16-8
16-8
神代さん達が帰り、静けさを取り戻すオフィス内。
トラブルの入電も、それを直接告げに来る人も来ない。
書類は全て片付け終え、これといってやる事がない。
退屈な時間。
仕事とは関係ない事まで考えてしまうくらい。
そして、今考えてしまう内容といえば。
「……サトミの方は、どうなってるの」
ゲームの画面から、こちらへと顔を向けるケイ。
画面はそのまま、報道部が流している学内ニュースへと切り替わる。
「犯人は、いつ捕まえられるの」
「誰かも分かってないのに、捕まえようが無い」
「でも」
「分かってる」
抑えた、小さなささやき。
普段からあまり表情の変わらない子だけど。
今は、微かな感情も表に出してはいない。
「大丈夫か、お前」
「何が」
「体調とか、気持とか」
言いにくそうに、上目遣いで尋ねるショウ。
そこでようやく、ケイの口元が緩む。
「君に心配されるようでは、俺もまだまですな」
「冗談言ってる場合じゃないだろ。俺は」
「だから分かってる。みんなして、サトミサトミって。少しは落ち着け」
そんな自分が一番彼女を気遣ってるようにも見えるが、ここで言う事でもない。
「一応、あれこれ手は打ってる」
「それはいいけど、悠長に構えてる場合なの?」
「サトミの周りは、完全に固めてある。手の一つとしても」
訝しむ私達の表情を読み取ったらしく、彼は小さく手を振った。
「犯人をじらして、こっちで行動をコントロールしやすくしてる。向こうもそれは分かってるだろうから、要は神経戦って訳」
「囮と、どう違うのよ。大体、サトミが危なくないの?」
返ってこない応え。
冷めた眼差し。
彼の感情や考えは、やはり読みとれない。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「言っただろ、コントロールしてるって。向こうは周りを固める事しか出来ないって高をくくってるだろうけど、その内分かる」
「またそれか」
難しい事を尋ねると、こう答える人が多い。
本人は分かってるかいいにしても、何も分からないこっちは苛立ちが募るだけだ。
「もう少し、分かりやすく話してよ。それとも、私達からその情報が漏れるって言うの?」
「まさか。……じゃあ、ユウに協力してもらおうかな」
横に裂かれる、彼の口。
さらに細くなる、鋭い目元。
悪い予感を抱かずにはいられないような……。
霊感はない。
人の考えを読むのも、得意ではない。
でも、あの顔を見れば誰でも分かる。
「おかしな事しないでよ」
「保証は出来ん」
くくっと笑い、監視カメラを見上げるケイ。
今私達がいるのは、女子寮の廊下。
協力すると言った手前、連れては来たけれど。
本当に、大丈夫だろうな。
「さてと」
自分が持ってきた卓上端末を開き、普通の端末をその隣へと置く。
「何する気だ」
「盗撮ってのも面白いかな」
冗談っぽく笑い、画面が指差される。
「これって、監視カメラの映像?」
「警備室に頼んで、リンクしてもらってる。誓約書は書かされるは、尋問は受けるは。参ったね」
どう考えても、生徒としての範囲を越えた行為。
この場合は生徒会からの協力要請もあったからだろうが、ここまでして何をする気なんだろう。
「本当は俺だけしか見れないんだけど、特例って事で」
「警備室で見れば済む話じゃないのか」
「犯人に、監視してますって教えてどうする。俺がお前のストカーなら、今頃どうなってると思う」
「怖い事を言うな……」
真顔で自分の肩を抱きしめるショウ。
言いしれない身の危険を感じたらしい。
「これは寮全体じゃなくて、ポイントに設置してあるだけでしょ」
「手は打ってあるって言っただろ」
「はいはい。で、どうする気」
「前ユウが見た、その怪しい男。そいつが動くのを待つ」
分割した画面が次々と切り替わり、生徒の姿が刻一映し出されていく。
それを飽きる様子もなく、無言で見つめるケイ。
「疲れないのか」
「もう慣れた」
「慣れたって」
「っと、来たな」
ショウの問いかけを聞き流し、彼は赤く反転した画面の一つを指差した。
すぐに拡大される画面。
私が見た、細身の陰気な男。
外見だけで人を判断するなと言われそうだが、ここまで来ると何かあるとしか思えない。
そんな彼の隣りに女の子がいつも寄り添っているから、余計に。
「この子が犯人なの?」
「でも、調べて違うって分かったんだろ」
「そうか。んー」
難しい顔で唸る私達。
ケイも難しい顔をしているが、その理由は私達と正反対だろう。
慣れた様子で廊下を進んでいく二人。
