16-6
16-6
「いつからいたの?」
「ケイ君と一緒に。気付かなかった?」
「全然」
「私も隠業も、悪くはないのかな」
朗らかに笑うモトちゃん。
連合の仕事が忙しくて授業にはあまり出られない彼女。
だからこそ、少しでも出席しようとでも思ったのだろう。
私も見習いたい姿勢であり、しかし真似の出来にくい事だ。
また、それ以外の理由のために。
おそらくは、こっちが本命だと思うが。
「あれが、例の吉澤先生」
「どう?」
彼女の観察眼というか、人を見る目は誰もが認める所。
高い感応能力と、資料から相手を認識する優れた能力。
かなり興味の引かれる質問であり、それは私だけではないだろう。
特に、サトミにとっては。
「話をしてないから何とも言えないけど、優しそうね。やや内向的な感じはともかく」
「無難な答えじゃない」
苦笑気味に突っ込むサトミ。
モトちゃんは大袈裟に肩をすくめ、彼女に笑いかけた。
「エスパーじゃあるまいし、初対面で何もかも分かる訳無いでしょ。あなたのように、毎日会ってれば別だけど」
「別に、毎日は。その週に数回」
「それを普通は、毎日って言うの」
簡単にサトミをやりこめるモトちゃん。
この辺りもさすがであり、私は及びも付かない。
「今度ハンドボール部の警備が入ってるから、チェックを兼ねて体育館に行かない?」
「俺達がやるのか?」
「書類を片付けてくれるなら、私はそれでも構わない」
「行かせて頂きます」
真っ先に教室を出ていくショウ。
余計な事を言うから。
私も、喉まで出かかっていたが。
広い第2体育館。
今は半分をハンドボール部が、もう半分をバスケ部が使用中。
授業はと聞きたくなるが、試合が近いらしい。
自分達も授業は、と聞かれたら困るし。
「また来たのか」
「今日は、別件で」
この間と同じく、どこか固い会話を交わすケイと木村君。
敵意とまでは言わないが、それ程友好的な態度とも思えない。
「岩村、ガーディアンが来てるぞ」
「俺は、何もしてない」
「知るか」
木村君の呼び掛けに、こちらへとやってくるハンドボール部の部員。
かなりの長身と、木村君程ではないにしろ甘い顔。
彼よりややワイルドさがある分、好みは別れる所だろう。
「ガーディアン連合代表補佐の、元野智美と申します。今度行われる地区リーグの警備のチェックの一環として、見学させてもらってます」
「副部長の岩村です。俺はちょっと分からないんで、詳しい事はマネージャーと相談して貰えますか」
「恐れ入ります」
丁寧に挨拶を交わす二人。
他人行儀なのは否めないものの、ケイ達のようなささくれだった雰囲気はない。
「こいつはハンド部のエースだから。今の内に、それもチェックしておけば」
気安くからかう木村君。
彼の甘い顔と華やいだ雰囲気はそれを嫌みに感じさせず、むしろ嬉しくなってくるくらい。
若干ナルシストっぽいきらいはあるが、それだけの自信を持っていい容姿と実力だ。
私達に露骨な敵意の視線を向けてくるファンクラブの気持も、十分に頷ける。
「残念だけど、この子は予約済みなの」
「ふーん。惜しかったな、岩村」
「ユウ、何言ってるの」
「木村もだ。俺は何も。いや、元野さんはいい感じだけど」
さりげなくフォローする岩村君。
そういえば彼にも声援を送ってくる女の子も観客席に、ちらほらと見える。
この子も意外と、そつがないようだ。
「それはどうも。とにかく子供の冗談は気にしなくていいですから、練習にお戻り下さい」
「了解」
凛々しく微笑み、岩村君はコートへと戻っていく。
その背中を、鼻を鳴らして見送る木村君。
しかしさぼっている訳ではなく、足はかかとが浮き太股は震えている。
見た目以上の努力家らしい。
だからこそ、エースと呼ばれる立場にもあるのだろう。
「じゃあ、俺なんてどう」
「丹下さんとの話を聞きましたよ」
「沙紀の?あいつから?」
「ええ。色々と」
軽く彼を押し黙らせるモトちゃん。
優しい、虫も殺さないような微笑みと共に。
「困ったね、それは。浦田君、何か言ってくれ」
「いいんですか」
「……いや、止めてくれ」
ケイの視線から何かを感じ取ったらしく、即座に否定する。
どっちなんだ。
ただ、無難な選択ではあるが。
