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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第15話
159/596

エピソード(外伝) 15-2 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~






     雪




     15-2



 曇る窓ガラス。

 それに、へのへのもへじを書く男の子。

「何してんだ」

「落書き」

「子供か、お前は」

「そうだよ」

 柳はにこっと笑い、赤くなった指先をだるまストーブへと向けた。

「分かったから、訓練を頼むよ。名雲君も」

「面倒だな」

「契約は契約。仕事の面でも裏切らないで欲しいね」

「ちっ。柳、行くぞ」

 ストーブを抱きしめかねない柳の手を引き、部屋を出ていく名雲。

 沢は端末を手にして、通話ボタンを押した。

「……沢です。……ええ、お願いします。……それでは」

「誰」

「教育庁長官。一応上司だから、報告を」

「ああ、あなた直属だものね。でもあなたを採用したのは、前の長官でしょ」

 意外と詳しい池上の質問。

 舞地は関心無さそうに、ガーディアン希望者のプロフィールをチェックしている。


「こちらに落ち度がない限りは、首に出来ないシステムなんだ。政権が変わるたびに入れ替えてたら、きりがないだろ」

「他のフリーガーディアンも?」

「ああ。といっても数人しかいないから、僕達の代で無くなるって話だ」

「いいじゃない。私も辞めたいわ」

 かなり切実な思いを込めた呟き。

「どこかでのんびり、一日中絵を描いて過ごしたい」 

「すれば」

「あなたを放っておく訳にもいかなくて」

「それは、私が言いたい」

 表情一つ変えず、抜き出したリストを池上へ見せる舞地。

 鼻先へ突き出したのが、せめてもの抵抗か。

「選考理由は聞かないけど、随分少ないわね」

「生徒数はともかく、希望者が少な過ぎる」

「かといって、誰でも採用すれば言い物でも無し。仕方ない、少数精鋭で行きますか」

 池上はリスト片手に、卓上端末の画面と見比べ始めた。

 画面にはリストに載っている生徒の、さらに詳細なプロフィールが表示されている。

「格闘技経験者が、殆どいないわね」

「それは、名雲達に任せる。元々いるガーディアンも使えばいい」

「こっちは、質がちょっとね。本当、私達を雇いたくなる気持ちが分かるわ」

 素行面で問題ありとされる、何人かのガーディアン。

 混乱が収束したのは、問題のあったガーディアンが退学もしくは転校したのも一因とレポートには記されている。

「ちょっと、これ見た?」

「勿論」

「問題ね、それもかなりの」

 沢へと向けられる、下がり気味の大きな瞳。

「知ってた?」

「何を」

「この連中」


 現在学内のガーディアン組織に所属するメンバーのリスト。

 その数名のプロフィールが、沢に見せられる。

 昨日、名雲達と揉めた例の連中達だ。

「レポートに書いてあるだろ」

「処分出来ないの?」

「問題行動が表面化してない。それに、有力者の子弟だ。学校も強くは出れない」

「面白くないわね。闇討ちしようかしら」

 物騒な発言が聞かれ、テーブルに置かれていた警棒に手が伸びる。

「池上さん。分かってるだろうけど、自重して。渡り鳥ならそれでも良いけど、今回は公務員としての規則が適用されるから」

「はいはい。とにかく、マークはお願い」

「ああ。無理に辞めさせるより、内に留めて監視した方がいい。取りあえず、今は」

「任せるわ。でもそうなると、学校を辞めた連中も気になるわね」

 再び沢へ向けられる視線。

 出てくる、別なリスト。

「さっき、生徒課でもらってきた。追跡調査をすぐに行って、こちらも監視する」

「ええ。報復に来る可能性は大。傭兵を雇うかも」

「それこそ、君達の出番だ」

「言ってなさい」

 鼻先で笑い、リストへ視線を走らせる。

 男女が数名ずつで、こちらは格闘技経験者が含まれている。

「やっぱり、こっちの方がやっかいか。学内の連中と連携して、現在の体制を覆しにかかるかしら」

「それを防ぐのも、僕らの役目だよ」

「本来は、この学校の生徒の役目だと思う」

 プロフィールをチェックしつつ、そう呟く舞地。 

 視線は書類に向けられたままで、二人の方を見ようとはしない。


「僕達は、余計なお節介だって?」

「まさか。ただ、全てを私達がやるのも間違ってると言いたかっただけ。あくまでも、私達はサポートに過ぎない」

「それで解決すると思ってる?」

「思わないから、私達はここにいる」

 自嘲気味な笑いを含んだ返答。 

 書類がテーブルへと置かれ、舞地は軽く伸びをした。

「こうして私達がやってるのはいいとして、元々あるガーディアン組織は何をしてる」

「警備局、だったかな。名雲君達と一緒に、筋トレしてるさ」

「また随分、基礎的な事から始めるのね」

「組織の主流は、今回辞めていった連中。だから今いるのはその残党と、気概のある人達さ」

 沢もやはり、笑い気味である。

「気概はあっても、実力が伴わないんでしょ。何してたのよ、その人達は」

「ガーディアン組織の腐敗を一掃するために、一般生徒が立ち上がったんだ。その結果主要なメンバーを追い出したまでは行ったけど、残党達とやり合って組織を維持するどころじゃないらしい」

