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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第15話
161/596

エピソード(外伝) 15-4 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~






     雪



     15-4



 年の初め。

 厳かさと、華やいだ雰囲気が全てを包む時期。

 三が日を過ぎてもすぐには薄まらず、人はどこか浮ついた様子で物事をこなしている。

 だが何事にも例外はあり、全てがその通りに進むとは限らない。 

 人の心というものは、特に。



 寒冷地にしては短い冬休みが終わり、学校に生徒達が登校する。

 その分春休みを長く取っているのだが、生徒達にとってはどれほどの違いもない。

 久し振りの顔、嬉しそうな挨拶、あちこちで咲く会話の華。

 休み明けに相応しい、暖かなムード。 

 降りしきる雪は厚い壁に隔絶され、それを打ち破る事はない。

「……嬉しそうだね」

「そうかな」

 笑顔を隠さず、そう答える少年。

 沢は軽くあくびをして、背もたれに体を預けた。

「彼女でも出来た?」

「そういう事を聞く態度じゃないな」

「寝不足なんだ」 

 何となくやつれ気味の顔。

 ただそれを厭う様子はなく、また徹夜でも平気な年だろう。   

「ちょっと、知り合いがね」

「入院していた、ガーディアンの関係者?」

「ああ」

 心からの、澄んだ笑顔。

 デスクの引き出しから取り出された写真が、沢の前へと置かれる。

「俺は揉め出してからガーディアンになったんだけど、それを誘ってくれた人がいたんだ」

「その人が戻ってくるのかい」

「前からやってる人だから、俺よりは色々と詳しい。後は、その人と頑張って」

 微かに、そうとは本人が気付かない程度に曇る沢の顔。

 少年は俯き気味に、頬の辺りに触れる。

「勿論、俺もガーディアンは辞めないけどさ」

「助かる」

「もう少し、感情を込めて言ってくれないかな」

 肩をつつかれ、沢は面倒げに手を振る。

「分かったから、その人を出迎えに行ったら」

「いつ来るか、教えてくれないんだ。今日来るとだけ、連絡があって」

「どういう人かな」

「さっきも言ったように。その人がいたから、俺はガーディアンになった。そんな人だよ」




 沢達がそんな会話が交わしていた頃。

 体育館前の雪掻きをする男女もいた。

「何で俺が」

「契約だから、仕方ないって」

「寒いのよ」

「猫が見たい」

 文句を言いつつ、雪掻きをするワイルドギースの面々。 

 最近体育館の使用率の高い彼等に、誰かが鈴を付けたらしい。 

 2週間近い休み。

 ドアの周りを完全に閉ざす雪。

 モーターで動く雪掻き機があるので作業は早いが、降りしきる雪や凍り付くような風を遮る事は敵わない。

「これは、俺達の仕事じゃないだろ」

「後で、ジェットスキー貸してくれるって」

「あ、それはいいな。早くやろうぜ」

 腰の辺りまである雪を掻いていく名雲。

 排出口から吹き出した雪が白い空へ舞い上がり、白一面のグランドへと降り注ぐ。

 頭までフードを被った舞地と池上は、軒に下がるつららを警棒で叩き落としている。

「ちょっと、もったいないわね」

「絵でも描けば」

「手が動かないわよ」

「じゃあ、止めれば」

 訳の分からない会話。

 ただ二人とも楽しそうではあり、舞地も表情が軟らかい。

 あくまでも知っている人から見ればで、初対面の人間からすれば無愛想と思われても仕方ない。


 凍り付いたドアの取っ手を警棒で叩いていた柳が、それを腰にしまい手をオーバーの中へと入れる。

