表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第16話
175/596

16-10






     16-10




 目の前を行き交う車の列。

 対照的に、背にした後ろは音もなく静まりかえっている。

 生い茂った葉に囲まれた、広い敷地。

 街灯の当たらないその奥は、完全な闇に閉ざされている。

「……早く、犯人を捕まえて」

 今まで、何度と無く口にした言葉。

 だがそれに含まれた意味は、そのどれとも違う。

 自分自身の気持。

 もう、今までとは違う。

 サトミの気持ちを裏切っても構わない。

 彼女が、どう思おうと。

 例え私を嫌ってもいい。 

 それでも、これ以上は……。


「捕まえただろ、今日」

 熱田神宮を囲む石垣に腰掛け、車の流れを見つめるケイ。 

 ヘッドライトに映し出される顔は翳りを帯び、闇に消える。

「あれは違うって、分かってるでしょ」

「そう決まった訳じゃない」

「でも、メールや写真が」

「それは聞いた。生徒会全局と、学内の全組織にばらまかれた。勿論、事前に全部差し止めてある」

 淡々とした口調。

 天満さんが差し止めたというのも、彼から事前に何かを聞いていたからかも知れない。

「だったら」

「馬鹿が、自分で居場所を教えてるんだ。もう少しすれば、完全に特定出来る。俺達が偽の犯人を捕まえて油断してるのを、揺さぶってるだけさ」

「私は。私は、サトミがそんな対象になってる事自体許せないの」

 思わず震える声。

 青いショートスカートから覗く膝も、小刻みに揺れている。

 今にも全てが吹き飛んでしまいそうな感覚。


「それは無理だよ。あの外見で歩いてれば、大抵の男は何かを思う」

「分かってる。分かってるけど」

「人間誰だって、心の中を覗けばやましい事の一つや二つはある。そこを走ってる車の運転手が何を考えてるか読みとれたら、気が滅入るどころの話じゃない」

 冷静で、もっともと思える指摘。

 理屈ではそうだろう。

 それが正しいのだろう。

 でも、私の気持ちは違う。

 そんな事は関係ない。

 どういう形であれサトミを侮辱する人間は、何があろうと許さない。

「やる気がないならいい。私一人でも……」

「だから、落ち着けって言ってるだろ。輪は確実に狭まってるはずなのに、向こうは俺達が何も出来ないと思ってる所だ」

「実際に、そうじゃない」

 苛立ちを隠さず、早口でそう告げる。

 ケイはやはり車の流れを眺めながら、顎を引いた。

 満足げに、確信に満ちた顔付きで。

「今から、最後の一手を打つ。これで、全部終わる」

「犯人を捕まえられるの」

「そのために、この何週間かを掛けてきた」

 はっきりとした、彼には珍しいくらいの自信に満ちた答え。

 低い塀の上に置いてあったヘルメットを私に放り、歩道のバイクを指差す。

「行こうか」

「どこへ」

「勿論、サトミの所」



 女子寮の一室。

 笑顔で私達を出迎えるサトミ。

 今日あった出来事を知らない様子で、天満さんからもらったというお菓子を出してくれた。

「ショウはいないの?」

「実家で、家族とお食事だってさ。いいね、おぼっちゃまは」

 鼻で笑い、クッキーをかじるケイ。

 先程までの冷徹な態度とは違う、冗談を言う時の彼の姿。

 私は気のない振りをして、雑誌に視線を向ける。

「あなたも、一度実家へ戻ったら」

「そのまま、同じ事を言いたいね」

「私は、その。取りあえずは、一度戻ったもの」

 逆に切り返され、少し慌てるサトミ。

 ケイは手を振り、自分の端末を取り出した。


「……ずれてる」

「どうしたの」

「時間がおかしい。ちょと、貸して」

「はい」

 差し出される、サトミの端末。

 それと自分のを見比べ、目を細めている。

「壊さないでよ」

「自信ない」

「言ってなさい」

 苦笑してキッチンへ向かうサトミ。

 ケイは彼女の端末を掴み、ぎこちない動きでボタンを幾つか押した。

「時間は合ってる?」

 不意に、キッチンから掛かる声。

 慌てる私とは違い、ケイは適当な冗談を言って笑っている。

「……よし」

「何やったか知らないけど、もう済んだの?」

 サトミに冗談を返しつつ、頷くケイ。

 端末はローテーブルに戻され、自分の端末もポケットにしまっている。

「サトミが狙われてるし、俺もここに泊まろうかな」

 こちらが慌てるような言葉。

 勿論、前者の意味で。