「で、君を頼ったという訳。じゃあ、もっと頑張ったら」

「雇い主に文句を言わない」

 手を振って促す沢。 

 池上は鼻の上にしわを寄せ、お茶をがぶ飲みして書類にペンを走らせた。

「お茶無いわよ」

「どうして僕が」

「部下が仕事をしやすい環境を作るのも、上に立つ人間の役目なの」

「舞地さんに教えてあげたいね」

 素知らぬ顔でクッキーをかじる舞地を横目で見つめ、沢はキッチンへと歩いていった。

 むしろ使われているのは自分ではないかという顔と共に……。




 学内の体育館。

 ジャージ姿で整然と並ぶ生徒達。

 ただ全員が床に崩れ、荒い息を繰り返している。

 真っ赤な顔と、したたり落ちる汗。

 それ以外の事は、何一つ出来ないという様子。

「筋トレでこれか」

「いきなりだから」

「これくらい、どこのガーディアンでも普通にこなすぞ」

 小声でささやき合う、名雲と柳。

 彼等はその倍をこなしているが、多少息が上がっている程度だ。

「いいか。明日からは、この倍はやるぞ」 

 どよめくガーディアン達。

 名雲は構わず、話を進める。

「そっちの事情や状況は、俺は知らん。嫌なら辞めるか、訓練に参加するな」 

 小さく上がる、不満気味の声。

 顔付きの方は、さらに明らかだ。

「ガーディアンをやりたいのか、やらされてるのか。よく考えろ」

「でも」

「事情は知らんと言った。俺はみんなを、実戦レベルまでに鍛えるだけだ。今から、20分休憩。その後で格闘訓練に入る」

 険しい視線も意に介さず、壁にもたれペットボトルを飲む名雲。 

 柳もその隣で、低カロリーの栄養補給食をかじっている。

「どれだけ残ると思う?」

「一桁残れば十分だ。何なら、全部入れ替えてもいい」

「厳しいね」

「叩き出さないだけましさ」

 素っ気なく言葉を返し、ペットボトルを手の中で転がす。

 柳も意見としては変わらないのか、彼にしては珍しく醒めた視線をガーディアン達に向けている。

 一人、また一人と去っていく者達を。




 名雲の予想通り程ではないが、一気に数を減らすガーディアン達。

 広い体育館は閑散として、仲間が集まって遊んでいるような人数になっている。

 また最初からここに来ていない人間の事を考えると、先の見通しが明るいとは言いづらい。

「格闘技の経験者は……」

 手を挙げたのは、20名あまりいる内の数名。

 ただ体格や雰囲気を見る限りは、本当に経験の言葉通りだろう。

 苦笑した名雲はその数名を前に呼び、軽くフットワークをさせた。

 自ら名乗り出ただけあり多少は動き、名雲の牽制気味なジャブにも対応する。

 限界に近い表情は、ともかくとして。

「警棒は……、聞くまでもないか」

「これは無くてもいいと思うけど」

「だな。よし、二人一組になって」



 それからしばらくの後。

 身動きすらしないガーディアン達を置いて、体育館を後にする二人。

 もはや不満の声も無く、閉まっていくドアから荒い息が聞こえる程度だ。

「また減るね」

「その方がいい」

「ライオンの子育てじゃないんだから」

「俺達だって、いつまでもここにいる訳じゃない。時間的な事を考えたら、このくらいやらないと」

 全裸のまま、シャワーから出てくる名雲。

 かろうじて、頭にはタオルが掛かっている。

 それに、どの程度の意味があるのかはともかく。

「ちょっと」

「いいだろ、誰も見てないんだし」

「僕がいる」

 頬を紅潮させる柳。

 彼もシャワーから出た後だが、腰にはしっかりとタオルを巻いている。 

 何も身に付けていない上半身は相当に鍛えられていて、着やせするタイプのようだ。

「早く、温泉入りたい」

「今、シャワー浴びたばっかだろ」

「別物だよ、全然」

「あ、そう。しかし、俺も結構傷が」

 鏡で、自分の全身をチェックする名雲。

 小さな切り傷や、火傷の跡。

 殆どが目を凝らさなければ分からない程度だが、その数は数えきれない程だ。

「ちゃんと直せばいいのに」

「傷は男の勲章って奴だ」

「馬鹿じゃないの」

 苦笑して、柳は自分の姿を鏡に映した。

