エピソード(外伝) 15-1 ~沢メイン・長野・フリーガーディアンズ編~
雪
15-1
旧岐阜県大垣。
関ヶ原の合戦では西軍の石田三成が陣を置いた場所であり、東西交通の要所として幾度と無く戦乱の舞台になった土地。
市街を横断する形で主要幹線道路と高速道路が走り、その役割は現代も変わらない。
幹線道路沿いの、公営ドライブイン「道の駅」
まだ早い時間だが喫茶コーナーの片隅で、何名もの若者が談笑に耽っている。
赤いキャップを被る精悍な顔立ちの少女と、長く艶やかな黒髪に触れる大人びた顔立ちの少女。
彼と向かい合う形で座る、落ち着いた雰囲気を漂わせる少年。
細い瞳と、引き締まった口元。
体型はさほど大柄ではなく、人目を引くタイプではない。
青いシャツと、薄茶のコットンパンツ。
やや短めの髪をかき上げ、その口元を緩めた。
「僕に、何か。世間話をする間柄でも無いだろ」
「確かにそうね。ちょっと、寝ないでよ」
「起きてる」
キャップを上げ、ゆっくりと目を開ける舞地。
池上は彼女を肘でつつき、緑茶の入った紙コップに口を付けた。
「……長野の事、覚えてる?」
さりげない、それこそ世間話にも似た切り口。
しかし沢は、表情を引き締めはっきりと頷いた。
「忘れる訳がない」
力を込めた答え。
テーブルの上に置いてある拳が、微かに揺れる。
彼ならば、それを隠すのも可能だろう。
だが拳は揺れ続け、彼の表情はさらに険しくなっていく。
「今さら、思い出話かい」
「君こそ、寝てるんじゃない。フリーガーディアンとして、情報は聞いてないの?」
「こちらから定時連絡を入れる以外は、殆ど」
「なるほど」
自分の端末を取り出す池上。
「また、荒れてるらしいわよ」
「そういう事もあるだろ」
「あくまでも他人事?」
「追い出された身としては、それ以外に言いようがない」
感情を交えない、淡々とした口調。
ただ拳は、依然として揺れている。
「まだ拗ねてるの」
「何だ、それは」
「それ以外に、言いようがないもの」
同じ言葉を返す池上。
沢は鼻を鳴らし、自分の紙コップを指で弾いた。
「長野、か。もうずっと昔の話だな」
「いつから、そんなに年を取った」
低い、ただ若干のからかいの色を含んだ言葉。
舞地はキャップを取り、それを池上の頭に被せた。
「確かに、遠い話かもしれない」
「寒かったわね」
「ああ」
「僕にとっては、もう思い出に過ぎないよ」
そう呟く沢。
遠く、儚い眼差しで。
揺れる拳を、さらに握り締めて……。
歩道を滑っていく落ち葉。
それは側溝に寄せられた雪の固まりで止められ、乾いた音を立てている。
残雪の名残が歩道の上で溶け、日差しに鈍いきらめきを跳ね返す。
落ち着いた、正確な歩調。
ダッフルコートと、ロングブーツ。
民家と田園風景に目を細めていた少年が、不意に足を止める。
コートの懐に入る、革の手袋をはめた手。
「慌てるな」
精悍な顔をほころばせる、大柄な少年。
厚手のダウンジャケットと、同じくロングブーツ。
長い手を頭の後ろで組み、両足をやや広く開く。
「今回は、味方だ」
「その保証は」
「俺の笑顔ってのは」
「聞くんじゃなかった」
懐から手を戻し、苦笑する沢。
名雲も姿勢を直し、その肩をさすった。
「ここは寒いな。まだ12月だぜ」
「もう、だよ。北海道なら、雪の中だ」
「しかし、お前を呼んで俺達を雇って。それ程荒れてるようには見えないけどな」
「僕は知らない。教育庁の指示に従っただけだから」
言葉とは違い、微かに思案の表情が浮かぶ。
「細かい話は、後ですればいい。とにかく、入ろうぜ」
「他の子達は」
「勿論いるさ。伊達を除いては」
「ああ。彼は、草薙高校に」
頷く名雲。
彼等が立っている、正門前。
その向こう、大きな花壇の並ぶ学校内の敷地。
白い息を手に吹きかける、長い髪の少女。