女生徒からは明らかに不審の目で見られているが、寄り添っている女性が朗らかに笑っているためトラブルには至っていない。
「おい、部屋に入ってくぞ」
「彼女の部屋だからな」
「しかし」
納得のいかない様子のショウ。
それは私も同じで、どう考えてもこの二人は普通ではない。
「警備員は、何もしないのか」
「一応、監視リストには入ってる。俺としては、この男もそうだけど……」
暗転する画面。
画面の隅に見えていた、女の子の部屋の前が見えなくなる。
「ちょっと」
「これって」
慌てる私達をよそに、落ち着いた仕草で端末を手に取るケイ。
「……ええ、はい。……ええ、分かりました」
「警備員さん?」
「向こうでも、理由は不明だって。毎回だったら、こいつら確実に何かやってるんだろうけど」
「落ち着いてる場合じゃないだろ」
やはり慌てる私達。
ケイが落ち着いてるのも変わらない。
「……例の部屋で。……ええ、お願いします」
「また警備員さん?」
「それもいいけど、もっと細かく動ける人間がいる」
要領を得ない答え。
卓上端末の画面に、次々と表示されるメール。
「何、これ」
「寮にいる女の子からの情報。ショウの名前を出して、協力してもらってる」
「お前な」
「大丈夫。サトミの件は、ごまかしてある」
何が大丈夫なのかはともかく、メールは止まらない。
「……逃げたか」
「駄目じゃない」
「逆さ。監視があると気付いて、何も出来なかったんだ。つまりは、二人の行動を事前に防いだって訳」
「ああ、そういう意味」
どうも犯人を早く捕まえたいあまり、相手の行動を望んでしまった。
今の二人がサトミの一件と関係しているかどうかは分からないが、確かに未然に防止出来たのはいい事だ。
「じゃあ、こいつらは何をやってるんだ」
「さあね。これで警備員も監視を強めるだろうし、輪は一つ狭まった」
事も無げにそう言ってのけるケイ。
監視カメラの映像。
女子寮での情報網。
目の前に置かれれば、何でもない事。
だがそれを自分で交渉して構築しろと言われたら、何から手を付ければいいのかすら分からない。
「後は、警備員に任せればいい。で、納得出来た?」
「少しはね。でも、まだ何も分かってないんでしょ」
「捜査権があるならともかく、ただの高校生がやれる事と言ったらこの辺りが限界なんだよ」
すでに高校生としての領域を越えているとも思うが、それはサトミを襲った人間にも言える事だ。
彼の言うように、何でもしなければならないという訳か。
「この前、サトミをさらおうとした子からは何か聞いてないのか」
「尋問はもう終わってる」
「それで」
「何かをネタに、脅されたとしか。例えば今の二人が盗撮して、それをネタにしたって事も考えれなくは無い。可能性の一つとしては」
はっきりしない答え。
彼自身確証がある訳ではなく、私達は判断の手がかりすらない。
彼等がそうなのか、もっと違う誰かがいるのか。
焦りと苛立ちだけが募る現実。
それは私一人ではないと分かってはいても。
サトミが狙われているという事実を考えると、気持は乱れていく。
何も出来ない自分の事を考えると、余計に……。
思い出したくもないその光景が、脳裏から離れない。
突き飛ばされたといって震える、サトミの青い顔。
彼女が拉致されかけた場面。
そして、あのおかしな男女。
一つの線でつながっているようにも、全然違うようにも思える出来事。
ケイは昨日の通り、はっきりとは言わない。
私達よりもたくさんの情報を知っている分、全く違う判断をしている可能性もある。
だが、それらはともかく。
彼女がその身を危険に晒され。
私が何も出来ないという現実は無くならない。
こうして思い悩むのが無意味だと、自分で分かっていながら。
それを止められないという、もう一つの現実。
私は一体、何をすれば……。
「雪野さん?」
不意に聞こえてくる声。
「あ」
封筒と巻かれた長い紙を抱え、私のすぐ前で笑っている吉澤先生。
初夏らしい、ポロシャツとコットンパンツという彼らしい服装。
頼りなげで、優しい雰囲気もそのままに。
「今日は一人みたいだね」
「え、ええ。ちょと」
ガーディアンの仕事を休んだ訳ではないが、気分を変えたくて教棟の外に出てきていた。
でも結局は今のように、出ない答えを延々と考えるだけ。
悩む場所が、室内から外と変わったに過ぎない。
「良かったら、僕の部屋に来る?部屋といっても、学校のね」
「え、でも。お忙しいんじゃ」
「今の君を見て、もう一つの仕事を思い出したんだよ。さあ、行こうか」
医療部が入っている施設の、地下にある一室。
