エピソード(外伝) 15-5 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~
雪
15-5
「お前の手料理ってのもな」
嫌そうにソバをすする名雲。
沢は箸を止め、それを彼の鼻先へと突きつけた。
「なら、食べなくていい」
「僕は、美味しいと思うよ」
音も立てず、少しずつすする柳。
「裏切り者が。お前はもう、ワイルドギースじゃない」
「じゃないって、別に人が勝手にそう呼んでるだけでしょ。あなたが決めた訳じゃないんだから」
「静かに食べろ」
二人をたしなめ、そば湯を口にする舞地。
池上は名雲のつゆにわさびを放り込み、鼻を鳴らした。
「君は、本気でここに残るの」
「決めてない。ただ、あちこち行くのも少し疲れた」
「確かにここは静かで、過ごしやすいけど。ねえ」
「私に振らないで。残るのも残らないのも、沢の勝手だ。私には関係ない」
素っ気なく返し、目を細めて沢を見つめる。
それを正面から受け止める沢。
「ここは、僕の居場所じゃないって?」
「何も言ってない」
「静かな暮らしを望んで、何が悪い」
珍しく苛立ち気味な態度。
舞地はゆっくりと頭を傾け、長い髪を横に流した。
「草薙高校で何があったのか知らないけど、ここを逃げ場所にされたらあの子達も迷惑だ」
「僕が、利用してるとでも」
「それは、自分で判断すればいい。今言った通り、私には関係ない」
そう言い切り、食堂を出ていく舞地。
気まずく、重い空気。
池上は舞地の食器を片付け、キッチンへと向かう。
「気にするな」
「僕は、別に」
「良い悪いって話じゃない。無理してやる必要もないしな、こんな生活は。自分が辞めたと思えば、それまでだ」
グラスの冷酒に口を付け、軽く顎を引く。
「君は止めないんだな」
「逃げるのが悪いって訳でもない。それにお前がここに残りたいって気持も、多少は分かる。俺だって身の危険を感じずに、のんきに暮らしたいさ」
「ああ」
「大体、止める関係でもない」
表情は笑っているが、目元は鋭く輝いている。
沢はそれとなく、彼の視線を避ける。
「俺も、昨日言った通りだ。ここで楽隠居してろ」
「だから僕は」
「知らんよ。じゃあな」
ざるの上に残った、少しのソバ。
それを器に入れ、まずそうにすする沢。
「僕は、何となく分かるけどね」
「柳君」
「ただ、らしくないとも思う」
そう言い残し、柳も食堂を後にする。
静まりかえった食堂。
食器は池上が片付け、何も残ってはいない。
ただ一人、沢が座っているだけで。
「どうかしました?」
いつも通り、朗らかに声を掛ける少女。
沢は俯いたまま、動く気配がない。
「あの」
「え?」
ようやく顔を上げ、微かに頷く。
「どうしたんですか?」
「いや。ちょっと、眠くて」
「もうですか?それとも、朝からよく働いたからですか?」
転げるように笑う少女。
曖昧に笑う沢。
「風邪でも引きました?」
「いや。大丈夫。……お兄さんは」
「玄関で、雪掻きやってます」
「分かった」
街灯の灯る玄関先。
周囲を囲む木々が風に揺れ、乾いた音を震わせている。
ちらつく雪。
積もる程ではなく、風に乗り緩やかに夜空を漂い続ける。
スコップを持ち、懸命に雪を掻く少年。
頬を滴る汗。
はやる息。
白い塊が、流れていく。
「……もう、終わった」
爽やかな笑顔。
しかし沢の顔を見咎め、微かに表情が曇る。
「風邪でも引いた?」
「いや。そうじゃない」
短い、返事とも言えない言葉。
少年はスコップを雪に突き立て、顔の汗をタオルで拭った。
「何もないんだよな、ここは」
「え?」
「遊ぶ場所も、する事も何も。冬になれば雪ばっかりで、外に出るのも難しい」
かかとで蹴られた地面が削れ、雪が辺りへ舞い散っていく。
「妹は喜んでるけど、どうかな」
「僕が残るのに反対なのか」
「そうじゃない。ただ、後になって突然ここを出ていかれるとこっちも辛い。そういう、裏切りは」
夜空を見つめる、遠い眼差し。
この地に住む事を定められ、それに従うしかない生活。
自由に、好きな所へ行く事など夢の話でしかない。