「どこかに、いい子でもいないかな。ねえ、雪野さん」
「はあ」
「冗談だよ、玲阿君」
「いや、俺は何も」
二人して顔を赤くする、底の浅い私達。
それにはケイも、おかしそうに笑っている。
「君も、笑うんだ」
「たまには」
「……だろうな。じゃ、沙紀によろしく。俺も練習に戻るから」
爽やかな笑みを私達に。
特にサトミへ向けて去っていく木村君。
唯一声を掛けなかったので、何かあるのかと思っていたら。
如才ない人だな。
容姿とは別に、そういう面でももてるんだろう。
「顔見せも済んだし、戻りましょうか」
「チェックは」
「もう済んでる」
サトミとケイを振り返るモトちゃん。
実際現場で動くのは私達が主だとしても、そのプランニング段階は彼女達の仕事である。
それを見越して、この二人も連れてきたという訳か。
その間に自分は軽い交渉をして、ハンド部との縁を深めているし。
やっぱり一番そつがないのは、この人かな。
自分達のオフィスではなく、モトちゃんのオフィス。
つまりガーディアン連合・G棟統括本部にやって来た私達。
すぐ側には沙紀ちゃんのオフィスもあり、いわばG棟のガーディアン組織の中枢である場所。
ちなみに私達は末端構成員なので、ここでの序列は一番下だ。
生徒会ガーディアンズのように階級がないにしろ、補佐と平では立場が違う。
「お疲れ様」
モトちゃんの執務室。
そのデスクに腰掛け、ペンを振る池上さん。
「済みません。わざわざ」
「いいのよ、どうせ暇なんだし。ね、真理依」
キャップの鍔から微かに瞳を覗かせ、すぐに視線を伏せる舞地さん。
寝てはいないが応接セットのソファーに深く腰掛け、腕を組んだままじっとしている。 普段から大人しい人だけど、最近は特に動かない。
それにもしかすると、機嫌も良くない感じがする。
初めは違うと思っていたけど、こう続くとそう考える方が自然だろう。
「何を怒ってるのかな」
「俺が知りたい」
思った通りの、私と同じ答え。
それはお互い分かっているので、特に問題ない。
答えが出ないのは問題かも知れないが。
そんな舞地さんを、離れた場所から見つめるケイ。
彼にしては珍しく、険しい視線。
険しいのが珍しいのではなく、舞地さんに対する態度としては。
知り合って1年あまり。
ケイはいつも、舞地さんを立ててきた。
口には出さないが、尊敬もしてるだろう。
私達への接し方とは違う、相手を敬う態度を崩した事はなかった。
軽い冗談はともかくとして。
そして今は、冗談をかわしている場面ではない。
それを気にしてるのは私くらいなのか。
みんなはそれぞれで固まり会話を続けている。
私とショウ。舞地さんと池上さん。名雲さんと柳君、サトミにモトちゃん。
一人離れて、ケイ。
「腹減ったな」
みんなに聞こえるような声で、そう口にする名雲さん。
ショウが笑い、それに乗る。
「俺も」
「お昼前ですけど、何か買ってきましょうか」
丁寧に申し出るモトちゃん。
名雲さんは小さく唸って、首を振った。
「いや、いい。面倒だし、元野さんは仕事もあるだろ」
「だったら、私が行ってきます」
苦笑気味に申し出るサトミ。
表情が変わったのは私とショウくらい。
モトちゃんは勿論、舞地さん達はわずかにも揺るがない。
「悪いな」
「モトは駄目で、私は使いっ走りですか」
「もう、聡美ちゃん拗ねないの。私も一緒に行くわ」
「済みません。適当に買ってきますね」
嬌声を上げながら、執務室を出ていく二人。
ガーディアンもそれとなく警備してるし、池上さんも一緒なら心配ないだろう。
人数はいるものの、静かな室内。
会話のトーンは抑え気味で、その場から動く人もいない。
緊張感とでもいうんだろうか。
妙に張りつめた空気。
池上さんの言葉に、生返事を返す舞地さん。
一人壁にもたれ、彼女の様子を窺うケイ。
そしてと言うべきか。
舞地さんが立ち上がる。
「何か用でも」
「俺が聞きたいですね」
木村君との会話以上の、厳しい口調。
すでに窺うという物ではなく、正面から彼女を睨み付けている。
「一応は俺達と契約してるんだし、少しくらいは動いて貰えますか」
「契約したのは名雲で、私は頷いただけだ」
鼻でくくったような返答。
ケイの険しい物腰も意に介さず、醒めた眼差しで彼を捉えている。