人気のない廊下を通り、二人でその部屋に入る。
棚に並ぶ幾つかの本と、小さな人形。
壁には白衣が掛けられ、アンケート用紙のような物がデスクに積まれている。
「そこにかけて。うん」
長い、リラックスチェアのような椅子。
ちょっとしたベッド代わりにもなりそうで、適度な傾斜と柔らかさが心地いい。
吉澤先生は少し離れた位置に椅子を持ってきて、本を開きながらそこに腰掛ける。
部屋の表札には、「生徒相談室」となっていた。
またデスクにはプレートが置かれ、「吉澤相談員」との文字がある。
「一応、スクールカウンセラーの資格もあってね。本当は地理の教師としてやりたいんだけど、今はこっちがメインかな」
「そうなんですか。……サトミも、もしかしてここに」
恐る恐る尋ねると、彼は笑い気味に首を振った。
「僕が相談してるくらいだよ。それに遠野さんの彼氏は、大学院で臨床心理学を専攻してるんだろ」
「さあ。この間会った時は、ネズミに何か仕込んでましたから」
「条件付けか。基礎も怠らないとは、勉強熱心な子みたいだね」
今は誉めてくれているけれど、何を仕込んでいるかを知ったらまた違う反応になるだろう。
「大丈夫。君をカウンセリングしようって訳じゃないから。それに秘守義務といって、犯罪に関わるような場合以外は外部に情報は話さないルールなんだ」
警戒気味の私を見かねてか、優しく説明してくれる吉澤先生。
私はそれでもぎこちなく頷き、斜めの位置から見える天井を仰いだ。
「ここに来る人って、多いんですか?」
「多分、雪野さんが思ってる以上に。高校生といったら、一番悩みを抱える時期だろ。自分一人で解決出来る人はいいけれど、そんな人間はごく希だよ。だから話を聞いて、僕らはちょっとした手助けをしてるんだ」
「そうですか」
「人に言えない事を話すだけで、案外気持が楽になるからね」
頷きたくなるような言葉。
確かに、それは言える。
人に言えないから悩む訳で。
それを漏らさない人がいるなら、思わず何でも話してしまいたくなる。
私はカウンセリングを受けに来た訳ではないから、事情は違うにしろ。
もっと大勢の人が利用してもいい制度であるのは、良く分かった。
「……君の場合は、遠野さんの事かな」
「え、ええ。まあ」
「無理に聞く訳じゃないけど、狙われてるんだって?」
曖昧に頷き、彼の顔を見上げる。
内心、この人にわだかまりがない訳ではない。
最近いつもサトミと一緒にいる、大人の男性。
ヒカルという彼氏の存在を、かすませてしまうかのような。
私が気を揉む事ではないと、ケイは言う。
でもサトミの気持ちは。
そして、この人の気持ちは。
「心配なんです。いつ襲われるかって、悩んでないかって」
人に言えない程の事ではないが、思いを少し告げる。
彼がカウンセラーだからという理由よりも。
今、一番サトミの身近にいる人として。
「一人で心配して、馬鹿みたいとは思うんですけど。でも、どうしても気になって」
「彼女には、そう告げた?」
「いえ。余計な気遣いをして欲しくないから」
「優しいね、雪野さんは」
暖かな微笑み。
私の言葉を。
気持を理解してくれた。
そう信じていい大人の、包容力のある笑顔。
サトミが彼に優しく、信頼の眼差しを向けるのも分かる。
同年代の私達の周りにはいない、経験とゆとり。
頼りないと思える外見。
でも、その心の中は……。
「遠野さんには、僕からも気を付けるように言っておくから。雪野さんも、あまり思い詰めない方がいいよ」
「ありがとうございます」
そっと手を振り、何度も頷く吉澤先生。
私はもう一度頭を下げ、椅子から降りた。
「その、サトミには私から聞いたって言わないで下さいね」
「うん。彼女の事ばかり気に掛けて、自分は大丈夫?」
「ええ、それは何とか」
「そう。僕はここにいる時が多いから、良かったらまた尋ねてきて」
優しい笑顔の見送りを受け、人気のない廊下を歩いていく。
場所柄相談する生徒が顔を会わさないようにしているらしく、幾つかあるドアの前には来室中の表示がある。
またこのブロックに入る前にも同様の表示があり、廊下で顔を会わす機会も減らしているようだ。
偶然、それとも初めから気に掛けてくれていたのか。
どちらにしろ、私の気が楽になったのには変わらない。
「カウンセリング?」
素っ頓狂な声を上げ、私の顔をまじまじと見つめるショウ。
私は手を振り、同じ言葉を繰り返した。
「話をしただけよ。カウンセリングルームで」
「そんな場所、あった?」