コートの裾が風にはためき、ミニスカートから伸びる素足をわずかに覗かせる。
「お前もいたんだろ」
「少しの間だけ」
「訳ありって顔だな」
「君も、行けば分かる」
笑い気味の答え。
名雲もそれ以上は尋ねず、正門をくぐる。
「来たわね」
「仕事だから」
「愛想がない事。少しは、柳君を見習ったら」
「君は、まだ中学生だろ」
沢の突っ込みに、可愛らしく笑う柳。
厚手のジャケットと耳当て、さらにはマフラー。
見た目にはだるまに近い状態だ。
「大学卒業資格も持ってるよ」
「それは結構。……舞地さん」
下がっていた顔を、ゆっくりと上げる舞地。
彼女もダッフルコートと、ロングブーツ。
黒いキャップをわずかに上げ、鋭い眼差しを彼へと向ける。
「凍死するとでも?」
「違ったかな」
「下らない。それより、早く中へ」
ストーブが赤く燃え上がる室内。
窓の外では雪がちらつき初め、あれだけ晴れ渡っていた空には灰色の雲がたれ込めている。
「両方をお呼びする気はなかったんです。教育庁に連絡を入れ、知り合いから聞いた連絡先に話をしたら」
「僕と」
「俺達がやって来たという訳か」
顔を見合わせる沢達。
相当にやるせない表情で。
「沢はともかく、俺達を雇うには金がいる。こいつ一人で十分だろ」
「交通費はおまけしておくわ。真理依、行こう」
「ああ」
「それじゃ、失礼しました」
足早に部屋を出ていく舞地達。
沢はそれを見届け、デスクへと向き直った。
「レポートは受け取った。護衛はともかく、トラブルの収拾はそちらで出来ないのかな」
「残念ながら、ガーディアンの数が少なくて。出来れば、フリーガーディアンのお力を貸して頂ければ幸いです」
遠慮気味に申し出る少年。
大人しそうな顔立ちの、華奢な体型。
この学校の制服か、服装は黒の詰め襟である。
「責任者は、君でいいのかな」
「序列としては違うんですが、他の人は心労や怪我で学校を休んでまして」
「君は?」
「心身共に健康なのが取り柄です」
屈託のない微笑み。
沢は釣られたように口元を緩め、デスクの上にレポートを置いた。
「それで、いつまでいて下さるんですか」
「君達が問題ないと判断するか、僕がそう判断したら」
「分かりました。寒くて何もない所ですが、よろしくお願いします」
デスク越しに手を差し伸べる少年。
沢は彼の瞳を見つめ、すぐにその手を握り返した。
初冬。
雪の舞い始めた、長野の高校で……。
「うわ」
叫ぶ池上。
ドライブインの土産物コーナー。
瓶に入った、茶褐色の佃煮。
ラベルには「ざざ虫」とある。
「さすがにこれは、名雲君でも……」
「あ、俺がどうした」
試食品の佃煮を、手づかみで食べる名雲。
それが何なのかは、即座に身を引いた池上の反応からも明らかだ。
「近寄らないで、触らないで」
「虫だぞ、虫。別に、石を食ってる訳でもないんだし」
「いいから、向こう行って」
名雲を手で追い払い、池上は疲れきったように首を振った。
「真理依、これからどうする気」
「次の予定は」
「何も無い。さつき達の所にでも行こうかしら」
リンゴの蒸留酒に手が伸び、すぐに棚へと戻される。
次はリンゴパイが手に取られ、それは買い物カゴの中へと入れられた。
「どう思う?」
「実家に帰ったら」
「自分でしょ、それは」
軽く突っ込み、今度はソバ茶なる物を入れた。
「止めて」
「いいじゃない、名雲君なら平気で飲むわよ」
「いっそ、一度みんな実家へ……」
そう言いかけた舞地が、それとなく後ろを振り向く。
土産物コーナーとは反対側。
コンビニに近い品揃えの棚。
そこに集まる、彼女達と同年代らしい若者達。
制服姿から見ても、それは間違いない。
含み笑い。
辺りを窺う、暗い眼差し。
棚に伸びた手が素早く引き戻され、床に置いてあったバッグの中に何かが落ちる。
レジからは死角の位置。
