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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第3話
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3-2






     3-2




 目の前には、紅茶が置いてある。 

 クッキーも置いてある。

 でも、ラーメンは置いてない。

 ピザも、カルビも、ハンバーガーも、お刺身も。

「元気ないわね」

「だって、もうご飯の時間過ぎてるのよ。お腹空いたの、私」

 わざと大きい声で言ってみた。

 案の定、向かい合って座っていた局長がこっちを見つめてくる。

「まだ話は終わってませんよ。先程の浦田君の行動は、明らかに恫喝です。あれを見過ごしていては、自警局長としての立場がありません」

「固いな、矢田君は。次期会長本人がいいって言うんだから、いいんだって。それにあれを材料に俺を処分するとなると、同席していた矢田君の監督責任も問われる。軽くて口頭注意か勧告、または停学や職務停止、最悪は退学だって無い訳じゃない」

「僕の処分で示しが付くのなら、今すぐ辞任してもかまいません。だたそれでは何も解決しないから、こうして話し合ってるのでしょう」

 真っ直ぐにケイを見つめる局長。

 こういうタイプが苦手なケイは、救いを求めるような視線をサトミへ送った。

 彼女はいち早く顔を伏せ、古いトラブルのデータが映っている端末をチェックする振りを始めた。

 ショウはといえば、腕を組み目を閉じて考え込んでいる素振りを見せる。

 仕方ない。

 ここはリーダーである私が、面倒見ますか。


「……どうせさっきの話も結論は出ないんだし、もう止めようよ」

「出ないかどうかは、まだ分からないでしょう」

「分かるって。結局私達と局長は立場が違うんだから、意見は噛み合わないの」

 明らかに不満そうな顔をする局長だが、私はかまわず話を続けた。

「私達は現場の視点で、局長は管理者として。それに私達はそのトラブルの経緯を経験しているけれど、局長はビデオで見てるだけでしょ」

「言いたい事は分かりますが、僕なりに現場の視点に立って理解しようと努めてます」

「でもやっぱりトラブルを肌で体験するのと、カメラの視線を通して見るのとでは全然違うのよ」

「……それは確かに」

 局長の顔が曇り、視線が微かに落ちる。

「私達も、規則に従ってマニュアル通りに動きたいとは思ってる。でも、現実はそう簡単にはいかない。ケイが言ってたように、人の心は全く分からないんだから。見た目は笑顔でも、感覚がそれを否定する場合がある。だけどそれは、どんな記録装置を使っても記録出来ないの」

「分かります、それは……」

「私だって、報告書を作ってる時は自分で驚く時がある。何でもその時は、そうしなければならなかった。判断は瞬間で絶え間なく訪れて、迷ってる暇もないの」

「ええ……」

「頼るのは自分や仲間で、規則やマニュアルは手助けしてくれない。局長には悪いけど、現場はそうなのよ」

 ちょっと言い過ぎたかとも思ったが、それが私の持っている考えだ。

 だから局長には聞いて欲しかったし、少しでも分かってもらいたかった。

「局長達のように、私達を管理する立場から見れば怒って当然だと思う。規則がなければ、ガーディアンもただのケンカ屋だもの。そのために局長達は規則を守らせようとするし、より有効な作戦やマニュアルを作ろうとする。どっちが正しいとか間違ってるじゃないんだと、私は思ってる」


