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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第15話
162/596

エピソード(外伝) 15-5 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~






     雪




     15-5




「お前の手料理ってのもな」 

 嫌そうにソバをすする名雲。

 沢は箸を止め、それを彼の鼻先へと突きつけた。

「なら、食べなくていい」

「僕は、美味しいと思うよ」

 音も立てず、少しずつすする柳。 

「裏切り者が。お前はもう、ワイルドギースじゃない」

「じゃないって、別に人が勝手にそう呼んでるだけでしょ。あなたが決めた訳じゃないんだから」

「静かに食べろ」

 二人をたしなめ、そば湯を口にする舞地。

 池上は名雲のつゆにわさびを放り込み、鼻を鳴らした。

「君は、本気でここに残るの」

「決めてない。ただ、あちこち行くのも少し疲れた」

「確かにここは静かで、過ごしやすいけど。ねえ」

「私に振らないで。残るのも残らないのも、沢の勝手だ。私には関係ない」

 素っ気なく返し、目を細めて沢を見つめる。

 それを正面から受け止める沢。

「ここは、僕の居場所じゃないって?」

「何も言ってない」

「静かな暮らしを望んで、何が悪い」

 珍しく苛立ち気味な態度。  

 舞地はゆっくりと頭を傾け、長い髪を横に流した。

「草薙高校で何があったのか知らないけど、ここを逃げ場所にされたらあの子達も迷惑だ」

「僕が、利用してるとでも」

「それは、自分で判断すればいい。今言った通り、私には関係ない」

 そう言い切り、食堂を出ていく舞地。

 気まずく、重い空気。

 池上は舞地の食器を片付け、キッチンへと向かう。


「気にするな」

「僕は、別に」

「良い悪いって話じゃない。無理してやる必要もないしな、こんな生活は。自分が辞めたと思えば、それまでだ」

 グラスの冷酒に口を付け、軽く顎を引く。

「君は止めないんだな」

「逃げるのが悪いって訳でもない。それにお前がここに残りたいって気持も、多少は分かる。俺だって身の危険を感じずに、のんきに暮らしたいさ」

「ああ」

「大体、止める関係でもない」

 表情は笑っているが、目元は鋭く輝いている。

 沢はそれとなく、彼の視線を避ける。

「俺も、昨日言った通りだ。ここで楽隠居してろ」

「だから僕は」

「知らんよ。じゃあな」

 ざるの上に残った、少しのソバ。

 それを器に入れ、まずそうにすする沢。

「僕は、何となく分かるけどね」

「柳君」

「ただ、らしくないとも思う」

 そう言い残し、柳も食堂を後にする。


 静まりかえった食堂。

 食器は池上が片付け、何も残ってはいない。

 ただ一人、沢が座っているだけで。

「どうかしました?」

 いつも通り、朗らかに声を掛ける少女。

 沢は俯いたまま、動く気配がない。

「あの」

「え?」 

 ようやく顔を上げ、微かに頷く。

「どうしたんですか?」

「いや。ちょっと、眠くて」

「もうですか?それとも、朝からよく働いたからですか?」

 転げるように笑う少女。

 曖昧に笑う沢。

「風邪でも引きました?」

「いや。大丈夫。……お兄さんは」

「玄関で、雪掻きやってます」

「分かった」



 街灯の灯る玄関先。 

 周囲を囲む木々が風に揺れ、乾いた音を震わせている。 

 ちらつく雪。

 積もる程ではなく、風に乗り緩やかに夜空を漂い続ける。

 スコップを持ち、懸命に雪を掻く少年。

 頬を滴る汗。

 はやる息。

 白い塊が、流れていく。

