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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第16話
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16-5





     16-5




 掛け声と歓声。

 ボールが行き交い、激しいボディチェックが行われる。 

 ボールを抱えて踏み切るプレーヤー。

 それを遮る長い腕が、周囲から覆い被さる。

 しかし。

 プレーヤーは宙で身を翻し、空気を止場にしたような動きを見せてその腕から逃げ去った。

 力強い動きと共にネットに収まるバスケットボール。 

 優雅に舞い降りた少年は、前髪を横へ流して汗を散らした。

 観客席から巻き起こる拍手と歓声。

 一瞬そちらへ視線を向け、甘い微笑みを浮かべてプレーに戻る。


「格好いいね」

「ああ」

 素直に感心するショウ。

 いいんだけど、少しくらい否定してよ。

 どうも自分の格好良さを、いまいち分かってないな。

「お前、バスケ部に知り合いなんていた?」

「俺じゃなくて、丹下の。……済みません」

 マネージャーらしき女の子へ声を掛けるケイ。

 彼女はこくりと頷き、メガホンで名前を呼んだ。

「どうした。……君は」

「どうも」

「確か、浦田君だったっけ。沙紀の知り合いの」

 意味ありげに笑う木村君。 

 先程華麗なシュートを見せた、バスケ部のエース。

「沙紀とデートでもさせてくれるって」

「それは、丹下さんと交渉して下さい」

「冗談だ。で、用は」

「ファンクラブの人に話をしたいんですけど、いいですか」

 観客席を仰ぎ見るケイ。

 50人以上はいるだろう、黄色い声援を送る女性達。

 その半数が、この木村君のファンらしい。

「いちいち俺に断らなくてもいいと思うけど」

「SDCの幹部でしたよね。今SDCに協力してもらってるので、その挨拶をとも思いまして」

「ああ、聞いてる。バスケ部は主流派じゃないし、こっちは命令に従うだけだ。動員されるのも、格闘系クラブだろ」

 関心の無さそうな態度。 

 ただその綺麗な瞳は微かな鋭さをはらみ、ケイの胸元辺りを捉えている。

「それで、誰に会いたいんだっけ」

「久居さんっていますか。内局の」

「ああ」

 引き締まった腕が伸び、観客席であくびをしていた女の子が指を差される。

「あの子だ。久居さーん、ちょっとー」

「済みません」

「いや。また、試合に見に来てくれ。沙紀とでも一緒に」

 甘い笑顔。

 どこか寂しさを感じさせる、透き通った。


 少しして、セミロングの綺麗な女の子がコートへと降りてきた。

 木村君と話しているのも当然チェックしていたらしく、彼に挨拶してこちらへと向かってくる。

「私に、何か用」

 落ち着いた声と優しげな眼差し。

 ケイは軽く会釈をして、自分の名前を告げた。

「久居さんが今年になって関わった、学内イベントが幾つかありますよね。その参加者のリストを閲覧したいんですが」

「いいわよ。内局に連絡しておくから、そこか情報局でチェックして」

「ありがとうございます」

「あなたって、生徒会の人間を何人か退学にした人でしょ。そんな生徒会の内部にまで関わってもいいの?」

 からかい気味の口調。

 ただ視線は木村君同様、かなりの鋭さを含んでいる。

「色々と事情がありまして」

「らしいわね。で、丹下さんは」

「彼女は生徒会ガーディアンズの幹部ですから、忙しいんです」

「たまに、ここで見かけるのは気のせいかな」 

 くくっと笑う久居さん。

 ケイは顔色一つ変えず、わずかに口元を緩めただけだ。

「知ってるって顔ね」

「彼女が何をしようと、俺が干渉する事ではないので」

「冷たいのか、理解してるのか。エアリアルガーディアンズにいるのも、この子達の友人だからって理由だけじゃ無い訳ね」

 冷静な推測。

 やはりケイは、何も応えない。

「副会長名っていうのが少し気になるけど、会長は関わってないの?」

「許可を得る程でもない案件ですから。話は通してあると伺ってます」

