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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第17話
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17-5






     17-5




 アームガードとレガース、インナーのプロテクターを確かめて足を振り上げる。

 頭上を過ぎるかかと。

 視界はわずかにも動かない。

 以前から話のあった、格闘技訓練。

 揉める予感はあるが、だからといって止める理由もない。

 学校の治安を守るべきガーディアンが、むしろそれを助長していると聞いたなら余計に。



 少し後悔。

 体育館に集まったのは、100人あまりのガーディアン。

 真面目そうな子が居並ぶ中、後方でだらけている男の子達。

 身長もそうだが、体重は私の倍はありそうだ。

 その柄の悪そうな連中の、ほぼ全員が。

「頑張ってね」

「俺だけで?」

「あなたが頼まれたんでしょ」

 体を解し始めたガーディアン達を眺めながら、壁際でしゃがむ。

 ショウは両手で髪をかき上げて、やはり体を解し始めた。

 ゆっくりと、入念に。

 大きく、柔らかくしなる手足。

 何も変わらない表情。

 これだけでちょっとした運動と同程度の動きなのだが、彼にしてみれば本当に準備段階に過ぎない。

「パワーリストやアンクルは付けてるよね」

「ああ」

「それはハンディなんだから、外さないでよ」

「たまには足かせ無しでやりたいぜ」

 頭上まで跳ね上がる足。 

 動き自体は、先程の私と大差ない。

 見た目は天と地ほどの差だが。


 しばらくして、型の訓練が始まった。

 マーシャルアーツをベースにした、オーソドックスな動き。

 レベルは平均といった所で、まだまだこれからという感じ。

 昔の自分を見ている気分でもある。

「可愛いじゃない」

「俺だって、ああいう時があった」

「私が会った時は、もう人を蹴ってたのに」

「あのな」

 綺麗なワンツー。

 速度は無い物の、見る人が見ればそのモーションは感嘆の一言に尽きるだろう。

 だがこちらを見ていた、柄の悪い連中は失笑気味だ。

 単に馬鹿にしただけなのか、動きの低いレベルと取ったのか。

 後者なら、向こうのレベルも推測出来る。

 前者でも、違う意味でのレベルを推測出来るが。

「笑われてる」

「ユウが?」

「どういう解釈をしてるの」

 壁にもたれて、膝を抱えたまま反論する。

 例えるならだるま、もしくはまん丸ちゃん。

 やっぱり起きよう……。


「別に、揉めないな」

「指導に来たんであって、揉めなくてもいいでしょ」

「ああ。真面目にやってるし、大丈夫か」

「達じゃなくて、俺」

 ここは譲らず、あくまでも押し通す。 

 向かってきたら、関係ないけどね。



 訓練は一旦休憩。 

 友達同士で話をしたり、ペットボトルで水分を補給するみんな。

 私達は何もしてないので、壁に張り付いたままだらだらとしている。

 指導は頼まれているが、具体的な指示は受けていないので。

 自分で考えろという意味だとしても、積極的に動く気もしない。

 面倒がっている訳ではなく、元々指導している子達も横から口を挟まれては楽しくないだろう。

 用があれば向こうから声を掛けてくるだろうし、教えるのは今でなくてもいいんだから。

「今気付いたけど、これってお金もらえるの」

「聞いてないな。それ以前に、何もしてない」

 確かに。

「本当、何しに来たんだろうね」