空には無数の星があり、無限の広がりを見せているというのに。
誰もいない玄関先。
少年の姿も、すでにない。
わずかに開けた、駐車スペース。
それを、じっと見つめ続ける沢。
吹き込む風が雪を運び、彼の肩へと積もっていく。
「……僕はもう、戻れない。あなたの最期を見届けるためになんて」
ポケットから取り出される、彼の端末。
一つの通信記録。
送信者は、教育庁。
無論名前やアドレスは、巧妙にカムフラージュされている。
本文も暗号化された物で、その内容は草薙高校への再赴任。
生徒同士の抗争が激化し、学校側との対立が顕著となっている現状の監視。
現在の教育庁長官は、草薙グループの強力な支援により当選を果たしている。
その人物からの命令。
内容は監視とあるが、真意は読み手に委ねる。
「逃げて、何が悪い。逃げないとどうなるか、分かってるだろ」
コートの中に埋まる顔。
風に消される、ささやくような声。
「僕は、この温かさで十分だ。無理して辛い思いをしなくたっていい。それで得られるのは自己満足だけだよ……」
苦い、絞り出すような言葉。
寒風に襟元がはためき、彼の頬を叩く。
沢は拳を固め、振り向き様壁に叩き付けた。
「血も出ない」
自嘲気味な笑い声。
鍛え込まれた拳は、微かに赤らんだだけである。
ただしそれ自体には、無数の傷痕が刻まれているが。
「あなたを、あの子に重ねた自分が間違ってるのかな」
再び漏れる事情気味な笑い声。
誰もいない雪の中に吸い込まれていく声……。
体の雪を払い落とし、民宿の中へと戻る沢。
その傍らに、少年がやってくる。
「……待ってたのかい」
「客だから」
タオルが放られ、背が向けられる。
「昨日から色々あったけど、ここにはいない方がいいと思う」
「僕は、厄介者か」
「かもな。契約期間ももうすぐだし、それまでだ」
厳しく言い捨て、廊下を歩いていく少年。
沢は素早く駆け上がり、彼の前へと回り込んだ。
「僕には、そんな自由もないのか」
「そうして悩んでる内は、どこにいても同じさ。こっちも、相手をしてる程暇じゃない」
突き放すような台詞。
沢を鋭く見据え、唇を噛みしめる。
「残る残らないは、自分の勝手だ。アパートがないなら、ここを安く貸す」
「……君もか」
薄く、凍り付くような笑み。
その拳が、廊下の壁を捉える。
鈍い振動が伝わり、床までもが微かに揺れる。
「どういう意味だ」
「君には関係ない」
「そうか。それと、明日から手伝いはしなくていいから」
「する気もない」
無機質な口調。
醒めた眼差し。
高ぶる感情を、強引に抑え込むような。
「裏切り、か。もう、慣れたよ」
「何か言ったか?」
「いや。招かれた以上、仕事はして帰る。その後のアフターケアもする。それだけだ」
「元々、そういう関係だろ」
淡々と語り、沢の隣りを過ぎていく少年。
その背中を見送り、沢は拳を手で握り締めた。
小刻みに震える、血の吹き出した拳を……。
翌日。
待機室に顔を揃える、沢と舞地達。
しかし空気は重く、会話は殆ど聞かれない。
黙々と事務仕事に没頭する名雲と池上。
柳は警棒を磨き、舞地は眠そうにだるまストーブを見つめている。
沢も、彼女と近い。
一人離れた場所に座り、目を閉じて窓を向いている。
身じろぎ一つせず、何をするでもなく。
そんな彼に声を掛ける者はなく、時だけがただ過ぎていく。
重く、長い時間が。
昼食時間。
食堂に向かう舞地達。
沢は動こうともせず、未だに目を閉じている。
寝ている様子はなく、むしろ張りつめた印象すら与える背中。
それに気を遣ったというよりは、放っておいたというのが正しいのだろう。
廊下から聞こえる足音、笑い声。
だるまストーブの燃える音。
窓を雪が叩き、かたかたと音を立てている。
しかし沢は、反応しない。
不意な声にも、突風にも。
集中、それとも拒絶。
彼の周りに不可視の壁があり、全てがそこで跳ね返されているような佇まい。
彼がそれを、意識しているかどうかはともかくとして……。
微かなきしむ音。
ドアがわずかに開き、少女が控えめに中へと入ってくる。