 降りしきる雪と、凍えるような風。 

 名雲達は資材を片付けに倉庫へ向かっていて、彼は一人やり残しをチェックしている。

 全ての音を消していく雪。

 それまでの喧騒が嘘のような、耳が痛くなる程の静けさ。

 心が、締め付けられる程の。

 首をすくめ、灰色の空を見上げる柳。

 名雲達の前では見せなかった、儚い瞳の色。

 気弱になりかけた顔は、オーバーから出てきた濃茶の手袋を見て切り替わる。

 誇らしさと、力強さを持って。

 再び伸ばされる警棒。

 ドアを叩き出した柳だったが、その視線が横へと流れていく。

 教棟へと続く、渡り廊下。 

 そこを戻ってくる名雲達。

 彼等にではなく。

 反対側。 

 今まで彼等が掻いた雪の跡を歩いてくる、数名の男女。

 そちらに学内の施設はない。

 つまり彼等は、学外から来たのだと推測させられる。


「……見慣れない顔だな」

 長身の、甘い顔の男が柳を見下ろす。

 ブルゾンに、下は学生服らしい服装。

 小さいとはいえ、500名は下らない生徒数。

 その全員を把握していなければ出てこない発言。

 柳は虫も殺せないような笑顔で、こくりと頷いた。

「年末に引っ越してきたんで」

「転校生。聞いてるか?」

「いえ、俺はちょっと」

「調べておけ」

 前を向いたまま後ろに控えていた男に指示を出す。 

 それを当然とも思わない、自然な態度。

 彼以外の生徒も、異を唱える様子はない。

 柳もまた。

「誰に言われて、これをやった」

「ガーディアンの人達」

「その関係は」

「一応、僕もガーディアンだから」

 華奢な体、女の子と見まがうような繊細な顔。

 警棒こそ持っている物の、着ぶくれした幼い子供にしか見えていないだろう。  



 不意に伸びる、男の拳。 

 棒立ちのまま、身動き一つしない柳。

 だがそれが、彼の顔を捉える事はない。

「何してんだ」 

 振り上げたかかとで、拳を受け止める名雲。

 滑りやすい足場を気にもせず、その足をゆっくりと雪の中へ降ろす。

「ケンカ売ってるのか」

 ダウンジャケットのポケットに手を入れ、顎を引く名雲。

 吹き付ける寒風とは比べ物にならない、叩き付けるような威圧感。

 肉食獣にも似た、凄惨な眼差し。

 男達の取り巻きは全員身構え、腰や胸元へ手を伸ばす。 

「お前も、ガーディアンか」

「さあな。ほら、こいよ」

 無造作に顔を突き出す名雲。

 首を振り、それを否定する男。

 張りつめていた空気が途切れ、誰かがため息を漏らす。


 舞い散る雪。

 白い壁となり、男の姿が消える。

 それを突き破り、真下からブーツが飛んでくる。

「不意打ちが趣味か」

 ポケットに手を入れたまま、鼻で笑う名雲。 

 彼が動いた形跡は無い。

 しかし男の前蹴りは、難なく止められている。 

 軒先に残っていたつららを間に挟んだ、柳のかかとで。

 辺りが雪で覆われ、それを見た者はいないだろう。

 雪が蹴られた瞬間飛び上がり、警棒でつららを落とし様足で捉えて、さらに前蹴りへ併せた動きを。

 いや。それを見たとしても、信じられるかどうか。

 類い希なる運動能力と、咄嗟の判断。

 今まで子供のように笑っていた着ぶくれの少年が、そんな真似をしたなどと。

「ちっ」

 顔色を変え、名雲達を避けて歩いていく男。

 取り巻きの連中も、怯えながら後に続く。

「お前も、ここの生徒か」

 答えは返らない。

 降りしきる雪の中に消える背中だけを残して。

「何だ、あいつらは」

「さあ。この前の、変な連中の仲間じゃないの」

「あり得るわね。ガーディアンに入院者が出たなら、やり合ってた相手にもいたでしょうし」

 苛立ち気味の視線を、男達が消えた方向へ向ける池上。

「どうした」

「まだ20人しかガーディアンはいないのよ。どうやら、これ以上はなり手がないみたい」