「……もう、終わった」

 爽やかな笑顔。

 しかし沢の顔を見咎め、微かに表情が曇る。

「風邪でも引いた?」

「いや。そうじゃない」

 短い、返事とも言えない言葉。

 少年はスコップを雪に突き立て、顔の汗をタオルで拭った。

「何もないんだよな、ここは」

「え?」

「遊ぶ場所も、する事も何も。冬になれば雪ばっかりで、外に出るのも難しい」

 かかとで蹴られた地面が削れ、雪が辺りへ舞い散っていく。

「妹は喜んでるけど、どうかな」

「僕が残るのに反対なのか」

「そうじゃない。ただ、後になって突然ここを出ていかれるとこっちも辛い。そういう、裏切りは」

 夜空を見つめる、遠い眼差し。

 この地に住む事を定められ、それに従うしかない生活。

 自由に、好きな所へ行く事など夢の話でしかない。

 空には無数の星があり、無限の広がりを見せているというのに。


 誰もいない玄関先。 

 少年の姿も、すでにない。 

 わずかに開けた、駐車スペース。

 それを、じっと見つめ続ける沢。

 吹き込む風が雪を運び、彼の肩へと積もっていく。

「……僕はもう、戻れない。あなたの最期を見届けるためになんて」

 ポケットから取り出される、彼の端末。

 一つの通信記録。

 送信者は、教育庁。

 無論名前やアドレスは、巧妙にカムフラージュされている。

 本文も暗号化された物で、その内容は草薙高校への再赴任。

 生徒同士の抗争が激化し、学校側との対立が顕著となっている現状の監視。

 現在の教育庁長官は、草薙グループの強力な支援により当選を果たしている。

 その人物からの命令。

 内容は監視とあるが、真意は読み手に委ねる。

「逃げて、何が悪い。逃げないとどうなるか、分かってるだろ」

 コートの中に埋まる顔。 

 風に消される、ささやくような声。

「僕は、この温かさで十分だ。無理して辛い思いをしなくたっていい。それで得られるのは自己満足だけだよ……」

 苦い、絞り出すような言葉。

 寒風に襟元がはためき、彼の頬を叩く。

 沢は拳を固め、振り向き様壁に叩き付けた。

「血も出ない」

 自嘲気味な笑い声。

 鍛え込まれた拳は、微かに赤らんだだけである。

 ただしそれ自体には、無数の傷痕が刻まれているが。

「あなたを、あの子に重ねた自分が間違ってるのかな」

 再び漏れる事情気味な笑い声。 

 誰もいない雪の中に吸い込まれていく声……。



 体の雪を払い落とし、民宿の中へと戻る沢。

 その傍らに、少年がやってくる。

「……待ってたのかい」

「客だから」 

 タオルが放られ、背が向けられる。

「昨日から色々あったけど、ここにはいない方がいいと思う」

「僕は、厄介者か」

「かもな。契約期間ももうすぐだし、それまでだ」

 厳しく言い捨て、廊下を歩いていく少年。

 沢は素早く駆け上がり、彼の前へと回り込んだ。

「僕には、そんな自由もないのか」

「そうして悩んでる内は、どこにいても同じさ。こっちも、相手をしてる程暇じゃない」

 突き放すような台詞。

 沢を鋭く見据え、唇を噛みしめる。

「残る残らないは、自分の勝手だ。アパートがないなら、ここを安く貸す」

「……君もか」

 薄く、凍り付くような笑み。

 その拳が、廊下の壁を捉える。

 鈍い振動が伝わり、床までもが微かに揺れる。

「どういう意味だ」

「君には関係ない」

「そうか。それと、明日から手伝いはしなくていいから」

「する気もない」

 無機質な口調。 

 醒めた眼差し。

 高ぶる感情を、強引に抑え込むような。

「裏切り、か。もう、慣れたよ」

「何か言ったか?」

「いや。招かれた以上、仕事はして帰る。その後のアフターケアもする。それだけだ」

「元々、そういう関係だろ」