「生徒会全局に有効な協力要請書か。さしずめ、会長代理ね」

「書類上は」

 お互いを牽制するような、厳しさをはらんだやりとり。

 その理由は私には分からないが、彼等には彼等なりの理屈や理由があるのだろう。

「内局には連絡をしておくわ。丹下さんによろしくね」

「はい。それでは、失礼します」

「最後まで、敬語だったわね」

 薄く笑う久居さん。

 ケイは丁寧に頭を下げ、コートを去っていく。

 その内心を見せないままに……。



「お揃いで、どうかした」

 腰を叩き、軽く伸びをするニャン。

 体育館からグラウンドへと移動した私は、陸上部の練習スペースへとやってきていた。

「黒沢さんいる?」

「いるよ。おーい」 

 ニャンが手を振ると、黒髪を翻した綺麗な女性がこちらへと歩いてきた。

 すらりと伸びた手足、スレンダーな体型。

 サトミよりも大人びた、凛とした顔立ち。

「優さん。どうかしたの」

「うん。ちょっと事情があって、SDCに協力してもらうから、挨拶にと思って」

「そういえば、格闘系クラブを多少動員するとか。あまり楽しくない状況のようだけど」

 説明しなくてもいいという顔。

 私は小さく手を挙げ、友達の気持ちに応えた。

「今日は走らないんですか」 

 華奢な女の子が、不安そうに私の肩に触れてくる。 

 私はそこに手を重ね、首を振った。

「また、今度ね。今、ちょっと急いでるの」

「はい。じゃあ、また来て下さいね」

「うん」

 二人で頷き合い、私は彼女達に別れを告げた。

 心地いい、自分のもう一つの居場所から。

 戦いの場へと……。




 自分のオフィスに戻り、スティックを調整する。

 バランスを、やや前に。

 重くはなるが、威力は増す。

 パワーリストで手首を固め、軽く振ってみる。

 思った通りの感覚。

 気持を整え、サイズを元へ戻す。

「負荷のかけ過ぎじゃないのか」

「大丈夫。手首もちゃんと鍛えてあるから」

 不安げなショウに笑いかけ、オープングフィンガーローブもチェックする。

「気合いを入れ過ぎるなよ。相手が誰かも、まだ分かってないんだろ」

「何かしてないと、落ち着かないんです」

「そうか」

 止めはしない名雲さん。

 その視線が、私からケイへと移っていく。

「わざわざ済みません」

「いや。で、用は」

「この間、俺達は名雲さんと契約して働いた。その報酬として、今度は俺達と契約して働いて下さい」

「ああ。いいな、舞地」

 無言で頷く舞地さん。

 ただ顔を伏せ腕を組んだままで、あまり関心は無さそうだ。

「でも遠野が、素直に言う事聞くか?」

「体調が悪い事を理由に、出来るだけ付き添うようにします。実際に、そうなんだし」

「それで、俺達はどうする」

「舞地さんと池上さんは、今言った通りサトミのガード。名雲さんと柳君は、リストアップした人間に聞き込みをして下さい。おかしな奴もいるので、そのつもりで」

 静かに指示するケイ。

 名雲さん達も、黙ってそれを聞いている。

「犯人のめどは」

「分かってたら捕まえてます。勿論、調べてはいますけどね」

「俺達にも、手の内は明かせないって?」

「まさか。何か分かれば、真っ先に報告しますよ」

 視線を交わし合う二人。

 しかし先にケイが視線を逸らし、端末を手に取った。

「サトミは今、例の先生の学会に行ってます。神代さんが地理を取ってるので、渡瀬さん達をガードに付けてます」

「連絡は」

「定時連絡では、問題なし。リスト対象者も見かけてません」

「普段から、そのくらい積極的になったら」

 苦笑気味に指摘する池上さん。

 ただ口調は諦め気味で、ケイの答えを待っている様子はない。 

 またケイもそれには言葉を返さず、端末に入ってきている情報を読んでいる。

「……木之本君、ちょっと来て。……出来れば、端末を持って。……うん、頼む」

「何するの」

「内局のリストをチェックする」


 間を置かす、卓上端末を抱えてやってくる木之本君。

 ケイはお礼を言って、数枚のDDを彼の前に置いた。

「全部のイベントで、重なってる人間を調べて。その後は、映像とリンクさせて」

「少し時間が掛かるよ」

 起動する端末。

 DDのデータがワイヤレスで読み込まれ、幾つかの名前がリストアップされる。