「やりたいなら、何でも好きにやればいい」
全員が表情を変えるような一言。
「舞地さん、それは」
「遠野に一言言えば済む話だ。気を遣うのは勝手だけど、また襲われたらどうする」
「そうしないために、私達は」
「だから、好きにすればいいと言った」
突き放した態度。
全員が彼女を、不安げに見つめる。
ただ一人、ケイを除いては。
「分かりました。あなたには頼りませんから、好きにして下さい。俺達も、勝手にやります」
「初めからそう言ってる」
「それと、余計な事をサトミに言わないように」
「勝手にすれば」
微かにも関心を見せない舞地さん。
ともすれば反発とも思えるような態度。
「何が気にくわないか知らないけど、邪魔はしないで下さい」
「まどろっこしい事をしてると思ってるだけだ。あの子を囮に出もして、犯人を誘き出せば済む」
「それが、渡り鳥の考え方ですか」
「悪い?」
鋭く対峙する二人。
重く、険悪になる室内の空気。
壁から離れ、一歩前に出るケイ。
それに合わせ舞地さんも、足を前に出す。
張りつめる二人の佇まい。
「ちょっと」
「おい」
舞地さんを止めに入る、モトちゃんと名雲さん。
ケイの方は、ショウと柳君が肩を押さえる。
「何もしない。私は」
「いいですから。ケイ君も落ち着いて」
「落ち着いてるよ、俺は」
警棒に触れていたケイの手を柳君が掴み、それとなく離させる。
舞地さんの方は、名雲さんが。
些細な考え方の違い。
言葉の行き違い。
それがどうもつれたのか。
敵意を隠そうともせず、二人は激しく睨み合っている。
「お待たせ……。どうかした?」
明らかにおかしい室内の様子に、怪訝な表情を浮かべるサトミ。
池上さんは全体に視線を走らせ、最後に舞地さんへ目を留めた。
モトちゃんと名雲さんに前をふさがれている彼女に。
「ケンカ?」
「そうじゃない。少し言い合っただけ」
短く答え、二人をかわしてドアに向かう舞地さん。
その背中に、ケイが声を掛ける。
「さっきの話。覚えてて下さい」
戻らない返事。
ケイもそれを期待していなかったのか、鼻を鳴らしてショウを見上げた。
「手」
「あ、ああ」
彼の肩を押さえていた手を離すショウ。
柳君はすでに離れているが、表情は例えようがないくらいに不安げだ。
「何を揉めてたの」
「大した事じゃない。仕事をするしないで、軽く言い合っただけ」
動揺の素振りを見せず、淡々と答えるケイ。
サトミの鋭い眼差しにも、微かにも態度は変わらない。
「良く分からないけど、ちゃんと舞地さんの言う事聞きなさいよ」
先程の経緯からすれば、やや的はずれな言葉。
それでもケイは真面目な顔で頷き、彼女が提げている袋を指差した。
「おにぎりとパン。後は、おかずが少し」
袋を開けて中身を少し手にしたケイは、それをリュックに詰めだした。
「どこ行くの」
「舞地さんに渡してくる」
「そうね。私も行きましょうか」
「いや」
手を振り、部屋を出ていくケイ。
その背中をじっと見つめるサトミ。
何かを言いたげに。
胸に募っている思いが、私からも見て取れるくらい。
でもその口から言葉は、一言も発せられない。
「俺達も食べようぜ」
「そうね」
袋を開けて、中身を机に置いていく名雲さんと池上さん。
先程までの事を引きずっている様子はなく、無理して明るく振る舞ってる訳でもない。
内心はともかくとして、それを表に出してはいない。
でも私は。
「どこ行くの」
「お茶買ってくる」
「あるじゃない、ここに」
「違うのが飲みたくて。すぐ戻る」
自分でも気付いている無理な言い訳をして外に出る。
廊下を左右見渡し、右へ向かう。
深い理由はないが、一番近い教棟の玄関はこっちにある。
階段を駆け下りていくと、聞き慣れた声が響いてきた。
抑え気味に何かを言い争っている男女。
階段の手すりに手を掛け、下を覗き込む。
一人はキャップを深く被った舞地さん。
もう一人は、ビニール袋を彼女へ差し出すケイ。
位置はここから、2階下。
何を言っているのかは聞こえない。
刺々しい雰囲気の他は。
思わず息を呑み、手すりを強く握り締める。
ケイへ伸びる、舞地さんの手。
胸元を突かれ、後ずさるケイ。
その勢いと共に、手から離れるビニール袋。