また集団でいるため、個人個人の動きは把握がしづらい。
「司」
「了解」
建物を出ていこうとする集団。
その前に回り込み、素早く立ちふさがる柳。
華奢な体型と、可愛らしい顔立ち。
そして笑顔。
怪訝そうに見つめてくる集団に対し、柳が手を差し伸べる。
「ガムとDD。後は、ディップ」
途端に強ばる表情。
勿論柳ではなく、集団の方が。
「見たのか、お前は」
「バッグを開ければ分かるよ」
直接的に返す柳。
集団の中央にいた男が、指差されたバッグを思わず抱きしめる。
「まだ間に合う。一応は、建物の敷地内だから」
「だから、どうだって言うんだ」
「ガキが」
豹変する態度。
柳の周りを素早く囲み、ジャケットの中へ手を入れる者もいる。
「でしゃばりやがって」
「余計な真似したらどうなるか、教えてやるからな」
「何なら、服でも脱がすか」
一斉に上がる高笑い。
狭まる輪。
「楽しそうだな」
「名雲さん。ここは僕が」
「寒いんだよ、俺も」
ダウンジャケットではなく、黒いシャツ姿の名雲。
寒くて当たり前だと突っ込みたげな柳の視線に笑い返し、シャツの袖もまくる。
雪がちらつき、肌を切るような寒風が吹きすさぶ中で。
「馬鹿か、お前」
「かもな」
予備動作無しに伸びる右手。
それが鼻先をかすめ、数名の男が顔を仰け反らせる。
「次は当てる」
「な」
「お前らこそ、馬鹿か」
強くなる瞳の輝き。
顔の前に掲げられた拳から発せられる、寒風をも切り裂くような迫力。
我知らずといった具合に下がり出す集団。
「金を払うか、品物を返すか。選べ」
「くっ」
「警察に突き出すって選択肢もあるぞ」
その言葉を聞くや、不承不承という顔付きでバッグから品物が取り出される。
名雲はそれらを確認して、顎を建物の中へと向けた。
「品物を戻して、謝ってこい」
「なに」
「それとも、土下座したいのか」
あごを反らす名雲。
威圧感を増す眼差し。
喉を鳴らして下がる男達。
「俺は、どっちでもいいぞ」
「わ、分かった」
急ぎ足でレジの方へ、彼等が走っていく。
名雲はその一部始終を見届け、ようやくシャツの袖を直した。
「何してるのよ」
「本当に、僕がやるって言ったのに」
「気にするな」
池上からダウンジャケットを受け取り、空を見上げながら袖を通す。
苛立ちを隠そうともせずに。
「この辺の連中か」
「制服を見る限りはそうね」
「つまり、さっき行った学校?」
小首を傾げる柳に、池上は苦笑して手をすりあわせた。
「ただの万引きでしょ。何怒ってるの」
「あいつらの車見たか」
「高そうな車ね」
「金があって万引きだ。ちょっと、きたぜ」
引き締まる口元。
険しくなる眼差し。
寒風に前髪が揺れ、微妙な陰影をその精悍な顔に作り出す。
「舞地」
「なに」
寒いのか、顔を襟元に埋めたまま話す舞地。
名雲は構わず、話を続けた。
「戻るぞ」
「みんなは」
「妥当ね」
「僕は、中学生だから」
それぞれの答え。
ただ否定する者は、誰もいない。
「契約はどうする」
「沢にでも雇ってもらうさ。公務員だし、金くらい持ってるだろ」
「安く使われそうね」
「温泉に入りたい」
身を震わせる柳。
名雲は彼の頬に軽く手を当て、自分達の車を指差した。
「いつでも連れてってやる。行くぞ」
学内の食堂。
おにぎりとみそ汁だけの、簡素な食事。
昼を過ぎているため、数多くあるテーブルに付いている者は殆ど無い。
閑散とした眺めと静寂。
厨房の奥から聞こえる洗い物の音が、それをさらに際だたせる。
「寂しい食事だな」
「名雲君」
「土産だ」
ざざ虫の佃煮をテーブルへ置く名雲。
沢は露骨に嫌そうな顔をして、それを遠ざけた。
「食べろ」
「僕は、君程雑食じゃない」
「高タンパクだぜ」
そういう名雲も、瓶のふたを開けようとはしない。
先程軽く食べたせいもあるが、彼自身美味しいとは思っていないのだろう。