「たまにはいいさ。何もなくたって」

「悟ってるのね。頭、丸めたら」

「せっかく伸びてきたのに」

 肩まであった頃ほどではないが、以前よりは長くなってきた。

 少し固めの、まっすぐな髪。

 どういう髪型にしろ、格好いいけどね。

「……と、来たかな」

「また降ってきた?」

 高い位置にある窓を見上げ、首を傾げる。

 白っぽい曇りガラス。

 曇っているのは分かるが、雨までは識別のしようがない。

「降ってないよ」

「逆だ、逆。反対側の窓じゃないぞ」

 先手を制してくるショウ。 

 私の行動を、完全に見切ってるな。

「分かってるわよ」

 全然分かってないが、視線を下げる。

 こちらへと歩いてくる、数名の男の子。 

 その後ろにも、さらに何人か。 

 そういう意味か。


 不穏な気配を察したのか、他のガーディアン達も全員がこちらへと注目する。

 不安もあるが、やはりという空気で。

 私はすぐにしゃがみ、手を前へと振った。

「ほら、相手して」

「またか」

「元々こうなる定めなの。運命なのよ」

「他人事だと思って」

 そう言いながら、体を解すショウ。

 自分が否定して、やり合う気がなくても。

 相手にそれが通じない時もある。 

 だとすれば、どうするかは自ずと決まってくる。

「程々にね」

「ユウに言われたくない」

「たまには言ってみたいのよ」

「俺も言ってみたいぜ」

 まっすぐ伸び、引き戻される右。

 一斉に上がるどよめき。

 目に見えて分かる威力、その早さ。

 威嚇兼、牽制というったところか。


 だがそれを挑発と取ったのか、近付いてくる男達の足が速まる。

 いかにも血の気が多そうな顔立ちで、体型はショウ程ではないがかなりの大柄。

 暴れるなという方が無理なのかも知れない。

 ただそれにも、節度があるが。

「お前か。高等部から来たガーディアンっていうのは」

「ああ」

「指導しに来たんだろ、俺達を。そう言えば、名前も聞いてないな」

「玲阿四葉だ」

 過去を見合わせる男達。

 高等部とはまるで違う反応。

 そこでようやく気付いた。

 ここにいるのは、殆どが1、2年生。 

 つまりショウが卒業した後に、入ってきた子ばかり。

 彼の名前も存在も、その実力も知る訳がない。

 だからこそ、こうして無謀な行動に出られるとも言える。

「そっちの小さいのは」

 床を向いたまま舌を鳴らし、それを無視する。 

 私も、中学生相手に大人げない真似はしたくない。

 我慢にも限度があるとしても。

「無視かよ。まあいい。で、指導してくれないのか」

「特にどうしろという指示も受けてない。それに今みたいに、型や基礎トレをやってた方がいいだろ。ケンカ腰でやり合って、どうなると思う」

「さすがに高校生は大人だな。それとも、びびってるのか」

 無謀というか、無鉄砲というか。 

 それが良い方向に働く時もあれば、危ない方向へ向く時もある。

 この場合は彼等自身よりも、ショウの判断に掛かっているが。

「俺だって、大勢を相手にやりたくはないさ」

 相手の気分を害さない程度に引くショウ。

 それには彼等も無闇に突っかかる材料を失ったらしく、小声で何やら話し出した。

「……じゃあ、一人ずつならどうだ」

「プロテクターを着けて、軽く当てるくらいならいいぞ」

「ちっ。少し待ってろ」

 慌てて駆け戻り、自分達のプロテクターを持ってくる男の子達。

 その辺は素直というか、可愛げがある。


 少しして準備を整えた彼等の中から、一際大きい子が出てきた。 

 それこそ相撲取りのような、丸で構成された体。

 本当に、中学生か?