「お前も一度、行ったらいいんだ。僕、自分に自信がないんです。でもこの間やり過ぎて、みんなの反感を買っちゃって。僕、どうしたらいいんでしょう」
多分真似をしてるんだろう。
気弱そうな表情で、ケイがボゾボソと喋る。
この人は、カウンセリング以前に治療が必要だな。
「でも、どうして」
「偶然、吉澤先生と会ったの。そのついでに」
言い訳ではないが、それ以外にも幾つか理由を並べ立てる。
カウンセリング自体を否定する気はない物の。
やはりどこか、それに対する負い目が自分の中であるから。
悩みを人へ話す事、自分の弱さを認めてしまう事に。
「ヒカルも、似たような事やってるんだろ」
「あいつは対人治療よりも、行動観察というか研究タイプなんだよ。あれが人に相談受けて、上手く出来ると思う?」
「人はいいぞ」
「寺の坊さんなら、それでもいいさ」
私達よりはヒカルを、またそういう分野に詳しいのでいい答えは返ってこない。
相手を和ませるのなら、あれ程適任な人も珍しいと思うけど。
「一応サトミにも、注意するよう言ってくれるって。あの子も、あの人の話なら多少は聞くでしょ」
「何か、しゃくだな」
未だに認めたがらないショウ。
私は彼に助けてもらった面があるため、ややごまかし気味に頷く。
今の彼女への影響力を考えると、彼のようにはいられない。
だからこそ、余計にショウは反発するのかも知れないが。
「注意してくれるなら、それでいいだろ」
「そうか?」
「そうだよ。お前は、何怒ってるんだ」
「怒ってるというか、ヒカルの立場を考えたら……」
言いにくそうに、それでもその名前を出すショウ。
ケイは薄く笑い、手にしていたペンを振った。
「サトミがあの先生と付き合ってる訳じゃないし、そうなったからどうだって話でもない」
「だけど」
「どうしたいかを決めるのはサトミ本人で、俺達が騒ぐ事じゃない。前も言っただろ」
「サトミが、おかしな事になったとしてもか。向こうは大人で、サトミは高校生。意図しなくても、騙されたような事にだってなるんだぞ」
表情を硬くし、ショウが厳しい口調で問い詰める。
それでもケイは、落ち着いた態度を揺るがさない。
「子供じゃないんだから、自分のした事の責任は自分で取るべきだ。そうだろ」
「俺は、そう思わない」
「甘いというか、人が良いというか。それにまだ、何かあった訳でもないんだし。あの先生よりも、サトミを狙ってる犯人に怒ったらどうだ」
あくまでも変わらない冷静さ。
ショウの、やり場のない怒りも。
「それに」
「なんだよ?」
「サトミにあれこれ言う気はないけど、相手には別だ。ショウの言う通り、その気持を利用して騙すような事でもあれば」
手の中で回るペン。
その動きが止まり、ペンは机を転がっていく。
ケイはそれに目をくれず、おもむろに口を開いた。
「死んだ方がましだと思えるようにしてやる。一生な……」
思わずといった具合に喉を鳴らすショウ。
私も息を呑み、彼を見つめる。
先程から変わらない冷静な表情。
口調も静かで、感情の揺れは見られない。
一瞬垣間見えた、その心以外には。
「何するのか知らないけど、程々にしなさいよ」
「それは、あの先生に言ってくれ」
「お前が何をしても、俺も知らないからな」
「いやいや。その時は先生もご一緒に」
一転した軽い口調。
ただその辺りは慣れているので、ショウも戸惑ったりはしない。
「しかし、犯人って本当に捕まるのか?」
「この前も女子寮で見せてやっただろ。手は打ってるんだよ」
気のない返事。
それを疑う訳ではないが、不安があるのもまた事実だ。
手がかりは殆ど無く、相手のめどすら立っていない今。
彼自身が何かを知っているにしろ、本人が言っていた通り警察ではない私達にはおのずと限界がある。
「うるさいから、よそでやって」
邪険に手を振るモトちゃん。
私はデスクに手を付き、かろうじて彼女を見下ろした。
「そういう言い方は無いでしょ。私達はサトミのために……」
しなやかな仕草で、デスクの上が指差される。
彼女の名前が書かれたプレートが。
「今は職務中で、ここは私の執務室。分かります?雪野さん」
ゆっくりと、噛み砕くように説明された。
人の良い、子供を見るような眼差しと共に。
「わ、分かってる」
「じゃあ、静かにしてなさい」
突然声を低くするモトちゃん。
何よ、もう。
「鬼が出たから、早く帰ろう」
「ケイ君。それって、私の事?」
「まさか。そんな綺麗な鬼はいませんよ」
笑い気味に変えすケイ。
両者の間で散る、冷たい火花。
この辺りは、昔と大差ない。
「大体、そのサトミがいないじゃない」