 白い、張りのある肌。

 名雲とは違い、傷らしい跡は殆ど見られない。

 それは彼が治療をしている事もあるが、怪我自体の数も少ないのだろう。

「さっきは、例の連中がいなかったな」

「どうするつもり?」

「最低限、あいつらに対抗出来るまでガーディアンを鍛える。俺達がいなくなっても、問題ないように」

「責任重大だね」

 Tシャツを着て、シャツに袖を通す。 

 さらにはセーターを着込み、マフラーを巻く。 

 下はジーンズだが、携帯用のカイロを太股や膝に貼っている。

「着過ぎだろ」

「名雲さんが、着なさ過ぎなの」

 Tシャツにシャツまでは、柳と同じ。

 ただ彼は、その上にダウンジャケットを羽織るだけだ。

「すぐ車に乗るんだぞ」

「外には出るの。早く、春にならないかな」

「今から冬だ」 

 ドアを開ける名雲。

 廊下から吹き込む、冷えた風。

「寒い」

「外は、もっと寒い。雪国に酒飲みが多いのも、よく分かる」

「それは口実じゃないの」

「かもな。とにかく、早く行こう」

 廊下を駆け出す二人。

 笑い声と、軽快な足音。

 追いすがる寒さを振り払うような。

 彼等の所へ冬が来るのは、まだしばらく先なのかも知れない……。



「備品を増やすよう交渉して」

「僕が?」

「あなた、フリーガーディアンでしょ。それに、私達の上司じゃない」

「ああ」

 何となく頷き、端末で連絡を取る沢。

 池上は書類をチェックしつつ、その会話に一つ一つ口を挟む。

「ここの管轄は、中部庁だったかしら。次はそこへ連絡して」

「人使いが荒いな」

「文句言ってる間に動く」

「誰が雇い主か、考えたくなった」

 それでも連絡を取り、予算の交渉と最新マニュアルと臨時職員の派遣を要請した。

「後は、学校側への圧力ね。その、おかしな連中の影響力を排除するための」

「任せるよ。……ん」

 開くドア。

 入ってくる、大人しそうな少年。

「どうですか」

「こき使われてる」

「え?」

 笑いながら小首を傾げる彼に、沢は手を振った。

「聞き流してくれ。状況は」

「今の所は、特に。名雲君達が、訓練しますけど」

「やらせておけばいい。辞める人間が出たら、すぐ補充する」

「その人達が辞めたら、また補充ですか?」

 先を読んでくる少年。

 室内に起きる笑い声。 

 池上はマグカップを差し出し、彼に微笑みかけた。

「意外と冷静というか、鋭いのね」

「開き直ってるだけです。そうでないと、俺も入院してる所です」

「修羅場をくぐって来ただけはある訳。頑張って」

「他の人達が戻ってくるまでのつなぎです。その程度の人間ですよ、俺は」

 控えめな、前に出過ぎない答え。

 ただ卑屈になっている訳ではなく、彼自身そう信じているようだ。

「プロフィールしか見てないんだけど、このおかしい連中の影響力はどの程度なの?」

「議員の息子が一人。有力企業の子供達もいますからね。こういう田舎では、それなりに」

「その辺は、退学したんでしょ」

「ええ。学校も自分達にまで責任が及ぶと考えたようで。ただ復学の可能性がある分、気を付けてはいます」

 冷静な判断。

 気負っている分はなく、ありのままの事実を受け入れる態度。

 混乱は収まらず、決して楽観出来ない状況にあって。 

 責任を一人追う立場にある彼は、自身を見失ってはいない。

「君は、訓練に参加しないのか」

 さりげなく尋ねる沢。

 少年は曖昧に微笑み、自分の胸元を指差した。

「一応、経験者なので」

「なるほど。軽く、やってみる?」

「え、ええ」


 部屋の中央。

 テーブルやラック、壁など。

 障害物の多い、決して動きやすくはない場所。

 アップライト気味に構える沢。

 少年は前屈立ちで、左足を微かに揺らす。

「いつでも」

「はい」

 消えるように飛び出す前蹴り。

 体を開いてかわす沢。

 蹴り足を踏ん張り、そこを軸に体をひねる少年。 

 鋭い肘が、沢の脇腹へと向けられる。 

 下から手をあてがい、さらに外へと回り込む沢。

 それ以上は少年の体が回らない、つまり攻撃がしづらい位置。