「プロテクターは」

「入らないんだよ」

 赤い顔で答える男の子。

 取りあえずといった様子でアームガードとレガースは着いているが、インナーのプロテクターはどこにも見あたらない。

 本人の言う通り彼に見合うサイズのプロテクター自体、どこを探せば見あたるのかという話でもある。

「北米からでも取り寄せろ。それで、オープングローブは」

「だから」

「ああ、悪い。じゃあ、構えろ」

「よ、よし」

 一気に走る緊張。

 小さく上がる歓声は、すぐに消えていく。 

 その張りつめた空気と、両者の間に走る気合いによって。


 極端に落ちる腰。

 それこそ、相撲の仕切り並に。

「タックルが得意なのか」

「あ、ああ」

「だったら、俺の膝に注意しろよ。後は、上からの肘にも」

「わ、分かってる」

 言われるまでもないとばかりに答え、鋭く前に出る男の子。

 得意なだけはあり、速度は相当の物。 

 これだけの巨体と、それを動かす瞬発力。

 誰もがショウのテイクダウンを予想するだろう。

 タックルが決まればの話だが。


「あ」 

 空を掴む、彼の両腕。

 その真横で、掌底を首筋へ向けるショウ。

 横に流れ、前に出ただけの動き。

 勿論タックル以上のスピードと、相手の動きを瞬時に読み取るという注釈付きの。

「まだやるか」

「い、いや」

「よし。突っ込むだけじゃなくて、フェイントを入れろ。上半身を揺らすか、目線を動かすだけでもいいから」

「あ、ああ」

 呆然としながら下がっていく彼。 

 ショウはその丸い背中を見送り、彼が消えた集団へ手招きした。

「次は」

「あ、ああ。俺が」

 代わって進み出てきたのは、さほど大きくはない男の子。 

 ただ歩き方や腕の振りを見ている限りでは、かなり機敏な動きをしそうである。

「蹴りたいって顔だな」

「だ、誰が」

「誰だって分かる。今の奴にも言ったが、相手に気付かれるような動きばかりするなよ」

「ちっ」

 いきなり走り出す男の子。 

 即座にアップライトで構えるショウ。

 それを見て男の子は足を止め、床を滑った。

 彼は足元を蹴ると見せかけ、ショウが足を浮かした途端逆立ちとなって顔を狙う。

「え」

 高い位置で交差する、二本の足。

 振り上げた彼の足と、浮かしたショウの足である。

「下から上へなんて、ありがち過ぎる。もっと素早くやるか、両足を蹴って次の動きに移った方がいい」

「あ、ああ」

 体勢を立て直し、ショウを振り返りながら戻っていく男の子。 

 その仲間達から感じられる、勝手が違うという空気。

 出しゃばってきた高校生を軽くあしらうだったはずが、逆になっている今。 

 誰にも分かる、明らかな実力差。

 しかしここで下がれる程、彼等は大人ではないだろう。

 勿論下がった方が利口だし、恥も掻かず、危ない目にも遭わない。

 ただ私としては、そんな無謀さは嫌いではない。


「……楽しそうですね」

 笑い気味の太い声。

 威圧感のある顔と、ショウにも負けないくらいの大きな体。

 戦意に満ちた、鋭い眼光。

「御剣君」

「こんにちは」 

 ドアを開けて入ってきた彼は、雨の降りしきる外を背にして室内を見渡した。

 その視線を、一斉に避けるガーディアン達。

 恐怖とも、不安とも付かない顔で。

「どうしたの」

「さあ。俺にも」

「……ちょっと待てよ」

 彼と、ガーディアン達を指差すショウ。

 私もすぐに、それに気付く。

「あなたは去年までここにいたから、今の2年生は知ってるんだ」

「何言ってるんですか、雪野さん」

「お前が怖がられてるって言いたいんだ」

「また、そういう事を。俺が怖いなら、四葉さんはどうなんだよ」

 笑い合う二人。

 逆にガーディアン達からは、どよめきが上がる。 

 彼等にとって恐れる程の存在である御剣君と気さくに話し合う私達。

 それどころか、彼が姿勢を低くする程の人間。

 そうなると、ショウや私は何者なのかという話である。

「大体、お前どうしてここに来たんだ」

「あんたが来いって言うから、俺はわざわざ」

「え、そうだった?」

「ああ。そういえば、そんな話してたね。忘れてた」

 しゃがんだままころころ笑い、すぐに止める。 

 怯え気味なたくさんの視線に気付いたので。

「ちょと、誤解しないように言ってよ。私はなんでもない、普通の子だって」

「はあ」

「頼りない返事ね。こんな小さい女の子に、何が出来るっていうのよ」

「本当にそうだと、俺も助けるんですが」

 嫌な事を言う子だ。

 だから、こっちを見ないでって。

「あ、あの」

「なんだ」

「御剣さん、ですよね」