「……そうですね。仰る通りです」

 ため息混じりに頷く局長。

 少し元気が無くなって、表情も勝れない。

 だが急にその顔を上げて、私達全員を見渡した。

「明日、僕もみなさんと一緒にパトロールをします。それで少しは、現場の雰囲気が分かるでしょうから」

 妙に生き生きと語る局長。 

 頬には赤みが差して、眼鏡越しの瞳は輝いている。

 やる気らしい。

 しかも、相当に。

 だけど、それに水を差す意見が一つ。

「局長、それはどうかと思います。あなたの職務はあくまでも全体の統括と管理なのですから、無理をして現場の仕事をしなくてもいいんですよ」

 困惑気味にたしなめるサトミ。

 さらに、別な意見が飛んでくる。

「その熱意は買うけど、一度や二度見たって分かるものじゃない。矢田君は今まで通り俺達に文句を言ってればいいんだって。それが仕事なんだから」

 しかし局長ははっきりと首を振り、燃え上がるような眼差しを私達に向けてきた。

「例え、そうでもです。別に全てを学ぼうという訳ではありません。一つでも何か感じる事があれば、僕はそれでいいと思っているだけです」

「ふーん、随分気合い入ってるね。私はいいと思うよ」

「俺も。ためになるかならないかはともかく、1日中こんなとこいても面白くないだろ」

「そういう理由で、パロトールに行く訳ではないんですが」

 苦笑してドアへと歩き出す局長。

 私達も釣られて立ち上がる。

「どこか行くの?」

「話はまとまったんです、食事にしましょう」

「いいですね。でも、この時間だと食堂はもう終わってませんか」

「ここの食堂は、一般教棟より遅くまで開いてます。ただ夜間のメニューは限られますが、構いませんよね」

 やっとご飯が食べられる。

 そういえばケイがおごってくれるって言ってたから、その線で攻めてみようかな。

 私は彼の横に移動して、愛想よくその顔を覗き込んだ。

「ねえ、何食べてもいいの」

「いいよ。どうせすぐ使うんだし、ある内におごる」

「使うって、あれだけのお金何に……」

「浦田君、いいですよ。私がみなさんを引き留めたんですから、ここは僕が払います」

 なんですと。

 何と言いました今。

「じゃあ、おにぎり持って帰ろう。オカカあるかな」

「ユウ、そういう事言うな……」

「いいじゃない、おごりなんだから。鮭も持って帰るからね」

 分かってないという顔をされたけど、おにぎりはあきらめない。

 何はなくとも、まずはご飯を確保しないと。

「大体、ユウそんなに食べられないでしょ。残しても知らないから」

「と、サトミが自分も持って帰ると伏線を張る」

 睨まれる前に部屋を出ていくケイ。

「俺達も行こうぜ。さて、何食べるかな」

「僕は飲みませんが、年代物のバーボンやワインがあるという話ですよ」

 さすがは生徒会御用達の食堂。

 これはボトルごと、お持ち帰りかな。

 と思いつつ部屋を出たら、ショウと目が合った。

「……何考えてた、今」

「この前父さんが、いいカットグラス手に入れた」

「じゃあ、バーボンかウイスキーね」

 ふふふっと笑い合う私とショウ。

「止めて、二人とも。私達は食事をごちそうになるだけよ」

「いいの。ほら、局長より先に行ってもらってこないと」

「見つかったら恥ずかしいからな」

「会計をすれば、どうせ恥ずかしいわよ……」

 ため息を付いてトボトボと歩くサトミ。

 私とショウはそんな事気にもせず、どこにあるのかも知らない食堂を目指してひた走るのだった。



 翌日。

 帰りのHRも終わり、私達は局長との待ち合わせ場所である体育館の前にいた。

 この辺りは部活動をしている生徒が時折いるくらいなので、ガーディアンは常駐していない。

 SDC(運動部部長親睦会)の影響化でもあるし。

 その代わり連番制というか、各組織から交代でガーディアンがパロトールを行っている。

 私達も月に1度か2度は、そういった管轄以外のパトロールを担当する。

 でもここをパトロールの場所に選んだのは、そういった理由からではない。

 多少の事情という物があるのだ。

「来たぞ」

「連れがいるみたいだね。誰だ、あれ」

 私は目を凝らし、局長らしき人影の隣をじっと見た。

「……塩田さん。間違いない」

「すごい目ね。視力5.0?」

 聞こえない振りをして、両手を振り回す。

 局長じゃなくて、塩田さんにね。

 塩田さんもそれに気づいたのか、軽く手を上げてくれる。

 やがて二人は、私達の前までやってきた。

 でも、彼にはここへ来る事を話してないんだけど。

「あの、どうして」

「自警委員としては、自警委員長を危ない目に遭わせる訳にはいかなくてな。取り合えず、ここまでお見送りさ」

 格好良く笑って見せる塩田さん。

 その言葉からも分かる通り、この辺りの治安はあまり良くはない。。

 だからこそ、今日のパトロールに選んだのだ。

 新人への試練は厳しくないとね。


「本当なら沢でも連れて行かせたかったんだが、お前らと違って忙しいんだよ」

「沢さんと知り合いなんですか。なんでも、面白い前歴をお持ちだとか」

 サトミが微笑んだのを見て、塩田さんは苦笑した。

「まあそれはいいとして、今考えるのは矢田の安全だ。元野も連れてこられなかったし」

「おいユウ、俺達置いてかれてるぞ」

 そう言っている割には楽しそうなショウ。

 彼女は中等部の頃から連合の幹部をやってたから、今は幹部候補生として頑張ってるんだろう。

 ちなみに私達は、中等部の頃から変わらぬ一兵卒である。


「そんなに心配なら、自分が来ればいいのに」

「嫌だ」

 はっきりと、妙に強く断る塩田さん。

 それ以上、言葉を続けようが無い程に。

 微かな苛立ちすら感じさせる、今の彼。

「とにかく、矢田の事頼むぞ」

 自分でも気まずさを感じたのか、声のトーンを上げる塩田さん。

 私は姿勢を正し、素直に頷いた。

 ようやく少し彼の表情が和み、私も微笑み返す。 

「という訳だ。後は雪野達の指示に従ってろ」

「済みません塩田代表。お忙しいのに、ご面倒をお掛けします」

「気にすんな。その立場だと辛い事もあるだろうけど、その時は誰かを頼るのも悪くないぞ。そういう連中を、常に周りに置いておけ」

「は、はい」

 塩田さんは満足げに頷き、少しの間を置いて背を向けた。

「元野が言ってたぞ。せめて、今日一日くらいは大人しくしろって」

「は、はは」

 私はぎこちなく笑い、去っていく彼に手を振った。

 モトちゃんめ、帰ったら一言言ってやらないと。

 でも、逆に説教喰らったりして。

「……さて、行こっか」

 そんなのを全て振り払うように勢い良く歩き出す。

 空元気とも言うけれど、一応は元気だからいいの。



 ちなみにパトロールをするのは体育館そのものじゃなくて、そこからやや離れた古いクラブハウス。

 昔はともかく、今は倉庫というか資材置き場に近い状態。

 そんな所なのにと言うか、だからと言うか、人が集まってくるらしい。

 まずは錆び付いた玄関を通り、建物の中に入ってみる。

「汚い……。掃除してないのかな。」

「清掃サービスの人を締めだしてるんでしょ。それに、そう考える人達がいる場所ではなさそうね」

 隣りに来たサトミが、廊下にたむろする人達に目線をくれる。

 確かに、いかにもっという顔をした人達ばかり。

 私達が明らかに外部の者だと分かっているのに突っかけてこないのは、全員の袖に付いているガーディアンのIDのためだろう。

 そのくらいの考えはあるようだ。

 だったら建物の美化へも知恵を回して欲しいが、それは後にしよう。

 大体私達HRが終わってすぐ来たのに、この人達はそれより前からここにいるんだよね。

 授業に出ないんだったら、もう帰ればいいのに。

 でもそういう人に限って、毎日学校来て夜遅くまで居残ってるんだよね。

 一体、何がしたいんだか。


「局長、指揮執る?あなたが一番偉いんだし」

 すると局長はゆっくりと首を振り、弱々しく微笑んだ。

「私は研修で数回パトロールをしただけですから。みなさんにお任せします」

「そう。ならショウは局長のガード、サトミは私のサポート。ケイは、好きにしてて」

 簡単な指示を出し、私とサトミが前に出る。

 その後ろにショウと局長。

 ケイは、私達と少し間を置いてさらにその後ろ。

 この人は枠にはめるより、好き勝手にやらせておいた方が頼りになる。

 こういった危険度の高い場所においては、特に。


 視線は容赦なく向けられ、ひそひそ話をしている人達もいる。

 ただ、向かっては来ない。

「意外ね。結構平和じゃない」