 さらには肘が固められ、体が前へと倒される。

 タップする少年。 

 沢は手を離し、慎重に距離を置いた。

「悪くない」

「全然駄目ですよ」

「いきなりで、そこまで出来れば十分だ」

 太股を手で払う沢。

 少年の膝が入った位置を。

「どう思う、舞地さん」

「え、何が」

 眠そうな声。

 演技ではなく、本当に寝ていたらしい。

「いや、何でもない」

「そう」

 すぐに伏せられる顔。

 ただ気になったのか、再び顔が上げられる。

「もう一度やって」

「やらないよ」

「そう」

 あくまでも素っ気ない台詞。

 少年は戸惑い気味に彼女を見つめるが、その鋭い瞳に見つめ返され首を振る。

 脅されたとでも思ったらしい。

「あなたは、何してるの」

「見てないから、ちゃんと見ようと思って」

「お金もらってるんだから、仕事してよ」

「人をこき使うだけが仕事じゃない」

 見る所は見ていたようだ。 

 池上は小さく唸り、手にしていたペンを放った。

「仕事を出来る人はいないの」

「病院に行けば、何人かは」

「嫌な話ね。体力や格闘技もそうだけど、こっちもすぐには育てられないし」

 思案の表情。

 その細い指先が宙を動き、すっと前に出る。

「あなたの妹さんは。飛び級で高校にいるくらいだから、出来そうね」

「俺よりは」

「じゃあ、決まり。彼女を呼んで」




 少しの後。

 メガネを掛けた、例の少女がやってくる。

「どうして」

「強いて言うなら、雰囲気ですね」

 屈託無く笑い、卓上端末へと向き合う。

 点眼液による視力補正が主流となっている現在、メガネを使う者は年輩者が殆どだ。

 ノーフレームの丸いメガネを押し上げ、軽く顎を引く。

「それで、私は何を」

「ファイルをまとめて、クラス順に分けて頂戴」

「全校生徒を」

「ええ、お願い」

 滑るように動く指先。

 視線は画面とその脇に付けられた生徒のリストを交互に移動し、散乱していたファイルが収れんされていく。

「後は、トラブルを抱えている生徒のリストを彼に」

 沢を指差す池上。

 少女はこくりと頷き、作業へと戻る。

「学校の、警備責任者との面談もセットして。それは、お兄さんに頼んだ方がいいのかしら」

「ええ、俺の方で連絡しておきます」

「後は、ガーディアンのスケジュール管理ね。各自に連絡して、活動出来る日時を」

「了解しました」

 淀む事無く、指示通りにこなす少女。

 池上はそれを見届け、退学や転校した者達の近況報告を調べ出した。


「どうぞ」

「ん、ああ」

 端末の画面から目を離し、リストを受け取る沢。

 一人一人の名前と顔に指が置かれ、視線が流れていく。

「暗記してるんですか」

「そう見える?」

「ええ。でも髪型や服装が変われば、見分けは付きにくいと思うんですけど」

「当然、それも考慮にいれるさ」

 沢ではなく、彼女の兄が説明する。

「整形する訳じゃないから、顔自体は変わらない。出来れば動画で、癖や細かい特徴が分かれば問題ない」

「詳しいね、君は」

 今度は沢がこくりと頷き、書類を彼へと見せた。

「それはともかく、リーダー格は」

「彼です」

 やや太めの指が、一人の男を指し示す。

 名雲達とドライブインで揉めた男。

 その時も、先頭を切っていた人物を。

「知り合い?」

「いえ。勿論、話した事くらいはありますが。知り合いだと、情が絡んで辛いとでも?」

「それもあるし、後ろから刺されたら困る」

「ああ、そっちの意味で」

 不信とも取れる沢の発言に、笑顔で応える少年。

 鷹揚とも、鋭いとも言える微笑みで。

 微かな戸惑いを見せる沢。

 だがそれはほんの一瞬で、気付いた者は誰もいない。 

 少なくとも、この場で彼に告げる者は。



 昼過ぎの食堂。

 一人で食事を取る沢。

 先日同様、おにぎりとみそ汁。

 後は長野という土地柄か、野沢菜が小皿に盛りつけられている。

「随分、質素なんですね」

「最近贅沢してたから、節制しようと思って」

「だったら、これは余計かな」

 ピンクのナプキンを広げ、小さなランチボックスを取り出す少女。