「だからなんだよ」

 即座に言い返す御剣君をはたくショウ。

「お前は、もう少し丁寧に話せないのか」

 一斉に起きるどよめき。 

 再びこちらにやって来たさっきの男の子達は、完全に顔を引きつらせている。

「俺としては、十分に」

「自覚のない奴だな。悪い、こいつ見た目程怖くないから」

「い、いえ。あ、あの。二人はお知り合いなんですか」

「私は無関係です」

 二人から離れ、レガースとアームガードを外す。

 やだやだ、格闘馬鹿は。

「こちらは俺の先輩で、エアリアルガーディアンズさ」

「どこかで聞いたような」

「昔、ここで暴れてたガーディアンだ」

「あ、ああ。そういえば」

 先程よりも大きなどよめき。

 また余計な事を。

 さて、さっさと帰るとしようかな。

「す、済みません。俺達何も知らなくて」

「謝る必要はないだろ。俺もお前達も、同じガーディアンなんだから」

「れ、玲阿さん」

 背中越しに感じる、暖かな一体感。

 みんなも仲良し、よかったよかった。 

「雪野さん、どこ行くんです」

「誰、それ」

 すっとぼけて、ショウを置いたまま体育館脇の廊下を歩く。

 後は任せて、早く逃げよう。


 降りしきる雨に濡れるグラウンド。

 かすむサッカーのゴール。

 空は灰色で、風は湿り肌寒い。

 なんて感慨に耽っていると、レガースが抱えていた袋から落ちてきた。

「よっ」

 足の甲で蹴り、膝で押し上げ袋に戻す。

「器用ね」

「誰が」

 顔を上げ、いつの間にか目の前に来ていた男女と視線を交わす。

 その中でも一際目立つ、綺麗な女の子。

 中等部の制服と、セミロングの薄い茶髪。

 左右の耳元辺りに赤いリボンがしてあり、少しきつめな顔付きを和らげている。

 また人目を引くのはその容姿以上の、人格的な部分だろう。

 少なくとも私は、そう感じた。

「あなたが」

 そう言われて、ようやく気付く。

 自分では大した事をやったとは思わないが、人によっては器用と感じるのだろう。

 ケイに言わせれば、神業らしいが。

 あの子は、ペンを手の中で回しただけで感心するからな。

「高等部からみえたガーディアンの人が指導していると聞いたけど、まだいるかしら」

「ええ。大きくて格好いい子と、大きくて怖い顔の子がいる」

「ありがとう。でも、先輩には敬語を使う物よ」 

「先輩」

 彼女と、自分を比較する。 

 体型、顔付き、立ち振る舞い。

 年齢以外は、全てにおいて彼女が上回っている。

 本当、この制服の威力はすごい物があるな。

 ここまでくると、もう笑うしかない。

「どうかしたの」

「いえ。失礼しました。私は少し、急ぎますので」

「あなたも、ガーディアンじゃないの?」

「体調が、少し。本当、大した事無いんです」

 気を遣われたり付き添ってくるのを制し、レガースやアームガードの入った袋を抱えて彼等の脇を通り過ぎていく。

 ただ人数が多く、いまいち通りにくい。


 私達がいる場所は、体育館脇の渡り廊下。

 全体がグラウンドへ降りる階段にもなっていて、そちらへ迂回する事も可能である。

 無理をして、この大名行列を突っ切る理由もない。 

 そういう訳で、階段を下りてひさしのない雨の中を駆け抜ける。

 なんだかんだと言って、私も若いね。

 そんな事を思っていた途端、頭上から叫び声が聞こえた。

 大勢の人間が歩いて、濡れた廊下。

 ビニールか何かが落ちていたのか。

 足を滑らせ、こちらへと落ちてくる一人の女の子。

 下は角度のある階段。 

 高さはない物の、危険度はかなり高い。


「よっ」

 袋を放り投げ、床を蹴って階段を駆け上る。 

 幸い女の子は硬直したまま落ちてきて、手足が邪魔になる事はない。

「くっ」

 まずは上半身を受け止め、足を上下に開く。

 次いで腰へ来る振動を膝まで逃がし、階段を一段下りて垂れ下がった腕を打たないように配慮する。

 体重差は10kgもなく、腰や膝への負担も殆ど無い。

 いつか大内さん達とこんな事があったが、彼女達が何かを企んでいるようには思えない。

 また仮にそうだとしても、目の前に倒れてくる人を放っておく訳にもいかないだろう。


「大丈夫?」

「え……。あ、はい」

「じゃあ、起きようか」

 下から腰を支えつつ、階段をさらに上がる。

 起き上がる彼女の体。

 幸い上から女の子達が彼女の手を取ってくれたので、すぐに体勢は立て直った。

 恐怖が残っているのか足は震えている物の、怪我は無さそうだ。

「あ、ありがとうございます」

「いいよ……。いいんですよ」

 今さら敬語に言い直し、グラウンドに落ちた袋を取りに行く。

