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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第3話
18/596

3-3






     3-3




 澄み渡る青い空、どこまでも広がる青い海。

 浮かぶ雲はゆったりと流れ、強い日差しを時折遮っていく。

 波が岩場に砕け、飛沫が風に流される。

 どれだけ走っても変わらない、そして見飽きぬ光景。

「……気持いいね」

「ああ。いい眺めだよな」

 隣でハンドルを握っているショウが、優しく微笑み掛けてくれる。

 私は頷いて、カーブの揺れに合わせてほんの少し彼へと近付いた。

「一週間もいると、色んな事あるかな」

「そりゃあるだろ。何たって、15才の夏なんだし」

「はは、それ面白い」

 私は潮風になびいた短い髪を軽くかき上げ、ショウの横顔を見上げた。

 日差しを避けるサングラスが、その顔の精悍さを引き立てている。

 私の視線に気づいたのかサングラスをわずかにずらし、上目遣いでこちらを見てきた。

「ん、どうかしたか」

「えーと、その。いつもと違うなって」

「そうか?別に同じだろ」

「違うわよ。だって……、ちょっと格好良いもん」

 思わずそんな事を言ってしまう私。

 普段なら口にするはずもないのに。

 それはきっと、夏の日差しのせいだろう。

 ショウはと言えば微かに口元を緩め、外したサングラスを私の顔へと当てた。

「だったらこうすると、ユウはどうなるんだ」

「私は駄目だって。お子様ギャングになっちゃうから」

「いや、似合ってるぞ。夏の女って感じで」

「何それ」

 声を合わせて笑う私達。

 カーブ越しに見える海のきらめきが、眩しく目の前に広がっていた。


「……あんたら、何やってんすか」

 呆れかえった声が、後ろから聞こえてくる。

「え?」

 振り返ってみると、うろんげな視線が4つ。

「乗ってるのは、ユウ達だけじゃないんだけどね」

 醒めきったケイの言葉。

「幸せでいいじゃない」

 沙紀ちゃんは笑いを堪えている。

「言葉がないわ、私は」

 サトミのため息が、胸に突き刺さる。

「お、おまえらUNOやってたんじゃないのか?」

 焦り気味に呟くショウ。

 ハンドルを持つ手が、微妙に震えている。

「前でそんな事されてたら、誰だって気になるわ」

「そうよ。聞いてるこっちが照れちゃった」

「夏は、気持が開放的なるからなー」

 下らない詠嘆で締めくくるケイ。

 このままではまずいと悟った私は、唯一黙っているヒカルへ救いを求めた。

「ヒ、ヒカル。何とか言ってよ」

 サトミの隣でぼんやりと外を眺めていたヒカルが、おもむろにこちらを向く。

「……ユウ」

「うん、なに」

 ニッコリと微笑んで、一言。

「キスはいつするの?」

「だ、誰がそんな事を言えとっ」

 ワゴン内に、私の絶叫が響き渡った。

 夏の日射しに負けないくらい、強烈に……。



 ようやく目的地に着いた私達は、車から降ろした荷物を別荘へと運び込んでいた。

 正確には軍の保養施設で、軍を退役したショウのお父さん名義で借りた場所。

 貸し切り制を取っているため、お客は私達だけ。

 日本海の若狭湾に面していて、別荘の前にはプライベートビーチがたっぷりと広がっている。

 沙紀ちゃんを除く私達は中等部の頃から来ていて、今回で4回目。

 以前はショウのお父さんも来てたりして、いろんな話を聞かせてもらった。

 ここは北陸防衛戦が行われた地点からやや離れているけど、近くの海岸には両軍の兵士が幾人も流れ着いたらしい。  

「荷物はこれだけ?」

「ええ。どうもありがとうございました。これ、よかったらどうぞ」

 私達は管理人夫妻にお礼を言い、一緒に持ってきたお土産を差し出した。

 名古屋名物、虎屋のういろうを。

 虎屋本店は、伊勢にあるんだけどね。

「いつも悪いね。美味しいんだよ、これ」 

 半袖から傷ののぞくおじさんが、その引き締まった顔を和らげる。

 隣では奥さんが「甘いの好きなんだから」と笑っている。

 おじさんも退役された軍人で、その関係から管理人をなさってるとの事だ。