「最近は、何もないわよ」

 トレイにマグカップを乗せ、部屋へ戻ってくるサトミ。

 私達を安心させようとして、という顔ではない。

「もう、飽きたんじゃないのかしら。私なんかストーキングしても、面白くないでしょ」

「それは、それ。マニアの心理は深いから」

「あなたが言うと、本当に聞こえるわ」

「悪かったな」

 真顔で突っ込み返すケイ。

 私は正直言葉が無く、黙って雑誌を読むしかない。

「今日は大人しいわね」

「ん、ちょっとトレーニングをやり過ぎたから」

 これは本当なので、自然に答えられる。

 答えられるように、敢えてした訳でもあるが。

「さてと、そろそろ時間だし帰るかな」

「あら、泊まっていくんじゃないの?」

「いやいや、お兄さんに悪いから」

「な、何よ。それは」

 簡単にサトミを黙らせ、自分のリュックを背負い出ていくケイ。

 私はその背中を見送り、固めた拳を膝へと寄せた……。



 薄闇の室内。

 隣で、健やかな寝息を立てるサトミ。 

 その穏やかな寝顔を確認して、ベッドから滑り出る。

 音も振動も、殆ど無い。

 勿論彼女が目を覚ます事も。

 部屋を出る前に、一度サトミを振り返る。

 安らかに、今日一日の疲れを取る彼女を。 

 少し丸まった体。

 薄闇の中、可愛らしく上下するタオルケット。 

 寝返りと同時に、微かな寝言が聞こえる。

 平穏な、悪い事など何一つ想像も出来ない光景。

 それを乱す者など、存在していいはずがない。

 私はTシャツの上からパーカーを羽織り、玄関へと足を進めた。

 そのために、自分の成すべき事をするために。



 女子寮から少し離れたコンビニ。

 今も遅くまで起きている女の子が、何人か雑誌を読みふけっている。

 そこの駐車場に止まる、一台の車。

 後部座席のドアに手を掛け、中へと滑り込む。

「サトミは」

「寝てる」

「そう」

 短い受け答え。 

 シートに深くもたれていたケイは、体を起こして膝の上にあった端末を手に取った。

「夜中にやる事じゃないし、俺一人でやれるんだけど。二人も知りたそうだったから、一応」

「何やる気だ」

「サトミのアドレスが変わった事を、それとなく伝える。後は、返信を待つ。もう、走っていい」

 辺りを確認して、車を走らせるショウ。

 その間にケイは小さなキーボードを端末とリンクさせ、慣れた仕草で指を動かしていく。

「さてと」

 送信されるメール。

 誰に送ったのか、またその意図は言おうとしない。


「……早いな」

「誰から」

「その内話す」

 例の答え。

 こちらもそれ以上は尋ねず、彼の対応を待つ。

「……はいはい、お休みなさいと」

「ストーカーとやりとりする気か?」

「誰も、犯人に送ったとは言ってない」

「全然分からん」

 あっさり諦め、シートにもたれるショウ。

 私は黙って、ケイの様子を窺い続ける。

「大体向こうの人間が、それをサトミのアドレスだって信用するのか?」

「最初に送った変更を告げたメールは、あの子のアドレスを使ってる」

「そんな事、どうやってやるんだ」

「サトミに聞けよ」

 確かにあの子は、本来なら変えられないアドレスの変更を平気で行える。

 一つの端末で、複数のアドレスを取得したりも。

 そんな彼の冗談はともかく、有効な手ではあるだろう。


「……来た」

 着信を告げるメロディ。

 しかし微妙に音が違う。

「馬鹿が、掛かった」

「犯人って事か」

「今までサトミ宛てに来たメールや、今日届いたのと文体が似てる。アドレスの特定は出来ないから、木之本君か名雲さん達に頼むかな」

 ケイは軽く伸びをすると、キーボードをリュックへしまい首を回し出した。

 一仕事をやり終えたとでもいう具合に。

「これだけ?」

「言っただろ。輪を狭めてるって。っと、その前に一応女子寮も」

 すぐに端末を手に取り、車のTVとリンクさせる。

 小さな画面に分割して映される、さらに小さな画面。

 殆どの場所には人影はなく、パトロールをする警備員さんが時折映されるだけだ。

「今は、そっちに任せればいいんじゃないのか」

「だからお前は、人が良いって言われてるんだ」

「誉めてるのか」

「けなしてるんだよ」 

 すぐに答え、憮然とするショウをよそに画面へ見入る。

 冗談めいた口調とは裏腹な、かなり真剣な表情。

 私には分からない、大切な何かを確かめたいようだ。

「……ここが、サトミの部屋だった?」

「うん」