 うわ。泥が。

 これはヒモを掴んで、いやもう少しこっちか。

「……あなた、何者」

「ただの新入生です」 

 適当に答え、どうにか泥が付かないバランスを見つけて歩き出す。 

 落として壊れる性質の物でもないので、その点では安心だ。

「随分、変わった新入生ね」

「よく言われます」

 反射的に返し、袋へ集中して歩き出す。

「名前は」

「いえ、名乗る程の者でも」

 咄嗟に出てきた言葉だが、これは自分でもおかしくてつい笑う。

 侍じゃないんだから。

「何か、おかしい?」

「いえ。おかしいのは私です。先を急ぎますので」

「クリーニング代くらい出すわよ」

「そのお気遣いだけで結構です。へぇ、本当に」

 町人だ、町人。

 さすがにこれ以上は耐えきれなく、泥が付くのを覚悟で足を速める。

 ある意味、袋と私との勝負でもある。

「何かあったら、生徒会に来て」

「あ、はい。もったいないお言葉です」

 もう駄目だ。

 最後には忍び笑いになりつつ、私は雨を望む渡り廊下を駆け抜けていった……。




 エリちゃんのオフィスに戻り袋を洗っていると、サトミがやってきた。

「どうして、泥なんて付いたの」

「グラウンドに落としちゃって」

「あなたが?」

「たまにはそういう時もあるのよ。サトミみたいに、鈍い時がね」

 布製の袋を広げ、振りながら水を落とす。

 洗濯機で洗う程でもないし、後はエアコンの近くに干しておけばすぐ乾くだろう。

「ショウは」

「さあ、そろそろ戻ってくるかも」

「かもって。ユウも行ったんでしょ」

「有名人が来たから、私は用済み」

 手をよく洗い、腰を伸ばす。

 昔のおばあさんの腰が曲がっている理由を、身を持って体験する。

 というか、この洗面台が高過ぎるんだ。

 他の人には、ちょうどいいとしても……。

「一仕事したから、コーヒーでも飲もうっと」

「袋を一つ洗っただけじゃない」

「気分的によ。サトミは?」

「勿論飲むわ」 

 これだ。

 あれ、挽いた豆がある。

 コーヒーメーカーも。

 誰か、好きな人がいるようだ。

「これやろ、これ」

「インスタントの方が楽よ」

「こっちの方が、面白いじゃない」

「味で決めなさい」

 呆れるサトミを促して、キッチンから一通りを用意して移動する。


 受付前の、来客用にも使われている応接セット。

 そこにコーヒーメーカーを置き、お湯が沸くのをじっと待つ。

 待つ。

 もう待てない。

「インスタントコーヒーは」

「我慢しなさい」

「遅いのよ、これ」

「水だしなんて、やり方によっては半日掛かるわよ」

 そんな時間が掛かった日には、コーヒーを作った事自体忘れそうだ。

 こういうのは、飲みたい時に飲む。

 だから美味しいんじゃない。

「お。沸いてきた。沸いてきたよ、サトミ」

「見てるわよ、私も」

「だって。ほら。お、おお。この子、なかなかやるわね」

 何かサトミが言ってるが、もう聞こえない。 

 下の方からお湯がふわふわしてきて、ガラス容器が曇り出してきた。

 何となく茶色っぽくもなってきた。

「ポコポコ言ってる。タヌキでもいるのかな」

「いるのかもね」

 おざなりに答えるサトミ。

 いる訳ないじゃない。

「あれ。どうしたの、それ」

「永理。止めてやって」

「いいじゃない。私も好きだもん、コーヒー」

「こっちの子は、コーヒーじゃなくて見るのが好きなのよ」

 なんとでも言ってちょうだい。 

 今度はゴボゴボ言い出した。

「カ、カッパでも出てきそう」

「雪野さん。何言ってるの」

 冷静に指摘してくる木之本君。

 これだから、真面目な人は。

 夢なのよ、夢。

 妄想とも言うけれど。 

「でもあなた。昔もこれ見て、喜んでたわね」

「……そう言えば。これって見覚えある」

「元野さんが置いていってくれたの。これを飲むたびに、先輩を思い出すって訳」

 訥々と語るエリちゃん。

 少し苦く、胸の空くような味か。

 時折昔を振り返り、そういう気持ちになるのはいい事かも知れない。 

 私が思い出すのは、モトちゃんの持ってくる苦い漢方薬だが。


「何集まってるんだ」

「あ、ショウ。コーヒー、コーヒー」

「もう作らないぞ」

 嫌な顔をするショウ。

「違うわよ。コーヒーメーカー。昔、私達が使ってた」

「また古いのを。動くのか?」

「ガブガブ言ってるから、大丈夫よ。ね、木之本君」

「少し、ヒーターが弱ってるかも知れない。後で、ちょっと見てみるよ」

 弱ってるだ。

 じゃあ、駄目じゃない。

「だから遅いの?もっと、ちゃっと出来ないの?」

