15-6
15-6
「言い合う気はない。開けるか、戦うか。その二つだ」
ドアの脇で直立するガーディアン。
微かに手が動き、警棒へと触れる。
しかしそれは、彼の震え。
私達は、誰も反応しない。
「誰へ連絡を取っても良いし、逃げても構わない」
口もきけないのか、ただ頷くだけの彼。
林さんは彼をそっとどかせ、その後ろにあったコンソールの前に立った。
「さて、どうやって開ける」
一人一人に向けられる、細い瞳。
「誰でも開けられそうだな」
「私は無理です」
「駄目だな、君は」
たしなめられた。
逆のような気もするが。
「清水さん、見本を頼む」
「どうして私が。沢の方が得意でしょ」
文句を言いつつ、コンソールに触れる清水さん。
「ちょっと」
「あ、はい」
「このパターンは?」
「えーと」
小泉さんはコードの付いたカードを差し、そのコードを端末に接続した。
「チベットの学生が作った、曼陀羅を模したガードシステムと似てますね。でも、今はパスがありますから」
「開きそう?」
「……なんとかなりました」
控えめに、答える小泉さん。
清水さんは満足げに微笑み、林さんを振り返った。
「開けた」
「小泉君が、だろ」
「同じ事だ」
そう答え、ドアを開ける舞地さん。
清水さんは何か言いかけ、微かに赤くなった顔を振った。
警務委員会が入ったフロアの廊下を歩いていく。
突然の来訪に戸惑いを隠せないガーディアン達。
しかし突っかかってくる人は誰もいなく、壁に身を寄せて様子を眺めているだけだ。
遮る者もない中、私達は一つのドアの前へと立った。
数名のガーディアンが固まってはいるが、何かをする素振りはない。
ただ無気力や怯えている訳ではなく、自分の意志で動かないのが見て取れる。
「通らせてもらう」
静かに声を掛ける林さん。
彼等の中から、一人の男の子が前に出る。
「どうぞ。理由は、俺達も何となく分かってます」
「悪い。迷惑ばかり掛けて」
「いえ」
男の子の手がコンソールに伸び、カードが通される。
少しの間を置いて、キー解除の音声が聞こえてくる。
「そこまでしなくてもいいのに」
「せめてもの気持です」
「分かった。……ありがとう」
彼の肩に触れ、他の子へも笑顔を向ける林さん。
彼等は何も言わない。
ただ軽く、頭を下げるだけで。
私達に出来る事はただ一つ。
このドアをくぐり、そこに待つ人と対峙する事だ……。
広い室内、大きなデスク。
応接セットと、壁際には書類の並んだラック。
数名の人間が、そのデスクを中心にして集まっている。
「アポ無しでは会わないと言われませんでしたか」
固い口調で返す警務委員長。
林さんは鼻で笑い、手の平を上に向けて彼を指差した。
「俺達の権限は、君と同格。警備のガーディアンに制止される理由はない」
「人としての分別、礼儀を言ってるんですけどね。傭兵には、それも通じませんか」
「馬鹿にしてるのか」
「さあ」
曖昧な返答。
林さんは口元を緩め、半歩前に出た。
身構える警務委員長達。
ただ彼の足は、すぐに止まる。
「何を言おうと勝手だが、償いはその体でする事になるぞ」
「やれますか?」
「そっちが雇った傭兵は、もういない」
「なるほど」
肯定の意味か。
微かに顎を引く警務委員長。
私の中で複雑な思いが巡る。
ただ今は、自分が口を挟む場面ではない。
「彼等しか雇っていないと、誰が言いました」
「何」
「傭兵の名の通り、金さえ出せばいくらでも雇えます。みなさん同様に」
「なるほど」
今度は林さんがそう答え、後ろを振り返る。
反応は特にない。
せいぜい、小泉さんが苦笑した程度だ。
「俺達を雇って、それを倒すために他の傭兵も雇って。ご苦労な事だ」
「念には念を入れてです」
「契約期間が終われば、俺達はここを出ていく。それを、信用しないのか」
「金で動く連中の、何を信用しろと」
聞きたくもない台詞。
林さん達は顔色変えず、警務局長達を見続ける。
怒るでもなく、蔑むでもなく。
ただ目の前の事実を受け入れている。