「心配するな。あいつらは、20人でも十分やれる。なあ、柳」

「当然」

 拳を重ねる二人。

 池上は呆れ気味に笑い、フードに積もった雪を払った。

「私達がいれば、の話じゃなくて?」

「確かに実力ではまだまだだ。でも、ここが違うさ」

 拳で胸を叩く仕草。

 傭兵の挨拶にも似た。

「格好付けて。後で、泣きついてきても知らないわよ」

「ここで引くような連中なら、俺達に付いてきてない」

「僕も、そう思う。午後からは使えそうだし、来てもらったら」

 ドアに張り付いていた雪が、柳の前蹴りで剥ぎ落とされる。

 これからの行く末を決める場の入り口を開くように……。



 暖房の入った、体育館。

 ジャージ姿のガーディアンと、私服の名雲達。 

 今日は舞地と池上も、その隣りに立っている。

「練習はしてたか」

「毎日チェックが入れば、誰だってやるわよ」

「チェック?」

「そちらの、美人のお姉さんが」

 池上に集まる視線。

 彼女は顎に指を添え、軽くしなを作った。

「嫌な言い方しないで。今何してるかなって、連絡取っただけじゃない」

「毎日、同じ時間に、三回ずつ。借金の取り立てかと思った」

「変な年賀状も来るし」

 誰かが持ってきたらしく、それが振られる。

 こたつの隅で丸くなる猫と、短い文章。

 詩のようにも読める。

 降る雪と、いつか訪れる春を読んだ詩。

 誰の絵で誰の文章かは、よく分かってないようだが。

「じゃあ、軽くやってみるか。いつも通りストレッチから」



「どうです」

 遠慮気味に、名雲の隣へとやってくる少年。

 彼の目の前。

 ペアになり、プロテクターやグローブを付けて殴り合う男女。 

 激しい気合いと、力強い攻防。

 男対男、女対女という組み合わせだけではなく、男女の戦いもある。

 それに対する不満や注文は聞かれない。

 目の前の人間と戦うという、明確な意志を迸らせるガーディアン達。

 少年は満足げに頷き、名雲に一礼した。

「ありがとうございます」

「まだまだだ。気合いがあればいいってものじゃない」

「前に比べれば、別人ですよ」

「同じ人間さ。犬は犬で、狼になる訳じゃない。その逆はあるにしても」

 冗談っぽい口調。

 笑い掛けた少年だったが、その表情がさらに明るくある。


 彼が入ってきたドア。

 そこをくぐり、数名の男女がこちらへとやってくる。

 少年だけではなく、スパーをやっていたガーディアン達も動きを止め彼等へと向き直る。

 何人かは、怪訝な顔をしているが。

「お久し振りです」 

 懐かしさと、敬意の入り交じった態度。

 両手で手を取る少年。

 小さく頷いた男は彼の肩に触れ、顎をガーディアン達へと向けた。

「よく訓練してあるな」

「俺じゃなくて、彼等が」

「……お前」

「よう」

 腕を組み、あごを反らす名雲。

 柳は相変わらず、ニコニコと笑っている。

 抜き身の刃を、その奥に隠しているようにも見えるが。

「こいつも、元ガーディアンか。お前と対立してた」

「い、いえ」

 困惑の表情。

 男は突然笑い出し、彼の肩を抱いた。

「分かってないな。俺は、こいつの先輩だ。ガーディアンに引き込んだ責任者とでもいうのかな」

「何」

「つまり、ガーディアン全体のトップって訳だ。元々、こいつの味方さ」


 その言葉に間違いがないのは、先程来の少年の態度を見ていれば明らかだ。

 しかし柳や名雲に仕掛けた動きを見ている限りは、とてもそうとは思えない。

 男もそれを読み取ったのか、さらに笑みを深くする。

「確かに俺は、あいつらとやり合ってた。でも、病院で思ったんだ。同じ学校の生徒同士で、揉めてても仕方ない。お互いの言い分を聞いて、協調してやっていこうって」

 滑らかな口調。 

 前もって用意されていたような。

