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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第15話
158/596

エピソード(外伝) 15-1 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~






     雪




     15-1




 旧岐阜県大垣。

 関ヶ原の合戦では西軍の石田三成が陣を置いた場所であり、東西交通の要所として幾度と無く戦乱の舞台になった土地。

 市街を横断する形で主要幹線道路と高速道路が走り、その役割は現代も変わらない。

 幹線道路沿いの、公営ドライブイン「道の駅」

 まだ早い時間だが喫茶コーナーの片隅で、何名もの若者が談笑に耽っている。


 赤いキャップを被る精悍な顔立ちの少女と、長く艶やかな黒髪に触れる大人びた顔立ちの少女。

 彼と向かい合う形で座る、落ち着いた雰囲気を漂わせる少年。

 細い瞳と、引き締まった口元。 

 体型はさほど大柄ではなく、人目を引くタイプではない。

 青いシャツと、薄茶のコットンパンツ。 

 やや短めの髪をかき上げ、その口元を緩めた。

「僕に、何か。世間話をする間柄でも無いだろ」

「確かにそうね。ちょっと、寝ないでよ」

「起きてる」

 キャップを上げ、ゆっくりと目を開ける舞地。

 池上は彼女を肘でつつき、緑茶の入った紙コップに口を付けた。

「……長野の事、覚えてる?」

 さりげない、それこそ世間話にも似た切り口。

 しかし沢は、表情を引き締めはっきりと頷いた。

「忘れる訳がない」

 力を込めた答え。

 テーブルの上に置いてある拳が、微かに揺れる。

 彼ならば、それを隠すのも可能だろう。

 だが拳は揺れ続け、彼の表情はさらに険しくなっていく。

「今さら、思い出話かい」

「君こそ、寝てるんじゃない。フリーガーディアンとして、情報は聞いてないの?」

「こちらから定時連絡を入れる以外は、殆ど」

「なるほど」 

 自分の端末を取り出す池上。

「また、荒れてるらしいわよ」

「そういう事もあるだろ」

「あくまでも他人事?」

「追い出された身としては、それ以外に言いようがない」

 感情を交えない、淡々とした口調。

 ただ拳は、依然として揺れている。

「まだ拗ねてるの」

「何だ、それは」

「それ以外に、言いようがないもの」

 同じ言葉を返す池上。

 沢は鼻を鳴らし、自分の紙コップを指で弾いた。

「長野、か。もうずっと昔の話だな」

「いつから、そんなに年を取った」

 低い、ただ若干のからかいの色を含んだ言葉。 

 舞地はキャップを取り、それを池上の頭に被せた。

「確かに、遠い話かもしれない」

「寒かったわね」

「ああ」

「僕にとっては、もう思い出に過ぎないよ」

 そう呟く沢。

 遠く、儚い眼差しで。

 揺れる拳を、さらに握り締めて……。





 歩道を滑っていく落ち葉。

 それは側溝に寄せられた雪の固まりで止められ、乾いた音を立てている。

 残雪の名残が歩道の上で溶け、日差しに鈍いきらめきを跳ね返す。

 落ち着いた、正確な歩調。

 ダッフルコートと、ロングブーツ。

 民家と田園風景に目を細めていた少年が、不意に足を止める。

 コートの懐に入る、革の手袋をはめた手。

「慌てるな」

 精悍な顔をほころばせる、大柄な少年。

 厚手のダウンジャケットと、同じくロングブーツ。

 長い手を頭の後ろで組み、両足をやや広く開く。

「今回は、味方だ」

「その保証は」

「俺の笑顔ってのは」

「聞くんじゃなかった」 

 懐から手を戻し、苦笑する沢。

 名雲も姿勢を直し、その肩をさすった。

「ここは寒いな。まだ12月だぜ」

「もう、だよ。北海道なら、雪の中だ」

「しかし、お前を呼んで俺達を雇って。それ程荒れてるようには見えないけどな」

「僕は知らない。教育庁の指示に従っただけだから」

 言葉とは違い、微かに思案の表情が浮かぶ。

