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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第16話
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16-2






     16-2




 昨日の一件を誰かに相談しようかと思ったが、結局止めた。

 今はまだ、サトミを狙ったと決まった訳でもない。

 私、それか全く無差別に遅う気だったかも知れないしし。

 それはそれで問題なんだけど、そっちの事は警備員さん達に任せればいい。

 自分としてはまず、サトミの方を優先させたいから。


 その肝心のサトミが、今日もいない。

 授業に出なくても何の問題もなく、おそらくこの先も学内トップは譲らないだろう。

 私としては、それに関係なく出席して欲しいが。

 授業後。 

 教室移動を兼ねて、自販機へと向かう。

 昨日と同じシチュエーション。

 とはいえ今は日も差していれば、人もいる。

 その分気配は散るが、この状況で襲ってくる人間はいないだろう。 

 名前を上げたい馬鹿連中はともかくとして。


 やはりお茶を買い、袖ではなくて手に提げる。

 廊下を行き交う、大勢の生徒。

 時折見かけるカップル。

 それにこれといった関心も向けず、次の教室へと向かう。


 階段を上ったところで、私は足を止めて壁際に張り付いた。

 男女の後ろ姿。

 一人はスーツ姿の、若い男性。

 もう一人は、白のベストにタータンチェックのスカート。

 教師と生徒という図式。

 別段、珍しい光景ではない。

 長い黒髪、切れ長の瞳。

 少し赤らんだ、白い頬。

 私は上ってきた階段を下り、その場から立ち去った。

 逃げるようにして。

 嬉しそうに笑っているサトミから……。



 よく考えればそんな必要はなく、声の一つでも掛ければ済む話である。

 隠れて会ってる訳ではなく、学校で普通に歩いているだけだから。

 やはり私は、まだまだ子供のようだ。

 動揺というか、考え過ぎてしまった。 

 いつの間にか空になっているペットボトル。

 駄目だな、本当に。

「よく飲むな」

 のんきに笑っているショウ。

 さっきの話をしたんだけど、これといって気にした様子はない。

 それが当然といえば当然で。 

 逃げ出した自分が馬鹿みたいに思えてくる。

「気にならない?」

「歩いてただけだろ。それに今は手伝いに行ってるんだし」

「そうだけどさ」

「何でも恋愛に結びつければいいってものじゃないさ」

 たしなめられた。

 ショウに。

 非常に、複雑な心境だ。

「悪かったわね。ねえ」

「俺は知らん。興味もない」

 とりつく島もない男の子。

「だって」

「仮定の話をすれば、サトミがその格好いい男と付き合っても俺は困らない」

「ヒカルはどうなるのよ」

「それは二人の問題で、俺には関係ない」

 兄弟とは思えない。 

 いや、兄弟だからこその台詞だろうか。

 ただし私にとっては、受け入れにくい内容ではある。

「何か、納得出来ないな」

「じゃあ、聞きに行けば」

「出来る訳無いじゃない」

「そんなもんかね」

 全く関心のない態度。

 らしいといえばらしいが。

「いいから、書類を片付けてくれ」

「だって」

「だってじゃないの。書くんだよ」

「ぐー」

 仕方ないので、用紙に文字を埋めていく。

 サトミがいれば、あの子がやるのに。

 元々は、私の仕事なんだけど……。


「終わった」

 一足先に書類を差し出すショウ。

 ケイは視線を走らせ、それを突き返した。

「文脈がはっきりしない。大体、結論が書いてない」

「だって」

「書き直し。雪野さんは」

「まだです……」

 サトミがいなくても、大差ないな。

 しかしこれに関しては、反論のしようがないし。

「書いてる場所が違う。そこに理由で、下に結果」

「同じじゃない」

「冗談はいいから。玲阿君は」

「まだ書いてます……」

 いつになく攻めてくるケイ。

 自分はと言いたい所だが、私達の倍は軽くこなしているので文句の言いようがない。

 何か、握り締めたペンが折れそうだ。

「……まあ、いいでしょう」

