが混乱気味なため、余計に。
「どう思う?」
「興味ない。気持を入れ替えたなら、それでいいんじゃないの」
「叩かれただけで、もういいの?」
「女の子達は満足して、高畑さんも納得してる。他人の俺達が、あれこれ口を挟む問題でもない」
ある程度は予想していた答え。
私の気持ちとは、やや異なる。
それは単に、血の気が多過ぎるからだろうか。
「エリちゃんにも言ったんだけど、納得いかないんだよね。じゃあどうしろっていう事も思いつかないし」
「何も考えずに、何もやらないよりはましさ」
「自分の事?」
「当たり」
二人して、少し虚しく笑う。
「サトミだって、あれでいいとは思ってないだろ。それでも、関係が少しは動いた」
「まあね。でも」
「神様じゃないんだし、一度に全部解決なんて出来ないんだから」
慰めるような表情。
彼は彼なりに、私の悩みを気遣っているんだろう。
「私は、高畑さんが静かにしていられるならそれでいいのよ。あの子達と仲良くなるかどうかよりも」
「ここへ来たのは中等部のガーディアンの指導や治安回復で、彼女を見守るためじゃない」
「いいの。あの子もここの生徒なんだから」
やや強引な理屈を付け、コーヒーメーカーから残りのコーヒーを注ぐ。
煮詰まり気味の、苦い味。
それを飲んで、息を付く。
残った分も少しずつ。
最後に一気に飲み干して、マグカップを音を立ててテーブルに置く。
自分の決意を示すようにして。
「もう決めた」
「何を」
「自分の好きなようにやるって」
「再確認だろ、それは」
誉めてはくれないケイ。
確かにそうだ。
今までも、自分の思った通りにやって来た。
悩んでも、落ち込んでいても。
最後にはいつも、この結論に辿り着く。
それが自分であって、それが無くなった時には自分ではなくなるんだろう。
その考え方や行動が正しいのかは知らないけれど。
単純とも、何も考えてないとも言えるとしても。
私は私であり続けたい……。
たまには、こういう事を考える。
自分でも悩むのが好きだとも思う。
「迷ってるのか」
ハンバーガー屋さんの、レジ前。
カウンターの上にあるメニュー表を指差すショウ。
そういう時もあるけど、今は違う。
とも言い切れず、今月から始まったセットメニューをチェックする。
お買い得というのは、言い返せば量が多い。
私にとっては、それ程得な話でもない。
量を減らして、品数を増やしてくれればいいのに。
「ハムカツバーガーセットのLLと、チキン二つ。後、中華サラダ」
食べ過ぎだ。
私からすれば、2食分でもいいくらい。
ショウにとっては、控えたくらいにしても。
「えーと、ポテトのSとカマンベールバーガー下さい」
「ジュースはどうなさいますか」
「いえ、それだけで」
リンゴ炭酸を飲みたいので、もういらない。
とまでは付け加えない。
店員さんも、私の好みまで聞きたくないだろうしね……。
買った物をテイクアウトして、寮へと向かう。
他のみんなは高畑さんの家へ。
木之本君だけだと思っていたのに、サトミとケイも付いていったようだ。
「ケイもなんだかんだ言って、あの子の面倒見てるんだよね」
「逆だろ」
「はは、かも知れない」
笑いはすぐに消える。
ファーストフードや飲食店などが並ぶ通り。
行き交う若者や帰宅風のサラリーマン達。
その先に見える、10名前後の若者達。
見慣れた顔が二つ。
ショウが肩を外し、ケイが鼻を蹴った男達。
「また柄の悪そうな」
「でも、元気無い感じだね」
「そう言われてみれば」
夜の街。
街灯と店頭のディスプレイの灯り。
翳りを帯びて見える情景ではあるにしろ、顔色は勝れない。
単に怪我が痛いと思えなくも無いが。
「こっち見てるぞ」