「画像は……、これだね」

 画面の中で、めまぐるしく動いていく大勢の人。

 どこかで見た場所もあれば、知らない場所もある。

「これって」

「サトミが今年に入って警備したイベント」

「検索完了。見てみようか」

 ケイを見上げる木之本君。

 彼はすぐに頷いて、画面に見入った。

 複数に分割される画面。

 その中で、小さく動いている何人もの人間。

 また分割された画面の下には、幾つもの情報が表示されている。

「……やっぱり特に、問題ない」

「問題って、何」

「おかしな素振りはしてないって事。身元を明かして参加してる人間だから、こっちは大丈夫だと思ってた」

 淡々と返してくるケイ。

 分かっているのに、あちこちに頼んで調べたというのか。

 勿論その方が確実ではあるだろうけど、手間が掛かり過ぎる気がする。


「こういうのは、可能性を一つ一つ消して行くのよ」

「池上さん」

「次は、全映像で重なってる人間をリストアップ。今の対象者を除いて」

 再び検索される画面。

 先程よりも長い時間。

「……出来たよ。何人か、リストアップされてる」

「名前は分かる?」

「情報局のデータとリンクすれば可能だろうけど。僕のパスじゃ」

「分かった。池上さん」

 軽く手を挙げ、端末を使い出す池上さん。

 木之本君の画面に情報局のデータベースが表示され、生徒の個人データへと移行した。

「大丈夫。直属班の権限で、閲覧可能だから」

「分かりました。……出てきた。データは、これ」

「リストアップした人間の映像を見せて。……いるな」 

 赤く点滅する、一部の分割画面。

 ケイは体を傾け、私の視線を遮った。 

 彼の意図は以前聞いたので、こちらも体を引く。  

 自分も、あの嫌な笑顔を見たくはないし。

「俺の知らない奴だな。あいつからもらった紙が……。どう思います」

「特徴は、ほぼ一致するわね。木之本君は?」

「僕はからは、何とも」

「なるほど」

 池上さんは「らしいわね」と呟き、瞳に力を込めた。

「この男は、聡美ちゃんを撮影してるのかしら」

「セオリーですよ。次は、全部に出席してないない人間を、回数が多い順に。もう少しして慣れたら、俺一人でやる」

「いいよ、浦田君。僕も、少しくらいは頑張るから」

「ああ」 

 彼の肩に手を置き、画面へ顔を近づけるケイ。

 木之本君も真剣な面持ちで、キーを操作していく。


「情報戦って訳か」

「私には、分からない」

「俺もさ。こういう事をやる奴の気も」

 難しい顔でため息を付くショウ。

 それは私も同じ気持ちだ。

 素直にではなく、婉曲にでもなく。 

 内にだけこもった感情。  

 この前暗闇で会ったあの男の緩んだ口元を思い出すと、背筋が寒くなる。

 同じ人間とは思えない、今までに見た事もない笑い方。

 だけどもし、あれが人の本性だとしたら。

 私は何を信じたらいいんだろうか……。



「ただ探すのはともかく、その後は任せろって話だ」

「え」

 自信に満ちた、力強い表情。

 彼も今、何かをしている訳ではない。

 ケイ達の様子を眺めるだけで、口すらも挟まない。

 だけど。

 彼は、少しも揺らいではいない。

 自信も、信念も。

 自分のするべき事を、見失ってはいない。

「そう、だね」

「それしか出来ないって気もするけど」

 面白く無さそうに笑うショウ。 

 私はその肩に触れ、視線を伏せた。

 何があっても信じられる存在に……。




「浦田さんは」

「今、出掛けてる」

「そうですか」

 DDを振り、机に置く小谷君。

「学会の映像です。頼まれてたので」

「ありがとう。あなたも行ってたのね」

「協力要請がありますから。その気になれば、学校全体を動かせますよ」

 皮肉っぽい笑い方。 

 私には良く分からないが、生徒会にとっては相当高度な命令らしい。

「サトミは?」

「地理の先生達と一緒に、近所のファミレスに。神代さんと渡瀬さんも」

「じゃあ、大丈夫か」

 さっきサトミからあった通信記録を見直し、ようやく気が楽になる。

 分かっていても、しばらくはこういう状態が続くだろう。

「浦田さんも、結構慎重ですよね」