「やっと終わった」

「次はこれ。玲阿君、寝ない」

「あのさ」

 有無を言わさず差し出される書類。

 それを押し返し、空のペットボトルを振る。

 一滴落ちてきた。

 非常に、苛々する。

「うー」

「唸っても駄目。ほら、起きろ」

「勘弁して下さい」

 ショウと二人して、頭を下げる。

 誠心誠意、かどうかはともかく。

 深く、沈み込むように。

 昨日は寝てないから、少しいい気持ち。

 頭も使って、疲れたし。

 本当に……。


 目が醒めた。

 顔を上げると、ゲームで遊んでいるケイが目に入った。

 やつれ気味の、ショウの顔も。

「あれ」

「……おはよう」 

 暗い声で挨拶された。

「お、おはよう。疲れてるみたいね」

「そうでもない」

 だるそうに振られる、精悍な顔。

 どうしてかは、彼の前に積まれた書類の山を見なくても見当が付く。

 お陰でこっちは、気分爽快だ。

「泣き疲れってのはあるけど、謝り疲れは初めて見た」

 自分のキャラが川に流された所で、即座にリセットするケイ。 

 少なくとも彼は怒ってないし、むしろ楽しそうに見える。

 目の間にいる子は、見ないでおこう。

「何か、トラブルは?」

 答えは返らず、首だけが振られる。

 完全に疲れ切ってるな。

 ちょっと、書類を片付けただけなのに。

 自分の事は棚に上げ、その書類を適当にめくる。

「こんな物だね」

「……随分、上からの意見だな」

「そりゃ私は、ここのリーダーだもん」

「じゃあ、仕事もやってくれ」

 少し愚痴っぽい。

 「その内ね」と受け流し、端末をチェックする。 

 急を要する着信は、特にない。

 そう思った途端、音が鳴った。

「わっ」

 思わず投げ捨て、それがショウの顔に飛んでいく。

「あ、あのな」

「ごめん。ちょっと、出て」

「……はい。ええ、代理です」

 代理って。

「誰」

「警察」

「ええ?」

 さすがに腰を浮かせ、首を振る。

 しかしショウもすぐに、首を振った。

「この間の、サトミの鑑識結果」

「ああ。何もなくても、警察って聞くと焦るよね」

「俺は、むかっと来る」

 よく分からない男の子を放っておいて、ショウから端末を受け取る。

「ええ。……あ、はい。……はい、分かりました。ええ、今すぐに」



 生徒会・総務局内の一室。

 生徒の自治という大前提があるため、学内に警察が介入する事は滅多にない。

 ただ今回は捜査ではなく報告なので、生徒会に許可を得て入ってもらった訳だ。

「事前にお話しした通り、捜査はしてません。で、鑑識結果がこれです」

 目の前に置かれるDDと書類。

 繊維や塗料の正式名称らしき物がずらりと並んでいるが、私には全く意味が通じない。

「例のベスト、一応は証拠ですが。あれは、どうしましょう」

「申し訳ありませんが、しばらく保管しておいて下さい」

「現状で、捜査の予定はありませんよ」

「構いません」

 ケイの言葉に、スーツ姿の男性は釈然としない様子で頷いた。

「それでは、我々はこれで。女子寮におかしな人間が入ったようですが、その件も調べておきますので」

「……お願いします」

 少しの間を置いて、頭を下げるケイ。

 刑事さんは一応会釈を返し、部下を伴って部屋を出ていった。

「ユウは知ってる?今の、女子寮がどうって話」

「まあね。私に襲いかかってきたから」


 さすがに話さない訳には行かず、昨晩の状況を説明する。

 ショウはともかく、ケイは顔色一つ変えない。

 心配とは言わないけど、少しくらい反応してよね。

「モトは」

「私は寝てましたよ」

「また、お酒飲んでたの?」

「木之本君、人聞きの悪い事を言わないで」

 微かに頬が赤らむモトちゃん。

 彼の指摘は、間違ってなかったらしい。

「キーはロックしたみたいけど、警報は出なかったの。無闇に心配させないように、大抵はそういう処置なのよ」

 彼女の言う通り、いちいち生徒に知らせていたらきりがない。

 それにもしそうならば、今頃学校中に話が広がっているだろう。

 勿論、彼女がお酒を飲んでいた事とは何の関係もないが。


「しかし、物騒な話だな」

「殴り倒す女の方が物騒だろ」

「倒してないわよ。お茶を掛けただけ」

 80度の、とは付け加えない。

「ケイ君はビールだし、無茶苦茶じゃない」