 少年の困惑は増し、男の笑みは崩れ気味となる。

「俺がガーディアンのトップだから、ここにいるのは全員俺の部下になる。当然、お前もな」

「え?」

「何だ、違うのか」

 肩を抱かれ、顔を覗き込まれる少年。

 信頼し、尊敬していた人間。

 その変容。

 だが、現実。

「要は、入院中に寝返ったんだろ」

「何」

「違うのか。金、それとも女。少ない手当で体を張るなんて、馬鹿らしいからな。だったら好きなように暴れて、金を巻き上げた方がいい」

「……止めて下さい」

 俯いた顔から漏れる、抑えた声。

 名雲の前に出た少年は、固めた拳を体に押し付けて男を見上げた。

「そうだよな。お前は、俺の後輩なんだから」

「……本気、ですか」

「本気も何も、考えるまでもないだろ。お前、頭大丈夫か」

 体育館に響く、男の高笑い。

 それに追従する、周りの取り巻き。

「という訳だ。鍛えてくれて、助かったぜ。後は俺達に任せて、どこにでも行け」

 男の顎を、正拳が捉える。

 床へ崩れる長身の体。 

 それを見下ろす、翳った眼差し。

「……俺に、逆らう気か」

「今なら、まだ間に合います」

「馬鹿が。おい、こいつを捕まえろっ」

 ガーディアンへ飛ぶ、激しい口調。

 誰でもない、彼等のトップからの命令。

 しかし、動く者はいない。

 動揺すら走らない。

 整然と並び、ただ一人の男を見据える。 

 拳を押さえ、物悲しい顔をする男を。


「その程度の人数で逆らう気か。元のガーディアンと仲間を合わせれば、お前らの倍は行く。どっちが強いかも、分かってるだろ」

 恫喝する男。

 だがそれは、静まりかえった体育館に虚しく木霊する。

「こいつらを期待しても無駄だぞ。その内、この学校からいなくなるんだからな。考え直すのは、お前達なんだ」    

「無理な物は無理だよ」

 ガーディアンの誰かが、小声でささやく。

 すぐに上がる、同意の声。

 全員がはっきりと、力強く頷く。

「なら、いい。ここで全員入院させて、元の連中をガーディアンに戻すから。自業自得って奴だな」

 名雲達を警戒しつつ、ガーディアンへ走る男達。

 腰や胸元から抜かれる警棒。

 人数としてはガーディアン達の方が多い。

 だが全員が素手で、実戦経験は皆無に等しい。 

 対して男達は、かなり堂に入った動き。

 ましてそれを命じた男は、彼等を率い守ってきた人物。

 それが、目の前に迫る。


 体を横に開き警棒を避け、腕を横から押す。

 単純な、しかし理にかなった動き。

 振り下ろした勢いのまま床へ転がる男達。

 油断、過信、侮り。

 だが全ては、その結果に尽きる。

 ガーディアン達は自らの足で立ち、男達は床に這うという。

「ちっ」

 舌を鳴らし、腰の警棒を抜く男。

 鋭い出足。

 彼に背を向け、腕に警棒を受けたガーディアンを介抱しているジャージ姿の男子生徒。

 他のガーディアンが止めに入るより早く、無防備な背中に警棒が突きつけられる。 


「な、に」

 途切れた言葉。

 鼻先をかすめ、天井まで届こうかという程飛んでいく警棒。

「仮にも一度は、みんなを率いたんだろ。それを思い出せとは言わないが、最低限の礼儀は守れ」

「説教か。……大体、誰だお前は」

「風邪で休んでる子がいてね。その代理さ」

 ジャージ姿の沢は軽く前髪に触れ、男を見据えた。

 剣呑な、牙を剥いた肉食獣の顔で。

「もう一度入院するか。二度とふざけた真似は止めるか。今すぐ選べ」

 喉元に突きつけられた短剣のような台詞。

 答えによってはそれが、間違いなくその喉を切り裂くだろう。

「仲間がどれだけいても、それに対応出来るだけの術はある。親の口出しも、無駄だと思え。でないと次は、本当に身の破滅につながる」

 地獄の縁に立つ、孤高の戦士だろうか。