「何が」

「生徒会でも、遠野さんをガードしてると分かってるのは本当にごく一部。大抵の人間は協力要請すら知らないし、知ってても訓練か別の名目で動かされてる」

「その辺は気が回るからな」

 誉めてるのかどうか、微妙なショウ。

「しかも、周辺を固めるのは身内だけ。遠野さんに警戒されないようにという理由もあるだろうけど、そつがないというか」

 小谷君も誉めてるのかどうか分からない事を言い、薄く笑っている。

 その辺りは、私も同感だが。

「ガーディアンが護衛されるって訳だし、それも気にしてるのよ。多分」

「はあ」

「あれで、サトミには気を遣ってるから」

「ユウにも遣ってるだろ」

 普通に指摘するショウ。

 しかし自分ではあまり実感がないので、鼻を鳴らしてDDを指で弾く。

「矢田は、何か言ってるか」

 私からは聞き難い質問。

 それ程聞きたくない質問でもある。

「協力要請があるので、それには従いますよ」

「ケイの指示にも?」

「矢田さんも、生徒会長と副会長を敵に回す程の覚悟は無いでしょう。そういう場面でも無いですし」

「場面ね。じゃあ、状況によっては俺達とやり合う気か。確かに、何度かそうなりかけたけど」

 私へ顎を向けるショウ。

 こっちに振らないでよ。

「知らないし、どうでもいい。それより生徒会や自警局では、誰が犯人か分かってないの?」

「リストアップ対象者は全員聴取しましたが、特におかしい点はありませんでした。本人の人間性はともかくとして」

「きついな、お前も」

「そういう人間と話をすると、このくらいは言いたくなります。大抵の事は平気だと思ってたけど、あの連中は」

 彼にしては珍しく難しい顔になり、ため息が漏れる。

 きっとその時の事を思い出したのだろう。

 私もあの暗闇で見た笑顔を思い出しそうになり、すぐに頭を振る。

「遠野さんを守るのもいいですけど、雪野さんは大丈夫なんですか」

「私は別に。ねえ」

「いや、俺に聞かれても」 

 恥ずかしそうに顔を背けるショウ。

 何よ。

 私まで恥ずかしいじゃない。

「そうですか。今遠野さんへ目が向いてるから、ちょっと気にしてたんです」

「ありがとう。私も、気を付ける。ね」

「だから、俺に言われても。そりゃ、ユウも守るけどさ」

 人前で言わないでよね。

 とはいえ嬉しいのは嬉しいので、少し易しめに肩を叩く。

 拳で。

「痛いよ」

「ああ、ごめん」

「何ですか、それ。じゃ、俺はまだ仕事があるんで」

「うん。またね」

 DDを指差し、ドアを出ていく小谷君。


 私はそれをケイのリュックの側へ置き、端末をチェックした。

「サトミは、今日も来ないかな」

「場所は分かってるんだし、行けばいいだろ」

「地理は苦手なの。ショウだって、嫌でしょ」

「さあ」

 遠い眼差し。

 現実逃避をするな。

「ケイもいないし」

「また、これが片付かん」

 目の前に積まれた書類。

 そう言う程大袈裟ではないが、何枚かは溜まっている。

「小谷君に頼めば良かった」

「たまには、自分の力でやれよ」

「出来るの」

「無理だ」

 じゃあ、言うな。

「仕方ない、少しずつやろう」

「トラブルがあれば、明日やるか」

「そうそう」

 悪い笑顔を浮かべ、書類を前に置く私達。

 端末や入電のあるスピーカーを、ちらちらと見ながら。

 トラブルはない方が良くて。

 期待もしないけど。

 そうはいかないのが、この学校なんだ。



 なんだけど、たまには平和な時もある。

 よく考えれば今はサトミの警護にガーディアンが何人も出てるから、おかしな連中も暴れにくい状況。  

 気付けば外は暗くなっていて、廊下に響くのは私達の足音だけ。

 生徒や教職員とすれ違う事もなく、教棟の玄関を並んで出る。

 幾つか明かりの灯る、教室の窓。

 いつかも感じた思い。

 まだ頑張っている人がいて、自分もその人達に及ばないながらも少しは頑張れた。

 初夏の夜風。

 半袖の肌に心地いい涼しさ。

 街灯に照らされる、息吹き始めた緑。

 薄く長く伸びる影。

 その後を追い、二人きりで歩いていく。

「やっと終わったな」

「サトミなら、すぐに終わるのに」

「とにかく、疲れた」

「ご飯どうする」