「雇ってよ」
頬に手を寄せ、しなを作りながら沢の隣へ座る池上。
寒さのためか赤らんだ頬が、その美しさを際だたせる。
「僕が?どうして」
「女に事情を聞かないで」
「馬鹿。形式だけでいい。フリーガーディアンの権限なら、在学許可も取れるだろ」
「まあね。よく分からないけど、君達をあごで使うのも悪くない」
カードを取り出す沢。
彼は舞地がテーブルに置いた端末へそれを通し、幾つかボタンを押した。
「振り込みは終わった。額は少ないが、教育庁の臨時スタッフとしての待遇が約束される」
「僕は、温泉に入れればそれで」
「相変わらず寒さに弱いね、柳君は。さっき、地図をもらった」
テーブルの上に広げられる、近隣の地図。
温泉のマークがあちこちに点在し、フリーパス券が添えられる。
「不足分は、それで」
「うん、分かった」
「勝手に分かるな。ちょっと、レポート見せれくれ」
「これを」
クリアファイルを受け取り、中の書類に目を通す名雲。
眉間にしわが寄り、口元が歪み出す。
「あまり、良くないな」
「トラブルは収まりつつあるようだけど、ガーディアン組織が機能していない。その建て直しが必要だね」
「それは、お前に任せる。俺達は、暴れるだけだ」
「程々に」
軽く釘を差し、沢は舞地へと顔を向けた。
「勿論、渡り鳥としての誓いは守ってくれるだろうね」
「お前が、守っている限りは」
「いいだろう。いつも通り、お互いには不干渉という事で」
「分かった」
同意に達する二人。
舞地はキャップを取り、後ろで束ねている髪を撫でつけた。
「どう思う」
「今までと変わりない。普通の生徒がいて、普通にトラブルがあって。僕らも普通に対応するだけだ」
「その後は、普通に追い出されると」
「いつもそうって訳じゃないだろ」
苦笑する沢。
しかし、完全に否定はしない。
微かに翳る表情。
出てこない、不満の声。
肯定はしても、その事実を淡々と受け入れる二人。
「それが分かってて、どうして戻ってきた」
「私じゃない」
名雲へ向けられる、鋭い眼差し。
その名雲はざざ虫の瓶を睨み、一人で唸っている。
「金持ちの万引きが、気にくわなかったらしい」
「らしいというか、血の気が多いというか。わざわざ、残る事かな」
「さあ。それで、泊まる場所は」
「寮がないし、ホテルもない」
差し出されるパンフレット。
ひなびた旅館と、露天風呂の写真が表紙になっている。
「民宿」
「たまにはいいだろ」
「寝られれば、私はどこでも構わない」
「僕は、暖かければどこでも」
ストーブの前から動かない柳。
さすがにコートは脱いでいるが、顔はまだ血の気が戻りきっていない。
「これって、何」
「だるまストーブだ」
「変な名前」
「外見を模してあるだけで、実際は電熱だろうね」
沢の指摘通り、ストーブの下部にはワイヤレスの電源がある。
どうしてこの形なのかは分からないが、言いしれないノスタルジーを感じさせるスタイルではある。
だるま型の中央にある、薪をくべる扉。
そこから見える、炎の揺らめき。
何でもない、それなのに人の心を和ませる眺め。
「どうして燃えてるの」
「圧縮した酸素が、ちろちろ燃えてるんだろ」
「爆発しない?」
「さあな。やかん乗せようぜ」
構わず室内を物色し出す名雲。
しばらくして、煤けた大きなやかんを抱えてきた。
「ちょっと、洗って」
「この寒いのに?」
「好きでしょ、そういうの」
「仕方ないな。沢、来い」
寒風の吹き付ける窓の外。
キッチンではなく、廊下の手洗い場でやかんを洗う二人。
「どうして僕が」
「気にするな。しかし冷たいなー」
「当たり前だろ。夜は、氷点下にもなる」
「お湯欲しいぜ」
「それには、まずやかんを洗う事だね」
巡る順序。
名雲は鼻を鳴らし、赤くなった手を何度も握り締めた。
「もういいか。しかし、毒混じってないだろうな」