 その手が動けば全ては崩れ、底すら見えない闇へと落とされる。

 馬鹿げた例え、絵空事。

 だがその瞳に見据えられた者にとって、それは現実に他ならない。

「……分かった」

 憔悴しきった顔でそう呟き、よろめきながら歩き出す男。

 生気を失い、思考すら消えている佇まい。

 他の者も捨て台詞すら残さず、その後に続く。


 開け放たれたドア。

 吹き込む雪。 

 身も心も凍らせるような、激しい風。

 そこへ消えていく男達。  

「……俺は」 

 拳を押さえ、呻くように呟く少年。

 沢はその肩に触れ、首を振った。

「あの人は、俺を誘ってくれて。何でも教えてくれて。学校の事を、何度も話してくれたのに。入院して悪いって、後は頼むって。でも、どうして」

「僕には、分からない」

「嘘だよ。こういう事には慣れているって、前言ってただろ。裏切られる事には。……でも俺も、あの人を裏切った訳か」

 自嘲ともつかない、翳りを帯びた笑顔。

 だがそれは、瞬時に払われる。

「……まだ契約期間はある。訓練は、続けてくれるよな。学校との交渉も」

「当然だ」

「分かった。俺はそういう柄じゃないって、今でも思ってるけど。ここで逃げる訳にもいかない。……あの人のためにも」

 その言葉が適切かどうか。

 彼自身、判断は付いていないだろう。 

 だがそう口にしたのは現実で、取り消される事もない。

 沢が否定する事も。

「済みませんが、訓練の続きをお願いします。俺は、少し」

「後は任せろ。沢」

「いえ。一人で大丈夫ですから」

 弱々しく微笑み、雪の吹きすさぶドアを出ていく少年。

 それを見送った沢の隣りに、舞地が立つ。

「次の仕事は」

「勿論ある」

「そう」

「何が言いたい」

 舞地は無言で離れ、暇そうに壁へともたれた。

「大変ね、フリーガーディアンも。自分で赴任先は選べないんでしょ」

「意見は考慮される」

「考慮、か。いっそ辞めて、好き勝手にしたら」

 冗談っぽい口調。

 訓練を受けているガーディアン達を見つめる眼差しは、春の空のように澄んでいる。

「話としては、聞いておく」

「それは、君の自由よ。沢君がいないと、こっちに仕事が回ってきて助かるんだけどな」

「なるほど」

 苦笑する沢。 


 完全な個人同士の契約である池上達と、教育庁から派遣される沢。

 能力の比較はともかくとして、沢は公務員という性質上完全に無料である。

 その分赴任には様々な条件が伴うが、金銭的な負担を軽減したい学校や生徒組織からフリーガーディアンを求める声は大きい。


「池上さんは、どこかの学校に残ろうと思わないのかな」

「そう出来たらいいとは思うけど。なかなか、歓迎してくれる所が無くて。所詮は傭兵って見られながら過ごすのも、面白くないし」

 気だるげにため息を付き、緩くウェーブの掛かった前髪を触れる。

「結局は、根無し草なのよ」

「……草薙高校は、悪くない」

「伊達君がいる所でしょ」 

 淀みなく、自分から指摘する池上。

 沢は目線で応え、高い位置にある窓を見上げた。

「面白い所だった。面白い人がいる、と言った方がいいのかな」

「魔女とか、忍者とか。本当に、いるの?」

「僕はこの目で見て、話もした。そうやって呼ばれていない人間にも、すごい人がたくさんいたよ」

 ここでは無い場所に思いを馳せる、遠い眼差し。

 しかし窓には雪が吹き付け、彼に現実を突きつけている。

「あそこは傭兵の入り込む隙がないから、逆に偏見もない」

「だから私も、受け入れてくれるって?じゃあ、自分はどうしてここにいるの」

「仕事だから」

「戻れるなら、戻りたい?」

 何気ない問い掛け。

 答えは返らない。 

 池上もそれは分かっているのか。

 それとも、答えを分かっているのか。

 二人はただ、雪の吹き付ける窓を見続けていた……。