「じゃあ」

 画面を固定して、その付近の映像も映し出す。

 誰もいない廊下。 

 ストーカーは勿論、寮生の姿もない。

 何の変化もない、単調な時間の流れ。 

 普段ならここで、眠気に襲われる所。

 だが今は、幾つもの感情がそうさせない。

 ケイに付き合ったのはサトミが気になるのと、気持が高ぶって眠れそうになかったからでもある。


 30分も経っただろか。

 画面の隅に、辺りを注意しながら歩く警備員さんが現れる。

 丹念に、ドアや階段をチェックしていく彼女。 

 その足が、サトミの部屋の前で止まる。

「色々あったから、特にチェックしてるのかな」

「勿論、そういう指示はされてるだろ」

「……なんかやってるぞ」

 それほど鮮明ではない画面。

 そう指摘したショウが、サトミのドアを指差した。

「あ、何が」

「お前は目が悪いな。ユウは」

「確かに、変な動きをしたように見えた」

「……巻き戻すか」

 画面の左半分が今の映像、右半分が警備員さんが歩いてきた時からの映像。

「この辺じゃなくて。……そう、ここで袖に手が入って」

「全然分からん。確かめるか」

「今からなんて、行けないだろ」

「俺達はそうさ」

 ドアの前を去っていく警備員さん。

 何とも言えない、歯がゆい思い。

「これなら、自分があそこにいればよかった」

「ユウがいないって分かってるから、何かしたんだろ」

「本当に、そう思う?」

「そう思ったら」

 慰めているのか、少し笑うケイ。

 私もすぐに頷き、画面に見入る。


「……渡瀬さん」 

 待つ事数分。

 辺りを気にしつつ、渡瀬さんがサトミのドアの前に立った。

 カメラの位置も分かっているのか、ドアを指差している。

「そう。まずは撮影、次に危険がなければそれの保存」

 言われたままに行動する彼女。

 普段の慌てた態度からは想像出来ない、落ち着いて機敏な動き。

「映像はDDに保存。一つを自分が、残りをモトと丹下に。……それは構わない。……そう、それも丹下に」

 彼女以上の冷静な指示。

 最後に画面からフェイドアウトする渡瀬さんにお礼を言って、ケイは息を付いた。

「取りあえずは、こんな感じかな」

「何が」

「それを確かめるんだよ。勤務が終わるのは明日の8時だから、それまでどうする」

「寝るんじゃないのか。俺は寝れそうにないけど」

 眠そうな素振りも見せないショウ。 

 対照的にケイは欠伸をして、腰をひねった。

「今から張り切ると、明日が辛いぞ」

「何だ、それ」

「犯人を捕まえる時に」

 自然に、そう答えるケイ。

 しかしその言葉と態度とは裏腹に、彼もその鋭い瞳を閉じようとはしない。

「もう少し、やるかな」

 再び取り出されるキーボード。

 その上を滑らかに滑っていく、意外と細い指先。

「ったく、今頃あの女は寝てるんだろうな」

「サトミの事?当たり前じゃない」

「ここまでやっといて、お前何言ってんだ」

 呆れるショウを横目で捉え、指で前を指す。

「どこに行くんだ」

「敷地内に入ってくれ」

 門をくぐり、玲阿家の駐車場に向かう車。

 ケイは手を出し、すぐに止めさせる。

「何だ」

「ここなら完全にセキュリティが働いて、盗聴も何もしようがない」

「じゃあ、さっきはどうしてコンビニから連絡したんだ」

「寮で寝てる子が、軍施設並みのセキュリティに守られてたらおかしいだろ。向こうがそこまで判別出来るシステムを持ってないとしても、万が一という事がある」

 先程の言葉とは一転した、労を厭わない姿勢。

 本人すら半ば無意味だと認めている事なのに。

 多分彼は、こんな事をずっとしてきたんだろう。

 周りからあれこれ言われ、寝る間も惜しんで、身の危険を感じまでして。


「……問題ないと。後は明日というか、今日頑張るとするか」

 キーボードを畳み、目を抑えるケイ。

「よく、そこまでやるな」

「自分だって、こんな時間まで起きてるだろ」

「俺は、ただ起きてるだけだ。何かを考えたり、何かしてる訳じゃない。サトミが襲われてから、ずっと」

 言葉の端からにじみ出るような、彼の悔しさ。

 ハンドルを握る手に、力がこもっていくのが分かる。

「俺からすると、逆だけどね」

「何が」

「こんな真似するなら、サトミを心配して我慢してる方が人間としてましって事」

 自嘲気味な言い方と、虚しそうに緩む口元。

 私からすれば、そんな訳は無いと言いたくなる。

 でもケイは、自分が何をやっているかを知っている。