 俵型のおにぎりと、ポテトサラダにハンバーグ。

 アスパラのバター巻きに、鳥のつくね。

 彼女の体型にあった、可愛らしい量。

「多いから、少し食べてもらおうと思ったんですけど」

「僕が?」

 自分の顔を指差す沢。

 ちなみに食堂にいるのは、彼と彼女だけである。

「でも、節制してるんじゃ駄目ですね」

「いや。無理にしてる訳でも」

「でしたらどうぞ」

「え。ああ」

 何故か深く一礼して、鳥のつくねに箸が伸びる。

 小さく動く顎。

 微かに緩む口元。

 少女はそれ以上に顔をほころばせ、自分も箸を動かし出した。


 人に食事を勧める時、それを喜ぶ理由は幾つもない。

 フリーガーディアンの訓練の一つとして、他者の意図を読む事がある。

 またそういった能力のある人間が、この資格の選抜対象者になっている。 

 黙々とおにぎりを頬張る沢も、無論その例外ではない……。



「何してるんだ」

「え」

 屋上。

 凍り付くような、澄んだ空気。

 空は限りなく青く、彼方に見える山々は白銀に覆われている。

 ただ風は無く、日差しが溶け残った雪をきらめかす。

「私だって、たまには一人になりたい時もあるわ」

「仕事は」

「妹が頑張ってる」

 前髪を流す、優雅な指先。

 燐光を散らす黒髪。

 物憂げな眼差しが、青空を捉える。

「自分こそ」

「お守りも疲れた。大体俺は1年で、年上の人間もいるんだぜ」

「そのくらいの気は遣ってるのね」

「馬鹿にしやがって」

 軽く飛び上がり、手すりへ腰掛ける名雲。

 危ぶむような、繊細な表情。

 それは傍らにいる、池上へと向けられている。

「どうしたの」

 笑いながら尋ねる池上。

 翳りと、儚さを含んだ表情で。

「どうって訳でもないけど。お前も、女だからな」

「よく分からないわね」

「確かに」

 グランドへと向けられる、名雲の視線。

 昨晩降った雪がそのままに残り、雪と戯れる生徒達の姿が見える。

「惚れた?」

「いいかもな、それも」

「馬鹿」

 苦笑して、池上は手すりへ手を掛けた。

 それまでよりは明るめな口調。

 透き通るような、消え入るような儚さはそのままに。

「別に、伊達君を引きずってる訳じゃないのよ」

 自分からの告白。

 名雲は目を細め、空を見上げる。

「勿論、気にはしてるけど。今でも会いたいし、一緒にいられたらいいと思う。ただ、それを行動に移す程でもないの」

「ああ」

「純情さが欠けてるのか、気持が付いていってないのか。何もかもなげうってまで、とは行かないのよ」

 やるせない心は白い吐息となって、二人の間に消えていく。

 前髪が揺れ、瞳を隠す。

 翳りの中に、その表情も。

「それだけ、大人になったんだろ」

「え」

「突っ走るだけが、人の気持ちじゃないって事さ。ガキじゃないんだし」

 少し荒い口調。

 名雲は手すりから降り、冷えたそれに手を掛けた。

「伊達も、同じ気持ちだから会いに来ないんだろ」

「どうかしら。向こうは私なんて、どうとも思ってないわよ。私も恋愛感情かって言われると、ちょっと困るし」

「その辺は俺も知らんが、死に別れた訳じゃないんだ。会いたいと思えば、いつでも会える」

「そう、そうね」

 ゆっくりと頷く池上。 

「俺が、これを言ったら駄目なんだけど」

「お父さんの事?」

「それこそ、会いようもないし相手の気持ちを確かめようがない。ただ俺は母さんがいるから、話を聞ける」

「ああ、柳君」

 少しの沈黙。

 だからこそか。

 二人の顔に、笑顔が戻る。

 自分達が沈んではいられないとばかりに。

「駄目ね、私は。下らない事で悩んじゃって」

「悩まないよりましさ。舞地だって、親父の話になると同じだろ」

「あの子の場合は、素直じゃないだけよ」

 ようやくの冗談っぽい台詞。

 舞地の話題で盛り上がる二人。

 翳りも、儚さもその中に含み。

 彼等は、心強く生きていく……。



「クシュッ」 

「風邪かい」

 首を振り、鼻をかむ舞地。

 池上達の噂話のせいという訳ではなく、彼等がいるのはある教棟の玄関先。