「この子と一緒にしないで。私は、自分の身を守るためによ」

「あそこの自販機って、すごい熱いお茶が出てくるわよね」

 同じ女子寮にいるだけあり、さすがに詳しい。

「まさか、熱湯を掛けたとか」

「何よ、木之本君。私は襲われればよかったっていうの?」

「そうじゃないけど。熱湯かー」

 詠嘆しないでよ。 

「もういいって」 

 席を立ち、一人で部屋を出ていく私。

 これ以上、こんなところにはいられない。

「怒ったのかな」

 不安そうな木之本君の声。

 しかし、すぐにモトちゃんがそれを否定する。

 その言葉と笑い声を振り切るようにして、私は部屋を後にした。



 で、一転して清々しい気分。

 お茶の飲み過ぎも、程々に。

 モトちゃんの指摘は当たっているが、何もみんなの前で言わなくても。

 さすがに恥ずかしくて戻る気にもなれず、総務局内をふらふら歩く。

 ここは生徒会でも特別な場所。

 各局の出向者で構成されている部署で、それは局長も同様。

 また各局をまとめ、生徒会長とも対等に渡り合える局である。

 以前は、今の生徒会長が。

 その前は例の屋神さんが局長を務めていた事からも、ここの重要性がよく分かる。 

 ただ私には縁の無い場所なので、いまいちピンとは来ない。

 知り合いもいないし、誰が局長かも知らない。 

 去年は空位だったけど、今はいるのかどうかすらも。

「……何をしてる」

 鋭い叱責。

 振り向くと、数名の男女がこちらを見ていた。

 例の、理事の息子だ。 

 これこそ、名前も知らないな。

「用事があって」

 短く告げ、彼等に背を向ける。 

 相手をする気はないし、関わりたくもない。

 しかし向こうは違ったようだ。

「ちょっと強いからって、調子に乗るな」

 ……何の話だ。

 と思って視線を動かすと、最近見た顔があった。

 トレーニングルームで、マットに押しつぶされた男が。

 いきなり挑んできたのは、この絡みか。

 馬鹿馬鹿し過ぎて、言葉もない。

 だが男女はすぐに私を取り囲み、険悪な眼差しを向けてくる。

「やるなら、相手になるわよ」 

 場所柄を弁えるという言葉は、すでに頭の中にない。

 昨日の今日で、気も立っているし。

「この人数相手に、勝てると思ってるのか」

 高笑いする男女。

 マットの下敷きになった男は、かなり引きつった笑い方だが。

 一応の学習能力はあるらしい。

「じゃあ、二人だとどうだ」

 後ろから掛かる、笑い気味の声。

「七尾君」

「相変わらず、揉めてるね」

「好きでじゃない」

「なるほど。馬鹿は、どこにでもいるか」

 挑発的な言葉。

 決して大柄ではない体。

 凛々しいと言うよりは、やんちゃさを感じさせる顔立ち。 

 私を取り囲んでいる男達に比べれば、挑む事すら無謀な雰囲気。

「俺が相手してやる。全員で掛かってこい」

 おざなりに手招きする七尾君。

 当然男達はターゲットをシフトする。

「馬鹿が」

「さっき言っただろ。それは、お前達だって」

「ちっ」


 鋭い出足で踏み込む大柄な男。 

 唸りを上げるジャブ。

 七尾君はタックル気味に、それを肩で弾く。

 あっさりと懐に飛び込んだ彼は、鼻で笑い拳を振り回した。

 重力以上の早さで床に叩き付けられる男。

 無造作な、構えも何もない一撃

 その体格からは、想像も出来ないパワーと速度。

「次は」

 今のを見て出ていけるはずが無く、男を抱え上げ逃げていく男女。

 ただ理事の息子だけは、相変わらずの陰険な眼差しをこちらに向けて。

「何、あれは」

「理事の息子。よく分からないけど、私達が気にくわないみたい」

「ふーん。気を付けよう」

 殴った後で、そんな事を言っている七尾君。

「でも、随分ラフだね」

「教わった先輩が先輩だから」

「阿川君?」

「いや。この前の、風間さんとか。後は」

 視界によぎる影。

 女性にしては長身で、スレンダーな体型。

 制服の胸元をはだけ、バトンを肩に担ぐ精悍な女性がこちらへとやってきた。

「七尾、何暴れてるの」

「正当防衛です。で、この人が俺の師匠。土居さん」

「雪野優です」

「……ああ、あの時の」

 人の頭を撫でてくる土居さん。 

 身長差と見た目が違う分、冗談抜きで大人と子供である。