「情報が入っているのかも知れないわ。雪野優がパトロールに来るっていう」

「私だけじゃなくて、みんなでしょ。それに、そこまで有名人じゃないって」

「そう思ってるのは自分だけよ」

 おかしそうに笑い、私の耳に口を寄せるサトミ。

「……右手の廊下。どう思う」

「ケンカまでは行ってないわね。ショウ」

「ああ。矢田、俺から離れるな」

「は、はい」

 素直に頷いた局長を確かめ、私は右手に見える廊下へと歩く向きを変えた。


「……下がれよ」

「あ、誰に言ってんだ」

 男の子が5人ずつくらいで、向かい合っている。

 警棒や、スチールスティック、スタンガンもある。

 とにかく、これは嫌いだ。

 好きな人がいるとも思えないけど。

「……はい、そこまで」

 私は手を叩きながら、彼等の方へと歩み寄った。

「何だお前、邪魔すると」 

 その目が私達の肩口に向けられる。

 他の連中も、表情を変えてお互いを見つめ合う。

「そう、ガーディアンよ。ケンカするのは勝手だけど、やるんなら学校の外でやりなさに。他の子に迷惑だから」

「ゆ、雪野さん。そういう言い方は……」

 局長が後ろで何か言ってるけど、気にせず話を続ける。

「他って、誰もいないぜ」

 鼻にピアスをした子が、遠慮気味に口を開く。

 確かにいるのは彼らだけだ。

 この手のトラブルに付き物の野次馬も、被害者もいない。

「私達がいるでしょ。大体、原因は?」

「お前らに言っても……」

 投げやりな口調で言いかけた坊主頭の子が、慌てて目を逸らす。

 私の後ろで、ショウが拳を振るったのだ。

 その拳圧で私の髪がなびき、彼等の顔にも微かに掛かる。

 そして彼等は、ショウの実力を思い知る。


「……こいつらが廊下に広がって座ってたから、文句言ったんだよ」

「怒鳴ったんだろ、お前らが」

「すぐどけば。怒鳴るか」

「何だと」

 再び揉め始める彼等。

 私はやはり手を叩いて、それを沈めた。

「あのね、そんなつまんない事でケンカしないの。ほら、今だったらお互い一歩横に動けば通れるじゃない」

「そ、そうだけどよ」

「俺達にも面子っていうのが」

「生徒会へ報告してもかまわないのよ、私達は。そんな事されたい人が、この中にはいる?特別観察を受けていない人を捜す方が難しそうだけれど」

 鋭い眼差しで彼等を見渡すサトミ。

 当然全員が顔を俯かせたり、目を背けたりする。

「仲良くやれとまでは言わないけど、お互い少しは我慢しなさいよ。あなた達3年でしょ」

「あ、ああ」

「まあ、そうだ」

「卒業まで後ちょっとじゃない。びしっとしてよ、先輩」

 そう言うと、彼等は一様に照れくさそうな顔をして何かもごもご言い出した。

「という事で今日は解散。何か文句があるなら、I棟のD-3ブロックに来て。放課後はそこにいるから」

「ち、舐められたもんだぜ」

「後輩に叱られるようじゃ終わってるな」 

 一斉に笑い声が上がり、彼等はそれぞれの方向へと歩き出した。

 さっきまでの険しい顔ではなく、年相応の明るい朗らかな表情で。


「全く、世話が焼けるわね」

「いいじゃない、上手く収まって」

「俺は暇だったけどな」

 わいわい盛り上がる私達。

 ふと目を横にやると、局長が呆然と立っている。

「どうかした?」

「……い、いえ。意外とスムーズに解決したなと」

 驚きというか、感嘆も混じった口調で呟く局長。

 何だか、すごい誤解があるみたいだな。

「私達だって、いつも暴れている訳ではありません。そういうケースが多いのは認めますが、たまたまそれが強調され過ぎているだけですよ」

「え、ええ。僕も報告書には目を通していますから、それは分かっています。ただ、もう少し乱暴な展開になるかと思ってました」

「相手によりけりさ。今の連中は、暴れるタイプじゃなかっただけだ。それとも矢田は、俺達にケンカさせたいのか」

 冗談めいたショウの言葉に、局長は慌てて手を振った。

「そ、そうではなくて、その。……あ、そう言えば浦田君の姿が見えませんが」

「上手く逃げたわね。後ろ見て、そう後ろ」

 私達から離れる事5mあまり。

 壁際にもたれて、暇そうにしているケイの姿がある。

「別にさぼってる訳じゃないんですよ。もし今のが罠で、私達が挟撃された場合に備えてわざと距離を置いてるんです。多分……」

 ケースバイケースで動くからね、あの子は。

 今は私達だけで収まると判断して、万が一に備えたという訳。

 多分、ね。


 そのケイがゆらりと壁から離れ、私達の方へやってきた。

「どうです、矢田君。エアリアルガーディアンズの活躍は」

「ええ、思っていた以上に立派でした。色々と思い違いをしていたようです」

「一つのケースだけでそう判断するのは早いと思うよ。次は、どうなるか分からないんだし」

 相変わらず冷静というか、自分を客観的に見てるね。

「そう言えばみなさんは、プロテクターを付かないんですか?」

「付けないんじゃなくて、付けられないんだ」

「壊れてるんです、支給された物は。中等部からずっと使ってる物ですから」

 さすがに情けない声を出すサトミ。

 すると局長は不思議そうな顔で、さらに尋ねてきた。

「ガーディアン連合や自警局からの補助金で、新しい装備を申請すれば済むんじゃないんですか」

「そういうお金は、記録用のDDやオフィスの使用代金ですっ飛んでくの。局長様には分からないでしょうけどね」

「嫌みを言わないの。でもユウの言う通りなんです。最低限必要な経費を払うと、個人に渡る金額はちょっと少なくて……」 

 ますます情けない声を出すサトミ。

 別に同情を買っている訳ではなく、己の置かれている状況に呆れているのだろう。

 経費がそこまで掛かるのは、ガーディアンをお金目的でやる人を無くすためである。

 自警局などからもらった補助金を再び元の所へ払うので、各ガーディアン自体にさほどお金は残らない。

 それでも生徒会ガーディアンやフォースは母体がお金持ちなので、結構裕福にやっているらしい。

 だけど何の後ろ盾もない我らがガーディアン連合は、財政があまり芳しくはない。

 だからそのメンバーである私達も、必然的に懐が寂しい訳だ。


 そんな説明を聞き終えた局長は、少しの間を置いて大きく頷いた。

「……分かりました。一度塩田代表や予算編成局とも話し合いをして、ガーディアン連合への予算を考慮してみます」

「え、本当?」

「ガーディアンを統括する立場として、現場のみなさんが働きやすい環境にするのは当然の事です。またその権限くらいなら、僕にもありますし」

 お、何か格好良い。

 でもって、嬉しい。

 せめて、レガースだけでも買えるようになれたらな。

「そういうのだよ、矢田君のやるべき事は。こういう現場に来る事じゃなくて」

「局長ご自身は、どう思われます?」

「浦田君の言っている意味は分かります。でも、それだけでは終わりたくないんです。僕だって自警局長である以上は、ガーディアンなんですから」

「そうです、か」

 感心してるのかどうか分からない、ケイの呟き。

 本当、醒めてるっていうかなんていうのか。

「その局長は、良いプロテクター付けてるのね」

 そう言って、局長のシャツに目を注ぐ。

 正確にはその下にある、薄手のプロテクターに。

 体にフィットするタイプで、ショックの吸収力も抜群。

 ただその高価さから、実際に配備されているのは予算の多い生徒会ガーディアンズやフォースの一部。

 でもその両組織では、遅くても年内には全員に支給出来る予定だって

 私達は、普通のプロテクターさえ無いのにね……。


「他の装備も、やっぱり良いの持ってきてる?」

 ちょっと気になって聞いてみた。 

 すると局長は、背負っていたリュックを降ろし中から色々取り出してくれた。

「フラッシュ、遠隔の盗聴器、投擲用の拘束具……。あ、これ」

 私はそんな中の一つを、手に取った。

 手の平に収まるくらいの小さな箱で、ボタンがいくつか付いている。

「ああ。天井へぶら下がる奴か」

「そうそう。これ前から欲しかったんだ」

「え。それは遠くの相手との距離を詰める道具じゃないんですか」

「本来の目的はね」

 箱のコーナーからわずかに出たプラグを引き、中に収まっていたワイヤーロープを引っぱり出す。

「簡単に言えば、天井へこれを投げて自分も上に上がるって事。ただぶら下がってるだけじゃ見つかるから、もう少し道具がいるんだけど」

 一度やってみたかったのよ、これを。

 まずはワイヤーを天井へと……。

「ユウ、やらなくていいわよ」

 う、先を読まれてしまった。

 ささやかな人の楽しみを奪う権利が、あなたにはあるっていうの?