 淡々と語り、沢の隣りを過ぎていく少年。

 その背中を見送り、沢は拳を手で握り締めた。

 小刻みに震える、血の吹き出した拳を……。



 翌日。

 待機室に顔を揃える、沢と舞地達。

 しかし空気は重く、会話は殆ど聞かれない。

 黙々と事務仕事に没頭する名雲と池上。 

 柳は警棒を磨き、舞地は眠そうにだるまストーブを見つめている。

 沢も、彼女と近い。

 一人離れた場所に座り、目を閉じて窓を向いている。

 身じろぎ一つせず、何をするでもなく。

 そんな彼に声を掛ける者はなく、時だけがただ過ぎていく。

 重く、長い時間が。


 昼食時間。

 食堂に向かう舞地達。

 沢は動こうともせず、未だに目を閉じている。

 寝ている様子はなく、むしろ張りつめた印象すら与える背中。

 それに気を遣ったというよりは、放っておいたというのが正しいのだろう。

 廊下から聞こえる足音、笑い声。

 だるまストーブの燃える音。 

 窓を雪が叩き、かたかたと音を立てている。

 しかし沢は、反応しない。

 不意な声にも、突風にも。

 集中、それとも拒絶。

 彼の周りに不可視の壁があり、全てがそこで跳ね返されているような佇まい。

 彼がそれを、意識しているかどうかはともかくとして……。


 微かなきしむ音。

 ドアがわずかに開き、少女が控えめに中へと入ってくる。

 後ろにあるのはランチボックス。

 沢はそれでも、動かない。

「あの、お昼食べないんですか?」

 彼女にしては珍しい、伺うような問い掛け方。

 やはり、反応はない。

「私が作ったと言うより、おばさんが作ったんですけど。結構、美味しいですよ。鹿の肉って食べた事あります?」

 お茶が入れられ、ランチボックスのふたが開けられる。 

 ふと漂う、香辛料の香り。

 少女は小さなおにぎりを掴み、一口食べた。

「美味しい。塩だけでも、美味しいですね」

 返らない反応。

 少しの虚しさを覚えたのか。

 それとも、苛立ちか。

 彼女も、口を閉ざす。

 そして、再びの静寂が彼を包む。


「ンッ」

 鼻をすすり上げる音。

 弾かれたように、後ろを振り向く沢。

 ティッシュを取り出していた少女は、怪訝そうに彼と目を合わせた。

「あれ。もしかして、私が泣いてると思いました?」

 応えは返ってこない。

 しかし、それはもうどうでもいい事だ。

「ちょっと、辛子がきつ過ぎて。私、すぐ鼻が出るんです」

 聞かれもしないのに、話し続ける少女。 

 沢は気まずそうに頬を触れ、ぬるくなったお茶をすすっている。

「みんなは、食堂ですか?」

「ああ」

 ようやくの応え。 

 同時に差し出される、ランチボックス。

「おにぎり、好きなんですよね」

「どうして」

「いつも、食堂で食べてたじゃないですか」

「よく見てるな」

 ぶっきらぼうに言い、一つ手に取る沢。

 それを、難しい顔で頬張る。

「どうですか?」

「梅干しが入ってる」

「そうじゃなくて、味ですよ」

「……美味しい、かな」

 ごまかし気味の語尾。

 少女は気にせず、にこりと笑う。

「おにぎりくらいは、私にも作れますから」

 微妙な答え。

 からかうような上目遣いが、沢の反応を待つ。

「君が」

「ふつつかながら」

 むせる沢。

 その背中をさする少女。 

 なんの事はない風景。 

 少し甘い、よくある日常。

 彼にとっては、考えもしなかったはずの出来事。

 それが彼の心を弱くするのか。

 彼には許されない事なのか。

 その答えは分からない。

 また、求めるのは酷だろう。

 ぎこちなく世話を焼かれる、今の彼にとっては……。



 数日後。

 物憂げな顔で、校舎の玄関をくぐる沢。

 その隣りに、さりげなく名雲が並ぶ。