「この学校は、俺達の物です。それをどう運営するかの権限も、当然俺達にある」
「生徒全員に、だろ」
「甘い考えですね。良く、それでやってこれた」
「お互いに」
不意に口を挟む清水さん。
無機質な、冷たさすらない眼差し。
相手を人ではなく、口をきく物体として捉えるような。
「契約期限はあさって。その日になれば、私達は出ていくのに」
「戻ってきたら?誰がその保証を?じゃあ、やはり追い出すしかない」
「人を信じる気はないの」
「あなた達、本当に傭兵ですか?」
侮蔑気味な笑い声が彼等から聞こえてくる。
小馬鹿にした、見下すような視線と共に。
思わず前に出る足。
固めた拳を押し当てそれを止め、深呼吸で心を落ち着ける。
無理だとは分かっていても。
笑いが収まってきたのを見て、林さんが再び口を開く。
「すると、まだ俺達を倒す傭兵がいるという訳か」
「その辺は、話が早い」
「舐められたもんだ、俺達も。なあ、清水さん」
「私に振らないで。大体あの連中より強い傭兵なんて、殆どいない」
彼等を肯定する台詞。
きっとそれとは別な意味で、顔色を変える警務委員長。
「清水?清原ではなくて?」
「おいおい。履歴書をそのまま信じてるのか?随分甘い考え方だな」
さっきとは逆の展開。
警務委員長は唇を噛みしめ、デスクの上にあった端末を操作した。
「何者だ、お前達」
「傭兵さ」
低い、自信と誇りを込めたささやき。
下がっていた手首が返り、照明にきらめきを跳ね返す。
「呼ぶなら早くしろ。自分達の喉が、掻き切られる前に」
「なっ」
「冗談だ。今日は、そこまでしない」
壮絶な台詞を放ち、口元を緩める林さん。
それが事実なのかどうかは、彼のみぞ知るという顔で。
だが警務委員長達に与えた効果は絶大で、誰もが一瞬にして青白い顔で震え始めた。
「楽しくなってきたな、久し振りに」
「や、止めてくれ」
「心配するな。番犬が来た」
突然開くドア。
警棒とバトンを構えた数名の男性が、低い姿勢で飛び込んできた。
こちらは想定済みなので、慌てる事もなく後ろに下がって彼等と対峙する。
「お前らっ」
先日の傭兵達と同じ反応。
ただ彼等の方が、表情は苦い。
さらに付け加えるなら、動きが数段悪い。
「また性質の悪い連中を呼んだな。確かに初めの支払いは格安、その後で学校をどれだけ食い物にされるかも知らないで」
「え?」
「お坊ちゃん、お嬢ちゃんには分からない話だよ。で、それをどうする気だ」
腕を組み、連中の警棒を顎で示す林さん。
先程まで以上の、生き生きとした表情で。
「くっ」
懐へ手を入れる一人の男。
だがそれは、林さんが手を振る事で止められる。
何かを放った訳ではないが、男の顔は明らかに怯え気味だ。
「前来た連中は、素直に引いた。自分達はどうだ」
「調子に乗るな。名前が売れてるからって、勝てると思うな」
「呼べば仲間はすぐに集まる。ワイルドギースもお前達も、今日で終わりだ」
「俺としては、まだまだ続きがあると思うんだが。どうする」
こちらを振り返る林さん。
私はそのまま、ショウを見上げた。
「誰だ、そいつは」
「新人さ。悪い、軽く相手をしてやってくれ」
「あ、はい」
無造作に前へと出るショウ。
腰の警棒は抜かず、革の手袋をはめるだけ。
その隙を突いて、いきなり警棒が投げ付けられる。
それなりの速度。それも死角から。
「っと」
長い足が振り上げられ、かかとがその先端を受け止める。
彼の、額の辺りで。
「林さん、礼儀がなってませんよ」
「俺に振らないでくれ」
「同じ傭兵って事で」
「今は、君もだろ」
軽い調子で会話を交わす2人。
こちらを向いている警棒も、剣呑な連中の物腰も全く意に介してはいない。
それが単なる強がりでないのは、今をアクションを見るまでもなく明らかだ。
「このっ」
左右と正面から飛び掛かってくる男達。
微妙なタイムラグと、数回のフェイント。
その出足も、コンビネーションも悪くない。
陽動としては、かなりの有効な動き。