「コーヒーを蒸らす時間とか、色々あるんですよ。雪野さん」

「お前、詳しいな」

「四葉さんよりは」 

 ショウ以上に嫌な顔をする御剣君。

 何でもショウの作ったコーヒーを飲んだ後から勉強して、かなり詳しくなったらしい。

 雑な割には、細かい事をやった物だ。

 私に言われたくないと指摘されそうだけど。

「うわっ」

 顔を近付けていたら、いきなり下からお湯が吹き出てきた。 

 勿論、ガラス容器の向こう側で。

「何してるんだ」

「だ、だって。がわーって」

「それはもう分かったって」

 私の肩をそっと押すショウ。

 つまり、飛び退いて彼へ飛び込んだ形になる。

 いいじゃない、たまには……。

「マグカップも暖まりましたし、飲みますか」

「まめですね、御剣さん」

「俺って、そんなに雑か?」

「さあ。私からは何とも」

 大袈裟に肩をすくめるエリちゃん。

 御剣君は鼻を鳴らして、マグカップをテーブルの上に並べ出した。

 この二人は先輩後輩だから、こうなる訳か。

 当たり前だし分かっている事だけど、久し振りにその関係を見ると少しの感慨がある。

 私にも後輩が出来てきた今は、余計に。


 それはともかく、まずは飲んでみる。

 飲んでみて、感想は。

「大して味が違わないって顔ね」

「また、サトミちゃん。冗談ばっかり」

 サトミの髪を少し引っ張り、もう一口飲んでみる。

 風味がいい、ように思える。

 というか、思いたい。

「苦いわね」

「味が出てるのよ、これは」

「どんな味が」

「コ、コーヒー味」

 私も引っ張られた。

 頬を。

 何よ、これ。

「インスタントよりは美味しいですよ。酸味や苦みは、コーヒーの量や水の加減もありますし」

「勉強しただけあって、詳しいのね」

「四葉さんよりは」

「あれは、泥水よ」

 なんの迷いもなく言い切るサトミ。

 御剣君も控えめながら、こくりと頷いた。

「俺はな」

「いいじゃない。私も、ショウさんのコーヒー飲みたいな」

 明るい笑顔を浮かべるエリちゃん。

 お世辞の意味合いもあるだろうけど、彼女のショウに対する心情を考えれば分からなくもない。

 私なら、冗談でも言いたくない。

「じゃあ、作るか。仕方ないな」

 言葉とは裏腹に、ショウは軽い足取りで奥の部屋へと消えていった。

 言わない事じゃない。

「知らないわよ、あなた」

「どうして。インスタントなら、誰が作っても同じでしょ」

「だって、ユウ」

「今言えるのは、私は飲まないって事」

 そう断言したら、猫背の男の子がこちらへと歩いてきた。


「コーヒー、コーヒー」

「見れば分かる」

 愛想のない返事。 

 ケイはエリちゃんの隣りに座り、コーヒーメーカーを指で突いた。

「ポコポコッてきて、ガブガブッてなって、ゴーッて」

「分かったって言ってるだろ。うるさい女だな」

「何よ。私は、これを見てなかったあなたのために」

「ユウが楽しみたかった、の間違いじゃないの」

 見ていたかのような指摘。

 私の行動が、毎回同じだという気もするが。

「大体俺は、コーヒーが好きじゃない」

「美味しいんだって、これは」

「あれよりは?」

 トレイを持って、いそいそとやってくるショウ。

 その上には勿論マグカップに入ったコーヒーが。

 エリちゃんはそれを笑顔で受け取り、両手で包んで傾けた。

 憧れの人が作ったコーヒーを。

 まるで大切な宝物でも扱うみたいに。

 そっと、少しずつ。

 惜しむように。

 はにかんで、目を細めながら。


「わ」

 すぐに上がる、変な声。 

 この子には似合わない、妙に低い声が。

「まずいでしょ」

「い、いや。それは、えと」

「遠慮しなくていいのよ、永理。所詮おぼっちゃまには、家事なんて無理なんだから」

「そういう言い方は無いだろ……。あれ」

 自分の分を飲んで、首を傾げるショウ。

 何回薄いって言ったら分かるんだ。

 理由はかなり判明しているが、私はもう飲まないので彼に教える気力もない。

「妹に、変な物を飲ませるな」

「だって」

「だってじゃない。俺は、紅茶でも飲もう」

 背負っていたリュックからペットボトルを取り出し、それを飲み出すケイ。

 買った物ではなく、彼が自分で作った物のようだ。

「慎ましい生活をしてるのね」

「この方が安いし、味も調整出来る」

「ショウに教えてあげたら」

「そういうレベルの話じゃないだろ。こういうのは」

 コーヒーなら粉をどれだけいれるか、紅茶なら葉をどれだけ入れるか。

 パックになっているタイプなら、もっと簡単だ。

「浦田君って、そういうのは出来るよね」