 私達にすら教えない事、教えたくない事。

 どうして私達に言わないのか、やらせないのか。

 言わなくても分かる、彼の気持ち。

 彼の強さと、優しさ。

「……これが終わったら、サトミに何かおごらせようよ」

「どういう理由で」

 さすがに、難しい顔で問い返すケイ。 

 私はヘッドレストに手を掛けて、二人の間に顔を付き出した。

「理由なんてどうでもいいのよ。あの子が、私達におごってさえくれれば」

「無茶苦茶だな。俺は、知らんぞ」

 完全に呆れるショウ。 

 ケイも鼻で笑い、母屋の方を指差した。

「何か、馬鹿馬鹿しくなってきた。無理して徹夜する事もないし、少し寝かせてもらおう」

「ああ。俺も、眠くなってきた」

「何よ、二人して」

 逃げるように車を降りていく二人を追いかけ、すかさず抜き去る。

 今の、この思いを大切にしよう。

 そして、明日に備えよう。

 誰のためでもない、サトミのために。

 後ろで笑っている、二人の思いと共に……。




 グローブ、レガース、アームガード、エルボーパット、プロテクター。

 そして、スティック。

 全てのチェックを終え、息を整える。

「別に、難しい事はやりません。今から、サトミが彼氏と別れたという情報を広めます。情報局の推定では、1時間内にほぼ学内全域に広がるとの報告を受けています」

 モニターと、各自の端末に転送される情報。

 ケイは室内にいる全員を見渡しながら、卓上端末を操作していく。

「現時点で、サトミはここに。書類提出のため、学内の約半分を横断してこちらの教棟へ入ります。その際彼女に声を掛ける人間を事前に補足し、話を聞いて下さい」

「抵抗したら」

「拘束するなり、実力行使してもらって結構です。その許可は、生徒会と学校。警察からも得ています」

 顔色一つ変えず、説明をするケイ。

 尋ねた名雲さんは小さく頷き、目線で彼を促した。

「気を付けて欲しいのは、リストアップされた人間。彼等は武装している可能性があり、咄嗟の感情で反撃する可能性があります。質問自体は各自でお願いしますが、危険と判断した場合は各所に配置したガーディアンかSDCの応援を要請してもらって結構です」

「聡美ちゃんが、そのルートを歩くという保証は」

「彼女の知識と行動パターンから、これが最も頻度の高いルートです。またルートを逸れる可能性がある場合は、人を使ってそこを封鎖します」

「一体、何人動員してるのよ」

 苦笑する池上さんに曖昧な笑みを浮かべ、すぐに表情を引き締める。

「サトミの歩行速度と現在の学内状況から見て、時間は10から15分間。各自の持ち場は、事前に配布した通りです。基本的には持ち場を離れず、バックアップのガーディアン達と連携してお願いします」

 一旦言葉が切られ、再び全員に視線が向けられる。

「一度シュミレーションしますので、外に出てもらえますか」



 G棟からH棟へ伸びる、渡り廊下。

 その左右には木々が生い茂り、初夏の日差しを遮っている。

 遠くまで見渡せる眺め。

 授業時間中だが、今も時折生徒や教職員らしい人の姿が見られる。

「今歩いているモトを、サトミと想定して下さい。そこに、小谷君」

「あ、はい」

 無造作に、渡り廊下を歩く彼女の方へと歩いていく小谷君。 

 ケイは即座にその間に入り、肩口のIDを指差した。

「不用意なトラブルを避けるために、まずは身分を証明。次いで、相手がリスト対象者か確認。これは胸元のカメラが捉えて、本部にいる木之本君達が判別します。対象者なら、その場で拘束。違う場合はサトミとの距離と他に近付く者がいないか確認しつつ、質問をして下さい」

 さらに細かい説明がされ、位置取りや連絡方法、緊急時の対応と続けていく。

「ガーディアンとしての規則にのっとった基本的な行動ですし、全員問題ないと思います。何か、質問はありますか」

 首を振る者、短く答える者。

 一人として、質問はしない。

「では、配置位置にお願いします。それと、出来るだけサトミには気付かれないように……」

「そんな事、出来る訳無い」


 低く、吐き捨てるような口調。

 歩き始めていた全員が、足を止めて振り返る。

「こんな子供だましな手に、誰が引っかかる。彼氏と別れたからといって、その時声を掛けてきた人間がどうして怪しい」

「あなたには分からないでしょうけどね。この学校にいる人間は、サトミに声を掛ける事すらためらう場合もあるんです。特に恋愛に関しては、面と向かって何かを言う奴はまずいない」