無論、相手にもよるが。
何のためらいもなく前に出るショウ。
長い足が飛び込んできた警棒を跳ね上げ、そのまま相手の顎を捉える。
そのまま上体を後ろへ反らし、左右から振り下ろされた警棒をかわす。
そして軸足が浮き、蹴り足と共に左右へと伸びた。
ショウは体を反転させ、相手に背を向けて体勢を立て直す。
だがその背中に、警棒が振り下ろされる事はない。
呻き声以外は、何も。
「という訳だ。次は」
鷹揚に笑い、ショウの肩に手を置く林さん。
警務局長の顔色が、一気に悪くなる。
「残りがいるなら、早く呼んだ方がいい」
「ま、待ってくれ」
「骨を折るのを?それとも、耳を削ぐのを?」
一斉に耳を押さえる彼等。
再び笑う林さん。
「冗談だと言っただろ。その程度の覚悟もなくて、よくこんな事をしてる」
「う、うるさい」
「それは悪かった。いいから、次の手を見せろよ。まだ何か用意してあるって顔だ」
そう促され、警務委員長の視線が端末へと伸びる。
同時に着信音がして、こちらには聞き取れないくらいの声がした。
「今度は、今までの人間とは訳が違う。逃げるなら、今の内だぞ」
「最初からそのつもりだった。でも、ここまで来たなら付き合ってやる。最後の切り札も見たいし」
「馬鹿が」
「よく言われる」
悪びれずに答え、壁へもたれる林さん。
「誰が来るの」
舞地さんを見るが、答えない。
知っているという顔に、見えなくもないが。
「清水さんは」
「興味ない」
「あ、そう」
答えは分かっていたので、すぐに諦める。
「小泉さんは?」
「どうだろう。僕よりも、彼に聞いた方がいいと思うよ」
「彼って」
小泉さんが口を開きかけたと同時にドアが開き、スーツ姿の男性が数名入ってきた。
全員が壮年以上と言ったところで、やや険のある顔付きだ。
「……これは」
床に倒れている傭兵達を見咎める男性達。
その慌て振りを見る限りでは、大した事はない。
別な面ではどうか分からないが。
「誰の真似だ」
「彼等です」
すっかり余裕を取り戻し、私達を指差す警務委員長。
この男性達が、本当の後ろ盾という訳か。
しかし学校関係者とは違う様子だし、一体誰だろう。
「誰だね、この連中は」
向こうも同じ疑問を抱いていたらしく、嫌な物を見るような眼差しでこちらを窺っている。
警務委員長はゆったりと首を振り、侮蔑気味に鼻を鳴らした。
「教育庁で言う所の、学校外生徒。例の、傭兵です」
「なるほど。で、そんな輩がどうしてここにいる」
「先日お話しした学内のトラブルに、強引に介入してきまして。こちらも警察沙汰にはしたくなくて、つい」
「そういう事か。確かに、ゆゆしき事態だな」
大仰に頷く男性。
どうやらこの人物が、一番の責任者らしい。
能力や人間としてではなく、役職として。
「おい、君達。今聞いた通り、警察沙汰にされない内にここから立ち去れ。それなら、今回だけは大目に見よう」
権勢を感じさせる口調。
初対面だが、これだけでどんな人間かは想像が付いた。
「随分そちらの肩を持つようだが、一体どういう関係なの」
醒めた、しかし答えが分かっているという表情で尋ねる清水さん。
男性はスーツの襟元を直し、その胸を少し逸らした。
「我々は、教育庁の人間だ」
どうだと言わんばかりの顔。
清水さんは一瞬小泉さんに視線を向け、鼻で笑った。
「それは構わないけど、だからといって私達に指図する権限があるとでも?私達はこの学校の在学許可を、校長から得てる」
「たかが校長と一緒にするな。私は、彼等を統括し指導する立場にある」
「課長クラス、とういう訳」
「分かってるなら話は早い。さあ、すぐに立ち去れ」
面倒げに振られる手。
それに従うようにして下がる清水さん。
しかし代わって、舞地さんが前に出る。
「その課長が、何故ただの高校生であるそいつと親しい」
「何?」
目を細め、舞地さんを窺う課長。
空気が一気に重くなり、2人の間に緊張が走る。
「親戚でもないようだし、そうなると答えは幾つもない」