 自分でも驚くくらい集中して書類を片付けていたので、殆ど食べ物を口にしていない。

 学内と寮の食堂は、すでに閉まっている時間。

「ファミレスか、どこか適当な所で食べるか」

「トレーニングが、後回しになるね」

「たまには休めばいいだろ」

「ショウは、休んでる?」

 まさかという顔。

 聞くまでもない質問だった。

「……あれは」

「え」

 正門へ続く通路沿いに並ぶ街路樹。

 生い茂った葉々。

 それ越しに見える、二つの人影。

 スーツ姿の男性と、白いベストの女の子。

 優しく笑う男性、楽しそうに微笑んでいる女の子。

「出ていける雰囲気じゃ無さそうだな」

「うん……」

 サトミと、吉澤先生。

 一声掛ければ済む話。 

 でも私達は、それをためらった。

 二人の雰囲気に。

 彼等だけの空気を持つ二人に近付く事を。

 知らない間に胸を抑え、その光景を見つめている自分。

 不安、焦り、苛立ち。

 自分でもよく分からない感情が混ざり合い、でも足は動かない。

 この現実をどう捉えればいいのか。

 これが、どういう意味を持つのか。

 それを考えようとしてもまとまらない。

「女子寮への方向だし、送ってるだけだろうけど」

「うん」

「護衛はいないか。気を効かせたのかな」

「うん」

 問われたから頷くという態度。

 サトミと吉澤先生からは目を離さず、いや離せずに。 

「どうする」

「……いいよ、サトミも子供じゃないんだから」

「ヒカルは」

「それも含めて」

 胸に走る痛み。

 自分の気持ちも、ヒカルの思いも。

 全てを理解した上で、私はそう答えた。

 私の考えや気持は、あの子とは関係のない事だ。

 幸せになって欲しい、守りたいという気持とは別に。

 自分のわがままで、サトミの気持ちを左右する権利は私にはない。

 それが、自分に苦しみをもたらすとしても。

 あの子さえよければ、私は。

「俺は、あんまり面白くないけどな」

「ショウ」

「サトミはヒカルと付き合ってるんだし、それはあの先生も知ってるんだろ」

「別に、二人が付き合ってる訳じゃ」

 今の光景。

 自分の胸の痛み。

 その言葉を、自ら否定するような。

「どっちにしろ、俺は賛成しない」

「でも」

 正門を出て、駅前の方へと歩いていく。  

 大通り。

 車のヘッドライトと、人の流れ。

 会社帰りのサラリーマンやOL風の人達が、大勢見受けられる。 

 酔っているのか、楽しげに笑っている人達。

 赤い顔で肩を組み、よろめいている人もいる。

 昼間の駅前とはまた違う光景。

 何となく、遠く感じられる眺め。

「……屋台」

 大通りから少し入った路地。

 歩道にテントが張られ、「おでん・揚げ物」という旗がビニール製の屋根の側ではためいている。

 カウンターとも呼べない、狭い敷地に並ぶ椅子。

 その向こうでは白い湯気が上がり、食欲をそそる香りが漂ってくる。

 今もOL風の女性達が隅の方で、おでんを前にグラスを傾けている。


 彼女達とは反対側の片隅。

 おでんと揚げ物の盛られた皿を前に、茶碗を持つ自分。

 お腹は空いているが、箸は進まない。

 四角い鉄製の容器の中で煮え立つ、おでんの具。

 隣にはコンロが幾つか並び、若い男女が笑顔で立ち回っている。

 目の前で上がる炎。 

 鼻先をくすぐる、焦げたバターとしょう油の香り。

「食べないのか」

 串をくわえたまま尋ねてくるショウ。

 私は口元で適当に呟き、ぬるくなったこんにゃくを頬張った。

「……少し、飲もうぜ」

「でも」

「済みません。日本酒下さい。彼女にも」

 すぐに出てくる、程良く暖まったグラス。

 それに注がれる、微かに色付いたお酒。

 花咲くように立ち上る独特の香り。

 ショウは黙ってグラスを手に取り、一気に飲み干した。

「ちょっと」

「済みません。もう一杯」

 仕方ないなと思いつつ、自分も口を付ける。

 少し辛い味。

 眉をしかめ、すぐにグラスを戻す。

「私だって、そうよ。でも、もしあの子がそう決めたならしょうがないじゃない」

「何が」

「知らないわよ」

 手に力を込め、一気にあおる。

「私にも、もう一杯」