 小馬鹿しているとしか思えない表情。

 距離を詰め、険悪な態度で睨み合う二人。

 しかし今日は、どちらも目を逸らそうとはしない。

 今までの怒りを全てこの場で晴らす気なのか。

 この、大事な時に。

「真理依、ちょっと」

「浦田も、落ち着け」

 その間に割って入る、池上さんと名雲さん。

 肩を押さえられた二人は、彼等の肩越しにお互いを睨み付ける。

「一応、舞地さんに倣って囮にしましたよ」

「監視されてると分かってる学内で、手を出すはずがない。そんな甘い考えで、よく指揮を執ろうと思ったな」

「サトミを危険な目には遭わせないと言ったはずです。自分こそ、感覚が麻痺してるんじゃないですか」

「勝手に言ってろ。……それともここで恩を売って、遠野といい仲にでもなる気?いや。これ自体が、狂言とか」

 熱を帯びていた周囲の空気が、一気に冷え込む。

 目を細め、パーカーの袖口に手を入れるケイ。 

 舞地さんも腰を落とし、池上さんの手をそれとなく外しに掛かる。

「あまりふざけた事を言うなら、女だろうが先輩だろうが覚悟しろよ」

「お前は、女しか殴れないんだろ。今度はそれをだしに、遠野を騙してる訳か。確かにそういう意味では、頭は良い」

「警告はしたぞ」

「だから、どうした」


 体を沈み込ませ、名雲さんに極められていた腕を抜けるケイ。

 そのまま彼の手を逃れ、フェイントを掛けつつ舞地さんの元へ駆け抜ける。

 腰から抜かれる警棒。

 池上さんを下がらせ、警棒へ視線を向ける舞地さん。

 それは彼の手を離れ、彼女の足元へと落ちた。

 その間に、二人の距離が一気に縮まる。

 二つのフェイントに惑わされず、舞地さんは顎を引いてアッパーをかわす。

 ケイもそれが目的だったらしく、さらに距離を詰めてローを放つ。

 バランスを崩し、後ろへ傾く舞地さん。

 しかし。


 膝でローを受け止め、タックル気味に上体を突っ込ませたケイの顔に拳を突きつける。

「くっ」

 顔を仰け反らせ、地面に転がるケイ。 

 押さえた手から漏れる、赤い色。

「だから、甘いと言った」

 振り上げたかかとを鼻先で止め、彼を見下ろす舞地さん。

 さすがにそれ以上はやり過ぎと思ったのか、それともケイの動きを気にしたのか足を引き戻す。

「真理依」

「後は任せる」

「ちょっと」

 池上さんの制止を振り払い、振り返りもせず去っていく。

 彼女を追った方が。

 でも、ケイは。

「……あの人の分は、違う人に頼むからいい」

 鼻を押さえ、手で血を拭う。

 鼻血と、少し口が切れているようだ。

「大丈夫か」

「少し切れただけだ」

 口に溜まった血を吐き捨て、バンドエイドを鼻と口元に貼り付ける。

 かなり痛そうだが、本人は殆ど気にしていない様子に見える。

「じゃあ、配置について下さい。それと、適時本部へ連絡を。お願いします」



 私がいるのは、先程のG棟とH棟をつなげる渡り廊下。 

 見通しもよく、また隠れる場所もあるため監視には向いているといっていい。

 イヤホンから聞こえる、サトミの移動状況。

 今の所、これといったトラブルは起きていない。

 数名声を掛けてきそうな人間がいたが、全員興味本位との事。

 そろそろ、私の所へ差し掛かる時間だ。


 H棟の出口。

 封筒を抱え、落ち着いた仕草で歩いてくる黒髪の少女。 

 凛とした姿勢、木漏れ日に輝く切れ長の瞳。

 涼しげで、透き通るような佇まい。

 いつもと変わらない。

 いつものように綺麗なサトミ。

 そちらへ目を向けているばかりではない。

 本来の私の役目も、勿論果たす。

 木陰に揺れる影。

 サトミに気付かれないよう、腰を落とし教棟の側を駆け抜ける。

 前傾姿勢で木に手を掛け、木陰から覗き込んでいる男。

 彼もまた、こちらには気付いていない。

 独特の、近付きがたい感覚。 

 嫌な、気分が滅入るような。

 男はただ、サトミを見ているだけ。

 しかしその意図は、はっきりと伝わってくる。


「……そこまで」

 スティックを首筋に近付け、低い声で警告する。

 すぐに自分の立場を理解したらしく、両手を上げる男。

 意外と長身で引き締まった体型だが、抵抗する様子もない。

「ここで、何をしてるの」

「見てただけだよ、雪野さん」

「どうして私の名前を」

 ゆっくりと、スティックとは反対側から振り向く男。 

 凛々しく、甘い顔。

 見覚えのある、どこかで見た。

「そう。ハンド部の副部長だよ」

「ど、どうして」

「さあ、どうしてかな」

 横へ緩む口元。

 これにも、見覚えがある。

 暗闇の中。

 廊下へ出ていく時、微かに見えた口元。

 全身を総毛立たせる、異様な笑顔。

 ただ笑っただけの。

 だけど、決して忘れようのない光景。

 人の暗い部分だけを表に晒した、あの時の。


 スティックを構え直した私に、男は一歩下がって手を振った。

「俺は見る専門だよ。君達が探してる人間とは違って」

「誰が、そんな話を信用するの。大体、ケイに近付くなって警告されてるでしょ」

「範囲外さ。見てるだけなのに、なんでああ怒るのかな」