「言いたい事があるのなら、はっきり言ってみろ」
「癒着、横領、地位を利用した利益の供与」
「馬鹿馬鹿しい」
否定はする。
しかし瞳の奥に、暗い光が宿る。
「傭兵を導入して学内の混乱を誘い、最終的には警備会社の部分的な導入を決定。彼等の選定に伴うリベートと、毎月の支払金のキックバック。ガーディアンへの指導料の横領」
「ふ、ふざけるな」
「確かに古い手だ。私もそんな見え透いた事をやってる連中は、昔話以外に聞いた事がない」
唸る課長。
舞地さんは構わず、話を続ける。
「学内で使用する備品の導入に際して、同じ事をする連中もいる。ガーディアンは実力を持った、学内でも有力な存在。生徒会だけでなく、学校もその意向をある程度は飲む。業者の選定に関しても」
「き、貴様。いい加減にしろ」
「あくまでも例え話だ。この学校の備品の納入金額と、市場価格を調べた事を踏まえての」
事務的に告げ、彼女もやはり後ろへと下がる。
「という訳で、課長からの反論は」
「な、なんだと」
「言い訳しないと、本当だと思われるよ」
「それがどうした。お前らの話など、誰が信じる」
開き直る課長。
だが彼の台詞も、あながち間違いではない。
学校外生徒と、教育庁から問題視されている林さん達。
彼等の本質はともかく、その存在は決して評価されてない。
その証言を、誰が信じるのか。
現に目の前にいる教育庁の課長という人間は、それを否定している。
「参ったね」
苦笑して、その間に進み出る沢さん。
ただ鋭い視線は、課長から離れない。
それに気圧されたように、身を固める課長。
「まだ言い掛かりを付ける気なら、本当に警察を呼ぶぞ。貴様らの在学許可も、高校卒業資格も剥奪してやる」
「誰の権限で」
「無論、私のだ」
「十分な審査も無しに、か。立派な人間が、課長をやっている」
皮肉めいた言葉に、課長の顔が一気に赤くなる。
しかし沢さんは睨み殺すような視線を平然と受け止め、後ろを振り返った。
「小泉君、彼等のデータは」
「全員分揃いました。今、そちらへ」
「ありがとう」
小泉さんへ手を向け、端末をチェックし出す。
「最近は、地方の課長クラスまで気にして無くてね」
「お前が、どうしてそんな事を気にする必要がある」
「仕事柄」
薄く、冷徹な微笑みを浮かべる沢さん。
何を悟ったのか、課長の顔が一気に強ばる。
「何者だ、一体」
「さあね。とにかくこの件は、教育庁を通じて関係者全員の調査を行う」
「だ、誰の権限でそんな真似が出来る」
「学校に通う生徒なら、誰でもその権限を持ってるよ。それを教育庁や学校が、公にしたがらないだけで」
変わり始める空気。
重さよりも畏怖、そして恐怖。
だがそれは、まだ決定的な物へは至らない。
「だ、誰なんだ、お前は」
次の一言が無い限りは。
「僕が誰だろうと、関係ないと思うが。……特別地方警備担当監査官、沢義人だ」
どよめく課長達。
怪訝な顔をする警務委員長達。
「ど、どうしたんです。何だか知らないけど、こんな奴は早く」
「黙れっ」
叫び声を上げたのは、他ならぬ課長自身。
警務委員長達は一斉に身をすくませ、口を閉ざした。
「う、疑う訳ではありませんが。IDを」
ジャケットの内側から出される、カード型のID。
それに視線を走らせた課長は何やら呟き、数歩下がった。
「わ、私は、その。この学校についての混乱状況を調べるために」
「調査は後で行う。話があるなら、その時に」
「は、はい」
敬礼しかねない勢いでかしこまる課長達。
怯えきった警務委員長達の困惑も深まっていく。
「あ、あの。こちらの方は、一体」
「今仰られた通りだ。余計な口を挟むな」
「し、しかし」
恐怖を好奇心が優ったのか。
上目遣いで沢さんを見つめる警務委員長達。
若干の静寂。
そして。
「……フリーガーディアンというのを、聞いた事は」
「そういう高校生がいるという噂だけなら。……まさか」
「その、まさかだ。勿論君達も調査対象だから、覚えておくように」