後ろにあるのはランチボックス。
沢はそれでも、動かない。
「あの、お昼食べないんですか?」
彼女にしては珍しい、伺うような問い掛け方。
やはり、反応はない。
「私が作ったと言うより、おばさんが作ったんですけど。結構、美味しいですよ。鹿の肉って食べた事あります?」
お茶が入れられ、ランチボックスのふたが開けられる。
ふと漂う、香辛料の香り。
少女は小さなおにぎりを掴み、一口食べた。
「美味しい。塩だけでも、美味しいですね」
返らない反応。
少しの虚しさを覚えたのか。
それとも、苛立ちか。
彼女も、口を閉ざす。
そして、再びの静寂が彼を包む。
「ンッ」
鼻をすすり上げる音。
弾かれたように、後ろを振り向く沢。
ティッシュを取り出していた少女は、怪訝そうに彼と目を合わせた。
「あれ。もしかして、私が泣いてると思いました?」
応えは返ってこない。
しかし、それはもうどうでもいい事だ。
「ちょっと、辛子がきつ過ぎて。私、すぐ鼻が出るんです」
聞かれもしないのに、話し続ける少女。
沢は気まずそうに頬を触れ、ぬるくなったお茶をすすっている。
「みんなは、食堂ですか?」
「ああ」
ようやくの応え。
同時に差し出される、ランチボックス。
「おにぎり、好きなんですよね」
「どうして」
「いつも、食堂で食べてたじゃないですか」
「よく見てるな」
ぶっきらぼうに言い、一つ手に取る沢。
それを、難しい顔で頬張る。
「どうですか?」
「梅干しが入ってる」
「そうじゃなくて、味ですよ」
「……美味しい、かな」
ごまかし気味の語尾。
少女は気にせず、にこりと笑う。
「おにぎりくらいは、私にも作れますから」
微妙な答え。
からかうような上目遣いが、沢の反応を待つ。
「君が」
「ふつつかながら」
むせる沢。
その背中をさする少女。
なんの事はない風景。
少し甘い、よくある日常。
彼にとっては、考えもしなかったはずの出来事。
それが彼の心を弱くするのか。
彼には許されない事なのか。
その答えは分からない。
また、求めるのは酷だろう。
ぎこちなく世話を焼かれる、今の彼にとっては……。
数日後。
物憂げな顔で、校舎の玄関をくぐる沢。
その隣りに、さりげなく名雲が並ぶ。
「あいつが、呼び出されてるって」
「誰に」
「お前が殴った、ガーディアンのトップ。昨日、二人で会ってたらしい」
「元は知り合いだ。顔くらい会わすだろ」
淡々とした答え。
「ケンカ別れした二人がか?」
「僕とあの子も、似たような状況だ」
「随分投げやりだな。とにかく、警告はしたぞ」
足早に追い越していく名雲。
沢はその背中を見るでもなく、変わらぬペースで廊下を歩いていく。
心ここにあらずとでもいった具合に……。
昼食後。
豪雪による、臨時休校。
前日の天気予報で各生徒も織り込み済みらしく、登校している者は普段の半分にも満たない。
上着を抑え、雪の中を戻っていく生徒達。
バスや車が駐車場を後にし、学校は少しずつ静けさを取り戻す。
そう、静けさ。
普段が喧騒に包まれている分、それは痛い程に感じられる。
誰もいない廊下。
向き合う者のない、机の列。
虚しく響く、チャイムの音色。
わずかな物音は雪に吸い込まれ、全ては白に埋め尽くされる。
だるまストーブの上で音を立てるやかん。
壁にもたれ、それに見入る沢。
照明の落ちた室内。
炎の揺らぎが、彼の顔を翳らせる。
窓の外。
激しい、横殴りの雪。
彼の泊まっている民宿までは車で10分程度だが、これでは帰るのも簡単ではないだろう。
それを気にした様子もなく、その細い瞳はストーブの炎を見つめている。
焦り、不安、苛立ち。
実際に彼が何を考えているのかは、読みとれない。
翳った表情は炎のせいだと言われればそれまでで、単に帰りを妨げるこの雪を憂っているのかもしれない。
だが生徒が帰って行く中、彼は何もせず炎を見つめている。
自身のなすべき事。
ガーディアンの育成と組織化。学校との交渉は殆どめどがついているとはいえ。
多少の残務処理は残っている。
今も机には何枚の書類があり、文章は途中で止まっている。