「君なら平気だ。抗体は打ってるだろ」
「抗体があっても、毒が回ればきつい。……悪くない」
色々言う割には、蛇口から直接飲んで頷いている。
沢は首を振って、やかんの方を指差した。
「そっちの側面に、毒がという意味だ」
「今洗った。お前、チェック用の試験紙持ってるだろ」
「ほら」
やかんの側面と口に付けられる、小さな長方形の試験紙。
青い色はわずかにも変わらず、水を吸って緩やかに折れた。
「毒味は君がやればいい」
「それ程やばそうな学校でもないし、心配するな」
「ああ。寒いから、早く戻ろう」
「廊下にも、暖房付けて欲しいぜ」
やかんを携え廊下を歩く二人。
半袖で、上半身をかなり濡らして。
それでもどこか、楽しげに。
「温かい」
マグカップを両手で抱え、白い湯気越しに幸せそうな表情を浮かべる柳。
名雲は一気に飲み干して、次のコーヒーを飲み出している。
「どうして、そう早いのよ」
「寒いんだ」
「犬ね」
彼とは違い、優雅な仕草でティーカップを傾ける池上。
耳元の髪をかき上げ薄く微笑む辺りは、言いよう無く様になっている。
「真理依さんは飲まないの?」
「お茶請け」
「はい?」
「あるだろ」
戸惑う柳を制し、例の瓶を差し出す名雲。
あながち、間違ってはいない。
人には好みという物があるが。
触りたくもないのか、名雲の警棒で遠ざける舞地。
池上はテーブルを傾け、それを返した。
「おい、こぼれる」
「じゃあ、それを下げて」
「ったく。贅沢な連中だな」
勿論彼も、ふたすら開けようとはしない。
では何故買ったのかという話だが、手放す気も無いようだ。
次の瞬間。
素早くドアの左右に立つ、名雲と柳。
沢は無造作に歩き、その前に立った。
「どうぞ」
ゆっくりと開くドア。
微かに落ちる腰。
舞地は雪のちらつく窓へ視線を向け、池上はテーブルの上に置かれた警棒に触れている。
「こんにちは」
控えめな声。
少し不安そうな表情で立ち尽くす、ショートヘアの少女。
ブレザーの上にブルゾンを着ていて、その体型をやや曖昧にしている。
「あれ」
舞地と池上を見つめる、大きな瞳。
池上はしなやかに立ち上がり、軽く会釈した。
「私達は、彼の友達。一人では大変だろうと思って、手伝いに来たの」
「そうなんですか。あ、良かったらこれどうぞ」
疑いもせず、幾つもの箱を差し出す少女。
リンゴを使用したお菓子と、後は野沢菜。
この辺り、つまり信州の名産品である。
「バザーの残り物なんですけど」
「ありがとう」
丁寧に頭を下げ、それを受け取る沢。
部屋に入ってきた少女も会釈を返し、途端に身を固めた。
ドアの外からは死角。
その位置に立っていた、名雲と柳を見つけて。
「あ、あの」
「その二人は気にしなくてい。馬鹿だから」
「は、はあ」
言葉の返しようがないという顔。
ただすぐに何かを悟ったのか、優しそうな顔がふとほころぶ。
「私は、警備局の人間です」
両手を上げる少女。
ボディーチェックしてくれと言わんばかりに、沢を上目遣いで見上げている。
細い目をわずかに見開く沢。
笑いと、微かな焦りの色を宿して。
「じゃあ、俺が」
手を伸ばしかけた名雲を、左右から蹴りつける舞地と池上。
床に崩れ落ちた男を振り向きもせず、二人は少女の傍らに立った。
「ご希望なら、一応」
彼女のボディラインに沿って手を滑らせる池上。
舞地は端末を近付け、その画面をチェックしている。
「警棒と、プロテクターね」
「ええ」
「真理依」
「盗聴器もカメラもない。ここはともかくとして」
少女の目と頭に向けられる指先。
「記憶力は大した事無いですから」
朗らかな笑顔。
どこかで見た、屈託のない表情。
「彼に似てるね」
「私は妹です」
「その制服は」
「中学生なんですけど、飛び級で高校へ来てまして」
小さく「僕と同じだ」と呟く柳。
彼は大学卒業資格を得ているので、正確には違うのだが。