「俺達着替えますんで、済みませんけど夕食の準備お願いします」

「ええ。今日は海水浴場の方へ行くのよね」

「はい。前の海も良いけど、あっちの方が波がすごいから」

「雪野さんは子供みたいな事を言うんだな」

 おかしそうに笑うおじさん達。

 あの、子供って……。

「じゃあ、行くとするか」

「了解っ」

 私達はショウの言葉に元気良く返事を返し、一斉に駆け出した。

 子供なのは、私だけじゃないんだよね。 



 別荘から車で5分ほど。

 海水浴場の駐車場に車を止めて、私達は海の家で着替えを始めていた。

「一番っ」

 ロッカールームを飛び出し、砂浜へ向かって一気に走り出す。

「熱っ」

 灼け付くような砂浜、身を焦がすような強烈な日差し。

 他の海水浴客を避けつつ駆けていく。

 広い、どこまでも広い海。

 押し寄せる波、潮風に吹かれ砂浜を滑っていく水しぶき。

 潮騒が、海水浴客の笑い声に重なっていく。

 海からの照り返しと、目の眩むようなきらめき。

 水平線の彼方には大きな入道雲が浮かんでいる。

 そう。今は夏、ここは海。

 そして私は、水着で波打ち際に立っている。

「あー」

 押し寄せる感動を、小さな叫び声で表現する。

 目を閉じていても日差しは降り注ぎ、潮風は切ない香りを運んでくる。

 これ以上にない幸せに浸っていた私は、その限界を越えるべく海へと一歩近づいた。


「ユウ、準備運動くらいしなさいよ」

「そうそう。大丈夫だろうけど、海の水は冷たい時もあるから」

 サトミと沙紀ちゃんの声がする。

 私は満面の笑みを浮かべ、後ろを振り返った。


 スレンダーなボディを赤のワンピースで覆うサトミ嬢。

 白くすらりとした長い手足、ふくよかな胸元くびれた腰元。

 腰まである黒髪が風になびき、彼女の周りを軽やかに舞っている。

 強烈なボディブローが、脇腹へとめり込んだ。


 沙紀ちゃんは、濃紺のビキニッ。

 その爆発的なバストを強引に押さえ込み、小さなパンティから伸びる引き締まった長い足がしっかりと砂浜を捉えている。

 ポニーテールのリボンを解き、サトミと同じくらい長い髪がやはり風になびいている。

 顎にショートフックが振り抜かれる……。


 私は力無く砂浜に崩れ去り、その顔を深く下げた。

 ええ、分かってた。

 海へ来るとはこういう事だって。

 それに気づかない振りをしてただけ。

 そして現実は、やはり辛く無惨だっただけだ。 

 神様なんて、いやしないよっ。


「どうしたの、ユウ」

「気分でも悪いの?」

 サトミと沙紀ちゃんが私の両脇にしゃがみ込んでくる。

「……別に、何でもない」

「そうは見えないわよ。急に熱い所に出たから、貧血にでもなったかも」

「でも、貧血なんて今までなった事無かったわ」

「とにかく一度戻った方がいいみたい。優ちゃん、立てる?」

 私の腕を取る沙紀ちゃん。

 それに合わせてサトミももう片方の腕を取る。

 大きな柔らかい感触が、これでもかとぐいぐい押し当てられる。

「私の夏は、今日終わりました……」   

「ええ?言ってる意味が分からないんだけど」

「もう少し、私達にも分かるように説明して」

 二人が、心配した顔を寄せてくる。

 当然胸は、ぐいぐい押し当てられる。

「さよなら、15才の夏……」

「え、どういう意味なの?遠野ちゃん、分かる?」

「もしかすると、もしかするかもしれないわ」

 サトミがゆっくりと私から離れ、沙紀ちゃんの耳元でこそっとささやく。

 沙紀ちゃんが遠慮がちに「ああ」と呟き、やはり私から離れていく。

 私は砂に指を当て、「夏」という字を幾度と無く書いた。


「あ、あの。優ちゃん」

「……はい、私に何か」

 顔を伏せたまま、弱々しく返事をする。

「そ、そんなに気にする事じゃないわよ。ねえ、そうでしょ」

「丹下ちゃん、そこで私に振る……。ユウいつも言ってるじゃない、人間スタイルじゃないって」

「ええ、私は何も気にしておりません」

 乾いた笑い声が口元から漏れる。

 波が押し寄せ、私が書いた「夏」を消していく。

「困ったわね、どうにも。いいから、とにかく立とうよ」

「ほら、ユウ」

 柔らかな感触が腕を包み、私の体が浮き上がる。