 甘い笑み。 

 先程よりは普通の、彼の意図を知らなかったら嬌声を受けてもおかしくはない程の。

「大丈夫。浦田君を怖がって、おかしい連中は絶対に手出ししないから」

「どうして」

「死ぬより怖い目に遭わされれば、誰だって言う事を聞く」

 一瞬浮かぶ、凄惨な表情。

 少なくとも、それだけは信じて良さそうだ。

「じゃあ、犯人は誰なの」

「浦田君から聞いてないなら、俺は知らない。また何かされても困るし」

「分かった。それとこの先まだ何かする気なら、ケイの代わりに私がやるわよ」

「君に出来る……」

 スティックを眉間に近付け、スタンガンを作動させる。

 飛び散る火花。

 男は血相を変えてのけぞった。

「な、なにを」

「もう一度、同じ事を聞きたいの」

 泣きそうな顔で首を振る男。

 私はスティックをしまい、彼を見下ろした。

「文句があるなら、次は私の所へ来なさい」

「い、いや」

「二度と顔を見せないで」

 こちらを見る事もなく、這うように逃げていく男。

 その背中が完全に消えるのを確かめ、端末で連絡を取る。

「……不審者が一人。……大丈夫、うん。……サトミは。……分かった」

 やりきれない思い。

 だが、ここで気持を途切らせている場合ではない。

 やるしかない。 

 どうなろうと、どんな結果になろうと。

 今は、もう……。



 渡り廊下を後にして、生徒会の仮眠室へ戻る。

 ケイが今回の本部として、抑えていた場所だ。

「お疲れ様」

「サトミは」

「無事に着いた」

 それとなくケイへ視線を向けるモトちゃん。

 勿論喜ぶ事ではあるが、逆を返せば犯人は来なかったという訳だ。

 舞地さんの指摘通りに。

「襲われなかっただけで、良しとするか」

 ショウは拍子抜けという感じでそう呟き、珍しく付けていた警棒のフォルダーを机の上へと置いた。

 他のみんなも、一様に安堵感と気の抜けた様子で佇んでる。

 ただ一人を除いては。

「さてと、次のアクションに移行しましょうか」

「声を掛けてきたのは普通の奴ばかりで、犯人どころか怪しい奴もいなんだろ」

 内心で一人だけいたと思い、ショウの言葉に頷く。

 しかしケイは小さく手を振り、自分の端末を指差した。

「有力な目撃情報を得てる」

「私の所には、何もないわよ。ねえ、木之本君」

「うん。……もしかして、舞地さんの持ち場にいた人から?」

「鋭いな、なかなか。盗聴かどこからか見てて、そこが穴だと思ったんだろ。言葉通り、怪我の功名って事かな」

 何の驚きもない、全てを当たり前の事として受け止めているケイ。

 彼にとってはあのアクシデントすら、予想済みだったというのだろうか。

「誰が、あいつの場所にいたんだ。ここにいる奴以外だろ」

 室内にいる全員を見渡し、名雲さんは彼へと視線を向ける。

 それぞれに持ち場と担当があり、急な配置転換は難しい。

 だから彼があの場で言ったように、補充の人間を当てない限り舞地さんの穴は埋まらない。

「阿川君と、山下さん?あの二人は最初から……」

「集まってるな、また」

「こんにちは」


 軽い挨拶と共に入ってくる、その二人。

 深く被ったキャップと、制服姿の多い彼等が普段着ないような服装。

 そういえば、こんな姿を見た気もする。

「これだけの人間が監視してたんだから、俺達が後を付けなくてもよかったんじゃないのか」

「監視といっても、サトミとの距離がありますから。その点お二人は彼女との付き合いが一見薄いし、初めからこの話に加わってない」

「相手も、私達を頭数に入れてないって?君も悪い人間ね。みんな、文句言ってたわよ」

 苦笑する山下さん。

 みんなとは、誰の事だろうか。

「風間さん達こそ、本当に縁が薄い。そして、腕が立つ。影で守るには、申し分ありません」

「誰だ、それ」

「俺の先輩です。良くやるよ、本当に」

 感心とも呆れともつかない呟きをする七尾君。

 それは彼の先輩達にか、やはりケイに対してか。

「囮でも何でも使って、手っ取り早く掴めればいいと思うがね。君は、そういうのが得意だろ」

「否定はしませんけど、俺にも事情がありまして」

「そうか」

 関心なさげに頷く阿川君。

 山下さんが何か注意するが、彼もケイも気にした様子はない。

 感情と、成すべき事。

 その二つを交えた方がいいのか、それとも離した方がいいのか。 

 どちらも正しく、どちらも違うように思える。

 彼等の態度もまた。

 私が感情のみで行動しているのは、ともかくとして。


「モトと木之本君は、ここに。阿川さん達も。名雲さん達は、もう帰って結構です」

「お前の作戦は失敗。今日はこれで終わりって思わせるために?」

「代わりに、この子達が動くって訳」

「そんな所です」 

 真顔で会釈するケイ。

 名雲さん達は苦笑気味にそれを見届け、部屋を出ていった。

「僕も?」

「柳君は、あの人を捜してくれるかな」

「真理依さんを。……いいけど」

「大丈夫。もう揉めないから」

 不安そうに出ていく柳君を今度はケイが見届け、私達を振り返った。 

 その手を、テーブルの上に置いた警棒のフォルダーに伸ばしながら。