冷静に指摘して、課長達へ顔を向ける沢さん。
「分かっているだろうが、証拠隠滅や余計な工作は自分達の不利益を生むだけだ」
「しょ、承知しています」
「いいだろう。すでに関係省庁には連絡を取ってある。今回の調査は僕の管轄じゃないから、ここで何を言っても無駄だと思ってくれ」
何の感慨も含まない態度。
事実を告げ、それを相手に知らしめるだけの。
「後は自分達で、責任を取ればいい。……傭兵は甘い、か。確かに、僕よりは甘いのかな」
皮肉、それとも憐憫。
どちらにしろ沢さんは彼等に背を向け、部屋を出ていった。
林さん達が続き、私達も後を追う。
肩を落とし、無言で立ち尽くす人達を残して。
自業自得と言ってしまえばそれまでだ。
ただ、彼等が何のために私達を雇ったのかと考えると気が重くなる。
沢さんの言ったように、最初からリベート絡みだとしたら。
学校のため、生徒のためではないのなら。
いや。
仮にその意味が含まれていても、結果は同じ。
彼等は私達を裏切り、陥れようとした。
自分で招いた、私達を。
今さら言うのもなんだけど、彼等が特別に悪い人間とは思えなかった。
普通の、どこにでもいそうな高校生。
また本人も、そう思っていただろう。
でも、実際の行動は違った。
それがいつからなのか、何故なのかは分からない。
教育庁の調査は先の話で、あまり聞きたくもない。
あるのは彼等が私達を裏切ったという事実。
ただ、それだけだ。
「最悪だな」
疲れきった顔で自分の肩を揉むショウ。
単純に暴れたり動き回ったりするのが、どれだけ楽なのかがようやく分かった。
私も、きっと彼も。
「名雲さん達が言う、慣れたってのも分かる気がする。こんな事が続けば、慣れるというか感情を交えてられない」
「まあね」
かろうじて笑い、椅子に座っている彼の後ろに立つ。
ちょっと高いが、手は届く。
「あの」
「いいじゃない。凝ってるんでしょ」
「何もしてないんだけどな」
「お互い様よ」
少し張りのある彼の肩を揉み、その耳元に語りかける。
「ここに来て、良かったと思う?」
「分からん。さっきのあれを見た後だと、余計に」
「本当ね。私も、自信を無くした。人を信じるっていうのは、やっぱり甘いのかな」
手を止め、彼の頭に額を付ける。
そっと頭の後ろへ回される、彼の手。
「甘くてもいいさ。そういう生き方しか出来ないってのもあるけど」
「うん」
「人につけ込まれて、馬鹿にされ続けて。どうしようもなくても、でも俺はそれでもいい」
「私も」
軽く彼の手に触れ、その傍らに動く。
はにかみ気味の笑顔。
私も同じように笑い、席に付く。
「下らない事を、再認識しちゃったね」
「俺達のせいじゃない」
「全く、何のためにここまで来たんだか」
先日行った、ドライブの写真を端末で再生する。
車の前で、並んで笑っている私達。
勿論、このためでは無いだろう。
思い出としては、また別な話だが。
「サトミ達は、ちゃんとやってるかな」
「俺達とは違うさ」
「本当に、駄目コンビだね」
「何を今さら」
苦笑するショウ。
確かに、そうだ。
ここへ来た意味はともかく、私達は何も得なかった。
裏切りと、自分達の馬鹿さ加減を認識しただけで。
「荷造りも済んでるし、またどこか行こうか」
「ああ。学校にいても、仕方ないしな」
来客を告げるインターフォン。
端末を使い、キーを解除する。
今さら私達を狙う人間はいないだろう。
「こんにちは」
遠慮気味に入ってくるガーディアン達。
林さんが指導した子達、私がトイレで助けた子。
この学校で出会った人達。
「色々、ご迷惑をお掛けしました」
「それは、俺達が言う事だ」
「いえ。自分達の学校なのに、何もしないで見過ごしてたんです」
「仕方ないわよ。向こうは、教育庁の役人なんだから」
首を振るガーディアン達。
その中でもリーダー格の男の子が、前に出る。
「結局俺達は、誰かに頼ればいいと思ってたんです。まずは傭兵に、それが駄目なら警備会社にって。でもそれが、駄目だったんですね」