 取りあえず立ち上がった私は、真っ青な空を遠い目で見上げた。

 日差しが、眩しい……。

「暑いなー、今日は」

 額を手で遮り、気の抜けた声で呟く。

 湿り気を含んだ熱い風が通り過ぎていく。

 はぁ……。


「優ちゃん、ほら。玲阿君が来た」

「ショウー、早くー」

 サトミが叫びながら手を振っている。

 その間に沙紀ちゃんが私を後ろに振り向かせ、肩をそっと抱いてくれる。

「……もういいわよ。これ以上落ち込みたくないから」

「落ち込む必要ないって。優ちゃんは、もう少し自分に自信を持ったら」

「自信、か」

 ため息を付き、ゆるゆると頭を上げる。 

 気付くと元気良く走ってきたらしいショウが、すぐそこまで来ていた。

「ユウ、前に出て」

「だから、私はいいの」

「良くないの。はい」

 強引に私を押し出す二人。

 私は仕方なく前に出て、腕の辺りを軽くさすった。

「悪い、荷物片付けてたら時間掛かって……」

 笑いながら駆け寄ってきた赤の海パン姿のショウが、言葉を止める。

 ぎこちなく顔を逸らし、何だかもじもじしている。

「どうかしたの」

 訝しげにそんなショウを見上げる。

「……そのさ、可愛いなと思って」

 はにかんだ笑顔と控えめな呟き。

 その瞳は、私だけをずっと見つめていてくれる。

「そ、そんな事無いわよ。私小さいし、胸無いし」

 慌てて否定する私。

「でも、ユウが可愛いのは本当だからさ。あ、何言ってんだ俺……」

 私以上に慌てて顔を伏せるショウ。

「ほ、本当にそう思う?」

「……ああ、絶対可愛いって。間違いない」

 照れ気味に、しかしはっきりと断言してくれる。

 私は水着の裾をそっと引っ張り、自分の照れを誤魔化した。


 ちなみに私の水着は、淡いブルーのセパレートタイプ。

 上の部分はホルタートップになっていて、首元を覆う形。

 確かに水着は可愛いけど、でも……。

「ショウ、私達もいるわよ」

「見えてない?」

 からかいを含んだ声が、後ろから聞こえてくる。

 勿論サトミと沙紀ちゃんだ。

 ショウは一瞬動きを止め、うろたえ気味に手を動かした。

「い、いや。二人も似合ってる、うん。ああ、可愛い」

「何それ、取って付けたみたいに」

「どうせ私達はおまけなのよね。あーあ、私達の夏も終わったのかな」

 私はわざとらしく拗ねる二人の腕を取り、自分の方へぎゅっと引き寄せた。

「いいじゃない、気にしない気にしない」

「あら、この子急に元気」

「これでも、気にしないの?」

 クイッと沙紀ちゃんの胸が押し当てられる。

 うん、柔らかくて気持いい。

 私はニコニコして、二人の顔を交互に見つめた。

「全く困った人なんだから」

「玲阿君もね」

「え、俺も?」

 苦笑するショウと、くすくす笑うサトミ達。

 さっきまでの沈んだ気持がどこかへ行ってしまった感じ。

 みんなの笑い声と、落ち込んだ気分を晴らしてくれる強い日差し。

 そのきっかけは勿論、ショウのあの一言。

 ちょっと照れるけどね。


 一転していい気持になっていると、浦田兄弟がやってきた。

 つまりケイとヒカルが。

 ケイは黄色の、ヒカルは青の海パンを履いている。

 体型も同じなんだよ、この二人。


 私は上機嫌のまま、元気良く手を振った。

 するとケイが、私並にニコニコして女の子を見渡す。 

「壮観壮観。眼福とは、まさにこの事かな」

 訳が分からない事言うなと思っていたら、私にその視線を止めた。    

「おや、雪野さん。相変わらずさらし巻いてるね。胸元に、キュッと」

 そして大笑い。

 というか、笑ってるのはケイだけ。

 他の人は冷たい視線をケイに注ぐ。

 そして私は……。

「浦田君、ちょっと」

「ん、何」

 のこのこと近寄ってくる浦田君。

 私は目を閉じ、軽く息を付く。

「……面白いわね、今の」

「あ、あれ。何か空気が重いな」

 いつの間にか取り囲まれたケイは、珍しく動揺した顔で隙を探す。

 しかしこのメンバーから逃れられるはずがない。

 というか、逃がしはしない。

「俺、浮き輪持ってくる」

 背を向けて囲いを突破しようとするケイ。

 その足を後ろから払い、砂浜に転がす。


「あ、あんた何すんだ」

「それは自分の胸に聞きなさい。今日という今日は、覚悟してもらうわよ」