「君も、ガーディアンを?」
「人手が足りないと言われて、仕方なく」
「なるほど」
素直な答えに、表情を緩ませる沢。
彼は腰のフォルダーを外し、彼女へと差し出した。
「え?」
「持ってないようだから」
「い、いえ。私はそういう事はちょっと、怖くて」
「威嚇用と思えばいい」
少女は遠慮気味にそれを受け取り、ぎこちない仕草で腰に提げた。
「ありがとうございます」
「いや」
「私、まだ授業がありますから。それじゃ、みなさんも失礼します」
一礼して、ドアを出ていく少女。
それを見届け、沢を囲む舞地達。
「おい、俺にもくれ」
「私、端末がいいな」
「車」
「僕は、えーと」
沢はゆっくりと髪をかき上げ、その囲みから抜け出した。
「丸腰では危ないと思ったから、渡しただけだ」
「あんな高いのを?」
「勿論、ここを出る時には返してもらう」
「あ、そう。で、お前の予想ではいつまで掛かる」
微かに真剣味を帯びる口調。
全員の眼差しも、自ずと同じ色を宿す。
「初日の出は見ると思う。ガーディアン組織を立て直し、要注意人物の特定と更生、もしくは排除。教育庁との調整。問題は幾つもある」
「仕方ないわね。といっても、お正月までもう何日もないじゃない」
「無理しなくても、僕一人で大丈夫だ」
「一人でいたい、理由でも?」
静かに尋ねる舞地。
沢は肩をすくめ、テーブルに箱を置いた。
「僕の詮索はいいから、自分達の役割分担を考えてくれないかな」
「名雲と柳で関係者の護衛と、ガーディアンの訓練。池上は組織再編と人材の選定」
「舞地さんは」
「それを監督する」
「言ってろ」
鼻で笑い、もらったお菓子を食べ出す名雲。
「あの、それは僕がもらったんだけど」
「気にするな。契約金の一部だ」
「山賊だね、まるで」
「僕、これはちょっと」
テーブルの中央へ追いやられるお焼き。
野菜や野沢菜を詰め込んだ饅頭だが、苦手らしい。
「美味しいのに。子供は駄目ね」
「いいよ、子供でも何でも」
「あら、口答え。真理依、ちょっと叱ってやって」
「私は、親じゃない」
聞く耳を持たず、リンゴジュースのふたを開ける舞地。
「頼むよ、本当に」
少し離れた場所で、一人そう呟く沢。
好き勝手に振る舞うワイルドギースを見つめながら。
形式とはいえ、彼が雇っているはずの者達を……。
学校から車で10分ほどの民宿。
細い山道を登っていった、見晴らしのいい高台にある一件宿である。
その前の駐車場に止まる、赤のRV車。
木造の、ひなびた2階建ての建物。
周囲は背の高い木々に覆われ、今日降った雪が枝を傾がせている。
駐車場やそれ以外の地面も白く色付き、北側は凍り付いている場所もある。
旅館の裏側から聞こえる水の音。
緩い斜面の下辺りに、小川が流れているようだ。
日はすでに落ち、当たりは闇に包まれている。
凍てつくような空気の中、空一面に広がる無数の星々。
都心とは違う、幻想的とも言える眺め。
窓から燃える明かりはおぼろげに周囲を照らし、民宿をそのかすみの向こうに浮かばせている。
「フッ」
右ストレートのトリプル。
ヘッドスリップとダッキングでかわし、肘を構えつつ懐へと突っ込む。
死角から飛んでくるフック。
肘を上げてそれを跳ね飛ばし、鳩尾に掌底を突き立てる。
「まだまだ、甘いね」
「そう?」
「ん」
鳩尾から手を離す沢。
頭上のかかとから遠ざかり、軽く息を付く。
「ちょっと、気を抜き過ぎたかな」
「どちらにしろ、僕の勝ち」
12畳あまりの、和室。
部屋の片隅に置かれた座卓にあったマッチ棒が、右側へと移動する。
左が6本、右が4本。
「トータルでは、僕の勝ちだ」
「面白くない」
「そういう事もある。……名雲君は」
「ご飯食べてた」
オープングローブを外し、顔の汗をタオルで拭う柳。
頬が赤いのは今沢とやり合ったのと、風呂上がりのため。