「結果的には、だろ」
「だとしても。俺達自身がしっかりしてれば、こんな事にはならなかったはずです。俺は、そう思いたい」
固められる拳。
伏せられる視線。
彼はガーディアンで、警務委員長は当然顔見知り。
いや、もっと親しい関係なのかも知れない。
でもその人は、道を違えてしまった。
自業自得と言えばそれまでだけど。
彼の言う事、その気持ちは分かる。
自分の至らなさ、力の無さ。
人を頼ってばかりで、自分が何もしてこなかったという事実。
私にも思い当たる事柄。
「玲阿さん達は、4人だけで頑張ってるって聞きました」
「一応は。ただ、全く俺達だけでやってる訳じゃない。自分達に出来ない事は人に頼るし、そういう場面の方が多いよ」
「それでも、自分で出来る事までは頼りませんよね」
「まあ、そうかな」
「多分、その辺りが俺達と違うんだと思います。今度の事で、良く分かりました」
ようやく緩む口元。
少し悲しげに、でも力を感じさせる笑顔。
「色々言ってくれるのはいいけど、俺達は何もやってないぞ。殆どの事は、林さん達がやってたんだから」
「本当に。私達は、おまけなの。おまけ」
「体型が?」
くすっと笑う女の子。
それに釣られて、他の子達も声を上げて笑う。
「失礼ね。私は外見じゃなくて、中身で勝負するタイプなの。身が詰まってるのよ」
「済みません」
「もう。とにかく、お礼が言いたいなら林さん達にね。……お礼?」
「どうかしました?」
私は首を振り、曖昧に微笑んだ。
今回の謝礼を支払うのは、確か警務委員会。
でも委員長を含めた幹部がああなった今、支払いはどうなるんだ。
無理、かな。
まあ、いいか。
残念だけど、お金のためにやってる訳でもないし。
何もしてないし。
琵琶湖が見れただけで、良しとしよう。
「その、はやし……。じゃなくて林さん達は、どこへ」
「さあ。渡り鳥だし、琵琶湖に浮いてない?」
「え?」
「冗談。私も、さっきから見てない」
本当、どこに行ったんだか。
ドアを開け、初夏の風になびく髪を抑える。
青い空と、澄んだ空気。
彼方にきらめく、琵琶湖の湖面。
「何してるんです」
「黄昏れてる」
手すりに腰掛け、後ろ向きのまま答える林さん。
舞地さんは遠い目で琵琶湖を望み、清水さんと小泉さんは並んで手すりにもたれている。
「沢さんは?」
「公務員は色々と忙しい。事後処理だ」
ぶっきらぼうな答え。
全てが解決したという雰囲気には、とても思えない。
「帰る支度は?」
「俺や小泉君達は、帰るも帰らないも無い。次の場所へ行くだけさ」
「ああ、そう言えば」
「雪野さんも来る?」
冗談っぽく尋ねてくる小泉さん。
私はゆっくりと首を振り、琵琶湖を見ながら左手を指差した。
「名古屋へ帰るって事。それが一番いいよ」
「小泉さんも、実家に帰ったらどうです。清水さんを連れて」
「ば、馬鹿」
珍しく動揺する清水さん。
小泉さんは彼女の肩にそっと触れ、軽く頷いた。
「この間帰ったばかりだし、またその内ね」
「あちこち行かないと生きられない訳でもないんだし、その方がいいと思うんですけど」
「考えておくよ」
「余計な事を」
口元で文句を言う清水さんに笑いかけ、林さんの隣りに並ぶ。
「林さんは、横浜に帰らないんですか」
「俺は、結構まめに戻ってる」
「幼なじみとか」
舞地さんの呟きに、突然顔が赤くなる。
「お、おい。何言ってるんだ」
「独り言」
「あ、あのさ。俺は、その。なんだ?」
「落ち着け。シャンちゃん」
手すりから落ちそうになる林さん。
何してるんだ、一体。
「危ないな」
「だ、誰が危なくさせて……。何だよ」
「いえ、別に」
へらっと笑い、舞地さんの側に寄る。
「詳しく教えて」
「家の仕事が忙しい林家では、つい子供から目を離しがち。そのため近所の家に、息子を預けて」
「もういいっ」
「続きは、帰ってから」
耳元でそうささやき、両手を上げる舞地さん。
いつもの冷静さはどこへ消えたのか。