「またご冗談を。俺はただ、場の雰囲気を和ませようと……」

「せっ」

 まず私がケイの右手を取る。   

 それを見て即座にショウが左手を。

 サトミは左足、沙紀ちゃんが右足を掴み上げる。

 顔を下にして宙吊りになったケイが、うめき声を上げる。

 言うなれば、関節を締められている格好だ。

「あ、そうか。持ち替えないと」

 私達はケイの手足を手渡しして、仰向けにした。

「で、どうするの」

 わくわくした顔で聞いてくる沙紀ちゃん。

 その手は、ケイの足首をしっかりロックしている。

「……海に消えてもらう」

 私は少し離れた所にある、3mほどの飛び込み台を指さした。

「面白そうね。頭も冷えて丁度いいわ」 

 薄く微笑みケイの足の裏をこそぐるサトミ。

 足首を極められているケイは、唸るだけで精一杯だ。

「よかったな。海への一番乗りはおまえだ」

 ケイを見下ろすショウの顔には、わざとらしいほどの優しい笑みが浮かんでいる。

「という事で、出発っ」

「おおっ」

 私の呼びかけに元気良く応じるみんな。

 よしっと思い一歩踏み出すと、その前にヒカルが立ちふさがった。


「何、お兄さんだからって止めないでよ」

 しかしここが正念場とばかりに、それまであきらめきった顔をしていたケイが慌てて喋り出す。

「ひ、光。いや兄貴、頼む。ここは可愛い弟を助けると思って」

 哀れっぽい懇願。

 くっ、肉親の情で攻めてくるか。 

 その兄であるヒカルが、一歩前に出る。

「ユウ、あそこから落とすなんて止めようよ」

 諭すような落ち着いた口調。

 私は大きく首を振って、ケイとヒカルを交互に見つめた。

「この子には、それ相応の償いをしてもらうわ。こればっかりは、絶対に譲れないのよ」

「いや、光兄さんの言う通りだ。あんな所から落とすなんて、仲間のする事じゃない」

 何が光兄さんだと突っ込みたくなるのを堪え、そのヒカルを通り抜けようとする。

 しかし彼は、あくまでも私達の行く手を阻む。

「何と言われても、ケイは落とすからね。何が何でも」

 するとヒカルは、飛び込み台のさらに向こう側を指さした。

 人のいい笑顔を浮かべて。

「……少し離れた所に、崖があるんだ。結構高いらしいよ」

「本当?じゃあ、そっちに案内してっ」

「了解」

 はっきり力強く頷くヒカル。

 私達は砂浜に降ろしていたケイを引っ張り上げ、どたばたと走りだした。

「光っ、弟を見捨てるのかっ」

 悲痛な叫び声を上げるケイ。

 しかしヒカルは平然とした顔で振り返る。

「珪、弟は黙って兄さんの言う事を聞いてればいいんだよ。大丈夫、今年はまだ鮫が出ていないから」

「何だその、「今年は」ってのは……」

 フェイドアウトしていく叫び声。

 やがてケイの体から力が抜けて行き、ずっしりした重みが腕に伝わってくる。

 しかし掛け声を上げながら走っていく私達はさらにペースを上げ、人形と化したケイを運んでいくのだった。


 絶叫は潮騒にかき消され、微かに水の跳ねる音だけが伝わってくる。

 ここは潮の勢いが強く、大陸へ流れていく事も可能だとか。

 でも、もう全ては済んだ事。

 一仕事終えて、今はとっても気分がいい。

 汗をかいたみんなの顔にも、爽快な笑顔が浮かんでいる。

 後は海に入って、夏を楽しむとしよう。

 そう、まだなにもかも始まったばかりなのだから。

 やっぱり来て良かった。

 私は切り立った崖に背を向け、照りつける強い日差しに目を細めるのだった。  



「……死ぬかと思った」

 震える手で焼きそばをするるケイ。

 肩にはパーカーとバスタオルが掛けられ、彼の震えに合わせて床へと落ちる。

「いいじゃない、死ななかったんだから」

 脳天気に言うと、すごい目で睨まれた。

 何でも沖合近くまで流されたところを、親切なイルカに助けてもらったらしい。

 そういえば、ケイが打ち上げられていた海岸にはイルカの形をしたブイが転がっていた。

 要は沖まで流されないように簡易の防波堤が作られていて、そこまで流されたようだ。

 勿論私達も海に入らないで、ずっと探してたけどね。

 彼の居場所も、ずっと見えていたし。

「沖はすごい水温だったんだって。俺は本当に、もう駄目かと」