おにぎりが床へ転がっていく。
ケイを一瞥し、階段を下りていく舞地さん。
それを追う事もなく、屈んでおにぎりを拾うケイ。
声の掛けようもない場面。
とても今は……。
「何してるの」
「わっ」
後ろから、私の肩を掴むサトミ。
下の出来事に集中し過ぎて、全く気付いてなかった。
「お茶は?」
「え?」
思わず聞き返し、すぐに手を振る。
サトミもその辺は分かっているらしく、大袈裟に小首を傾げた。
「今から、今から買いに行く」
「自販機は上にもあるでしょ。それに、ケイ達は」
「さ、さあ」
さすがに下は見ず、後ろを向いて彼女を押し返す。
いくら何でも今のケイを見たら、不審を抱くだろう。
普通ではない状況だと。
それ以上考えられたら、私達の気遣いも意味が無くなる。
舞地さんからすれば馬鹿馬鹿しい事でも、少なくとも私にとっては重要な事だ。
「どこ行ってたの」
「逃げられた」
後ろから聞こえるケイの声。
手には重みを感じさせるビニール袋。
つまり舞地さんに渡せなかったと、素直にサトミへ告げている。
「怒らせたら駄目じゃない」
「俺に命令されて機嫌が悪いんだろ」
いきなり話し始めるケイ。
慌てる私と、訝しむサトミ。
彼は鼻を鳴らし、階段を登っていく。
「ガーディアン統合の際には、連合の人間が上に立つ事もある。そのテストケースとして俺達が選ばれたんだけど、見ての通りだ」
「そんな話、聞いてないわよ」
「生徒会長からの個人的な話。サトミだって、天満さんから頼まれた事をいちいち俺に報告しないだろ」
「そうだけど」
若干の疑問を残しつつ、取りあえずは納得した様子のサトミ。
しかしケイも、咄嗟によく。
いや。こうなる事を予想して、あらかじめ考えていたのかも知れない。
どちらにしろ、私には真似の出来ない事ではあるが。
重い空気のまま食事を終える私達。
誰もその事について何も言わない分、余計に気まずさが募る。
気にしているのは私だけかも知れないにしろ、いい事とも思えない。
舞地さんについて何かを言うのは簡単だけど。
それによって引き起こされる結果は想像出来ないし、まとめる自信もない。
無責任に発言も出来ず、でも結局は現状を無責任に見過ごしているだけだ。
またこうなった責任が誰にあるのか。
そもそも、責任という話なのか。
分かっているのは私がこうして悩んでいても、何一つ解決しないという事だ。
「……これって」
「どうした」
「いえ、この人が」
執務用のデスクにある卓上モニター。
そこに表示される、分割画面。
おそらくは、玄関ドア前の監視カメラだろう。
青白い顔と、長い髪。
陰気な顔をした男が、じっとドアを見つめている。
それこそ、その向こうを覗き込んでいるような眼差しで。
冗談ではなく、全身が総毛立つ気分。
ついモニターから目を背け、息を整える。
「気持ち悪い奴だな」
「名雲さん、ストレート過ぎますよ」
「じゃあ、どうして声を出した」
「同じような感想を抱いたので」
冗談っぽく答え、端末に話し掛けるモトちゃん。
ドアを警備しているガーディアンと連絡を取っているようだ。
「何か聞きたい事がある人は?」
「IDチェックは行き過ぎとして、挨拶程度に何してるか聞いてくれ」
「了解」
その旨をモトちゃんが告げると、男は近寄ってきたガーディアンに俯き加減で何かを話している。
彼女の配慮か音声はオフになっていて、こちらまでは聞こえない。
「たまたま側に来ただけで、他意はないと。ドアを見てたからおかしいとは、さすがに言えませんからね」
「身元は……。これか」
画面脇に表示される、男のプロフィール。
2年の生徒で、生徒会や自警局の監視対象にはなっていない。
賞罰も無し、成績がやや良。
それ以外に、これといった記述はない。
「外見だけで判断してもあれですし」
「しかし、ここまで行くと違うだろ」
「そうですけどね。……ユウ、どうかした」
不思議そうに尋ねてくるモトちゃん。
私は肩を押さえていた手に力を込め、震える体を押さえつけた。
「女子寮で見た事がある。それも、遅い時間に」
一斉に表情を変えるみんな。
私はすぐに首を振り、指だけをモニターへ向けた。
「一緒に女の子がいたから、警備員さんも何も言ってなかった。脅されてた様子もなかったし」