「生徒会で何かやるって、さっき言ってた」
「あの子も、あなた達と遊んでるよりそういう事をやればいいのに」
「悪かったな。駄目人間で」
むくれるショウ。
あなたが駄目人間なら、そこで欠伸してる子はどうなるのよ。
「いいから、暇なら仕事して。冗談抜きで、猫の手も借りたい程なんだから」
「塩田さんの仕事なら、俺はやらん」
「それが殆どよ。……言ってる側から」
くすっと笑うモトちゃん。
突然背後に感じる気配。
「わっ」
「気付くのが遅いぞ。俺が敵だったらどうする」
「俺達の敵に、忍者はいない」
「だから、忍者じゃ無いって言ってるだろ。玲阿」
どうだかという顔で笑うショウ。
塩田さんは鼻を鳴らし、モトちゃんに近付いて手を差し出した。
そこを過ぎていく、振り下ろされた警棒。
緩い速度とはいえ、手を引かなかったらという話だ。
「お、お前な」
「後輩に仕事を押し付けて、御自分は何をしてらしたんですか」
「それは、その。学内の見回りをだな」
「そういう事は現場のガーディアンに任せて、議長としてのお仕事に専念して頂けると助かります」
釘どころか杭を打ち込み、ようやく書類とDDを渡すモトちゃん。
「悪い悪い。俺も、やろうかなって思ったんだけど。木之本が、「良かったら、僕がやります」って言うからさ」
「彼が、自分から?それとも、塩田さんから話を持ちかけられて?」
「い、いや。それは、どうだったかな」
処置無しとは、まさにこの事だな。
しかし木之本君も、気が小さいというか人が良いというか。
たまには断ればいいのに。
勿論、それが彼の良い所でもあるんだけど。
「生徒会ガーディアンズとの統合で、向こう側と折衝する事もあるんですから。議長は?いません。では話にならないんですよ」
「お前がやるからいいんだよ。なあ、雪野」
「はあ」
実質的に生徒会ガーディアンズ、つまり自警局と協議折衝しているのは塩田さんの言う通りモトちゃんと木之本君。
だからといって、良いとも思えない。
とはいえ、どちらが向いていると言えばやはりその二人なので。
私がリーダーだからといって、サトミ達の代わりに定例会や会議に出ろと言われても困るのと同じだ。
「これでも、遠野を狙ってる奴とか探してるんだぜ」
「だから、それは現場の人間に」
「ガーディアンとしてじゃなく、先輩としてさ」
「分かりますけどね」
苦笑するモトちゃん。
塩田さんはもう一度「悪い」と言い、肩をすくめた。
「とはいえ、何も分からん。浦田のリストで片っ端から当たって見たんだが」
「ケイ君が頼んだたの?」
「まさか。断ったのに、塩田さんが「良かったら、俺がやる」とか言って」
「どこかで聞いたような話ね。それに一度、名雲さん達が調べたんでしょ」
答えを分かっていて尋ねるような口調。
ケイも軽く頷き、顎を引いた。
「名雲さんと塩田さんでは立場も違う。当然相手の反応も。しかも二度聞かれれば、仮に今回の犯人でなくても抑止力にはなる」
「で、先輩を使いっ走りか」
「外へ行きたい塩田さんと、利害の一致という事で」
「よく言うぜ」
鼻で笑い、デスクへ腰掛ける塩田さん。
ケイは俯き加減で顔に陰を作ったまま、床を見つめている。
「犯人のめどくらい、ついてるのか」
「怪しい奴はいますよ。どちらにしろ、これからですね」
「見つからないなら、警察に頼むぞ。さすがに生徒の自治だなんだって、言ってる場面でもない」
かつてその自治を守るために、多くの犠牲を払った彼の口から告げられる言葉。
平然と、何の迷いもなく。
それは彼の強い意志と、サトミへの気持ちをも感じさせてくれる。
「ご心配なく。生徒の自治は守りますので」
「警察に引き渡すのは、犯人に償いをさせてからって?過剰防衛で訴えられるぞ」
「それが出来ないくらいの事になりますから、ご心配なく」
「どこが、ご心配なくだ」
二人の口元から漏れる、似たような笑い声。
言葉のやりとりとはまた別に、考え方はお互い大差ないのだろう。
「……今日は、来客が多いわね」
「また、誰か来たの」
「ん、まあ。ちょっと」
珍しく口ごもるモトちゃん。
思い当たる人物としては、矢田自警局長か。
それとも。
「元野さん、この資料なんだけど……。お前ら」
「こんにちは」
「ああ。何してるんだ」
こちらへ顎を向け笑う名雲さん。
それは私達だけではなく、デスクへ腰掛けている塩田さんへの質問でもあるはずだ。
「サトミの事で、ちょっと」
「そうか。あまり揉めない内に、早い所片付けた方がいいぞ」
「放っておけ。自分達でやりたいようにさせればいい」
彼の後ろ。
普段通りのジージャンにジーンズ。