林さんは指の間から暗器を見せ、低い声で唸っている。
「照れる年でもないでしょ」
「君に言われたくないね」
「それは失礼しました」
鼻先で笑う清水さん。
彼女も、いつになく楽しそうだ。
「そんな事より、みんなが探してました。お礼が言いたいみたいで」
「俺は知らない」
「私も」
「同じく」
誰が、照れる年でもないだ。
本当に、いい年して。
いや、そうはいってもみんな16、7か。
結構恥ずかしい年頃なのかな。
少なくとも、私はそうだ。
「で、みんなは」
「ショウが相手を」
「君もひどいな」
「いいんです。あの子は、そういうの苦手だから」
ちょうどいい機会だし、ここらで照れる癖を直せばいいんだ。
それだけでも、ここに来た意味はある。
押し付けた、という意見は気にしない。
それに彼のファンも多い事だし、別れを惜しむにはいい機会だと思う。
一応監視をした方が良かったかなと考えつつ、私は屋上の涼しい風に吹かれていた……。
みんなの見送りを受け、学校を後にする。
遠ざかっていく正門、みんなの姿。
手を振る動きは見えなくなり、小さな点へと変わっていく。
私も窓から顔を戻し、ため息を付く。
結局ここに来て、何も得なかったという思いを込めて。
「来るんじゃなかったって顔だね」
「いえ。そこまでは」
そう言い繕い、頬を撫でる。
すぐ顔に出る方だからな。
「嫌な思いをして、寂しい別れをして。確かに、経験しなくてもいい事だ」
「沢さん」
「それでも人は、前に進む。後ろを振り向いてばかりではいられない。あの学校にいた、ガーディアン達のように」
開いた窓から彼の声が消えていく。
風に乗り、琵琶湖のきらめきへ溶けていく。
「決して強くはないし、これといった目標を持ってる訳でもない。僕達が来るまでは」
「はい」
「人は変わる。いい方へも、悪い方へも」
「そう、ですね」
思い当たる、幾つかの事。
あの学校のガーディアンと、警務委員長達。
舞地さんと、例の彼。
私とショウも、その例外ではない。
「……ここへ来て、良かったですね」
「そう言って貰えて、僕も嬉しいよ」
「本当に分かってる?」
疑わしげに尋ねてくる舞地さん。
寝てたのに、肝心な部分には絡んでくるな。
「うるさいな。名古屋に着くまで寝ててよ」
「そうもいかない。私にも、色々事情がある」
「どんな」
「教えない」
何だ、それ。
後ろを向いて飛びかかろうとしたけど、ショウに睨まれて止めた。
昨日置き去りにしたのを、まだ恨んでるらしい。
いいじゃない、女の子にモテモテだったんだから。
男の子にもモテモテだった、って話も聞いたけど。
米原の分岐点へ差し掛かる車。
直進すれば京都方面、右折すれば岐阜へと向かう。
勿論車は右折する。
岐阜の南は名古屋である。
「あ」
右側を追い越していく、一台のバイク。
さらに、もう一台。
同時に背後からのクラクション。
「な、なに」
今起きたところなので、頭が反応しきれてない。
「ちっ。ここ、オービスあるんだぜ」
それでも加速するショウ。
後ろのRV車は、テールトゥーノーズ並に、ぎりぎりの位置に付ける。
前を行くバイクはすでに、遠く彼方へとかすんでいる。
「ふざけるなって」
「オービスあるんでしょ」
「玲阿君構わない。場所が来たら、すぐに教える」
「了解」
シートに体が押し付けられる感覚。
迫ってくる周囲の景色。
メーターは200km/hを越え、スピーカーは警告を繰り返す。
「追いつく?」
「抜かれそうだ」
「駄目じゃない」
「バイクはともかく、後ろのは」
舌を鳴らし、後輪を滑らせて緩いコーナーを曲がる。
速度が出ている分、かなりのGが掛かる。
「負けたらやばいな」
「じゃあ、頑張って」
「車に言ってくれ」
そう答え、笑うショウ。
私も笑って、端末を握り締めた。
強く、思いを込めて……。
大垣辺りのドライブイン。
駐車場に停まっている、RV車。
二台のバイクは、どこにもない
その隣に付け、車を降りる私達。