「細かい話は、後ですればいい。とにかく、入ろうぜ」

「他の子達は」

「勿論いるさ。伊達を除いては」

「ああ。彼は、草薙高校に」

 頷く名雲。

 彼等が立っている、正門前。

 その向こう、大きな花壇の並ぶ学校内の敷地。

 白い息を手に吹きかける、長い髪の少女。

 コートの裾が風にはためき、ミニスカートから伸びる素足をわずかに覗かせる。


「お前もいたんだろ」

「少しの間だけ」

「訳ありって顔だな」

「君も、行けば分かる」

 笑い気味の答え。

 名雲もそれ以上は尋ねず、正門をくぐる。

「来たわね」

「仕事だから」

「愛想がない事。少しは、柳君を見習ったら」

「君は、まだ中学生だろ」

 沢の突っ込みに、可愛らしく笑う柳。

 厚手のジャケットと耳当て、さらにはマフラー。

 見た目にはだるまに近い状態だ。 

「大学卒業資格も持ってるよ」

「それは結構。……舞地さん」

 下がっていた顔を、ゆっくりと上げる舞地。

 彼女もダッフルコートと、ロングブーツ。

 黒いキャップをわずかに上げ、鋭い眼差しを彼へと向ける。

「凍死するとでも?」

「違ったかな」

「下らない。それより、早く中へ」




 ストーブが赤く燃え上がる室内。

 窓の外では雪がちらつき初め、あれだけ晴れ渡っていた空には灰色の雲がたれ込めている。

「両方をお呼びする気はなかったんです。教育庁に連絡を入れ、知り合いから聞いた連絡先に話をしたら」

「僕と」

「俺達がやって来たという訳か」

 顔を見合わせる沢達。

 相当にやるせない表情で。

「沢はともかく、俺達を雇うには金がいる。こいつ一人で十分だろ」

「交通費はおまけしておくわ。真理依、行こう」

「ああ」

「それじゃ、失礼しました」

 足早に部屋を出ていく舞地達。

 沢はそれを見届け、デスクへと向き直った。

「レポートは受け取った。護衛はともかく、トラブルの収拾はそちらで出来ないのかな」

「残念ながら、ガーディアンの数が少なくて。出来れば、フリーガーディアンのお力を貸して頂ければ幸いです」

 遠慮気味に申し出る少年。

 大人しそうな顔立ちの、華奢な体型。

 この学校の制服か、服装は黒の詰め襟である。

「責任者は、君でいいのかな」

「序列としては違うんですが、他の人は心労や怪我で学校を休んでまして」

「君は?」

「心身共に健康なのが取り柄です」 

 屈託のない微笑み。

 沢は釣られたように口元を緩め、デスクの上にレポートを置いた。

「それで、いつまでいて下さるんですか」

「君達が問題ないと判断するか、僕がそう判断したら」

「分かりました。寒くて何もない所ですが、よろしくお願いします」

 デスク越しに手を差し伸べる少年。

 沢は彼の瞳を見つめ、すぐにその手を握り返した。

 初冬。 

 雪の舞い始めた、長野の高校で……。




「うわ」

 叫ぶ池上。 

 ドライブインの土産物コーナー。

 瓶に入った、茶褐色の佃煮。

 ラベルには「ざざ虫」とある。

「さすがにこれは、名雲君でも……」

「あ、俺がどうした」

 試食品の佃煮を、手づかみで食べる名雲。

 それが何なのかは、即座に身を引いた池上の反応からも明らかだ。

「近寄らないで、触らないで」

「虫だぞ、虫。別に、石を食ってる訳でもないんだし」

「いいから、向こう行って」

 名雲を手で追い払い、池上は疲れきったように首を振った。

「真理依、これからどうする気」

「次の予定は」

「何も無い。さつき達の所にでも行こうかしら」

 リンゴの蒸留酒に手が伸び、すぐに棚へと戻される。 

 次はリンゴパイが手に取られ、それは買い物カゴの中へと入れられた。

「どう思う?」

「実家に帰ったら」

「自分でしょ、それは」

 軽く突っ込み、今度はソバ茶なる物を入れた。

「止めて」

「いいじゃない、名雲君なら平気で飲むわよ」

「いっそ、一度みんな実家へ……」


 そう言いかけた舞地が、それとなく後ろを振り向く。

 土産物コーナーとは反対側。

 コンビニに近い品揃えの棚。

 そこに集まる、彼女達と同年代らしい若者達。 