黒のキャップを目深に被り、冷静な口調でそう言い放つ舞地さん。
名雲さんの隣にいた柳君が不安そうに振り返るが、それを気にする様子はまるでない。
「連合の議長が、こんな所で遊んでていいの?」
「映未さん……。もっと言って下さい」
「ですって」
「いいんだよ、俺は好きでやってる訳じゃないんだから。先輩に頼まれなかったら、その辺をふらふら歩いてるさ」
気楽な答え。
池上さんはふっと笑い、モトちゃんに顎を向けた。
「今でもふらふらしてるって、よく聞かされるわよ。忍者君」
「だから違うっていうの。おい、聞いてるか」
全然聞いて無く、きらきらと目を輝かせる柳君。
その気持ちは良く分かる。
「いいから、遠野の世話でも焼いてろよ。……そっちのは、不満そうだな」
「私には関係ない」
「だってさ。いいのか、浦田」
「舞地さんがいなくても、何の問題もありません。やる気のない人がいると、却って邪魔です」
何の予断も挟ませない言い方。
和み始めていた空気が一気に凍る。
「それは助かった。せいぜい、頑張ってくれ」
「どうも。そんな暇なら、いっそ滋賀でも行ったらどうです?それとも、例の男の子に面会でも行くとか」
「ケイッ」
「雪野、かまわなくていい。それもいいな。女を平気で殴ったり、仲間を裏切ったり出来る人間の顔を見なくて済む」
厳しい、聞きたくない言葉のやりとり。
重い、沈み込んでしまいような気分。
初めがどうだったかはもう、覚えていない。
もしかして今の二人にとっては、それはどうでもいいのだろうか。
相手への敵意と、怒りを現す事が出来るのなら。
「……智美ちゃん、それ」
「あっ。済みませんっ」
素早くデスクのコンソールに手を滑らせるモトちゃん。
どうにか落ち着いているように見えた池上さんの顔が、見る見る曇っていく。
どうやらマイクを通じて、他の部屋にまで今の会話が漏れたようだ。
「真理依、もういいでしょ。浦田君も、少し抑えなさい」
「そうですね。時間の無駄ですし」
「馬鹿の割には、話が早い」
「もういい。池上、連れていけ」
嫌そうに手を振る名雲さん。
池上さんに付き添われた舞地さんはケイと視線を合わせようともせず、険しい物腰のまま執務室を出ていった。
「浦田もだ。これ以上舞地と揉めるなら、俺が犯人を捜すぞ」
「分かってます。あの人を俺に近付けなければ、大丈夫ですから」
「ったく。言いたくないが、あいつは先輩なんだしそれも考えろ」
「こいつに、そんなのが通用するか」
呆れ気味に口を挟む塩田さん。
舞地さんよりも付き合いの長い先輩として。
「じゃあ、あんたからも何か言ってくれ。このままだと、本当に遠野の方が危なくなるぞ」
「仕切ってるのは浦田なんだろ。契約は守れよ」
「後輩も後輩なら、先輩も先輩だな。ったく」
塩田さんの答えを分かっていたような笑顔。
とはいえ危ぶむような視線は、ケイから離れない。
床を見続ける彼は、それをどう感じているのだろうか。
食堂。
私の目の前で、美味しそうにアジのたたきを食べているサトミ。
特にこれといった変化はなく、私が一人で気にし過ぎているように思えてくる。
「食べないの?」
「え、ああ。食べるよ」
慌ててお茶碗を抱え、ふりかけを食べてご飯を掻き込む。
しかしそれも長くは続かず、すぐにため息が漏れる。
「疲れてるの?」
逆に心配された。
ただ、その指摘は間違ってはいない。
私が勝手に気にしてるとしても、悩んで疲れているのは確かだから。
カウンセリングめいた事を受けようと、ケイが何かの手を打っていようと。
サトミの無事が確認されるまで、この気疲れは休まらない。
またそれを、厭う気も無い。
「大丈夫。ちょっと、トレーニングし過ぎてるだけ」
「暇だからって、体ばかり鍛えなくてもいいでしょ」
「動きたい気分なの」
理由は告げず、ご飯にお茶を掛けて流し込む。
何があっても、食欲はなかなか落ちないなと思いながら。
「ショウ達は?」
「岐阜の方にラーメン食べに行った」
「底なしの馬鹿ね」
その辺りは私も同感だが、一緒に行きたい気も無くもなかった。
ただ思い留まった結果がサトミとの食事であり、いつも食べている食堂のフリーメニューも普段以上に美味しく感じられる。
「最近、何かつきまとわれてる気がするのよね」
マグカップを見つめ、そう呟くサトミ。
私はもたれていたベッドから起き上がり、テーブルに両手を付いた。
「そ、それって。また襲われたって事?」
「ちょっと違う。見られてるのは変わらないけど、監視のような。気のせいかしら」
「さあ」