「逃げよう。ポテトが冷める」
「だな。怖い怖い」
わざとらしく首を振り、顔を伏せて足早に進むショウ。
歩幅の差から、私は小走りで続く。
広めの歩道。
向こうが大人数とはいえ、普通に歩けば簡単にすれ違える程の。
現に他の歩行者は、彼等の隣を通り過ぎていく。
「おい」
間近に迫った所で掛かる声。
勿論無視して、足を速める。
「お前らだ」
行く手に現れる巨漢。
ショウは軽いステップで伸びてきた手をかわし、一気に横を駆け抜けた。
「なっ」
巨漢は狙いをこちらへと変え、やはり手を伸ばしてくる。
馬鹿が。
無論捕まる事もなく、手が伸びきる前に駆け抜けてショウと並ぶ。
「このっ」
怒り出す巨漢。
何がやりたいんだ。
「突っ張りがしたいなら、自分の顔でも張ってれば」
「この野郎」
「女よ、私は」
鼻を鳴らし、袋を歩道へと置く。
こっちを相手にしている間に、他の連中が前を塞いでいたので。
だからどうだという訳もなく、どかせば済む話である。
「一応聞くわよ、私達に何か用」
「こいつの肩を外したんだってな」
「自業自得でしょ。それで、敵討ち?」
「そうだっ」
再び突っ込んでくる巨漢。
サイドステップで軽くかわし、がら空きの脇腹に拳を何発か叩き込む。
「当てたつもりか。全然効いてないぞ」
叩かれる、突き出たお腹。
私は肩をすくめ、長いため息を付いた。
「馬鹿がっ」
「どっちが」
同じような、勢いだけのタックル。
ただ先程のようにかわされる事を見越してか、小さなフェイントが一度入る。
フェイントと、たやすく見抜かれる程度の動きが。
その動きに合わせて後ろに下がり、軽く足を前に出す。
突き出たお腹を緩く打つ、私のつま先。
タックルは決まらなかった物の、腹を押さえて下品に笑う巨漢。
「だから効かないって……」
膝を付き、俯いた顔から汗が一気に噴き出す。
大きな体はあっという間に丸まって、唸りながらお腹を押さえ出した。
何か武器を使った訳ではない。
最初の鋭い打撃で皮膚を鬱血させ、そこを突いただけの事だ。
そうすれば内出血で圧迫された神経が、普段以上に刺激される。
つまりは、今見ている光景にとつながっていく。
力が無いなりに、大きな人間を倒す方法はいくらでもあるという訳。
「早く連れて帰ったら、チャーシューにされない内に」
お腹が空いてるせいか、つい苛立ってくる。
こうした事を後悔するとしても、黙って連れて行かれるつもりはさらさらない。
今考えるのは、この状況からどれだけ早く抜け出すかだけだ。
「言い過ぎだろ、チャーシューは」
「じゃあ、丸焼き」
「ならいいか」
何故か納得したショウは、私が置いた袋を拾い上げてあごを反らした。
威圧感を込めて。
それに押されて、一瞬身を引く男達。
だがすぐに反発気味に、腰を落として輪を狭めてくる。
「お前ら、覚悟しろよ。特に、女は」
「どっちが」
消えるショウの体。
次の瞬間彼の姿が現れた時には、行く手に立ちふさがってた男が二人倒れていた。
私のような表面への打撃ではなく、鳩尾へとめり込んだかかと。
無論そのダメージは、言うまでもない。
「こ、この」
懐から抜かれるナイフ、スタンガン、警棒。
ただのケンカの域を超えた行動に、周りで見ていた野次馬達からどよめきが上がる。
「俺達に付いてくるか、刺されるか。選べ」
余裕。
愉悦に歪む表情。
武器を出した事への不安など、微塵も感じられない。
慣れた物腰と、倒れた仲間を軽蔑気味に見下げる眼差し。
男達の人間性を、改めて認識させられる。
こちらも、何の遠慮もなく叩きのめせるとも言える。
「……何をしてるんです」
不意に割って入る、数名の男女。
腰には警棒や端末。
服装は全員が白いTシャツと紺のジーンズ。