 制服姿から見ても、それは間違いない。

 含み笑い。 

 辺りを窺う、暗い眼差し。 

 棚に伸びた手が素早く引き戻され、床に置いてあったバッグの中に何かが落ちる。

 レジからは死角の位置。

 また集団でいるため、個人個人の動きは把握がしづらい。

「司」

「了解」


 建物を出ていこうとする集団。

 その前に回り込み、素早く立ちふさがる柳。

 華奢な体型と、可愛らしい顔立ち。

 そして笑顔。 

 怪訝そうに見つめてくる集団に対し、柳が手を差し伸べる。

「ガムとDD。後は、ディップ」

 途端に強ばる表情。

 勿論柳ではなく、集団の方が。

「見たのか、お前は」

「バッグを開ければ分かるよ」

 直接的に返す柳。

 集団の中央にいた男が、指差されたバッグを思わず抱きしめる。

「まだ間に合う。一応は、建物の敷地内だから」

「だから、どうだって言うんだ」

「ガキが」

 豹変する態度。

 柳の周りを素早く囲み、ジャケットの中へ手を入れる者もいる。

「でしゃばりやがって」

「余計な真似したらどうなるか、教えてやるからな」

「何なら、服でも脱がすか」

 一斉に上がる高笑い。 

 狭まる輪。


「楽しそうだな」

「名雲さん。ここは僕が」

「寒いんだよ、俺も」

 ダウンジャケットではなく、黒いシャツ姿の名雲。

 寒くて当たり前だと突っ込みたげな柳の視線に笑い返し、シャツの袖もまくる。

 雪がちらつき、肌を切るような寒風が吹きすさぶ中で。

「馬鹿か、お前」

「かもな」 

 予備動作無しに伸びる右手。 

 それが鼻先をかすめ、数名の男が顔を仰け反らせる。

「次は当てる」

「な」

「お前らこそ、馬鹿か」

 強くなる瞳の輝き。

 顔の前に掲げられた拳から発せられる、寒風をも切り裂くような迫力。

 我知らずといった具合に下がり出す集団。

「金を払うか、品物を返すか。選べ」

「くっ」

「警察に突き出すって選択肢もあるぞ」

 その言葉を聞くや、不承不承という顔付きでバッグから品物が取り出される。

 名雲はそれらを確認して、顎を建物の中へと向けた。

「品物を戻して、謝ってこい」

「なに」

「それとも、土下座したいのか」

 あごを反らす名雲。

 威圧感を増す眼差し。

 喉を鳴らして下がる男達。

「俺は、どっちでもいいぞ」

「わ、分かった」

 急ぎ足でレジの方へ、彼等が走っていく。 

 名雲はその一部始終を見届け、ようやくシャツの袖を直した。

「何してるのよ」

「本当に、僕がやるって言ったのに」

「気にするな」

 池上からダウンジャケットを受け取り、空を見上げながら袖を通す。

 苛立ちを隠そうともせずに。

「この辺の連中か」

「制服を見る限りはそうね」

「つまり、さっき行った学校?」

 小首を傾げる柳に、池上は苦笑して手をすりあわせた。

「ただの万引きでしょ。何怒ってるの」

「あいつらの車見たか」

「高そうな車ね」

「金があって万引きだ。ちょっと、きたぜ」

 引き締まる口元。 

 険しくなる眼差し。

 寒風に前髪が揺れ、微妙な陰影をその精悍な顔に作り出す。

「舞地」

「なに」 

 寒いのか、顔を襟元に埋めたまま話す舞地。 

 名雲は構わず、話を続けた。

「戻るぞ」

「みんなは」

「妥当ね」

「僕は、中学生だから」

 それぞれの答え。

 ただ否定する者は、誰もいない。 

「契約はどうする」

「沢にでも雇ってもらうさ。公務員だし、金くらい持ってるだろ」

「安く使われそうね」

「温泉に入りたい」

 身を震わせる柳。 

 名雲は彼の頬に軽く手を当て、自分達の車を指差した。

「いつでも連れてってやる。行くぞ」




 学内の食堂。 

 おにぎりとみそ汁だけの、簡素な食事。 

 昼を過ぎているため、数多くあるテーブルに付いている者は殆ど無い。

 閑散とした眺めと静寂。 

 厨房の奥から聞こえる洗い物の音が、それをさらに際だたせる。

「寂しい食事だな」

「名雲君」

「土産だ」

 ざざ虫の佃煮をテーブルへ置く名雲。

 沢は露骨に嫌そうな顔をして、それを遠ざけた。