 ねえ、どうなの。

「全然分かってないよ」

「分かってないのはあなたなの。面白ければいいって物じゃないでしょ」

 うう、さらに心を読まれてる。

 エスパーじゃないでしょうね、この人。

「ユウの考える事なんて、誰でも分かるわ」

「どうせ私は単純ですよ。ええ、子供ですよ」

「拗ねるなよ。矢田、これを少しだけ、ユウに貸してやってくれ」

「ええ。なんなら、自警局からの貸し出しという形で申請しておきましょうか」

「してっ、申請してっ。お金なら払うからさっ」

 必死に詰め寄る私。

 局長は数歩後ずっさって、ぎこちなく頷いた。

 やったと思った瞬間、地の底から呼びかけがあった。


「……優さん、そのお金はどこから捻出するんですか」

「え?それは、その。あのさ、そのあれじゃない」

 サトミの鋭い眼光に、今度は私が数歩下がる。

「そ、そうだ。ケイが今お金持ってるから、それで……」

「自分で使う装備なんだから、自分で工面なさい」

「だ、だってさ。欲しいのは仕方ないじゃない」

「……開き直ったわね」 

 低い声で迫りくるサトミ。

 私はショウの後ろに隠れ、哀れっぽく懇願した。

「いいじゃないのよ。今さら少しくらい、お金が減ったって。ほら、私達盗聴器使わないから、あれ返せば」

「それくらいじゃ全然足りないの。ショウも、何か言ってやってよ」

「ん、ああ。ユウ、そんなに欲しいのか」

 少し困った顔で振り向くショウ。

 私は上目遣いで、うんうんと何度も頷いた。

「サトミ、俺の補助金使ってくれ。それなら、問題ないだろ」

「ええ、そうだけど。もう、ユウには甘いわね」

「という事だ。ユウの名義で申請してくれ」

 苦笑気味に局長へ声を掛けるショウ。

「……ごめん、私もお金出すから」

 ちょっと情けなくなって頭を下げたら、そっと両肩に手が置かれた。

 そして、ショウが優しく私の顔を上げてくれる。

「二人で貧しく頑張ってこうぜ」

 はにかんだ、照れ隠しの台詞。

 それでも優しい眼差しは、私をしっかりと捉えてくれている。

「う、うん。頑張ろう」

「この間もそうだったけど、二人ならそれほど大変じゃないさ」

「そうだね。また一緒に……」

 何だか視線を感じてちらりと振り向いた。

 局長とサトミはさっきの補助金の話をしていて、こっちは見ていない。

 となると、後は一人。


 壁にもたれて腕を組んでいるケイ。

 地味目な顔には、微かに笑顔が浮かんでいる。

 とはいえそれはいつものような皮肉っぽい物ではなく、もう少し暖かい感じだと私には思えた。

「な、なに」

「そう構えられても困るんだけど。ショウ、俺がそのオモチャ欲しいって言ったら半分出してくれる」

「そ、それは……」

 口ごもるショウ。

 ケイは笑いを堪えつつ、こちらへ歩いてきた。

「冗談だって。それを使いこなせるのは、ユウとショウだけだよ。だから、二人でお金を出すのは丁度いいんじゃない」

「あ、ああ」

「と、ともかく、一度これ使ってみるね」

 何となく照れくさくなった私は、箱を構え軽く振りかぶった。

 フュンッ。

 という気持のいい音がして、ワイヤーの先端に付いたプラグが加速を付けて飛んでいく。

 それこそ瞬きする間もなく、プラグは30mは向こうにある廊下の突き当たりへと張り付いた。

 勿論、その間に誰もいないのは確認済みである。

「思ったより早いね。さて、早速飛んでみよっか」

「でも、それって専用の靴がいるんだろ。靴底の抵抗が無くせる特殊な奴が。多分矢田が履いてるから」

「いいわよ。自分で飛んだ方が早いから」

 私はそう言うや、セーフティを解除して巻き取りのボタンを押した。



 圧倒的な、胸の空くような加速。

 周りの風景は後ろに流されると言うより、残像すら追い付かない感じ。

 とはいえこのままでは、床を引きずられて行くだけだ。

「っと」

 軽く床を蹴り、右へと飛んでみる。

 一気に迫る右の壁。

 今度は壁を蹴りつけ、ワイヤーを持った手を上に上げる。

 当然浮き上がる私の体。

 そこで大きく体をひねり、体の向きを逆転させる。

 頭上に床、足元に天井。

 スカートがまくれるより早く天井を蹴り、左の壁へと向かう。

 ワイヤーが一定距離巻き取られたのを感知して、巻き取りの速度が落ちていく。

「よっと」

 最後に左の壁も蹴りつけ、床で2度3度と大きなステップを踏んでいく。

 その間、およそ2秒と掛かってないだろう。

 目の前には、もうプラグの張り付いた廊下の突き当たりが現れていた。

 ワイヤーの巻き取りはすでに止まり、私もようやく一息つく。

 ふぅ、なかなかでした。


「ユウッ」

 叫び声に振り向くと、ショウがすぐそこまで駆けて来ていた。

 無茶やったので怒られるかと思い、一瞬身をすくめる。

 私の前に立ったショウは、壁から伸びるワイヤーと私を交互に見比べため息を付いた。

「……そういうのは、まず俺にやらせろ」

「え?」

「次は、俺が使う。何たって、俺も金出すんだから」

 あ、あの。

 私を心配するとか、危ないだろって親身になって怒るとかじゃなくて?