頭には、赤いバンダナを巻いている。
どこかで見た格好。
いや、見たどころではない。
「何だ、お前らは。関係ないだろ」
「邪魔だ。それとも、代わりにやられたいのか」
「本気で我々とやり合う気ですか」
丁寧な口調の中に込められた、圧倒的な自信と迫力。
警棒やスタンガンを目の当たりにしても、臆した様子はまるでない。
「い、いや」
「おい。行こうぜ」
「っち。その内、お前達もやってやるからな」
陳腐な捨て台詞。
男達は意外な程にあっさりと身を引き、野次馬を威嚇しながら街中へと消えていった。
「あ、あの」
「何よ」
「い、いえ。その、俺達はもういいって言ったんですけど」
「ほ、本当なんです」
大きな体を小さくさせて謝ってくる二人。
この間前の強くな態度はまでなく、それこそ人が変わったように。
昼間の女の子達にも共通する姿。
それを疑う気持と、信じたい気持。
ショウも同じなのか、複雑な面持ちで頭を下げる二人を見つめている。
「……分かったから、今日はもう帰れよ」
「え、でも」
「分かったっていってるだろ。それと、さっきの連中とはもう付き合うな」
「あ、はいっ」
自分達でも認識はあるらしく、さらに頭を下げる二人。
こうなってくると、さすがに彼等の気持ちを信じたくなる。
弱さ故の強がり。
だからこそあるはずの、良心を。
頭を下げなら去っていく二人を見送り、ショウから袋を受け取る。
それを抱きしめ、わずかに残る温もりを確かめる。
「大丈夫ですか」
「え。あ、うん」
適当に頷くと、先程男達を退けた女の子が明るく微笑んだ。
赤いバンダナ、Tシャツの胸元に入ったロゴ。
言うまでもなく、ディフェンス・ラインだ。
最近は気付かなかったが、まだ活動を続けていたらしい。
「去年は、大変申し訳ありませんでした。あれから活動方針を見直して、少しずつではありますがやり直してます」
「そう。変に押し付けてこなければ、私達には関係ないから」
彼女達も変わっている途中という訳か。
ただケイの一件がある以上、さっきの中学生達程すぐには納得出来ない部分もある。
こうして初対面の私達を把握されているのも、正直いい気分とは言えないし。
「我々も大した事は出来ませんが、何かあったら出来る限りのお手伝いをしますので。良かったら、ご連絡下さい」
「ええ、そうね。覚えておく」
「はい、それでは失礼します」
礼儀正しく一礼して、やはり街中へと消えていく彼等。
遠くからも目を引く赤いバンダナと共に。
「どう思う?」
「さあな。ハンバーガーが冷めてきたってくらいで。それ以外は、深く考えたくない」
「そうだよね。私も、良く分からない」
続けて起きた出来事。
人の心の変化。
それをどう捉えればいいのか、どう対応すればいいのか。
仲間内での出来事とは違う、例えようのない違和感。
自分達の輪だけではない、他の人達との付き合い。
今までにはあまり考えなかった悩みに、私はしばし耽っていった……。
冷めたハンバーガーを持って部屋に入ると、暗がりの中に座っている人影が見えた。
「お、お化けっ」
「それを言うなら、幽霊だろ」
下らない指摘をして、それでも私を後ろへとかばうショウ。
落ちる腰。
そこで重ねられる、彼の手。
闇の中に、微かな青い光がたなびき始める。
お化けに発勁が効くのかどうかは知らないが、闇雲に殴りかかるよりはましだろう。
「ユウ、明かり」
「う、うん」
ショウの背中に隠れたまま、端末で照明を操作する。
すぐに灯る明かり。
照らされる室内。
「あ」
すり足で進んでいたショウが、小さく声を上げる。
「ど、どうしたの。ひ、一つ目小僧?」
「座敷童子に言われたく無いわ」