 外に出で寒くなったのが、その理由だろう。

 おそらくは。

「あ」 

 その舞地が、突然駆け出した。

「どうかしたんですか?」

「さあ、僕に聞かれても」

 ただ沢は、分かっているという顔だ。


 教棟の傍らにある水飲み場。

 南向きにあるせいか日当たりがよく、雪は綺麗に溶けている。

 わずかに生えている雑草。

 その上に丸まっている、茶褐色の毛玉。

「あの」

 戸惑う少年をよそに、腰を屈め猫を撫でる舞地。

 表情にさほど変化はないが、いつもよりは穏やかだ。

「猫、好きなんですか」

「そうでもない」

 喉を撫でながらでは、説得力はない。

「こんなの所にも、猫がいるんだ」

 感嘆に近い声を出し、一人と一匹を見つめる沢。  

 少年も不思議そうに頷いて、ポケットをまさぐった。

「……食べるかな」

 差し出されるチョコレート。

 舞地ははっきりと首を振り、自分のポケットに手を入れた。

「猫は、肉しか食べない」

「はあ」

「それは、沢に上げて」

「あ、はい」 

 チョコを分け合う男二人。

 舞地は猫と、ジャーキーを分け合っている。

「何してるんですか」

 口元を動かしながら、顔を上げる4人。

 少女はくすっと笑い、舞地と一緒に猫を撫でだした。

「用務員さんが飼ってるらしいですよ」

「そう」

「その内、子供が生まれるって言ってました」 

 何となく膨らみ気味のお腹。

「親は」

「さあ。猫が一夫一妻せいとも思えませんし」

「そう」

 先程よりも、より優しく猫を撫でる舞地。

 少女は立ち上がって、ブルゾンを羽織った肩を抱いた。

「今日も寒いですね」

「そうかな」 

 舞地並みの素っ気ない返答をする沢。

 それに構わず、少女は沢に笑いかけた。

「少しは、ここに慣れました?」

「多少は」

 続きにくい会話。

 少女は笑顔を絶やさない。

「あ」

 のそのそと歩き出す猫。 

 それを追っていく舞地。

 ただ捕まえる素振りはなく、後を付いていくだけだ。

「どうにかなると思いますか?」

 世間話から離れた内容。

 沢もようやく、彼女と向き合う。

「そのために、僕は来た」

 今まで同様、短い言葉。

 しかし引き締まった、峻烈な表情で。

「何があっても?」

「何があっても」

 重なる視線。

 日差しに輝く新雪。

 二人の間を過ぎていく光。

「でも」

 俯く少女。

 緩む口元が、ゆっくりと開かれる。

「いつかは、ここを出ていくんですよね」

 応えはない。

 きらめく雪が、日差しに溶ける。

「わがまま言うんじゃない」

「兄さん」

「済みません。俺達は、ここに来てもらっただけで感謝してるんです。だから」

「僕はまだ、何もしていない」

 落ち着いた口調で、そう呟く沢。

 その眼差しは兄妹を捉え、微かに煙る。

「俺だって、この学校にしがみついてるだけで。本当に何もしてません」

「諦めないというのは、それだけで人に力を与える」

 何かを懐かしむような表情。

 彼自身が、それに気付いているのかどうかは分からない。

「自分が何も出来ないと思ったら、人を集めればいい。例えば、今度のように」

「でも、自分で何もやらないのは」

「人には役割がある。勿論一人で何でも出来る人もいるけれど、そうでない場合が殆どだ。だから人は集まって、何かを成し遂げようとする。それが、どれだけ困難だとしても」

 遠くなる眼差し。

 二人を見ているようで、その先にある違う誰かを見ているような。

「僕にやれる事があれば、全力を尽す。例え、何があっても」

 同じ言葉を繰り返す沢。

 兄妹は真剣な面持ちで、その言葉を受け止める。

 溶けていく雪がぬかるんだ地面を滑り、水たまりを作る。

 少しずつの流れが集まり、小さな水たまりを。

 それは青空を映し出し、白い雲を流していく……。




 学校内にある、沢達に与えられた一室。

 沢が手を伸ばし、テーブルの上にあった端末を手に取った。

「……はい。……ああ、今行く」

「どうした」

「生徒が暴れてるらしい」

「ガーディアンがいるだろ」