「準備は」

「いつでも」

「俺も」

 即座に答える私達。

 ショウもさっき外したフォルダーを、すでに腰へ付けている。

「丹下も、いいかな」

「あなたがいいなら」

 棘のある口調。

 さっきの舞地さんのような。

 手の平に汗を感じつつ、恐る恐る彼女を見上げる。


「逆でしょ、それ」

「あ、何が」

「フォルダー」

 冷静に指摘する沙紀ちゃん。

 抜き方の違いで、右利きだからといって左に警棒を差す訳ではない。

 抜いて攻撃へ移るまでのタイムロスを考え、右に差して逆手で抜く人もいる。  

 またグリップも前を向いている人、後ろを向いている人と様々だ。

「付いてるだろ」

「どうやって抜くの」

「あ?」

 苛立ったように尋ね返すケイ。 

 沙紀ちゃんは変わらず、醒めた眼差しを彼に送る。

「そんなのこうして……」

 その視線を跳ね返すように、険しい顔でフォルダーに手を伸ばす。

「こうして……」

 抜けない警棒。

 下向きのグリップ。

 フォルダーからはみ出た打撃部位を握るケイ。

 警棒はグリップに掛けて太くなっているため、当たり前だが抜ける事はない。

「馬鹿だな。俺はこうして、みんなの緊張を解こうと思って……」

「みんな、行きましょ」

「そうね」

「笑えないぞ、その冗談」

 ケイを残し、沙紀ちゃんを先頭に部屋を出ていく私達。    

 本当に、ショウの言う通りだ。

 そして、この先にかなりの不安を感じずにはいられない。

 それは待ち受ける犯人に対してだけでなく、そんな彼に従わなければならない自分に対しても……。



 後ろの方で文句を言う彼を促し、行き先を尋ねる。

「そこだ、そこ」 

 ぶっきらぼうに呟き、顎を振る。 

 行く手の先にある、小さな建物。

「医療部じゃない。拗ねてないで、本当はどこに行くの」

「だから、医療部だよ」

 やや改まる態度。

 全員の訝しげな視線を感じたのか、ケイは一旦足を止めた。

「引き返すなら、まだ間に合う。絶対に後悔するから」

「怪我人か?それとも医者や看護婦とか」

 返ってくるのは、重い沈黙。

 一人一人の気持ちを確かめるような、鋭い視線。

 勿論、引き返す者は誰一人いない。

「一応断ったからな」

 彼も初めから結果は分かっていたのか、少し笑って歩き出す。

 切なさと、凄惨さを感じさせる横顔と共に……。   



 授業中という事もあり、人気の少ない医療部内。

 職員と、看護婦さん達の姿を時折見かけるだけだ。

 受付でケイが適当に答え、奥へ進む私達。

 ロビーを抜け広い廊下を少し歩いた所で、彼が階段を指差した。

「ここから降りる」

 診療室のある今のフロアとは違う、言い表しようのない薄暗さ。

 実際には同じように照明が灯り、壁の色はむしろ明るいのに。

「何か表示されてるぞ」

「入っていいって事さ。それとここからは、向こうに監視されているからそのつもりで」


 上よりもやや狭い廊下。 

 明るい照明と壁とは対照的に、独特の薄暗さは否めない。

 壁際に活けられた花も何となく物悲しげで、鮮やかな色もくすんで見える。

 左手に並ぶ、幾つものドア。

 それぞれにはプレートが掛かり、「空室」、「外出中」などと表示されている。

「監視されてるのに、普通に行ってもいいのか」

「駆け引きって奴さ。俺達はまだ何もしてないから、向こうも表面上はこっちを拒めない。立場上」

「全然分からん」

 首を振り、ケイの耳元から口を離すショウ。

 私は手の汗をスカートで拭い、息を整えた。

「優ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。でも、大丈夫」

「そう……」

 肩に置かれた沙紀ちゃんの手を握り締め、気持ちを引き締める。

 この先に待つ人物。

 この先訪れる結果。

 自分達の行動。 

 そのどれにも後悔すると分かっているから。

 それでも私は、自分の成すべき事をやってみせる。

 必ず……。



 インターフォンを押すケイ。

 すぐに答えがあり、ドアが自動で開く。

 ショウへの目配せ。

 彼が頷き、自然な仕草で先に入っていく。

 例え待ち伏せされていようと、彼なら対処出来ると考えての判断だ。

 またそれを、ショウは自分の役目でもあると思っているだろう。

 特に、今は。

「失礼します」

 すぐに聞こえる、彼の挨拶。

 後ろで揺れる指先。 

 問題ないとの合図だ。

 ケイの視線が、私にも向けられる。

 ショウの時とは違う、案ずるような様子で。 

 私も問題ないとばかりに、微かに顎を引く。

 ここまで来て引く訳には行かない。

 自分自身の気持ちとして。 

 何よりも、サトミのために。


「……失礼します」

 すり足気味に室内へ入り、肩の力を抜きながら進んでいく。 

 壁の棚に収まる、たくさんの本。

 デスクにも本やDDが積まれ、アンケート用紙らしい書類が幾つも並ぶ。

 室内の端には大きな、人が横たわれる程の椅子も。

「今日は、大勢出来たね」

「ええ。先生に話を聞いて欲しくて。いや、聞きたくてかな」