「だからみんなで焼きそばおごって上げてるじゃない」

「俺の命は、焼きそば半分か」

 震える声で抗議するケイ。

 みんなで出しあったお金が、焼きそば半額分にしかならなかったのを怒っているようだ。

「も分かったわよ。他の物も買って上げるから。すいませーん。かき氷、イチゴシロップで下さーい」

 カウンターの奥から、威勢のいい返事が返ってくる。

「だから、俺は凍えてるんだよ」

「何だよおまえ、せっかくユウが頼んでくれたのに。じゃあ、俺も食うかな」

「私も食べようかしら。ヒカルは?」

「食べるよ。ケイの分までね」

 大笑いしながらかき氷を注文するショウ達。

 ケイは恨みがましい顔をして、大分冷えてきた焼きそばをすすっている。


「丹下ちゃんは何食べる?」

 サトミが隣りに座っている沙紀ちゃんにメニューを見せる。

「私は……、ラーメンにしようかな。済みません、ラーメン下さい」

 控えめな声で注文する沙紀ちゃん。

 その視線が、目の前で震えているケイに向いた。

「浦田、良かったら食べる?私そんなにお腹空いてないから、残しそうなの」

「あ、ああ。食べさせてもらう。ありがとう」

 冷えて体が固まっているのか、ぎこちなく頷くケイ。

 サトミ達は運ばれてきたかき氷を頬張り、顔をしかめて頭を叩いている。

「どうしたの、ユウ。溶けるわよ」

「ん、そうだね」

 私もスプーンを口に運び、その冷たさに目を細めた。

 目の前の光景にも。


 それこそ競争するように私達はかき氷を食べ尽くし、冷えた体に満足していた。

「さてと、今度こそ海に入るか」

 ショウが立ち上がり、軽く伸びをする。

 サトミとヒカルも、それに合わせ席を立つ。

「私はもう少しここにいるわ。食べたばかりで動くのが辛いから」

 座ったまま手を振る沙紀ちゃん。

 ケイも弱々しく手を振る。

「じゃあ沙紀ちゃん。悪いけどその子お願いね」

「ええ。私達もすぐに行くから」


 外に出れば相変わらず日差しは強くて、砂浜をじりじりと焦がしている。

 その熱さから逃れるように、海目がけて走り出す私達。

 やがて足元が湿り始め、柔らかな感触と程良い抵抗を伝えてくる。

 指先を波が洗い、それが足首まで包み込む。

「きゃっ」

 一気に増した抵抗に、足が取られそうになる。

 波が膝の上まで覆い被さり、ふわっと体を浮き上がらせる。

「お、お」

 波に運ばれ後ろに下がる。

 私は手を前に伸ばして、体を軽く倒しバランスを取る。

「っと、っと」

 ……どうにか倒れずに済んだ。

 他のみんなはと思って、周りを見ると。


 ショウは全く問題なし。

 私のように変な格好をする事もなく、余裕の顔で立っている。

 だけど、サトミとヒカルの姿が見えない。

「ねえ、二人がいないんだけど」

「そこ」

 ショウが私の真後ろを指さす。

 振り向いて納得。

 確かにいた。

 しかも、二人ともしゃがみ込んでいる。

 髪まで濡れているところを見ると、一度前に転びの押し寄せた波で後ろにひっくり返ったのだろう。

「なってないわよ、二人とも。あの程度で転ぶなんて」

「僕達は運動系じゃないんでね」

 立ち上がったヒカルが、サトミの手を取って引き起こさせる。

 私達は波打ち際まで戻り、そこに腰を下ろした。

 足元を波が過ぎ、程良い冷たさと心地よさを伝えてくる。


「いい気分。ずっとこうしていたいくらい」

「うん、私も」

 風に滑っていく水しぶきを手に当てる私達。

 くすぐったいような気持いいような、不思議な感触。

 それはまるで、降り注ぐ日差しを和らげてくれる魔法のよう。    

 隣では男の子二人が砂を掘って、小さなダムを造っている。

「子供みたいな事して。大きな波がくれば、すぐに壊れるわよ」

 サトミの言葉も耳に入らないのか、二人は喜々として砂を掘り続ける。

「あなたの彼氏も大分変わってるわね。あれなら弟と同じじゃない」

「今日に限っては、否定しないわ」

 サトミは小さなため息を付き、すくった波をヒカルの背中に掛けた。

 しかし彼は全く気が付いた様子もなく、必死に砂を掻き出している。

「……処置無し。ショウも含めてね」

「そうかな」

 今度は私が、ショウの背中に水を掛ける。