「どちらにしろ気を付けた方がいいわね。聡美ちゃんもこの前襲われたんでしょ」
「ええ。でもあれは、ただの悪戯ですよ」
「だとしても。こんなのが寮に入り込んでるんだから、注意してなさい」
さりげなくたしなめる池上さん。
それにはサトミも、殊勝な顔で頷いている。
彼女が対象となっているとは告げず、あくまでも一般論的な形での警告。
これでサトミも、少しは警戒するだろう。
「おかしな奴は、どこにでもいる。なあ、浦田」
「傭兵とかいって、好き勝手暴れ回ってる連中もいますしね」
即座に返すケイと、薄く笑う名雲さん。
鋭く見つめ合う二人。
かなり芝居がかった、冗談めいた雰囲気で。
それが良かったのか、ようやくみんなの表情が和み出す。
「……僕の事?」
そんな中。
寂しそうな顔をして、ケイに歩み寄る柳君。
切ない、憂いを帯びた表情。
すがるような眼差しで。
「い、いや。そうじゃなくて。名雲さん」
「俺に振るか。あのさ。おかしなのは浦田で、お前は違うって」
「でも」
「何でこうなるかな。おい、池上」
「知らないわよ、そこまで」
あっさり突き放す池上さん。
柳君は彼女にも、上目遣いで笑いかける。
薄い、物悲しい表情で。
「やめてよ、もう。嫌な子ね」
「やっぱり僕が」
「ち、違うって。いつからそういう事覚えたの」
「先輩が先輩ですから」
他人事のように鼻で笑うケイ。
困惑する名雲さんと池上さん。
そして一人で勝手に落ち込んでる柳君。
笑えないんだけど、ちょっとおかしい光景。
先程の重さとは違う、暖かな空気。
「子供じゃないんだから」
ため息を付き、頬杖をつくモトちゃん。
サトミがその肩を揉み、耳元へ顔を寄せた。
「あなただって、昔は拗ねてたじゃない。お父さんが、お父さんがって」
「あれは、その。子供だから」
「柳君だって、まだ子供よ。私達だって」
優しい、思いを込めた一言。
その言葉の意味は私にはよく分からなくて。
でもサトミはどこか嬉しそうで。
切なげだった……。
その日の夜。
女子寮のラウンジで、ペットボトルを前に一人佇む。
モトちゃんや沙紀ちゃんはまだ学校。
サトミは彼女達を手伝っているんだろう。
それとも、あの先生の所へ。
どちらにしろ、襲われる危険は無い。
後者の方は、少し複雑な気分だが。
まだ早い時間。
友人同士会話を楽しみ、笑っている女の子達。
時折カップルも見られ、彼女達は完全に自分達だけの世界を作り上げている。
自室にいればいいんだけど、そういう光景を見るのも私は好きだ。
幸せを形にしたら、目の前に表せといわれたら。
私は間違いなく、この光景を指し示す。
自分もこうでありたいと思う、みんなの事を。
「何、黄昏れてるんですか」
「え?」
目の前に置かれるペットボトル。
すぐにお下げ髪の女の子が、その向こう側に座る。
「肩凝ってない?」
言葉と同時に、肩を揉まれる感覚。
「渡瀬さん、神代さん」
「こんばんは」
揃って挨拶をする二人。
赤と黒のジャージ姿で、渡瀬さんはまた寮に泊まるようだ。
「あなた達、仕事は」
「終わりました。雪野さんこそ」
「最近は、早く終わる事にしてるの」
「ふーん」
何か言いたげに、私の隣へ座る神代さん。
難しい、憂いを帯びた横顔。
その理由を、自分なりに考えてみる。
「……あたしも遠野先輩と同じで、襲われた経験があるから。他人事とは思えない」
自分から語られる理由。
本人は口にしたがらなかった、今もあまり話したくないだろう出来事。
その事実を受け止めるとは別に、忘れた方がいい事だってある。
彼女にとってはきっとそれで、私にだって無くはない。
その逆に、忘れてはいけない事も。
「今は、大丈夫なの?」
気遣うような顔で尋ねる渡瀬さん。
神代さんはすぐに破顔して、手を振った。
「あたしを襲ったのは、ガーディアンを狙ってたただの馬鹿。先輩と一緒に全員捕まえて、その後は襲われてない」
「ならいいけど。ただガーディアンだったら違う奴にも狙われる可能性があるし、気を付けないと」
「だからあたしは、事務をやってるの」
「あ、そうか。じゃあいいや」
簡単に納得して、嬉しそうにペットボトルを傾けている。