ローテーブルの前で正座していたサトミは、小首を傾げて私を見上げてきた。
合い鍵を持ってるからそれはいいんだけど、この状況だったらお化けの方がましだった。
「ごめんなさい。私、帰るわ」
「な、何でよ」
「そんな。女の子の口からは、恥ずかしくて言えないじゃない」
もう、言ってるような物だ。
ショウと私は顔を真っ赤にして、紙袋を持ったまま両手を振った。
「ゆ、夕食を食べに来ただけだ。本当に、それだけだって」
「初めはそのつもりだったけど、いつしか時間が過ぎて。気付いたらベッドに並んで座ってって。突然の停電、叫びながらすがる女の子。鼻先をくすぐる、シャンプーの香り……」
自分こそ、ドラマの見過ぎだ。
なんか身もだえし始めたので、クッションを持って彼女の顔へと投げた。
それを受けきれず、顔に当たった後で手を交差させるサトミ。
何回見ても、飽きないな。
「あなた、何するのよ。人が、せっかくお土産を持ってきたのに」
「その箱か」
ローテーブルの上に乗っている、一抱えくらいある白い段ボール。
要冷蔵との文字も見える。
「魚?」
「大きな分類で言えば」
「よく分からんな。開けるぞ」
「どうぞ」
開け様仰け反るショウ。
この子がこういう反応をするなんて、珍しいな。
「なんか出てない?」
「手よ。いや、足かしら」
足のある魚っている?
というか、それを魚とは呼ばないか。
「……タコ」
「高畑さんのお父さんから頂いたの。勿論、もう締めてあるけど」
「こんなの、どうするんだよ。うわ、足が何本あるんだ?」
八本だよ、八本。
「まずは、洗わないと。ここだとやりにくいから、食堂へ行こうか」
「ショウ運んで。私がやるわ」
「サトミが?」
「たまにはね」
食堂の厨房。
食事時間のピークを過ぎて、洗い物や明日の仕込みをしている中。
洗い場の一角にバケツを置き、エプロン姿で袖をまくるサトミ。
後ろで束ねれた髪を軽く振り、おもむろに肩を回し始めた。
その姿はなかなか様になっているが、相手に彼女の魅力が通じるとは思えにくい。
通じても、怖い物があるが。
「内臓は」
「ぬ、抜いてある」
「だったら塩をたくさん振って、よく揉んで」
「え、ええ」
意外と無造作に蛸の頭を掴み、調理台に乗っていたボールへ置くサトミ。
顔は相当に引きつっていて、叫びながら投げ出してもおかしくなかったくらいだが。
「ど、どうするって」
「言ったでしょ。揉むだけ」
「何よ、こんなの。ただの、タコじゃない」
当たり前だ。
どう見ても、イカじゃない。
恐る恐るタコを揉み出すサトミ。
私はその背中に、さっきから思っていた事を聞いてみた。
「お昼に、女の子を叩いたじゃない」
「そ、そんな事もあったわね」
「あれで、いいのかな」
「た、高畑さんは納得しないかも知れない。で、でも、謝りたいっていう彼女達の気持ちを無視する訳にもいかないでしょ。もし仮に、私達を怖がってのポーズだとしても」
すぐに返ってくる答え。
ある程度予想していた通りの。
「私も、あんまり納得しないのよね。なんか、高畑さんの優しさを利用してるみたいで」
「そ、それは言えるわ。ただ、誰にでもやり直す機会はあると思うの。ど、どんな人にも」
当たり前な、正論とも言える言葉。
ただしサトミの口から語られれば、それは違う意味を含んでくる。
彼女と、親の確執。
絶対に許さないといつも言っているサトミから語られる、人を信頼したいという意味の言葉。
どんな人にもと付け加えられて。
そんな事を聞かされて、自分が恥ずかしくなってくる。
一人で勝手に高畑さんの気持を考えて、相手の女の子に苛立って。
サトミの考えも、気持も理解していなかった自分に。
私に言われなくても、彼女には何もかも分かってるに決まっている。