 だけど急に腹這いになって砂を掻き出し始めたので、水はその上を通り過ぎていった。

 要するに、そこまで深く穴を掘っているのだ。

「大体、穴掘ってどうするつもりなんだろ」

「意味はないんでしょ。しいて言うなら、穴を掘るという行為に意味があるんじゃない」

「全く、男の子っていうのは」

 私とサトミは顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

 たわいもない、海辺ではありきたりな光景。

 砂浜を掘るのも、それを見守るのも。

 心和む、穏やかな一時。

 私は膝を抱え、飽きる事無く男の子達とその後ろに広がる海を見つめ続けた。



 視界に、白い筋が走った。

 目を凝らし、海の彼方を見渡してみる。

「……何だろう」

 その呟きは、3つ目の穴を掘っている人達には聞こえていない。

「もう少し砂ちょうだい」

 掻き出した砂でお城を造っているサトミが、ヒカルに声を掛ける。

 自分こそ、処置無しじゃない。

 その間にも、白い筋が視界の中に広がってくる。

 いや、近付いてきているのだ。

「まずい、これはまずいわよ」

 私は素早く立ち上がり、ショウの肩を軽く叩いた。

「ん、ユウも掘るか」

 晴れやかな笑顔で振り向くショウ。

 無邪気というか、幸せというか。

「いいから、早く立って」

「さっき食べたばかりだろ。いか焼きなら、俺も食べるけどさ」

「そうじゃないわよ。ほら、あれ見て」

 私は沖合から押し寄せる白い筋を指さした。

「これはもしかして、伝説の……」

「何よ、伝説って。ヒカルッ、サトミッ」

 しかし二人はキャッキャ言いながら穴を掘っていて、全然私の声が聞こえていない。

 バタバタと足を踏みならすと、その振動でようやく二人がこちらを向いた。

「何よユウ、駄々こねて。アイスでも買って欲しいの?」

「馬鹿。後ろ、後ろ見なさいって」

「え、どうかした?」

 のんきな笑顔で海を振り返る二人。

 そしてぎこちなく、こちらを振り向く。


「な、何あれ?」

「波、だね。それも大きい」

 ここに来てやっと事態を悟った二人が、のそっと立ち上がろうとする。

 だがうねりを上げた波は、もうすぐ目前まで迫ってきている。

「ユウッ、無駄だっ。俺達だけでも逃げるぞっ」

「了解っ」

 波が一気に引き、次いで豪快な音が背後から迫る。

 駆け出す私達。

 砂に足を取られて転びそうになった私の手を、ショウが握りしめてくれた。

「離すなよっ」

「うんっ」

 手を取り合い砂浜を掛ける私とショウ。

 轟音と暗い影が背後から押し寄せる。

「行けるかっ」

「大丈夫っ」

 風のように駆け抜けた私達の背中を、まるで挨拶をするように波の舌先が撫でていった。

 同時に爆音がして、波が砕け散る。

 まさに、ビッグウェーブ。


「危機一髪だったね」

「まさかここまでとはな」

 波が掛かった背中を触るショウ。

 私は笑いながら、波の引いた砂浜を振り返った。

「あ……」

 思わず視線が釘付けになる。

 砂浜にうつ伏せとなる二人の体。

 大の字になり、それでも手を離していないヒカルとサトミ。

「愛、なの?あれが」

「かなり恥ずかしいけどな」

 私達はそんな二人へと歩み寄った。

「よう、大丈夫か」

「……見れば分かるだろ」

 のろのろと体を起こすヒカル。

 頭にワカメが付いてるよ。

「もっと早く教えて欲しかったわね」

 こっちはワカメと化した髪をかき上げるサトミ。

「二人がはしゃいでるから、聞こえなかったの。私達はちゃんと教えたわよ」

「それと、脚力の差だな。修行が足りないんだ」

「好きに言ってればいいよ。津波の怖さが、少し分かっ」

「ユウ達にも知って欲しいくらい」

 足を横に投げ出してニヤリと笑うサトミ。

 私はへへっと笑い、どこまでも広がる大海原を指さした。

「残念でした。あんな大きな波がそうそう……」

 そこで言葉が止まる。

 視界の奥に、白い筋が走ったのだ。

 これもまた、大きそうな予感。


「早速ね」

 私の表情を読みとったサトミが、鋭く言い放つ。

 そして手を伸ばして、背を向けた私の足首をがっちりと掴み込んだ。

「な、何するのよ。今ならまだ逃げれるって」