「あいつが、呼び出されてるって」

「誰に」

「お前が殴った、ガーディアンのトップ。昨日、二人で会ってたらしい」

「元は知り合いだ。顔くらい会わすだろ」

 淡々とした答え。

「ケンカ別れした二人がか?」

「僕とあの子も、似たような状況だ」

「随分投げやりだな。とにかく、警告はしたぞ」

 足早に追い越していく名雲。

 沢はその背中を見るでもなく、変わらぬペースで廊下を歩いていく。  

 心ここにあらずとでもいった具合に……。


 昼食後。

 豪雪による、臨時休校。

 前日の天気予報で各生徒も織り込み済みらしく、登校している者は普段の半分にも満たない。

 上着を抑え、雪の中を戻っていく生徒達。

 バスや車が駐車場を後にし、学校は少しずつ静けさを取り戻す。

 そう、静けさ。 

 普段が喧騒に包まれている分、それは痛い程に感じられる。 

 誰もいない廊下。

 向き合う者のない、机の列。

 虚しく響く、チャイムの音色。

 わずかな物音は雪に吸い込まれ、全ては白に埋め尽くされる。


 だるまストーブの上で音を立てるやかん。

 壁にもたれ、それに見入る沢。

 照明の落ちた室内。 

 炎の揺らぎが、彼の顔を翳らせる。

 窓の外。 

 激しい、横殴りの雪。

 彼の泊まっている民宿までは車で10分程度だが、これでは帰るのも簡単ではないだろう。

 それを気にした様子もなく、その細い瞳はストーブの炎を見つめている。

 焦り、不安、苛立ち。 

 実際に彼が何を考えているのかは、読みとれない。

 翳った表情は炎のせいだと言われればそれまでで、単に帰りを妨げるこの雪を憂っているのかもしれない。

 だが生徒が帰って行く中、彼は何もせず炎を見つめている。 

 自身のなすべき事。 

 ガーディアンの育成と組織化。学校との交渉は殆どめどがついているとはいえ。

 多少の残務処理は残っている。 

 今も机には何枚の書類があり、文章は途中で止まっている。

 薄闇に近い室内。

 微かに顔が動く。

 時計を捉えたそれは、すぐにストーブへと戻り再び動きを止める。

 静寂の中、炎の揺らめきだけを残して……。



 体育館前の渡り廊下。

 大きくせり出した屋根が、かろうじて吹き込む雪を減らしている。

 それでもじっとしていれば雪は容赦なく降り注ぎ、その体を白く染める。

 例えば、今の沢のように。

 茶のコートに、厚手のジーンズ。

 髪が白く染まり、風にはためく。

 俯き加減だった顔を上げ、細い眼差しが鋭さを帯びる。

「今さら、何か用かな」

「ああ。ちょっと」

 ブルゾンの内側から取り出されるボウガン。 

 驚く様子もなく見つめる沢。

 ボウガンと、少年を。


「何も言わないのか」

「それで解決するなら、いくらでも言おう」

「さすがに悟ってるな、フリーガーディアンは。そう、俺もあの人と一緒に寝返ったんだ。あの場所ではああ演技したけど、その方が効果的だと思って」

 不意に放たれるボウガンの矢。

 それは風に揺れ、沢の遥か右を飛んでいく。

「離れ過ぎか。何せ、素人だから」

 当てる気はなかったらしく、軽い笑い声が風に消える。

「抵抗したらどうだ。それとも、逃げるとか」

「どうして、僕が」

「ああ、そうか。まだ、何も要求を言ってなかったっけ」

 自分で頷き、ボウガンを下に向ける。

 少し沢との距離を詰め、その先が彼の膝辺りを捉える程度に。

「君らがいると、やっぱり邪魔なんだよ。後はこっちで仕切るから、今日中に出ていってくれ」

「頼まれなくても、一週間もすれば出ていく」

「こっちは、そうはいかない。君達の評価ばかり高くなって、俺は傍観してるだけって噂があるんだ。事実だとしても、今後を考えると面白くない」

 再び上を向くボウガン。