高畑さんの気持ちも、女の子達の考え方も、私の苛立ちも。
それでもサトミは、彼女達を助けた。
人の心を利用した結果になろうとも、その矛先が自分に向く可能性があったとしても。
自分が過去に踏みにじられてきた、人の思いに希望を掛けた。
弱く、それにすがって頼るのではなく。
自分自身を賭すようにして。
強く、それを信じていた……。
「もう嫌。変わって」
「俺だって嫌だぜ。……うわ、こいつ目がある」
「無い方が怖いわよ」
子供さながらに騒ぐショウと入れ変わったサトミは、彼に笑いかけて手を洗い出した。
表情は楽しそうで、思い詰めた様子はない。
彼女自身、それ程深い意味は無かったのかも知れない。
それとも自分で言っている通り、少しは吹っ切れているのだろう。
「しばらく、たこ焼きが出来そうね」
「うん」
「もう食べないの?」
指を指される、食べ差しのポテト。
私はそれを差し出し、リンゴ炭酸へ口を付けた。
「元気ないわね」
「色々考えてたから。いつもみたいに」
「普段は明るいのに、すぐそうなるんだから」
ポテトをかじり、サトミは優しく私の顔を覗き込んだ。
ふと鼻先をくすぐるシャンプーの香り。
彼女が冗談めいて語っていた時とは違い、鼓動は早まるどころか気持が落ち着いていく。
同じなのは、ずっとこうしていたいという気持。
この人と一緒にいれば大丈夫だという思い。
自分以上に信頼出来る、かけがえの無い人と……。
目の前に置かれる小冊子。
タイトルには、生徒会長選挙公報とある。
何だこれは。
「私は高校生だから、関係ない」
「高校の選挙の事よ。よく見なさい」
サトミの指が指した箇所。
草薙高校選挙管理委員会ともある。
「ふーん。私にも、選挙権あるの?」
「無いかもね」
「あるわよ」
自分でも無茶苦茶な事を言い、小冊子を開く。
生徒会の理念、変遷、学内での役割。
それに続いて、選挙の方式と日程。
最後に、立候補者のプロフィールが載っている。
「誰に入れればいいの」
「自分で考えなさい」
冷たい人だな。
サイコロだ、サイコロ。
「ケイ、サイコロ」
「何賭ける」
「また負けたいの」
「聞かなかった事にして下さい」
低姿勢で渡されるサイコロ。
これは、6面か。
立候補者は10人以上いるから、どうすればいいんだ。
「20面体のは」
「木之本君、作ってやってくれ」
「いいよ」
ウエストポケットからカッターナイフを取り出す木之本君。
小さな木の欠片も。
変な物を持ってる人だな。
「どうやって作るんだろ」
「子供を作るよりは簡単じゃないの」
「ば、馬鹿」
ケイの脇腹を指で突き、顔を上げる。
「ん、どうした?」
手を振り、曖昧に笑う。
ヘッドフォンをして、ヒアリングの予習をしているショウへと。
ねえ、本当に。
「こ、この。脇を突くなと、何回言ったら分かるんだ」
「木之本君、出来た?」
「おい」
嫌な顔をしている子にも手を振り、テーブルへと身を乗り出す。
器用に動く手先。
プリントの上へ削られていく、木くず。
小気味いい刃の滑る音。
「へえ、さすが」
「大した事無いよ」
はにかんだ笑顔。
その間にも手先は器用に動き、木の欠片が形作られていく。
「一度、バランスを見てみるね」
テーブルの上を転がるサイコロ。
木之本君は端末を取り出し、出た目をチェックし出した。
「そこまでしなくても、転がればいいから」
「それだと、ちゃんとした結果が出ないよ」
「ちゃんとって。ただ生徒会長の投票を、誰にするか決めるだけだから」
「そんな大切な目的なら、余計に」
なおも転がるサイコロ。
打ち込まれる数値。
熱心に、真剣に。
面倒な頼みを快く引き受け、今も一生懸命やってくれている。