「さっき言ったでしょ。ユウにも知って欲しいって」

「自分もまた被りたいの?」

「もう濡れてるもの。いまさら変わらないわ」

 口元を横に引き、手に力を込めるサトミ。

「ショウッ、助けてっ」

 そう叫んで隣を見たら、向こうもヒカルに足を掴まれていた。

 仲が良いね、なんて喜んでる場合じゃない。

「死なばもろとも。仲良く逝こうよ」

「ど、どこ行くんだ。てめ、離せっ」

「とーもだーちはー、てをつーなぎー、いーつまーでもー、はーなれーないー」

 下らない合唱をするヒカルとサトミ。

 そして二人は海幽霊のように、全く離れる気配がない。

「ちょ、ちょっとっ。駄目だって」

「おいっ、このっ」

 バタバタ暴れる私達。

 低い笑い声が足元から聞こえ、次いで轟音が……。

「来たわ、ついに」

「ああ、来たね」

 妙に格好良いい口調で言葉を交わすサトミとヒカル。

 でも手は離してくれない。

 そして振り返った背後には、青い空を覆い隠す程の大波が迫り来ていた。

「これも、夏か……」

 覆い被さってくる波の下で、私はそう呟いた。



 波打ち際に、うつ伏せで横たわる男女二組。

 先程と違うのは、上下に連結されている事。

 結局手離してくれなかったのよ、この人達。

「あー、塩っ辛い」

「分かった?波の恐ろしさが」

 濡れそぼった髪をかき上げて微笑むサトミ。

「私は、あなた達の方が恐ろしいわよ」

「ったく。このやろっ」

 ショウは寝ころんだまま体をひねり、未だに足を掴んでいるヒカルの首をぐいぐい締め付けた。

 しかしヒカルも負けじと、ショウの胸に手を回してぐいぐいと締め付けている。

「……何やってるんだ、男同士で」 

 ぼそっとしたささやきが、後ろから聞こえてくる。

「あ、ケイ。沙紀ちゃんも」

「どうしたの、あの二人?」

「新しい愛に目覚めたんでしょ」

 真顔で答えるサトミ。

 沙紀ちゃんは笑いつつも、もしかしてという顔をしている。

 冗談だっていうの。

「いい加減子供だな、ユウ達は」

「無邪気でいいじゃない」

 見下ろされて言われているものだから、ケイ達が何か大人っぽく見える。

 いいんだけど、やっぱり良くない。

 というか、面白くない。

 楽しみは、みんなで分かち合わないとね。

「……む」

 来た、奴が来た。

 海の彼方からやってきた。

 私の願いを叶えるために、希望を乗せてやってきた。


 かどうかは分からないけど、三度視界に映る白い筋。

 私の表情から悟ったらしく、ショウが小さく頷く。

 でもって、すでに私の足はサトミに掴まれている。

 勿論ショウの足は、ヒカルによって。

「仕方ないわね、こうなったら」

「ああ。旅は道連れ世は情けだ」

「ははっ、何それ」

 笑いつつ、沙紀ちゃんの足へすっと手を伸ばす。

 すべすべした、弾力のある細い足首。

「ん、どうしたの優ちゃん」

 笑顔で私を見下ろす沙紀ちゃん。

 あ、でもこのままじゃ前から波被っちゃうか。

「えーとね、後ろ向いて」

「うん」

 素直に後ろを向いてもらったところで、改めて足を掴む。

「あ、あの」

「気にしない気にしない」

「気にするよ、いきなり足を掴まれたら」

 ショウに足を掴まれているケイが、冷たく見下ろしてくる。

 ちなみに彼は、沙紀ちゃんみたいに後ろを向いていない。

「……あれが原因かな」

「え、どういう事」

 ケイの言葉に振り向いた沙紀ちゃんの顔が、すすっと強ばっていく。

「ゆ、優ちゃんっ」

「いいじゃない。濡れるだけだから」

「そ、そういう問題じゃないわよ」

「……丹下、ちょっと」

 動揺する沙紀ちゃんの耳元に、ケイが口を寄せて何やらささやいた。

 するとその顔が、途端に和らぐ。

「なるほどね」

「え、何が」

「こういう事」


 体を後ろにひねり、腰を屈めて手を伸ばしてくる沙紀ちゃん。

 そしてその手が、私の脇をコショコショッと触っていく。

「うひゃっ」

 叫び声と共に手を脇へ持っていく私。

 でもって、しがらみから解放された沙紀ちゃんが遠ざかる。

「脇ががら空きなんだよ」

 やはりショウから逃げ去ったケイが、半笑いで私達を見下ろす。

「そ、そんな。じゃあ、さっきの私達の苦労は」