すぐに体を戻し、マグカップに顔を伏せて適当に答える。
彼女が感じたのは、間違いなくケイが配置した護衛だろう。
ただ襲われなくなったのはいいとしても、これ以上不審に思われるようでは意味が無くなる。
または、自分に黙ってそんな事をしてると分かったら。
その結果は大体想像が付くが、まずは彼女の安全を優先しよう。
しかし、そろそろ限界なのだろうか。
ケイに教えた方が……。
「どうしたの?」
「え、何でもない」
マグカップをあおり、一気にコーヒーを飲み干す。
「熱っ」
口から喉元、さらに胃の辺りを駆け抜ける熱風のような感覚。
「ちょ、ちょっと」
「み、水っ」
慌ててサトミが放ってきたペットボトルを受け取り、それも一気に飲み干す。
ごまかすために飲んだのが、この様だ。
真に迫った演技どころじゃないな。
「大丈夫?」
「う、うん。あー、焼け死ぬかと思った。内側から」
「恥ずかしい死に方しないで」
呆れ気味に笑い、ティッシュを箱ごと放って来るサトミ。
その指先が、自分の鼻を指差す。
「どうせ私は低いわよ」
そう答えた途端、むずがゆい感触が。
鼻が出てたようだ。
「もう、いい加減にして。低いだけじゃなくて、鼻が弱いんだから」
「いいの、匂いが分かれば」
「犬じゃあるまいし。普段から、しっとり濡れてどうするの」
上手い事を言う人だな。
しかし楽しそうに笑ってるし、前に襲われた事を気にしている様子は無さそうだ。
そう振る舞っているようにも見えないので、取りあえずは安心といえる。
後は犯人を捕まえて、この笑顔を本当の物にしなければ。
「風邪でも引いた?」
「え、どうして」
「急に、怖い顔になったから。具合でも悪いのかと思って」
「まさか。馬鹿は風邪を引かないのよ」
自分で言って、自分で笑う。
サトミもおかしそうに笑っている。
「まだ夜は寒いんだから、暖かくしないと」
立ち上がった彼女が持ってきたカーティガンが、肩に掛けられる。
頭から、頬へと滑る彼女の手。
「自分こそ、大丈夫?」
「ほら。私って、天才だから」
私の顔を横から覗き込み、子供のように笑うサトミ。
微かに触れ合う、頬と頬。
彼女は私の頭に手を回し、そっと引き寄せた。
「気を付けてね」
「ん?何を」
「風邪引かないように。ほら、あなたお腹出して寝るから」
「寝ないわよ。たまにしか」
少しむくれ、彼女から離れる。
自分の肩を抱きしめ、カーティガンに触れながら。
「それじゃ、帰るね」
「ええ。また明日」
「うん」
自室へ戻り、カーティガンを壁に掛ける。
思いを新たにして。
端末を手に取り、それを見上げる。
強い、決意と共に……。
学校近くのファミレス。
すでに日付をまたいだ時間。
店内には数組のカップルや若者達が談笑を交わし、楽しそうな時を過ごしている。
そんな彼等とは対照的に、私は重い面持ちでストローをかき回した。
「何だよ、こんな時間に」
面倒げに、私の前に座るケイ。
言葉とは対照的に、昼間よりは精気を感じさせる表情。
典型的な夜型なので、その辺りは本人も大して気にしてないだろう。
「サトミの事よ。分かってるでしょ」
「明日でもいいだろ。……アイスティー下さい」
メニューも見ずウェイトレスさんに告げ、ヘッドライトが行き交う窓の外へ視線を向ける。
「忙しいとは言わないけど、端末で話せば済む事なんだし」
「私は、会って話したかったの。大切な事なんだから」
テーブルから身を乗り出し、彼を真正面から見据える。
気のないケイが、表情を改めるくらい真剣に。
「……サトミに、何かあった?」
「無い。でも、これ以上は待てない」
「何が」
「私が、我慢出来ないの」
理屈抜きの、言い訳にもならない答え。
さすがのケイも言葉がないのか、届けられたアイスティーのグラスを持ったまま動かない。
「手は打ってあるんでしょ」
「ああ」
「じゃあ、もういいじゃない」
「何がいいのか、分かってる?」
呆れ気味に呟き、グラスへと口を付ける。
一気に減っていくアイスティー。
間を置かず全てを飲み干したケイはグラスをテーブルへと置き、小さく息を付いた。
「……確かに、時間を掛ければいいという訳でもない。最近、周りも色々うるさいし」
「じゃあ、いいのね」
「何をするのか、分かって言ってる?」
「知る訳無いでしょ」
我ながらひど過ぎる答えを返し、ダイエットソーダを一気にあおる。
喉を過ぎていく、炭酸の感触。
少しの痛さと、少しの心地よさ。
その微妙なバランスを楽しむ間もなく、私も全てを飲み干した。
「学校と生徒会には話を付けてあって、多少のやり過ぎは認めて貰える。あくまでも、犯人を警察へ突き出すのを条件として」