 その初速を考えれば、避けるのは困難な距離。

 風がある分、予測も付きにくい。

「それに、あの先輩を裏切る訳にはいかない」

「だから、付き合いの浅い僕達を裏切ると」

「当然だろ」

 トリガーに力がこもり、矢が放たれる。

 沢の頬をかすめ、雪の彼方へとそれは消えていく。

「さあ。早く、行ってくれ」

「本気か」

「冗談で、こんな真似をしてどうする。一歩間違えれば殺人だ。俺だって、刑務所に行く気はない」

「僕は、君の本心を聞いて……」

 空いていた手が懐に入り、もう一つボウガンが取り出される。

 だがそれは後ろへ放られ、すかさず矢が放たれた。

「……手が込んでる」

「念には念を入れるタイプなんだ」

 青ざめた顔。

 噛みしめられた唇。

 震える両手は、ボウガンを握り締める。

「君も、同意見か」

 答えない少女。

 そのつぶらな瞳で、沢を一心に見つめ続けて。


 彼を呼んだのは、誰だったのか。

 自分の力の無さを認め、分かっていても頑張ると告げたのは。

 彼を特別な存在としてではなく、一人の高校生として受け入れたのは。

 彼にお弁当を届けたのは、誰だったのか。

 はにかみながら、手作りの食事を差し出したのは。

 それを、ぎこちなく頬張ったのは。

 そして今、彼にボウガンを突きつけているのは。


 全ては、雪の中に消える。

 人の姿も。

 顔も。

 心も。

 思いも。




 連射されるボウガン。

 滑る雪を利用して、素早く後ろに仰け反る沢。

 そこをかすめ、矢が飛んでいく。

 凍り付く雪にめり込む、沢のブーツ。

 低い姿勢からの、鋭い出足。

「くっ」

 肩に矢が刺さる。

 突風による加速と、吹き付けた雪のブラインド。

 肩を捉えた理由は、沢が微動だにしなかったせいもある。

 鮮烈な赤が、雪を彩る。

 一つ、また一つと。 

 肩を押さえ、慎重に横へ動く沢。

 それに合わせ、ボウガンの先端が彼を捉える。

 一人なら、まだかわすののたやすいだろう。

 しかし一人が矢をつがえている間にも、もう一人が彼にボウガンを向ける。

 しかも、飛んでくる角度は二つ。

 素人が放つとはいえ、扱いやすさと初速の早さは使い手を選ばない。

 まして、この距離。

 屋根を支える細い柱へ詰まった沢に、二つのボウガンが突きつけられる。

「次は、外さない。そうならない内に、出ていってくれないかな」

「僕は、君の気持ちを聞いている」

「それは、さっき言った通りだ。君を放り出して、先輩を支えた方がやりやすい」

 雪と共に降り注ぐ高笑い。

 青い顔のまま、ボウガンを彼に向ける少女。

「大丈夫。死なれると、俺も困るから。しばらく入院するくらいに、適当に打ってやる」

「僕を裏切るのか」

「ああ、そうだ」

 笑顔と共に、矢が放たれる。 

 足をかすめ、ジーンズが裂ける。

 激しく血が噴き出し、風に飛ぶ。

 白い雪と、赤い血が。

「意地を張る理由もないだろ。俺は君が思ってるような人間じゃないし、知らない人間の代わりと思われても困る」

「……それは」

「君は、君の居場所に帰れ。俺は、君を受け入れる気はない」

 引き絞られるトリガー。

 その先端が、太股へと向けられる。

 血を吹き出し、力のこもらない側へ。

「じゃあ、さよならだ。病院で、自分の馬鹿さ加減を……」


 激しい雪煙。

 咄嗟に顔を押さえる、少年と少女。

 ボウガンが雪の上に落ちるが、二人ともそれに構っている余裕が無い。

「乗れっ」

 後ろを滑らせ、沢の前に横付けされるスノーモービル。

 顔を伏せ、名雲の後ろに飛び乗る沢。

 スロットルが開かれ、先程以上の雪煙が舞い上がる。

 二人の姿を消すようにして。

 それでも雪に埋まったボウガンを拾い上げ、少年はそれを即座に構える。