 彼女は何か感慨深げだけど、私はその理由がいまいち不明。

 昔北地区に行った事はあるので、出会ってるかも知れないが。

 聡美ほど記憶力は良くないため、具体的な思い出は浮かんでこない。

 もしくは、浮かばない方がいいのかもしれない。


「小泉や峰山を、退学にさせたんでしょ」

「え、それは。その」

「責めてる訳じゃない。状況は聞いてるし、あの子達が何を考えてたかは多少なりとも分かってるから。あたしやは、七尾は」

 優しい、労るような眼差し。

 それでも私は頭を下げ、一言謝った。 

 「ごめんなさい」と。

 それ以外に言葉はなく、それ以外にする事もないから。 

 彼等の気持ちや状況はともかく、私達が退学に追い込んだのも紛れもない事実なんだから。 

「参ったな。とにかく、あたし達は気にしてないの。だから、もうこの話は無し」

「は、はい」

「しかし、理事の息子とやり合うとは。どうなっても知らないよ」

「本当に」 

 感慨深げに頷き合う二人。

 少し、笑っているようにも見えるが。

「あたし達はまだ用事があるから」

「あ、はい」

「塩田達によろしくね。それと、その内に」

 私の背中。

 スティックを指差し、自分のバトンを軽く振る土居さん。

 私もスティックに触れ、軽く微笑んだ。

 言葉にしなくても分かる、同じ血の香り。

 どこか、沙紀ちゃんにも似た。

 彼女はその後輩だから、それが受け継がれているのだろう。 

 他人同士。

 でも、重なり合い伝わっていく何か。

 私にもきっとあると思いたい、人との絆……。 



 ふらふらと、総務局内を歩く。

 迷ってる訳ではない。

 部屋に戻るのもなんだと思っただけだ。 

 総務局。

 生徒会の各局から出向した人達で構成される局で、各局間の調整が主な仕事。

 その性質上、各局の上に立つ組織でもある。

 さっきも思った通り、だからどうという事もない。

 生徒会にも所属しない、ただの生徒にとっては。

「何をしてる」

「別に」

 私の視線を読み取ったのか、微かに口元を緩める生徒会長。

「役職上、総務局に顔を出す機会は多い。それにここは、元々自分がいた場所だ」

「ふーん、そういう感情もあるんだ」

 適当に頷き、ははと笑う。

 彼も苦笑して、その指を私の隣へと向けた。

 今は、誰もいない場所へ。

「ところで、遠野さんの一件はどうなった。君が襲われた事も」

「サトミの方は、警察は調べないって。私の方は、まだ何とも。でも、良く知ってるね」

「生徒会長だからな」

 冗談っぽい笑い方。

 どうでもいいけど、もっと広い視野で物事を見ればいいのに。

 いや。広い視野でも見ていて、さらに細かな事にも気を配っているのかも知れない。

 何にしろ新カリキュラムなんだし、私の短い物差しでは測れないだろう。


「とにかく、警察や警備員さんに任せてるから」

「その方がいい。無理をしてやる事でもないし、それよりもやるべき事があるはずだ」

「やるべき事?」

「私の場合は、契約という面もあるんだが。自らに科せられた義務は果たすとでも言うのかな」

 契約という言葉。

 それに疑問を感じる間もなく、彼は話を続ける。

「ここの生徒である限り、その義務を果たすのは当然だ」

「私も?」

「その先は、自分で考えてくれ」

 抱えていたバインダーを振り、カードを通して部屋に入っていく生徒会長。

 私はその背中を見届ける事なく、歩き出していた。

 義務。

 なすべき事。

 彼の言った通り、それは大切な事だろう。

 でも今の私に、そんな余裕はない。

 誰が何と言おうと。

 まずはサトミを守る。

 私にとって、それ以上に大切な事はないんだから……。




 翌日の授業。 

 やはり、サトミの姿はない。

 気が入らないまま一日を過ごし、オフィスへと入る。

 彼女がいないという現実。

 目の前に積まれた書類が、それをより強く実感させる。

 ショウはその上の一枚を取り、ペンを手の中で転がした。

「……サトミがいないと困るよな」

「困るというより、寂しい」

 彼と二人きりのせいか、自分の気持ちを素直に告げる。

 あの子がいない理由は分かっていて。

 会おうと思えばいつでも会えるけど。

 ここにはいない。

「それもそうだけど、片付かない」

 申請書、報告書、レポート。