彼の優しさを感じられる瞬間。
「あのさ」
不意に伸びた手が、転がっているサイコロを途中で掴む。
思わず顔を上げる、私と木之本君。
ケイはサイコロを手の中で転がし、私達の顔を指差した。
「生徒会長を選ぶって分かってる」
「あ」
同時に声を上げる私達。
サイコロを作るのに集中して、木之本君もすっかり忘れていたようだ。
生真面目過ぎてという訳か。
「た、確かに、サイコロで選んじゃ駄目だよ。雪野さん」
「いいじゃない。誰を選べばいいのか分からないんだし」
「そのために公報が発行されてる。今の所は、現会長が当選確実って噂だけどね」
そうなのか。
おかしな評判は聞かないし、生徒会を改革しようなんていう部分が受けているのかも知れない。
関係ないとはいわないが、正直遠い世界の話でもある。
生徒会というエリート組織を率いる生徒会長。
ここ二代は私達が聞いた通り色々あったようだが、大きな権力と将来が約束されているのは間違いない。
「あの人以外に、誰が出てるのかな。ねえ、サトミ……」
窓際にある机。
そこに並んで座っている、サトミと高畑さん。
近い距離。
体も、顔も。
重なっていると言っていい程に。
「ちょっとっ」
「何よ」
澄まして答えるサトミ。
高畑さんも、いつものように可愛らしく笑っている。
私は自分でも分かるくらい顔に血の気を上げて、二人の元へと詰め寄った。
「あ、あなた達」
「落ち着いて。ユウ」
「お、落ち着ける訳無いでしょ。キ、キスしてたじゃない、あなた達」
「まさか、何言ってるの」
すっとぼけやがった。
むかつくな。
じゃあいいや、私もするから。
「馬鹿」
顔の前に出てくる手。
それを舌先で舐め、声を上げさせる。
「な、何するの」
「じ、自分だって」
「どうしたんですか」
あくまでも冷静な高畑さん。
覚えてないのかな、頬に軽く触れたくらいだったから。
「……何騒いでるんだ」
「ショウ。ちょっと聞いてよ、サトミがね」
「何でもないわ。ね、高畑さん」
「はい」
見つめ合った。
熱く、はにかみ気味に。
女同士で、何やってるんだ。
羨ましい……。
「食べる?」
差し出されるビニールパック。
中には串に刺した肉が入っていて、「シシカバブ」とラベルが貼ってある。
またマニアックな物を。
「どうしたの、これ」
「購買で、イラン人が売ってた」
「どうしてイラン人って分かるのよ」
「絨毯の上に乗って、横にランプが置いてあった」
そのままだな。
まさか、それに乗ってきたって言わないでしょうね。
「これは」
「羊」
「……じゃあ、これは」
「牛」
じゃあ、これだ。
そう思ったら、高畑さんの手と重なった。
ちょっと、これは私のなのよ。
「ふー」
「がー」
「きー」
「ぐー」
「しゃー」
「いい加減にしなさいっ」
叩かれる机。
血相を変えて私達を睨むサトミ。
私と高畑さんは手を取り合い、彼女を見上げた。
怒らなくてもいいじゃない。
もう、いや。
私がね。
「何やってるの、あなた達は」
「これは私のだって」
「いや、私のです」
「あなたはこれを食べなさい」
「いえ、私は嫌です」
「わがまま言わないの」
頷き合う私達。
ほら、分かってるじゃない。
私達だけ。
「獣ね、まるで」
「うるさいな」
牛のカバブを半分ずつ分け合う私達。
初めからこうすれば良かったんだ。
後輩に譲れという話もあるけど、そんな戯言は気にしない。
「俺も欲しいな」
「まだあるぞ。ほら」
「お前の食べ差しなんていらん」
邪険に手を振るケイ。
その辺の女の子なら嬌声を上げて奪い合う物なんだろうけど、さすがに男の子には通じないらしい。
通じても、嫌な話だけど。
「これって、ハラールか?」
「なんだ、はらーるって」