 だがスノーモービルの姿はとうになく、どこか遠くでかすれたエンジン音が聞こえているだけだ。

「……兄さん」

「心配するな。後の責任は、俺が取る。お前は、俺に脅された事にすればいい」

「でも」

「自分達が育てた人間にまで、手は出さないさ」

 訓練に参加した20名のガーディアン。

 発足当初から参加していた、数少ない一人が彼女である。

 それを踏まえた上での、冷静な判断。

 だが、彼自身はどうなのか。

 雪に埋まった、もう一つのボウガンを拾い上げる少年。

 少女は腰に差していた矢を、彼に手渡す。

 鉄の艶を感じされる、プラスチックの矢を。

「どうして。どうして撃ったの。それは、本物なんでしょ」

「あいつにこれ以上いられると、俺の立場がなくなる。それなら先輩についた方がましだ」

 面白く無さそうに笑い、鉄の矢を握り締める。

 尖った先端。

 拳の間から滴る赤い筋。

 沢の染めた雪に重なって。

「ガーディアンはまとめてるし、学校との交渉も当然俺が関わってる。どっちにしろ、なんの問題もない」

「そうじゃなくて、沢さんとは……」

「もう、終わった事だ」

 短く言い捨て、教棟のドアを開ける少年。

 少女は一人、雪の中に残る。

 その小さな手の平に落ちてくる、無数の雪。

 だがそのどれもが彼女の手をすり抜けていく。

 風に飛ばされ、消えていく。  

 彼女の目の前から。

 遠くへ、どこまでも遠くへ……。




 一般道を走るスノーモービル。

 土地柄上交通違反ではなく、また降り積もった雪のため違和感はない。

 それを護衛するように、ジェットスキーを履いた柳が先導する。

「この先のドライブインに、俺達の車が停めてある」

「……済まない」

「貸しだ。傷はどうだ」

「プロテクターで止まってた。少し縫っただけだよ」

 名雲の背中に顔を押し付け、口ごもったように話す沢。 

 鎮痛剤のせいか、動作や言葉が鈍い。

「あいつが突然襲ってきた理由は、お前だって分かってるだろ」

「本人の口から、確かめたかった」

「教えてくれたか?」

「いや」

 風にも消えない、苦い一言。

 名雲はスロットルを開き、さらに加速する。

「これから、どうするつもりだ」

「……いずれ、草薙高校に戻る。やり残した事もあるし」

「好きにしろ」

 先日と同じ言葉。

 労りが含まれた、凍るような風の中でも届く暖かい一言。



「格好付けて、結果がそれか」

 名雲の肩を借りて車に乗り込む沢に、そう声を掛ける舞地。

 柳の咎めるような視線を気にもせず、その隣へと乗り込む。

「映未」

「はいはい」

 反対側から乗り込み、やはり沢の隣へ座る池上。

 後部座作席から小さな箱が取り出され、沢の膝の上に置かれる。

「栄養ドリンクと、高栄養食材。君、今手ぶらでしょ」

「済まない」

「貸しよ、貸し。その内、恩給で倍返しにしてね」

 軽い、やや今の状況とはずれた発言。

 沢はため息を付き、背もたれへと崩れた。

「辛いなら、後ろで寝る?」

「いい。自分の馬鹿さ加減に、呆れただけだから」

「何を今さら。……名雲、もう少しゆっくり」

 わずかな振動に、舞地が語気を強める。

「へいへい。それで、どうするつもりだ」

「東京へ行きたいから、どこか駅へ」

「送るよ、そのくらい。ねえ、舞地さん」 

 すがるような柳の眼差し。

 舞地は拗ねたように顔を逸らし、口元を動かした。

「え?」

「好きにすればいいだって」

「うん、好きにする。名雲さん、お願い」

「高速なら、朝には着くな。通行規制もしてなさそうだし」

 ナビは豪雪情報を告げているが、現在東京までのルートは速度規制のみである。

 名雲はコンソールを操作して、緩やかなBGMを流し出した。

「薬の時間まで、少し寝てろ」