 体育館から教棟へと続く渡り廊下。 

「こんにちは」

 朗らかな、吹き付ける雪をも溶かすような声。

 沢は軽く手を挙げ、それに応えた。

「元気ないですね」

「僕は、そうでもない」

「ああ。兄さんは、何か変な顔してました」

 事情を知らないのか、少女は不思議そうに小首を傾げる。

「ちょっと、トラブルがあったんだ」

「先輩が来てたんですよね。もしかして、それですか」

「鋭いな」

 簡単に説明する沢。

 少女は微かに顔を曇らせ、小走りに教棟の中へと駆け込んだ。


 静かな廊下。

 生徒や教職員の姿はなく、沢と少女。

 彼等の落とした雪が、辺りに散っている。

「人を、信じては駄目なんでしょうか」

 かすれ、震える声。

 儚い、すがるような眼差し。

 一瞬躊躇の表情を浮かべる沢。

 窓を叩く雪。

 溶けていく雪。

 微かに口元が緩む。

「……そうは思わないよ」

「本当に?」

 希望を込めた、願いを刻んだ顔。 

 沢は力強く頷き、自分の胸元を拳で叩いた。

「少なくとも、僕が出会った人達は」

「舞地さんや池上さんも?」

「ああ」

 短く、重い応え。

 笑いかけた少女の顔が、再び曇り出す。

「あ、あの」

「勿論、この学校で出会った人達も」

 即座に付け加える沢。

 晴れ渡る、少女の顔。

 紅潮する頬、震える拳。

「私も、そう思います。みんなに出会えて、よかったと思ってます」

「僕みたいな、例外もいるけどね」

「何ですか、それ」

 くすくす笑う少女。

 少し後悔気味な沢。

 窓を叩く雪。

 一面の白いグラウンド。

 真冬そのものの光景。

 壁一枚にへだたれた、春の雰囲気とは違う……。



 民宿前の、駐車スペース。

 今は民宿の軽トラやワンボックス以外に、赤のRV車が止まっている。

「……いつから、そこにいる」

「さあ」

 大きな雪だるまの隣り。

 コートを身にまとい、立ち尽くす沢。 

 日はすでに落ち、彼の肩には雪が積もっている。 

 民宿から漏れる明かりが、それを銀色に輝かせる。

「これは」

 沈んだ声で尋ねる少年。

 沢は雪だるまの頭に乗っている、赤いバケツに触れた。

「柳君。どうしても作りたいって言うから」

「子供だな」

「大差ないよ、僕達と」

 危ぶむような視線。 

 少年は首を振り、軒先にしゃがんでジェットスキーを脱いだ。

「車は」

「たまには、こういうので帰りたい時もある」

「いっそ、歩いたらどうだい」

 冗談っぽい言い方。

 鼻を鳴らし、少年は玄関へと入っていく。

「……ありがとう」

 一言がささやかれ、ドアが閉まる。

 沢は振り返りもせず、軒下に入った。

 その傍らにある、小さな雪だるま。

「子供、か」

 可愛らしい、女の子を思わせる飾り付け。

 目にはピンクのビーズがはめられている。

「本当に」

 ポケットからピンクのビーズを取り出し、宙に浮かせて掴む沢。 

 子供らしい、はにかんだ笑顔と共に……。 



「了解して頂けましたか」

「し、しかし」

 額に浮かぶ汗を、グレーのハンカチで拭うスーツ姿の男性。 

 本人は平静を装おうとしているようだが、表情は硬く視線は定まらない。

 沢は気にした様子もなく足を組み替え、応接セットのテーブルに書類を落とした。 

 そこに載っている、数名の生徒のプロフィールと家族構成。

「学校を、正常な状態へ戻すだけですよ。一部の生徒だけが力を持つのではなく、誰もが平等でありまた発言出来るという」

「お、仰られる事は重々承知しているのですが。いかんせん」

「議員と、地元企業の会社社長でしたか。そちらへは、中部庁を通じて話をしておきます。学校の私物化は最優先で対応すべき事態であると、教育庁の指針もあります。刑期と追徴金を考えれば、向こうから手を引きますよ」