 いつもあの子が片付けていた書類。

 それが溜まっている。

 今は違う場所で、違う事をやっているから。

 微かな苛立ち。 

 あの子の居場所がここではないと認めるようで。

 苛立ちと、切なさが募る。

「仕方ない。少しずつ片付よう」

「任せなさいよ」

「研修の成果でも見せてくれるとか」

「まあ、見てなさいって」

 書類を前にして。

 書く、書く、さらに書く。 

 サインだけ。

「おい」

「冗談だって」

「本当に」

 ため息を付く彼を放っておいて、真面目に書き始める。

 やれない訳じゃない。

 この間だってそうだ。

 少し時間が掛かるから、面倒なだけで。

「えーと」

「……マニュアルを読むな」

「より完全を期すためによ」

 当然の事ながら、遅々として進まない作業。

 間違えるよりはいいが、年内に終わる気もしない。

「誰か呼ぶか」

「呼んで」

 自分で出来ない場合は、誰かを頼る。

 この場合はさすがに情けないというか、物悲しいけど。


 ふぅ。

 書類を横へ置き、次のを手に取る。

「ん」

 ショウの隣で、てきぱきと仕事をこなしている小谷君。

 いつの間に。

「ありがとう」

「いえ。でも、そんなに難しい書類じゃないですよね。このくらいは普通にこなせないと」

 厳しい言葉。

 何となく言葉に詰まり、曖昧に頷く。

 彼の言う通りだ。

 普段はサトミを頼って。

 今もすぐに人を頼って。 

 進歩が無く、それを直そうともしないで。

「冗談ですよ。玲阿さん、何か言って下さい」

「俺に振るな」

 逃げるショウ。

 謝りかける小谷君に首を振り、私はため息を付いた。 

 本当に駄目だな、私は。

 その雰囲気を察したのか、小谷君が冗談っぽく話し掛けてくる。

「遠野さんはともかく、浦田さんはどこに行ったんです」

「腹が減ったら帰ってくるさ」

「猫じゃあるまいし。でも、鈴は付けた方がいいかもね」

「その辺で、毒饅頭でも食べてるんじゃないですか」

 しばらく、ケイの話題で盛り上がる私達。

 すると、私の端末が小さく音を立てた。

「……ええ、そうです。……は、はい。……分かりました。……はい」

「誰」

「医療部。ケイが、怪我して運び込まれたって」



 消毒の匂い、白いシーツの掛かったベッド、綺麗だけど無機質な白い壁。

 張りつめた緊張感と、それと相反する奇妙な気だるさ。

 何度訪れても慣れる事はない、病院独特の雰囲気。

「軽い打撲だね。しばらくは通院するように」

「はあ」

「嫌な顔しない。しかし君は、よく来るね」

 苦笑する緑先生。

 ケイは包帯の巻かれた首筋を押さえ、恐縮気味に頷いた。

「胸の具合は」

「傷跡が残ってる程度です」

「よろしい。それと、もうここに来る事がないように」



 戻ってきたのは、沙紀ちゃんのオフィス。

 寮に帰ればいいんだろうけど、ケイが大丈夫だと言ったので。

 ここには仮眠室もあり、体を休める事も出来るから私達の所へ戻るよりはいいとの判断から。

「また、ですか」

 腕を組み、ケイを見下ろす沙紀ちゃん。

 ケイはタオルケットを胸まで被り、顔を背けた。

「好きで怪我をした訳じゃない」

「じゃあ、どうして」

「廊下を歩いてたら、サトミが見えて。人気のない方に行くから、ちょっと後を付けた途端」

 顔をしかめ、首筋を押さえる。  

「殴られた訳」

「角を曲がった後は、覚えてない。気付いたら、医療部の天井が見えてた」

「大丈夫なの」

「俺は。どっちにしろ、大した奴じゃない」

 鼻で笑うケイ。

「サトミは未遂。ユウは撃退。まともに襲われたのは俺だけで、ショウは狙われてもない。勿論、同一人物ならの話だけど」

 冷静な判断。 

 この状態でも、それはわずかにも揺るがない。

「遠野ちゃんは、大丈夫なの」

「俺は、背中しか見てない」

「いい。私が聞いてみるから」

 端末を取り出し、彼女に連絡を取る。

「……うん。……え。……いや、いいよ。……分かった、うん」

「大丈夫そうね」

「え、うん」 

 曖昧に笑い、端末をしまう。

 サトミが無事なのは分かったし、ここで話す事でもない。

 演技派とは行かないまでも、それを隠すくらいの事は出来る。

 今の話は、しばらく胸の中にしまっておこう。

 何となく沈みがちな沙紀ちゃんには悪いと思うが。