「じゃあ、誰かって分かってるの?」
「候補はいる」
初めて認めるケイ。
しかし、名前は告げられない。
「男の子?女の子?それとも、複数なの?」
「盗聴されてなかったら、教えてる」
「え?」
「冗談だよ」
真顔で答え、レシートを持って立ち上がった。
「じゃあ、今まではされてたって事?」
「心配ない。ユウやサトミの部屋は」
「でも」
「向こうの犯罪行為が一つ増えたってだけで、困る話でもない」
落ち着いた受け答え。
少しの不安や苛立ちも見せてはいない。
それは自分の打ってきた手に対する自信の現れと、理解してもいいのだろうか。
ファミレスを出て、女子寮へと歩いていく私達。
幹線道路に面した大通りから、人気のない路地へと進んでいく。
街灯や時折の車で明るさは保たれている物の、一人で歩くには少し怖い気もする。
「来ると思ったんだけどな」
「何が」
「いや。俺を襲いにさ。サトミを警護してる責任者が俺だって分かってるだろうし、それなりに挑発してるから」
笑い気味の表情。
自分の身を危険に晒して、それを楽しむという感覚。
彼には彼なりの意図があるのだろうが、ここまで来ると私には理解が出来ない。
「どう?」
「そんな事言われても……」
否定しようと思った途端、強烈なライトが背後から当てられる。
感じからして、バイクのようだ。
「多分、これね」
「やっぱりさっきの所で盗聴されてたかな。それとも、後を付けてたとか」
「考えてる場合じゃないでしょ」
「馬鹿が自分から来たんだ。探す手間が省けた」
塀に手を掛け、それをよじ登るケイ。
仕方なく私もジャンプして、塀の上に立つ。
その直後、バイクが私達の真下へとやってくる。
黒のヘルメットに、青っぽいジャケット。
バイクも服装もどこでも見かけそうな物で、手がかりにはなりそうにない。
「車で来ればいいのに」
「バイクの方が、機動性があるじゃない」
「ユウはテクがあるから。でも、腕がない奴は違う。手がふさがれて、襲うどころか襲われる」
ライダーの手がジャケットへ入ったよりも早く、ケイの手が動く。
小さなテニスボールにも似た球体が投げられ、地面に落ちる。
相手を倒すために狙ったというなら、それは見当違いだろう。
しかし彼の狙いは、そこまで浅はかではない。
夜でもはっきりと分かる、蛍光塗料が辺り一面に飛び散った。
バイクにも。
勿論、ライダーの服にも。
慌てて手でそれを拭い出すが、それは自分の手を染めていくだけだ。
「車なら、本人までは付かないのに。頭悪過ぎだな、お前」
笑いながら見下ろすケイ。
ボウガンがこちらを向いていても、その笑顔が消える事はない。
「さてと、ユウ」
「知らないわよ、どうなっても」
「俺だって」
くくっと笑い、ケイは足を横に振った。
塀の奥。
民家の庭先に設置された防犯センサーが、その動きに反応する。
辺りに鳴り響く、大きなアラーム音。
同時に反応する、辺り一帯のカメラ。
その動きを予期していた私達は、すでにカメラの撮影範囲から逃げている。
慌ててボウガンをしまい、バイクを走らせるライダー。
カメラの半数は、その方向へと向けられる。
すでに警察や警備会社へも、連絡が行っている事だろう。
路地を一気に走り抜け、どうにか女子寮の前までやってくる。
息を切らす私達に、怪訝な視線を向けるパトロール中の警備員さん達。
「何でもないです。ちょっと、酔っぱらいに絡まれて」
自然に答え、会釈するケイ。
私も彼の咄嗟の機転に笑いつつ、頭を下げる。
「自分こそ、犯罪者じゃない」
「緊急避難の場合は、罪に問われない。しかし、みんな寝てるんだろうなー」
嫌な詠嘆をして、女子寮を見上げられた。
窓の明かりは半数以上が消え、今も一つまた一つと消えていく。
「あなたは、まだ起きてる時間でしょ」
「走る時間でもない。それじゃ」
「うん。ありがとう」
はにかむケイ。
お礼を言われたのが、恥ずかしかったらしい。
「なんで、そういう顔するの」
「礼を言われる事はしてない」
夜中の呼び出しに応じて。
遠回りとなる女子寮まで送ってくれて。
口では色々言っていても、結局はそれを気にしてはいない。
「次からは、ショウを呼んでくれ」
「あの子は、こういう時に役に立たないもん」
「人が良いからな、あれは。俺も、善人に生まれてくれば良かった」
もう一度笑い、手を振るケイ。
私も遠ざかっていく、その背中に手を振る。
少し丸まった。
だけど、ショウにも負けない頼り甲斐のある背中に。
私の気持ちに応えてくれた、優しい男の子に。