 ドアを顎で示す名雲。

 沢は警棒を腰に差し、手で彼を促した。

「彼等だけに任せるのは、まだ無理がある。それは君が、一番分かってるはずだ」 

「仕方ないな」

「好きな癖に」

 柳はすでにドアの前で、準備を整えて待ち構えている。

「早く」

「今行く。舞地達は」

「女性に、そんな事はさせられない」

「柄にない事言いやがって。さてと、久し振りの実戦と行くか」


 一階、教棟の玄関辺り。

 そこから教室へと続く廊下が、左右に延びている。

 かなりの野次馬。

 しかし、騒いでいる様子はない。

 会話が所々である程度で、殆どは無言でその出来事を見つめている。

「何があった」

「え」

 振り向いた先にある、大柄な男性の体。

 声を掛けられた男子生徒は唖然としつつ、人垣の向こう側を指差した。

「その、あの。」

「心配するな。俺は、あいつらの仲間じゃない」

「雇われ組だよ」

「ああ」

 ふと和む彼の顔。

 それでも、口は重い。

「とにかく、関わらない方がいいですよ」

「こっちも、仕事だ。連中は、どのくらい支持されてる」

「見ての通りです」

 周囲の野次馬を指差す生徒。

 嫌悪感と、不安と、諦め。

 ここにいる限りは、どういう形にしろ彼等と関わる他無く。

 それから逃れる術はないという雰囲気。

 その事が真実かどうかはともかく、ここにいる者の大半はその現実を受け入れている。

「やる気出せよ、少しは」

「はあ」

「ここで言っても意味無いか。いいから、下がってろ」


 数名の男女と、それに囲まれるやはり数名の男女。

 理由は定かでないが、お互いの表情を見ればその状況は明らかだ。

 救いの手が、どこからも差し伸べられていないのも。

「そこまでだ」

 警棒を肩に担ぎ、名雲が彼等の前に出る。

「誰だ……。お前」

「よう」

 軽い挨拶。

 後ずさる連中を後目に、名雲は距離を詰める。

「また会ったな」

「ど、どうしてここに」

「仕事だ。ガーディアンに雇われた」

 沢に向けられる視線。

 彼等は沢も知らないため、表情に怪訝さが含まれるのは仕方ない。

「馬鹿が。この学校にいたいなら、大人しくしてろ」

「随分強気だな」

「俺達がどういう人間か、調べてないのか」 

 周囲へ聞こえるように、大きな声でそう言い放つ男。

 自分の立場。

 正確には親の立場だが、それを理解した上での発言。

 静まりかえる生徒達に満足感を覚えたのか、ゆとりを感じさせる笑顔まで浮かぶ。


「田舎議員の息子が、ここではそんなに偉いのか」

 一笑に付す名雲。

 柳は退屈そうにあくびをして、頬を指で撫でる。

「な、なに。お、俺が一言言えば」

「その前に、お前が入院してるさ。口も聞けず、手も動かせない状態でな」

「な」

「冗談だと思うなら、試してみろ」

 挑発気味に動く指先。

 天秤を計るような、重苦しい表情になる男。

 すぐに腰の警棒に手が伸びるが、それが抜かれる事はない。


「止めた方がいい」

 手首を掴む、華奢な指先。

 男の斜め後ろから現れた沢は、その位置を保ち手を離さない。

「お、お前も仲間か」

「それは、自分で判断してくれ。ここで彼に掛かっていて、どうなるかも」

「な、なに」

「ガーディアンとは根本的に違う存在だと、早く気付いた方がいい」

 警棒を担ぎ、軽い笑顔を浮かべる名雲。

 柳は暇そうに、自分の手を見つめている。

 沢の言葉とはかけ離れた態度で。

「あ、あれのどこが」

「無理に止める気はない。僕は混乱さえ収まれば、それで構わないから。誰が怪我をしようと、どうなろうとも」

 低い、警告に似た言葉。 

 男の喉が鳴り、額に汗が浮かぶ。

「今なら君達の立場も考え、穏便に事を済まそう。ただしこれ以上何かをするようなら、こちらにも考えがある」

「か、考え」

「君達がこの学校でしてきた事を、倍にして返すという意味だ」

 手を離す沢。

 震える男の体。 

 それには構わず背を向け、名雲達の元へと向かう。

「脅すな」

「君もだろ」

「俺は笑ってるだけさ」

「僕は、何もしてません」