この調子では、もう一度入る事になるだろう。
初めから、そのつもりかも知れないが。
「さっき食べたばかりなのに?」
「残すともったいないんだって」
「犬じゃあるまいし」
苦笑して、座布団の上に座る沢。
彼は汗一つかいて無く、息の乱れた様子もない。
風呂に入ってないのと動きを抑えていた点もあるだろうが、心肺機能では彼の方が上回るようだ。
「柳君は、実家に帰らないのか」
低い、ささやくような問い掛け。
畳のすれる音がして、床がわずかにきしむ。
いつもより雑な態度で腰を下ろした柳は、首を振って畳に触れた。
「家族もいないのに、帰っても意味無い」
「親戚はいるんだろ」
「うん」
「それも、家族だよ」
諭すような呟き。
微かに体を揺らす柳。
「君を育ててくれて、一緒に大きくなった子もいるって聞いてる」
「う、うん。でも僕は、ちょっと」
「恥ずかしいなら、名雲君とでも帰ればいい。顔を出してくれるだけでも、その人は嬉しいから」
「親みたいな事言うね」
困惑気味な笑顔。
ただそこには、いつにない親しみの表情を宿らせている。
「沢さんは?」
「色々事情があってね」
「みんな、口ばっかり何だよなー。忙しいとか、事情とか言って」
「なるほど」
おかしそうに笑う沢。
柳もその可愛らしい顔をほころばせ、何度と無く頷いた。
「何してるの」
「寒いところだなと思って」
二階の廊下。
山の斜面の間から見える、月模様。
舞地は羽織っていたジャケットの前を合わせ、肩をすぼめた。
「寒いなら、部屋に入れば」
「たまには、こういうのもいい」
「風邪引かないでよ」
「そこまでやわじゃない、と思う」
そう付け足し、息を付く。
白く曇る窓ガラス。
滑っていく指先。
名前だろうか。
書かれた漢字はすぐに、その指先で消されていく。
「舞地の名前は重いって?」
「誰が、そんな事言った」
「顔に書いてあるわよ」
「家出した私には、もう関係ない」
淡々と告げ、指先に息を吹きかける舞地。
薄暗い廊下の中。
翳りの中に消える、精悍な顔。
鋭さを湛える瞳が輝く事もなく。
「私は親が離婚してるから、家も何もないわ」
「映未」
「でも、親はいるじゃない。それで十分でしょ」
「司の事?」
顎を引く池上。
長い黒髪を撫で、彼女も窓に息を吹き付ける。
「あの子も私達なんかに付いてこなくて、家にいればいいのよ。あっちにはおじさん達もいるんだし」
「じゃあ、自分は」
「私は、この生活にもう慣れたから。それに、好きなのよ」
「司も、同じだと思う」
重なる視線。
池上は窓から指を離し、舞地の頭をそっと撫でた。
「駄目ね、私達は素直じゃなくて」
「素直なら、渡り鳥なんてやってられない。勿論、やる必要もないけど」
「あーあ。どこか、いい学校でもないかな。いっそ、滋賀のあそこに戻ろうか」
「それはどうだろう」
言葉を濁す舞地。
池上の手が頬へと滑り、軽く鼻先が押される。
「あなたが一番素直じゃないのよ。あの子と連絡取ってる?」
「いや。自分だって、伊達とは?」
「それは、あの。また違う話よ」
誰の目にも分かるくらい動揺する池上。
今度は舞地が彼女の髪を撫で、微かに口元を緩めた。
「黒いのも似合ってる」
「染めるが面倒だったの。いっそ、真理依が染める?」
「それこそ、似合わない」
「慣れない事は、するものじゃないって?無茶苦茶やる割には、堅実ね」
静かな廊下に響く笑い声。
一つではなく、二つ。
控えめな、だけど心温まる音色……。
食堂内のテーブル。
野沢菜とみそ汁、猪のみそ煮。
後は、どんぶり飯。
それを掻き込む、精悍な顔立ちの男。
冬眠に入る前の熊さながらに。
「無理しなくてもいいのに」
「もったいないですから」
真顔で答える名雲。
賄いのおばさんは、洗い物をしながら笑っている。
「しかし貸し切りとは、若いのにお金持ちだね」