薄闇に近い室内。
微かに顔が動く。
時計を捉えたそれは、すぐにストーブへと戻り再び動きを止める。
静寂の中、炎の揺らめきだけを残して……。
体育館前の渡り廊下。
大きくせり出した屋根が、かろうじて吹き込む雪を減らしている。
それでもじっとしていれば雪は容赦なく降り注ぎ、その体を白く染める。
例えば、今の沢のように。
茶のコートに、厚手のジーンズ。
髪が白く染まり、風にはためく。
俯き加減だった顔を上げ、細い眼差しが鋭さを帯びる。
「今さら、何か用かな」
「ああ。ちょっと」
ブルゾンの内側から取り出されるボウガン。
驚く様子もなく見つめる沢。
ボウガンと、少年を。
「何も言わないのか」
「それで解決するなら、いくらでも言おう」
「さすがに悟ってるな、フリーガーディアンは。そう、俺もあの人と一緒に寝返ったんだ。あの場所ではああ演技したけど、その方が効果的だと思って」
不意に放たれるボウガンの矢。
それは風に揺れ、沢の遥か右を飛んでいく。
「離れ過ぎか。何せ、素人だから」
当てる気はなかったらしく、軽い笑い声が風に消える。
「抵抗したらどうだ。それとも、逃げるとか」
「どうして、僕が」
「ああ、そうか。まだ、何も要求を言ってなかったっけ」
自分で頷き、ボウガンを下に向ける。
少し沢との距離を詰め、その先が彼の膝辺りを捉える程度に。
「君らがいると、やっぱり邪魔なんだよ。後はこっちで仕切るから、今日中に出ていってくれ」
「頼まれなくても、一週間もすれば出ていく」
「こっちは、そうはいかない。君達の評価ばかり高くなって、俺は傍観してるだけって噂があるんだ。事実だとしても、今後を考えると面白くない」
再び上を向くボウガン。
その初速を考えれば、避けるのは困難な距離。
風がある分、予測も付きにくい。
「それに、あの先輩を裏切る訳にはいかない」
「だから、付き合いの浅い僕達を裏切ると」
「当然だろ」
トリガーに力がこもり、矢が放たれる。
沢の頬をかすめ、雪の彼方へとそれは消えていく。
「さあ。早く、行ってくれ」
「本気か」
「冗談で、こんな真似をしてどうする。一歩間違えれば殺人だ。俺だって、刑務所に行く気はない」
「僕は、君の本心を聞いて……」
空いていた手が懐に入り、もう一つボウガンが取り出される。
だがそれは後ろへ放られ、すかさず矢が放たれた。
「……手が込んでる」
「念には念を入れるタイプなんだ」
青ざめた顔。
噛みしめられた唇。
震える両手は、ボウガンを握り締める。
「君も、同意見か」
答えない少女。
そのつぶらな瞳で、沢を一心に見つめ続けて。
彼を呼んだのは、誰だったのか。
自分の力の無さを認め、分かっていても頑張ると告げたのは。
彼を特別な存在としてではなく、一人の高校生として受け入れたのは。
彼にお弁当を届けたのは、誰だったのか。
はにかみながら、手作りの食事を差し出したのは。
それを、ぎこちなく頬張ったのは。
そして今、彼にボウガンを突きつけているのは。
全ては、雪の中に消える。
人の姿も。
顔も。
心も。
思いも。
連射されるボウガン。
滑る雪を利用して、素早く後ろに仰け反る沢。
そこをかすめ、矢が飛んでいく。
凍り付く雪にめり込む、沢のブーツ。
低い姿勢からの、鋭い出足。
「くっ」
肩に矢が刺さる。
突風による加速と、吹き付けた雪のブラインド。
肩を捉えた理由は、沢が微動だにしなかったせいもある。
鮮烈な赤が、雪を彩る。
一つ、また一つと。
肩を押さえ、慎重に横へ動く沢。
それに合わせ、ボウガンの先端が彼を捉える。
一人なら、まだかわすののたやすいだろう。
しかし一人が矢をつがえている間にも、もう一人が彼にボウガンを向ける。
しかも、飛んでくる角度は二つ。
素人が放つとはいえ、扱いやすさと初速の早さは使い手を選ばない。
まして、この距離。
屋根を支える細い柱へ詰まった沢に、二つのボウガンが突きつけられる。
「次は、外さない。そうならない内に、出ていってくれないかな」
「僕は、君の気持ちを聞いている」
「それは、さっき言った通りだ。君を放り出して、先輩を支えた方がやりやすい」