「イスラムの作法で殺した肉かっていう意味。食べないなら、私が食べるわよ」
「俺は、ムスリムじゃない」
サトミの手をかわし、不器用に食べ始めた。
結局食べるのに、訳の分からない人だな。
「木之本。お前は」
「余ってるならもらうよ」
「まだあるわ」
伸びてきたケイの手に串を突き付けたサトミは、ビニールパックごと木之本君へと差し出した。
「ありがとう。でも、浦田君の言う事もおかしくはないんじゃないかな」
「どういう事?」
「自分では気にしなくても、相手にとっては絶対に譲れない事があるんじゃないかって。僕達は何も気にしないけど、イスラム教の人がハラールって言うのを大切にするように」
訥々と木之本君。
思わずと行った具合に聞き入るみんな。
受付の辺りから届く笑い声。
そばを過ぎていく足音。
心の中に響く声に耳を傾けるようにして、みんなが押し黙る。
「なんだこれ、はずれだな」
すっとぼけた声。
串を、照明へかざした男の子の呟いた台詞である。
「お前、何言ってるんだ」
「アイスであるだろ。当たりって書いてあるのが」
ふざけた答え。
木之本君の説明がかすんで、無意味と思える程の。
というか、この人がまともな事を言う訳がない。
そう聞こえたとしたら、それは私の方がどうかしてる時だろう。
「今のは、どうなのかしら。木之本君」
「い、いや。みんなの気持ちを和ませようとして」
彼のフォローをよそに、床へ落ちたお肉を食べるケイ。
食べ物を大切にするのはいい事だ。
これ程の人前でする事でもないが。
本当にこの人は、何がしたいんだか……。
オフィスにいてもやる事がないので、ふらふらと外へ出ていく。
中等部の子達に気を遣わせてる気が、多少はするので。
「荒れてるって割には、大した事無いよね」
「捉え方の違いか、私達の知らない所では意外と暴れてるのか」
顎に手を添え、小首を傾げるサトミ。
知性的で大人びた、彼女によく似合う仕草。
私がやれば、顎が痛いのかと思われるだけだ。
「ふらふらしてるのは、私達くらいだし」
「自分で言わないで」
「本当の事じゃない。あーあ、全然止まないな」
つま先立ちになり、窓の外を覗く。
しとしとと降りしきる雨。
窓を伝う雨筋。
すぐ近くにある熱田神宮も、今日はかすんで見えている。
「何のために来たんだろうね」
「いいじゃない。ショウが言ってたように、骨休めには」
「逆に、高校にいない気がする」
「そう言えば」
抑えめに笑い合う私達。
静かな廊下に響く、鈴香のような笑い声。
「私達の方が、違ってるのかもね」
「どういう意味?」
「滋賀へ行った時も思ったけど、これが普通じゃないのかなって」
そう告げて、上目遣いでサトミを窺う。
彼女は私を見つめたまま少しの間を置き、ゆっくりと瞬きをした。
長い睫毛が頬に影を落とし、妙なる陰影を作り出す。
「そうね。学校にマークされて、刃物で脅されるなんて普通とは言わないわね」
「うん」
「感覚が麻痺しているとは言わないまでも、ユウの言いたい事は分かるわ。駄目ね、私は」
「私達は、でしょ」
重なる視線。
違う瞳が、同じ色で。
同じ思いを抱いて。
「ガーディアンなんて存在しなければ、本当は一番いいんだろうけどね」
「でも、現実はそうはいかない」
「だから普通じゃない生活を送ってる訳よ、私達は」
重なる拳。
重く、熱く。
お互いの気持ちを示すように。
「ショウの言う通り、ここへ来たのはつかの間の休息って事ね」
「それと、高畑さんに会うためかな」
「あなたのお姉さんに?」
「やめてよ、もう」
子供にも似た、楽しげな笑い声。
この場に相応しい。
私とサトミが出会い、お互いを育みあった。
今もまた、成長させてくれる場所。