 三者三様の答え。

 ただし、周囲の視線は違う。

 ここにいる男達へ向けられる視線は。

 沢の言った通り、根本的に何かが違う人間。

 彼等を脅し、この学校を半ば支配していた者達とは比べ物にならない威圧感。

 暴力を振るった訳でも、力尽くで押さえ付けた訳でもない。

 しかし彼等が男達を黙らせたのは確かであり、この静寂を生み出したのも紛れもない時膣である。

 それを、何事もなかったかのように笑顔で話す彼等が。


「ちっ」

 捨て台詞もないのか、暗い瞳を向け去っていく男。

 仲間達も同様に、その後へと続いていく。

 歓声も、怒号も無い静かな中。

 それを見届け、この場を後にする野次馬達。 

 名雲達が助けたはずの者達は、すでに姿がない。

「挨拶も無しか。期待もしてないけど」

 鼻で笑う名雲。

 柳は肩をすくめ、寒そうに自分の足をさすった。

「終わったのなら、早く帰ろう」

「ああ。何にしても、面白くないな」

「それを承知で、戻ってきたんだろ。何を、今さら」

 共感めいた笑顔を浮かべる3人。

 誰に理解をされなくても、感謝の言葉が無くとも。

 気持が通じ合い、分かりある者がいる。

 生まれ育った環境も、立場も、年齢も違うけれど。

 確かなつながりのもてる者がいる限り、その笑顔が絶える事はない。



「ご苦労様です」

 ホットミルクを差し出す少年。

 柳は嬉しそうに口を付け、息を付いた。

「寒い時は、これだよね」

「コーヒーだろ」

「僕はミルクなの」

 可愛らしい、女性から見たらたまらないだろう愛らしい笑顔。

 それこそ見た、見ないで、ケンカすら起きかねない程の。

 本人はそれを意識していないため、無防備にその笑顔を振りまいている。

「どう思います?」

「ガーディアンに場数を踏ませるべきだね。シュミレーションでも構わないから」

「人手がいない分は」

「少なくても、実力さえあればどうとでもなる。今度のように」

 窓際で騒いでいる名雲達へ視線を向ける沢。

 彼にしては珍しく、微笑ましげな顔付きで。

「急造だから駄目だと言っていられる状況でもないだろ」

「ええ。それは分かってます」

「今は君が責任者なんだし、頑張らないと」

「そういう柄じゃないんですけどね」

 弱気な発言はしても、諦める姿勢は見せない。

 沢の元へ来る警備局の人間は、彼一人。

 他の者は、殆どその顔すら見せない。

 それは傭兵を恐れているのか、責任を取らされる事を嫌っているのか。

 言えるのは、彼が矢面に立って頑張っている事。

「沢さん達がいるお陰で、ガーディアンの募集に応じる人間も多少は出ています。格闘系クラブからも、何人か」

「君が、柳君のビデオを見せたからだろ」

「知ってたんですか」

「彼の動きを見れば、分かってる人間は気持が動く。策士だね、案外」

 否定的ではなく、どこか嬉しそうな言い方。

 細い瞳はさらに細くなり、少年の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「一人で、よくやってる」

「自分しかいないから、仕方なく。妹は、まだ中学生ですし」

「ああ」

「結局は、自分しかいないんです」

 鋭さを帯びる表情。

 固められた拳がテーブルに押し付けられ、微かに揺れる。

 沢は無言で足を組み替え、目を閉じた。

 それを避けるようにして。

「捨て石になる気か」

「え?」

「そういう言い方だったから」

「まさか。そういうタイプに見えます?」 

 笑う少年。

 沢は目を閉じたまま、静かに首を振った。

「その判断が付くなら、尋ねていない。僕も、最期まで見届けた訳ではないし」

「何の話です」

「……いや、何でもない」

 もう一度首を振り、席を立つ。

 視線は窓辺へと向けられ、少年と重なる事はない。



 ここを見つめる視線、過去を振り返る眼差し。

 だがその心の内は、彼にしか分からない。






   







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