本質的な事を言えば事務も現場も襲う方は区別してないんだけど、今言わなくてもいいだろう。
神代さんもそれを分かっているのか、苦笑気味に私に手を向けた。
「でも、遠野先輩なら狙われるも分かるかな」
「何よ、私は駄目だっていうの」
「そういう意味じゃなくて。いや、そういう意味なんだけど」
困惑する神代さん。
私もあまり突っ込むと自分が情けなくなるので、荒っぽくお茶を飲む。
「女から見ても綺麗でスタイルが良くて、頭も良くて。それに、優しいし」
上目遣いでつらつらと彼女の誉め言葉が語られる。
一番最後のは、納得出来ないが。
「どこが優しいのよ。いつも怒ってるじゃない」
「それは、雪野さんに問題があるのでは」
ストローでアイスココアを飲みつつ、冷静に指摘するお下げ髪の女の子。
たまにこの子は、ちくちくと来るな。
本人は、そういう気は無さそうだが。
だからといって、こっちが堪えない訳じゃない。
むしろ、却って堪える。
「私、変な事言いました?」
しばしの沈黙に、渡瀬さんが顔を上げてこちらを見てくる。
何を言ったかも、よく覚えてないらしい。
そのくらい自然に出てくるという事は。
私はそういう目で、普段から見られている訳か。
自分でも、十分納得出来るけど。
「あんたも、さらっと厳しいね」
「何が」
「もういいよ。ねえ、先輩」
「知らない」
がっとお茶を飲み干し、ペットボトルを逆さに振る。
一滴も出てきやしない。
意味もなく腹が立つ。
「あの、舌を出さないでもらえます」
「うるさいな」
「は、恥ずかしい。ナオー」
「あたしだって恥ずかしいわよ」
失礼な後輩達だな。
先輩が黒と言ったら黒だって答えるくらい、従順になってよね。
私だって塩田さんにはもっと素直に。
振る舞ってないか。
「あーあ」
「こっちが言いたいよ」
「本当。遠野さんも大変だね」
呆れられた。
後輩に。
「あなた達はあの子の事知らないから、そう言うのよ。サトミだって、結構馬鹿なんだから」
「学内トップですよ」
「勉強じゃなくて、普通の生活で」
「お茶が出ないからって、舌を出すよりはいいと思う」
先輩を立てるという事を知らないな。
私も知らないけど。
人間人の背中を見て育つと言うが、この子達はどんな先輩を見てきたんだか。
いや。
神代さんはともかく、渡瀬さんの先輩は沙紀ちゃんだ。
あの子は普通で、おかしい事をする子じゃない。
じゃあこの子達がこうなのは、誰に問題がある。
今、身近にいる先輩は。
……深く考えないでおこう。
「さてと、部屋に戻ろっと。二人も、早く寝たら」
「お茶おごってよ」
「私、麦茶」
すがるな。
それも左右から。
でもなんか、思い出さないでもない
サトミやモトちゃんに対する、自分を。
少し、生き方を考えた方が良さそうだな。
「分かったわよ、もう。お茶だけだからね」
「さすが先輩」
「頼りになります」
素直に礼を言い、嬉しそうに笑う二人。
先輩、か。
年齢以外に、私がそう呼ばれる資格があるかどうかは分からない。
でもこの子達のためなら、そう呼ばれるだけの事はしてもいいと思う。
こうしてお茶をおごる程度ではなくて。
塩田さんが自分にしてくれたように。
私も、そうなってもいいんだろう。
ただ。
年だけを重ね、それ以外は何一つ及ばない今の自分。
屋神さん達のしてきた事については、言葉もない。
敵わない。
そう分かっていても。
例え彼等には及ばなく、届かなくても。
自分に出来る精一杯の事を、この子達にしてあげたい。
私の隣で幸せそうに笑っている二人に、その思いを深くする……。
思うのは簡単で、成し遂げるのは難しく。
身近にいるサトミすら、私はその手を掴めているのかどうか。
少し難しく考えながら、空いている彼女の席を見る。
正確には、いつも彼女が座っていたオフィスの席を。
今日もいないサトミ。
手伝いは終わったが、また遊びに行っているようだ。
一応顔を出し、書類を片付けてはいった。
不満はないし、本来私がやるべき分までこなしている。
パトロールや緊急時の出動では、他のガーディアンの助けを借りれば事足りる。
文句の言いようがない。
理屈では。
感情では違うからこそ、私は彼女の椅子を見つめている。
あの子の居場所は、果たしてどこなのか。