「僕に答えられる事なら、構わないよ」

「そうですか。……ショウ」

 ケイの言葉と同時に、デスクごと相手を飛び越える。 

 相手が呆然とするのを構わず、ショウは背後に回って腕を取った。

 空いた手が引き出しに伸びそうになるのを察知して、そちらもすぐに掴み上げる。

「い、一体何の真似?ガーディアンのシュミレーションにしては、ちょっと大袈裟だね」

「訓練でなく、ここが現場です。先生」

「穏やかじゃないな。僕が何か悪い事に関わってるとでも?それとも僕の関わった生徒が何かやったとか」

「まさか。対象者は、あなた一人ですよ。吉澤先生」


 ついこの間までは、考えもしなかった事。

 でも、こうなった今となっては思い当たる出来事。

 ケイのように理屈ではなく、感情として。

 また内心では、少しは疑ってた気もする。

 サトミの気持を考えて、それを打ち消してはいたけれど。

 あのハンド部の男が浮かべた、人とは思えない微笑み。 

 それはここで彼が窓に映した物と、全く同じ物だった。

 考えたくはない、今でも信じたくはない。

 しかし彼がショウに取り押さえられ、机に押し付けられた彼を見下ろしているのは間違いない現実だ。

 それがケイの独断によるものだとしても。


「ちょ、ちょっと手を緩めてくれないか。僕は何もしないし、君に勝てるはずもないのは分かるだろ。それに、僕が何をやったか聞いたのか?」

「いや、何も」

 平然と答えるショウ。 

 それでも彼はケイの一言で、全くの迷いも見せず動いてみせた。

 彼への信頼、サトミへの思い、今回の犯人への怒りを込めて。

「大体僕は教師とスクールカウンセラーで、君達ガーディアンが拘束出来る対象じゃないんだよ」

 おどおどとケイを見上げる吉澤先生。

 頼りない、気弱な素振り。 

 自分が言っている通り、無理に捕まえなくても何の問題もないだろう。

 しかしケイは彼を拘束し、ショウもその手を離さない。

「大丈夫です。学校と警察には、許可を得てありますから。今回の容疑者の身分にかかわらず、拘束していいと」

 あくまでも敬語で、冷たく言い放つ。

 吉澤先生の方は怯えた仕草を止めず、そんな彼を上目遣いで見上げている。 

 ぶつかる両者の視線。

 事情を知らなければ。

 いや。知っている私ですら、止めに入りたくなる光景。

 それでもケイは彼を見下ろしたまま、机の上にあった本を手に取った。


「ショウ、指錠」

「分かった」

 手早く親指がビニールのロープで締められ、膝の辺りにも同じくロープが巻かれる。

「盗聴して、盗撮して。カウンセラーの職業倫理に抵触してませんか」

「そ、そんな事する訳無いだろ。いい加減にしないと、僕も」

「警察を呼ばれたら、困るのはあなたですよ」

 見慣れない小さな箱を取り出し、それを室内全体へと向けていくケイ。

「さすがに最近は取り付けてませんか。隠しカメラを」

「は、初めからそんなのは無い。誤解してるんだ、君は」

「そう信じたいですね、俺も」

 冗談めいた、しかし真実みを帯びた呟き。

 沙紀ちゃんも室内を探し回っているが、これといった物は何一つ出てこない。

 もしかして本当に誤解ではないかという考えが、脳裏をよぎる。

 とんでもない事をしてしまったのではという思いと共に。


「ここに無いとは分かってましたけどね。ここと地理資料室は警察に任せて、自宅へ伺いましょうか」

「ま、まだ勤務中だ」

「気にしないで下さい。今日地理の授業はないし、カウンセリングの生徒は全員キャンセルしてます」

 いつの間にか彼の端末を手にして、その画面を見せている。

 今日のスケジュールは終日キャンセルされていて、多忙により連絡が出来ないとも。

「い、今ならまだ間に合う。僕も、この事は誰にも言わないから」

「これ以上罪を重ねるなって?」

 私を見つめるケイ。

 彼が答えを待っているのが分かる。

 「止めよう」と言えば、これ以上は思い留まるのも。

 教師でありスクールカウンセラーである、彼の立場。

 ケンカした生徒を拘束するのとは、根本的に違う問題。

 その処分は学内だけでなく、場合によっては刑事事件にすらなるだろう。

 何の証拠も無い、手がかりすら見つからない現状。

「……連れて行って」

 顔を上げ、はっきりと答える。

 この判断は、誰の責任でもない。 

 私自身が取る。

 そう伝えるためにも。



 サトミのために。

 それを理由にはしない。

 そのために頑張っても。 

 やっているのは、自分だから。

 私が決め、行動する。

 結末がどうなろうと、自分がどうなろうと。

 サトミが何と思おうと。

 揺らぐ気持。 

 不安と焦り。

 何も出来ない自分。

 それでも出来る事はある。

 目を背けていた現実と向き合う事は。

 彼女を取り巻く環境。 

 自分にも向けられている、想像もしたくない事。

 それを最後まで、見届けてみせる。 






   







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