「食べろ」

「僕は、君程雑食じゃない」

「高タンパクだぜ」

 そういう名雲も、瓶のふたを開けようとはしない。

 先程軽く食べたせいもあるが、彼自身美味しいとは思っていないのだろう。

「雇ってよ」

 頬に手を寄せ、しなを作りながら沢の隣へ座る池上。

 寒さのためか赤らんだ頬が、その美しさを際だたせる。

「僕が?どうして」

「女に事情を聞かないで」

「馬鹿。形式だけでいい。フリーガーディアンの権限なら、在学許可も取れるだろ」

「まあね。よく分からないけど、君達をあごで使うのも悪くない」

 カードを取り出す沢。

 彼は舞地がテーブルに置いた端末へそれを通し、幾つかボタンを押した。

「振り込みは終わった。額は少ないが、教育庁の臨時スタッフとしての待遇が約束される」

「僕は、温泉に入れればそれで」

「相変わらず寒さに弱いね、柳君は。さっき、地図をもらった」

 テーブルの上に広げられる、近隣の地図。

 温泉のマークがあちこちに点在し、フリーパス券が添えられる。

「不足分は、それで」

「うん、分かった」

「勝手に分かるな。ちょっと、レポート見せれくれ」

「これを」

 クリアファイルを受け取り、中の書類に目を通す名雲。

 眉間にしわが寄り、口元が歪み出す。

「あまり、良くないな」

「トラブルは収まりつつあるようだけど、ガーディアン組織が機能していない。その建て直しが必要だね」

「それは、お前に任せる。俺達は、暴れるだけだ」

「程々に」

 軽く釘を差し、沢は舞地へと顔を向けた。

「勿論、渡り鳥としての誓いは守ってくれるだろうね」

「お前が、守っている限りは」

「いいだろう。いつも通り、お互いには不干渉という事で」

「分かった」

 同意に達する二人。

 舞地はキャップを取り、後ろで束ねている髪を撫でつけた。

「どう思う」

「今までと変わりない。普通の生徒がいて、普通にトラブルがあって。僕らも普通に対応するだけだ」

「その後は、普通に追い出されると」

「いつもそうって訳じゃないだろ」

 苦笑する沢。

 しかし、完全に否定はしない。 

 微かに翳る表情。 

 出てこない、不満の声。

 肯定はしても、その事実を淡々と受け入れる二人。


「それが分かってて、どうして戻ってきた」

「私じゃない」

 名雲へ向けられる、鋭い眼差し。 

 その名雲はざざ虫の瓶を睨み、一人で唸っている。

「金持ちの万引きが、気にくわなかったらしい」

「らしいというか、血の気が多いというか。わざわざ、残る事かな」

「さあ。それで、泊まる場所は」

「寮がないし、ホテルもない」

 差し出されるパンフレット。

 ひなびた旅館と、露天風呂の写真が表紙になっている。

「民宿」

「たまにはいいだろ」

「寝られれば、私はどこでも構わない」

「僕は、暖かければどこでも」

 ストーブの前から動かない柳。

 さすがにコートは脱いでいるが、顔はまだ血の気が戻りきっていない。

「これって、何」

「だるまストーブだ」

「変な名前」

「外見を模してあるだけで、実際は電熱だろうね」

 沢の指摘通り、ストーブの下部にはワイヤレスの電源がある。

 どうしてこの形なのかは分からないが、言いしれないノスタルジーを感じさせるスタイルではある。

 だるま型の中央にある、薪をくべる扉。 

 そこから見える、炎の揺らめき。 

 何でもない、それなのに人の心を和ませる眺め。

「どうして燃えてるの」

「圧縮した酸素が、ちろちろ燃えてるんだろ」

「爆発しない?」

「さあな。やかん乗せようぜ」 

 構わず室内を物色し出す名雲。

 しばらくして、煤けた大きなやかんを抱えてきた。

「ちょっと、洗って」

「この寒いのに?」

「好きでしょ、そういうの」

「仕方ないな。沢、来い」


 寒風の吹き付ける窓の外。

 キッチンではなく、廊下の手洗い場でやかんを洗う二人。

「どうして僕が」

「気にするな。しかし冷たいなー」

「当たり前だろ。夜は、氷点下にもなる」

「お湯欲しいぜ」

「それには、まずやかんを洗う事だね」

 巡る順序。 