本人はここだと言っていたけれど。
生徒会からの誘い。
大学院や、一流企業からも。
そういった能力に対する求めだけではなく。
遠野聡美という人間を求める人もいる。
彼氏がいると一応は知れ渡っているいるため、直接に言い寄ってくる者はさすがにいないが。
メールなどで内密に連絡を取ろうとする者は、後を絶たない。
そして今、彼女はどこにいるのか。
優しい笑顔。
普段は滅多に見せない、柔らかな雰囲気。
それを、誰に見せているのか。
あの子の居場所は、本当にここなのだろうか。
「……了解」
「なんだって」
「例の先生の部屋に入ったまま。この間手伝った生徒達で、最近はいつもそうらしい」
「なるほどね」
ストレートに、納得がいかないという態度を見せるショウ。
彼がヒカルと仲がいい事だけでなく。
付き合っている人がいるのにどうしてと思っているのだろう。
サトミと吉澤先生が付き合っていると見るのは飛躍し過ぎだと思うが、サトミの彼に対する接し方は確かに疑いを抱きたくなる。
「気にくわないって?」
腕を組み背もたれに身を任すケイ。
ショウは首を振り、サトミの席を指差した。
「そうじゃなくて。ここの仕事はともかく、ヒカルもいるんだし……」
「サトミが襲われなければ、それでいいだろ。誰と付き合おうと、どうしようと」
「お前、本気で言ってるのか」
怒るのではなく、本心を確かめるような口調。
ケイは微かにも表情を変えず、さらに深く腰掛けた。
きしむ背もたれの音が、静かな室内に響く。
「その判断は、サトミ自身がする事だ。部外者の俺達が、あれこれいっても仕方ない」
「だけど」
「こういう言い方は俺も好きじゃないが……。例えば、ユウと付き合ってる?って聞かれたらどう思う」
「い、いや、それは」
途端に慌てるショウ。
その反応を当然のように見つめるケイ。
「サトミだって同じさ。こういう事で、とやかく周りから言われたくないに決まってる。あの子自身が困ってるとか、相談したがってるのならともかく」
「今は違うって言うのか」
応えは返らなく、ショウも腕を組んで小さく唸る。
私は、何も言いようがない。
考え方としてはショウと同じ。
でも、ケイの言う事も良く分かる。
何が正しいとか間違ってるではなくて。
大切なのは、あの子の気持。
理屈では、そうなる。
私の気持ちは違うと、心の奥で告げているが。
理屈と感情。
そのどちらを優先するべきなのか。
この場合は、私のわがままを……。
「よく、そこまで割り切れるな。いや、悪い意味じゃなくて」
「ヒカルと一緒にいて、サトミが幸せっていう保証は誰が出来る?」
「それは……、やっぱり本人だろ」
「じゃあ、どこかで線を引くしかない。俺は手前で引いてるだけで、ショウやユウだってその位置がずれてるだけの話」
冷淡とも言える、しかし否定も出来ない話。
ショウの言う通り幸せは自分が感じる物で、人の意見に左右される類ではない。
私が人の笑っているのを見るのが幸せなように、他の人には違う事が嬉しく思うだろう。
価値観の違い、とでもいうんだろうか。
重なり合っている部分が多いとしても。
私は私で、サトミはサトミ。
ショウの時にもそう感じたように。
私達は同じではない。
一緒だと思っていても、思いたくても。
別な思いを抱くのは、どうやっても覆せない。
「でも……。だからって、私は素直にそうだって言えない」
「それも、俺からあれこれ言う事じゃない。つまり、ユウとサトミの問題だから」
「友達同士の事も?」
「ある意味光との関係以上だと、俺は思ってるけどね」
ほんの少し。
知らない人なら気付かないくらい優しくなる、ケイの眼差し。
彼の言葉とは違う。
彼の気持ち。
人には見せないその心の内側を、ほんの少しだけのぞかせる。
「……というか、俺に男女の話を聞かれても困る」
照れたような顔。
それが演技ではないと、私にも良く分かる。
知らない人でも勿論。
「どうでもいいだろ、全く」
「お前は寂しい生き方してるな」
「先生程もてないんでね」
「いや。俺もそういう話は、得意じゃないけど」
不毛な会話を交わす二人。
とはいえ私も得意ではないので、聞こえない振りをして雑誌に視線を落とす。
レインコート特集?