「お前、何してるんだ」
「だるいから、寝てる」
ケイは車の窓から手だけ出し、適当に振ってきた。
「……久し振り」
「そうね」
「で、どうしてこれで」
「本当に」
端末を持ち、すぐ側で固まる私達。
サトミ、モトちゃん、沙紀ちゃん。
「いいじゃない。ずっと、連絡してなかったんだから」
「すぐ泣きついてくるかと思ってたのに」
「でも遠野さんも、結構寂しそうだったよ」
「木之本君、変な事言わないで」
拗ねるサトミ。
その肩にそっと手を回すモトちゃん。
「小泉さん達は?」
「向こうで別れた。海を見に行くって」
「敦賀に?何だよ、俺も行こうかな」
悔しそうな顔をする七尾君。
沙紀ちゃんも懐かしむような眼差しで、北の空を見つめている。
「少しは成長した?」
「全然。ショウと一緒に、自分達の馬鹿さ加減を再認識しただけ」
「こっちとしては、大助かりよ」
モトちゃんは真顔でそう言って、サトミと頷き合った。
久し振りに会った会話が、これか。
もう少し、離ればなれでも良かったな。
「名雲さんは?柳君も」
「ちょっとね。真理依」
「ああ」
池上さんに呼ばれ、ドライブインの休憩所へ入っていく舞地さん。
その間に、彼女達の車をチェックしてみる。
……思った通りだ。
「どうしたの」
「池上さんなら、立ち寄った学校の制服を集めてるだろうと思って。大当たりだった」
「私達ももらってきたわよ。ユウは?」
「当然」
羽織っていたジャケットを開いて、中を見せる。
少し早い、夏服を。
「何よ、それ」
「みんなの好意」
「嫌な人を雇ったわね、あなたの行った学校も」
冷たい人達を睨み、休憩所へ顔を向ける。
するとそちらへ、沢さんも歩いて行っていた。
「どうしたのかな」
「今からどこか行くって言ってた」
「どこ」
「それは、本人に聞いて」
親切だが、教えてはくれない木之本君。
分かるけどね。
「渡り鳥にでも戻る気?」
「まさか。だったら荷物を全部持っていくわ」
自分達が乗っていた車を指差し、サトミは私の手を取った。
「心配かしら」
「少しは。……もう、行くみたい」
運転席に沢さんが見え、後ろには舞地さんと池上さんが乗っている。
「来週には戻ってくるような事を言ってた」
「モトちゃん」
「あの人達がいてもいなくても、私達は自分のやるべき事をやらないと」
「まあね」
分かっているという意味を込め、彼女に手を向ける。
出来るかどうかはともかく、その気持ちだけは持っていたい。
「しかし、金は払ってくれるんだろうな」
……せっかくいい気持ちだったのに、何だ。
この人だけは、変わらないというか成長しないな。
「この際、お金はいいでしょ」
呆れ気味にたしなめるサトミ。
しかしケイは、嫌にはっきり首を振った。
「最低限、治療費くらいはもらう。というか、貰うの忘れてた」
「どうかしたの?」
「敵から、味方から。……時間か」
顔をしかめ、カプセルを口に入れた。
鎮痛剤で、食間に飲むらしい。
大丈夫かな。
「……大丈夫?」
「当たり前でしょ。私、免許持ってるのよ」
「それは知ってるけど」
微妙に左へと寄っていく車。
オートドライブが効いて、車線へと戻っていく。
「やっぱり、俺が」
「うるさいわね、集中出来ないでしょ」
ショウを一喝して、前を見続けるサトミ。
見過ぎだよ。
何か、私も寝たくなってきた。
起きてても、怖い事になりそうだし。
「名古屋に着いたら起こして」
「ナビは」
「自分で見ればいいでしょ」
「私に、よそ見しろって言うの」
何怒ってるんだ、この人は。
「うるさいな」
「あなたは、寝てなさい」
「じゃあ、黙っててくれ」
「静かにしてっ」
誰だ、一番うるさいのは。
「おい、やっぱり俺が」
「いいから、寝てなさい」
「いや、俺は別に」
「もう、ほっとけば」
目を閉じて、シートを倒す。
激しい言い合いと笑い声。
久し振りに聞く、みんなの声。
とても眠れそうにはないけれど。
でも。
今の私にとっては、何にも優るBGMだった。