 彼女と、ケイの関係。

 それと今の、サトミの一件。 

 沙紀ちゃんが気にするのも当然なんだけど。

「さてと、いつまでもうだうだしてても仕方ない」

「どうするの」

「別な関係者に、話を聞きに行く」



 綺麗な廊下、壁は塗装が塗り替えられ、窓ガラスは外の景色をそのまま写す。

 床にはごみ一つ無く、これといった汚れもない。

 階段を登りきり、開けた場所に出る。

 熱田神宮を一望出来る、壁全面のガラス窓。

 その前にある見慣れたソファーと自販機。

 屋神さんがいた、あの場所。

「君の方で、何か情報は」

「特に、聞いてない」

 物静かな口調で語る、大柄な男性。

 落ち着いた物腰の、普通の顔立ち。

 ただその後ろに控える男女達同様、どこか剣呑な雰囲気を漂わせている。

「少なくとも、俺の周りにそういう人間はいないつもりだ」

「だろうね。ただ、今年の1年までは把握してないだろ。小坂こさか君」

「それは認めるが、そんな真似をして黙ってる奴がいたらどうなるか。よく教えてやるさ」

 一瞬浮かぶ、獣にも似た笑み。

 沢さんは肩をすくめ、熱田神宮を望める窓辺へと立った。

「どうしてこんな所にと初めは思ったけど、この眺めが見られるなら分かる気がする。君も、屋神さんも」

「お前はどうなんだ」

「僕は、落ちぶれてここに来てる」

「そういう事は、資格を捨ててから言え」

 鼻で笑う小坂さん。 

 フリーガーディアン、傭兵。

 普通に生活していたら会う事のない人達。

 そんな存在を目の前にしている、今の自分。

 少しの違和感。 

 でもそれは、今の光景を慣れている自分に対してかも知れない。

 高校に入る前までは、考えもしなかった事。

 舞地さん達と知り合い、傭兵として他の学校へも行き、先輩達の過去も聞いて。

 それが当たり前になっている。

 流されているとも言える。

 自分の考えが無いとも。

 だとしても、この人達と出会ったのは紛れもない事実である。

 それが自分にとって、どういう意味を持つかはまだ分からないけれど。

 会えて良かったと。

 ただ一つ、その事だけは分かっているつもりだ。


「塩田の後輩か」

「よろしくお願いします」

「ああ。そっちが、玲阿だったか」

「はい」

 遠慮気味に頭を下げるショウ。

 小坂さんは彼を上から下へと見渡し、軽く頷いた。

「三島さんに勝てる訳だ」

「いや。俺は、勝ったといっても向こうが怪我をしてただけで」

「勝ちは勝ちで、変わらない。少しは、自信を持て」

 淡々とたしなめる小坂さん。

 先日まではそうだったんだけど、色々あったんですと言ってみたい。

「何か掴んだら、連絡を入れる」

「頼む。それじゃ、そろそろ戻ろうか。君もここにこもってないで、たまには外に出たらどうだい」

「屋神さんは、どうしてた」

「卒業まで、ずっとここにいたよ」

 無言で見つめ合う二人。

 それだけで、お互いの意志と思いを伝えあうようにして。 

 一人の先輩のした事を。

 その存在を。

 私の胸にも微かに残る、大きな背中を……。



「怪我した?馬鹿か、お前は」

 全然労らない塩田さん。

 例により机へ腰を掛け、楽しそうに笑っている。

「いいから、なんか手当下さい」

「うるさい奴だな。……元野は。……ああ、呼んでくれ」

 少しして、大きな封筒を抱えたモトちゃんが連合議長執務室へとやってきた。

「これに必要事項を書き込んで、後は医療部で診断書をもらってきて」

「金は」

「私は、書類を受理するだけ。保険会社に聞いて」

 素っ気ない返事。

 ケイは鼻を鳴らし、文字を埋めていく。

「浦田さん、読めないんですが」

「うるさいな。名前だよ、名前」

「冗談、ですよね」

 笑いかける小谷君。

 ケイも少し笑い、モトちゃんに手を差し出した。

「これが駄目なら、もう換えはないわよ」

「……丹下さん。その」

「知らない」

 冷たい一言。 

 さっきの事を気にしているのだろうか。

 少し不安になり、彼女の横顔を伺う。

 微かに動く口元。

 私は頷き、やはり口元を動かした。

「えーと。金が入ったら、なんか奢るから」

「牛乳プリンお願い」

「……誰かが好きそうなお菓子だな」

 陰険に私を睨み、渋々頷くケイ。

 モトちゃんは沙紀ちゃんへ書類を渡し、たしなめるようにこちらを見てきた。