「木之本君程器用じゃないんでね。その才能を生かして、あの子のスクーターを頼む」

「高畑さん?」

「フロントのブレーキが、少し緩いらしい。俺がやってもいいけど、元に戻らなくなる」

「いいよ。後で見てくる」

 素直に請け負う木之本君。

 するとケイはくくっと笑い、彼の肩を何度か叩いた。

「ど、どうしたの」

「また知多まで行くとは、人がいい」

「え」

「ブレーキがおかしいのに、乗って来れないだろ。いや、よかったよかった」

 一人で納得するケイ。

 悪い人だとは思うけど、自分で言っている通りこの人に直せる訳もない。

 その点木之本君は機械関係が得意なので、適任と言えば適任だ。

 敢えて彼を選んだという意味では、いい人である。

 押し付けたという事実は消えないけどね。

「明日友達とどこか行くらしいから、今日頼むって」

「あ、うん。いいよ」 

 流されつつも、頷く木之本君。

 本当にこの人は、人がいいな。

 あくどい木之本君というのも、想像は出来ないけど。


「こんにちは」

 目の前に現れる、可愛い感じの女の子。

 着ているのは、高等部の制服。

 確かこの子は。

「ちょっと、遊びに来ちゃった。木之本君。今日、少し付き合って」

 気さくで、親密感のある口調。 

 木之本君は一瞬笑いかけ、すぐに視線を伏せた。

「ごめん。今日は用事があるんだ」

「それは明日でいいじゃない」

「いや、そういう訳には」

 反論しかけた所で、彼の表情がもう一度変わる。

 ドアの辺り。

 手を前にで組み、ぽつんと立っている高畑さん。

「どうしたの」

 私はすぐに駆け寄って、彼女を中へと呼び寄せた。

 高畑さんは手を前で揉みながら、じっと俯いている。

 いつもとは違う人の集まり。

 少しのぎこちない空気。

 そんな中、高畑さんが一言呟く。

「あ、あの。ありがとうございます」

 遠慮気味な、可愛らしい笑顔。

 それは間違いなく、木之本君へと向けられている。

「え。僕、何かした?」

「そ、その。スクーターの、ブレーキを」

「ああ、その事。いいよ、壊れたままだと危ないからね」

 すぐに意を汲んで、笑顔で返す木之本君。

 高畑さんは頭を下げて、聞こえないくらいの声で何度もお礼を言った。

「誰、この子」 

 やや尖った、怪訝そうな声。 

 さっきの女の子は高畑さんを見つめながら、木之本君へ尋ねた。

「ここで知り合ったんだ。スクーターの調子が悪いっていうから、今日直そうと思って」

「直すのは、明日でもいいじゃない。ね、そうでしょ」

 押しの強い言い方。

 気圧されたように頷きかける高畑さん。

 だがその間に、すっと手が差し挟まれる。

「先に約束したのは高畑さんの方だから、彼女を優先する。それは、当たり前だろ」

 強い、諭すような口調。

 真剣で、厳しい表情。

 女の子は一瞬彼を睨み付け、すぐに首を振った。

「分かった。その代わり、明日は付き合ってもらうわよ」

「うん。買い物?」

「そんな所。後で、連絡するわ」

 最後は笑顔で去っていく女の子。

 木之本君はドアまで彼女を見送り、苦笑気味に戻ってきた。

「す、済みません」

 慌てて謝る高畑さん。

 彼女も二人の関係を悟ったのだろう。 

 恋人同士。

 その二人を、心ならずとはいえ妨げてしまった事をも。

「いいよ、気にしなくても。まずは、約束を守らないと」

「で、でも。あの人、怒ってたんじゃ」

「大丈夫。あの子もちゃんと分かってるから。でも、心配してくれてありがとう」

「い、いえ」

 肩をすぼめ、恐縮する高畑さん。

 この子といい木之本君といい、人がいいんだから。

 というか、誰が悪いんだ。


「な、なんだ」

 脇腹を押さえる男の子。

 目の前で見ていて、自覚無しか。

 だから分かるように、突いたんだけど。

 それでも、これだ。

「知らないわよ、もう」

「獣みたいな女だな。なあ、御剣君」

「いや、俺に聞かれれても。ねえ、四葉さん」

「だから、俺に振るな」

 こっちを見るな。

「あーあ、面白くない。コーヒーも、大して美味しくないし」

「無茶苦茶ね、あなた。……また、誰か来てるわよ」

 ドアへ視線を向けるサトミ。

 さっきの高畑さん同様、ドアの辺りでもじもじする数名の女の子。

「ショウのファンかしら」

「いないよ、そんなのは」 

 自覚の無い人だな。

 女の子なら、ファンじゃない方が珍しいっていうのに。


 確認するために、今度も私が見に行く。

 だって、気になるじゃない。

「どうかしたの」

 ガーディアンのオフィスという場所柄、そういう尋ね方をする。