 苦笑する女性からお酌を受け、半分くらい飲む。

「結局私は他人で、口出しなんて出来ないでしょ。そういう事は」

「だからって、ほっとくのか」

「知らないわよ」

 卵をかじり、お酒で流し込む。

 今度は無言でグラスを差し出し、ついでもらう。

「それなのにあの子は、一人で楽しそうに。人の気も知らないで」

「俺に言うな」

 やはりグラスに口を付けるショウ。


「私はね。そりゃ何も出来ないけど。でもあの子が幸せになるなら何でもいいの。どうだっていいけどさ」

「じゃあ、どうするんだ」

「知らないわよ」

 何杯目か分からないグラスを置き、顔を伏せる。

 かすれていく意識。 

 熱い体。

 漏れるため息。

 ふがいなさ、情けなさ。

 何も出来ない自分。

 一言の声すらも掛けられない。 

 あの場から逃げ出して、見守るなんて真似も出来ず。

「もう、サトミの馬鹿」

「誰が」

「うるさいな。あー、あの子はなにやってるの」

「知るか」

 遠くで聞こえる声。

 抜けていく体の力。

 ここがどこか、自分が何をやってるかも曖昧になる。

 自分という存在すらも。

 そうして結局、私は逃げているんだ。

 何もかもから……。




 朝。

 しばらくベッドサイドに腰掛けて、じっとする。

 飲んだくれて、愚痴を言って。

 記憶がなくなりはしなかったけど、あまりいい事ではない。

 ケイがヒカルのID絡みで生徒会へ入った時と、進歩がない。 

 あの時もお酒に逃げて、今もまた。

 しかしそのためか、少しは気分が楽になった。

 いつまでもうだうだしてても仕方ないし、気合いを入れるとするか。



 HR前の教室。 

 机の上に並ぶパン。 

 ハムベーコンパンをかじり、オレンジジュースで流し込む。

「今頃食べてるのか」

 呆れ気味に、私の後ろへ座るショウ。

 この人も大分飲んだはずだけど、調子は良さそうだ。

「ぼーっとしてて、時間がなかったの。自分こそ、どうなのよ」

「俺はいつも通りに食べてきた」

「じゃあ、いらないね」

「いるよ」

 しまおうとした食パンを、そのまま食べ出す男の子。

 いいんだけど、ちょっとやだ。

「あなた、何してるの」

「……サトミ」

 久し振りにあったような気分。

 すっと伸びた背筋、艶やかな黒髪。

 落ち着いた表情。 

 いつもと変わらない、普段通りの態度。

 昨日の今日で私が気まずく感じるかと思ったけど、そんな事はない。

 この子と会えば、いつだって私は幸せで満たされる。

「せめて、ジャムくらい付けたら」

「無くても食う」

「……ちょっと」

 夕食分も兼ねて一斤買ったのに、綺麗に平らげた。

 というか、平らげてしまった。

「あー」

「どうした」

 口の周りに付いたパン粉を舐め取るショウ。

 嬉しそうな、満ち足りた表情で。

 だから私も。

 なんて事はない。

「うー」

「あ、あれ。俺、もしかして」

「夕食が。私の夕食が」

「ユウの食事だけに、夕食って……」

 かなり本気で鼻先に裏拳を突き付け、歯を噛みならす。

 バターたっぷりの、ふんわりとした食感が。

 さっき買った時から、ずっと楽しみにしてたのに。

 今日はそれを心に置いて、頑張ろうとしたのに。

「わ、分かった。同じのを買ってくる」

「もう売れ切れ。今日は手に入らない」

「じゃ、じゃあ。明日。今日は、何か違うのを」

 怯えるショウ。 

 私は息を整え拳を引き戻し、俯きながら頷いた。

「無茶苦茶ね、あなたは」

「いつもの事……。何でもないです」

 私が拳を握り締めたのを見て、すぐに口を閉ざす。

 その様を、何とも楽しそうに見ているサトミ。

「久し振りって感じ。こういうのは」

「そんな嬉しそうに言われると困るけど」

「じゃあ、少しは慎んだら」

「出来ない事をやれといわれても」

 軽口で返し、二人して笑い合う。

 久し振りに、心から待ち望んでいた事を……。



 授業が終わった所で、サトミがぽつりと呟いた。

「ケイは」

「俺は知らん。昨日から見てない」

「沙紀ちゃんの所じゃないの」

「そういう話は聞いてないわ。それも、いつもの事といえばそうなのかしら」

 あまり関心はない様子。 