 この人も、こういうのには燃えるタイプだからね。

 そんなショウはプラグを壁から離し、私に手を差しのばした。 

「ほら、しばらく俺が預かっとく」

「う、うん」 

「……俺が最初に試せば、ユウは怪我しなくても済むからな」

 遅れて駆け寄ってきたサトミ達の足音にかき消されるショウのささやき。

 私は聞き返す事もなく、ショウの手を握りながらその箱を手渡した。

 やっぱりこの人は、思った通りの人だった。

「大丈夫、ユウ?」

 心配そうに駆け寄ってくるサトミ。

 私はすぐに頷き、短い手足を彼女へ見せた。

「うん、安全装置付いてるから。ちょっと早過ぎたけどね」

「スピードを最大にしてるからですよ。調整すればもっとゆっくり動きます」

 小さな紙切れを取り出して説明してくれる局長。

 マニュアルらしく、簡単な説明書きがされている。

 ショウはそれを受け取り、さっと目を通してポケットにしまった。

「使い方はそれほど複雑じゃないし、慣れればいいオモチャ……じゃなくていい道具になりそうだな」

「僕が持っていても、使い道がありませんから。他にも道具はありますから、それも持って行きますか」

「勘弁して下さい局長。これ以上は、本当に予算が……」

 絞り出すような声を出し頭を下げるサトミ。

 それには局長も参ったのか、慌てて手を振った。 

「い、いえ。そういうつもりでは」

「悪気はないんだよ、矢田君は。だから性質が悪いとも言える。でも、そんな事が、たやすく人の心を傷つけるんだな」

「浦田君、そういう言い方は……」

「矢田、こいつの言う事は聞く必要ないぞ。おまえが駄目になって行く」

「そうそう。同じ段ボールに入ったミカンが腐ってくあれと同じ。ケイと一緒にいると、局長までおかしくなっちゃうわよ」

「基本的に馬鹿ですから、この人。真に受けないで下さい」

 と好き放題言われたケイは、鼻を鳴らして壁に背を持たれた。

 これで反省してくれればいいんだけど、それは100年経ってもあり得ないだろう。

 というか、100年経ったらその前に死んでるね。 

 でも馬鹿は死ななきゃ直らないって言うし、丁度いいのかな。

「俺の悪口はいいから、そろそろパトロールに戻ろう」

「別に、悪口でもないんだけど」

 ポソッと呟くサトミ。

 私とショウもうんうんと頷いてみせる。

「分かったよ、これからは口のきき方に気を付ける」    

 いい加減に手を振って廊下の分岐を曲がっていくケイ。

 その仕草を見ている限りでは、何も分かっていないだろう。


「仕方ないわね。どうして、お兄さんみたいになれないのかしら」

 珍しく困惑気味にケイの背中を見つめるサトミ。

 私はくすっと笑い、彼女にひっついた。

「ヒカルだって、たまにはやな事言うじゃない。大差ないって」

「そ、そんな事無いわ。あの人はケイなんかと別なの。全然違うわよ」

 滅相もないといった顔で、長い黒髪をなびかせて首を振られた。

 さわさわと髪が顔に当たりくすぐったいが、それをかいくぐりさらに詰め寄る。

「サトミはヒカルが好きだから、冷静に見れてないんじゃない」 

「それとこれとは話が別。あの二人が似てるのは外見だけで、中身は違うって事くらいユウでも分かるでしょ」

「でも、ヒカルも結構無茶やる時があるからな。中等部でも、そうだったろ」

 私の反対側にショウが動く。 

 間に挟まれたサトミは、口元で唸りつつ前を見据えている。

 猫背でトボトボと歩いていくケイの背中を。

「……それは認めるけど。だからって、あの子と一緒というのは納得出来ないわ」

「ひどい言われようですね、浦田君は」

 少し前を歩いていた局長が、おかしそうに振り返る。

 サトミはさすがに言葉を詰まらせ、顔を逸らした。

「僕から見ても、彼が少しみなさんと違うのは分かりますが。彼についての前歴も、多少は聞いてますし……」

「昔は昔です。今のケイは、間違いなく私達の仲間です」

 顔を上げ、はっきりと言い切るサトミ。

 ケイへの揺るぎない信頼と思いを乗せて。

 それは私やショウの心にもある、変わらない思い。

 誰が何と言おうと、決してそれは変えられない。


「失礼しました。僕が言うべき事では無かったようですね」 

 申し訳なさそうに局長が頭を下げようとする。

 するとショウがその肩を軽く叩き、頭を上げさせた。

「別に気にする程の事じゃないさ。誰と誰がどう結びつくかなんて、分かる物じゃない」

「そうですね……」

 局長は何か思う所があったのか、小さなため息を付いた。

「思ったよりトラブルもなさそうだし、一休みしない?」

「いいわね、どこか自販機でも探しましょ」

 すっとサトミが話に乗ってくれる。

 ショウは局長の背中をそっと押して、彼を促していく。

 私達はどこか気落ちした局長と共に、廊下を歩き出した。



 そう思ったのは良かったのだけど、結局自販機があったのはフロアをかなり上ったロビーのコーナー。

 さすがにここの治安状態でエレベーターは使いたくなかったので、相当に階段を駆け上らせてもらった。

 軽いトレーニングといったところだね。

 場所が高いから、窓際からの眺めはなかなかの物。

 私達はジュースを手にして、その窓際にあるベンチへと腰掛けた。

 安全性から窓は開かないようだけど、広い芝生や彼方に見える街並みはそれだけで気分を爽快にしてくれる。

 なんと言っても熱田神宮を一望出来るのは、壮観の一言に尽きる。

「いい所だね。倉庫に使ってるなんてもったいない」

「これを見られるのは、悪い連中とたまに来るガーディアンだけか。惜しいな」

「自販機も、ちゃんと補充されてるのね。さすがに、これは手を出さないのかしら」

 あまり綺麗とはいえないこの建物の中にあって、比較的保存状態がいい自販機コーナー。

 言うなれば、ささやかなオアシスだ。


「……あの」

 控えめな呼びかけに顔を向けると、髪の毛を赤く染めた怖そうな女の子が立っていた。

 ただ敵意は無さそうなので、座ったまま足をふらふらさせる。

「ん、何か用?」

「え、ええ。その場所なんだけど、どいた方がいいわよ」

 見かけによらない気弱な声を出して、私達が座っているベンチを指さす彼女。   

「壊れてるの、ここ」

「そうじゃなくて……」

 口ごもり、女の子は辺りを不安そうに見渡した。

 自販機の周りにたむろしていた他の子達は、気まずそうに顔を背ける。

「分かった、どけばいいのね」

「あ、あの……」

「いいの、どうもありがとう」

 私はみんなを促して、窓際のベンチから移動した。

 無理して座り続ける理由はないし、何より彼女の好意を大切にしたい。


「そうよね、誰かの指定席かもしれないものね」

 サトミが、含み笑いをして私の顔を見つめる。

「少しは、あの時の私の気持ちが分かったんじゃない」   

「古い話しないでよ」

 中等部で初めてサトミと出会った時が、今と同じシチュエーションだった。

 私がいつも座っていた食堂の席に、サトミが座ってたという。

「揉める原因が無くなったからいいんじゃないの。ここからだって、外は見えるんだし」

 壁にもたれてコーラを口にするケイ。

 皮肉っぽく笑いながら。

「……何かすごいのが出てきたぞ。指定席の主だな、あれが」

 ショウの言葉に反応してエレベーターを見てみると、何人もの女の子を引き連れた大柄な男の子がこっちに歩いてきていた。

 人を射殺すような鋭い目付きと、機敏な身のこなし。

 昨日出会った舞地さん達ともまた違う、独特の威圧感を放っている。

 男の子は窓際のベンチに腰を下ろすと、左右に女の子を侍らしてジュースを飲み始めた。

「羨ましい、という訳でもないな。数はともかく、女の子の質は断然勝ってる」

 一応は聞かれないくらいの小声で呟くケイ。

 失礼な発言だとは思うけど、別段否定もしない私とサトミ。

 と思ってたら、その女の子が一人こっちにやってきた。


「き、聞こえたんじゃない?」

「知らないわよ、私」

「かまうか。怒られるのはケイだけだ」

「いや、共犯だろ。否定しなかったんだから」

 下らない事を言っている間に、女の子が声を掛けてくる。

「……あの、そこのあなた」

 自分の顔を指さして目で尋ねる私。

 こくりと頷く彼女。

 少し笑う私達。

「こっちへ来てくれって言ってるわ」

「ええ?どうして私が名指しなの」

「それは直接聞いて。私は何も知らないから」

 肩をすくめる女の子。

 私はため息をついて、ジュースをゴミ箱へとスローした。

 ……ん、ナイス。

 なんて自己満足をして、女の子に付いていこうとしたら。

「俺も一緒に行く」

 そう呟き、ショウが私の前を歩き出した。

「え、でもあなたは……」

「何もしないよ、俺は」

 「俺は」の部分を強調する彼。

 でもって、長い髪の毛をさわっとかき上げて微笑んでみせる。

 顔が良い物だから、そういうのが本当に様になる。

 当然女の子も、頬を染めてホワーッとする。

「じゃ、じゃあ、あなたも付いてきて」

「了解」

 ショウは私の肩を軽く叩き、歩くように促してきた。

「格好良いです事」

「何が」

「一度、鏡見たら」

 自覚無しだな。

 でもこの人が格好良いのは、外見以上にその内面だけどね。


「……連れてきたわよ」

 ベンチの前まで来た女の子が、例の怖そうな男の子に声を掛ける。

「お前らは、向こうへ行ってろ」

 何故か人払いをする男の子。

 取り巻きの女の子と、側にいた何人かの男の子達はすぐに私達から離れていく。

 男の子はベンチに座ったままで、彼を見下ろす格好になる。

 身長差の関係上、私はそれでも見下ろされそうだが……。

「俺は、その女だけを呼んだつもりだが」

「あんたみたいなごつい奴の所に、一人で行かせられないんだよ」

「過保護だな、随分。逆に言えば、その女さえどうにかすれば駄目になる訳だ」

 意味ありげに口元を緩める男の子。

 だけどその目付きは鋭いまま、私達を見据え続けている。

「そうならないように、付いてきたんだ。別に試してもいいぜ」

「するか。おまえらの素性ぐらい調査済みだ。自警局局長のわがままに付き合う、ガーディアン連合のエアリアルガーディアンズ。おまえが玲阿で、そっちのが雪野だろ」

「何者、あなた」

 男の子は鼻を鳴らし、遠い目で窓からの眺めを見渡した。

「……お前ら、どうしてこの学校の組織はトップがいないか知ってるか」

 逆に質問を返してくる男の子。

 当然私達は、答えようがない。

「知らないって顔だな。生徒会は副会長、予算編成局は局次長、SDCは代表代行、ガーディアン連合は代表。連合の場合代表は現場のトップで、事務方も合わせたトップは議長だろ」