「お前ら、犯人探しでもする気か」

 探るような視線。

 私は何も答えず、髪に触れた。 

 そこまで考えてなかったから。

「止めた方がいいぞ、ろくな事がない」

「らしくないね」

「黙ってろ。俺達は生徒を守るのが仕事で、犯人を捕まえるのは警察や警備員にやらせとけばいい」

 もっともな答え。

 ただ沢さんが言った通り、塩田さんらしくないとも言える。


「ったく。お前ら襲う暇があるなら、俺を襲えよな」

「あ、あの。なんの話を」

「仕方ない。また何かあると危ないし、俺も付き合うか」

 結局は、それが言いたかっただけか。

「そんな事、出来ると思ってます?」 

 すごみのある笑み。

 ある意味、さっきの小坂さん以上の。 

 塩田さんは腰を引き、少しずつ机から降りた。

「怒るなよ」

「でしたら、怒らせるような事を言わないで下さい」

「あーあ。何で俺、議長なんてやってるんだろ。もう、お前やれ」

 放られるIDカード。

 モトちゃんが受け取るより早く、ケイが空中でそれを掴む。

「済みません。及ばずながら、頑張ります」

「殺すぞ」

 真顔で警告する塩田さん。

 ケイは即座にそれを投げ返し、喉元を親指でかっ切る真似をした。 

 何をしてるんだか。

「どっちにしろ、俺は向いてないんだ」

「何を今さら。ねえ、ユウ」

「私に振らないで。それに塩田さんだって、面倒ごとは全部モトちゃんや木之本君に押し付けてるじゃない」

「まさか、そんな訳あるかよ。お前、面白いな」

 部屋に響く、虚しい笑い声。 

 この通りだから、議長でも議長じゃなくても同じだと思う。

 来客を告げる端末からのアナウンス。

 ドアの傍にいたモトちゃんが、コンソールを操作してドアを開ける。


「失礼します。えと……。元野さん」

「こんにちは」

 にこやかに微笑むモトちゃんと、書類を持ったままそれを振る名雲さん。

 なんとなく見つめ合っているように見える二人。

「何か用か」

「使いっ走りさ。直属班の指揮権が、連合にも適用されるって」

「今までもそうだっただろ。改めて書面にするのは、ちょっと気になるが」

「その辺は、矢田にでも聞いてくれ」

 気さくな会話。 

 所属、役職、立場。 

 重ならない幾つかの事。

 でも、もっと本質的な部分はどうだろう。

 また本人達は、お互いをどう考えているんだろうか。 

「まあ、いい。結局俺達は、自警局のいいなりなんだし」

「あんた、そういう性格なのか」

「意外と気が弱いんだよ、俺」

 無言で視線を交わしあう私達。

 この人が気が弱いなら、世の中に気の強い人は一人もいなくなる。

 笑えもしないとは、まさにこの事だ。

「俺も、どうでもいい」

「それは、直属班としてか。それとも」

「さあな。とにかく、書類は渡した」

 私達へ軽く手を振り、部屋を出ていく名雲さん。

 曖昧な最後の答え。

 彼がこの学校へ来た理由は、結局語られない。

 断片的に幾つか分かっているだけで、真実は分からない。

 それは今、この時も。

「おい、待てよ」 

 書類を机へ置き、名雲さんの後を追う塩田さん。 

 彼もまた、釈然としない思いがあるんだろう。

「……あの男っ」

 突然そう叫び、モトちゃんもドアを飛び出ていった。

 まさか、名雲さんの事ではないだろう。

「どうしたのかな」

「塩田さんが逃げたから、追いかけたんだろ」

 冷静に指摘するケイ。

 そういう訳か。 

 しかし、あの男って。

「今のは一体、何なんですか」

「俺に聞くな」

「玲阿さん、そればっかりですね」

 笑う小谷君。

 ショウは小さく唸り、口元で何やら呟いている。

 彼等の立場を考えての発言なんだろうけど、確かに頼りにないとは言える。

 彼らしいとも。

「ここにいても仕方ないし、戻ろうか」

「そうね。私も、仕事があるし」

 ケイへ、心配そうな視線を向ける沙紀ちゃん。

 その彼はといえば、机の引き出しを開けようとして手を押さえている。 

 電気でも流れたらしい。

 さすがに馬鹿馬鹿しくなったらしく、沙紀ちゃんは彼に背を向けドアを出ていった。 

 私達は最初から愛想を尽かしてるので、気にもしない。

「浦田さん、帰りますよ」

「ああ。ったく。あの男、セキュリティを作動させてやがる」