ああ、もうすぐ梅雨か。
しかしわざわざ特集するような事かな。
大体私なんて、そんなの着た日にはてるてる坊主と間違えられる。
「雨だよね」
「何が」
「え。いや、そろそろ梅雨だなって」
「休み以外は建物の中にいるんだし、問題ないだろ」
情緒のない事を言ってくるケイ。
理屈ではそうだけど、もう少し感情に伝わってくる何かがあると思う。
それが何かと聞かれると、答えられないとは分かっていても。
「ユウは、感受性が高いんだよ」
面と向かって、そんな事を言ってくるショウ。
恥ずかしい人だな。
嬉しいけどさ。
どっちなんだと自分に突っ込み、さらに顔を伏せる。
「この前頼まれたのはハンド部だから、室内だな」
「時期的には水泳部なんてやりたいね、俺としては」
嫌な笑い方。
ここがプールサイドだったら、間違いなく突き落としているだろう。
「夏休みは、まだまだ先だね」
「その内、嫌でも来る。そうして人は年を重ねていく。で、気付いたら棺桶が見えてるって話だ」
「馬鹿」
そう突っ込みつつ、なるほどとも思う。
ずっと同じと思っていても、時が止まっている訳ではなく。
年を取り、少しずつ変わっていく。
生活も、環境も、自分自身も。
それに気付かないだけで。
去年の私と今の自分。
外見は同じだろう。
でも、心の中は違う。
色々な事があり、少しずつ変わっていった。
きっとそうとは気付かないままに、人は年を取っていくのだろう。
「またマンガか」
呆れるショウを無視して、マンガを読み始めるケイ。
……この人は、外見も中身も全く変わってないようだ。
せっかく少し見直したのに、これだから。
「ケイは、全然変わらないね」
「俺が真面目になっても気持ち悪いと思って」
「今でも気持ち悪いぞ」
楽しそうに笑うショウ。
私も一緒になって笑う。
「言ってろ。しかし、最近は全然トラブルがないな」
「サトミの警備でガーディアンが出てるからだろ」
「いい事じゃない」
しかしケイから返ってきたのは、曖昧な笑み。
こちらに答えを預けたようにも見えるし、違う考えがあるようにも思える。
「何よ」
「ガーディアンのIDがあるからトラブルの抑止力になると思ってたけど、身元を隠して警備するのも悪くないと思って。普段は大人しいと思える連中が、意外とおかしな事をやってるのが分かるかも知れない」
「そんな真似までする必要はないだろ」
「俺達は。ただ、自警局辺りでそういう案が出たらどうする。秘密警察ばりに、生徒会へ反抗する連中を取り締まる部門と作るとか」
彼にしては軽い冗談。
私達にとっては、言葉も返せないような発言。
やはりこの人は変わらない。
変わる必要がないのかも知れない。
だけど私は、まだ変わるだろう。
自分では気付かない内にも。
何のためにという事だけではなく。
それが人であり、生き方なんだと思う。
ケイだってきっと、その例外ではないはずだ。
今の彼と昔の彼は、確かに変わっていない。
でも私達には気付くくらいの、微妙な違いはある。
ずっと側にいたからこそ分かる、彼の成長とも言える証。
彼だけではなく、ショウもモトちゃん達も。
サトミも。
今、確実に変わっている彼女。
それがいい事なのかどうか、私には分からない。
時が止まらないように。
彼女が変わっていくのを止める事は出来ない。
私はそんな姿を見守るだけで。
私は私。
彼女は彼女。
その気持ちに立ち入る権利は、私にはない。
あの子がまだ、どうなると決まった訳でもないんだから。
そう言い聞かせる、今の自分。
変わっていく彼女と。
変わらない私の考え。
サトミを思う気持。