雪と共に降り注ぐ高笑い。
青い顔のまま、ボウガンを彼に向ける少女。
「大丈夫。死なれると、俺も困るから。しばらく入院するくらいに、適当に打ってやる」
「僕を裏切るのか」
「ああ、そうだ」
笑顔と共に、矢が放たれる。
足をかすめ、ジーンズが裂ける。
激しく血が噴き出し、風に飛ぶ。
白い雪と、赤い血が。
「意地を張る理由もないだろ。俺は君が思ってるような人間じゃないし、知らない人間の代わりと思われても困る」
「……それは」
「君は、君の居場所に帰れ。俺は、君を受け入れる気はない」
引き絞られるトリガー。
その先端が、太股へと向けられる。
血を吹き出し、力のこもらない側へ。
「じゃあ、さよならだ。病院で、自分の馬鹿さ加減を……」
激しい雪煙。
咄嗟に顔を押さえる、少年と少女。
ボウガンが雪の上に落ちるが、二人ともそれに構っている余裕が無い。
「乗れっ」
後ろを滑らせ、沢の前に横付けされるスノーモービル。
顔を伏せ、名雲の後ろに飛び乗る沢。
スロットルが開かれ、先程以上の雪煙が舞い上がる。
二人の姿を消すようにして。
それでも雪に埋まったボウガンを拾い上げ、少年はそれを即座に構える。
だがスノーモービルの姿はとうになく、どこか遠くでかすれたエンジン音が聞こえているだけだ。
「……兄さん」
「心配するな。後の責任は、俺が取る。お前は、俺に脅された事にすればいい」
「でも」
「自分達が育てた人間にまで、手は出さないさ」
訓練に参加した20名のガーディアン。
発足当初から参加していた、数少ない一人が彼女である。
それを踏まえた上での、冷静な判断。
だが、彼自身はどうなのか。
雪に埋まった、もう一つのボウガンを拾い上げる少年。
少女は腰に差していた矢を、彼に手渡す。
鉄の艶を感じされる、プラスチックの矢を。
「どうして。どうして撃ったの。それは、本物なんでしょ」
「あいつにこれ以上いられると、俺の立場がなくなる。それなら先輩についた方がましだ」
面白く無さそうに笑い、鉄の矢を握り締める。
尖った先端。
拳の間から滴る赤い筋。
沢の染めた雪に重なって。
「ガーディアンはまとめてるし、学校との交渉も当然俺が関わってる。どっちにしろ、なんの問題もない」
「そうじゃなくて、沢さんとは……」
「もう、終わった事だ」
短く言い捨て、教棟のドアを開ける少年。
少女は一人、雪の中に残る。
その小さな手の平に落ちてくる、無数の雪。
だがそのどれもが彼女の手をすり抜けていく。
風に飛ばされ、消えていく。
彼女の目の前から。
遠くへ、どこまでも遠くへ……。
一般道を走るスノーモービル。
土地柄上交通違反ではなく、また降り積もった雪のため違和感はない。
それを護衛するように、ジェットスキーを履いた柳が先導する。
「この先のドライブインに、俺達の車が停めてある」
「……済まない」
「貸しだ。傷はどうだ」
「プロテクターで止まってた。少し縫っただけだよ」
名雲の背中に顔を押し付け、口ごもったように話す沢。
鎮痛剤のせいか、動作や言葉が鈍い。
「あいつが突然襲ってきた理由は、お前だって分かってるだろ」
「本人の口から、確かめたかった」
「教えてくれたか?」
「いや」
風にも消えない、苦い一言。
名雲はスロットルを開き、さらに加速する。
「これから、どうするつもりだ」
「……いずれ、草薙高校に戻る。やり残した事もあるし」
「好きにしろ」
先日と同じ言葉。
労りが含まれた、凍るような風の中でも届く暖かい一言。
「格好付けて、結果がそれか」
名雲の肩を借りて車に乗り込む沢に、そう声を掛ける舞地。
柳の咎めるような視線を気にもせず、その隣へと乗り込む。
「映未」
「はいはい」
反対側から乗り込み、やはり沢の隣へ座る池上。
後部座作席から小さな箱が取り出され、沢の膝の上に置かれる。
「栄養ドリンクと、高栄養食材。君、今手ぶらでしょ」
「済まない」
「貸しよ、貸し。その内、恩給で倍返しにしてね」
軽い、やや今の状況とはずれた発言。
沢はため息を付き、背もたれへと崩れた。