「は、はあ」

 大きく震える体。

 刑期という言葉に反応したらしい。

「勿論協力者も、厳罰に罰せられます。公務員の場合は懲戒免職という、付帯も付きますが」

「い、いや。その、私は」

「報告するしないは、僕の裁量に掛かっています。校長」

 薄く微笑みかける沢。

 喉を鳴らし、引き込まれるように頷く男性。

「生徒会への予算については、そちらでお願いします。ただ、特定の組織が途出しないよう話し合ってくれると嬉しいですね」

「は、はい。それは、勿論」

「後は、退学者や停学中の者への監視。分かってるでしょうが、彼等はあなた達も復讐の対象にする可能性がありますから」

 どう答えればいいか、迷うような表情。

 だがそれが沢の誘いではないと判断したのか、微かに首を縦に振った。

「生徒の自警組織も形になりつつあります。ただ状況によっては、警備会社との併用も考えておいて下さい」

「しかし、生徒の自治は」

「まずは、生徒の安全です。警備会社が導入されて自治が無くなるとしても、安全は保たれますから」

 厳しい、男性までもがたじろぐような台詞。

 それは、生徒達の気持を考慮した発言とは思いにくい。

 しかし、後ろめたく感じる様子はない。

 落ち着き払った、感情を交えない表情。

 沢義人ではなく。

 フリーガーディアンとしての顔。

「わ、分かりました。関係職員を集めて、今日中にも会合を開きます」

 気圧されたように申し出る男性。 

 沢は軽く会釈をして、席を立った。

「ご承知のように僕はいずれここを去りますが、アフターケアは万全に行いますのでご心配なく」

 皮肉とも、警告とも取れる言葉。

 男性の額から再び浮き出る、大量の汗。

「では、後はお願いします」 

「は、はい。お疲れさまでした」

「あなたも」

 ドアの向こうでもう一度会釈をして、足音すらさせず消える沢。

 男性はソファーに大きく崩れ、その目を閉じた。

 今の悪夢から逃れるように。

 抗う事の出来ない、紛れもない現実から……。



「よう。恐喝は終わったか」

「人聞きが悪いな。校長と、話をしただけだ」

「あ、そう」

 くくっと笑い、雑誌を床へ置く名雲。

 探るような、不安げな視線を沢へと向け。

「どうかした」

「お前が、ここに残るとか言い出しそうでな」

「池上さんは、そうしてくれると助かるって。仕事が増えるから」

「本当に、残れると思ってるか?ここの連中が受け入れるって事じゃなくて、お前はここで我慢出来るか?」

 白一色の、窓の外。

 雪の重さでたわむ枝。

 重苦しい、灰色の空。

 一歩外に出るのも気後れするような光景。

 閉ざされた、狭い土地。

 長年住み続けた年輩者ならともかく、若者にとっては辛いだろう。

 まして、ここ以外の土地を知る者に取っては。

「刺激が足りないとでも?」

「気の合う奴がいるだけで、お前は平気か」

「殺伐とした生き方をするよりは、何倍もましだろ」

「そうかもな。お前がどうしようと、俺には関係ないし。楽隠居でもしててくれ」

「まだ、残ると決めた訳じゃない」

 憮然とする沢。

 彼なりに、引っかかる部分はあるのだろう。

「好きにしろ。俺は風呂入ってくる」

 タオルを肩に掛け、鼻歌交じりに部屋を出ていく名雲。

 その背中を、何となく恨みがましく見つめる視線。

「……どうかした?」

 名雲と入れ替わりに、赤ら顔で入ってくる少年。

「いや。何でもない」

 彼にしてはぎこちない態度。

 怪訝そうにそれを見つめ、少年はその場にしゃがみ込んだ。

「調子は」

「僕が?別に」

「そう」

 気だるげな返事。

 お互い頼りない顔で、ため息を付く。

 顔を見合わせる二人。

「俺はともかく、自分は」

「ちょっとね。気が重くなって」

「よく分からないな」

 難しい顔で、畳を見つめる沢。

 少年は肩をすくめ、持ってきていたペットボトルを傾けた。


「……ここにいて、楽しいかな」

「さあ。考えた事もない」

「そうだよね」

「本当に、大丈夫か?」

 不安げな問い掛けに、沢は曖昧に首を振る。

 躊躇の表情。

 その口が、ためらい気味に開かれる。

「僕がここに残ると言ったら、どう思う」

「どう思うって」

 笑おうとした少年。 

 だが笑顔は、消えていく。 

 沢の、不安げな眼差しを受けて。

「俺よりも、自分はどうなんだ。こんな田舎に住むなんて」

「名雲君も、同じ事を言ってた」

「誰だっていうさ。疲れてるから、そんな事思うんだよ。今日は、早く寝た方がいい」

 沢を連れ出し、隣の部屋に布団を敷く少年。

 そしてむずる彼を、強引にその中へ押し込め、照明を消す。

「また明日」

「いや、僕の話を」

「明日聞くよ。それじゃ」