「支払いは、学校持ちです。俺達、学校外生徒って奴でして」
「ああ、あちこち渡り歩いてる中高生。嫌だね、もう」
たしなめるように睨むおばさん。
名雲は恐縮気味に頷き、ぼそぼそと食べ始めた。
「あんただって、自分を心配してくれる家族くらいいるだろ」
「はあ、まあ。一応は」
「駄目だよ、そういうのは。ふらふら遊んでないで、ちゃんと勉強して親を安心させないと」
「か、考えておきます」
追い込まれる名雲。
おばさんは「全く」と呟き、空いた皿を下げていった。
「別に、俺は……」
「何か言った?」
「い、いえ。美味しいなーって」
「そう。ざざ虫あるけど、どう?」
笑いかける名雲だが、おばさんは冗談で言っている訳ではないようだ。
「名産、ですよね」
「私はあまり好きじゃないけど。何なら、明日は炊き込みご飯でも作ろうか?」
「つ、連れが嫌がるので。俺も、ちょっと」
「だろうね。本当に、こんなの誰が食べるんだか」
感嘆気味に呟くおばさん。
そこに飛び込んでくる華奢な体。
「お茶を……。あ」
「よう」
手を挙げる名雲。
食堂に入ってきた少年も手を挙げ、それに答える。
「どうした、こんな時間に」
「俺の家なので」
「ふーん。学校から支払わせて、自分の家に泊まらせるか。悪くない手口だな」
「儲け無しですよ、今回は」
苦笑気味に否定する少年。
学校で名雲達と会った、警備局の現在の最高責任者。
「他の人達は?」
「さあな。俺は、あいつらの親じゃない」
「なるほど。遅い夕食ですね」
「その子は、さっきも食べたよ。餓鬼じゃないんだし」
少年にお茶を差し出し、瓶も渡すおばさん。
「お、おい」
「え、どうかしました?」
「いや。俺はもう、お腹が一杯です」
追われるように逃げていく名雲。
少年は不思議そうに、その背中を見つめていた。
佃煮の入った、小さな瓶を握り締めたまま。
民宿の前に広がる、送迎用の場所ともなっている開けたスペース。
わずかな明かりが舞い降りる雪を照らし、地面を白く染めていく。
かざした手に落ちる雪。
結晶は淡く溶け、その形を崩す。
「寒くないんですか」
玄関先から掛けられる声。
沢は体に積もった雪をそのままに、後ろを振り返った。
「慣れてる」
「北国の生まれなんですか?」
「そうじゃないけど、寒い所で過ごした事もある」
はぐらかすとまでも行かない、曖昧な答え。
白い息が夜風に流れ、闇の奥へと流れていく。
「私は、ずっとここです。生まれてから、他の所へ行った事がありません」
「旅行は」
「去年、家族で東京へ。そのくらいですね」
丸みのある、優しい声。
艶やかな黒髪に淡雪が宿り、鮮鋭なコントラストを見せている。
「その方がいい。これだけ通信手段が発達すれば、どこにいても大差ない。むしろここの方が、暮らしいいくらいだ」
「こんな田舎なのに?」
「だからこそだよ」
闇の彼方に見える緑。
絶え間なく聞こえる、川のせせらぎ。
空には降るような星々が見え、空気は限りなく澄んでいる。
「私としては、刺激が欲しいです」
「そういう年頃かい」
「ええ」
くすっと笑う少女。
沢も微かに目元を緩め、彼女の傍らを過ぎた。
「散歩はお終いですか」
「寒いから」
「じゃあ、どうして散歩してたんです」
「格好付けたくて」
本気とも、冗談とも取れない口調。
伸ばされた背中は、振り返る事もなく建物の奥へと消えた。
ひさしの向こう側へ伸びる、細い腕。
手の平へ舞い降りる、白い雪。
溶ける事無く、風に乗り飛んでいく。
少女は足を速め、ひさしの外へと駆け出した。
強い風、舞い降り続ける無数の雪。
彼女の手の平に落ちた雪は、もう見えない。
空へと伸びる指先。
そっと触れる、雪の結晶。
それは、先程の雪とは思えない。
しかし少女は顔をほころばせ、指をゆっくりと握り締めた。
大切そうに、いつまでも……。