 名雲は鼻を鳴らし、赤くなった手を何度も握り締めた。

「もういいか。しかし、毒混じってないだろうな」

「君なら平気だ。抗体は打ってるだろ」

「抗体があっても、毒が回ればきつい。……悪くない」

 色々言う割には、蛇口から直接飲んで頷いている。

 沢は首を振って、やかんの方を指差した。

「そっちの側面に、毒がという意味だ」

「今洗った。お前、チェック用の試験紙持ってるだろ」

「ほら」

 やかんの側面と口に付けられる、小さな長方形の試験紙。

 青い色はわずかにも変わらず、水を吸って緩やかに折れた。

「毒味は君がやればいい」

「それ程やばそうな学校でもないし、心配するな」

「ああ。寒いから、早く戻ろう」

「廊下にも、暖房付けて欲しいぜ」

 やかんを携え廊下を歩く二人。

 半袖で、上半身をかなり濡らして。

 それでもどこか、楽しげに。



「温かい」

 マグカップを両手で抱え、白い湯気越しに幸せそうな表情を浮かべる柳。

 名雲は一気に飲み干して、次のコーヒーを飲み出している。

「どうして、そう早いのよ」

「寒いんだ」

「犬ね」

 彼とは違い、優雅な仕草でティーカップを傾ける池上。

 耳元の髪をかき上げ薄く微笑む辺りは、言いよう無く様になっている。

「真理依さんは飲まないの?」

「お茶請け」

「はい?」

「あるだろ」

 戸惑う柳を制し、例の瓶を差し出す名雲。

 あながち、間違ってはいない。

 人には好みという物があるが。

 触りたくもないのか、名雲の警棒で遠ざける舞地。

 池上はテーブルを傾け、それを返した。

「おい、こぼれる」

「じゃあ、それを下げて」

「ったく。贅沢な連中だな」

 勿論彼も、ふたすら開けようとはしない。

 では何故買ったのかという話だが、手放す気も無いようだ。


 次の瞬間。

 素早くドアの左右に立つ、名雲と柳。

 沢は無造作に歩き、その前に立った。

「どうぞ」

 ゆっくりと開くドア。

 微かに落ちる腰。

 舞地は雪のちらつく窓へ視線を向け、池上はテーブルの上に置かれた警棒に触れている。

「こんにちは」

 控えめな声。

 少し不安そうな表情で立ち尽くす、ショートヘアの少女。

 ブレザーの上にブルゾンを着ていて、その体型をやや曖昧にしている。 

「あれ」 

 舞地と池上を見つめる、大きな瞳。

 池上はしなやかに立ち上がり、軽く会釈した。

「私達は、彼の友達。一人では大変だろうと思って、手伝いに来たの」

「そうなんですか。あ、良かったらこれどうぞ」

 疑いもせず、幾つもの箱を差し出す少女。

 リンゴを使用したお菓子と、後は野沢菜。

 この辺り、つまり信州の名産品である。

「バザーの残り物なんですけど」

「ありがとう」 

 丁寧に頭を下げ、それを受け取る沢。

 部屋に入ってきた少女も会釈を返し、途端に身を固めた。 

 ドアの外からは死角。 

 その位置に立っていた、名雲と柳を見つけて。

「あ、あの」

「その二人は気にしなくてい。馬鹿だから」

「は、はあ」

 言葉の返しようがないという顔。

 ただすぐに何かを悟ったのか、優しそうな顔がふとほころぶ。

「私は、警備局の人間です」

 両手を上げる少女。

 ボディーチェックしてくれと言わんばかりに、沢を上目遣いで見上げている。

 細い目をわずかに見開く沢。

 笑いと、微かな焦りの色を宿して。

「じゃあ、俺が」

 手を伸ばしかけた名雲を、左右から蹴りつける舞地と池上。

 床に崩れ落ちた男を振り向きもせず、二人は少女の傍らに立った。

「ご希望なら、一応」

 彼女のボディラインに沿って手を滑らせる池上。

 舞地は端末を近付け、その画面をチェックしている。

「警棒と、プロテクターね」

「ええ」

「真理依」

「盗聴器もカメラもない。ここはともかくとして」

 少女の目と頭に向けられる指先。

「記憶力は大した事無いですから」

 朗らかな笑顔。

 どこかで見た、屈託のない表情。

「彼に似てるね」

「私は妹です」

「その制服は」

「中学生なんですけど、飛び級で高校へ来てまして」