 確かに彼女の言う通り、あの子の行動は把握しずらい。

 基本的に授業には出る子だけれど、例外の範囲が広過ぎるから。

「次は日本史ね」

「じゃあ来るだろ。あいつ好きだし」

 サトミ以上に無関心なショウ。 

 彼の関心事は、自分の財布の中身らしい。

 パン一斤なんて、たかがしてれるっていうの。

 とはいえそれを教えないのも、また楽しい……。


 始まる授業。

 現れないケイ。

 日本史の先生も。

 しばらくして病欠と連絡が入り、自習が告げられる。

 教室を出ていく者、予習する人、友達とおしゃべりに興じる人もいる。

 私はまだ気だるいので、頬杖を付いてぼんやりとする。 

 といいたいが、机が高いので楽な姿勢ではない。

「苦しくないの」

「少し」

「じゃあ、止めれば」

「そうする」

 すぐに諦め、机に伏せる。

 ただこうすると、寝ちゃうんだよね。

 それは良いけど、口元がおろそかになる。

 つまりはよだれが垂れる。

 いつもとは言わないまでも、概してそういう傾向が。

「ティッシュはと」

「誰か来たぞ」

「これだけ生徒がいれば、一人や二人は来るでしょ」 

 いい加減に答え、リュックからタオルを取り出して枕代わりにする。

「いや、生徒じゃなくて」

「うるさいな。私は今忙しいのよ」

 タオルの配置と柔らかさをチェックして、もう一度重ね直す。

 私の頭の形と、腕の位置と……。

「自習なんですが、良かったら僕が代わりに授業を進めますので。勿論成績や出席には関係ないですから、退出したい方は出てもらって結構です」

 誰だ。

 人が寝ようって時に、おかしな事を言ってるのは。


 顔を上げ、教室の前に目を向ける。

 大人しそうな顔立ちの、華奢な男性。

 気弱な笑みと、優しい口調。

 ホワイトボードに綺麗な字が書き込まれている。

「あの人って、地理なんじゃ」

「日本史の資格もあるんですって」

「ふーん」

 曖昧に頷き、今度はサトミを見入る。

 嬉しそうな、彼に負けない優しい微笑み。

 落ち着いた口調で授業を進める吉澤先生を見つめる彼女を……。



 半分寝たまま、授業を聞く。

 初めは騒がしかった室内は少しずつ静かになり、彼の話に耳を傾けていくのが理解出来る。

 要点を付いた、私にも分かりやすい説明。

 いつもの先生が駄目とは言わないし、知識を教えるだけならそちらの方が優れているのかも知れない。 

 ただ日本史への興味や関心を深めるためであるなら、今の話の方が面白いと言える。

 机に伏せたまま抱く感想ではないが。

「……という訳で、幕末の志士はそういった気概を持っていた訳です。自分の手で何かをなそうという。日本を動かす力になろうという」

 落ち着いた口調。

 その中に込められた熱い気持ちが伝わってくるような内容。

 何となく自分を重ねたくなる程の。

「今頃来たの」

 サトミの笑い気味な声が聞こえる。 

 続いてケイの、素っ気ない答えが。

「それまでの体制をよしとせず、自分達の力で彼等は国を動かし始めた訳です。頼りなく、おぼつかないながらも。自らの責任で」

 寝ていても分かる、教室内の高揚感。

 私ももう少し意識がはっきりしていたら、同じだったかもしれない。

 ただじっとしているでではなく、行動を起こす事の意味。

 その結果成し遂げられる事とは。

「彼等の成し遂げた明治維新により日本は近代国家の仲間入りを果たし、外国に支配される事無くその礎を気付いた訳です」

「何言ってるんだか」

 皮肉っぽいケイの声。 

 やや尖った口調で尋ね返すサトミ。

「明治維新を起こした連中は、当時の人口比率で10%にも満たない武士達。行動自体は一見ヒロイックでも、日本国民全体が彼等を支持した訳じゃない。バックについてたイギリスが優秀で、江戸幕府に付いてたフランスが甘かったという考え方もある」

 自然と語れる内容。

 間を置かず、話は続く。

「その後に出来たのは、結局軍事色の強い政権。結果日本は列強と並んで、アジアの植民地支配に乗り出した。それを正当化するもっともな理由も付けてまで。実際に日本国民の大多数が自分の意志を持てるようになるのは、戦争に負けて北米。じゃなくて旧アメリカに占領された後だよ」