「その理由を、あなたは知ってるの」

 一瞬の間を置いて、男の子が口を開く。

 遠い目で、どこか苦い表情で。

「去年学内で生徒同士の抗争があって、各組織の幹部は殆どが退学や転校になった」

「だから、生徒会長とかがいないっていうのか」

「慌てるな。その抗争に勝った生徒のグループが、今度は各組織のトップになるんだ。だけどそのトップになった連中も、その後殆どが学校を後にした」

「何それ」

 私はごちゃごちゃした話を、頭の中で軽くまとめてみた。

「……つまり生徒同士の抗争があって、勝った人達も結局はこの学校からいなくなったって事?」

「残ったのは、抗争に負けたが停学で済んだ連中。それと抗争には勝ったが、その時点ではトップに立たなかった連中。前者が俺で、後者が塩田や大山達だ」

「どういう意味だ、それっ」

「怒鳴るな。詳しく知りたいなら、大山達に聞け」

 男の子の表情から見て、これ以上は何も聞けそうにないのが分かる。

 精悍な顔に浮かぶ、憂いに満ちた顔。

 さらにその下から覗く、強靱な意志に気付けば。

「どうしてそんな話してくれるの。あなた、私達の事なんて知らないんでしょ」

「さあな。ただ、あそこでくたばってる奴はちょっと違う」

 壁際にしゃがみ込み、眼鏡を外してぐったりしている局長に視線が動く。

「昔の俺と同じ仕事してる奴を見て、その時の事を思い出した」

「同じって……」

「自警局の局長と、フォースの代表を兼ねてたんだよ、俺は。連合の議長もついでに」

「生徒会と予算編成局なんて仲悪いだろ。そんな事出来るのか」

 驚く私達の反応を楽しんでいるかのような男の子の表情。

 でも切なげな陰は、いつまでもつきまとっている。

「今はこんな物置でくすぶってるけどな。とにかく俺の話は済んだ」

 面倒くさそうに手を振る男の子。

 私とショウは顔を見合わせて、仕方なく引き返し始めた。

「……大山達に言っておけ。俺は、来年の卒業までここで大人しくしてるとな」

「あ、うん」

 背中に掛けられた声によく分からないまま頷いて、私達はサトミ達の元へと戻っていった。



「……私も、その辺りは知らないわ」

「俺も。気にはなってたけど、理由までは知らないな」

「だよね。興味はあるけど、塩田さんにも聞きづらいよね」

 階段を下りながら話す私達。

 息は荒らいが、局長も何とか付いてきている。

「矢田は知らないのか、その辺の話」

「少しは、聞いた事が、あります……」

「休んだ方がいいようですね。そこにベンチがありますから」

「す、済みません」

 ショウの助けを借りてよたよたとベンチに座り込む局長。

 何度か深呼吸をして、ゆっくりと口を開く。

「……その話は、間違いではないと思います。以前生徒会と予算編成局がかなり友好的な関係にあったのは、古いデータを検索すれば分かりますから」

「高等部に来てから、そういうの調べてなかったな」

 悔しそうな顔をするケイ。

 サトミも大きく頷いて、それに同意する。

「その話の通りの事が実際にあったのは、データから分かります。ただその経緯や理由については、報道部の記事は勿論生徒会のデータベースにも載っていません」

「となると、やっぱり塩田さん達に聞くしかないのね。あのさ……」

「私は聞かないわよ」

 きっぱりと断るサトミ。

 ショウはわざとらしく局長の肩を揉んでるし、ケイは目線で嫌だと言っている。

「何よ。みんなだって知りたいくせに」

「無理に聞かなくても、その内向こうから話してくれるわ」

「そうなんだけど。……サトミ、何か声聞こえない?」

「私には全然」

「いや、この下だ。行くぞ」

 きょとんとする3人。

 自分の耳を信じた私とショウは構わず、は一斉に階段を駆け下りていった。



 廊下の方へ出てみると、数人の男の子が一人の女の子を取り囲んでいた。

 手こそ出していないが、非常に険悪な雰囲気である。

「何、あれ。冗談じゃないわ」

「ユウ、行くわよ」

「ええ……」

 頷いた私の隣を、人影が駆け抜けていった。

 ショウやケイではない。二人は私達の前にいるから。

 すると……。


 局長が、こちらへ背を向けていた男の子に勢い良く体当たりを喰らわす。

「ウァッ」

 不意を付かれた男の子は、たまらずその場に転がった。

 体格差では引けを取るが、いきなりでは誰でも倒れるだろう。

「い、今の内に……」

 やはり転がってしまった局長が、女の子に必死で呼びかける。

 一瞬ためらいを見せたが、女の子はすぐに囲いの隙間から逃げ出した。

 同時に私達も距離を詰め、彼女を後ろにかばう。

「てめぇ、何しやがるっ」

「このっ」

 うずくまる局長に男の子達の蹴りが入る。

 この場合はその行為に至るのも、ある程度理解は出来る。

 いきなりタックルを喰らわされたという事実がある以上。

 勿論納得は出来ないし、見過ごすつもりもないが。

「止めなさいっ」

 私とサトミの怒号が、廊下に響き渡る。

 その間にショウとケイが彼等に詰め寄り、局長との間に割って入った。


「矢田、立てるか」

「え、ええ。プロテクターしてますから」

 ショウの助けを借りて立ち上がる局長。

 服は汚れているが、怪我は無いようだ。

「さて、どうする。俺達とやり合うか、素直にIDを見せるか」

 警棒を構え、ショウ達を後ろに下げるケイ。

 彼は全員に分かるよう、大きな仕草で肩口のIDを指差した。

「お、俺達はただ、その女に用があっただけだ」

「そいつが、俺達の仲間を怪我させたんだよ」

「一人二人じゃないぞ、もう10人はやられてる」

 その女の子を振り向くと、否定するでもなく冷たい表情で私を見つめ返してきた。

 単なる言い逃れ、でもなさそうだ。

「だからって、女の子一人にちょっと大袈裟過ぎない」

「別に報復しようとした訳じゃない。やられる奴が悪いんだからな。今はいきなり後ろから襲われそうになったんで、軽く警告してただけだ」

「そういう事情なら」

 私達は顔を見合わせ、再び女の子をちらりと見た。

 やはり表情は変わらない。

「……お互い誤解があったという事で、ここはお開きにしましょうか」

 局長が服の汚れを払いながら、遠慮気味に申し出る。

「俺達は構わんぞ。おい、良いタックルだったぜ」

「ど、どうも」

「悪かったな、ガーディアン」

 厳つい男達に肩を叩かれていく局長。

 多少手荒だけど、それは相手を認めているような力強いタップ。

 局長も、顔をしかめながら笑顔を浮かべている。


 彼等が去り、静けさが廊下に訪れる。

 私は振り返って、女の子に近づいた。

「派手に暴れてるのね。そんなにケンカが好きなの」

「別に……」

 低い抑えた声。

 肩までのセミロングで、ややつり目の綺麗な顔立ち。

 背格好はサトミよりやや小さいくらい。

 ただその雰囲気は、非常に冷たく拒絶的である。

「ここがどういう所か私は詳しくないけど、こんな事してたら危ないでしょ」

「さあ」

「とにかく、この人にお礼言ったら。理由はともかく、この人が助けてくれたんだから」

 私は局長の背中を押して、女の子の前に立たせた。

 しかし彼は戸惑い気味に視線を彷徨わせ、それを彼女へ向けようとはしない。

「あ、あの僕は礼なんて……」

「礼なんて言う必要ないわ。助けてくれなんて頼んでないし」

 膜に覆われたような、感情の消えた言葉。

 局長を見る眼差しは、氷さながらに醒めきっている。

「何、その言い方は。誰のために蹴られたと思ってるのよ」

「自分で勝手にしただけでしょ。私には関係ないわ」

「いい加減にしなさいよ」

 怒りかけた私の前に、局長の手が差し出される。

「いいんです。彼女の言う通り、僕が出しゃばっただけですから」

「本人もそう言ってるわ。せいぜいヒーローでも気取ってれば」

 きびすを返し廊下を歩いていく女の子。

 頭の中で何かがはじけた。

 局長の手をかいくぐり、彼女の肩に手を掛ける。

 それに反応して素早く振り向く女の子。

 体の動きに合わせて、鋭い裏拳が飛んでくる。


 それなりに自信を込めて放った一撃だろうが、私はその手首を難なく掴み強引に下へ降ろさせた。

 動揺の色が見える彼女に、今度は私の裏拳が飛ぶ。

 この間合いと腕の位置なら、例えショウでも当てる自信がある。

「雪野さんっ」

 局長の叫び声を聞くより先に、私の手は彼女の鼻先で止まっていた。

 掴んでいる彼女の腕から、明らかな震えが伝わってくる。

「局長が助けた子だから、今日は止めた。2度助けられたわね」

「誰が、あんな奴に……」

 女の子は強引に私の手を振りほどき、そのまま廊下を駆けだした。

 やがてその姿が廊下から消え、足音も聞こえなくなる。


「何よ、あれ。もう、むかつくな」

 怒りにまかせて、壁を何度か殴りつける。

 パラパラと粉が落ちてきたけど、全然気にならない。

「……済みません、僕のせいで」

「別に局長は悪くないわよ。悪いのはあの女でしょ」

「彼女がああなった理由は、僕にもありますから」

 元気なく呟く局長。

 ショウがその肩に、そっと手を置く。

「そう言えば、知り合いっぽい感じだったな」

「ええ。ここへ来る前の中学校で、彼女とは同級生だったんです。僕は今のようなガーディアンの事務や管理をやっていて、彼女は現場で頑張っていたんです」

「ガーディアン、ですか」

「その時僕達の学校はかなり荒れていて、ガーディアンがどれだけ頑張ってもなかなか治安が良くならなかったんです。それでも彼女は頑張ったんですけど、やがては報復を恐れた一般生徒から見放される格好になって……」

 さらに局長のトーンが落ちる。

 私達はただ、その話に耳を傾けるだけだ。

「それに嫌気がさした彼女は結局ガーディアンを辞め、治安を乱す側にまわってしまったんです。僕は今みなさんからしてもらったように、彼女から現場の事を色々と教えてもらっていたのに。でも僕は、彼女に何の手助けもして上げられなくて……」

 局長の声が、肩が震えていく。

 でも顔は降ろさない。

 真っ直ぐと、彼女が走り去った廊下を向いている。

「本当に彼女は頑張っていたんです。でも守っていたはずの一般生徒に裏切られたというショックが、あまりにも大きかったようで。その後も何度か話をしようとしたのですが、何も出来なかった僕もまた、彼女に見捨てられたようです」