 まずは向こうの出方を窺ってからだ。

「あ、あの。その、済みませんでした」

「何か、悪い事でもしたの」

「え、ええ。済みません」

 謝るだけの女の子達。

 その理由が分からないし、誰に対して謝ってるのかも分からない。

「エリちゃーん」

「はいはい。えーと、なんの御用ですか」

 丁寧に応対するエリちゃん。

 不安そうな様子を見てか、そっと肩に添えられる手。

 出来る人は、やる事も違う。

「え、あの。あ、謝りたくて」

 ふと上がる視線。 

 その先にあるのは、応接セット。

 今はサトミ達が座って、コーヒーを飲んでいる。

「……分かりました。遠野さん、高畑さんを連れて奥の控え室へお願い出来ますか」

「分かりました。こちらへどうぞ」

 よそよそしい態度で、奥のドアへと消える三人。

 エリちゃんは笑顔で彼女達を促し、先導する形で歩き出した。



 意味も分からず、彼女達に付いて部屋に入る。 

 休憩用にも使われる、カーペット敷きの部屋。

 部屋の中央には小さなローテーブルもあり、お茶のセットとお菓子が幾つか置いてある。

 そこで向かい合う、女の子達と高畑さん。

 私達はその中間に位置する格好で座っている。

「ご、ごめんなさい」

 静まり返った室内で、突然頭を下げる三人。

 高畑さんは目を丸くして、釣られたように頭を下げた。

「い、いえ。こちらこそ」

「そ、その。ごめんなさい。私達、何も考えて無くて。本当に、馬鹿で」

「今頃謝っても仕方ないって分かってるんだけど。ごめんなさい」

 断片的で、抽象的な内容。 

 正直私には、そこから読み取る事柄はあまり無い。 

 ただ彼女達の謝っている相手が高畑さんという事で、多少の推測は出来るが。

「あなた達ってもしかして。この間の」

「は、はい」 

 怯え気味に姿勢を正す三人。

 短くなった髪と、中等部の制服。 

 中学生らしいあどけない、だけど可愛らしい顔。 

「髪切ったんだ。服も」

「え、ええ。何も出来ないので、せめて形だけと思いまして」

「本当に、済みませんでした」

 もう一度頭を下げる三人。

 それは高畑さんをからかい、馬鹿にしていたあの子達である。


 彼女達が何を思って、どうしてここへ来たのかは分からない。

 私達という存在を単に怖がっただけなのか、良心に苛まれてか。

 またそれを、私が判断する理由もない。

「いえ。私は、大丈夫ですから」

 優しく、温かい笑顔を浮かべる高畑さん。 

 自分を馬鹿にして、いじめていた三人へ向けて。

 上辺だけではない、彼女の本心が詰まった笑顔。

 今言ったように、三人がここへ来た理由は分からない。 

 でも、高畑さんに会って。

 この表情を見れば、もうあんな事はないだろう。

 あって欲しくないという、私の甘い部分かも知れないが。



「ちょっと立って」

 不意に促すサトミ。

 女の子達は急いで立ち上がり、彼女の傍らとやって来た。

 サトミもしなやかな仕草で席を立ち、薄く微笑んだ。

 女の子達は、少しぎこちなくそれに返す。

 その途端。

 乾いた音が三つ響いた。 

 強くはないが、平手打ちされる頬。 

 叩いたのはサトミで、綺麗な顔に浮かんだ笑みは消えていない。

 対照的に女の子達は、何が起こったのかという様子で呆然と頬を抑えている。

「少しは目が覚めた?」

 優しい問い掛け方。

 若干の間を置いて、女の子達がぎこちなく首を動かす。

「だったらいいわ。もう、帰っていいわよ」

「え、あ。はい」

「わ、分かりました」

「し、失礼します」

 固い足取りで部屋を出ていく女の子達。

 サトミは一瞬思案の表情を見せ、高畑さんを手招きした。

「あれでよかったかしら」

「い、いえ。私はその」

「怒るっていうのは、悪い事じゃないのよ。今のは高畑さんの代わりというより、私の気持ちが大部分だけれど」

「はあ」 

 こくりと頷く高畑さん。

 サトミは彼女の髪をそっと撫で、ドアを指差した。

「疲れたでしょ。お茶でも、飲みに行かない」

「え、あ。はい」

「永理、後は任せたわよ」

 そう告げたサトミは高畑さんを伴って、部屋を出ていった。



 私だって怒る事は出来る。

 でも彼女のように振る舞えるだろうか。

 あくまでも自分を曲げないで。

 迷う事無く、それを強く信じて。

 厳しくも、凛々しい態度。

 サトミの颯爽とした後ろ姿を思い出しながら、私はそんな事を考えていた。 






   







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