 もう一度聞こえる、皮肉めいた笑い方。

「今の話で盛り上がるのは勝手だけど。自分達の行動が、周りにどういう影響を及ぼすかも説明したらって言いたいね」

 冷や水を掛けられたような言葉。

 今の話を、自分の事と置き換えていた私。

 ごく少数で、学校と対峙しようとしている今の私達。

 それが正しくて、そうしなければならないという漠然とした気持。

 私はなし崩し的に、動いている部分もあるにしろ。

 でも彼の言う通り、他の大多数の生徒はそれを望むのかどうか。

 分からない。

 それでもやると言い切れる程の気持も。

 人がどう言おうと、自らの信念を貫くとはとても……。


 人の頭越しに何やら言い合っている二人。

 初めは理解していた内容は徐々に遠ざかり、意識も薄れていく。

 しかし眠りに入る間際に声が聞こえ、起こされるといった具合。

 正直言って、苛々する。

 少し我慢しよう。

 その内どうにか……。

 なりそうにない。

 低い声、難しい単語、終わらない会話。 

 眠れそうで眠れない状況。

 非常にストレスが溜まる。

「いい加減にしてよ、寝れないじゃない」

 起き上がりざま机を叩く。 

 もうろうとする意識。

 静かになる自分の周り。

 全く、全然なってない。

 本当に。

 とにかく、寝よう。

「ユウ」

「うるさいな。後にして、後に」

 ショウの手を振り払い、完全に寝入る。

 少し叫んで、気分も良くなった。

 体の力も抜けてきて、一気に眠たくなってくる。


 それと同時になるチャイム。 

 机を叩き起き上がろうとして、すぐに思い留まる。

「ユウ」

 答えない。 

 答えられない。

 教室を、みんなが出ていくまでは。

 授業中に、半分寝惚けて全員を黙らせた身としては。

「起きなさいよ」

「ぐー」

「ふざけないで」

 鷲づかみにされる両脇。

 これにはたまらず飛び起きる。

「ちょっと」

「あなたのお陰で、大恥かいたわよ」

「私、覚えてないもん」

 かふーっとあくびをして、体を伸ばす。

 色々あって、眠気も覚めた。

「俺も眠い」

 気のない声で話すケイ。 

 サトミもそれを見て、仕方なさそうに笑っている。

 先程まで、厳しく言い合っていた二人だけど。

 あの程度で、わだかまりを残す事はない。

 知らない人が見たら誤解する可能性はあるにしろ。

「遠野さん」

「あ、先生」

 声のトーンを上げて席を立つサトミ。 

 吉澤先生は柔らかく笑い、ケイへ視線を向けた。

「随分色々言い合ってたね」

「ただの戯れ言です。俺程度が何を言っても、彼女には敵いません」

「当たり前じゃない」

 わざとらしく胸を反らすサトミに向かって、吉澤先生は首を振った。

 たしなめるような表情と共に。

「友達にそういう事を言うのはよくないよ。彼の話にも、聞くべき点はあるんだから」

「え、ええ。そうですね」

 曖昧に答えるサトミ。

 それに満足したのか、彼は彼女を誉めるような事を言って一人頷いた。

「じゃあ、次は地理の授業で」

「はい。今日は、ありがとうございました」

「そう言ってくれて、助かったよ」

 楽しげに笑い、教室を出ていく吉澤先生。

 その後をどこか切なげに見つめる切れ長の瞳。

 今の彼女の気持は分からなくもないが、いちいち口に出す事ではない。


「あーあ。馬鹿にされたよ」

 対照的に、だるそうな声を上げるケイ。

 怒っていたり反感を感じている様子はなく、それ以前に関心が無いようだ。 

 自分への評価を求めないし、気にしない人だから。

「お前が馬鹿なら、俺はどうする」

 やるせないため息を付くショウ。

 少し可哀想だから、パンは勘弁してあげよう。

 それともその内、玲阿家でパンでも焼いてあげようかな。

「大体あなた、何してたの」

 気のないサトミの問い掛け。

 ケイは疲れ気味な目をこすり、首を回した。

「徹夜でビデオ見てた。……そういうのじゃないからな」

「何も言ってないわよ」

 サトミと二人して声を合わせる。

 とにかく今日は、近付かないでおこう。

「心配しなくても、ショウには渡してない。最近は」

「ええ?」

「お、おい。お前な」

「何慌ててるの。ちょっと」

 ぐいと袖を引っ張り、顔を見上げる。 

 明らかに泳ぐ視線。

 パンは勘弁するが、こういう事は話が別だ。

「青春だねー」

「勝手に揉めさせておいて、何言ってるの」

 眠そうなケイと、呆れるサトミ。 

 そして逃げるショウに、睨む私。

 普段の私達。

 何も変わらない自分達。






  







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