「でも局長は、前の学校での実績を買われてこの学校へ来たんでしょ」

「僕達の組織が治安を回復出来たのは、彼女が去った後です。それが余計に、気に触るんでしょう。申し訳ない事をしました……」

 告白を終えた局長は、小さなため息を付いて廊下を歩きだした。

「パトロールを続けましょう。今僕に出来るのは、ただそれだけですから」

「ええ……」

 肩を落とし、それでも前を見続ける局長。

 多分強いとは、こういう人の事を言うんだろう。

 苦しみや辛さを理解して、なおも先を進もうとしている。

 この人が自警局長で良かったと、今初めて思った。

 きっとこれからも、そう思い続ける。

 そしてこの人と一緒にガーディアンとしてやっていけるのを、誇りに思う。



 塩田さんや局長の過去を少し知ったあの日から数日。

 夏休みはもう目前に迫っていた。

 今週末になれば、9月までは完全なオフである。

 結局塩田さんには彼の伝言だけを伝え、それ以外は何も言わなかった。

 塩田さんは鼻で笑い、「色々聞いただろうが、その内詳しく話してやる」と言われた。

 この間と同じ少しの苛立ちと、あの大柄な男の子に共通した遠い眼差しで。

 サトミも言っていたように無理に聞く事でもないし、その内っていうのを待つとしよう。


「はい、次はステップの練習です」

 先生の掛け声が、トレーニング室に響いていく。

 今は選択授業の真っ最中。

 私は「格闘技講習1」という授業を取っている。

 男の子達のグループには、ショウの姿も。

 サトミやケイはまた別な授業を取っていて、例えばモトちゃんは「栄養学」の授業で料理でも作っているのだろう。

 いつもなら月単位で色々な格闘技のエキスパートが指導してくれんだけど、今日は都合が悪いとかで体育の先生が代わりを務めている。

 ただ格闘技はあまり詳しくないらしく、非常に基本的な事しか教えてくれない。

 みんなはそれでも満足なんだろうけど、私や沙紀ちゃんは明らかに不満顔である。

「では各自ペアを組んで、今やった技を復習して下さい」

「はーい」

 間延びした返事が聞かれ、あちこちでペアが組まれていく。

 沙紀ちゃんに声を掛けようとしたら、すでに何人かの女の子に囲まれていた。

 女の子にも持てるんだよね、沙紀ちゃんは。

 でもって、私の周りは人が寄ってこない。

 というか、目すら合わせてくれない。

 普段来る講師とのスパーリングがいけないようだ。

 それなりに気合いを入れてやり合ってしまうので、その印象が悪いらしい。

 私だって、手加減くらい出来るっていうの。


 とはいえ相手がいないのでは仕方ない。 

 仕方ないので男の子達に混ぜてもらおうかと目をやったら、一斉に顔を背けられた。

 何だかな。

 こうなったらショウにでも……。

「相手がいないのか」

 声のした方へ顔を向けると、Tシャツにショートパンツ姿の格好良い女の子が立っていた。

 私よりやや大きな体付きで、長めの黒髪を後ろで結んでいる。

 綺麗というより凛々しさを感じさせる顔。

 若干、愛想に欠ける気がしないでもないが。

「舞地、さん?」

 彼女は軽く頷き、室内をぐるりと見渡した。

「私もこの授業を取ったんだが、転校したてで勝手が分からなくてな。良かったら、相手してくれないか」

 素直で丁寧な物腰。

 彼女の事は殆ど知らないけど、それだけで何となく人柄が分かる気がした。

「私からもお願いします。みんなに逃げられちゃって」

「そうみたいだな。それと、私に敬語はいい」

 面はゆそうに頬を撫でる舞地さん。

 先輩だからどうかなとも思ったけど、本人がそう言うならね。

「分かった。先生が言ったようにするか、それとも……」

「言うまでもないだろ」

 小さなステップを踏み出す舞地さん。

 すでに体は暖まっているらしく、動きは鋭く無駄がない。

「私はまだ体が暖まってないから、最初は軽くでいいかな」

「そっちのペースに合わせる」

「ありがとう」

 私もステップを踏み、上体をそれに合わせて振っていく。

 沢さんも言っていた通りかなりの腕前みたいだし、少し集中した方がよさそうだ。


 まずはゆっくりとワンツー。

 舞地さん顎を引いてそれをかわす。

 向こうもワンツーを返してきて、私はバックステップとパーリングでかわす。

 次いでワンツーからロー。

 やはり顎を引き、足を上げてローをやり過ごす。

 飛んでくるのはワンツーからロー。

 サイドステップでその両方をやり過ごす。

 右のダブルからのハイキック。

 ダブルをブロックして、ハイをダッキングでかわす。

 やってきたのは右ダブルとハイキック。

 ダブルをウェービング、ハイをスエーで避ける。

 ……待てよ。

 ちょっと気付いた私は、攻めを変えてみた。


 左ジャブの3連打から、一気にかがみ込む。

 床で身を翻して水面蹴りを予測させつつ、そのまま伸び上がって肘を脇腹へ持っていく。

 ジャブをスエー、肘打ちを膝で難なく受け止める。

 さて、ここからだ。

 左ジャブが来る、3連打で。

 パーリングでかわすと、舞地さんが沈み込んだ。

 足元で旋回しかけるが、即座に立ち上がり脇腹へ肘が飛んでくる。

 私は肘打ちを、左右から手を伸ばして挟み込んだ。

「……今度からは、交代でやらない」

「分かった」

 サイドステップを踏みつつ私から距離を置く舞地さん。

 コンビネーションならともかく、今のはトリッキー過ぎた動き。