 閉じられるふすま。 

 遠ざかる足音。 

 柳の声が、どこか遠くで聞こえている。

 布団の中で小さく息を漏らし、体の向きを変える沢。

 天井を見つめる、細い瞳。

 自問自答。

 悩み、焦り、不安。 

 普通の。

 高校生としての感情。

 夜が更けるまで、寝返りは何度無く繰り返された……。



 早朝。

 珍しく晴れ渡った空。 

 カーテンの隙間から差し込む、白い日差し。

 手を額へかざし、それを避ける沢。

 辛そうな動き。 

 寝付いたのが、かなり遅かったようだ。

「お早うございます」

 元気な、はち切れんばかりの挨拶。

 枕が激しく揺らされ、否応なく叩き起こされる。

「え?」

「朝ですよ」

「あ、ああ」 

 枕元の時計に手を伸ばし、すぐに顔を上げる。

 しかし、言葉は出てこない。

「田舎の朝は早いんです」

 朗らかに言い放ち、布団も剥ぐ少女。

 沢はのろのろと上体を起こし、時計を指差した。

「まずは、時間から慣れていかないと」

「慣れるって、何を」

「体を。ほら、玄関の雪掻きして来て下さい」

 渡されるスコップとパーカー。

 それを着込み、小首を傾げる沢。

「どうして、僕が」

「本当に。じゃ、お願いしますね」

 手際よく布団を畳む少女。 

 窓が開けられ、よく冷えた風が部屋に吹き込んでくる。

 真冬の晴天。

 冷たい、しかし心地いい空気が。



「丁稚?」

 うしゃうしゃ笑う池上。

 舞地は眠そうに、その隣で壁にもたれている。

「好きでやってる訳じゃない」

「ずっといるのなら、色々仕事と覚えないとね。フリーガーディアンを辞めたら、収入も無くなるんだし」

「下らない」

 ようやく雪を掻き終え、額の汗を拭う沢。

 辺りの雪同様、きらめく汗。 

 清々しい、澄んだ表情。

「はい、次は買い物です」

「え?」

「朝食のパンと、タマゴに野菜。トラック出して下さいね」

「あ、ああ」

 カードキーを渡され、釈然としない面持ちで軽トラへ向かう。

 少女はリュックを背負い、その後に続く。

「私、クロワッサンね」

「あんパン」

「分かりました。すぐ戻りますから」

 笑顔で手を振り、助手席へ乗り込む少女。

 トラックはその場で切り返し、雪の積もった山道を下っていく。

 何となく、夢から覚めていない顔をする沢と共に。

「大丈夫、あの子」

「あんパンさえ届けば、私は気にならない」

「冷たい子ね。あ、牛乳頼めばよかった」

 大差ない池上。

 それでも見送りに出た二人は大きな雪だるまと肩を並べながら、山道を見守り続けていた。        



 民宿の厨房。

 エプロンに、バンダナ姿の沢。

 手にはナイフを持っていて、器用にじゃがいもの皮を剥いている。

「残ると言ったのはこの学校にという意味で、別に旅館へ」

「そうですね。えーと、後はお風呂洗っておいて下さい」

 いい加減に返事をして、鍋の火を弱める少女。

 沢はため息を付き、じゃがいもとエプロンを置いた。

「分かった」

「女風呂のボディーソープら切れてましたから、それもお願いします」

「ああ」

 背を丸め、トボトボと歩いていく男。

 少女はそれを見る事もなく、鍋から立ち上る白い湯気に頬を緩めていた。



 デッキブラシがぬめった床を滑り、泡がお湯で流されていく。

「何してるんだ」

「丁稚奉公をね」

「……ああ、昨日の話」 

 今思い出したという顔。 

 沢は鼻を鳴らし、洗い場の前にあるボトルにボディーソープを補充していく。

「そこまでしなくても」

「やれと言われたら、仕方ない」

「人手が足りないんだ。確かに、バイトがいると助かるな」

「教育庁からいくらもらってるか、教えてやりたいよ」 

 体を起こし、腰を叩く沢。 

 大した事をやった訳ではないのだが、何となく疲れ気味である。

 慣れない仕事、というのが関係しているのかも知れない。

「天気がいい内に、布団を干したいんだけど」

「何でもやるよ。いっそ、背中でも流そうか」 

 ちょっとした、他愛もない会話。

 大笑いではない、微かな笑顔。 

 ささやかな安らぎ。


 理想。

 人が羨む事とは離れた世界。

 言うならば取るに足らない事。

 だがそれが、無意味だとは言い切れない。

 人の心に伝わる物がある限りは。



 何の意味もない、平凡な日常。

 淡々と流れ、繰り返される出来事。

 だからこそ価値のある、時の中。

 心安らかで、何の憂いも無いからこそ味わえる気持。

 それを人は、幸せと呼ぶ。    




 







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