 小さく「僕と同じだ」と呟く柳。 

 彼は大学卒業資格を得ているので、正確には違うのだが。


「君も、ガーディアンを?」

「人手が足りないと言われて、仕方なく」

「なるほど」

 素直な答えに、表情を緩ませる沢。

 彼は腰のフォルダーを外し、彼女へと差し出した。

「え?」

「持ってないようだから」

「い、いえ。私はそういう事はちょっと、怖くて」

「威嚇用と思えばいい」

 少女は遠慮気味にそれを受け取り、ぎこちない仕草で腰に提げた。 

「ありがとうございます」

「いや」

「私、まだ授業がありますから。それじゃ、みなさんも失礼します」

 一礼して、ドアを出ていく少女。

 それを見届け、沢を囲む舞地達。

「おい、俺にもくれ」

「私、端末がいいな」

「車」

「僕は、えーと」

 沢はゆっくりと髪をかき上げ、その囲みから抜け出した。

「丸腰では危ないと思ったから、渡しただけだ」

「あんな高いのを?」

「勿論、ここを出る時には返してもらう」

「あ、そう。で、お前の予想ではいつまで掛かる」

 微かに真剣味を帯びる口調。

 全員の眼差しも、自ずと同じ色を宿す。

「初日の出は見ると思う。ガーディアン組織を立て直し、要注意人物の特定と更生、もしくは排除。教育庁との調整。問題は幾つもある」

「仕方ないわね。といっても、お正月までもう何日もないじゃない」

「無理しなくても、僕一人で大丈夫だ」

「一人でいたい、理由でも?」

 静かに尋ねる舞地。

 沢は肩をすくめ、テーブルに箱を置いた。

「僕の詮索はいいから、自分達の役割分担を考えてくれないかな」

「名雲と柳で関係者の護衛と、ガーディアンの訓練。池上は組織再編と人材の選定」

「舞地さんは」

「それを監督する」

「言ってろ」

 鼻で笑い、もらったお菓子を食べ出す名雲。

「あの、それは僕がもらったんだけど」

「気にするな。契約金の一部だ」

「山賊だね、まるで」

「僕、これはちょっと」

 テーブルの中央へ追いやられるお焼き。

 野菜や野沢菜を詰め込んだ饅頭だが、苦手らしい。

「美味しいのに。子供は駄目ね」

「いいよ、子供でも何でも」

「あら、口答え。真理依、ちょっと叱ってやって」

「私は、親じゃない」

 聞く耳を持たず、リンゴジュースのふたを開ける舞地。

「頼むよ、本当に」

 少し離れた場所で、一人そう呟く沢。

 好き勝手に振る舞うワイルドギースを見つめながら。

 形式とはいえ、彼が雇っているはずの者達を……。



 学校から車で10分ほどの民宿。

 細い山道を登っていった、見晴らしのいい高台にある一件宿である。

 その前の駐車場に止まる、赤のRV車。

 木造の、ひなびた2階建ての建物。

 周囲は背の高い木々に覆われ、今日降った雪が枝を傾がせている。

 駐車場やそれ以外の地面も白く色付き、北側は凍り付いている場所もある。

 旅館の裏側から聞こえる水の音。 

 緩い斜面の下辺りに、小川が流れているようだ。

 日はすでに落ち、当たりは闇に包まれている。 

 凍てつくような空気の中、空一面に広がる無数の星々。

 都心とは違う、幻想的とも言える眺め。

 窓から燃える明かりはおぼろげに周囲を照らし、民宿をそのかすみの向こうに浮かばせている。



「フッ」

 右ストレートのトリプル。

 ヘッドスリップとダッキングでかわし、肘を構えつつ懐へと突っ込む。

 死角から飛んでくるフック。

 肘を上げてそれを跳ね飛ばし、鳩尾に掌底を突き立てる。

「まだまだ、甘いね」

「そう?」

「ん」

 鳩尾から手を離す沢。

 頭上のかかとから遠ざかり、軽く息を付く。

「ちょっと、気を抜き過ぎたかな」

「どちらにしろ、僕の勝ち」

 12畳あまりの、和室。

 部屋の片隅に置かれた座卓にあったマッチ棒が、右側へと移動する。

 左が6本、右が4本。

「トータルでは、僕の勝ちだ」

「面白くない」

「そういう事もある。……名雲君は」

「ご飯食べてた」

 オープングローブを外し、顔の汗をタオルで拭う柳。

 頬が赤いのは今沢とやり合ったのと、風呂上がりのため。