「……済まない」

「気持ち悪いから、礼も言うな。しかし正月そうそう夜逃げとは、俺達も何やってるんだか」

 踏み込まれるアクセル。

 前を行く軽トラックをパスして、雪道を疾走する車。

 吹き付ける雪はフロントガラスを叩き、ヘッドライトに照らされる。

 窓をわずかに開ける舞地。

 寒風と共に、雪が中へと舞い込む。

「何してるの」

「別に」

 そう答え、窓が閉められる。

 緩やかに舞う小さな雪片が、沢の手の平へと落ちる。

 彼に結晶を見せる間もなく、ただの水滴へと姿を変えて。

「雪解け、か」

 低い、彼自身も気付かない程のささやき。

 全ては後ろへ流されていく。

 景色も。

 雪も。

 思いも。

 遠ざかっていく……。






 済んだ青空と初夏の風。

 汗ばむような陽気に、目を細めて空を仰ぐ池上。

「いい天気ね」

「暑い」

 短く答え、舞地は日差しを避けるようにキャップの鍔を抑えた。

「実際は、例の先輩が君を襲う計画があった。だからそれを事前に防ぐために、君を狙ったのよね」

「どうかな」

「沢君なら気持を分かってくれると思って、敢えてああしたのよ。自分でも、分かってるでしょ。苦しんだのはあなたと先輩の間で板挟みになった、彼の方だって」

 応えはない。 

 沢は肩を押さえ、微かに首を振った。

 痛むはずもない、傷痕すらないその肩を見つめ。

「それで、傭兵崩れの連中があの学校に行ってるらしいの」

「名雲と柳が、先行してる」

 キャップの鍔越しに覗く、澄んだ眼差し。

 沢はそれを受け止め、微かに頷いた。

「……僕が運転しよう。ここからなら、2時間もあれば着く」

「200km/hで走る気?捕まるわよ」

「緊急の用件があれば、その程度の違反は適用されない」

「ただの、職権乱用じゃない」

 後部座席に乗り込む舞地達。 

 沢は空を見上げ、手の平をかざした。 

 そこには何も、舞い降りては来ない。

 空に浮かぶ白い雲が、影を投げ掛けるだけで。


 彼の前髪をそよがせるのは、初夏の風。 

 降り注ぐのは、心地よい温もりの柔らかな日差し。


「……あなたの手助けは出来なかったけど。僕にだって、まだ出来る事がある。それを、一つずつこなしていくよ。……杉下さん」


 風に乗る、思いを込めたささやき。

 憂いも、悩みもそのままに。

 それを乗り越えようとする、強い決意。

 一人の高校生としての。

 拙い思い。






                                 了














     エピソード 15 あとがき




 沢が時折言う、「長野がどう」という話でした。

 本編では書いてませんがロケ地としては長野県飯田市の近く、下条村辺り。

 私は春先しか、行った事ないですけどね。


 どうも、ここまで杉下の事を引きずってたようです。

 何故なのかは私も知りませんが、彼は彼なりの色々な思いがあるのでしょう。

 何となく、分からなくも無いですけどね。

 どっちなんだ、という話でした。


 舞地さん達とは、こういう形で関わってたんですね。

 今回は。

 当然敵対する場合もあるので、それはまた別な機会に。

 兄妹については、あんな感じでしょう。

 兄貴も悪くはないんですが、妹の方が一枚上手かも。

 少し彼等への書き込みが足りなかったかなと、反省もしています。

 そういう事を考えると、きりがないです……。


 という訳で、次回は今に戻ります。

 ユウ達とは別行動をしていたグループの話。

 サトミ達と、ケイのストーリー。

 こちらもやや長めですが、よろしければお付き合い下さい。


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