 まさに、あの先輩ににしてこの後輩ありだな。

 この人は、何をやったら懲りるんだろうか。

 それともやはり、死なないと治らないとか……。



 物騒な事を考えてても仕方なく、ケイを寮へ送り届けてショウの部屋に上がり込む。

 室内用のトレーニング器具と、少しの雑誌。

 シックな家具と、落ち着いた内装。

「いや」

 差し出されたコーヒーを押し返し、キッチンへ行って自分で作る。

「あのな」

「じゃあ、飲んでみてよ」

「飲むさ。ユウになんて、もったいない……」

 一口飲んで、動きを止めるショウ。

 多分、まずくはない。

 以前に比べれば。

「おかしいな」

「粉入れて、お湯を注ぐだけじゃない」

「悪かったな、不器用で」

「ケイもそうだけど、あの子って料理はちゃんと作るよね」

 食べ物に関しては、意外と出来る子だ。

 ただそれは人に食べさせる場合であって、自分で食べる時は手づかみで野菜をちぎるからな。

「夕ご飯どうする」

「他の話題はないのか」

「無い」

 はっきり言い切り、端末で今日のフリーメニューをチェックする。

 牛刺し、ロールキャベツ、エビチリ。

 和、洋、中。

 どれも、美味しそうだ。

 実際は、昨日から知ってるけど。


 来客を告げるメロディ。 

 端末で、インターフォンとリンクさせるショウ。

 TVには、ドアの上に設置されているカメラの映像が映し出されている。

「はい」

「僕だけど、本返しに来た」

 厚い本を、カメラに近付ける木之本君。

「開いてるから、入って」

「うん」

 「お邪魔します」という律儀な挨拶と共に、本を抱えた木之本君が入ってきた。 

 そしてすぐに、「お邪魔しました」と頭を下げて出ていった。

「ちょ、ちょっと」

「お、お前誤解してないか?」

「いや、僕は大丈夫だから」

 僕が恥ずかしいよとでも言いたそうな顔。

 付け加えるなら、他言はしないという。

 勘弁してよね。

「いいんだって。ご飯、ご飯食べに行こう」

「あ、ああ。ほら」

「いいの?」

 気を遣わなくていいよ、なんて視線。

 もう、いいんだって。



 いつもより食べて、お茶を飲む。

 ビールも飲む。

 さきいかも美味しいわい。

 と、下らない事を思いながら。

「浦田君は?」

「寝てるだろ。睡眠作用のある鎮痛剤をもらったらしいし」

「人に構われるの、嫌がるからね」 

 その辺りは、ある意味私達以上に分かってる木之本君。

 気を遣う人だけど、余計なお節介とは無縁な人だから。

「サトミも、まだ戻ってないのよね」

「連絡すれば」

「うん」

 そう答え、端末の画面を見つめる。 

 表示されている、サトミのアドレス。

 ためらわれる連絡。

 先日琵琶湖へ行った時とは違う、もっと複雑な思い。

 それに、彼女からも掛かってこない。

 私と話をする時間がないのか。

 それより楽しい事があるのか。

 自分で自分が嫌になりそうな考え。

「……もう、食べ終えたの」

「え」

 顔を上げると、トレイを持ってサトミが私の前へ座った。

「端末無くしちゃって。さっき、やっと見つけたわ」

 明るく笑い、美味しそうにエビチリを食べるサトミ。

 子供みたいだけど、自分でも馬鹿みたいだけど。

 言いしれない嬉しさが、心の中に広がっていく。

 さっきの考えが、恥ずかしい。

 サトミがそんな事を考える訳がないのに。

 一人で落ち込んで、勝手に思い込んで。


「どうしたの」

「ううん、何でもない。あれ、ショウ達は」

「ユウしかいないでしょ」

 小首を傾げるサトミ。

 周りを見渡すと、ちょうど食堂を出ていく二人の背中が見えた。

 何も言わなかったのに、私の気持ちを察した男の子達の。

「ケイは大丈夫?」

 少し不安そうな問い掛け方。

 私は空になったグラスを、そっと彼女のグラスへ重ね合わせた。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」

「何よ、それ」

 くすっと笑い、グラスを傾けるサトミ。

 それを受け取り、私もビールを口にする。


 少しの苦さ。

 その後に続く爽快感を味わうために。 










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