 この調子では、もう一度入る事になるだろう。 

 初めから、そのつもりかも知れないが。 

「さっき食べたばかりなのに?」

「残すともったいないんだって」

「犬じゃあるまいし」

 苦笑して、座布団の上に座る沢。 

 彼は汗一つかいて無く、息の乱れた様子もない。

 風呂に入ってないのと動きを抑えていた点もあるだろうが、心肺機能では彼の方が上回るようだ。

「柳君は、実家に帰らないのか」

 低い、ささやくような問い掛け。

 畳のすれる音がして、床がわずかにきしむ。

 いつもより雑な態度で腰を下ろした柳は、首を振って畳に触れた。

「家族もいないのに、帰っても意味無い」

「親戚はいるんだろ」

「うん」

「それも、家族だよ」

 諭すような呟き。

 微かに体を揺らす柳。

「君を育ててくれて、一緒に大きくなった子もいるって聞いてる」

「う、うん。でも僕は、ちょっと」

「恥ずかしいなら、名雲君とでも帰ればいい。顔を出してくれるだけでも、その人は嬉しいから」

「親みたいな事言うね」

 困惑気味な笑顔。

 ただそこには、いつにない親しみの表情を宿らせている。

「沢さんは?」

「色々事情があってね」

「みんな、口ばっかり何だよなー。忙しいとか、事情とか言って」

「なるほど」

 おかしそうに笑う沢。 

 柳もその可愛らしい顔をほころばせ、何度と無く頷いた。



「何してるの」

「寒いところだなと思って」

 二階の廊下。

 山の斜面の間から見える、月模様。

 舞地は羽織っていたジャケットの前を合わせ、肩をすぼめた。

「寒いなら、部屋に入れば」

「たまには、こういうのもいい」

「風邪引かないでよ」

「そこまでやわじゃない、と思う」

 そう付け足し、息を付く。

 白く曇る窓ガラス。

 滑っていく指先。

 名前だろうか。 

 書かれた漢字はすぐに、その指先で消されていく。

「舞地の名前は重いって?」

「誰が、そんな事言った」

「顔に書いてあるわよ」

「家出した私には、もう関係ない」

 淡々と告げ、指先に息を吹きかける舞地。

 薄暗い廊下の中。

 翳りの中に消える、精悍な顔。

 鋭さを湛える瞳が輝く事もなく。

「私は親が離婚してるから、家も何もないわ」

「映未」

「でも、親はいるじゃない。それで十分でしょ」

「司の事?」

 顎を引く池上。 

 長い黒髪を撫で、彼女も窓に息を吹き付ける。

「あの子も私達なんかに付いてこなくて、家にいればいいのよ。あっちにはおじさん達もいるんだし」

「じゃあ、自分は」

「私は、この生活にもう慣れたから。それに、好きなのよ」

「司も、同じだと思う」

 重なる視線。

 池上は窓から指を離し、舞地の頭をそっと撫でた。

「駄目ね、私達は素直じゃなくて」

「素直なら、渡り鳥なんてやってられない。勿論、やる必要もないけど」

「あーあ。どこか、いい学校でもないかな。いっそ、滋賀のあそこに戻ろうか」

「それはどうだろう」

 言葉を濁す舞地。

 池上の手が頬へと滑り、軽く鼻先が押される。

「あなたが一番素直じゃないのよ。あの子と連絡取ってる?」

「いや。自分だって、伊達とは?」

「それは、あの。また違う話よ」

 誰の目にも分かるくらい動揺する池上。

 今度は舞地が彼女の髪を撫で、微かに口元を緩めた。

「黒いのも似合ってる」

「染めるが面倒だったの。いっそ、真理依が染める?」

「それこそ、似合わない」

「慣れない事は、するものじゃないって?無茶苦茶やる割には、堅実ね」

 静かな廊下に響く笑い声。 

 一つではなく、二つ。

 控えめな、だけど心温まる音色……。



 食堂内のテーブル。 

 野沢菜とみそ汁、猪のみそ煮。 

 後は、どんぶり飯。

 それを掻き込む、精悍な顔立ちの男。

 冬眠に入る前の熊さながらに。

「無理しなくてもいいのに」

「もったいないですから」

 真顔で答える名雲。

 賄いのおばさんは、洗い物をしながら笑っている。 

「しかし貸し切りとは、若いのにお金持ちだね」

「支払いは、学校持ちです。俺達、学校外生徒って奴でして」