「取りあえず今は、逃げるのが先だ」

 私とショウは後ろを向いて、サトミ達の脇に手を伸ばそうとした。

 しかし二人ともすでに足を離し、私達から離れている。

「何よ、もう。あーあ、つまんない」

 私は後ろに寝転がり、手足を伸ばしきった。

 海辺のお日様は眩しいね。

「ちょっと、ユウっ。何やってるのっ」

「え?」

 顔を後ろに動かすと、サトミが海の方を指さしている。

 ……あ、波か。

「忘れてたっ」

 伸ばされたサトミの手を取り、素早く立ち上がる。

「早く来いー」

「こっちー」

 少し離れた所でショウとヒカルが叫んでいる。

 沙紀ちゃんとケイも、手を振って私達を待っている。

「サトミっ」

「ユウッ」

 私とサトミは手を握り合ったまま走り出す。

 後ろからは波が迫る。

 そして前には、私達を励ましながら走るみんなの姿が。

 澄んだ青空に広がっていく笑い声、足は砂浜を飛ぶように滑っていく。

 轟音が響き、波飛沫が背中に掛かる。

 追いすがる波をかわした私達は、大歓声を上げて拳を振り上げた。

 夢の中にいるみたいな、全ての瞬間が幸せに彩られた気持。

 でもこれは現実。

 幸せな気持も、みんなと肩を叩き合い笑っているのも。

 15才の夏。

 私は友と、海にいた……。



 やがて日が傾き出し、夕日に照らされた海は紅く染まり始める。

 人気の無くなった海水浴場を後にした私達は、そこから車で20分程の海岸に立っていた。

 波がやや荒い岩場で、眼下では押し寄せる巨大な波が砕け散っている。

 私達が立っている場所は広いスペースが設けられていて、足元は綺麗に磨き込まれた大理石が敷き詰められている。

 そして海の方へ視線を移すと、大きな碑が目に入る。

「北陸防衛戦・戦没者慰霊碑」

 その左右にはプレートを埋め込んだ大理石が並んでいる。

 プレートに書き込まれる人の名。

 日本人、中国人、ツインコリアン・アメリカ人、フランス人、ロシア人……。

 北陸防衛戦の際、この海岸に流れ着いた人達の名だ。

 敵味方、人種、民族、階級に関係なくプレートには名が書かれている。


 街の花屋さんで買ったお花を、ショウが慰霊碑の前に捧げる。

 姿勢を正し、右手を胸に当てるショウ。

 その後ろで見守っていた私達も、手を胸元へ持っていく。

 目を閉じ、私は祈った。

 プレートに書かれた彼等が安らかに眠れるように、名すら分からない人達が家族の元へ帰れるように。


 ショウがこちらを向き、長い黒髪を軽くかき上げる。

「……戻るか」

「ええ。日も大分、暮れてきたしね」

 水平線の上で揺らめく夕日。

 赤く染まる海。

 吹く潮風は、微かな冷たさを感じさせる。

 ここに来るといつも思う、少しの寂しさ。

 彼等はどんな気持で死んでいったのか、その家族はどんな気持なのか。

 海は綺麗で、きっとその時と変わらない光景なのだろう。

 それが余計に、切なさを募らせる。

「今日の夕ご飯は何かな」

 そんな私の感慨をぶちこわすような、気の抜けた声。

 ケイは一足早く慰霊碑に背を向け、停めてある車の方へ歩いていっている。

「……過去の悲しみに浸るのも大事だけど、今の楽しさを否定する必要もないさ。きっとそう言うよ、ここにいる人達は」

 人の心を読んだかのような言葉。

 そのまま振り返る事もなく、ケイは駐車場へと消えていった。

「たまには、弟も格好良いじゃない」

 兄であるヒカルを見つめるサトミ。

「いつもだと、どれだけいいかと思うよ。無理だとは分かってるけど」

 苦笑気味の答え。

 私とショウも、それに合わせて笑う。

「でも、どっちが本当の浦田なんだろう」

 ぽつりと洩らした沙紀ちゃんの呟きが、私の耳に届く。

「どっちもでしょ。馬鹿言うのも、真面目な事言うのも。無茶苦茶な子だけど」

「そうね」

 沙紀ちゃんは優しく微笑んで、紅い雲が流れていく空を見上げた。

 髪が潮風に揺れ、彼女の横顔が隠されていく。




 繰り返される潮騒、揺らめく夕日が水平線に吸い込まれていく。

 私達は無言のまま、自分の影を追うようにして歩いていくのだった。










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