「辛いなら、後ろで寝る?」
「いい。自分の馬鹿さ加減に、呆れただけだから」
「何を今さら。……名雲、もう少しゆっくり」
わずかな振動に、舞地が語気を強める。
「へいへい。それで、どうするつもりだ」
「東京へ行きたいから、どこか駅へ」
「送るよ、そのくらい。ねえ、舞地さん」
すがるような柳の眼差し。
舞地は拗ねたように顔を逸らし、口元を動かした。
「え?」
「好きにすればいいだって」
「うん、好きにする。名雲さん、お願い」
「高速なら、朝には着くな。通行規制もしてなさそうだし」
ナビは豪雪情報を告げているが、現在東京までのルートは速度規制のみである。
名雲はコンソールを操作して、緩やかなBGMを流し出した。
「薬の時間まで、少し寝てろ」
「……済まない」
「気持ち悪いから、礼も言うな。しかし正月そうそう夜逃げとは、俺達も何やってるんだか」
踏み込まれるアクセル。
前を行く軽トラックをパスして、雪道を疾走する車。
吹き付ける雪はフロントガラスを叩き、ヘッドライトに照らされる。
窓をわずかに開ける舞地。
寒風と共に、雪が中へと舞い込む。
「何してるの」
「別に」
そう答え、窓が閉められる。
緩やかに舞う小さな雪片が、沢の手の平へと落ちる。
彼に結晶を見せる間もなく、ただの水滴へと姿を変えて。
「雪解け、か」
低い、彼自身も気付かない程のささやき。
全ては後ろへ流されていく。
景色も。
雪も。
思いも。
遠ざかっていく……。
済んだ青空と初夏の風。
汗ばむような陽気に、目を細めて空を仰ぐ池上。
「いい天気ね」
「暑い」
短く答え、舞地は日差しを避けるようにキャップの鍔を抑えた。
「実際は、例の先輩が君を襲う計画があった。だからそれを事前に防ぐために、君を狙ったのよね」
「どうかな」
「沢君なら気持を分かってくれると思って、敢えてああしたのよ。自分でも、分かってるでしょ。苦しんだのはあなたと先輩の間で板挟みになった、彼の方だって」
応えはない。
沢は肩を押さえ、微かに首を振った。
痛むはずもない、傷痕すらないその肩を見つめ。
「それで、傭兵崩れの連中があの学校に行ってるらしいの」
「名雲と柳が、先行してる」
キャップの鍔越しに覗く、澄んだ眼差し。
沢はそれを受け止め、微かに頷いた。
「……僕が運転しよう。ここからなら、2時間もあれば着く」
「200km/hで走る気?捕まるわよ」
「緊急の用件があれば、その程度の違反は適用されない」
「ただの、職権乱用じゃない」
後部座席に乗り込む舞地達。
沢は空を見上げ、手の平をかざした。
そこには何も、舞い降りては来ない。
空に浮かぶ白い雲が、影を投げ掛けるだけで。
彼の前髪をそよがせるのは、初夏の風。
降り注ぐのは、心地よい温もりの柔らかな日差し。
「……あなたの手助けは出来なかったけど。僕にだって、まだ出来る事がある。それを、一つずつこなしていくよ。……杉下さん」
風に乗る、思いを込めたささやき。
憂いも、悩みもそのままに。
それを乗り越えようとする、強い決意。
一人の高校生としての。
拙い思い。
了
エピソード 15 あとがき
沢が時折言う、「長野がどう」という話でした。
本編では書いてませんがロケ地としては長野県飯田市の近く、下条村辺り。
私は春先しか、行った事ないですけどね。
どうも、ここまで杉下の事を引きずってたようです。
何故なのかは私も知りませんが、彼は彼なりの色々な思いがあるのでしょう。
何となく、分からなくも無いですけどね。
どっちなんだ、という話でした。
舞地さん達とは、こういう形で関わってたんですね。
今回は。
当然敵対する場合もあるので、それはまた別な機会に。
兄妹については、あんな感じでしょう。
兄貴も悪くはないんですが、妹の方が一枚上手かも。
少し彼等への書き込みが足りなかったかなと、反省もしています。
そういう事を考えると、きりがないです……。
という訳で、次回は今に戻ります。
ユウ達とは別行動をしていたグループの話。
サトミ達と、ケイのストーリー。
こちらもやや長めですが、よろしければお付き合い下さい。