 私の動きをトレースしていたのが、これではっきりした。

「体が暖まってきたから、あんまり遠慮しなくていいよ」

「ああ」

 短い返事。

 見過ごしそうな程の、一瞬の微笑み。

 私は構えを取り、腕をやや前に出した。

 同じように、口元を緩めながら。

 お互いの拳を触れ合わせる……・。


 刃のような裏拳が鼻先に迫る。

 バックステップで下がると、それを追うようにしてローが。

 避けるのは無理、足を上げてショックを和らげる。

 しかし、思っていた程の衝撃はない。

 彼女が非力な訳ではなく、手加減をしてくれたのだ。

 とはいえ、普通の人ならあっさり倒れてしまうくらいの威力はある。

「このくらいの方が、熱くならなくていいだろ。ケンカならともかく、あくまでも授業なんだから」

 私の考えを読みとったのか、舞地さんが控えめな口調で説明してくれた。

「さすが先輩、良い事言うね」

「からかってる暇があるなら攻めてこい。今度は雪野の番だ」

「はい、先輩」 

 くすっと笑い構えを取る。

 舞地さんも構えを取ったのを見て、一気に踏み込み裏拳を持っていく。

 ヘッドスリップ気味に体を前に倒してそれをかわし、ローを軽く飛び越える。

 感心する間もなく、右のボディーフックが飛んできた。

 エルボーブロックで退けると、今度は左。

 半身に開いてかわしたところに、伸び上がるような掌底が顎へやってくる。

 体が伸びきって、たやすくはかわせない。

 舞地さんの肩口を軽く足ではたき、掌底のベクトルを変えさせる。

 では、私もやってみますか。


 私達は額に滲む汗を拭うのも忘れ、攻守を変えつつのスパーリングを繰り広げていた。

 動きは徐々に早くなり、技は多彩になっていく。

 でも二人とも止めようとはしない。

 いや、止められない。 

 軽快なリズム、頭が真っ白になるくらいのスピード、相手の動きを読み合う緊張感。

 そして何より、自分の力を受け止めてくれる相手と戦っているという喜び。

 それは私だけの考えではない。

 舞地さんの顔に浮かぶ、微かな笑顔。

 きっと私も浮かべている、最高の笑顔。

 ハイからミドルへとスイッチした蹴りを受け、さて今度は私がと思っていたら。


「や、止めなさいっ」

 どこか遠くで誰かが叫んでいる。

 舞地さんが、そして私も構えを解き訝しげに周りを見渡す。 

 誰、こんないい時に叫んでるのは。

 すると私達の間に、臨時で来ていた先生が割って入ってきた。

「雪野さんっ、舞地さんっ、ケンカしないのっ」

「え」

 固まる私と舞地さん。

 他の生徒達は、びくびくした顔で私達を遠巻きに取り囲んでいる。

「あ、あの。別に私達、ケンカなんてしてませんけど」

「無駄だ、雪野。素人には見分けが付かないだろ、あれは」

 息を整えながら、先生や他の生徒達を見渡す舞地さん。

 するとみんなは一斉に顔を背けてしまった。

 舞地さんは気にした様子もなく、Tシャツの袖で顔を拭う。

 こんなのは慣れていると言わんばかりに。

「とにかく楽しかった」

 さっぱりとした、年頃の女の子らしい素敵な笑顔。

 私もそれに負けないくらいの笑顔で応え、手を差し伸ばす。

 彼女はその手を、優しく握り返してくれた。

 すると周りにいた人達はそれが和解の握手だと勘違いしたのか、ほっとした顔で散開し始めた。

 いいだけどさ。


 物はついでとばかりに、私はそのまま舞地さんの耳元に口を寄せた。

「私達はいいんだけど、仲間にちょっと要注意の子がいるのよ。もしかして柳君と揉めるかもしれないから、相手にしないように言っておいて」

「もう襲い」

「え?」

 肩をそっと押され、そのまま男の子達のグループの方を向く。

 その先には、柳君と握手を交わしているショウの姿が目に飛び込んできた。

 どうやら、彼等も軽くやりあったようだ。

「あれくらいならか構わないだろ。お互い、厄介な仲間を持ってるな」

「全くよ。……で、舞地さん達はいつまでこの学校へいるの?沢さんが言ってたけど、短期契約であちこちに行ってるんでしょ」

「しばらくはいると思う。契約期間は決まっていないし、雪野達みたいに変わっている連中もいるから」

「変わってるかな、自覚は無いんだけど」

 しかし舞地さんは、慰めても否定してくれもせずただ黙っているだけ。

 冷たいというか、愛想のない人だな。

 否定のしようがないだけかも知れないけど。。

「まだ時間はあるけど、もう私達同士では止めた方がいいな」

 少し残念そうに呟く舞地さん。

 私は彼女に近付き、その肩越しに指差した

「大丈夫。ほら、あそこに暇そうな人達がいるから」

 壁に張り付きぼんやりと他の子達の練習を見ているショウと柳君。

「なるほど。私が彼と、雪野が司とやる訳か」

「いや、それだとまた揉める気が……。ま、いいか」

 私は先の事を考えるのを止めて、ショウ達の所へ歩き出した。




 エアコンから吹いてくる風は涼しいけど、壁の向こうは夏が待っている。

 じりじりと灼け付くような日差しと共に。

 そこへ行くのも、もう決して遠くはない。。

 私は2階の観覧席にある窓からのぞく青空に目をやり、心の中でそう思った。

 高校生としての。

 初めての夏休みに期待を膨らませながら。








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