「ああ、あちこち渡り歩いてる中高生。嫌だね、もう」

 たしなめるように睨むおばさん。

 名雲は恐縮気味に頷き、ぼそぼそと食べ始めた。

「あんただって、自分を心配してくれる家族くらいいるだろ」

「はあ、まあ。一応は」

「駄目だよ、そういうのは。ふらふら遊んでないで、ちゃんと勉強して親を安心させないと」

「か、考えておきます」

 追い込まれる名雲。

 おばさんは「全く」と呟き、空いた皿を下げていった。

「別に、俺は……」

「何か言った?」

「い、いえ。美味しいなーって」

「そう。ざざ虫あるけど、どう?」

 笑いかける名雲だが、おばさんは冗談で言っている訳ではないようだ。

「名産、ですよね」

「私はあまり好きじゃないけど。何なら、明日は炊き込みご飯でも作ろうか?」

「つ、連れが嫌がるので。俺も、ちょっと」

「だろうね。本当に、こんなの誰が食べるんだか」

 感嘆気味に呟くおばさん。

 そこに飛び込んでくる華奢な体。


「お茶を……。あ」

「よう」

 手を挙げる名雲。

 食堂に入ってきた少年も手を挙げ、それに答える。

「どうした、こんな時間に」

「俺の家なので」

「ふーん。学校から支払わせて、自分の家に泊まらせるか。悪くない手口だな」

「儲け無しですよ、今回は」 

 苦笑気味に否定する少年。

 学校で名雲達と会った、警備局の現在の最高責任者。

「他の人達は?」

「さあな。俺は、あいつらの親じゃない」

「なるほど。遅い夕食ですね」

「その子は、さっきも食べたよ。餓鬼じゃないんだし」

 少年にお茶を差し出し、瓶も渡すおばさん。

「お、おい」

「え、どうかしました?」

「いや。俺はもう、お腹が一杯です」

 追われるように逃げていく名雲。

 少年は不思議そうに、その背中を見つめていた。 

 佃煮の入った、小さな瓶を握り締めたまま。


 民宿の前に広がる、送迎用の場所ともなっている開けたスペース。 

 わずかな明かりが舞い降りる雪を照らし、地面を白く染めていく。

 かざした手に落ちる雪。

 結晶は淡く溶け、その形を崩す。

「寒くないんですか」

 玄関先から掛けられる声。

 沢は体に積もった雪をそのままに、後ろを振り返った。

「慣れてる」

「北国の生まれなんですか?」

「そうじゃないけど、寒い所で過ごした事もある」

 はぐらかすとまでも行かない、曖昧な答え。

 白い息が夜風に流れ、闇の奥へと流れていく。

「私は、ずっとここです。生まれてから、他の所へ行った事がありません」

「旅行は」

「去年、家族で東京へ。そのくらいですね」

 丸みのある、優しい声。

 艶やかな黒髪に淡雪が宿り、鮮鋭なコントラストを見せている。

「その方がいい。これだけ通信手段が発達すれば、どこにいても大差ない。むしろここの方が、暮らしいいくらいだ」

「こんな田舎なのに?」

「だからこそだよ」

 闇の彼方に見える緑。

 絶え間なく聞こえる、川のせせらぎ。

 空には降るような星々が見え、空気は限りなく澄んでいる。

「私としては、刺激が欲しいです」

「そういう年頃かい」

「ええ」

 くすっと笑う少女。

 沢も微かに目元を緩め、彼女の傍らを過ぎた。

「散歩はお終いですか」

「寒いから」

「じゃあ、どうして散歩してたんです」

「格好付けたくて」

 本気とも、冗談とも取れない口調。

 伸ばされた背中は、振り返る事もなく建物の奥へと消えた。


 ひさしの向こう側へ伸びる、細い腕。

 手の平へ舞い降りる、白い雪。 

 溶ける事無く、風に乗り飛んでいく。

 少女は足を速め、ひさしの外へと駆け出した。

 強い風、舞い降り続ける無数の雪。

 彼女の手の平に落ちた雪は、もう見えない。

 空へと伸びる指先。

 そっと触れる、雪の結晶。

 それは、先程の雪とは思えない。

 しかし少女は顔をほころばせ、指をゆっくりと握り締めた。

 大切そうに、いつまでも……。






  







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